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「虚無のメイジと双子の術士-02」(2009/03/31 (火) 09:10:29) の最新版変更点
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彼は、目を覚ました。
まだ少し微睡んだ意識で、周囲を確認する。
ふわふわした物の上に寝かされて、ふわふわした物が掛けられている。
ベッドの上に居るのだと判断した。布団かも知れないが。
これがふわふわした雲の上にでも居たのなら、天国か『地獄』と判断したかも知れないが、
少なくとも毛布を掛けてくれるような人がそこに居るとは思えない。
「生きてるのか……」
呟くと、視界の端で何かが動くのが見えた。
人影のようだった。彼の方に歩いてくる。
「起きたようですね――えーと……失礼でなければ、お名前は?」
視線が、人影をはっきりと捉える。
禿げた頭の男だった。
名前を聞かれて、彼は戸惑う。どちらと呼ばれても気にはならないだろうが、
名乗るとするならどちらが相応しいのだろう?
どちらか本気で悩んだが、答えは出せなかった。
「私の名は……ブルー……ルージュ。どちらでも良い」
「こんにちは、ミスタ・ルージュ。私はコルベール。
このトリステイン魔法学院で教師をしています」
コルベールと名乗ったその男は、そこで一旦言葉を切った。
特に何を言ったわけではないが、
彼が疑問を口にする余裕をくれたのかも知れない。
だが、今のところ聞きたいことは何もなかった。
「えーと……何故あなたが此処にいるかは解りますか?」
「あなたが此処に運んだのではないのか?……医務室か、ここは」
「運んだのは確かに私ですが。
そうですね……なぜいきなりこんな所にいるかの心当たりはありますか?」
彼は、素直に返すことにした。
なにか不審な点でもあれば、嘘やブラフの一つでも口にしたかも知れない。
ただ、男が悪い人物であるようには思えなかった。
「輝く鏡をくぐって、気付いたら此処にいた。心当たりと言えばそれですが」
「ああ、では間違いないようですね」
男は、その心当たりに、何か確信を持ったらしい。
その反応で、彼自身も確信を持てた。
体に力を入れて、上体を起こす。
疲労からか力が入らない感じはしたが、何処も痛みはしなかった。
「やはり、あれはゲートの一種だったのか?」
「?ええ、多分そうです」
「多分?」
「その……なんて言うのですか。ちょっとした失敗で、こちら側のゲートが見えなかったのですよ。
だから、私達があなたを呼んだかの確証がなかった」
「そうですか」
つまり、あのゲートはこの男か、その仲間が確固たる意志を持って、彼の前に出したと言うことらしい。
わざわざあの場所にあの時、彼の前に出すのだから、救出が目的だったのだろうか?
「しかし、『地獄』でゲートは開けないのでは無かったのか?
リージョン移動を持ち込めていれば、自力で脱出できたんだが」
純粋な疑問――というわけではない、少しばかり愚痴の混じった疑問を投げかける。
彼は何となく答えも予測していた――結局の所、試してみた者も居ない、とか。
「は?」
しかし、返ってきたのは純粋な疑問に近い反応だった。
――おそらくは、互いに予想を裏切られたのではないか。
男の呆けた表情を見て、彼自身、似たような表情を浮かべているのではないかと思った。
「……何か?」
「いや、その『地獄』とは、あなたがさっきまでいた場所、と言うことでいいんですか?」
「……そう言う質問をするという事は、つまり私が何処にいたかは――知らない?」
殆ど確信を持って、問いかける。
それへの返事として、男は無言で首を縦に振った。
非常に解りやすい。ありがたいことに。
彼は深く息を吐き出し、そして少しだけ吸ってから、こう言った。
「失礼でなければ、幾らか聞きたいことがあるんだが――」
~~~~~~~~~
「私ながら恐ろしい策謀よ……うふふふ」
似合ってない黒い笑みを浮かべながら、廊下を歩いているのはルイズ。
今日の全ての授業を終えて、その足は医務室へと向かっていた。
彼女の言う恐ろしい策謀は、別に恐ろしいと言うほどではない――単に、再び召喚の機会を得るための物である。
何事にも例外はある。
何かの間違いで未熟極まりないメイジが成熟した繁殖期の火竜を召喚しても大丈夫なようになっている。
つまるところ、「契約が失敗」したのなら、再び新しい召喚を試みることは許されている。
ルイズは召喚の儀の時に、コルベールに問うた。
契約とは一方的な物で良いのか、と。
――コルベールはその場で答えられず、取り敢えずその場をお開きに出来た。
召喚された男は医務室に運ばれたらしい。
ケガは見あたらず、その内目覚めるだろう、とコルベールは言った。
そして、多分一方的な物ではまずいだろう、とも言った。
召喚されて契約を拒むと言う例が確かにある。
人間を召喚するなどという例よりも余程。
そして、この場合は相手が人間だから容易く意思の疎通が図れる。
相手が契約を拒んでくれるのなら、契約は失敗に終わると言える。
それでもコルベールが何かを言うのなら、例えば無理にでも契約させようと迫るのならば、その時はその時。
惜しみながらも相手の意思を尊重するような言葉を言えば引き下がるだろう――コルベールは融通の利かない人物ではない。
「うふふふふ」
契約が失敗に終われば、召喚のやり直しが出来る――召喚そのものの失敗と同じように。
重要なのは使い魔の契約を拒んでくれるかどうかだが――
ずっと考えていたが、契約なんぞ、むしろ拒むのが普通という物ではないだろうか。
彼女の足取りは軽く、半ばスキップするように歩いて行く。
ゆったりと歩くよりは余程早く、医務室につく。
高揚した気分を外に出さないように、深呼吸を一回して、落ち着かせる。
そして、医務室のドアを軽くノックした。
「失礼します」
声は、落ち着いた物だった。
少なくとも、ルイズ自身が判断する限りでは。
――つまるところ、部屋の中に居た二人は微妙に喜悦に歪んだ声に、疑問符を頭に浮かべていた。
「どうぞ入りなさい」
了解の返事を聞く前に、手はドアノブへ掛けていた。
捻ったのは、ほぼ同時である。反応してではない。
彼女は、彼女自身が思っているほど冷静ではなかった。
開いて、踏み入って、振り返って閉じる。
普通に冷静な人間ならば、そんなことは気にせずとも行うのだろうが。
ルイズはそうした。
入り口からほど近い寝台にルイズが召喚した男が腰掛けていて、
コルベールはその傍らに本来無い椅子を置き、紙束を抱えて座っている。
部屋に入ったときから、二人の視線はルイズの方にあった。
男はルイズに軽く礼をした。
ルイズも軽い会釈をして、それに返す。
「コルベール先生、話の方はもうしたんですか?」
当然、話というのは使い魔の契約のことだ。
どう考えたってそれ以外にコルベール、ルイズ、この男の居る場でそれ以外の話であるはずはないのだが。
「……何の話ですか?」
「はい?」
コルベールは少しの間、きょとんとして見せた。
しかし、すぐに思い出したのか、慌てて言い直す。
「あ、ああ。契約の事ですね……話しましたよ。たしか」
「……契約?何のことだ?」
男は、本気で解らなそうな顔をしている。
……部屋に気まずい沈黙が流れた。
例えるならば、雪山の頂上。白くて、寒い。
コルベールは、こほん、と非常にわざとらしい咳をして、
何事もなかったかのように話し出す。
「『サモン・サーヴァント』は、使い魔を召喚するための呪文であり、
これによって召喚されたものを、メイジは使い魔として契約します。
本来人が召喚されることは無いはずなのですが――」
「……要点だけで良い」
「話が早くて助かります。
使い魔との召喚と契約は多分に儀礼的な意味を含んでおり、
ゆえにメイジ側にそのやり直しは認められていません。
失敗したりした場合は――まぁ、少しぐらいなら構わないんですが」
コルベールがルイズの方をチラと見る。
ルイズは彼が何を言いたいのか良く解ったので、少し顔を赤くして俯いた。
「ただ、成功したものに対して拒否は出来ません。
しかし、メイジ側が幾らやり直しを禁じようと、使い魔の側が拒むこともあります。
召喚を拒むのなら召喚されずに終わりますが、
ゲートを通っているにもかかわらず、契約を拒む事が稀にあります。
力の弱い存在だったら無理矢理従えることも出来ようものですが、
幻獣や魔獣の類が相手では、召喚に臨む段階のメイジでは持てあますこともありますので、
その相手が逃げ出してしまうようなことがあれば、例外的に可能です。
要するに、召喚・契約、どちらでも失敗した場合はやり直しが許されます」
そこまで言って、コルベールは言葉を終わらせた。
それを告げられて、男の方は何か思案するように腕を組む。
「私を召喚したというのは、そこの彼女と言うことなのか?」
「そうです、そこの――ミス・ヴァリエールがあなたを召喚しました」
コルベールがそう言うと、男はルイズの方を見つめた。
その視線に気づいて、先ほどとは違う理由ですこし顔を赤らめる。
それに気付いたかどうか、気にしたかどうか――男はコルベールの方に顔を向け直した。
「拒んだとしても、彼女は……やり直しできると?」
「できます……が、まぁ好ましくないことは確かです」
ルイズは内心笑った。もしかしたらすこし表にも出ていたかも知れない。
彼女にとって好ましい反応だ――好ましくないことなどない。
――そう、契約を拒んでしまえ。
「契約をしたくない理由でもあるのか?」
その言葉に、一瞬、ルイズの動きが止まる。
心を読まれたのか?とも一瞬思ったが、男の視線はコルベールを向いていた。
ルイズに気付いたわけでもなく、先ほどの言葉もコルベールにかけられた物のようだ。
「何故そう思うのですか?」
「そんなに大事な儀式なら、わざわざ説明せずに騙して契約してしまえば良かっただろう」
「いえ、そう言うわけではないのです。……むしろ、大事だからこうして話しているのです。
何かの手違いで、あなたが使い魔として召喚されたのではないという可能性がありました。
事実、あなたはゲートは理解しているようですが、それが『サモン・サーヴァント』であることは知らなかった」
「……ああ、確かに、使い魔になりたくて来たわけではない」
「ならば、私達もそれを強制することは出来ない……と思います」
「拒んだ所で何もしない、と?」
「私達は――まあ、彼女が無理矢理あなたを従えようとするなら話は別ですが」
「…………」
コルベールの言葉を聞いて、男は黙ったままルイズの方を見た。
先ほどとは少し、視線の質が違う気がした。何かを推し量るような。
なにやら微妙な……哀れむような、疑るような。
そして、すぐにコルベールに向き直る。
「一応聞いておくんだが……彼女の力量は?」
「亀でも逃げれ……いやいや、非常に頑張っておりますし、それにまだまだ伸び白を残した状態であると言えるでしょう」
「もうちょっと言い方はないんですかッ!?」
「え……何かおかしいところが?」
「いやもういい、大体解った」
言い争い始めそうなルイズとコルベールを、右手を上げて男が止める。
それは二人の言葉を少しの間止める事は出来たが、
ルイズが口は開こうとした――コルベールでなくて男に向かって。
「何が解ったって――」
「ところで、使い魔とは具体的に何をするんだ?」
ルイズの言葉を遮るように、男が話し出した。
少し大声なあたり、本当に遮るつもりで言ったのかも知れない。
言葉を止められて、少しばかりルイズは苛ついて、落ち着こうと黙り込んだ。
なので、問いにはコルベールが答える。
「色々です」
「……やたらと抽象的だな」
「主人のために成ることとでも言えばいいでしょうか」
「つまり、何でもすると言うことか」
「別に隷属する訳ではありませんが――いや、研究によると何らかの強制力があるともありますが」
「刃向かうと電気ショックとかじゃないだろうな」
「電気ショック……?いや、たぶんそう言う物ではなく、精神的な物だとの予測はあります。
……まぁ、ここの研究はそちらの物に比べれば大分拙いようですが」
「精神的なもの、か……」
その言葉をきくと、男は少々不安そうな表情をして、腕組みを解いた
手でぼろぼろのローブの表面を、中を探すようにして撫でて、
何かがあるのを確かめられたのか、その動きを止めて、表情を元に戻す。
そして、無言のまま腰掛けていたベッドから立ち、立ち上がると口を開いた。
「断っても構わないんだな?」
男は、ルイズの方をはっきりと見て、それ以上にはっきりと言った。
ルイズは、自分の思い通りに行ったことを感じた。
男は、立ち去るつもりなのかも知れない。最後の確認をして。
そして、男が本当は何を聞こうとしているのかを理解せずに、返した。
「構わないわ」
「なら、使い魔の契約とやら、受けても良いが」
「ええ、何処へとでも……はい?」
ルイズに取っては予想外、と言うより予想の、流れとしても180度真逆の答えが返ってきた。
人は、予想という物を常にする。
経験で、知識で、答えと推測を紡ぎ出して、束ねて、常に存在させる。
全くの予想をしない人間なんぞは居ない――いるのなら、ずいぶんと刺激的な人生を送れるだろう。
だが、そうでなくとも予想外は訪れてしまうし、訪れてくれる。
そして、予想外がもたらすのは驚き。
余りにも外れたこの事態は、ルイズの冷静さをはぎ取るのに十分すぎる威力を持った。
「ちょ、ちょっとどういうこと?別にあなたを使い魔にする気なんて――」
「あったのなら、断るな」
「はあぁ!?いや、それっておかしくない?私があなたを使い魔にするつもりだったら――」
「逃げていたが」
「え?どうやって逃げるって言うのよ?コルベール先生だっているんだし――」
「無理矢理従える場合、他人は力を貸せないと思うが……
自分より強かったら、契約しようとしまいと従えられないだろう?」
「あ、そうか……じゃなくて、構わないって言ってるのになんで――契約するのなら……ええー!?」
~~~~~~~~~
彼女が落ち着くまでには、しばしの時間がかかった。
そんなに長かったわけでもないが。
彼は座り直して、少女を観察しながらその時間を過ごしていた。
――見た感じは、それほど頭が悪そうには見えないんだが。
術士はそんな事を考えていた。
唸るようにしている……考えているのかも知れない。
が、もう落ち着いてるようには見えた。
「落ち着いたようだな」
「……落ち着いたわ、で、どういう事?」
「別に使い魔になっても構わないと言うことだが」
「その理由よ、理由!」
「だから、使い魔になっても構わなかったんだが」
「……じゃあ、なんで使い魔にするつもりがあったら、断るのよ?」
「単純なことだ。他人を従わせようとする奴に、従いたいか?」
「…………」
少女は、しばしの間、黙り込んだ。
考えているのか、呆けているのか――彼自身、正直なところ理不尽だと思えたが。
つまるところ、彼女は疑問と困惑を混ぜ合わせたような表情を浮かべている。
「それって、結局誰にも従わないって事じゃない?」
「納得できる事なら従わずともする……そうだな、結局誰にも従わないのかも知れない」
「……筋が通ってるような、通ってないような」
結局、彼自身の言ったとおりのことである。
すんなり契約しても良かったのだ。
偶然だとはいえ、彼は彼女に命を救われる形となった。
別に契約することそのものは構わない。
ただ、命を救われたことの礼として、命を差し出すつもりは全くない。
拒むことは、容易い。
少女が彼を隷属させようという気を持っているのなら、拒んでいた。
ただ、彼女にそう言う気は見られなかった。
ならば、別に契約を結ぼうと、支配されるわけではない。
――様々な保険も持っていたわけであるし。
「……で、契約だったか?どうするんだ?」
彼は、会話に入り込めないのか、入り込むつもりもないのか、
椅子の上で黙り込んで居たコルベールに問いかけた。
コルベールは、先ほど――この少女が来るまでに男から聞いていた話をまとめた紙を読み返していて、
声に反応するのが少し遅れた。
「ん、ああ。”コントラクト・サーヴァント”ですか?」
「何をすればいいんだ?」
「契約者が呪文を唱えた上で、被契約者と接吻するんですよ」
「……は?」
聞き間違いか、と彼は思う。
しかし、耳が遠くなった覚えはないし、そもそもコルベールの声は彼にはっきりと聞こえていた。
――ああ、ジョークという奴か。こういうときは、そう――受け流すべきだったか?
「ああそうか。で、本当の所は?」
「……え?いえ、本当も何も、嘘なんてついてませんが」
「冗談という物はあまり慣れて無くてだな」
「だから、冗談ではありません」
「ああ、俗語の類か。で、どういう意味なんだ?」
「いや、特にそう言う類の言葉ではありませんが……つまるところの口づけですな」
彼は考え出した。目を手で覆うようにして。
勘違いはしてないか。相手か、自分のどちらでも良い。
そもそも、男の言うところのそれと自分のそれに齟齬はないか。
何回も、幾つもの思索を重ねる。
最後の方には、そもそも自分は既に死んでいて、これは刹那の夢ではないか、とも考えた。
残念ながら、どの問いかけも、否定的な物を出してくれない。
死んでるかどうかは判ぜなかったが、
流石に死とこの状況の二択ならばこちらの方がましなように思えた。
少し頭が痛くなってくる。
「そ、そう言えばそんな契約方法だったッ!?」
「……お前もか」
叫んでいる少女に対して、彼は何処までも冷静だった。
少しばかり慌てられた方が楽だったんじゃないか、と考えてしまうほどに。
ひとつ息を吸って、憂鬱とか、そんな感じの物と共に吐きだした。
立ち上がって、彼女の近くまで歩いて行く。
「……今更止めるとは言わないが……落ち着くまで待つか?」
「うー……」
問いかけると、少女は頭をがっくり項垂れさせて、自身の懐に手を伸ばし、
ごそごそと探って、杖を取り出す。
俯いて、表情を彼に向けないまま、聞き取れないほどではない、か細い声で言う。
「……本当に構わないのね?」
「何だか止めたい気分にはなったがな、少し」
「うぅ……それってつまり受けるって事よね……」
少女は顔を上げた。
諦観と決意――そこまで大層な物ではないのかも知れないが、
感情をその表情に思いっきり表している。
それにつられて、彼自身も微妙そうな表情で、呟いてしまう。
「俺だって他の方法があればそうする」
「……どっちも被害者って事で、少しは納得できるかも知れないわ」
案外うまくやれるんじゃないか、
と思ってしまうぐらいには、二人の気分は同調していたかも知れない。
意を決したか、少女が息を吐き出し。
今までの微妙な表情を捨て去って、杖を構えて。
杖を軽く振りながら、静かに呪文を紡ぎ始める。
「我が名は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
5つの力を司るペンタゴン。このものに祝福を与え、我の使い魔と成せ」
呪文の終わりに杖を止め、ルイズはゆっくりと彼の方へと近づいていく。
触れ合うほどの距離になって――傍で見ていたコルベールが呟いた。
……どうしようもなくそれが聞こえてしまうのは、部屋が静かだからというだけではあるまい。
きっと、その場の誰もが思っていたことだからだ。
「……何というか、グダグダですね……」
「届かない……」
彼が、取り立てて背が高いというわけではない。
少なくとも、ルイズは小さい。
相手が平均的な身長でも届くかどうかは危ういだろう。
――彼は無言で屈んだ。少女も、背伸びをして。
何とか、一瞬だけ、その唇と唇が触れた。
その感触は――まぁ、彼らにしか解るまいが。
ルイズは触れたことに気付いたら、顔を赤くしてさっさと離れてしまった。
彼は顔を赤くしたりはしなかったが、やれやれ、と言った風に、姿勢を伸ばして顔を手で押さえる。
「ッ……」
その顔を押さえた手に熱が走るのを感じて、彼は顔から手を離して、それを見た。
熱は、手から体中に広がるように、全身に走っていたが、
少しばかりのみが損なわれた冷静さならば十分に、手の甲に刻まれていくルーンを見つけることは出来た。
光輝を保って刻まれていくその軌跡は、
7文字目を描き終えると止まり光を失って、彼の左手に印を残した。
感じていた熱さも引く。
「おや、ルーンが刻まれたようですな……成功です」
「……こんな事を言われた覚えはないが?」
「要点は省いて良い、と言ったでしょう」
ルーンの刻まれた左手をコルベールに向けてひらひらさせながら言うが、笑いもせずにさっと返してくれた。
コルベールは立ち上がって、ブルーの手を取ると、そのルーンを見つめる。
「珍しいルーンですね、ふむ……見たことがない。
まぁ、万事うまく行ったようですし、もう遅くです。
此処はひとまず解散と言うことで……ああ、ミスタ・ルージュ、お話有り難うございました。それでは!」
なにやら機嫌良く言うと、コルベールは紙束を抱えて医務室から走り去っていった。
彼は、「話」をしていたときのコルベールの熱中度合いを思い出して、呆然と納得していた。
――何故私の策略が破れたのか、私には解らない。
予想外の出来事が起こりすぎた――とは言いたいが、そうではない。
詰まるところ、人の悪意を信じることは、人の善意を信じることと同じ事ぐらい愚かなことなのだろう――
……果たして、そのようなことだったかは解らないが、
何か真理のような何かを悟って、その勢いでそのまま真っ白に成れそうなルイズに声がかけられた。
「……ところで、なんて呼べばいい?」
言葉に真理もどきの何かを捨て去って、ルイズは声の方を見る。
当たり前だが、彼とルイズ以外の人物はこの部屋にいない。
だから意外でも何でもないのだが、その人物が見返してきているのは何か不思議な事のように思えた。
「はい?」
「君の事だ」
ルイズは、言われて考える。
男は、今まで彼女のことを名で呼んでいない。
そのことに対する苛つきが湧き上がりそうに成ったが、確かに自分は名乗っていなかった。
素直に名乗ろうとも思ったが、何もそういうのでなくてもいいんじゃないだろうか?
ルイズは何か素晴らしい呼ばれ方を考えようとして、思いついた事を口に出してみた。
「そうね、どうせなら偉大なるメイジにして貴族の鑑たる素晴らしき主人ル」
「そう言えば先ほどの詠唱の時に言っていたのが名前か、ルイズで良いのか?」
「ちょっとッ!?」
遮られた。
――まぁ、彼女自身でもこれはないわ、と思っていたのだが。
「そう、ルイズよ。で、あなたの名前は?貴族に名乗らせといて、言わないなんて事はないでしょう?」
「いや――そうだな……ブルー……ルージュ……別にどちらでもいいんだが」
その名を記憶する。
さて、どうしたものか――何とはなしに、気を散らすと、既に暗くなってることに気付いた。
窓を見れば、空は赤く彩られていた。
「ブルー……だっけ?もう動けるわよね?」
「何かすることがあるのか?」
「違うわよ、帰るのよ、部屋に」
「そうか、ではな」
「うん、さよなら――じゃなくて、あんたも来るのよ」
「なんでだ?」
「私の使い魔でしょ!当たり前じゃない!」
「そうなのか」
「あんた、なんにも知らないの?」
「ああ、知らないな」
その返答に、ルイズは頭を抱えたい衝動に襲われる。
まぁ、使い魔として契約してしまった以上、もう仕方あるまい。
受け入れるしかないだろうと、そう考えて、彼女はため息をつく。
「行くわよ、ブルー。あんたが何をすればいいか、教えてあげるわ」
「そうか――よろしく頼むな」
それに返事をすることもなく、ルイズは医務室のドアを開けて出て行く。
彼は、その後に続いてその場を去り、部屋を出るときに閉められて居なかったドアを閉めた。
かくして、主従が此処に一つ。
#navi(虚無のメイジと双子の術士)
彼は、目を覚ました。
まだ少し微睡んだ意識で、周囲を確認する。
ふわふわした物の上に寝かされて、ふわふわした物が掛けられている。
ベッドの上に居るのだと判断した。布団かも知れないが。
これがふわふわした雲の上にでも居たのなら、天国か『地獄』と判断したかも知れないが、
少なくとも毛布を掛けてくれるような人がそこに居るとは思えない。
「生きてるのか……」
呟くと、視界の端で何かが動くのが見えた。
人影のようだった。彼の方に歩いてくる。
「起きたようですね――えーと……失礼でなければ、お名前は?」
視線が、人影をはっきりと捉える。
禿げた頭の男だった。
名前を聞かれて、彼は戸惑う。どちらと呼ばれても気にはならないだろうが、
名乗るとするならどちらが相応しいのだろう?
どちらか本気で悩んだが、答えは出せなかった。
「私の名は……ブルー……ルージュ。どちらでも良い」
「こんにちは、ミスタ・ルージュ。私はコルベール。
このトリステイン魔法学院で教師をしています」
コルベールと名乗ったその男は、そこで一旦言葉を切った。
特に何を言ったわけではないが、
彼が疑問を口にする余裕をくれたのかも知れない。
だが、今のところ聞きたいことは何もなかった。
「えーと……何故あなたが此処にいるかは解りますか?」
「あなたが此処に運んだのではないのか?……医務室か、ここは」
「運んだのは確かに私ですが。
そうですね……なぜいきなりこんな所にいるかの心当たりはありますか?」
彼は、素直に返すことにした。
なにか不審な点でもあれば、嘘やブラフの一つでも口にしたかも知れない。
ただ、男が悪い人物であるようには思えなかった。
「輝く鏡をくぐって、気付いたら此処にいた。心当たりと言えばそれですが」
「ああ、では間違いないようですね」
男は、その心当たりに、何か確信を持ったらしい。
その反応で、彼自身も確信を持てた。
体に力を入れて、上体を起こす。
疲労からか力が入らない感じはしたが、何処も痛みはしなかった。
「やはり、あれはゲートの一種だったのか?」
「?ええ、多分そうです」
「多分?」
「その……なんて言うのですか。ちょっとした失敗で、こちら側のゲートが見えなかったのですよ。
だから、私達があなたを呼んだかの確証がなかった」
「そうですか」
つまり、あのゲートはこの男か、その仲間が確固たる意志を持って、彼の前に出したと言うことらしい。
わざわざあの場所にあの時、彼の前に出すのだから、救出が目的だったのだろうか?
「しかし、『地獄』でゲートは開けないのでは無かったのか?
リージョン移動を持ち込めていれば、自力で脱出できたんだが」
純粋な疑問――というわけではない、少しばかり愚痴の混じった疑問を投げかける。
彼は何となく答えも予測していた――結局の所、試してみた者も居ない、とか。
「は?」
しかし、返ってきたのは純粋な疑問に近い反応だった。
――おそらくは、互いに予想を裏切られたのではないか。
男の呆けた表情を見て、彼自身、似たような表情を浮かべているのではないかと思った。
「……何か?」
「いや、その『地獄』とは、あなたがさっきまでいた場所、と言うことでいいんですか?」
「……そう言う質問をするという事は、つまり私が何処にいたかは――知らない?」
殆ど確信を持って、問いかける。
それへの返事として、男は無言で首を縦に振った。
非常に解りやすい。ありがたいことに。
彼は深く息を吐き出し、そして少しだけ吸ってから、こう言った。
「失礼でなければ、幾らか聞きたいことがあるんだが――」
~~~~~~~~~
「私ながら恐ろしい策謀よ……うふふふ」
似合ってない黒い笑みを浮かべながら、廊下を歩いているのはルイズ。
今日の全ての授業を終えて、その足は医務室へと向かっていた。
彼女の言う恐ろしい策謀は、別に恐ろしいと言うほどではない――単に、再び召喚の機会を得るための物である。
何事にも例外はある。
何かの間違いで未熟極まりないメイジが成熟した繁殖期の火竜を召喚しても大丈夫なようになっている。
つまるところ、「契約が失敗」したのなら、再び新しい召喚を試みることは許されている。
ルイズは召喚の儀の時に、コルベールに問うた。
契約とは一方的な物で良いのか、と。
――コルベールはその場で答えられず、取り敢えずその場をお開きに出来た。
召喚された男は医務室に運ばれたらしい。
ケガは見あたらず、その内目覚めるだろう、とコルベールは言った。
そして、多分一方的な物ではまずいだろう、とも言った。
召喚されて契約を拒むと言う例が確かにある。
人間を召喚するなどという例よりも余程。
そして、この場合は相手が人間だから容易く意思の疎通が図れる。
相手が契約を拒んでくれるのなら、契約は失敗に終わると言える。
それでもコルベールが何かを言うのなら、例えば無理にでも契約させようと迫るのならば、その時はその時。
惜しみながらも相手の意思を尊重するような言葉を言えば引き下がるだろう――コルベールは融通の利かない人物ではない。
「うふふふふ」
契約が失敗に終われば、召喚のやり直しが出来る――召喚そのものの失敗と同じように。
重要なのは使い魔の契約を拒んでくれるかどうかだが――
ずっと考えていたが、契約なんぞ、むしろ拒むのが普通という物ではないだろうか。
彼女の足取りは軽く、半ばスキップするように歩いて行く。
ゆったりと歩くよりは余程早く、医務室につく。
高揚した気分を外に出さないように、深呼吸を一回して、落ち着かせる。
そして、医務室のドアを軽くノックした。
「失礼します」
声は、落ち着いた物だった。
少なくとも、ルイズ自身が判断する限りでは。
――つまるところ、部屋の中に居た二人は微妙に喜悦に歪んだ声に、疑問符を頭に浮かべていた。
「どうぞ入りなさい」
了解の返事を聞く前に、手はドアノブへ掛けていた。
捻ったのは、ほぼ同時である。反応してではない。
彼女は、彼女自身が思っているほど冷静ではなかった。
開いて、踏み入って、振り返って閉じる。
普通に冷静な人間ならば、そんなことは気にせずとも行うのだろうが。
ルイズはそうした。
入り口からほど近い寝台にルイズが召喚した男が腰掛けていて、
コルベールはその傍らに本来無い椅子を置き、紙束を抱えて座っている。
部屋に入ったときから、二人の視線はルイズの方にあった。
男はルイズに軽く礼をした。
ルイズも軽い会釈をして、それに返す。
「コルベール先生、話の方はもうしたんですか?」
当然、話というのは使い魔の契約のことだ。
どう考えたってそれ以外にコルベール、ルイズ、この男の居る場でそれ以外の話であるはずはないのだが。
「……何の話ですか?」
「はい?」
コルベールは少しの間、きょとんとして見せた。
しかし、すぐに思い出したのか、慌てて言い直す。
「あ、ああ。契約の事ですね……話しましたよ。たしか」
「……契約?何のことだ?」
男は、本気で解らなそうな顔をしている。
……部屋に気まずい沈黙が流れた。
例えるならば、雪山の頂上。白くて、寒い。
コルベールは、こほん、と非常にわざとらしい咳をして、
何事もなかったかのように話し出す。
「『サモン・サーヴァント』は、使い魔を召喚するための呪文であり、
これによって召喚されたものを、メイジは使い魔として契約します。
本来人が召喚されることは無いはずなのですが――」
「……要点だけで良い」
「話が早くて助かります。
使い魔との召喚と契約は多分に儀礼的な意味を含んでおり、
ゆえにメイジ側にそのやり直しは認められていません。
失敗したりした場合は――まぁ、少しぐらいなら構わないんですが」
コルベールがルイズの方をチラと見る。
ルイズは彼が何を言いたいのか良く解ったので、少し顔を赤くして俯いた。
「ただ、成功したものに対して拒否は出来ません。
しかし、メイジ側が幾らやり直しを禁じようと、使い魔の側が拒むこともあります。
召喚を拒むのなら召喚されずに終わりますが、
ゲートを通っているにもかかわらず、契約を拒む事が稀にあります。
力の弱い存在だったら無理矢理従えることも出来ようものですが、
幻獣や魔獣の類が相手では、召喚に臨む段階のメイジでは持てあますこともありますので、
その相手が逃げ出してしまうようなことがあれば、例外的に可能です。
要するに、召喚・契約、どちらでも失敗した場合はやり直しが許されます」
そこまで言って、コルベールは言葉を終わらせた。
それを告げられて、男の方は何か思案するように腕を組む。
「私を召喚したというのは、そこの彼女と言うことなのか?」
「そうです、そこの――ミス・ヴァリエールがあなたを召喚しました」
コルベールがそう言うと、男はルイズの方を見つめた。
その視線に気づいて、先ほどとは違う理由ですこし顔を赤らめる。
それに気付いたかどうか、気にしたかどうか――男はコルベールの方に顔を向け直した。
「拒んだとしても、彼女は……やり直しできると?」
「できます……が、まぁ好ましくないことは確かです」
ルイズは内心笑った。もしかしたらすこし表にも出ていたかも知れない。
彼女にとって好ましい反応だ――好ましくないことなどない。
――そう、契約を拒んでしまえ。
「契約をしたくない理由でもあるのか?」
その言葉に、一瞬、ルイズの動きが止まる。
心を読まれたのか?とも一瞬思ったが、男の視線はコルベールを向いていた。
ルイズに気付いたわけでもなく、先ほどの言葉もコルベールにかけられた物のようだ。
「何故そう思うのですか?」
「そんなに大事な儀式なら、わざわざ説明せずに騙して契約してしまえば良かっただろう」
「いえ、そう言うわけではないのです。……むしろ、大事だからこうして話しているのです。
何かの手違いで、あなたが使い魔として召喚されたのではないという可能性がありました。
事実、あなたはゲートは理解しているようですが、それが『サモン・サーヴァント』であることは知らなかった」
「……ああ、確かに、使い魔になりたくて来たわけではない」
「ならば、私達もそれを強制することは出来ない……と思います」
「拒んだ所で何もしない、と?」
「私達は――まあ、彼女が無理矢理あなたを従えようとするなら話は別ですが」
「…………」
コルベールの言葉を聞いて、男は黙ったままルイズの方を見た。
先ほどとは少し、視線の質が違う気がした。何かを推し量るような。
なにやら微妙な……哀れむような、疑るような。
そして、すぐにコルベールに向き直る。
「一応聞いておくんだが……彼女の力量は?」
「亀でも逃げれ……いやいや、非常に頑張っておりますし、それにまだまだ伸び白を残した状態であると言えるでしょう」
「もうちょっと言い方はないんですかッ!?」
「え……何かおかしいところが?」
「いやもういい、大体解った」
言い争い始めそうなルイズとコルベールを、右手を上げて男が止める。
それは二人の言葉を少しの間止める事は出来たが、
ルイズが口は開こうとした――コルベールでなくて男に向かって。
「何が解ったって――」
「ところで、使い魔とは具体的に何をするんだ?」
ルイズの言葉を遮るように、男が話し出した。
少し大声なあたり、本当に遮るつもりで言ったのかも知れない。
言葉を止められて、少しばかりルイズは苛ついて、落ち着こうと黙り込んだ。
なので、問いにはコルベールが答える。
「色々です」
「……やたらと抽象的だな」
「主人のために成ることとでも言えばいいでしょうか」
「つまり、何でもすると言うことか」
「別に隷属する訳ではありませんが――いや、研究によると何らかの強制力があるともありますが」
「刃向かうと電気ショックとかじゃないだろうな」
「電気ショック……?いや、たぶんそう言う物ではなく、精神的な物だとの予測はあります。
……まぁ、ここの研究はそちらの物に比べれば大分拙いようですが」
「精神的なもの、か……」
その言葉をきくと、男は少々不安そうな表情をして、腕組みを解いた
手でぼろぼろのローブの表面を、中を探すようにして撫でて、
何かがあるのを確かめられたのか、その動きを止めて、表情を元に戻す。
そして、無言のまま腰掛けていたベッドから立ち、立ち上がると口を開いた。
「断っても構わないんだな?」
男は、ルイズの方をはっきりと見て、それ以上にはっきりと言った。
ルイズは、自分の思い通りに行ったことを感じた。
男は、立ち去るつもりなのかも知れない。最後の確認をして。
そして、男が本当は何を聞こうとしているのかを理解せずに、返した。
「構わないわ」
「なら、使い魔の契約とやら、受けても良いが」
「ええ、何処へとでも……はい?」
ルイズに取っては予想外、と言うより予想の、流れとしても180度真逆の答えが返ってきた。
人は、予想という物を常にする。
経験で、知識で、答えと推測を紡ぎ出して、束ねて、常に存在させる。
全くの予想をしない人間なんぞは居ない――いるのなら、ずいぶんと刺激的な人生を送れるだろう。
だが、そうでなくとも予想外は訪れてしまうし、訪れてくれる。
そして、予想外がもたらすのは驚き。
余りにも外れたこの事態は、ルイズの冷静さをはぎ取るのに十分すぎる威力を持った。
「ちょ、ちょっとどういうこと?別にあなたを使い魔にする気なんて――」
「あったのなら、断るな」
「はあぁ!?いや、それっておかしくない?私があなたを使い魔にするつもりだったら――」
「逃げていたが」
「え?どうやって逃げるって言うのよ?コルベール先生だっているんだし――」
「無理矢理従える場合、他人は力を貸せないと思うが……
自分より強かったら、契約しようとしまいと従えられないだろう?」
「あ、そうか……じゃなくて、構わないって言ってるのになんで――契約するのなら……ええー!?」
~~~~~~~~~
彼女が落ち着くまでには、しばしの時間がかかった。
そんなに長かったわけでもないが。
彼は座り直して、少女を観察しながらその時間を過ごしていた。
――見た感じは、それほど頭が悪そうには見えないんだが。
術士はそんな事を考えていた。
唸るようにしている……考えているのかも知れない。
が、もう落ち着いてるようには見えた。
「落ち着いたようだな」
「……落ち着いたわ、で、どういう事?」
「別に使い魔になっても構わないと言うことだが」
「その理由よ、理由!」
「だから、使い魔になっても構わなかったんだが」
「……じゃあ、なんで使い魔にするつもりがあったら、断るのよ?」
「単純なことだ。他人を従わせようとする奴に、従いたいか?」
「…………」
少女は、しばしの間、黙り込んだ。
考えているのか、呆けているのか――彼自身、正直なところ理不尽だと思えたが。
つまるところ、彼女は疑問と困惑を混ぜ合わせたような表情を浮かべている。
「それって、結局誰にも従わないって事じゃない?」
「納得できる事なら従わずともする……そうだな、結局誰にも従わないのかも知れない」
「……筋が通ってるような、通ってないような」
結局、彼自身の言ったとおりのことである。
すんなり契約しても良かったのだ。
偶然だとはいえ、彼は彼女に命を救われる形となった。
別に契約することそのものは構わない。
ただ、命を救われたことの礼として、命を差し出すつもりは全くない。
拒むことは、容易い。
少女が彼を隷属させようという気を持っているのなら、拒んでいた。
ただ、彼女にそう言う気は見られなかった。
ならば、別に契約を結ぼうと、支配されるわけではない。
――様々な保険も持っていたわけであるし。
「……で、契約だったか?どうするんだ?」
彼は、会話に入り込めないのか、入り込むつもりもないのか、
椅子の上で黙り込んで居たコルベールに問いかけた。
コルベールは、先ほど――この少女が来るまでに男から聞いていた話をまとめた紙を読み返していて、
声に反応するのが少し遅れた。
「ん、ああ。”コントラクト・サーヴァント”ですか?」
「何をすればいいんだ?」
「契約者が呪文を唱えた上で、被契約者と接吻するんですよ」
「……は?」
聞き間違いか、と彼は思う。
しかし、耳が遠くなった覚えはないし、そもそもコルベールの声は彼にはっきりと聞こえていた。
――ああ、ジョークという奴か。こういうときは、そう――受け流すべきだったか?
「ああそうか。で、本当の所は?」
「……え?いえ、本当も何も、嘘なんてついてませんが」
「冗談という物はあまり慣れて無くてだな」
「だから、冗談ではありません」
「ああ、俗語の類か。で、どういう意味なんだ?」
「いや、特にそう言う類の言葉ではありませんが……つまるところの口づけですな」
彼は考え出した。目を手で覆うようにして。
勘違いはしてないか。相手か、自分のどちらでも良い。
そもそも、男の言うところのそれと自分のそれに齟齬はないか。
何回も、幾つもの思索を重ねる。
最後の方には、そもそも自分は既に死んでいて、これは刹那の夢ではないか、とも考えた。
残念ながら、どの問いかけも、否定的な物を出してくれない。
死んでるかどうかは判ぜなかったが、
流石に死とこの状況の二択ならばこちらの方がましなように思えた。
少し頭が痛くなってくる。
「そ、そう言えばそんな契約方法だったッ!?」
「……お前もか」
叫んでいる少女に対して、彼は何処までも冷静だった。
少しばかり慌てられた方が楽だったんじゃないか、と考えてしまうほどに。
ひとつ息を吸って、憂鬱とか、そんな感じの物と共に吐きだした。
立ち上がって、彼女の近くまで歩いて行く。
「……今更止めるとは言わないが……落ち着くまで待つか?」
「うー……」
問いかけると、少女は頭をがっくり項垂れさせて、自身の懐に手を伸ばし、
ごそごそと探って、杖を取り出す。
俯いて、表情を彼に向けないまま、聞き取れないほどではない、か細い声で言う。
「……本当に構わないのね?」
「何だか止めたい気分にはなったがな、少し」
「うぅ……それってつまり受けるって事よね……」
少女は顔を上げた。
諦観と決意――そこまで大層な物ではないのかも知れないが、
感情をその表情に思いっきり表している。
それにつられて、彼自身も微妙そうな表情で、呟いてしまう。
「俺だって他の方法があればそうする」
「……どっちも被害者って事で、少しは納得できるかも知れないわ」
案外うまくやれるんじゃないか、
と思ってしまうぐらいには、二人の気分は同調していたかも知れない。
意を決したか、少女が息を吐き出し。
今までの微妙な表情を捨て去って、杖を構えて。
杖を軽く振りながら、静かに呪文を紡ぎ始める。
「我が名は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
5つの力を司るペンタゴン。このものに祝福を与え、我の使い魔と成せ」
呪文の終わりに杖を止め、ルイズはゆっくりと彼の方へと近づいていく。
触れ合うほどの距離になって――傍で見ていたコルベールが呟いた。
……どうしようもなくそれが聞こえてしまうのは、部屋が静かだからというだけではあるまい。
きっと、その場の誰もが思っていたことだからだ。
「……何というか、グダグダですね……」
「届かない……」
彼が、取り立てて背が高いというわけではない。
少なくとも、ルイズは小さい。
相手が平均的な身長でも届くかどうかは危ういだろう。
――彼は無言で屈んだ。少女も、背伸びをして。
何とか、一瞬だけ、その唇と唇が触れた。
その感触は――まぁ、彼らにしか解るまいが。
ルイズは触れたことに気付いたら、顔を赤くしてさっさと離れてしまった。
彼は顔を赤くしたりはしなかったが、やれやれ、と言った風に、姿勢を伸ばして顔を手で押さえる。
「ッ……」
その顔を押さえた手に熱が走るのを感じて、彼は顔から手を離して、それを見た。
熱は、手から体中に広がるように、全身に走っていたが、
少しばかりのみが損なわれた冷静さならば十分に、手の甲に刻まれていくルーンを見つけることは出来た。
光輝を保って刻まれていくその軌跡は、
7文字目を描き終えると止まり光を失って、彼の左手に印を残した。
感じていた熱さも引く。
「おや、ルーンが刻まれたようですな……成功です」
「……こんな事を言われた覚えはないが?」
「要点は省いて良い、と言ったでしょう」
ルーンの刻まれた左手をコルベールに向けてひらひらさせながら言うが、笑いもせずにさっと返してくれた。
コルベールは立ち上がって、ブルーの手を取ると、そのルーンを見つめる。
「珍しいルーンですね、ふむ……見たことがない。
まぁ、万事うまく行ったようですし、もう遅くです。
此処はひとまず解散と言うことで……ああ、ミスタ・ルージュ、お話有り難うございました。それでは!」
なにやら機嫌良く言うと、コルベールは紙束を抱えて医務室から走り去っていった。
彼は、「話」をしていたときのコルベールの熱中度合いを思い出して、呆然と納得していた。
――何故私の策略が破れたのか、私には解らない。
予想外の出来事が起こりすぎた――とは言いたいが、そうではない。
詰まるところ、人の悪意を信じることは、人の善意を信じることと同じ事ぐらい愚かなことなのだろう――
……果たして、そのようなことだったかは解らないが、
何か真理のような何かを悟って、その勢いでそのまま真っ白に成れそうなルイズに声がかけられた。
「……ところで、なんて呼べばいい?」
言葉に真理もどきの何かを捨て去って、ルイズは声の方を見る。
当たり前だが、彼とルイズ以外の人物はこの部屋にいない。
だから意外でも何でもないのだが、その人物が見返してきているのは何か不思議な事のように思えた。
「はい?」
「君の事だ」
ルイズは、言われて考える。
男は、今まで彼女のことを名で呼んでいない。
そのことに対する苛つきが湧き上がりそうに成ったが、確かに自分は名乗っていなかった。
素直に名乗ろうとも思ったが、何もそういうのでなくてもいいんじゃないだろうか?
ルイズは何か素晴らしい呼ばれ方を考えようとして、思いついた事を口に出してみた。
「そうね、どうせなら偉大なるメイジにして貴族の鑑たる素晴らしき主人ル」
「そう言えば先ほどの詠唱の時に言っていたのが名前か、ルイズで良いのか?」
「ちょっとッ!?」
遮られた。
――まぁ、彼女自身でもこれはないわ、と思っていたのだが。
「そう、ルイズよ。で、あなたの名前は?貴族に名乗らせといて、言わないなんて事はないでしょう?」
「いや――そうだな……ブルー……ルージュ……別にどちらでもいいんだが」
その名を記憶する。
さて、どうしたものか――何とはなしに、気を散らすと、既に暗くなってることに気付いた。
窓を見れば、空は赤く彩られていた。
「ブルー……だっけ?もう動けるわよね?」
「何かすることがあるのか?」
「違うわよ、帰るのよ、部屋に」
「そうか、ではな」
「うん、さよなら――じゃなくて、あんたも来るのよ」
「なんでだ?」
「私の使い魔でしょ!当たり前じゃない!」
「そうなのか」
「あんた、なんにも知らないの?」
「ああ、知らないな」
その返答に、ルイズは頭を抱えたい衝動に襲われる。
まぁ、使い魔として契約してしまった以上、もう仕方あるまい。
受け入れるしかないだろうと、そう考えて、彼女はため息をつく。
「行くわよ、ブルー。あんたが何をすればいいか、教えてあげるわ」
「そうか――よろしく頼むな」
それに返事をすることもなく、ルイズは医務室のドアを開けて出て行く。
彼は、その後に続いてその場を去り、部屋を出るときに閉められて居なかったドアを閉めた。
かくして、主従が此処に一つ。
#navi(虚無のメイジと双子の術士)
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