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「毒の爪の使い魔-41b」(2009/06/23 (火) 08:54:08) の最新版変更点
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#navi(毒の爪の使い魔)
所変わって、城の中庭。
大きな池に浮かぶ小船の中で毛布に包まり、ルイズは泣いていた。
城の中から自分を探す声が聞こえる。
だが、この小船は小島の陰に隠れ、死角となっている為に、城からは目立たない。
お陰で、此処は幼い頃に使っていた時と同じように安全だった。
とにかく、今は一人でいたい…。それは彼女の心からの願いだった。
ルイズは毛布に包まり、泣きながら考える。
母と姉に好きな人が居ると言われた。
しかし、自分にはそんな人はいない。…いない筈だ。
なのに……何故だか、あの使い魔の顔が頭に浮かんでくる。
違う…、違う…、絶対に違う…。
ルイズは必死になって否定する。だって、ありえないから。
あいつは使い魔なのだ、自分が従えているだけの使い魔。
好き、とか…そんな感情を抱くはずがない。
あいつだって自分の事は何とも思っていない…はずだ。
大体だ、それ以前にあいつは――
(あいつには……もう、大切な人がいるじゃない…)
そうだ…、既にあの使い魔には特別な相手がいる。いや、”いた”か…。
自分よりも優しそうで、あいつの事を理解していて、しっかりしていて…。
あの人に比べたら、自分なんか…ただの子供。あいつの言うとおりのガキだ。
性格だけじゃなく、胸などの体付きでも負けてるのだから…。
自分なんか…太刀打ちできるわけが無い。
――考えれば考えるほど、情けない気持ちになってきた…。
ルイズは毛布を頭まで引っ被り、小さく蹲る。
小さな頃はそうすれば落ち着いた物だが…今はそうならない。
寧ろ、どんどん気持ちは沈んでいくようにも感じられた。
暫くそうしていると、中庭に人の気配を感じた。
土を踏みしめる音に続き、池の小島に続く木橋を渡る音が響く。
誰が来たかは関係無かった。
とにかく、見つかるまいと、ルイズは毛布に体を埋めた。
すると足音が小島で止まったかと思うと、一拍置いて小船が揺れた。
誰かが飛び乗ってきたのだろうか? だが、小島からはそれなりに離れているのだ。
そんなに運動神経のいい者がいただろうか? などと考える前に、毛布が引っぺがされた。
見つかった、とルイズは反射的に身を竦める。
「おい! 起きろ、クソガキ!」
聞き覚えの有る声に乱暴な言葉遣い。
目を開いて見上げる。
「ジャンガ…?」
「おら、行くぞ? 城の外でタバサ嬢ちゃんが待ってるからよ。テメェの荷物も一応持ってきてやったゼ」
言いながらズタ袋を一つ置いた。メダルとルビー、始祖の祈祷書とルイズの杖以外には特に入っていない。
ルイズはそれを一瞥し、しかし拗ねていたので顔を背ける。
「無理よ、許しをもらってないし…」
「ンなの、もうどうでもいいじゃネェか? テメェの頑固さの大元みたいな物なんだしよ…、
まともに話しで納得させるのは無理って物だゼ」
「…それだけじゃないわ」
「?」
「わたしが”虚無”の系統に目覚めた事も、色々頑張っている事も、何も話せないのよ?
誰が認めてくれるの? 誰も認めてくれない…、そう考えたら凄く悲しくなった…」
「カトレアの奴は色々感づいていたみたいだがよ?」
「ちいねえさまは鋭いから…当然よ。でも、母さまや父さま、
エレオノール姉さまは解ってくれないわ…」
「そんなの好きに言わせとけ…。外野が言ってる事を一々気にしてたらキリが無ェゼ」
「そんな風に割り切れないわよ…」
そう言ってルイズは寂しそうな表情で顔を伏せた。
そんなルイズを見つめながらジャンガは、やれやれ、と言った感じでため息を吐いた。
爪で頭をぐしゃぐしゃと、やや乱暴に撫でる。
「ひゃっ!? な、何よ!?」
「一人でも理解者が居るだけマシと思いやがれ。…それともテメェは本当の孤独を知ってるのかよ?」
ルイズは黙ってしまう。ジャンガがシェリーと会うまでの幼い頃を、孤独のまま過ごして来た事を思い出したのだ。
それに比べれば、カトレアと言う最大の理解者がいてくれた自分は恵まれている方と言える。
「…でも、やっぱり…」
「そうかよ? ならそうやって、ここでいつまでも拗ねてやがれ。
俺は行くゼ…、姫嬢ちゃんが奪われたままなのは我慢が行かないんでな」
そう言ってジャンガは立ち上がり、背を向けた。
「ま、待って!」
小島まで跳ぼうとしたジャンガの背にルイズは慌てて声を掛けた。
肩越しに振り返るジャンガ。
「ンだ?」
「……あ、あのね、聞きたい事があるの…」
「あ?」
「そ、そそ、そのね……あ、ああ、あの…」
もう、こうなったら後戻りは出来ない…、今この場で彼に聞こう。
自分が素直に彼について行けないのも、この疑問があるからだ。
だから、それを解決しなければならないのだ。
ルイズは恐る恐る口を開く。
「あ、ああ、あんたは…、そ、その…、わ、わわわ、わたしの事…、ど、どう思っているの?」
ジャンガは変わらない表情でルイズを見据える。
「どう、ってのは…何だ?」
「な、何って……その…」
ルイズはこれ以上無い位、顔を赤らめて口篭る。
実の所、ジャンガはルイズの質問の意味をほぼ完璧に理解していた。
だが、そこはジャンガである…、ルイズの慌てぶりが面白可笑しいので、わざとしらばっくれているのだった。
そんな事とは露知らず、ルイズは必死に自身のプライドと格闘していた。
一言…、一言尋ねればそれで全てが解決するのだ…。
だが、使い魔如きに貴族が…ラ・ヴァリエール公爵家の三女の自分が尋ねるような事なのか?
そんな葛藤が心の中に渦巻く。
正直に言えば、聞かずに済めばそれでいい。しかし、このままで済ます訳にも行かない。
…悩みに悩んだ挙句、ルイズは意を決した。
「わたしとシェリーさんと、どっちが魅力的!?」
――ド直球であった。
ジャンガは静かにルイズを見つめている。
ルイズは自分が言った言葉に顔を更に赤らめた。
暫しの沈黙。――唐突にジャンガが笑い出した。
「キ、キキ、キキキ…、キィ~~~キキキキキキィィィ~~~!」
「な、何が可笑しいのよ!!?」
ルイズは真っ赤な顔のまま叫ぶ。
ジャンガは笑いの発作と戦いながら言葉を搾り出す。
「キキキ…、いや、あんまりにもよ…キキ、お前がストレートな質問をするからよ…キキキ」
「そ、それが何よ!? わ、わたしには、せ、切実な疑問なんだから!
で、でも…か、勘違いしないでよね!? わ、わたしはただ、少し気になっただけで…、
あんたの事なんか何とも思ってないんだから!!!」
必死の表情で否定するルイズだったが、真っ赤な顔で言われても説得力は皆無であった。
ジャンガはニヤニヤ笑いながら、そんなルイズの言動を見ている。
「な、何が可笑しいのよ!!?」
「キキキ、まァそんなに怒るんじゃネェよ…。テメェの質問にゃ答えてやるからよ」
ジャンガは座り込むと、ルイズと同じ目線で顔を覗き込んだ。
「正直に言ってやる。…テメェにはシェリーの様な魅力は欠片も感じねェよ」
ハッキリと否定され、ルイズは激しく落ち込んだ。
解ってはいた事だが…こう面と向かって言われると、やはり落ち込まずにいられない。
すると「だがよ…」と、言いながらジャンガはルイズの頭に手を置く。
「別にテメェの事は好きだゼ」
一瞬、ルイズは何を言われたのか解らなかった。
スキ? スキって…”隙”の事じゃなくて…”好き”って事?
え、でもでも、こいつはわたしに何の魅力も感じないって今言ったんだし…、どゆこと?
考えが纏まらず、混乱するルイズ。
更にジャンガは話を続ける。
「テメェもお気に入りの玩具だからな。俺は気に入った物はどれも大好きだゼ?
女としての魅力が無ェ…、だから気に入らネェ…ってのは違うゼ」
ああ、なるほど…、とルイズは納得した。
要するにメイジが使い魔を大事にするのと同じような感覚なのだ。
そう理解した途端、ルイズの中に生まれた熱は一気に冷めた。
「そう…、そうよね…。わたしなんか魅力無いし…。シェリーさんやタバサなんかとは比べ物にならないわよね…」
「ああ、比べ物にはならネェよ。…テメェはテメェなんだしな」
「え?」
「カトレアの奴が言ってたゼ? そいつにはそいつの魅力が有る、ってよ…。
誰かと比べて劣ってるだとか、勝ってるだとか、そう言うのはバカらしいって事だな。
まァ、要するにテメェにはテメェの魅力が有るって事じゃねェのか?」
「わたしの魅力…? そんな物…無いわよ…。胸だって小さいし…、素直になれないし…、優しくないし…」
するとジャンガはニヤリと嫌みったらしい笑みを浮かべる。
「そうかァ~? じゃ、俺が確かめてやるゼ」
え? 何を? などと考える間も無い。
呆然とするルイズへとジャンガが押し倒す勢いで覆い被さって来たのだ。
抗いきれずに小船へと押し倒される。
「え!? ちょっ!? 何よ!?」
突然の事に暴れるルイズ。
そんなルイズをジャンガはニヤニヤ笑いながら見下ろす。
「ま、そんなに硬くなるんじゃネェよ。ちょっと確かめてやるだけだからさ」
「な、何をよ!? そんな事より、放しなさ――」
ルイズの言葉は最後まで続かない。
突然頬に走ったくすぐったい感触に全身を振るわせる。
「…キキキ、やっぱり予想通りマシュマロみたいに柔らかいゼ」
ニヤニヤ笑いを張り付かせたまま、ジャンガは感想を述べる。
ルイズの頬を舐めた舌を引っ込め、もごもごと口を動かす。
「甘いなァ~…」
「あ、ああ、あんた…何を…」
「味わってやってるんだよ、お前をよ」
「なななななな!?」
「シェリーとは違ってまだまだガキだな」
「悪かったわね…」
「だが、そこにあいつとはまた別の魅力を感じるゼ」
言いながらまた頬を舐める。
ベロリ、ベロリ、とアイスや飴玉を味わうように舐め上げる。
一回舐める度にルイズの身体が震えた。
「可愛いじゃネェか…、いつもの生意気なクソガキとは思えないゼ」
「褒めてるの、それ?」
「当然さ。そうじゃなけりゃなんだってんだよ?」
「いつもの悪い冗談だと思うわ」
「キキキ、そりゃそうだ」
ジャンガは笑った。
そして、一頻り笑うとまた舐め出す。
更には胸やらスカートの中やらに爪を伸ばしてくる。
頬や首筋を舐められてるだけで恥ずかしいのに、そんなふうに体中を好きにされたらたまらない。
「こ、この、や、ちょっと、あん、やん、ひゃうっ、ばか、やめ」
「好きだゼ~、ルイズ」
――初めて、まともに名前を呼ばれた気がした。
それを自覚した瞬間、ルイズは全身から力が抜けていくのを感じた。
「テメェを女扱いするのは酔狂でしかないがよ、俺は好きだゼ~」
ああ、いつもなら微妙な評価に怒るところだが…今はそんな気になれない。
結婚しても三ヶ月はダメなのに……こいつは無遠慮に触りまくってくる。
そして、それに逆らえない自分。
だめだ~、とルイズは観念し、全身の力を抜いた。
ああ、もうだめどうしよう、お母さまごめんなさい、ルイズたぶん星になります…。
そんな事を考えながら、ルイズはジャンガがどんな顔をしてるか見てやろうと思い、
目を開くと――そこには素敵な光景が広がっていた。
船はいつの間にか岸に乗り上げていたのだが、その船の周りを取り囲むようにして使用人がズラリと並んでいる。
その中に強張った顔のエレオノールがいた。
卒倒しそうなほどに蒼白な顔の母もいた。
そして、そんな一同の真ん中には怒りを軽く通り越した顔で震える父がいた。
一瞬で熱から冷め、ルイズはジャンガを突き飛ばした。
突然の衝撃にジャンガは為す術無く、池に背中から落っこちる。
暫く落下した場所は泡立っていたが、水飛沫を上げながらジャンガが勢い良く立ち上がった。
ポタポタと雫を滴らせながらジャンガはゆっくりと顔を上げる。
「こんクソガキィ~…、人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって…。覚悟できてるのか、あン!?」
そこまで喋って、ジャンガは漸く中庭に現れた観客達に気が付いた。
「ンだ?」
怪訝な表情を浮かべるジャンガを尻目に、ラ・ヴァリエール公爵は小さく咳をする。
そして威厳のある声で言った。
「え~、ルイズを捕まえて塔に監禁しなさい。少なくとも一年は出さんから、
鎖を頑丈な物に取り替えておきなさい」
「かしこまりました」と執事が了解の意を示す。
そして、ラ・ヴァリエール公爵はジャンガを鋭い視線で睨み付ける。
「そして、あの亜人は打ち首にしなさい。腐るまで晒すから、丈夫な台を用意して置くように」
「かしこまりました」と再び執事は了承の意を示す。
その執事の言葉が終わると同時に、使用人達が一斉に鍬や箒やカマや槍や刀を持ち出し、一斉に襲い掛かってきた。
状況を把握したジャンガは爪で頭を掻き、ハァ~、と大きなため息を吐いた。
「ったくよ…、メンドくせェ…」
瞬間、使用人達全員が宙を舞い、次々に池へと落下した。立て続けに巻き起こる水飛沫。
その場には四体のジャンガ。一瞬にして分身したジャンガは使用人達全員を蹴り飛ばしたのだ。
目の前で起きた事に一瞬目を丸くするエレオノールと公爵。
公爵夫人だけが動じてなかった。
ジャンガは再度頭を掻きながらため息を吐き、公爵を睨む。
「人の楽しみ邪魔しやがって…、少しは場の空気ってのを読んだらどうだ、オッサンよォ~?」
「ふざけるなぁあああああああ!!!」
ジャンガの言葉に激昂した公爵は杖を引き抜く。
だが、ルーンを唱える事すら出来なかった。
「ん、ぬぐぉぉぉぉ~~!!?」
公爵は悶絶しながら地面に倒れ付す。
素早く近寄ったジャンガが股間を力一杯蹴り上げたのだ。
「ちったァ人様の迷惑も考えろや!」
倒れた公爵を見下ろしながらジャンガは吐き捨てた。
エレオノールが慌てて公爵に歩み寄る。
「父さま! しっかりしてください!?」
「う、はが、ぐぅぅぅ…」
公爵は呻くばかりで中々起き上がれない。
そんな二人には興味が失せたとばかりにジャンガは背を向け、ルイズの方に歩き出す。
その背に向かってエレオノールは叫びながら杖を突きつける。
「待ちなさい!! カトレアやルイズに手を出して、このまま返すわけには行かないわ!!!」
羞恥のあまり、ぽかんと口を開けて、呆然と小船の上に座り込んでいたルイズは、ハッ、と我に返った。
「ウルセェ…、人のやる事にケチつけんじゃねェよ」
ジャンガは肩越しに睨んだ。
エレオノールはその眼光に一瞬怯んだが、構わず杖を突きつける。
「やっぱり…あなたは危険ね」
「キ、仕方がねェ…。なら、夕べの続きといこうかよォ~?」
ジャンガはエレオノールに向き直る。
その背中にルイズが声を掛けた。
「ちょっと、ちいねえさまに手を出したって…どう言う事よ!?」
ジャンガはその言葉を無視した。
「ちょっと! 何無視してるのよ!? 答えなさいジャンガ!?」
徹底的に無視しながらジャンガはエレオノールを更に睨み付ける。
エレオノールの額に冷や汗が浮かぶ。
「お待ちなさい」
凛とした威厳のある声が静かに響いた。
その場に居た全員の視線が声の主に集中する。
視線の先には取り出した杖を構える、ラ・ヴァリエール公爵夫人の姿が在った。
公爵、エレオノール、ルイズ、そして池に浮かんでいた使用人達一同の顔に、何か恐ろしい物を見たような表情が浮かぶ。
公爵夫人は杖を構えながら静かに言った。
「エレオノール、お父さまを連れて下がってなさい」
「え? でも…」
「あのような凶暴かつ好戦的な相手に中途半端なやり方は通じません。ここはわたくしが相手をしましょう」
「は、はい…」
エレオノールは母の言葉に大人しく父を連れて下がる。
池に浮かんでいた使用人達も必死に我先にと池から這い上がり、住処を追われたゴキブリのように逃げ出す。
そんな周りの様子にジャンガは怪訝な表情をする。
ふと気が付くと、小船の上のルイズも震えていた。
その場だけ大地震にでも見舞われているかのような震えっぷりだ。
「どうしたってんだ?」
ジャンガの問いには答えず、ルイズは身体を震わせる。
「ジャ、ジャンガ!? い、今直ぐ謝りなさい! 土下座して! 地面に頭を擦り付けて! 早く!!!」
「何でだよ?」
ルイズは必死な表情で叫ぶ。
「いいからするのーーー!!! じゃないと、あんた本気で死ぬわよーーーーー!!!」
「ハァ?」
ジャンガは訳が解らないと言った表情を浮かべる。
――突如、巨大な竜巻が巻き起こり、ジャンガを上空高く巻き上げた。
「な、んだああああああぁぁぁぁぁーーーーーーーーー!!!?」
絶叫を上げながらジャンガは竜巻の中で翻弄される。
ぐるぐると掻き回され、凄まじい風の力に身体が引き千切られそうに感じた。
デルフリンガーの鞘を背負っていた紐が千切れ、マフラーと帽子がすっ飛んだ。
デルフリンガーは小船の隣の地面に突き刺さり、マフラーはルイズの膝元に落ち、帽子は頭の上に被さった。
と、突然竜巻が消え去り、ジャンガは重力に引かれるままに、地面へ向かって自由落下を開始する。
瞬く間に地面が目の前に迫った。
「チッ!」
舌打しながらジャンガは空中で受身を取り、そのまま無難に地面へと着地する。
そのまま、ギロリ、と公爵夫人を睨み付けた。
「やってくれるじゃネェか…、テメェよォ~」
「あなたはわたくしの娘達に危害を加えました」
ジャンガの殺気を眉一つ動かさずに流し、公爵夫人は言葉を続ける。
「使い魔の躾は主人の役目…、それに失敗したのは娘の不始末であり、同時にその娘に教育を施したわたくしの責任」
鋭さを増した公爵夫人の視線がジャンガを捉えた。
「この”烈風”が直々に”躾”を施します。使い魔とはどう言う物かをよく教えてあげましょう」
ゆらり、と身体から強烈なオーラが陽炎の様に立ち昇る。凄まじいプレッシャーすら放たれている。
それらに晒されるジャンガは、それでも顔色一つ変えない。
寧ろ、背後にいるルイズの方が真っ青になっていた。恐怖のあまりカチカチと歯を噛み合わせている。
「ジャンガ……あなた死んじゃうわ…」
いつかの決闘の時のシエスタの様な台詞を口にする。
ジャンガは忌々しそうに鼻を鳴らす。
「ただの年増じゃねェのは解ってたがよ…、テメェの母ちゃん何もんだ?」
「母さまの本名はカリーヌ・デジレ…、先代マンティコア隊隊長”烈風”カリン…。
その風魔法は二つ名の”烈風”…と言うよりは荒れ狂う嵐…」
”烈風”カリン――その名にジャンガは覚えがあった。確か何かの本で読んだはずだ。
ルイズの説明のように嵐の如き風を操り、その腕前は並みのメイジでは如何な数を揃えても勝てなかった程とか。
エスターシュと言う貴族の反乱は一人で鎮圧し、ドラゴンの群れは一人で一掃した、とあり、
ゲルマニア軍との小競り合いの時には”烈風が出陣した”と言う噂だけで敵が逃げ出した、ともあった。
その素顔は常に鉄のマスクで顔の下半分を隠していた為に解らなかったそうだが…。
「…まさか、こんなクソガキの母ちゃんだったとはな…」
世の中、何処でどんなレアムゥ…基、レア物に出会うか解らないものである。
「ジャンガ…解ったでしょう? あんたの性格は良く解ってるけど、母さまだけはダメよ!
お願いだから謝って! ちいねえさまに何をしたかも気になるけど、今は謝って! お願いだから!」
ルイズは精一杯の願いを込めて必死に叫んだ。
ジャンガが決して頭を下げない奴である事は十二分に理解してはいるが、幾らなんでも相手が悪すぎる。
相手は母さま…烈風カリン…、万に一つも勝ち目が有るとは思えない。
ジャンガ自身、今の竜巻をまともにくらってその実力はよく理解出来てるだろう。
今回ばかりは大人しく頭を――
「喧嘩売ったのはテメェだからな…、覚悟は出来てんだろうな、ああ!?」
――下げやしねぇ…。
ルイズは顔面蒼白になった。今の言葉は十分過ぎるくらいに敵意が含まれている。
見れば母さまの発するオーラがより鮮明に見えるような気がした。
…そう言えば、こいつはあのエルフですら真正面からぶつかって倒したんだっけ?
じゃあ無理だ…、などとルイズは強引に納得し、同時に諦めた。
見上げれば澄み切った青空が広がっていた。
ああ…今日は綺麗な青空だな…。
現実逃避を決め込んだルイズを他所に、その原因であるジャンガはカリーヌと互いに睨み合っている。
暫く黙って睨み合い、徐にジャンガは首をコキコキと鳴らす。
「俺はテメェが誰だろうが、関係無ェからな。邪魔する奴はあの世行き…ってのが決まりなんだ」
カリーヌは答えない。
「それが烈風だろうが、先代マンティコア隊隊長だろうが、王様だろうがな…」
ジロリと睨み付ける。
「この”毒の爪のジャンガ”様に楯突いたんだ…、テメェはあの世行き決定だゼ!
精々後悔しながら…くたばりなァ~~~!!!」
叫びながらジャンガは分身三体と飛び掛る。――直後、巨大な竜巻が生まれた。
ジャンガと分身は瞬く間に飲み込まれる。…しかも、それだけではなかった。
「な、ガァッ!!!?」
凄まじい激痛が全身を駆け巡る。
見れば体中に鋭利な刃物で付けられたかのような、切り傷が幾つも生まれていく。
分身も全身に傷が生まれ、瞬く間に消滅してしまった。
凄まじい痛みに気が遠くなりそうになる。だが、ジャンガは意識を保つべく唇を噛み締めた。
「あ…、ジャンガ!?」
茫然自失だったルイズも上空で竜巻に蹂躙されるジャンガの姿を見て、我に返った。
と、隣の地面に突き刺さっていた鞘からデルフリンガーが顔(?)を出す。
「『カッター・トルネード』…間に挟まった真空の層で相手を切るスクウェアスペル。
いやぁ…見た目の怖さ以上におっかない相手だね」
「ど、どどど、どうしよう!? このままじゃジャンガ、あいつ死んじゃうんじゃ!?」
「手加減されてるようだし、躾って言ってたんだから殺す事は無ぇとは思うが…確かに少しやばいかね?」
「どうすればいいの!? どうすれば!?」
「落ち着け娘っ子、ルビーと祈祷書は相棒が持ってきてるんだろ?」
ルイズは小船の中に転がっていたズタ袋からルビーと祈祷書を取り出す。
「これが何なの!?」
「とりあえずルビーを嵌めて祈祷書を捲れ。ブリミルは大した奴だ、ちゃんとこんな時の対策も練ってるはずさ」
言われるがままにルイズはルビーを指に嵌め、祈祷書のページを捲る。
しかし、エクスプロージョン以降のページはただの白紙だ。
「何も書いて無いわよ! 真っ白! 白紙じゃない!?」
「もっと捲りな。必要があれば読めるようになってるんだからよ」
更にページを捲っていく。すると、文字が書かれているページに行きついた。
そこに書かれているのは古代語のルーン…、エクスプロージョンとは別の呪文だ。
「…『ディスペル・マジック』?」
「それだ、『解除』だ! 理屈としてはこの前の惚れ薬の解除薬といっしょだ!
それならあの『カッター・トルネード』も消せる!」
「で、でも、こんな長いの詠唱している時間は無いわよ!?」
「適当な所で切ればいいさ。あの呪文も手加減されてるんだから十分なはずだ」
「何よ…ハッキリしないわね」
文句を言いながらもルイズは急いで詠唱を始めた。
突如聞こえてきたルーンにカリーヌは眉を顰める。
顔を向けるとそこには杖を構えてルーンを口ずさむ娘の姿が在った。
そのルーンは聞き覚えの無い物だった。
風ではない…、土でもなく…水でもない、…ましてや娘が目覚めたと言っていた火ですらない。
考え込んでいると、娘が杖を振り下ろした。
自分が生み出したカッター・トルネードが光り輝き、消え去った。
カリーヌは一瞬たじろいだ。手加減をしていたとは言え、あのカッター・トルネードを消滅させたのだ…。
一体娘が唱えたのはどんな呪文なのだ?――そんな一瞬の悩みが烈風に決定的な”隙”を生んだ。
「ガアアアアアアアアァァァァァーーーーーーーッッッ!!!」
獣の雄叫びの様な絶叫が響き渡る。
血を撒き散らしながら紫色の風が走った。
赤い軌跡がカリーヌへと迫る。
カリーヌは瞬時にルーンを唱え、『エア・シールド』を作り出す。
真紅の爪が空気の壁に弾かれる。
だが、ジャンガは止まらない。血塗れの顔を怒りに歪ませながらもう片方の爪を振るう。
空気の壁の隙間からカリーヌの顔に叩き込む。
身を反らしてそれを避ける。爪に髪留めが裂かれ、束ねた髪が背中に流れた。
カリーヌはルーンを唱え、杖をジャンガに突きつけた。
ほぼ同時にジャンガの爪もカリーヌの喉下に突きつけられた。
――両者の動きが止まった。
カリーヌは詠唱は既に終わっており、いつでも解放できる状態だ。
杖を突きつけた場所は心臓の上…、解放すれば間違い無く命を奪える一撃だ。
対するジャンガも爪の先には既に即効性の猛毒が仕込んである。
引っ掻き傷程度でも瞬く間に全身に毒は回り、十秒もすればアウトだ。
次に出す攻撃…それが一撃必殺だと言う事を悟った為、両者は動けなくなってしまったのだ。
互いの武器を突きつけ、睨み合ったまま微動だにしない両者の姿に周囲に緊張が走る。
「母さま! ジャンガさん! 止めてください!」
突如聞こえた叫び声。
その場の全員が、睨み合っていたジャンガとカリーヌも、声の方に顔を向けた。
そこにいたのはカトレアだった。血の滲んだ包帯を巻いた脇腹を庇うようにして、
フラフラとした危ない足取りで此方へと歩いて来ている。
その後ろには数人の心配そうな表情のメイドの姿も見えた。
「カトレア!? あなた、どうしてこんな所に!?」
エレオノールが叫ぶ。
「心配をかけて…ごめんなさい…、でも…気になったから…」
「気になったって…あなた、その怪我で無茶を…」
カトレアを心配そうにみつめ、直後険しい表情でメイド達を睨み付ける。
「あなた達! どうしてカトレアをこんな所に来させたの!?」
「も、申し訳ありません…。ですが、カトレア様がどうしても行きたいと申されまして…」
メイドの答えにエレオノールは深いため息を吐く。
カトレアは優しく微笑んで姉を見つめる。
「わたしは平気よ、姉さま」
そう言ってジャンガとカリーヌの方へと顔を向ける。
「カトレア…、あなたはそのような怪我で、どうしてこのような場所に?」
母に尋ねられ、カトレアは悲しげな表情を浮かべた。
「…誤解を解きたかったんです。…少し遅れてしまいましたが」
「誤解?」
カリーヌは怪訝な表情で聞き返す。カトレアは頷く。
「はい…、多分姉さまからお聞きになったのだと思います…。わたしの怪我がジャンガさんに襲われた物だと…」
その言葉にルイズは激しく反応した。
「ち、ちいねえさま!? それは一体どう言う事ですか!? ジャンガが一体何を!?」
「違うのよルイズ…、全部誤解なのよ…」
ルイズは訳が分からないと言った表情をする。
カトレアはジャンガとカリーヌへと再び顔を向ける。
「全ては誤解なんです…、だからこれ以上争わないでください。お願いですから…」
そこまで喋って体力が限界に近づいたのか、カトレアは地面に崩れ落ちる。
その身体を素早い動きで駆け寄ったジャンガが支えた。
「あ…、ジャンガさん…?」
「…前言撤回だ。テメェもあいつに負けず劣らずの無茶苦茶野郎だゼ…」
呆れた表情でそう言うジャンガを見つめながら、カトレアは蕩けそうな笑みを浮かべた。
その様子にカリーヌも静かに杖を収めたのだった。
その夜…
ラ・ヴァリエール家の居間では静かな会談が行われていた。
カトレアの話を聞き、公爵もエレオノールもルイズも驚きを隠せなかった。
「病気を治してもらった…か」
公爵が呟くと、カトレアは頷いた。
「はい。お陰でこの怪我以外は、身体の調子が凄く良いですわ。ジャンガさんには感謝していますの」
言いながらカトレアは隣のジャンガに顔を向けた。
ジャンガはソファーに凭れ掛かりながら天井を見上げており、身体の所々には包帯が巻かれている。
カトレアが水魔法を掛けたりもしたのだが、”烈風”の魔法の威力の凄まじさを物語っていた。
「ちいねえさま、本当にお体は大丈夫なんですか?」
ルイズが尋ねる。因みに彼女はカトレアを挟んでジャンガとは反対の場所に腰掛けている。
タバサはジャンガの隣にちょこんと腰掛けていた。
彼女はあの後、巨大な竜巻を見て慌ててシルフィードと飛んできたのだ。
「ええ、こんな風に身体が良くなる日が来るなんて、夢みたいだわ。あなたの使い魔さんには本当に感謝をしているわ」
ニッコリと微笑む姉の言葉にルイズは嬉しくなった。
そしてジャンガを見る。
「ねぇ、ジャンガ?」
「ンだ?」
「…ありがと、ちいねえさまを治してくれて」
「礼言われる筋合いは無ェ…、俺が勝手にした事だ」
本当に可愛く無い奴だ…。だが、ルイズは自分が同じ立場だったらどうだろう? と考えて、
自分も同じような答えを返すかもしれないと思い至り、怒鳴らない事にした。
公爵は暫く口髭を弄っていたが、鋭い視線でジャンガを睨む。
「だが、あの小船の上での行為はどう説明をする気かね?」
小船の上…、その言葉にルイズは顔を染める。
するとカトレアが答えた。
「それでしたら、わたしの責任だと思いますわ」
「どう言う意味かね、カトレア?」
「『ルイズはきっと落ち込んでいるから慰めてあげてください』ってお願いしたんですの。だからでしょうね」
公爵の言葉にカトレアはコロコロと笑う。
対して公爵は苦い表情だ。
「慰めた? あれの何処が慰めだと言うのだ?」
公爵は何かしら呪詛のようにぶつぶつと言い始める。
カトレアはそんな公爵を宥める様に声を掛ける。
「父さま、何も深刻な表情をしなくても宜しいではないですか。
ジャンガさんはジャンガさんなりにルイズを慰めてくれてただけですし」
「だ、だが……む、娘が…大切な娘がそんな礼儀の一つも知らないような下賎な亜人と…」
「あなた、女々しいですわよ? ルイズの件に関してはカトレアの病気を治したと言う事で今回は不問としましょう」
隣のカリーヌに声を掛けられ、公爵は項垂れた。
カリーヌは小さく咳をし、ルイズを見つめる。突然母親に見つめられ、ルイズは緊張のあまりに硬直する。
「さて、ルイズ…あなたに聞きたい事があります」
「な、何でしょうか、母さま?」
「あなた…、目覚めた系統は火だと言っていたけれど、あれは嘘ですわね?」
――場の視線が集中する。
ルイズは息を呑んだ。虚無だと言う事がバレてしまったか?
「ああ、そうさ。こいつが目覚めたのは伝説の”虚無”だゼ」
ジャンガがあっけらかんと答える。
その言葉にエレオノールも項垂れていた公爵も怪訝な表情を浮かべ、カリーヌは鋭い目を光らせる。
ルイズは頭痛に頭を抱え込みそうになった。
ギロッ、とジャンガを鋭い視線で睨み付ける。
その視線に気が付いたジャンガは鼻を鳴らす。
「フンッ、別に隠していても仕方ないだろうが。家族が知っていて問題でもあるのか?
娘が虚無だ…、って事を知って何か企む程度の奴等だったら、捨てればいいだけの話じゃネェか。
親の器じゃネェよ…」
「で、でもね…」
ルイズは反論しようとするも言葉に詰まってしまう。
隣のカトレアは驚いた表情を浮かべている。
「あらあら、まあまあ、伝説? 凄いじゃないのルイズ。何も出来ないと言われていたあなたが伝説なんて。
わたしの身体が治った事といい、あなたが伝説の使い手だと解った事といい、今日はとても素敵な日ね」
言いながらカトレアは微笑む。
カリーヌは目を閉じ、暫し考える。
「なるほど…、”虚無”…歴史の彼方に消えた伝説のみが伝わる系統。
ならば手加減をしていたとは言え、わたくしのスペルを打ち消したのにも納得が行くと言うもの。
あの見た事も無いような輝き……、あれが”虚無”なのね、ルイズ?」
母に尋ねられ、ルイズはゆっくりと頷いた。
「そうです、母さま」
娘の言葉にカリーヌは静かに目を伏せる。
公爵も黙ってしまう。
エレオノールは話の大きさについていけず、額に手を当てたまま倒れるように背凭れに寄り掛った。
「虚無か…。俄かには信じがたいが…やはり、あれを見てしまってはな」
公爵は暫く口髭を弄っていたが、徐に立ち上がるとルイズの下へと歩み寄った。
座り込み、ルイズの顔を真っ直ぐに見つめる。
「ルイズ、朝食の席でお前は父にこう言ったね…『目覚めた系統は火』だと。…あれは嘘だったのだね?」
「申し訳ありません、父さま。ですが、この事はどうしても言えなかったのです」
ルイズは謝罪し、頭を垂れた。
そのルイズの頭を公爵は優しく撫でた。
「よいかね、ルイズ? 父に嘘を吐くのは、あれが最初で最後にしておくれ。
……それでルイズ、今一度聞こう。…お前は何の為にアルビオンへと行く気だね?」
公爵の言葉にルイズは目を見開く。
「父さま…?」
「質問は無しだ。早く答えなさい」
「……陛下をお助けしたいからです。それにわたしの”虚無”があれば、強大なレコン・キスタにも勝てるはずですから」
「誰かに言われてではないのだね? 自分で考え、決めた事なんだね?」
「はい」
そんな娘の顔を、ジッと公爵は見つめた。
やがて、公爵は娘の頭を優しく撫でた。
「父さま…?」
「大きくなったね、ルイズ。私のルイズ。この父親は、お前の事をいつまでも甘えが抜けない子供だと思っていたよ。
だが、私の知らない所でお前は既に巣立っていたのだね」
「…父さま」
「戦への反対は無謀だと言うだけではない。私達はお前が危険な目に遭わないか心配なのだよ…。
子を心配しない親などいないからな」
公爵の言葉を聞き、ギリッ、とジャンガは歯を噛み締める。
親に終始虐げられていたジャンガにとって、今の言葉は嫌悪感を覚えるだけの奇麗事でしかなかった。
怒りに震え…、その一方でルイズが羨ましくもあった。
自分が持っていなかった…持てなかった物を持っている彼女が、たまらなく羨ましかった。
「ルイズ、忘れてはいけないよ? お前の事をここに居る誰もが心配しているのだ。
危険な目に遭ってほしくないのだ。それを解っておくれよ…」
公爵の言葉にルイズは朝の事を思い返す。
思えば自分は家族の気持ちを考えずに、自分の意見を無理に押し通そうとしていただけではないか。
自分が危険な目に遭って家族が如何思うか…、それを考えた事は全く無かった。
だと言うのに、自分は己の意見を却下されて子供の様に苛立ち、駄々をこねていただけ…。
勝手に嫌われていると思われているだけだった…。
家族の愛の深さに触れ、ルイズは知らないうちに涙を流した。
「父さま…、ごめんなさい。我侭ばかり言ってごめんなさい…」
ルイズは公爵に抱きつく。
自分に抱きつく娘の頭を、公爵は優しく撫でた。
「お間違いを指摘するのが忠義、そして…間違いを認める事が本当の勇気だ。
ここに居る者は誰もがお前を気に掛け、愛しているのだ…。
ルイズ…それを忘れてはいけないよ? 小さなルイズ」
「…はい」
泣きながら頷くルイズの額に公爵は接吻をした。
「父からの餞だ。ルイズ、一つだけ父と…いや、お前の母と姉と全員と約束してくれ」
「何でしょうか?」
「絶対に無事に帰って来てくれ。…私達が願うのはそれだけだ。…この約束だけは決して破らないでおくれ、いいね?」
「はい」
力強くルイズは返事を返した。
暫しの沈黙が流れ…、唐突にカリーヌが、ぽんぽんと手を打った。
「カリーヌ」
「話は終わりのようですわね? では、遅くなりましたが夕餉にいたしましょう。
今日はめでたい日なのですからね。カトレアの病気が治り、そして…」
カリーヌはルイズに顔を向ける。
「娘の巣立ちの日でもありますから」
「母さま…」
「ルイズ、あなたはカトレアの事を頼みますわね。
エレオノール、あなたはホストを宜しくお願いしますよ」
「わかりましたわ」
エレオノールは了承の意を述べ、部屋を退出する。
カトレアもルイズとタバサに手伝われて退出していった。
それらを見送った後、ジャンガは大きく伸びをする。
首の骨をコキコキと鳴らし、ソファーから立ち上がった。
「そんじゃ、俺も行くか…」
言いながら退出しようとする。
その背にカリーヌが声を掛けた。
「お待ちなさい」
「…まだ何かあんのかよ?」
不機嫌な表情でジャンガは振り返る。
カリーヌは静かに立ち上がり、ジャンガを真っ直ぐに見据える。
「…何だよ?」
「あなたの戦い方には色々と無駄がありましたわね」
「無駄ァ~?」
ジャンガは怪訝な表情をする。
カリーヌは変わらぬ調子で言葉を続ける。
「激情に駆られてイノシシのように突進するだけでは勝てる戦いも勝てぬというもの。
そのような者が護衛では主人は常に危険に晒される事になります。
使い魔とは主人の盾も同然…、それが役目を果たせぬようではいけません」
「何が言いたいんだ?」
「あなたに稽古をつけようと言うのです」
黙って話を聞いていた公爵の背筋が震えた。
ジャンガは動じずにカリーヌを睨む。
「ハッ…、それはまたありがてェ事だな。で…、今からやるのかよ?」
「夕食の後で、先程の庭に来なさい」
それだけを伝えるとカリーヌは静かに退出していった。
それを見送りながらジャンガは、やれやれ、といった感じでため息を吐いた。
(親子だな、本当によ…)
#navi(毒の爪の使い魔)
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翌朝…
ルイズ、タバサ、ジャンガの三人はシルフィードに乗って一路学院へと戻る事にした。
門の前にはルイズの家族と城中の使用人達が総出で見送りに出てきていた。
ルイズはカトレアに抱きついている。
戦争に行けば次に会えるのはいつか解らない。だから、恋しくならないように、
今の内に精一杯この心地良い抱擁を楽しんでおこうと思ったのだ。
カトレアは優しくルイズの頭を撫でた。
「ルイズ…、頑張ってね…小さなルイズ。でも無理は駄目よ? 無事に帰ってきてね」
「はい。解っていますわ、ちいねえさま」
「戻ってきたら一度何処かへ旅行に行きましょう。家族全員で…ね」
その言葉を聞き、ルイズは力強く…しかし、微笑みながら頷いた。
「勿論。絶対に行きましょう! ちいねえさまとお出かけする事、わたしずっと楽しみにしてたんだもの」
姉妹は仲良く笑い合った。
そんな二人を見守る公爵とカリーヌ、そしてエレオノール。
と、カリーヌは隣に佇むジャンガを見る。
「…解っていますわね?」
カリーヌの言葉にジャンガは横目で見据える。
「何がだよ?」
「娘にあのような狼藉を働いたのです。もし、傷の一つでも付ければ承知はいたしませんよ?」
「…許してくれたんじゃなかったのかよ?」
「あれはあの場で追求を続ければ話が終わらないからそう言ったまで。
カトレアの事には感謝はしていますが、それとこれとは別」
「融通が利かないのは見事なまでに親子だな…」
「ですから、わたくしの娘を守りなさい。その為に一晩稽古をつけたのですから」
ジャンガの言葉はスルーしてカリーヌは話を続ける。
カリーヌの話にジャンガは顔を顰めた。
夕べのあれは稽古と呼んでいいのだろうか?
お互いに邪魔は入らない、油断も無しのマジ勝負。
稽古などと生易しいレベルではない……死闘と呼んで差し支えない激しさだった。
あのヒゲ面のような魔法衛士隊の制服に身を包み、色褪せた年代物のマントと羽帽子を身に付け、
鉄のマスクで口元を覆ったその時の姿は尚更迫力を感じさせた。
恐らく、ルイズが見たら失神するかもしれない迫力が確かにあった。
ジャンガはため息を吐いた。
「…了解、了解。テメェなんざに言われなくてもテメェの物はテメェで面倒を見るさ」
「多少の物言いの悪さには目を瞑りましょう。…それよりも、今の言葉は信じさせてもらいましょう」
「そいつはど~も、キキキ」
「お父さまは一個軍団の編成を承諾なさいました。跡継ぎが居ないからと指揮権は他の軍に渡してありますが。
あなた達はその軍が乗るのと同じ艦へ乗りなさい。詳細は負って伝えるという事ですわ」
「準備万端だな…、こりゃ失敗したら高くつきそうだゼ…キキキ」
そうこうしている内にルイズはカトレアと暫しの別れの挨拶、そして大切な約束を交わすのが終わったようだ。
家族と大勢の使用人に見送られながら、ルイズ達三人を乗せたシルフィードは飛び立った。
「行って来ます! 約束は絶対に守りますから!」
元気な声で見送りに出てきた家族や使用人に手を振るルイズ。
それに答えるように父や母、二人の姉も大きく手を振った。
――同時刻:アルビオン・ハヴィランド宮殿――
ハヴィランド宮殿の中、白一緒に塗りつぶされた荘厳なホール。
そこの円卓の上座にはシェフィールドが座っている。
シェフィールドは手摺の上に肘を立て、手の甲の上に頬を乗せたまま、円卓の上に広げられた地図を眺めている。
「もう間も無くだな…、トリステインとゲルマニアの連合軍が此処<アルビオン>へと、やって来るのは」
声の主はシェフィールドではない。
離れた所の窓から空を眺めているガーレンだ。
シェフィールドは振り向かずに答える。
「そうだな。…そちらの準備はどうなっている?」
「無論抜かりは無い。迎撃用の駆逐艦隊は既に編成が終わって”例の装置”の整備も終了している。
いつでも戦闘は可能だ。…もっとも、そこで全滅させるのは面白くないがな」
「どういう意味だ?」
「言ったはずだ…、連中には”此処へ来てもらう必要がある”からな。それにジャンガの事だ…、
我輩の筋書き通りに動いてくれるはずだ。奴は単純だからな…ククク」
言いながら不適に笑う。
そんな彼の背を見据えながらシェフィールドは怪訝な表情をする。
…理解が及ばない相手である。ある時ふらりと現れたかと思えば、
ジョーカーの知り合いだからと勝手に協力を申し出てきた。実質有能なのではあるが…如何せん考えが読めない。
正直不気味だ…、この男は腹の底で何を考えているのかまったく解らない。
「別にどうもせんよ」
突然掛けられた声にシェフィールドは、ハッ、となった。
ガーレンは窓を向いたままだ。そして、再び肩を震わせて笑う。
「何もせんよ、我輩は。ただ、我輩の目的とお前の主人の目的は同じ場所を目指しているのだ。
そして、その主人と知り合いであるジョーカーが協力をしている。…手伝わん方が不思議ではないかね?」
そう言いながらガーレンは振り返る。
――その顔は何処までも穏やかな笑みを浮かべていた。
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