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#navi(虚無のパズル)
トリステインの城下町、ブルドンネ街では派手に戦勝記念のパレードが行われていた。
聖獣ユニコーンに引かれた王女アンリエッタの馬車を先頭に、高名な貴族たちの馬車があとに続く。そのまわりを魔法衛士隊が警護を務めている。
狭い通路にはいっぱいに観衆が詰めかけている。通り沿いの建物の窓や、屋上屋、屋根の上にまで人はあふれ、口々に歓声を投げかけた。
「アンリエッタ王女万歳!」
「トリステイン万歳!」
観衆たちの熱狂も、もっともである。なにせ王女アンリエッタが率いたトリステイン軍は先日、不可侵条約を無視して進行してきたアルビオンの軍勢を、見事返り討ちにしてみせたのである。
数で勝る敵軍を破った王女アンリエッタの人気はうなぎ登りであった。
この民衆の支持を受け、アンリエッタは女王への即位を決意する。これには枢機卿マザリーニを筆頭に、ほとんどの宮廷貴族や大臣たちが賛同していた。
戦勝記念のパレードが終わり次第、アンリエッタの戴冠式が執り行われる。母である太閤マリアンヌから、王冠を受け渡される運びなのである。
枢機卿マザリーニはアンリエッタの隣で、にこやかな笑顔を浮かべていた。ここ十年は見せたことのない、屈託のない笑みである。
馬車の窓を開け放ち、街路を埋め尽くす観衆の声援に、手を振って応えている。
マザリーニは平時、いまいち平民に人気がないのだが、しかし観衆は熱狂したようすでマザリーニに歓声を投げかけた。
おまけに、驚くなかれ!なんと「マザリーニ枢機卿万歳!」との声も上がったのである。
マザリーニはその万歳に、強く手を振って答えた。
つまるところ、トリステインの国民は全員浮かれていたのであった。
マザリーニの隣で控えめに手を振っていたアンリエッタは、こほんと小さく咳払いをした。
「枢機卿、はしゃぎすぎではございませぬか」
「やや、これはお恥ずかしい。この老骨、このように晴れやかな心持ちは久しく感じておりませなんだので、つい浮かれてしもうたようですな」
マザリーニは少し恥じいったようすで、頬を掻いた。
彼は自分の左右の方に載った二つの重石が、軽くなったことを素直に喜んでいた。内政と外交、二つの重石である。
その二つをアンリエッタに任せ、自分は相談役として退こうと考えていた。
アンリエッタの戴冠は、いまや全ての国民が望むことである。
民も、貴族も、同盟国も……、
あの強大なアルビオンを打ち破った強い王を、女王の即位を望んでいるのである。
アンリエッタもそれを理解し戴冠を決意したのだが、やはり不安が胸に巣くっていた。
あの勝利は……、自分を玉座に押し上げることになったタルブでの勝利は、己の指導力ではなく、経験豊かな将軍やマザリーニの機知のおかげだ。
自分はただ、率いていた、それだけにすぎない。
そんな自分に女王が務まるのだろうか?そう考えてしまうと、不安がもやもやと大きくなっていく。
一人ではだめだ。
味方が必要だ。
優秀で、絶対の信頼の置ける手駒が。
「枢機卿。例の件ですが、調査はどうなっていますか」
マザリーニはその言葉を聞くと急に真顔になって、羊皮紙の束を取り出した。アンリエッタはそれを受け取り、目を通す。
それは、捕虜たちの尋問に当たった一騎士が記した報告書であった。
アルビオンの艦隊の護衛に当たっていた、竜騎士たちの話が書いてあった。
報告書はほとんどが、タルブの上空に降臨した『神』についての話であった。
『神』の降臨のあとに現れた輝く光の玉は、見る間に巨大に膨れ上がり、アルビオンの艦隊を飲み込んだ。
その光は艦隊を炎上させたのみならず、積んでいた『風石』を消滅させ、進路を地面へと向けさせた。
そして何より驚くべきことは……、その光は誰一人として殺さなかったことである。光は艦を破壊したものの、人体にはなんの影響も与えなかった。
そんなわけで、なんとか操艦の自由が残った艦隊は地面に滑り落ちることができた。
火災で怪我人は出たものの、不時着での死者は発生していない。
敵艦隊旗艦『レキシントン』号艦長ボーウッドは、「あれこそ神の奇跡の光だ」と語ったという。
神の力を目の当たりにしたボーウッドは、その神聖にすっかり感じ入ってしまったようで、軍人の廃業を決意していた。
なんなら杖を捨て、出家して、パイ神教に改宗するのもいいかもしれない、とさえ語っていた。
なにしろ本物の神を見てしまったのだから。
艦隊司令官のジョンストンは、沈みゆく旗艦『レキシントン』号をトリステインの軍勢に向け落とそうとしたが、それもまた強力な魔法により破壊されてしまった。
これはアンリエッタにも覚えがあった。
敵旗艦の特攻に軍勢が混乱する中、アンリエッタの前に突然現れた少女が、凄まじい威力の魔法を艦に放ったのだった。
戦闘が終わって、その少女の姿を探したが、どこにも見つからなかった。
アンリエッタはその少女のことが少し気がかりになっていた。そのうちにマザリーニに調査を頼もうかと考えていた。
しかし今アンリエッタが注目しているのは、『神』に関する報告や、強力な魔法を使う少女のメイジのことではなく、神の降臨の前後、アルビオンの竜騎士隊に立ち向かった一騎の竜騎兵の話であった。
敏捷に飛び回り、不思議な魔法攻撃を用いて竜騎士隊を苦しめた、と、その竜騎兵に撃墜されたアルビオンの騎士は語っていた。
さらにその竜騎兵は背に巫女を乗せていたというが、そのような竜騎兵はトリステイン軍には存在しないはずである。
次いでアンリエッタは、もう一つの報告書に目を通した。
それは、ルネという竜騎士見習いの少年の記した報告書であった。
このルネ少年こそが、戦地に颯爽と現れ、アルビオンの竜騎士に立ち向かった竜騎兵であるという。
報告書は興奮気味の文体で、アルビオンの竜騎士相手の大立ち回りのようすが、少し大げさに書かれていた。
ルネ少年は巫女装束を纏ったメイジの女……、『聖女』を連れて竜を駆り、アルビオンの竜騎士に立ち向かったという。
ここで彼女を『聖女』と呼ぶことを許してほしい、とルネは記していた。
なぜならば、あの敵艦隊を吹き飛ばした光は彼女によるものなのだから。そしてそれこそは、まぎれもなく神の力なのだから。
彼女のもとに神は降臨し、彼女は神の導きを得た。そしてトリステインを勝利に導いたのだ。
彼女の起こした奇跡は、あの光だけではないという。
いわく、無数の幻をつくり出し敵を混乱せしめた。
いわく、荒れ狂うスクウェアスペルの竜巻を一瞬で跡形もなく消し飛ばした。
アンリエッタは目を細めた。
そのような芸当は、『火』にも『水』にも、『土』にも『風』にもできるものではない。
系統魔法では、そこまでの奇跡は起こせない。
「神の力。それすなわち『虚無』の力」
もっとも今回降臨したのはパイの神様なのだが……、まあ、神に変わりはないので、すなわちその力は神の御技たる『虚無』と思っていいだろう。
ふわっとサクサクのパイと『虚無』にいったいどんな関係があるのかはこの際考えないことにしておく。
報告書の最後には、『聖女』の名前が記されていた。
竜騎士とともに戦場に立ち、神の導きを得、トリステインを勝利に導いたその聖女の名は。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
アンリエッタは小さく呟いた。
「ルイズ……、あなたなの?あなたが……、『虚無』の力を得たというの?」
さて一方、こちらは魔法学院。
戦勝で湧く城下町とは別に、一見いつもと変わらぬ雰囲気の日常が続いていた。
タルブでの王軍の勝利を祝う辞が朝食の際にオスマン氏の口から出たものの、他には取り立てて特別なことも行われなかった。
やはり学び舎であるからして、一応政治とは無縁なのであるし、ハルケギニアの貴族にとって、戦争はある意味年中行事である。
いつもどこかとどこかが小競り合いを行っている。始まれば騒ぎもするが、戦況が落ち着いたらいつものごとくである。
しかし、今回のような大きな戦争は、久しくなかったことだ。トリステインは再度のアルビオン侵攻を警戒し、軍の再編を急いでいる。
学院は一見のんびりした雰囲気であったが、生徒たちの間には、どこか不安げな空気が漂ってもいた。
四人の僕を従えて、我はかの地を目指しゆく。
神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる。
神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。
神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す。
そして最後にもう一人……。記すことすらはばかれる……。
「なにその詩」
アクアは尋ねた。
その声に、『始祖の祈祷書』を眺めてぶつぶつ言っているルイズは顔を上げた。
ここは学院の、ルイズの居室である。部屋の机には、図書館から借りてきた文献が山と積まれている。
アルビオン軍との戦闘が終わったあと、ルイズとルネはアルビオン軍をやっつけた英雄と村人たちにあがめられた。
特にパイ神の加護を受けたルイズなど、まさに神のごとく持ち上げられ、祭壇に祭り上げられた。
宴は七日七晩続き、さすがに見かねたシエスタの手によってようやく解放され、ルイズとアクアは学院に戻ってきたのだった。
「ああ、そういやルイズ、結婚式の詔を詠むとかいってたっけ。あんたが考えたの、それ」
「ばかね、ちがうわよ。姫さまは今や女王陛下なのよ。ゲルマニアとの婚約なんてとっくに解消されたわ。結婚式もなしよ」
婚約解消にゲルマニアは渋い顔をしたが、一国にてアルビオンの侵攻軍を打ち破ったトリステインに、強硬な態度が示せるはずもない。
ましてや同盟の解消など論外である。アルビオンの脅威に怯えるゲルマニアにとって、今やトリステインはなくてはならぬ強国である。
「パイ神様が降りてきた時にね、わたしの頭にこの詩が浮かんできたの。始祖の従えた使い魔を詠った詩……、始祖ブリミルの詩よ」
「始祖の従えた使い魔?」
「そう、伝説の使い魔よ。例えばこれ、『ヴィンダールヴ』」
ルイズは、机の上の始祖ブリミルに関する文献を一冊取り出し、開いて指でページを指し示す。
「あんたのことよ、アクア。あんたの右手に刻まれたルーンは『ヴィンダールヴ』と同じものなの」
「ふうん。そういやあのじじいがそんなこと言ってたっけ」
アクアは『禁断の鍵』を取り戻したその日、オスマン氏の語ったことを思い出した。
それを聞いたのはティトォなのだが、アクアたち三人は記憶を共有しているのであった。
「『ヴィンダールヴ』はあらゆる幻獣を従え、始祖ブリミルをあらゆる場所へと運んだらしいけど……、あんた、心当たりある?」
「そういえば……」
ハルケギニアに来てからというもの、やたらと動物に懐かれていた。
もともとアクアは動物好きなので喜んでいたが、どうやらそれは『ヴィンダールヴ』のルーンの能力であったようだ。
アクアは自分の右手のルーンをしげしげと眺めた。
「他にも、ティトォの額のルーンは『ミョズニトニルン』のものだったわ。『ミョズニトニルン』はあらゆるマジックアイテムを使いこなす能力を持っていたそうだけど……、
これはわたしに覚えがあるわ。ティトォは学院の秘宝で、誰にも使えなかったマジックアイテム『禁断の鍵』を使ってみせたことがあった」
「ふーん。ティトォもそうなんだ。すごいじゃん、伝説のバーゲンセールだねこりゃ」
くあ、とアクアは大きなあくびをかました。だんだんルイズの話に興味を失っているようだった。
「……あんたね、もう少し真面目にできないの」
「だってあたし、この世界の人間じゃないし。あんたらの伝説なんて知らんもんね」
ごーろごーろ、とアクアはルイズのベッドの上を転がった。
ルイズはなんだか頭痛がしてきた。
こめかみを抑えながら、辛抱強い声で話を続ける。
「あんたはそれでいいか知んないけどね、わたしにとっては大問題なのよ。わたしが召喚したあんたたちが伝説の使い魔だっていうんなら……、わたしは伝説の系統の使い手ってことよ。『虚無』の担い手なのよ、わたしは」
ルイズはぱたん、と始祖の祈祷書を閉じた。
「ねえアクア、わたしはね、不安なの。伝説の力だなんて、わたしには過ぎた代物よ。今のところ、わたしが『虚無』を使えるようになったことは知られていないけれど、ルネはきっと軍に報告するわ。
ルネはわたしの『虚無』のことを神の奇跡だと思っているみたいだけど、いずれは『虚無』だとばれるわ。お城に知られるのも、時間の問題よ。そうなったらわたし、どうなっちゃうのかしら。
戦時の今、伝説の力を手に入れてしまったわたしは、いったいどうなっちゃうのかしら。そんな非常時なのにあんたって子は!ほんとにまったく、あんたって子は!」
「うーるーさーいーなー、伝説の力の一つや二つでごちゃごちゃ言うんじゃないよ。だいたいね、あたしらだって似たようなもん持ってるっつーの」
ルイズははっとした。
そう、このアクアもまた、望むと望まざるとにかかわらず、不老不死にさせられたのだ。
ルイズは真剣なまなざしで、アクアを見つめる。
「ねえ、アクア。あんたたちは、どうしたの?突然、不死の力を手に入れて……、大きすぎる力を手に入れて、どうやってそれと向き合っていったの?」
アクアは、ベッドからむくりと身体を起こした。
「……ひとりじゃ、無理だ」
アクアはぽつりと呟いた。
「100年前ドーマローラが滅びたとき、あたしたちは不老不死になった。三人の魂を一つの身体に入れて。あたしたちだけが生き残ったんだ。家族も……、友達も……、みんなみんな、失ったんだ。
『ぼくたち』に残されたのは、一本の道だけ。暗闇に覆われ、一筋の光も射さない道。立てるわけがない、進めるわけがない、一歩たりとも」
「アクア……?」
アクアのようすの変化に、ルイズは思わず呟いた。
アクアの栗色の瞳が、黒く色を変えている。吊り上がったその目も、なぜか穏やかさを感じさせる雰囲気に変わっていた。
この目。ティトォの……?
「でも、ぼくはひとりじゃなかった。ぼくら三人が一つの身体になったのは、きっとそのためだったんだ。ひとりじゃとても持てない、前へと進む力。未来へ進む勇気を得るために」
「前へと進む、力……」
「ルイズ、きみの魔法は強力だ。きみを取り巻く環境はいやでも変わる。今までどおりに過ごすことはできなくなるだろうね。でもね、仲間がいればたいがいのことはなんとかなるもんだよ。
別に何をしてくれなくてもいい、信じてくれる、それだけでいい。仲間が、信じてくれることで力を振り絞れる。仲間を想うことで、立ち上がれる。それが仲間の力だと、ぼくは信じる。きみはまず友達を作るといいよ、それが一番だ」
燭台の炎がちらつき、ルイズとアクアの影が揺れた。
「……もっとも、あんたに友達ができればだけどね」
そう言ってアクアは意地悪そうに口の端を吊り上げた。もう、いつものアクアに戻っていた。
真面目な話をしてたのに、やっぱり茶化す!
ルイズは怒ったが、アクアは気にせずけらけら笑った。
ほんとにもう、とルイズはため息をつく。でも、心の中では、ルイズはどこか安心していた。
アクアがいつも通りで。
ルイズが『虚無』に目覚めても、アクアはアクアのままだった。それが、なんとなく嬉しい。
しかし、ルイズの胸には小さなしこりが残っていた。
さっきのアクアの言葉は……、いや、あれはティトォだったのだろうか。あれは、二人のどちらかというよりも、二人の……、いや、三人の言葉のようにも聞こえた。
三人は私に「仲間を作れ」と言っていた。
それなら、あなたたちは?
アクアと、ティトォ、それに、プリセラ……。
あなたたちは……、わたしの仲間にはなってくれないの?
ルイズは大量の本を抱えて、学院の渡り廊下を歩いていた。
そろそろ消灯時間なので、周りに生徒の姿はない。
自分が『虚無』に目覚めたと知って、『虚無』のことを調べるために借りてきた文献を図書館に返しにいくところであった。
これだけたくさん借りてきたのに『虚無』に関して分かったことはほとんどなかった。
「ま、そりゃそーだろ。図書館でちょっと調べて分かるんなら、伝説でもなんでもないさね」
並んで歩くアクアが言った。
もちろん、本を持つのを手伝ってくれているわけではない。ヒマだから付いてきたのだ。
「るっさいわね」
「図書館の本なんかより、あんたの持ってる『始祖の祈祷書』とやらを読んだ方がいいんじゃないの。伝説のあれこれに付いて書いてある本なんでしょ、あれ」
「……読めないのよ」
ルイズは苦々しげに言った。
『始祖の祈祷書』は、一見ただの白紙の書であるが、隠された秘密があった。
虚無の担い手が『五大石の指輪』を嵌めて書を開くと、記された文字が浮かび上がるのである。
『五大石の指輪』とは、トリステインに伝わる『水のルビー』、アルビオンの『風のルビー』、ガリアの『土のルビー』、ロマリアの『火のルビー』。
その四系統のルビーに、何千年もの昔エルフによって奪われた『虚無のルビー』を加えた五つのルビーのことである。
ルイズが『水のルビー』の指輪を嵌め『始祖の祈祷書』を開くと、なるほどそこに文字が浮かび上がった。
しかし、読めたのは『始祖の祈祷書』の内容の、ほんの一部だけだった。
始祖ブリミルによる序文と、タルブ上空でルイズの放った『イリュージョン』、『ディスペル』、そして『エクスプロージョン』の呪文だ。
「なんだ、ケチな話だね。最初っから全部教えてくれりゃいいのに」
「『必要になれば読めるようになる』って書いてあるけど……」
ルイズはタルブの空で、ワルドと戦ったときのことを思い出した。
あのとき、パイ神がルイズのもとに降臨したとき、ルイズには『始祖の祈祷書』の全てのページが読めたのだ。
しかしパイ神が帰ってしまった今、ルイズに読めるのはそのときに使った呪文のページだけなのだった。
こんなことならあのときもっといろいろ呪文を使ってればよかったわね……、とルイズは思った。
「んで、どーにか他のページも読めるようにならないか調べてたってわけ」
「違うわよ。それもあるけど、他にちょっと気になったことがあったの。さっきの詩、覚えてる?」
「ああ、『神の左手、ガンダールヴ~』ってやつ?」
「そうそれ。あの詩も『始祖の祈祷書』に記されてたんだけど……、あれには、続きがあるの」
「続き?」
「パイ神様の力のおかげかどうか分からないけど、なんとなく分かるのよ、あの詩は全体の半分くらいなの。だからなんだか続きが気になっちゃって、調べてみようと思ったんだけど……、
始祖のことを詠った詩は、もう本当に数えきれないくらいあるもんだから、とてもじゃないけど全部調べるのは無理だわ」
ルイズは残念そうに言った。
「必要になれば読めるようになるんだろ。じゃあ今は必要じゃないんだろ」
「そうかもしれないけどね」
ルイズには、どうにも詩の続きが気になって仕方がなかった。
なにか、とても恐ろしいことが記されているような……。
そのとき、ルイズたちの前に人影が立ちふさがった。
ルイズは、何だろう?と身体を斜めにして、手に抱えた本の影から顔を出した。
「あんたは……」
アクアが呟いた。そこにいたのは、禿頭の教師、コルベールだった。
ティトォがアクアに存在変換してからというもの、コルベールの姿を見かけなかった。
七日七晩続いたタルブの宴でも、コルベールの姿は見えなかった。
「よかった、探していたんだよ」
ルイズは怪訝な顔をする。
「なにか御用でしょうか?ミスタ・コルベール」
「いや、ミス・ヴァリエール。わたしが探していたのはきみの隣の、ミス・アクアなのだ」
コルベールはアクアに向かって、にっこりと笑顔を作ってみせた。
「こんばんは、ミス・アクア。考えてみれば、きみとこうして話すのは初めてだね。召喚の儀式の日にもきみのことは見ているが、機会がなかったからね」
「あたしなんの用だい」
「少し聞きたいことがあってね、きみの使う魔法のことだ。四系統の魔法とは微妙に違う理の魔法だ、実に興味深い」
ルイズは不思議に思った。なんで、そんなことをわざわざ今になって?
「それに、ミスタ・ティトォのこと。彼の使う魔法に、わたしは感動したんだ。炎が傷を癒す!素晴らしいことだ。彼とはもっと話がしたい。どこにいるか、分かるかい?そう、例えば……、ミス・アクア。君の身体の中にいるのかな」
ぴくり、とアクアの眉が動く。
ルイズもぎくっとなって、アクアを見た。アクア……、ミスタ・コルベールの目の前で『存在変換』したっていうの?
「彼は死んだ。そして『きみになった』。死ぬ……、死ぬと入れ替わる……?不老不死……、メイジ、魔法使い……、マテリアル・パズル。ティトォ、アクア、プリセラ……、そして……」
「お前は、なんだ。何が目的だ」
アクアは眼光鋭くコルベールを睨みつけた。
「言っただろう、きみと話がしたいんだ。いくつか質問があるけど、かまわないかな」
アクアは答えなかったが、コルベールはかまわずに続けた。
「まずきみは、いや『きみたち』は、本当に不老不死なのか?魔法によって不死になっているのか?」
「その前にこっちの質問に答えてもらうおうか。プリセラのことをどこで知った?確かにティトォは存在変換のとき余計なことをあんたにいろいろしゃべったけどね、プリセラの名前は出さなかったはずだよ」
「オールド・オスマンに尋ねたのさ。もっともオールド・オスマンは口の堅いかただ、それ以上のことは分からなかったよ。さて、それじゃあ続きをいいかな。君の不死の身体についてだが……」
ぱんぱん、とアクアは手を叩いてコルベールの話を打ち切った。
「はい、ここまで。終わりだよ」
コルベールは苦笑する。
「まだ私は、なにも聞いていないよ」
「答えるつもりはないって言ってるんだよ、それ以上は聞くな。もう終わりだよ」
ぞっとするほど冷たい声だった。ルイズは思わず、アクアの顔を見た。
「永遠の命を得るためだったり、興味本位だったり、ろくなやつが近付かないね。これ以上つきまとったら、消すよ」
そう言うとアクアはコルベールの横を通り過ぎた。ルイズはどうしたものか、本を持っておろおろしている。
「不老不死……、未だに人間が手にすることのできない領域だ」
コルベールは呟いた。
「魔法の力をもってしても、永遠の命は得られない。四系統の魔法だけではない、東方の地に住まうエルフの操る先住魔法にも……、始祖の扱ったという伝説の『虚無』にも、不老不死の術はない。
ならば、その不老不死を司る力はなんだ?私には、ひとつ心当たりがある。それこそは、大地の力だ」
アクアはぴたりと足を止めた。
「『五大石のかけら』と呼ばれるものを知っているかな」
「五大石……」
ルイズは思わず、右手に嵌まった『水のルビー』に視線をやった。
「そう、ミス・ヴァリエール。きみがアンリエッタ女王陛下より授かったという、その『水のルビー』こそ五大石の一つだ。五大石は単なる宝石ではない。強大な魔力を内包していると言われている。
そしてその『かけら』もまた強大な魔力を持ち、あらゆる方向のエネルギーとして古来より利用されてきたという」
ルイズはごくりと唾を飲んだ。
「どの系統にも属さぬ魔力を持った五大石の出自は、これまで謎とされてきたが、私はタルブでの研究で一つの仮説を立てた。
それは、五大石とは、このハルケギニアの大地そのものが生み出した魔力の結晶体ではないか、ということだ。ミスタ・ティトォとの研究で、私は『星の樹』による大地のエネルギー循環の仕組みを知った。
しかし『星の樹』が樹としての性質を持っているのなら……、長い年月の間に溜め込んだ大地の魔力を一つにまとめ、まるで木の実のように実らせることがあるのかもしれない。
それこそが五大石なのだろう。大地のエネルギーの結晶体だ」
アクアは眉をひそめ、コルベールを振り返った。
コルベールはにやっと笑う。
「その顔を見ると、あながち私の仮説も的外れというわけではなさそうだね」
チッと、アクアは小さく舌打ちをした。
だから言ったじゃないさ、ティトォのやつ。こういう人間に『星の樹』のことを教えるのはやばいって。
「しかし、五大石の力をもってしても、不老不死を成し遂げたという記録はない。きみたちのように『存在を操る』ほどの魔力は持ち得ない。
ならば、きみたちの持つ魔力は、五大石以上のもの……、いや、五大石ですら『かけら』にすぎないとしたら……?」
コルベールの言葉は、だんだんと熱を帯びてきた。
「だとすれば、きみたちの持つ魔力ははかりしれんものだ!それだけの力があれば、なんだってできる!あまたの人々のために、救いの手を差し伸べることだって夢物語ではない!その力を皆のために役立てることができれば……!」
くっ、という笑い声に、コルベールは言葉を止めた。
「くくく……」
笑っているのはアクアだった。唇を歪め、あざけるような響きを声に滲ませ笑っている。
コルベールはアクアの胸ぐらを掴み上げた。
アクアの小さな身体は簡単に持ち上げられ、渡り廊下の柱に押し付けられる。
「何がおかしい」
「ミスタ・コルベール!」
ルイズは持っていた本を投げ出し、駆け寄った。
穏やかなコルベールがこんな乱暴をするなんて信じられなくて、ルイズは混乱した。
「その不死の力は、大地の力、全ての人のための力だ!一人の人間が独占していいものじゃない!無限の命を手に入れたきみたちは、100年の時をかけ魔法を作り出した。いずれの系統にも属さぬ、強力無比な魔法だ。
きみたちが魔法を身に付けたのは、戦うためだ。それだけの力を得て、きみたちはなにをしようとしている?きみたちは、このハルケギニアで何を起こそうとしているんだ!」
「なにも起こさないよ」
コルベールの剣幕に怯んだようすもなく、アクアは静かに答えた。
「あたしたちは、『なにも起こさせない』ために戦ってるんだ」
どこまでも深い、その人形のような瞳に見つめられ、コルベールは一瞬怯んだ。
「やめてください、ミスタ・コルベール!」
ルイズは必死でコルベールの腕にしがみつく。
ルイズの懇願でようやく我に返ったたコルベールは、ゆっくりと腕から力を抜いて、アクアを解放した。
アクアは乱れた服の襟をちょいちょいと整えた。
「まあね、確かにあんたの言う通りさ。この不死の身体に宿る力は、大地の全てが何億年にもわたって蓄えた力だ。人間が私利私欲のために使っていいものじゃない。
つまりね、あんたの言うように『人間のため』に使うなんて言い分も、おこがましい話なんだよ」
コルベールは、む……、と唸って黙ってしまった。
アクアは袖から棒付きのアメを取り出すと、ぺろりと舐めた。
「あたしたちは、この力を大地に還すために戦っているんだ。それにね、この力はハルケギニアの大地のものでもないんだよ。あたしたちは、違う大地からこのハルケギニアに呼び寄せられたんだ」
「それは……、つまり『東方』の」
「んにゃ、違うね。『東方』から来たってのは、ありゃウソだ。あたしたちは、東方よりももっとずっとずっと遠くの大地……、違う世界からやってきたんだよ」
「なんだって……?」
『星の樹』や『五大石』に関して大胆な仮説を展開していたコルベールも、これにはさすがに驚いたようだった。
しかしよく考えれば、なるほどそうかもしれぬ。
彼らの言動、魔法、行動、全てがハルケギニアの常識とはかけ離れている。異世界から来たというのも、納得のいく話だった。
「話は終わりだよ。行くよ、ルイズ」
「あ、ちょっと待ちなさいよ!」
ルイズは床に散らばった本を拾うと、慌ててアクアを追いかけた。
ていうか「行くよ」ってなんなのよ。あんたが勝手についてきたんでしょうが。
その場を離れる二人の背中に、コルベールが呼びかけた。
「待ってくれないか」
その声に、アクアは足を止めた。ルイズも少し怯えながら振り向く。
「最後に一つだけ、いいかな。いや……、今のところは、もうきみの不死の力のことをどうこう言うつもりはない。ただ、どうしても一つ聞きたいことがあるんだ」
コルベールはだいぶ落ち着きを取り戻したようで、ルイズの知っているいつものコルベールに戻っていた。
「『不死の力を大地に還す』と言っていたね。失礼な質問かもしれないが……、きみは、きみたちは、永遠の命を失うことに恐れはないのかね?」
アクアはコルベールの言葉に、振り向いた。
そして、静かに答えた。
「永遠の命を手に入れた?違うね、手に入れたんじゃない。死を失ったんだ。さっきは『不死の力を大地に還す』なんてかっこいいこと言ったけどね、結局のどころ、あたしたちは失ったものを取り戻したいのさ。
100年前あたしたちは不老不死となり、死を失い、同時に生も失った。だからそれを取り戻すために戦うんだ」
それから、アクアはまた歩き出した。ルイズもその後に続く。
ルイズはちらちらとコルベールのことを振り返ったが、アクアは一度も振り向かなかった。
コルベールは、二人の姿が見えなくなるまで、松明の明かりに照らされた渡り廊下の先を見つめていた。
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