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#navi(重攻の使い魔)
第3話 『決闘未満』
ルイズが教室を爆破したことで、せっせと後片付けをする羽目になっていたその頃、トリステイン魔法学院図書館、フェニア・ライブラリ内において、一心不乱に書物を漁る人物がいた。始祖ブリミルがハルケギニアに新天地を築いて以来の、全ての歴史が納められたこの図書館は非常に広い。高さが30メイルにもなる書棚が所狭しと屹立している様は圧巻の一言であった。
その中でも、機密性の高い書物や、著された時代が非常に古く、固定化の魔法を施してなお劣化を止める事のできない書物のような、貴重な書物が収められているのがフェニア・ライブラリである。教師以外の立ち入りが禁止され、その教師ですらそうめったには足を踏み入れないエリアにて、しらみつぶしに書物を調べていたのはコルベールだった。
なぜ彼がそのように必死になっているのかと言うと、昨日ルイズが召喚したゴーレムの左拳に現れたルーンが気に掛かって仕方がなかったからである。ルーンは珍しいものであったが、スケッチを取ったその時は思い出すことができなかったのだ。その後、非常に古いルーンだということは思い出したのだが、細かいことはやはり記憶の霞の向こうにあった。
幸い今日、彼の受け持つ授業は午後からであったので、こうして朝食も取らずに日が昇る前から探し続けているのである。9時間ほど探しているのだが、中々お目当ての書物を見つけ出すことができず、昼食の時間も迫りつつある。流石に昼食まで抜くわけにはいかないため、後1冊調べて駄目だったら明日に回そうと最後の書物を手に取り、なんとも幸運なことにその書物こそがコルベールの探していた書物だった。
その書物は、始祖ブリミルとその四体の使い魔たちについて記された古書だった。あるページにてコルベールの手が止まり、そこに記されている一節と図説に目を通すと、彼の顔に驚きと納得の二つの表情が同居した。コルベールは軽く始祖ブリミルに感謝の言葉を述べると、件の書物を抱え、学院長室へ向かって急いで走り出した。
コルベールが本塔最上階に位置する学院長室の扉を叩くと、室内から重々しい声で入るように告げられた。扉を開き室内に入ると、正面の学院最高権力者に相応しい調度が施された机に立派な白髭を蓄えた老人が座り、その傍に緑色がかった金髪の女性が控えていた。
「失礼します、オールド・オスマン。少しばかりお耳を拝借したいのですが」
「おやコルベール君ではないか。要件は手短にな。わしは昼食を取らねばならんからの」
「は。できればミス・ロングビル……人払いを願えますか」
古書を抱え、かしこまったコルベールの態度にオスマンは感じる所があったのか、昼行灯とした表情から一転、他人に何事も言わせぬ雰囲気を纏った。オスマンは傍に控えていた秘書のロングビルに退室を命じ、室内の会話を聞くことを禁じた。ロングビルは特に渋る様子も見せず、素直に学院長室を出て行った。
「して何事じゃ。なにやらただならぬ雰囲気じゃが」
「これをご覧下さい。このページです」
コルベールは先程のページをオスマンへと見せる。
「これは『始祖ブリミルと使い魔たち』ではないか。また古臭い文献を引っ張り出してきおったな。これがどうかしたのかね?」
「実は昨日、ヴァリエール公三女の召喚の儀式に立ち会いまして、その時に召喚された使い魔に刻まれたルーンに関してお伝えせねばならないと思い立ち、こうしてお時間を頂いているのです」
ブリミル教の始祖に関する書物、そしてそれが関係するルーン。予想される結論に、オスマンの顔は一段と険しい表情となり、コルベールへと先を促す。
「詳しく説明するのじゃ。ミスタ・コルベール」
ルイズの錬金失敗による爆発により、瓦礫の山となった教室を片付け終えたのは昼休みの直前だった。キュルケは最初こそルイズを見張っていたが、どうにも退屈で仕方なかったのか、気が付けば姿を消していた。ルイズはこれ幸いとばかりにゴーレムを使って瓦礫の片づけを進めることにしたが、それでもなお瓦礫の量は膨大であり、結局昼食の時間を過ぎてしまった。もしゴーレムなしで片付けていたら夕方になっても終わらなかったに違いない。ルイズは普段犬猿の仲のキュルケが姿を消してくれたことに心底感謝した。あの気に食わない女でもたまにはいいことをするものだ。
いい加減空腹を感じていたので、昼食を取ることために食堂へと向かう。昼食の時間は過ぎてしまったが、無理を言えばおそらくありつけるだろう。ルイズはゴーレムに労わりの言葉を掛け、次いで自分を抱えるように命じた。ゴーレムは素直に厳つい左腕を差し出し、その上にルイズが腰掛けると、静かに立ち上がり食堂へ向かってのしのしと歩き出した。
「なにかしら。食堂が騒がしいわね」
食堂の前に着くと、なにやら室内でヒステリックに怒声を上げる男の声と必死で謝っている女の声が聞こえてきた。ルイズは男の声に聞き覚えがあり、なんとなくだが怒りの原因も推測できた。
ぴょんとゴーレムの腕から飛び降りると、ルイズは食堂の扉を開いた。すると目の前で長身金髪の優男が顔を真っ赤にしながら、使用人の少女を激しく叱責していた。優男の顔が真赤になっているのは怒りだけが原因というわけではなかった。その端正な顔の両頬には鮮やかな紅葉が咲いていたのである。
「申し訳ありません、申し訳ありません! わたくしはただ落し物をお渡ししようと思っただけなんです!」
「それが余計なことだというんだ! 君の浅はかさのために二人の女性の心が傷付いたんだぞ! そしてこの僕の名誉も傷付けた! この責任、どう取るつもりなんだ!?」
「も、申し訳ありません、申し訳ありません! どうか、どうかお許し下さい!!」
顔面を蒼白にしながら必死で許しを請う少女に対し、優男は糾弾の手を緩めることはなかった。何が何でも少女を許すつもりはないらしい。周囲の生徒は面白い捕り物でも眺めるかのように、遠巻きにはやし立てていた。
ルイズはうんざりとした表情を貼り付けながら、優男に話しかける。
「ちょっとギーシュ、なにぎゃあぎゃあと喚いてんのよ。みっともないったらありゃしないわ」
背後から声を掛けられたギーシュと呼ばれた少年が振り向くと、憤然やるかたないといった顔をしていた。みっともないと言われたことで更に怒りを加速させたようで、ルイズに傲然と噛み付く。
「ふん、ゼロのルイズじゃないか。魔法も使えないメイジが僕に声を掛けないで欲しいね。みっともないのは君の方じゃないのか?」
「魔法が使えないからってなんだってのよ。あんたみたいに逆らえない女をいたぶる趣味の男の方がよっぽど格好悪いわよ。どうせ二股がバレて引っ叩かれたんでしょう。ほんと学習能力の無い男ね」
「……口には気をつけたまえよ。君がヴァリエール家だからといって、ここじゃ特別階級じゃないんだ。何かあっても生徒間の問題で済むからな」
ギーシュの二つの紅葉を咲かせた顔は更に赤く染めあがり、見るからに怒りは頂点に達していた。その口はどうにも穏便ならない言葉を抑えきることはできないようで、感情に任せるままに言い返す。
「なに? それでわたしを脅してるつもりなの? あんたがその節操のない下半身をどうにかすればいい話でしょう。誰彼構わず突っ込んでんじゃないわよ」
ルイズの軽蔑を込めた揶揄に、ついにギーシュの怒りが炸裂したようだった。一段とヒステリックな怒声を上げる。
「いいだろう! ここまで僕を侮辱すると言うことはそれなりの覚悟があるんだろうな!? どちらが上なのか分からせてやるよ!」
ギーシュは胸のポケットから花を一輪取り出すと、さっと振り上げ声高に宣言した。
「決闘だ!!」
最後にヴェストリの広場へ来いと言い放ち、ギーシュが憤然と食堂を飛び出していくと、ルイズは思わず溜息をついた。怒りで周りが見えなくなっているらしいギーシュは、扉の外に立っていたゴーレムにすら気が付かなかったようだった。ルイズは何となく悔しい気分になっていたが、まあどうでもいいことであった。床にへたり込み、すんすんと泣き続けている少女に、とりあえず声をかける。
「あのさ、あんたなにやらかしたの? あいつが二股ばれたってのは間違いなさそうだけど、なんであんなに怒ってたのよ?」
「み、ミス・ヴァリエール……。その、実は……」
少女ははらはらと泣きはらしながら、訥々とこの騒ぎの原因を語り始めた。少女の話によると、ギーシュが香水の入った瓶を落とし、それに気付いた少女が拾い上げて渡そうとした。そのときギーシュは友人に異性関係を尋ねられ、何とかはぐらかしている最中だった。少女が拾った香水はどうやらモンモランシーと呼ばれる少女のものだったようで、それに気付いた友人達がモンモランシーと付き合っているのかと囃し立てた。運の悪いことにその場には二股相手のケティと呼ばれる少女が居合わせていたらしく、涙目でギーシュに詰め寄ると、別れの言葉と平手を叩きつけ、走り去ってしまった。更に今度は二股を知り怒り狂ったモンモランシーが、有無を言わさずギーシュに絶縁状を叩き付けた。そして一連の痴話喧嘩のきっかけとなった少女を糾弾していたと、そういう訳であった。
「ほんとに馬鹿じゃないのあいつ。全部あいつの自業自得じゃない」
少女の話を一通り聞こえると、ルイズは心底呆れ返っていた。
「わ、わたくし、もうどうすればいいか分からなくて……うくっ。い、一体これからどんな目に遭うのか……ひぐっ」
使用人の少女は尚も青白い顔のままぶるぶると震えていた。使用人、いわば平民は貴族に対し抗うことはできない。たとえ理不尽な糾弾だったとしても、平民はそれを受け入れるしか選択はないのだ。貴族と平民。その間には社会的地位や魔法の有無など、厳然たる壁が立ちはだかっている。
一介の平民がそのような貴族の怒りを買うということは、すなわち死を意味する。魔法であっさりと殺されるか、拷問にかけられて殺されるか。しかも酷い時には自分ひとりではなく、一族郎党処刑されることもありうる。もしくは殺さずに人身売買にかけられ、どこかの好事家の貴族に売り飛ばされてしまう。死なないにしても、人生と言う意味では死に等しい。使用人の少女は、自らの暗い未来に絶望し、恐怖に震えているのだ。
ルイズは別にこの件に関わる必要などなかったのだが、ゴーレムを使い魔としたことで気が大きくなっていることと、教室爆破の事後処理で不機嫌になっている所にギーシュの馬鹿げた怒りを目にしたことで、つい売り言葉に買い言葉で決闘騒ぎにまで発展させてしまった。とはいえ特にルイズは決闘の心配などしておらず、それよりも空腹が気になって仕方がなかった。
「あーもう、もう泣くんじゃないわよ。決闘を申し込まれたのはわたしだし、そもそも悪いのはあいつなんだから」
「で、でも……」
「デモもストもないわよ。いい加減あいつの馬鹿面には辟易してたところだし、わたしがお仕置きしてやれば少しはおとなしくなるでしょ」
実の所、ルイズとしてはこの決闘は願ったり叶ったりだった。私闘は規則で禁止されているものの、自分を馬鹿にしてくる連中を黙らせるのには丁度いい機会だ。一度のお咎めで今後の雑音を排除することができるのなら安いものだ。ここいらで自分の使い魔に戦わせてみよう。
「でさ、あんたなんて名前なの? まだ聞いてなかったけど」
「す、すいません。わたくし、シエスタと申します……」
「そ。ならシエスタ、今回は特別にあんたの厄介事をわたしが引き受けてあげるわ」
貴族であるルイズから発せられた言葉にシエスタと名乗った少女も含め、周囲は騒然となる。みな貴族が平民に肩入れするとは信じられないと言った表情であった。シエスタはかけられた救いの言葉に感極まったようで、手を胸の前に組みながらルイズに感謝の言葉を述べる。
「ほ、本当ですか!? あぁっ、ありがとうございます!」
「本当よ。ただわたしお腹すいてるから、昼ごはん持ってきてちょうだい。決闘するにしてもその後よ」
「は、はい! ただいまお持ちしますぅ!!」
シエスタは一目散に厨房へと走り去っていく。その後姿を眺めた後、ルイズはゴーレムを呼び、自分の席へと向かう。ゴーレムが食堂にのそりと入ってくると、扉付近に群がっていた生徒達は雲の子を散らすように逃げていった。昨日の夕食と、今朝の朝食で、もうすでに2度、目にしているはずなのだが、未だ慣れないらしい。遠巻きにひそひそと囁きあっているのが見える。
シエスタが昼食を運んでくると、有象無象の囁きなど気にもしないといった態度で、ルイズは食事を始める。このゴーレムがいる限り自分はゼロのルイズじゃない。ルイズにとってゴーレムとは自信の象徴だった。
ヴェストリの広場とは、魔法学院の敷地内『風』と『火』の棟の間に位置する中庭のことである。ここは学院の西側に位置するため、日中でもあまり日が差すことはなく、薄暗く常にひんやりとした広場だった。先程食堂で怒りを振りまいていたギーシュはここを決闘の場と決めた。
ギーシュは不機嫌の絶頂にあった。あの後、ギーシュの後を付いてきた友人達が脂汗を浮かべた顔でしきりに決闘するのはやめておけと言うのだ。ヴァリエールの使い魔のゴーレムは普通ではないと。
(この僕がゴーレムでの戦いで敗れると思っているのか!?)
そう、ギーシュは『土』のメイジであり、ゴーレムを駆使して戦う人間だった。その彼がゴーレムでの戦いで勝ち目がないと言われれば、プライドを傷つけられるのは想像に難くなく、事実ギーシュは友人達に抑えきれない怒りをぶつけていた。
(今までゴーレムを使ったこともない、落ち零れのゼロのルイズめ。偶然高位のゴーレムを召喚したからっていい気になりやがって! あんな図体がでかいだけのウスノロゴーレムなんてワルキューレでズタズタにしてやる!)
ギーシュは怒りで平静を失ってはいたが、自らの使うワルキューレ単体であのゴーレムに勝てるとは思っていなかった。自らの戦いの極意は7体のワルキューレによる波状攻撃。それならば、あの見るからに鈍重そうなゴーレムを屠ることなど容易い。ギーシュはそう考えていた。
昼食を取り終え、食堂を出て指定された広場に向かう間もシエスタはルイズとゴーレムにぴったりとくっ付いてきた。先程からいつまでもありがとうございます、このご恩は忘れません、だのとしつこく感謝の言葉を掛けてくるので、ルイズはいささかげんなりとしていた。貴族の少女に巨大なゴーレム、そして使用人の少女という酷く不釣合なトリオを組みながら決闘の場へと足を進める。
「諸君、決闘だ!!」
「ギーシュが決闘するぞ! 相手はゼロのルイズだ!」
どこから聞きつけたのか、ルイズ一行が広場に到着すると、そこには人だかりができていた。ギーシュの宣誓に盛り上がる観衆の声がルイズの鼓膜を震わせる。ギーシュはルイズの方向を向くと、怒りで歪んだ剣呑な表情を見せた。
「とりあえず、逃げずに来たことは褒めてあげようじゃないか」
「誰が逃げるってのよ」
ゴーレムを引き連れて現れたルイズは、何を馬鹿なことをと言わんばかりの態度で応酬する。
「さて、観客を待たせるのも申し訳ない。今すぐ始めようじゃないか」
ギーシュはそう言うと、やはり胸ポケットから一輪の薔薇を取り出し、さっと優雅に振り上げた。7枚の花びらがはらりはらりと宙を舞ったかと思うと、瞬時にして女戦士を象った人形の姿となった。
「『青銅』のギーシュ・ド・グラモン。7体のワルキューレでお相手する。君の使い魔もゴーレム、僕が使役するのもゴーレム。よもや数が不平等だなどとは言うまいね?」
ギーシュは挑発するが、ルイズはどこ吹く風であった。メイジと使い魔は心で繋がるもの。このゴーレムの心を感じることはできないが、強靭な体から力が発っせられているのを感じる。教師も力があると認めた使い魔だ。こんな優男ごときに負けるはずがない。根拠は薄いが、ルイズは自らの使い魔の勝利を確信していた。
「さあ、あの馬鹿を死なない程度に懲らしめてやりなさい!」
ルイズはゴーレムへと威勢よく命令する。主人の命令を受け、ゴーレムの瞳がにわかに明るくなる。ゴーレムの肉体に秘められた力の一端が今、解放されようとしていた。
ヴェストリの広場において甲冑を着込んだ女性を象った青銅色のワルキューレ7体と、鮮やかな真紅の鎧を纏った大柄なゴーレムが対峙している。
ギーシュが薔薇をさっと振ると、ワルキューレ達は赤いゴーレムを半円状に取り囲む。赤いゴーレムは、ルイズに召喚されてから初めて明らかな戦闘体勢へと入っていた。棍棒を腰溜めに抱え前傾姿勢を取り、いつ何時走り出せるようにとワルキューレ達を見据えている。
「いけっ、ワルキューレ!」
端正な顔に似つかわしい高めの澄んだ声でギーシュが命令すると、ワルキューレ達は赤いゴーレムを確実に屠らんと、一斉に行動開始する。ギーシュは3体のワルキューレを使い、3方向からの同時攻撃を仕掛けようとした。これで仕留められなかったとしても、相手は必ず体勢を崩す。それを見計らって、支援に回した4体のワルキューレによって、体勢を立て直す暇を与えずに連続攻撃を仕掛ければ、あの赤いゴーレムとて無傷ではいられまい。あとは7体全員で確実に仕留めればいい。
たとえあの巨大な棍棒が恐ろしい破壊力を持っていたとしても、当らなければどうと言うことはないのだ。見るからに鈍重な赤いゴーレムを前にし、ギーシュは速度重視の戦闘を取る自分の勝利を確信した。
しかし、そこで観客の誰もが予想しない展開が始まった。
「なっ……!」
ギーシュはまともな言葉を発することすらできなかった。余りの短時間に目まぐるしく変わる戦況に、人間の思考速度が追い付かなかったのである。
3方向から同時攻撃を仕掛けられたゴーレムは身を固めて防御するでもなく、どたどたと走り出すこともなかった。3体のワルキューレが肉薄し青銅の剣を振り上げた瞬間、その巨体には似つかわしくない速度で動き出したのだ。ゴーレムは地面をすべるようにして3体のワルキューレの包囲網を抜け、即座に背後へと回り込んだ。ワルキューレの3本の剣はむなしく空を切り、赤いゴーレムに対し完全に無防備な姿を晒してしまう。そして赤いゴーレムはその決定的な隙を見逃すことはしなかった。攻撃を回避されたため一箇所に集まってしまった3体のワルキューレ目掛け、豪腕に握られた棍棒を横方向へ薙ぐように目にも止まらぬ速度で振り切った。
ワルキューレは防御姿勢を取る間もなく、その攻撃を食らってしまう。青銅でできたワルキューレの体が、めきめきと音を立てながらまるで紙細工のようにひしゃげていく。3体のワルキューレは高速で空中へと打ち出され、観衆の頭上を飛び越え本塔の壁に折り重なるようにして激突した。
「……そ、んな。……しまったっ、散開するんだワルキューレ!」
己の使役するワルキューレが余りにもあっさりと返り討ちに遭い、ギーシュは一瞬茫然自失状態へと陥ってしまった。主人の忘我はワルキューレの完全停止を引き起こし、もはや取り返す事のできない隙を作り出してしまう。我に返ったギーシュが慌てて指令を出すも時既に遅く、残った4体のワルキューレもまた、まるで抵抗できない赤子が屈強な大人の男に捻り潰されるが如く破壊されていく。
あるものは全身を弾丸とした体当たりを受けて奇妙に捻れた体を地面に転がし、またあるものは縦に振り下ろされた棍棒を脳天から受け、地面にめり込んでいた。他の2体は、最初の3体と同じように空中へと打ち出され、遠くの校舎の壁に激突した。
「う、うそだろう……? こんな、こんな簡単に僕のワルキューレが……」
決闘に要された時間はわずか1分にも満たなかった。手だれの傭兵一個小隊に匹敵すると言われる7体のワルキューレがたった1体のゴーレムに、いとも簡単に倒されてしまったのだ。呆然としているのはギーシュだけではなく、先程までやんややんやと囃し立てていた観衆もまた驚愕を顔に貼り付けている。
圧倒的な力を見せ付けたゴーレムは最早ギーシュに抗う力は無しと見たのか、ただ静かに見つめているだけだった。そのような余裕すら見せ付けるゴーレムに、ギーシュはどうしようもなく喚き出したい思いに駆られる。しかし一蹴されたことで、ただでさえ無様な姿を晒しているというのに、これ以上ルイズ曰くみっともない真似はできなかった。悔しさに血が滲むほど唇を強く噛むと、ギーシュはぐっ目を瞑り手にしていた花びらを失った薔薇を手放す。薔薇はぱさりと地面へ落ち、そこでギーシュは敗北宣言をした。
「僕の、負けだ……」
ギーシュの敗北宣言に、広場は騒然となる。生徒の間ではルイズの魔法音痴ぶりは周知の事実であり、たとえ偶然から高位のゴーレムを従えることになったとしても、満足に操ることなどできないと考えられていたのだ。ただしそれは又聞きしたものや遠くから眺めていた者の意見であり、間近でルイズのゴーレムを見た者はみなその異様な威圧感に圧倒され、決闘の勝敗云々を口に出すものは少なかった。ギーシュの友人が必死に止めたのもそのためだった。
そして騒然となった広場にて一人、抑え切れない喜びにはしゃいでいるものがいた。赤いゴーレムの主人、ルイズである。
「やっったぁ! さっすがわたしの使い魔、めちゃくちゃ強いじゃない!」
ゴーレムに駆け寄り、その赤い体をばんばんと叩きながらルイズは全身で喜びを表現していた。確かに只者ではないと感じていた。根拠は無かったが、ギーシュに勝てるとも信じていた。それでもここまで圧倒的な力の差を見せ付けて勝利するとは、当のルイズも予想していなかったのだ。こんな強力なゴーレムを使い魔に出来るなんて、自分はなんと幸せなのだろう、とルイズは思わず始祖ブリミルの感謝の言葉を送る。
ルイズに付いてきて観衆にまぎれて決闘を見ていたシエスタは、やはり例に漏れず呆然としていた。ルイズが自分の厄介事を引き受けてくれるとは言ってくれたが、それは決闘に勝たなければ意味のない言葉だった。もし負けてしまえばきっと自分に厄が戻ってくると、シエスタは戦々恐々としていたのだ。しかし、余りにも決闘の時間が短かったため、はらはらするにも時間が足りなかった。
「ギーシュ、これに懲りて自分の責任を他人に押し付けるなんてみっともない真似するんじゃないわよ。たとえ相手が平民でもね。あんたもグラモン家ならそれに相応しい振る舞いをしなさい」
「……分かったよ」
「まったく、あんたみたいな軽薄男のどこがいいのかしらね? モンモランシーもケティって子も理解に苦しむわ」
ルイズがゴーレムに抱え上げられ、意気揚々と広場を去ろうとした時、後ろから呼び止める声が掛けられた。その声の主は俯いたギーシュだった。ルイズは怪訝な表情を浮かべる。
「ルイズ、君が僕をどう言おうと構わない。僕は紛れもない敗者なんだからね。でもあの二人の名誉を傷つけるような発言はやめて欲しい」
「名誉って、あの二人に男を見る目が無いのは事実じゃない。あんたみたいな男に引っかかってるんだから」
「いいかい、グラモンの家名に賭けて誓う。僕はあの二人のレディを傷物になどしていない。君は決闘の前に僕を侮辱したね。誰彼構わず突っ込むんじゃないと。でもそれは酷い誤解だ。マリコルヌも君も、他の連中も揃いも揃って誤解する。僕はそれが我慢ならない……!」
その後に続いたギーシュの言葉を要約すると、モンモランシーとケティに対し、性的な事に及ぶことはしていない。ということであった。あの時ギーシュはマリコルヌを始めとする取り巻きに、何人に手を出したのか、またその感想は何か無いか、などとしつこく質問責めにされて不機嫌になっていた。自分はそんなことをしてはいないと否定しても、そんなはずはないだろうといつまでも食い下がってくる。
そんな時件の小瓶を取り落とし、それを見てなるほどモンモランシーと付き合っているのか、と更に騒ぎ立てられた。その後はケティに酷い裏切りだと糾弾され、モンモランシーにも手酷い誤解をされた。
自分は手を繋ぐ、キスをする以上の行為は絶対に行わない。それは相手の未来に影を落とす原因になりかねないからだと、ギーシュは言う。自分が望むのは相手の幸せであって不幸ではないと、普段のギーシュからは想像もつかない真剣さで語っていた。
話を聞くうちに、ルイズの高揚とした気分は逆に落ち込んでいった。これでは自分が悪役ではないか。確かに自分は仲裁に入ったが、その時の挑発は完全に無用なものだった。あのような態度ではギーシュが激怒するのも仕方がない。ルイズは周囲の全ての視線が己を責めているように感じられ、俯いてしまう。
「使用人の彼女を責めてしまったのは僕の落ち度だ。どうしてもいらいらを抑えることができなかったんだ。できれば彼女にすまなかったと伝えて欲しい」
「……わかったわよ」
ルイズの声はか細く、いまにも雑音に掻き消されそうなほどであった。いまや、決闘に負けたはずのギーシュの方が誇り高く感じられてしまう。実際には見苦しい面も多々見せたのだが、潔く敗北を認める姿と、自分の頬を叩いた女性達の身を第一に考える姿勢に、ルイズは自分が余りにも卑小な理由で戦っていたことを自覚させられる。
「あと、最後にこれだけは言わせて貰うよ。僕は君に負けたのではない。あのゴーレムに負けたんだ」
「んなっ、何言ってんのよ! あいつはわたしの使い魔なのよ!?」
勝利まで否定され、流石にルイズは抗議の声を上げる。確かにこの決闘において、どちらの非が大きいかと言われれば間違いなく自分だろう。しかし決闘の勝利まで否定される謂れはないはずだ。こればかりは受け入れるわけにはいかない。
「確かに使い魔は主人の力を反映すると言われている。主人に力があればあるほど強力な使い魔が呼ばれると。しかし使い魔の力が全て主人の力というわけではない。主人と使い魔、二つの力が合わさってこそ、そのメイジの力と認められるんだ」
「そ、それがなんだってのよ」
「君はこの決闘でゴーレムに指示を出していたかい? いいや、していないね。君は最初に行けと命令しただけだ。後はあのゴーレムが自分で判断して戦っていた。使い魔に戦いを丸投げするメイジなど主人としての資格はない!」
追い討ちをかけるかのようなギーシュの言葉にルイズは言い返すことができなかった。言われてみればその通りだと改めて気付き、また今までそれを気にしていなかった自分にも驚いていた。この決闘は自分とギーシュが行っていたのではない。自分のゴーレムが全て片をつけてしまった。そこに自分は介入していない。勝利する為の寄与を何一つ行っていないのだ。
「僕はいつか自力で君のゴーレムに勝ってみせる。必ずその高みへと到達してみせる。僕が言いたいのはこれだけだ。それじゃあ失礼するよ」
ギーシュはそう宣言すると、マントを優雅に翻らせて広場から去っていく。先程の一連の会話を聞き、観衆のざわめきは落ち着いてきていた。そして圧勝したルイズ側へのやっかみも込めて、これ幸いとばかりにルイズに聞こえるよう中傷する者もいた。
そんな中、こっそりと決闘を眺めていたシエスタがルイズへと駆け寄り、俯き黙り込んでしまった少女に声をかける。
「あ、あの、ミス・ヴァリエール。ありがとうございます。……す、凄いですよね、あのゴーレム! あんなに強いなんてびっくりしちゃいました!」
何も反応を見せないルイズをなんとか元気付けようと、シエスタはわざとはしゃいでみせる。しかしそれでもルイズは何も言わず、とぼとぼと校舎へ向かって歩き出した。その後を、やはりゴーレムがのそのそとした動きで付いていく。先程の俊敏な動きからもとの鈍重な動きに戻っていた。
「ミス・ヴァリエール……」
シエスタの呟きは広場のざわめきに掻き消され、誰も耳にする者はいなかった。
学院長室にてオスマン、コルベール、ロングビルの3人が驚愕に目を見開いていた。コルベールがオスマンに事の詳細を説明している時に、ロングビルがヴェストリの広場で決闘騒ぎが起きていると報告しに現れ、当事者は誰かとオスマンが尋ねると、ギーシュ・ド・グラモンと今の今話し合っていたルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだと答えたのだ。
オスマンはコルベールは目配せをすると杖を振るった。すると壁に掛けられていた大鏡に件の広場が映し出され、学院長室から事の顛末を最初から最後まで眺めていたというわけであった。
「……余りにも力の差がありますね。ミスタ・グラモンは『土』のドットですが、ゴーレムを操る才能は侮れません。それをああも簡単にあしらってしまうとは……」
「うむ……」
コルベールの言葉はオスマンの胸中そのものであった。グラモン家とは長い付き合いなので、その息子達のことはよく知っている。確かにギーシュは兄達よりも劣るドットメイジだったが、ワルキューレの練成や、それらを使用した連携には目を見張るものがあったのだ。オスマンはコルベールともう少し話し合う必要があると考え、ロングビルへ指示を出す。
「ミス・ロングビル。学院としては理由はどうあれ私闘を認めるわけにはいかん。グラモンの馬鹿息子とヴァリエールの三女をここへ連れてくるのじゃ」
私闘を止めようともせずに観戦していた身としては苦しい理由だとオスマンは考えたが、とにかく人払いをする必要がある。ロングビルはやはり表情一つ変えずに、わかりましたと一言だけ言うと静かに退室した。ロングビルが去っていったことを確認すると、コルベールはオスマンへと話しかける。
「あの戦闘能力、やはりあれは伝説の使い魔『ガンダールヴ』だと思われます。記述にも残されておりますが、『ガンダールヴ』は主人であるブリミルを守護する為に一騎当千の戦闘力を持っていたとか」
「確かに先程の決闘を見る限り、グラモンのゴーレムを2倍3倍に増やしたとしても結果は同じじゃろうな」
「現代に蘇った『ガンダールヴ』……。やはり王宮に報告するべきではないでしょうか」
コルベールの進言にオスマンは顔を渋らせる。ここトリステイン王国は周辺諸国に比べ、軍事力において劣っている。最も古い歴史を持つということで未だ独立していられるが、一度ガリアやゲルマニアあたりの強国に攻め込まれればそう長くはもたない。慢性的な戦力不足に悩むゆえに、王宮は戦力になると踏めば徴発にかかる可能性が高い。そのような者達にこの件を報告することは肉食獣の前に肉をちらつかせるようなものだ。やはり、自らの預かる学院に在籍する生徒を差し出すような真似はできない。オスマンはそう結論付けた。
「いや、この件はしばらくわしが預かる。王宮への報告は折を見て行う。影響を考えると今報告するのは時期尚早じゃ」
「……わかりました。ということは、この件は他言無用ということですね?」
「無論そのとおり」
そろそろロングビルが二人を引き連れ戻ってくる時間だ。これ以上の議論はできない。そう考え議論を切り上げるとほぼ同時刻に扉が叩かれ、ロングビルとギーシュ、ルイズが入室してきた。
学院長室で学院長直々に絞られたルイズは、自室に戻ってくるとぼふんとベッドに飛び込んだ。あの後、今日は講義には出ずに部屋で頭を冷やしておれと言われ、そのとおりにしたのだった。
ベッドに潜りながらルイズは先程の決闘を思い返していた。ゴーレムは自分の力ではない。ただ神が気まぐれに与えたおもちゃで喜んでいた自分。自分は何も変わってはいない。結局魔法を使うこともできない無力なメイジということには違いないのだ。
(わたしは……結局落ち零れ……)
強力なゴーレムを使い魔としたことで自分は舞い上がっていた。確かにあのゴーレムはギーシュのワルキューレすら物ともしない強さを持っていた。だが、主人である自分はというと降って沸いた幸運に胡坐をかいていただけだ。
決闘前の自分がしていた酷い誤解と侮辱もまた、ルイズの顔に影を落とす原因となっていた。とどのつまり増長しきっていたのだ。それを自覚すると、ルイズの気分は際限なく落ち込んでいく。ギーシュに家名を汚さぬ振る舞いをしろなどと、どの口が言うのだろう。
その時、自室の扉が控えめに叩かれた。ルイズが黙っていると再度叩かれたので、鍵は開いていると一言だけ言ってまたベッドに潜り込んだ。
「あの、ミス・ヴァリエール。紅茶をお持ちしたのですが、大丈夫ですか……?」
訪問客はシエスタだった。遠慮がちに、ベッド潜り込んでいるルイズに声をかける。
「先程はその、本当にありがとうございました。ミス・ヴァリエールに助けて頂かなければどうなっていたことか……」
「……決闘したのはわたしじゃないわよ。あそこに突っ立ってるゴーレムよ」
ルイズは手だけベッドから出し、赤いゴーレムを指差す。シエスタが顔を向けると、主人が寝込んでいるのもどうでもいいとばかりに真紅のゴーレムがだんまりと佇んでいる。
「……わたしのやることって空回りばっかりだわ。ギーシュの誤解も、ゴーレムの強さに喜んでたのも……。わたしなんて結局何やっても駄目なのね」
「そ、そんなことありません! ミス・ヴァリエールは私を助けてくれたじゃないですか!」
「あれだって気が大きくなってただけよ。ゴーレムが無かったらあんなことできなかったわ」
「それでもっ、それでも私は救われたんです。誰も助けてくれない時にミス・ヴァリエールが助けてくれて、本当に私嬉しかったんです。……だから、そんなに自分を卑下なさらないで下さい。私まで悲しくなっちゃいます……」
平民相手に弱みを見せるなど、普段のルイズからは想像もつかない光景であった。常に気を張り、揚げ足を取られまいと努力してきたルイズが、格下である平民に愚痴を零すまでにルイズの精神は弱っていた。しかし、シエスタの言葉にほんの少しだけ救われた気分にもなっていた。ゴーレムは自分に従ってはくれるが、声を掛けてくれることは無い。今まで自分に優しくしてくれるのは、人の目が無い時の父親と、常にたおやかさを失わない姉のカトレアぐらいのものだった。
ベッドの中で少し潤んでいた目をごしごしと擦ると、ルイズはもそもそと這い出してきた。シエスタに紅茶を渡すように言うと、澄んだ紅茶の注がれたカップが手渡される。数口飲むとベッドの傍らに置かれているテーブルにカップを置いた。そしてシエスタにほんの少し、本当に少しだけ感謝を込めて礼を言う。
「……ありがと。紅茶、おいしかったわ」
「……! ありがとうございます。ご迷惑でなければ明日もお持ちしましょうか?」
ルイズが自分に礼を言ってくれてことにシエスタはつい嬉しくなってしまった。シエスタの心遣いに、ルイズはならお願いするわと言うと、またベッドに潜り込んでしまった。そんなルイズを見て、シエスタはくすりと微笑む。それでは失礼します、とシエスタが部屋を出ようとすると、ルイズに呼び止められた。
「……ギーシュがあんたには悪いことしたってさ。申し訳なかっただって」
シエスタも決闘の場にいたのでギーシュの言葉は聞いていたが、シエスタははい、と短く答えると静かに扉を閉めて立ち去っていった。シエスタの遠ざかる足音を聞きながら、ルイズはベッドの中で平民相手にあんな態度を取るなんてどうかしていると思ったが、何故か先程までの暗澹とした気分はほんの少し和らいでいた。
#navi(重攻の使い魔)
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第3話 『決闘未満』前編
ルイズが教室を爆破したことで、せっせと後片付けをする羽目になっていたその頃、トリステイン魔法学院図書館、フェニア・ライブラリ内において、一心不乱に書物を漁る人物がいた。始祖ブリミルがハルケギニアに新天地を築いて以来の、全ての歴史が納められたこの図書館は非常に広い。高さが30メイルにもなる書棚が所狭しと屹立している様は圧巻の一言であった。
その中でも、機密性の高い書物や、著された時代が非常に古く、固定化の魔法を施してなお劣化を止める事のできない書物のような、貴重な書物が収められているのがフェニア・ライブラリである。教師以外の立ち入りが禁止され、その教師ですらそうめったには足を踏み入れないエリアにて、しらみつぶしに書物を調べていたのはコルベールだった。
なぜ彼がそのように必死になっているのかと言うと、昨日ルイズが召喚したゴーレムの左拳に現れたルーンが気に掛かって仕方がなかったからである。ルーンは珍しいものであったが、スケッチを取ったその時は思い出すことができなかったのだ。その後、非常に古いルーンだということは思い出したのだが、細かいことはやはり記憶の霞の向こうにあった。
幸い今日、彼の受け持つ授業は午後からであったので、こうして朝食も取らずに日が昇る前から探し続けているのである。9時間ほど探しているのだが、中々お目当ての書物を見つけ出すことができず、昼食の時間も迫りつつある。流石に昼食まで抜くわけにはいかないため、後1冊調べて駄目だったら明日に回そうと最後の書物を手に取り、なんとも幸運なことにその書物こそがコルベールの探していた書物だった。
その書物は、始祖ブリミルとその四体の使い魔たちについて記された古書だった。あるページにてコルベールの手が止まり、そこに記されている一節と図説に目を通すと、彼の顔に驚きと納得の二つの表情が同居した。コルベールは軽く始祖ブリミルに感謝の言葉を述べると、件の書物を抱え、学院長室へ向かって急いで走り出した。
コルベールが本塔最上階に位置する学院長室の扉を叩くと、室内から重々しい声で入るように告げられた。扉を開き室内に入ると、正面の学院最高権力者に相応しい調度が施された机に立派な白髭を蓄えた老人が座り、その傍に緑色がかった金髪の女性が控えていた。
「失礼します、オールド・オスマン。少しばかりお耳を拝借したいのですが」
「おやコルベール君ではないか。要件は手短にな。わしは昼食を取らねばならんからの」
「は。できればミス・ロングビル……人払いを願えますか」
古書を抱え、かしこまったコルベールの態度にオスマンは感じる所があったのか、昼行灯とした表情から一転、他人に何事も言わせぬ雰囲気を纏った。オスマンは傍に控えていた秘書のロングビルに退室を命じ、室内の会話を聞くことを禁じた。ロングビルは特に渋る様子も見せず、素直に学院長室を出て行った。
「して何事じゃ。なにやらただならぬ雰囲気じゃが」
「これをご覧下さい。このページです」
コルベールは先程のページをオスマンへと見せる。
「これは『始祖ブリミルと使い魔たち』ではないか。また古臭い文献を引っ張り出してきおったな。これがどうかしたのかね?」
「実は昨日、ヴァリエール公三女の召喚の儀式に立ち会いまして、その時に召喚された使い魔に刻まれたルーンに関してお伝えせねばならないと思い立ち、こうしてお時間を頂いているのです」
ブリミル教の始祖に関する書物、そしてそれが関係するルーン。予想される結論に、オスマンの顔は一段と険しい表情となり、コルベールへと先を促す。
「詳しく説明するのじゃ。ミスタ・コルベール」
ルイズの錬金失敗による爆発により、瓦礫の山となった教室を片付け終えたのは昼休みの直前だった。キュルケは最初こそルイズを見張っていたが、どうにも退屈で仕方なかったのか、気が付けば姿を消していた。ルイズはこれ幸いとばかりにゴーレムを使って瓦礫の片づけを進めることにしたが、それでもなお瓦礫の量は膨大であり、結局昼食の時間を過ぎてしまった。もしゴーレムなしで片付けていたら夕方になっても終わらなかったに違いない。ルイズは普段犬猿の仲のキュルケが姿を消してくれたことに心底感謝した。あの気に食わない女でもたまにはいいことをするものだ。
いい加減空腹を感じていたので、昼食を取ることために食堂へと向かう。昼食の時間は過ぎてしまったが、無理を言えばおそらくありつけるだろう。ルイズはゴーレムに労わりの言葉を掛け、次いで自分を抱えるように命じた。ゴーレムは素直に厳つい左腕を差し出し、その上にルイズが腰掛けると、静かに立ち上がり食堂へ向かってのしのしと歩き出した。
「なにかしら。食堂が騒がしいわね」
食堂の前に着くと、なにやら室内でヒステリックに怒声を上げる男の声と必死で謝っている女の声が聞こえてきた。ルイズは男の声に聞き覚えがあり、なんとなくだが怒りの原因も推測できた。
ぴょんとゴーレムの腕から飛び降りると、ルイズは食堂の扉を開いた。すると目の前で長身金髪の優男が顔を真っ赤にしながら、使用人の少女を激しく叱責していた。優男の顔が真赤になっているのは怒りだけが原因というわけではなかった。その端正な顔の両頬には鮮やかな紅葉が咲いていたのである。
「申し訳ありません、申し訳ありません! わたくしはただ落し物をお渡ししようと思っただけなんです!」
「それが余計なことだというんだ! 君の浅はかさのために二人の女性の心が傷付いたんだぞ! そしてこの僕の名誉も傷付けた! この責任、どう取るつもりなんだ!?」
「も、申し訳ありません、申し訳ありません! どうか、どうかお許し下さい!!」
顔面を蒼白にしながら必死で許しを請う少女に対し、優男は糾弾の手を緩めることはなかった。何が何でも少女を許すつもりはないらしい。周囲の生徒は面白い捕り物でも眺めるかのように、遠巻きにはやし立てていた。
ルイズはうんざりとした表情を貼り付けながら、優男に話しかける。
「ちょっとギーシュ、なにぎゃあぎゃあと喚いてんのよ。みっともないったらありゃしないわ」
背後から声を掛けられたギーシュと呼ばれた少年が振り向くと、憤然やるかたないといった顔をしていた。みっともないと言われたことで更に怒りを加速させたようで、ルイズに傲然と噛み付く。
「ふん、ゼロのルイズじゃないか。魔法も使えないメイジが僕に声を掛けないで欲しいね。みっともないのは君の方じゃないのか?」
「魔法が使えないからってなんだってのよ。あんたみたいに逆らえない女をいたぶる趣味の男の方がよっぽど格好悪いわよ。どうせ二股がバレて引っ叩かれたんでしょう。ほんと学習能力の無い男ね」
「……口には気をつけたまえよ。君がヴァリエール家だからといって、ここじゃ特別階級じゃないんだ。何かあっても生徒間の問題で済むからな」
ギーシュの二つの紅葉を咲かせた顔は更に赤く染めあがり、見るからに怒りは頂点に達していた。その口はどうにも穏便ならない言葉を抑えきることはできないようで、感情に任せるままに言い返す。
「なに? それでわたしを脅してるつもりなの? あんたがその節操のない下半身をどうにかすればいい話でしょう。誰彼構わず突っ込んでんじゃないわよ」
ルイズの軽蔑を込めた揶揄に、ついにギーシュの怒りが炸裂したようだった。一段とヒステリックな怒声を上げる。
「いいだろう! ここまで僕を侮辱すると言うことはそれなりの覚悟があるんだろうな!? どちらが上なのか分からせてやるよ!」
ギーシュは胸のポケットから花を一輪取り出すと、さっと振り上げ声高に宣言した。
「決闘だ!!」
最後にヴェストリの広場へ来いと言い放ち、ギーシュが憤然と食堂を飛び出していくと、ルイズは思わず溜息をついた。怒りで周りが見えなくなっているらしいギーシュは、扉の外に立っていたゴーレムにすら気が付かなかったようだった。ルイズは何となく悔しい気分になっていたが、まあどうでもいいことであった。床にへたり込み、すんすんと泣き続けている少女に、とりあえず声をかける。
「あのさ、あんたなにやらかしたの? あいつが二股ばれたってのは間違いなさそうだけど、なんであんなに怒ってたのよ?」
「み、ミス・ヴァリエール……。その、実は……」
少女ははらはらと泣きはらしながら、訥々とこの騒ぎの原因を語り始めた。少女の話によると、ギーシュが香水の入った瓶を落とし、それに気付いた少女が拾い上げて渡そうとした。そのときギーシュは友人に異性関係を尋ねられ、何とかはぐらかしている最中だった。少女が拾った香水はどうやらモンモランシーと呼ばれる少女のものだったようで、それに気付いた友人達がモンモランシーと付き合っているのかと囃し立てた。運の悪いことにその場には二股相手のケティと呼ばれる少女が居合わせていたらしく、涙目でギーシュに詰め寄ると、別れの言葉と平手を叩きつけ、走り去ってしまった。更に今度は二股を知り怒り狂ったモンモランシーが、有無を言わさずギーシュに絶縁状を叩き付けた。そして一連の痴話喧嘩のきっかけとなった少女を糾弾していたと、そういう訳であった。
「ほんとに馬鹿じゃないのあいつ。全部あいつの自業自得じゃない」
少女の話を一通り聞こえると、ルイズは心底呆れ返っていた。
「わ、わたくし、もうどうすればいいか分からなくて……うくっ。い、一体これからどんな目に遭うのか……ひぐっ」
使用人の少女は尚も青白い顔のままぶるぶると震えていた。使用人、いわば平民は貴族に対し抗うことはできない。たとえ理不尽な糾弾だったとしても、平民はそれを受け入れるしか選択はないのだ。貴族と平民。その間には社会的地位や魔法の有無など、厳然たる壁が立ちはだかっている。
一介の平民がそのような貴族の怒りを買うということは、すなわち死を意味する。魔法であっさりと殺されるか、拷問にかけられて殺されるか。しかも酷い時には自分ひとりではなく、一族郎党処刑されることもありうる。もしくは殺さずに人身売買にかけられ、どこかの好事家の貴族に売り飛ばされてしまう。死なないにしても、人生と言う意味では死に等しい。使用人の少女は、自らの暗い未来に絶望し、恐怖に震えているのだ。
ルイズは別にこの件に関わる必要などなかったのだが、ゴーレムを使い魔としたことで気が大きくなっていることと、教室爆破の事後処理で不機嫌になっている所にギーシュの馬鹿げた怒りを目にしたことで、つい売り言葉に買い言葉で決闘騒ぎにまで発展させてしまった。とはいえ特にルイズは決闘の心配などしておらず、それよりも空腹が気になって仕方がなかった。
「あーもう、もう泣くんじゃないわよ。決闘を申し込まれたのはわたしだし、そもそも悪いのはあいつなんだから」
「で、でも……」
「デモもストもないわよ。いい加減あいつの馬鹿面には辟易してたところだし、わたしがお仕置きしてやれば少しはおとなしくなるでしょ」
実の所、ルイズとしてはこの決闘は願ったり叶ったりだった。私闘は規則で禁止されているものの、自分を馬鹿にしてくる連中を黙らせるのには丁度いい機会だ。一度のお咎めで今後の雑音を排除することができるのなら安いものだ。ここいらで自分の使い魔に戦わせてみよう。
「でさ、あんたなんて名前なの? まだ聞いてなかったけど」
「す、すいません。わたくし、シエスタと申します……」
「そ。ならシエスタ、今回は特別にあんたの厄介事をわたしが引き受けてあげるわ」
貴族であるルイズから発せられた言葉にシエスタと名乗った少女も含め、周囲は騒然となる。みな貴族が平民に肩入れするとは信じられないと言った表情であった。シエスタはかけられた救いの言葉に感極まったようで、手を胸の前に組みながらルイズに感謝の言葉を述べる。
「ほ、本当ですか!? あぁっ、ありがとうございます!」
「本当よ。ただわたしお腹すいてるから、昼ごはん持ってきてちょうだい。決闘するにしてもその後よ」
「は、はい! ただいまお持ちしますぅ!!」
シエスタは一目散に厨房へと走り去っていく。その後姿を眺めた後、ルイズはゴーレムを呼び、自分の席へと向かう。ゴーレムが食堂にのそりと入ってくると、扉付近に群がっていた生徒達は雲の子を散らすように逃げていった。昨日の夕食と、今朝の朝食で、もうすでに2度、目にしているはずなのだが、未だ慣れないらしい。遠巻きにひそひそと囁きあっているのが見える。
シエスタが昼食を運んでくると、有象無象の囁きなど気にもしないといった態度で、ルイズは食事を始める。このゴーレムがいる限り自分はゼロのルイズじゃない。ルイズにとってゴーレムとは自信の象徴だった。
ヴェストリの広場とは、魔法学院の敷地内『風』と『火』の棟の間に位置する中庭のことである。ここは学院の西側に位置するため、日中でもあまり日が差すことはなく、薄暗く常にひんやりとした広場だった。先程食堂で怒りを振りまいていたギーシュはここを決闘の場と決めた。
ギーシュは不機嫌の絶頂にあった。あの後、ギーシュの後を付いてきた友人達が脂汗を浮かべた顔でしきりに決闘するのはやめておけと言うのだ。ヴァリエールの使い魔のゴーレムは普通ではないと。
(この僕がゴーレムでの戦いで敗れると思っているのか!?)
そう、ギーシュは『土』のメイジであり、ゴーレムを駆使して戦う人間だった。その彼がゴーレムでの戦いで勝ち目がないと言われれば、プライドを傷つけられるのは想像に難くなく、事実ギーシュは友人達に抑えきれない怒りをぶつけていた。
(今までゴーレムを使ったこともない、落ち零れのゼロのルイズめ。偶然高位のゴーレムを召喚したからっていい気になりやがって! あんな図体がでかいだけのウスノロゴーレムなんてワルキューレでズタズタにしてやる!)
ギーシュは怒りで平静を失ってはいたが、自らの使うワルキューレ単体であのゴーレムに勝てるとは思っていなかった。自らの戦いの極意は7体のワルキューレによる波状攻撃。それならば、あの見るからに鈍重そうなゴーレムを屠ることなど容易い。ギーシュはそう考えていた。
昼食を取り終え、食堂を出て指定された広場に向かう間もシエスタはルイズとゴーレムにぴったりとくっ付いてきた。先程からいつまでもありがとうございます、このご恩は忘れません、だのとしつこく感謝の言葉を掛けてくるので、ルイズはいささかげんなりとしていた。貴族の少女に巨大なゴーレム、そして使用人の少女という酷く不釣合なトリオを組みながら決闘の場へと足を進める。
「諸君、決闘だ!!」
「ギーシュが決闘するぞ! 相手はゼロのルイズだ!」
どこから聞きつけたのか、ルイズ一行が広場に到着すると、そこには人だかりができていた。ギーシュの宣誓に盛り上がる観衆の声がルイズの鼓膜を震わせる。ギーシュはルイズの方向を向くと、怒りで歪んだ剣呑な表情を見せた。
「とりあえず、逃げずに来たことは褒めてあげようじゃないか」
「誰が逃げるってのよ」
ゴーレムを引き連れて現れたルイズは、何を馬鹿なことをと言わんばかりの態度で応酬する。
「さて、観客を待たせるのも申し訳ない。今すぐ始めようじゃないか」
ギーシュはそう言うと、やはり胸ポケットから一輪の薔薇を取り出し、さっと優雅に振り上げた。7枚の花びらがはらりはらりと宙を舞ったかと思うと、瞬時にして女戦士を象った人形の姿となった。
「『青銅』のギーシュ・ド・グラモン。7体のワルキューレでお相手する。君の使い魔もゴーレム、僕が使役するのもゴーレム。よもや数が不平等だなどとは言うまいね?」
ギーシュは挑発するが、ルイズはどこ吹く風であった。メイジと使い魔は心で繋がるもの。このゴーレムの心を感じることはできないが、強靭な体から力が発っせられているのを感じる。教師も力があると認めた使い魔だ。こんな優男ごときに負けるはずがない。根拠は薄いが、ルイズは自らの使い魔の勝利を確信していた。
「さあ、あの馬鹿を死なない程度に懲らしめてやりなさい!」
ルイズはゴーレムへと威勢よく命令する。主人の命令を受け、ゴーレムの瞳がにわかに明るくなる。ゴーレムの肉体に秘められた力の一端が今、解放されようとしていた。
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