「IDOLA have the immortal servant 外伝-01b」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「IDOLA have the immortal servant 外伝-01b」(2009/03/01 (日) 21:21:55) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
&setpagename("IDOLA" have the immortal servant 外伝 イザベラと猟犬 中編 )
#center{[[IDOLA have the immortal servant]]}
----
イザベラが出て行ってしまうと、家の中にはスキルニルと、キリークだけが残された。
キリークがジジ達に事情を伺っているとジジの父親が帰宅してきて、来客の風体に絶句していた。
それもそうだ。スキルニルはカステルモールの姿を模しているので一見してメイジだと解る。
しかし、キリークは得体が知れない。金属の兜と仮面に、携えた大鎌。マントはつけていないから、メイジではないようだ。
「あの、キリーク様。キリーク様は一体、何をなさっておいでの方なんですか? 助けてくださるのはとてもありがたいのですが、その……どうして我らの願いを聞いてくださったんです?」
あれっぽっちの金で命を賭けてくれる酔狂な輩がいるというのも信じられなかったが、それがキリークのような相手であれば尚更だ。
「前は傭兵だったが、今は子供のお守りだ。ここに来た理由は、ミノタウロスとやらに興味があったからだ」
北花壇騎士団のことを口外するわけにはいかないので、キリークは適当に受け答えする。
キリークはまだ北花壇騎士団に所属しているわけではない。その上で今回の仕事への感想を率直に述べつつ、詳細を話せないとなると、こういう表現になる。
多分イザベラが聞いたら怒るだろうが、この場に彼女がいたとしてもキリークの言動は変わらなかっただろう。
語った動機にしても嘘はない。ミノタウロスの正体が偽者であれ本物であれ、やることは同じだ。どちらに転んでもきっと、「楽しい時間」が過ごせるだろう。
「あのう。差し出がましいことを申し上げるようですが、その大鎌で戦うおつもりですか? ミノタウロスの皮膚はとても硬く、刃物は通らないと聞くのですが……」
「何言ってんだいあんた! 失礼なことを言うもんじゃないよ! せっかく助けてくださるっていうのに……」
得物を役立たずだと言われて、気分を害したのではないか。ちらりとキリークの顔を伺うが、表情のない仮面の下で何を考えているのかは、さっぱり解らなかった。
キリークはただ一言だけ、口にする。
「問題はない」
体表が硬いだけなら何一つ問題は無い。苦にならない。
頼むからそれだけではあってくれるなよと、キリークはまだ見ぬ敵に淡い恋慕も似た期待を抱いていた。
「た、頼みます! それだけはご勘弁を……!」
イザベラがジジの家に戻ってみると、なにやら揉めていた。ジジの家族が、キリークに縋りついている所だった。
「何事?」
「ジジに、目標を誘き出す囮になれと提案した」
と、キリーク。
なるほど。それで、こんな騒ぎになっているわけだ。
「あ、あの。良いんです。わたし! 騎士様に戦ってもらうのに、わたしは家で震えているだけなんて……」
「何を言い出すんだね、この子は!」
ミノタウロスは生贄の対象と、時間と場所まで律儀に指定してきているらしい。
机の上に置いてある毛皮は、その内側に『次に月が重なる晩、森の洞窟前にジジなる娘を用意するべし』というおどろおどろしい血文字が躍っていた。
キリークはそれで、ジジが囮になれと言ったのだが、彼女の家族は万が一にも娘を危険に晒したくないらしい。騎士を連れてきて、それで安心だと思い込んでいたという所か。
ジジが自分から囮を承諾したことで話は更に縺れて、今度は喧々諤々、家族同士の言い争いに発展していた。今度は母親が囮になると言い出し、ジジが「いや、わたしが」と主張し返す。
父親は娘への説得を続け、ドミニクはひたすらキリークを拝み倒す有様。
キリークは自分が提案したことなのに我関せずといった様子だ。決めるのはあくまでジジの家族、ということなのだろう。
「あー! やかましいっ!」
暫く傍観していたが、いつまで経っても結論が出そうに無い。熱しやすいイザベラが何時までも耐えられるはずがなかった。
一喝すると、ジジの家族は静まり返って彼女を見てくる。イザベラは、勢いに任せてそのまま口走った。
「わたしがその囮役になればいいんだろ!」
言ってから、しまったと思った。自分がキリークの任務に直接協力するような真似は、極力控えたかったのに。
大体、囮役なんて冗談じゃない。
その場で本物のミノタウロスにかぶりつかれでもしたら怪我では済まないし、偽者であってもキリークがヘマをやらかしたらそのまま売り飛ばされることになるかも知れないではないか。
それでも、吐いた唾を飲むことだけはイザベラの高いプライドが拒否した。
そうだ。あのアルマという子供と、つまらない約束をしてしまったから。それでわたしもちょっとだけ、事件の解決に協力してやるだけのことだ。それだけだ。
イザベラは、己にそう言い聞かせた。
「やっぱりやるんじゃなかった! なんで! なんでわたしがこんな目に……!」
イザベラは呪いの言葉を吐いた。村娘の粗末な服を着せられ、自慢の青い髪を、ジジと同じ茶色に染められ、ロープで縛られて。イザベラはミノタウロスが十年前にも一度住み付いたという洞窟の前に転がされていた。
キリークの立案だ。気付かれて逃げられては元も子もないと言われては、協力すると言った手前、断ることができなかった。
短気を起こすとロクなことはないと、イザベラは今更ながらに思う。
ロープはすぐにほどけるようになっているし、袖に地下水を忍ばせているが、不安で不安で仕方がない。
ぽっかりと口を開けた洞窟はいかにも不気味で、ここからぬうっと牛頭の化物が姿を現すかと思うと、嫌でも心臓の鼓動が早くなる。
「地下水。いざとなったら、お前に出番が回ってくるんだから、しっかりしなよ!」
“……姫殿下。どうしてこんな役を買って出たんです?”
地下水の声が、心に響く。
例えインテリジェンス・ナイフであっても、話し相手がいるというのは心強い……、はずなのだが、イザベラの口から出たのは悪態だ。彼女の機嫌は最高に悪かった。
「あんたには関係ないだろ。道具は使われてりゃ良いんだ!」
“それはごもっとも……”
地下水は主に悪態を吐かれても、後で思い返して楽しむネタが増えたと感謝したいぐらいだった。
傭兵として名を上げ、多くの富を溜め込んだり名声を高めていくのが地下水の趣味である。
それら自体に大した価値観や執着を感じているわけではないのだが、何かしらの目標や目安を持って行動しないと、意思持つ道具である彼に残されるのは拷問にすら思える無限の時間だけなのだ。
だから彼は暇を飽かす為に人間の価値観を目安に行動するわけだが、それはつまり自分に仕事を運んできてくれる人間や、使ってくれる人間がどうしても必要だということだ。
道具は使われていればいいと言う、イザベラの言葉は真理であり、地下水の何よりの望みでもあった。
しかし、退屈が何より嫌だから北花壇騎士団にも出入りしている地下水としては、ただの護衛と言われるよりも随分と面白い展開になっているのは確かだ。実は今も、笑い転げたくなるのを堪えているところなのである。
「あいつはちゃんと居るんだろうね……! 逃げたら承知しないよ!」
イザベラが森の茂みを睨むと、ここにいるとばかりにぼんやりとした二つの燐光が現れて、すぐに消えた。キリークの目が、時折放つ輝きである。
「ちっ」
舌打ちすると、イザベラはそれきり黙ってしまった。
どれくらいの時間が経っただろうか。辺りを照らす二つの月が、そろそろ重なろうかという時になって、状況に変化が訪れた。
あらぬ方向から茂みの揺れる音が聞こえて、ぬうっと二メイル近い牛頭の化物が、姿を現した。
筋肉質の大男の肉体。手には大きな斧。噂に聞く、悪名高きミノタウロスの姿そのものだ。それが、辺りを注意深く伺いながら、イザベラの方へ歩いてくる。
「こいつ……」
イザベラが眉根を寄せて呟く。
「動くな。殺すぞ」
ミノタウロスが、流暢な人語を発した。
元よりイザベラは騒いでもいないしもがいてもいない。ただ、怜悧な目でミノタウロスを睨んでいた。言葉を発した時に、牛頭の口が全く動いていないのも、しっかりと見ていた。
それを恐怖に震えて動けないとでも勘違いしたのだろうか。ミノタウロスは全くの無警戒にイザベラに近付いた。
「よっこらしょっと」
間の抜けた声を発しながらイザベラの身体を肩に担ぐと、住処であるはずの洞窟にではなく、やって来た方向へと走っていく。
もう、確定だ。こいつはミノタウロスなどではない。キリークの推測通り、当たりを引いたということだ。
被り物と首の間に隙間が見える。冷静になると被り物もちゃちな作りをしていた。
イザベラを抱えたミノタウロスもどきは闇夜の森を突っ切って、向かった先にカンテラの明かりが見えてくる。
ミノタウロスに扮した大男を待っていたのは、五人の荒くれだった。
薄汚れた革鎧に身を包み、それぞれに短剣、銃、長柄の槍を手にしている。しかし、杖を持っている者はいない。
メイジがいないと分かると最後まで不安だったイザベラの心が急速に冷めていった。
キリークが使えなくても、何一つ問題は無い。こんな連中、地下水だけでどうにでもできる。
「持ってきたか。ジェイク」
「ああ。この通りだ」
イザベラを肩から下ろす。
すっかり馬鹿馬鹿しくなったイザベラは、大人しくしていた。後は全て、キリークの仕事だ。
「お前……良く見りゃジジじゃねえな?」
「なんだと? エズレ村じゃ、売れそうな別嬪はあの娘ぐれえのもんだぜ?」
ジジではないことに気付いた男達が、イザベラを取り囲む。
一人が、イザベラの顔を覗き込んでくる。
かかる息が臭いのが、ひたすらに不快だった。
「ちげえねえ。こいつ、ジジじゃねえぞ」
「こいつでもいいじゃねえか。かなりの上玉だぜ。ジジより高値で売れそうだ」
拳銃を手にした小太りの男が言うが、ジェイクは首を横に振った。
「馬鹿かおめえ。そういうわけに行くかよ。こいつ、何か怪しいぜ。おい、お前何者だ? 領主の手の者じゃねえのか?」
ジェイクの言葉に、槍を持っていた男が青い顔になった。
「領主の手の者って……、バレたのかよ!?」
「そいつがはっきりしねえから、こうやって聞いてるんだろうが」
「罠だとしたらほんとのことなんざ、言いやしないだろ? だとしたら拷問してる時間なんか、ねえぞ」
「だからって手ぶらで帰れって? 餓鬼の使いかってんだよ」
「そうは言ってねえだろ」
男達は何やら言い争いを始めていた。イザベラは男達の狼狽を他所に、無言だった。
受け答えしてやるつもりもなかったのだが、男の注意が再度イザベラに移って、返答を促そうと凄んできたので「違う」とだけ答える。
遅い。キリークは何をやっているのだろう。まさか見失ったとか、逃げたなんてオチではないだろうか。
「おい! エズレ村の村長の名前を言ってみろ。お前があの村の者なら、言えるはずだな?」
“お任せ下されば、油断している平民ごとき、五秒もあれば片付けられますが?”
イザベラの思考を知ってか知らずか、地下水が言う。
地下水はイザベラの手駒の中でもかなり優秀な部類だ。その特性を除いて、戦闘力だけ見ても人形娘にすら引けを取るまい。
面倒になってきたのは確かだ。キリークを待たずに終わらせてしまうか。
そうしたら、あいつは不合格で用無しになるが。よし。決めた。
「知るかよ、そんなもん」
「ああ?」
イザベラはゆっくり立ち上がる。
酷薄な笑みがその顔に張り付いていた。
「おめでたい奴らね。領主の手の者だった方が、よっぽどマシだったんだよ」
「なにい?」
男達が、手にしていた武器をイザベラに突きつけ、イザベラがロープを解いて地下水を手にしようとした、その時だ。
黒い疾風が男達の間を吹きぬけた。
「何だ? 今の?」
男達が周囲を見渡す。
鬱蒼とした木々の奥までカンテラの明かりは及ばない。暗闇が広がっているばかりだった。
「ジェイク? おめえ、被り物どうした?」
「あ?」
ジェイクの頭髪が、露になっていた。
何時の間にか、牛頭の被り物が半ばから輪切りにされて無くなっていたのだ。
「つまらん」
くぐもった声が闇夜の森に響く。
声が聞こえてきた方向をカンテラで照らして、男達は言葉を失った。
木の中ほどに黒っぽい人影がいた。木の幹に対して水平にしゃがみこむ様な格好で張り付いていた。
金属の兜と仮面を付けた人型の何かだ。それの右手には馬鹿げたサイズの大鎌。左手は木の幹にめり込んでいて、それだけで全体重を支えているらしかった。
それがこちらの様子を伺っている。双眸が、黄色く輝いていた。
「なんだありゃあ!」
小太りの男が悲鳴を上げて、拳銃を向ける。が、狙点を定めようとした時には、目標を見失っていた。
既にそれは木の幹に張り付いてはいない。一足飛びに飛んできて、ジェイクの胸板に蹴りを突き立てていた。
胸骨の砕ける音と共に吹っ飛んだジェイクは木立にぶつかって、それきり動かなくなった。
足場にしていた木の幹を蹴って跳んできたのだと、男達に理解できたかどうか。
気がついたときにはジェイクが吹っ飛んでいて、大鎌の刃が一人の首に掛かっているという状況だ。まるでわけが分からない。
“大した掘り出し物ですな”
地下水が感嘆の声を洩らす。
イザベラは、言葉もない。キリークがどう動いたか、全く見えなかったのだから。
「武器を捨てろ。仲間の首が刎ねられるところを見たいか?」
すっかり男達は戦意を失っていた。首をぶんぶんと縦に振って手にしていた得物を放り投げると、キリークも男の首にかかっていた大鎌を外した。
「最近、そこらを騒がしてる人売りだね?」
武器が地面に投げ捨てられる音で、ようやく我に返ったイザベラ。ロープを解きながら詰問すると、男達は神妙な顔で頷いた。
「リーダーは誰だい?」
その問いかけに、男達は顔を見合わせるばかりだ。
リーダーを庇っているのか。或いは仲間を裏切るのが怖いのか。
「答える口は一つで足りる。解るな?」
キリークの目が輝き、男達の顔には恐怖の色が混ざった。その言葉は「答えなければ端から殺す」という意味だからだ。
「私だ」
返答は、キリークの後ろから来た。
キリークが振り返るより早く、エア・ハンマーがその身体を吹っ飛ばしていた。更にエア・カッターが間髪置かずに放たれ、倒れているキリークに叩き込まれる。
「何!?」
イザベラは、男達から素早く身を離して杖と地下水を構えた。
「これはこれは。捕まえた娘の方はメイジだったとは。こんな所で貴族様が何をしておいでかな?」
暗がりの中から、杖を持った男が姿を現す。
歳の頃は四十半ば。痩せていて頬はこけているが、目だけがいやにギラついていた。
形成逆転と見た男達も、再び武器を手にして下卑た笑みを浮かべている。
メイジがいるとなると、これはまずい。カステルモールのスキルニルも木立の向こうだ。多勢に無勢である。
「何者だ?」
「いやなに、貴族の名前などとうに捨てたよ」
杖を手にしているが、マントは羽織っていない。
食い詰めて、犯罪者に身をやつした元貴族の次男や三男坊の類だろう。なるほど。その人脈を活かして貴族や成金相手に人売りをやっていたというわけか。
「そうだな。オレルアン公とでも名乗っておこうか。あの間抜けた王弟と同じさ。兄に冷や飯を食わされてね。反発して家を出たというわけだ」
「オレルアン……」
久しぶりに、その名を耳にした気がする。誰も、イザベラの前でそんな名前を口にする者はいなかったから。
それは、父王ジョゼフに暗殺された叔父の名だった。
「しかしながら、世の中はなかなか上手くいかないものでね。不本意ながら、こうして不幸な娘達の奉公先を斡旋する仕事をしているというわけだ」
男の口上は既にイザベラの耳には届いていない。
父が殺した叔父は、確かに風評の通りの優しい男だった。幼い頃なのでほとんど前後の記憶の繋がりはないが、イザベラに穏やかな笑みを投げ掛けてくれたことだけは覚えている。
ああ。あの頃は楽しかった。周囲の連中だって優しかったと思う。あの人形娘だって……、わたしの後ろを付いて回って、よく笑っていた。
あの頃のあいつは七号なんかではない。タバサなんかではない。断じて人形なんかじゃなかった。
あいつは何時から笑わなくなった? 父親が狩りに出て死んだ時? 母親の気が触れた時?
何時から、どうして歯車が狂ったのだろう。みんな父であるジョゼフがやった事だ。
それでも、とイザベラは慟哭する。
それでもわたしは、あの人の娘だ。愛されていなくてもいい。期待されていなくてもいい。わたしがあの人のやったことを否定したら、この世界の中で誰があの人の味方になってくれるというんだ?
一人は辛い。悲しい。怖い。わたしはそれを嫌というほど知っている。
小さなエレーヌ。お前には愛してくれる人や気にかけてくれる人が沢山いる。沢山いるから、わたしみたいな「仇の娘」なんざはお前を愛さなかったり、気にかけなくっても別にいいだろう?
わたしは、あの人の娘だからお前を憎まなければいけない。お前もわたしを憎んでくれていい。
そうだ。わたしはお前に考えうる限りの意地悪をしてやろう。愚昧で、どうしようもない王女でいよう。そうすればきっと、わたしを憎んでくれるよな?
「――ガリアの王族の名は、お前如きが悪し様に言って良い程、安かないんだ」
イザベラは男に向かって、杖を突き出す。睨みつけるその瞳が、怒りに燃えていた。
“姫殿下”
地下水の声が、心に響く。人間は、時に思いもよらない行動に出ることがある。言葉にしたことや、その場での意思とは関係無しに。
エズレ村でのイザベラの感情は、人間が損得抜きの行動に走る前の心の在り方に、良く似ていた。
少し過程は違ったが、どうやら懸念が当たったらしい。イザベラはすっかりやる気だった。
「そういうわけだ地下水。魔力を貸しな。だが『勝手にお前が戦う』のは無しだ」
イザベラの言葉に、地下水は頷いた。
キリークが何事も無かったかのようにむくりと起き上がってきた。好都合だ。それを横目で捉えて、イザベラは言った。
「そいつら雑魚は、お前の好きなようにしろ。だが、一人も逃がすな。こいつは――わたしがやる」
「承知した」
「ひっ、ひいいいいいい!」
戦いは――いや、戦いとは呼べまい。それはただ一方的な蹂躙だった。
男達はキリークに敵わないことを、最初の接触から肌で感じていた。
だが敵前逃亡によるリーダーからの制裁も恐れていたのだ。だから――無謀にも戦う意思を見せてしまったのである。
その選択が間違いであると悟ったのは、拳銃を持つ男が大鎌の一撃を避けようと木の陰に隠れて狙撃しようとして、キリークに数本の木立ちごと胴体を輪切りにされた瞬間だ。
「クハハハッ!」
胴体を泣き別れにさせた相手を前に、キリークは楽しそうに笑っていた。
その光景を目にした時には、もうすっかり男達の戦意は失せて、我先に逃げ出そうとしていた。
四方に散って、木立を縫って。闇夜に紛れれば逃げおおせる可能性は十分にある、はずだった。
三人の内、一人は笑うキリークに狙いを定められ、呆気なく背中から切り伏せられた。
それにも目もくれず逃げようとする男。しかし、それすらも掌の上だ。
「え?」
突然足元から何かが飛び出してくる。赤い輝きを放つ、四角い物体。男の視界に入った次の瞬間、それが弾けた。
「なっ、何だよこれ!?」
男は悲鳴を上げた。腰から下が、氷漬けになっている。
男の自由を奪ったのは、フォトンによって構成される浮遊機雷だ。
コーラルにおいては戦闘行為を想定したアンドロイドならば、大抵といっていい程組み込んでいる装備である。
使用できる個数は限られているが、材料がフォトンである為にアンドロイドの休息と共に補充される仕組みになっている。
実質的に、補給やメンテナンスを受けずとも、戦闘用アンドロイドが半永久的に使える代物なのだ。
これは仕掛けられると地面の中に潜んで獲物を待ち構える。手動、自動、時限式の三種の起爆方式を持ち、今のは動体接近感知による自動起爆だ。
仕掛けておいたのは非殺傷を目的としたフリーズトラップと呼ばれる代物で、原理としてはテクニックの発動方式に似ている。
範囲内にいる目標周辺のフォトンに干渉、一瞬にして手足の周りを氷漬けにし、動きを完全に封じるというものである。
狩りにおいて、獲物に逃げおおせられるほど、つまらないことはないとキリークは考えている。
男達がイザベラを囲んで話し込んでいる間に、キリークは森の外側へ抜ける方向へと迂回し、数メイル間隔でトラップを仕掛けていたのである。
キリークが追わなかったのは、たまたまトラップに引っかかりそうな方向へ逃げた男だけだ。
男が氷漬けの状態からなんとか脱出しようともがいていると、キリークが残った最後の一人を肩に抱えて戻ってきた。
「ひっ!」
戻ってきたキリークの姿を目にして、氷漬けになった男が悲鳴を上げる。
「う……ぐ、あああ」
まだ肩に抱えられた男は生きていた。両足の膝から下が、普通は絶対曲がらない角度に折れ曲がっていたが。
キリークは無造作に捕まえた男を片手で放り投げた。放物線を描いて、氷漬けの男の足元に転がる。
「何故二人も生かしておいたと思う?」
男達は恐怖に慄きながら、どういうことかと顔を見合わせた。
「話せ。どこの誰を相手に『商品』を売ったかをな。役に立った方の命は助けてやる」
「ライトニング・クラウド!」
イザベラの周囲から雷が迸る。
自称オレルアン公は、木々を上手く盾にしてそれを回避していた。
さっきから、ずっとこうだ。敵メイジは一定の距離を取って散発的に攻撃を仕掛けてきて、イザベラは走り回りながら絶え間なく大きめの呪文を連発している。
経験の差は歴然としていた。敵は初手のやり取りや、その動きからイザベラの未熟を感じ取ったのだろう。
魔法の無駄撃ちをさせられている、と地下水は感じた。良くない状況だった。
“姫殿下。敵はかなりの手慣れの様子。ここは……”
自分が変わると申し出る地下水だったが、イザベラは首を横に振った。
「言ったろうが。お前は道具だ。お前をどこでどう使うかは、わたしが決める。今は精神力だけ寄越していればいい」
更に数発の魔法を放つが、当たらない。夜闇と木立に紛れて、イザベラを翻弄し続ける。
「おやおや。もうお疲れかな?」
肩で息を切らしたイザベラが、ついに立ち止まる。
それを待っていたかのように、暗闇の中から男が現れた。が、距離は詰めてこない。探りを入れているのだ。まだイザベラが戦えるかどうかを。
男に挑発されてもイザベラは呼吸を整えようとするのに必死だった。魔法はおろか憎まれ口すら返す余裕もないらしい。
「あれだけの大見得を切って情けのない。精神力は中々だが動きはとんだ素人だ。平民ならいざ知らず、私には勝てんよ」
言って、エア・ハンマーを放ってきた。
イザベラは横っ飛びに飛ぶが回避が一瞬遅れ、右手に握っていた彼女の杖が吹き飛ばされた。
「しまった!」
悔恨の声をあげるイザベラ。しかし、左手に地下水がある限り、杖の有無は重要なことではない。
それを知らない男は、イザベラが杖を取り落としたのを見ると、にい、と笑みを浮かべて近付いて来た。
イザベラは目の高さに地下水を構える。それを目にした男は、鼻で笑った。
「その短剣で続きをやるつもりか?」
「教えてやる。わたしの杖はな」
地下水を突き出し、イザベラが吼える。
「こっちの短剣なんだよ!」
「何!?」
男の顔が驚愕に歪むのと、イザベラが「エア・ハンマー!」と叫ぶのが同時。
完全に油断していた男には、回避する間合いも時間も無かった。
「っ!」
しかし、男を確実に吹き飛ばすはずの魔法は、何時まで経っても発動しなかった。
「な……」
顔を背けていた男が、恐る恐る目を開いてイザベラを見やる。
「畜生……、精神力切れだ」
イザベラは唇を噛んでその場にへたり込む。そして、役立たずと言わんばかりに地下水を投げ捨てた。
「お、驚かしやがって」
男にはイザベラに止めを刺すつもりはなかった。
あの化物が他の連中とまだ戦っている。エア・ハンマーの直撃を受けて応えた様子もなく起き上がってきた。
あれとまともにやり合うのは分が悪そうだ。この娘を人質に取れば、逃げ出す算段も付けやすくなるだろう。
「こんな短剣が、杖たあな。もう片方の杖を落として油断を誘うって狙いは悪くなかったが、あれだけ呪文を連発すりゃあ、弾切れにもなるさ」
男は足元に放り投げられた地下水を拾う。
イザベラがそれを見てにやりと笑った。
「触ったね?」
「何?」
瞬間、男の身体は凍りついたように動かなくなっていた。
指一本、自分のものではなくなったようだ。
唯一自由になったのは目だった。何が起こったのか理解できずに、ただイザベラを見るしかない。
「わたしを侮ってくれて本当に良かった。いや。概ね計算通りだが、拾うかどうかまではちょっとした博打だったのさ。まともにやっても、わたしじゃ勝てないことぐらいは分かってたからね」
「もし拾わなかったら、どうするおつもりだったんです?」
男の身体と口を借りた地下水が、イザベラに訊ねた。
意識はそのまま残されている。身体をすっかり操られている事実に、男は驚愕すると共に恐怖を感じていた。
「こいつはわたしを殺す気が無かった。動きが素人だから侮って、生かして捕らえればキリークに対して人質に使えると思ってたわけだ。ああ。売り飛ばすって理由もあったのかな。
だから攻撃もエア・ハンマーだのウィンド・ブレイクばっかりだったろ? そんな奴が人質候補で精神力も尽きたメイジに、無駄な魔法を使ってる余裕なんざあるものか」
「なるほど。慧眼恐れ入ります」
「ま、お前を拾わなかった場合は、わたしに何かする前に死んでたけどね。そういう意味じゃ、こいつは運が良いわ」
ちらりとイザベラが見やる茂みには、カステルモールのスキルニルが杖を構えたまま立っていた。
とすると、走り回ったのはここに誘導する為か。
地下水もイザベラを無能姫と侮っていた口だ。確かに貴族の戦い方としては誉められたものではないだろうが、この盤上でチェスの駒を操るような戦い方はどうだ。
魔法の才能にこそ欠けるらしいが、なかなかどうしてやるものだと、大幅に評価を改める地下水。そういえば父親も無能王と言われているが、チェスの名手だったか。
「さて。まだ精神力が残ってるのに、お前を握らせて動きを止めさせたのはどういう意図があってか、わかるかい?」
「いいえ」
「理由は二つある。一つは疲れて面倒になったからだ。もう一つは、説明するより見せた方が早い。中腰で立たせておきな。意識や痛覚はしっかり残しておくように」
「ああ、なるほど――」
待て! お前ら何をする気だ!
男は叫んだ。叫ぼうとした。が、意に反して口はぴくりとも動かない。
イザベラは後ろのスペースを気にしながら、男から距離を取っている。猛烈に嫌な予感がする。
「下郎が。お前如きがガリア王家を侮辱したらどんな目に遭うか、よーく覚えておくんだね」
イザベラが助走をつけて走ってくる。目を逸らすことも、閉じることも、歯を食いしばることさえ、ガリアの王女は許してくれなかった。
顔面からまともにイザベラのドロップキックを貰って、男は派手にぶっ飛んだ。
#center{[[IDOLA have the immortal servant]]}
----
&setpagename("IDOLA" have the immortal servant 外伝 イザベラと猟犬 中編 )
#center{[[IDOLA have the immortal servant]]}
----
イザベラが出て行ってしまうと、家の中にはスキルニルと、キリークだけが残された。
キリークがジジ達に事情を伺っているとジジの父親が帰宅してきて、来客の風体に絶句していた。
それもそうだ。スキルニルはカステルモールの姿を模しているので一見してメイジだと解る。
しかし、キリークは得体が知れない。金属の兜と仮面に、携えた大鎌。マントはつけていないから、メイジではないようだ。
「あの、キリーク様。キリーク様は一体、何をなさっておいでの方なんですか? 助けてくださるのはとてもありがたいのですが、その……どうして我らの願いを聞いてくださったんです?」
あれっぽっちの金で命を賭けてくれる酔狂な輩がいるというのも信じられなかったが、それがキリークのような相手であれば尚更だ。
「前は傭兵だったが、今は子供のお守りだ。ここに来た理由は、ミノタウロスとやらに興味があったからだ」
北花壇騎士団のことを口外するわけにはいかないので、キリークは適当に受け答えする。
キリークはまだ北花壇騎士団に所属しているわけではない。その上で今回の仕事への感想を率直に述べつつ、詳細を話せないとなると、こういう表現になる。
多分イザベラが聞いたら怒るだろうが、この場に彼女がいたとしてもキリークの言動は変わらなかっただろう。
語った動機にしても嘘はない。ミノタウロスの正体が偽者であれ本物であれ、やることは同じだ。どちらに転んでもきっと、「楽しい時間」が過ごせるだろう。
「あのう。差し出がましいことを申し上げるようですが、その大鎌で戦うおつもりですか? ミノタウロスの皮膚はとても硬く、刃物は通らないと聞くのですが……」
「何言ってんだいあんた! 失礼なことを言うもんじゃないよ! せっかく助けてくださるっていうのに……」
得物を役立たずだと言われて、気分を害したのではないか。ちらりとキリークの顔を伺うが、表情のない仮面の下で何を考えているのかは、さっぱり解らなかった。
キリークはただ一言だけ、口にする。
「問題はない」
体表が硬いだけなら何一つ問題は無い。苦にならない。
頼むからそれだけではあってくれるなよと、キリークはまだ見ぬ敵に淡い恋慕も似た期待を抱いていた。
「た、頼みます! それだけはご勘弁を……!」
イザベラがジジの家に戻ってみると、なにやら揉めていた。ジジの家族が、キリークに縋りついている所だった。
「何事?」
「ジジに、目標を誘き出す囮になれと提案した」
と、キリーク。
なるほど。それで、こんな騒ぎになっているわけだ。
「あ、あの。良いんです。わたし! 騎士様に戦ってもらうのに、わたしは家で震えているだけなんて……」
「何を言い出すんだね、この子は!」
ミノタウロスは生贄の対象と、時間と場所まで律儀に指定してきているらしい。
机の上に置いてある毛皮は、その内側に『次に月が重なる晩、森の洞窟前にジジなる娘を用意するべし』というおどろおどろしい血文字が躍っていた。
キリークはそれで、ジジが囮になれと言ったのだが、彼女の家族は万が一にも娘を危険に晒したくないらしい。騎士を連れてきて、それで安心だと思い込んでいたという所か。
ジジが自分から囮を承諾したことで話は更に縺れて、今度は喧々諤々、家族同士の言い争いに発展していた。今度は母親が囮になると言い出し、ジジが「いや、わたしが」と主張し返す。
父親は娘への説得を続け、ドミニクはひたすらキリークを拝み倒す有様。
キリークは自分が提案したことなのに我関せずといった様子だ。決めるのはあくまでジジの家族、ということなのだろう。
「あー! やかましいっ!」
暫く傍観していたが、いつまで経っても結論が出そうに無い。熱しやすいイザベラが何時までも耐えられるはずがなかった。
一喝すると、ジジの家族は静まり返って彼女を見てくる。イザベラは、勢いに任せてそのまま口走った。
「わたしがその囮役になればいいんだろ!」
言ってから、しまったと思った。自分がキリークの任務に直接協力するような真似は、極力控えたかったのに。
大体、囮役なんて冗談じゃない。
その場で本物のミノタウロスにかぶりつかれでもしたら怪我では済まないし、偽者であってもキリークがヘマをやらかしたらそのまま売り飛ばされることになるかも知れないではないか。
それでも、吐いた唾を飲むことだけはイザベラの高いプライドが拒否した。
そうだ。あのアルマという子供と、つまらない約束をしてしまったから。それでわたしもちょっとだけ、事件の解決に協力してやるだけのことだ。それだけだ。
イザベラは、己にそう言い聞かせた。
「やっぱりやるんじゃなかった! なんで! なんでわたしがこんな目に……!」
イザベラは呪いの言葉を吐いた。村娘の粗末な服を着せられ、自慢の青い髪を、ジジと同じ茶色に染められ、ロープで縛られて。イザベラはミノタウロスが十年前にも一度住み付いたという洞窟の前に転がされていた。
キリークの立案だ。気付かれて逃げられては元も子もないと言われては、協力すると言った手前、断ることができなかった。
短気を起こすとロクなことはないと、イザベラは今更ながらに思う。
ロープはすぐにほどけるようになっているし、袖に地下水を忍ばせているが、不安で不安で仕方がない。
ぽっかりと口を開けた洞窟はいかにも不気味で、ここからぬうっと牛頭の化物が姿を現すかと思うと、嫌でも心臓の鼓動が早くなる。
「地下水。いざとなったら、お前に出番が回ってくるんだから、しっかりしなよ!」
“……姫殿下。どうしてこんな役を買って出たんです?”
地下水の声が、心に響く。
例えインテリジェンス・ナイフであっても、話し相手がいるというのは心強い……、はずなのだが、イザベラの口から出たのは悪態だ。彼女の機嫌は最高に悪かった。
「あんたには関係ないだろ。道具は使われてりゃ良いんだ!」
“それはごもっとも……”
地下水は主に悪態を吐かれても、後で思い返して楽しむネタが増えたと感謝したいぐらいだった。
傭兵として名を上げ、多くの富を溜め込んだり名声を高めていくのが地下水の趣味である。
それら自体に大した価値観や執着を感じているわけではないのだが、何かしらの目標や目安を持って行動しないと、意思持つ道具である彼に残されるのは拷問にすら思える無限の時間だけなのだ。
だから彼は暇を飽かす為に人間の価値観を目安に行動するわけだが、それはつまり自分に仕事を運んできてくれる人間や、使ってくれる人間がどうしても必要だということだ。
道具は使われていればいいと言う、イザベラの言葉は真理であり、地下水の何よりの望みでもあった。
しかし、退屈が何より嫌だから北花壇騎士団にも出入りしている地下水としては、ただの護衛と言われるよりも随分と面白い展開になっているのは確かだ。実は今も、笑い転げたくなるのを堪えているところなのである。
「あいつはちゃんと居るんだろうね……! 逃げたら承知しないよ!」
イザベラが森の茂みを睨むと、ここにいるとばかりにぼんやりとした二つの燐光が現れて、すぐに消えた。キリークの目が、時折放つ輝きである。
「ちっ」
舌打ちすると、イザベラはそれきり黙ってしまった。
どれくらいの時間が経っただろうか。辺りを照らす二つの月が、そろそろ重なろうかという時になって、状況に変化が訪れた。
あらぬ方向から茂みの揺れる音が聞こえて、ぬうっと二メイル近い牛頭の化物が、姿を現した。
筋肉質の大男の肉体。手には大きな斧。噂に聞く、悪名高きミノタウロスの姿そのものだ。それが、辺りを注意深く伺いながら、イザベラの方へ歩いてくる。
「こいつ……」
イザベラが眉根を寄せて呟く。
「動くな。殺すぞ」
ミノタウロスが、流暢な人語を発した。
元よりイザベラは騒いでもいないしもがいてもいない。ただ、怜悧な目でミノタウロスを睨んでいた。言葉を発した時に、牛頭の口が全く動いていないのも、しっかりと見ていた。
それを恐怖に震えて動けないとでも勘違いしたのだろうか。ミノタウロスは全くの無警戒にイザベラに近付いた。
「よっこらしょっと」
間の抜けた声を発しながらイザベラの身体を肩に担ぐと、住処であるはずの洞窟にではなく、やって来た方向へと走っていく。
もう、確定だ。こいつはミノタウロスなどではない。キリークの推測通り、当たりを引いたということだ。
被り物と首の間に隙間が見える。冷静になると被り物もちゃちな作りをしていた。
イザベラを抱えたミノタウロスもどきは闇夜の森を突っ切って、向かった先にカンテラの明かりが見えてくる。
ミノタウロスに扮した大男を待っていたのは、五人の荒くれだった。
薄汚れた革鎧に身を包み、それぞれに短剣、銃、長柄の槍を手にしている。しかし、杖を持っている者はいない。
メイジがいないと分かると最後まで不安だったイザベラの心が急速に冷めていった。
キリークが使えなくても、何一つ問題は無い。こんな連中、地下水だけでどうにでもできる。
「持ってきたか。ジェイク」
「ああ。この通りだ」
イザベラを肩から下ろす。
すっかり馬鹿馬鹿しくなったイザベラは、大人しくしていた。後は全て、キリークの仕事だ。
「お前……良く見りゃジジじゃねえな?」
「なんだと? エズレ村じゃ、売れそうな別嬪はあの娘ぐれえのもんだぜ?」
ジジではないことに気付いた男達が、イザベラを取り囲む。
一人が、イザベラの顔を覗き込んでくる。
かかる息が臭いのが、ひたすらに不快だった。
「ちげえねえ。こいつ、ジジじゃねえぞ」
「こいつでもいいじゃねえか。かなりの上玉だぜ。ジジより高値で売れそうだ」
拳銃を手にした小太りの男が言うが、ジェイクは首を横に振った。
「馬鹿かおめえ。そういうわけに行くかよ。こいつ、何か怪しいぜ。おい、お前何者だ? 領主の手の者じゃねえのか?」
ジェイクの言葉に、槍を持っていた男が青い顔になった。
「領主の手の者って……、バレたのかよ!?」
「そいつがはっきりしねえから、こうやって聞いてるんだろうが」
「罠だとしたらほんとのことなんざ、言いやしないだろ? だとしたら拷問してる時間なんか、ねえぞ」
「だからって手ぶらで帰れって? 餓鬼の使いかってんだよ」
「そうは言ってねえだろ」
男達は何やら言い争いを始めていた。イザベラは男達の狼狽を他所に、無言だった。
受け答えしてやるつもりもなかったのだが、男の注意が再度イザベラに移って、返答を促そうと凄んできたので「違う」とだけ答える。
遅い。キリークは何をやっているのだろう。まさか見失ったとか、逃げたなんてオチではないだろうか。
「おい! エズレ村の村長の名前を言ってみろ。お前があの村の者なら、言えるはずだな?」
“お任せ下されば、油断している平民ごとき、五秒もあれば片付けられますが?”
イザベラの思考を知ってか知らずか、地下水が言う。
地下水はイザベラの手駒の中でもかなり優秀な部類だ。その特性を除いて、戦闘力だけ見ても人形娘にすら引けを取るまい。
面倒になってきたのは確かだ。キリークを待たずに終わらせてしまうか。
そうしたら、あいつは不合格で用無しになるが。よし。決めた。
「知るかよ、そんなもん」
「ああ?」
イザベラはゆっくり立ち上がる。
酷薄な笑みがその顔に張り付いていた。
「おめでたい奴らね。領主の手の者だった方が、よっぽどマシだったんだよ」
「なにい?」
男達が、手にしていた武器をイザベラに突きつけ、イザベラがロープを解いて地下水を手にしようとした、その時だ。
黒い疾風が男達の間を吹きぬけた。
「何だ? 今の?」
男達が周囲を見渡す。
鬱蒼とした木々の奥までカンテラの明かりは及ばない。暗闇が広がっているばかりだった。
「ジェイク? おめえ、被り物どうした?」
「あ?」
ジェイクの頭髪が、露になっていた。
何時の間にか、牛頭の被り物が半ばから輪切りにされて無くなっていたのだ。
「つまらん」
くぐもった声が闇夜の森に響く。
声が聞こえてきた方向をカンテラで照らして、男達は言葉を失った。
木の中ほどに黒っぽい人影がいた。木の幹に対して水平にしゃがみこむ様な格好で張り付いていた。
金属の兜と仮面を付けた人型の何かだ。それの右手には馬鹿げたサイズの大鎌。左手は木の幹にめり込んでいて、それだけで全体重を支えているらしかった。
それがこちらの様子を伺っている。双眸が、黄色く輝いていた。
「なんだありゃあ!」
小太りの男が悲鳴を上げて、拳銃を向ける。が、狙点を定めようとした時には、目標を見失っていた。
既にそれは木の幹に張り付いてはいない。一足飛びに飛んできて、ジェイクの胸板に蹴りを突き立てていた。
胸骨の砕ける音と共に吹っ飛んだジェイクは木立にぶつかって、それきり動かなくなった。
足場にしていた木の幹を蹴って跳んできたのだと、男達に理解できたかどうか。
気がついたときにはジェイクが吹っ飛んでいて、大鎌の刃が一人の首に掛かっているという状況だ。まるでわけが分からない。
“大した掘り出し物ですな”
地下水が感嘆の声を洩らす。
イザベラは、言葉もない。キリークがどう動いたか、全く見えなかったのだから。
「武器を捨てろ。仲間の首が刎ねられるところを見たいか?」
すっかり男達は戦意を失っていた。首をぶんぶんと縦に振って手にしていた得物を放り投げると、キリークも男の首にかかっていた大鎌を外した。
「最近、そこらを騒がしてる人売りだね?」
武器が地面に投げ捨てられる音で、ようやく我に返ったイザベラ。ロープを解きながら詰問すると、男達は神妙な顔で頷いた。
「リーダーは誰だい?」
その問いかけに、男達は顔を見合わせるばかりだ。
リーダーを庇っているのか。或いは仲間を裏切るのが怖いのか。
「答える口は一つで足りる。解るな?」
キリークの目が輝き、男達の顔には恐怖の色が混ざった。その言葉は「答えなければ端から殺す」という意味だからだ。
「私だ」
返答は、キリークの後ろから来た。
キリークが振り返るより早く、エア・ハンマーがその身体を吹っ飛ばしていた。更にエア・カッターが間髪置かずに放たれ、倒れているキリークに叩き込まれる。
「何!?」
イザベラは、男達から素早く身を離して杖と地下水を構えた。
「これはこれは。捕まえた娘の方はメイジだったとは。こんな所で貴族様が何をしておいでかな?」
暗がりの中から、杖を持った男が姿を現す。
歳の頃は四十半ば。痩せていて頬はこけているが、目だけがいやにギラついていた。
形成逆転と見た男達も、再び武器を手にして下卑た笑みを浮かべている。
メイジがいるとなると、これはまずい。カステルモールのスキルニルも木立の向こうだ。多勢に無勢である。
「何者だ?」
「いやなに、貴族の名前などとうに捨てたよ」
杖を手にしているが、マントは羽織っていない。
食い詰めて、犯罪者に身をやつした元貴族の次男や三男坊の類だろう。なるほど。その人脈を活かして貴族や成金相手に人売りをやっていたというわけか。
「そうだな。オレルアン公とでも名乗っておこうか。あの間抜けた王弟と同じさ。兄に冷や飯を食わされてね。反発して家を出たというわけだ」
「オレルアン……」
久しぶりに、その名を耳にした気がする。誰も、イザベラの前でそんな名前を口にする者はいなかったから。
それは、父王ジョゼフに暗殺された叔父の名だった。
「しかしながら、世の中はなかなか上手くいかないものでね。不本意ながら、こうして不幸な娘達の奉公先を斡旋する仕事をしている」
男の口上は既にイザベラの耳には届いていない。
父が殺した叔父は、確かに風評の通りの優しい男だった。幼い頃なのでほとんど前後の記憶の繋がりはないが、イザベラに穏やかな笑みを投げ掛けてくれたことだけは覚えている。
ああ。あの頃は楽しかった。周囲の連中だって優しかったと思う。あの人形娘だって……、わたしの後ろを付いて回って、よく笑っていた。
あの頃のあいつは七号なんかではない。タバサなんかではない。断じて人形なんかじゃなかった。
あいつは何時から笑わなくなった? 父親が狩りに出て死んだ時? 母親の気が触れた時?
何時から、どうして歯車が狂ったのだろう。みんな父であるジョゼフがやった事だ。
それでも、とイザベラは慟哭する。
それでもわたしは、あの人の娘だ。愛されていなくてもいい。期待されていなくてもいい。わたしがあの人のやったことを否定したら、この世界の中で誰があの人の味方になってくれるというんだ?
一人は辛い。悲しい。怖い。わたしはそれを嫌というほど知っている。
小さなエレーヌ。お前には愛してくれる人や気にかけてくれる人が沢山いる。沢山いるから、わたしみたいな「仇の娘」なんざはお前を愛さなかったり、気にかけなくっても別にいいだろう?
わたしは、あの人の娘だからお前を憎まなければいけない。お前もわたしを憎んでくれていい。
そうだ。わたしはお前に考えうる限りの意地悪をしてやろう。愚昧で、どうしようもない王女でいよう。そうすればきっと、わたしを憎んでくれるよな?
「――ガリアの王族の名は、お前如きが悪し様に言って良い程、安かないんだ」
イザベラは男に向かって、杖を突き出す。睨みつけるその瞳が、怒りに燃えていた。
“姫殿下”
地下水の声が、心に響く。人間は、時に思いもよらない行動に出ることがある。言葉にしたことや、その場での意思とは関係無しに。
エズレ村でのイザベラの感情は、人間が損得抜きの行動に走る前の心の在り方に、良く似ていた。
少し過程は違ったが、どうやら懸念が当たったらしい。イザベラはすっかりやる気だった。
「そういうわけだ地下水。魔力を貸しな。だが『勝手にお前が戦う』のは無しだ」
イザベラの言葉に、地下水は頷いた。
キリークが何事も無かったかのようにむくりと起き上がってきた。好都合だ。それを横目で捉えて、イザベラは言った。
「そいつら雑魚は、お前の好きなようにしろ。だが、一人も逃がすな。こいつは――わたしがやる」
「承知した」
「ひっ、ひいいいいいい!」
戦いは――いや、戦いとは呼べまい。それはただ一方的な蹂躙だった。
男達はキリークに敵わないことを、最初の接触から肌で感じていた。
だが敵前逃亡によるリーダーからの制裁も恐れていたのだ。だから――無謀にも戦う意思を見せてしまったのである。
拳銃を持つ男が大鎌の一撃を避けようと木の陰に隠れて狙撃しようとした。だが、銃口を向けるより早く、数本の木立ちごと胴体を輪切りにされていた。
その光景に、彼らは自分達の選択が間違いだったと悟る。
「クハハハッ!」
胴体を泣き別れにさせた相手を前に、キリークは楽しそうに笑っていた。
もうすっかり男達の戦意は失せて、我先に逃げ出していた。
四方に散って、木立を縫って。闇夜に紛れれば逃げおおせる可能性は十分にある、はずだった。
三人の内、一人は笑うキリークに狙いを定められ、呆気なく背中から切り伏せられた。
それにも目もくれず逃げようとする男。しかし、それすらも掌の上だ。
「え?」
突然足元から何かが飛び出してくる。赤い輝きを放つ、四角い物体。男の視界に入った次の瞬間、それが弾けた。
「なっ、何だよこれ!?」
男は悲鳴を上げた。腰から下が、氷漬けになっている。
男の自由を奪ったのは、フォトンによって構成される浮遊機雷だ。
コーラルにおいては戦闘行為を想定したアンドロイドならば、大抵といっていい程組み込んでいる装備である。
使用できる個数は限られているが、材料がフォトンである為にアンドロイドの休息と共に補充される仕組みになっている。
実質的に、補給やメンテナンスを受けずとも、戦闘用アンドロイドが半永久的に使える代物なのだ。
これは仕掛けられると地面の中に潜んで獲物を待ち構える。手動、自動、時限式の三種の起爆方式を持ち、今のは動体接近感知による自動起爆だ。
仕掛けておいたのは非殺傷を目的としたフリーズトラップと呼ばれる代物で、原理としてはテクニックの発動方式に似ている。
範囲内にいる目標周辺のフォトンに干渉、一瞬にして手足の周りを氷漬けにし、動きを完全に封じるというものである。
狩りにおいて、獲物に逃げおおせられるほど、つまらないことはないとキリークは考えている。
男達がイザベラを囲んで話し込んでいる間に、キリークは森の外側へ抜ける方向へと迂回し、数メイル間隔でトラップを仕掛けていたのである。
キリークが追わなかったのは、たまたまトラップに引っかかりそうな方向へ逃げた男だけだ。
男が氷漬けの状態からなんとか脱出しようともがいていると、キリークが残った最後の一人を肩に抱えて戻ってきた。
「ひっ!」
戻ってきたキリークの姿を目にして、氷漬けになった男が悲鳴を上げる。
「う……ぐ、あああ」
まだ肩に抱えられた男は生きていた。両足の膝から下が、普通は絶対曲がらない角度に折れ曲がっていたが。
キリークは捕まえた男を、無造作に放り投げた。放物線を描いて、氷漬けの男の足元に転がる。
「何故二人も生かしておいたと思う?」
男達は恐怖に慄きながら、どういうことかと顔を見合わせた。
「話せ。どこの誰を相手に『商品』を売ったかをな。役に立った方の命は助けてやる」
「ライトニング・クラウド!」
イザベラの周囲から雷が迸る。
自称オレルアン公は、木々を上手く盾にしてそれを回避していた。
さっきから、ずっとこうだ。敵メイジは一定の距離を取って散発的に攻撃を仕掛けてきて、イザベラは走り回りながら絶え間なく大きめの呪文を連発している。
経験の差は歴然としていた。敵は初手のやり取りや、その動きからイザベラの未熟を感じ取ったのだろう。
魔法の無駄撃ちをさせられている、と地下水は感じた。良くない状況だった。
“姫殿下。敵はかなりの手慣れの様子。ここは……”
自分が変わると申し出る地下水だったが、イザベラは首を横に振った。
「言ったろうが。お前は道具だ。お前をどこでどう使うかは、わたしが決める。今は精神力だけ寄越していればいい」
更に数発の魔法を放つが、当たらない。夜闇と木立に紛れて、イザベラを翻弄し続ける。
「おやおや。もうお疲れかな?」
肩で息を切らしたイザベラが、ついに立ち止まる。
それを待っていたかのように、暗闇の中から男が現れた。が、距離は詰めてこない。探りを入れているのだ。まだイザベラが戦えるかどうかを。
男に挑発されてもイザベラは呼吸を整えようとするのに必死だった。魔法はおろか憎まれ口すら返す余裕もないらしい。
「あれだけの大見得を切って情けのない。精神力は中々だが動きはとんだ素人だ。平民ならいざ知らず、私には勝てんよ」
言って、エア・ハンマーを放ってきた。
イザベラは横っ飛びに飛ぶが回避が一瞬遅れ、右手に握っていた彼女の杖が吹き飛ばされた。
「しまった!」
悔恨の声をあげるイザベラ。しかし、左手に地下水がある限り、杖の有無は重要なことではない。
それを知らない男は、イザベラが杖を取り落としたのを見ると、にい、と笑みを浮かべて近付いて来た。
イザベラは目の高さに地下水を構える。それを目にした男は、鼻で笑った。
「その短剣で続きをやるつもりか?」
「教えてやる。わたしの杖はな」
地下水を突き出し、イザベラが吼える。
「こっちの短剣なんだよ!」
「何!?」
男の顔が驚愕に歪むのと、イザベラが「エア・ハンマー!」と叫ぶのが同時。
完全に油断していた男には、回避する間合いも時間も無かった。
「っ!」
しかし、男を確実に吹き飛ばすはずの魔法は、何時まで経っても発動しなかった。
「な……」
顔を背けていた男が、恐る恐る目を開いてイザベラを見やる。
「畜生……、精神力切れだ」
イザベラは唇を噛んでその場にへたり込む。そして、役立たずと言わんばかりに地下水を投げ捨てた。
「お、驚かしやがって」
男にはイザベラに止めを刺すつもりはなかった。
あの化物が他の連中とまだ戦っている。エア・ハンマーの直撃を受けて応えた様子もなく起き上がってきた。
あれとまともにやり合うのは分が悪そうだ。この娘を人質に取れば、逃げ出す算段も付けやすくなるだろう。
「こんな短剣が、杖たあな。もう片方の杖を落として油断を誘うって狙いは悪くなかったが、あれだけ呪文を連発すりゃあ、弾切れにもなるさ」
男は足元に放り投げられた地下水を拾う。
それを見たイザベラが、にやりと笑った。
「触ったね?」
「何?」
瞬間、男の身体は凍りついたように動かなくなっていた。
指一本、自分のものではなくなったようだ。
唯一自由になったのは目だった。何が起こったのか理解できずに、ただイザベラを見るしかない。
「わたしを侮ってくれて本当に良かった。いや。概ね計算通りだが、拾うかどうかまではちょっとした博打だったのさ。まともにやっても、わたしじゃ勝てないことぐらいは分かってたからね」
「もし拾わなかったら、どうするおつもりだったんです?」
男の身体と口を借りた地下水が、イザベラに訊ねた。
意識はそのまま残されている。身体をすっかり操られている事実に、男は驚愕すると共に恐怖を感じていた。
「こいつはわたしを殺す気が無かった。動きが素人だから侮って、生かして捕らえればキリークに対して人質に使えると思ってたわけだ。ああ。売り飛ばすって理由もあったのかな。
だから攻撃もエア・ハンマーだのウィンド・ブレイクばっかりだったろ? そんな奴が人質候補で精神力も尽きたメイジに、無駄な魔法を使ってる余裕なんざあるものか」
「なるほど。慧眼恐れ入ります」
「ま、お前を拾わなかった場合は、わたしに何かする前に死んでたけどね。そういう意味じゃ、こいつは運が良いわ」
ちらりとイザベラが見やる茂みには、カステルモールのスキルニルが杖を構えたまま立っていた。
とすると、走り回ったのはここに誘導する為か。
地下水もイザベラを無能姫と侮っていた口だ。確かに貴族の戦い方としては誉められたものではないだろうが、この盤上でチェスの駒を操るような戦い方はどうだ。
魔法の才能にこそ欠けるらしいが、なかなかどうしてやるものだと、大幅に評価を改める地下水。そういえば父親も無能王と言われているが、チェスの名手だったか。
「さて。まだ精神力が残ってるのに、お前を握らせて動きを止めさせたのはどういう意図があってか、わかるかい?」
「いいえ」
「理由は二つある。一つは疲れて面倒になったからだ。もう一つは、説明するより見せた方が早い。中腰で立たせておきな。意識や痛覚はしっかり残しておくように」
「ああ、なるほど――」
待て! お前ら何をする気だ!
男は叫んだ。叫ぼうとした。が、意に反して口はぴくりとも動かない。
イザベラは後ろのスペースを気にしながら、男から距離を取っている。猛烈に嫌な予感がする。
「下郎が。お前如きがガリア王家を侮辱したらどんな目に遭うか、よーく覚えておくんだね」
イザベラが助走をつけて走ってくる。目を逸らすことも、閉じることも、歯を食いしばることさえ、ガリアの王女は許してくれなかった。
顔面からまともにイザベラのドロップキックを貰って、男は派手にぶっ飛んだ。
#center{[[IDOLA have the immortal servant]]}
----
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: