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#navi(虚無と金の卵)
ちゃぷり、とルイズは湯を弄ぶ。
峡谷に沈み行く夕日は、壮大だった。
その夕日が湯に照り返し、ルイズの周囲はどれも赤く染まっている。
空にたなびく雲が無ければ、もしかしたらアルビオンが目に映るかも知れない。
だがルイズは、アルビオンの方向を見つめる気にはなれなかった。
ただ、景色を塗りつぶしていく夕日を見つめていた。
「まさか、こんなところで風呂に入れるとは思わなかったわ」
「そうだな。落ち着いてこんな風に景色を楽しめるとは思わなかった」
サイトに案内されてルイズがやってきたのは、ラ・ロシェールへ向かう街道からやや外れた場所にある小屋だった。
小屋、というよりも、隠れ家に近い。
山間の隙間の死角を上手く利用した場所に建てられた小屋だった。
半分は岩壁に埋まっている。恐らくは、天然の岩を練金で削りだした空間に建てたのであろう。
街道からは完全な死角になっている。ルイズは場所を示されても、実際に辿り着くまで全く気付かなかった。
また、生活の火や煙が出ても、上手く誤魔化すための工夫が凝らされている。
風竜やグリフォンに乗ったメイジが付近を立ち寄ったとすれば発見されるだろうが、
少なくとも盗賊程度ならば十分に身を隠せそうではあった。
そんな、身を潜めることを重視しているような場所だ。
居住性は悪かろうとルイズは思っていたが、それは良い意味で裏切られた。
第一に、新しかった。
風雨にさらされて、さほど日が経っていなさそうであり、使い込んだ形跡もない。
街の安宿のように、最低限の生活用品と、水と食料だけが確保されていた。
第二に、風呂があったのだ。
とはいえ、トリステイン魔法学院にあるような、大理石で囲まれた大浴場とは全く違う。
恐らく風呂と言われなければ、ルイズは風呂とは気付かなかっただろう。
実際それはバスタブなどではなく、大人数が利用する厨房にあるような、大きな古釜が外に据え付けられていた。
所謂、五右衛門風呂であったが、無論、ルイズはそんなものなど知らない。
絶景を見ながら入る風呂も案外悪くはないと思う程度だった。
ウフコックの方は、最初ルイズが風呂に入る間は離れているつもりだった。
ルイズがおもむろに服を脱ぎ出したところでウフコックは「俺は小屋で待ってよう」と慌てて出て行こうとした。
だがルイズがウフコックのズボンのサスペンダーを摘まんで引き留めていた。
結局ウフコックは困り顔で観念し、風呂桶に付けられた木の手すりに腰掛けて、湯で軽く体を拭っていた。
流石にネズミの体では、湯船に浸かることはできないようだった。
「ところで……君はやはり、人使いが荒いと思う……」
「あら、それなりに金は払ってるんだから、恨まれる筋合いはないわ」
サイトに風呂の支度をさせた後は、食事の用意と馬の手入れを申しつけていた。
特に、学院からあてがわれた馬を潰すわけにはいかない。
サイトは、「あんたの使い魔や使用人になったら、もっと酷ぇ目にあってるんだろうな」などと
軽口を叩きながらも、淡々と仕事をこなしていた。
「……まあ、おかげてやっと一心地付けたな」
「本当ね。サイトの話は半信半疑だったけど、意外と悪くないじゃない」
「そうだな。料理も案外悪くなさそうだ。支度している臭いでわかる」
「ま、随分旅慣れてるみたいだしね」
ルイズは頷きながら、湯を手ですくい、軽く顔を拭う。
ルイズが十分に落ち着いているのを見て取り、ウフコックは口を開いた。
「良かった」
「何が?」
「今日の君はずっと気落ちしていたようが、やっと元気が出てきた」
「……心配、かけちゃったみたいね」
ルイズが、ばしゃり、と湯をすくって顔を拭う。
「でも、大丈夫。もう焦って飛び出したりなんてしないわ」
すっきりとした声で、ルイズは答えた。
そのルイズの決意に、ウフコックはゆっくりと言葉を返す。
「……君が何に対して怒りや悲しみを感じているのか、俺はわからない。
ただ、ひどい悲しみを感じると言うことは、君にとって大事な何かが、痛ましいことになったのだろうと推測するだけで」
ウフコックはつぶらな瞳でルイズを見つめる。
「だが、大切なものが君の心にあるのならば、激情に身を任せてはならないと思う。
感情を殺せと言っているわけではない。自分の進路を進むためにこそ、そうした感情を燃焼させるべきだと思う。
……だから、少しずつで良い。悲しみや怒りと向かい合うんだ」
「……難しいこと、さらっと言ってくれるじゃない」
ルイズは、ウフコックと目を合わせるのが気恥ずかしいらしく、湯に沈んでぶくぶくと息を吐いた。
「ま、つまりは前向きになろうということだ。くよくよしている姿が君に似合うとは思えないし」
ルイズは、ウフコックの方をちらりと見る。
夕日の光を浴びて黄金色に輝くネズミは、まるで精霊のように儚く見えるのに、
所作や言葉の一つ一つが、渋くて、ユーモラスで、そこに確かな存在感を感じさせる。
そのギャップにルイズは微笑みを零した。
「……ん? 俺の格好が変か?」
「ふふ、そんなことは無いわ。普段より素敵よ」
「ふむ? 賛辞ならありがたく受け取ろう」
まあ仕方ない、とばかりにウフコックは頷く。
「ところで、ウフコック。ワルド子爵……って、姫様の話に出てきたのを覚えている?」
「ああ」
ウフコックは頷いて、ややあってから言葉を続けた。
「……そして確か、道中に出会った男を、ワルドと呼んでいたな」
「そうよ。彼のことは知り合いだってサイトに説明したわね。嘘ではないけど正確ではなかったわ」
「というと?」
「婚約者だったの」
重々しくルイズが呟き、ウフコックは驚いた声を出す。
「君に婚約者が? それは初耳だ」
「婚約者と言っても十年以上会っていないのよ」
「つまり、婚約していても、交際は無かった?」
「……そうね。十年前はよく世話になってたけど。彼にとっては子供のお守りくらいの感覚だったと思うわ。
私も、現実的な結婚相手って見ていたわけじゃなかったし。
だから、男の人って言うよりも……頼りになる、大人の人って感じだったわ」
そう言って、ルイズは溜息を付く。
「で、十年ぶりに見たときには、レコン・キスタに入って国を裏切ってたってわけ」
「……それで、君は思い悩んでいたのか……」
「そうよ。……で、このままだと、またサイトがワルドと戦うことになると思う」
「……ああ、そうなるだろう。彼の意志は、固そうだ」
「でもワルドの状況が何であれ、私は私の仕事をしなきゃいけないわ。
むしろ彼が私の仕事に気付けば、きっと邪魔しにくるだろうし。だから彼は、敵のはずなの。
……でも、簡単には、割り切れないのよ」
「……ルイズ……」
「自分がどうすべきか、どう向き合うべきか、絶対に答えを出してみせるわ。
でもそのためには……もうちょっとだけ、考えていたいのよ」
美しい自然、心地よい湯、それらは快い時間を与えてくれる。
そしてつかの間の休息の中で、心の平静を得ることはできた。
だが決定的な回答をもたらしてはくれない。それは常に、外ではなく内にある。
ルイズ自身が己の心を潜り、掴み取らねばならないものだった。
湯から上がり、ルイズとウフコックは小屋に戻った。
既にサイトが馬の世話と食事の支度を済ませ、手持ちぶたさに待っていたところだった。
デルフリンガーは監視を兼ねるためか、小屋の入り口付近に抜き身のまま立てかけられていた。
「ずいぶんと長湯だな。ま、このあたりは冷え込むから、そうした方が良いんだけどな」
「……風呂は、まあ、思ったほどひどくは無かったわよ」
「そりゃ光栄だ」
軽口を叩きながら、机に深皿を出した。
鍋料理らしい。山菜や、山鹿の肉を煮たものが深皿によそわれている。
塩気の強い香りがルイズの鼻孔を刺激していた。
「……へぇ。美味しいじゃない」
「ヨシェナベだ。トリステインの田舎の村で教わった」
「素朴な香りだな」 ウフコックが鼻をひくつかせながら言った。
「田舎料理だからな。お前も食うか?」
「いや、俺はこれで十分だ」
ウフコックには、生の野菜と豆、水が与えられていて、それらを頬張っていた。
ネズミとしての生態のためか、あまり濃い味の料理は口にしていなかった。
また、ネズミがそうそう多い量を取る必要もない。
すぐに食事を済ませてルイズから離れ、ウフコックはデルフリンガーの側に来ていた。
「なあ、デルフリンガー。一つ質問しても良いだろうか?」
「おう? なんでぇ?」
「ぶしつけな質問かもしれないが……君は、一体どのくらい剣として生きてきたんだ?」
「珍しい質問するヤツだな、おめぇ」
「そうか? インテリジェンスソードと話すのは初めてで、興味があるんだ」
デルフリンガーは訝しげな声でウフコックに答える。
素直に興味をもたれたことに、くすぐったさを感じているようだった。
「ま、俺が生きてるのかどうかは微妙なとこだが……何百年か何千年かなんて忘れちまったよ」
「何千年……とても信じられない」
「多分だぜ。使われずに蔵に置きっぱなしになってたときもありゃ、武器屋の棚で寝てた時間もあるし。
時間の感覚ってのが人間や生き物と同じなのかも、俺にゃわからねぇ」
「……だがそうだとしても、長く生きていることには違いないだろう。俺なんて十年も生きていないのに」
ウフコックが素直に感嘆を示す。
「ネズミでそれだけ生きてりゃ長寿も良いところじゃねぇか。
それに長生きすりゃ良いってもんでもないぜ。……って、武器の俺が言うのも何だけどよ」
「……辛いことや、大変なこともあったのか?」
静かな声でウフコックは尋ねる。ウフコックの目は、妙に真剣だった。
だがデルフリンガーは敢えて気付かぬふりをして、気楽な調子で答えた。
「ま、無ぇとはいわねえがよ。生きてりゃあ嬉しいことも楽しいこともあるもんさ」
「……意にそぐわない使い方をされたことは?」
「……んー、なんつーかなぁ……」
デルフリンガーは鍔をかちゃかちゃと鳴らし、困ったような声を出した。
「俺は剣であって、それ以上でもそれ以下でもねぇのさ。俺の使い道なんて、俺を握る奴の考えるこった。
誰かを守のも、誰かを斃すのも、俺を握る奴の仕事だ。悩むのは俺の仕事じゃねぇんだ。
そもそも、気楽に生きるのが俺のモットーでな」
「割り切りが良いんだな。……俺は悩みを捨てきれない。相棒には口うるさく要求してしまっている」
「良いんじゃねえか? 俺みたいなナマクラの話なんざ参考になりゃしねぇよ」
あっけらかんとした声のデルフリンガー。だが、続く言葉は、真摯な響きを伴っていた。
「ま、でも、相棒に求めるものが無いわけじゃない。
武器をもって戦うヤツなんてロクな死に方しやしねぇからな。だから、できれば幸せに生きてほしいもんさ。
お前さんも、見たところ相当な業物だ。思うところは、あるんだろう?」
「……俺が武器だと、わかるのか?」
「少なくとも、ただのネズミじゃねえってことくらいはわかるぜ。何せ俺は、伝説の……」
そう言いかけたところで、デルフリンガーの柄ににゅっと手が伸びてくる。
サイトの手だった。
「デルフ、そろそろ仕事だ。外の見張りに行くぞ」
気付けばサイトとルイズは食事を終えていた。おもむろにサイトはデルフリンガーを肩にひっさげる。
「ちょ、相棒! せっかく俺が格好付けてるときにそりゃあないぜ!」
「ん? そうだったのか? まあ、話す機会なんていつでもあるだろ」
「くそっ、おめぇは何てひでぇ使い手なんだ!」
デルフリンガーがありったけの悪態を付くが、当然それに抗う術など無い。
一人と一振りは、そのまま小屋の外へと出て行った。
「もしかして、話しているところ邪魔しちゃった?」
ルイズが、やや心配げな顔でウフコックに話しかける。
「ああ……いや、構わない。彼らは何処へ?」
「そのへんを見回ってくるって言ってたわ。ベッドは使って良いって」
ルイズはそう言って、部屋に据え付けられた木のベッドに腰掛けた。
普段寮で使っているものとは比べものにならないほど硬いが、それでも野宿よりは遙かに楽で、何より危険が少ない。
ルイズは安心を感じつつも、溜息を吐いた。
「何故かしら。サイトと話してると緊張するの。……別に、怖いってわわけじゃないだけど……。
だから、会話が続かなくて困ったわ」
「……ふむ、君の周囲には居なさそうなタイプだな。ギーシュやマリコルヌとも違う」
「……何か比較対象が間違えてる気がするけど、そうね。全然違うわ」
そう言った後、ルイズはあくびをかみ殺した。
思えば、ルイズは昨日もろくに寝ていなかった。風呂と食事で、随分と落ち着いてきたらしい。
「……なんだか、今日は凄く疲れたわ……」
「仕方ないことだ。気にせず、ゆっくり休むと良い」
そう言って、ウフコックはベッドの枕の方へ移動した。手招きし、ルイズが寝てくれるよう促す。
「側に居るから、安心するんだ」
「うん……ありがとう……」
そしてルイズは旅装を解いて、小屋に据え付けられたベッドに身を寄せてすぐに寝付いた。
夜鳥の声だけがほんの僅かに響いてきただけで、静かな夜だった。
ルイズは、夢を見なかった。
陽が昇る前にルイズ達は目が覚めていた。
サイトも外で仮眠を取っていたようだが、ルイズが起きた気配を察して目を覚ましていた。
朝食もサイトが用意した。
サイトは、「朝の早い内に出発しておこう」と提案した。
ルイズもそれに文句は無かった。幾らアルビオン行きの船が着くのが二日後とはいえ、道中は何があるかわからない。
二人と一匹は、朝食として白湯と黒パンだけを摂り、手短に旅支度を調えることに専念した。
サイトは自分の馬に乗り、ルイズが跨る馬を先導して街道を歩き出した。
朝の内は、人の気配は全く無かった。
このまま何事もなければ、日差しが高くなる頃には、ラ・ロシェールに入れるはずであった。
既に町の輪郭がルイズの目に届いている。
やっと一段落付く――そう思ったところで、サイトが慌てて馬首を横に並べる。
ルイズを抱きかかえ、慌てて馬から飛び降りた。
「なっ、何するのよ!」
「頭を下げろ!」
何なのよもう――という怒りも、すぐに驚きに変わった。
ルイズは、十分に休息を取れた感謝したくなった。
もしこれが昨日であれば、更にみっともなく取り乱していたかもしれない。
殺意のこもった矢が降り注ぐのを見て、ルイズはそう思った。
「多分、山賊だ。あるいはレコン・キスタが雇ったかもしれない」
サイトがルイズを守るように立ち、最小限の動きで矢を弾き返す。
大分離れているところに、矢をつがえた男、そして剣や斧を持った男達の一団が見えた。
弓矢が効かなかったと見るや、悪罵を叫びながらルイズ達に近づいてくる。
「ワルドかしら……」
「わからねぇよ。全然別の奴かもしれない。敵なんて一杯いるさ」
矢を難なく剣で打ち払いながら、サイトが冷静に答える。
「距離が遠いな……あいつら、こっちに貴族が居ることにまだ気付いてないぜ。
なあ、ルイズっつったっけ。魔法で驚かせちゃくれねぇか?」
デルフリンガーが気楽な調子で聞いた。思わぬ申し出にルイズが挙動不審になる。
「な、な、何よ、私に頼る気?」
「良いじゃねえかよ。まあ俺と相棒で相手できなくはねぇが、メイジが居るってわかったらきっと尻尾を巻いて逃げるぜ。
荒事は避けるに越したことはねぇさ」
デルフリンガーの言うことは正論だった。
少なくとも、何の咎もない貴族に襲いかかろうとする平民など、メイジから魔法で返り討ちされたところで、
問答無用で役人に斬られたところで、文句は言えない。
そんなことはこの国では常識であり、デルフリンガーの案は、トラブルを避けるためには賢明な策と言えた。
「つ、使えないわ」
焦ったような声で、ルイズは言葉を返した。
「なんだよケチな娘っ子だな。精神力が切れてんのか? フライとか念力とか簡単なので良い。
簡単な魔法を見せてやるだけで良いんだぜ?」
「だっ、だから使えないって言ってるでしょ!」
「……なんで?」 不思議そうにデルフリンガーが尋ねた。
「デルフ、さっさと行くぞ」
「相棒、油断は禁物だぜ」
「火薬も火打ち石もある。それにデルフ、昨日の戦いでたらふく食っただろう。いざってときは任せるからな。
ルイズ達は隠れてろ」
「そっちこそ一人でどうする気よ!」
「魔法が使えないんだろう、無理すんな」
サイトはそれだけを言い残し、一目散に傭兵の一団へ走る。
気付いたときには既にぶつかりあっていた。蛮声と剣戟のぶつかりあう音が他人事のように響く。
「凄まじいな」
ぽつり、とウフコックが呟く。
「どういうこと?」
「彼は、戦うこと、殺してしまうことに倦怠感すら感じている。それでも戦いを止められないでいる。……依存に近い。
敵の方は、その日その日の暮らしにも酷い困難さと屈辱を感じている、そんな惨めさに満ちた臭いだ。
……どちらも、酷く痛ましい」
金の酒樽亭。
その煌びやかな名前に反して、ラ・ロシェールでは場末も良いところの酒場だった。
この時期、そこにたむろしている傭兵は、仕事に飢えていた。
アルビオンを目指した傭兵――と言えば聞こえは良いが、腕利きは既に王党派か貴族派のどちらかに雇われている。
仕事にありつけず、ハイエナのように戦乱の残り滓の仕事を得るだけの連中でしかない。
突然現れた、仮面を被った貴族が依頼を持ち出した時点で、十人近くが話に興味を持った。
多額の報酬に加えて前金で半分が出る、という話を聞いてさらに十人近くが集まる。
だが、男の素性もろくに知らずに仕事を受け入れたことを、この傭兵は既に後悔していた。
今、トリステイン方面からの街道を向かって来ている連中を仕留めてこい――男は言っていた。
ついでに、物取りの振りして街道を混乱させて来い――とも、男は言っていた。
暴れてくるだけの簡単な仕事だ――男はそう結論付けた。
男達も単純にそう思った。危ない橋ではあるが、治安の乱れた今こそが稼ぎどきだった。
それに戦乱の中にあっては、安い仕事に信じられない額を出す馬鹿な貴族も時折出てくる。
仮面の男も、きっとそうした類だろう――その短慮と油断の報いが彼らに降り注がれていた。
ただの平民のはずの男、同じ傭兵であろう男に、今や半数以上が倒されていた。
ある者は斬られ、ある者は骨を折られ、ある者は剣の柄で殴られて悶絶している。
呻き声が聞こえ、倒れた仲間の体が震えている――まだ生きている。
そして得られる二点の推測。
一つ――敵は、相手を殺さずに戦闘不能にできるほどの、異常な腕の持ち主であること。
一つ――敗北の先には尋問が待っていること。
「くそ、こうなったらあの男の仲間だけでも仕留めて逃げるぞ」
仮面の貴族から仕事を請け負った人数は、つまるところ多すぎた。
その際、役割分担で、二人が貧乏くじを引くことになった。
敵に援軍や仲間が居た場合に備え、岩陰などの死角に身を潜めて警戒する役目を追わされる。
敵を仕留めるチャンスが無い以上、給金が減るのは必須だ。
仕事仲間に文句を心の中で幾度も呟きながらも、仕事に徹した。
それが幸運だったと気付きつつあった。
怪我を負うことも無く事態を見つめることができた。少なくとも、今の所は。
「な、なぁ……ありゃ貴族じゃないか?」
もう一人の傭兵が不安げに呟く。
「うるせぇ。それともお前、あの金を諦められんのかよ?」
「で、でもよぉ……」
「よく見ろ、魔法も使っちゃいねぇしビビってる。青い顔してらあ。今がチャンスだ」
男はきりきりと弓を引き絞り、馬に跨った少女を狙い付ける。
少女が思わずこちらを見た。眼があった。
目が眩むほどの報酬と、貴族だろうと構うものかという自棄が、弓矢を引き絞る腕の緊張を解かせた。
それでも、狙いは十分だった。
当然そんな見え見えの殺意など、ウフコックは気付いていた。
だが、問題はその回避であった。
「気をつけろ、ルイズ。弓矢で狙っている敵がいる……。俺が『盾』になるから、目を合わせるな。
矢を弾くのは造作もないが、下手に動くと逆に危ない。任せて、じっとしているんだ」
ルイズは、自分にも危険が迫っていることを自覚し、さっと血の気が引いていくのを感じた。
そして周囲に敵と、敵か味方かあやふやな人間しか居ない状況で、目を合わせるな、という行為自体が困難だった。
幾ら盗人を捕まえた功績があるとはいえ、ルイズは戦場に出たこともない15際の少女だ。
突然始まった命のやりとりの空気に当てられないはずが無い。
ルイズは恐怖に抗えず、振り返った。
殺意と焦り、汗と土、顔を見られた恐怖に塗れた男の表情。それはすぐにルイズの視界に入った。
2,30メイルは離れているのに、弦から離された指先、男のあごから滴る緊張の汗、自分を射るように見つめる男の眼を、
ルイズは確かに目撃した。
タイミングはともかくとして、狙いは十分だったらしい。自分の胸元へ当たる――ルイズは確信した。
「くっ!」
ウフコックの焦った声。瞬間的に堅牢な篭手にターンし、ルイズの右手を強制的に動かす。
だが、矢と篭手がぶつかる一瞬前に、ルイズの視界に火の球が落ちてくる。
矢は、燃え尽きて跡形も無くなっていた。
「ファイアボール?」
「……おお、間に合ってくれたか」
ウフコックの安堵したような声。
何かが羽ばたく音がルイズ達の頭に響き、そして暢気な声が降ってくる。
「さて、一丁上がりっと」
「キュルケ! タバサ! どうして?」
ばさり、ばさりと音を立てながら、キュルケとタバサを乗せたシルフィードが、ルイズの側にやってくる。
風竜に乗ったメイジ二人を見て不利と悟ったか、逃げ出す余力の残っている傭兵達は、既に逃げ出していた。
キュルケ達は深追いはせずにシルフィードから降り、立ち話するような気楽さでルイズに話しかけてきた。
「そりゃ、朝に気付いたら貴方たちが馬に乗って遠くに出かけちゃってるじゃないの。
しかもアルビオンの方角へ。そんな面白そうなこと、放っておくと思う?」
「遊びじゃないのよ!」
「あーら。せっかく助けてあげたってのにご挨拶ね」
「ぐ……。あ、ありがとう。助かったわ」
複雑な表情を浮かべつつルイズは礼を述べ、キュルケは満足げに微笑んだ。
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