「鋼の使い魔-43」(2009/06/07 (日) 19:36:57) の最新版変更点
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神聖アルビオン共和国、嘗てのアルビオン王国の王都ロンディウムの宮殿に設えられた地下室の一室に、ランプの光とは明らかに違う発光が、閉じきられた扉より漏れていた。
古の大神殿も斯くやという広い場所であった。一面の石畳に、巨大な柱が等間隔で聳えていて、高い天井を貫いて地上の旧王城を支えているのだった。
その巨大な地下空間を、淡い緑色の発光が満たしている。発光源らしきものは石畳の上に立てられた一本の柱だった。
それは他の柱よりも低く、細く、ちょうど人一人が中に入れる程度しかない。その柱が今、液体の揺れる音を漏らしながら、不気味な発光を続けていた。
その傍では、ローブに身を包んだ人物が柱の根元に寄り添い、柱から張り出した石碑を規則的になぞっていた。
不思議なことに、ローブの者が石碑の上で文字をなぞるごとに、柱の発光は波をつけて強弱し、それは次第に早鐘打つ心臓のように激しくなっていった。
やがてローブの者…この城の現在の主である、アルビオン共和国皇帝クロムウェルから『シェフィールド』と呼ばれている女性が、石碑の字をなぞり切ると、発光していた柱に切れ目が走った。そしてその切れ目から、人の嫌悪を誘う異臭漂う液体が噴出した。液体の噴出圧力が切れ目を大きくしていく。
柱一杯に走っていった切れ目が最後、氷が砕けるような音とともに割れた。それとともに柱の『内側』より、ドロドロとした液体と、それに包まれた人の形をした何かが、ぐたりと石畳に広がった。
「アアァッ…アッ…アアァッ…」
ドロドロの人形が聞くにおぞましい声を上げて石畳の上をのたうった。傍らに立つシェフィールドはそれを暫く見守っていたが、その後人形に布切れを投げつけた。
「身体を拭きなさい。それくらいの知恵はついているはずよ」
人形がその声に反応して震え、やがて吐き出す声が徐々にだが、人の声らしきものに聞こえるようになっていく。
人形が布切れに噛み付くように顔を擦り付ける。粘液がこそぎ落ち、そこから整った顔が現れた。まだ眉や髪の生えそろわないながら、わずかな毛髪は金色のものだ。
「あ゛ぁ…ぼぐ…はぁ……いったい……」
たどたどしい発音だが、知るものがいるならば、その声が嘗ての人物を思わせるものである事を認めただろう。生えそろわない歯が唇から覗き、目は地下空間の深遠を惑っていた。
・・・・・
「おめでとう。貴方は生まれ変わったのよ。ウェールズ」
シェフィールドは冷ややかに、粘液に塗れたモノに語りかけるのだった。
『The servant of steel 2nd season/前夜篇』
『王命拝命』
アンリエッタはその日も、執務と謁見を精力的にこなしていた。
杖、冠、そしてマントを継承して正式にトリステインの国主として即位したのがすでに2週間ほど前。
女王となって最初に彼女がしたのは、トリステイン全国土を対象とした再検地であった。
王政府の手元にあった土地の情報は毎年の徴税結果のみが更新され、細かい部分については情報の精度がまちまちで、酷いものでは先々代から更新していない、というものまであった。
王の交代を期に推し進めてしまおう、というマザリーニの献策だった。
そして現在は即位の挨拶と同時に手ずから検地の報告にやってくる貴族を相手にしつつ、軍の再建に向けて八法を尽くしているのだった。
今日もアンリエッタは朝起きると身支度をさせて、朝食の前に前夜に届けられた百官の報告に目を通し直し、朝食の後執務をこなしてから昼食を過して、現在に至る。
謁見に参った貴族達はまず最初に、アンリエッタの放つ雰囲気に驚く。
トリステインの白百合と、まさに蝶よ花よと歌われた可憐な娘が、転じて女王となったことから、さぞかしかわいらしい王になったのだろうと思って顔を合せれば、氷の彫像のような厳しい空気を纏って玉座に鎮座しているのである。
そこで面食らってしまえば、謁見の名を借りたアンリエッタからの質疑応答を、満足に自分の益するところに持っていけず、言わなくてもいいようなことまで言ってしまう。
謁見を済ませて帰る頃には一張羅をよれよれにして去っていくというのが、ここ暫く王宮に勤める侍従下男の間での物見種だった。
「やはりお前の想像通り、目方が幾分か目減りしているようね」
ある貴族の謁見を済ませて小休止している中で、アンリエッタはマザリーニに言った。
「むしろ予想より目減りが少ない分僥倖と言えましょう。王領の耕作面増加の件、干拓の再計画を合せれば、翌年の歳入は幾分か増える見通しになるでしょうな」
小休止の間も二人は今日の分の文書に目を通していた。そうでなくてもやることは多いのだから。
例えばゲルマニアとの軍事協約。嫁入りを条件としていたが、タルブ戦役の戦果に合せてアンリエッタが即位することから先の条件はお流れになったが、その代わりトリステイン国内におけるゲルマニア利権を部分的に認めることで協約は固まった。例えば塩や砂糖などの関税に関するモノ、空白となったトリステイン空軍の穴を埋めるためにゲルマニアの艦隊を派遣すること、その際の費用の多くをトリステイン側が負担する事、などなど…。
例えばトリステイン空軍の再建。トリステイン国内の造船所だけでは足りないので、ゲルマニア、ガリアに注文すると共に、造船を含めた建造業、製造業を集積させた区画を王領の一つに作る計画を立てた。成功すれば1級戦列艦クラスの風石船が作れる造船所と、それを自由に飛ばせるだけの風石が用意できる精製所が出来上がるだろう。
小休止を済ませたアンリエッタとマザリーニを前に、謁見待合室付の文官が書き付けた帳面を広げて伝えた。
「次の者はラ・ヴァリエール公爵家三女ルイズ・フランソワーズになります。陛下に…返却したい御物があるとのことです」
口はばかるように文官が言葉端を濁らせたが、それとは別にアンリエッタの表情が初めて揺れた。
「ここへ」
やがて文官の響く声と共に一人の少女が謁見室に通された。
貴族の証でもあるメイジ特有のマントを帯び、その下にはトリステイン魔法学院の制服を清楚に着こなしていた。
何より目を引くのは雲のように波立つチェリーブロンドの髪だ。表情は大きな目を伏せがちに臣下の礼をとって傅いている。
「ルイズ・フランソワーズにございます。陛下の御即位を重ねてお祝い申し上げます」
以前であれば互いにもう少し砕けた空気で接し合えたのだろうが、事情はめまぐるしく変わってしまった。
アンリエッタは深窓の有閑な姫君から厳格なる女王へと、自分から進み出たのだから。そう思うと以前と同じように友人と語らえないのか、と複雑な思いも浮かぶのであった。
一方下座のルイズは静かに拝礼したままアンリエッタの言葉を待っていた。一見してアンリエッタには、ルイズは以前と変わりないように見えた。
実はそれは、大きな間違いであるのだが…。
ふと、アンリエッタはルイズの後に控える大柄の影を見た。確か、ルイズの使い魔になったとかいう男のはずだ。
こちらも以前と変わらず、平服に剣を吊る為の帯を巻いている。当然謁見室に武器を持ち込ませるわけもなく、帯の中に剣は挿されていない。
その代わり、男の傍らには更紗に覆われたなにやら包みが用意されていた。
あれは何かと疑問を置きつつも、アンリエッタは答えた。
「先の戦役の最中に逐電したと聞きましたが健在と見て何より」
「はい。…つきましては、陛下よりお預かりしていた物を返却したく、参上しました次第」
こちらを、とルイズは控えている男を促した。
促された男は包みを盆に置いて持ち、アンリエッタの前に指し示した。するとアンリエッタの側に控えていた文官が進み出て包みを開く。
開かれた包みの中には一冊の色褪せた書物が収まっていた。木板に皮を打ち、金色の文字で表紙が飾られている。
それは人に『始祖の祈祷書』と呼ばれている。
世に数多ある「始祖ブリミルの言行を記録した」と称する祈祷書のうち、トリステイン王国所蔵の祈祷書はブリミル信仰の総本山ロマリアが認める世界最古のものだ。
だが、その中身が一切の文字なき白紙の本であることはよく知られている。研究者の中には真の信仰に目覚めたもののみにその文章が浮かび上がるのだ、とか、王族がその危機に瀕した時、始祖の威光を世界に降臨させる義務を負った時に自ずからと理解できるのだ、など諸説あるが、事の真相はロマリアの長である歴代の法王以外知る事はない。
アンリエッタは祈祷書の載せられた盆を認めると、文官が盆を受け取り奥へと下がっていった。
「確かに受け取りました。学業の合間に足労をかけました」
「勿体無いお言葉にございます」
果たしてルイズの声はわずかに震えていた。アンリエッタはそんな親友の様に申し訳ないような気持ちさえした。
思えばせっかく、婚礼の巫女役に叙したのに、自分が王になったことで有耶無耶になってしまった。
「…陛下」
つかの間の沈黙を破ったのは控えていたマザリーニだ。玉座に寄り、アンリエッタに何やら耳打ちをする。大またで五歩は距離があり、ルイズの耳には何を言っているのか聞こえなかった。
しかしアンリエッタはマザリーニの言葉を受けて俄に驚きと感心を顔に浮かべると、軽く手を振ってマザリーニを下がらせた。
「ルイズ・フランソワーズ。汝に一両日、王都への滞在を命じます」
「は……?」
言われたルイズは礼を抑えながらも意味が飲み込めない様子で聞き返した。
「明日、今日と同じ時間に王宮へ参上するように。魔法学院へは早馬をこちらから飛ばすのでそのまま下がってもよろしい」
「は…」
よく分からないまま、ルイズは退室の口上を述べて、使い魔の男と共に謁見室を出て行った。
「預かってもらっていたものを返してもらいたいのだが」
ギュスターヴは王宮の門衛が詰めている小部屋に寄って、休んでいた兵士に声をかけた。
「ちょっと待ってな」
兵士は面倒くさそうに立ち上がると、机に置かれた帳面と棚を往復する。暫くして、兵士は二振りの剣を持って戻ってきた。
一本は片刃の長剣、一方は両刃らしき石で出来た剣だ。どちらも立派な刀身を持っている。ただ、石で出来た物は、鞘を持たないのか裸に布を巻いた姿になっている。
「こいつでいいのかい」
「助かる」
ギュスターヴは剣を受け取ると、財布の紐をあけて銀貨を一枚、机に置いた。
「世話賃だ。取っておいてくれ」
応対した兵士が口笛を吹いて銀貨を指で遊ばせていた。
王宮の門前は整備され石畳に覆われた街道の交差点の一つであり、他方巨大な広場としての性格も持っている。
昼間はちょっとした露天や大道芸人が起っていて賑やかしい。
そんな中でルイズは置かれたベンチの一つに腰掛けていたのだが、謁見室で見せていた姿と少しばかり様子が変わっている。
華奢な身体に合わせた魔法学院の制服とマントはそのままだが、その上から武器を吊るための革帯を、背中から腰にかけて袈裟懸けに締めているのだ。
その目は暫くの間王宮の門を眺めていたのだが、門からギュスターヴが出てくると、その姿を目で追った。
「おかえり。さ、私の剣を返して頂戴」
挨拶もそこそこにルイズはギュスターヴに手を差し出し、ギュスターヴも何も言わずルイズに石の剣―ファイアブランド―を渡した。
填められた『水のルビー』に反応してファイアブランドの刀身が一瞬色づいたが、すぐに元の白い姿に戻った。
ルイズは今日、ただアンリエッタに祈祷書を返しに来たわけではなかった。
タルブの夜空に誓ったあの日以来、ルイズには公に出来ない秘密が生まれた。ハルケギニアの魔法体系を外れ、ギュスターヴの故郷『サンダイル』からやってきたアニマの術を習得するという大願である。
それは貴族社会の保守に位置するべきルイズの在り様にとっては、まさに劇薬のような決断だった。
しかし、ルイズはアニマの術を得るという道を辿る決意をしたが、また貴族としての精神を棄てたわけではない。
系統魔法に拘泥するようなことをしなくなったということだが、それを表明しても世間は理解してくれないだろう。
まして、貴族社会の頂点である王国の主であれば、たとえ旧来の友人でも、明かすことは出来ない。
ルイズは今日、アンリエッタの前で自らを『ハルケギニアの一貴族』として欺いたのだった。
そして、欺いたることがもう一つ…。
「さて、王都に一日いることになっちゃったけど、これからどうしようかしらね。『練習』は出来そうにないし…」
ギュスターヴとルイズはならんでブリトンネ街を歩いた。戦勝の気分がいまだ抜けないと見て、商店は活気がある。
「寄りたいところがいくつかあるんだがな。…ついでに宿の手配もやってもらおう」
貴族のマントに剣を背負ったルイズは人目をいくらか引いているが、それに共するギュスターヴは気にも留めずに歩いていた。
「例の『百貨店』って店かい?戦の後帰りに寄ったきりだねー」
軽口を叩いたのはギュスターヴの腰に吊られた長剣デルフリンガーだ。彼は始祖の時代から存在する意思ある魔剣『インテリジェンスソード』の一種である。
「そうね、…まだ別邸にはちょっと顔出しづらいし。でもギュスターヴ。言っとくけど平民が使うようなやっすい宿には行かないわよ。そうねぇ、トリスタニア・インのブランスイートくらいは取ってもらわないと」
「善処はしよう」
苦い顔をしてギュスターヴは可憐でわがままな主人と共にブリトンネ街を行く。
『ギュスターヴ百貨店』は今日も雑多な人が行き来して盛況の様子だった。ルイズは前回と同じように裏口から百貨店の事務所に入れられた。
「おやこんにちわオーナーとお嬢様。今日は訪問の予定は聞いてなかったですけど、何か御用ですか」
すっかり女主人が板についたジェシカが机越しに応対し、テーブルとソファに招いた。
「邪魔するわ」
ルイズは当然のように上座に座った。
「いくつか仕事を頼みたい。とりあえず今日の宿を頼む。あと、前に頼んでいた物をここに持ってきてくれ」
はいよ、と元気に答えたジェシカはまず下働きの男に書付を渡して宿を取りに行かせ、次に自らは腰に引っ掛けてある大きな鍵束を取り出すと、机の下にもぐりこんでごそごそと何かをし始めた。
ルイズは何事かしらと思いながらも、テーブルに置かれた焼き菓子をつまみながらぼんやりと事務所の風景を眺めていた。
ルイズはタルブから学院に帰還する時、一時期この百貨店に潜伏していたのだ。
考えてみればルイズはヴァリエールの別邸でメイドを一人昏倒させ、学院でもコルベールに対して同様の状態に陥らせた上で逃走したのだから。
まずジェシカが百貨店運営で拡げた人員網を使い、ヴァリエール別邸と学院のキュルケ、コルベールに向けて手紙を送った。
「突然の開戦を受けて心身に混乱を来し、自分は周囲の者に甚大な迷惑をこうむった為、暫くの間身を隠す」といった内容で綴られ、続けて「市井が落ち着き次第学院に戻る」と締められていた。
アンリエッタが戴冠した後まで、ルイズは潜伏地から手紙を送り続け、学院には或る日の夕刻頃こっそりと戻った。
帰還した翌日から隣室のキュルケやタバサ、さらにまだ床を離れられなかったコルベールから質問攻めを受け、加えて別邸からエレオノールが飛んできて厳しく詰問と叱咤を浴びせた。
幸いにも父ヴァリエール公爵は政変に忙殺されていた為か仔細に関知できないまま、この事件は一部の人々の記憶に残るのみになったのだった。
ジェシカが机の下の床板を外し、そこに隠してあった金庫の一つを開ける。二人の前に彼女が持ち出したのは鈍色の光沢を持つ金属の箱だった。
「ふーっ。重たいから取り扱うのに苦労するよ」
よいしょ、とテーブルに乗せる音も重々しく、それはルイズの目に映った。
「なにこれ…?」
金属の箱は一切の装飾がない。無規則的な筋彫りが何本か施されているだけで、詳しい寸法は分からないが縦長の直方体であった。
「さて…」
ギュスターヴがやおら、箱の上面に手をかけて力を込めると、筋彫りに添って箱がゆっくりと割れていった。
「ふむ。物を入れても図面どおりに開封できるな」
ギュスターヴは一人満足そうに頷いた。そして割れた箱の中には手のひらに載る程度の大きさの何かが、布に包まれて収まっているようだ。
ルイズはその布に覆われたものを直視すると、肌を舐めるような悪寒と共に、それが何であるのかを理解できた。
「ギュ……ギュスターヴ!それは…」
冷や汗と震えが収まらないルイズを脇に、ギュスターヴは布を半分あけて中身を空気に晒す。そこには無機質だが、どこか怪しげな風情を見るものに感じさせる、石質の卵が収まっていたのだった。
「その箱を作らせるのは結構大変だったんですよ。鉛の板を五枚重ねて、鍵の要らない箱を作ってくれ、なんて言うんだから」
「図面は俺が書いたんだから、後は職人の腕だな。これが作れるのなら、トリスタニアは十分な腕の職工がいると考えていいだろう」
何やら商いの薫りがする話であったが、ルイズは晒された怪異の卵を怯えた目で見ていた。
今こうしてソファに座っているままでも、卵から吸い寄せられるような魅力と古齢の魔獣に睨みつけられているような恐怖が同時に感じられ、とてもじゃないが冷静で居られない。
発汗と動悸、過呼吸と眩暈を俄に感じ始めるルイズだった。
そんなルイズを認めたギュスターヴはすぐに箱を閉じてテーブルから遠ざける。するとルイズは徐々に平静と取り戻して、ギュスターヴに声をかけることができた。
「ギュスターヴ…あれは…」
始祖の祈祷書…だったものよね?
言外に含ませてギュスターヴに聞く。
「…アンリエッタが、返却した品物に気付かなくてよかったな」
ギュスターヴは直接には答えず、事務机に戻っていたジェシカに目を向けた。
「急ぎで二つも品物を用意させて悪かったなジェシカ。代金は俺の蓄えから取っておいてくれ」
「なーに良いってことですよぉ。その箱はともかく白紙の祈祷書はすぐ手に入りましたし」
実にアッケラカンとジェシカは答えた。
ルイズは贋物の『始祖の祈祷書』を用意してもらった時、変化した本物の祈祷書はどこかに打ち棄てられたのだと思っていた。
あんな卵…いや、卵に見える不気味で危険な代物を、お借りした『始祖の祈祷書』ですとアンリエッタに言えるわけもない。
「まさかどこぞに棄てておくわけにも行かなかったからな」
百貨店に遣された宿付の迎え馬車に乗せられたルイズにギュスターヴはそう答えた。
「そ、そうよね。あんなのでも『始祖の祈祷書』だしね?」
本心では存在して欲しくないのだがよくよく考えればたしかに、いつまでも贋物を渡したままでいいはずが無い。恐らくトリステインを取り巻く情勢が安定するまではこのまま秘されてゆくだろう。そしてアンリエッタにこのことを話す時は、自分の在りたい自分でいたいと、ルイズは思った。
馬車はルイズの希望通り『トリスタニア・イン』の手前で止まり、御者の案内で宿に通された。
ノーブルタウン(貴族邸宅街)の一角に営まれる、辺境貴族を相手にした高級宿である『トリスタニア・イン』は廃嫡されたさる有力貴族の大邸宅を改造して作られ、嘗ての主の私室にあたる『ブランスイート』は名にあるように白亜の石で床壁天井が葺かれている。
たった一晩限りとはいえ、ここを借りる事ができるのだから、『百貨店』は相当の財力影響力を身に着けているのだろう。
「露天商の胴元でよくこれだけ用意できるものねぇ」
皮肉気にルイズが聞くと小荷物を下ろしていたギュスターヴが下男にチップを渡し終えて振り向く。
「別の商売もさせてるからな。ジェシカがゲルマニアと商売がしやすくなると言って何隻が船を船員ごと買っていたんじゃないかな」
「船員ごとって、あんまり派手にやると目をつけられるわよ」
「心配ない。念書証紙の類には偽名を書くからな」
「偽名ねぇ…」
いぶかしげなルイズを置いてギュスターヴはそそくさと外出の支度をして出て行こうとした。
「ちょっと、どこいくのよ?」
「寄りたいところがあるって言っただろう?」
行ってくる、と振り返ることもなく、ギュスターヴは部屋から飛び出していってしまった。広い部屋にひとり残されたルイズは、地団駄を踏んで叫んだ。
「もう!主人の相手くらいしなさいってのー!」
吊り下げられたランタンの明かりしかない、薄暗い店舗だった。煤けた壁にはいかつい造形の斧や槍が引っ掛けられ、隅の樽には使い古したような剣が束になって突っ込んであり、その脇には箍のさび付いた大小の盾が並べてあった。メイジが使うような杖は置いていない。あれは専門の店があるからだ。また所謂銃の類も見かけなかった。このようなうらぶれた武器屋では置いてあっても買い手がいないからだ。
そんな店にギュスターヴがやってきたのは、今日で二回目になる。前に来たときは、ルイズに連れられてきたことを思い出す。その時に、今腰に下がっている陽気な魔剣と出会ったのだった。
「いらっしゃい…なんだ。いつだかの」
「その時には世話になったな」
愛想よく返事を返すと店主は渋面でギュスターヴを見返した。デルフを買った時にしなくてもいい賭けを受けて損をした事を、どうやらまだ覚えていたようだった。
「悪いがうちは返品は受け付けてないんだ。そのぼろを突っ返しに来たのなら出て行ってもらうぜ」
無造作に壁に掛かった片手斧を取り上げて布で拭きつつも、いかにも胡乱な剣幕で見上げる店主に、ギュスターヴは懐から金貨の詰まった袋を取り出して何気なくカウンターに置く。
「買い物に来たんだが時間が悪かったかな?」
カウンターに肘を着いて、ニヤリと笑ってやると、店主は顔色を変え咳払いを一つし、手の物を元に戻して話し始めた。
「いらっしゃいませお客様、うちで何を用立てましょうか」
媚を浮かせながら目配せする店主を、内心で辟易しつつもギュスターヴは腕を組んで鷹揚に答えた。
「古剣を5,6本、纏めて見繕ってくれ。刃の欠けたようなぼろでいいんだが」
「……あいよ、ちょいとお待ち」
注文を聞いた途端店主は気分を悪くした声で答え、店隅の樽から適当に剣を選び始めた。
「儲け話じゃなさそうで残念だったな親父」
「なーに気にすんなよ相棒、親父がタメはるにゃあんたの目利はよすぎらーな」
「ちったぁ黙ってろこのくそ剣が!…ほらよ、どれも錆の効いた奴だが負けといて七本にしといてやるよ」
店主が一抱えの剣をカウンターに乗せる。悪態をつきながらも商品を突きつけるだけの理性は残っていたようだ。
「じゃあそれを…この書付先の荷運び屋に送ってくれ。手間賃が欲しいなら、幾らか出せるが…」
紙切れを渡された店主は憮然としながらも手元から紙片とインク壷を取り出して何かを書き込み、縄で剣の束を縛り付けて紙切れを挟んだ。
「手間賃は要らんよ。その代わりもう二度とうちの敷居をまたがんでくれ」
「善処しよう。じゃあな」
「あばよ親父、長生きしろよ」
「うっせぇ!さっさと出て行け!」
悪態と呪詛を吐き散らすのを背中に受けながらギュスターヴとデルフは店を後にするのだった。
翌日。今日もトリスタニアは昨日と続いて晴天。空気は澄み、陽も暖かだ。
先日と同じく、武具の類を預けたルイズとギュスターヴは控え室のソファに座り、係官からの声を待っていた。不機嫌な空気を漂わせ、毛足の長い敷物の上でルイズの足がパタパタと揺れている。あまり行儀のいい振る舞いではないが、控え室にいるのは二人だけなので気にしてないのかもしれない。
対面するように座っていたギュスターヴは一方、丸腰ながら静かに腕を組み、眠っているように動かないでいたのだが、ルイズの直らない機嫌に少し困った声を上げた。
「いい加減機嫌を直してくれないか?その顔を女王に見せるつもりか?」
「機嫌なんて悪くないわよ」
嘘だ。ルイズは昨日、部屋に一人残されてギュスターヴが出掛けてしまい、自分の相手をしなかったのを怒っているのであるから。
「…分かった。お前は機嫌は悪くない。だがもう一度言うけど、その顔を親友で、主君のアンリエッタ王女に見せるのか?」
そう聞いて、ルイズは年嵩に合わぬ深いため息をうなだれながら吐いた。
「…帰ったらみっちり稽古に付き合ってもらうわよ」
「ああいいとも。帰る前に好きなベリーのパイをご馳走してもいい」
「なら、いいわ」
話の途切れた頃合に係官から呼び出しを受け、二人は謁見室に向かった。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。右の者を女王アンリエッタの専属女官とする」
謁見室に通され、形式上の挨拶を互いに済ませると、アンリエッタは次の文章を傍に控えたマザリーニに読ませた。
「また、先の任命に際し、以下の物を授ける。一、アンリエッタの署名により発行せし、関所の無審査通行、公機関利用、警察権による公人の捕縛権を貸与する書類。この許可証に記載されし諸権を行使せし時は逐次この許可証を提示し、自らの行動をアンリエッタの名の元に行うものであることを宣誓するものである」
それを聞くルイズも、その後にいたギュスターヴも、予想だにしていなかった発言にただ呆然として、マザリーニの朗読を聞いていた。
「聞いたとおりです、ルイズ。貴方には私専属の女官になっていただきます。といっても、それも形式上のことで、実際には私に直接情報を流す諜報員のようなことをしてもらうつもりですが」
マザリーニを下がらせてアンリエッタはそう話した。
「…陛下。過分な任命には痛み入ります。しかし僭越ながら、私には荷の重いお役目かと存じます」
何とか吐き出すようにルイズが答えると、アンリエッタはふぅ、と年相応に息をついてから、身を軽く玉座から立ち上がった。
「陛下?」
そしてルイズの伏する下まで続く段をゆっくりと降り、ルイズを立ち上がらせた。
「立って、ルイズ。これは貴方へのせめてもの償い。私の決断が多くの人を動かしてしまったことはもう仕様が無いから…」
「姫様…」
シルクに包まれた指先がルイズの手を包み、アンリエッタは昨日見せてくれなかった、見慣れた暖かな微笑みを浮かべていた。
「人は貴方を魔法の使えぬゼロと嘲るかもしれないけれど、私は貴方を大切に思っています。それにね…」
と、アンリエッタは一瞬だけ視線を外して続ける。
「正直なところ、情報を集める手駒が足りないの。それも他の官吏を通さないで集められるものが。だからルイズ、貴方にもこの国のために働いてもらいたいのよ。…困るなんていっても無駄よ。もう書類は通したから、貴方には働いてもらうわ」
つまりルイズの有無を言わさず、アンリエッタの従僕として動けと言っているのである。
傍で聞いていたギュスターヴはルイズの様子を窺った。果たしてなんと答えるのか。以前のように感情的に返事をするかもしれないと、思った。
ルイズはアンリエッタの手を解き、そしてすぅっと微笑んだ。アンリエッタはその眼を見て一瞬、胸が跳ねる様な緊張を感じたのだ。炎の塊を覗き込むような熱気を錯覚した気がした。
「姫様は、即位されてから人の使い方を覚えられたようで、私は嬉しく思いますわ。…不肖ルイズ・フランソワーズ。微力ながら、陛下の政に尽くさせていただきます」
学院へと戻るルイズとギュスターヴは、馬首を並べて街道を進んでいた。太陽が徐々に沈む兆候を見せて、空は蒼い中にほんの僅かに赤いものを混じらせて、小魚形の雲が縞模様を作っていた。
「なぁ、ルイズ」
「なによ」
見渡す街道は起伏にうねっているので、鞍の上のルイズの髪や、背中に括ってあるファイア・ブランドの揺れ動くのが横目に見える。
「結局お前は、アンリエッタの影になるつもりなんだなと、思ってな…」
「そんなつもりはない…とは、言わないけど。外道でも私はトリステインの貴族よ。国のために大命を下されたと思えば誇りにもなるわ」
「公に出来ないとしてもか?」
問われてルイズはしばし沈黙した。軽快な馬の足音が聞こえる。
「私が使い棄てられる可能性はあるでしょうね。もっとも、その時は全力で抵抗するわ。トリステインの貴族としては納得できるけど、『私』としては納得できないから」
不遜な物言いだ。以前のルイズなら出る事のない言葉だろう。ギュスターヴはそれを聞いてどこか安心した。
「向こうっ気が強いな。いっその事簒奪でもしてみろ」
「何馬鹿なこと言ってるのよ」
ギュスターヴの提案にルイズは心底馬鹿にしたような風情で答えたが、ギュスターヴは呵呵と笑った。
「良いじゃないか別に。言うだけなら只だ。そうだな…俺ならまず、王宮の向かい側に立ってる偉そうな建物を吹っ飛ばしてだな…」
「下手な所で言ったら不敬につき手討ちにされるわよ」
口の軽いギュスターヴを見て、ルイズはなんとも居心地を悪くするのだった。因みに、トリスタニア王宮の正面には、トリステインで最も大きなブリミル信仰の寺院が立っている。王都に住むあらゆる階層の民草は勿論、トリステイン各地から寄進と財貨の集まり、信仰と教育を広めている。
「ふざけてないで飛ばすわよ。日が暮れる前に学院に入りたいわ」
「まったく、忙しい娘だ…」
ぼやきの出るギュスターヴを置いて、ルイズの馬が歩速を上げる。
ギュスターヴも不慣れながらに馬に活を入れ、それを追う様に駆け出していった。
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