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#navi(ゼロと損種実験体)
ルイズの就寝は遅い。夜遅くまで勉学に励む彼女は、ゆえに一度寝入るとまず目を覚ますことはない。
そんなわけで、朝になって、アプトムに起こされないかぎり目覚めるはずのない彼女は、しかし今回に限って自分の洩らした寝言で目を覚ます。
「いけない人ですわ。子爵さまは……。え? そんな、恥ずかしいですわ。って、あれ? なんでアプトムが出てくるの? って今度は誰?
アンタ誰よ?」
何の夢を見てるんだか? とアプトムが見ていると、パチリと眼を開いたルイズと眼が合う。
「あれっ? あれっ? えーと、わたし何か寝言を言ってた?」
「いや、聞いてない」
さらっと嘘をつくアプトムに、ルイズはうーんと頭を捻る。寝言など人に聞かれないにこしたことはないが、さっきまで良い夢を見ていた気がする。それがどんなものだったのか、目覚めと共に忘れてしまったので思い出したいと質問をしてしまっていた。
が、睡眠時間の足りていない彼女は、すぐにまた眠りの世界に旅立つ事になるのだが、その前に、いつも黙って自分に従ってくれているアプトムの姿に、不意にある考えが頭をよぎった。
アプトムは、最初に召喚した時から、故郷に帰ることを望んでおり、ルイズに従っているのも、いつか彼女が彼を帰す魔法を作り出すという約束によるものである。
しかし、よくよく考えてみると、サモン・サーヴァントとは対象の前に召喚のゲートを開く魔法であり、そこを潜るかどうかは、相手の意思に委ねられている。
ならば、彼が召喚されたのは、彼自身の意志によるものではないだろうか? そんな疑問を思い浮かべた彼女は、特に深い考えもなく口に出し、「事故だ」という答えを聞いて納得し、次に起きた時にはそんな質問をしたことも、夢のことも完全に忘却してしまうのであった。
そして、ルイズが寝入ったのを確認して、アプトムは一人考える。
思い出すのは、彼が召喚されたときに融合捕食をしかけた斥候獣化兵。今思えば、ルイズが召喚しようとしていたのは、あの獣化兵であり、彼のゾアノイドはそれに応えてゲートを潜ろうとしていたのではなかったか。つまり自分は、そこに割り込んだ乱入者であり、そのクセ自分を帰せと無理難題を言っているのではないか。
だが、だからといって地球に帰る事をあきらめることは出来ない。彼には自分の生き方を変えることなど出来ないのだから。
まったく、何故今頃になってそんな事を聞いてくるのだとアプトムはルイズを睨みつける。
初めて会ったときに言われたのなら、知ったことかと無視もできたろうに、短くとも共にいた時間のせいで多少なりとも情の移ってしまった今では、気にせずにはいられないではないか。
そんな主従の、どうという事のない出来事があったある夜、一人の女性の元に不審者が現れていた。
女性の名はミス・ロングビル。学院長秘書の立場を持つ女性である。
夜遅くまで起きていた彼女が何をやっていたのかというと、手紙を書いていた。
ミス・ロングビルには、もう一つの名がある。土くれのフーケという盗賊としての名である。彼女がこの学院に勤めるようになったのは、学院の宝物庫にあるマジックアイテムを盗み出すためであり、盗賊としての仕事が終わればすぐにでも出て行くつもりであった。
そして、今回の仕事が終わったら、一度妹の元に帰るつもりであったのだが、その仕事が変な失敗をして帰る機会を逸してしまった。
仕事が失敗した今も彼女が、いつまでもこの学院に留まっていることに特別な理由はない。ただ単に、出て行くきっかけがないからであり、学院長秘書という身分に支給される給料が、仕事の失敗の埋め合わせに充分なものであるという理由からである。
そんなわけで、自分が盗賊などというヤクザな仕事をしていることを知らない、遠く離れた地に暮らす妹に、帰るのが遅くなるという言い訳を並べた手紙を書いていた時、その男はやってきた。
その男は風と共に現れた。
開いた窓から吹き込んだ微風にカーテンが揺れた時、白い仮面で顔を隠したその男は月明かりに照らされ立っていた。
「『土くれ』だな?」
問いではなく確認ですらない断定に、しかし彼女は何を言われたのは分からないと、とぼけて見せる。
学院長秘書のミス・ロングビルと盗賊の土くれのフーケを繋げる事実を知るものは、彼女の知る限り一人しかいない。そして、その一人は決してその事実を人に話さないだろう確信があったから。だが、男の次の言葉に彼女の演技は引き剥がされる。
「再びアルビオンに仕える気はないかね? マチルダ・オブ・サウスゴータ」
自身以外は妹ぐらいしか知らないはずの名を突きつけられ、彼女は蒼白になる。
「あんた、何者だい?」
「質問しているのは、こちらなんだがな」
くつくつと喉を鳴らして笑う男に、彼女は否と答える。アルビオン王家は彼女の仇である。父を、家を、全てを奪った敵だ。そんなものに仕える気などないと怒鳴りつける。
そんな彼女に男は笑いを収めることなく、勘違いするなと返す。
「王家に仕えろなどと誰が言った? アルビオン王家は、じきに倒れる。お前が仕えるのは、王家が倒れた後の我々有能な貴族が政を行うアルビオンだ」
有能な貴族ね。と彼女は呟く。そういえば聞いたことがある。今、アルビオンでは王家と貴族が争い、王家が劣勢にあると。
もっとも、それは彼女には関係のない話である。
かつて、アルビオン王家に仕えた貴族の家に生まれた彼女は、しかし今はもうその王家に恨みはあっても忠誠心などない。かといって、王家に復讐をしようという考えもない。かつては、そんな想いもあったが、自身と妹を食べさせていくのが精一杯の最初の生活と、その後の多くの孤児を抱えた現実の前に、磨耗した。
「へえ? で? 王家を倒して何をしようってんだい? アルビオンの新しい王様にでもなりたいのかい?」
バカにしたように笑う彼女に、男は冷淡に答える。
「我々はハルケギニアの将来を憂う高潔な貴族の連盟だ。ハルケギニアは我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのだ。アルビオンなど、手始めにすぎんよ」
高潔ときたか。と彼女は内心で笑う。
ご立派な理想を語る者は、自分自身それを信じてなどいないと彼女は知っている。信じるのは、駒として使い捨てられる者たちだけだ。
彼女は捨て駒になどなる気はない。大体、アルビオン一国を支配できたところで、ハルケギニアを統一するなど夢物語だし、仮にそれが出来たところで聖地にはエルフがいる。
この世界で最強の魔法使いたるエルフたちに勝てるものなど、この世界に一人も……、いや、二人くらいならいるような気がするが、それは置いといて、ハルケギニア中の貴族を集めても勝ち目などない。
ついでに言えば、彼女はとある事情からエルフという種族に特に悪感情を持っていないし始祖ブリミルに対する信仰も薄い。ので、聖地なんかエルフにくれてやれよという想いがある。
とはいえ。
「『土くれ』よ。お前には選択することができる」
「あんたらの手下になるか、ここで死ぬかを?」
皮肉で答えてみるが、男は悪びれもせずに「そうだ」と頷いてくる。
最初から男には、彼女に選択の余地を与えるつもりなどない。べらべら自分たちの目的を喋ったのも、そういう理由があるからだ。
戦って勝てるとは思わない。土メイジの自分は、正面からの戦いに向いていないと彼女は自覚している。
だから彼女は、「まあ、いいさ。アルビオン王家には恨みがあるし、エルフを倒して聖地を取り戻すってのも面白そうだ」と嘘をつく。
罪悪感はない。誇りなどない。生きるためならなんでもする。それが、彼女の生き方だから。
「それで、これから旗を振る組織の名前は、なんていうんだい?」
「レコン・キスタだ」
こうして、ミス・ロングビルという名の学院長秘書は、学院から姿を消すことになる。休暇届を提出してであるが。
それが、本当に単なる休暇で終わるのかどうか、それは彼女自身にも今は分からない。
その日、学院は喧騒に包まれていた。
いつも通りの朝を迎えて、いつも通りの授業が始まると思われた日常に、この国トリステインの王女アンリエッタが訪問するとの連絡が入ったからである。
当日になって急に連絡を入れてきたり、それを歓迎したりと、この国の貴族というやつは、刹那的な情動で生きているのか? などとアプトムは思ったが、口には出さない。これも、いつも通り彼には関係のないどうでもいい事だからである。
そんなわけで、魔法学院の正門をくぐる王女一行を整列して出迎えるルイズたち学院の生徒を、アプトムは塔の屋根に登り、そこから興味なさげに見ていた。
貴族ではなく、学院で働く使用人でもない使い魔という立場のアプトムには、王女が来たからと言って何かをしなければならない義務はなく、自分から何かをしてやろうという意志もない。ついでに王女というものに興味もない。
しかしまあ、部外者が多く学院にやってきているのにルイズから眼を離して何事か起これば困ったことになるなと、遠くから観察していたアプトムは多くの生徒たちが王女に注目している中、ルイズが別の人間に視線を向けたことに気づいた。
それは羽帽子をかぶり、鷲の頭と獅子の体を持つ幻獣に乗った口ひげも凛々しい男であった。
知り合いか? と思ってみるが、本人に問いただしでもしない限り分からないことであるし、ルイズの知人であったとしても自分とは関わりのないことだと、彼はその男の事を考えるのをやめる。翌日には、その男と顔を合わせることになるなどと、この時点では考えもしていない。
ついでに、ルイズの隣に立っているキュルケが、その男を切ない眼差しで見ていたりしたのだが、その事にはアプトムは気づかなかった。
キュルケはアプトムを嫌い敵視していたが、アプトムにとってキュルケはよくルイズと話をしている少女だという程度の認識しかなかったのである。
なんにしても、明日からはまた、代わり映えのない毎日が続くのだろうというアプトムの予想は、その日の夜に覆されることとなる。
いつもなら机に向かっているはず時間に、惚けた顔でベッドに腰かけたルイズに、さてどうしたものかとアプトムは考える。
ルイズに何があったのかなどアプトムには分からない。昼間見た男が関係しているのだろうという事は分かるが、それで何故ルイズがこういう状態になるのかなど彼の知るところではない。
分からないなら聞けばすむことだろうが、彼がルイズとの間に望んでいるのは契約という感情を差し挟まない関係である。相手の内面に踏み込むような行動は避けたいところだ。
それならば、相手の心情など気にせず、魔法を使えるように勉強をするか寝ろ。とでも言えばよさそうなものだが、昨夜の寝惚けたルイズの言葉に多少の罪悪感を覚えてしまった今のアプトムには、それも難しい。
本当に、どうしたものだろうかと悩んでいたところに、人の気配を感じたアプトムは扉の方を振り向き、そして扉をノックする音を聞いた。
珍しいな。そう思ったのは、彼が知る限り、この部屋に誰かが尋ねてきた前例がなかったから。この学院でもっとも多くルイズと言葉を交わすキュルケですら、この部屋に尋ねてきたことはない。
だから、彼が扉の外にいる者に対する警戒を解かなかったのは当然の事であろう。だが、その警戒がルイズに向けられているはずもなく、ノックを聞いたルイズが、はっと顔を上げ扉に走るなどとは想像もしていなかったアプトムが止める間もなく、彼女は無警戒に扉の向こうにいた黒い頭巾をすっぽりかぶって顔を隠した少女と対面していた。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは夢見がちな少女である。そうでなければ、どれだけ努力してもかなわなかった魔法を使うという夢をいつまでも持ち続けることなど出来なかっただろう。
そんな彼女は、自分にとって都合の悪い想像というものをあまりやらないが、逆に都合のいい妄想ならばよくする。
昼間、王女一行の一員として学院にやってきた一人の男、いわゆるヒゲダンディーは彼女の知り合いである。しかも、ただの顔見知りなどではなく特別な関係と言っても良い相手である。彼と前に会ったのは、十年程前のことだが、それでも彼女の中の彼に対する想いは色あせずに残っている。
そして、それは彼も同じだろうか。同じであって欲しいと感じる彼女は妄想の翼を羽ばたかせる。
王女に随伴してきた彼に、ルイズは一目で気づいた。ならば、きっと彼も自分に気づいたはずだ。そうなれば彼は自分に会いに来てくれるだろう。そうでなくてはならない。何故なら、彼は自分の……。
そんな事を考えていた時に、来客があったのだから、彼女がヒゲダンディーが尋ねてきたのだと思い込むのは当然の事で、開いた扉の向こうにいたのが期待していた相手ではなかったと気づいてフリーズしてしまったのも致し方ない。
そんな彼女に構わず、黒頭巾の少女は部屋に入り、後ろ手に扉を閉めると、ルーンを唱え探知の魔法を使って、この部屋が監視されていないか確認し、そうして初めて頭巾を取った。
そこにあった顔は……、
「姫殿下!」
そうルイズが呼んだとおり、この国の王女アンリエッタであった。
アンリエッタ・ド・トリステインは、とても恵まれた人間である。
彼女は現在この国で唯一といっていい王位継承権の持ち主であり、優秀な水のメイジであり、美しい容姿であり、多くの人に好かれるまっすぐな気性の持ち主である。
そんな彼女であるから、多くの人間に好かれるし、甘やかされもする。
彼女には、望んだことが叶えられなかった経験が非常に少ない。
それは、王女と言う身分のせいでもあるし、基本的に我侭を言わない控えめな性格のせいでもある。
だが、そんな人生経験は当然のごとく彼女の人格形成に多大な影響を及ぼす。
よほどのことでない限り、自分の望んだことは必ず叶う。そんな歪んだ思考を持つようになってしまったのも、そのよほどの基準が多くの人間の考えるそれと大きく乖離してしまっているのも、彼女一人の責任とは言えまい。
そんな彼女が今回望んだのは、恋する男性に送った恋文の回収である。
アルビオンという国がある。その国では、現在貴族たちが王族に対し反乱を起こし内乱が起こっているのだが、その戦で王家が倒れる事は、もはや避けられない事態となっており、勝利した後の反乱軍は、次にトリステインを攻めるであろうというのが、この国の政治を取り仕切る者の考えであった。
アルビオンに比べて、トリステインの国力は低い。
単体でアルビオンに勝つことができるわけもなく、ゆえに他国と同盟を組む事に決めたトリステインはゲルマニアの皇帝の下に、王女を嫁がせることにした。
この国の唯一の王位継承者を他国に嫁がせることに反対するものがいなかったわけではないが、反対する者たちに代案があったわけではない。結局この決定は覆らなかった。
さて、この決定に対して、アンリエッタに不満がなかったわけではない。彼女には恋する男性がいて、その相手と結ばれる未来を夢見ていたりもした。
しかし、このおめでたい頭の持ち主である王女にも、それが自分には叶わぬことと理解できていた。
とても不本意ではあるが、ゲルマニアに嫁ぐ決心をした彼女は、その障害になるかもしれない、ある品物のことを思い出した。
それが、アルビオンの皇太子ウェールズに送った恋文である。
それのことを思い出したアンリエッタは、激しくうろたえた。
アルビオン王家が倒れ、ウェールズ王子が持っているはずの、その恋文が貴族派の者たちの手に渡ってしまえば、自分の決死の覚悟は無駄になり、この国の民の平和も脅かされる。
ここまでは、ごく普通の思考であるのだが、ここからがアンリエッタという少女の歪んだ思考である。
恋文を回収しなければならないと考えた彼女は、まずどうやってと言うもっともな疑問を頭に浮かべた。
この国の政治を取り仕切る人物であるマザリーニ枢機卿に相談するという案は真っ先に捨てた。
あるいは、誰よりもこの国のことを考えているのだろうが、『鳥の骨』などとも言われる男を彼女は嫌っている。
そもそも、アンリエッタのゲルマニアへの輿入れの話を持ち出したのも彼なのである。それが、最善の選択だと理解しても彼女が好意を持てなくなるには充分である。
では、他の誰にと王宮の貴族たちの顔を思い浮かべて、それを切り捨てた。嫁ぎ先が決まった娘が、他の男に送った恋文を回収しようとしているなどという醜聞を迂闊にもらすわけにはいかない。大体、王宮の貴族たちは、最終的に自分のゲルマニアへの輿入れに同意した者たちである。そんな連中に自分のプライバシーを明かす気にはならない。
では、誰に頼むかと考えて、彼女は自分の親友とも言える幼馴染のことを思い出した。
貴族の誇りを重視しながらも、自分の心を大事に思いやってくれて、王女にあるまじきいろんな我侭も二つ返事で聞いてくれる大切な『おともだち』ルイズ・フランソワーズのことを。
他人が聞けば、それは本当に友達なのかと疑問を感じてしまう認識だが、あいにくと彼女には、他に本音を語れる親しい相手というものが当のルイズ以外にいないので、この認識に疑問を感じたことがない。
かくして、アンリエッタはルイズに会い、その事を話し頼み込み、快く快諾し更には望まぬ婚姻をしなくてはならない彼女を慰めてくれさえした友人に、ああ、これで全ては上手くいくと安心した。さすがに、その回収すべき手紙が恋文であるとは言わなかったが。
それが、戦地にろくな魔法も使えない世間知らずの小娘を送り出すという、危険どころではない所業であるという自覚はない。
ルイズが、失敗するかもしれない。それどころか死ぬかもしれないという可能性には思い当たらない。彼女の望むことは、よほども事でない限り叶うのだから。
これは、アンリエッタの頼みごとに、いつも疑問を差し挟まず素直に聞くルイズにも問題があるのだが、ルイズにも言い分がある。
姫さまのやることが間違いだったことがない。それが、彼女の認識なのだから。
実際、ウェールズに送った恋文を回収しようという考えに間違いはない。頼む相手を間違えているだけで。
なんにせよ、王女の頼みを受けたルイズは、かたわらにいるアプトムに顔を向けた。その顔には「もちろん手伝ってくれるわよね」と書
いてあり、彼は任せろと言わんばかりにルイズの頭に手を置き。
「わかった。その手紙は返してもらってくるから、大人しく待っていろ」
と言った。
アプトムが快く承知してくれたことに気をよくしたルイズはニッコリ笑い。そして、アレ? と疑問を覚えた。
今この男は、なんと言っただろうか? 大人しく待ってろ? 待ってろ?
「今、待ってろって言った?」
「言ったぞ」
うん。やっぱり聞き間違いじゃなかった。つまり、アプトムは一人で行くから自分にはついてくるなって言ってるわけだ。
「って、なんでよ!?」
叫んでみるが、アプトムは動じない。
「何がだ?」
「頼まれたのは、わたしなのよ。わたしが行かなくて、どうするのよ!」
「どうもしなくていい。使い魔の仕事は、メイジができないことを代わりにやることだろう?」
「わたしは貴族なのよ!」
貴族が、自分に与えられた任務を人に押し付けられるわけがないと言うルイズに、アプトムは、それがどうしたと答える。お前に、この依頼が果たせると思っているのかと。自分が何者かを見つめなおしてみろと。
そして、ルイズは黙り込む。彼女は貴族である。貴族の誇りにかけて、姫さまの頼みに答えなければならない。そして、彼女はゼロのルイズである。魔法の成功の確率ゼロのルイズ。
そんなお前に、姫さまの与える任務をこなせるのか。アプトムはそう言っているのかとルイズは、歯噛みする。だが、それは思い違い。
「おまえは、貴族である前に学生だろう。貴族がどうのこうのに、縛られるのは学院を卒業してからでも遅くない。大体、王党派と貴族派が争っている中、皇太子に会いに行くという任務は、世間知らずの学生に果たせるほど簡単なものなのか?」
ルイズが魔法を使えるかどうかなど関係がない。魔法が使えようが貴族だろうが、学生という未熟な存在であるルイズは、この任務を受けるべきではないのだとアプトムは言っているのだ。
それは正論であり、召喚されて以来、ルイズに忠実であったアプトムの言葉であるから、彼女は頭ごなしに否定ができない。しかし発言の真意が理解できたルイズは感情を整理し冷静になれたのも事実である。
「でも、アプトム一人じゃ、王党派の人たちに信用してもらえないかもしれないし……」
それでは手紙を返してもらえないかもという苦し紛れの言葉は、ルイズがいても信用される保証はないし、平民のほうが貴族派に怪しまれる心配がなくていいだろうというアプトムの返答に切り払われる。
それでも納得することなどできないルイズは、「あの、ルイズ。その方は?」というアンリエッタの言葉に、そういえばと、説明してなかった事を思い出す。ずっと、この部屋にいるアプトムのことを今頃になって尋ねてくるアンリエッタもどうかしているが。
「こいつは、アプトム。わたしの使い魔です」
「使い魔?」
確かに本人もそんなことを言っていたけど、とアンリエッタは首を傾げる。
「人にしか見えませんが……」
「人です。姫さま」
人間じゃなくて亜人ですが。とは言わない。敬愛する姫さまといえど教えるわけにはいかない事もある。
「そうよね。ルイズ・フランソワーズ、あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」
「…ほっといてください」
ルイズにとってアプトムは自慢の使い魔であるが、表向きただの平民であると通している以上、周りの眼が冷たくなるのは仕方がないと、最近になって彼女は理解していた。
それはともかく、ふとルイズは浮かんだ疑問を口にする。
「じゃあ、アプトム一人で行くって言うの?」
「そのほうが身動きがとりやすいからな」
「でも、アプトムってトリステインの生まれじゃないわよね。というか魔法に頼らないと帰れないくらい遠くの生まれでしょ。案内なしで道が分かるの?」
そう、アプトムはハルケギニアの人間ではない。地球という他の天体から召喚されてきた者だ。そんな彼にアルビオンへに道が分かるわけがなく、交通手段についての知識もない。
だが、その辺りについても考えがある。
アンリエッタは、この部屋に一人で入ってきたが、この女子寮まで一人できたとはアプトムは思っていない。彼の見たところ、この王女はルイズにも負けない浅はかな思考の持ち主だが、それでも一人で出歩くほど能天気ではないだろうし、本人がそのつもりだったとしても周りの者は、この国の王位継承者が護衛もつけないで出歩くのを許したりはしないだろう。
現に、この部屋の外。扉の向こうからは、この部屋の様子を伺っている何者かの気配があり、それが王女の護衛なのだろうとアプトムは予想する。
その護衛が、アンリエッタが連れてきた者なのか、勝手に着いてきた者なのかは、流石のアプトムでも知るところではない。
しかしどちらにしろ、自分がアルビオンに向かう道案内にはちょうどよかろう。
だからと、「こいつを連れて行く」と扉を開けて中に招きいれようとして、アプトムは、そこで扉に耳を当てて盗み聞きしていたらしい金髪巻き毛の少年と顔を合わせた。
それは、王女の護衛などではなく、ルイズと同じく、この任務に連れて行くには不適切なただの学生であったのだけど、今更勘違いでしたと言うわけにもいかない状況である。
この計算外の事態にも、表面上は平静を装ったアプトムではあったが、内心ではそうではなかったため、同じ学生の身分であるギーシュは良くて自分は駄目だというのには納得できないと言うルイズに反論しきることができず、結局ルイズはアプトムと何故かギーシュの三人でアルビオンに向かう事となり、ルイズはアンリエッタからウェールズへ充てた手紙を受け取り、ついでに路銀の足しにと王女が母親から頂いたという指輪も預かった。
ギーシュ・ド・グラモンは、軟派な外見や性格とは裏腹に、貴族としての誇りを強く持つ少年である。
彼の尊敬する父は、元帥の地位を持つ勇敢かつ優秀な軍人であり、彼も将来はかくありたいと思っている。
その父親が好色な性質であったことが、彼の女性に対するだらしなさの原因の一つであるが、それは置こう。
彼には、許せない相手がいる。ゼロのルイズと呼ばれている少女が召喚したアプトムという名の男である。
あの男のせいで二股をかけていた少女二人に振られたから。その後に起こった決闘で勝負にもならずに負けたから。というわけではない。
それがないとは言わないが、彼にはそれ以上に許せないことがあった。
それが、あの男の自分を見る眼。
彼は、貴族である。貴族は平民になど負けてはいけない立場にいる。その自分に、あの男は勝利した。それだけなら良かった。それだけならお互いの健闘を称えあうこともできただろう。
だが、あの男は自分を見ていない-もっとも、逆に言えば敵と見做されていないだけでも、ギーシュにとっては僥倖の極みなわけなのだが-と気づいてしまった。あの男にとって自分は、炉辺の石ころにも等しい。彼我の実力差を考えれば、あの男がそういう眼で見てくるのは当然なのかもしれないのだけど、それを彼は許せない。
そんな眼で見てくる相手が明らかに自分より優秀だと分かるメイジで、例えば女王を守る魔法衛士隊隊長なんかなら、彼もそんな風には思わずに負けを認めていたのだろうが、ギーシュのアプトムという男への認識は魔法の一つも使えないただの平民である。そんな相手に見下すどころではない眼で見られることを許容出来るほど彼の矜持は安くなく、ゆえに必ずや、あの男の心に自分の名を刻んでやると心に誓っていた。
そんな彼であるから、何度もアプトムに対して、決闘を申し込んでいた。
錬金で作り出したゴーレム『ワルキューレ』に、武器を持たせて挑ませたこともある。落とし穴を掘ってワルキューレに誘導させて動きを封じる策を練ったこともある。パワーで勝てないのならと軽量化を図ったワルキューレで100メイル走をしかけて勝負したこともあるし、走り幅跳びだってやった。パワーもスピードも敵わないのなら頭脳だと、ワルキューレにチェスの勝負を仕掛けさせたこともある。
しかし、一度たりとも勝利をつかむ事はできなかった。自分を敵だと認めさせることすらできなかった。
代わりと言っては何だが、クラスメイトの眼が生ぬるい物になってきたが、ギーシュは気にしない。深く考えたら、泣いちゃいそうだし。
そんな現在の彼にとって、何よりも優先されるのはアプトムに自分を認めさせることであり、ゆえに長らく可愛い女の子を見ても興味を抱く事すらない毎日を送っていた。
そんな彼だが、アンリエッタという、この国の王女に対してまで、無関心でいることはできなかった。
平民が貴族に対して従属する義務があるのならば、貴族には王家に従属する義務があり、それは名誉ですらあると彼は認識している。そんな彼にとって王女とは憧れの対象であり、その相手が若くて美しい女性となれば、お近づきになりたいと考えるのは当然のことであろう。
とはいえ、だから何をしようと考えたわけではない。父親ならともかく、彼自身はただの学生の身分である。そんな彼に、王女と直接顔を合わせるという栄誉が得られるはずもない。
だが、いずれは自分もあの美しい王女に謁見が許されるような立場になってやるとギーシュは夢を描く。
それが、多くの若い貴族が胸に描き、しかし成し遂げられずにあきらめていくであろう妄想の一つであろうことだなどと、彼は思わない。
彼は若く、夢は若者の特権なのだから。
それはさておき、ギーシュは学院の中庭で月を見ていた。
大地を優しく照らし出す二つ月の一つに、若く美しい王女の面影を見出すことなど、彼には容易い。
今夜の、寝る前の自分大活躍妄想劇場に王女に登場してもらうため、彼は王女の姿を心に刻み込む。ちなみに、もう一つの月には、最近疎遠なモンモラシーの姿を見出していたりもする。
そんなとき、彼は視界の隅を横切った人影に気づいた。
その人影は、真っ黒な頭巾をかぶり、正体が知れなかったのだけれど、ギーシュは一瞥でそれを王女と見抜いた。
単に、何とか王女とお近づきになれないかなと思っていたときに、たまたま通りかかった女性がいたので、特別な理由もなく関連付けてしまったというのが、正しいのだが、事実として、その人影は王女アンリエッタその人であった。
王女を見たギーシュは、特に深い考えもなく、後をつけていく事にした。後をつけて何をしようと考えていたわけではないし、王女がお供もつけずに一人で歩いていることにも、特に不信感を抱くこともなかった。彼に限ったことではなく、トリステイン貴族は、深く考えるよりも、その時のノリで動くことが多いゆえの行動である。
そんなわけで、王女を追って女子寮に入っていったギーシュは、ある一室に入っていったのを見送り、即座に扉に耳を当て聞き耳を立てた。
そうして、図らずも王女に直接頼みごとをされる機会を得た彼は、貴族としての矜持と、美しく王女への思慕とアプトムへの対抗心ゆえに、この国の存亡にも関わりかねない任務に参加することになるのである。
#navi(ゼロと損種実験体)
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ルイズの就寝は遅い。夜遅くまで勉学に励む彼女は、ゆえに一度寝入るとまず目を覚ますことはない。
そんなわけで、朝になって、アプトムに起こされないかぎり目覚めるはずのない彼女は、しかし今回に限って自分の洩らした寝言で目を覚ます。
「いけない人ですわ。子爵さまは……。え? そんな、恥ずかしいですわ。って、あれ? なんでアプトムが出てくるの? って今度は誰?
アンタ誰よ?」
何の夢を見てるんだか? とアプトムが見ていると、パチリと眼を開いたルイズと眼が合う。
「あれっ? あれっ? えーと、わたし何か寝言を言ってた?」
「いや、聞いてない」
さらっと嘘をつくアプトムに、ルイズはうーんと頭を捻る。寝言など人に聞かれないにこしたことはないが、さっきまで良い夢を見ていた気がする。それがどんなものだったのか、目覚めと共に忘れてしまったので思い出したいと質問をしてしまっていた。
が、睡眠時間の足りていない彼女は、すぐにまた眠りの世界に旅立つ事になるのだが、その前に、いつも黙って自分に従ってくれているアプトムの姿に、不意にある考えが頭をよぎった。
アプトムは、最初に召喚した時から、故郷に帰ることを望んでおり、ルイズに従っているのも、いつか彼女が彼を帰す魔法を作り出すという約束によるものである。
しかし、よくよく考えてみると、サモン・サーヴァントとは対象の前に召喚のゲートを開く魔法であり、そこを潜るかどうかは、相手の意思に委ねられている。
ならば、彼が召喚されたのは、彼自身の意志によるものではないだろうか? そんな疑問を思い浮かべた彼女は、特に深い考えもなく口に出し、「事故だ」という答えを聞いて納得し、次に起きた時にはそんな質問をしたことも、夢のことも完全に忘却してしまうのであった。
そして、ルイズが寝入ったのを確認して、アプトムは一人考える。
思い出すのは、彼が召喚されたときに融合捕食をしかけた斥候獣化兵。今思えば、ルイズが召喚しようとしていたのは、あの獣化兵であり、彼のゾアノイドはそれに応えてゲートを潜ろうとしていたのではなかったか。つまり自分は、そこに割り込んだ乱入者であり、そのクセ自分を帰せと無理難題を言っているのではないか。
だが、だからといって地球に帰る事をあきらめることは出来ない。彼には自分の生き方を変えることなど出来ないのだから。
まったく、何故今頃になってそんな事を聞いてくるのだとアプトムはルイズを睨みつける。
初めて会ったときに言われたのなら、知ったことかと無視もできたろうに、短くとも共にいた時間のせいで多少なりとも情の移ってしまった今では、気にせずにはいられないではないか。
そんな主従の、どうという事のない出来事があったある夜、一人の女性の元に不審者が現れていた。
女性の名はミス・ロングビル。学院長秘書の立場を持つ女性である。
夜遅くまで起きていた彼女が何をやっていたのかというと、手紙を書いていた。
ミス・ロングビルには、もう一つの名がある。土くれのフーケという盗賊としての名である。彼女がこの学院に勤めるようになったのは、学院の宝物庫にあるマジックアイテムを盗み出すためであり、盗賊としての仕事が終わればすぐにでも出て行くつもりであった。
そして、今回の仕事が終わったら、一度妹の元に帰るつもりであったのだが、その仕事が変な失敗をして帰る機会を逸してしまった。
仕事が失敗した今も彼女が、いつまでもこの学院に留まっていることに特別な理由はない。ただ単に、出て行くきっかけがないからであり、学院長秘書という身分に支給される給料が、仕事の失敗の埋め合わせに充分なものであるという理由からである。
そんなわけで、自分が盗賊などというヤクザな仕事をしていることを知らない、遠く離れた地に暮らす妹に、帰るのが遅くなるという言い訳を並べた手紙を書いていた時、その男はやってきた。
その男は風と共に現れた。
開いた窓から吹き込んだ微風にカーテンが揺れた時、白い仮面で顔を隠したその男は月明かりに照らされ立っていた。
「『土くれ』だな?」
問いではなく確認ですらない断定に、しかし彼女は何を言われたのは分からないと、とぼけて見せる。
学院長秘書のミス・ロングビルと盗賊の土くれのフーケを繋げる事実を知るものは、彼女の知る限り一人しかいない。そして、その一人は決してその事実を人に話さないだろう確信があったから。だが、男の次の言葉に彼女の演技は引き剥がされる。
「再びアルビオンに仕える気はないかね? マチルダ・オブ・サウスゴータ」
自身以外は妹ぐらいしか知らないはずの名を突きつけられ、彼女は蒼白になる。
「あんた、何者だい?」
「質問しているのは、こちらなんだがな」
くつくつと喉を鳴らして笑う男に、彼女は否と答える。アルビオン王家は彼女の仇である。父を、家を、全てを奪った敵だ。そんなものに仕える気などないと怒鳴りつける。
そんな彼女に男は笑いを収めることなく、勘違いするなと返す。
「王家に仕えろなどと誰が言った? アルビオン王家は、じきに倒れる。お前が仕えるのは、王家が倒れた後の我々有能な貴族が政を行うアルビオンだ」
有能な貴族ね。と彼女は呟く。そういえば聞いたことがある。今、アルビオンでは王家と貴族が争い、王家が劣勢にあると。
もっとも、それは彼女には関係のない話である。
かつて、アルビオン王家に仕えた貴族の家に生まれた彼女は、しかし今はもうその王家に恨みはあっても忠誠心などない。かといって、王家に復讐をしようという考えもない。かつては、そんな想いもあったが、自身と妹を食べさせていくのが精一杯の最初の生活と、その後の多くの孤児を抱えた現実の前に、磨耗した。
「へえ? で? 王家を倒して何をしようってんだい? アルビオンの新しい王様にでもなりたいのかい?」
バカにしたように笑う彼女に、男は冷淡に答える。
「我々はハルケギニアの将来を憂う高潔な貴族の連盟だ。ハルケギニアは我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのだ。アルビオンなど、手始めにすぎんよ」
高潔ときたか。と彼女は内心で笑う。
ご立派な理想を語る者は、自分自身それを信じてなどいないと彼女は知っている。信じるのは、駒として使い捨てられる者たちだけだ。
彼女は捨て駒になどなる気はない。大体、アルビオン一国を支配できたところで、ハルケギニアを統一するなど夢物語だし、仮にそれが出来たところで聖地にはエルフがいる。
この世界で最強の魔法使いたるエルフたちに勝てるものなど、この世界に一人も……、いや、二人くらいならいるような気がするが、それは置いといて、ハルケギニア中の貴族を集めても勝ち目などない。
ついでに言えば、彼女はとある事情からエルフという種族に特に悪感情を持っていないし始祖ブリミルに対する信仰も薄い。ので、聖地なんかエルフにくれてやれよという想いがある。
とはいえ。
「『土くれ』よ。お前には選択することができる」
「あんたらの手下になるか、ここで死ぬかを?」
皮肉で答えてみるが、男は悪びれもせずに「そうだ」と頷いてくる。
最初から男には、彼女に選択の余地を与えるつもりなどない。べらべら自分たちの目的を喋ったのも、そういう理由があるからだ。
戦って勝てるとは思わない。土メイジの自分は、正面からの戦いに向いていないと彼女は自覚している。
だから彼女は、「まあ、いいさ。アルビオン王家には恨みがあるし、エルフを倒して聖地を取り戻すってのも面白そうだ」と嘘をつく。
罪悪感はない。誇りなどない。生きるためならなんでもする。それが、彼女の生き方だから。
「それで、これから旗を振る組織の名前は、なんていうんだい?」
「レコン・キスタだ」
こうして、ミス・ロングビルという名の学院長秘書は、学院から姿を消すことになる。休暇届を提出してであるが。
それが、本当に単なる休暇で終わるのかどうか、それは彼女自身にも今は分からない。
その日、学院は喧騒に包まれていた。
いつも通りの朝を迎えて、いつも通りの授業が始まると思われた日常に、この国トリステインの王女アンリエッタが訪問するとの連絡が入ったからである。
当日になって急に連絡を入れてきたり、それを歓迎したりと、この国の貴族というやつは、刹那的な情動で生きているのか? などとアプトムは思ったが、口には出さない。これも、いつも通り彼には関係のないどうでもいい事だからである。
そんなわけで、魔法学院の正門をくぐる王女一行を整列して出迎えるルイズたち学院の生徒を、アプトムは塔の屋根に登り、そこから興味なさげに見ていた。
貴族ではなく、学院で働く使用人でもない使い魔という立場のアプトムには、王女が来たからと言って何かをしなければならない義務はなく、自分から何かをしてやろうという意志もない。ついでに王女というものに興味もない。
しかしまあ、部外者が多く学院にやってきているのにルイズから眼を離して何事か起これば困ったことになるなと、遠くから観察していたアプトムは多くの生徒たちが王女に注目している中、ルイズが別の人間に視線を向けたことに気づいた。
それは羽帽子をかぶり、鷲の頭と獅子の体を持つ幻獣に乗った口ひげも凛々しい男であった。
知り合いか? と思ってみるが、本人に問いただしでもしない限り分からないことであるし、ルイズの知人であったとしても自分とは関わりのないことだと、彼はその男の事を考えるのをやめる。翌日には、その男と顔を合わせることになるなどと、この時点では考えもしていない。
ついでに、ルイズの隣に立っているキュルケが、その男を切ない眼差しで見ていたりしたのだが、その事にはアプトムは気づかなかった。
キュルケはアプトムを嫌い敵視していたが、アプトムにとってキュルケはよくルイズと話をしている少女だという程度の認識しかなかったのである。
なんにしても、明日からはまた、代わり映えのない毎日が続くのだろうというアプトムの予想は、その日の夜に覆されることとなる。
いつもなら机に向かっているはず時間に、惚けた顔でベッドに腰かけたルイズに、さてどうしたものかとアプトムは考える。
ルイズに何があったのかなどアプトムには分からない。昼間見た男が関係しているのだろうという事は分かるが、それで何故ルイズがこういう状態になるのかなど彼の知るところではない。
分からないなら聞けばすむことだろうが、彼がルイズとの間に望んでいるのは契約という感情を差し挟まない関係である。相手の内面に踏み込むような行動は避けたいところだ。
それならば、相手の心情など気にせず、魔法を使えるように勉強をするか寝ろ。とでも言えばよさそうなものだが、昨夜の寝惚けたルイズの言葉に多少の罪悪感を覚えてしまった今のアプトムには、それも難しい。
本当に、どうしたものだろうかと悩んでいたところに、人の気配を感じたアプトムは扉の方を振り向き、そして扉をノックする音を聞いた。
珍しいな。そう思ったのは、彼が知る限り、この部屋に誰かが尋ねてきた前例がなかったから。この学院でもっとも多くルイズと言葉を交わすキュルケですら、この部屋に尋ねてきたことはない。
だから、彼が扉の外にいる者に対する警戒を解かなかったのは当然の事であろう。だが、その警戒がルイズに向けられているはずもなく、ノックを聞いたルイズが、はっと顔を上げ扉に走るなどとは想像もしていなかったアプトムが止める間もなく、彼女は無警戒に扉の向こうにいた黒い頭巾をすっぽりかぶって顔を隠した少女と対面していた。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは夢見がちな少女である。そうでなければ、どれだけ努力してもかなわなかった魔法を使うという夢をいつまでも持ち続けることなど出来なかっただろう。
そんな彼女は、自分にとって都合の悪い想像というものをあまりやらないが、逆に都合のいい妄想ならばよくする。
昼間、王女一行の一員として学院にやってきた一人の男、いわゆるヒゲダンディーは彼女の知り合いである。しかも、ただの顔見知りなどではなく特別な関係と言っても良い相手である。彼と前に会ったのは、十年程前のことだが、それでも彼女の中の彼に対する想いは色あせずに残っている。
そして、それは彼も同じだろうか。同じであって欲しいと感じる彼女は妄想の翼を羽ばたかせる。
王女に随伴してきた彼に、ルイズは一目で気づいた。ならば、きっと彼も自分に気づいたはずだ。そうなれば彼は自分に会いに来てくれるだろう。そうでなくてはならない。何故なら、彼は自分の……。
そんな事を考えていた時に、来客があったのだから、彼女がヒゲダンディーが尋ねてきたのだと思い込むのは当然の事で、開いた扉の向こうにいたのが期待していた相手ではなかったと気づいてフリーズしてしまったのも致し方ない。
そんな彼女に構わず、黒頭巾の少女は部屋に入り、後ろ手に扉を閉めると、ルーンを唱え探知の魔法を使って、この部屋が監視されていないか確認し、そうして初めて頭巾を取った。
そこにあった顔は……、
「姫殿下!」
そうルイズが呼んだとおり、この国の王女アンリエッタであった。
アンリエッタ・ド・トリステインは、とても恵まれた人間である。
彼女は現在この国で唯一といっていい王位継承権の持ち主であり、優秀な水のメイジであり、美しい容姿であり、多くの人に好かれるまっすぐな気性の持ち主である。
そんな彼女であるから、多くの人間に好かれるし、甘やかされもする。
彼女には、望んだことが叶えられなかった経験が非常に少ない。
それは、王女と言う身分のせいでもあるし、基本的に我侭を言わない控えめな性格のせいでもある。
だが、そんな人生経験は当然のごとく彼女の人格形成に多大な影響を及ぼす。
よほどのことでない限り、自分の望んだことは必ず叶う。そんな歪んだ思考を持つようになってしまったのも、そのよほどの基準が多くの人間の考えるそれと大きく乖離してしまっているのも、彼女一人の責任とは言えまい。
そんな彼女が今回望んだのは、恋する男性に送った恋文の回収である。
アルビオンという国がある。その国では、現在貴族たちが王族に対し反乱を起こし内乱が起こっているのだが、その戦で王家が倒れる事は、もはや避けられない事態となっており、勝利した後の反乱軍は、次にトリステインを攻めるであろうというのが、この国の政治を取り仕切る者の考えであった。
アルビオンに比べて、トリステインの国力は低い。
単体でアルビオンに勝つことができるわけもなく、ゆえに他国と同盟を組む事に決めたトリステインはゲルマニアの皇帝の下に、王女を嫁がせることにした。
この国の唯一の王位継承者を他国に嫁がせることに反対するものがいなかったわけではないが、反対する者たちに代案があったわけではない。結局この決定は覆らなかった。
さて、この決定に対して、アンリエッタに不満がなかったわけではない。彼女には恋する男性がいて、その相手と結ばれる未来を夢見ていたりもした。
しかし、このおめでたい頭の持ち主である王女にも、それが自分には叶わぬことと理解できていた。
とても不本意ではあるが、ゲルマニアに嫁ぐ決心をした彼女は、その障害になるかもしれない、ある品物のことを思い出した。
それが、アルビオンの皇太子ウェールズに送った恋文である。
それのことを思い出したアンリエッタは、激しくうろたえた。
アルビオン王家が倒れ、ウェールズ王子が持っているはずの、その恋文が貴族派の者たちの手に渡ってしまえば、自分の決死の覚悟は無駄になり、この国の民の平和も脅かされる。
ここまでは、ごく普通の思考であるのだが、ここからがアンリエッタという少女の歪んだ思考である。
恋文を回収しなければならないと考えた彼女は、まずどうやってと言うもっともな疑問を頭に浮かべた。
この国の政治を取り仕切る人物であるマザリーニ枢機卿に相談するという案は真っ先に捨てた。
あるいは、誰よりもこの国のことを考えているのだろうが、『鳥の骨』などとも言われる男を彼女は嫌っている。
そもそも、アンリエッタのゲルマニアへの輿入れの話を持ち出したのも彼なのである。それが、最善の選択だと理解しても彼女が好意を持てなくなるには充分である。
では、他の誰にと王宮の貴族たちの顔を思い浮かべて、それを切り捨てた。嫁ぎ先が決まった娘が、他の男に送った恋文を回収しようとしているなどという醜聞を迂闊にもらすわけにはいかない。大体、王宮の貴族たちは、最終的に自分のゲルマニアへの輿入れに同意した者たちである。そんな連中に自分のプライバシーを明かす気にはならない。
では、誰に頼むかと考えて、彼女は自分の親友とも言える幼馴染のことを思い出した。
貴族の誇りを重視しながらも、自分の心を大事に思いやってくれて、王女にあるまじきいろんな我侭も二つ返事で聞いてくれる大切な『おともだち』ルイズ・フランソワーズのことを。
他人が聞けば、それは本当に友達なのかと疑問を感じてしまう認識だが、あいにくと彼女には、他に本音を語れる親しい相手というものが当のルイズ以外にいないので、この認識に疑問を感じたことがない。
かくして、アンリエッタはルイズに会い、その事を話し頼み込み、快く快諾し更には望まぬ婚姻をしなくてはならない彼女を慰めてくれさえした友人に、ああ、これで全ては上手くいくと安心した。さすがに、その回収すべき手紙が恋文であるとは言わなかったが。
それが、戦地にろくな魔法も使えない世間知らずの小娘を送り出すという、危険どころではない所業であるという自覚はない。
ルイズが、失敗するかもしれない。それどころか死ぬかもしれないという可能性には思い当たらない。彼女の望むことは、よほども事でない限り叶うのだから。
これは、アンリエッタの頼みごとに、いつも疑問を差し挟まず素直に聞くルイズにも問題があるのだが、ルイズにも言い分がある。
姫さまのやることが間違いだったことがない。それが、彼女の認識なのだから。
実際、ウェールズに送った恋文を回収しようという考えに間違いはない。頼む相手を間違えているだけで。
なんにせよ、王女の頼みを受けたルイズは、かたわらにいるアプトムに顔を向けた。その顔には「もちろん手伝ってくれるわよね」と書
いてあり、彼は任せろと言わんばかりにルイズの頭に手を置き。
「わかった。その手紙は返してもらってくるから、大人しく待っていろ」
と言った。
アプトムが快く承知してくれたことに気をよくしたルイズはニッコリ笑い。そして、アレ? と疑問を覚えた。
今この男は、なんと言っただろうか? 大人しく待ってろ? 待ってろ?
「今、待ってろって言った?」
「言ったぞ」
うん。やっぱり聞き間違いじゃなかった。つまり、アプトムは一人で行くから自分にはついてくるなって言ってるわけだ。
「って、なんでよ!?」
叫んでみるが、アプトムは動じない。
「何がだ?」
「頼まれたのは、わたしなのよ。わたしが行かなくて、どうするのよ!」
「どうもしなくていい。使い魔の仕事は、メイジができないことを代わりにやることだろう?」
「わたしは貴族なのよ!」
貴族が、自分に与えられた任務を人に押し付けられるわけがないと言うルイズに、アプトムは、それがどうしたと答える。お前に、この依頼が果たせると思っているのかと。自分が何者かを見つめなおしてみろと。
そして、ルイズは黙り込む。彼女は貴族である。貴族の誇りにかけて、姫さまの頼みに答えなければならない。そして、彼女はゼロのルイズである。魔法の成功の確率ゼロのルイズ。
そんなお前に、姫さまの与える任務をこなせるのか。アプトムはそう言っているのかとルイズは、歯噛みする。だが、それは思い違い。
「おまえは、貴族である前に学生だろう。貴族がどうのこうのに、縛られるのは学院を卒業してからでも遅くない。大体、王党派と貴族派が争っている中、皇太子に会いに行くという任務は、世間知らずの学生に果たせるほど簡単なものなのか?」
ルイズが魔法を使えるかどうかなど関係がない。魔法が使えようが貴族だろうが、学生という未熟な存在であるルイズは、この任務を受けるべきではないのだとアプトムは言っているのだ。尚、彼がまだクロノスに対し忠実であった頃に、盟友のソムルムとダイムを斃したガイバーI・深町晶もまた当時はルイズと同様に一介の学生であり、自我に目覚めクロノスを離反した後、前述の盟友達の死から深町を己が手で打倒すべき敵と認識しつつも、彼もまたクロノスの所為で生きる為に闘わざるを得なかった事自体はきちんと認識しており、その事と今回のルイズの立場と被ったが故の考えと、取れなくもないといえよう。
それは正論であり、召喚されて以来、ルイズに忠実であったアプトムの言葉であるから、彼女は頭ごなしに否定ができない。しかし発言の真意が理解できたルイズは感情を整理し冷静になれたのも事実である。
「でも、アプトム一人じゃ、王党派の人たちに信用してもらえないかもしれないし……」
それでは手紙を返してもらえないかもという苦し紛れの言葉は、ルイズがいても信用される保証はないし、平民のほうが貴族派に怪しまれる心配がなくていいだろうというアプトムの返答に切り払われる。
それでも納得することなどできないルイズは、「あの、ルイズ。その方は?」というアンリエッタの言葉に、そういえばと、説明してなかった事を思い出す。ずっと、この部屋にいるアプトムのことを今頃になって尋ねてくるアンリエッタもどうかしているが。
「こいつは、アプトム。わたしの使い魔です」
「使い魔?」
確かに本人もそんなことを言っていたけど、とアンリエッタは首を傾げる。
「人にしか見えませんが……」
「人です。姫さま」
人間じゃなくて亜人ですが。とは言わない。敬愛する姫さまといえど教えるわけにはいかない事もある。
「そうよね。ルイズ・フランソワーズ、あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」
「…ほっといてください」
ルイズにとってアプトムは自慢の使い魔であるが、表向きただの平民であると通している以上、周りの眼が冷たくなるのは仕方がないと、最近になって彼女は理解していた。
それはともかく、ふとルイズは浮かんだ疑問を口にする。
「じゃあ、アプトム一人で行くって言うの?」
「そのほうが身動きがとりやすいからな」
「でも、アプトムってトリステインの生まれじゃないわよね。というか魔法に頼らないと帰れないくらい遠くの生まれでしょ。案内なしで道が分かるの?」
そう、アプトムはハルケギニアの人間ではない。地球という他の天体から召喚されてきた者だ。そんな彼にアルビオンへに道が分かるわけがなく、交通手段についての知識もない。
だが、その辺りについても考えがある。
アンリエッタは、この部屋に一人で入ってきたが、この女子寮まで一人できたとはアプトムは思っていない。彼の見たところ、この王女はルイズにも負けない浅はかな思考の持ち主だが、それでも一人で出歩くほど能天気ではないだろうし、本人がそのつもりだったとしても周りの者は、この国の王位継承者が護衛もつけないで出歩くのを許したりはしないだろう。
現に、この部屋の外。扉の向こうからは、この部屋の様子を伺っている何者かの気配があり、それが王女の護衛なのだろうとアプトムは予想する。
その護衛が、アンリエッタが連れてきた者なのか、勝手に着いてきた者なのかは、流石のアプトムでも知るところではない。
しかしどちらにしろ、自分がアルビオンに向かう道案内にはちょうどよかろう。
だからと、「こいつを連れて行く」と扉を開けて中に招きいれようとして、アプトムは、そこで扉に耳を当てて盗み聞きしていたらしい金髪巻き毛の少年と顔を合わせた。
それは、王女の護衛などではなく、ルイズと同じく、この任務に連れて行くには不適切なただの学生であったのだけど、今更勘違いでしたと言うわけにもいかない状況である。
この計算外の事態にも、表面上は平静を装ったアプトムではあったが、内心ではそうではなかったため、同じ学生の身分であるギーシュは良くて自分は駄目だというのには納得できないと言うルイズに反論しきることができず、結局ルイズはアプトムと何故かギーシュの三人でアルビオンに向かう事となり、ルイズはアンリエッタからウェールズへ充てた手紙を受け取り、ついでに路銀の足しにと王女が母親から頂いたという指輪も預かった。
ギーシュ・ド・グラモンは、軟派な外見や性格とは裏腹に、貴族としての誇りを強く持つ少年である。
彼の尊敬する父は、元帥の地位を持つ勇敢かつ優秀な軍人であり、彼も将来はかくありたいと思っている。
その父親が好色な性質であったことが、彼の女性に対するだらしなさの原因の一つであるが、それは置こう。
彼には、許せない相手がいる。ゼロのルイズと呼ばれている少女が召喚したアプトムという名の男である。
あの男のせいで二股をかけていた少女二人に振られたから。その後に起こった決闘で勝負にもならずに負けたから。というわけではない。
それがないとは言わないが、彼にはそれ以上に許せないことがあった。
それが、あの男の自分を見る眼。
彼は、貴族である。貴族は平民になど負けてはいけない立場にいる。その自分に、あの男は勝利した。それだけなら良かった。それだけならお互いの健闘を称えあうこともできただろう。
だが、あの男は自分を見ていない-もっとも、逆に言えば敵と見做されていないだけでも、ギーシュにとっては僥倖の極みなわけなのだが-と気づいてしまった。あの男にとって自分は、炉辺の石ころにも等しい。彼我の実力差を考えれば、あの男がそういう眼で見てくるのは当然なのかもしれないのだけど、それを彼は許せない。
そんな眼で見てくる相手が明らかに自分より優秀だと分かるメイジで、例えば女王を守る魔法衛士隊隊長なんかなら、彼もそんな風には思わずに負けを認めていたのだろうが、ギーシュのアプトムという男への認識は魔法の一つも使えないただの平民である。そんな相手に見下すどころではない眼で見られることを許容出来るほど彼の矜持は安くなく、ゆえに必ずや、あの男の心に自分の名を刻んでやると心に誓っていた。
そんな彼であるから、何度もアプトムに対して、決闘を申し込んでいた。
錬金で作り出したゴーレム『ワルキューレ』に、武器を持たせて挑ませたこともある。落とし穴を掘ってワルキューレに誘導させて動きを封じる策を練ったこともある。パワーで勝てないのならと軽量化を図ったワルキューレで100メイル走をしかけて勝負したこともあるし、走り幅跳びだってやった。パワーもスピードも敵わないのなら頭脳だと、ワルキューレにチェスの勝負を仕掛けさせたこともある。
しかし、一度たりとも勝利をつかむ事はできなかった。自分を敵だと認めさせることすらできなかった。
代わりと言っては何だが、クラスメイトの眼が生ぬるい物になってきたが、ギーシュは気にしない。深く考えたら、泣いちゃいそうだし。
そんな現在の彼にとって、何よりも優先されるのはアプトムに自分を認めさせることであり、ゆえに長らく可愛い女の子を見ても興味を抱く事すらない毎日を送っていた。
そんな彼だが、アンリエッタという、この国の王女に対してまで、無関心でいることはできなかった。
平民が貴族に対して従属する義務があるのならば、貴族には王家に従属する義務があり、それは名誉ですらあると彼は認識している。そんな彼にとって王女とは憧れの対象であり、その相手が若くて美しい女性となれば、お近づきになりたいと考えるのは当然のことであろう。
とはいえ、だから何をしようと考えたわけではない。父親ならともかく、彼自身はただの学生の身分である。そんな彼に、王女と直接顔を合わせるという栄誉が得られるはずもない。
だが、いずれは自分もあの美しい王女に謁見が許されるような立場になってやるとギーシュは夢を描く。
それが、多くの若い貴族が胸に描き、しかし成し遂げられずにあきらめていくであろう妄想の一つであろうことだなどと、彼は思わない。
彼は若く、夢は若者の特権なのだから。
それはさておき、ギーシュは学院の中庭で月を見ていた。
大地を優しく照らし出す二つ月の一つに、若く美しい王女の面影を見出すことなど、彼には容易い。
今夜の、寝る前の自分大活躍妄想劇場に王女に登場してもらうため、彼は王女の姿を心に刻み込む。ちなみに、もう一つの月には、最近疎遠なモンモラシーの姿を見出していたりもする。
そんなとき、彼は視界の隅を横切った人影に気づいた。
その人影は、真っ黒な頭巾をかぶり、正体が知れなかったのだけれど、ギーシュは一瞥でそれを王女と見抜いた。
単に、何とか王女とお近づきになれないかなと思っていたときに、たまたま通りかかった女性がいたので、特別な理由もなく関連付けてしまったというのが、正しいのだが、事実として、その人影は王女アンリエッタその人であった。
王女を見たギーシュは、特に深い考えもなく、後をつけていく事にした。後をつけて何をしようと考えていたわけではないし、王女がお供もつけずに一人で歩いていることにも、特に不信感を抱くこともなかった。彼に限ったことではなく、トリステイン貴族は、深く考えるよりも、その時のノリで動くことが多いゆえの行動である。
そんなわけで、王女を追って女子寮に入っていったギーシュは、ある一室に入っていったのを見送り、即座に扉に耳を当て聞き耳を立てた。
そうして、図らずも王女に直接頼みごとをされる機会を得た彼は、貴族としての矜持と、美しく王女への思慕とアプトムへの対抗心ゆえに、この国の存亡にも関わりかねない任務に参加することになるのである。
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