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ゼロの魔王伝――11
トリステイン魔法学院の『火』と『風』の塔の中間にあるヴェストリの広場に集った生徒達は、中天に燃え盛る太陽が雄々しく輝いているというのに、まるでそこに静夜にほの白く輝く月が灯った様な錯覚を覚えていた。
だが、果たしてそれは錯覚であったかどうか。降りしきる太陽の光の中でその深みを増す漆黒の衣装。星一つ輝いていない夜の闇を思わせるロングコートから覗く手、首、そして顔の白は、自ずから輝いているかの様。
傍らにはマントの裾が破れ、ブラウスやスカートを汚し、典雅さの漂う鼻梁から赤い筋を垂らしている桃色の髪の少女があった。
その清冽な心を闇夜に輝く月に祝福された少女か。奈落の底の様に深い夜の奥に棲む魔性に捧げられた生贄の少女か。
どちらも相応しく、どちらでもない二人であった。
ルイズとD。交わらぬ筈の運命を交錯させた二人である。
海を割り、迷える民を導いた伝説の聖者の如く生徒達の壁を左右に除け、主たるルイズの傍らに立ったDを恐れてか、いや、その美貌に心打たれて、ギーシュはルイズに襲いかからせようとしていたワルキューレを動かす事を忘れていた。
使い魔召喚の場で、食堂で、教室で、その姿を目にした者達がDにそそぐ恍惚。その只中で、ルイズはDが傍らに居る事が、ひどく自分の胸を高鳴らせるのを感じていた。
ワルキューレに散々痛めつけられた体は、今もひっきりなしに痛みを訴えていたが、それらを押しのけて、自然と頬がほころびそうになるのを、ルイズは必死に堪えなければならなかった。
――私の事なんかどうでもいいなんて態度を取っていたくせに、こうして傍に居てくれるなんて、ちょっとずるい。ううん、ちょっとじゃない、とってもずるい。
そんな事をされたら期待してしまうではないか。Dにとって、自分が少しは関心を引く相手なのだと。意識を向けるのに値する人間なのだと。
ルイズの胸中の想いを知ってか知らずか、Dはルイズの決闘相手を見ていた。フリルのついたシャツに紫のスラックスを身につけ、薔薇の造花を模した杖を持った金髪の少年だ。
それなりに整っている顔立ちは、持ち合わせた血統が付与する高貴さとあいまって、口を閉ざしていれば声を掛けてくる女の子に困る事はあまりないと見える。
今は突如姿を見せたDの美貌に視線をくぎ付けにされ、やや呆とした表情になっているが、つい先ほどまではルイズの意地と矜持と覚悟とに小さくはない感嘆の色を浮かべていた。
Dが口を開いた。ルイズとギーシュの双方に問いかけるような口調であった。
「この決闘におれが手を出す事は作法に反するか?」
その言葉に我を失いかけていたギーシュが目を瞬かせて正気を取り戻し、Dの顔から視線を強引に外して答えた。頬は熟した林檎のように赤い。老若男女を問わぬDの魔貌の威力であった。
「いや、君はルイズの使い魔だ。使い魔を決闘に用いる事は予めそう取りきめていない限りは問題ないだろう。それにこのワルキューレはぼくの魔法だ。そして君はルイズの魔法によって召喚された存在。
貴族が自分の魔法の成果を用いて、なんの問題があるだろうか。他の誰かが文句を着けても、決闘の相手たるぼくが認めるよ」
「君の使い魔は?」
「生憎、ぼくの可愛いヴェルダンデは戦闘向きじゃないのさ。それに数では七対二、ぼくが有利だよ」
「そうか」
ギーシュは七対『二』と言った。すでに力無く、Dに支えられなければそのまま倒れていただろうルイズを、いまだ打倒すべき敵として認めているのだ。たとえ爪牙を剥く力無くとも、決着がつくまでは敵としてみなしている。
彼は杖を交え、血を流し、屍を築き、戦場で武勲をあげて貴族としての高名を勝ち取った武門の家の子であった。体に流れる血が、ギーシュにルイズを誇り高い『敵』と認めさせている。
Dがルイズを振り返った。ギーシュの心意気を察してか、ルイズは柳眉をきりりと引き締め、凛とギーシュとワルキューレを見据えている。
自分が思っていたよりも気高かったギーシュに対し、相応の態度であらねば、この決闘を汚す事になると悟っていたからだろう。首に刃を添えられても、命乞いも恐怖も見せぬ勇者の様に凛々しく、誇らしく。
Dの腰の辺りに垂らされている左手から愉快愉快と忍び笑いを堪えた声がこう言った。
「思ったよりも骨のあるガキじゃ」
それはルイズに向けてか、ギーシュに対してだったか。あるいは二人に対してだったかもしれない。
「しかし、お嬢ちゃんが一人でどこまで出来るか見守るのが筋かと思うとったが、わしが止める間もなく割り込むとはの。無粋のそしりも甘んじで受けるしかないのう」
「……」
シエスタにルイズの危機を伝えられてから一向に動こうとしなかったDが、なんの気まぐれかこのヴェストリの広場に足を向け、ルイズが一体目のワルキューレを倒す光景を見ていたD。
そのDが、新たに六体のワルキューレが姿を見せた時、傍観者から立場を変えた事を揶揄しているのである。口と態度でルイズに対して酷薄な対応をして置いて、これか、と底意地の悪い意図で口を開いているのだ。
「けけけ、なんじゃ、お前やっぱり心根がウツクシクできておるの。女子供の危機には体が動くか?」
Dはとことん根性のねじり曲がった老人の声には答えず、まだふらふらと揺れているルイズの横顔を見やった。目立った外傷こそないがそうとう痛打を浴びせられたのか、時折激痛にその可憐な顔を歪ませている。
「周りは引き受ける。彼とは君が決着を着ける。それでいいな?」
「ええ。それ位は私の手でしないといけないから」
「分かった」
改めて双方の役割を確認し、ルイズとDはそろってギーシュに目を向ける。こちらはいつでもいい。好きな時に戦いを再開させろと、四つの瞳が静かに告げる。
くっと、自分の唇がつり上がっているのにギーシュは気付いていた。実際問題、ルイズはともかく、その傍らに立った使い魔は見慣れぬ格好だが背に負った長剣からして貴族――メイジの類でないことは明らかだ。
であるならば、メイジとしては最低レベルのドットであるギーシュといえど平民を相手に負けるはずはない。自惚れでも何でもなく、平民と貴族とにはそれだけの壁がある。それがこのハルケギニアの理であった。
だが、あの美という概念が生物となったような若者から滲む気配はどうだ。こうして対峙しているだけで全身の毛穴と言う毛穴から、恐怖がねっとりとした液体に変わって沁み込んでくるようだ。
鳥肌を立たせる余裕も、冷や汗を流す余裕も許さぬ途方もない凄絶な気配。それをごく当たり前に纏っている。
目の前のルイズの使い魔は、ギーシュは会った事はないがスクウェアメイジにも匹敵する、自分には抗いようのない存在なのではと思えてならない。
だからといって負けた時の慰めや言い訳にはならぬし、またそうするつもりもない。ギーシュは、Dから感じる恐怖の故に美の恍惚による緊縛から逃れられていた。
薔薇の造花を口元に引きよせ、それを優雅に胸元へと移しながら軽く頭を下げる。彼なりの決闘の作法であった。ルイズに対して既に一度行い、そしていままたその使い魔へと礼を取る。
貴族が、使い魔に対して礼を取る。そのことを驚く意識は、周囲の生徒達にはなかった。突如出現したルイズの使い魔のその美貌に心奪われ、D以外の事象に意識が向いていないからだ。
この時、正気を保てていたのは決闘の当事者たるルイズとギーシュ、そして片手の指で足りるほどの一部の見学者達のみ。
使い魔を相手に礼を取る事を、ギーシュは恥とは思っていなかった。決闘の相手である以上、メイジも使い魔も等しく敵であった。
戦働きによって大貴族の地位を得た一族の血には、かつて誇り高く決闘を行っていた時代のメイジ達の気概が、今も滔々と流れていた。
「ギーシュ・ド・グラモン。グラモン家の家名と自らの誇りに掛けて全身全霊でお相手しよう」
Dが、この青年の気性を考えれば小さな奇跡の様にギーシュに答えた。礼に対して礼を返さぬ青年ではないようだ。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが使い魔、D」
「今の所はの」
と左手がオチのように付け足してから、ギーシュはDの名を噛みしめる様にして瞳を閉じ、再び開いた時には戦意の炎を猛々と燃やしていた。
ルイズはDが自分のフルネームを覚えてくれている事に、望外の歓喜を覚えていたが、Dの右手がゆっくりと背に負っていた長剣に伸びるのを見て、息を呑んだ。
思えば、尋常ならざる気配故に相当の腕の持ち主と勝手に思い込んでいて、実際にこの青年がどれだけの実力を持っているのか、その片鱗さえも知らない。
それでも、メイジに魔法の使えぬ貴族が叶う筈はないと、これまでのルイズの常識は告げている。
しかし、この青年はルイズのこれまでの常識と日常からはかけ離れた存在だ。この青年が自分の常識を打ち壊す存在だと、ルイズは無意識に期待し、また等しく恐れてもいた。
ワルキューレが動いた。Dまで三メートルの距離に居た三体が、三方からDの前と左右を固めて同時に襲いかかる。太陽の光を鈍く反射しながら、青銅の女戦士達は俊敏な動きを見せていた。
ゆるゆると持ち上げられていたDの右手が、ようやく長剣の柄を握った。ワルキューレは徒手空拳。貫手、拳。手刀と変えたそれぞれの腕を容赦なくDへと突き立てるべく一挙に踏み込む。
ワルキューレの拳が届く位置まで迫ってなお長剣を抜き放たずにいるDに、ルイズが喉の奥からか細い悲鳴をあげんとし、その鳶色の瞳を一筋に銀光が流れた。
Dめがけて一足に飛びかからんとしていたワルキューレ達が動きを止め、数瞬の間をおいて金属の擦れる甲高い音を立てて、それぞれ左胸から右腰に掛けて斜めにずれ始めた。
内部の空隙を覗かせながら、青銅の乙女たちはがらがらと音を立てて力無く地面に崩れ落ちる。瞬き一つする間に起きた出来事に、事態を呑みこめぬルイズがDの右手に握られた長剣に気づき、あ、と声をあげた。
Dから目を離さずに見つめていたというのに、いつこの青年が背から長剣を抜き放ったのか、そして三体のワルキューレを斬って捨てたのか、その斬撃の影さえも瞳に映す事は叶わなかった。
Dの右手に握られた長剣は、ハルギニアに来る直前に貴族(Dの世界の)によって刀身を半ばから砕かれている。それでもおよそ七十サントほどは刃が残っていた。
研ぎ澄まされたようなワルキューレの断面は、その縁に指が触れたら血の球を結ぶほどに鋭い。誰の目にも止まらなかった剣速と、この事実を持ってDの一刀の威力を推して量かるべし。
Dが無造作に歩きはじめた。斬り捨てたワルキューレには一瞥もくれず、悠々と、散歩でもするかの様にギーシュへ向かって音もなく歩み寄る。暗い冥府の底から遣わされた使者の如く、Dの黒影はギーシュへと迫った。
呆然とその姿を見つめていたルイズが、慌てて後を追った。ギーシュの眦が険しさを増した。目の前の若者が尋常ならざる敵と全細胞が改めて認識する。
「ワルキューレ!」
ほんの数秒の間に数を半分に減らしたワルキューレが、ギーシュの魔力と命令を受けて動いた。先頭のワルキューレがDの歩みを止める為に飛びかかる。両手を広げ、その視界を埋める様にして跳躍。
左右にかわしても、迎え撃っても、残るワルキューレがDを打つ。三対一の数の利を活かさずしてこの若者に抗し得ようか。また、三体のワルキューレを一瞬で全て斬り捨てたDの剣を警戒し、三体それぞれがわずかな時間差を持って動いていた。
Dは構わず歩いている。闘争の場に居るとは思えぬゆっくりとした歩調だ。そのDの後に続くルイズの心には、Dがいれば大丈夫だという安堵と信頼のみがあった。
目の前の美しい青年が、いつもこうして、立ちはだかる敵を倒し、歩き続けてきたのだろうと感慨に耽る余裕さえあった。
灼熱の陽光が降り注ぎ、乾いた風が吹く砂漠も。
あらゆる生命の死に絶えた荒涼漠々とした荒野も。
道行く者全てを氷の中に閉じ込めようと凍えた風の吹く白銀の世界も。
この若者は、常にこうやって歩き、そして見続けてきたのだろう。
ぎしり、とルイズの耳に一つの音が届いた。Dの折れた長剣が飛びかかってきたワルキューレの胸を貫いた音だ。青銅が綿か紙にでも変わったように易々と刃は貫き、そのまま貫いたワルキューレを右方から迫っていたワルキューレに叩きつけた。
Dの世界の貴族は概ね五十人力を誇るとされ、人との間に生まれたダンピールはその半分ほどの膂力を持つという。
ならば、Dにとって軽量化の為に内部を空洞にしてあるワルキューレを片手で持ち上げ、振り回す事など造作もなかったろう。
高速で動いていた物体同士が衝突する悲惨な音を立てて、二体のワルキューレがお互いを潰し合う。投げつけたDの力がどれほどのものであったか、二体のワルキューレはどちらとも微細な欠片となって砕け散っていた。
鼓膜を揺する音に思わず眉をしかめたルイズの視界に、再び一文字に輝く銀の光が映る。言わずもがな、Dの横薙ぎの一閃である。
折れた切っ先を右手側に流したDの左手側から迫るワルキューレへ、最遠の位置にあった刃が、一条の光となって襲いかかった。
跳躍したワルキューレの拳がDの頬に届く二十サントほどの距離に到達したとき、右下方からワルキューレの胴体を斜め上方に折れた長剣が横断し、真っ二つにされたワルキューレの胴が空中で左右に別れて、そのままDの後方に墜落した。
数えて一分にも満たぬ間に0へとその数を減らしたワルキューレに、ギーシュは半ば信じられない、半ばやはり、という複雑な思いを噛みしめていた。
やはり、自分の力が及ぶ相手ではなかったか。結局、後者の思いの方がはるかに強くギーシュの心を占めた。
未熟なギーシュではワルキューレの七体製造と操作だけで魔力は打ち止めだ。後は魔法の使えない平民同様に自分の肉体しか武器は残っていない。
Dが、ワルキューレの最後の一体を倒した所で足を止めた。長剣は抜き身のまま右手に提げている。全幅の信頼を寄せる騎士と姫君の様にDの後に続いていたルイズを振り返り、言葉少なに告げた。
「あとは君の出番だ」
「はい」
Dの言葉を受け、ルイズはDの傍らを過ぎ、まっすぐにギーシュへと歩きはじめる。決闘の決着こそ付いていないが、ワルキューレとの戦闘を終えたDにこれ以上すべきことはない。
ギーシュをDが倒してしまったら、それこそギーシュとルイズ双方の決闘への意気込みを踏み躙る行為だろう。それをしないだけの思慮は、Dにもあった。
Dに見送られて、ルイズはギーシュと対峙した。伸ばせば互いの手が届く距離であった。
体が痛い。あちこち痛い。今は止まっているけど鼻血も出た。体中痣だらけ、内出血もしている。口の中に鉄の味が広がっている。ふらふらと視界は定まらないし、まったく何でこんな事になっているのだろう? まったく、まったく。
「また笑っているね?」
とギーシュ。すでに魔法は打ち止めの筈だが、表面上は変わらず冷静に、かすかに気障を交えた態度のまま。
ルイズは、このクラスメイトが思っていたよりもずっと肝の据わった男だと感心していた。
「なんだかすごく馬鹿らしくって。昨日、ううん、ついさっきまでこんなに痛い目にあうなんて思ってもみなかったわ」
「だろうね。ぼくも君と決闘するなんて思わなかったよ」
ルイズに怪我を負わせた張本人だろうにギーシュは、まったくもって同感だと笑う。互いの声には奇妙な清々しさばかりがあった。
「でも、一番おかしいのは」
「うん?」
「今、私は、すごく気分がいいって事よ!」
ルイズの握り拳が重くギーシュの左頬を抉った。平手ではなく力一杯握りしめた拳である。が、と重い音を立ててギーシュの首が右に捩じれた。捩じれた首を戻しながらギーシュが答えた。声がひどく楽しげだった。
「奇遇だね。ぼくもだ!」
薔薇の造花を胸ポケットに戻しながら、ギーシュの右手がルイズの頬を張った。こちらは平手であった。見る間にルイズの頬は赤い紅葉の葉の様に腫れた。
「女の顔に手を出してんじゃないわよ!!」
返すルイズの左拳がものの見事にギーシュの下顎を真下からカチ上げる。唇を切り、見る間に赤く下顎を濡らすギーシュが、さらにルイズに返礼を見舞った。
「決闘に、男も、女も、ない!!」
仰け反った首を勢いよくふり、ルイズの形の良い額に思い切り自分の額を叩きつける。お互いの視界の中で火花が散り、思わず両手で額を抑えて苦痛を堪える。
「~~~~~~痛いじゃないの!!!」
野の獣のバネを乗せて、ルイズの右膝がギーシュの鳩尾を深々と抉った。くの字に体を折り、げほ、と空気を吐くギーシュが、体を折った姿勢のままルイズの左足にタックルをかまし、その体を地面に押し倒した。
馬乗りにされるのを嫌ったルイズがギーシュの顔を殴りつけて爪を立て、ギーシュも恥も外聞もないとばかりにルイズの手首を掴み動きを止めようと奮闘していた。
まったく貴族らしからぬ泥臭い二人の様子を、呆れたようにDの左手の老人が見ていた。かつて人間の世界で一世を風靡していた拳闘という格闘技を例えに出してこう評した。
「まるで四回戦ボーイの泥仕合じゃな。というかただのガキの喧嘩じゃわい。ま、その方がらしいがなぁ。そういえば、お前の手の甲のルーン、微小な反応を見せておるが、なにかあったか?」
「この長剣の使用方法や戦闘手段が流れ込んできた」
「お前にとっては意味がないにもほどがあるの。しかし、コンマ一パーセント以下じゃが身体能力の向上もある。ま、あって損はなしかな」
Dは、ごろごろと転がってマウントポジションをせわしなく交代しながら、爪を立てて噛み付き、殴り合う二人の様子を静かに見守っていた。
「しかしなんじゃな。鍛えれば一流の戦闘士になれそうなお嬢ちゃんじゃ。お前を呼んだだけあるかの。そういえば気付いとるか? さっきから誰ぞ遠隔視しておるぞ。ESPやメカの類ではあるまい」
「学院の責任者だろう」
「というかそれ位しか選択肢がないの。気付いているふりはするなよ。いざと言う時に、こっちの事を甘く見られていた方が油断を誘発しやすい。寝首を掻く真似をせねばならなくなるやもしれんしな」
やがて、周囲の生徒達もちらほらと影を減らす頃、ようやくDが右手の長剣を背の鞘へと戻した。冷たい鞘鳴りの音を立てつつ、地面に転がって気絶しているルイズの華奢な体を抱き上げた。
尻餅をつき、顔じゅう腫らしたギーシュを見つめ、決闘の勝者に言葉をかけた。
「君の勝ちかな」
「はは…………いや、まったく勝った気がしないな。なあ、君」
「……」
「この勝負、引き分けにしてはもらえないだろうか? なんというか、そうした方がいい気がするんだ。ぼくにとってもルイズにとっても。最初から君がいたらぼくの負けだったろうし、君が来なかったらぼくの勝ちだったろう」
「だから間を取って引き分けと言う事かの?」
それまでの若々しさの中に鉄の響きを交えていた声が、突如老人の声に変わった事に驚きながら、ギーシュはすこし恥ずかしげに肯定した。次があったらぼくの完敗かな、と思っていた。
「そうしてもらえると助かる」
「伝えておこう」
今度は元の寂びた青年の声であった。
「恩に着るよ。それと、メイドの彼女と、ケティとモンモランシーにはちゃんと謝っておくと、ルイズに伝えておいてくれ」
「決闘に負けたらそうするのではなかったか?」
「途中で頭が冷えてね。勝っても負けてもそうする事に決めていたよ」
両手にルイズを抱え、いわゆるお姫様だっこをしているDが、周囲の観客の中の一人を顎をしゃくって示した。
「先にこの場で一人済ませておけ」
「そうするか」
はは、と力無く笑い、ギーシュはよろよろと立ちあがってDが示した先で、怒りと心配を半々にして見つめている見事な巻き毛の少女――モンモランシーの方へと歩きはじめた。
ギーシュに気づいたモンモランシーが慌ててギーシュの傍に駆け寄り、ゆらゆらと定まらぬギーシュの体を支えて何か言葉を交わし合い始めた。
その様子を見つめてから振り返り、決闘に割り込んだ時と同様に、左右に割れる生徒達の道を悠々と歩き、Dはルイズを保健室へと運んだ。ルイズを見つめる黒瞳は、心なしかいつもよりも、かすかに暖かいモノを帯びていた。
その様子を、『遠見の鏡』と呼ばれる遠隔地を鏡面に映すマジックアイテムで眺めていた二人が居た、魔法学院学院長室の主オールド・オスマンとコルベール教諭だ。
コントラクト・サーヴァントの折に、Dの左手に刻まれた珍しいルーンが気になり調べていたコルベールが、それが伝説の虚無の系統の使い魔ガンダールヴであると突き止め、オスマンに報告にきたちょうどその時に決闘騒ぎが起き、それを見ていたのである。
「ふうむ、結局ミス・ヴァエリエールの使い魔はグラモンとこのバカ息子のワルキューレを斃したっきりか」
「でで、ですが、メイジでない者が貴族に勝ったのは一大事ですぞ」
まだ脳裏に残る美貌の残鋭に、渇いた肌をうっすらと桃色の染めながら、オスマンが口を開き、同じように恍惚としていたコルベールが慌てて告げる。老人と中年の二人が頬を染めあっている光景は気味が悪いことこの上ない。
「では問うが、君はDくんがただの平民だと思うかね?」
「……いいえ。ディテクト・マジックで調べてみましたが魔法の反応はありませんでした。ですが、なにか途方もないモノを秘めた人間、いや存在だと確信しております」
「ふむ。『炎蛇』としての意見かの?」
『炎蛇』と呼ばれた瞬間、コルベールは温和な顔つきに果てしなく暗い影を這わせたが、それをすぐに払拭した。
「学院長が感じているものと同じものを感じています。彼は、異質すぎます。我々と同じ形をしていながら、あまりにも違うのです。言葉にできませんが強いて言うならば魂が理解しているのです。彼は、違うと」
「その“違い”がミス・ヴァリエールを不幸にせんと良いがな。のう、コルベール君、率直に言ってわしは恐ろしいのじゃよ」
「彼が、ですか?」
「うむ。あの美しさでこの世界を歩き回った時、何かわしらには理解できない恐ろしい事が起きそうな気がせんかね? そしてわしらはそれが起きたという事も理解できず、それが解決した事にも気付けぬのじゃ。
わしらが何も知らぬ間に全ては解決し、決着を迎え、気づいた時にはわしらは全員墓場の土の下におる。そんな気がするのじゃよ。まこと、美しさと恐怖は同じ意味なのかもしれんなあ」
「たしかに、そうかもしれません。この事は王室には知らせぬ方が良いでしょうな」
「ふむ。王家の血に連なるヴァリエール公爵家の令嬢が伝説の使い魔を呼んだとあっては、どんな事に利用するか分かったものではない。決して口外してはならぬぞ」
「はい。しかし、伝説の使い魔ガンダールヴ、言い伝えではその力は千人もの軍隊を壊滅させたとありますが、ギーシュに勝ったのはその力でしょうか?」
「さてなあ、直感を信じるならDくんの実力であろうが、使い魔として得た力で勝ったという方がまだマシかもしれん。始祖ブリミルの使い魔か。伝説のガンダールヴも、彼の様に美しかったのかのう?」
「それは……」
と二の句を告げぬ間に、オスマンとコルベールは脳裏に蘇ったDの美貌に恍惚と酔いしれた。幸福な夢の世界へ首までつかり、二人が正気を取り戻すのはそれから二時間後の事であった。
ギーシュとの決闘騒ぎの途中で気を失ったルイズは、瞼を明るく照らす朝の光で目を覚ました。湿布や包帯が体中に巻かれている事に気づき、自分が決闘の途中にあった事を思い出して上半身を起こした。
鈍い痛みがじんわりと体の中で広がり、ルイズは思わず歯を食いしばった。途中でDが姿を見せて、ギーシュのワルキューレをあっという間に倒して、そして自分は魔法が打ち止めになったギーシュと取っ組み合いの喧嘩を始めたのだ。
今思い出しても到底貴族の決闘とはいえぬ行いだったが、それでも自分の全力を出し切ったという思いは残っている。しかし、その途中で記憶が途絶え、自分がこうしてベッドの上で寝かされているという事は、自分が負けたのだろうか?
う~ん、う~んと唸っていると、不意に窓から差し込む光が陰るのに気づいた。遮った影に目をやれば、そこにはあの美しすぎでルイズ困っちゃう、などと考えた事のある使い魔――Dの姿があった。
左手に折れた長剣を下げて、いつもどおりのロングコートに旅人帽姿だ。目を覚ましたルイズに目を向けて
「おはよう。体の具合はどうだ」
と至極まっとうな質問をしてきた。そのDの瞳に映る自分に気づき、ルイズはしばし呆然と見惚れていたが、なんどか眉間を揉んで自意識を復活させる。
いちいち見つめられただけでこうなってしまうのを、どうにかしないと、とルイズは切に思った。
「だだ、大丈夫よ。ほ、ほら、もうこんなに元気だもの」
とその場でベッドの上に立ち上がろうとし、びきりと体に走った痛みにへなへなと腰砕けになってしまう。あうあうと涙目になっているルイズにDが近寄り、ルイズが気付く間もなくその額に左手の掌を押しつけた。
なにやら小人に口づけでもされるような感触が額に触れるや、頭のてっぺんから爪先までなにか暖かいものが流れ込み、ルイズの全身から痛みを一時奪い去ってゆく。
眼を丸くして驚くルイズが、離れて行くDの左手の掌に浮かぶ人面疽に気づいて、ぱくぱくと酸欠の魚の様に口を開いては閉じる。その様子を面白げに左手の老人が笑った。
「ディディディ、D!? 左手、左手、人人、人の顔が浮かんでる!!」
「人面疽という奴だ。見た事や聞いた事はないのか?」
「なななな、無いわよ! そそ、そんな気色の悪いの!?
「失礼なやつじゃ。左手さん、と敬意を込めて呼ばんかい」
「しし、しかも生意気だし!? ていうか、なにそれ! 寄生されているの!? か、体、操られたりしてないの、大丈夫なの!」
「うるさい以外は問題ない」
「けー、いままで散々わしの世話になっておいてそれか。世も世知辛いわ。お嬢ちゃんの痛み止めをしたのもわしじゃぞ? 礼の一つも言えんのかい」
「へ?」
そう言われてみると、先程左手が額に触れてから体の中を駆け巡っていた痛みが潮の様に引いている。おそるおそる腕を回し、首をめぐらせてみても、痛みが走る事はない。
「感謝せんかい。本来ならあの水のメイジ連中の『治癒』でも三日は寝たきりの所を、わしがちょちょいと弄くったおかげで、丸一日寝ただけで目を覚ましたんじゃからの」
「……弄くったってなによ?」
弄くった、という部分のいやらしい口調にルイズが眉をしかめた。
「お嬢ちゃんの胸が著しく発育するように成長ホルモン関係を弄くった」
「本当!?」
光の速さで自分の乳房を確かめたルイズは、変わらずそこでなだらかな丘陵地帯を描いている白い乳房を見た。無言でDの左手を見つめた。今にも泣き出しそうな、癇癪を起して大爆発を起こしそうな、噴火寸前の火山の様な、実に複雑な顔をしている。
胸の中に秘めていた――何度見てもやはり小さい――乙女の夢を踏み躙られたのだからしかたの無いことかもしれない。
「う~~~~~~~、う~~~~~~~~~」
「ほっほっほっほっほっほっほ、睨んでも何も出て来んわい」
「D! そ、そいつ黙らせてよ!!」
「そうだな」
「ちょっとま、ぎえええ!?」
ぎりりと音がするほどに力強くDの左手が握り拳を造り、はたしてどれほどの苦痛が与えられているのか、左手が盛大な悲鳴を上げた。溜飲が下がったのかルイズはそれを聞いてふん、と鼻を鳴らす。
左手の尾を引く悲鳴が絶えて、沈黙がたちこみはじめる中、ルイズはおそるおそる口を開こうとし、ノックの音がそれを遮った。
「ミス・ヴァリエール、お目を覚まされたのですか?」
銀盆の上にふかふかのパンと、シチュー、水差しとグラスが乗っている。黒髪にそばかすがチャームポイントのメイドの少女に、ルイズの記憶が刺激され、たしかギーシュに絡まれていた子だと、認識する。
「あんた、たしか食堂の時の」
「覚えていてくださったなんて光栄です。申し遅れましたが、私、シエスタと申します」
「ふうん。まあいいけど、そういえば私が気を失ってから一日しか経ってないって聞いたけど、ほんと?」
「はい。『治癒』を掛けられた貴族の方々が不思議がっていましたよ。傷がすごい速さで治り掛かっているって」
どうやらDの左手が言っていた事は本当らしく、役に立つ事は立つのね、ムカつくけど、とルイズはしぶしぶ認めた。シエスタはベッドの傍らの机に銀盆を置き、深々とルイズに頭を下げた。
「食堂では私を庇っていただきほんとうにありがとうございました。そして申し訳ありません、私がもっと早く先生方を呼んで来られたら、ミス・ヴァリエールがそこまでお怪我をされる事もなかったでしょうに。本当に、申し訳ありません」
「別にいいわよ。貴女を庇うって言うよりは私がギーシュの事を気に入らなくて突っかかったんだし。そういえば、貴女あれから何か言われたり、暴力を振るわれたりしていないの? というか、そうだ、私、決闘の結果は!?」
「それは、引き分けです」
「引き分け?」
きょとんとしたままルイズはDへ視線を送った。窓際の影で朝の光を避けていた使い魔は、静かに首を縦に振った。ギーシュの願いどおり先の決闘は双方引き分けと扱っている。
「はい。それで、ミスタ・グラモンがあの後私に謝罪しに来られたんです。私、まさか貴族の方々に頭を下げられるなんて思ってもみませんでした! ちゃんと話してみるとミス・グラモンも優しい方でした」
「そう、ギーシュの奴、貴女に謝ったの」
「ルイズ」
「何、D?」
「おれを呼びに来たのは彼女だ」
「あんたが?」
とルイズに見つめられ、シエスタは恥ずかしげに俯いた。意識しないでおいたDの声を聞き、心臓の鼓動が激しさを増している。
「は、はい。で、でもDさんを連れてくる事はできませんでした。決闘の事をお伝えはしましたけど、広場に来られたのはDさんの意思ですよ」
「そ、そう。ふーん、なんだ、やっぱりご主人様の事が心配だったんだ。ふーん、へー、そー。す、素直じゃないんだから。でで、でも褒めてあげなくもないわよ」
ルイズは全然嬉しくないんだから、むしろ使い魔なんだから当然よ、という態度を取ろうとしているのだが、眼尻は下がっているし、もじもじと動いている指はせわしないし、なにより口元がにやにやと笑みをどうしても浮かべてしまう。
なんのかんのと言い繕ってみても、Dに気に掛けてもらえる事はどうしようもなく嬉しいらしい。にこにことついつい、満面の笑みを浮かべながら、ルイズはちらちらとDを見ている。
そんな二人の様子に、シエスタは微笑ましいモノを覚えてつい笑みを浮かべてしまう。まるで、好きな男に素直になれない女の子の反応そのものだ。
「それでは簡単なものですけれど、お食事をここに置いておきます。食器は後で取りにまいります。ミス・ヴァリエール、Dさん。本当にありがとうございました。厨房の皆も、お二人に感謝しています」
そういって潤んだ瞳を二人に向けて、もう一度深く頭を下げてシエスタは退室していった。ルイズは、シエスタの感謝の言葉が長く耳から離れなかった。
ああいう風に誰かに感謝されたのは初めての事だった。胸の中が暖かい。その事をDに悟られるのがいやに恥ずかしくて、ルイズは誤魔化すようにわざと大きな声を出した。
「あ~あ、お腹空いちゃった。そういえばDは、朝ごはんは済ませたの?」
「ああ。それは君が食べたまえ」
「そうするわ」
そういって、ルイズはパンを手にとって小さな口にあったサイズに千切り、シチューをふー、ふー、と息を吹いて冷ましながら食べ始めた。一度空腹に気付くと、手と口は止まらず、食器の上の料理は瞬く間に減っていった。
Dは、寝床兼用の椅子をベッドの傍らに置いてそこに腰かけた。ルイズはたちまち緊張で身を固くする。なんともはや面倒な主従である。
「そういえば、この前食堂に行ったとき、ヴァリエール家とツェルプストー家の話をしていたな」
「え、ああ。食堂を通り過ぎかけた時の話? そういえばキュルケのひいひいひいおじいさん、いえひいひいひいひいおじいさんくらいの話をしていた時に食堂についたのだったかしら? それがどうかしたの」
「続きを聞かせてもらおうかと思ってな」
「…………え?
意味が分からずまたまたぽかんと、繊細な珊瑚細工の様な唇をOの字に開いたルイズに、復活したらしい左手がDの意図を告げた。
「なに、単なる話の接ぎ穂じゃよ。こいつめ、顔はいい癖に碌に冗談や話をせぬから普通の会話と言うものができん。ようするにお嬢ちゃんの事をもっと知っておこうと、そういうわけじゃよ」
「そうなの?」
とルイズ。信じられないという様子で、Dを見つめる。ルイズの視線にさらされたDは、ルイズに初めて苦笑する様子を見せた。ルイズは目の前で奇跡が起こっているのではないかと本気で疑った。
「そう言う事だ」
その返事を聞いたルイズは、雲に隠れたお月さまも、思わずにっこりと笑い返してしまうような、輝く笑みを浮かべて
「なんでも話してあげる!」
と、それはもう、嬉しそうに答えるのだった。
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