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#navi(魔導書が使い魔)
『――あぁぁぁぁあああああああっ!!』
アルの覚醒を促したのは、慟哭であった。
それは、悲しみはぬるく、絶望は甘く、虚無さえも埋め尽くし、胸の内を噛み
砕き掻き毟り抉り出すような“痛み”である。
胸がズキリと痛んだ。
魂に刻まれた傷が、その声に共鳴し鮮やかな痛みを唱和する。
その声は――己を写している。
そして薄ぼんやりとした思考のまま目を開けようとして。
――過剰、過重、過送、逆流、逆送、逆転。
「ぐっああっ!!」
アルの体を強大な力の本流が駆け抜け、視界が白く染まった。
目を見開き、背を反り返す。
存在が=書物が=活字が=言語が=己が押し流されそうな衝撃。
拙いはずであった繋がり(パス)から、溢れた力は本来の量からいって微々た
るもの。
だがその量はアル・アジフの許容量をとうに超えている。
(っっっ!! このまま、ではっ! 妾自体が消し飛んでしまうっ……力の誘
導っを!!)
無我夢中で術式を組み立て、幾分もマシになってくる。
徐々に戻ってくる視界と体の制御。
そして白から彩色された世界の中心に、ソレはあった。
「――ああアあァァぁアああアアッッ!!」
仰向けに倒れ、土に草に汚れ、空へと己の全てを吐きださんとするかのような
ルイズがいる。
「――ぐくぅっ!」
通り抜ける力の総量が上がった。
それは例えるなら飽和寸前の河のようなうねりを持ち、ルイズの昂りと共にそ
の量を増していく。
アルはこの事態をある程度は予想していた。
不完全とはいえ、ルイズは仮にも魔導書と契約を交わした者なのだから。潜在
能力の高い低いはあるものの、最低限の魔術資質は有している。
資質のある者なら、その感情の昂りで高い魔力を練り上げることはある。
だが、その量はアルが予想していたよりも大きく上回っていた。
それはアルがこの世に存在してから、今まで感じたことの無いほどの――そう、
かの大導師(グランドマスター)さえも凌ぐかと思われるほどの魔力。
「くぁ……つぅ……っ!」
アルは必死に術式を操作し、魔力を誘導していく。
それでも、人の身で大海原の波を受け止められないように。いくら巧みに術を
操っても、漏れば出てくる。
「―――――――」
不意に……慟哭が止む。
流れを押さえ込む傍ら、ルイズへと視線を向けると。
彼女は、ゆっくりと、非常にゆっくりと体を起こしていて。
そのか細き手が、俯いた己が顔を掴み、空へと向けられ。
開かれた口元が震えた――
「――アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァッッッッ!!!!」
魔力の波が数段上がる。
「――っ!?」
それは術式の脆弱な部分を突き破り、怒涛のごとく突き進み、体中のいたる所
を駆け巡り満たし飽和させ。
奥の奥まで、隅の隅まで、裏の裏まで余すことなく蹂躙し――その最奥(禁忌)
へと流れ――触れた。
ガチャリ――と、なにか身体(書物)の奥底で鍵が開く音がした。
――強制接続(アクセス)。
「な――」
その瞬間、アルの体から、断章が舞った。
それはアル・アジフ(母体)の意思とは関係なく渦を巻き――ルイズの元へと
飛んだ。
――感情情報の飽和。
――飽和情報の流失。
――流失情報の展開。
――展開情報の実行。
――――世界の裏、常識の乖離、非常識の常識、法則の隅、演算の誤差、超法
則を超越する超々々法則、犬を見たら怪異と思え、猫を見たら異形と捉え、人
を見たら■■■■の手先だと確信しろ――――
「あぁぁぁぁあああああああーー!!」
――世界が広がる。
非常識が脳髄へと直接注ぎ込まれ、常識の外枠情報が強制的に“無垢な魂”へ
と刻み込まれ穢してゆく。
――世界が広がる。
この世は薄氷の上に成り立った世界であり、その薄皮の下には恐ろしき存在が
いる。
――世界が広がる。
「アアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァッッッッ!!!!」
頭が弾け飛びそうなほどの情報。
脳髄を焼き、脳を砕き、心を割り、魂を食らおうとする“知ってはならない知
るべき知識”。
それらは圧縮され折り畳まれ詰め込まれた超々々高密度情報体として脳髄を駆
け巡り、強制的に解凍、開封されていく。
許容量を大幅に超えた情報に脳髄は焼き切れる寸前で、脳は破裂寸前、読むだ
けで汚染される情報を刻まれ心は引き裂かれ、魂は陵辱される。
絶え間ない苦痛が、身体を、魂を犯し――それがどうしたというのか。
苦痛、蹂躙、陵辱、洪水、破壊、再生、甘美全てがごちゃ混ざり合いルイズを
虚空の底へと押し流そうとするが。
ルイズの意識はそこになかった。
圧倒的な情報が渦巻く中で、ただあるのは――
――憤怒――
――死んだのだ――彼女が――目の前で――怒れ――何にだ――怒れ――フー
ケ――否――ゴーレム――否――学院長――否――魔法学園――否――天気――
否――世界――否――運命――では……ではではではでは――何に怒ればいい
のだろう?
――それは――“己”――
不甲斐ない己に怒れ、後先を考えない己に怒れ、不用意な己に怒れ、泣き叫ぶ
己に怒れ――“キュルケを死なせた己に”怒れ!!
憤怒、怒号、激怒、憤慨、怒気、譴怒、赫怒、震怒、積怒、怒火、怒声、怒張、
駑馬、怒髪、暴怒。
在りとあらゆる力を使い、己を許すな――
刻み込め。その胸に、心に、魂に……っ。
殺したのはフーケであっても『死なせたのは己』だと!!
解凍情報にある断片術式復刻――術式自動演算開始――
「aAAAAAAAAAAaaaaaaaaaa――!!!!」
脳内で異形の演算が組み立てられる。
――さあ、怒りを種火に――苦痛に彩られた艶華を咲かせ――腐れ落ちようで
はないか――
甘い声が心の内から涌き出てくる。
それに抗うすべはなく、抗おうとも思わなかった。
「や、止めろ! その術式は――っ!!」
目を見開いたアルが、なにかを叫んでいる。
デルフが怒鳴っていた。
「なにをやってやがる! そんなことしたらお前がやばいんじゃねえのかよっ!」
一瞬だけ、魔術の構成が崩れかけるがすぐに持ち直す。
まだ術式は完成していないのに、足元の枯れ葉が炎上した。
フーケは慄いた。
「な……なんだっ」
狂ったように叫んでいた少女から突如吹き出した魔力に。
それはありえないほどの量と、質と、恐ろしさを持っている。
今すぐここを離れろと本能が絶叫する。
だが、その声をフーケはねじ伏せた。
意識を集中すると、ゴーレムの腕は鉄となり。
杖を振り上げ、それに合わせてゴーレムが右腕を振り上げる。
――やばくなる前に『殺す』!
「――っあぁぁっ!!」
フーケが焦燥に駆られた声を出し、ゴーレムが右腕を振り上げる。
それは余りにも力強く、雄雄しく……そして余りにも遅かった。
腕が振り下ろされるよりも早く。
霊気燃焼機関『アルハザードのランプ』を劣化複製完了。
術式名〈灼熱呪法〉
溢れる力が、止めない魔力が、際限なく膨れ上がり――
『――それが、彼女の望むことなのか?』
「――え?」
――その瞬間、眼前が全て炎へと染まった。
そこは熱くなく、ただ炎の草原がどこまでも広がる炎と白の空間。
その炎の中で、わたしは1人……いや彼と向き合っている。
円柱の帽子を被り、スーツに身を包んだ黒い髪と、浅黒い肌の異国風の男。
わたしは、彼を知っている。
夢で、幻で、あるはずもない記憶で――彼を知っている。
彼の体はボロボロだった。
斬られ、抉られ、焼かれ、引き裂かれた後が生々しく身体に刻まれ、彼の潜り
抜けた地獄が容易に想像できる。
わたしは、その身を焦がす思いを想像し顔を歪め――彼が笑いかけた。
「――っ」
彼の浮かべる笑顔は困って苦笑するかのようで……口が開かれる。
『君のすることが、彼女の望むことなのか?』
その言葉に、胸を突かれた。
なにを言っているのか。
揺らめく炎が全てを焼き尽くせとのたまう。
キュルケはわたしの仇敵で、いつも挑発してきて、いらないのに喋りかけて、
独りの時はからかって、張り合って、喧嘩して、陽気で、楽しげで、魔法が使
えないわたしを“対等と見ていた”
……そんなキュルケが、命を懸けた仇討ちなんて望むのだろうか?
脳裏に浮かんだのは――楽しそうに微笑む笑顔だった。
「……あ……うぅ……」
視界が歪み、頬を暖かい水が伝った。
「うわぁ……あぅぅ……ぁぁ……」
自分が愚かしかった。
こんな、虚勢ばかりを張るわたしは、ぼろぼろのわたしは、彼女に命を救われ
たのだ。
「あああ、うぁぁあああああーっ!」
彼は優しい微笑で、わたしを見詰めた。
そして現実へと帰る。今わたしは、その命を燃やし尽くそうとしているのだ。
今更止める術はなく、力は臨界点まで達している。
なんて、愚かで救いがたいのだろう。
すると。
『ならば少しの間、私の力を貸そう』
その言葉と共に、周囲の炎が一斉に彼へと絡みついた。
炎は男を焼き、焼けた端から光になっていく。
そして光は、わたしから炎を遠ざける。
「なん――で?」
驚愕するわたしに彼は手に持つステッキを投げた。
『彼女を頼んだぞ。新しきマスター・オブ・ネクロノミコン』
受け取ると微笑を浮かべ、炎が全てを、白の世界をも焼き尽くす。
アルは目を逸らせなかった。
ゴーレムが腕を振り下ろす瞬間を。
術式が完成するにせよ、先に一撃が振り下ろされるにせよ結果は同じである。
胸を占めるのは、助けられなかったという失望と、また契約者を殺してしまう
という絶望。
その二つを噛み締めながら、アルは見続け――
「な――」
息を詰まらせた。
ゴーレムの一撃を叩き込もうとした時、フーケは殺したと確信した。
あの少女がどんな魔法を使おうとしていたとしても、手先を鉄へと変化させた
ゴーレムの一撃は防げまい。
殺意を乗せた右の拳を、眼下へ振り下ろし、地面へと叩き付け――耳を疑った。
――ガンッッ!!
それは、人を殴りつけた音ではなかった。
「――痛ぇっ! なにしやがんでぃ!」
そして、そんな声が拳の下から聞こえた。
「なん……だって?」
強烈な圧力にギチギチと刀身が鳴る。
「痛ぇ! すんげぇ痛ぇ! なんとかしてくれ!」
鉄の拳と地面の間に挟まれた状態でギャアギャアと騒ぐデルフ。
「あーもう、少しは静かにしなさいよ」
鉄の天井の下、デルフをつっかえ棒にしながらルイズは鬱陶しげに返した。
それを見て、アルは呆然としている。
「生きて……いる……いや、そもそもなぜ生きていられる」
手を鉄に変えたゴーレムの一撃に耐えているデルフの強度も驚愕物だが、それ
以上に“柔らかい地面に剣を突き立てるだけで”攻撃を防いでいることが一番
の驚きであり。
「まさか――」
アルは、その剣先が“空間に突き立てられている”ことに気が付いた。
魔術師なら、常識という枠に囚われず虚空を疾走したり、掴むこともできるが。
未だルイズは魔術師ではなく、たとえ魔術師だとしても、それができる位階
(クラス)に行くのには才能と時間が必要となる。
それに、ほぼ暴走状態だった術式が完全に止まっている。
少なくとも先ほど片鱗を見せただけで、漏洩した術式に振り回されるような者
ができる業ではない。
その驚愕の度合いはフーケも同じらしく、ゴーレムを動かすことすら忘れてい
た。
「早くっ! 早くしてくれっ!! ものすんげぇ痛ぇ!」
ガチャガチャと鍔を鳴らすデルフに、ルイズは溜息をつくと。
「はいはい。それじゃあ」
拳を握り締め――
「――これをどかすわよ」
――ゴッッ!!
鉄の拳へと、そのちっぽけな拳を叩き付ける。
誰が見ても無謀で無意味な行動。
だが、アルには“その世界の裏”が見えていた。
叩き付けた拳。そこから、限界まで膨らんでいた〈焼滅〉の意思がゴーレムの
手へと浸透し。
――小さな太陽が生まれた。
眩い光に誰もが目を伏せ。
そして光が収まった時、ゴーレムの右腕は消えていた。
「――」
驚愕を顕にするフーケをよそに、ルイズはゆっくりと立ち上がる。
少しふらついた。
〈灼熱呪法〉は大量の魔力を消費する。
どの道、術式は完成していたので使わなければ無駄になっていた。
立ち上がると足首に鋭い痛みと――革で絞り上げられるような感触がし、それ
は痛みを緩和させた。
「……ずいぶんとすげなぁ」
感心するようなデルフの呟き。
何気なく手元を見ると、手が黒く染まっていた。
いや正確には黒い革のようなものに包まれている。
それは手袋やブーツのように両手足を包み。途切れた端は淡く発光して、蛍の
ような光を散らす。
目を閉じた。
頭痛を伴う情報の洪水は未だ脳内で荒れ狂っているが、それは人間の許容でき
る範囲まで抑えられている。
――情報の添削を実行。
――汚染情報を優先として、閲覧レベルが高い情報を所有者がその位階に達す
るまで封印を開始。
――現在使用可能呪装を表示(欠損情報、使用制限あり)
――アトラック=ナチャ(不可)、ニトクリスの鏡(不可)、バルザイの偃月刀、
ロイガー=ツァール(不可)、ド・マリニーの時計(不可)、ク■ゥ■■(欠
落)、■■カ■(欠落)、その他呪装(不可)――
――使用可能呪装はバルザイの偃月刀のみ。十分だった。
高速で情報が整理、封印、添削されてゆく。
世界の裏に潜む陰が、常識を食い破ろうとしている非常識があることを捉えら
れる。
ああ、これが魔術師の視点だと理解した。
たとえ――たとえこれが借り物の力だとしても、世界を操れる万能感が巡る。
ゴーレムを見上げた。
未だ心は荒れ狂うような熱を持つのに、頭の芯は凍り付き透き通る。
怒りはある、憎しみはある、悲しみはある――だが、それら全てを制御し、心
を燃やす燃料とした。
「アル、ボロ剣――」
その声に我に帰ったアルはこちらへ顔を向け。
ルイズは冷めた思考で誓う。
「倒すわよ」
その声にアルはニヤリと笑うと埃を払ながら立ち上がり。
「当然だ。というか、汝。さっきまで泣き叫んでいた分際で仕切るな」
「ははっ、ちげぇねぇ!」
それに同意するデルフに不貞腐れながら、ルイズはデルフを構える。
そこには、ようやくこちらへ向かって攻撃を再開しようとするゴーレムがいた。
「ふん、今度は無様を晒すなよ」
ゴーレムが手を振り被り。
「そっちもねっ」
投げつけられた木を2人は、飛び出すように左右に避けた。
ゴーレムの周囲を右回りに疾走する――
足は多少痛むが、ブーツの効果か痛みは緩和され、ルーンが今までにない輝き
を発して身体が軽くなる。
「どうする!」
ゴーレムは片手である。
「当然行くに決まってるでしょ!」
アルへとゴーレムが投擲をした瞬間を狙い、デルフを振り被って、突っ込む。
「おい! 同じことしても意味ねえぞ!」
「わかってるわ!」
左腕しかないゴーレムはすでに腕を振り切っており。こちらへ攻撃する術はな
いはず!
グングンとゴーレムの姿が大きくなり。
ニヤリとフードの下の顔が笑った気がした。
――ドバン!
ゴーレムの目前まで迫ったとき、突如ゴーレムの肩から失った右腕が生えた。
「なんだとぉっ!?」
驚愕するデルフの声が聞こえ、右腕は真っ直ぐとこちらへ向かい伸びる。
相対速度で爆発的に迫る腕を前にして、左手のルーンが眩い輝きを放ち、ルイ
ズは飛んだ。
スレスレを通り過ぎる腕、反転する世界の中でルイズは言った。
「ボロ剣、我慢しなさいよ」
「へ?」
――選択呪装〈バルザイの偃月刀〉
手袋の文字が浮かび輝き、デルフへと光が集まると炎と化す。
「あっつぅぅうっ!!」
吹き散らされた炎の中から、黒光りする偃月刀が現れた。
ルーンがその武器の最適の使用方法を提示するが――無視した。
この武器は……そんなもの(ルーン)では使いこなせない。
認識する世界から自分へと知覚を集中させ、頭、胸、腹、足、腕を伝い剣へと
意識が流れていく。
そして、剣を伝い――世界の裏を認識せよ。
――世界が、広がる。
視界は空からゴーレムの腕へと回転し。
「何度もやらせるかい!」
フーケが叫ぶと、眼下の腕が鉄へと変わるが――問題ない。
「はぁぁああああっ!!」
回転の勢いを利用して、偃月刀を振り切った。
ズズンっ――
切断された腕が地面へと落ち、土へと還る。
「おお、すげーな! ……でもなんか、俺の扱いがひでぇぞ」
なんなく着地したルイズにデルフが賞賛と文句を送り。
それにルイズはしれっと返す。
「だから、我慢しなさいよ、て言ったでしょ『デルフ』」
カチャリと鍔が鳴った。
「はっ! それでもひでぇよ『相棒』!」
ルイズは偃月刀となったデルフを構えた。
フーケは歯噛みする。
技とらしく作った隙へ飛び込んだルイズを迎撃するどころか、返す刀でゴーレ
ムの腕を切断されたのだ。
それも、鉄へと変化させた腕をだ。
少し前まで、足手まといだった少女の変貌に戸惑いを隠せなかった。
ゴーレムの腕を再生させていると、気配を感じ無事な左腕を翳させる。
表面に爆発が起きた。
「どうした! こっちがお留守だぞ!」
そんな威勢と共にアルが手から魔力弾を放つ。
「ちぃっ!」
それを防ぎながら、再生したての腕で森から木を毟り投げつけた。
だが、そんな攻撃に当たるはずも無く。
「ははは! 当たらんぞ!」
歯を食いしばるが、挑発には乗らない。
後ろを振り返ると、やはり大剣を持ちこちらへ駆ける少女の姿がいた。
ゴーレムへ振り向き様に腕を振り被り、鎌で草を刈り取るように振り抜く。
それをルイズが大きく跳躍して避わすと、残る腕を振り被り――
――ドドン……
ゴーレムの背中に、魔力弾が次々と直撃する。
「ちょこまかとぉっ!!」
アルへ注意が向けばルイズが、ルイズへ注意が向けばアルが。
常に対称的に動く2人に翻弄され、激昂しかけたフーケに何か引っかかった。
(風竜のお嬢ちゃんは――どこに?)
その考えに至ったとき。
「きゅぃぃぃいいいっっ!!」
「上かぁっ!!」
その鳴き声に空を見上げると、こちらへ急降下する風竜の姿がある。
「やらせるかぁ!」
ゴーレムが手に持つ木を投げつけた。
「きゅいきゅいきゅいきゅいっ!!」
それをスレスレでシルフィードは回避し、その首に跨るタバサが準備していた
魔法を解き放つ。
空気中の水分という水分を集まり、巨大な氷柱が出来上がり。
「『ジャベリン』!」
タバサが杖を翳すと、それは猛烈な勢いで迫る。
普通ならそれで決着が付いていただろう。
だがフーケも並のメイジではない。
「ぅおぉぉおおおおっ!!」
伸び切る直前のゴーレムの肩を崩す。腕は勢いをそのままに肩から外れ『ジャ
ベリン』と激突した。
砕けた氷と土が舞い、その中をシルフィードがゴーレムを這うように猛スピー
ドですれ違う。
フーケはそれを見てすぐに攻撃しようとし――影が差す。
「かーくごーっ」
再び見上げた空には、こちらへ跳躍する黒尽くめの小さな影――エルザがいた。
「三段構えっ!?」
とっさに下がったフーケのいた場所にエルザは着地すると、一切の間を持たず
にこちらへと迫った。
「――っく!」
杖を構えるが密着距離まで間合いを詰められる。
こちらへ組み付こうとするエルザに、杖を持たない方の手で短剣を抜き斬り付
けた。
「あぶなっ」
それをエルザは避わすと、フーケは杖を構える間合いを取ろうとする。
だが、エルザが絶妙な間合いを取り。常にメイジにとって嫌味かつ自分は逃げ
やすい位置へ移動していた。
「ふふん、伊達に50年以上人間相手にしてきたわけじゃないよ……てりゃぁ!」
そして、一気にエルザが間合いを詰める。
斬りかかる短剣を紙一重で掻い潜ると、身体へと組み付いた。
「くぅっ!」
引き剥がそうとするフーケに構わず、エルザは大きく口を開ける。
フードの奥でメキメキと犬歯が伸び鋭くなった。
「いただきまーす!」
見えない位置だが、ぞくりと悪寒を感じフーケは短剣を逆手に持つと。
「舐めんじゃっ無いわよ!」
自らの身体を刺し貫くかのように短剣を振るった。
「おおっと!?」
フーケの肩に短剣が突き立ち、さすがにエルザもフーケから離れ――そこへフ
ーケが蹴りを放つ。
「ぎゃんっ」
それはエルザの腹に当たり、ゴーレムの上から弾き出した。
「はぁっ……はぁっ……」
肩から手を離すと、杖を持ち替える。
突き立った短剣はそのままに下を見る。そこでは落ちたエルザをシルフィが回
収しているところだった。
「よくも……っ」
怒りに燃えるフーケはゴーレムへと指令を送る。
それにゴーレムは応え。地面から吸い上げた土で腕を再生させながら、叩き落
とそうとして。
桃色の髪が目に入った。
今ゴーレムは、タバサの襲撃を受けて立ち尽くしている。
ルイズが足を止めると、アルが傍へ寄ってきた。
「無事か?」
「ええ」
本当は足の痛みが少し酷くなっているが、そこは我慢する。
「さて、この木偶の坊をどうしてくれよう」
そういうとアルがゴーレムを見上げた。
30メイルもある巨大なゴーレム。
並大抵の方法では破壊できないだろう。
先ほどの〈灼熱呪法〉ならば、破壊も可能ではあるが、あれを生身でもう一度
使えば身体が持たない。
「っく……あやつがいれば……あんな泥人形なんぞ……」
そんな呟きが聞こえたが、触らないでおく。
どうするかと悩む中――
――脳内で。
――イメージが弾けた。
――それは、偃月刀を手に戦う男。
――その偃月刀を男は振り被り……
偃月刀を握り締めると、ギチリと手袋が鳴る。
「アル援護して」
「なにをする気だ?」
ルイズのゴーレムを見る目は鋭く、アルへと顔を向けると笑いかけた。
「もちろん、倒すのよ」
それにアルは、目を丸くした後。ニヤリと笑い返す。
「上等だ。しくじるなよ」
「ふんっ」
ゴーレムへと向かうと、ルイズは偃月刀を握りなおす。
ルーンが自らを発行させ、漲る力のまま。
「行くわよ!」
「応とも!」
2人は弾けるように飛び出した。
森の中を駆ける、駆ける、駆ける――!
近づいていくゴーレムの上。争う影が2つあり、そのうち1つがゴーレムから落
とされた。
そしてシルフィードが影を救い、そこを狙ってゴーレムが腕を振り上げる。
狙うのはそこだ。
強く強く強く強く、強く偃月刀の柄を握り締める。
それに伴いルーンの輝きは際限なく高まり。
木々の下を抜ける。
近づいていくわたしを見て、ゴーレムが腕を振り上げ――表面で爆発が起こり
阻害される。
アルが魔力弾で援護していた。
「はぁぁあああああっっ!!」
倒木を足場に、偃月刀を背後へと振り被りながら思いっきり踏み込み――その
瞬間、ブーツから魔力の本流が溢れ、倒木を踏み砕き宙へ飛翔した。
風を切る感触が頬を撫ぜる。
近づいていくゴーレムを前にして目を瞑る。
心に浮かぶは様々な感情。
怒り、悲しみ、憎しみ、寂しさ。
引き裂こうかという感情の渦が熱く熱く胸を焦がす。
キュルケのことを思い、ボッと胸に火がついた。
その感情を魔力へと変換し、魔力を感情のままに魔術へと組み立て、偃月刀へ
と流し込んでいく。
「――ッ」
目を見開く。
振り被る偃月刀に力を溜めに溜めて――投擲した!
偃月刀は円盤状に広がると、ものすごい速度でゴーレムへと迫り……その胸に
突き立つ。
それを見たフーケは、ゴーレムへと指示を出し。
ルイズは手で印切ると宣言した。
「――燃やせっ!!」
その言葉に、偃月刀へと込められた魔術が反応した。
偃月刀を中心として、構成される魔力を燃料とし――その全てを燃焼させる。
――二度目の太陽は、少し小さかった。
着地したルイズの目の前には、上半身を大きく円状に抉られたゴーレムが佇ん
でいる。
そこへデルフが落ちてきて、ルイズはそれを掴む。
その姿は元の錆が浮いた大剣へと戻り、所々煤が付いている。
「……投げるわ燃やすわ……ひでぇぜ相棒」
ブツブツと文句を言ってきた。
「いいじゃない、大活躍だったんだし」
ルイズがそう言うと、ボロボロとゴーレムが崩れだした。
「上出来だな」
声に振り返ると、腕を組んだアルがいる。
「またあんたは偉そうに……」
そう言い力を抜くとルーンから輝きが薄れ、ルイズの手袋とブーツが解け、頁
が舞った。
それはグルグルと回ると、アルへ向かいその体へと張り付き同化していく。
「ふむ」
アルが頷き。ルイズの世界が少し揺れた。
今まで興奮からか薄れていた足の痛みが戻り、疲れからか立つのも辛かった。
「おいおい、大丈夫かい」
ふらつくルイズの傍で、バサリと風が舞った。
シルフィードが地上へと降り立つ。その背から、もう少しだったのにぃ! と
なぜか悔しがる少女を連れタバサは2人の前へと移動した。
「――」
タバサを前にしてルイズは俯く。
キュルケはタバサの親友だと聞いている。それを自分のせいで死なせてしまっ
たのだ。
すっとタバサがこちらを見上げ、その口を開ける。
そこからどんな罵倒雑言が飛び出そうとも、ルイズは受け止めるつもりであっ
た。
「……彼女を――」
ルイズはぐっと唇を噛み締め。
バチッ――ガラン。
「いて!」
手に石飛礫が当たり、デルフを取り落とした。
ハッと痛む手を掴み、そちらを向く。
そこには、片腕を血に染めるボロボロのフードの女。
「フーケっ!?」
ルイズは落ちたデルフを拾うとするが。
「動くんじゃないよ!」
フーケが杖を向けて動きを制した。
「そこの2人もだっ! 妙な動きをしたら容赦なく殺すからね」
その声に、動こうとしたタバサとアルも止まる。
「そこの小さい娘。杖を地面に置きな」
息も荒くフーケは命令する。
それに従い、タバサはゆっくりと屈むと杖を置く。
「ふん、ずいぶんと執念深いな。さっさと逃げておけばいいものを」
それにフーケはフードから覗く口元を歪めた。
「こっちも色々事情があってね。目撃者は消さなきゃいけないんだよ」
フーケの一番の特性は、その大胆な盗みではなく、常に正体が不明なことであ
る。
例えそれが性別であっても、バレる訳にはいかない。
「随分とあたしをいたぶってくれたね。お返しはちゃんとするよ」
フーケがチロリと青ざめた唇を舐め、杖を握り締め。
「それじゃあ、あたしからもあるわよ」
突如声が響いた。
その場の全員が振り返ると、そこに木に持たれるキュルケがいた。
「はあい」
場違いな挨拶をすると、キュルケが手に持った物を投げた。
それは細身の剣であり、ルイズへと向かい放物線を描き。
「ちっ!」
我に返ったフーケが魔法を唱えようとするが。
剣を掴む。ルーンが再び輝き、ルイズは一足でフーケへと踏み込み剣を振るう。
「ふ――」
「く――」
咄嗟にフーケが後ろへと飛び、剣は杖とそのフードを切り裂いた。
跪いたフーケの懐からバサリと書物が落ち、切り裂かれたフードが落ちた。
「勝負あったわね」
剣を突きつけたルイズは、フーケの顔を覗き込み――驚きの声を上げる。
「……ミス・ロングビル」
そこにはオールド・オスマンの秘書ロングビルの姿があった。
「ど、どうしてっ。ミス・ロングビルがフーケだなんて」
困惑するルイズ。キュルケが前に出る。
「あなたがフーケでよろしいですね? ミス・ロングビル?」
ふん、とフーケは鼻を鳴らした。
「見ての通りさ。あたしが“土くれ”のフーケさ」
「なにがあったのかは知りませんが、詳しい話は後で。賊は賊として捕まえさ
せてもらいますわよ?」
キュルケはそう言い、タバサが頷く。
杖もなく、片腕は動かず、囲まれた状況でさすがに逃げ道を見出せないのか。
「……好きにしな」
逃げ場は無く、フーケがそう吐き捨てた時。
“………ぅ……いぇ……”
そんな声が聞こえた。
全員が周囲を見渡すが、気配は無く。
「そこだっ」
アルの指し示す場所には、フーケが落とした『異端の書』があった。
その表面には、フーケのものだと思われる血がべっとりと付着している。
付着した血が、書へと染み込み消える。
すると表紙の文字が輝きを放ち、書が独りでに開き始める。
――バラバラバラバラバラバラ……
書から頁が渦を巻き飛び出す。
それは驚愕するルイズへと向かい舞う。
慌ててルイズが下がると、頁はグルグルとフーケの眼前に吹き溜まる。そして
中央へと集まっていき――
「……ら……ら……」
声が聞こえた。
「――ルルイエ異本っ!」
呻くようにアルが言う。
するとフーケの前に、どこか遠くを見詰める異国風の姿の少女が立っていた。
「ルルイエ異本?」
聞き返すルイズにアルは苦虫を潰したような顔をする。
「妾たち魔導書の中でもとりわけ厄介な部類だ……」
「あんたが厄介って……」
その言葉にルイズは息を呑んだ。
ふらふらと揺れるルルイエ異本は、こちらへの関心は無いようでフーケへと向
き直る。
「な、なんだい……」
どこか怯えるような声を出すフーケに近づくと。
「血……血……足りない……構成……足りない……」
その血の流れる傷口へと指を突き入れた。
「ぎっ!?」
苦痛の声を出し、フーケはルルイエ異本を止めようとするが。
「ぁ……あぁぁ……ぁぁああっ!!」
何か体から吸い上げられる“おぞましさ”に硬直した。
ぐらりとフーケが倒れルルイエ異本に寄りかかった。
「ら、ら……まだ、足りない……ら」
寄りかかられたルルイエ異本はふら付きながらされるがままとなる。
「まずい……」
アルが焦ったような声を出す。
それを感じたのではないのだろうが、ルルイエ異本はフーケの顔を掴み、その
オッドアイで瞳を覗き込んだ。
「ぁ……あぁ……」
「あなた……知ってる……強い、魔力……持ち主……を、知ってる」
その呟きと共に体から“神聖な邪気”があふれ出す。
「くそっ!」
アルが手を翳し、タバサが杖を構える。
「当てても構わん!」
魔力弾と風の塊がルルイエ異本へと迫り、直前で弾かれた。
「力が足りんかっ!」
その横をルイズが疾走する。
瞬く間に距離を詰め、剣を振り――
――ザザザザザザザザザザザザザザッ!!
フーケとルルイエ異本が大量の頁の渦に巻かれ、剣は空を切る。
回転する頁は空へと舞い上がり――
「ま、待てっ!!」
アルの言葉虚しく虚空へと去っていった。
後に残されるのはボロボロのフードと杖の残骸だけだった。
「なによ一体……」
ルイズは膝を突くと剣を放り。
「というか、生きてたのねキュルケ」
キュルケへと目を向ける。
「勝手に殺さないでくれるかしら」
軽く憎まれ口を返すぐらいだ、体に異常はないのだろう。
「どうやって生き残ったのよ……どこにも姿がなかったじゃない」
「ああ、それはね……」
ルイズを突き飛ばした後、咄嗟に『錬金』で地面に穴を掘り潜り込んで、ゴー
レムの一撃を凌いでいたらしい。
妙にタバサが冷静だったのも、それを空から確認してたからのようだ。
「まあ、衝撃で杖は折れて、さっきまで気を失っていたんだけどね」
それを聞いたルイズは、大きく息を吐き出した。
「なんなのよ……もう……」
死なせてしまったと、散々悲しみ荒れていた自分が馬鹿馬鹿しくなる。
『異端の書』は少女になって飛んでいって、フーケはそれに連れて行かれて――
「あ、そういえば。『破壊の杖』はっ!」
思い出しかのようにルイズが言うと。
「……フーケは持ってなかったわね」
「隠せる大きさじゃない……」
キュルケとタバサの言葉に、ルイズの顔が青く染まる。
思い出される自分の行動。思いっきりぶっぱなした魔術。
「ま、まさか――」
「うむ、汝が燃やし尽くしたのだろうな」
アルが頷くと、ルイズはその場にへたり込む。
「そ、そんなぁ……」
そんなルイズをキュルケが笑う。
「ばっかねぇ」
「誰のせいだと思ってのよ!」
思わず言うルイズに。
「「「「あなた(汝/相棒)のせいでしょ(だろう)」」」」
「きゅい」
4人と1匹と1本が返す。
「なによーー!!」
ルイズが空へと向かい叫び声を上げた。
学院長室でオスマンに迎えられ、4人は事件の報告をした。
フーケの正体と『異端の書』と『破壊の杖』の行方。
「そうか……ミス・ロングビルがの……」
それらの経緯を報告するとオスマンは深々と息を吐き出した。
「あ、あのオールド・オスマン……」
おずおずとルイズが前にでる。
「ん? なんじゃ、ミス・ヴァリエール」
「あの、結局2つとも宝を取り戻せなくて、オマケにフーケまで逃がしてしま
い――」
宝のうち1つは自らが焼滅させたのだ。小さくなるルイズの頭に、ぽんとオス
マンは手を置いた。
「いや、いいんじゃ。お前さんたちが無事なら。のうミスタ……コールタール」
「私は発癌性物質ではなく、コルベールです! まあ、そうです。あなたたち
が無事ならそれに勝るものはありません」
コルベールが頷き、くしゃりとオスマンは笑いかける。
「で、でも――」
まだ何か言いかけるルイズを、オスマンが遮った。
「今日は『フリッグの舞踏会』じゃ、フーケの騒ぎでゴタゴタしておったが問
題なく開かれるじゃろう」
キュルケが顔を輝かせる。
それにオスマンはほっほっほと笑い、促す。
「もう報告はよいぞ。存分に楽しんでくるとよい」
その言葉にキュルケとタバサは早々に退室し、ルイズも礼をして退室しようと
したが。
「アル、どうしたのよ?」
その場を動かないアルへと声をかける。
「先に行っておれ。我は少々ここで休む」
偉そうに言うアル。
「あんた、なに失礼なことを――」
ルイズは目を吊り上げるが。
「ええんじゃええんじゃ」
オスマンの手前、怒るわけにもいかず渋々と退室していった。
「翁よ、少し聞きたいことがある」
「なんじゃ?」
きょとんとするオスマンへ、アルはいきなり切り出した。
「あの魔導書『ルルイエ異本』をどこで手に入れたのだ。あれは本来、この世
界にあるはずのないものだ」
ふむ、とオスマンは頷き手を顎へ当てた。
「そうだの……お主には話してもよさそうだのう」
オスマンは昔を思い出すように目を閉じる。
「あれはもう、200年ほど前になるかの……」
当時大陸中を渡り歩いていたオスマンは、旅の途中である老人と出会い意気投
合し、行動を共にするようになる。
その旅は奇妙なことの連続であった。
老人は主に遺跡を巡り、調べ。その途中途中で摩訶不思議な生物と出遭い、戦
い。不思議な物品を回収、または破壊してきた。
ほぼ大陸を制覇した頃。ある日、老人が一冊の古書をオスマンへと渡す。
老人はその本を、どこか安全な場所へ封印するために大陸を巡っていたという。
その古書を頼むと、老人はどこぞへと消え。オスマンは後に魔法学院を建て、
その宝物庫で古書に強力な封印を施した。
「……ということじゃ」
そこまで話すとオスマンは息を吐く。
「その老人の名は?」
「……わからん。最後まで教えてくれなかった」
それにアルは頷き。
「そうか。邪魔したな」
その言葉を残し、パタリと扉が閉められた。
その後、学院長室にての会話。
「そういえば、結局あの『破壊の杖』とはなんだったんですか?」
「うむ、あれはワシが大陸を旅している時に行き倒れた青年を助けてな」
「ほうほう」
「その青年は水と食料を分けると、錯乱してらしく謎の発言と行動の後、お礼
と言って無理矢理に押し付けられたものなのだ」
「はあ……では、なぜ破壊の杖と?」
「その青年が『アイム! ロックンロール!』と言って杖を構えると、家ほど
もある岩を一撃で吹き飛ばしたのじゃ」
「それは興味深い!」
「まあ、渡されても。ワシには一切使い方がわからんかったのじゃが」
「その青年は?」
「背中にみょうちきりんな箱を背負ったまま、どこぞへ爆走していった」
「……それで?」
「ワシはそれを破壊の杖と名づけて宝物庫へ放り込んだ。終わりじゃ」
「…………」
その日、フリッグの舞踏会は大きな賑わいを見せる。
耽美な衣装を身に纏った生徒達が集まる中、フーケを追い詰めた、とオスマン
から直々に賞賛された4人は注目の的となる。
今まで自分を馬鹿にしていた男たちが、ここぞと目の色を変えて寄ってくる。
キュルケは楽しんでいたが、ルイズにはうんざりであった。
何度目かもわからぬダンスの誘いを断り、ふと周囲を見回す。
先ほどまで、タバサと競うように料理を貪っていたアルの姿がなかった。
どこに行ったのか探すと、その姿はすぐに見つかる。
「どうしたの?」
テラスに腰掛けているアルの隣へ並ぶ。
チラリとルイズを見ると、アルは視線を外へと戻す。
「いや、いい月夜だと思ってな」
テラスから身を乗り出すと、吹き付ける風が冷たく、視線の先には野原に佇む白き巨人が見えた。
「…………」
「…………」
互いに無言。
ただ、風だけが吹き抜けて――
――ぐるるるる……
「ふむ、腹が減ったな」
「……あんた少しは空気を読みなさいよ」
ガクリとルイズは崩れ落ちた。
双子の月夜に照らされて、穏やかに夜は過ぎていく。
「――届いた」
双子の月が見下ろす学院の中でもっとも高い場所。
フーケが破壊した宝物庫がある塔の天辺で、彼女はしたりと言い放つ。
暗闇を押し固めた黒髪に熟れた豊満な身体を、まるで拘束するかのように隙間
無く着込んだ黒いスーツ。その肌は区切られたように白く、そして潤っている。
夜闇に溶けるかと思われるその黒は、まるで夜闇が明るいと言わんばかりに黒
く黒く黒く闇を貪り。
夜闇に際立つかと思われるその白は、まるで夜闇が仲間だと言わんばかりに白
く白く白く闇を犯す。
もしも最たる美を突き詰めれば、彼女はその1つとなるだろう。それは醜歪の
極致へ至り、美乱の根源を踏破するような甘く、ひたすら甘く、限りなく甘い
蟲毒のような美である。
彼女は豊満な胸を抱えるように腕を組み、気軽にそこに座る。
「多少、本来の脚本よりも早めに進んでいるけど。概ね予定通り」
楽しそうに笑いながら肩をすくめる、おどけるような一人芝居。道化を気取ろ
うにも上る舞台はなく、他に役者はおらず、周囲に観客はいない。
「おおっ神よ! 我が愛しの父! 我が嘲笑すべき主! ここに笑いあり、涙
あり、傷あり、怒りありの大活劇は始まりました!」
否――道化はすでに舞台へと上っている。
「大根役者はみな揃い、笑いの劇を真剣に、悲しみの劇を笑いながら、拙い劇
をしたり顔で、怒りの劇を悲しみながら!」
否――役者はすでに舞台へと配置されている。
「民衆たちを虐殺する灰被り姫を! 王子が眠った姫を貪る白雪姫を! 堕落
し朽ち果てるピノッキオを! 互いを殺しあうヘンゼルとグレーテルを!」
否――観客はすでに舞台へと見入っている。
道化は笑う。
「まだ幕は昇ったばかり。お帰りになるにはまだ遠く、食い入るまでにはまだ
早い」
手を大きく広げ、芝居がかった仕草で立ち上がり、クルリと回る。
「舞台はまだまだ未完なれど」
遠く地平を……いや、この舞台(世界)そのものを見つめ。
「役者はまだまだ拙いけれど」
眼下には煌びやかな光を発する舞踏会を、そこで踊り楽しむ役者(人々)を見
つめ。
「彼らの劇を時に楽しく、時に悲しく、時に傷つき、時に怒りながらご覧くだ
さいませ」
塔の鋭角の屋根に”直角に立ち”ながら、両の手を広げる。
「そう――外なる宇宙の神々よ!」
虚空を――虚空の向こう側、闇のまた闇、星のまた星、宇宙のまた宇宙へ――
”燃えるような三眼”で見上げると。
亀裂のような口を広げ“醜歪な美笑”を上げた。
『ハハ[ハは]はハ“はは”ハ「ハ」ハはハは――!』
道化はただ独り舞台端で踊る。
それはとてつもなく滑稽で、とてつもなく優美で、とてつもなく邪悪だった。
風なびく草原の只中。
その機体はただ独り佇むのみ。
「…………」
その胸に心臓はなく、その巨体には露ほどの力すら流れていない。
傷つき傷つき傷にまみれ。永劫に近い時を潜り抜け。ようやくその役目を終え、
眠りに付いた鋼の巨人。
友と戦い、友と巡り、友に慈しみと共に眠りを告げられた機神。
彼はもう戦うことはなく、戦うことすら出来ない。
かつて魔を断ち、神をも殺した剣は。自らその身を折り、そして錆び果てるに
任せるのみ。
ならば、
――ヴォン!
これはいかなる奇跡なのか。
主動力である術者の魔力もなく、補助の電力も使い切り――そもそもハートレ
ス(心臓無し)である彼の目に、光が灯る。
確かに剣は折れた、確かに剣は錆びた。
世界から見放され、時から忘れ去られた。
ギ、ギギ……ギ――
力がないはずの機体の首が動く。
軋みを上げ、顔を向けた先にあるものは、トリステイン魔法学院。
無機質なその瞳は、邪悪なる意思を感じ取り。目に宿る光は、熱く、眩く、苛
烈で――折れてもなお、剣は剣足りえるのか。
「……――」
だが、瞳から光が消える。
風が吹き草原を揺らした。
まだ彼を――剣を求める声は、ない。
#navi(魔導書が使い魔)
#navi(魔導書が使い魔)
その者は追う――追うたびに血が吹き上がる。
その者は斬る――斬るたびに肉が飛び散る。
その者は燃やす――燃やすたびに灰が風に乗る。
その者は戦う――戦うたびに傷が増える。
その者は憎む――憎むたびに己が削れていった。
その者は復讐者(アヴェンジャー)である。
始まりは奇妙な本との出合い。
その時間には死んでいるはずの愛すべき者と過ごした熱い夜。
それが――彼が深遠へと足を踏み出す切欠だった。
ただひたすらに追って、追い詰め、斬って、燃やして、戦って、憎んで憎んで
憎んで――憎悪と闘争の日々を過ごす。
彼は憎む――愛すべき者を殺した男を。
彼は憎む――愛すべき者を模った老人を。
彼は憎む――愛すべき者を汚した魔術師を。
激怒で憤怒で憎悪で怨嗟で烈火で業火で焼き尽くすためだけに。
才無き身を酷使し、脆弱な精神を削り、気高き魂を火にくべながら。
ひたすらに追い続け戦い続け憎み続けていた。
その手に持つはか細いステッキと一冊の本。
本がばらけた。
『……アズラット』
それは宙を舞うと、纏わり付くかのように彼の周囲を回る。
彼はそれを見ない。
手が印を組む。
「ヴーアの無敵の印において――」
つむぐ言葉は力に満ち――否、溢れて堕ちる。
『……アズラットっ』
「力を与えよ――」
第二指と第五指を上げ、印を結ぶ。
「力を――」
手に持つステッキが炎に包まれ、その身を燃やし始める。
だが彼は炎すら異に解さず、鍛造された魔刃を握り締め。
「――力を、与えよ!」
業火が全てを燃やし尽くし――
『――アズラットッッ!!』
妾は叫び続けた。
……“妾”?
それは誰? 妾は/我は/妾は/我は/妾は/……『わたし』は――
「これは由々しきことだ」
翌朝、関係者一同が揃った中。一通りの事情を聞き終えたオールド・オスマン
は言った。
その言葉で薄く靄がかかったルイズの思考が回復する。
「ちょっとルイズどうしたのよ」
ひそひそとキュルケが話しかけた。
「なんでもないわ、ちょっと夢見が悪かっただけよ」
そっぽを向くとルイズは改めてオスマンへと視線を向けた。
事件の目撃者と言うことでこの場に同席を許されたルイズ、キュルケ、タバサ、
そしてアルの4人。
それぞれがいつも通りの格好の中、ルイズはデルフを背中に佩いている。
その4人に奇異の視線が向けられるが4人とも無視……はおろかアルにいたって
は欠伸すらかましていた。
オスマンは集まった教師たちを見て重々しく口を開く。
「この魔法学院を開いて100余年。国から、いや大陸から一心の信頼を保って
きたこの学院にとって、今回のことはただ賊が入ったことではすまない」
それはそうだろう、なにせここは魔法学院。メイジの巣窟。王宮の宝物庫と引
きを取らないと言われるこの学院の宝物庫が、大胆かつ容易く破られたのだ。
ことによっては学院の存在意義にすら波紋を広げるだろう。
一同が息を呑んだ中、教師の1人が声を張り上げる。
「昨日の当直は誰だ!」
その言葉にそっとコルベールが前に出る。
声を張り上げた教師――ギトーはコルベールに詰め寄ると騒ぎ始めた。
「ミスタ・コルベール。あなたはいつも当直時間まで自分の研究室へ篭ってい
るという。昨日は虚無の日。他の教師が出かけている中、たとえ当直時間外だ
としても、周囲に気を配らねばならないのではないかね?」
あまりといえばあまりな言い分だが、コルベールは素直に頷く。
「返す言葉もございません。この事件のことも私の責任の一端でしょう」
「そ、そうです! この責任は全て――」
一瞬怯みそうになったギトーはそれを恥じるように更に口を開こうとして。
「――止めぬか」
オスマンが止めた。
「ですがっ」
「今はつまらぬ責任追及をしている時間か?」
ギロリと睨むと、ギトーは黙る。
いつとは違う、凍りつくような気配。そこにいるのは飄々と他人をからかう色
ボケ老人ではなく、生きた伝説として名を馳せる大陸有数の魔法使いの姿だっ
た。
押し黙る皆を見渡すとオスマンはとある紙を掲げた。
「これは宝物庫に張ってあったものだ」
その紙には端麗な文字で『破壊の杖と異端の書、確かに徴収いたしました。土
くれのフーケ』と書いてある。
「土くれのフーケだと!」
「あの巷の……っ」
「巨大なゴーレムを操るという……」
その言葉にざわめきが広がる。
「止めんか」
騒ぎ出す教師達をオスマンが再び止めると、厳かに言う。
「賊に宝物庫を襲われたとあっては学院始まって以来の最大の恥。これより捜
索隊を編成する。我こそはと思う者は、杖を掲げよ」
その言葉に一様は。
「…………」
誰も動かなかった。
誰もが他人の顔を見ては視線を逸らし、できるだけ目立たないようにそわそわ
と周囲を窺うだけである。
それはそうだろう。宝物庫のあった塔はその重要度の高さゆえ、並のメイジで
は太刀打ちできないほどの防衛性を持っていた。
それを呆気なく打ち破ったフーケはおそらくスクエア級。仮にトライアングル
だとしても、スクエアに近いトライアングルであることは想像に難くない。
そんな相手と正面きって戦いたい者などいるはずもない。
「情けない……それでもお主らはメイジなのか……」
それを見て嘆きか呆れかオスマンは手で顔を覆う。
「あ、あの……」
おずおずと豊満な中年女性――シュヴルーズが前に出た。
それにオスマンが少し声を和らげる。
「おお、ミセス・シュヴルーズ。お主が出てくれるのか?」
その言葉にシュヴルーズは大きく首を振った。
「い、いえ!」
「……ではなにかね?」
怪訝になるオスマンにシュヴルーズが弱弱しく切り出した。
「その……これは王宮に連絡を取り、追撃の者達を派遣されては……」
「そ、そうだ! そうすればいいんだ!」
「なに王宮もこんな事態ならば早々に動いてくれる!」
浮かれ気味に――己が出なくてもいい、という状況を想像し話し出す教師達に。
「そうかそうか」
オスマンはその手の杖を握り締め。
「お主らが行かぬとあれば、ワシが行くまでじゃ」
そのまま出て行こうとするのを教員全員が止めに入る。
「ま、待ってくださいオールド・オスマン!!」
「なにをする。離さんか!」
教師達を振り払い向き直るオスマンをギトーは必死に説得しようとする。
「もしもオールド・オスマンを行かせたのならば、我々の立つ瀬がありません!」
その言葉にオスマンは顔を赤くし。
「馬鹿者どもが! 相手の名を聞いて萎縮し震えて杖を抱えるような者たちに、
そもそも立てる面目などなかろう!」
あまりの剣幕に、止めに入っていた教師達が1歩下がった時。
「失礼します」
部屋の扉が開き、1人の女性が入ってくる。
「おお、ミス・ロングビルではないか。今までどうしておったのだ?」
オスマンの問い掛けにロングビルは手にした書類を抱え直しながら答える。
「フーケが壊した塔の修繕費用の試算と、他に盗まれた物がないかリストの作
成を。あと、フーケの手がかりを探しておりました」
「ほほう、それで。なにか掴めたかの?」
少し篭った期待にも、ロングビルは首を横に振る。
「いいえ、さすがにたいしたものは……」
「そうか……」
落胆の声。それに乗っかるようにシュヴルーズが呟き。
「や、やはり……そもそも今フーケがどこにいるのかもわかりませんし……王
宮に」
そんな言い訳じみた言葉に
「はん、そんなこともわからないのか。この世界の魔法使いとやらは」
どこからかそんな声が返ってくる。
一斉に視界が集まる。そこには、いかにも見下すような目で教師達を見るアル
がいた。
「ちょっと! アル!」
咄嗟にルイズが注意するが、それをギトーが睨みつける。
「君……どこの平民かは知らないが、これはメイジしかわからな――」
「戯言は聞き飽きた。少々黙れ下郎」
「な、かっ!」
言葉を失うギトー。彼はすぐさま憤怒に顔を赤くすると口を開こうとして。
「――ほう。お前さんにはフーケの居場所がわかるというのか?」
オスマンが先を制した。
「直接ではないがな」
オスマンに向かっても不遜な態度を崩さないアルにハラハラとしていたルイズ
は、次の言葉で拍子抜けする。
「ふむ、ではお前さんにフーケ捜索を頼もうかの」
「待て」
それに不機嫌そうにアルが待ったをかける。
「なんじゃ?」
「確かに妾は居場所を探る術があるとは言ったが、汝らに協力するいわれはな
いぞ」
オスマンは目をまん丸にすると。
「何を言うか。力は天の采配。あるからには使わねばただの宝の持ち腐れ。そ
れとも、そんな力など本当は無く、ただ言ってみただけかの?」
ほっほっほと笑われて、アルの額に青筋が立つ。
「なんだと! 妾にかかればフーケだかブーケだかなんぞ1000人単位で見つけ
てくれるわ!」
「いやいや、無理はせんでいいんじゃ。無理なら」
どうどうと手で押さえるオスマンにアルは更に加速する。
「くどい! 妾ができると言ったらできるのだ!」
「ふむ、なら頼もうかの」
「ふん、すぐに見つけて――ん? なにか乗せられた気がするのだが?」
そして頷いてから、アルは不思議そうに首を傾げた。
「気のせいじゃ」
あっさりとオスマンは話を逸らすと声を張り上げる。
「これでフーケの居場所を探る手段はできた。それで再び問おう」
その場全員に緊張が走る。
「フーケの捜索隊へ、我こそはと思う者は、杖を掲げよ」
オスマンは皆を見渡し、声をかけた。
「のう、ミス・ヴァリエール」
「なんでしょうか」
「なぜお主が杖を上げておる」
「――っ」
揃いに揃ったメイジたちの中、ルイズだけが手に持つ剣を掲げていた。
その剣を即座に杖と判断したオスマンは、優しく話しかける。
「ミス・ヴァリエール。お主は学院の大切な生徒の1人じゃ。じゃからお主は
――」
「誰も杖を上げないじゃないですか!」
行くのを取りやめようとするオスマンをルイズは遮った。
そして真剣な目でオスマンを見定める。
「それに、アルはわたしの使い魔です! メイジと使い魔は一心同体。アルが
行くというのに主人であるわたしが行かないわけにはいきません!」
ふうむ、とオスマンは呻いた。
相手は公爵家の娘。この間の決闘騒ぎでさえ肝を冷やしたというのに、これ以
上危険に晒すのは心臓に良くない。だが、彼女の使い魔を使うからには、メイ
ジとして彼女の気持ちもわかる。
「じゃがのう……」
オスマンが言いよどんでいると。
「しかたないわねぇ……」
今まで黙っていたキュルケが杖を上げた。
「ミス・ツェルプストー、お主まで……」
呻きを前にして、キュルケは胸を張る。
「我が家の宿敵ラ・ヴァリエールが杖を上げているのに、このツェルプストー
が杖を上げないはずはありませんわ」
そしてその横からすっとまた1本杖が上げられる。
「あら、タバサ。あなたは付き合わなくてもいいのよ?」
「……親友」
言葉少なな友人の言葉にキュルケは顔を綻ばせた。
「なによ、あんたはこなくていいのよ」
ぶつぶつとルイズが呟くが、キュルケはあえて流した。
「ふむ、2人が付くなら安心じゃろうて。2人はトライアングル、しかもミス・
タバサは若くしてシュヴァリエの騎士でもある」
一瞬周囲がざわめいた。
「では、他にはおらぬか?」
オスマンが教師達を見渡すが杖を掲げる者は誰もいなかった。
「それではこの者たちに、フーケ捜索の任をまかせる」
そうして、この場は決まった。
ガタゴトと揺れる車輪に合わせ、田園風景が揺れる。
馬車に揺られるはルイズ、アル、キュルケ、タバサそしてロングビルである。
「すいません、ミス・ロングビル」
ルイズが口を開き、御者を務めているロングビルへと申し訳なさそうに言った。
「いえ、いいのよ。あなた達は馬車を上手く操れないでしょうし」
先ほど捜索隊は決まったが、肝心の移動手段でいきなり蹴躓いた。
相手は盗賊。どこに行くかはわからず、早くしないと遠くに行ってしまう。だ
からと言って『フライ』などを使っては精神力の消耗が激しく、徒歩では追い
つけず、そもそもルイズは魔法が使えない。
そしてタバサの風竜は目立ちすぎるため却下。
1人ずつ馬に跨るのも手であったが、間の悪いことに昨日の虚無の曜日に真夜
中まで馬を乗り回していた輩(バラを咥えた馬鹿)がいたらしく、人数分が確
保できなかった。
そして残ったのが馬車馬だが、馬車を扱う技術は普通の乗馬とは違う。
誰も御者など勤めたことが無く、経験がなかったのだ。
困り果てる4人に助けを出したのがロングビルであった。
慣れた手付きで手綱を操りながらロングビルはルイズに微笑む。
「それに、私も心配でしたから」
「ありがとうございます」
ルイズが微笑み返すと頭にポヨンとか、ムニュウとかとても柔らかそうな感触
と重みが広がった。
「それにしてもミス・ロングビル。随分と手馴れていますわね」
キュルケだった。
その自慢のバストをルイズの頭に預け、覗き込むように御者席へと顔を出す。
「普通、貴族は馬車を操りませんわよ」
男なら10人いれば10人が喜ぶであろうその状況。だが、ああ……貧しきむ……
心を持つルイズが喜ぶはずもない。
「キュルケその無駄に重い物をどけなさいよ!」
鬱陶しそうに頭を振るが、魅惑の果実は退けず。キュルケは当然無視……どこ
ろか自慢するかの如く逆に押し付けながらロングビルへと視線を向ける。
ロングビルは、馬の方向を修正し口元に苦笑を浮かべた。
「私はもう、貴族の名を捨ているもので。生きるために色々やりました」
「へえ……それはどんな経緯で?」
その言葉にキュルケが食いついた。
「…………」
好奇の目を向けるキュルケにロングビルが寂しげな微笑を浮かべるだけ。そこ
をルイズが嗜める。
「キュルケ。変な詮索は止めなさいよ」
「なによ、いいじゃない。ねえ、ミス・ロングビル」
その言葉にも意に反さずに更に詰め寄ろうとするキュルケ。
「キュルケっ!」
「あなたはさっきから五月蝿いわね」
「人ととして聞いて良いことと悪いことが――」
口論が始まろうとしていた所を。
「――汝ら少しは黙らんか!」
御者台の上。ロングビルの横から怒鳴り声が上がった。
2人はギョッとしてそちらを見て。馬車の端で読書をしていたタバサは一度そ
ちらを見た後、また読書に戻る。
「よくもまあ、ぴーちくぱーちくと。これでは集中できん!」
怒鳴り散らすアルの手には、先に錘をつけた鎖が垂れ下がっていた。
なんの力か、ただ吊るしてあるのにクルクルと回っている。
「ねえアル……」
「なんだ」
偉く鬱陶しそうにアルが振り返った。
ルイズはそれも気にせず、疑いバリバリの目でアルを見る。
「本当にそれで、フーケの場所がわかるの?」
それにアルは鼻を鳴らし、見下すような目で返した。
「万事抜かりない」
そもそもがこのアルの発言がフーケ捜索の引き金となったのだが。
初めにアルがしたことは壁を壊された宝物庫に入り、なにかしらの“臭いを嗅
ぐこと”であった。
『くんくん……かなり“臭い”な。これを追えばよかろう』
そう言うとアルは懐から錘付きの鎖を取り出し、行く先を指定したという流れ
なのだが。
「それってどういう原理よ?」
疑わしき目を崩さないルイズ。
「ふむ、これはダウジングと言ってな。初歩だが物を探す魔術だ」
「物? 人じゃなくて?」
ひらひらと手を振った。
「人も探せるが、あの宝物庫には“かなり濃い臭い”が充満していてな」
「臭い?」
それにアルが頷く。
「ああ。それも飛び切り一級品のな。だが臭いはすれども、姿は見えず。恐ら
く盗られたのは臭いの元であろう。あの狸爺が慌てていたのも納得だ」
少し乗せられたことを根に持っているらしい。
「それで、その盗まれた『破壊の杖』と『異端の書』を探すわけ?」
「その通り、ようは盗品を取り戻せばいいのだ。汝にしては冴えているではな
いか」
「一言余計よ!」
それにルイズが返したとき。
「む」
アルの声が変わった。
「どうしたんですか?」
ロングビルが聞くと、アルは手元の錘の動きを見る。
「近い……」
錘は大きく揺れ、アルが慎重に方向を探るように翳すと
「そこの中だ」
森を指差した。
「本当に? まだ馬車で1時間ほどしか走っていませんよ?」
怪訝なロングビルだが、アルの自信は揺らがない。
「ふん、汝はわからんかもしれんが。これほどの反応。間違えるわけがない」
錘は森へと引っ張られるように伸びていた。
「…………」
馬車を降りた5人は一先ず森へと入ると、程なくして森の奥で小屋を見つけた。
「そこだ」
小屋はいかにも、長年放置されていたようで見事なまでにボロボロであった。
そして中にフーケがいる可能性を考慮して、誰が先陣を切るかという話になっ
たのだが。
「即座に行動できる、素早い人物」
「そうね、できるだけすばしっこいのいいわね」
「ええ、なにかあってもすぐに離脱できますからね」
「うむ、そのような者がいたならばなぁ?」
4人の視線が1人に集まった。
「ちょ、ちょっとっ! なんでわたしを見るのよ!?」
1歩後ずさるルイズ。
「だって……ねえ?」
「適材適所」
その言葉に皆頷き。
「ということだ、諦めな貴族の娘っ子」
カチャカチャと、からかうような声で背中のデルフも同意した。
「わ、わかったわよ!」
そういうとルイズが先頭に立ち、その後ろにアル、キュルケ、タバサが立つ。
「それじゃあ、あたしとタバサが続くわよ。ミス・ロングビル、あなたは外を
警戒してくれませんか?」
「ええ」
ロングビルが頷き、4人は小屋へと近づいていく。
ルイズは扉の前に来る。デルフへと手を回し握るとルーンが光を放つ。
後ろを振り向くとキュルケとタバサは杖を手に持ち、アルはペロリと舌なめず
りをした。
顔を見合わせ頷き合い。
「――せーのっ!!」
一気に踏み込んだ。
「――」
だが。
そこに広がっていたの、外見に相応しい場所であった。
蜘蛛の巣の張った椅子。埃の積もった食卓。だが詰まれた薪は妙に新しく、床
には埃の上に足跡が残っている。
そしてその部屋の隅には奇妙な――
「貴族の娘っ子。人の気配はねえよ」
デルフが囁く。
「あんた、そんなのわかるの?」
「ああ、すっかり忘れたぜ」
うっかりうっかりと言うデルフにルイズは溜息を吐いた。
「……もっと早く言いなさいよ」
ルイズは力を抜いて手を放すと、ルーンの輝きは失せる。
「誰もいないわ。それと『破壊の杖』と『異端の書』らしき物があるわ」
そして外へと声をかけた。
「どうやら、罠もなさそうね」
どやどやとキュルケに続いてアルとタバサが入ってくる。
「どれがそうなの?」
部屋を見回す3人に、ルイズが片隅のそれを指した。
そしてそれを見たキュルケは驚きの声を上げ。
「これが……盗まれた宝?」
タバサは目を目開き。
「――」
アルは――
「な――なぜこんな物がここにあるっ!?」
驚きと憤慨と苦渋とが混ざった声で叫んだ。
「ア、アル?」
その様子が気になり、ルイズが声をかけるがアルはぶつくさと呟くばかり。
「こんな物が……いや、なにかの間違いでは……だが、目の前にある物と、気
配は……」
「ちょっと、どうしたの――っ!?」
そしてただ事ではないと強く声をかけようとした時。
「――伏せて」
いきなりタバサに背を押され、全員が床に倒れる。
「ちょ、ちょっとっ」
いきなりのことに抗議しようとした言葉は。
――ズガンッ!!
小屋の屋根が吹き飛ばされることで飲み込まれた。
「な――」
綺麗に上半分が吹き飛ばされた小屋の外。
そこには30メイルほどはある、巨大なゴーレムが佇んでいる。
そのゴーレムの肩にはフードの人影。
「フーケっ!!」
叫びに反応するかのように、ゆっくりと腕が振り被られた。
それを見たキュルケは舌打ちをして立ち上がり、未だ混乱しているルイズを立
たせる。
「ほら、ぼさっとしない! 逃げるわよっ!」
そのまま手を引っ張ろうとするキュルケ。
「ちょっと待ってっ。『破壊の杖』と『異端の書』はっ!?」
ルイズがソレに視線を送るが。
「死んだらなんにもなんないでしょ!」
「でも――」
まだ反論しようとするルイズに、キュルケはいきなり抱きつき。
「っえ!?」
そのまま飛んだ。
――ズズン……
その場所をゴーレムの腕が押し潰す。
「いつまでも駄々こねてるんじゃないわよ!」
付いた泥を払いながらキュルケが怒鳴った。
「――っ!」
ルイズは反射的に顔を背ける。
そこでは、ゴーレムが『破壊の杖』と『異端の書』をすくっている所であった。
「汝らいつまで悠長に喧嘩しておる!」
先に離脱していたのか、後ろにアルとタバサが立っている。
「ふん……」
ルイズが顔を背けると、タバサは静かに言う。
「一旦、戦況を立て直す」
そして指を唇で咥えると、高い音色が響く。
「立て直すって、タバサ。あなたのシルフィードもすぐに来るわけじゃ――」
すると森の上空を黒い影がよぎった。
「きゅい!」
「来たよー!」
バサリと黒尽くめになったエルザを乗せたシルフィードが目の前に降りてくる。
「…………」
あまりといえば、あまりの登場の早さに声も出ない一同。
「どうせすぐ後をつけてくるのはわかってた」
しれっと言うとタバサは早々にシルフィードに乗り込む。
「早く」
タバサに促されるように次に乗り込むキュルケとアル。
だが。
「ルイズ、なにやってんの。早く乗りなさいよ」
キュルケが声をかけるが、ルイズはその場を動こうとしない。
フーケは宝を回収したのか、ゴーレムがダラリと腕を下げてこちらへ向き直っ
ていた。
「っち。汝、はよせんか!」
アルがイラつきながら言うが。
「わたしは、引かないっ」
その言葉に息を呑んだ。
「なにを言って――」
「――来る」
ゴーレムが1歩踏み出した。
アルの反論は呑みこまれ、タバサの指示でシルフィードは空へと舞い上がる。
そしてそれを見送りルイズはデルフを握った。
「おいおい、貴族の娘っ子。いくらなんでも、こりゃあ無謀ってもんだろ?」
カチャカチャと鍔が鳴る。
「無謀でもなんでもないわ」
スラリとデルフを抜き、煌々とルーンが輝く。
「それにね。わたしは貴族の娘っ子じゃなくて――ルイズよ」
「っは。その気位気に入った! さすが『使い手』だ!」
スッとデルフを構えると、ルイズは息を吸う。
「いくわよ!」
そして爆発するようにゴーレムへ向かって走り出した。
「馬鹿! あの子! なにやってのよ!」
キュルケはシルフィードの上で怒鳴った。
下ではルイズがゴーレムへ向かい、攻撃を行っている。
「タバサ! あの子に近づいて!」
吹き付ける風にも負けず、タバサへ声を張り上げるが、返って来た返事は簡潔
だった。
「無理」
「なんでよ!」
即座にキュルケが怒鳴る。感情が昂っていた。
「昨日と同じ理由」
「……っ」
つまりは、人数が多すぎるのだ。
このまま、遠くから魔法を使うのはいいが。牽制以外のなにものでもないだろ
う。
「どうしたらいいのっ!」
「ふむ――なんともめんどくさい契約者だ」
噛み砕かんばかりに歯を噛み占めるキュルケの傍から、そんな声が上がった。
その声の主へと顔を向けると。露骨にやれやれと肩を竦める銀髪の少女がいて。
「こちらは任せるぞ」
「なにを――」
ひょいっと虚空へ向かい、飛び降りた。
「へ――っ」
突如のことに固まるキュルケ。即座にタバサが『レビテーション』を唱えよう
と杖を構え。
――紙が舞った。
バサバサと、少女の体が“紙へと分解して”いく。
「なに……あれ」
そっと呟いた言葉はその場の全てを体現していた。
紙は風に逆らう不自然な動きで、渦を巻いて眼下を目指す。
その先には――
「――ああもう! 誰も彼も勝手なことばっかりっ!」
「はあああああっっ!!」
ルイズは全体的に動きの遅いゴーレムの足元へ、一瞬の踏み込み。
そして踏み込みの勢いをそのまま剣を振る力へと変換し、横薙ぎに振り抜く――
「どうっ!?」
渾身の力を込めた一撃は、見事ゴーレムの足へと食い込み大きな裂傷を作るが。
「ダメだ! やっぱりこいつすぐに治りやがる!」
出来た傷はすぐに埋まっていく。
「っく!」
そのまま、間髪いれず2撃目を入れようとルイズは振り被る。
「危ねえ! 下がれ!」
「っあ!」
デルフの言葉に、振り被った体勢から無理やり足首だけで後方へ跳躍した。
――ゴバッ!!
間一髪。横へ振るわれた腕が、ルイズがいた場所を地面ごと削る。
大量の土砂が舞い、木々にぶつかりそれを押し倒す。
「あっぶな」
「気をつけな。当たればただじゃすまねえぞ」
「見ればわかるわよっ」
緊張からかジワリと額に汗が浮く。
「次が来るぞ!」
「――っ!」
ゴーレムが大きく足を振り被る。
それを避けようとルイズが足へと力を込め――
「痛!?」
足首から大きな痛みが奔り、ガクンと膝を突いた。
先ほどの跳躍の時に負荷を掛けすぎたのか、ズキズキと響くような痛みが広が
る。
「おい! なにやってるんだ!」
カチャカチャと急かす声に顔を上げた。
「うるさ――」
ゴーレムの足が目の前で、こちらへ向かい蹴りだされる所であった。
一気に巨大な爪先が迫り――
目の前に――大量の断章が渦を巻いて割り込んできた。
書の断片は渦の中心へと集まっていき、その中心で少女が手をかざし、印を切
り――
「――第四の結印よ」
聖句と共に五芒星形が浮かび、それはあらゆる障害から護る盾となる。
――ガッ!!
そして大量の土の塊と盾とが拮抗した。
「ぐっ――!!」
バチバチと火花を飛ばし、双方力をぶつけ合う。
じりっとアルの手が震えた。
それに対しゴーレムに更なる力を込めようとして、フーケは杖を振り上げ――
ゴーレムがフーケを覆うように腕を上げる。
すると、火球と風礫が土の表面で弾けた。
上空のシルフィードから放たれたタバサとキュルケの援護である。
気が逸れたのは一瞬。だが僅かにゴーレムの力が緩まり、アルは防禦陣を、防
勢から攻勢へと切り替えた。
腕を振るう。
「――弾け飛べっ!!」
今まで耐えることへと注がれていた力が、迎撃へと変わり。ゴーレムの足を弾
き飛ばす。
「――っ!?」
予想外の衝撃にゴーレムがたたらを踏み、重々しい音を響かせ木々を巻き込ん
で大きく倒れた。
それを見たアルは鼻を鳴らすと振り返る。
「なにをやっておる、このうつけ! 汝1人で渡り合える相手か。身の程を知
れ!」
叱咤されたルイズは一瞬怯むが、すぐにカッとなり言い返す。
「五月蝿いわね! そんなのやって見なくちゃわからないじゃないっ!」
その様子に、まずいとアルは感じた。
(力に呑まれかけているな)
望んでいた魔法ではないにしろ、与えられたルーンの力。いや魔法で無いから
こそ、ルイズはその力に頼り溺れそうになっている。
(だが……それにしては、少々おかしくもある)
その反面、それだけでは説明しきれないような差異もある。
まるで何かに急かされているような強迫概念をルイズから感じるのだ。
そう、かつて擦り切れ燃え尽きた――契約者達のような。
ルイズは焦っていた。
なにが、ではない。
あえて表現するなら全てに対してルイズは焦っていた。
状況が、立場が、環境が、工程が――“物事の歯車が回り始めてから”ルイズ
の焦りは始まっていた。
魔法/学院/仇敵/使い魔/契約/事件/ルーン/力……
昔からルイズは自らを急かしていた。
早く速く――
足りない部分を補うために駆け抜け、足りない部分を埋めるために暗中模索し
常に走り続ける。
そして春の使い魔の儀式に“成功してしまった”のだ。
そこから彼女の胸で常に空回りしていた思いが噛み合ってしまう。
途中、魔法という力はまだ身に付いていないとわかったが。それとは別の新た
な力が宿ったことでそれは補われる。
今まで噛み合わなかったばかりに、加減をしらない歯車が回ったのだ。
当然の如く、全力で回される歯車は周囲との齟齬を起こし。
本人はそれまでの経験が無いゆえに、知らずにして磨耗していく。
だが、たとえ気づいていたとしても。貴族たらんとする彼女は、止まることは
しないであっただろう。
そして――胸を突くような覚えの無い“記憶”が彼女を更に追い立てる。
それはふと気を抜くと瞼の裏に浮かぶ――怒れる男の形相――
――憤怒と憎悪の道の果てにて――
――業火と悪鬼羅刹共々を貪り――
――復讐という艶華を咲かせ――
――虚無という空ろと共に枯れゆく――
それはドロリとルイズの心へと染み渡り――
目の前でなにごとかアルが叫んでいる。
その言葉は認識できる、理解もできる。
だが、納得するわけにはいかない。できるはずもない。
なぜなら貴族とは――
「……わたしは貴族よ。魔法を使える者を、貴族と呼ぶんじゃないわ」
視界にアルの姿があるが――それは“自身の使い魔”としてしか認識されない。
「敵に背を向けない者を、貴族と言うのよ……」
それは錆び付き、捻じ曲がり……だが折れることができなかった者の声であっ
た。
まるで自分に言い聞かせるような言葉と共に、剣を握り締め立ち上がる。
「お、おい……」
カチャリと鍔が鳴るが、反応はしない。
「……わたしは……貴族なのよ」
本来、そんなことがわかる者はいるはずもないのだが――
「――」
かつての己を抉られる者がここいる。
理由や経緯こそ違えど。捻じ曲がった信念を“かつて抱えていた者”と“現在
も抱える者”は、出会っていた。
そして立ち尽くす2人の意識の外……モゾリとゴーレムの手が動く。
「っち」
フーケは押さえきれない苛立ちと共に舌打ちをしつつ、体を起こす。
ゴーレムごと倒れる瞬間に、翳していた手で自分を覆ってなんとか大事は免れ
たのだ。
集中力が切れず、ゴーレムが形を保っているのは奇跡以外なにものでもない。
今回のヤマはアクシデントの連続である。
宝を盗み出す段階で生徒に見つかり、ほとぼりが冷めるまで隠そうとした宝を
嗅ぎつけられ、やりたくはなかったが口封じさえも上手くいかない。
わかっている。こんな商売がいつまでも上手くいくはずもないことを。こんな
ことをして、まともな死に方をするはずもないことを。
だが、誰にでもあるように――彼女にも譲れないことがあるのだ。
そっとゴーレムの指の隙間から空を覗く。
まだ警戒しているのか、そこにゴーレムの上空を旋回する風竜の姿があった。
タバサとキュルケと言ったか。両方ともトライアングルのメイジであり、さす
がに油断はできないが。そもそもフーケとは経験量が違う。
貴族……つまりはメイジ相手に盗みを働いてきた彼女にとって、メイジ相手の
虚の突き方や弱点は熟知している。
次に、ゴーレムが倒れた原因。今回最大のイレギュラーを覗き見た。
今までフーケが見てきた人間の中ではぐんを抜いて高い身体能力を発揮する少
女――ルイズ。その使い魔であり、ゴーレムの一撃を真正面から防ぎ弾き返し
た少女――アル・アジフである。
ルイズに関しては、ゴーレムを作る時間さえあれば気にするほどのことではな
いが。問題がアル・アジフと名乗る少女であった。
空中に紋章を描き、それが30メイルあるゴーレムの攻撃をも防ぐ障壁となる。
どう考えても普通の魔法ではない。
先住魔法とも考えたが。職業柄たまに入る裏の情報からして、それも違う気が
する。
なにがともあれ、現実は現実と受け止め現状の打開を図らなければならない。
相手は数が多い。いくら自分が熟練したメイジとはいえ、長期戦となればこの
ゴーレムを維持する精神力が先に切れるだろう。
そのためにはどうするか。
空にはメイジを乗せた風竜が舞い、地には攻撃を防ぐ少女がいる。
ゴーレムによる直接攻撃は双方共に効き目は薄く、かといってこのゴーレムが
あるからこそ有利な面があるのだ。
だとすれば、どうすればいいのか。
ギリリと杖を握りこみ――気が付いた。
しかも再び空を見ると、風竜も高度をいくらか落としてきている。
そして下の2人はこちらのことを見ていない。
ニヤリと笑うと、フーケはゴーレムへと指令を送った。
「あの2人はなにやってのよ!」
キュルケは再度怒鳴った。
先ほどのアルの一撃はルイズを救い、ゴーレムを倒れさせるといった度肝を抜
くことをやってのけた。
だが未だフーケのゴーレムは健在であり、こちらは決定的な一手を持たないこ
とをキュルケは理解している。
だからこそ、地上で倒れたゴーレムに注意も払わずにいる2人を見て苛立ちを
隠せない。
何度もそんな2人に注意を促そうとも思ったが、ここは上空。今日は風が強く、
声はかき消され。魔法で声を届けようにも、さっきから沈黙を守るゴーレムの
対策を思うと不用意に魔法は使用できない。
ゴーレムの上を旋回しつつ見守る中で、キュルケの苛立ちは溜まっていく。
それにゴーレムが動かないことも拍車をかけていた。
そしてとうとう――
「タバサ、シルフィードの高度を落として!」
苛立ちを消化しきれず、風も強いこともありタバサへと叫ぶ。
「危険」
タバサの返事は短く。
「そうだよー。メイジは危険なんだからね」
「きゅい!」
おまけも付いていた。
だが、危険なのは下の2人も一緒であり、せめてそれを意識させねばならない。
「お願いタバサ……」
「…………」
それにタバサは考えるように黙り込むと。
「きゅいっ」
杖を下へ向け、シルフィードがそれに応えるように降下を始めた。
ルイズたちのいる場所はそこそこ拓けているが、シルフィードが降りるには少
々狭い。
手早く降りるために、『レビテーション』を予め準備しておく。
そうしていると、ふと視界の端でなにかが動いた気がした。
それに真っ先に反応したはエルザだった。
「シルフィ! 避けてっ!」
「――っ!?」
姿勢が急激に傾く。
その空いた空間を――唸りを上げて生木が埋めた。
「あ――」
ふわりとキュルケの体が浮く。
下へと意識を向けていた彼女はシルフィードの背から宙に放り出されていた。
高度が低い今、普通なら詠唱すら間に合わなかっただろう。『レビテーション』
を用意していたのが幸いした。
浮力を持った体で、嫌な予感を感じつつ先ほどの木が来た場所を見る。
そこには立ち上がりながら、手近な木々を引っこ抜いているゴーレムの姿あっ
た。
ゴーレムは腕を振り上げると、第二投を放つ。
それはキュルケを回収しようと近づいていたシルフィードへと向かう。なんと
かシルフィードは避けてはいるが、これではキュルケにうかつに近寄れない。
そして、このままではこちらも狙われかねない。
そう思った時、ゴーレムの肩口。
フーケの視線の先に気が付いた。
それはシルフィードやキュルケには向けられず、地上へと向けられている。
キュルケは急いで地上へ降下し始めた。
それに気が付いたとき、我が目を疑った。
空を木々が飛んでいるのだ。
否。飛んでいるのはなく、投げられているのだが。そこまで思考が回らなかっ
た。
常識外れな物事にここ最近数多く出会ってはいるが、それでも常識外のことに
出会って平然とできるほどの耐性はルイズにはまだない。
なにより、
「なに!?」
それは魔導書であるアルも驚いていることから仕方がなかった。
振り向いた先には、半身を起こしたゴーレムがおり。その手には、そこらから
引き抜いたのか木が持たれている。
木といっても、ゴーレムの大きさからいって小枝のように見えるが、当然の如
く成木である。
次々とゴーレムは手にした木々を空へ投擲し、その先ではタバサの風竜がそれ
を避けている。
そして、ようやくそれを認識した時、そのゴーレムの肩――フードの下に隠さ
れたフーケの視線がこちらへ向いている気がした。
「汝! 下がっておれっ!」
再びアルが手を翳す。
またも聖句と共に障壁が現れると、それに木が衝突した。
障壁に阻まれ、一瞬火花を散らすと木は弾かれ後方へと流れていく。
だが、それだけですむはずもなく。ゴーレムはすでに次の木を振り被っている。
そして、投げられた。
「くぅ……っ!」
それも障壁は弾くが、さらに次が来る。
先ほどのゴーレムの一撃と比べるといくらか軽いであろうが、絶え間なく続く
投擲はアルを唸らせるには十分であった。
「ぐ、くっ!!」
アルの声に耐えるようなニュアンスが入り始める。
「ア、アル……大丈夫なの」
足首の痛みを我慢し、アルへと近づく。
「ふんっこれしき……と言いたい所だ、がっ!」
衝突した木が折れ、その破片が地面にぶつかり抉る。
「少々、不味い、な……」
そう言うアルの額には汗が浮き、息が上がっていた。
「おいおい、白い娘っ子。お前大丈夫かよ」
デルフの言葉にアルは薄く笑う。
「ちと、魔力が足らんだけだ……せめて、正式な契約さえ、結ばれておれば……」
それはポツリと漏れた小言であり、なんの意図もないものであったが。
その言葉は、ルイズの胸を抉る。
自分さえ/魔法さえ/契約さえ、ちゃんと出来ていればこんなことにならなかっ
たのでないか。
「わたしさえ……ちゃんとしていれば……」
深く、己の底へと陥りそうな声に対しアルが叫ぶ。
「汝! 沈んでいる場合か!」
次が来た。
それは今までの木々ではなく、巨石であった。
「無駄だっ!」
印の光は鈍ったものの、破壊されるにはまだ足りない。
巨石は障壁にぶつかり、派手に火花を散らした後、粉々に砕け散る。
そう、まるで砂のように粉々になり。視界を覆う粉塵となった。
「なんだとっ!」
それはゴーレムの一部を脆い岩に変化させ切り離した物だとアルが理解できる
はずも無く。
そして、粉塵の中から巨大な爪先が現れる。
それが前と同じならば、まだ青息吐息ながら耐え切るか拮抗できただろう。
だが、現れた爪先は黒く染まった鉄であった。
――ドバンッッ!!
1秒にも満たない対抗は障壁の罅へと変換され、砕け散った障壁と共にアル
が吹き飛ぶ。
「ぐっああっ!!」
直撃こそ免れたが、茂みを突き破り遠く木の幹に叩きつけられた。
「アルっ!!」
ルイズは吹き飛ばされたアルへと視線を向けるが。
「おいっ! 他人を心配している暇はねえぞ!」
それで自分の陥っている立場を理解した。
一陣の風が粉塵を巻き上げ、晴れた視界を占めるように土の巨人が聳え立って
いる。
「こりゃ……やべえな……」
デルフが呟き、ルイズの手が震えた。
足に走る鈍痛が、凍りつくような悪寒が鮮明になる。重い絶望が腹へと溜まり、
吐き気を促す。
「…………」
フーケが杖を振るう。
ゴーレムがそれに合わせて腕を振り上げる。
その瞬間は、冗談みたいに間延びして感じられた。
噂に聞いた走馬灯は無い。ただ、ゆっくりと……本当にゆっくりと時間が流れ
る。
懺悔もなく、後悔は多すぎ、絶望には飽きていた。
伸びる腕、迫る土壁、削られていく景色――割り込む赤い髪。
「――あんたなにしてんのよっ!」
突き飛ばされた。
「え――」
本当にゆっくりと、視界が離れていく。
そこには普段からいがみ合っていた仇敵がいて、それが見たこと無いほどの怒
り顔でこちらを睨んでいて、自分を突き飛ばした瞬間にほんの少しだけ笑って、
杖を握った手が印象的で、彼女は何事かを呟いて――
――ルイズが倒れる。視界が一瞬途切れた。
かなりの勢いがあったのか、ゴロゴロと転がった後。
再び見た光景は。
先ほどまでルイズがいた場所へ――
――土くれの腕が、柱のように突き立っていた。
地面へみっともなく四肢を投げ出したまま、ルイズの視線は離れない。
「っち」
フーケが舌打ちをした。
ゴーレムが腕を上げる。
そこには――
――誰も立っていない。
「――あ、あああ……」
何かが……決定的何かが、砕け割れる音を確かに聞き。
砕けた何かが、喉から搾り出された。
「――あぁぁぁぁあああああああっ!!」
#navi(魔導書が使い魔)
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