「虚無の闇-16」(2009/03/12 (木) 02:13:08) の最新版変更点
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#navi(虚無の闇)
太陽は西へと沈み、世界は夜の帳に覆われている。漆黒に塗りつぶされた世界を照らすべき双月は、厚い暗幕の向こう側に追いやられていた。
学院から漏れる僅かばかりの光が届かなければ、僅か1メイル先も見通せないほどの闇の深さである。盗賊が仕事をするには最適の天候だった。
ロングビルという皮を脱ぎ去ったフーケは、代わりに黒いローブを着込み闇と同化しながら広場を歩く。予定では今頃、家族と楽しい団欒の時を過ごせるはずが、いまだに彼女はトリステイン魔法学院に居た。
それもこれも、あの無駄口の多いインテリジェンスソードが悪いのだ。フーケは足元に転がっていた石を蹴りつけようとして、音を立てられないので思い切り踏みつけてやった。
あいつが言い争ううちに計画の穴を次々と指摘してくるから、無機物相手に知恵比べで負けられまいと、今日に至るまで予定が間延びしていた。
言い返せなかった事が余計に頭にくる。何が自称千年物の剣だ、とフーケは口中で愚痴を並べた。アンティークとして価値があるならならまだしも、あんなに錆びていては新品より劣るではないか。そんなゴミに負けるところであった自分に嫌悪する。
八つ当たりとして、フーケはデルフリンガーをボロ布でぐるぐる巻きにし、信頼は出来るが扱いはとびきり荒い運送屋でテファが待つウェストウッド村へと送っていた。向こうに着く頃には野菜の山にでも埋もれて、あのお喋りも少しは矯正されているだろう。
「さて、土くれの腕の見せ所、といこうかね……」
自分に張りを持たせるためにそう呟き、フーケは持っていたランタンの火を消した。地面に這いつくばって耳を当て、周囲にメイジや使い魔がないことを入念に探る。
平民の衛兵や生徒の一人や二人に遅れをとる気はさらさらないが、今回の計画な物にするためにも、出来る限り発見されたくなかった。
それに、フーケは殺しが好きではない。必要なら躊躇わないが、自分の実力も計れずに特攻してきたガキをゴーレムで踏み潰したら夢見は悪い。
フーケは何度も深呼吸しながら精神を練り上げていき、今回の獲物が眠る宝物庫を睨み付ける。
あの壁は長い間手こずらせてくれた憎らしい敵だが、それを見るのも今日までだ。入念な前準備をしただけあって気力の高ぶりは十分だった。
フリッグの舞踏会にて、酔っ払ったコルベールから更に宝物庫の弱点を聞き出す事に成功している。柱や壁の構造もなども検討し、衝撃を与えるべきポイントに1週間以上かけて何度も錬金をかけてやった。
予定が遅れている事も、十分に精神力を回復できたと思えば悪くはない。後はただ行動するのみ。
具体的にはゴーレムで思い切り殴りつけてやり、その後はお宝を頂戴して逃げる。言葉にすると実にシンプルだ。
「よし、おっぱじめようか!」
フーケはここ一番の魔力を込め、長い詠唱を歌うように終わらせた。足元の大地が魔力を受けて隆起していく。地響きという胎動と共に巨人が産み落とされ、30メイルはあろうかというゴーレムが天を突いた。
足元に居る自分を踏み潰さないよう、慎重にゴーレムを攻撃の態勢へ移らせる。大きく足を開いて重心を安定させ、土を集めて巨大化させた右の拳にスピードを乗せる。遠くで衛兵が異常に気付いたようだが、もう遅い。
インパクトの瞬間だけ鉄へと変化したゴーレムの拳は狙い通りの位置に着弾し、攻城兵器顔負けの威力と成果を発揮した。天地も裂けよとばかりの轟音が鳴り響き、学院そのものが小刻みに揺れている。
「へ、いっちょあがりさ!」
大規模な魔法の使用によって脱力感を感じたフーケだったが、心中の高揚はたやすくそれを打ち消してくれた。
トリステインで最も強固と謳われた壁には馬車さえも通れそうな大穴が開き、どうぞ入ってくださいと手招きしているようだ。あのセクハラ爺がこの後始末に奔走する様を思えば、腹を抱えて笑いたくなるほど心地よい。
細心の注意を払いながらゴーレムで自身を拾い上げ、作ったばかりの専用通路から宝物庫へと入場する。崩れていく瓦礫を跨ぐのは実にすがすがしい気分だった。
「さて、後はこの金庫を……」
こちらも手こずらせてくれた金庫ではあったが、事前に固定化の呪文を解除し終わっていた。今では単なる鉄の塊に過ぎず、出来のわるい生徒ですら壊せるだろう。
当直さえ日常的にサボられているような、ずさん過ぎる警備体制だからこそ出来た技だった。ご自慢の金庫が砂になっているのを見たときの、オスマンの驚愕の表情が楽しみである。
フーケは軽く杖を振って金庫の一部を小さなゴーレムへと変え、繰り人形が恭しく差し出した巻物を一瞥して懐へと差し込んだ。
「破壊の魔法書、確かに領収いたしました。土くれのフーケ……っと」
ゴーレムを解体し、その土を使って宝物庫の壁へとサインを刻む。普段はそこまで大きく書かないのだが、今回ばかりは心持サイズを増した。
壁に耳を当てて気配を探ってみるが、いまだに宝物庫へと近づいてくる人物は居ない。先ほど気付いたであろう衛兵がメイジを呼びに奔走しているとしても、一杯のワインを嗜めるだけの時間は十分に残されている。
フーケはゴーレムの腕を宝物庫の中に差し込ませると、着込んでいた黒のローブを脱ぎ捨てた。巨大なゴーレムの一部を使用して囮を作り出し、土で出来た顔が完全に隠れるほど深く着込ませる。
近くで見れば一発で見抜かれるだろうが、ただでさえ真夜中なのにこの曇天だ。ランタン程度の明かりしか持たないのでは、肩の上に乗っている人影を視認することさえ難しいだろう。
杖を振ってしばし成り行きを見守ると、その正しさはすぐに証明された。
騒いでいた人間たちを跨いで"黒ローブのメイジ"を乗せたゴーレムが歩き出すと、彼らは明かりに群がる蛾のように追いかけていく。
「はっ! 我ながら、完璧だよ……。惚れ惚れしちまうね!」
笑いながらそう吐き捨て、操作出来る限界の距離までゴーレムを歩かせる。事態に気付いていた少数の人間もデゴイに釣られ、既に蛻の殻となっているはずの宝物庫に注意を向けているやつなど誰も居なかった。
衛兵の持っているランタンの明かりが塀の向こうへと消える。縁から顔を覗かせても誰一人したには居らず、今なら入ってきた穴からフライで飛び降りても発見される怖れは皆無だった。
普段なら嬉々として飛び降りただろうが、今回のフーケは更に用心を重ねていた。分厚い扉の前まで行き、耳を当てて向こう側の様子を探る。案の定、こちら側の警戒もまったくのゼロ。フーケは短く息を吐いて扉へと力を込めた。
「じゃあね、馬鹿どもよ……!」
蝶番にロウを塗りこんだ扉は音もなく開いていくいった。壁を破壊する前に、合鍵を使用して内側から開けておいたのだ。
闇に沈んだ廊下は耳が痛いほど静まり返っており、これだけ時間がたっても教師一人やってこない。フーケはディテクトマジックで周囲を警戒した後、素早く懐から合鍵を取り出して施錠した。
金属の機構が小さくない音を立てる。ドアがしっかりとロックされたことを何度か確かめ、使用したキーに錬金をかけて元の小石へと戻した。
これでフーケとしての仕事は終わった。予測が正しければ数分もしない内に、衛兵か教師かがやってくるだろう。そうしたら劇の始まりである。フーケは自らの完璧な仕事に満足し、大きく頷いた。
当直をサボっていた教師に変わって深夜の見回りをしていた秘書のミス・ロングビルは、フーケ襲撃を察して宝物庫に走ったが、扉を開くための鍵がなくて立ち往生していた、という設定だ。
無能な盆暗どもは、居もしないフーケを求めて捜索隊を出すだろう。そしてプライドと給料だけは高い貴族どもの事だから、王宮に連絡せずに隠密に事件を処理したいとも考えるのが自然な流れだった。誰だって自らのミスを宣伝したくはない。
保管を委託された外部の品であればそうは行かないが、破壊の魔法書は学院長の私物と言っていもいい物であり、建物さえ直してしまえば学院側に被害はない。人的被害も無いから隠蔽は簡単に終わる。
後は秘書として、その流れを後押しするだけだ。最近はアルビオンもきな臭いようだし、しばらくしたらそれを理由にして学院を辞めればいい。
「お、おぉぉ! み、ミス・ロングビルッ! ご無事ですか?!」
「え、ええ。大丈夫です。……見回りの最中だったので、急いで飛んできたのですが……。鍵が無いのを、忘れていました」
程なくして、寝巻きのままのコルベールが額まで真っ赤にしながらやってきた。フーケはロングビルとして、困惑しながらも必死に対処しようとする秘書を演じる。
「ミスタ・コルベール……。いったい、何があったのでしょうか? 巨大なゴーレムが、森へと逃げていくのを見たのですが……」
「巨大なゴーレム……。そ、それは、土くれのフーケに違いありません! 大変な事になりましたぞ!
こうしては居られません! 急いで宝物庫を確認せねば……! 鍵は、学院長が持っておるはずです! 行きましょう!」
フーケですって、と焦った様な返事を返す。コルベールは胸を張って落ち着かせてくれ、平静を取り戻したロングビルは共に学院長室へと向かった。
まさか犯人が目の前に居るとは思わないだろう。彼と共に廊下を走りながら、フーケは思わず浮かんでしまう下卑た笑みを隠せずに居た。
学院に賊が入ったらしい。
平穏な学院生活に降り注いだビッグニュースは厳かなはずの朝食の場を完全に支配しており、生徒たちは湯気を立てるステーキを放置して会話に花を咲かせている。様々な憶測や作り話などが飛び交い、広い食堂をゴシップが埋め尽くしていた。
口々に騒ぎ立てる名前は土くれのフーケ。土のトライアングルメイジであり、主に金持ちの貴族が持つマジックアイテムを狙う大怪盗。
今回は錬金などの静かな手段ではなく、大胆にも巨大なゴーレムを用いて宝物庫の壁に大穴を開けて行ったらしい。変装用の黒のローブだけを残し、煙のように消え去ったという。昨日の地震はこれだったのかとルイズは思った。安眠妨害もいい所だ。
教師たちは青い顔をして飛び回っているようだが、ルイズにはこれっぽっちも関係ない。対岸の火事よろしく眺めながらアルビオンの13年物で唇を湿らせ、肉厚のステーキを咀嚼する。
年間の食事代だけでも目玉が飛び出るほどの金額になるというトリステイン魔法学院の正餐ともなれば、王都にある一流のレストランにも引けを取らなかった。ステーキ用の肉も高価な部分だけを使用していて、実に美味しい。
最近、食事の好みもかなり変化していた。前はミディアムとウェルダンの中間あたりが好みだったのに、今は血の滴るようなブルーレアがたまらない。それはガリア産の高級食肉牛においてだけではなく、人間に対しても言えた。
エルザは恐怖や絶望がスパイスになると言っていたが、たしかにその通りだとルイズは思う。苦痛なく一瞬で首を撥ねた物より、丹念に痛めつけた固体の方が美味に感じるのだ。エルザによって血抜きされた新鮮な食材には食指が動く。
しかし、痛めつければ誰でもいいという事は無かった。狩猟と隠蔽の容易さから真っ先に試したのはスラムにいた少女だったのだが、肉質はパサパサしている上に味も薄く、決して美味とは言えなかった。
食べている物の良し悪し以前の問題だろう。あそこの住民はどいつこもこいつも痩せていて貧相だし、脂身が少なすぎるのはそれが原因と思われた。
その点、5つほど席を挟んだところに座っている少年などはほどよく肥えていて食べ応えがありそうである。魔法をつかえる固体はそれだけで貴重だ。
魔力の籠もっている貴族のハツに塩コショウをふって、直火で焼いたら美味しそうだった。素材本来の味を引き出すというのだろうか? 冷やした脳みそのシャーベットも捨てがたい。ルイズは口中に唾が沸くことを感じながらワインに手を伸ばした。
「ん……」
グラスを満たしていた緋色の液体を飲み干ほすと、脇から瀟洒なメイド服に身を包んだエルザがワインを継ぎ足す。その姿はぎこちない部分も無く、かなり様になっていた。
これでも最初はおっかなびっくりだったが、よき教師兼餌であったシエスタに仕込まれ、少女は一端のメイドに昇華していた。エリートといっても差し支えないここのメイドに馴染めている。
また根が器用な性格らしく、料理の腕でもメキメキと頭角を現していた。腕のいいマルトー料理長の下で修行を積んでいるだけあって、将来は彼の後を継ぐことも可能ではないか、などとメイドらから持て囃されているようだった。
個人の侍女を持つことに傲慢な貴族のガキどもは文句があるようだが、学院長はルイズの駒である。教師たちを操って反感を黙らせ、それでも騒ぐ者には鼻薬を嗅がせるか、後ろ暗い部分で脅して黙らせた。
「エルザ、片付けておいて」
人間と言う至高の味を知ったルイズはこの食事でも満足せず、贅を尽くした食事の大半を残して席を立った。
そもそも量自体が子供に食べきれるほど少なくないのだ。テーブルに並ぶのはどれも一流に近い食品だというのに、飽食の極みである。
毎回のように出る残飯を王都のスラム街にでも供給すれば餓死する人間は激減するだろう。しかし実際にそのような慈善事業の姿は無く、ただ捨てられて腐るばかり。
それどころかここのコックさえ、味見以外で大っぴらに口にする事は許されず、彼らが賄を作るために別の食材を仕入れる事すらあった。
だが、これは異常ではない。ごく自然なことなのだ。おおよそどこの施設でも似たような事が起きている。これを問題だと思う貴族は居ない。異を唱える平民は左遷されるか静粛される。この世界は貴族の楽園であり、平民のための世界ではないのだから。
校舎を出たルイズは手近な広場へと足を向けた。草原の上に立って首を傾けてみれば、確かに宝物庫の壁には大穴が開いている。
持ち出しが可能で有用な物は根こそぎ奪った後であったし、ルイズの急所とも言うべき悟りの書は全て暗記して燃やした後だ。ガラクタ置き場に用は無い。ネズミが這いまわろうが関係ない。
エルザに命じて、無駄に大事に必要は無いと釘を刺すべきだろうか。かつて目を背けていた数々の邪法は、まだ試した事さえなかった。表側の魔法さえまだ完璧ではなく、それ故ルイズはトラブルを躊躇している。
しばらく思案したが、老獪なグールはルイズが考えるよりよほど上手く問題を捌けるだろうという結論に至った。大まかな意思はエルザに伝えてあるので、自分が頭を悩ます類の物ではない。今は腕を磨くことだけ考えれ居ればいいだろう。
襲撃を瑣末事として切捨て、ルイズは杖を振って空を駆けた。昨日降った雨が残っているのか、多分に含まれた湿気で空気が重い。空は黒い残滓に埋められているが、その隙間から覗く光が何故だか気に入らなかった。
舌打ちし、眼下の森を見下ろす。暇つぶしに生き物を片端から殺して回っているのが不味かったようで、リス一匹気配を感じなかった。不機嫌に眉をひそめる。
自業自得とはいえ面倒だ。人間なら学院にいくらでも居るが、事後処理の煩雑さを考えると使いたくない。これだけ人間が蔓延っているのだから、たかが子供の一人や二人、殺したところで構わないと思うのだが。まったく持って煩わしい。
ルイズは不機嫌に顔を顰め、文字通りの意味での実験動物を探して視線を走らせる。可能なら諜報に適した小動物か、機動力に優れる鳥類が好ましい。
今回試そうと思っているのは、死体を魔物として蘇らせる邪法だった。熟練すればより高度な術式を用いて、完全な無機物にさえ命を与える事が出来るという。新鮮な死体を材料にアンデッドを作るのは、その初歩の初歩の初歩である。
基本的には吸血鬼が作るグールと大差ないが、今のルイズが作れる物では、おそらくその劣化コピーがいい所だ。損傷しても自力では治癒しないし、下手をすれば勝手に肉が腐ってスケルトンになる。大魔王が聞いて呆れる惨状だった。
「……狐か」
四半刻ほど森を探し回ったところで、体長約40サントほどの狐を発見した。ルイズはそれを初の獲物とするか決めかねる。
狐は野生動物としてのすばしっこさと発達した聴力を持つが、それだけである。狼のような戦闘能力はないし、ネズミのような潜入能力も無い。鳥のように空を飛ぶことも出来ない。
しかしながら他に試すべき動物の姿も無かったので、ルイズは仕方なくその狐を選んだ。こういう時にヴィンダールヴのルーンは便利だ。
感覚的に動物の位置や種類が把握できたり、知能の低い対象なら容易に洗脳できたりする。惜しむべきは、他者の使い魔の支配権を奪うには至らなかった事か。
シルフィードのような高度な知能を持つ個体だけではなく、カエルやフクロウに至るまで、ある程度の好感を植えつける程度にとどまっていた。
ルイズは枝を避けながら森の中に降下し、棒立ちになっている狐へ接近する。長らく使い魔だと胸を張って紹介できるような傀儡が居なかっただけあって、予想していたより緊張した。
まずは素体の息の根を止める必要がある。大きすぎる外傷を作っては差し支えるので、出来る限りスマートに殺さねばならない。小指より更に細い氷の針を作り、狐の小さな心臓を打ち抜いた。細い悲鳴が漏れる。
膝を着いて狐に手を当てると、まだ暖かい体温を感じた。目を閉じて、深い淀の中に沈んだ記憶を呼び起こす事に専念する。掌に魔力を集中させる。ハルキゲニアで使用されている言語とはまったく異なる呪文がルイズの口から紡がれる。
黒い光を発する六芒星から光を飲み込む漆黒の霧が立ち上り、穴の開いた狐の心臓へと飲み込まれていった。
「ギギ、ギギギィィィィ!!!」
磨り潰すような甲高い悲鳴。初めての工程だが、誰かに聞かなくとも分かる。見事に失敗だった。
ルイズは唇を尖らせ、貧弱すぎた実験材料を一瞥した。術そのものには問題なかったのだが、注ぎ込む力の調節を間違えたようだ。あまりにも多くを与えられた狐は、赤黒く膨れ上がった肉の塊になっていた。
風船のように膨れ上がった胴体からは、手足の端末と鼻先と尻尾だけが覗いている。生物ならばとうの昔に動きを止めているはずが、異常な生命力を見せる狐の残骸はどうにかして立ち上がろうと空を掻いていた。
無様だ。自分の使い魔には相応しくない。
自ら作り出した造物だというのに、ルイズはそれを躊躇い無く踏み潰した。軽くため息を吐き、血で汚れてしまった靴底を大地に擦り付ける。
ちょいと失敗してしまったが、次こそ成功させればよい。
ルイズは再び杖を振り、雲の消えた青空へと飛び立った。
キュルケは苛立ちを隠さず腕を組み、ほぼ無人の食堂で桃色髪の少女を待ち構えていた。
横目で入り口を見やる。まだルイズはこない。柄でもない緊張が胃を焼く。
フーケ騒ぎのおかげで授業がご破算になった今こそ、ルイズを捕まえるチャンスなのである。今までも会おう会おうとは思っていたが、心のどこかで逃げてしまっていた。この機会を逸したら、きっと永遠に向き合うことは出来ないだろう。
後悔と練習だけは十分過ぎるほどやった。今ならルイズを前にしても、嫌みったらしい口調になってしまう事は無いはずだった。
腕を解いて胸に手を当て、大丈夫、大丈夫、と自己暗示をかける。嫌な冷や汗が背中を伝っていった。
ルイズは他の生徒と共有する時間を短縮するため、可能な限り素早く食事を取る。つまり、いつ通路からルイズが出てきてもおかしくない。
心の準備のために通路を見通せる位置に立ちたくとも、そうなると逃げられるかもしれなかった。キュルケは食堂の壁に背中を預け、苦渋になりかけた表情を無理やり戻す。
前にも一度、謝罪はした。しかし許しは得られていない。許されたいと思うことさえ傲慢だ。自分に出来るのは、ただ地に額を擦る事だけ。
ルイズはどうなった? あの意地っ張りで、怒りんぼで、無力なのに誰よりも強く、そして優しかった少女は。
顔を会わせないからこそ、遠くから見つめるしか出来なかったからこそ、キュルケはルイズの異常を敏感に察知していた。
以前のルイズなら、殊更強調しようとはしなくとも、手に入れた魔法を手放しで喜ぶだろう。
以前のルイズなら、美しい鳶色の目を輝かせながら授業にのめり込むだろう。
以前のルイズなら、あんな死人のように悲しい目はしない。
以前のルイズなら、……。
渦を巻くような自己嫌悪に、キュルケは強く目頭を押さえつけた。吐き気と胃痛が酷い。この期に及んで救いを求める浅はかさに辟易する。
何故私だけがこんな苦しい思いをしなければならないのだ。ルイズを貶めていたのは私だけではない。むしろ悪意しかなかった分、今でさえ笑い続けているクラスメイトたちのほうが……。
流されかけて、キュルケは己の頬を強く打った。今はそんな事を考えている場合ではないのだ。またもや逃げ出そうとしている自分を戒める。
「あ、る、ルイズ……!」
顔を上げた瞬間に食堂に入ってきた少女を見て、キュルケは慌てて壁から体を離した。喉の奥が乾いて張り付くのを感じる。
「……なに、キュルケ」
光を失った瞳が此方を捉えた。その惨状と自らの罪を食み、幾度と無くシミュレーションした言葉が喉につかえた。
言いよどんでしまったのを隠すために歩み寄ろうとすると、ルイズは渋い顔をして後退する。傷ついたキュルケは足を止めた。やはり嫌われていたらしい。
「あ、あの……」
搾り出したそれは、キュルケを知る者が聞けば心臓麻痺を起こすほど、あまりに弱弱しい言葉だった。
キュルケは自分でも似合わないと思っているが、あれほど練習したのに声が音にしかならない。自分の無能さに呻く。
私は何を言えばいいのだろうか。重圧から開放されたいという身勝手で、またルイズを傷つけてはしまわないか。そんな思いが喉を塞ぐ。
「悪いけど」
キュルケが葛藤を整理するより早く、ルイズが口を開いた。キュルケが知っているルイズとは真逆の、ゾッとするほど落ち着いた音色で。
彼女は変わってしまった。私が変えてしまった。時計の針を戻すには、どうすればいいのだろうか。
「あまり近寄らないで欲しいの。キュルケは……。貴方まで、巻き込み……」
予想はしていたが、実際に耳にすると大違いだ。拒絶の言葉に心臓が飛び跳ねる。鼓動に耳を閉ざされ、ルイズの言葉が聞こえない。
動けないキュルケを尻目に、ルイズは用件は終わったとばかりに踵を返して歩き去ってしまった。彼女は何が言いたかったのだろうか。
出来るならやり直したかった。あの頃のように、ライバルといえる関係に戻りたかった。
私は、何を行えばいいのだろうか。
「ルイズ……!」
届かない呟きは、誰の耳にも入ることなく霧散していった。
#navi(虚無の闇)
#navi(虚無の闇)
太陽は西へと沈み、世界は夜の帳に覆われている。漆黒に塗り潰された世界を照らすべき双月は、厚い暗幕の向こう側に追いやられていた。
唯一の光源は、カーテンを通して学院から漏れる僅かばかりの光だけだ。一歩でも学院の外に出てしまえば、僅か1メイル先も見通せないほどの闇の深さである。盗賊が仕事をするには最適の天候だった。
ロングビルという皮を脱ぎ去ったフーケは、代わりに黒いローブを着込み闇と同化しながら広場を歩く。予定では今頃、家族と楽しい団欒の時を過ごせるはずが、いまだに彼女はトリステイン魔法学院に居た。
それもこれも、あの無駄口の多いインテリジェンスソードが悪いのだ。フーケは足元に転がっていた石を蹴りつけようとして、音を立てられないので思い切り踏みつけてやった。
あいつが言い争ううちに計画の穴を次々と指摘してくるから、無機物相手に知恵比べで負けられまいと、今日に至るまで予定が間延びしていた。言い返せなかった事が余計に頭にくる。
何が自称千年物の剣だ、とフーケは口中で愚痴を並べた。アンティークとして価値があるならならまだしも、あんなに錆びていては新品より劣るではないか。そんなゴミに負けるところであった自分に嫌悪する。
八つ当たりとして、フーケはデルフリンガーをボロ布でぐるぐる巻きにし、信頼は出来るが扱いはとびきり荒い運送屋でテファが待つウェストウッド村へと送っていた。向こうに着く頃には野菜の山にでも埋もれて、あのお喋りも少しは矯正されているだろう。
「さて、土くれの腕の見せ所、といこうかね……」
自分に張りを持たせるためにそう呟き、フーケは持っていたランタンの火を消した。地面に這いつくばって耳を当て、周囲にメイジや使い魔がないことを入念に探る。
平民の衛兵や生徒の一人や二人に遅れをとる気はさらさらないが、邪魔は少ないほうが良いに決まっている。今回の計画を完璧な物にするためにも、出来る限り発見されたくなかった。
それにフーケは殺しが好きではない。必要なら躊躇わないが、自分の実力も計れずに特攻してきたガキを踏み潰したら夢見が悪いだろう。
フーケは何度も深呼吸しながら精神を練り上げていき、今回の獲物が眠る宝物庫を睨み付ける。あの壁は長い間手こずらせてくれた憎らしい敵だが、それを見るのも今日までだ。
入念な前準備をしただけあって気力の高ぶりは十分だった。フリッグの舞踏会にて、酔っ払ったコルベールから更に宝物庫の弱点を聞き出す事に成功している。柱や壁の構造もなども検討し、衝撃を与えるべきポイントに1週間以上かけて何度も錬金をかけてやった。
予定が遅れている事も、十分に精神力を回復できたと思えば悪くはない。後はただ行動するのみ。
具体的にはゴーレムで思い切り殴りつけてやり、その後はお宝を頂戴して逃げる。言葉にすると実にシンプルだ。
「よし、おっぱじめようか!」
フーケはここ一番の魔力を込め、長い詠唱を歌うように終わらせた。足元の大地が魔力を受けて隆起していく。地響きという胎動と共に巨人が産み落とされ、30メイルはあろうかというゴーレムが天を突いた。
足元に居る自分を踏み潰さないよう、慎重にゴーレムを攻撃の態勢へ移らせる。大きく足を開いて重心を安定させ、土を集めて巨大化させた右の拳にスピードを乗せる。遠くで衛兵が異常に気付いたようだが、もう遅い。
インパクトの瞬間だけ鉄へと変化したゴーレムの拳は狙い通りの位置に着弾し、攻城兵器顔負けの威力と成果を発揮した。天地も裂けよとばかりの轟音が鳴り響き、学院そのものが小刻みに揺れている。
「へ、いっちょあがりさ!」
大規模な魔法の使用によって脱力感を感じたフーケだったが、心中の高揚はたやすくそれを打ち消してくれた。
トリステインで最も強固と謳われた壁には馬車さえも通れそうな大穴が開き、どうぞ入ってくださいと手招きしているようだ。あのセクハラ爺がこの後始末に奔走する様を思えば、腹を抱えて笑いたくなるほど心地よい。
細心の注意を払いながらゴーレムで自身を拾い上げ、作ったばかりの専用通路から宝物庫へと入場する。崩れていく瓦礫を跨ぐのは実にすがすがしい気分だった。
「さて、後はこの金庫を……」
こちらも手こずらせてくれた金庫ではあったが、事前に固定化の呪文を解除し終わっていた。今では単なる鉄の塊に過ぎず、出来のわるい生徒ですら壊せるだろう。
当直さえ日常的にサボられているような、ずさん過ぎる警備体制だからこそ出来た技だった。ご自慢の金庫が砂になっているのを見たときの、オスマンの驚愕の表情が楽しみである。
フーケは軽く杖を振って金庫の一部を小さなゴーレムへと変え、繰り人形が恭しく差し出した巻物を一瞥して懐へと差し込んだ。
「破壊の魔法書、確かに領収いたしました。土くれのフーケ……っと」
ゴーレムを解体し、その土を使って宝物庫の壁へとサインを刻む。普段は彼女にとって慎ましやかと思えるサイズに止めているのだが、今回ばかりは心持サイズを増しておいた。これを見た貴族の顔が見物だ。
壁に耳を当てて気配を探ってみるが、いまだに宝物庫へと近づいてくる人物は居ない。先ほど気付いたであろう衛兵がメイジを呼びに奔走しているとしても、一杯のワインを嗜めるだけの時間は十分に残されている。
フーケはゴーレムの腕を宝物庫の中に差し込ませると、着込んでいた黒のローブを脱ぎ捨てた。巨大なゴーレムの一部を使用して囮を作り出し、土で出来た顔が完全に隠れるほど深く着込ませる。
近くで見れば一発で見抜かれるだろうが、ただでさえ真夜中なのにこの曇天だ。ランタン程度の明かりしか持たないのでは、肩の上に乗っている人影を視認することさえ難しいだろう。
杖を振ってしばし成り行きを見守ると、その正しさはすぐに証明された。
「はっ! 我ながら、完璧だよ……。惚れ惚れしちまうね!」
笑いながらそう吐き捨て、操作出来る限界の距離までゴーレムを歩かせる。騒いでいた人間たちを跨いで"黒ローブのメイジ"を乗せたゴーレムが歩き出すと、彼らは明かりに群がる蛾のように追いかけていった。既に蛻の殻となっているはずの宝物庫に注意を向けているやつなど誰も居なかった。
衛兵が持つランタンの明かりが一つ残らず塀の向こうへと消えるのを見届けたフーケは、更に3つほど数を数えてから次の行動に移る。
普段なら人目が無いのをいい事に、あの穴から嬉々として飛び降りただろうが、今回のフーケは更に用心を重ねていた。分厚い扉の前まで行き、耳を当てて向こう側の様子を探る。案の定、こちら側の警戒もまったくのゼロ。フーケは短く息を吐いて扉へと力を込めた。
「じゃあね、馬鹿どもよ……!」
蝶番にロウを塗りこんだ扉は音もなく開いていくいった。壁を破壊する前に開けておいたのだ。
闇に沈んだ廊下は耳が痛いほど静まり返っており、これだけ時間がたっても教師一人やってこない。フーケはディテクトマジックで周囲を警戒した後、素早く懐から合鍵を取り出して施錠した。
金属の機構が小さくない音を立てる。ドアがしっかりとロックされたことを何度か確かめ、使用したキーに錬金をかけて元の小石へと戻す。
これでフーケとしての仕事は終わった。予測が正しければ数分もしない内に、衛兵か教師かがやってくるだろう。そうしたら劇の始まりである。フーケは自らの完璧な仕事に満足し、大きく頷いた。
当直をサボっていた教師に変わって深夜の見回りをしていた秘書のミス・ロングビルは、フーケ襲撃を察して宝物庫に走ったが、扉を開くための鍵がなくて立ち往生していた、という設定だ。
無能な盆暗どもは、居もしないフーケを求めて捜索隊を出すだろう。そしてプライドと給料だけは高い貴族どもの事だから、王宮に連絡せずに隠密に事件を処理したいとも考えるのが自然な流れだった。誰だって自らのミスを宣伝したくはない。
保管を委託された外部の品であればそうは行かないが、破壊の魔法書は学院長の私物と言っていもいい物であり、建物さえ直してしまえば学院側に被害はない。人的被害も無いから隠蔽は簡単に終わる。後は学院を守る秘書として、その流れを後押しするだけだ。
最近はアルビオンもきな臭いようだし、しばらくしたらそれを理由にして学院を辞めればいい。早く家族の笑顔が見たかった。
「お、おぉぉ! み、ミス・ロングビルッ! ご無事ですか?!」
「え、ええ。大丈夫です。……見回りの最中だったので、急いで飛んできたのですが……。鍵が無いのを、忘れていました」
程なくして、寝巻きのままのコルベールが額まで真っ赤にしながらやってきた。フーケはロングビルとして、困惑しながらも必死に対処しようとする秘書を演じる。
「ミスタ・コルベール……。いったい、何があったのでしょうか? 巨大なゴーレムが、森へと逃げていくのを見たのですが……」
「巨大なゴーレム……。そ、それは、土くれのフーケに違いありません! 大変な事になりましたぞ!
こうしては居られません! 急いで宝物庫を確認せねば……! 鍵は、学院長が持っておるはずです! 行きましょう!」
フーケですって、何という事でしょう……。と、フーケは焦った様な返事を返す。
コルベールは胸を張って落ち着かせてくれ、平静を取り戻したロングビルは共に学院長室へと向かった。
まさか犯人が目の前に居るとは思わないだろう。彼と共に廊下を走りながら、フーケは思わず浮かんでしまう下卑た笑みを隠せずに居た。
学院に賊が入ったらしい。
平穏な学院生活に降り注いだビッグニュースは厳かなはずの朝食の場を完全に支配しており、生徒たちは湯気を立てるステーキを放置して会話に花を咲かせている。様々な憶測や作り話などが飛び交い、広い食堂をゴシップが埋め尽くしていた。
口々に騒ぎ立てる名前は土くれのフーケ。土のトライアングルメイジであり、主に金持ちの貴族が持つマジックアイテムを狙う大怪盗。
今回は錬金などの静かな手段ではなく、大胆にも巨大なゴーレムを用いて宝物庫の壁に大穴を開けて行ったらしい。変装用の黒のローブだけを残し、煙のように消え去ったという。昨日の地震はこれだったのかとルイズは思った。安眠妨害もいい所だ。
教師たちは青い顔をして飛び回っているようだが、ルイズにはこれっぽっちも関係ない。対岸の火事よろしく眺めながらアルビオンの13年物で唇を湿らせ、肉厚のステーキを咀嚼する。
年間の食事代だけでも目玉が飛び出るほどの金額になるというトリステイン魔法学院の正餐ともなれば、王都にある一流のレストランにも引けを取らなかった。ステーキ用の肉も高価な部分だけを使用していて、実に美味しい。
最近、食事の好みもかなり変化していた。前はミディアムとウェルダンの中間あたりが好みだったのに、今は血の滴るようなブルーレアがたまらない。それはガリア産の高級食肉牛においてだけではなく、人間に対しても言えた。
エルザは恐怖や絶望がスパイスになると言っていたが、たしかにその通りだとルイズは思う。苦痛なく一瞬で首を撥ねた物より、丹念に痛めつけた固体の方が美味に感じるのだ。エルザによって血抜きされた新鮮な食材には食指が動く。
しかし、痛めつければ誰でもいいという事は無かった。狩猟と隠蔽の容易さから真っ先に試したのはスラムにいた少女だったのだが、肉質はパサパサしている上に味も薄く、決して美味とは言えなかった。
食べている物の良し悪し以前の問題だろう。あそこの住民はどいつこもこいつも痩せていて貧相だし、脂身が少なすぎるのはそれが原因と思われた。
その点、5つほど席を挟んだところに座っている少年などはほどよく肥えていて食べ応えがありそうである。魔法をつかえる固体はそれだけで貴重だ。
魔力の籠もっている貴族のハツに塩コショウをふって、直火で焼いたら美味しそうだった。素材本来の味を引き出すというのだろうか? 冷やした脳みそのシャーベットも捨てがたい。ルイズは口中に唾が沸くことを感じながらワインに手を伸ばした。
「ん……」
グラスを満たしていた緋色の液体を飲み干ほすと、脇から瀟洒なメイド服に身を包んだエルザがワインを継ぎ足す。その姿はぎこちない部分も無く、かなり様になっていた。
これでも最初はおっかなびっくりだったが、よき教師兼餌であったシエスタに仕込まれ、少女は一端のメイドに昇華していた。エリートといっても差し支えないここのメイドに馴染めている。
また根が器用な性格らしく、料理の腕でもメキメキと頭角を現していた。腕のいいマルトー料理長の下で修行を積んでいるだけあって、将来は彼の後を継ぐことも可能ではないか、などとメイドらから持て囃されているようだった。
個人の侍女を持つことに傲慢な貴族のガキどもは文句があるようだが、学院長はルイズの駒である。教師たちを操って反感を黙らせ、それでも騒ぐ者には鼻薬を嗅がせるか、後ろ暗い部分で脅して黙らせた。
「エルザ、片付けておいて」
人間と言う至高の味を知ったルイズはこの食事でも満足せず、贅を尽くした食事の大半を残して席を立った。
そもそも量自体が子供に食べきれるほど少なくないのだ。テーブルに並ぶのはどれも一流に近い食品だというのに、飽食の極みである。
毎回のように出る残飯を王都のスラム街にでも供給すれば餓死する人間は激減するだろう。しかし実際にそのような慈善事業の姿は無く、ただ捨てられて腐るばかり。
それどころかここのコックさえ、味見以外で大っぴらに口にする事は許されず、彼らが賄を作るために別の食材を仕入れる事すらあった。
だが、これは異常ではない。ごく自然なことなのだ。おおよそどこの施設でも似たような事が起きている。これを問題だと思う貴族は居ない。異を唱える平民は左遷されるか静粛される。この世界は貴族の楽園であり、平民のための世界ではないのだから。
校舎を出たルイズは手近な広場へと足を向けた。草原の上に立って首を傾けてみれば、確かに宝物庫の壁には大穴が開いている。
持ち出しが可能で有用な物は根こそぎ奪った後であったし、ルイズの急所とも言うべき悟りの書は全て暗記して燃やした後だ。ガラクタ置き場に用は無い。ネズミが這いまわろうが関係ない。
エルザに命じて、無駄に大事に必要は無いと釘を刺すべきだろうか。かつて目を背けていた数々の邪法は、まだ試した事さえなかった。表側の魔法さえまだ完璧ではなく、それ故ルイズはトラブルを躊躇している。
しばらく思案したが、老獪なグールはルイズが考えるよりよほど上手く問題を捌けるだろうという結論に至った。大まかな意思はエルザに伝えてあるので、自分が頭を悩ます類の物ではない。今は腕を磨くことだけ考えれ居ればいいだろう。
襲撃を瑣末事として切捨て、ルイズは杖を振って空を駆けた。昨日降った雨が残っているのか、多分に含まれた湿気で空気が重い。空は黒い残滓に埋められているが、その隙間から覗く光が何故だか気に入らなかった。
舌打ちし、眼下の森を見下ろす。暇つぶしに生き物を片端から殺して回っているのが不味かったようで、リス一匹気配を感じなかった。不機嫌に眉をひそめる。
自業自得とはいえ面倒だ。人間なら学院にいくらでも居るが、事後処理の煩雑さを考えると使いたくない。これだけ人間が蔓延っているのだから、たかが子供の一人や二人、殺したところで構わないと思うのだが。まったく持って煩わしい。
ルイズは不機嫌に顔を顰め、文字通りの意味での実験動物を探して視線を走らせる。可能なら諜報に適した小動物か、機動力に優れる鳥類が好ましい。
今回試そうと思っているのは、死体を魔物として蘇らせる邪法だった。熟練すればより高度な術式を用いて、完全な無機物にさえ命を与える事が出来るという。新鮮な死体を材料にアンデッドを作るのは、その初歩の初歩の初歩である。
基本的には吸血鬼が作るグールと大差ないが、今のルイズが作れる物では、おそらくその劣化コピーがいい所だ。損傷しても自力では治癒しないし、下手をすれば勝手に肉が腐ってスケルトンになる。大魔王が聞いて呆れる惨状だった。
「……狐か」
四半刻ほど森を探し回ったところで、体長約40サントほどの狐を発見した。ルイズはそれを初の獲物とするか決めかねる。
狐は野生動物としてのすばしっこさと発達した聴力を持つが、それだけである。狼のような戦闘能力はないし、ネズミのような潜入能力も無い。鳥のように空を飛ぶことも出来ない。
しかしながら他に試すべき動物の姿も無かったので、ルイズは仕方なくその狐を選んだ。こういう時にヴィンダールヴのルーンは便利だ。
感覚的に動物の位置や種類が把握できたり、知能の低い対象なら容易に洗脳できたりする。惜しむべきは、他者の使い魔の支配権を奪うには至らなかった事か。
シルフィードのような高度な知能を持つ個体だけではなく、カエルやフクロウに至るまで、ある程度の好感を植えつける程度にとどまっていた。
ルイズは枝を避けながら森の中に降下し、棒立ちになっている狐へ接近する。長らく使い魔だと胸を張って紹介できるような傀儡が居なかっただけあって、予想していたより緊張した。
まずは素体の息の根を止める必要がある。大きすぎる外傷を作っては差し支えるので、出来る限りスマートに殺さねばならない。小指より更に細い氷の針を作り、狐の小さな心臓を打ち抜いた。細い悲鳴が漏れる。
膝を着いて狐に手を当てると、まだ暖かい体温を感じた。目を閉じて、深い淀の中に沈んだ記憶を呼び起こす事に専念する。掌に魔力を集中させる。ハルキゲニアで使用されている言語とはまったく異なる呪文がルイズの口から紡がれる。
黒い光を発する六芒星から光を飲み込む漆黒の霧が立ち上り、穴の開いた狐の心臓へと飲み込まれていった。
「ギギ、ギギギィィィィ!!!」
磨り潰すような甲高い悲鳴。初めての工程だが、誰かに聞かなくとも分かる。見事に失敗だった。
ルイズは唇を尖らせ、貧弱すぎた実験材料を一瞥した。術そのものには問題なかったのだが、注ぎ込む力の調節を間違えたようだ。あまりにも多くを与えられた狐は、赤黒く膨れ上がった肉の塊になっていた。
風船のように膨れ上がった胴体からは、手足の端末と鼻先と尻尾だけが覗いている。生物ならばとうの昔に動きを止めているはずが、異常な生命力を見せる狐の残骸はどうにかして立ち上がろうと空を掻いていた。
無様だ。自分の使い魔には相応しくない。
自ら作り出した造物だというのに、ルイズはそれを躊躇い無く踏み潰した。軽くため息を吐き、血で汚れてしまった靴底を大地に擦り付ける。
ちょいと失敗してしまったが、次こそ成功させればよい。
ルイズは再び杖を振り、雲の消えた青空へと飛び立った。
キュルケは苛立ちを隠さず腕を組み、ほぼ無人の食堂で桃色髪の少女を待ち構えていた。
横目で入り口を見やる。まだルイズはこない。柄でもない緊張が胃を焼く。
フーケ騒ぎのおかげで授業がご破算になった今こそ、ルイズを捕まえるチャンスなのである。今までも会おう会おうとは思っていたが、心のどこかで逃げてしまっていた。この機会を逸したら、きっと永遠に向き合うことは出来ないだろう。
後悔と練習だけは十分過ぎるほどやった。今ならルイズを前にしても、嫌みったらしい口調になってしまう事は無いはずだった。
腕を解いて胸に手を当て、大丈夫、大丈夫、と自己暗示をかける。嫌な冷や汗が背中を伝っていった。
ルイズは他の生徒と共有する時間を短縮するため、可能な限り素早く食事を取る。つまり、いつ通路からルイズが出てきてもおかしくない。
心の準備のために通路を見通せる位置に立ちたくとも、そうなると逃げられるかもしれなかった。キュルケは食堂の壁に背中を預け、苦渋になりかけた表情を無理やり戻す。
前にも一度、謝罪はした。しかし許しは得られていない。許されたいと思うことさえ傲慢だ。自分に出来るのは、ただ地に額を擦る事だけ。
ルイズはどうなった? あの意地っ張りで、怒りんぼで、無力なのに誰よりも強く、そして優しかった少女は。
顔を会わせないからこそ、遠くから見つめるしか出来なかったからこそ、キュルケはルイズの異常を敏感に察知していた。
以前のルイズなら、殊更強調しようとはしなくとも、手に入れた魔法を手放しで喜ぶだろう。
以前のルイズなら、美しい鳶色の目を輝かせながら授業にのめり込むだろう。
以前のルイズなら、あんな死人のように悲しい目はしない。
以前のルイズなら、……。
渦を巻くような自己嫌悪に、キュルケは強く目頭を押さえつけた。吐き気と胃痛が酷い。この期に及んで救いを求める浅はかさに辟易する。
何故私だけがこんな苦しい思いをしなければならないのだ。ルイズを貶めていたのは私だけではない。むしろ悪意しかなかった分、今でさえ笑い続けているクラスメイトたちのほうが……。
流されかけて、キュルケは己の頬を強く打った。今はそんな事を考えている場合ではないのだ。またもや逃げ出そうとしている自分を戒める。
「あ、る、ルイズ……!」
顔を上げた瞬間に食堂に入ってきた少女を見て、キュルケは慌てて壁から体を離した。喉の奥が乾いて張り付くのを感じる。
「……なに、キュルケ」
光を失った瞳が此方を捉えた。その惨状と自らの罪を食み、幾度と無くシミュレーションした言葉が喉につかえた。
言いよどんでしまったのを隠すために歩み寄ろうとすると、ルイズは渋い顔をして後退する。傷ついたキュルケは足を止めた。やはり嫌われていたらしい。
「あ、あの……」
搾り出したそれは、キュルケを知る者が聞けば心臓麻痺を起こすほど、あまりに弱弱しい言葉だった。
キュルケは自分でも似合わないと思っているが、あれほど練習したのに声が音にしかならない。自分の無能さに呻く。
私は何を言えばいいのだろうか。重圧から開放されたいという身勝手で、またルイズを傷つけてはしまわないか。そんな思いが喉を塞ぐ。
「悪いけど」
キュルケが葛藤を整理するより早く、ルイズが口を開いた。キュルケが知っているルイズとは真逆の、ゾッとするほど落ち着いた音色で。
彼女は変わってしまった。私が変えてしまった。時計の針を戻すには、どうすればいいのだろうか。
「あまり近寄らないで欲しいの。キュルケは……。貴方まで、巻き込み……」
予想はしていたが、実際に耳にすると大違いだ。拒絶の言葉に心臓が飛び跳ねる。鼓動に耳を閉ざされ、ルイズの言葉が聞こえない。
動けないキュルケを尻目に、ルイズは用件は終わったとばかりに踵を返して歩き去ってしまった。彼女は何が言いたかったのだろうか。
出来るならやり直したかった。あの頃のように、ライバルといえる関係に戻りたかった。
私は、何を行えばいいのだろうか。
「ルイズ……!」
届かない呟きは、誰の耳にも入ることなく霧散していった。
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