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ゼロの魔王伝――23
物語の舞台は、一時、浪蘭幻十とドクター・メフィストを輩出した地球の、とある都市に移る。
十数年前に襲った<魔震>によって築かれた瓦礫の王国の中の、人通りの無い馬場下町の裏通りを、目にも鮮やかな幾種もの花模様が踊っていた。
白い月見草、百合、女郎花、秋桜、馬酔木、フリージア。百八十センチを優に超す長身の男のくるぶしまですっぽりと覆う、シルクの生地らしいコートにプリントされた押し花だ。
滴るような陽光の祝福を受け、瑞々しさを失っていない花弁からは、揺れ動くコートの動きに従って、色が付きそうなほど濃密な香りと花粉を散らしているに違いない。
実際の戦闘を行うに当たって最も理想的な筋肉の配置を体現した肉体は、三千度の炎にも耐える耐火耐熱機能を有した黒革のジャケットと、花の揺れる色彩豊かなコートと共に、四方の瓦礫から降り注いできた弾丸の雨を避けた。
コートを見に纏った男が、ちら、と右目を周囲に走らせた。隻眼であった。左目には焼いた刀の鍔を眼帯代わりに当て、精悍と野生と知性とが、これ以上ないほど互いを引き立て合った凄味を湛えた雰囲気を纏っている。
二十代後半と見えるが、醸し出す貫禄と威圧感は実年齢の何倍もの時を命がけの戦場に身を置かねば身につかぬ、修羅の如きものだった。
足音を立てぬ走り方で、さっと瓦礫の一つに身を隠した。敵の獲物の一つはコルト社のASR(アドバンスド・システマチカル・ライフル)2000だ。
火薬発射の弾丸ではなく、ボア付きカーボンフレシットを使用するこのライフルは、一〇〇〇メートルで直径二十センチの的に三〇発を集弾させる性能を持つ。
一世代前は火薬燃焼ガスによって推進力を得ていたが、高密度分子ガスによって無音無煙遮光の発射システムを採用している。
隻眼の男は、不意に空を見上げた。自分の運命に悲嘆し、空の上の存在に助命を乞うたのかもしれない。
大地に走る亀裂の底から噴き上げる妖気の成分が混じった大気は、それ以外の不純物の存在を許さず、天空の青を澄んだ色に見せている。ぽつんと、青空に黒い点と、それよりもはるかに小さくはるかに数の多い小さな点があった。
食肉雀の群れが数百羽規模で飛行船に群がり、マイクロウェーブ銃、火炎放射機で次々と撃退されているのだ。
飛行船の中の乗客たちの肉を貪る凶悪な欲求に突き動かされているのと、妖気に侵された思考が、死への恐怖を微塵も感じていないから、どれだけ同族が死のうとも果敢にアタックを続けている。
時折、攻撃の合間を縫って、落ちて行く仲間に群がる食肉雀もいた。この小さな魔鳥達は、同胞の血肉も食らうのだ。
「空も地上も殺し合いか。この街らしい」
これといった感慨をにじませぬ男の声であった。日常茶飯事の光景の様だ。
瓦礫を穿つカーボンフレシットと、その他の短機関銃らしい軽快な発射音ばかりの世界に、唐突に異端分子が混じった。同時に、男の腹の辺りが大きな炎の花が咲いた。
炎の花を咲かしたのは、男の右手にいつの間にか握られていたリボルバーだ。握りこぶしほどもあるだろう巨大な輪胴を備え、聞く者の鼓膜ではなく臓腑を震わせる暴虐の発射音を轟かせた。
五十口径、五十五口径の拳銃など珍しくもないこの街で、最強の名をほしいままにするオンリー・ワンにしてナンバー・ワンのハンドガンであった。
跋扈する魑魅魍魎、外道邪道の犯罪者どものみならず、持主の同僚や上司の血さえも吸ってきたが故に、それはこう呼ばれる。
“魔銃ドラム”と。
男――新宿警察殺人課に所属する魔界刑事、屍刑四郎(かばねけいしろう)は、空に向けていた瞳をまっすぐ下ろし、目の前で腹に自分自身の頭ほどもある大穴を空けた殺し屋を見つめた。
まだ若い。中学生かそこらだろう。分子レベルで変形してどんな人間にも化ける変装用のマスクが開発されて久しいが、死の苦痛をこうもむざむざと刻んだ顔は、本物と見てよいだろう。
屍は少年が着こんでいたカメレオンスーツが機能を失い、銀色に変わるのを黙って見届けた。
少年の右手にはS・W・M29が銀色に鈍く光っていた。ただし、装填されているのはただの四四マグナムではない。一発でグリズリーも、一発で胴がちぎれる高性能炸薬をたっぷり詰め込んだ手作りの強壮弾だ。
周囲の風景が溶け崩れて現われたカメレオンスーツは文字通り、カメレオンの擬態能力をメカニズムによって再現したもので、百分の一秒で周囲の風景に同化し、装着者がマッハで動きでもしない限りは、まず完璧なカモフラージュを約束する。
ぱくぱくと、少年の唇が動いた。血の糸を引くかの様な声は、声変わりを迎える前のものであった。
即死している筈の少年の生命力に、わずかばかり屍は感心したらしい。頭を吹き飛ばさずに少年の言葉が終わるまで待ったのだ。
「どう……し……て……」
「見破ったのか、か? 勘だよ」
「……」
鉄に血まみれの砂を塗したような、錆びた匂いを嗅いだ錯覚を覚える声だった。噎せ返る様な雄の強さの中に、冷徹なまでの知性と凄惨な戦いをくぐった者独特の鋭さがある。
勘で見破られたと教えられた少年は、そのままがっくりと首をうなだれて息絶えた。その姿に、屍は痛ましさの欠片も見せずに、心から軽蔑するようにこう言い放った。
「千円殺し屋が、プロに手を出すからこうなる」
千円殺し屋とは、魔界都市<新宿>初期の歴史から存在する、文字通り千円程度で殺しを引き受ける一般人である。そう、“一般人”なのだ。
それは小金に飢えた学生であったり、自由な時間を持て余した人妻であったり、ひいきのホステスに貢ぐための金に窮した中年であったり、あるいはふとしたきっかけで手に入れた力を試したい衝動に駆られた者達であった。
誰がそのはしりとなったかは今では分からない。
ただ、その彼ないしは彼女らは人込みの雑踏の中で、千円札や五千円、あるいは五百円硬貨を握った手を突き出した誰かから、そっと金を抜き取って殺しを行う。
無論、これはプロの殺し屋めいた契約事項などない、いわば行きずりの殺人依頼だ。綿密に打ち合わせを行う事などなく、大抵は通りすがりの依頼者が口や指で示した相手を目標に定め各々の持つ技巧で殺人を行う。
たった千円の殺し屋は、無論本格的な技巧や魔術を身につけたプロには及ばぬが、それでも<新宿>の外で溢れる殺し屋にも遜色の無い実力と、彼らをはるかに上回る殺人への禁忌の無さを備える。
千円で突如、平凡な一般人から殺し屋へと変貌し得る住人規模での精神性は、やはりこの街ならではだろう。千円殺し屋ではないが、五百円のお釣りの代わりに、八百屋に旦那を殺させた主婦といった例も、そこそこにある。
この街では人の命は空気の様に軽く、容易く失われる代物であった。
そう言った心根と環境が生み出した恐るべき低価格の殺し屋達は、現在は<新宿>に百人とも千人とも言われている。なにしろほとんどが完全な個人経営であるから、元締めなどといったまとめ役がおらず実態の把握は困難を極める。
ともかく、その千円殺し屋の一人を屍は始末したのだ。多分、新作のゲームを買う為か、携帯電話の使用料金を払う足しにでもする腹積もりだったのだろう。
十数年の若い命を散らした犯罪者にはもはや目もくれず、屍はすっくと立ち上がった。当初十人を越した屍暗殺部隊はすでに八名が、ドラムの餌食となり、今頃死体は妖物達の胃の腑に収まっている事だろう。
少年殺し屋を雇ったのは、急きょ戦力の補充を行おうと思ったからだろうか。もっとも、毛ほども役には立たなかったが。
狙いが、屍の首に犯罪者達が掛けた逆懸賞金五百万円、無論生死を問わず、なのか、それとも先だって構成員五十七名を殺害された暴力団の生き残り達の報復か。
あるいは、殺人嗜好薬を服薬し、小学生に立てこもって児童を殺害した後で正気に返り、自首しようとして、突入してきた屍に八つ裂きにされた十六歳の少年の遺族が雇った殺し屋か。
いずれにせよ、殺人未遂の現行犯だ。襲われた刑事が襲撃者を皆殺しにして、正当防衛を訴えて不問に処されるには十分な罪であった。ましてや、彼らが襲ったのは屍刑四郎。この街で最高最凶の刑事なのだ。
ちり、とうなじを小さな針で突かれたような感覚に従って、屍はドラムを右前方十五メートルの位置にある瓦礫に向けて、無造作に一発放った。成人男性の親指が簡単に収まりそうな銃口からは、毒々しい炎が噴き出す。
六〇口径に届こうかという、重機関銃の弾丸並みの巨弾は厚さ三〇センチを超すコンクリ塊を容易く貫通し、その背後に身を隠していた刺客を抹殺した。コンクリ塊越しに、頭部を撃ち抜かれて赤い雨が噴き上がるのが見えた。
真紅の飛沫の中にきらきらと輝く飛沫の様なものがあった。五〇口径までならものともしない気体装甲だ。使用者の呼吸器官には一切害を与えず、噴霧してから一時間限定で無色の鎧となるスプレーは、ここ最近の売れ筋商品であった。
しかし、その気体装甲も、ドラムの前では少し厚い紙程度の効果しかなかったらしく、使用者は無残な死骸へと変わり果てている。
戦術核の直撃にも耐える妖物“ギガント”の装甲甲殻でも纏っていればともかく、ドラムを防ぐには不足だったようだ。
核兵器を使っても殺しきれない妖物の正確な実数は不明だ。霊的な存在はともかく、確たる物理的な妖物では、一応数種が確認されている。
最低でも七台は核動力のタクシーが走っているという、非核三原則が適用されぬこの街でしか検証できぬ事柄ではあるが。
ドラムの銃身から硝煙たなびく中、屍の背後に残る一の男が立っていた。それまで伏せていた瓦礫から姿を覗かせ、既にビアンキ製のヒップ・ホルスターから抜いていたアメリカン・ルガー“レッド・ホーク”四四マグナムの銃口を向ける。
そこらにいくらでもいる闇医者に受けた生体改造技術で、男の抜き射ちは実に千分の一秒の速さを誇っていた。眼の方にもメスをいれ、闇夜でも星一つあれば昼日中の如く見え、一キロメートル先の枝にぶら下がる林檎を撃ち抜く事も児戯に等しい。
ドラムの銃口は向きを変わらずにいるままであった。男は自分の勝利を確信し、引き金を引き絞った。
音の壁を超えた拳銃弾サイズのHEAT弾頭が先端のライナー部から、二万度を超すジェットスクリームを屍の体内で狂奔させる――はずであった。
トリガー・ストロークが撃発点から遠いダブル・アクションでも、男には屍を余裕と共に撃ち殺す自信があった。しかし、その自信は吹き飛んだ頭部と共に飛散した。
男の半分、実に二千分の一秒のクイック・ドロウを可能とする屍ならではの俊敏さで、左脇の下に突っ込んだドラムの引き金を引き、背後を振り返りもせずに射殺してのけたのだ。
屍は背後を振り返った。同時に屍の右手がブレた。実際には超高速で“ドラム”の輪胴をスピンアウトし、弾丸を発射する際の熱で気化するプラスチック製の薬莢の排莢、及び再装填を行ったのだ。
数千度に達する輪胴ないで特殊プラスチック製の薬莢は気化し、黄金に鈍く輝く空薬莢を残さない。
不必要な筈のスピンアウトをいちいちしているのは気化しきらなかったプラスチックがこびりつき、使っているうちに不具合が生じる可能性が極わずかながら存在するためで、屍はこれを防ぐために行っている。
スピンアウトから六発の再装填まで一秒をきった。銃弾の詰まった弾倉を叩き込めばいいだけの自動式拳銃やスピードローダーを使う回転式拳銃など比べ物にならない速度だ。
自動式拳銃に比べ、安定性と信頼性で勝る回転式拳銃の泣き所である再装填の手間は、この男には無縁らしい。
皆殺しにした殺し屋共の死骸を一瞥する事もなく、屍は歩き出した。コートの内側にドラムを収めた筈だが、ちっとも膨らんではいなかった。本当にしまっているのか、ホルスターはどこにあるのか。同僚たちも知らぬ屍の秘密の一つである。
銀の拍車が着いた黒革のブーツの歩みが唐突に疾走に変わった。これまで幾度となく屍を生き残らせてきた勘が、危険の信号を盛大に告げて来たのだ。
ただの勘と侮ってはいけない。新種の妖物が日々生まれては死に、変異し、犯罪者達の用いる変装・偽装技術、霊的な変貌の術を相手にする魔界都市の刑事達が、最後の最後に頼りにするのは、最新のメカニズムでも魔術でもない。
自分自身の直感だ。魔界都市で生き、法を守護する番人として培ってきた第六感こそが、命を狙うウジ虫どもの欺瞞を見抜く最大の武器なのである。
この街の刑事は軽い予知にも匹敵する第六感を備えてようやく一人前として扱われる条件をクリアーする。
それ位の危機感知能力を備えなければ、海苔弁の海苔や、ドアノブに化けた妖物が牙を剥く前に射殺する事は出来ないし、熟睡している中を液体やガスに化けて襲いかかってきた殺し屋を無意識の状態から反撃を見舞って返り討ちにする事などできやしない。
日常的に生命の危機にさらされる<新宿>区民は、体力・知力・精神力とあらゆる面で区外の人間を凌駕するが、その中でも<新宿>の刑事達は超人的な身体能力の持ち主にしかなれない職業であった。
その<新宿>の魔界刑事の最高峰、屍の勘が足元に迫る脅威を察知し、その体を五メートルほど前方へと跳躍させていた。固い地面の上に着地したブーツの底が白煙を噴いている。屍はそれを気にも留めず走り始めた。
時折、揺れる炎の水面から飛び出ているのは、飛行能力を有する妖物達であろう。頭を吹き飛ばした殺し屋が、最後の力を振り絞って、携行していたカプセルを地面に落としたとは、屍は知らない。
ただ、そのカプセルの中身が、無機物に無限の食欲と飢餓感、そして消化器官を与える疑似生命薬であったのは想像がついた。着地した屍のブーツの底が白煙を噴いたのは、突如食欲を持った地面の分泌した消化液によるものだ。
あのまま留まっていたら、今頃は地面に食べられていた所だろう。文字通りというおうか、驚天動地の事態にも屍はさしたる動揺もない様子だ。
地面のみならず車や家屋に同様に食欲を与え、所持者を抹殺する目的で造られたこの手の薬品も、市場に流通するようになってから数年を経ている。今さら、という所なのだろう。
屍の隻眼は炎の中で蠢く影に、地獄の底で揺らぐ炎の様な憎悪を向けている。
一万度の炎熱地獄の中を平気の平左で闊歩しているのは耐火能力に優れた妖物や、死霊の類であろう。犯罪者同様に、屍の敵だ。今すぐまとめてぶち殺したい衝動を堪えているのかもしれない。
犯罪者に対しては、人権を認めるどころかそもそも人間扱いをしないのが当たり前の<新宿>でも、屍の苛烈さは並ぶ者がいない。閻魔大王だって顔色を悪くすると言われるほどだ。
出来る事なら無抵抗でも射殺してしまいたいのが、屍の本音と言った所だろう。せめてもの救いは、途方もない正義感も持ち合わせている事だ。犯罪者や妖物に一切の容赦をしない代わりに、この男は無辜の市民や弱い者は文字通り命懸けで守ろうとする。
一人の命を救う事に己の命を賭けるのに何の躊躇もすまい。いわば、極めて強い正義感を持った希代の殺人鬼と言った所だろうか。
やがて、屍の瞳から危険な光が去ってから、屍はどこか疲れたような顔で背後を振り返った。世界は光り輝いていた。天上世界から舞い降りた黒衣の天使がそこに居たが為に。
「派手だね」
と、どこか人の好いのんびりとした声で、その羽根の無い天使は屍に行った。ぬーぼーとした顔には微笑の様なものが浮かんでいる。屍は苦笑した。明日世界が滅びると言われても、この調子のまま世界の終焉を迎えるに違いないと思ったからだ。
屍の目に、声の主が映った。
天の業師が技巧の全てを傾けて刷いたかのような流麗な眉の流れ、厳寒な、そして清涼たる冬夜の闇をはめ込んだかのような黒瞳、美の神と契った造詣の神が彫ったかのような理想の鼻梁、触れる風さえ陶然と蕩けるような唇の配置の妙は、唯一無二のモノ。
年のころ二十二,三の青年がその顔に宿す美貌は人の手を離れた世界で作られたかのような、いや事実そうであるに違いないものである。
人類の歴史の始まりから今に至るまでいったい誰がこの美を生み出せるのか、誰しもが作り出すことはできないと、同意するに違いない美しさであった。
そんな美貌も、年がら年中春霞に覆われているみたいなのんびりした所があって、どこか親しみやすさを持っている。
ハルケギニアに召喚されたドクター・メフィストの想い人、秋せつらだ。Dとルイズがティファニアから貰ったご長寿セットのアイディア基のせんべい屋の主人でもある。
「なんの用だ。人捜し屋?」
敵対の感情ではないが、あまり向けられて嬉しい類ではない感情が籠った屍の声だ。大抵の人間は、これだけで胃を悪くする。せつらは昼寝から今起きたみたいなぼんやりとした表情を浮かべているきりだ。
人捜し屋を営むこの青年と、刑事という職業は何かと鉢合わせする事が多く、時には対立に近い状況になる事もある。
かといって屍が完全にせつらの事を敵視していないのは、長年の付き合いもあるし、決して目の前の青年の心根が悪いものではないと知っているからだろうか? たぶん、本人にも分からない微妙な心理だろう。
せつらは、メフィストやD、幻十と同格の美貌に、彼だけが持つのんべんだらりとした雰囲気を纏わせて、肩を竦めた。この仕草だけで感激のあまりに気を失う男女は数知れない。
目下、秋せんべい店は年商三千万を誇るが、その理由の大半はせんべいの味よりも店主の美貌に依る所が大きい。せつら本人も自分の美貌の効果は心得ているどころか、大いに利用してやれという性格だから、営業用の仕草の開発も行っている。
屍にしてみせたのも、営業の仕草の一つだろう。肩をすくめてから、せつらはこう言った。
「近くを通っていたらドラムの銃声が聞こえた」
「まさかおっとり刀で駆けつけて、恩でも売ろうとしたのか?」
「いや。ホトケ様になっていたら、通報してあげようかなと思ってね」
「生憎と御覧の通りだ」
「良かったね」
ぬけぬけと言い放つせつらに、そのまま噛み殺しそうな勢いで歯を剥くのを堪えて、屍は黙って歩き始めた。なんのつもりか、黒いロングコートの裾をはためかせてせつらが横に並んで歩き始めた。
屍は警戒する様にせつらの横顔を見たが、すぐに正面に視線を戻して歩調をやや速めた。ほどなくして、表通りに近い路地に入り、左右にこの街らしい看板を掲げた店が並び始める。
立てかけられた看板や、昼日中も深更の真夜中でも変わらずけばけばしい三原色のみのイラストや、ネオンが輝くそれらは、すべて風俗店のものだった。
区外では文章にするだけでも白い目で見られかねない風俗産業の数々が、この街では現実の代物と化している。
「ヌード界のニュー・ウェーブ、“陰獣艦隊”」
「百倍の愛撫・ヘカトンケイル<百本腕の巨人>の館」
「血まみれのサイボーグ獣姦ショー」
「夢の世界の快楽、ヴァーチャル桃源郷」
などなど、この街らしい人間と人間が行うモノのみならず、サイボーグや強化人間、はては動物、植物のみならず妖物、死霊、ゾンビを相手にこの世ならぬ快楽を提供する店舗が所狭しと並んでいる。
比較的まとも、というか倫理的、道徳的にマシな方を例に挙げると、一種の幻覚作用を用いた薬によって、妄想の中の人物をほぼ具現化し、望みどおりの喘ぎ声や性癖、恰好を取らせて好きなだけ味わう事の出来るヴァーチャル・セックス辺りだろうか。
テレビの中の別世界に住むタレントやアイドル、あるいは身近にいる異性や同性を手に触れる事の出来る存在として具現化し、しかも本物と変わらない――値段相応だが――快楽を得られるこの風俗は、特に区外からの観光客に熱烈なファンが多い。
個室の中で自分以外誰も知らぬ、また知られてはならぬ欲望を吐き出し、仮初の現実とする事の出来るこの悦楽に染まり、足を抜け出す事の出来ぬ者は今も後を絶たない。
屍の、犯罪者などまとめてぶち殺してしまえ、という性情を考慮すれば違法営業の店舗が一店でもあったら、ついでに周囲の店舗もまとめて捜査して廃業に叩きこむ所だが、この通りに並んでいるのは全て区の許可を得て営業している店ばかりだ。
三つ首の怪鳥に乳首を咥えられて喘いでいる美女の看板から出てきた、ホクホク顔の男の顔を見て、屍の目が危険な光を湛えた。どうにも、同僚が出て来たらしい。
そんな屍の横で、こんな場所であってもせつらの髪や頬に触れた風は、珠のきらめきを纏って吹きすぎ行く。この世のレベルを超越した美貌ともなると、居場所がどこであれ関係ないようだ。
じろりと屍の目がせつらの横顔を睨んだ。そのまま射抜きそうなほど強い眼差しであった。
水晶体を変化させて瞳からレーザービームを放つ連中や、虹彩に手を加えて模様を変化させて催眠術を仕掛ける手合いも大なり小なりいるが、本当にレーザーでも撃ちだしそうな屍の視線に、せつらがちらっと見返して反応した。屍が口を開いた。
「なんだ?」
「善良な一市民として刑事さんにお話が」
「……」
妙にへりくだったせつらの言い方に、屍は盛大に眉を顰めた。せつらが、人捜しの仕事で、のこのこと事件現場に顔を出して警察の情報や事件の状況を根掘り葉掘り聞いて回る事があるのは、周知の事実だ。
屍としては情報の漏えいなど、漏らした相手の腕位へし折っても足りないくらいなのだが、<新宿>の申し子とまで呼ばれるせつらの情報網や知識が必要となる事件もあり、そういった行為は暗黙の了解として見逃している。
今回も、警察の掴んだ情報を流せと、せつらは言っているのだ。屍は黙って視線を前に戻し、せつらは了承の合図と判断して、やっぱりのんびりと喋りはじめた。
言い終えたせつらが、ふう、と溜息をついた。長く喋って疲れたのだ。基本的に面倒くさがりだから、百文字以上いっぺんに喋ると疲れる性質らしい。
黙って聞いていた屍が、歯を軋らせる音が聞こえる様な重々しい口調で言った。
「あとで担当の刑事に伝えておく」
「ひとつ、よろしく」
屍は、にぎにぎ揉み手をするせつらを、これまたじろりと見つめた。目の前でぬーぼーとしている美貌の青年が、これまで数千単位の人間と妖物達を屠ってきた人物とは、屍の眼を持ってしても見えない。
この街の特性を考慮するならば、小学生が片手でビルを倒壊させても、まあ、不思議ではないが、四季の巡りが春しかないような青年の雰囲気とこれまでの所業がここまでかけ離れているのはごくまれだ。
屍自身、犯罪者と汚職警官や上司を最低でも一千人は血祭りに上げているが、こちらは外見と纏う雰囲気に似合いの行いといえよう。
せつらの事を外見で判断してはいけないという見本だな、と屍は何度目かの感想を胸の中にしまい、代わりにこう聞いた。
「所でお前なら、ドクター・メフィストがどこに消えたか知っているんじゃないのか? 今、病院を仕切っているのはダミーだろう?」
「さあ? なんでぼくに聞く」
「お前がこの街で一番、ドクターとの関係が深い」
せつらは、珍しく表情を動かした。面倒くさがりが細胞レベルで浸透しているから、顔面の筋肉を動かす事さえ稀だ。その表情を動かしたと言う事は、それだけせつらにとっても大事であるらしい。
ただし、せつらの顔は迷惑そうだった。自分と、メフィスト病院の院長との仲がどのように語られているか、知り腐っているからだろう。少なくとも白衣の医師の想い人が、この黒尽くめのマン・サーチャーである事は確かだ。
「その言い方は止めてくれ。断固抗議する。ぼくはノーマルだ」
と、世界で最も美しいカップルの片割れは、心から否定した。それでもどこかのんびりとして聞こえるのは、普段の調子が調子だからだ。
この若者は、目の前で殺し合いが起きても、ま、頑張って、と声をかけて離れてゆくだろう。基本的に万事に対して無関心なのである。
「では、お前がドクターともっとも濃い関係だ」
「嫌味?」
猛獣の唸り声の様なものが聞こえた。屍が笑ったらしい。せつらは、かすかにむすっと眉を寄せた。よくよく観察しなければ分からないくらいの変化だ。せつらはふと空を見上げた。終日雲を眺めて過ごせたらいいのにと思ったのかもしれない。
「まあ、どこかで患者を治療しているさ。それしか能が無いからね」
せつら以外が口にしたら、どんなに過酷な運命が与えられるか分かったものではない事を口にした。ドクター・メフィストが<新宿>から姿を消して、数日が経過したある日の事であった。
「ふむ」
と、実験の結果をつぶさに観察する科学者のような、ふむ、がハルケギニア大陸アルビオン王国ウエストウッド村の、とある一室で漏らされた。昼も夜も、世界の終わりの日が来ても青い光に包まれているであろう、メフィスト病院院長室である。
院長室の四方に蟠った闇の中へと果てが飲み込まれている万巻を収めた書架や、人類のどんな王朝の栄華も及ばぬ豪奢な造りのシャンデリアや調度品が並び、床面積は百坪にも、あるいは無限の様にも感じられる。
ここでは時間と空間が通常とは異なる形で存在しているせいだろう。黄金と水晶と宝石と、それ一つで一国の財政を賄えそうなほどの豪華絢爛さと品格を伴った椅子の上で、メフィストは鼻の頭を左手の人差し指でぴたりと抑えた。
白衣の医師がこんな事をすると、また何か不治の病を癒す画期的な治療法を発見したのかと、誰もが期待する所だが、院長室を訪れている客人は違うらしかった。
「くしゃみでも?」
闇に紛れても、周囲の闇を呑みこんではっきりとその存在を主張しそうなほど深い黒のインバネスを着た男は、浪蘭幻十その人であった。
Dとトリステイン魔法学院の近郊で一戦交えてから、どのような手段を用いてか、このアルビオンにまで足を運んだらしい。
すでにDに浴びせられた一刀の傷は癒えたのか、誰もが口づける事を願い、あまりの恐れ多さに俯く口元は、薄く三日月の形に吊り上がっている。痛みに歪む様子は皆無であった。
「誰かが噂をしているようだ、というべきかね?」
と、メフィスト。幻十の言葉は正鵠を射ていたらしい。それまでカルテに走らせていた羽根ペンをインク壺に差して、メフィストは椅子から立ち上がった。
その一連の動作の全てに人間の王侯貴族など、性質の悪い酔っ払い位にしか見えなくなるほど気品と優雅さが充ち満ちている。
同等の美貌を持ちながら、せつらや幻十が持ち得ぬ荘厳なまでのメフィストの品格であった。傲岸不遜な幻十でさえも思わず身惚れたか、自分の前にメフィストが腰かけるまで沈黙していた。
「さて、君の当院への入院希望だが」
「はい」
と、幻十はどこかいたずらを仕掛けている子供の様に笑った。結果はもう分かっているのだろう。メフィストの瞳の光は冷厳なままだった。ふと背筋に寒いモノを覚える真冬の夜の様に冷たい瞳である。
「残念ながら受理する事はできん。当院は傷つき、病み、それでも生を望む患者の為に存在している。君は入院の必要性がある様な怪我も病気もあるまい」
「やはりそうなりますか。ここがハルケギニアでもっとも安全な場所だったのですが」
「君のその胸に刻まれた傷が癒える前に申し込むべきだったな」
「まったくです。水魔法とやらも便利ですが、入院を拒否されてしまうようだったなら、治療など受けるべきではなかった」
心から忌々しげに、幻十は胸にそっと指を這わせた。妖しい意図を持って這う虫の様な動きを、メフィストの瞳が映していた。
「仕方ありません。怖い鬼ごっこの相手はぼく自身がするとしましょう」
「君にその傷を負わせた相手、並ではあるまい」
「無論、Dという男ですが、ドクターはご存知なのでは? 好みのタイプと思いますが」
「私の好みはともかく、名前と顔ならば知っている。剣の腕は、見る機会が無かったがね」
「そうですか。では、今度はちゃんと患者として扱っていただけるように気をつけます」
「日頃の行いに気をつける事だ。特に、吸血鬼とはいえ女などを連れ歩くなど、男を名乗るなら恥を知りたまえ」
「肝に命じます」
メフィストの言葉に、この魔界医師の性癖を思い出して、幻十は苦笑したらしかった。もし、目の前に押せば世界中の女だけを滅ぼせるスイッチがあったなら、メフィストはなんの躊躇もなく押すに違いない。
ドクター・メフィスト。ゲイバーを、「報われる事を知らぬ可憐な心の持主達が集まる場所」と評した男であった。まあ、ようするに、男は男と愛し合えばいい、というタイプなのである。
そして、メフィストと幻十の邂逅から数時間後。アルビオン王国とトリステイン王国の交流を繋ぐ港町の一つラ・ロシェールの、高級宿『女神の杵』亭は、星のさめざめとした光の降り注ぐ夜に、燃えていた。
比喩表現でも何でもなく、文字通りに燃えているのだ。
火矢を浴びせられる様に射掛けられ、たちまち炎に包まれ始めた宿の中には、ルイズをはじめとしたトリステイン魔法学院と、魔法衛士隊グリフォン隊隊長の姿があった。
突如周囲を囲んだ傭兵達が放った火矢によって、宿が炎に包まれ始めている事に気づいて脱出しようと、一階に降りた所を、弓矢の一斉射撃に合い、立てかけたテーブルを盾にして一時しのぎをしている所だ。
うちがなにをした、と喚いた宿の主人は、腕を矢で貫かれて床の上をのたうちまわっていたが、ルイズ達にそれを気にする余裕はない。
ルイズやギーシュは、流石にこういった場面を想像はしていても、現実になると勝手が違うようで慌てた様子を見せていたが、キュルケはその性格で、タバサとワルドは経験によって普段の冷静さを失ってはいなかった。
やがて、ワルドが重々しく、しかし決断を決して曲げぬ強さを持った声で、とある作戦を告げた。
本格的に燃え盛り始めた宿を囲む傭兵達の輪の外で、マントについたフードを目深にかぶった男がいた。顔には白い仮面を身に着けていた。Dが、谷間で襲ってきた賊を皆殺しにした際に取り逃がしたあの男だ。
レイピアの様に誂られた杖を腰のベルトに指している様子と、ライトニング・クラウドを唱えた事からメイジである事は間違いない。金で雇った雑兵達を石木を見る目で見てから、白仮面は薄気味悪そうに隣の男達を見た。
二人いる。どちらも平凡な農夫か街人にしか見えない粗末な野良着と麻製のベスト姿の青年たちであった。人ごみに紛れたら、あっというまに見分けがつかなくなってしまう様な無個性さだ。
だが、それなら白仮面が感じている不気味さはなんであろうか。うまく事が運んでいる事を確認しながら、仮面の男は決して口には出さず、胸の中で疑惑の雲を渦巻かせていた。
(クロムウェルが用意したと言うこいつら、一体何者だ。ただの平民、いや貴族にしても纏う雰囲気がおかしい。あるいは、妖魔の類か? 聖地奪還を謳うレコン・キスタが妖魔と手を結ぶとも思えんが……)
白仮面の視線にも何の反応も見せぬ二人から視線を引き剥がし、仮面の奥の眼差しは、宿の入り口で盛大に咲いた炎の花と、二手に分かれるルイズ達の姿を見つけていた。
「なにはともあれ、予定通りか。おい」
白仮面のぞんざいな調子の声に、一応、男達が反応した。じろりと、死んだ魚の様に濁った眼を向けたのだ。肌が粟立つ様な不快さを堪えて、白仮面は命令した。かすかに恥辱の炎が胸の奥で揺らいだが、無視できるレベルだった。
「あいつらはお前の好きにして構わん。殺すなり犯すなり、なんなら食っても構わんぞ」
冗談のつもりで、食っても構わんと口にした白仮面だったが、すぐに口元に浮かべた皮肉の笑みを凍らせた。食ってもいい。その言葉を聞いた途端、男達の口元には卑しい笑みと、淫らさを交えた飢えが滴らせる唾液に溢れていた。
白仮面は知らない。その男達が浪蘭幻十の手によって改造され、半妖物化した元人間たちだとは。
ギーシュとタバサとキュルケは知らない。自分達の相手が、この世のものからこの世ならざるものへと変えられた人間であると。
そして、男達はゆっくりと、傭兵達を蹴散らすキュルケ達へと向かって歩き出した。月と星の光が落とす影は、白仮面や傭兵達のモノよりも黒く、そして邪悪に見えた。
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