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#navi(風の使い魔)
MUROMACHI歴155年――両親を亡くした少年は、己の命と人生を懸けるに足る力と出会った。
MUROMACHI歴157年――諸国に戦乱の兆しあり。いち早く戦の臭いを感じ取った男は、
素質ある若者達を『虹を翔る銀嶺』に招集した。時代を動かす力、最強の武術『忍空』のすべてを携えて。
彼らはそれぞれの決意を胸に、一人、また一人と時代のうねりに漕ぎだしていく。
次々と邂逅を果たす十二人の弟子達によって、次なる忍空の歴史が刻まれようとしていた。
風の使い魔 1-3
「……なるほど。そして戦後、君は師の遺した畑の面倒を見つつ、故郷で暮らしていた。
収穫したトウモロコシをかつての仲間に届ける旅の途中、現れたゲートを潜ったと、こういうわけじゃな?」
学院長、オールド・オスマンは、机を挟んで立つカエルと見紛う顔の少年に語りかけた。
少年は幼く、まだ十二かそこらであるが、彼が見た目通りの少年でないことは、部屋にいる誰もが知るところであった。
少年――風助はオスマンの問いに、照れ笑いで頷く。とても戦闘集団の一隊長として戦場を駆けたとは思えない顔である。
「ああ、道に迷って腹減らしてたから、なんか食い物ねぇかと思って覗いたら吸い込まれちまってた」
あまりに馬鹿馬鹿しい理由に一同溜息。しかし、一番溜息を吐くべき少女は、いつもの無表情で風助の横に立っていた。
それは広場での騒動の後、タバサが風助と話そうと思った矢先のこと。駆けつけたコルベールによって、
タバサと風助は半ば強制的に院長室に、当事者だと主張して、ルイズとキュルケも強引に付いてきていた。
「未だに信じられません。あれが魔法でないということよりも、君が少年兵……しかも、
一部隊の隊長として戦場に立っていたことが……」
同席したコルベールは、風助の過去を聞いて苦い顔した。オスマンもそれには頷く。
風助はとても人を殺せる、殺した経験があるとは思えなかったからだ。
キュルケは感心した様子で、ルイズは半信半疑といったところか。相変わらず、タバサの表情は読めない。
しかしほんの一瞬、タバサは表情を強張らせた。両親は戦争で死んだ――さらりと、事もなげに風助が言った瞬間だった。
タバサの心情など知る由もなく、オスマンは引き続き風助を質問責めにする。
「それを可能にしたのが、忍空という武術なのかのう……。風助君、その忍空とやらを使える人間なら、
みんなあのような竜巻が出せるのかの?」
そもそも忍空とは何か。まずはそこから説明しなければならなかった。風助は拙い表現で説明したが、要約するとこうなる。
忍空――それは忍者の『忍』、空手の『空』。スピードとパワー、両者の長点を併せ持ち、増幅・発展させた武術。
武装は基本的になく、持ってナイフといったところ。
「強力な忍空技を使えるのは、隊長クラスだけだぞ。それに、空子旋を使えんのは俺だけだ。他は炎や氷、大地みてぇに使える力が違ってんだ」
そして忍空組とは、天下分け目の大戦において数千数万を相手取り、縦横無尽の活躍を示した部隊である。
隊員は約百人程度。子~亥の十二支に対応した部隊に分けられ、それぞれの隊の頂点に立つのが『干支忍』と呼ばれる十二人の隊長。
「なんとまあ……。すると他の隊長も、それぞれ自然を操る能力を持っておるわけで。
あれほどの現象を詠唱もなしに引き起こせる。そら恐ろしいことじゃの」
干支忍は単純な戦闘力においても、並の隊員をはるかに上回っているのは勿論、子忍の風、酉忍の空といったように自然を操る能力を持っている。
それこそが、忍空が忍空たる所以である。
「風助君、あの竜巻は魔力で出したのかね? 君には魔力がないはず……となると精霊との契約なのか?」
と、これまで黙っていたコルベールが割って入った。
「せーれーってなんだ? 忍空の技は、龍さんの身体を触って使うんだぞ」
コルベールは首を傾げる。そもそも、風助は精霊の概念を理解していなかった。
「竜? ドラゴンかね?」と、言ったのはオスマン。今度は風助が首を傾げた。
「風助君、その竜について聞きたいんだが……」と、次にコルベール。
長くて、でかくて、太くて……と、とりとめのない説明に、一同首を傾げる。頭上に?をいくつも浮かべるルイズ、
妙な想像に微笑むキュルケ、やっぱり無表情のタバサ、それぞれである。
が、よくよく話を聞いてみると、どうやら自然の中に宿る力のようなものらしい。
龍の身体、突く部位によって異なる技が発現するとのこと。
「しかし、一口に竜と言っても、こちらとは造形が違うのですな。文化圏が違うようですし、東国の辺りなのでしょうか……」
しかし、風助は自分のいた国の名前も知らないらしい。場所も国名も分からないのでは、推察しようがなかった。
拙い説明で辛うじて理解できたのは、三年前MUROMACHIからEDOに年号が変わったこと。
技術レベルは比較的近くとも、文化は違うということだけ。
「ふぅむ……、自然に宿る竜、もとい龍か……」
「おそらく、精霊に近い存在と見ていいと思われます。万物に宿る意思、力の源……そういったものの力を借りて行使する点では、
先住魔法と似ていますね」
意志と魔力で法則を歪めるのでなく、自然の力を引き出す術。その点では、確かに先住魔法に近いと言えよう。
「第一に必要なのは天賦の才。素養があっても、大抵は修行により龍を感じることで初めて見られる。
そして力を借りるに至り、自在に操れる域にまで達するには更なる修行……か」
修行、修行、また修行。頂点まで登り詰めることができるのは、ほんの一握りにも満たない数名。面倒臭さ、育成の手間では魔法以上か。
やはり、それほどの使い手はごく僅からしい。
オスマンは、ほっと胸を撫で下ろした。遠い遠い他国といえど、そんな怪物が何十人もおり、量産も可能となれば、
一国どころか大陸を制することさえ容易い。あのレベルの使い手が十二人でさえ、一国には十分対抗できる可能性を有しているのだろうが。
ルイズとキュルケは、それぞれ目を丸くしていた。あの小さな身体に、どれだけの力が秘められているのか。正直疑わしかったが、
つい先刻の竜巻を見せられては信じるしかなかった。
「しかし風や大地はともかく、炎や氷はそうそう手元にあるわけでもあるまい。その辺りはどうなっとるのかね?」
オスマンがそんなことを問う理由は、系統魔法で最も破壊力が高いとされるのが火であるからだ。戦場においても活躍する系統。
火種や氷、ないしは水を常に持ち歩かないと力を発揮できないとなれば、風や大地と比べて利便性は格段に劣る。
炎と氷と聞いて、風助が思い出すのは二人。
一人は垂れ目の男。何時でも何処でも、火事の中でさえ寝ている、放浪の絵描き。
一人は長い金髪の美形。虚弱体質でしばしば貧血を起こす、突発性自殺癖持ちのピアニスト。
どちらもオスマンの想像とはほど遠いだろう。
癖は強いが実力も結束も強い。今でも親しい干支忍の内の二人、炎の辰忍『赤雷』と、氷の午忍『黄純』だった。
「よく分かんねぇけど……龍が見えなくても、どっちも空気を操って氷や炎は出せる……みてぇに赤雷と黄純が言ってたっけかな」
そう語る風助は、実に楽しそうな顔をしていた。
破壊力に優れた火が制限されるなら、個々はともかく戦においての戦闘力はそれほどでもないかと思ったが、甘かったか。
ますます隙がないと感心してしまう。
しかも、聞く限りでは四系統魔法の仕組みと共通している部分もあるかもしれない。まだまだ世界は広いと、この歳でしみじみ思う。
「じっちゃん……まだ聞くのか? さっきから説明ばっかで疲れちまったぞ」
思案に耽っていると、風助がぼやいた。じっちゃん呼ばわりは違和感があったが、不思議と悪い気はしない。
「おお、すまんがもうちょっとじゃ。さて、ここからが本題。あれだけの騒動じゃ、君ら四人が頑張った結果、死傷者が出んかったのは僥倖。
被害が樹二本で済んだのは奇跡と言うより他ない」
オスマンの視線が、風助とタバサを捉える。髭に隠れた口から出るのは、威厳と風格を併せ持った声。
風助がごくりと息を呑む音が、タバサにも聞こえた。タバサも内心では緊張している。
「しかし、風助君、ミス・タバサ。君ら二人には、なんらかの罰が必要になる」
未だにああなった経緯が理解できないルイズは傍観。キュルケもよほど重い処分でもなければ黙っておくつもりだった。
そしてタバサは、やはり沈黙。そんな中、一列に並んだ四人から一人、オスマンに進み出る者がいた。
「待ってくれ、じっちゃん! 悪ぃのは俺だ、タバサは関係ねぇ! だから、罰なら俺だけにしてくれ!」
真っ先に進み出た風助は、自分でなくタバサの罰の軽減を訴えた。
タバサ――初めて名前を呼ばれた。それだけ、自分は風助とのコミュニケーションを疎かにしていたのに。数えるほどしか会話していないのに。
「風助君、君の言い分は尤もかもしれんが、使い魔の責任は主の責任じゃ。主人と使い魔は一蓮托生。それは全うしてもらわんといかん」
「頼む、じっちゃん!」
タバサは、下げた頭をなおも低くしようとする風助を、
「別に構わない」と手で制した。
そんな主人を何故、そうまでして庇うのかは分からなかった。ただこの瞬間、初めてこの使い魔を信じてもいいと思えた。
「まあ聞きたまえ。不服を言うのは、それからでも遅くはないだろう?」
コルベールが風助を諫め、一同オスマンの裁決を待つ。
オスマンは長い髭を撫で摩り、
「そうじゃの……今後、学院内での忍空の使用は厳禁。後は……樹が二本じゃから、向こう二ヶ月の奉仕活動とでもしておくかの」
と急に気の抜けた声で言った。危うく学院を崩壊させるところだった騒動の罰としては軽いものだ。
「ほうしかつどう……ってなんだ?」
「平たく言えば、掃除を始めとする学院の雑用じゃな。内容は必要な時に沙汰しよう」
タバサは安堵よりも、その意図を疑わずにいられなかった。だが、そう思っていたのはどうやら自分だけらしい。
ルイズとキュルケは、互いに目を見合わせ苦笑。風助はいつも丸い目を、更に丸くしていた。
「そんだけでいいのか……?」
「当座はそれだけ、としておこう。手始めに、広場の樹の残骸を処分してもらおうかのう。
おお、それと図書館の司書が蔵書の整理をしたいと言うとったな。そっちはミス・タバサが得意じゃろう」
無邪気な笑顔の風助が、オスマンの座った机に飛び乗って手を握る。
「サンキュー、じっちゃん! 俺がんばるぞ!」
「ほっほっほ……これ、机に乗るでない! 隠しきれるものでもあるまい。教師連中には私から説明しておこう」
タバサの魔法としておく手もあるが、トライアングルで出せる魔法でもない。何よりも、風助が許さないだろう。
今は様子を見るべきとの判断だった。
風助の嬉しそうな顔にコルベールも、ルイズもキュルケも微笑んでいる。そんな顔を見せられてはタバサも、
疑問は一時保留しておこうという気分になってしまった。
無邪気な風助にコルベールが、
「忍空の使用を禁止されても困ることは少ないだろうが、使い魔としての役割も頑張りたまえよ。
困ったことがあれば、私もできる限り力になろう」
「ああ。それでおっちゃん、使い魔ってのはどうやったら終わりなんだ?」
その答えに、室内にいた全員が固まった。
「は……?」
「え……?」
「まさか……」
「ふむ……」
最初にコルベール。続いてルイズ、キュルケ。オスマンまでもが、意外そうに唸る。
驚きの目が集中しているのに、風助は気付かない。一人、決意も新たに拳を握って意気込んでいる。
「俺、頑張って使い魔終わらせるぞ。けど、どうすりゃいいんだ? おっちゃん」
「まさか君は知らないのか? ミス・タバサ……君も説明してないのか?」
コルベールが風助からタバサへ視線を移す。タバサはぶつかった視線を一旦は受け……やや気まずそうに外した。
しまった。
顔は平静を装っていても、彼女がそう思っているのは誰から見ても明らかだった。
使い魔は召喚された時から自分の役割を理解していると文献にはあったが、風助は何一つ理解していなかった。
だというのに、面倒だったので説明を簡潔に済ませてしまっていたのだ。
ルイズは口に手をやって驚き、キュルケは悩ましげに額に手を当てた。
きょろきょろと周囲を見回す風助にコルベールが告げる。気まずく、この上なく言い辛そうに。
「風助君……使い魔とは、メイジを一生サポートするパートナーなのだ。つまり……死ぬまで終わらない」
風助の顔が歪み、
「うぇぇええええええええ!!」
学院中に聞こえるかと思うほどの声がこだました。
そのうち帰れるだろうと楽観的に考えていただけに、風助はこれ以上ないほど仰天した。
それはもう、筆舌に尽くし難い顔芸で、驚愕を露わにしたのだった。
「君の国に帰れる方法も探しておこう。それまでは我慢してくれたまえ」
コルベールに苦笑いで送り出された風助。その横にタバサ、後ろをキュルケとルイズが歩く。
前を歩く二人は、珍しく困り顔だった。
「一生は……ちょっと困ったぞ。ばあちゃんと……お師さんの畑もあるしなぁ」
親代わりでもある隣の老婆は身体が弱く、臥せりがちである。最近は元気だし、村の人間は仲がいいので、しばらくは心配いらないだろうが。
畑も面倒を見てくれる当てはある。忍空の里の忍犬、ポチはちょくちょく里を抜け出しているので、戻らなければ面倒くらいは見てくれるだろう。
どちらも焦る必要はないと分かっていても、心配には変わりなかった。
一方、タバサは申し訳ない気持ちを抱えていた。今更になって、自分のらしくなさが悔やまれた。かと言って、掛ける言葉も見つからない。
見かねたキュルケは空気を変えようと、
「しかし、ヴァリエールはともかく、なんであなたは人間を召喚したのかしらねぇ?」
「ちょっと、ツェルプストー! わたしはともかくってどういう意味よ!!」
敢えてケンカを吹っ掛けてみる。案の定、ルイズはすぐに乗ってきた。
意図を汲み取った上で怒ってくれているのか、それとも天然なのか。多分後者だろうが、どちらにせよありがたい。
「カエルみたいな顔してるから、亜人と間違えられちゃったのかしら……なんて」
「そんなわけないでしょ!」
怒るルイズ、さらっと流すキュルケ、いつも通りのやり取り。見ていた風助も、いつの間にか笑顔になっていた。
「んじゃ、俺は広場の片付けに行ってくるぞ。俺がやったんだから、俺一人でいいや」
風助は三人と別れて外に出る。タバサは迷った末、彼の背中にたった一言問う。
「いいの?」
それは広場の片づけを一人でさせることに対してか、使い魔を続けることに対してなのか。
言ってから、また言葉が足りなかったかと不安になったが、
「まぁな。くよくよしてもしょうがねぇし。それにここはここで、いろいろ面白ぇぞ」
今度はちゃんと伝わったらしい。どちらの意味にも取れたが、きっと後者だろう。
能天気な笑顔の裏に秘められた逞しさをタバサは感じ取った。
「……わたしも次の講義は休むわ。先生には伝えておいて。治療の魔法の準備をしてもらわなきゃ」
あんなバカ犬でも使い魔は使い魔だからね、と言い残してルイズも去っていく。残されたタバサとキュルケは暫し逡巡したが、
大人しく講義に向かうことにした。
風助が迷いながらヴェストリの広場にたどり着いたのは学院長室を出てから約十分後。広場には杖を持った教師が二人と、
手作業で樹の破片を拾い集める男が二人、既に作業を始めていた。二人は貴族ではなく、いわゆる用務員。敷地の整備や雑務を担当する仕事らしい。
四人に風助も混じり、散乱した木切れを集める。突然、子供が手伝いをしたいと現れたので教師達は訝しんでいたが、
コルベールから話は聞いていたらしく、事情を話すと驚きと共に迎えられた。
作業は順調に進み、始めてから三十分後には広場は綺麗さっぱり片付けられた。へし折れた樹の幹は、
教師達が魔法で掘り起こし焼却。二人は土のメイジと火のメイジなのだそうだ。
「やっぱ魔法って凄ぇなぁ。なんでもできんだな」
風助の素直な賛辞に教師は照れ臭そうに笑い、これには他の二人も頷いていた。
作業を終えて四人と別れると、ぐぅぅと控えめに腹の虫が鳴くので、厨房に向かってみる。
この時、食後からまだ一時間も経っていないのだが、風助には関係なかった。
厨房に向かい扉を開けると、マルトーが昼食を片付けていた。その隣ではシエスタも手伝っている。
「おっちゃーん、なんか食わせてくんねぇか?」
「おお、風助坊……っておめぇまた来たのか」
振り向いたマルトーが呆れ顔で溜息を吐く。片やシエスタの表情には、感嘆と驚きと、ほんの少しの怯えが表れていた。
「あ……風助君、いらっしゃい……」
「ったくおめぇはどれだけ食うんだ……まぁ、ちょうど残りがあったところだ。食わせてやるから、座って待ってな」
「ありがとな、おっちゃん」
呆れながらも準備を始めるマルトー。手近なイスに腰掛けると、こちらを見ているシエスタの視線に気付く。
「ねぇ、風助君。さっきの竜巻って風助君がやったの……? 風助君ってメイジだったの?」
おずおずと話し掛けてくるシエスタ。流石の風助でも、声に帯びた不安の色を察した。
その対象が自分であることも。
「ああ。けど俺はメイジってのじゃねぇぞ。あれは忍空ってんだ」
「にんくう……?」
「ちょっと失敗して、あんなことになっちまったんだ。けど、もうここじゃ使わねぇから心配すんな」
「そうなんだ……」
シエスタが躊躇いがちに頷く。詳しい説明を省いたからか、シエスタの不安は完全には払拭されなかった。
だが、たとえ力を持っていたとしても、風助が弱い者を傷つけるとも思えなかった。
そこへマルトーが大きな器をドンとテーブルに置いた。入っているのは琥珀色に透き通ったスープ。
先程のシチューと違い、如何にも上品そうだ。
「ああ、シエスタから聞いてるぜ? やるじゃねぇか、ケンカの仲裁でどでかい竜巻を起こしたとかなんとか……それが魔法じゃなく忍空ってのか?」
マルトーは、竜巻の暴威を目の当たりにしたわけではないので、特に畏れもしない。
「おー、罰として奉仕活動をしなきゃなんねぇんだ」
「奉仕活動? そりゃ難儀だなぁ。こんなガキをこき使おうなんざ、まったく貴族ってのは……」
「気にしてねぇぞ。することなくて退屈してたんだ、ちょうどいいや。元いたとこじゃ畑耕してたし、ただで飯食わせてもらうのも悪ぃと思ってたしな」
子供っぽく笑う風助に、シエスタも次第に警戒心を解いていく。不思議なものだ、今日出会ったばかりだというのに。
「人の五倍は食べるもんね、風助君。また手伝ってくれると助かるな……」
スープを掻き込みながら、
「おー、なんでも言え」とスプーンを振り上げて宣言した風助だったが、不意にピタリと食事の手を止めた。不意に背後のマルトーを振り向く。
「そういや気になってたんだよな。おっちゃんは、じっちゃん達のこと嫌ぇなのか?」
「嫌ぇって言うかだな……」
マルトーは言葉に詰まった。この場合、風助の言うあいつらとはオスマン達個人の好き嫌いだからだ。
「じっちゃんも、坊主頭のおっちゃんもいい奴だったぞ。罰も軽くしてくれたしな」
貴族は嫌いだ。我が儘で横暴で、身分を鼻に掛けている連中がほとんど。それはこの学院の生徒教職員も決して例外ではない。
しかし、貴族は嫌いだが、生徒や教職員達に特別恨みがあるわけではなかった。
平民と貴族の関係ではあるが、教師とも時には関係を深め、連携を取ることはある。そうでなければ仕事も円滑にいかない。
豪勢な料理だって、栄養には十分留意している。育ち盛りの生徒の健康を管理しているのは自分だという自負があった。
何より、自分の料理を美味そうに食べる生徒達を見ると悪い気はしない。
口ではなんだかんだ言っても、学院の食を司る身としては、すくすくと育ってくれるのは感慨深いものである。
つまるところ、嫌いなのは貴族という身分であって、彼らではない。そこまで嫌いなら、どれだけ給料が良くても貴族の学院でなど働かない。
故に、改めて嫌いなのかと聞かれると――。
「コック長……口に出てますよ?」
「おっちゃんも、やっぱいい奴だなぁ」
どうやら柄にもなく考え込んでいると、口に出てしまっていたらしい。呆れ混じりの微笑むシエスタと、舌を出して笑う風助。
顔を真っ赤にしたマルトーは、
「よせやい! こっ恥ずかしいこと言わせるんじゃねぃよ、このベロ!!」
言いながら風助の後頭部にゲンコツ。思いのほか強い力に風助が、
「ん~!! 前が見えねぇぞ」
「きゃー! 風助君、顔! 顔がはまってます!!」
顔面からスープの器に突っ込む。ぴっちり顔にフィットした器は、風助が顔を上げても取れなかった。
「ふぃ~、死ぬかと思ったぞ」
「ははは、悪かったなぁ、風助坊」
ようやく器を外した風助の背中を、マルトーがバンバン叩いた。スープ塗れになった服は脱いで干し、今の風助は上半身裸。
にも拘わらず叩くものだから、背中に赤い手形が付く。
「いて! 痛ぇなぁ、おっちゃん」
マルトーをジト目で見る風助に、シエスタが尋ねる。
「そういえば風助君……さっきは名前が出なかったけど、ミス・タバサは風助君から見てどうなの?」
「タバサは……無口でよく分かんねぇけど、いい奴だぞ。飯も食わせてくれるしな」
「風助君はご飯を食べさせてくれたらいい人なの?」
「まぁな。少なくとも、俺が腹減らしてた時、飯食わせてくれたおっちゃんやおばちゃんは、みんな優しくてあったかかったぞ」
戦前、戦後と国は荒れ、民衆は貧しく、その日食べるものにさえ困窮する者もいた。
そんな時勢で、誰とも知れない子供に食べ物を恵んでくれるようなお人好しは十分信頼に値する。
いつからかそう思うようになっていた。無意識的ではあるが、それは風助の人を見分ける術の一つだった。
「いつだったか……行き倒れてた俺に飯食わせてくれたおっちゃんは、どっかおっちゃんに似てたかもしんねぇな。飯は凄ぇくそまずかったけど」
「飯のまずい野郎と俺を一緒にすんじゃねぇよ! いい度胸じゃねぇか、このベロ!」
またも風助がマルトーにヘッドロックされ、その頭を小突かれる。
「悪ぃ悪ぃ、けどおっちゃんの飯はうめぇぞ。ほんとだ」
どちらも顔は綻んでおり、それが新愛の表現であることは、傍目にも明らか。
シエスタは感心してしまった。風助は、たった数十分でマルトーの心に入り込んでしまったのだ。
「おっちゃんもシエスタもタバサも、俺にとっちゃみんないい奴だ。だから困ったことがあったら、言ってくれりゃ手伝うぞ」
それは自分も同じ。彼に抱いていた恐怖心、警戒心はものの数分で氷解していたのだから。
「うん、私はもうちょっとしたらサイトさんの看病のお手伝いに行くから、風助君手伝ってくれる?」
「その前に、こっちは薪でも割ってもらいてぇな」
「よし、そんじゃやるか」
意気込む風助は裸のまま、マルトーと厨房の扉を開いて出ていく。彼が開いた扉からは爽やかな昼下がりの風が吹き、
見送るシエスタの髪を揺らした。
時刻が夕刻に差し掛かる頃、風助はシエスタを伴ってルイズの部屋に向かう。手にはシエスタの用意した、大きな器一杯の湯。
何しろ、風助はタバサの部屋に帰る道ですら迷う始末。一人では無駄な時間を食うばかりだった。
ルイズの部屋の前まで来ると、僅かに開いたドアの隙間から光が漏れていた。二人は互いに顔を見合せて、隙間から覗きこむ。
ベッドに横たわった才人。その横に教師らしき壮年の男性が立ち、隣には両手を組み合わせるルイズ。
「何やってんだ? あれ」
「サイトさんの治療中みたいだね。ちょっと待ってよっか」
小声で会話しながら治療を見守る。やがて教師がルーンを唱えると、才人の身体を淡い光が包む。
「おお……むぐっ!」
塞がる傷に感嘆の声を上げかけた口を、シエスタの手が塞ぐ。
「風助君、静かに。お邪魔になるわ」
「すまねぇ……。しっかし凄ぇんだなぁ……」
子供のように(実際子供なのだが)目を輝かせる風助に、シエスタも微笑を漏らす。シエスタからすれば、風助も相当凄いことをしているのだが。
「あ、終わったみたい」
二言、三言ルイズと会話を交わし、教師が向かってきた。二人はたった今来たように振る舞い、一礼してすれ違う。
改めてドアを叩くと、ノックから数秒遅れて声が返る。
「誰?」
「あ、その、シエスタです。サイトさんのお湯をお持ちしました」
「開いてるわ、入って」
「失礼します」
入ると、真っ先に部屋の奥のベッドが目に入る。ベッドに横たわる才人、隣にルイズが腰掛けていた。
振り向いたルイズは、一緒に入ってきた風助を見るなり、
「何よ、あんたも来たの?」
「おー、才人はまだ寝てんのか?」
「見ての通りよ」
答えるルイズの口調はどこか棘があった。否、どこかではない。ピリピリと明らかに張り詰めた空気を、シエスタは感じた。
風助は知ってか知らずか、ベッドでいびきを掻いている才人の頬を軽く突く。「しっかし……変な顔して寝てんなぁ」
瞬間、ルイズの眉がピクリと跳ねた。同時に、シエスタの肩も寒気で跳ねた。
「ねぇ……シエスタって言ったわよね」
「は、はい!? 何かお手伝いすることはありますか!?」
「今は特にないわ。ちょっとこいつと二人にしてくれない……?」
「え……と……こいつって風助君ですか?」
この場合、才人は数に入るのだろうか。シエスタは答えに窮したが、ルイズは無言。となると、おそらくは正解。
狭い室内を支配する重圧は、更に重みを増す。
ルイズが何を言うのか、大方の察しはついていた。しかし、シエスタには何も言えない。
事実だからだ。彼女の抱く怒りも、これから風助にぶつけるであろう言葉も。
「それじゃあ、失礼します……」
一礼して去っていくシエスタを確認したルイズが、風助に顔を戻す。目を離した隙に、彼は仰向けで寝ている才人に跨って、
傷を確認しながら身体のあちこちを指圧していた。空気の読めるシエスタとは大違いだ。
「……何やってんの?」
「身体の回復力を高めるツボってのがあるんだ。ちょっとはましになるだろ」
「ふーん、それも忍空ってやつ?」
「まぁな」と言いつつ、風助は才人をひっくり返して背中も指圧する。
されるがままの才人は苦しそうに唸っているのだが、二人とも特に気に止めていない。
返答から暫くして、ぽつりと呟くようにルイズは話しだす。
「……あんたが、なんだか知らないけど凄いってのは分かるわ。
だったら、あんな大騒ぎしなくてもこの馬鹿犬を助けられたんじゃないの?」
才人を指差す。爆睡中の使い魔は二回、三回と転がされても起きる気配はまるでない。
「死にかけたのよ? そいつもギーシュも、それにあの場にいた全員も」
少しでも歯車が食い違っていたら、未曾有の大惨事になっていた。才人も、ギーシュも、タバサも引き裂かれていた。
暴風に絡め取られ、風龍の顎に噛み砕かれた広場の樹のように。
一人になって想像すると、怒りにも似た感情が湧いてきたのだ。
分かっている。止めようともしなかった観衆と、止められなかった自分の代わりに、彼は進み出た。
それを咎める資格はないのかもしれない、と。
理解していても、やり場のない気持ちは溢れてしまう。唇を噛んだルイズは黙して風助を見た。
「そうだな……すまねぇ、余計なことしちまった。俺が手出しなんかしなくても、多分才人は勝ってたと思うぞ。
ただ、放っときゃこいつは死ぬまでやりそうだったからな」
「嫌味? 別にそんなつもりで言ったんじゃないわよ」
「俺だってそんなつもりで言ったんじゃねぇぞ……っと」
才人を元の姿勢に戻した風助は、ベッドから飛び降りてドアに向かう。勝手に帰ろうとする風助を、ルイズは慌てて呼び止める。
「ちょ、ちょっとどういう意味よ!」
「俺にもよく分かんねぇぞ」
ただ、あの暴風の中でギーシュを掴んでしがみ付くのは簡単ではない。ましてや満身創痍の身体で。同じことができる人間は、そうはいないだろう。
そして何より、剣を握り締めて立ち上がった時の才人の表情が、力強い闘気が風助に確信を抱かせた。完全な直感であり、理屈は分かるわけもない。
またしても頭上に? を浮かべるルイズに、風助は笑いながら問う。
「と、そうだ。一つ聞きてぇんだけど……」
ベッドに寝た少年の傍らに座る少女。ここでも、ルイズの部屋と同様の光景があった。違うのは、
少年に外傷はなく、少女は心配などしていないという点。
「う~ん、苦しい……。まだ回ってるような……君の水魔法で助けておくれよ、モンモランシ~」
「はいはい、元はと言えばあなたのせいでしょ。付いててあげるだけでもありがたいと思いなさい」
「いや……これは僕のせいじゃなくて、あのタバサの使い魔が……」
「なんでそこでタバサの使い魔が出てくるのよ。言い訳なんて男らしくないわねっ!」
ベッドの中から助けを求めるギーシュの手をぺしっと払い、そっぽを向くモンモランシー。
浮気をされて傷ついた彼女のプライドと機嫌はまだ直っていなかった。
ギーシュが決闘で重傷と人伝に聞いたので駆けつけてみれば、なんのことはない、目を回して吐いただけだった。
今は流れで付き添っているだけ。こっちが負った傷は、かすり傷のギーシュなんかよりもはるかに深いのだ。
ギーシュは泣きながら、起こし掛けた身体を横たえた。あの場にいなかったモンモランシーには、
何度事情を話しても理解してもらえなかった。聞いてさえもらなかった。
「うぅ……どうして分かってくれないんだい、モンモランシー……」
ギーシュはわざとらしく大げさに落ち込む。意外なことに、これが効を奏した。
気障な男が自分だけに見せる情けなさ。不覚にも母性本能をくすぐられそうになる。計算ではないのだろうが、天然だとしても大したものだ。
「まぁ……私も鬼じゃないしね。いいわ、聞いてあげる。話してごらんなさいな」
「あぁ……嬉しいよ、モンモランシー! 実はね……」
今度は伸ばした手が振り払われない。
重ねた手に、きゅっと力を込める。
見つめ合う二人。近づく距離。
「えーっと……ここで合ってんのか?」
そこへ、ノックもせずに闖入者が現れた。モンモランシーは素早く手を引っ込めた。心なしか顔は赤らんでいる。
寝転んだ状態で手を伸ばしていたギーシュは、
「ぅぅぅうわぁぁあああああ!! タ、タバサの使い魔ぁぁぁぁ!!」
一瞬でベッドから跳ね起き、壁に張り付く。
「なんだ、元気そうじゃねぇか。才人があんなだかんな、おめぇは大丈夫かって心配してたぞ」
竜巻に巻き込まれた恐怖は、ギーシュの精神に半ばトラウマとして焼き付けられていた。
それこそ使い手の顔を見た瞬間に拒否反応をもよおすほどに。
が、風助はまったく気付いてない。ギーシュの言動に疑問は呈したが、彼自身に恨みがあるわけでもなく、
巻き込んだ立場なので見舞いに来ただけだった。
「ぼ、ぼ、僕になんの用だ……まさかここで決闘の続きを……」
「なにこんな子供相手に怯えてるのよ。タバサの使い魔の……あなた、何しに来たの?」
モンモランシーは、事情を知らなかった。竜巻が発生した時も広場から遠く離れていたので、大変な騒ぎがあったとしか。
「さっきはすまねぇな。それを言いに来たんだ」
「……へ?」
ぺこりと素直に頭を下げた風助に、対するギーシュは間の抜けた声。
それもそのはず。ギーシュにとって風助は、決闘に割り込んで痛いところを突いてきた奴。自分を挑発し、本気で怒らせた愚かな子供。
その程度の存在でしかなかった。竜巻を発生させ、自身を含めた三人を諸共に巻き込む瞬間までは。
「おめぇのことも気になってたから、才人の見舞のついでに部屋を聞いてきたんだ」
今では畏怖の対象ですらあったが、それが何故か謝罪している。よく分からないが、自分が優位にあると知ったギーシュは咄嗟に取り繕い、
「なんだ、そんなことか……。ま、いいだろう。子供の不始末にいつまでも腹を立てているのも大人げないからね。
見ての通り、僕はあの程度では"まったく"堪えていないよ」
「さっきまで泣きついてたくせに、何言ってんだか……」
髪を掻き上げて、精一杯の虚勢を張ってみせる。突っ込みには聞こえない振りでOK。
「おお、よかったぞ。そんじゃさっきの続きなんだけどな……」
風助の言葉に、さぁっと血の気が引く感覚。
あれから冷静に考えてみたのだ。才人を担いだ状態で一瞬にして背後に回り、竜巻の中では二人を支えていたと聞く。これは流石に分が悪い。
青ざめたギーシュは、必死で説き伏せようと試みる。
「いや待て! じゃなくて待ってくれ!! 僕はもう気にしていない。君の無礼な振舞いは水に流そうじゃないか。
僕にも、その、ほんの少しは落ち度があったわけだし……」
「才人の傷が治ったら、またケンカの続きをしてくれていいぞ。俺はじっちゃんと約束しちまったからできねぇけど、
今度は才人一人でいい勝負になるかもしんねぇからな」
「はぁ……」
怒りも水――もとい風に流されて、そもそも何故決闘をしたのかも忘れかけていたところである。
もう戦う理由もなかったギーシュであったが、屈託なく笑う風助に乗せられたのか、理由も分からず頷く。
そして呆気に取られている内に、
「じゃあなー」
風助は去っていった。台風の過ぎ去った後のように、二人は呆然と言葉もなく開け放たれたままのドアを見ていた。
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