「虚無の闇-06」(2008/11/29 (土) 01:49:18) の最新版変更点
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「まったく、馬鹿らしいほどに素晴らしいわね……。契約は面倒だけど」
好物であるクックベリーパイを食べ終え、ルイズは不機嫌ながらも喜んでいるような、そんな口調で言った。
思わず鼻歌でも歌いそうなぐらい機嫌がいいのは、懐に入っている数枚のメモのお陰だった。
書いてあったのはルイズが求め続けた空を飛べる呪文、そしてメイジには絶大な効果を得られるいくつかの呪文との契約の魔方陣だ。ご丁寧な事に説明と警告までついていた。
おぼろげだった夢の内容と、自分の体を勝手に使われた怒りなど、最初の一枚を読んだ時点で吹っ飛んだ。それどころか空を飛べると思うだけで、椅子を蹴倒して小躍りしてしまうほどだ。
朝食をおなかいっぱい食べた後で部屋に戻り、身だしなみを一部の隙もなく整えてから契約に挑んだおかげか、メモに書かれていた魔法はひとつ残らず覚えられた。
午前中一杯は契約と練習で終わってしまったが、ゼロだった自分が着々と力を付けている事を思うと、嬉しくて嬉しくてどうも頬がゆるい。
使うには魔法を使える対象が必要な魔法があったのと、空を飛ぶのは難しくて練習が必要な事などが問題点として挙げられたが、練習や訓練なら大好きだ。熱心に打ち込みすぎて、危うく昼食に遅れかけるぐらい。
1キロほど全力疾走しても息が切れないのは助かった。馬より早かったし。
「ふぅ……」
最後にワインを流し込んで席を立つ。午後はメモと照らし合わせながらの文献探しをする予定だった。
内容はすでに暗記済みであるが、手元にあったほうが参照しやすい事に変わりはない。寝るまでには燃やしてしまうつもりなので、見れるのは今日限りという理由もある。
少し前までのように下ばかり向いておらず、再び真っ直ぐ前を向いて新たな魔法に心躍らせているルイズは、足元に転がっていた小瓶に気付かなかった。
ガラスが砕ける音と共に靴底からジャリジャリした感触が伝わり、底に沈んでいた意識が即座に現実へ引っ張り戻される。
「……っ?! びっくりした……。そこのメイド、丁度いいわ。これ、片づけておいて」
強烈な香水の匂いに顔を顰めつつ、ルイズは近場にいた黒髪のメイドに掃除を命じた。本来は手首に数滴を塗りこむだけで効果を発揮するのだから、瓶ごとぶちまけられた芳香は悪臭に近い。
せっかくのいい気分を台無しにされてしまった、ルイズはやや恨みを込めて唇を尖らせる。香水は結構だが、こんな場所に転がしておくなんて。
メイドが手早く片づけをしているのを眺めながら、食い込んだ破片と匂いを取り除くために靴底で絨毯を擦る。
「き、きみっ! その香水は、もしかして……?!」
誰かの声に顔を上げたルイズは、金髪の男子生徒が血相を変えてメイドにどやし立てているのを見た。
手に持っているのはバラをモチーフにした杖、そして大きく胸もとを開けている珍妙な制服、間違いなくギーシュだ。
最初は放っておこうかとも考えたが、ここで逃げてもすぐに私が犯人だと判明してしまうだろう。後で部屋にでも来られたら、対処が面倒だった。
仕方ないと首を軽く振り、手早く謝罪して済ませてしまおうと決める。たかが香水の一つや二つ、そこまで騒ぎたてるほどの事でもない。
「あー、貴方のだったの。ごめん、踏んじゃったわ」
「なな、な、なんて事を……! どうしてくれるんだ!!」
「大切な物だったのなら悪いけれど……落としたのは貴方だし、非はそっちのほうが大きいと思うわよ?」
軽く頭を下げたルイズに勘違いしたのか、それともどこ吹く風という冷静な態度が気に障ったのか、ギーシュの青い顔がだんだんと赤く染まっていく。
大げさなジェスチャーを交えながら、今度はルイズへ向けてあれこれと文句を付け始めた。
「うるさい! これは、モンモランシーの香水なんだぞ! まったく!」
「……はぁ、仕方がないわね、分かったわよ。私も足元不注意だったし、弁償してあげる。何エキュー?」
ギーシュは煙を吹きそうなほど顔を紅潮させ、更に音量を増してルイズへと迫った。言外に「しつこい」という雰囲気を滲ませたのが不味かったようだ。
手の中で密かに作り出した氷の弾丸を額に撃ち込んでやろうかと血迷ったが、まだ公式に敵を作る時ではないと判断したルイズは呪文を消去する。
「ふふふ、ふふ、ふざけるな!! ゼロのルイズ! 彼女からもらった大切な香水を、金銭で解決するなんて……!」
食堂の隅とはいえ、大声で叫びまくれば当然目立つ。いつの間にか彼らの周りには、大量の野次馬がひしめいていた。
周囲からは「モンモランシーはギーシュと付き合ってたのか!」「たしかにこの匂いは、彼女特製の物だ」などと聞こえてくる。
ルイズからすれば他人の色恋沙汰などどうでもよかったが、面倒なことになりそうだとは思っていた。
「まったく! ゼロのルイズは! 注意力さえゼロのかい?! 本当に……」
「聞いてれば、自分の事を棚に上げて、いい御身分ね……? ミスタ・グラモン。落としたのは、貴方でしょう?」
「そ、それは……」
「私は謝ったし、必要なら弁償するとも言ったのよ? それをゼロだなんだと……。口が過ぎるんじゃなくて?」
ギーシュは唸りながら口を閉ざした。たしかに落としたのは彼の不注意だし、ルイズの対応は優しすぎるぐらいである。
これ以上言えば寿命が極めて短くなる事を五感以外の何かで悟ったのか、それとも正論に反論しないだけの理性があったのか、ギーシュは煮えかけていた頭に水を注いだ。
たしかに小さな壜だし、足元を見ていなければ踏んでしまうのも仕方がない。モンモランシーには怒られるかもしれないが、既に周囲には人垣ができていた。
更に騒ぎを大きくした場合、猛烈に不味い事態に発展するかもしれななかった。大きく深呼吸して落ち着こうとしたとき、最悪の事態が向こうから飛び込んでくる。
「ギーシュさま……。やっぱり、ミス・モンモランシーと……」
「け、ケティ?! これは、その……」
「説明してもらえるわよね、ギーシュ……?」
「もももも、も、モンモランシー?!」
人垣の中から進み出たのは、赤毛の少女と金髪縦ロールの少女。二人に共通する点は、怒りで頬を赤く染めている事ぐらいか。
必死の言い訳を試みるギーシュだったが、焦りで空回りする頭で考えた言い訳は報われなかった。まるで照らし合わせたかのようなビンタが左右から飛来し、頬にはバラに相応しい真っ赤な花が二つ咲いた。
情けない悲鳴を上げながらギーシュは吹っ飛び、机にぶつかってワインを零す。一部は彼にかかって、右腕のあたりを真っ赤に染めた。
ケティは逃げ出すようにその場から去り、モンモランシーは人ごみをモーゼのように切り裂きながら帰る。もはやギーシュには一瞥すら送らなかった。
「……か、彼女たちは、薔薇の意味を分かっていないんだ! 多くの女性を楽しませてこそ……」
ふらつきながらも立ち上がり、周囲からの嘲笑の視線に気づいた彼は必死に弁明する。傷ついたプライドを言葉で修復し、惨めな自分を慰めた。
せめて冷え切ったこの場を取り繕うとギーシュは杖を振りながら口上を述べていたが、聞こえてくる大爆笑に顔をゆがませた。
「ご、ごめんなさ、いっ……プククッ……アハハハハッ!!」
文字通り腹を抱えて笑っているのは、この喜劇を一番の特等席で見てしまったルイズだった。
楽しい事はあったが面白い事には欠けていた生活のためか、どうしようもなく壺に入ったらしい。抑えようとすればするほど止まらなくなるようで、口を手で塞いでいても肩はブルブルと震えている。
ルイズに釣られたのか笑いの渦はどんどんと巨大化し、食堂の一角は口元から空気が漏れる音と、遠慮なくゲラゲラと笑う声に包まれた。
「なっ……! け、決闘だ! ゼロのルイズ! 僕と決闘しろ!」
茹でダコのように顔を赤くしたギーシュが、ルイズに杖を向けながら怒鳴る。自分が公然と笑い物にされているという事実に耐えられなくなったようだ。
それでも笑い続けるルイズに、吐き捨てるようにして「ヴェストリ広場で待つ! 逃げるなよ!」とセリフを叩きつけると、肩を怒らせながら野次馬の間をかき分けていく。
俯いているルイズの表情を見れば即座に決闘を取り消したかもしれないが、生憎と出口に差し掛かっていた彼には見えなかった。
あの場にいた野次馬のほぼ全てと、どこからか湧いてきた数倍の暇人を加え、ヴェストリ広場は沸きに沸いていた。
なにしろ娯楽の少ない学院生活において、こんな事件は最高の暇つぶしになる。中央に居る二人を取り囲むように、百人を超す生徒たちが集まっている。
あちこちではこの勝負を賭けにしようとして、ゼロのルイズじゃ勝負にならないさ、と笑っていた。
「……諸君! 決闘だ!」
当事者であるギーシュは再び青くなった顔を空元気で隠しながら、普段より一層もったいぶって宣言する。
正直に言えば、彼はこの決闘がやりたくなかった。あの場の勢いで言い出してしまった事であり、本来は女の子相手に決闘を挑むだなんて、馬鹿のする事だと鼻で笑うだろう。
性格はアレだし、体はどこぞの吸血鬼が時を止めてるのでは無いかと思うほどだが、ルイズだってちゃんとした女性。薔薇を自称する自分であれば、守るべき相手のはず。
他の女の子を取り合って決闘の真似事をやらかした事はあるが、これは今まででも最悪に近かった。10分前の自分を殴ってやりたいほどだ。
止められるなら今すぐにでも止めたいのだけど、この空気。今になって「ジョークでした! 僕は薔薇だからね! 女の子は殴れない!」なんて言ったら、どうなる事か想像したくない。
唯一の希望はルイズが降参してくれる事なのだが……ゼロと呼んだのが不味かったのか、明らかにやる気だった。皿のように薄い胸の前で腕を組み、こちらをじっと見つめている。
どうにか軟着陸させようと必死に頭を動かした結果、彼は普段よりかなり知的になっていた。窮すれば通ず、革命的なアイディアがひらめく。
「は、ハンデとして、僕はこの場から動かない事にしよう!」
ギーシュは自分の完璧な頭脳を褒めてやりたくなった。こう言っておけば何か奇跡が起きて負けても、自分は全力では無かったと言い訳が立つ。
授業で見たことのあるルイズの魔法は、ファイアーボールだってなんだって大爆発を伴って失敗させる。つまり狙いをつけられない盲瞽撃ちなのだ。
逃げてどうにかなるものではないし、もし当たって敗北しても、避けなかったと言える。……まあ、そんな奇跡は起きないと思うけどね。万が一に備えるのも戦略の一つさ。
ほれ込むような智謀に満足したおかげで、頭の中の混乱もだいぶ落ち着いていた。
「……ワルキューレっ!」
ギーシュが杖を掲げると、彼の自信の拠り所にして発生源、戦乙女の名を冠した美しいゴーレムが作られる。
普段とは違って両手には特に武器もなく、手先は丸みを帯びていて装甲も薄めだった。まさか女の子を武器で切りつける訳にはいかないし、出来る事なら傷つけずに終わらせようという配慮である。
決闘で最もスマートなのは、相手の杖を叩き落す事。まさかルイズを袋叩きにした上で降参させるだなんて、それはあまりにも不味すぎる。サドだ変態だと悪評が立つ事は間違いなく、ギーシュとしても不本意だ。
なので今回はルイズをできるだけ優しく捉え、あの細い指先から杖を拝借して勝利する予定だった。
「いいゴーレムね、ギーシュ……。では、私も魔法を見せてあげるわ!」
ギャラリーがざわめき、自信満々のルイズを見て「まさか……」「ゼロだろ……?」と口々に呟いた。
しかし彼らの予想を大きく裏切って、宣言通り空中には氷の槍が10本近く作り出されている。「なんだって!」「ウソだろ?! あのゼロが……そんな、ばかな……」驚愕がうねりとなって広場を走った。
レイピアのように細いそれらは美しく光を反射し、防具のない人間を相手にするには十分な殺傷能力を持っていることは明白。ギーシュの顔が隠しようもなく青くなる。
ま、待てよ! あれが当たったら僕死ぬぞ?! そんな事聞いてない!!
「け、決着は! 互いの杖を落としたら、で決めよう! そ、それ以外に対する攻撃は、控える!」
動かないという発言をしてしまった以上、これを飲んでもらわないと命が危ない。ただでさえ彼にはルイズを殴れないのだ。
もともと今回の決闘は、逃げ回るルイズをワルキューレで捕まえてお終い、という結末以外考えていなかった。彼女が魔法を使えるだなんて想定外もいいところ。夢なら覚めてくれお願いだから。
幸いなことにルイズはそれを否定せず、むしろ当然とばかりに受け入れたので、ギーシュは内心でほっと胸をなでおろした。
「さ、さあ! 始めようか!」
ルイズとしてもこの提案は嬉しかった。もともと魔法の効果を試したかっただけだし、ギーシュを殺す気など最初からない。
その理由は簡単、ここではバレるからだ。ヤるつもりなら誰の目にも止まらない場所で綺麗に殺す。今は過剰に人目を引くな、とメモにも書いてあった。
この騒ぎが過剰かどうかは個人の判断に関わるだろうけれども、少なくとも力を見せつければゼロとは呼ばれなくなる。それでも煩いのがいれば、それは追って掃除すればいい。
確かにギーシュは私を何度も罵倒した、殺したい人間のうちの一人ではある。しかしだからこそ、殺すだけでは済まさない。絶望を味あわせてやる。
「ワルキューレッ!」
戦乙女は左右にステップを刻みながら、訓練を受けた傭兵のような速度でルイズに迫ってくる。
最も今のルイズには、子供が自棄になって走ってくるのとそう大差はない。軽く杖を振りながら槍たちを突撃させ、一瞬のうちに串刺しにした。
脆い対人用のヒャドで冷気はほとんど無く、ただの氷による物理攻撃だったが、中身の詰まっていない青銅の鎧ぐらいなら貫けるらしい。ルイズは脳内にそうメモする。
ゴーレムは頭、心臓、両腕と両足を綺麗に打ち抜かれていた。やや位置が外側だったらしい左腕は根元から折れており、少々もがいているが再び立ち上がる気配は無い。
倒れたワルキューレの残骸の壊れ具合をチェックしていると、新たに2体の甲冑がルイズに向かってくる。再びヒャドを唱え、向かって右側を迎撃した。
「ふ、ふふん! 威力はあるようだが、この状態で詠唱できるかな!?」
実際には特に必要ないものの、それは切り札なので見せられない。制約のあるルイズにとって、しつこく纏わりついてくるワルキューレは予想外に邪魔な存在だった。
いくらルイズの体が人間より遥かに強靭で豪力でも、それを制御しているのは貴族の女の子だったルイズの頭脳であるし、自分の体とはいえ馴染みも薄い。
アルビレオン空軍最強のフネ、ロイヤル・ソヴリン号を新米の兵隊が操縦しているようなものだ。素材が天下逸品でも、素人の料理人では味を引き出せない。圧倒的に経験が不足している。
こんな場合の身のこなしなんて知らないので、とりあえず適当に体を動かして逃げる。そうなるとワルキューレの腕をかわすのにも無駄な動作が必要になり、ある程度は洗練されている敵に対して運動量が多くなってしまう。
1体だけなら永遠に逃げ続ける余裕があるものの、残りが一気に来れば人間の範疇を逸脱する動きになるだろう。そういった意味での制御も地味に神経を使った。
邪魔だからとうっかり殴ってしまえば、少女の拳が青銅をぶち抜くという、絵面的に非常に問題なシーンになる。それはまだ見せたくない。
もっといえば、ルイズは肉体言語で勝ちたい訳ではなく、魔法で勝負して勝ちたいのだ。
「ちっ……」
ルイズの舌打ちが聞こえる訳は無かったが、ギーシュはなんとか余裕を取り戻していた。
2体壊されてしまったが、出せるワルキューレはあと4体も残っている。あの1体だけでもルイズを相当に追い詰めているようだし、戦力は十分だった。
考えてみればルイズが魔法を使えているお陰で決闘という体裁も整ったし、自分としてはいい事尽くめだろう。少なくとも一方的に苛めたという見方はされまい。
とりあえずもう2体追加しておき、1体は防御のために自らの脇に控えさせ、残りをルイズのほうへ向けた。これで自分の勝ちは動かない。
「ふう……やるようだが、そこまでだっ!」
薔薇を振ってポーズをつけた直後、彼の真横を氷の弾丸が掠めた。
顔面を直撃するコースとは大きく外れているが、風を切る鋭い音に反射的に体が強張り、僅かながら意識がルイズから逸れる。
彼の命令をメインに活動するワルキューレたちにとって、その隙はあまりに致命的で、次の瞬間にはルイズを抑えようとしていた2体がハチの巣にされていた。
「なっ?! ワ、ワルキューレッ!」
すかさず全ての花びらを使い切り2体を加えたものの、状況が一転したことは間違いなかった。冷汗が頬を伝う。
残ったワルキューレは3体だけ。すでに全勢力の半分以上が破壊されているというのに、彼女と言えば息一つ切らしてはいないではないか!
戦力を集中させ一気に叩く、という兵法の基本を忘れていた自分のミスだった。とにかく杖を振って3体に指令を送り、3方向から同時にルイズに向かわせる。
彼女とて同じドットのはずだ、ならばこれに対処できるはずがない……! 接近さえしてしまえば勝てる!
しかしルイズは余裕の笑みを浮かべると、とてもドットでは作れないほど大きなジャベリンを3つも作り出し、やすやすとワルキューレたちを全滅させてしまった。
いくら痛みを感じないゴーレムとて、胴体に大穴があいて真っ二つに引き裂ける寸前まで破壊されてしまっては、戦うどころか立つ事だってできはしない。
「うぁ……そ、そんな……」
偉大なるグラモン家の一員として、そしてドットではあるが実力を持つメイジとしてのプライドが音をたてて崩れる。
なぜルイズが? 彼女はゼロのはずだろ? 僕が、この僕が負けるなんて……。
ゆっくりと歩み寄ってくるルイズは言い知れぬ不安を掻き立て、ギーシュの中に生み出されていた恐怖の芽を育てた。混乱がますます大きくなる。
見たことがないような笑顔のまま、ルイズは一歩一歩近づいてくる。その瞳は鳶色の狂気を孕んでいて、姿は鎌を振りかざす死神、牙をむくエルフのように見えた。
「あっ……く、くるな……っ!」
思わずそう叫ぶが、歩みは一向に止まる気配がなかった。自らの決めたルールなど忘れて逃げ出したかったが、いったいどうしたことか、足は一歩たりとも動いてくれない。
喉の奥から小さな悲鳴が漏れだすのを止められないままに、自由にならない足を見下ろして悪態をついた。僕はこの場から逃げたいんだ! 動けよ!
「終わりよ、ギーシュ・ド・グラモン……」
顔をあげると目の前にはルイズの顔があり、その唇から告げられたのは完全な死刑宣告。
ガタガタと体を震わせながら死の恐怖に脅え、ギーシュは断頭台に頭部を固定された囚人の気持ちを味わっていた。
目の前のルイズはその刃。彼女が側に立ったが最後、首は血の涙を流しがら胴体と別れる羽目になる。
「……マホトーン」
何かの呪文が耳に入り、次いで胸を締め上げられるような違和感を感じた。何かはわからないが、非常に嫌なものだと思った。
殺される殺される殺される殺される殺される、絶対に殺されてしまう! だ、誰か助けてくれ! この化け物をどうにかしてくれ!
半狂乱になったギーシュは泡を吹く寸前まで追い詰められたが、彼が危惧したような事態にはならなかった。
「……はい! これで、決闘はお終い。私の勝ちよね、ギーシュ?」
「へっ? け、決闘……?」
背を向けたルイズを見て命の危機が去ったと考えていると、周囲の異常なまでにヒートアップした叫び声が耳に入る。
我に返り、ギーシュはいつも通りのルイズを前にして、迷子の子供のように怯えていた事を自覚した。ルイズが近付いてきたのは杖を奪うためだったのか。
思わず首をひねるが、もう彼女の顔を見ても、先ほどまでの恐怖なんて微塵も浮かんでこない。それどころか、晴れやかな笑顔は可愛いとさえ思える。
ルイズは右手に自分の杖、左手にはギーシュの杖を持ち、零れるような笑顔を周囲のギャラリーに振りまいていた。普段なら「こんな顔をするルイズならナンパしてもいいかな」なんて考えそうだ。
なんで僕はあんなに彼女が怖かったんだろう……? グラモン家の一員にしては、随分と臆病だったな。父上に見られたらこっぴどく叱られるだろう。
「あ、ああ……僕の、負けだ……」
どこか釈然としないまでも、彼女は勝者で自分は敗者なのだから、とにかくそれだけは言明した。
あのジャベリンで杖を叩き落とすという選択をされてもおかしくなかった。それをしなかったのはルイズの優しさだろうし、敗者が勝負に関して文句を言うのは美しくない。
人垣は番狂わせに沸きかえり「ルイズが勝った?!」「いつの間にあんな魔法を……」「ギーシュが負けるなんて!」と上へ下への大騒ぎだ。
勝者であるルイズを祝福したいのは山々だったが、明日から級友たちがどんな顔でからかって来るだろうかと考えると憂鬱で、苦笑いを送るのが精一杯だった。
まあ、逃げ回るルイズを一方的に追い詰める悪者にはならずに済んだ事でよしとしよう。モンモランシーとケティにも謝らないとなあ。
興奮冷めやらぬ広場から女王様のような声援を受けて去っていくルイズへ、ギーシュは返してもらった杖を振って見送った。
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