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#navi(使い魔の達人)
「ふん。使い魔風情が、この僕に謝れ…だと?」
ある春の日の昼下がり。トリステイン魔法学院内、ヴェストリの広場。
人垣の中で、カズキはギーシュに指を突きつけながら、頷いた。
「ああ。お前だけじゃない。この場で今、ルイズを『ゼロ』って言ったやつ。ルイズを笑ったやつ。ルイズに謝れ」
辺りを睨め付けながら、そう続ける。当のルイズは、わけがわからなくなった。
「ちょ、ちょっとあんた!自分が何言ってるのかわかってんの!?」
ルイズは詰め寄った。カズキは良いから、とそれを制した。何が良いからよ。ルイズは混乱した。
確かに『ゼロ』と蔑まれるのは悔しい。悔しいがしかし、その同情だけでここまでのことをやらかすなんて、まず思わない。
「ふん、実に主人思いの使い魔じゃないか。良かったなルイズ」
鼻を鳴らしてギーシュが言う。
「さて使い魔君。いきなり平民にお前呼ばわりされる覚えもないが、まぁいい。
この状況で、使い魔である君の怒りももっともだ。だがしかし。しかしだね?
僕や彼等がルイズに謝ったところで、彼女の『ゼロ』は揺るがない事実だ。
彼女は、いくら唱えても魔法を成功させた例がないからね。…いや、失礼。
確かにルイズは、『サモン・サーヴァント』、『コントラクト・サーヴァント』を成功させたね。
ふむ。それならば、彼女の『ゼロ』もまた、返上できようものだろう。が、しかしだ」
そして、薔薇の造花をカズキに突きつけ返した。
「その対象が、君だというのがいけない」
使い魔の達人 第五話 VS.ギーシュ
「…どういう意味だ」
カズキは、静かに聞き返した。
「そのままの意味だが、言わないとわからないかね?」
無言のカズキ。ギーシュはやれやれ、と肩を竦めた。
「召喚されたのは、君。契約したのも、君。じゃあ、‘君はなんだ’?」
ギーシュは口元を歪めながら、続ける。
「ルイズの使い魔である君は、いったいどういう存在か?言うまでもなく、何の取り得もない、ただの平民だ。
では、それを聞いた者はどう思うだろうか?果たして今度こそ、ルイズを『ゼロ』と呼ばずにいられるだろうか?」
ふう、と一息ついて。
「今、ルイズを『ゼロ』たらしめているのは、他でもない君だ。ルイズに謝るべきは、君なんじゃないかな?」
そう言葉を終えると、辺りからぱらぱらと拍手が湧く。ギーシュは、満足そうに前髪をかき上げた。
朝のルイズを思い出す。キュルケのサラマンダーを見て、悔しいと自分に当り散らしてきたルイズ。
早朝、すれ違う貴族の自分への馬鹿にしたような視線。授業前の、シュヴルーズの言葉。
ルイズを見やる。ルイズもまた、切なげな瞳でカズキを見ていた。
オレは…
だから、カズキは微笑んだ。そして、ギーシュに向き直る。
「それはできない」
ギーシュを見据え、カズキは言葉を発した。
「ほう?」
「オレは、ルイズを『ゼロ』と笑わない。でも今ここで、オレが自分のことでルイズに謝れば、
オレを召喚したルイズを、『ゼロ』だと認めてしまうことになる。ルイズを、笑ってしまうことになる」
カズキの言葉に、その衝撃に、ルイズは胸の奥を激しく揺さぶられた。
面白くなさそうに鼻を鳴らすギーシュ。
「ふん、そもそも認めるつもりもない、だから謝らないと。妬けるほどに主人想いだね、君は。
ではどうするね?今、ルイズが『ゼロ』ではないと定義するには、君自身がただの平民ではない。
ルイズの、いやさ貴族の使い魔に相応しい存在であることを証明する必要があるのだが…」
だが、それは無理だろう?と小馬鹿にするように、ギーシュは笑った。
「そんなの…」
ルイズは、歯噛みした。話に聞く限りでは、多少戦いに心得のあるというだけの、平民。
そして、いずれ人を襲う化物になるという話だが、そんな荒唐無稽な戯言を、誰が信じると言うのだろうか。
カズキは、何も言わずにギーシュを見据えている。
何も言わない二人に、ギーシュはしかし、これは名案だと薔薇を掲げた。
「そうだ、ではこうしよう。使い魔君。君と僕とで、決闘をしようじゃないか。
君が僕に負ければ、当然ルイズは『ゼロ』のままだが」
首を振りながら、ギーシュは続けた。
「これは有り得ないだろうが、君が僕に勝つことができれば、彼女を『ゼロ』ではないと認めよう。
メイジに勝てる平民。使い魔としては申し分ない存在だろう?
なんだったら、これまでの彼女への侮蔑の言葉を、皆に代わって謝罪しても良い。うん、我ながら名案だな。
些か趣旨は異なるが、これもまた決闘と言える。此処に居る皆の昼休みも、無駄にならないしね」
そう区切ると、辺りで歓声が起こった。決闘というより余興のような扱いだと、カズキは思った。
「そんな!なに考えてるのよ!あんたも、そんなことしにここに来たわけじゃないでしょ!?」
ルイズが声を挙げた。回りまわって、振り出しに戻ってしまった。そんなルイズを、やはりカズキは制した。
「随分こっちに都合の良い話だけれど、本当に良いのか?」
薔薇を揺らしながら、余裕交じりにギーシュが応える。
「構わんさ。精々藁に縋りたまえ」
やがて、二人は対峙する。が、そこにルイズは、尚も食い下がる。
「やめてよ!ギーシュ!そもそも、決闘は禁止されてるでしょ!?」
「禁止されてるのは、貴族同士の決闘のみだよ。平民と貴族の間での決闘なんか、誰も禁止していない」
朗々と語るギーシュに、ルイズは言葉に詰まった。
「そ、それは、そんなこと今までになかったから……」
「ルイズ、君はそこの使い魔君に随分大事に思われているようだが、なんだね。君も彼を好きになったのかね?」
ギーシュが冷やかすように笑う。ルイズは、顔を赤く染めながら怒声を返す。
「そ、そんなんじゃないわ!自分の使い魔が、みすみす怪我するのを、黙って見ていられるわけないじゃない!」
「…だ、そうだ。君の主人は、使い魔の君の決意には反対のご様子だが、どうするね?」
カズキは振り返った。先ほどと同じく、ルイズに優しく微笑んで。
「大丈夫。任せて」
そう告げれば、ギーシュに向き直った。ルイズは、つい、何も言えなくなった。
な、なにが任せてなのよ!あんなやつが、ただの平民が…メイジに勝てるわけがないじゃない!
やきもきした様に、思考をめぐらす。そのうちに、カズキの準備が整ったと見たのか、ギーシュが造花を一つ振った。
「さてと、では始めるか」
その言葉に、周りの歓声が一際大きくなる。焦らしに焦らされた外野も、興奮状態にあるようだ。
これではもう、いち生徒に止めることは適わない。
「勝敗の決め方は?」
不意に、そんなことを問うカズキ。ギーシュは、一瞬呆気に取られた顔になると、何がおかしいのか、笑った。
「それはもちろん、どちらかが降参するまでさ」
言うが早いか、カズキは駆け出した。生身の人間を相手にするのは気が引けるが、その相手は魔法使いだ。
どんな魔法を使うか知らないが、先手必勝である。
ギーシュは、そんなカズキを余裕の笑みで見つめると、薔薇の花を振った。
花びらが一枚、宙を舞ったかと思うと……甲冑を着た女戦士の形をした、人形になった。
身長は人間と同じくらいだが、硬い金属製のようだ。淡い陽光を受けて、その肌……甲冑がきらめいた。
そして、それがカズキの前に立ちふさがった。
「な、なんだ!?」
「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや文句はあるまいね?
もちろん、君がこの僕の杖。薔薇を奪えば君の勝ちだ。簡単だろう?」
見せ付けるように、薔薇を揺らす。そんなことは不可能だ、と言わんばかり。
カズキは無言でギーシュを、そして甲冑の女戦士を見据えた。
「言い忘れたな。僕の二つ名は『青銅』。青銅のギーシュだ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手するよ」
その言葉と共に、青銅の女戦士が動く。こちらに突進して、右の拳を突き出してきた。
「――っ!」
間一髪、その拳を避ける。見慣れない相手に一瞬戸惑ったが、その動きは、多少常人より早い程度。
一ヶ月間、錬金の戦士として死に物狂いの特訓をしたカズキには、十分捉えられる動きである。
続けて二撃。もちろんかわせない攻撃ではない。カズキは後ろに下がりつつ、落ち着いて青銅人形の拳を避けた。
「ほう、少しはやるようだね。そうでなくては、こちらとしても困るがね」
操っているのは言うまでもなくギーシュだ。ならば、わざわざ相手をすることもない。
「行くぞ!」
カズキはするりとゴーレムを避けると、ギーシュに。その手の薔薇に向かい、疾走する。
すると、それを待ってましたとギーシュは杖を振った。二枚の花びらが、やはり青銅の女戦士に変わる。
「うおっ!?」
二体のゴーレムが、腕を水平に繰り出してくる。タイミングはドンピシャ。
「ぐっ…!」
カズキの身体が派手に後ろに跳ぶ。とっさに両腕で防御し、できる限り後ろへ跳ねた。
が、青銅製の腕から繰り出された一撃は、かなりの威力を持っていた様だ。
…だけど、ブラボー程じゃない!
転がりながらも立ち上がったカズキは腕の痛みを忘れ、前を見据えた。ギーシュの前に、ゴーレムが門番のように立ち塞がる。
「前ばかりを気にしていては、いけないな」
ギーシュの言葉。咄嗟に横に跳ね、後ろからの攻撃を避ける。一体目のギーシュのゴーレムだ。
「ふん。まさか、一体しか作れないなどと思ってはいなかっただろうね?」
すると、今度は三体がカズキに向かってくる。取り囲むような動き。
「さて、一体なら潜り抜けられるだろうが、三体ならどうかな?」
次々と攻撃を繰り出してくるゴーレムたち。動作はてんでバラバラだが、一撃一撃はそれなりに速く、重い。
そして、一体をかわしても別の一体が立ち塞がる。これでは、埒が明かない。
人垣の中、決闘騒動を面白半分で見物していたキュルケは、今は半ば暖かい眼差しを持って、その様子を見ていた。
これであの使い魔君が勝っちゃったら、あたしももう、あの子をゼロと呼べないわね。
そんなことを考えながら、決闘を見守る。授業には熱心でないし、近くで爆発を起こされればそりゃ腹も立つ。
そんな、授業中ルイズに文句を言っていたキュルケではあるが、日頃彼女にとって、ルイズは手間のかかる妹のようなものだ。
何より、からかうのが面白い。が、それも、少なくとも『ゼロ』で発破をかけるのも、今日限りかも知れない。
ふと視線を横に向ける。隣には、眼鏡をかけた無口な親友が本を読んでいるはずだった。面白そうだからと無理やりつれてきたのだが…
「あら、珍しいわね。あなたもこの決闘に興味が湧いたのかしら?タバサ」
タバサと呼ばれたのは、キュルケとはまるで正反対な容姿を持つ少女。
背筋の凍るような印象を与える、短く切りそろえた青い髪に、氷雪のような白い肌。
その体躯はやはり、隣の親友と真逆で、背丈は低く、同年代と比べても貧相と言えるものであった。
身長に見合わぬ、節くれだった長い杖を携え、端から見れば無感情に、眼鏡の奥の青い瞳で決闘の様子を見ている。
一体何が、彼女の琴線に触れたのだろうか。そちらも気になるが…今はあちらだ。
キュルケは視線を戻す。三体のゴーレム相手に、ひらりひらりとその攻撃を避けるカズキ。が、見ていて危なっかしい。
「よく避けるわね。さすがに、貴族に喧嘩売るだけのことはあるのかしら」
「多少の心得はある様子。でも、動きそのものはまだまだ未熟」
タバサはカズキの動きから、そう評価した。
カズキは、戦士長・キャプテンブラボーとの一ヶ月間の死に物狂いの特訓。
及び元信奉者・早坂秋水との模擬戦じみた稽古を修め、命懸けの実戦を幾度も行ってきた。
が、それでも‘一ヶ月’。‘錬金術’の‘力’を用いての強行軍だが、それでも、身のこなしそのものを身につけるには限度がある。
何より、カズキは基本一対一が多く、多対一(正確には二。その後たくさん)などは一度のみ。
やはりそれでも、それらの経験が手伝って、今はゴーレムの攻撃をほとんど避けることはできる。しかし…
「それに、彼にはあれを倒す手段がない」
タバサの指摘どおり、今のカズキは無手。武器もないこの状況では、避け続けるしかない。
どうやって切り抜ける…!?
カズキは攻撃を上手く捌きながら、そのことを考えていた。大分慣れてきた様だ。
いの一番に考えたのは、やはりこの胸に潜む、‘錬金術’の‘力’の発動――だが、この状況。
戦闘中に発動して、果たして闘争心が高ぶった自分が、化物にならぬ保証はない。死を振り撒かぬ保証はない。
今はそれだけ危ういところまで来ているはずだ。
しかし、一ヶ月の特訓の中で、カズキが徹底的に行ったのはやはり、前述の‘力’を用いた戦う術を磨くことのみ。
それ以外の戦う特訓を、カズキは行っていない。しかし、外野を。ルイズを巻き添えにしてしまうくらいなら。
カズキはいの一番の選択肢をなくす。では、どうするか?決まっている。
青銅のゴーレムが一体突っ込んでくる。カズキは足を止めると、それを見据えた。
「おや、もう諦めるのかね?」
せせら笑うようなギーシュの声。カズキは構えると、呼吸を整える。
ワルキューレの動きに合わせ、正面からその拳を突き出した。
「くらえ!通信空手拳!」
カウンター気味の正拳。鈍い音が辺りに響く。この決闘、初めてのカズキの攻撃である。
その衝撃は如何程なものか。青銅の女戦士は、後ろによろけていた。皆が目を見開く。
「……いってぇぇぇえええ!!」
「あったりまえでしょ!馬鹿!!」
赤くなった拳を解いて振るカズキに、思わずツッコむルイズ。どこか締まらない。
「でもっ!少しヘコんでる!」
カズキはゴーレムの胸の辺りを指した。なるほど、確かに拳の跡がくっきりと残っている。
あの硬い青銅を、素手で歪ませたのだ。周りのほとんどが、目を丸くした。
「すげぇ!平民が、ギーシュのゴーレムに一発食らわせたぞ!」
外野がどよめいた。誰かが発したその言葉に、ギーシュの目が鋭いものに変わる。
「ふ……平民風情が!よくもこの僕の『ワルキューレ』に、傷をつけてくれたなぁあ!」
激昂し、薔薇を振る。すると、三体の青銅ゴーレムの手に、同じく青銅の剣が出現した。
「いっ!?」
今度はカズキが目を丸くした。まさか得物まで即席とは。そんなことを考える間に、女戦士は次々と剣戟を繰り出してくる。
「うわっと!」
ただ殴りかかられるのとは勝手が違う。つい大きく避ける。まだ、避けきれる。
「ひ、卑怯よ!剣だなんて!」
ルイズが吼えた。しかしギーシュはいいやと首を振る。
「卑怯なものか。己の力と相手の力を全てぶつけ合う。それが決闘だろう?」
ギーシュの言葉に、カズキはブラボーとの闘いを思い出す。
斗貴子を、仲間を犠牲にしてでもブラボーに勝てと斗貴子は言った。だが、自分が取った決断は――。
「ああ、そうだよルイズ。オレも今、オレの出せる‘全力’で、こいつを倒す」
「言うじゃないか、平民」
青銅のゴーレムが、大上段からの剣を振り下ろす。カズキは、真正面からそれに向かった。
「――カズキっ!」
ルイズの悲痛な叫びが響いた。
ところ変わって、ここは学院長室。
コルベールは泡を飛ばしてオスマンに説明していた。
春の使い魔召喚の際に、ルイズが平民の少年を呼び出してしまったこと。
ルイズがその少年と『契約』した証明として現れたルーン文字が、気になったこと。
それを調べていたら……
「始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』に行き着いた、というわけじゃね?」
オスマンは、コルベールが描いたカズキの手に現れたルーン文字のスケッチをじっと見つめた。
「そうです!あの少年の左手に刻まれたルーンは、伝説の使い魔『ガンダールヴ』に刻まれていたモノとまったく同じであります!」
「で、君の結論は?」
「あの少年は『ガンダールヴ』です!これが大事じゃなくて、なんなんですか!オールド・オスマン!」
コルベールは、禿げ上がった頭を、ハンカチで拭きながらまくし立てた。
「ふむ……。確かに、ルーンが同じじゃ。同じじゃと言うことは、ただの平民だったその少年は、
『ガンダールヴ』になった、ということになるんじゃのうな」
「どうしましょう」
「しかし、それだけで、そう決めつけるのは早計かも知れん」
「それもそうですな」
オスマンは、コツコツと机を叩いた。
ドアがノックされた。
「誰じゃ?」
扉の向こうから、ロングビルの声が聞こえてきた。
「私です。オールド・オスマン」
「なんじゃ?」
「ヴェストリの広場で、決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めに入った生徒がいましたが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」
「まったく、暇を持て余した貴族ほど、性質の悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんだね?」
「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」
「あの、グラモンとこのバカ息子か。親父も色の道では剛の者じゃったが、その息子共も輪をかけて女好きじゃ。
おおかた女の子の取り合いじゃろう。相手は誰じゃ?」
「……それが、メイジではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の少年のようです」
オスマンとコルベールは顔を見合わせた。
「教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」
オスマンの目が、鷹のように鋭く光った。
「アホか。たかが子供のケンカを止めるのに、秘宝を使ってどうするんじゃ。放っておきなさい」
「わかりました」
ロングビルが去っていく足音。コルベールは、つばを飲み込んで、オスマンを促した。
「オールド・オスマン」
「うむ」
オスマンは杖を振った。壁にかかった大きな鏡に、ヴェストリ広場の様子が映し出された。
静まり返った広場の中、ルイズは目を見張った。キュルケも、他のギャラリーも。
タバサはあんまり変わらなかったが、ギーシュもやはり、目を見張った。
『ワルキューレ』の剣は、カズキの顔の真上で静止している。
そしてその銅の刀身に、カズキの両の掌がぴったりと張り付いていた。
「できた!真剣白羽取りっ!!」
カズキは鼻息荒く言った。青銅ゴーレムの動きは早いが、一撃の威力はそれほどでもない。
なにより剣の使い手としても、模擬戦の稽古相手であった秋水に比べれば、全然見切れる程度のものだ。
ならば、その剣を止めることも、あわよくば奪うこともできるのでは…そう考えての、一か八かの行動である。
あとは、この剣を…!?
瞬間、カズキは身体が軽くなるのを感じた。見れば、刃を挟む手の左側。ルーンが光っている。
ふと、刃の先。ゴーレムが、剣をぐいと引こうとしているのがわかった。随分と遅い動作だ。
両腕はふさがっている。だからカズキは、思い切り足を前に繰り出した。
腹に足跡を刻まれたゴーレムは、大きく跳んだ。カズキの両の手には、すっぽ抜けたのか青銅の剣だけが残る。
それを手中に収めると、まるで自分の手の延長のように、しっくりと馴染んだ。しかしそれ以上に、カズキは驚いた。
なんだ、この力。あとからあとから湧いてくる…まさか!
カズキは力の限り叫んだ。
「みんな、オレから離れろ!!」
「…へ?」
しかし、周りからは不可解な視線が送られるばかり。
誰一人として、苦痛に歪んだ顔をこちらに向けていない。カズキは混乱した。
「…ふ、ふん。まさか『ワルキューレ』の剣を奪うとはね。しかも手で直接受け止めるとは、恐れ入ったよ。
しかし、今の一言はなんだい?武器を手にしたことで気が強くなったのかね?」
ギーシュが激しく動揺を見せる。やはり、体調を崩している様子はない。
しかし、カズキの身体には、依然力が湧いてきている。
「まぁ良い。それは君には相応しくない。返してもらおうか!」
ギーシュは薔薇を振った。胸に足跡をつけたゴーレムが、諸手を挙げてこちらに突っ込んでくる。
おかしい、さっきよりも全然遅い。どうなってんだ?
そう考えながら、カズキはひらりとそれをかわすと、剣を持つ手に力を込めた。自然に身体が動く。
瞬く間に、青銅のゴーレムが斜めから真っ二つに切り裂かれた。
ずしん、と倒れる女戦士。その断面は、銅鏡のように輝いていた。
カズキは驚いた。いつもの自分の戦い方とは違う。竹刀を振ったことはあるが、まともな剣の使い方なんて、知らないはずだ。
それなのに、剣を使い慣れた得物のように扱い、ものの見事にゴーレムを斬ってしまった。
そしてこの状況。力が漲るのに、周りの誰も苦しまぬ、この状況。
力の漲り方にも、カズキはどこか違和感を覚えた。力は湧き上ってくるが、こんな風に身体が軽くなるのは初めてだ。
肌の色も変わっていない。見慣れた黄色である。何かが、ヴィクター化と違う。決定的な何かが…。
疑問は尽きない。けれど、今は――!
カズキはギーシュを見据えた。
自分のゴーレムが粘土のように切り裂かれるのを見て、ギーシュは声にならないうめきをあげた。
即座に薔薇を振る。二体のゴーレムが、それに合わせて剣を振った。
その間に飛び込みつつ、剣を振るうカズキ。駆け抜けた後には、上下に分かれた青銅人形が、二つ。
その二つが地面に落ちると、まだまだと、ギーシュは薔薇を振った。
すぐさま、先ほどと同じ青銅ゴーレムが四体。最初から剣を手にしている。
全部で七体のゴーレムが、ギーシュの武器だ。
そのうち三体が、三方向からカズキに襲い掛かる。しかし、結果は同じだった。
三体のゴーレムが、バラバラに切り裂かれる。降る剣が見えない。速い。あんな風に剣を振れる人間がいるなんて思えない。
咄嗟に残りの一体を、ギーシュは自分の盾にした。次の瞬間に、難なく切り裂かれる。
全てのゴーレムが倒れれば、カズキは、ギーシュの前に剣を突きつけた。
「ひっ!」
ギーシュは尻餅をついた。剣の切っ先も、それに合わせて下に動く。
「…続けるか?」
呟くように、カズキ。ギーシュはふるふると首を横に振った。完全に戦意を喪失しているようだ。
震えた声でギーシュは言った。
「ま、参った」
「あらすごい、ほんとに勝っちゃった」
キュルケは予想外の結果に、ポツリと呟いた。いくら素早い平民とはいえ、メイジに勝つのは基本不可能。
そう考えるのが、こちらの常識である。それを、一瞬で覆してしまった。
周りでも、見物していた連中が、あの平民、やるじゃないか!とか、ギーシュが負けたぞ!とか、歓声を送っている。
「ビックリねぇ。あなたもそう思うでしょ?タバサ…って」
既に興味もないのか、何時ものように本を取り出してその文面を目で追っている。
その様子に一つ苦笑を浮かべれば、やがてカズキとギーシュ。そしてルイズを見やる。
『ゼロ』とはお別れね…良かったじゃない、ルイズ。
「ルイズ、おいで」
カズキは剣を地面に突き立て、ルイズを促した。
此処に至るまで、嵐のような紆余曲折があったが、勝敗は決した。ルイズが『ゼロ』ではない証明は成されたのだ。
…使い魔の手によって。平民の、もうすぐ化物になるという少年、カズキの手によって。
ルイズは、一歩、また一歩と、ゆっくりとそちらへ足を運んだ。
「ルイズ…」
ギーシュが呟く。ルイズが来てしまう前に、どうしても訊いておきたいことがあった。カズキの方を向き、声をかける。
「なぁ、君は一体何者なんだ?僕の『ワルキューレ』を倒すなんて」
問われたカズキは、ふと何か考え、笑いながら言った。
「ルイズの使い魔」
その簡潔な答えに、ギーシュは唖然とした。だがやがて、そうか、と力なく笑った。
ルイズは歩きながら、これまでの自分を思い出しながら、考える。
これまでの自分――学院で『ゼロ』と馬鹿にされ続けた自分。貴族からも、表立ってはないが平民からも、笑われ続けた自分。
魔法は、貴族にとって絶対だ。だから、学院では実家以上に努力した。
しかし、いかなる系統も、自分を向いてはくれなかった。いかなる努力も、この世界は嘲笑うかのように水泡に帰してくれた。
努力が実らぬ事を意識してからは、毎日が苦痛だった。
部屋から出たくないと思ったことも何度もあったが、それだけはできなかった。
それをすれば…学院で味方の居ない自分がそれをすれば、もう自分は立ち直れぬと知っていたからだ。
そんな自分。『ゼロ』の自分。
だが、目の前に今、‘新たな自分’が用意されている。
これからの自分――己の使い魔が切り拓いてくれた、『ゼロ』じゃない自分。『ゼロ』と呼ばれぬ自分。
その自分は、いったいどうなるのだろう。どうなってしまうのだろう。どんな世界を見れるのだろう。
四つのいずれかの系統も、自分を向いてくれるだろうか。世界は、この努力を受け入れてくれるだろうか。
不安は尽きないが、それ以上に期待が勝る。そう思えるほど、新たな自分は魅力的である。
正直、それに身を委ねてしまいたい。それほどに、使い魔が示してくれた道は、光に満ち溢れている…が
それは、これまでの自分に対する裏切りではないか―――
一度そう考えれば、躊躇いが生じ、足取りも重くなる。
確かに自分は頑張った。努力した。ならば、それもいつかは報われていいのではないか。そしてそれは、今なのではないか。
自分の魔法で召喚した使い魔が、他のメイジを圧倒した。その今ならば…。
だが、それに対し、自分は何かをしたのか?何か魔法を唱えたか?
何もしていない。使い魔を召喚し、契約を為した。それ以外、何もしていないのだ。
否。むしろこの決闘を、止めようとさえした。それすら振り切り、あの使い魔は、己の新たな道を切り拓いた。
果たしてそれは、自分にとって、本当に進むべき道なのだろうか?
だから、この数歩。己の使い魔が倒した相手の前に、たどり着くまでの僅かな間に。
ルイズは、それを見極めることを決断した。
ルイズがギーシュの前に立つ。ギーシュもすかさず立ち上がり、二人の貴族が対峙する。
「る、ルイズ。…その」
目が泳ぐ。まともにルイズの顔を見れない。
これまで散々『ゼロ』と馬鹿にしてきた罪悪感が、その鳶色の瞳を見据えることを、恐れさせている。
辺りがしんと静まった。見ていた連中もまた、そのほとんどが、ギーシュと同じ心中である。顔を俯けている者もいた。
中にはやはり、腑に落ちぬ者もいるようだ。時折、ぶつくさと何か聞こえた。が、カズキが目を向けると、静まった。
『ゼロ』と呼び続けた自分たち。其れにひたすら耐えた少女は、己の使い魔を持って其れの偽を証明せしめた。
ならば、自分たちはどうせねばならないか。意を決したらしいギーシュは、ルイズに顔を向けた。
ルイズもまた、俯いていて、その表情は伺えない。が、言わなくては。自分は貴族なのだから。
先刻のカズキの様に頭をたれて、ギーシュは口を開いた。
「ごめんよ、ルイズ。これまでの、僕等の非礼を。貴族にあるまじき幾つもの侮蔑を、許してくれ!」
既にギーシュは、『ゼロ』と呼ぶことを自ら止めていた。そうすることが、ルイズへの謝罪の姿勢として正しいと思ったのだ。
「このとおりだ!なんだったら、君の気が済むまで殴ってくれて構わない!あ、でも顔はできれば勘弁しておくれ」
この期に及んで顔の心配とは。見守りながら、カズキは呆れた。次いである種の感心も覚えた。
ギーシュの精一杯の謝辞。やはりルイズは俯いたまま…と、カズキの耳に、ぶつぶつと囁きのようなものが入り込んできた。
「る、ルイズ…?」
ギーシュは顔を上げ、その色を青くした。ルイズが、何事か呟いている。カズキは、それに聞き覚えがあった。
そう、これは確か…‘錬金’の呪文。
ルイズは杖を手に取ると、その先端を、傍らに立つカズキが地面に突き刺した青銅の剣に向けた。
「へ?」
広場の真ん中で、強烈な爆発が巻き起こった。
カズキが、ギーシュが、ルイズが吹っ飛んだ。それはもう、中空にて煙を尾に、見事な放物線を描いていた。
どしゃり、と地面に叩きつけられる三人。周囲の連中も、爆発の余波を浴びて、見るも無残な状況である。
「な、なんだ!?」
「ルイズがまた魔法を失敗させたんだ!でも、なんでいきなり!」
一気に騒がしくなる。そんな中、ルイズはやはり、何事もなかったように立ち上がった。
ギーシュやカズキは地面に倒れ伏したままだ。カズキは一番至近距離から爆発を食らった為か、頭が揺れていた。痙攣も酷い。
それでも、気を失わないだけ、シュヴルーズとは鍛え方が違ったが。
「な、何を…」
声を出せる状態ではないカズキに替わり、ギーシュが尋ねた。
「…やっぱり、成功しないわね、魔法」
杖を覗き込みながら、ルイズは確かめるように言った。
結局のところ、この決闘で勝とうが負けようが、やはり依然ルイズの魔法が失敗すれば爆発を起こすことに、変わりはない。
その場にいた皆が、それを思い知った。
なら、この決闘はなんだったんだ?次いで皆がそう思った。
「そう。魔法の成功確率、いつも『ゼロ』。だから、『ゼロ』のルイズ。ふふ、的を射てるわよね」
顔を俯け、切なげに笑う。しかし、即座に顔を上げる。瞳は吊り上り、ある決意を携えていた。
ルイズの脳裏には、教室でカズキとの会話に出てきた、ある言葉が浮かんでいた。
「でも、だからこそ、自力で魔法を成功させなきゃ、『ゼロ』は拭えないわ。
『ゼロ』の返上の仕方は、自分で決める。そう、選択肢は、自分で作り出すものよ。
使い魔に、丸々全部、なんとかしてもらうことじゃない。なにより…」
ルイズは、煤だらけのブロンドの髪を一つ払い、
「そんなの、わたしのプライドが許さないわ」
どこまでも気位の高いルイズである。皆に呆れが生じたが、ルイズは続けた。
「『ゼロ』と呼びたければ、呼ぶが良いわ」
皆を見据え、朗々とルイズは語りだす。
「でも、いつか認めさせてみせる。わたし自身の魔法で、必ず」
その瞳は、この場の誰よりも前を向いていた。上を向いていた。
「それを、この場でみんなに誓うわ」
ルイズは口上を終えた。
やがてぽつぽつと、拍手が起こった。貴族から貴族への、激励の、そして賛賞の拍手である。
この決闘の勝者は、ギーシュでも、カズキでもない。新たな一歩を踏み出したルイズその人なのだ。
未だ起き上がれぬカズキは、しかし微笑みながら見つめていた。その左手のルーンは、決闘前と同じ、淡い輝きを放っていた。
オスマンとコルベールは、『遠見の鑑』で一部始終を見終えると、顔を見合わせた。
その表情は、先ほどまで、平民が貴族に勝った事により驚愕で彩られていたが、今は穏やかなものである。
「ミス・ヴァリエールは、立派な貴族になる資質を秘めておるの」
「ですね。教師としても、誇らしいものです。その努力が実るよう、なんとかしてあげたいと思います」
だが、その表情はすぐさま険しいものへ変わった。感慨に耽ってばかりもいられない。
「しかし、オールド・オスマン」
「うむ」
「あの平民、勝ってしまいましたが……」
「うむ」
「ミスタ・グラモンは一番レベルの低い『ドット』メイジですが、それでもただの平民に遅れをとるとは思えません。
そしてあの動き!何より、剣を手にとってからのものは凄まじい!あんな平民、見たことがない!やはり彼は、『ガンダールヴ』!」
「うむむ……」
コルベールは、オスマンを促した。
「オールド・オスマン。さっそく王宮に報告して、指示を仰がないことには……」
「それには及ばん」
オスマン氏は重々しく頷いた。白い髭が、激しく揺れた。
「どうしてですか?これは世紀の大発見ですよ!現代に蘇った『ガンダールヴ』!」
「ミスタ・コルベール。『ガンダールヴ』はただの使い魔ではない」
「そのとおりです。始祖ブリミルの用いた『ガンダールヴ』。
その姿形は記述がありませんが、主人の呪文詠唱時間を守るために特化した存在と伝え聞きます」
「そうじゃ。始祖ブリミルは、呪文を唱える時間が長かった……、その強力な呪文ゆえに。
知ってのとおり、詠唱時間中のメイジは無力じゃ。そんな無力な間、己の体を守るために始祖ブリミルが用いた使い魔が『ガンダールヴ』じゃ。その強さは……」
その後を、コルベールが興奮した調子で引き取った。
「千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持ち、あまつさえ並のメイジでは歯が立たなかったとか!」
「で、ミスタ・コルベール」
「はい」
「その少年は、ほんとうにただの人間だったのかね?」
「はい、どこからどう見ても、ただの平民の少年でした。
ミス・ヴァリエールとの契約の際、一瞬姿が変わり稲光を発した為、念のため『ディテクト・マジック』で確かめたのですが」
思い出すのは、使い魔のルーンをスケッチする際のこと。先住魔法を用いる亜人の類でもあれば、また別の反応を示すと思えたが…。
「何かしら姿を変える魔法、マジックアイテムの類も持っておらず、その反応は正真正銘、ただの人間。平民の少年でした。
おそらく、あの現象は『ガンダールヴ』になる際に発生したものと考えられます」
「ふむ。そんなただの少年を、現代の『ガンダールヴ』にしたのは、誰なんじゃね?」
「ミス・ヴァリエールですが……」
「彼女は、優秀なメイジなのかね?」
「いえ、というか、その…今しがた大変素晴らしい決意表明をしておりましたがその、むしろ無能というか……」
「さて、その二つが問題じゃ」
「…ですね」
「無能なメイジと契約したただの少年が、何故『ガンダールヴ』になったのか。まったく、謎じゃ。理由が見えん」
「そうですね……」
「とにかく、王室の盆暗どもに『ガンダールヴ』とその主人を渡すわけにはいくまい。
そんなオモチャを与えてしまっては、またぞろ戦でも引き起こすじゃろうて。
宮廷で暇を持て余している連中はまったく、戦が好きじゃからな」
「…思慮が足りませんでした。学院長の深謀には恐れ入ります」
「この件は私が預かる。他言は無用じゃ。ミスタ・コルベール」
「畏まりました」
オスマンは杖を握ると窓際へ向かった。遠い歴史の彼方へ、思いを馳せる。
「伝説の使い魔『ガンダールヴ』か……。いったい、どのような姿をしておったのだろうなあ」
コルベールは、夢見るように呟いた。
「『ガンダールヴ』は、あらゆる武器を使いこなし、敵と対峙したとありますから……」
「ふむ」
「とりあえず、腕と手はあったんでしょうなあ」
やがて、その場は自然に解散の運びとなった。ぽつりぽつりと人が減っていく中、幾人かは思うところがあったのか、
ルイズに謝罪と激励を言いに来た。それをルイズは澄ました顔で返し、その内に広場には、ルイズとカズキだけになった。
「良かったね」
重い体を起こし、カズキはルイズに話しかけた。剣を握っていた時は羽のように軽かった身体が、今は決闘前より重く感じる。
原因はわからないが、ヴィクター化とは違う力の湧き方。それの反動だろうか、と考える。
ルイズが話しかけられている間、自分がエネルギードレインが発動していないことは、既に確認済みだ。
沸いた疑問は拭えないが、今はルイズだ。ちなみに、青銅の剣はルイズの『錬金』でものの見事に爆砕した。
ぼろぼろのカズキに、ルイズは半眼を突きつけた。なお、ぼろぼろなのは言うまでもなくほぼルイズのせいである。
「なによ、皮肉のつもり?使い魔のくせに、勝手にご主人様をだしに決闘なんか受けちゃって。
言っとくけどね、あんたの助けなんか要らないの。良かれと思ってなんとかしてもらうほど、安くはないの。わかった?」
その言葉に、カズキは最初の夜を思い出した。見知らぬ女の子を、斗貴子を救おうと、必死だったあの夜。
「う、うん…」
結局、あの頃と変わんないのかな、オレ。ヘッポコ過ぎだ。
顔をどよんと沈ませるカズキに、しかしルイズは続ける。
「わかったら、あんた。わたしに協力しなさい。わたしの使い魔なんだから、当然よね」
「協力?」
「そう、協力」
オウム返しをしてくる使い魔に、ルイズは説明する。
「あんた、わたしにどうして良いかわかんないって言ったわよね。魔法のこともわかんないって。
でも、わかんなくても、わたしのためになんでもしなさい。わたしの『ゼロ』を返上する為に、頑張りなさい」
カズキは眉を顰めた。
「今さっきしたじゃないか」
「今からよ。さっきのやり方じゃ、わたしは納得できないの」
なんて我侭なんだろう。カズキは呆れた。けれど、あのやり方は、
ルイズ自身の力以外で認めさせることは、結局なんの解決にもならなかったことは、カズキも百も承知だ。
オレは、ルイズになにができるんだろう。そして、その前に…
「でも俺は…」
「その代わり」
ルイズは綺麗な人差し指をピンと立て、続けた。
「わたしも、あんたがその、化物とやらにならないための方法。一緒に考えてあげる」
口元に笑みを浮かべながら、ルイズは言った。カズキもやがて、顔を綻ばせた。
「ありがとう、ルイズ」
ルイズのこともそうだが、自分の現状も、解決策は未だ見出せない。
どちらも、上手くいくかわからない。けれど、その気持ちは嬉しかった。
「勘違いしないでよね!あんたが化物になって騒がれでもしたら、わたしの責任になるんだから!」
これまでの自分。これからの自分。
じゃあ、‘今の自分’は?
今の自分には、この使い魔が居る。自分のことを、笑わないと言ってくれた使い魔が。
『ゼロ』と呼ぶなと、叫んでくれた使い魔が。
『選択肢は他人に与えられるのではなく、自ら作り出していくもの』。
ならば、自分も作り出してみよう。『ゼロ』と呼ばれぬ為の選択肢を。
果たしてその選択が、間違っていたとしても、おそらくそれに後悔は生まれぬだろう。
それに、この使い魔とならきっとできる。そんな予感がルイズにはするのだ。
「うわ、もう午後の授業開始してからどれだけ経ってるのかしら。ほら、とっとと行くわよ」
ルイズは歩き出した。制服は煤で汚れたままであるが、気にならなかった。
「うん」
置いていかれぬよう、カズキもその横に並んだ。
#navi(使い魔の達人)
#navi(使い魔の達人)
「ふん。使い魔風情が、この僕に謝れ…だと?」
ある春の日の昼下がり。トリステイン魔法学院内、ヴェストリの広場。
人垣の中で、カズキはギーシュに指を突きつけながら、頷いた。
「ああ。お前だけじゃない。この場で今、ルイズを『ゼロ』って言ったやつ。ルイズを笑ったやつ。ルイズに謝れ」
辺りを睨め付けながら、そう続ける。当のルイズは、わけがわからなくなった。
「ちょ、ちょっとあんた!自分が何言ってるのかわかってんの!?」
ルイズは詰め寄った。カズキは良いから、とそれを制した。何が良いからよ。ルイズは混乱した。
確かに『ゼロ』と蔑まれるのは悔しい。悔しいがしかし、その同情だけでここまでのことをやらかすなんて、まず思わない。
「ふん、実に主人思いの使い魔じゃないか。良かったなルイズ」
鼻を鳴らしてギーシュが言う。
「さて使い魔君。いきなり平民にお前呼ばわりされる覚えもないが、まぁいい。
この状況で、使い魔である君の怒りももっともだ。だがしかし。しかしだね?
僕や彼等がルイズに謝ったところで、彼女の『ゼロ』は揺るがない事実だ。
彼女は、いくら唱えても魔法を成功させた例がないからね。…いや、失礼。
確かにルイズは、『サモン・サーヴァント』、『コントラクト・サーヴァント』を成功させたね。
ふむ。それならば、彼女の『ゼロ』もまた、返上できようものだろう。が、しかしだ」
そして、薔薇の造花をカズキに突きつけ返した。
「その対象が、君だというのがいけない」
使い魔の達人 第五話 VS.ギーシュ
「…どういう意味だ」
カズキは、静かに聞き返した。
「そのままの意味だが、言わないとわからないかね?」
無言のカズキ。ギーシュはやれやれ、と肩を竦めた。
「召喚されたのは、君。契約したのも、君。じゃあ、‘君はなんだ’?」
ギーシュは口元を歪めながら、続ける。
「ルイズの使い魔である君は、いったいどういう存在か?言うまでもなく、何の取り得もない、ただの平民だ。
では、それを聞いた者はどう思うだろうか?果たして今度こそ、ルイズを『ゼロ』と呼ばずにいられるだろうか?」
ふう、と一息ついて。
「今、ルイズを『ゼロ』たらしめているのは、他でもない君だ。ルイズに謝るべきは、君なんじゃないかな?」
そう言葉を終えると、辺りからぱらぱらと拍手が湧く。ギーシュは、満足そうに前髪をかき上げた。
朝のルイズを思い出す。キュルケのサラマンダーを見て、悔しいと自分に当り散らしてきたルイズ。
早朝、すれ違う貴族の自分への馬鹿にしたような視線。授業前の、シュヴルーズの言葉。
ルイズを見やる。ルイズもまた、切なげな瞳でカズキを見ていた。
オレは…
だから、カズキは微笑んだ。そして、ギーシュに向き直る。
「それはできない」
ギーシュを見据え、カズキは言葉を発した。
「ほう?」
「オレは、ルイズを『ゼロ』と笑わない。でも今ここで、オレが自分のことでルイズに謝れば、
オレを召喚したルイズを、『ゼロ』だと認めてしまうことになる。ルイズを、笑ってしまうことになる」
カズキの言葉に、その衝撃に、ルイズは胸の奥を激しく揺さぶられた。
面白くなさそうに鼻を鳴らすギーシュ。
「ふん、そもそも認めるつもりもない、だから謝らないと。妬けるほどに主人想いだね、君は。
ではどうするね?今、ルイズが『ゼロ』ではないと定義するには、君自身がただの平民ではない。
ルイズの、いやさ貴族の使い魔に相応しい存在であることを証明する必要があるのだが…」
だが、それは無理だろう?と小馬鹿にするように、ギーシュは笑った。
「そんなの…」
ルイズは、歯噛みした。話に聞く限りでは、多少戦いに心得のあるというだけの、平民。
そして、いずれ人を襲う化物になるという話だが、そんな荒唐無稽な戯言を、誰が信じると言うのだろうか。
カズキは、何も言わずにギーシュを見据えている。
何も言わない二人に、ギーシュはしかし、これは名案だと薔薇を掲げた。
「そうだ、ではこうしよう。使い魔君。君と僕とで、決闘をしようじゃないか。
君が僕に負ければ、当然ルイズは『ゼロ』のままだが」
首を振りながら、ギーシュは続けた。
「これは有り得ないだろうが、君が僕に勝つことができれば、彼女を『ゼロ』ではないと認めよう。
メイジに勝てる平民。使い魔としては申し分ない存在だろう?
なんだったら、これまでの彼女への侮蔑の言葉を、皆に代わって謝罪しても良い。うん、我ながら名案だな。
些か趣旨は異なるが、これもまた決闘と言える。此処に居る皆の昼休みも、無駄にならないしね」
そう区切ると、辺りで歓声が起こった。決闘というより余興のような扱いだと、カズキは思った。
「そんな!なに考えてるのよ!あんたも、そんなことしにここに来たわけじゃないでしょ!?」
ルイズが声を挙げた。回りまわって、振り出しに戻ってしまった。そんなルイズを、やはりカズキは制した。
「随分こっちに都合の良い話だけれど、本当に良いのか?」
薔薇を揺らしながら、余裕交じりにギーシュが応える。
「構わんさ。精々藁に縋りたまえ」
やがて、二人は対峙する。が、そこにルイズは、尚も食い下がる。
「やめてよ!ギーシュ!そもそも、決闘は禁止されてるでしょ!?」
「禁止されてるのは、貴族同士の決闘のみだよ。平民と貴族の間での決闘なんか、誰も禁止していない」
朗々と語るギーシュに、ルイズは言葉に詰まった。
「そ、それは、そんなこと今までになかったから……」
「ルイズ、君はそこの使い魔君に随分大事に思われているようだが、なんだね。君も彼を好きになったのかね?」
ギーシュが冷やかすように笑う。ルイズは、顔を赤く染めながら怒声を返す。
「そ、そんなんじゃないわ!自分の使い魔が、みすみす怪我するのを、黙って見ていられるわけないじゃない!」
「…だ、そうだ。君の主人は、使い魔の君の決意には反対のご様子だが、どうするね?」
カズキは振り返った。先ほどと同じく、ルイズに優しく微笑んで。
「大丈夫。任せて」
そう告げれば、ギーシュに向き直った。ルイズは、つい、何も言えなくなった。
な、なにが任せてなのよ!あんなやつが、ただの平民が…メイジに勝てるわけがないじゃない!
やきもきした様に、思考をめぐらす。そのうちに、カズキの準備が整ったと見たのか、ギーシュが造花を一つ振った。
「さてと、では始めるか」
その言葉に、周りの歓声が一際大きくなる。焦らしに焦らされた外野も、興奮状態にあるようだ。
これではもう、いち生徒に止めることは適わない。
「勝敗の決め方は?」
不意に、そんなことを問うカズキ。ギーシュは、一瞬呆気に取られた顔になると、何がおかしいのか、笑った。
「それはもちろん、どちらかが降参するまでさ」
言うが早いか、カズキは駆け出した。生身の人間を相手にするのは気が引けるが、その相手は魔法使いだ。
どんな魔法を使うか知らないが、先手必勝である。
ギーシュは、そんなカズキを余裕の笑みで見つめると、薔薇の花を振った。
花びらが一枚、宙を舞ったかと思うと……甲冑を着た女戦士の形をした、人形になった。
身長は人間と同じくらいだが、硬い金属製のようだ。淡い陽光を受けて、その肌……甲冑がきらめいた。
そして、それがカズキの前に立ちふさがった。
「な、なんだ!?」
「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや文句はあるまいね?
もちろん、君がこの僕の杖。薔薇を奪えば君の勝ちだ。簡単だろう?」
見せ付けるように、薔薇を揺らす。そんなことは不可能だ、と言わんばかり。
カズキは無言でギーシュを、そして甲冑の女戦士を見据えた。
「言い忘れたな。僕の二つ名は『青銅』。青銅のギーシュだ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手するよ」
その言葉と共に、青銅の女戦士が動く。こちらに突進して、右の拳を突き出してきた。
「――っ!」
間一髪、その拳を避ける。見慣れない相手に一瞬戸惑ったが、その動きは、多少常人より早い程度。
一ヶ月間、錬金の戦士として死に物狂いの特訓をしたカズキには、十分捉えられる動きである。
続けて二撃。もちろんかわせない攻撃ではない。カズキは後ろに下がりつつ、落ち着いて青銅人形の拳を避けた。
「ほう、少しはやるようだね。そうでなくては、こちらとしても困るがね」
操っているのは言うまでもなくギーシュだ。ならば、わざわざ相手をすることもない。
「行くぞ!」
カズキはするりとゴーレムを避けると、ギーシュに。その手の薔薇に向かい、疾走する。
すると、それを待ってましたとギーシュは杖を振った。二枚の花びらが、やはり青銅の女戦士に変わる。
「うおっ!?」
二体のゴーレムが、腕を水平に繰り出してくる。タイミングはドンピシャ。
「ぐっ…!」
カズキの身体が派手に後ろに跳ぶ。とっさに両腕で防御し、できる限り後ろへ跳ねた。
が、青銅製の腕から繰り出された一撃は、かなりの威力を持っていた様だ。
…だけど、ブラボー程じゃない!
転がりながらも立ち上がったカズキは腕の痛みを忘れ、前を見据えた。ギーシュの前に、ゴーレムが門番のように立ち塞がる。
「前ばかりを気にしていては、いけないな」
ギーシュの言葉。咄嗟に横に跳ね、後ろからの攻撃を避ける。一体目のギーシュのゴーレムだ。
「ふん。まさか、一体しか作れないなどと思ってはいなかっただろうね?」
すると、今度は三体がカズキに向かってくる。取り囲むような動き。
「さて、一体なら潜り抜けられるだろうが、三体ならどうかな?」
次々と攻撃を繰り出してくるゴーレムたち。動作はてんでバラバラだが、一撃一撃はそれなりに速く、重い。
そして、一体をかわしても別の一体が立ち塞がる。これでは、埒が明かない。
人垣の中、決闘騒動を面白半分で見物していたキュルケは、今は半ば暖かい眼差しを持って、その様子を見ていた。
これであの使い魔君が勝っちゃったら、あたしももう、あの子をゼロと呼べないわね。
そんなことを考えながら、決闘を見守る。授業には熱心でないし、近くで爆発を起こされればそりゃ腹も立つ。
そんな、授業中ルイズに文句を言っていたキュルケではあるが、日頃彼女にとって、ルイズは手間のかかる妹のようなものだ。
何より、からかうのが面白い。が、それも、少なくとも『ゼロ』で発破をかけるのも、今日限りかも知れない。
ふと視線を横に向ける。隣には、眼鏡をかけた無口な親友が本を読んでいるはずだった。面白そうだからと無理やりつれてきたのだが…
「あら、珍しいわね。あなたもこの決闘に興味が湧いたのかしら?タバサ」
タバサと呼ばれたのは、キュルケとはまるで正反対な容姿を持つ少女。
背筋の凍るような印象を与える、短く切りそろえた青い髪に、氷雪のような白い肌。
その体躯はやはり、隣の親友と真逆で、背丈は低く、同年代と比べても貧相と言えるものであった。
身長に見合わぬ、節くれだった長い杖を携え、端から見れば無感情に、眼鏡の奥の青い瞳で決闘の様子を見ている。
一体何が、彼女の琴線に触れたのだろうか。そちらも気になるが…今はあちらだ。
キュルケは視線を戻す。三体のゴーレム相手に、ひらりひらりとその攻撃を避けるカズキ。が、見ていて危なっかしい。
「よく避けるわね。さすがに、貴族に喧嘩売るだけのことはあるのかしら」
「多少の心得はある様子。でも、動きそのものはまだまだ未熟」
タバサはカズキの動きから、そう評価した。
カズキは、戦士長・キャプテンブラボーとの一ヶ月間の死に物狂いの特訓。
及び元信奉者・早坂秋水との模擬戦じみた稽古を修め、命懸けの実戦を幾度も行ってきた。
が、それでも‘一ヶ月’。‘錬金術’の‘力’を用いての強行軍だが、それでも、身のこなしそのものを身につけるには限度がある。
何より、カズキは基本一対一が多く、多対一(正確には二。その後たくさん)などは一度のみ。
やはりそれでも、それらの経験が手伝って、今はゴーレムの攻撃をほとんど避けることはできる。しかし…
「それに、彼にはあれを倒す手段がない」
タバサの指摘どおり、今のカズキは無手。武器もないこの状況では、避け続けるしかない。
どうやって切り抜ける…!?
カズキは攻撃を上手く捌きながら、そのことを考えていた。大分慣れてきた様だ。
いの一番に考えたのは、やはりこの胸に潜む、‘錬金術’の‘力’の発動――だが、この状況。
戦闘中に発動して、果たして闘争心が高ぶった自分が、化物にならぬ保証はない。死を振り撒かぬ保証はない。
今はそれだけ危ういところまで来ているはずだ。
しかし、一ヶ月の特訓の中で、カズキが徹底的に行ったのはやはり、前述の‘力’を用いた戦う術を磨くことのみ。
それ以外の戦う特訓を、カズキは行っていない。しかし、外野を。ルイズを巻き添えにしてしまうくらいなら。
カズキはいの一番の選択肢をなくす。では、どうするか?決まっている。
青銅のゴーレムが一体突っ込んでくる。カズキは足を止めると、それを見据えた。
「おや、もう諦めるのかね?」
せせら笑うようなギーシュの声。カズキは構えると、呼吸を整える。
ワルキューレの動きに合わせ、正面からその拳を突き出した。
「くらえ!通信空手拳!」
カウンター気味の正拳。鈍い音が辺りに響く。この決闘、初めてのカズキの攻撃である。
その衝撃は如何程なものか。青銅の女戦士は、後ろによろけていた。皆が目を見開く。
「……いってぇぇぇえええ!!」
「あったりまえでしょ!馬鹿!!」
赤くなった拳を解いて振るカズキに、思わずツッコむルイズ。どこか締まらない。
「でもっ!少しヘコんでる!」
カズキはゴーレムの胸の辺りを指した。なるほど、確かに拳の跡がくっきりと残っている。
あの硬い青銅を、素手で歪ませたのだ。周りのほとんどが、目を丸くした。
「すげぇ!平民が、ギーシュのゴーレムに一発食らわせたぞ!」
外野がどよめいた。誰かが発したその言葉に、ギーシュの目が鋭いものに変わる。
「ふ……平民風情が!よくもこの僕の『ワルキューレ』に、傷をつけてくれたなぁあ!」
激昂し、薔薇を振る。すると、三体の青銅ゴーレムの手に、同じく青銅の剣が出現した。
「いっ!?」
今度はカズキが目を丸くした。まさか得物まで即席とは。そんなことを考える間に、女戦士は次々と剣戟を繰り出してくる。
「うわっと!」
ただ殴りかかられるのとは勝手が違う。つい大きく避ける。まだ、避けきれる。
「ひ、卑怯よ!剣だなんて!」
ルイズが吼えた。しかしギーシュはいいやと首を振る。
「卑怯なものか。己の力と相手の力を全てぶつけ合う。それが決闘だろう?」
ギーシュの言葉に、カズキはブラボーとの闘いを思い出す。
斗貴子を、仲間を犠牲にしてでもブラボーに勝てと斗貴子は言った。だが、自分が取った決断は――。
「ああ、そうだよルイズ。オレも今、オレの出せる‘全力’で、こいつを倒す」
「言うじゃないか、平民」
青銅のゴーレムが、大上段からの剣を振り下ろす。カズキは、真正面からそれに向かった。
「――カズキっ!」
ルイズの悲痛な叫びが響いた。
ところ変わって、ここは学院長室。
コルベールは泡を飛ばしてオスマンに説明していた。
春の使い魔召喚の際に、ルイズが平民の少年を呼び出してしまったこと。
ルイズがその少年と『契約』した証明として現れたルーン文字が、気になったこと。
それを調べていたら……
「始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』に行き着いた、というわけじゃね?」
オスマンは、コルベールが描いたカズキの手に現れたルーン文字のスケッチをじっと見つめた。
「そうです!あの少年の左手に刻まれたルーンは、伝説の使い魔『ガンダールヴ』に刻まれていたモノとまったく同じであります!」
「で、君の結論は?」
「あの少年は『ガンダールヴ』です!これが大事じゃなくて、なんなんですか!オールド・オスマン!」
コルベールは、禿げ上がった頭を、ハンカチで拭きながらまくし立てた。
「ふむ……。確かに、ルーンが同じじゃ。同じじゃと言うことは、ただの平民だったその少年は、
『ガンダールヴ』になった、ということになるんじゃのうな」
「どうしましょう」
「しかし、それだけで、そう決めつけるのは早計かも知れん」
「それもそうですな」
オスマンは、コツコツと机を叩いた。
ドアがノックされた。
「誰じゃ?」
扉の向こうから、ロングビルの声が聞こえてきた。
「私です。オールド・オスマン」
「なんじゃ?」
「ヴェストリの広場で、決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めに入った生徒がいましたが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」
「まったく、暇を持て余した貴族ほど、性質の悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんだね?」
「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」
「あの、グラモンとこのバカ息子か。親父も色の道では剛の者じゃったが、その息子共も輪をかけて女好きじゃ。
おおかた女の子の取り合いじゃろう。相手は誰じゃ?」
「……それが、メイジではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の少年のようです」
オスマンとコルベールは顔を見合わせた。
「教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」
オスマンの目が、鷹のように鋭く光った。
「アホか。たかが子供のケンカを止めるのに、秘宝を使ってどうするんじゃ。放っておきなさい」
「わかりました」
ロングビルが去っていく足音。コルベールは、つばを飲み込んで、オスマンを促した。
「オールド・オスマン」
「うむ」
オスマンは杖を振った。壁にかかった大きな鏡に、ヴェストリ広場の様子が映し出された。
静まり返った広場の中、ルイズは目を見張った。キュルケも、他のギャラリーも。
タバサはあんまり変わらなかったが、ギーシュもやはり、目を見張った。
『ワルキューレ』の剣は、カズキの顔の真上で静止している。
そしてその銅の刀身に、カズキの両の掌がぴったりと張り付いていた。
「できた!真剣白羽取りっ!!」
カズキは鼻息荒く言った。青銅ゴーレムの動きは早いが、一撃の威力はそれほどでもない。
なにより剣の使い手としても、模擬戦の稽古相手であった秋水に比べれば、全然見切れる程度のものだ。
ならば、その剣を止めることも、あわよくば奪うこともできるのでは…そう考えての、一か八かの行動である。
あとは、この剣を…!?
瞬間、カズキは身体が軽くなるのを感じた。見れば、刃を挟む手の左側。ルーンが光っている。
ふと、刃の先。ゴーレムが、剣をぐいと引こうとしているのがわかった。随分と遅い動作だ。
両腕はふさがっている。だからカズキは、思い切り足を前に繰り出した。
腹に足跡を刻まれたゴーレムは、大きく跳んだ。カズキの両の手には、すっぽ抜けたのか青銅の剣だけが残る。
それを手中に収めると、まるで自分の手の延長のように、しっくりと馴染んだ。しかしそれ以上に、カズキは驚いた。
なんだ、この力。あとからあとから湧いてくる…まさか!
カズキは力の限り叫んだ。
「みんな、オレから離れろ!!」
「…へ?」
しかし、周りからは不可解な視線が送られるばかり。
誰一人として、苦痛に歪んだ顔をこちらに向けていない。カズキは混乱した。
「…ふ、ふん。まさか『ワルキューレ』の剣を奪うとはね。しかも手で直接受け止めるとは、恐れ入ったよ。
しかし、今の一言はなんだい?武器を手にしたことで気が強くなったのかね?」
ギーシュが激しく動揺を見せる。やはり、体調を崩している様子はない。
しかし、カズキの身体には、依然力が湧いてきている。
「まぁ良い。それは君には相応しくない。返してもらおうか!」
ギーシュは薔薇を振った。胸に足跡をつけたゴーレムが、諸手を挙げてこちらに突っ込んでくる。
おかしい、さっきよりも全然遅い。どうなってんだ?
そう考えながら、カズキはひらりとそれをかわすと、剣を持つ手に力を込めた。自然に身体が動く。
瞬く間に、青銅のゴーレムが斜めから真っ二つに切り裂かれた。
ずしん、と倒れる女戦士。その断面は、銅鏡のように輝いていた。
カズキは驚いた。いつもの自分の戦い方とは違う。竹刀を振ったことはあるが、まともな剣の使い方なんて、知らないはずだ。
それなのに、剣を使い慣れた得物のように扱い、ものの見事にゴーレムを斬ってしまった。
そしてこの状況。力が漲るのに、周りの誰も苦しまぬ、この状況。
力の漲り方にも、カズキはどこか違和感を覚えた。力は湧き上ってくるが、こんな風に身体が軽くなるのは初めてだ。
肌の色も変わっていない。見慣れた黄色である。何かが、ヴィクター化と違う。決定的な何かが…。
疑問は尽きない。けれど、今は――!
カズキはギーシュを見据えた。
自分のゴーレムが粘土のように切り裂かれるのを見て、ギーシュは声にならないうめきをあげた。
即座に薔薇を振る。二体のゴーレムが、それに合わせて剣を振った。
その間に飛び込みつつ、剣を振るうカズキ。駆け抜けた後には、上下に分かれた青銅人形が、二つ。
その二つが地面に落ちると、まだまだと、ギーシュは薔薇を振った。
すぐさま、先ほどと同じ青銅ゴーレムが四体。最初から剣を手にしている。
全部で七体のゴーレムが、ギーシュの武器だ。
そのうち三体が、三方向からカズキに襲い掛かる。しかし、結果は同じだった。
三体のゴーレムが、バラバラに切り裂かれる。降る剣が見えない。速い。あんな風に剣を振れる人間がいるなんて思えない。
咄嗟に残りの一体を、ギーシュは自分の盾にした。次の瞬間に、難なく切り裂かれる。
全てのゴーレムが倒れれば、カズキは、ギーシュの前に剣を突きつけた。
「ひっ!」
ギーシュは尻餅をついた。剣の切っ先も、それに合わせて下に動く。
「…続けるか?」
呟くように、カズキ。ギーシュはふるふると首を横に振った。完全に戦意を喪失しているようだ。
震えた声でギーシュは言った。
「ま、参った」
「あらすごい、ほんとに勝っちゃった」
キュルケは予想外の結果に、ポツリと呟いた。いくら素早い平民とはいえ、メイジに勝つのは基本不可能。
そう考えるのが、こちらの常識である。それを、一瞬で覆してしまった。
周りでも、見物していた連中が、あの平民、やるじゃないか!とか、ギーシュが負けたぞ!とか、歓声を送っている。
「ビックリねぇ。あなたもそう思うでしょ?タバサ…って」
既に興味もないのか、何時ものように本を取り出してその文面を目で追っている。
その様子に一つ苦笑を浮かべれば、やがてカズキとギーシュ。そしてルイズを見やる。
『ゼロ』とはお別れね…良かったじゃない、ルイズ。
「ルイズ、おいで」
カズキは剣を地面に突き立て、ルイズを促した。
此処に至るまで、嵐のような紆余曲折があったが、勝敗は決した。ルイズが『ゼロ』ではない証明は成されたのだ。
…使い魔の手によって。平民の、もうすぐ化物になるという少年、カズキの手によって。
ルイズは、一歩、また一歩と、ゆっくりとそちらへ足を運んだ。
「ルイズ…」
ギーシュが呟く。ルイズが来てしまう前に、どうしても訊いておきたいことがあった。カズキの方を向き、声をかける。
「なぁ、君は一体何者なんだ?僕の『ワルキューレ』を倒すなんて」
問われたカズキは、ふと何か考え、笑いながら言った。
「ルイズの使い魔」
その簡潔な答えに、ギーシュは唖然とした。だがやがて、そうか、と力なく笑った。
ルイズは歩きながら、これまでの自分を思い出しながら、考える。
これまでの自分――学院で『ゼロ』と馬鹿にされ続けた自分。貴族からも、表立ってはないが平民からも、笑われ続けた自分。
魔法は、貴族にとって絶対だ。だから、学院では実家以上に努力した。
しかし、いかなる系統も、自分を向いてはくれなかった。いかなる努力も、この世界は嘲笑うかのように水泡に帰してくれた。
努力が実らぬ事を意識してからは、毎日が苦痛だった。
部屋から出たくないと思ったことも何度もあったが、それだけはできなかった。
それをすれば…学院で味方の居ない自分がそれをすれば、もう自分は立ち直れぬと知っていたからだ。
そんな自分。『ゼロ』の自分。
だが、目の前に今、‘新たな自分’が用意されている。
これからの自分――己の使い魔が切り拓いてくれた、『ゼロ』じゃない自分。『ゼロ』と呼ばれぬ自分。
その自分は、いったいどうなるのだろう。どうなってしまうのだろう。どんな世界を見れるのだろう。
四つのいずれかの系統も、自分を向いてくれるだろうか。世界は、この努力を受け入れてくれるだろうか。
不安は尽きないが、それ以上に期待が勝る。そう思えるほど、新たな自分は魅力的である。
正直、それに身を委ねてしまいたい。それほどに、使い魔が示してくれた道は、光に満ち溢れている…が
それは、これまでの自分に対する裏切りではないか―――
一度そう考えれば、躊躇いが生じ、足取りも重くなる。
確かに自分は頑張った。努力した。ならば、それもいつかは報われていいのではないか。そしてそれは、今なのではないか。
自分の魔法で召喚した使い魔が、他のメイジを圧倒した。その今ならば…。
だが、それに対し、自分は何かをしたのか?何か魔法を唱えたか?
何もしていない。使い魔を召喚し、契約を為した。それ以外、何もしていないのだ。
否。むしろこの決闘を、止めようとさえした。それすら振り切り、あの使い魔は、己の新たな道を切り拓いた。
果たしてそれは、自分にとって、本当に進むべき道なのだろうか?
だから、この数歩。己の使い魔が倒した相手の前に、たどり着くまでの僅かな間に。
ルイズは、それを見極めることを決断した。
ルイズがギーシュの前に立つ。ギーシュもすかさず立ち上がり、二人の貴族が対峙する。
「る、ルイズ。…その」
目が泳ぐ。まともにルイズの顔を見れない。
これまで散々『ゼロ』と馬鹿にしてきた罪悪感が、その鳶色の瞳を見据えることを、恐れさせている。
辺りがしんと静まった。見ていた連中もまた、そのほとんどが、ギーシュと同じ心中である。顔を俯けている者もいた。
中にはやはり、腑に落ちぬ者もいるようだ。時折、ぶつくさと何か聞こえた。が、カズキが目を向けると、静まった。
『ゼロ』と呼び続けた自分たち。其れにひたすら耐えた少女は、己の使い魔を持って其れの偽を証明せしめた。
ならば、自分たちはどうせねばならないか。意を決したらしいギーシュは、ルイズに顔を向けた。
ルイズもまた、俯いていて、その表情は伺えない。が、言わなくては。自分は貴族なのだから。
先刻のカズキの様に頭をたれて、ギーシュは口を開いた。
「ごめんよ、ルイズ。これまでの、僕等の非礼を。貴族にあるまじき幾つもの侮蔑を、許してくれ!」
既にギーシュは、『ゼロ』と呼ぶことを自ら止めていた。そうすることが、ルイズへの謝罪の姿勢として正しいと思ったのだ。
「このとおりだ!なんだったら、君の気が済むまで殴ってくれて構わない!あ、でも顔はできれば勘弁しておくれ」
この期に及んで顔の心配とは。見守りながら、カズキは呆れた。次いである種の感心も覚えた。
ギーシュの精一杯の謝辞。やはりルイズは俯いたまま…と、カズキの耳に、ぶつぶつと囁きのようなものが入り込んできた。
「る、ルイズ…?」
ギーシュは顔を上げ、その色を青くした。ルイズが、何事か呟いている。カズキは、それに聞き覚えがあった。
そう、これは確か…‘錬金’の呪文。
ルイズは杖を手に取ると、その先端を、傍らに立つカズキが地面に突き刺した青銅の剣に向けた。
「へ?」
広場の真ん中で、強烈な爆発が巻き起こった。
カズキが、ギーシュが、ルイズが吹っ飛んだ。それはもう、中空にて煙を尾に、見事な放物線を描いていた。
どしゃり、と地面に叩きつけられる三人。周囲の連中も、爆発の余波を浴びて、見るも無残な状況である。
「な、なんだ!?」
「ルイズがまた魔法を失敗させたんだ!でも、なんでいきなり!」
一気に騒がしくなる。そんな中、ルイズはやはり、何事もなかったように立ち上がった。
ギーシュやカズキは地面に倒れ伏したままだ。カズキは一番至近距離から爆発を食らった為か、頭が揺れていた。痙攣も酷い。
それでも、気を失わないだけ、シュヴルーズとは鍛え方が違ったが。
「な、何を…」
声を出せる状態ではないカズキに替わり、ギーシュが尋ねた。
「…やっぱり、成功しないわね、魔法」
杖を覗き込みながら、ルイズは確かめるように言った。
結局のところ、この決闘で勝とうが負けようが、やはり依然ルイズの魔法が失敗すれば爆発を起こすことに、変わりはない。
その場にいた皆が、それを思い知った。
なら、この決闘はなんだったんだ?次いで皆がそう思った。
「そう。魔法の成功確率、いつも『ゼロ』。だから、『ゼロ』のルイズ。ふふ、的を射てるわよね」
顔を俯け、切なげに笑う。しかし、即座に顔を上げる。瞳は吊り上り、ある決意を携えていた。
ルイズの脳裏には、教室でカズキとの会話に出てきた、ある言葉が浮かんでいた。
「でも、だからこそ、自力で魔法を成功させなきゃ、『ゼロ』は拭えないわ。
『ゼロ』の返上の仕方は、自分で決める。そう、選択肢は、自分で作り出すものよ。
使い魔に、丸々全部、なんとかしてもらうことじゃない。なにより…」
ルイズは、煤だらけのブロンドの髪を一つ払い、
「そんなの、わたしのプライドが許さないわ」
どこまでも気位の高いルイズである。皆に呆れが生じたが、ルイズは続けた。
「『ゼロ』と呼びたければ、呼ぶが良いわ」
皆を見据え、朗々とルイズは語りだす。
「でも、いつか認めさせてみせる。わたし自身の魔法で、必ず」
その瞳は、この場の誰よりも前を向いていた。上を向いていた。
「それを、この場でみんなに誓うわ」
ルイズは口上を終えた。
やがてぽつぽつと、拍手が起こった。貴族から貴族への、激励の、そして賛賞の拍手である。
この決闘の勝者は、ギーシュでも、カズキでもない。新たな一歩を踏み出したルイズその人なのだ。
未だ起き上がれぬカズキは、しかし微笑みながら見つめていた。その左手のルーンは、決闘前と同じ、淡い輝きを放っていた。
オスマンとコルベールは、『遠見の鑑』で一部始終を見終えると、顔を見合わせた。
その表情は、先ほどまで、平民が貴族に勝った事により驚愕で彩られていたが、今は穏やかなものである。
「ミス・ヴァリエールは、立派な貴族になる資質を秘めておるの」
「ですね。教師としても、誇らしいものです。その努力が実るよう、なんとかしてあげたいと思います」
だが、その表情はすぐさま険しいものへ変わった。感慨に耽ってばかりもいられない。
「しかし、オールド・オスマン」
「うむ」
「あの平民、勝ってしまいましたが……」
「うむ」
「ミスタ・グラモンは一番レベルの低い『ドット』メイジですが、それでもただの平民に遅れをとるとは思えません。
そしてあの動き!何より、剣を手にとってからのものは凄まじい!あんな平民、見たことがない!やはり彼は、『ガンダールヴ』!」
「うむむ……」
コルベールは、オスマンを促した。
「オールド・オスマン。さっそく王宮に報告して、指示を仰がないことには……」
「それには及ばん」
オスマン氏は重々しく頷いた。白い髭が、激しく揺れた。
「どうしてですか?これは世紀の大発見ですよ!現代に蘇った『ガンダールヴ』!」
「ミスタ・コルベール。『ガンダールヴ』はただの使い魔ではない」
「そのとおりです。始祖ブリミルの用いた『ガンダールヴ』。
その姿形は記述がありませんが、主人の呪文詠唱時間を守るために特化した存在と伝え聞きます」
「そうじゃ。始祖ブリミルは、呪文を唱える時間が長かった……、その強力な呪文ゆえに。
知ってのとおり、詠唱時間中のメイジは無力じゃ。そんな無力な間、己の体を守るために始祖ブリミルが用いた使い魔が『ガンダールヴ』じゃ。その強さは……」
その後を、コルベールが興奮した調子で引き取った。
「千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持ち、あまつさえ並のメイジでは歯が立たなかったとか!」
「で、ミスタ・コルベール」
「はい」
「その少年は、ほんとうにただの人間だったのかね?」
「はい、どこからどう見ても、ただの平民の少年でした。
ミス・ヴァリエールとの契約の際、一瞬姿が変わり稲光を発した為、念のため『ディテクト・マジック』で確かめたのですが」
思い出すのは、使い魔のルーンをスケッチする際のこと。先住魔法を用いる亜人の類でもあれば、また別の反応を示すと思えたが…。
「何かしら姿を変える魔法、マジックアイテムの類も持っておらず、その反応は正真正銘、ただの人間。平民の少年でした。
おそらく、あの現象は『ガンダールヴ』になる際に発生したものと考えられます」
「ふむ。そんなただの少年を、現代の『ガンダールヴ』にしたのは、誰なんじゃね?」
「ミス・ヴァリエールですが……」
「彼女は、優秀なメイジなのかね?」
「いえ、というか、その…今しがた大変素晴らしい決意表明をしておりましたがその、むしろ無能というか……」
「さて、その二つが問題じゃ」
「…ですね」
「無能なメイジと契約したただの少年が、何故『ガンダールヴ』になったのか。まったく、謎じゃ。理由が見えん」
「そうですね……」
「とにかく、王室の盆暗どもに『ガンダールヴ』とその主人を渡すわけにはいくまい。
そんなオモチャを与えてしまっては、またぞろ戦でも引き起こすじゃろうて。
宮廷で暇を持て余している連中はまったく、戦が好きじゃからな」
「…思慮が足りませんでした。学院長の深謀には恐れ入ります」
「この件は私が預かる。他言は無用じゃ。ミスタ・コルベール」
「畏まりました」
オスマンは杖を握ると窓際へ向かった。遠い歴史の彼方へ、思いを馳せる。
「伝説の使い魔『ガンダールヴ』か……。いったい、どのような姿をしておったのだろうなあ」
コルベールは、夢見るように呟いた。
「『ガンダールヴ』は、あらゆる武器を使いこなし、敵と対峙したとありますから……」
「ふむ」
「とりあえず、腕と手はあったんでしょうなあ」
やがて、その場は自然に解散の運びとなった。ぽつりぽつりと人が減っていく中、幾人かは思うところがあったのか、
ルイズに謝罪と激励を言いに来た。それをルイズは澄ました顔で返し、その内に広場には、ルイズとカズキだけになった。
「良かったね」
重い体を起こし、カズキはルイズに話しかけた。剣を握っていた時は羽のように軽かった身体が、今は決闘前より重く感じる。
原因はわからないが、ヴィクター化とは違う力の湧き方。それの反動だろうか、と考える。
ルイズが話しかけられている間、自分がエネルギードレインが発動していないことは、既に確認済みだ。
沸いた疑問は拭えないが、今はルイズだ。ちなみに、青銅の剣はルイズの『錬金』でものの見事に爆砕した。
ぼろぼろのカズキに、ルイズは半眼を突きつけた。なお、ぼろぼろなのは言うまでもなくほぼルイズのせいである。
「なによ、皮肉のつもり?使い魔のくせに、勝手にご主人様をだしに決闘なんか受けちゃって。
言っとくけどね、あんたの助けなんか要らないの。良かれと思ってなんとかしてもらうほど、安くはないの。わかった?」
その言葉に、カズキは最初の夜を思い出した。見知らぬ女の子を、斗貴子を救おうと、必死だったあの夜。
「う、うん…」
結局、あの頃と変わんないのかな、オレ。ヘッポコ過ぎだ。
顔をどよんと沈ませるカズキに、しかしルイズは続ける。
「わかったら、あんた。わたしに協力しなさい。わたしの使い魔なんだから、当然よね」
「協力?」
「そう、協力」
オウム返しをしてくる使い魔に、ルイズは説明する。
「あんた、わたしにどうして良いかわかんないって言ったわよね。魔法のこともわかんないって。
でも、わかんなくても、わたしのためになんでもしなさい。わたしの『ゼロ』を返上する為に、頑張りなさい」
カズキは眉を顰めた。
「今さっきしたじゃないか」
「今からよ。さっきのやり方じゃ、わたしは納得できないの」
なんて我侭なんだろう。カズキは呆れた。けれど、あのやり方は、
ルイズ自身の力以外で認めさせることは、結局なんの解決にもならなかったことは、カズキも百も承知だ。
オレは、ルイズになにができるんだろう。そして、その前に…
「でも俺は…」
「その代わり」
ルイズは綺麗な人差し指をピンと立て、続けた。
「わたしも、あんたがその、化物とやらにならないための方法。一緒に考えてあげる」
口元に笑みを浮かべながら、ルイズは言った。カズキもやがて、顔を綻ばせた。
「ありがとう、ルイズ」
ルイズのこともそうだが、自分の現状も、解決策は未だ見出せない。
どちらも、上手くいくかわからない。けれど、その気持ちは嬉しかった。
「勘違いしないでよね!あんたが化物になって騒がれでもしたら、わたしの責任になるんだから!」
これまでの自分。これからの自分。
じゃあ、‘今の自分’は?
今の自分には、この使い魔が居る。自分のことを、笑わないと言ってくれた使い魔が。
『ゼロ』と呼ぶなと、叫んでくれた使い魔が。
『選択肢は他人に与えられるのではなく、自ら作り出していくもの』。
ならば、自分も作り出してみよう。『ゼロ』と呼ばれぬ為の選択肢を。
果たしてその選択が、間違っていたとしても、おそらくそれに後悔は生まれぬだろう。
それに、この使い魔とならきっとできる。そんな予感がルイズにはするのだ。
「うわ、もう午後の授業開始してからどれだけ経ってるのかしら。ほら、とっとと行くわよ」
ルイズは歩き出した。制服は煤で汚れたままであるが、気にならなかった。
「うん」
置いていかれぬよう、カズキもその横に並んだ。
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