「樹氷の王~虚無の魔女~後編」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「樹氷の王~虚無の魔女~後編」(2009/04/04 (土) 15:42:44) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
「さて、これが成功するかどうかは運命の女神のみぞ知るってね。
ふふっ、君も相当な変わり者だね。
会って間もない僕と、命を賭けてまで契約を望むなんて」
「……目を閉じて」
コルベール達は、ただ見守り、祈るしかなかった。
動けない身体では、ルイズの誇りと存在をかけたこの儀式の成功を祈ることしかできない。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
五つの力を司るペンタゴン、この者に祝福を与え、使い魔と成せ」
そう呪文を唱えると、ルイズは目を閉じ、少年に口付けた。
その瞬間、身体の凍結が始まる。
手足の先から感覚がなくなるのが分かり、目を開けると先の方から急速に白い氷になっていくのが見えた。
ただ、痛みはない。身体は寒すぎてもはや何も感じられず、息もできない。
しかし、苦しいということは全くなく、安らかな眠りに落ちていくように目の前が暗くなっていく。
ああ、失敗しちゃったんだ。
あんなに偉そうなことを言ったのに、私はやっぱり「ゼロ」だったんだ。
もしかしたら、この身を万病の薬にして役立たせるために、私はこの少年を呼んだのかもしれない。
――これが、私の運命だったのかもしれない。
そんなことを考えながら、ルイズは意識が暗闇へと堕ちていくのを感じていた。
どのくらい時間が経ってしまったのだろう。
自分は死んでしまったのか。ふとそんなことが頭をよぎる。
目を開けると、暗闇の中に光が見えた。
その光はどんどん強くなり、やがて闇全体を包み込む。
あまりの眩しさに目を閉じる。
しばらくして、そっと目を開いてみると目の前に氷の城があった。
周りは樹氷の木々に囲まれており、地面は雪で覆われている。
曇っているために辺りは薄暗く、雪が音を吸い取って、耳鳴りがするほど静かだった。
自分は凍り付いてしまったのではなかったのか。
此処は何処で、どうして自分はここにいるのか。
あまりの展開に唖然としていると、雪を踏み分けて、森の奥から誰かがやって来るのが分かった。
黒髪の、美しい少女だった。
粗末な身なりをし、疲労から顔には翳りが見えたが、それを差し引いても十分に魅力的だった。
少女は、氷の城に驚いていたようだったが、ルイズの方には見向きもしなかった。
ルイズが声をかけても何の反応もせず、そのまま素通りして、おそるおそる門を開け、場内に入っていく。
――もしかして、私は意識だけここにある状態になっているのかもしれない。
夢の中にいるような感覚から、ルイズはそう判断する。
とりあえず、此処にいても仕方がないので少女を追って城の中に入っていくことにした。
長い廊下を抜け、少女は導かれるかのように場内を進んでいく。
そして、一番豪奢な氷の扉を開けると、玉座にはハルケギニアへ呼び出したはずの樹氷の王が座っていた。
これは、過去の記憶?
ルイズが疑問に思っていると、まるで夢の中の画面が切り替わるように断片的な場面が目の前で展開された。
目まぐるしく変わっていく情景に普通なら対処できないが、通常とは比べ物にならない速度で頭の中で情報が処理されていく。
次々と流れ込む情報をルイズは難なく吸収し、瞬時に思考する。
不思議なことに、人の心や記憶までもルイズは感じ取ることができた。
黒髪の少女はどうやら病弱な母のために樹氷の花を取りに来たらしい。
だが、彼女は若き樹氷の王に一目で激しい恋に落ちてしまった。
彼女は城に住み着き、毎日愛の言葉を紡ぐ。少年は哀しい瞳でそれを黙って聞いているだけだった。
そして、樹氷の花を渡すから外の世界に帰るように何度も彼女を説得する。
しかし、彼女は聞き入れようとせず、少年に愛を囁き続けた。
外に出れば二度と少年に会えなくなると分かっていたからだ。
母のことは気がかりだったが、自分がいなくとも妹がついているし、なにより少年に会えなくなるのは耐えられなかった。
少年もまた、彼女を愛するようになっていた。だが、少年は決して彼女の愛に応えることはできない。
なぜなら、彼は永遠に年をとらず、彼女に触れることも叶わないからだ。
愛しくて堪らない彼女の温もりを、傍にいながらも決して感じることができない。
彼女にそのことを伝えても、彼女は離れなかった。
それどころか、ますます増大した彼女の愛は狂気を孕み、ついにはこんなことを言い出したのだ。
「私はいつか、老いて死んでしまうわ。ただ枯れ行く花のように生きていくのは嫌。
それならば、せめて今、貴方の腕の中で永遠に朽ち果てぬ花になりたい。
貴方の思い出の中で永久に咲き続ける花になりたいの。
お願い。私を愛しているのなら、応えて頂戴」
少女は毎日、愛を問い続けた。
来る日も、来る日も問い続け、少年はそれを受け流し続けた。
ついに持ってきた食料が尽き、痩せ細りながらも少女は愛を問う。
少年には「餓え」がない。当然、久遠に冬であり続ける森に食べる物などないのだ。
少女の艶やかだった黒髪は色あせ、瞳は光を失っていく。
日に日に痩せ、弱っていく愛しい少女を、少年は見ていられなかった。
少女はもう、立ち上がることさえ困難になっていた。
少年は少女の問いに応え、
そして、二人は遂に結ばれた……
「ありがとう。私の愛に応えてくれて。
愛しているわ、樹氷の君。
どうか、樹氷の花を求めている人がいたら、私を使って頂戴。
それが、母さんへのせめてもの罪滅ぼしよ……」
そう言い残すと微笑みながら彼女は少年に口付け、そのまま物言わぬ花となった。
腕の中の少女を抱きしめ、少年は声を立てずに泣いた。
少年の記憶が流れ込んでくる。
ルイズの目から止めどなく涙が溢れる。胸が張り裂けそうだった。
少女の死で、心の底に沈めたはずの記憶が蘇ってきたのだ。
それは、母親の最後の言葉の記憶だ。
『ありがとう。私の元に生まれてきてくれて。
愛しているわ、愛しい子。
呪術を封じた母さんの体は、万病の薬になるはずだわ。
もし、貴方に何かあったら、私を使って頂戴。
ごめんなさい。
傍で見守ってあげられなくて。
――さようなら。』
耐えられなかった。少年は慟哭した。
「うああああああああああああっ!!!」
聞いている者の心に、鋭利な刃物で切り裂くような痛みを与える叫びだった。
少年は何百年もの間に、このような経験を何度も繰り返していた。
花を手に外の世界に帰っていくものもいれば、あの黒髪の少女のように樹氷の花に成り果てる者もいた。
いつの間にか、場面は切り替わるのをやめ、ルイズはまた玉座の間にいた。
少年は、玉座に座り、哀しい瞳をしながら並べられた花を見つめている。
――愛とは、何なのだろう。
少年の考えていることが、ルイズに流れ込んでくる。
母さんは、僕を愛した。僕を守るために、命を落としてまで魔女の契約をした。
それで、僕はこの城に一人ぼっちになった。
寂しかった。一人でいることは耐えられなかった。
だから、外の世界から人を招いた。わずかな間でもいい、話し相手が欲しかったんだ。
でも、僕を愛してくれた人は、樹氷の花になることを望む。
愛されることが恐ろしかった。でも、孤独に耐えられない。
だから人を招く。そして、また一つ樹氷の花が咲く。
これが愛? 命を投げ出して、僕を一人にして、自分だけ安らかに逝くのが愛なの?
苦しさ。哀しさ。孤独。後悔。諦観。絶望。――憎しみ。
ルイズの心に少年の様々な暗い感情が渦巻き、許容量を超えて心が壊れそうになる。
生きることに、特別な意味など無い。
全ては消え往く運命と知りながら、彼女達は永遠を望んだ。
僕の心の中で生き続けることを望んだ。
心の中で生き続ける、か。
普通の人間なら、できるのかもしれないね。
人は、終わり往くモノだもの。
大切な人との日々を胸に抱いて生き続け、思い出と共に死ぬ。
だけど、僕はどうなるの?
永遠を生きる僕は、忘却の彼方へ彼女達を押し流すことしかできない僕は、
いつか彼女達を『喪失』する。
嗚呼、苦しくて、仕方がない。狂ってしまえたら、どんなに楽だろう。
いっそのこと、皆いなくなっちゃえばいいのに。
僕以外のもの全て、いなくなっちゃえば、こんな思いはしなくてすむかもしれないのに。
苦しいクルシイ苦しいくるしいくるしい……たすけて、かあさん。
おねがいだから、ぼくを、おいていかないで。
ルイズの心の中で、何かが弾けた。
少年は、自分の体が温もりに包まれているのを感じ、驚愕した。
目を開けると、凍らずにいるルイズに抱きしめられているのが分かった。
「私、残された人の気持ちなんて、考えなかった。
ううん、考えようともしなかったわ。
私は、私もちい姉さまも両方助かる道を探すべきだった。
どんな困難が待っていようともね」
ルイズは自分が樹氷の花になった後のことを想像した。
ちい姉さまはきっと病気が治ったとしても、一生苦しみ、悲しみの中で生きていくことになっただろう。
自分はもう少しで重い枷を大好きな姉に付けてしまうところだったのだ。
それだけではない。自分の死は、多くの人を哀しませ、後悔させるだろう。
家族も、自分を助けに来てくれた先生と、……友人も。
必要なのは、強い意思だった。
ルイズは過去の映像を見て、この孤独な少年を心から救ってあげたいと思った。
契約に失敗しても、成功しても良いという半端な考えでは、そんなことができるはずはない。
絶対に契約を成功させること、それのみを望み、集中しなければ魔力を全力で注ぎ込むことなどできる訳がないのだ。
ルイズは少年を抱きしめながらも、上半身を少し引いて、少年の顔と見合わせる。
そして、泣きながら微笑んだ。
「私と、共に生きましょう。樹氷の森を抜けて、この広い世界で。
あなたはもう一人ぼっちじゃないの。
私だけじゃない、色んな人と触れ合って生きていけるわ。
その身に触れるだけで人が凍りついてしまう魔法も、私が絶対に解いてみせる。
確かに、貴方は永遠を生きるもの。私は先に老いて死んでしまうでしょうね。
でも、喪失を恐れないで。
人間だって、忘れながら、失い続けながら生きているのよ。
でもね、必ず、どうやっても消えずに心に残るものがあると思うの。
それを大切な人の心に刻み付けるために、人間は生きてるのよ。
私も、貴方の心の奥底に、凍えぬように温かいものを刻み付けてみせる。
約束するわ。私は絶対に偉大なメイジになって、貴方を導く者になる」
少年は、しばし呆然としていたが、溜息をつくと、困ったように微笑んだ。
今までに見てきたものとは違う、外見相応の幼い笑顔だった。
「そんな、偉そうに全く根拠のないことを言われてもね……
まさか、本当に契約を書き換えるなんて思わなかったよ」
少年の深い襟ぐりによって見える胸に、使い魔のルーンが淡く光っていた。
「でも、永遠を生きる間の暇つぶしにはなりそうだ。
何せ、ずっと森の中に篭っていたからね。
外の世界なんて何百年ぶりだろう。
まぁ、せいぜい僕を楽しませてよね、ルイズ?」
いたずらっぽく笑うと、氷の檻とコルベール達を捕らえていた氷の枷が掻き消え、春の日差しがルイズ達の身体を包み込んだ。
冷えていた体がじわじわと温まっていく。
少年も、眩しそうに目を細めながらも、小さく笑みを浮かべている。
肌も髪も雪のような少年は、光を反射してまるで細氷のように輝いていた。
思わずルイズが見とれていると、猫のように首根っこをつかまれ、少年から引き剥がされる。
反転されたと思ったら、抱きしめられ、たわわな胸に顔を埋める羽目になった。
「いつまで抱き合ってるのよ! あんたはもうっ、本当に……心配かけて」
後ろからも、手が回ってきて別の温もりに包まれる。
「……無事でよかった」
キュルケとタバサ、二人に挟まれて抱きしめられる形になり、ルイズは思わず体の力が抜けた。
今になって、やっと死への恐怖が襲ってきて、幼子のように泣くのを止められない。
二人からも小刻みに震えが伝わってきて、泣いているのが分かる。
しばらく三人は、お互いに抱きしめあい、泣きあった。
「な、何よ、もう。二人とも、泣きすぎなのよ!
言ったでしょ。私は偉大なメイジになるって。
こんな契約、成功して当たり前なのよ!!」
だいぶ落ち着いて、自分の置かれている状況に気づき恥ずかしくなってきたところでルイズはようやく解放された。
コルベールも目に涙を光らせながらその光景を見守っていたので、ますます恥ずかしくなる。
気持ちを切り替え、ルイズは使い魔となった少年に向き直る。
「ねぇ、貴方の名前、聞かせてくれない?
だって、貴方は『此処』で生きていくのよ?
もし教えてくれないなら、私が勝手に付けちゃうけど……」
どうする? とルイズは首を傾げ、赤くなった眼を細めて笑う。
少年は、目を見開いた後、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「その必要はないさ。
名前なんて、呼ばれる機会がなかったから忘れてたけど、たった今思い出した。
母さんが、僕に残してくれた名前。
僕の、名前は――」
~FIN~
「さて、これが成功するかどうかは運命の女神のみぞ知るってね。
ふふっ、君も相当な変わり者だね。
会って間もない僕と、命を賭けてまで契約を望むなんて」
「……目を閉じて」
コルベール達は、ただ見守り、祈るしかなかった。
動けない身体では、ルイズの誇りと存在をかけたこの儀式の成功を祈ることしかできない。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
五つの力を司るペンタゴン、この者に祝福を与え、使い魔と成せ」
そう呪文を唱えると、ルイズは目を閉じ、少年に口付けた。
その瞬間、身体の凍結が始まる。
手足の先から感覚がなくなるのが分かり、
目を開けると先の方から急速に白い氷になっていくのが見えた。
ただ、痛みはない。身体は寒すぎてもはや何も感じられず、息もできない。
しかし、苦しいということは全くなく、
安らかな眠りに落ちていくように目の前が暗くなっていく。
ああ、失敗しちゃったんだ。
あんなに偉そうなことを言ったのに、私はやっぱり「ゼロ」だったんだ。
もしかしたら、この身を万病の薬にして役立たせるために、
私はこの少年を呼んだのかもしれない。
――これが、私の運命だったのかもしれない。
そんなことを考えながら、ルイズは意識が暗闇へと堕ちていくのを感じていた。
どのくらい時間が経ってしまったのだろう。
自分は死んでしまったのか。ふとそんなことが頭をよぎる。
目を開けると、暗闇の中に光が見えた。
その光はどんどん強くなり、やがて闇全体を包み込む。
あまりの眩しさに目を閉じる。
しばらくして、そっと目を開いてみると目の前に氷の城があった。
周りは樹氷の木々に囲まれており、地面は雪で覆われている。
曇っているために辺りは薄暗く、雪が音を吸い取って、耳鳴りがするほど静かだった。
自分は凍り付いてしまったのではなかったのか。
此処は何処で、どうして自分はここにいるのか。
あまりの展開に唖然としていると、雪を踏み分けて、森の奥から誰かがやって来るのが分かった。
黒髪の、美しい少女だった。
粗末な身なりをし、疲労から顔には翳りが見えたが、それを差し引いても十分に魅力的だった。
少女は、氷の城に驚いていたようだったが、ルイズの方には見向きもしなかった。
ルイズが声をかけても何の反応もせず、そのまま素通りして、おそるおそる門を開け、
場内に入っていく。
――もしかして、私は意識だけここにある状態になっているのかもしれない。
夢の中にいるような感覚から、ルイズはそう判断する。
とりあえず、此処にいても仕方がないので少女を追って城の中に入っていくことにした。
長い廊下を抜け、少女は導かれるかのように場内を進んでいく。
そして、一番豪奢な氷の扉を開けると、
玉座にはハルケギニアへ呼び出したはずの樹氷の王が座っていた。
これは、過去の記憶?
ルイズが疑問に思っていると、まるで夢の中の画面が切り替わるように断片的な場面が目の前で展開された。
目まぐるしく変わっていく情景に普通なら対処できないが、
通常とは比べ物にならない速度で頭の中で情報が処理されていく。
次々と流れ込む情報をルイズは難なく吸収し、瞬時に思考する。
不思議なことに、人の心や記憶までもルイズは感じ取ることができた。
黒髪の少女はどうやら病弱な母のために樹氷の花を取りに来たらしい。
だが、彼女は若き樹氷の王に一目で激しい恋に落ちてしまった。
彼女は城に住み着き、毎日愛の言葉を紡ぐ。少年は哀しい瞳でそれを黙って聞いているだけだった。
そして、樹氷の花を渡すから外の世界に帰るように何度も彼女を説得する。
しかし、彼女は聞き入れようとせず、少年に愛を囁き続けた。
外に出れば二度と少年に会えなくなると分かっていたからだ。
母のことは気がかりだったが、自分がいなくとも妹がついているし、なにより少年に会えなくなるのは耐えられなかった。
少年もまた、彼女を愛するようになっていた。だが、少年は決して彼女の愛に応えることはできない。
なぜなら、彼は永遠に年をとらず、彼女に触れることも叶わないからだ。
愛しくて堪らない彼女の温もりを、傍にいながらも決して感じることができない。
彼女にそのことを伝えても、彼女は離れなかった。
それどころか、ますます増大した彼女の愛は狂気を孕み、ついにはこんなことを言い出したのだ。
「私はいつか、老いて死んでしまうわ。ただ枯れ行く花のように生きていくのは嫌。
それならば、せめて今、貴方の腕の中で永遠に朽ち果てぬ花になりたい。
貴方の思い出の中で永久に咲き続ける花になりたいの。
お願い。私を愛しているのなら、応えて頂戴」
少女は毎日、愛を問い続けた。
来る日も、来る日も問い続け、少年はそれを受け流し続けた。
ついに持ってきた食料が尽き、痩せ細りながらも少女は愛を問う。
少年には「餓え」がない。当然、久遠に冬であり続ける森に食べる物などないのだ。
少女の艶やかだった黒髪は色あせ、瞳は光を失っていく。
日に日に痩せ、弱っていく愛しい少女を、少年は見ていられなかった。
少女はもう、立ち上がることさえ困難になっていた。
少年は少女の問いに応え、
そして、二人は遂に結ばれた……
「ありがとう。私の愛に応えてくれて。
愛しているわ、樹氷の君。
どうか、樹氷の花を求めている人がいたら、私を使って頂戴。
それが、母さんへのせめてもの罪滅ぼしよ……」
そう言い残すと微笑みながら彼女は少年に口付け、そのまま物言わぬ花となった。
腕の中の少女を抱きしめ、少年は声を立てずに泣いた。
少年の記憶が流れ込んでくる。
ルイズの目から止めどなく涙が溢れる。胸が張り裂けそうだった。
少女の死で、心の底に沈めたはずの記憶が蘇ってきたのだ。
それは、母親の最後の言葉の記憶だ。
『ありがとう。私の元に生まれてきてくれて。
愛しているわ、愛しい子。
呪術を封じた母さんの体は、万病の薬になるはずだわ。
もし、貴方に何かあったら、私を使って頂戴。
ごめんなさい。
傍で見守ってあげられなくて。
――さようなら。』
耐えられなかった。少年は慟哭した。
「うああああああああああああっ!!!」
聞いている者の心に、鋭利な刃物で切り裂くような痛みを与える叫びだった。
少年は何百年もの間に、このような経験を何度も繰り返していた。
花を手に外の世界に帰っていくものもいれば、
あの黒髪の少女のように樹氷の花に成り果てる者もいた。
いつの間にか、場面は切り替わるのをやめ、ルイズはまた玉座の間にいた。
少年は、玉座に座り、哀しい瞳をしながら並べられた花を見つめている。
――愛とは、何なのだろう。
少年の考えていることが、ルイズに流れ込んでくる。
母さんは、僕を愛した。僕を守るために、命を落としてまで魔女の契約をした。
それで、僕はこの城に一人ぼっちになった。
寂しかった。一人でいることは耐えられなかった。
だから、外の世界から人を招いた。わずかな間でもいい、話し相手が欲しかったんだ。
でも、僕を愛してくれた人は、樹氷の花になることを望む。
愛されることが恐ろしかった。でも、孤独に耐えられない。
だから人を招く。そして、また一つ樹氷の花が咲く。
これが愛? 命を投げ出して、僕を一人にして、自分だけ安らかに逝くのが愛なの?
苦しさ。哀しさ。孤独。後悔。諦観。絶望。――憎しみ。
ルイズの心に少年の様々な暗い感情が渦巻き、許容量を超えて心が壊れそうになる。
生きることに、特別な意味など無い。
全ては消え往く運命と知りながら、彼女達は永遠を望んだ。
僕の心の中で生き続けることを望んだ。
心の中で生き続ける、か。
普通の人間なら、できるのかもしれないね。
人は、終わり往くモノだもの。
大切な人との日々を胸に抱いて生き続け、思い出と共に死ぬ。
だけど、僕はどうなるの?
永遠を生きる僕は、忘却の彼方へ彼女達を押し流すことしかできない僕は、
いつか彼女達を『喪失』する。
嗚呼、苦しくて、仕方がない。狂ってしまえたら、どんなに楽だろう。
いっそのこと、皆いなくなっちゃえばいいのに。
僕以外のもの全て、いなくなっちゃえば、こんな思いはしなくてすむかもしれないのに。
苦しいクルシイ苦しいくるしいくるしい……たすけて、かあさん。
おねがいだから、ぼくを、おいていかないで。
ルイズの心の中で、何かが弾けた。
少年は、自分の体が温もりに包まれているのを感じ、驚愕した。
目を開けると、凍らずにいるルイズに抱きしめられているのが分かった。
「私、残された人の気持ちなんて、考えなかった。
ううん、考えようともしなかったわ。
私は、私もちい姉さまも両方助かる道を探すべきだった。
どんな困難が待っていようともね」
ルイズは自分が樹氷の花になった後のことを想像した。
ちい姉さまはきっと病気が治ったとしても、
一生苦しみ、悲しみの中で生きていくことになっただろう。
自分はもう少しで重い枷を大好きな姉に付けてしまうところだったのだ。
それだけではない。自分の死は、多くの人を哀しませ、後悔させるだろう。
家族も、自分を助けに来てくれた先生と、……友人も。
必要なのは、強い意思だった。
ルイズは過去の映像を見て、この孤独な少年を心から救ってあげたいと思った。
契約に失敗しても、成功しても良いという半端な考えでは、そんなことができるはずはない。
絶対に契約を成功させること、それのみを望み、集中しなければ魔力を全力で注ぎ込むことなどできる訳がないのだ。
ルイズは少年を抱きしめながらも、上半身を少し引いて、少年の顔と見合わせる。
そして、泣きながら微笑んだ。
「私と、共に生きましょう。樹氷の森を抜けて、この広い世界で。
あなたはもう一人ぼっちじゃないの。
私だけじゃない、色んな人と触れ合って生きていけるわ。
その身に触れるだけで人が凍りついてしまう魔法も、私が絶対に解いてみせる。
確かに、貴方は永遠を生きるもの。私は先に老いて死んでしまうでしょうね。
でも、喪失を恐れないで。
人間だって、忘れながら、失い続けながら生きているのよ。
でもね、必ず、どうやっても消えずに心に残るものがあると思うの。
それを大切な人の心に刻み付けるために、人間は生きてるのよ。
私も、貴方の心の奥底に、凍えぬように温かいものを刻み付けてみせる。
約束するわ。私は絶対に偉大なメイジになって、貴方を導く者になる」
少年は、しばし呆然としていたが、溜息をつくと、困ったように微笑んだ。
今までに見てきたものとは違う、外見相応の幼い笑顔だった。
「そんな、偉そうに全く根拠のないことを言われてもね……
まさか、本当に契約を書き換えるなんて思わなかったよ」
少年の深い襟ぐりによって見える胸に、使い魔のルーンが淡く光っていた。
「でも、永遠を生きる間の暇つぶしにはなりそうだ。
何せ、ずっと森の中に篭っていたからね。
外の世界なんて何百年ぶりだろう。
まぁ、せいぜい僕を楽しませてよね、ルイズ?」
いたずらっぽく笑うと、氷の檻とコルベール達を捕らえていた氷の枷が掻き消え、
春の日差しがルイズ達の身体を包み込んだ。
冷えていた体がじわじわと温まっていく。
少年も、眩しそうに目を細めながらも、小さく笑みを浮かべている。
肌も髪も雪のような少年は、光を反射してまるで細氷のように輝いていた。
思わずルイズが見とれていると、猫のように首根っこをつかまれ、少年から引き剥がされる。
反転されたと思ったら、抱きしめられ、たわわな胸に顔を埋める羽目になった。
「いつまで抱き合ってるのよ! あんたはもうっ、本当に……心配かけて」
後ろからも、手が回ってきて別の温もりに包まれる。
「……無事でよかった」
キュルケとタバサ、二人に挟まれて抱きしめられる形になり、ルイズは思わず体の力が抜けた。
今になって、やっと死への恐怖が襲ってきて、幼子のように泣くのを止められない。
二人からも小刻みに震えが伝わってきて、泣いているのが分かる。
しばらく三人は、お互いに抱きしめあい、泣きあった。
「な、何よ、もう。二人とも、泣きすぎなのよ!
言ったでしょ。私は偉大なメイジになるって。
こんな契約、成功して当たり前なのよ!!」
だいぶ落ち着いて、自分の置かれている状況に気づき恥ずかしくなってきたところでルイズはようやく解放された。
コルベールも目に涙を光らせながらその光景を見守っていたので、ますます恥ずかしくなる。
気持ちを切り替え、ルイズは使い魔となった少年に向き直る。
「ねぇ、貴方の名前、聞かせてくれない?
だって、貴方は『此処』で生きていくのよ?
もし教えてくれないなら、私が勝手に付けちゃうけど……」
どうする? とルイズは首を傾げ、赤くなった眼を細めて笑う。
少年は、目を見開いた後、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「その必要はないさ。
名前なんて、呼ばれる機会がなかったから忘れてたけど、たった今思い出した。
母さんが、僕に残してくれた名前。
僕の、名前は――」
~FIN~
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: