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#navi(ルイズと夜闇の魔法使い)
『彼』の叔父は『ミーゲ社』というドイツに本社をおく大手掃除機メーカーの開発部に勤めている。
彼は小さい頃、気のいい叔父に連れられて何度も研究所を見学し、様々な珍しいものを見てきた。
例えば発売予定の新型掃除機だったりとか告知されてすらいない企画開発中の商品だったりとかヘンテコな形のホウキだったりとか、とにかく色々なものだ。
今更にして思えばたかが掃除機なのではあるが、当時の幼い彼の眼にはそれらは宝の山のように見えていたのだ。
流石に成長して子供なりに知識が増えてくると社外秘とかで見学する事はできなくなってしまったが、彼の好奇心旺盛な所はそんな経験から培われていたのかもしれない。
そんな性格が災いしてか、彼はその叔父の伝手で超格安の修理を終えたノートパソコンを手に家へと戻る途中で遭遇した奇妙な鏡を潜ってしまった。
全身に奔った痛みに意識を失い、次に眼を開けた時。
彼の目の前に広がった光景は、深い木々に囲まれた小さな広場だった。
訳がわからずに辺りを見回すと、そこに二人の女がいた。
やや厳しそうな顔の大人っぽい女が何事かを言い、ややおっとりした少女が首を振って何事かを言った。
そして少女はこちらを警戒するようにおそるおそる近づいてきた。
次第にはっきりとしてくる少女の造形に思わず彼は息を呑む。
(やべえ、可愛い)
正に森の妖精とも言うべき愛らしい少女だった。
透き通るほどに白い肌、陽光を孕んで揺れ輝く金糸の髪。
そこから覗く尖った耳なんてそれはもういわゆるお約束的な呼称で言う所の――
「エルフ?」
口に出した途端、少女がびくっと震えた。
しかし彼としてはさほど驚かなかった。
何しろ、彼はついこの間秋葉原に行った時に、エルフの美少女を見た事があったからだ。
何やら新作のゲームの宣伝とかで、コスプレとは思えないほど堂に入ったファンタジックな衣装を纏っていて、付け耳とは思えないほど自然な造形の少女だった。
他にもそのエルフと同じようなファンタジックな衣装を着てにょーにょー鳴いてる美少女もいたし、明らかに堅気ではない気配を纏わせて剣を持つバンダナの男もいた。
あと何故かわからないが、輝明学園の制服を着た男子生徒がぎゃあぎゃあ騒ぎまくっていた。
どうやらその宣伝は無許可だったらしく、警官がやってきて大騒ぎになり慌てて逃げ出していったのをよく覚えている。
そんな事を思い出して、彼は今回もまたその手の類に遭遇したのかと思った。
カメラはどこだと辺りを見渡して、彼はようやく自分の置かれた境遇を把握した。
「……って、ここどこだ!?」
街中を歩いていたはずなのに、いつの間にか知らない場所にいた。
――『知らない場所』どころか、『知らない世界』だと知ったのは、その後少ししての事だった。
※ ※ ※
宝物庫の襲撃に失敗してフーケが捕縛されてから、約三日。
彼女はお役所仕事でのんびりとやってきた王国衛士隊に引き渡され王都へ連行される事になった。
外の様子を見られぬよう窓が取り払われた荷車の中、フーケは壁に背を預ける形で座り込んで瞑目していた。
捕まって部屋に監禁されていた時もそうだが、現在でも特に取り乱すという事はない。
盗賊などという稼業をやりはじめた時点で、捕まった後の末路は既に把握していたからだ。
王都に辿り着いた後はチェルノボグの監獄に放り込まれ、形ばかりの裁判を受けた後わかりきった判決が下され執行されるだろう。
十中八九命はない。仮に生き延びたとしたら海側に島流しかサハラ辺りに放逐だろうか。
いずれにせよ彼女の人生は終了が決定していた。
未練はない、と言えば嘘になる。
が、どうしても生き延びなければならない、とは思っていなかった。
そこでフーケは思わず薄い笑みを浮かべてしまった。
――まったく皮肉というしかない。
『一年前』まではそう思っていたのに、それが薄れた途端に転げ落ちるようにこんな事になってしまった。
彼女がトリステインに渡って王都を荒らし始めたのは半年ほど前になる。
本当なら一年前にそうする予定だったのだが、『予定外』の事が起きて半年遅れる羽目になったのだ。
もっとも、そのせいで……否、そのおかげで今の彼女の心境があるわけなのだが。
「……まあ、ひっそりと生きてく分には『あいつ』がいれば大丈夫だろ」
彼女はそんな事をつぶやいた。
その声に答える者は誰もいなかったが――代わりに、荷車が大きく揺れて動きを止めた。
王都に着くには早すぎる。
フーケは眉を僅かに潜めて眼を開いたが、窓もない荷車の中は薄暗闇に覆われている。
一応外から中を覗くための窓は添えつけられているが開く気配もない。
外から衛士達の喚き声が聞こえた。
続いて剣戟の音が響き渡る。
彼女は思わず身を起こしかけたが、小さく鼻で笑うと再び腰を下ろした。
ここは恐らく街道沿いなので魔物が出ることはまずありえない。
衛士隊を相手に襲撃を試みる馬鹿な盗賊もいないだろう。
襲撃を試みる盗賊はいないだろうが――襲撃をかける賊自体には心当たりがあった。
何しろ彼女は数多のトリスタニア貴族達からお宝を頂戴し続けてきたのだ。
その中には表沙汰に出来ない禁制の代物も少なからずあった。
裁判を待ちきれず……むしろ裁判で余計な事を言われないように口封じがしたい輩の仕業なのだろう。
剣戟は激しさを増し、破砕音や風切りの音まで聞こえ始めた。
恐らく魔法も使っているのだろう、相手はかなりの手錬のようだ。
しかしフーケは全く取り乱さなかった。
魔法を使おうにも杖は取り上げられているし、逃げられぬように手も足も縛られている。
仮に手足が自由であったとしても、王国の衛士隊に襲撃をかけてこれを退け、自分の前に辿り着けるような相手に心得程度の体術が通じるとは思えない。
要するに、残された時間が短くなっただけの話だ。
やがて剣戟がやみ、静寂が訪れた。
荷車の扉ががたがたと動き、そして乱暴に錠を破壊する音が聞こえた。
これで勝ったのが襲撃してきた賊の方だと確定した。
フーケは身を起こし、僅かに身を沈める。
半ば無駄な抵抗とわかっていたが、実際に差し迫ってくればやはり生きる本能というものが蠢くのだ。
扉が開かれ、光が差し込んだ。
入ってきたのはローブを纏い、包帯を巻いた左手に剣を握った男だった。
フードを深く被って顔を隠しているが、その所作は男のものだ。
体躯は少々頼りない感じでどちらかと言えば少年といった風情なのだが――開かれた扉の向こうには倒れた衛士達が転がっていた。
いくらか怪我をしているようだが、殺してはいないようだ。
そして他に人の姿は確認できない。おそらく襲撃をかけたのはこの少年ただ一人。
つまりこの少年は一人で衛士隊を相手取り、殺さずに倒しきるだけの力量があるという事だ。
刺客のくせに殺さないのは不可解だが、この際彼女にとってはどうでもいいことだった。
少年は僅かに顔を上げてフーケを認めると――大きく肩を揺らして盛大に溜息を吐き出した。
場にそぐわない、明らかに気の抜けきったその行動にフーケは眉を潜め――不意に小さく呻き声を漏らして驚愕に眼を見開いた。
「お、お前……っ!?」
「……」
少年はフーケを声を無視して歩み寄ると手にした剣で彼女を拘束する縄を断ち切った。
そして彼はやや乱暴に彼女の手を取ると、呆気にとられたままの彼女を引き摺るようにして荷車から連れ出した。
※ ※ ※
「ま……まて……!」
フーケは少年に手を引かれたままその場を後にした。
近場にあった林の中まで逃げ込んで現場から十分に離れた後、ようやくと言った感じで少年に向かって声を投げかけた。
「待てったら!」
乱暴に少年の手を振り払い足を止めると、少年も立ち止まって彼女を振り返った。
フーケは確認するように少年を上から下までまじまじと眺めやった後、怒りを露にして顔を歪めた。
「なんで……なんでお前がこんなところにいるんだ、サイト!!」
サイトと呼ばれた少年はフードを取り払い顔を露にすると、面倒くさそうに頭をかいてからぼやくように口を開く。
「なんで、って助けに来たんだろ?」
「違う! なんでお前がトリステインにいるんだ! テファはどうした!?」
詰め寄るフーケにサイトはばつが悪そうな表情を浮かべた後、溜息をつきながら答えた。
「……そのテファに頼まれたんだよ。あんたが何やってんのかどうしても知りたい……って」
「なっ……」
サイトの言葉にフーケは表情を固まらせ、絶句してしまった。
言葉を失った彼女をよそに、サイトはそのまま言葉を続けた。
「あんたが村を出たあと、テファに頼まれて金渡されて、そんで追っかけてきたの。酒場で給仕とかやってんの見た時は笑わせてもらったけどな」
「……っ!」
「まー相当笑えたけど、別に給仕でもいいじゃん。少ししてから変なジジイに連れてかれて先生とかもやってたらしいけど、それも別にいいよ」
サイトはそこで言葉を切って小さく溜息をついた。
そして彼は僅かに表情を翳らせて、凝固しているフーケを睨みつけた。
「けど、フーケって何なんだよ。盗賊とか何やってんだよ。おまけに捕まっちまってよ……あんたがいなくなったら、テファはどうなるんだよ!」
昼間の仕事に満足しきって夜間の行動を完全に見落としていたサイトにも落ち度はあっただろう。
そんな程度の仕事で『彼女』の生活費を賄えるはずがない、と気付かなかったのも落ち度と言えば落ち度だろう。
だが、それらの点に関して彼を責めるのはいささか酷というものだった。
何しろ彼はこんな素行調査じみた真似をやったのは初めてだったし、何より『ハルケギニア』の金銭感覚をまだあまり理解していないのだ。
何故なら彼は――
「……っ、使い魔のお前に言われる筋合いなんてないんだよ!!」
――『ハルケギニア』に来て一年程度しか過ごしていない異邦人だった。
※ ※ ※
約一年前。
『仕事』のためにトリステインに向かうにあたり、フーケ――本来の名をマチルダ・オブ・サウスゴータという――には一つ懸念すべき問題があった。
それは彼女が保護し面倒を見ているハーフエルフの少女、ティファニアの事である。
ハルケギニアにおいてエルフはある意味魔物たちよりも恐れられる存在であり、それに対する人間の風当たりは激しいなどというものではない。
……具体的に言ってしまえばエルフと通じていたが故に投獄の対象となり、それを庇った家はまとめて粛清されてしまうほど。
つまりティファニアはそういう事情の少女であり、マチルダはそういう事情で名を喪ったのだった。
表沙汰にはできない彼女を置いていく事に関してはこれが初めてという訳ではないのだが、今回に限ってはかなり事情が違った。
当時のアルビオンにおいて、大規模な内乱が起きるという情報が裏の筋で出回っていたのである。
もしも内乱が起これば交通の要衝ともいえるシティ・オブ・サウスゴータはほぼ間違いなく戦火に見舞われることになる。
そうなればそこに程近い森にあるウェストウッド村も――隠れ住んでいるティファニアにも、その累が及びかねない。
そこでマチルダは彼女を守るため、楯を用意する事にした。
ティファニアに使い魔を召喚させたのである。
彼女個人はお世辞にも強いとは言いがたい、ひ弱と言っていい少女だったが、彼女はれっきとしたエルフの血を引く者である。
さぞ強力な幻獣が召喚されるだろうと思っていたが――果たして召喚されたのは幻獣ではなく『人間』だった。
これで現れたのが屈強な戦士だったり威厳を漂わせるメイジであったなら、いささか予想外ではあるがマチルダは構わず契約させただろう。
格式ばった貴族達ならともかく、今の彼女はそんな事にいちいち頓着しない。
だが現れたのはただの平民だった。戦闘はおろか喧嘩もあまりしたことのなさそうな、生っちょろい空気を漂わせた少年だった。
当然ながらマチルダは契約に反対したが、ティファニアは彼と契約すると言った。
召喚した主人がそう言うのなら、立会人でしかないマチルダが我を通すことなどできようはずもなかった。
――こうしてヒラガ サイトという奇妙な名前の少年は、ティファニアの使い魔となった。
契約して後、サイトの素性を知ってマチルダは契約を止めなかったことを後悔した。
ティファニアを守るほどの力量を持ち合わせていないド素人という事は初見で見抜いていた。
しかし彼は力量どころかハルケギニアの常識すら持ち合わせていなかった。
挙句の果てに『ハルケギニアではない、違う世界から来た』などと正気とは思えないことをのたまった。
この点に関しては召喚された際に彼が持っていた奇妙な箱を見せられた事で百万歩ほど譲って信じることにしたが、目下の問題はサイトが何者かという事ではない。
ティファニアを守ることができるか、ただこの一点だ。
マチルダはトリステイン行きを延期して、サイトにハルケギニアの常識と戦い方を半年間がっちり叩き込んだ。
そしてどうにか生きていくに十分な知識と力量をサイトが手に入れると、彼にティファニアを任せて彼女はトリステインへと赴いたのである。
※ ※ ※
「……あー、そうかよ」
マチルダの声にサイトは低く唸り、頬をひくつかせた。
そして彼は自分を睨みつけてくるマチルダを睨み返し、素早くその腕を取って最初と同じように歩き出した。
「な、何を……!?」
「決まってんだろ、ウエストウッド村に帰るんだよ」
振りほどこうとするマチルダをしかし彼は決して離そうとはせず引き摺るようにずんずんと進んでいく。
彼女を振り返ろうともせず、サイトは言葉を続けた。
「俺に言われる筋合いねーんなら、テファに言ってもらう。帰って報告しなきゃなんねえしな。俺、テファの使い魔だから」
「……!」
そこで初めて、マチルダの表情が激しく変わった。
怒りに紅潮していた顔が一瞬で蒼白になり、体に僅かな震えが走った。
柊に破れ衛兵達に囚われた後でも、荷車に乗せられ王都に連行される時でも見せたことのない、怯えた表情だった。
「は、離せ!」
彼女は今までにも増してめちゃくちゃに暴れ始めた。
その光景はもはやだだをこねる子供とそれを無視して手を引く保護者のようにも見えた。
「……言っとくけど、」
サイトは空いた手で剣を握り締めてから肩越しにマチルダを睨んだ。
握った左手――巻かれた包帯の奥から、淡い光が零れた。
「杖を持ってない今のアンタにはぜってぇ負けねえし、絶対逃がさねえからな」
「……っ」
マチルダは歯を噛んでその事実を受け止めるしかなかった。
何しろそれだけの力量に鍛え上げたのは彼女自身なのだ。
加えて言えばそれは――今サイトの左手で光っている、使い魔のルーンのお陰でもある。
マチルダはしばし屈辱に燃える瞳でサイトを睨み続け……やがて大きく肩を落とした。
彼女が諦めたことを悟ったのか、サイトも彼女から手を離して再び歩き出す。
そして二人はしばらく無言で林の中を歩き続けた。
林を抜けても二人は何も言葉をかけず、草原を進んでいく。
ちなみにサイトは勿論マチルダも街道を外れたこの辺りの地理はいまいち詳しくないので、どこに向かっているのかわからない。
もっとも街道に近づくと彼女に逃げられた衛士隊と鉢合わせる可能性があるのでしばらくはこのままだろうが。
マチルダは先を歩くサイトの背中をずっと眺めながら後を追い……ふと思い立ってサイトに歩み寄ると、彼の左手を取った。
「な、なんだよ」
派手に身体を揺らして振り返るサイトをよそに、マチルダは彼の左手にまかれている包帯を剥ぐとそこに刻まれているルーンをまじまじと観察した。
「……やっぱり」
「なんだよ。ルーンがどうかしたのか?」
「せっかく魔法学院に行ったんでね。ついでにあんたのルーンの事も調べてみたんだよ」
マチルダの言葉に興味を引かれたのか、サイトは立ち止まって彼女の顔を覗き込んだ。
「も、もしかして俺のために?」
「そんな訳あるか。テファの使い魔に意味のわからないルーンが刻まれてるのが気持ち悪かっただけさ」
「……デスヨネー」
遠い眼をしてサイトは呟いた。
サイトは自分がマチルダから嫌われていることは半年間の共同生活の際に身に沁みていた。
その最たるものが日課のごとく行われていた戦闘訓練である。
剣の扱い方など知るはずもない彼女にサイトが教わったのはただ一つ、ひたすらの実戦だけだった。
トライアングルメイジ謹製のゴーレムによる百人組み手。
しかもぶっ倒れても水魔法で治癒されて無理矢理続行させられるデスマーチだ。
正直このルーンがなければ百回ぐらいは死んでいたかもしれない。
「で。このルーンが何だって?」
「『ガンダールヴ』。かつて始祖ブリミルが従えたっていう伝説の使い魔のルーンだってさ」
「……伝説ぅ?」
サイトは胡散臭げに漏らした。
確かに、このルーンの効果は絶大なものだ。
初めての戦闘訓練の際、武器を使ったことがないと打ち明けたサイトに呆れ果てた表情を見せてマチルダが投げ渡した"錬金"製の剣。
それを握った時左手に刻まれたルーンが光り輝き、身体が異様に軽くなり使った事もない剣を手足のように操れたのだ。
このルーンが凄いというのは認めるが、やはり『伝説』とか言われるとどうにもむずがゆい。
それは言った当人のマチルダも同様だったようで、彼女は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「まったく笑える話じゃないか。あんたみたいなド素人が伝説――」
不意にマチルダの言葉が途切れ、表情も凍りついた。
サイトは訝しげに彼女を覗き込んだが、マチルダは取り憑かれたように左手のルーンを凝視している。
「……どうしたんだ?」
「……」
サイトの声も彼女の耳には入ってこなかった。
ただじっとガンダールヴのルーンを見つめる。
――実物を目の前にして、ようやく疑念が確信に変わった。
このルーンと似たルーンを、つい最近眼にしたのだ。
そう、このルーンは細かい部分こそ違うものの、志宝エリスの胸に刻まれたルーンに酷似していた。
ガンダールヴを調べた時に見た資料に、あのルーンもあったのだろうか。
あの時は対象がガンダールヴだけだったので他のものは覚えていないし、エリスのルーンをいちいち調べるほどの義理もなかったのでいまいち覚えていない。
だが、こうして実物を目の当たりにしてみれば確かにあのルーンはこの『ガンダールヴ』に似ていた。
「――」
マチルダはあの夜に感じた畏怖を思い出して身を震わせた。
あの時の彼女と彼女の纏う光は確かに伝説を謳うに相応しい威容だった。
……だとしたら、彼女の持つルーンに酷似するこのガンダールヴも、それが刻まれているこの少年も、同類なのか。
そしてもう一つ。
彼女に応ずるように光を纏ったその主も、同類なのだろうか。
ティファニアは系統魔法では類を見ない奇妙な魔法を使うことができる。
マチルダは先住魔法の一種かと思っていた(ティファニア本人はわからないらしい)が、アレも『伝説』の片鱗なのかもしれない――
「どうしたんだよ?」
黙り込んだマチルダを窺うように覗き込んできたサイトの声で、マチルダは我に返った。
彼としてはそうでもなかったのだろうが、彼女にとっては唐突にかけられた声に驚いて身を離した。
眉を潜めて首を傾げるサイトを見て、マチルダは大きく深呼吸して粟立った気持ちを落ち着かせた。
「……あんたのソレと似たようなルーンを持ってる子を思い出しただけだよ」
「……は?」
誤魔化すために吐き出した言葉だったが、サイトはそれを聞いて更に首を捻った。
「『子』? 子、ってもしかして人間なのか? 使い魔って動物とか幻獣とかじゃなかったの?」
「学院の生徒が人間を二人も召喚してね。そいつ等もあんたみたく違う世界から来たって言ってたっけ」
コルベールのような学者肌でもないマチルダがエリス達の発言に対してかろうじてまともに対応できたのも、偏にサイトという前例があったためだ。
まさか人間に加えて『異世界から来た』などというところまで前例通りだとは思わなかったが。
「はあァッ!?」
サイトは素っ頓狂な声を上げてマチルダに詰め寄った。
驚いて身をひきかけた彼女の肩を掴み、サイトは一気にまくし立てた。
「嘘、マジ!? 他にも地球から来た奴がいんの!? しかも二人ってナニ!! 今もまだあの学校にいるの!?」
「お、落ち着けって!」
額が接触しそうなほどに接近してきたサイトをマチルダは乱暴に振り払った。
それでもなお食い下がろうとする彼に、彼女は嘆息を漏らしつつ言った。
「アンタの同郷かどうかなんて知らないよ。なんかファー・ジ・アースって世界から来たらしいけど」
するとサイトの動きがぴたりと止まった。
彼女の言葉を頭の中で反芻するかのようにしばし沈黙を保ち、やがてその場にへなへなと崩れ落ちて頭を抱えた。
「なんだよそれ。ファージなんとかとか知らねえよ。俺が来たのは『地球』だっつうの……!」
「私に言われたって知るもんか。仮にその地球ってトコから来てたとしても、今更戻ることなんてできないだろ。アンタだけで入れるはずもないし」
「……ぐあー、なんだよぬか喜びさせやがってぇ……!」
サイトはぼやきながら頭をがしがしと掻き毟った。
そして力なく立ち上がると空を見上げ、大きな溜息をついてから再びがっくりと肩を落とす。
「そりゃハルケギニアなんつう異世界があるんだから他にも異世界があったってもう驚きゃしないんだけどさぁ……はあ、まじかよ……」
ぶつぶつと愚痴を零しながらサイトは再び歩き出した。
しょんぼりと遠ざかっていく彼の背中をマチルダは追わず、じっと見つめていた。
何度か口を開きかけては思いとどまり、そして小さく頭を左右に振る。
そして彼女は呟くように、言った。
「サイト」
「あー?」
「……あんた、良かったのかい?」
「良かったって何が?」
振り返りもせずに応えるサイトの背中を見ながら彼女はほんの僅かに沈黙を保ち、そして意を決したように言葉を続けた。
「……。テファの使い魔になったこと……」
「……、」
そこでサイトは足を止め、マチルダを振り返った。
彼はいぶかしむように見つめると彼女は顔を逸らし、表情を歪めて舌打ちした。
エリスと彼女のルーンの事を思い出したついでに、ルーンの確認をした際に交わした会話も思い出してしまったのだ。
彼女は自分の意思でルイズと使い魔の契約を交わした。
だがマチルダがティファニアにサイトと契約をさせたとき、"ちょっとした事情"で彼は気を失っていたのだ。
その時はティファニアを守る事が第一だったし使い魔の事情なんぞ知ったことではなかったのだが、エリスを見て何となく気になってしまったのだ。
「嫌だっつったって契約は解除できないんだろ? 今更じゃん」
サイトはマチルダをまじまじと見つめた後、軽く頭をかきながら答えた。
その声に僅かにマチルダの表情が翳ったのを見て取ると、サイトは眉を顰めてから口を尖らせる。
「……俺、地球にいた時はなんとなく学校行って、適当に友達と遊んで、なあなあで生きてきて……あんたの事をテファに頼まれた時みてえに、あんな必死に頼まれた事もなくってさ」
言ってからその生活の事を思い出したのか、サイトは遠くを見るように僅かに眼を細めた。
そして彼は小さく頭を振って郷愁を追い払うと、小さく息を吐いて苦笑を浮かべる。
「だからまあ、なんつうか。誰かに必要にされて、誰かの役に立つってのも悪かねえな、みたいな……」
「……そう」
エリスと似たような事を言う少年に、マチルダはわずかに顔を俯かせて呟いた。
少しの沈黙の後、サイトははっとしてマチルダを見やり慌てたような声で言った。
「……あ、でもそれと一生ここで暮らすってのは別だかんな! 地球に帰る方法が見つかるまでの間だぞ!?」
「はいはい。もっともその日が来るのはいつになるかわかんないけどね。なにしろ――」
魔法学院の図書室を調べて見ても――生徒の閲覧が禁じられているフェニアのライブラリィも含めて、だ――異世界に渡る方法など全く見つからなかったのだ。
流石に隅々まで調べ尽くしたという訳ではないが、それでもそんな荒唐無稽なモノが早々見つかるはずもないだろう。
同じく元の世界に戻ろうとしている柊の前途も多難と言ったところだ。
「なにしろ、何?」
「何でもないよ。っていうか、そこまで格好つけるんならこんなトコにいないでテファの傍にいろっていうんだよ」
「何言ってんだ。あんたが死んじまったら、あいつ悲しむどころの話じゃなくなっちまうだろ。だからこれもちゃんとテファを護るってことだ」
「……だったら、私の事も黙っといてくれ。こんな事知ったら、テファが悲しむ」
「ヤだね。俺はあいつの使い魔だから、テファを泣かすような真似する奴を放っておくわけにはいかねえ」
行こうぜ、とサイトは再び歩き出した。
振り返る気配はない。どころか、自分の動きに警戒する気配すらない。
もっとも逃げ出したところで"今の"サイトからは逃げられはしないだろうし、逃げおおせた所で彼に自分の仕事を知られた以上事態が好転することなどない。
ウエストウッド村に戻ってティファニアに再会し事情を打ち明けたとき、彼女が一体どんな表情を浮かべてどんな言葉を紡ぐのか、それを考えると震えが止まらなかった。
そこでようやく彼女は盗賊稼業を始めた事に大きな後悔を覚え、まるで絞首台に向かう死刑囚のような心境で先を行くサイトの後を追うのだった。
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