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「虚無と金の卵-17」(2009/01/01 (木) 08:48:51) の最新版変更点
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#navi(虚無と金の卵)
サイトが傭兵の内の一人を捕らえて、情報を吐かせた。
足を折られて呻き声を上げている賊の襟首を無造作に掴み、剣の切っ先を首筋に当てて静かに脅しつけるサイトの姿を、ルイズはどこか遠い世界の出来事のような目で眺めていた。
二十人以上を一度に相手にした男と、貴族三人に囲まれて、傭兵は哀れなほどに怯えていた。
実力行使に出るまでもなく、傭兵は壊れた蛇口のように簡単に喋った。
曰く――知らない貴族に雇われた。多分、二十代くらいの男だ。この辺りでは初めて見る顔だった。
曰く――貴族の素性なんてどうだって良かった。内戦も膠着してるから、俺みたいな連中は冷や飯食わされてんのさ。
曰く――山賊の真似事でもして暴れてこいと言われた。あんたみたいな腕利きや貴族が居るなんて知らなかった。
曰く――頼む、助けてくれ。貴族に襲いかかったなんて知れたら、一生表を歩けやしねぇ。
幸い、ルイズ達に怪我はなかった。
賊の大部分は、骨折や打撲程度の怪我を負っていたが、死者こそは出ていないようだった。
戦意を無くし無傷のまま取り残された者も居たほどだ。
ただし、賊の内の一人の傷は重かった。真っ先にサイトに狙われ、袈裟懸けの一撃を受けていたのだ。
だが臓腑や重要な血管を傷付けるには至らず、サイト自身が血止めなど最低限の手当を施していた。
後は、賊の仲間がどう扱うかに任せた。
タバサがぽつりと、殺さずに済ませたのか、と尋ねたが、サイトは何も答えなかった。
事が落ち着いたところで、サイトもルイズも、賊や傭兵崩れなどに構って時間を食う必要はないと結論付けた。
そして「こんなところで立ち話もどうかと思うわよね」というキュルケの一言で、
一行はラ・ロシェールへと向かうこととなった。
ルイズ達が腰を落ち着けるために選んだ店は、『女神の杵亭』であった。
ラ・ロシェールで最も上等な宿であり、宿の中の酒場も外の喧噪からかけ離れた、貴族御用達の高級店である。
貴族3人と使い魔一匹を店員は快く迎えたが、サイトは旅の垢に塗れた出で立ちであった。
店員の一人が近づき、使用人の方は別の部屋にご案内いたします、と申し出てきた。
世慣れたキュルケが店員にチップを握らせて黙らせていた。
「悪いなぁ。随分と旅が楽になった上にご馳走になるなんてな」
全員がテーブルに着いたところで、サイトは頭を下げて礼を言い、グラスに注がれたワインを美味そうに呷っていた。
全くと言って良いほど屈託のない表情で、料理やワインを堪能している。
こうして見れば、自分らと同じ世代にしか見えない、とルイズは思った。
むしろ、苦労を知らないの貴族の息子ような稚気があった。
少なくとも剣を振るったり、傭兵くずれを脅しつけているときとは全く違っていた。
一人の人間の中に、峻厳な戦士と、お気楽な少年が同居しているような――ルイズはそんな感想を抱いた。
「全然気にしなくて良いわよー。私達の奢りだから。遠慮なんて無さらないでくださる?」
「ま、良いわよ。ここの払いくらいは私が持つわ」
キュルケの軽口にルイズは反論もせず、ワインと共に話を呑み込む。
「あら、珍しく殊勝ね」
「まあ……今は私がこいつの雇い主だし、皆には助けられたしね」 と言ってルイズは溜息をつく。
「悪いな、ご主人様。ところで……」
「キュルケよ。この子はタバサ。みんな、トリステイン魔法学院の生徒よ」
「へぇ、学生だったのか」
サイトが、微かな羨望が混ざった声で相槌を打った。
「俺はヒラガ・サイト。見ての通り、その日暮らしの傭兵さ」
「……ヒラガ・サイト?」
あまり物事に関心を持たないタバサが、珍しく発言した。
だが、その声色は堅い。何処か警戒を滲ませている。
「なら、あの様子も納得できる」
「タバサ、知ってるの?」
「……火打ち石」
「どういう意味だ?」
ウフコックが、タバサの呟きに反応する。サイトはタバサに目を向けるだけで何も言わない。
「彼の二つ名。……ガリアでは有名なメイジ殺し」
普通、メイジには属性や得意な魔法にちなんだ二つ名が付く。
風ならば、「疾風」や「風上」。火ならば、「微熱」、「白炎」といったように。
そして時折、平民にも二つ名で呼ばれる者がいる。
メイジ殺し――無味乾燥で、称号と言うよりも忌み名に近い響き。
目の前の男も、そのメイジ殺しであることは間違いない。
サイトがそう呼ばれるに足る実力の持ち主であることを、ルイズ自身目の当たりにしていた。
だがタバサの言葉では、サイトはそうしたメイジ殺しの一人でありながら、メイジ殺しとは呼ばれていないらしい。
由来は諸説ある。
どこまで事実なのかは彼しかわからない――と注釈を付けてタバサは説明を始めた。
それは、軍人のメイジを真っ向から倒したという噂だった。
ゲルマニアとガリアの国境近辺の緩衝地帯では、つまらない理由で小競り合いが頻発する。
そのため、立場のある貴族は巻き込まれるのを嫌い、血気盛んな若い貴族、貧乏貴族や平民の傭兵がよく送り込まれる。
そこでサイトは、ガリア勢の傭兵として戦っていた。
トリステインでもガリアでもゲルマニアでも、傭兵や平民で編成された部隊が貴族の指揮の下で戦う際、平民はメイジから着火の魔法を借りて火縄に火を灯すのが作法だ。
魔法を借りる――即ち、突撃する者に対して魔法の援護を与えるという保証に他ならない。
それ故に平民であっても、屈強な亜人や敵のメイジに対しても、果敢な攻撃を仕掛けることができる。
だがサイトは、魔法の援護もなく、着火の魔法すらも借りずに単身で突撃してメイジの部隊を全滅させ、多くの傭兵や貴族を震え上がらせたという。
平民の使う粗末な武器だけで挑む男。魔法など不要――それを押し通す無礼さと畏怖を込めて『火打ち石』。
タバサって意外とこの手の逸話が好みなのだろうか、などと場違いな感想を抱きつつも、
ルイズとキュルケはタバサの珍しく饒舌な説明に聞き入っていた。
「世間って広いわねぇ……」
キュルケがうっとりとサイトを見つめる。
「火打ち石……物騒な名前だな」 ウフコックが重く呟く。
「ま、確かにそう呼ぶ連中も居るけど」
サイトは、タバサの説明に肯定も否定もしなかった。
ただウフコックの呟きに、困ったような、複雑な表情を浮かべただけだった。
普通、二つ名とは基本的には尊称のようなものだが、当の本人は嬉しそうではない。
そんな彼を見ながら、「偶然か……」と意味深に呟いてかぶりを振るウフコックに、ルイズだけが気付いた。
それを尋ねようとしたところを、キュルケの黄色い声が遮る。
「良いじゃないの。強い殿方って素敵よ!」
「また始まったわ……。大体あんたたち、何しに来たのよ」
溜息混じりにルイズが語るが、キュルケはあっけらかんとした態度を崩さなかった。
「朝早くから出て行く貴方たちを見たから、面白そうだと思って急いで追いかけてきたのよ。
おかげでルイズも助かったじゃない。まったく、持つべき物は友達よね」
「で、今は平民の男を口説いてるってわけ?」
「ま、細かいことは良いじゃないの。ねぇ、サイト。魔法無しで武勲を挙げられる腕前なら、ゲルマニアじゃあすぐに貴族になれるわよ。
あなた、ゲルマニアの爵位には興味はないの?」
「……あー……悪い。傭兵といっても、一応はガリアに貴族の主人が居てさ。
腕っ節を鍛えてこいと放り出されて、武者修行中なんだよ」
「あら、じゃあウチに仕えない? そんな薄情な主人なんて放っておいて。給金くらい弾むわよ?」
「……いや……あまり困らせないでくれ……」
本当に困ったような顔でサイトはキュルケの話を受け流そうとするが、キュルケは構わずに猛攻を続ける。
緊張した空気が薄れ行き、タバサとルイズがキュルケに茶々を入れつつ、運ばれてきた料理や酒に手を伸ばす。
他愛ない会話。そんなものを続ける内に、やっとルイズは、一息吐くことが出来た。
ルイズは、口には出さず、心の片隅でキュルケの明るさに感謝した。
だが、サイトの何気ない一言が、ルイズの心を乱した。
「魔法でも剣でも良いけどさ、腕が立つとか強いとか、そんなんで人間を計るもんじゃねぇよ。
大体俺はそんな大層なもんじゃない。目の前の金とか主人からの褒美とか、手前のためだけに働いてるだけだ。
俺は、国とか理想とかのために本気で命を掛けるような本物の貴族に比べりゃ、つまんねぇ平民だよ」
それは常々、ルイズが思っていたことと似ていた。
貴族は魔法が使えるということではない。貴族として振る舞うことだ。
言っていることは同じだ。だが、実力も立場も、何もかもが逆の少年に言われたことは、ルイズにとって衝撃だった。
「……そんなに強いなら、その力を何か役立てようって思ったりはしないの?」
「結局、俺はただの平民だよ。アルビオンとレコン・キスタの戦争なんて、本当は部外者だ。
働き口が無かったら関わっちゃいないし、気に入らない主人や雇い主だったらとっくに手を切ってるさ」
ルイズは、自己の魔法の非才のために、周囲の誰かを落胆させてきた。
だが、この男は違っていた。貴族という者を魔法が使える、使えない、という目で見てはいない。
というより、中途半端な魔法の腕で、彼が屈服することはなかろう。
ルイズは思う――だから自分はこの平民が怖かったのだ、と。
虚飾や魔法の技量などを剥ぎ取った後に残る、精神の在り方。それこそが貴族たる証。
それは、魔法の使えない貴族であるルイズが出す言葉よりも、魔法など意に介さぬ平民であるサイトの言葉の方が確かな真実味を持っているということに、気付いた。
ルイズが目の前の男から感じる緊張感が、まさしくそれであった。
そして緊張感は、対抗心の裏返しでもあった。
「……本当に貴方って、珍しいのね」
ルイズは思う――果たして、彼の目から見て自分は貴族か。貴族たる証明を示せるか。
そして、それを示さねばならない日が、来るのだろうか。
「ところで、サイトはどうしてここに来たの?」
キュルケがワインをグラスに注ぎながら、何気なくサイトに尋ねた。
「レコン・キスタは知ってるよな?」
「……詳しくはないけどね」
そうルイズが答える。サイトの答えに、ルイズの方が堅くなっていた。
サイトは敢えて無視し、話を進める。
「レコン・キスタってのは、アルビオンの貴族の派閥じゃあなくて、国を跨った貴族間の秘密の同盟だ。最近までは」
「最近まで?」
「レコン・キスタに裏切り者が出て、何処の誰がレコン・キスタに所属してるか全部バレたって話さ」
「へぇ、それは初耳ね。じゃあもう、王党派の天下ってこと?」
キュルケの質問に、サイトは頷く。
「そうだ。だから顔が割れた連中に対しては、アルビオンの王党派も、トリステインも、
やっきになって捕まえようとしているところさ。
主立った連中はほぼ掴まったけど、逃げた連中はアルビオンを目指している。
まあアルビオンの貴族派が本拠地みたいなもんだからな。
アルビオンの王党派は勿論、そんな連中を国に入れるのは願い下げらしい。
だからアルビオンの王党派は、レコン・キスタの連中の名前を張り出して、そいつらの首に
かなりの懸賞金を掛けたってわけさ」
「それを狙ってるってわけね……意外と野心的なのね、貴方」
キュルケが褒めそやし、ルイズはそれを耳にしつつ無関心を装う。
「名の売れた連中が意外に多いんだよ。俺が追っていたのは、グリフォン隊隊長『閃光』のワルドだった。
取り逃がしたけど」
「……それで、まだ追う気?」
ルイズはワイングラスを傾け、ぽつりと尋ねる。目を合わせもしない。
ルイズの言葉に、サイトは、つとめて無表情に頷く。
「ん……ああ。レコン・キスタの残党は、必ずここに来るはずだから」
「まだ、狙う気なの? 逃げられたんだから、止せばいいじゃないの」
「……ま、仕事だからな。それに言っておくけど、俺が狙ってるのはワルド個人じゃあない。
あくまでアルビオン国外のレコン・キスタだ。
相手がそれを降りて諦めない限りは敵同士だし、俺も今のところ、王党派から離れるつもりも無い」
「……どうしたの?」
サイトの答えは歯切れが悪かった。
事情を知らないキュルケとタバサの胡乱げな視線を感じ、ルイズはすぐに首を横に振った。
「……ごめん、なんでもないわ」
いつもならば、キュルケはルイズをからかい、上手く本音を引き出させようと手練手管を使ってくる。
だが、今回ばかりはキュルケは敢えて攻めてこなかったようだ。ルイズは密かにほっと一息つく。
「ところで、他にはどんな賞金首が?」 タバサが口を挟む。
「……まあ、有名どころは何人かいたが大体捕まっちまったな。ほかに残ってるのは、脱獄犯の『土くれ』のフーケってところか」
「フーケ!?」
三人と一匹が一様に驚く。ルイズなど立ち上がりかけて机を揺らしかけた。
それだけの驚きを与えるには十分だった。今ここで名前が挙がって良い人物では無かったのだから。
「……ん? 知ってるのか?」
「知ってるも何も……捕まえたのは私達だもの」 ルイズが驚きながらも答える。
「……へえ。やるもんだなぁ」 サイトはそう言って、微かに目を細める。
「脱獄犯って言ったわよね。今この時期に逃げたしたってこと?」
「さあ、俺も傭兵仲間から聞いただけだしな。トリステインの事情はお前達の方が詳しいんじゃないか?」
「……君自身は、フーケのことは知らないのか?」
ウフコックの問いかけに、サイトは首を横に振った。
「知ってるのは、盗賊フーケが盗みを失敗して掴まったことと、レコン・キスタとして名前が挙がってるってことだけだ」
「……そうか」
「まあ、そういうわけで、そういう危うい貴族派もいる。食い詰めた傭兵だって多い。
このへんの治安は本当に悪いんだ。そんな豪華な指輪付けてたら良い的になっちまうぜ」
「そのくらいわかってるわよ。外では付けなかったんだから」
「そういえばルイズ、良い指輪してるわね。どうしたの?」
ルイズは自分の右手の薬指をキュルケに見せる。そこに嵌められていたのは、アンリエッタ姫から貰った、水のルビーだった。
貴族向けの宿ならば身なりを良くしていた方が扱いが良くなると考え、ルイズは、宿に入る前に何気なく指輪を嵌めていた。
「……珍しい石ね。なにそれ?」
「ルビーよ」
「ルビーって赤色じゃない。なんで青色なのよ」
「そういえばそうよね……あれ?」
ルイズが頭を悩ませた瞬間、サイトが飲みかけのワインでむせて汚い音を上げた。
次はサイトの方が驚く番だったようだった。
「げほっ、な、青いルビーだって?」
「ちょっと、なによ汚いわね!」
ルイズが、間抜けな表情のままのサイトに抗議の声を上げる。誰がどう見てもサイトの姿は不審だった。
「わ、悪かったよ……。それ、もしかして水のルビーか?」
「知ってるの?」
ルイズは驚きも隠さず聞き返した。
アンリエッタ姫から直接賜った指輪だ。名の売れた宝石だったとしても仕方ないだろう。
だがサイトが宝石の目利きができるような人物とはとても思えず、ルイズは頭に疑問符を浮かべる。
「あ、ああ……聞いたことはある。王家ゆかりの指輪だ。水を現わすから青色をしている。
他にも火、土、風と、魔法の属性毎に合わせて四色のルビーがあるらしい」
「へぇ……タバサは知ってた?」
「知ってる……だけど、ルイズの付けている指輪が水のルビーとは知らなかった」
タバサが頷く――それだけ呟いて食事を続ける。
だが自分でも気付かなかったことをサイトが気付いたのががやや不満なようで、妙に箸の進みが速くなったことに、ルイズとキュルケだけが気付いた。
「詳しいな。宝石に興味が?」 と、ウフコックが尋ねる。
「いや、俺はそれほどでも。主人が詳しくってな……。主人がいわゆる好事家ってやつで王家のルビーも欲しがってたから、話を聞かされていたんだ」
言葉少なにウフコックに答えた後、サイトは妙に悩む表情を浮かべた。
だがそれはすぐに消えて、決心した顔つきでルイズに話しかけた。
「なあ、その指輪、俺に売ってくれないか?」
「な、なんでよ! これは大事な指輪なのよ……」
路銀にするように、というアンリエッタ姫からの言いつけも忘れて、ルイズは反射的に断って自分の指を隠した。
ルイズは金に困ったことなど、皆無と言って良い。売り払うという発想自体、今まで無かった。
サイトはルイズの答えを聞いて、がくりと肩を落とす。
「いや、そうだよな。そんな宝を易々と譲るわけはないよな……悪かった」
そう言ってサイトは飲みかけのワインを乱暴に煽り、席を立った。
「長居して邪魔しても悪い。そろそろ席を外させて貰うな。ご馳走様」
「あら、気にしなくて良いのに。何ならもっとご一緒しませんこと?」
キュルケが甘えた声を出して引き留めようとするが、サイトは首を横に振る。意志は固いようだった。
「何処へ?」
「王党派の兵舎が、港のすぐ近くにあるんだ。そこを間借りして寝泊まりをしてる。仕事もまだまだ残ってるから」
タバサの質問に答え、サイトは去ろうとした。
だがサイトは思い出したように振り返り、ルイズに話しかけた。
「何でアルビオンに行きたいのかは聞かないけどよ、どうせスヴェルの月まで船は来ないんだ。
余計なことは考えないで、宿で大人しくしてた方が良いぜ」
「ひっこんでろってこと?」
「……まあ、言葉は悪いけど、そういうことだ。敵か味方かはっきり言わない人間にうろうろされると、困るんだ。
だから、ここで行動するつもりなら、そのあたりをはっきりさせないと王党派からも貴族派からも
敵に見られちまうかもしれないし、気を付けてくれよ。
……それに俺個人としては、あんたたちに剣を向けたいとは思わないし」
ルイズは、きっとサイトを睨み付ける。
だが、何も言い返すことなく、サイトの後ろ姿を見送った。
サイトは振り返らなかった。
#navi(虚無と金の卵)
#navi(虚無と金の卵)
サイトが傭兵の内の一人を捕らえて、情報を吐かせた。
足を折られて呻き声を上げている賊の襟首を無造作に掴み、剣の切っ先を首筋に当てて静かに脅しつけるサイトの姿を、ルイズはどこか遠い世界の出来事のような目で眺めていた。
二十人以上を一度に相手にした男と、貴族三人に囲まれて、傭兵は哀れなほどに怯えていた。
実力行使に出るまでもなく、傭兵は壊れた蛇口のように簡単に喋った。
曰く――知らない貴族に雇われた。多分、二十代くらいの男だ。この辺りでは初めて見る顔だった。
曰く――貴族の素性なんてどうだって良かった。内戦も膠着してるから、俺みたいな連中は冷や飯食わされてんのさ。
曰く――山賊の真似事でもして暴れてこいと言われた。あんたみたいな腕利きや貴族が居るなんて知らなかった。
曰く――頼む、助けてくれ。貴族に襲いかかったなんて知れたら、一生表を歩けやしねぇ。
幸い、ルイズ達に怪我はなかった。
賊の大部分は、骨折や打撲程度の怪我を負っていたが、死者こそは出ていないようだった。
戦意を無くし無傷のまま取り残された者も居たほどだ。
ただし、賊の内の一人の傷は重かった。真っ先にサイトに狙われ、袈裟懸けの一撃を受けていたのだ。
だが臓腑や重要な血管を傷付けるには至らず、サイト自身が血止めなど最低限の手当を施していた。
後は、賊の仲間がどう扱うかに任せた。
タバサがぽつりと、殺さずに済ませたのか、と尋ねたが、サイトは何も答えなかった。
事が落ち着いたところで、サイトもルイズも、賊や傭兵崩れなどに構って時間を食う必要はないと結論付けた。
そして「こんなところで立ち話もどうかと思うわよね」というキュルケの一言で、
一行はラ・ロシェールへと向かうこととなった。
ルイズ達が腰を落ち着けるために選んだ店は、『女神の杵亭』であった。
ラ・ロシェールで最も上等な宿であり、宿の中の酒場も外の喧噪からかけ離れた、貴族御用達の高級店である。
貴族3人と使い魔一匹を店員は快く迎えたが、サイトは旅の垢に塗れた出で立ちであった。
店員の一人が近づき、使用人の方は別の部屋にご案内いたします、と申し出てきた。
世慣れたキュルケが店員にチップを握らせて黙らせていた。
「悪いなぁ。随分と旅が楽になった上にご馳走になるなんてな」
全員がテーブルに着いたところで、サイトは頭を下げて礼を言い、グラスに注がれたワインを美味そうに呷っていた。
全くと言って良いほど屈託のない表情で、料理やワインを堪能している。
こうして見れば、自分らと同じ世代にしか見えない、とルイズは思った。
むしろ、苦労を知らないの貴族の息子ような稚気があった。
少なくとも剣を振るったり、傭兵くずれを脅しつけているときとは全く違っていた。
一人の人間の中に、峻厳な戦士と、お気楽な少年が同居しているような――ルイズはそんな感想を抱いた。
「全然気にしなくて良いわよー。私達の奢りだから。遠慮なんて無さらないでくださる?」
「ま、良いわよ。ここの払いくらいは私が持つわ」
キュルケの軽口にルイズは反論もせず、ワインと共に話を呑み込む。
「あら、珍しく殊勝ね」
「まあ……今は私がこいつの雇い主だし、皆には助けられたしね」 と言ってルイズは溜息をつく。
「悪いな、ご主人様。ところで……」
「キュルケよ。この子はタバサ。みんな、トリステイン魔法学院の生徒よ」
「へぇ、学生だったのか」
サイトが、微かな羨望が混ざった声で相槌を打った。
「俺はヒラガ・サイト。見ての通り、その日暮らしの傭兵さ」
「……ヒラガ・サイト?」
あまり物事に関心を持たないタバサが、珍しく発言した。
だが、その声色は堅い。何処か警戒を滲ませている。
「なら、あの様子も納得できる」
「タバサ、知ってるの?」
「……火打ち石」
「どういう意味だ?」
ウフコックが、タバサの呟きに反応する。サイトはタバサに目を向けるだけで何も言わない。
「彼の二つ名。……ガリアでは有名なメイジ殺し」
普通、メイジには属性や得意な魔法にちなんだ二つ名が付く。
風ならば、「疾風」や「風上」。火ならば、「微熱」、「白炎」といったように。
そして時折、平民にも二つ名で呼ばれる者がいる。
メイジ殺し――無味乾燥で、称号と言うよりも忌み名に近い響き。
目の前の男も、そのメイジ殺しであることは間違いない。
サイトがそう呼ばれるに足る実力の持ち主であることを、ルイズ自身目の当たりにしていた。
だがタバサの言葉では、サイトはそうしたメイジ殺しの一人でありながら、メイジ殺しとは呼ばれていないらしい。
由来は諸説ある。
どこまで事実なのかは彼しかわからない――と注釈を付けてタバサは説明を始めた。
それは、軍人のメイジを真っ向から倒したという噂だった。
ゲルマニアとガリアの国境近辺の緩衝地帯では、つまらない理由で小競り合いが頻発する。
そのため、立場のある貴族は巻き込まれるのを嫌い、血気盛んな若い貴族、貧乏貴族や平民の傭兵がよく送り込まれる。
そこでサイトは、ガリア勢の傭兵として戦っていた。
トリステインでもガリアでもゲルマニアでも、傭兵や平民で編成された部隊が貴族の指揮の下で戦う際、平民はメイジから着火の魔法を借りて火縄に火を灯すのが作法だ。
魔法を借りる――即ち、突撃する者に対して魔法の援護を与えるという保証に他ならない。
それ故に平民であっても、屈強な亜人や敵のメイジに対しても、果敢な攻撃を仕掛けることができる。
だがサイトは、魔法の援護もなく、着火の魔法すらも借りずに単身で突撃してメイジの部隊を全滅させ、多くの傭兵や貴族を震え上がらせたという。
平民の使う粗末な武器だけで挑む男。魔法など不要――それを押し通す無礼さと畏怖を込めて『火打ち石』。
タバサって意外とこの手の逸話が好みなのだろうか、などと場違いな感想を抱きつつも、
ルイズとキュルケはタバサの珍しく饒舌な説明に聞き入っていた。
「世間って広いわねぇ……」
キュルケがうっとりとサイトを見つめる。
「火打ち石……物騒な名前だな」 ウフコックが重く呟く。
「ま、確かにそう呼ぶ連中も居るけど」
サイトは、タバサの説明に肯定も否定もしなかった。
ただウフコックの呟きに、困ったような、複雑な表情を浮かべただけだった。
普通、二つ名とは基本的には尊称のようなものだが、当の本人は嬉しそうではない。
そんな彼を見ながら、「偶然か……」と意味深に呟いてかぶりを振るウフコックに、ルイズだけが気付いた。
それを尋ねようとしたところを、キュルケの黄色い声が遮る。
「良いじゃないの。強い殿方って素敵よ!」
「また始まったわ……。大体あんたたち、何しに来たのよ」
溜息混じりにルイズが語るが、キュルケはあっけらかんとした態度を崩さなかった。
「朝早くから出て行く貴方たちを見たから、面白そうだと思って急いで追いかけてきたのよ。
おかげでルイズも助かったじゃない。まったく、持つべき物は友達よね」
「で、今は平民の男を口説いてるってわけ?」
「ま、細かいことは良いじゃないの。ねぇ、サイト。魔法無しで武勲を挙げられる腕前なら、ゲルマニアじゃあすぐに貴族になれるわよ。
あなた、ゲルマニアの爵位には興味はないの?」
「……あー……悪い。傭兵といっても、一応はガリアに貴族の主人が居てさ。
腕っ節を鍛えてこいと放り出されて、武者修行中なんだよ」
「あら、じゃあウチに仕えない? そんな薄情な主人なんて放っておいて。給金くらい弾むわよ?」
「……いや……あまり困らせないでくれ……」
本当に困ったような顔でサイトはキュルケの話を受け流そうとするが、キュルケは構わずに猛攻を続ける。
緊張した空気が薄れ行き、タバサとルイズがキュルケに茶々を入れつつ、運ばれてきた料理や酒に手を伸ばす。
他愛ない会話。そんなものを続ける内に、やっとルイズは、一息吐くことが出来た。
ルイズは、口には出さず、心の片隅でキュルケの明るさに感謝した。
だが、サイトの何気ない一言が、ルイズの心を乱した。
「魔法でも剣でも良いけどさ、腕が立つとか強いとか、そんなんで人間を計るもんじゃねぇよ。
大体俺はそんな大層なもんじゃない。目の前の金とか主人からの褒美とか、手前のためだけに働いてるだけだ。
俺は、国とか理想とかのために本気で命を掛けるような本物の貴族に比べりゃ、つまんねぇ平民だよ」
それは常々、ルイズが思っていたことと似ていた。
貴族は魔法が使えるということではない。貴族として振る舞うことだ。
言っていることは同じだ。だが、実力も立場も、何もかもが逆の少年に言われたことは、ルイズにとって衝撃だった。
「……そんなに強いなら、その力を何か役立てようって思ったりはしないの?」
「結局、俺はただの平民だよ。アルビオンとレコン・キスタの戦争なんて、本当は部外者だ。
働き口が無かったら関わっちゃいないし、気に入らない主人や雇い主だったらとっくに手を切ってるさ」
ルイズは、自己の魔法の非才のために、周囲の誰かを落胆させてきた。
だが、この男は違っていた。貴族という者を魔法が使える、使えない、という目で見てはいない。
というより、中途半端な魔法の腕で、彼が屈服することはなかろう。
ルイズは思う――だから自分はこの平民が怖かったのだ、と。
虚飾や魔法の技量などを剥ぎ取った後に残る、精神の在り方。それこそが貴族たる証。
それは、魔法の使えない貴族であるルイズが出す言葉よりも、魔法など意に介さぬ平民であるサイトの言葉の方が確かな真実味を持っているということに、気付いた。
ルイズが目の前の男から感じる緊張感が、まさしくそれであった。
そして緊張感は、対抗心の裏返しでもあった。
「……本当に貴方って、珍しいのね」
ルイズは思う――果たして、彼の目から見て自分は貴族か。貴族たる証明を示せるか。
そして、それを示さねばならない日が、来るのだろうか。
「ところで、サイトはどうしてここに来たの?」
キュルケがワインをグラスに注ぎながら、何気なくサイトに尋ねた。
「レコン・キスタは知ってるよな?」
「……詳しくはないけどね」
そうルイズが答える。サイトの答えに、ルイズの方が堅くなっていた。
サイトは敢えて無視し、話を進める。
「レコン・キスタってのは、アルビオンの貴族の派閥じゃあなくて、国を跨った貴族間の秘密の同盟だ。最近までは」
「最近まで?」
「レコン・キスタに裏切り者が出て、何処の誰がレコン・キスタに所属してるか全部バレたって話さ」
「へぇ、それは初耳ね。じゃあもう、王党派の天下ってこと?」
キュルケの質問に、サイトは頷く。
「そうだ。だから顔が割れた連中に対しては、アルビオンの王党派も、トリステインも、
やっきになって捕まえようとしているところさ。
主立った連中はほぼ掴まったけど、逃げた連中はアルビオンを目指している。
まあアルビオンの貴族派が本拠地みたいなもんだからな。
王党派は勿論、そんな連中を国に入れるのは願い下げらしい。
だからレコン・キスタの連中の名前を張り出して、そいつらの首に
かなりの懸賞金を掛けたってわけさ」
「それを狙ってるってわけね……意外と野心的なのね、貴方」
キュルケが褒めそやし、ルイズはそれを耳にしつつ無関心を装う。
「名の売れた連中が意外に多いんだよ。俺が追っていたのは、グリフォン隊隊長『閃光』のワルドだった。
取り逃がしたけど」
「……それで、まだ追う気?」
ルイズはワイングラスを傾け、ぽつりと尋ねる。目を合わせもしない。
ルイズの言葉に、サイトは、つとめて無表情に頷く。
「ん……ああ。レコン・キスタの残党は、必ずここに来るはずだから」
「まだ、狙う気なの? 逃げられたんだから、止せばいいじゃないの」
「……ま、仕事だからな。それに言っておくけど、俺が狙ってるのはワルド個人じゃあない。
あくまでアルビオン国外のレコン・キスタだ。
相手がそれを降りて諦めない限りは敵同士だし、俺も今のところ、王党派から離れるつもりも無い」
「……どうしたの?」
サイトの答えは歯切れが悪かった。
事情を知らないキュルケとタバサの胡乱げな視線を感じ、ルイズはすぐに首を横に振った。
「……ごめん、なんでもないわ」
いつもならば、キュルケはルイズをからかい、上手く本音を引き出させようと手練手管を使ってくる。
だが、今回ばかりはキュルケは敢えて攻めてこなかったようだ。ルイズは密かにほっと一息つく。
「ところで、他にはどんな賞金首が?」 タバサが口を挟む。
「……まあ、有名どころは何人かいたが大体捕まっちまったな。ほかに残ってるのは、脱獄犯の『土くれ』のフーケってところか」
「フーケ!?」
三人と一匹が一様に驚く。ルイズなど立ち上がりかけて机を揺らしかけた。
それだけの驚きを与えるには十分だった。今ここで名前が挙がって良い人物では無かったのだから。
「……ん? 知ってるのか?」
「知ってるも何も……捕まえたのは私達だもの」 ルイズが驚きながらも答える。
「……へえ。やるもんだなぁ」 サイトはそう言って、微かに目を細める。
「脱獄犯って言ったわよね。今この時期に逃げたしたってこと?」
「さあ、俺も傭兵仲間から聞いただけだしな。トリステインの事情はお前達の方が詳しいんじゃないか?」
「……君自身は、フーケのことは知らないのか?」
ウフコックの問いかけに、サイトは首を横に振った。
「知ってるのは、盗賊フーケが盗みを失敗して掴まったことと、レコン・キスタとして名前が挙がってるってことだけだ」
「……そうか」
「まあ、そういうわけで、そういう危うい貴族派もいる。食い詰めた傭兵だって多い。
このへんの治安は本当に悪いんだ。そんな豪華な指輪付けてたら良い的になっちまうぜ」
「そのくらいわかってるわよ。外では付けなかったんだから」
「そういえばルイズ、良い指輪してるわね。どうしたの?」
ルイズは自分の右手の薬指をキュルケに見せる。そこに嵌められていたのは、アンリエッタ姫から貰った、水のルビーだった。
貴族向けの宿ならば身なりを良くしていた方が扱いが良くなると考え、ルイズは、宿に入る前に何気なく指輪を嵌めていた。
「……珍しい石ね。なにそれ?」
「ルビーよ」
「ルビーって赤色じゃない。なんで青色なのよ」
「そういえばそうよね……あれ?」
ルイズが頭を悩ませた瞬間、サイトが飲みかけのワインでむせて汚い音を上げた。
次はサイトの方が驚く番だったようだった。
「げほっ、な、青いルビーだって?」
「ちょっと、なによ汚いわね!」
ルイズが、間抜けな表情のままのサイトに抗議の声を上げる。誰がどう見てもサイトの姿は不審だった。
「わ、悪かったよ……。それ、もしかして水のルビーか?」
「知ってるの?」
ルイズは驚きも隠さず聞き返した。
アンリエッタ姫から直接賜った指輪だ。名の売れた宝石だったとしても仕方ないだろう。
だがサイトが宝石の目利きができるような人物とはとても思えず、ルイズは頭に疑問符を浮かべる。
「あ、ああ……聞いたことはある。王家ゆかりの指輪だ。水を現わすから青色をしている。
他にも火、土、風と、魔法の属性毎に合わせて四色のルビーがあるらしい」
「へぇ……タバサは知ってた?」
「知ってる……だけど、ルイズの付けている指輪が水のルビーとは知らなかった」
タバサが頷く――それだけ呟いて食事を続ける。
だが自分でも気付かなかったことをサイトが気付いたのががやや不満なようで、妙に箸の進みが速くなったことに、ルイズとキュルケだけが気付いた。
「詳しいな。宝石に興味が?」 と、ウフコックが尋ねる。
「いや、俺はそれほどでも。主人が詳しくってな……。主人がいわゆる好事家ってやつで王家のルビーも欲しがってたから、話を聞かされていたんだ」
言葉少なにウフコックに答えた後、サイトは妙に悩む表情を浮かべた。
だがそれはすぐに消えて、決心した顔つきでルイズに話しかけた。
「なあ、その指輪、俺に売ってくれないか?」
「な、なんでよ! これは大事な指輪なのよ……」
路銀にするように、というアンリエッタ姫からの言いつけも忘れて、ルイズは反射的に断って自分の指を隠した。
ルイズは金に困ったことなど、皆無と言って良い。売り払うという発想自体、今まで無かった。
サイトはルイズの答えを聞いて、がくりと肩を落とす。
「いや、そうだよな。そんな宝を易々と譲るわけはないよな……悪かった」
そう言ってサイトは飲みかけのワインを乱暴に煽り、席を立った。
「長居して邪魔しても悪い。そろそろ席を外させて貰うな。ご馳走様」
「あら、気にしなくて良いのに。何ならもっとご一緒しませんこと?」
キュルケが甘えた声を出して引き留めようとするが、サイトは首を横に振る。意志は固いようだった。
「何処へ?」
「王党派の兵舎が、港のすぐ近くにあるんだ。そこを間借りして寝泊まりをしてる。仕事もまだまだ残ってるから」
タバサの質問に答え、サイトは去ろうとした。
だがサイトは思い出したように振り返り、ルイズに話しかけた。
「何でアルビオンに行きたいのかは聞かないけどよ、どうせスヴェルの月まで船は来ないんだ。
余計なことは考えないで、宿で大人しくしてた方が良いぜ」
「ひっこんでろってこと?」
「……まあ、言葉は悪いけど、そういうことだ。敵か味方かはっきり言わない人間にうろうろされると、困るんだ。
だから、ここで行動するつもりなら、そのあたりをはっきりさせないと王党派からも貴族派からも
敵に見られちまうかもしれないし、気を付けてくれよ。
……それに俺個人としては、あんたたちに剣を向けたいとは思わないし」
ルイズは、きっとサイトを睨み付ける。
だが、何も言い返すことなく、サイトの後ろ姿を見送った。
サイトは振り返らなかった。
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