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#navi(ルイズと夜闇の魔法使い)
「お、ぐふぅ!?」
想定外の事態に完全に我を忘れていた柊は突進してきたワルキューレにまったく反応ができず、文字通りの鉄拳を叩き込まれた。
たたらを踏んで傾いだ身体を立て直すと同時、追撃の拳が視界を掠める。
柊は反射的にそれを――"魔剣で"受けようとした。
(――やべっ)
当然ながら今の柊が魔剣を持っているはずもなく、拳はうなりを上げて柊を打ち据えた。
身体は殴られるに任せて、地を蹴って後退する。
距離を取ろうとしたが、できなかった。
追いすがってくるワルキューレに僅かに対応できない。
別に目の前のワルキューレが恐るべき性能を持っていると言う訳ではない。
むしろ強さで言えば、かつて一山いくらで闘った事もあるクリーチャー ――侵魔達が使役する魔物――程度のものだ。
にも関わらず柊は完全に後手に回っていた。
理由はわかっている。これは――
(いかん、流れを持ってかれたっ!?)
軽きはスポーツの試合から重きは命懸けの戦い、大規模人数による戦争に及ぶまでおよそ争いごとには『流れ』が存在する。
天秤のように絶え間なく揺れ動くそれを上手く掴む事ができれば、明確な力の差を覆す事も……それこそ圧倒的な力を持つ存在に手も足も出させずに勝つ事さえできるのだ。
魔剣を持っていない事で忘我した柊は機を失い、雑魚とさえ言ってもいいワルキューレにいいように翻弄された。
「弱い! 弱すぎるわヒイラギレンジ!!」
ワルキューレに一方的に攻め立てられている柊を見つめながら、ルイズは楽しそうに声を上げる。
召喚されてからこっち生意気な態度を取ってばかりの柊の醜態を目の前に、彼女の機嫌は上々だった。
「アイツ、メイジより強い魔王とやらを倒してきたんじゃなかったの? あの程度で世界一だなんてファー・ジ・アースとやらも知れたものね!」
得意げになってルイズが隣にいるエリスに目を向けると、彼女は僅かに肩を震わせてから口を開いた。
「……メイジを馬鹿にした事は謝ります。でも……でも柊先輩が強いのは本当です……!」
「何言ってるのよ、目の前でボコボコにされてるヒイラギが見えないの? あんなのの何処が強いって言うのよ!」
「うっ、うぅ……!」
嘲りも露なルイズの声に、エリスは悔しさで唇を噛んだ。
柊が苦戦している理由をエリスは理解していた。
ハルケギニアに召喚される前に、柊とアンゼロットが魔剣について話しているのを聞いていたからだ。
魔剣さえあれば……それでなくとも、剣さえあれば柊は多分勝てるだろう。
だが既に戦いは始まってしまっており、止める術がない。
エリスは祈るように手を組んで戦いを見守る事しかできなかった。
このヴェストリの広場においてルイズ以外に上機嫌な者がもう一人いた。
ワルキューレを操って柊を打ちのめしているギーシュ・ド・グラモンである。
「あーっはっは!! どうしたんだい? あっちの彼女に持ち上げられてたワリには、全然たいした事ないじゃないか!」
煽るように両の腕を広げて彼は叫び、そして余裕の笑みを浮かべたまま離れているキュルケに顔を向けた。
元より複数のゴーレムを同時に動かす事ができる彼にとって、一体だけの操作時ならば他に目を向けてもさほど支障はないのだ。
殊更に周囲に聞かせるようにして言ったギーシュの台詞に、キュルケは不満そうに眉を歪めてから紅い髪をかきあげた。
「……そうね」
実際彼女にとってはつまらない事態だった。
メイジに喧嘩を売り、エリスにああまで言われた柊がどれほどのものか期待していたのだが、たった一体のワルキューレにさえ手も足もでないのでは話にならない。
そうなるとこうまでして仕組んだ舞台がまるでルイズの手助けをしたようでなんとなく気に入らなかった。
キュルケは失望に肩を落とし、ちらりと視線を落とす。
視線の先のタバサはこの決闘にまるで関心を向けず、地面に座り込んで熱心に本を読んでいた。
「……どういう事、タバサ?」
裏切られた期待の責任を問うようにして声をかける。
決闘前に柊の事を尋ねた際、タバサは「多分勝てる」と言った。
エリスの言に関しては恋する乙女の誇大妄想で済むにしても、タバサが謙遜でそんな事をいうはずがない。
にもかかわらず、目の前に見える柊はトライアングルどころかドットの手抜きにすら及ばないという体たらくだ。
しかし当のタバサはキュルケの視線と声を全く歯牙にもかけず、本から目を離そうとしなかった。
キュルケは再びふうと溜息を吐き出した。
「……まあいいわ。適当なところで勘弁してあげなさいな」
「もちろんさ。いくら相手が平民だからって、こんなお遊びで命をどうこうするほど悪趣味じゃあない」
無論謝罪は誠心誠意してもらうけどね、とギーシュは愉悦交じりに笑う。
キュルケは既に決闘にも柊にも興味を失って、暇そうに髪の毛を弄りだした。
それを見てギーシュは彼女から視線を切り、ワルキューレの操作に集中した。
モンモランシーの香水を盾に決闘に担ぎ出された時はどうなる事かと思ったが、何も問題はなかった。
むしろ少しばかり拍子抜けと言ってもいいぐらいだ。
ともあれ、これで香水を取り戻し身の危険が回避されたのは喜ぶべき事だ。
下手に騒がれたら気難しいモンモランシーの事だから大いに拗れていただろう。
「……そうだ。この決闘が終わったら花束でも贈ろう。この勝利はキミに捧げるよ、モンモランシー……なんてね」
そんな事をギーシュが呟いた瞬間。
唐突に甲高い破裂音が響き渡り、ギーシュの横を何か大きなモノが横切った。
「……へ?」
ギーシュは思わず間の抜けた声を漏らし、通り過ぎていった何かを目で追った。
それは吹き飛びながら地面を二度三度跳ねて転がり、慌てて分かれたギャラリーの輪の間でようやく停止する。
ギーシュの作り出したワルキューレだった。 厳密に言えば、かつてワルキューレだった青銅の残骸だ。
いつのまにかヴェストリの広場が静まり返っている。
何が起こったのかわからず、ギーシュはその残骸が飛んできた方向を鈍い動きで振り返った。
視線の先には、怒気を孕ませた目で睨みつけている柊がいた。
「てめえ……人がちょっと気を取られてる間にボコボコボコボコ殴りやがって……!」
……おそらく、柊がワルキューレを殴り飛ばしたのだろう。
それも青銅製のゴーレムを破壊した上、二十メイルにも及ぼうという距離を吹き飛ばした。生身の拳で。
状況を見るとそうとしか考えられないのだが、ギーシュはそれを現実として受け入れられなかった。
見れば握り込んでいる拳から、淡い光が漏れていた。
魔法でも使ったというのだろうか。だが、柊の手に杖など握られていない。
「今……何をした?」
「あぁ? なんだっていいだろうが」
吐き捨てるように言ってから、柊はギーシュに向かって一歩を踏み出す。
しこたま殴られた後ではあるが、ダメージは戦闘不能になるほどではない。
『攻撃に偏重するするあまり防御がおろそか』という自他共に認める評価を持つ柊ではあるが、それはあくまで同等以上の敵を相手取る時の話。
明らかな雑魚相手の攻撃をそれなりに受けた程度で戦闘不能になるほどヤワではなかった。
むしろ耐久力という点で言えば同レベルのウィザードと比しても余りあるほどなのだ。
「同じ巻き込まれたクチだから穏便に済まそうと思ったが……やられた分はやり返す! 歯ァ食いしばれ!!」
宿願であった卒業を果たしたところで、急激に人間が成長するわけでもない。
大人気なく激昂した柊は呆然とするギーシュの懐まで一気に飛び込むと、無防備な顔面に拳を叩き込んだ。
「ごふぁ!?」
くぐもった悲鳴を上げて吹き飛び、地面に倒れこむギーシュ。
彼は殴られた頬に手をあてて、思わず叫ぶ。
「な、殴ったな!」
「殴って悪いか? 殴られもせずに一人前になった奴がいるかっ」
思い切り殴り飛ばして溜飲が下がったのか、柊はそう吐き捨てた後満足そうに息を吐いた。
「……で、まだやんのかよ」
「当然だ……っ!」
ギーシュを見下ろしながら柊は一応尋ねてみたが、彼は即答して身を起こした。
殴られた頬を腕で拭い、屈辱と怒りがこもった目で柊を睨みつけながら立ち上がる。
「平民ごときが、やってくれるじゃないか……!」
「……またそれか」
唸るようなギーシュの声に、しかし柊はうんざりしたような嘆息を返した。
ハルケギニアがそういう社会である事はルイズやマリコルヌ、他の生徒達の言動からも見て取れる。
この世界にとっての異端は自分達の方だという事もわかっていたが、何度もそれを持ち出されるといい加減辟易としてくる。
そんな柊の態度を侮辱と取ったか、ギーシュは手にした薔薇を振りかざした。
「ワルキューレを一体倒しただけで調子に乗らないことだ。僕の本気はあんなものじゃ――」
「なんだ、数でも増えんのか? 十体か? それとも二十体か?」
「え……いや、七体……あ、さっきやられたからあと六体」
「なんだぁ? 規模が小せえぞ?」
「くっ……いい気になるなよ!?」
ギーシュは叫んで柊から大きく距離を取り、手にした薔薇を大きく振った。
花から花弁が六つ飛び散り、地面に落ちる。すると最初の一体と同じようにワルキューレが生み出された。
造形自体は最初のものと同じだが、今までと違うのはそれぞれが得物を持っている事。
正面の三体が剣、両脇に槍を携えたモノが一体ずつ、そしてギーシュを守るように大きな盾を構えたモノが一体。
彼の言の通り、六体のワルキューレが立ち並んだ。
「見るがいい、この完全武装したワルキューレ達の華麗な軍勢を! これが『青銅』のギーシュの本気という訳さ!」
大きく手を広げて歌うように叫ぶギーシュに、再び周囲が沸いた。
とはいえ今度のそれは以前のような遊び半分の熱狂とは違う。
何しろれっきとした武器を持ち出してきたのだ、場合によっては怪我では済まされない。
事態の深刻さにどよめく者達とそれに気付かず囃し立てる者達の声がない交ぜになって、ヴェストリの広場を包んだ。
事ここにいたってようやく柊も今までの遊び気分を払拭し、やや剣呑な空気でギーシュを見据える。
「……本気か?」
「さっきまでは遊びだったが、もう他人事じゃないんでね。平民にやられたままではこのギーシュ・ド・グラモンのプライドが許さないよ」
「……」
ギーシュの言葉に柊は沈黙する。
先程の十体二十体だのは半ば冗談めかして言った台詞だったが、武装したゴーレム七体を同時に相手取れば流石にまかり間違う可能性がある。
正面にいる『剣』を持ったワルキューレに一度目をやってから、柊は真っ直ぐにギーシュを見据え、口を開いた。
「……メイジを馬鹿にした事については謝る。俺もエリスもあんまその辺の常識って奴をあんまり知らねえんだ」
「今更な台詞だよ、それは。もう『決闘』は始まってるんだ」
「そうだな。じゃああと一つだけ言っとくぜ」
言いながら柊は僅かに身構えた。
”たった今”始まった決闘に空気が張り詰め、周囲の生徒達のざわめきが次第に小さくなる。
相対する六体のゴーレム、その向こうにいるギーシュに向かって、
「……『平民』ってだけで相手を見くびるのはやめとけ。足を掬われる」
『人間』というだけで相手を見下し、嘲ってきた侵魔達の足を掬い続けてきた青年は告げた。
「――掬ってみろよ!!」
ギーシュが吼えて手にした薔薇を振るい、号令を出す。
盾役を除いた五体のワルキューレが一斉に動き――
身構えた柊の総身から光が迸った。
それは万物の根源の力、『プラーナ』。
物質非物質、可視不可視、現象や概念に至るまでありとあらゆるモノを構築する、『存在』を司る力。
解放されたプラーナは爆発的な力と恩恵をそのモノに与え、常識を超越する。
常人には持ち得ない高容量・高純度のそれを操る事こそ、ウィザードがウィザードたる所以の一つでもあるのだ。
柊が踏み出すと同時に、地が爆ぜる。
ギーシュが――彼が繰るワルキューレ達が動き出そうとしたその刹那に柊は正面にいる三体の女戦士の懐に入り込んでいた。
その内の一体が持つ剣の柄を青銅の手の上から握り、そして空いている拳を胴体に叩き付ける。
プラーナを纏った拳は最初の一体をそうしたのと同じようにワルキューレを跡形もなく吹き飛ばした。
木っ端微塵になったワルキューレの遺品である剣を握り締める。
地を強く踏み込み、円を描くようにして刃を振るい《なぎ払》う。
纏った光と共に刃風が駆け抜け、至近にいた二体のワルキューレがばらばらに砕かれて広場に舞った。
柊はワルキューレ達の末路を見届ける事なく更に地を蹴る。
向かうは真正面にいるギーシュと、その間に立ち塞がる盾を持ったワルキューレ。
「――う」
かろうじて反応できたのか、それとも本能的なモノか、ギーシュは僅かに後ずさり盾のワルキューレが柊の侵攻を阻むように前に出た。
疾走したと同時に下ろしていた剣を跳ね上げる。地から伸びた斬撃がワルキューレを盾ごと真っ二つに両断した。
更に一歩。
目の前に迫ったギーシュに、大上段から見せ付けるようにして剣を振り下ろす。
大仰にすぎる柊の動作を見たギーシュが一歩退き、柊はそれを見計らって剣――ではなく、足を出した。
剣だけに意識が集中していたギーシュはあっさりと足を払われ、尻餅をつく。
そして柊は恐怖に怯えるどころか何が起こったかもわかっていないギーシュの呆けた顔に、ゆっくりと刃を下ろしてその鼻先に切っ先を突きつけた。
「……な? 掬われただろ?」
そんな言葉が、ヴェストリの広場にやけに大きく響いた。
場は完全に静まり返り、今度こそまじりっけなしの驚愕だけが支配している。
誰一人として声を上げず、動かない。
決闘の原因となった少女達も、僅かな喜色を称えたエリスを除いた全員が固まっていた。
時間が止まったような静寂の中、次第に理性の色が宿り始めたギーシュの目を見て、柊は剣を引きそれを肩に担いだ。
「……あと二体残ってるけど、まだやるか?」
「……へ」
ギーシュは言われた意味がわからずしばし呆然とし、ややあって両脇に位置していた槍のワルキューレが二体健在なのにようやく気付いた。
だが、それが分かったからと言って四体を文字通り瞬殺した相手に何ができる訳でもない。
それくらいの事は、ギーシュにもわかった。
「いや……無理……」
「なら、俺の勝ちでいいな?」
忘我のままギーシュがこくりと頷くのを見て、柊は小さく嘆息した。
最初に剣を奪取した時点で、後はプラーナを使わずとも十分に相手はできただろう。
だが、青銅製のゴーレムを相手に同じ青銅の剣(作者まで同じだ)がどれだけ持つかも怪しい。
それに何よりも、さっさと終わらせるには圧倒的な差を見せ付けてしまうのが一番手っ取り早かった。
ふうと息を吐くと柊は今だ地面にへたり込んでいるギーシュに手を差し出す。
「立てるか?」
「あ、ああ」
ギーシュが柊の手を取って立ち上がった。
そして彼はおずおずと自分を一蹴した相手に向かって、尋ねる。
「君は……一体何者だ?」
柊はギーシュから目を逸らし、半瞬考えた後、冗談めかした口調で言った。
「ただの『魔法使い(ウィザード)』だよ」
「……ねえ、タバサ」
キュルケは広場の中央にいる二人――ギーシュと柊を見つめたまま、隣にいる少女に声をかけた。
「彼、本当にルイズが召喚したの?」
一般的に使い魔はそのメイジに相応しいものが召喚されるという。
使い魔の儀式を経て己の属性を確認するというのもそれに倣っての事だし、事実トライアングルであるキュルケやタバサは他の生徒達とは一線を隔した使い魔を召喚していた。
その例に則るのならば、魔法を使えないゼロのルイズが召喚するのはやはりゼロ……何の役にも立たない使い魔であるはずなのだ。
だが、現実は違った。
格付けでは一番下の『ドット』とはいえ、れっきとしたメイジであるギーシュに全力を出させた上で真っ向からねじ伏せた。
トライアングルの自分だったらどうだっただろうか。
他人に問われれば勝てると断言するだろうが、自問すればやはりタバサと同様に『多分』がつくだろう。
ルイズがそれほどの使い魔を召喚した事が、キュルケには信じられない。
返答のないタバサにちらりと視線を向けると、彼女はいつの間にか本から目を上げて、先程のキュルケと同じように二人を見やっていた。
強いて違う点と言えば、キュルケのような驚嘆の目線ではなく珍しく『食い入るように』彼等を……というより、柊を見ている事だ。
「……タバサ?」
いつにない彼女の強い視線が気になって、キュルケは眉をひそめて再び声をかける。
が、タバサは声をかけられた事にも気付いていないのか、じっと柊を見つめたままだ。
仕方がないのでキュルケも彼女の視線を追って柊に目を戻した。
タバサが何を考えているのかは分からないが、興味深いと言う点は彼女も同じだった。
「にしても、さっきのアレ……何なのかしらね」
ワルキューレを一蹴する際に柊が見せた奇妙な光。
魔法にも似ているが、何か根本的に違うモノのような気もする。
とはいえあの光の正体がなんなのか、という事はキュルケにとってあまり重要なことではなかった。
重要なのはその光をまとってワルキュレー達を蹴散らした柊の姿が、刺激的だったという事だ。
トリステインの魔法学院に来て一年、手持ち無沙汰に貴族達を囲ってはいたが終ぞこのような胸の高ぶりは感じた事がない。
これこそ正に彼女が待ち望んでいた情熱――
「……なんだけど」
キュルケはギーシュと分かれてルイズ達の下へ歩く柊を見つめた。
その柊を、喜色を称えた表情で待ち受ける紫髪の少女、エリス。
彼女が柊に向ける視線に込めている感情は、キュルケならずともすぐに気付くだろう。
気付かないのは……おそらくそれを向けられている当人である柊ぐらいか。
「……うーん」
キュルケはなんとなく複雑な気分になって紅い髪を掻き回した。
相手にとっての一番には手を出さない、というのが色恋沙汰におけるキュルケの信条である。
そしてエリスにとっての一番は――もはや一目瞭然。
しかしそれはキュルケから見れば、本当の本当に『一番』ではないだろうとも思っている。
勿論エリス自身は自覚などしていないだろうが、アレはどちらかと言えば『恋に恋している』状態なのだ。
乙女なら誰でもかかるはしかのようなもので、ほんの少しの痛みと共に思い出に変わるような代物だ。
だから自分が柊にアプローチして陥落させてもさほど問題はないだろうとは思うのだが――
エリスが柊に向けている、尊敬と憧れに満ち満ちた純真な瞳。
あんな純真な目をしていた時代が自分にもあったような気がする。
いや、今でもキュルケは自身が純真であると自負しているのだが、それを”そう思っている”時点でもはや彼女には及ばない。
かつてそうだった自分が経験した痛みを、今度は与える側になってしまうことにはいささか戸惑いを覚えてしまうのだ。
「……どうしよっかなぁ」
キュルケはぼんやりと柊達を眺めながら、溜息混じりに呟くのだった。
「柊先輩っ!」
ギーシュと別れた柊を待っていたのは、喜色交じりのエリスの声だった。 その嬉しそうな表情に柊は小さく溜息をつき、駆け寄ってきた彼女――の額を、軽く小突いた。
「……っ!?」
痛みよりも驚きで凝固するエリスに向かって、柊はこころなし咎めるように口を開く。
「なんでこんな事になったと思ってんだ」
「はぅ……ごめんなさい」
しゅんとうな垂れて見上げてくるエリスを見て、柊は再び息を吐く。 そして彼は表情を引き締めた後、まっすぐに彼女を見据えて口を開いた。
「俺が何度も世界を救ってこれたのは、一緒に闘ってくれた仲間がいたからだ。
お前の時だって、くれはや灯、ナイトメアにアンゼロット、他にも沢山……それにエリス、お前もだ。皆がいたから、世界を守れた。それは俺だけの力じゃねえ……そうだろ?」
「……はい。ごめんなさい」
「よし」
真摯に頷いた彼女の頭に軽く手を乗せると、柊は満足そうに軽く笑う。 そして柊はエリスと共に待ち受けていたルイズへと歩み寄った。
二人を待ち受けていたルイズは、信じられないものを見るような目で柊を凝視していた。
「……あんた、一体なんなの?」
「昨日説明した通りだよ。今日エリスが言った分はちょっとアレだけどな」
言いながら柊が促すと、エリスは半ば呆然としたままのルイズに深々と頭を垂れる。
「何も知らずに勝手な事を言ってごめんなさい」
エリスの謝罪にルイズは言葉を詰まらせ、そして改めて何事かを言おうとして口を開いたが、上手く言葉にできなかった。
相手が多少なりとも我の強い相手であったなら反射的に強気の態度に出られるのだが、大人しい相手に対して意気高々な態度を取るほどルイズは大人気ない訳ではない。
もしこの場にいるのがルイズとエリスだけであったなら、ルイズも素直に自分の非も認めただろう。 が、この場には彼女だけでなく、ギャラリーの生徒達や柊もいた。
「……コイツがそこそこできるって事だけは認めてあげるわ」
彼女は精一杯胸を張り、なるべく尊大さを装って鼻を鳴らして見せた。 そして柊に目を向けると、一転して正真正銘尊大な態度で吐き捨てる。
「けど、調子に乗らないでよね! ギーシュみたいな『ドット』なんて、メイジの中では一番の小物なんだから!」
「ちょ、ちょっと待てっ!」
それに反応したのは柊でもエリスでもなく、少し離れた場所にいたギーシュだった。
ルイズの声が大きかったのか、それとも彼が耳ざとく聞きつけたのか、ともかくギーシュはルイズの台詞を聞いて声を上げると、肩を怒らせながらルイズ達の方に歩み寄ってくる。
「『ドット』以下の『ゼロ』に言われる筋合いはないぞ!?」
「な、なによ。本当の事じゃない!」
「言っておくが、僕が負けたのはあくまでヒイラギ個人にであって、君とは関係のない事だ! 強い使い魔を召喚したからって――」
言いかけてギーシュは不意に口を噤み、柊とルイズを交互に見やった。 その態度にルイズは怪訝そうにギーシュを睨みつけるが、彼はふふんと馬鹿にした笑みを浮かべた。
「そういえばヒイラギは君の使い魔じゃなかったな。それなら言うまでもなかったし、合点もいったよ」
「……合点?」
「僕を負かす程の男が、『ゼロ』のルイズを主と仰ぐなんてできる訳がないものな」
途端、ルイズの表情が強張った。
それは本来ならば彼女にとって喜ぶべき事だったはずだ。
自分の召喚した使い魔はやたらと妄言を吐き出すだけの無能な平民ではなく、メイジを軽々と一蹴するほどの力を持った人間だったのだから。
秘薬などの探索などは置いておくにしても、最も重要な役割である『主の護衛』という点においてはおそらく学院内でも類を見ないレベルのものだ。
だがそれは大前提として『柊 蓮司がルイズと契約を交わした、正式な使い魔であった場合』の話。
柊の力量を見せ付けられた今では、契約を拒絶されたという事実がよりルイズを苛立たせた。
一心同体のパートナーであるはずの使い魔にさえ、自分が『ゼロ』だと言われているような気がするのだ。
「おいギーシュ。俺がルイズと契約しないのはそういうんじゃねえって」
勝ち誇るように胸を反らしているギーシュに柊は咎めるような声を上げた。
だが今のルイズにはそんな柊の態度でさえも白々しく見える。
「……じゃあどういう事なのよ」
「ルイズ?」
顔を俯かせ、肩を震わせて呻くように漏らした声に柊は思わず彼女を覗き込む。
ルイズは顔を上げてそんな柊を睨みつけると、
「私がゼロって以外にどんな理由が――」
叫びかけたその瞬間、目の前にいた柊の身体が唐突に跳ね飛ばされた。
「づ……ッ!?」
まるで『見えない槌』で殴りつけられたような衝撃が叩きつけられて、柊は吹き飛ばされた。
ルイズ達から数mは弾かれて、たたらを踏んで持ちこたえようとすると、不意に膝が折れる。
なにしろルイズに意識がいっていて今の攻撃に対して身構える事さえできず、まともに食らってしまったのだ。
加えて言えば先の決闘でワルキューレに好き勝手に殴られたダメージもあった。
柊は地面に手を付いて倒れることだけは防ぐと、舌打ちして状況を見定めようと顔を上げた。
瞬間、手を付いている地面がざわめいた。
悪寒が走って転がるようにしてその場から離れる。
地面から伸びた土の腕が今まで柊のいた場所で空を切った。
(魔法? ギーシュ?)
ではない。
実際、ギーシュもルイズもエリスも何が起こっているのか理解できず、つい先程までと全く同じ表情で固まっていた。
そんな三人の脇、ギャラリーの生徒達の人波が分かれて杖を持った男女が現れた。
小ぶりの杖を持った二人はこの場にいる少年少女達とは違う、大人。おそらくは教師なのだろう。
長い黒髪の男は知らなかったが、女の方は柊の見知る人間だった。
眼鏡をかけた青髪の女性――ロングビルは柊の視線に気付くと、僅かに表情を曇らせて首を振った。
それで柊は状況を理解した。
「ミ……ミスタ・ギトー?」
闖入してきた黒髪の男――ギトーを見やってギーシュは思わず間の抜けた声を出した。
ギトーは吹き飛んで離れた柊を一瞥した後で呆気に取られているギーシュに目をむけ、これ見よがしに溜息をついてみせる。
「いくら決闘ごっことはいえ、メイジともあろう者が平民に遅れを取るとは……元帥の顔に泥を塗る気かね?」
「……っ」
ギーシュの顔が紅潮し、怒りに歪む。
だがギトーは彼の事をまったく意に介する事なく、広場の中央に進み出て杖を高く掲げた。
「生徒の諸君、休み時間は終わりだ。速やかに教室に戻りたまえ!」
ギトーの宣言に生徒達はざわめきたった。
しかしギトーが睨みすえるようにして周囲に視線をめぐらせると、生徒たちはしぶしぶと言った体で広場から立ち去り始めた。
ギーシュはギトーに侮辱された事に納得言っていないのかその場に残ろうとしたが、ロングビルに促されて憤懣やる方ないまま肩をいからせ足早に歩き去った。
そして残ったのはギトーとロングビル、ルイズにエリス、そして少し離れた場所にいる柊と――彼を挟んでルイズ達とは反対方向にいる、赤と青の少女達。
「君たちもはやく戻りたまえ」
ギトーがそう言うと、キュルケはつまらなそうに小さく鼻を鳴らして自らの赤い髪をかきあげた。
「子供の遊びに大人がしゃしゃり出るなんて。風のメイジなら空気ぐらい読んで頂きたいわ」
「私とて不本意だ。だが、生徒一人のために授業の時間を削る訳にはいかないだろう?」
不機嫌さを隠そうともしないキュルケの言葉に動じる風もなくギトーはそう言うと、今だに固まったままのルイズへと目を向けた。
その視線で彼女はようやく我に返り、かけられた言葉を頭の中で反芻した後でおずおずと声を上げる。
「わ、私……ですか」
「その通り。まったく、昨日のうちに儀式を済ませていればこんな雑事などなかったものを……ミスタ・コルベールの及び腰にもまいったものだ」
ギトーは不満を露にして肩を竦めて見せた後、警戒した柊と多少怯えている様子のエリスを一瞥し、そして再びルイズに向かって言った。
「さあ、ミス・ヴァリエール。速やかに儀式を執り行いたまえ」
「儀式……」
それは昨日にもコルベールに言われた事だった。
うやむやになった後も、彼女自身が望んでいた事でもあった。
「そうだ。そちらの娘か、あちらの男か、あるいは両方。『コントラクト・サーヴァント』で君の使い魔とするんだ」
なのに、ギトーに言われたその言葉は、酷く冷たく感じられた。
※ ※ ※
「……よろしいのですか?」
『遠見の鏡』でヴェストリの広場の光景を眺めながら、どこか沈鬱な声でコルベールは口を開いた。
彼が眼鏡越しに見やる相手――トリステイン魔法学院の学院長たるオールド・オスマンは机に肘を付き、じっと鏡の向こうの様子を眺めている。
「よろしいも何も。教員達の協議で決まったものをわしの独断で翻す訳にもいくまいよ」
「それはそうですが……」
早朝に開かれた教師達による協議――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが召喚した人間達への処遇の件――はほぼ満場一致で『契約を断行すべし』との結論が出た。
とはいえそれを強行に主張したのは現在ヴェストリの広場にいるギトーぐらいのもので、他の教員たちはそれに付和雷同しただけだ。
表だって反対したのはコルベールだけであり、あとはシュヴルーズが『どちらかといえば反対』という態度を示した程度。
オスマンは進行と取り纏めを行うために決には入らず、ロングビルは元より参加する資格がなかった。
契約の履行に際しては当然ながら抵抗が予想されたので、立会いにはギトーが選ばれロングビルが補佐に当たる事になった。
当初ギトーはそれを渋ったのだが、一番声を大にして主張していた以上断る事ができなかったのである。
「相手はただの平民……だったはずじゃが、どうにも雲行きがあやしいのう。ミスタ・ギトーで大丈夫かね?」
「……彼は仮にもスクエア・メイジですぞ?」
「そうじゃったか? 偉そうにしとるワリには口先ばっかりなんで覚えとらんわ」
メイジの格付けとして『スクエア』は最高位とされているが、それはあくまで四つの系統を足す事ができより高度な魔法が扱えるというだけの話。
無論それは大きなアドバンテージではあるが、実戦においてはメイジのランクが勝敗に直結するとは限らないのだ。
そういった意味ではギトーは『優秀なメイジ』ではあっても『歴戦のメイジ』ではなかった。
決闘の一部始終を見届けていたオスマンとしては疑問を呈する所だったが、問われたコルベールは目を伏せると小さく首を振った。
「……ミスタ・ギトーも実戦経験がない訳ではないでしょうから、『今の彼』ならば抑えられるのではないかと」
「『今の彼』とな」
オスマンがコルベールを聞きとがめると、彼は目を細く開いて遠見の鏡、その向こうに映る青年を見据えた。
それは普段の温厚そうなコルベールからは想像しにくい表情だった。
「先の決闘でもそうでしたが、どうやら彼は剣士なのでしょう。逆に空手での戦いはあまり慣れてはいないようで……。
あの奇妙な光は不可解ですが、差し引いても恐らくは……剣なりといった武器があれば別でしょうが――」
と、そこまで言ってコルベールは相手の力量を冷静に分析している自分に気付いた。
どれほど平穏な時間に浸っていても、染み付いた忌まわしい習性がどうしても取れない事に彼は自嘲じみた表情を浮かべる。
「ふむ……武器、か」
コルベールの仕草に気付かないのかそれともあえて無視したのか、オスマンは呟いてコルベールの視線を追った。
鏡の向こうの彼は警戒の中に僅かな焦りも浮かばせて両の手の拳を握っている。
ギーシュとの決闘で奪取した剣はそれが終わった時点で手放しており、一切の武器は持っていない。
――少なくとも、武器を持っているようには見えなかった。
「……死人が出なけりゃいいがのう」
「下手に抵抗をしてくれなければ、いくらミスタ・ギトーでも命を奪うことまではしないでしょう。無理に使い魔にしてしまうのは心苦しいですが……」
「いや、そうではなく」
「……?」
怪訝そうなコルベールの視線を受けながらオスマンは背もたれに身体を預け、大きく溜息をつく。
そして誰に言うでもなく、囁くようにして小さく零した。
「グラモンの馬鹿息子相手になら必要なかったろうが……『破壊の杖』なんぞ引っ張りだされたら洒落にならんぞ」
「……は? 『破壊の杖』がどうかしましたか?」
「んにゃ、なんでもない」
手を振って話の終わりの意を示すオスマンをコルベールは首を傾げて見つめた。
だが、齢幾百とも噂される老メイジの顔からは思惑の欠片も読み取る事ができない。
コルベールは詮索を諦めると、オスマンと同じように『遠見の鏡』へと目を向けた。
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