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「ナイトメイジ-25」(2009/09/21 (月) 15:33:02) の最新版変更点
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#navi(ナイトメイジ)
洞窟の中は静かに、ただひたすらに静かだった。
死者はなにも語らず、死者と語らう姫君はなにも口にせず、それを見下ろす少女もまた沈黙を守っていた。
それを破るのはベール・ゼファー。
全てを知っているような声がルイズとアンリエッタの耳に滑り込む。
「終わったみたいね」
「どこ行ってたのよ」
「ちょっと、ね」
戻ってきたベルは1人でない。
「なんで、王党派の王子が?この方は本当にトリステインの王女様なんですか?いったい何が起こってたんですか?」
と、うろたえる竜騎士の少年を連れていた。
ベルはその少年を下から──少年の背はベルより頭2つ弱ほど高い──小突いて黙らせる。
「足を調達して来たのよ。空の上からトリステインに帰るには必要でしょ」
「そうだけど……」
「それなら帰りましょう。行き先はトリスタニアでいいわよね?」
何か言いくるめられたような気がしたが、ここにいつまでもは居られない。
文句を言ってやりたいのをぐっと押さえたルイズの了承はアンリエッタの声で遮られた。
「まずラグドリアン湖に行ってください」
風竜が雲を突き破ると視界は一気に開ける。
前には少し陰った空、下には広がる雲。
このままアルビオンに残し、再びクロムウェルの手で蹂躙させたくない。
そのアンリエッタのたっての願いによりウェールズ王子の遺骸は風竜に乗せられ、別れを惜しむ彼女の手に抱かれている。
強く吹く風が周りの雲を掃き散らかし、遙か後ろの巨大なアルビオン大陸の姿を明らかにした。
だが絶えず霧に包まれる大陸がそのベールを外すのはわずかの間。
アンリエッタが見つめるうちに再び雲は折り重なり、大陸をその中に飲み込んでいった。
ルイズはそんなアンリエッタの姿を彼女が再びウェールズの遺骸に目を移すまでじっと見つめ続けていた。
どこまでも広い水面を持つラグドリアン湖は、どこまでも静かにどこまでも続く夜空を鏡のように映していた。
この静けさと空から見下ろす二つの月と同様に、この地はアンリエッタとウェールズがかつて愛を誓いあった時のままのように見えた。
──本当に?
変わってしまったのかも知れない。
ルイズには知らないうちに世界が変わってしまったように思えた。
そう、変わらないものなどない。
太古の昔からあるはずのラグドリアン湖も姿を変えているではないか。
三年前、湖のこの畔に来たときには岸からほど近いところに大きな岩があった。
今はその岩はもう姿が無く、かわりに沖合に以前はなかった岩が小さく頭を見せている。
アンリエッタはその岩と青い月の重なる水面にウェールズを横たえた。
既にその体には温かみは欠片も残っておらず、冷たい湖水の一部になったよう。
杖とルーンにより紡がれたアンリエッタの魔法は無数の波紋を作る。
やがて波紋は波となり、その中にあるウェールズの遺骸を湖の底深くに連れ去った。
「これでもう誰もあなたを操ることはできません」
アンリエッタは濡れた片手を空に掲げる。
「誓約を聞き届けるというラグドリアン湖の水の精霊、そして水のルビーに誓います」
その指にある水のルビーが蒼月の光を受け、青く輝いた。
「ルイズ、あなたも証人になってください」
ルイズは頷き、アンリエッタの声を一つも聞き逃すまいと耳を澄ませる。
「私はいずれ再びアルビオンに戻りります」
アンリエッタは口をつぐみ、下唇を噛む。
その痛みを持って心に深く誓いを刻み込んだ。
「そして、簒奪者クロムウェルに報いを与えましょう」
「姫様」
ルイズもまたアンリエッタの誓いを心に刻む。
「私も手伝わせていただきます」
それはルイズ自身の誓いとなった。
その夜もトリステインの王宮は平穏の中にあった。
近々戦争が起こるという噂が流れ、衛士による警備は以前に比べ厳しくはなっていたものの静かであることには変わりない。
ただ残念なことに彼らは密かに城内に侵入した者達に気づいておらず、しかもその侵入者達は事もあろうに彼らが守るべき王女の寝所にいた。
もっとも、その侵入者達とは王女自身であったのだが。
「そういえばルイズ、一つ聞きたいんだけど」
「なに?」
無事、戻ってこれた。
この部屋に着てやってそれを実感する。
同時に体に積み重なった疲れが一気に吹き出した。
ルイズは床に座り込んでいるし、変わり身をしていたシエスタに手伝わせてメイド服から王女としての服に着替えているアンリエッタの足下もどことなくおぼつかない。
そこに話しかけてきたのが一緒に戻ってきたはずなのにまだまだ元気なベルだ。
「ルイズって魔法が使えなかったんでしょ」
「そうよ」
「いつの間に使えるようになったの?」
「いつの間にって……」
「ほら、何かきっかけがあったんじゃない?」
「きっかけ……」
最初にディスペル・マジックを使った時、ルイズはアンリエッタと供にニューカッスル城にいた。
その前に何があっただろうか。
ルイズはそれを思い出そうと目をつぶった。
まぶたが瞳を覆い、闇が訪れる。
そう、あの時ルイズは闇に似たものの中にいた。
その中でルイズにルーンをもたらしたものがあった。
目を閉じたままルイズはゆっくり考える。
──あれは確か……
「オルゴール」
「オルゴール?」
「そう、オルゴールの音が聞こえてきたの。それと一緒にルーンが聞こえてきて、それで使えたの」
「オルゴール……ね」
今度はベルが考える番だった。
組み直した足に蹴られたスカートがばさりと音を立てた。
「そんなの聞こえなかったわよ」
「聞こえてたわよ。そうよ、歌も聞こえてたわ」
「歌?」
「そう、こんなの」
神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右につかんだ長槍で、導きし我を守りきる。
神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。
神の頭脳はミュズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知恵をため込みて、導きし我に助言を呈す。
そして最後にもう1人……。記すことさえはばかれる……。
四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……。
その歌は一度しか聞いたことがないはずなのに思いの外すらすらと思い出せた。
いや、本当は何度も何度も聞いていたのかも知れない。
魔法で心を縛られている間、ルイズに目覚めろ、起きろと何度も何度も。
「それなら」
ベルが窓に駆け寄り、大きく開けると冷たい風が吹き込んだ。
「行きましょう」
「どこへ?」
「もちろんアルビオンへ」
「ちょっと!待ちなさいよ」
ルイズは慌ててベルを止める。
冗談ではない。
本当に冗談を言ってないのかもしれない。
この使い魔は冗談のようなことを言う時ほど本気のことがある。
「今からアルビオンへ?無茶言わないでよ。危ないわ」
「いいじゃない。そのルイズには聞こえて、私には聞こえない音を出すオルゴールはルイズが魔法を使えるようになった鍵なのよ。持ってきてないんでしょ」
「そうだけど、前よりずっと危なくなっているわ」
「そのくらい何とかなるわよ」
「そのくらいって!」
そのくらいをどのくらいと思っているのかはルイズにはわからないが、とにかく今のアルビオンは以前とは比べものにならないくらい危険になっているはずだ。
しかし無謀にもこの使い魔はそんなものはお構いなし。
必死で止めるのも聞かず、それどころかルイズの手を掴んで窓から飛び降りようとまでする。
「お待ちください」
アンリエッタが止めなければ強引なベルは本当にルイズをアルビオンに連れ去っていたかも知れない。
「ベール・ゼファー様。今、アルビオンに行くことは私も反対です」
「でもね、ルイズの魔法に関わるのよ。使い魔の私としては……ね」
「なによ」
「べつに」
横目で見られてルイズは何となく嫌な気分がした。
「オルゴールの変わりのものがあります」
「……へえ」
目の色が少しだけ変えたベルが窓から離れ、机のそばの椅子を引っ張ってそこに座る。
手を離されたルイズは座る場所もなく、そのまま立っていることにした。
「音のでないオルゴールには心当たりがあります。おそらくそれは始祖のオルゴールです」
「それで?」
「実物は私も見たことがありません。ただアルビオン王家に伝わる壊れたオルゴールが始祖のオルゴールとして伝わっているという話を聞いただけです」
「で、そのオルゴールがトリステインにもあるの?」
「いいえ。ですがそれによく似たものがあります。始祖の祈祷書です」
「でも、姫様。それは……本当に本物なのですか?」
始祖の祈祷書。それはハルケギニアで最も多い始祖の秘宝とも言われているものだ。
一冊しかないはずの始祖が記したとされる祈祷書は、その実ハルケギニア各地に存在し、それを所有する貴族、寺院、王室、果ては詐欺師までもが自らの持つ祈祷書こそ本物であると主張している。
「多くの専門家はトリステイン王室に伝わる祈祷書は間違いなく偽物であると言っています」
「それじゃ意味ないわね」
「私もそう思っていました。ですが今のルイズとベール・ゼファー様の話を聞いて確信しました。我が王家に伝わる祈祷書こそ本物です」
「なぜ?」
「トリステイン王室の祈祷書が偽物と断定された理由は全てのページに何一つ書き記されていない事なのです」
「音の聞こえない壊れたオルゴール、誰も読めない白紙の祈祷書……そういうわけね。それで、その祈祷書は見せてもらえるの?」
アンリエッタは頷きながら答える。
「ですが、すぐにというわけには……。祈祷書は代々、王室の結婚式において使われたという意味において価値を持っています。ですから、それなりの理由で後日ルイズに貸し出すということになります」
「いいわ。それからもう一つ欲しいものがあるわ」
怪訝な顔をするアンリエッタを見ながらベルは言葉を続ける。
「ルイズがつけている指輪が欲しいの」
「指輪って、これ?」
ルイズの指にはニューカッスル城の教会からずっと風のルビーが嵌っていた。
「ねえ、ルイズ。クロムウェルが虚無の魔法を使った時のことを思いだしてみて。忘れてないわよね」
もちろん忘れるはずがない。
ウェールズを蘇らせた時も、心を操る魔法を使った時もクロムウェルの指にあった指輪が妖しく輝いていた。
「あの指輪も虚無の魔法の鍵ね。で、ルイズが魔法を使った時にもその指輪が手にあった。持ってた方がいいでしょ」
「でも、これってウェールズ様の形見よ。それなら姫様に渡した方が……」
「アンリエッタ、どう?」
アンリエッタの指にあるのは誓いと願いをかけた証の水のルビー。
それをきつく握りしめる。
「ルイズ、あなたが持っていてください」
「……預からせていただきます」
ルイズもまた重みを増したようにすら思える風のルビーを握りしめた。
「さてと」
ベルは笑みを浮かべながら窓から夜空を見上げる。
「次のゲームはどうなるのかしら」
人がいかなる事を思おうとも素知らぬ風に月と星がそこにあった。
月に照らされる巨大な宮殿。
ここはガリアの王宮グラン・トロワ。
その最も奥の部屋に作られたハルケギニアを模した箱庭の前に座る男こそガリア王ジョゼフである。
「ほう、ほう。なるほど。よく教えてくれたミューズよ。そのような者がいるとはな」
ジョゼフが話しかけるのは人間ではない。
さりとて知恵のある他の生き物でもない。
黒髪の女性を模した人形に話しかけ、その言葉に耳を傾けているのだ。
「さて、ならばいかにするか」
ジョゼフは人形を箱庭に戻し、椅子に深く座り直す。
「サイを振りなさい」
そばに控えていた小姓がサイコロを二つ降る。
「ナイトメイジか。ベール・ゼファーとやら。このハルケギニアというゲーム盤は既に私が使っているのだよ。そこに割り込みたいのであれば、ふさわしい指し手であることを証明してもらわねばな。まずはこの目を持って試させてもらおう」
二つのサイコロはやがて動きを止め、その目を合計した一つの数字を出す。
「ほほう、11。そうかそうか。それなら……」
王の声を聞き、動き出す者が闇にいる。
それを称して人は暗躍という。
ラグドリアン湖。
ここにも夜の闇に躍る者がいた。
「まだ死に切れていないようね。あの魔法の力?それとも愛の力?執念と言った方がいいかしら。
でも嫌いじゃないわそういうの。だから、あなたにチャンスを与えてあげる。
あなたが望むなら彼女を守らせてあげてもいいわ。ただし、ただじゃないわ。けど悪い話じゃないでしょ。
クロムウェルと違って取引なんだから。それでもいい?そう、なら変わりなさい。私の力で」
叫び声を上げたワルドは悪夢にうなされた自らの声で目を覚ました自分に気づいた
ベッドに寝かされ、上を向く目にはロウソクの光に照らされた天井が見える。
光をたどり巡らせた視線が扉にむくと、それは耳障りな音を立てて開いた。
「目がさめたみたいだね」
揺らめく炎を映す眼鏡をかけたその顔にワルドは見覚えがあった。
元のサウスゴータ太守の娘というマチルダという女だ。
「どうなったのだ?俺は」
「ベール・ゼファーにやられたのさ。ひどい傷だったみたいだけど手加減してもらったみたいだね。明日には動けるようになるって話だよ」
「ぐっ!」
ワルドは悪夢を思い出す。
そうだ、ベール・ゼファーだ。
俺を打ちのめし、母の肖像を消した女。
「おのれ……必ず倒してくれる」
そばに立つマチルダがコップに水をくむ
コップと一緒に差し出した彼女の声はやけにさめていた。
「まだやる気なのかい?」
「無論だ。このまま終わりはしない」
「そうかい」
ワルドはその声に何か含むものがあるような気がした。
ただ何となくではあったが。
「やつを知っているのか?」
「まあね」
マチルダは部屋に置かれている花瓶から花の一輪を取り上げ、指先でもてあそぶ。
「あんたがもう一度あいつと戦って、それでも生きていたら教えてやるさ」
花弁の一つ床に落ちた。
それは何かを暗示しているのだろうか。
マントと金髪を風になびかせ、その目を遠くに向ける男が崖に立つ。
その者は赤い月を背負うラ・ロシェールの大樹を見上げ、手に持つ薔薇の一輪にキスをした口で呟いた。
「遅いな……みんな。まだかな。早く帰ってこないかな。おーい」
その者の名はギーシュ・ド・グラモンと言った。
その頃のアンリエッタ
「何か忘れているような……」
その頃のちょっとお出かけしていたベル
「忘れているってことはたいしたことじゃないわよね」
その頃のシエスタ
「何かあったんですか」
その頃のルイズ
「どうでもいいことね。きっと」
#navi(ナイトメイジ)
#navi(ナイトメイジ)
洞窟の中は静かに、ただひたすらに静かだった。
死者はなにも語らず、死者と語らう姫君はなにも口にせず、それを見下ろす少女もまた沈黙を守っていた。
それを破るのはベール・ゼファー。
全てを知っているような声がルイズとアンリエッタの耳に滑り込む。
「終わったみたいね」
「どこ行ってたのよ」
「ちょっと、ね」
戻ってきたベルは1人でない。
「なんで、王党派の王子が?この方は本当にトリステインの王女様なんですか?いったい何が起こってたんですか?」
と、うろたえる竜騎士の少年を連れていた。
ベルはその少年を下から──少年の背はベルより頭2つ弱ほど高い──小突いて黙らせる。
「足を調達して来たのよ。空の上からトリステインに帰るには必要でしょ」
「そうだけど……」
「それなら帰りましょう。行き先はトリスタニアでいいわよね?」
何か言いくるめられたような気がしたが、ここにいつまでもは居られない。
文句を言ってやりたいのをぐっと押さえたルイズの了承はアンリエッタの声で遮られた。
「まずラグドリアン湖に行ってください」
風竜が雲を突き破ると視界は一気に開ける。
前には少し陰った空、下には広がる雲。
このままアルビオンに残し、再びクロムウェルの手で蹂躙させたくない。
そのアンリエッタのたっての願いによりウェールズ王子の遺骸は風竜に乗せられ、別れを惜しむ彼女の手に抱かれている。
強く吹く風が周りの雲を掃き散らかし、遙か後ろの巨大なアルビオン大陸の姿を明らかにした。
だが絶えず霧に包まれる大陸がそのベールを外すのはわずかの間。
アンリエッタが見つめるうちに再び雲は折り重なり、大陸をその中に飲み込んでいった。
ルイズはそんなアンリエッタの姿を彼女が再びウェールズの遺骸に目を移すまでじっと見つめ続けていた。
どこまでも広い水面を持つラグドリアン湖は、どこまでも静かにどこまでも続く夜空を鏡のように映していた。
この静けさと空から見下ろす二つの月と同様に、この地はアンリエッタとウェールズがかつて愛を誓いあった時のままのように見えた。
──本当に?
変わってしまったのかも知れない。
ルイズには知らないうちに世界が変わってしまったように思えた。
そう、変わらないものなどない。
太古の昔からあるはずのラグドリアン湖も姿を変えているではないか。
三年前、湖のこの畔に来たときには岸からほど近いところに大きな岩があった。
今はその岩はもう姿が無く、かわりに沖合に以前はなかった岩が小さく頭を見せている。
アンリエッタはその岩と青い月の重なる水面にウェールズを横たえた。
既にその体には温かみは欠片も残っておらず、冷たい湖水の一部になったよう。
杖とルーンにより紡がれたアンリエッタの魔法は無数の波紋を作る。
やがて波紋は波となり、その中にあるウェールズの遺骸を湖の底深くに連れ去った。
「これでもう誰もあなたを操ることはできません」
アンリエッタは濡れた片手を空に掲げる。
「誓約を聞き届けるというラグドリアン湖の水の精霊、そして水のルビーに誓います」
その指にある水のルビーが蒼月の光を受け、青く輝いた。
「ルイズ、あなたも証人になってください」
ルイズは頷き、アンリエッタの声を一つも聞き逃すまいと耳を澄ませる。
「私はいずれ再びアルビオンに戻りります」
アンリエッタは口をつぐみ、下唇を噛む。
その痛みを持って心に深く誓いを刻み込んだ。
「そして、簒奪者クロムウェルに報いを与えましょう」
「姫様」
ルイズもまたアンリエッタの誓いを心に刻む。
「私も手伝わせていただきます」
それはルイズ自身の誓いとなった。
その夜もトリステインの王宮は平穏の中にあった。
近々戦争が起こるという噂が流れ、衛士による警備は以前に比べ厳しくはなっていたものの静かであることには変わりない。
ただ残念なことに彼らは密かに城内に侵入した者達に気づいておらず、しかもその侵入者達は事もあろうに彼らが守るべき王女の寝所にいた。
もっとも、その侵入者達とは王女自身であったのだが。
「そういえばルイズ、一つ聞きたいんだけど」
「なに?」
無事、戻ってこれた。
この部屋に着いてやっとそれを実感する。
同時に体に積み重なった疲れが一気に吹き出した。
体が重くて床に座り込んでしまったしいるし、変わり身をしていたシエスタに手伝わせてメイド服から王女としての服に着替えているアンリエッタの足下もどことなくおぼつかない。
そこに話しかけてきたのが一緒に戻ってきたはずなのにまだまだ元気なベルだ。
「ルイズって魔法が使えなかったんでしょ」
「そうよ」
「いつの間に使えるようになったの?」
「いつの間にって……」
「ほら、何かきっかけがあったんじゃない?」
「きっかけ……」
最初にディスペル・マジックを使った時にルイズはアンリエッタと供にニューカッスル城にいた。
その前に何があっただろうか。
ルイズはそれを思い出そうと目をつぶった。
まぶたが瞳を覆い、闇が訪れる。
そう、あの時ルイズは闇に似たものの中にいた。
その中でルイズにルーンをもたらしたものがあった。
目を閉じたままルイズはゆっくり考える。
──あれは確か……
「オルゴール」
「オルゴール?」
「そう、オルゴールの音が聞こえてきたの。それと一緒にルーンが聞こえてきて、それで使えたの」
「オルゴール……ね」
今度はベルが考える番だった。
組み直した足に蹴られたスカートがばさりと音を立てた。
「そんなの聞こえなかったわよ」
「聞こえてたわよ。そうよ、歌も聞こえてたわ」
「歌?」
「そう、こんなの」
神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右につかんだ長槍で、導きし我を守りきる。
神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。
神の頭脳はミュズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知恵をため込みて、導きし我に助言を呈す。
そして最後にもう1人……。記すことさえはばかれる……。
四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……。
その歌は一度しか聞いたことがないはずなのに思いの外すらすらと思い出せた。
いや、本当は何度も何度も聞いていたのかも知れない。
魔法で心を縛られている間、ルイズに目覚めろ、起きろと何度も何度も。
「それなら」
ベルが窓に駆け寄る。
大きく開けると冷たい風が吹き込んだ。
「行きましょう」
「どこへ?」
「もちろんアルビオンへ」
「ちょっと!待ちなさいよ」
ルイズは慌ててベルを止める。
冗談ではない。
本当に冗談ではないのかもしれない。
この使い魔は冗談のようなことを言う時ほど本気のことがある。
「今からアルビオンへ?無茶言わないでよ。危ないわ」
「いいじゃない。そのルイズには聞こえて、私には聞こえない音を出すオルゴールはルイズが魔法を使えるようになった鍵なのよ。持ってきてないんでしょ」
「そうだけど、前よりずっと危なくなっているわ」
「そのくらい何とかなるわよ」
「そのくらいって!」
そのくらいをどのくらいと思っているのかはルイズにはわからないが、とにかく今のアルビオンは以前とは比べものにならないくらい危険になっているはずだ。
しかし無謀にもこの使い魔はそんなものはお構いなし。
必死で止めるのも聞かず、それどころかルイズの手を掴んで窓から飛び降りようとまでする。
「お待ちください」
アンリエッタが止めなければ強引なベルは本当にルイズをアルビオンに連れ去っていたかも知れない。
「ベール・ゼファー様。今、アルビオンに行くことは私も反対です」
「でもね、ルイズの魔法に関わるのよ。使い魔の私としては……ね」
「なによ」
「べつに」
横目で見られてルイズは何となく嫌な気分がした。
「オルゴールの変わりのものがあります」
「……へえ」
目の色を少しだけ変えたベルが窓から離れ、机のそばの椅子を引っ張ってそこに座る。
手を離されたルイズは座る場所もなく、そのまま立っていた。
「音のでないオルゴールには心当たりがあります。おそらくそれは始祖のオルゴールです」
「それで?」
「実物は私も見たことがありません。ただアルビオン王家に伝わる壊れたオルゴールが始祖のオルゴールとして伝わっているという話を聞いただけです」
「で、そのオルゴールがトリステインにもあるの?」
「いいえ。ですがそれによく似たものがあります。始祖の祈祷書です」
「でも、姫様。それは……本当に本物なのですか?」
始祖の祈祷書。それはハルケギニアで最も多い始祖の秘宝とも言われているものだ。
一冊しかないはずの始祖が記したとされる祈祷書は、その実ハルケギニア各地に存在し、それを所有する貴族、寺院、王室、果ては詐欺師までもが自らの持つ祈祷書こそ本物であると主張している。
「多くの専門家はトリステイン王室に伝わる祈祷書は間違いなく偽物であると言っています」
「それじゃ意味ないわね」
「私もそう思っていました。ですが今のルイズとベール・ゼファー様の話を聞いて確信しました。我が王家に伝わる祈祷書こそ本物です」
「なぜ?」
「トリステイン王室の祈祷書が偽物と断定された理由は全てのページに何一つ書き記されていない事なのです」
「音の聞こえない壊れたオルゴール、誰も読めない白紙の祈祷書……そういうわけね。それで、その祈祷書は見せてもらえるの?」
アンリエッタは頷きながら答える。
「ですが、すぐにというわけには……。祈祷書は代々、王室の結婚式において使われたという意味において価値を持っています。ですから、それなりの理由で後日ルイズに貸し出すことになります」
「いいわ。それからもう一つ欲しいものがあるわ」
怪訝な顔をするアンリエッタを見ながらベルは言葉を続ける。
「ルイズがつけている指輪が欲しいの」
「指輪って、これ?」
ルイズの指にはニューカッスル城の教会からずっと風のルビーが嵌っていた。
「ねえ、ルイズ。クロムウェルが虚無の魔法を使った時のことを思いだしてみて。忘れてないわよね」
もちろん忘れるはずがない。
ウェールズを蘇らせた時も、心を操る魔法を使った時もクロムウェルの指にあった指輪が妖しく輝いていた。
「あの指輪も虚無の魔法の鍵ね。で、ルイズが魔法を使った時にもその指輪が手にあった。持ってた方がいいでしょ」
「でも、これってウェールズ様の形見よ。それなら姫様に渡した方が……」
「アンリエッタ、どう?」
アンリエッタの指にあるのは誓いと願いをかけた証の水のルビー。
それをきつく握りしめる。
「ルイズ、あなたが持っていてください」
「……預からせていただきます」
ルイズもまた重みを増したようにすら思える風のルビーを握りしめた。
「さてと」
ベルは笑みを浮かべながら窓から夜空を見上げる。
「次のゲームはどうなるのかしら」
人がいかなる事を思おうとも素知らぬふうに、月と星がそこにあった。
月に照らされる巨大な宮殿。
ここはガリアの王宮グラン・トロワ。
その最も奥の部屋に作られたハルケギニアを模した箱庭の前に座る男こそガリア王ジョゼフである。
「ほう、ほう。なるほど。よく教えてくれたミューズよ。そのような者がいるとはな」
ジョゼフが話しかけるのは人間ではない。
さりとて知恵のある他の生き物でもない。
黒髪の女性を模した人形に話しかけ、その言葉に耳を傾けているのだ。
「さて、ならばいかにするか」
ジョゼフは人形を箱庭に戻し、椅子に深く座り直す。
「サイを振りなさい」
そばに控えていた小姓がサイコロを二つ降る。
「ナイトメイジか。ベール・ゼファーとやら。このハルケギニアというゲーム盤は既に私が使っているのだよ。そこに割り込みたいのであれば、ふさわしい指し手であることを証明してもらわねばな。まずはこの目を持って試させてもらおう」
二つのサイコロはやがて動きを止め、その目を合計した一つの数字を出す。
「ほほう、11。そうかそうか。それなら……」
王の声を聞き、動き出す者が闇にいる。
それを称して人は暗躍という。
ラグドリアン湖。
ここにも夜の闇に躍る者がいた。
「まだ死に切れていないようね。あの魔法の力?それとも愛の力?執念と言った方がいいかしら。
でも嫌いじゃないわそういうの。だから、あなたにチャンスを与えてあげる。あなたが望むなら彼女を守らせてあげてもいいわ。ただし、ただじゃないわ。けど悪い話じゃないでしょ。クロムウェルと違って取引なんだから。それでもいい?そう、なら変わりなさい。私の力で」
叫び声を上げたワルドは悪夢にうなされた自らの声で目を覚ました自分に気づいた
ベッドに寝かされ、上を向く目にはロウソクの光に照らされた天井が見える。
光をたどり巡らせた視線が扉にむくと、それは耳障りな音を立てて開いた。
「目がさめたみたいだね」
揺らめく炎を映す眼鏡をかけたその顔にワルドは見覚えがあった。
元のサウスゴータ太守の娘というマチルダという女だ。
「どうなったのだ?俺は」
「ベール・ゼファーにやられたのさ。ひどい傷だったみたいだけど手加減してもらったみたいだね。明日には動けるようになるって話だよ」
「ぐっ!」
ワルドは悪夢を思い出す。
そうだ、ベール・ゼファーだ。
俺を打ちのめし、母の肖像を消した女。
「おのれ……必ず倒してくれる」
そばに立つマチルダがコップに水をくむ
コップと一緒に差し出した彼女の声はやけにさめていた。
「まだやる気なのかい?」
「無論だ。このまま終わりはしない」
「そうかい」
ワルドはその声に何か含むものがあるような気がした。
ただ何となくではあったが。
「やつを知っているのか?」
「まあね」
マチルダは部屋に置かれている花瓶から花の一輪を取り上げ、指先でもてあそぶ。
「あんたがもう一度あいつと戦って、それでも生きていたら教えてやるさ」
花弁の一つ床に落ちた。
それは何かを暗示しているのだろうか。
マントと金髪を風になびかせ、その目を遠くに向ける男が崖に立つ。
その者は赤い月を背負うラ・ロシェールの大樹を見上げ、手に持つ薔薇の一輪にキスをした口で呟いた。
「遅いな……みんな。まだかな。早く帰ってこないかな。おーい」
その者の名はギーシュ・ド・グラモンと言った。
その頃のアンリエッタ
「何か忘れているような……」
その頃のちょっとお出かけしていたベル
「忘れているってことはたいしたことじゃないわよね」
その頃のシエスタ
「何かあったんですか」
その頃のルイズ
「どうでもいいことね。きっと」
#navi(ナイトメイジ)
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