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「魔導書が使い魔-03」(2009/01/13 (火) 12:54:26) の最新版変更点
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#navi(魔導書が使い魔)
それは正四角形を保ちながら、内部に正三角形を隙間なく詰め込んだ図形だっ
た。
その正三角形の中には正二角形がこれもまた隙間なく詰め込まれ。
その正二角形の中には正五角形が詰め込まれていた。
図形は、捻じ曲がった直角の石柱に施され。石柱は隙間からぬらぬらと濃い緑
色の粘液を出して、表面を真っ赤に染め上げる。
石柱はとてつもなく大きかった。石柱の一節が小さい城程度の大きさとなって
いる。さらに人間が感じる物理法則という概念からすると、それはとても考え
られない長さである。その長さと大きさ“だけ”見るならばユークリッド幾何
学の概念から理論上では存在できる物体であろう。だが、それが存在すること
自体がこの世界への冒涜とも言える。
事実、天へと伸びるその柱は何度も折れ曲がり曲がりくねり波打ち枝分かれし
ながらも、虚空を突き破らんと一直線に伸び。その一節一節は分子一個分すら
も通らないほど精密に組み合わされ、その境目から湯水のように粘液が滴って
いく。
矛盾→矛盾/曲がった直線/円状の正三角形/真っ赤な緑色粘液
それは在るだけで人の精神を蹂躙するような“神聖なる邪気”を放ち、世界を
侵す冒す犯す。
なぜこんな石柱があるのだろうか? こんな物が早々あるのだろうか? これ
は人の作り出せるものなのだろうか? いや、そもそもこれは人にとって理解
できるものなのだろうか?
広がる拡がる疑問苦悶煩悶。
そして気がついた。石柱に亀裂があることに。
その亀裂は真っ赤な粘液を垂れ流し、真っ赤な緑色粘液を真っ赤に染め直し。
グバリと 亀裂
から その 目
が 開い た
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
●●●●●●●●●<◎>●●●●●●●●●
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「あ、あ、あ……あ――」
その時は“私”は思わず声を上げた。
壊れる……乞われる……恋われる……。
その眸に、その視線に、その眼球に。
精神を、魂を、心を、肉体を、髪も/肉も/血も/爪も/唇も/皮も/ありと
あらゆる物ものモノ全てがその視線に壊れされる。
バラバラになり魂の欠片まで磨り潰されそうになる瞬間。
私の前に――
清らかな光を放つ、五芒星形が、描かれた。
そうして“私”の意識は急速に浮上した。
遠く小鳥の囀りが聞こえ、朝の冷たい空気が肺腑に行き渡る。
閉じた目蓋から穏やかな日光が透ける。完全には覚醒していない意識が、ここ
が現実だと語ってくれる。
安堵しまた眠りの淵へと落ちそうな私を、優しい揺れが襲った。
誰だろうと思うも。
ゆさゆさとひたひたと体が揺すられる。
他人の感触。それでルイズは昨日使い魔を召喚したんだと思い出した。昨日の
寝る前の出来事が薄ぼんやりと再生される。
揺すられる体に加え、ぬたぬたぺたぺたと頬を優しく叩かれる。
頼んでないのに、自発的に主人を起こす。あの生意気な使い魔に少しは自覚が
芽生えたのか。
そう少し感心するルイズは。
「てけり・り」
(そうそう、こんな声……で?)
なにか、重大な間違いが各所にある気がした。
なぜ、体が揺すられるたびに近くから粘着質な音がするのか。なぜ、頬を優し
く叩かれるたびに湿っぽいゼリーのような感触がするのか。というか、あいつ
はあんな声だったか。
(ひたひた? ぬたぬた? ぺたぺた?)
得体も知れない恐怖。
暖かい布団の中、這いずるように背中を進んでいく悪寒。
本能は叫んでいる。それは決して見てはならないと。
予感は戦いている。それは目で触れてはならないと。
警告は響いている。それは理解してはならないと。
だが人類が人間であるがゆえに理性を、霊長の頂点とおこがましく思う知性を
持ち。賢く、聡明で……ゆえに愚かな理性は、その本能の警告を捻じ伏せる。
好奇心という名の蛮勇と無知を武器に、理性と知性と言う欲望と愚かさを指針
に人類は発展と愚進を続けてきたのだ。
だが覚悟せよ人間。深淵を覗き込む時、その深淵もこちらを見つめている。
そしてその例に乗り、ルイズが覚悟を決めてゆっくりと目を開けると。
目の前に。
半透明な。
不定形生命体の。
目玉があった。
「……」
その姿はまさにスライム。なぜかぐっすりと眠るアルを背(?)に乗せ。そこ
から触手を伸ばし、ルイズの体を揺すり、頬を優しく叩いている。
顔の前に伸ばされた眼球と目が合う。
「てけり・り」
それは容姿の割には可愛らしい声を上げた。
「――」
それに対して、ルイズは胸いっぱいに息を吸い。
「――いやああああぁぁぁぁああああっ!!」
朝一番に悲鳴を女寮中に響かせた。
キュルケの朝は意外と早い。
見た目と性格からずぼらと思われがちであるが、その実ルイズが起きる前から
起きている。
確かにキュルケはあまり朝に強いわけではないが、だからといってそれで朝の
貴重な時間を浪費することをよしとしない。
彼女は情熱と恋に彩られる女。だから朝のわずかな時間すらも消費することを
惜しむ。
まあ、簡単に言えば朝の化粧なのだが。
それに先ほど述べたように、キュルケはあまり朝に強いほうではない。本来な
ら時間ぎりぎりまで寝ていたいほどであるが、化粧にはなにかと時間がかかる。
どうせいつ起きても眠いのなら、早めに起きて身だしなみを整えた方がいい。
それがキュルケの出した結論である。もちろん虚無の曜日などといった休日は
除くが。
そういうことで、眠気眼で起きたキュルケは、袖で目元を擦りながら小さくあ
くびをした。
その身を包むのはクマ柄の入った可愛いパジャマ。
普段の彼女は薄いネグリジェやレースのベビードールといった色気のあるもの
を着て、幾人も男を時間差で部屋に招きいれ篭絡しているのだが。
昨日は使い魔の召喚の儀式があり、想像していた以上にキュルケも他の生徒も
疲れていた。そして熱しやすく冷めやすい……つまりは興が乗らなかったキュ
ルケは、その日は全ての男の誘いを蹴って、早々に眠りについたのである。
そこで話は戻るのだが、キュルケは実のところ意外と乙女チックである。普段
から情熱や色気を前面に出し、自身のスタイルや周囲の評価を熟知している彼
女はそれを晒すことを恥と思っていることもあり。だからだろうか。誰も招か
ずに1人で眠る夜など、ときおりこのクマ柄のパジャマを着ることがある。
このことを知るのは、母国にいる母か――
「キュルキュル」
今、自分をうかがうこのサラマンダーぐらいなものだろう。
キュルケは頬を緩め自らがフレイムと名づけたサラマンダーの頭を撫でると、
フレイムは目を細めてじゃれ付く。
「ん~っ!」
ぐぐっと背を伸ばす。胸元にあるクマが必要以上に前にせり出した。
ようやく頭がはっきりしてくる。肺の空気を入れ替えながら立ち上がると、パ
ジャマへと手をかけた。
着替えを背に乗せて持ってきてくれるフレイムに微笑みながら、その意識は別
の場所へと移される。
昨日の儀式を思い出す。そう、深く印象に残っているのはこのフレイムとタバ
サの風竜。そして――ルイズのゴーレム。
轟音と共に黒雲を呼び寄せ、魔方陣から降り立った傷だらけのゴーレム。
周囲の評価は冷ややかで残酷なものが多かったが、キュルケはそんなものに惑
わされはしない。
たとえ傷だらけだとしても跪いて30メイル、立ったなら50メイルに届くと思わ
れる巨大なゴーレムを呼ぶなど普通に出来ることではない。
ルイズ――この学園の嘲笑の対象にして、ツェルプストー家因縁の家系の子。
幾十幾百年争いあった呪いともいえる争いの血筋。
だが、キュルケには関係なかった。因縁の家系、嘲笑の対象、争う血筋、そん
なものはなんら意味を持たない言葉。
ルイズがここでは落ちこぼれと言われ蔑まれ、自分の足元にも及ばぬ実力だと
して。キュルケはルイズを一度も見下したことはない。彼女にとって、ルイズ
とは数少ない対等の相手なのだから。
そういえば昨日は結局ルイズが契約のためにゴーレムの顔まで上った後、なぜ
か慌てたコルベールが急遽生徒を先に学院に帰るように促していたが。ルイズ
になにかあったのだろうか? もしなにかあれば、“いつもの方法”で発破を
かけなければならない。でなければひどく、つまらない。
脳内で、からかわれ憤慨しまくし立てるルイズの姿を想像して、思わず不適な笑いが浮かぶ。
そう、キュルケにとって、相手を対等として認める条件。それは――
『――いやああああぁぁぁぁああああっ!!』
突然壁越しに大音量の悲鳴が響いた。
思わずキュルケは手を止めるが。
「……まあいいでしょ」
朝からあんなに元気なら、少々やりすぎてもかまわないだろう。
取りとめもなくそう考え、着替えを再開する。
無論キュルケの中には、そもそもからかわないという選択肢は、端から存在し
なかった。
世界にはびこる邪悪は日々静かにそして確実に、日常の裏側で進行している。
邪悪は時として、表舞台から迷い込んできた罪無き人を容赦なく引きずり込み
冒していく。
そう今も、現在進行形で……。
「……五月蝿いぞ」
アルは朝から大声を聞かされ、不満気に起きだした。
「ふあぁっ……んんっ!」
まだ眠気の残る眼を擦ると猫のように伸びをし、ルイズの様子に気がついた。
「汝、なにをしている?」
ベッドの端。最もアルから遠い場所で、後ずさった格好でガタガタ震えながら
ルイズは叫んだ。
「な、ななななななんなのよそれはっ!?」
若干細かく震えているが、指差された先には。
「てけり・り」
アルを乗せ、プルプルと可愛らしく(個人によって感性差あり)震える生命体
Xが1匹。
「ああ、こいつか」
言葉の意味を理解したアルはこう答えた。
「こやつの名はダンセイニだ」
「だ、ダンセイニ?」
随分と立派な名前だった。それがなぜか気に入らない。
「ダンセイニ挨拶をしてやれ」
「てけり・り」
人類的な恐怖――ダンセイニから触手が伸びて、指差していた手を握られる。
そのままシェイクハンド。
貴族の挨拶ではないが、礼節はあるらしい。
ひんやりとした少し水っぽい粘着感が堪らなく嫌だった。
「――って! なんの回答にもなってないわよ!」
アルはさもなにが不満なのかという顔をして。
「なにが不満なのだ?」
「字面のまま言うんじゃないわよ! そうじゃなくて不満もなにも、なんでそ
んなものがいるの!」
ダンセイニの上でアルは腕を組む。
「なんでもなにも、妾が喚(よ)んだからだ」
「あなたが……喚んだ?」
「うむ」
喚んだってことは、召喚? メイジでもない者が召喚? しかも使い魔が?
いやあれは意志があり魔力を持つ齢1000年にいくインテリジェンスブックなの
だ。召喚ぐらいしておかしくない……決してこんな簡単に魔法を使えるから悔
しいわけじゃない……うん。
半場ぼーぜんとするルイズ
「ショゴスという元々は『古きもの』の奴隷だった種族でな。それにこやつは、
前にいた場所でも世話になった妾の友人でもあるのだ」
あー、今日の朝食はなにかしら。
どこか思考が上の空となったルイズに、アルはこう続けた。
「それで昨晩、汝が言った雑用はこやつに全てまかせることとした」
「てけり・り」
ふんと胸を張る人外たち……て。
「ちょーっと待ったぁぁぁっ!!」
「さっきからなんだ汝は」
不愉快そうにアルは顔を歪めるが、こっちはそうは言ってられない。
「なんでこいつがわたしの世話をするのよ!」
再三ダンセイニを指差す。
「だから、なにが不満なのだ」
「わ、わたしの身の回りの世話は、あんたがするもんじゃない!」
それにアルはさもめんどくさそうな顔をして。
「なぜ妾がせねばならぬ。雑用なら誰がやっても同じだ。それにこやつは元が
奴隷種族だけあって意外と奉仕は得意なほうだ」
「てけり・り」
任せろといわんばかりに波打つ体。
「止めてそれ……夢にでそう……」
その悪夢の権現たるゼリーを見てルイズは。
「もう……それでいい」
なし崩し的にその存在を認めた。
「はじめからそう言えばいいのだ」
さっきから偉そうな古本娘はこのさい置いておくとして。ここでふと朝食の時
間が迫っていることに気がついた。そろそろ着替えなければ間に合わない。
「あ、着が……」
ルイズは着替えさせようとアルに顔を向け。
「てけり・り」
うじゅるうじゅると触手をうごめかす狂気の産物と目が合った。
「き、きききき着替えは自分でしようかしらっ!」
そうしてルイズは1人ベッドの端でモソモソと着替えだした。
「さて、急がなくちゃ」
アルと連れ立って部屋を出る。部屋でうねっていた不可思議生命体はできるだ
け視界に入れないようにして……。
なんか触手をいってらっしゃいみたいに振っているけど気のせいだろう……う
ん、全力で気のせいにした。
必死に狂気に抗ったルイズが、日常の香りに安堵していると。まるで計ったか
のように隣の扉が開け放たれる。そしてその扉から1人の女の子が出てきた。
燃えるように赤く波打つ髪、豊満な胸をはち切れそうなシャツが辛うじて留め、
高い身長はそれに似合う肉付きを現し、褐色の肌と相成って体全体から発する
色気。いろんな意味でルイズとは正反対である彼女――キュルケはルイズを見
ると、まるで大好物を目の前にした猫のような目を細めた。
「おはようルイズ」
彼女たちは因縁の家柄。普段であれば、キュルケにファーストネームを呼ばれ
たらいくらか反論をするルイズだが。
「……おはようキュルケ」
ルイズはぐったりとそれに応えた。
「あら?」
手ごたえの無さに拍子抜けするキュルケは、ルイズの後ろにいるアルに気が付
いた。
「ルイズ、後ろの子は?」
「……使い魔」
「――え?」
それにルイズは投げやり気味に応える。
「だって昨日、あなたが呼んだのはあのゴーレムじゃない」
なにかの間違いじゃ? と言う風に窓の外を指差すと。そこには平原の真ん中
に跪き佇む巨体があった。
ルイズもつられる様に外を見ると、少し苦い顔をして。
「……うるさいわね、ちょっとした手違いがあったのよ」
キュルケはその言葉にアルをジーと観察するように見つめ。
「アル・アジフだ。苦しゅうない、楽にせよ人間」
無い胸を張るアル。
「なにを偉そうに……」
疲れた声でつっこみを入れるルイズ。
「ぷ」
そしてキュルケは思わずといった風に噴出すと。途端に笑い出す。
「あはははは! あなたらしくていいじゃない、こんな平民を使い魔にするな
んて」
杖もない、マントもない。容姿はかなり整っているが、なにか特殊なものも感
じない。ならば平民だろうとあたりをつけた。
それにアルは。
「所詮人間はこんなものか」
外見ばかりに気を取られる、そう呟きため息をついた。
だがキュルケは、それに対して負け惜しみとでも思ったのだろう。
「ふふ、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプ
ストーよ。キュルケでいいわ。あなたは?」
「ふむ。妾はアル・アジフ。なんの因果かこやつの所有物となっておる」
「所有物……?」
妙な言い回しにキュルケは戸惑ったが、まあ使い魔も所有物という意味では同
じだと納得した。
「そう、これからもよろしく」
これでアルのことを注意深く観察したなら、平民と断定することは無いだろう。
彼女の祖国では平民も領地があれば貴族になれる、ある意味常識外で育ったが。
やはりその思考は常識の範疇に収まっていた。
「にしても平民とはね。ルイズ、使い魔ってのはね。こういうのをいうのよ」
キュルケはそういうと、開け放たれた扉へ顔を向けた。
「いらっしゃいフレイム」
そこからのっそりと真っ赤で巨大なトカゲが出てくる。
「ほう」
アルが興味深そうにトカゲを見た。
「みなさい、これが私の使い魔、サラマンダーのフレイムよ」
フレイムと呼ばれたサラマンダーは火のついた尻尾を振る。
キュルケは胸を張るとフレイムへ言った。
「フレイム、挨拶をしてあげなさい」
「きゅるきゅる」
フレイムはそう鳴くと2人へ向き直り。
「きゅる」
ルイズへと頭を下げ。アルへ向き直り。
「…………」
「…………」
なんとなしに目が合った。
「……………………」
「……………………」
互いに沈黙。
一言も喋らない。
「………………………………」
「………………………………」
見つめ合い。
「………………………………………………」
「………………………………………………」
見つめ合い――
「……………………………………………………………………………………」
「……………………………………………………………………………………」
見つめ――
「…………………………………………………………………………………………
………………………………………………」
「…………………………………………………………………………………………
……………………………………おいおい」
見つめ合っていた異形の内、アルが思わずつっこむと。
「きゅるきゅるきゅるっ」
「わっ! な、汝! なにをするか!」
突然フレイムがアルへとじゃれる様に、顔をすり寄せてきた。
「や、止めぬかっ! 火を噴くな! 妾が燃えたらどうすのだ!」
「フレイムがここまで懐くなんて」
なんだか納得いかないと微妙な顔をするキュルケ。
「汝の使い魔だろう止めぬか!」
「きゅるきゅる」
仲良きことは良いことか。でも思ったのだろうか、キュルケはそれを放置する。
「それでどう? うらやましいでしょう」
そうして、ある種恒例の挑発行為を続けるのだが。
「あーそうね……」
いまいちルイズの反応は薄かった。
人型となる喋る魔導書や、本能が恐怖するゼリーなどと朝から争ったルイズに
はもう気力がなかった。
「……なーんか、元気ないわね」
だが、いつまでもここにいるわけにもいかずキュルケは身を翻し。
「まあいいわ。フレイム、行くわよ」
「きゅる」
「ルイズ、朝食に遅れないようにね」
そうしてフレイムを連れてさっさと歩み去っていった。
後に残された2人は。
「むう、騒がしき者だったな。何者だ?」
「ご先祖様の代から争い合っているの宿敵の家系よ」
「中々溝が深いな」
「まあね」
「まあよい、妾は腹が減った。さっさと案内せよ」
「なんでそんなに偉そうなのよ!」
「なぜ妾が小娘ごときに畏まらなければならぬ」
「また小娘って!」
再び言い争いながら食堂へと向かった。
「ほう、これはまた」
食堂へと入ったとき、アルは感嘆の声を漏らした。
多少は気分が払拭されたのかルイズが少し誇らしげになる。
「ふふん、どうかしら」
目の前にはやたら長いテーブルが三つ並んでおり、今もメイドが忙しく料理を
並べている。
「このトリステイン魔法学院が教えているのは魔法だけじゃないのよ」
ルイズは得意気に指を立てると、説明するかのように語りだした。
「メイジは全員貴族であるから、貴族としての作法や礼儀。そして一番に精神
を育むことをモットーとしてるの。『貴族は魔法をもってしてその精神となす』
ってね」
鳶色の瞳を片方瞑り、指揮棒のように指を振りながら続ける。
「本来ならあなたのようなのが、この『アルヴィーズの食堂』へ入ることは
――あれ?」
後ろを向き、指をアルへ突きつけようとして――そこに誰も居ないことに気が
付いた。
「え? え? どこに……」
慌てて周囲を見回そうとした時。
「むぐむぐ……これは、中々の美味……だな」
振り向くと、巨大なソーセージをくわえ込むアルの姿があった。
いきなりのことで誰も彼女を止めることができず。むしろ幾人かの生徒(主に
男子)はなぜか生唾を飲み込みながら食い入るように、太くて長いソーセージ
を咥えるアルに見入っている。(やや前屈み)
「って、またあんたはなに勝手に食べてんのよぉぉぉっ!!」
勢いよくルイズが詰め寄るが。
アルはやたらカッコよく、まるで歴戦の兵士のような笑みを浮かべ。
「ふ。食とは、つまりは本能が求める欲求にして闘争! 誰も妾を止められん!」
なぜか背後で飢えに苦しむ貧乏人のような男の姿が見えたが……幻だろう。
「というかあんたに食なんて必要あるの!?」
「必要不必要は関係ない! ただ我は食らうのみだ!」
「なにが、本能が求める欲求にして闘争よ! ただの食い意地じゃない!」
結局アルはこのまま食べ続け、ルイズは使い魔の管理がなっていないと教師か
らお叱りを受けることとなる。
教室へ入った2人を出迎えたのは、くすくすという小鳥の囀りのような笑い声
と視線だった。
軽く教室を見回すと、多種多様雑多な使い魔たちと少し離れた場所で、アルを
見ては笑う生徒がいる。
散々食堂で騒いだことにより、すっかりと顔を覚えられてしまったらしい。
「……不愉快だな」
「…………」
ぽつりとアルが言うが、ルイズはまるで慣れているかのごとく笑い声には反応
せず進む。
近くを通るたびに、使い魔、平民、契約、ゼロ、などと言った小声が聞こえて
くる。
その中にはキュルケもいたが、これは笑みの種類が違った。
「ふふ」
「……?」
それがなんなのかと、探ろうとした時。
ルイズはほぼ無表情で席に座った。しかたなしにアルもその横の席にドカリと
座り込む。
「――」
一瞬ルイズがなにか言おうとしたが、結局はなにも言わなかった。
「ふむ、作りは立派なのだな」
改めて教室を見回しなんとなしに呟くと、ルイズが口を開く。
「当たり前よ、トリステインの貴族の嫡子が集まるこの場所はこの魔法学院は
大陸でも有数の名門なの」
窓枠や扉などには精緻な彫刻や壁には所々幻獣などのレリーフを見ながらアル
は言う。
「ふむ、それでか。なんというか成金趣味だな」
それにルイズはため息を付きながら。
「貴族が暮らす場所なのに、平民と同じような環境ではいけないでしょう?
ちゃんとした威厳を保つためには必要なことなのよ」
その言葉を疑いのかけらもなく口にするルイズを見て、アルは既視感のような
ものを感じた。
(どこかで……似たような存在を……)
だがいくら記憶を遡ろうとしても、出てくるのはエラーか混在した記録ばかり。
(っく。記録自体が破損したか、目録が使えないことで掘り出せぬだけなのか)
アルが思考に埋没しようとしたとき、扉が開いてふくよかな中年の女が入って
きた。
彼女は生徒たちを見回すと、穏やかな笑みを浮かべると口を開く。
「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こ
うやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」
その声に、周囲はルイズの隣――アルを見ると一斉にクスクスと笑い出す。
「おやおや。変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」
シュヴルーズがそういうと、周囲の小笑いが、一気に大笑いになる。
(くだらん……)
それを冷めた目でアルが見ていると。一人の生徒が勢いよく立ち上がり、ルイ
ズを指差し大声で言った。
「ゼロのルイズ! 昨日のゴーレムがボロかったからって、代わりに平民なん
て連れてくるなよ!」
それに、ルイズは極々静かに立ち上がる。
当人――マリコルヌはそれに気が付かぬのか、大きく手を広げながら演説よう
に語り続ける。
「どうせ、そこらにいた平民を捕まえて――」
周囲の生徒はいつもの癇癪か怒鳴り声が続くかと思い、それにより口論を騒ぎ
立てようと待ち構えていたが。
「マリコルヌ」
予想に反してルイズの顔は笑顔で、その声は非常に穏やかで。
「――黙りやがれ、このブタ野郎」
人生的に絶望より深い部分に潜ったような。あらゆる悲哀を受け止めたような。
てめえ俺は疲れてるんだ、少しは静かにしやがれ殺されてぇのか? と語るよ
うな超々々々低温の視線でマリコルヌを睨んだ。
「ぎろり」
「ひぃっ!?」
周囲が凍りついた。
後にマリコルヌは語る。
「ま、またあの視線に睨まれたら……ブヒィッ!!」
その彼が特殊な性癖に目覚めるまであと少し時間がかかる。
すとんとルイズが座ると、まるで止まった時間が戻るかのごとく周囲はざわめ
き始める。
だが当の本人であるルイズはなぜかぐったりとしたまま、アルにいたっては、
よっぽど暗いものを押し込めていたのだな、と感心していた。
そしてその空気に気づかぬのか、シュヴルーズは大きく手を叩く。
「はいはい、みなさん雑談はここまでです」
空気の読めないものの強さか、教室は強制的に授業の空気へと流されていく。
「…………」
ルイズも、気持ちを切り替えたのか授業へと集中した。
シュヴルーズは一度せきをしたあと、杖を振ると机の上に数個の石ころが現れ
る。
「私の2つ名は『赤土』。赤土のシュヴルーズです。『土』系統の魔法を、こ
れから1年みなさんに講義します。まず――」
騒ぐ当人達が集中しているため、授業は円滑に進む。アルもあまり出会わない
魔術のことに多少興味はあった。
失われた『虚無』を含めた『火』『水』『風』『土』の5つの系統魔法。その
系統魔法の使える数を表す『ドット』『ライン』『トライアングル』『スクウ
ェア』のメイジの位階(クラス)など。
(ふむ、ここまで闇の臭いのない魔術はめずらしい)
教師本人の系統もあるのだろう『土』を全面的に肯定しているが、年初めの授
業なのかその内容は模範的で知識の無いものにはちょうどいい。
だがアルは。
「……つまらん」
そう言って机へと突っ伏した。
「あんた、なにしてるのよ」
ルイズが思わず、顔を向ける。
教卓でシュヴルーズが石ころを真鍮へと変えているが、アルはもう見向きもし
ない。
それどころか、あくびをして眠りにつこうともしている。
「今は授業中なのよ、失礼じゃない」
ひそひそ声でルイズが注意するとアルは疲れたかのように言った。
「あんなもの児戯にも等しい」
「なっ――」
突然のことに言葉が詰まる中、アルはさらに続ける。
「魔術とは本来、世界の裏をかく物。世界の裏を、常識の非常識を疾走し汲み
上げるのが本分だ。だがあれはなんだ? ただの物質変換ではないか」
1000年もの長き時を闇の世界で暮らしてきた彼女にとって、説明された物はま
さに児戯である。
火を出すだけ? 風を吹かすだけ? 水を噴出すだけ? 土を操作するだけ?
実演した『錬金』にしても“既存の物質を作り出すけだけ”という、彼女の知
る魔術の中でも“基礎以下”と称されるものである。
術を使うあの教師でさえ、簡易な精神統一すらなっていない。
様々な、それこそ比喩ではない地獄にいた彼女からすれば余りにもぬるかった。
「よって、妾には無意味どころの話でない。むしろ退屈を誘う害悪だな、うむ」
だが、そんなことを――彼女の潜り抜けた世界を――知らないルイズにとって
は、それはこの世界のメイジの存在全てを、彼女自身を愚弄する行為にも等し
かった。
無意味――それは、彼女が目指す夢をまさに汚す言葉である。
「――あんたっ!」
そして勢いよくルイズが立ち上がり。
「ミス・ヴァリエールあなたが立候補しますか。いいでしょう、こちらに来な
さい」
おっとりとした声をかけられた。
「――へ?」
いきなり名指しされ置いていかれるルイズに、シュヴルーズはなおも優しく声
をかける。
「ミス・ヴァリエール。この小石を『錬金』してみなさい」
どうやら、あの中年教師は『錬金』をする生徒を募っていたところ、ちょうど
ルイズが立ち上がったことでそれを立候補と間違えたらしい。
「さあ、ミス・ヴァリエール」
「あ――」
そして、ルイズが反応するより早く。
「ミス・シュヴルーズ! それは危険です!」
生徒たちが反応した。
「絶対ルイズにはやらせてはいけません!」
「危ないです!」
口々に言う生徒たち。
「あら、ミス・ヴァリエールは座学でも優秀な成績を収めていると聞きますよ」
「それでもです!」
みんな必死になって気が付かない。ルイズの手が硬く握られブルブルと震えて
いるのに。
「ですが――」
「ルイズに魔法なんて使えるはずありません!」
それは誰が言ったことだろう。
その言葉を聞いたとき、ルイズの中のなにかが切れた。
「ミス・シュヴルーズ! わたしはやります!」
勢いよく言い放つと、堂々とルイズは教卓へと歩き出す。
悲鳴を上げたり顔面が蒼白になったりする生徒たちは、次々と机の下へと潜っ
ていく。
「なにをしておるのだ?」
それを見て首をかしげるアルに、机の下からキュルケが苦笑しながら話しかけ
た。
「あなたも巻き込まれないように隠れたほうがいいわよ」
「……?」
そうこうしている間に教卓についたルイズにシュヴルーズは笑いかける。
「さあ、ミス・ヴァリエール」
この時、シュヴルーズは油断していたのだろう。いくら実技が苦手な生徒だと
噂されても。ただそれだけだろうと。
「はい!」
この時、ルイズも油断していたのだろう。サモン・サーヴァントと、不完全な
がらコントラクト・サーヴァントを成功させたことで、彼女にわずかな希望を
もたらしたのだろう。
「緊張することはありません。さあ、『錬金』したい金属を強く思い浮かべる
のです」
だがそれは、ルイズが杖を振り上げ。
「錬金――!」
振り下ろしたことで、粉々に吹き飛んだ。
爆風が吹き荒れ、ルイズとシュヴルーズは吹き飛ばされ黒板へと叩きつけられ
る。
「――にゃにぃぃっ!」
顔を出していたアルは爆風に煽られた。
その爆音に飛び起き、混乱した使い魔たちが暴れだし。それによりよけいに混
乱する生徒達。
「ああ! 僕のラッキーが!」
「や、止めろハスタール! 痛たたたっ!!」
「腕が! おでの腕がぁぁ!!」
阿鼻叫喚の地獄であった。
「なにがどうなって……」
ふらふらと頭を振ったアルが教卓を見ると。
黒い煤につつまれた教卓の周囲。
ボロボロになったルイズがむくりと立ち上がると、一言言った。
「ちょっと失敗みたいね」
「「「「「「どこがちょっとだ!」」」」」」
ここにいるみんなの心が一つになった。
「だからやるなと言ったんだよ! ゼロのルイズ!」
「確立ゼロだからゼロのルイズ!」
そこでアルは、大声でどなる生徒達に言った。
「ところで、あやつは大丈夫なのか?」
アルが指差した先。
ぴくぴくとやばい痙攣のしかたをしているシュヴルーズがいた。
「「「「「「あ」」」」」」
#navi(魔導書が使い魔)
#navi(魔導書が使い魔)
それは正四角形を保ちながら、内部に正三角形を隙間なく詰め込んだ図形だっ
た。
その正三角形の中には正二角形がこれもまた隙間なく詰め込まれ。
その正二角形の中には正五角形が詰め込まれていた。
図形は、捻じ曲がった直角の石柱に施され。石柱は隙間からぬらぬらと濃い緑
色の粘液を出して、表面を真っ赤に染め上げる。
石柱はとてつもなく大きかった。石柱の一節が小さい城程度の大きさとなって
いる。さらに人間が感じる物理法則という概念からすると、それはとても考え
られない長さである。その長さと大きさ“だけ”見るならばユークリッド幾何
学の概念から理論上では存在できる物体であろう。だが、それが存在すること
自体がこの世界への冒涜とも言える。
事実、天へと伸びるその柱は何度も折れ曲がり曲がりくねり波打ち枝分かれし
ながらも、虚空を突き破らんと一直線に伸び。その一節一節は分子一個分すら
も通らないほど精密に組み合わされ、その境目から湯水のように粘液が滴って
いく。
矛盾→矛盾/曲がった直線/円状の正三角形/真っ赤な緑色粘液
それは在るだけで人の精神を蹂躙するような“神聖なる邪気”を放ち、世界を
侵す冒す犯す。
なぜこんな石柱があるのだろうか? こんな物が早々あるのだろうか? これ
は人の作り出せるものなのだろうか? いや、そもそもこれは人にとって理解
できるものなのだろうか?
広がる拡がる疑問苦悶煩悶。
そして気がついた。石柱に亀裂があることに。
その亀裂は真っ赤な粘液を垂れ流し、真っ赤な緑色粘液を真っ赤に染め直し。
グバリと 亀裂
から その 目
が 開い た
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
●●●●●●●●●<◎>●●●●●●●●●
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「あ、あ、あ……あ――」
その時は“私”は思わず声を上げた。
壊れる……乞われる……恋われる……。
その眸に、その視線に、その眼球に。
精神を、魂を、心を、肉体を、髪も/肉も/血も/爪も/唇も/皮も/ありと
あらゆる物ものモノ全てがその視線に壊れされる。
バラバラになり魂の欠片まで磨り潰されそうになる瞬間。
私の前に――
清らかな光を放つ、五芒星形が、描かれた。
そうして“私”の意識は急速に浮上した。
遠く小鳥の囀りが聞こえ、朝の冷たい空気が肺腑に行き渡る。
閉じた目蓋から穏やかな日光が透ける。完全には覚醒していない意識が、ここ
が現実だと語ってくれる。
安堵しまた眠りの淵へと落ちそうな私を、優しい揺れが襲った。
誰だろうと思うも。
ゆさゆさとひたひたと体が揺すられる。
他人の感触。それでルイズは昨日使い魔を召喚したんだと思い出した。昨日の
寝る前の出来事が薄ぼんやりと再生される。
揺すられる体に加え、ぬたぬたぺたぺたと頬を優しく叩かれる。
頼んでないのに、自発的に主人を起こす。あの生意気な使い魔に少しは自覚が
芽生えたのか。
そう少し感心するルイズは。
「てけり・り」
(そうそう、こんな声……で?)
なにか、重大な間違いが各所にある気がした。
なぜ、体が揺すられるたびに近くから粘着質な音がするのか。なぜ、頬を優し
く叩かれるたびに湿っぽいゼリーのような感触がするのか。というか、あいつ
はあんな声だったか。
(ひたひた? ぬたぬた? ぺたぺた?)
得体も知れない恐怖。
暖かい布団の中、這いずるように背中を進んでいく悪寒。
本能は叫んでいる。それは決して見てはならないと。
予感は戦いている。それは目で触れてはならないと。
警告は響いている。それは理解してはならないと。
だが人類が人間であるがゆえに理性を、霊長の頂点とおこがましく思う知性を
持ち。賢く、聡明で……ゆえに愚かな理性は、その本能の警告を捻じ伏せる。
好奇心という名の蛮勇と無知を武器に、理性と知性と言う欲望と愚かさを指針
に人類は発展と愚進を続けてきたのだ。
だが覚悟せよ人間。深淵を覗き込む時、その深淵もこちらを見つめている。
そしてその例に乗り、ルイズが覚悟を決めてゆっくりと目を開けると。
目の前に。
半透明な。
不定形生命体の。
目玉があった。
「……」
その姿はまさにスライム。なぜかぐっすりと眠るアルを背(?)に乗せ。そこ
から触手を伸ばし、ルイズの体を揺すり、頬を優しく叩いている。
顔の前に伸ばされた眼球と目が合う。
「てけり・り」
それは容姿の割には可愛らしい声を上げた。
「――」
それに対して、ルイズは胸いっぱいに息を吸い。
「――いやああああぁぁぁぁああああっ!!」
朝一番に悲鳴を女寮中に響かせた。
キュルケの朝は意外と早い。
見た目と性格からずぼらと思われがちであるが、その実ルイズが起きる前から
起きている。
確かにキュルケはあまり朝に強いわけではないが、だからといってそれで朝の
貴重な時間を浪費することをよしとしない。
彼女は情熱と恋に彩られる女。だから朝のわずかな時間すらも消費することを
惜しむ。
まあ、簡単に言えば朝の化粧なのだが。
それに先ほど述べたように、キュルケはあまり朝に強いほうではない。本来な
ら時間ぎりぎりまで寝ていたいほどであるが、化粧にはなにかと時間がかかる。
どうせいつ起きても眠いのなら、早めに起きて身だしなみを整えた方がいい。
それがキュルケの出した結論である。もちろん虚無の曜日などといった休日は
除くが。
そういうことで、眠気眼で起きたキュルケは、袖で目元を擦りながら小さくあ
くびをした。
その身を包むのはクマ柄の入った可愛いパジャマ。
普段の彼女は薄いネグリジェやレースのベビードールといった色気のあるもの
を着て、幾人も男を時間差で部屋に招きいれ篭絡しているのだが。
昨日は使い魔の召喚の儀式があり、想像していた以上にキュルケも他の生徒も
疲れていた。そして熱しやすく冷めやすい……つまりは興が乗らなかったキュ
ルケは、その日は全ての男の誘いを蹴って、早々に眠りについたのである。
そこで話は戻るのだが、キュルケは実のところ意外と乙女チックである。普段
から情熱や色気を前面に出し、自身のスタイルや周囲の評価を熟知している彼
女はそれを晒すことを恥と思っていることもあり。だからだろうか。誰も招か
ずに1人で眠る夜など、ときおりこのクマ柄のパジャマを着ることがある。
このことを知るのは、母国にいる母か――
「キュルキュル」
今、自分をうかがうこのサラマンダーぐらいなものだろう。
キュルケは頬を緩め自らがフレイムと名づけたサラマンダーの頭を撫でると、
フレイムは目を細めてじゃれ付く。
「ん~っ!」
ぐぐっと背を伸ばす。胸元にあるクマが必要以上に前にせり出した。
ようやく頭がはっきりしてくる。肺の空気を入れ替えながら立ち上がると、パ
ジャマへと手をかけた。
着替えを背に乗せて持ってきてくれるフレイムに微笑みながら、その意識は別
の場所へと移される。
昨日の儀式を思い出す。そう、深く印象に残っているのはこのフレイムとタバ
サの風竜。そして――ルイズのゴーレム。
轟音と共に黒雲を呼び寄せ、魔方陣から降り立った傷だらけのゴーレム。
周囲の評価は冷ややかで残酷なものが多かったが、キュルケはそんなものに惑
わされはしない。
たとえ傷だらけだとしても跪いて30メイル、立ったなら50メイルに届くと思わ
れる巨大なゴーレムを呼ぶなど普通に出来ることではない。
ルイズ――この学園の嘲笑の対象にして、ツェルプストー家因縁の家系の子。
幾十幾百年争いあった呪いともいえる争いの血筋。
だが、キュルケには関係なかった。因縁の家系、嘲笑の対象、争う血筋、そん
なものはなんら意味を持たない言葉。
ルイズがここでは落ちこぼれと言われ蔑まれ、自分の足元にも及ばぬ実力だと
して。キュルケはルイズを一度も見下したことはない。彼女にとって、ルイズ
とは数少ない対等の相手なのだから。
そういえば昨日は結局ルイズが契約のためにゴーレムの顔まで上った後、なぜ
か慌てたコルベールが急遽生徒を先に学院に帰るように促していたが。ルイズ
になにかあったのだろうか? もしなにかあれば、“いつもの方法”で発破を
かけなければならない。でなければひどく、つまらない。
脳内で、からかわれ憤慨しまくし立てるルイズの姿を想像して、思わず不適な
笑いが浮かぶ。
そう、キュルケにとって、相手を対等として認める条件。それは――
『――いやああああぁぁぁぁああああっ!!』
突然壁越しに大音量の悲鳴が響いた。
思わずキュルケは手を止めるが。
「……まあいいでしょ」
朝からあんなに元気なら、少々やりすぎてもかまわないだろう。
取りとめもなくそう考え、着替えを再開する。
無論キュルケの中には、そもそもからかわないという選択肢は、端から存在し
なかった。
世界にはびこる邪悪は日々静かにそして確実に、日常の裏側で進行している。
邪悪は時として、表舞台から迷い込んできた罪無き人を容赦なく引きずり込み
冒していく。
そう今も、現在進行形で……。
「……五月蝿いぞ」
アルは朝から大声を聞かされ、不満気に起きだした。
「ふあぁっ……んんっ!」
まだ眠気の残る眼を擦ると猫のように伸びをし、ルイズの様子に気がついた。
「汝、なにをしている?」
ベッドの端。最もアルから遠い場所で、後ずさった格好でガタガタ震えながら
ルイズは叫んだ。
「な、ななななななんなのよそれはっ!?」
若干細かく震えているが、指差された先には。
「てけり・り」
アルを乗せ、プルプルと可愛らしく(個人によって感性差あり)震える生命体
Xが1匹。
「ああ、こいつか」
言葉の意味を理解したアルはこう答えた。
「こやつの名はダンセイニだ」
「だ、ダンセイニ?」
随分と立派な名前だった。それがなぜか気に入らない。
「ダンセイニ挨拶をしてやれ」
「てけり・り」
人類的な恐怖――ダンセイニから触手が伸びて、指差していた手を握られる。
そのままシェイクハンド。
貴族の挨拶ではないが、礼節はあるらしい。
ひんやりとした少し水っぽい粘着感が堪らなく嫌だった。
「――って! なんの回答にもなってないわよ!」
アルはさもなにが不満なのかという顔をして。
「なにが不満なのだ?」
「字面のまま言うんじゃないわよ! そうじゃなくて不満もなにも、なんでそ
んなものがいるの!」
ダンセイニの上でアルは腕を組む。
「なんでもなにも、妾が喚(よ)んだからだ」
「あなたが……喚んだ?」
「うむ」
喚んだってことは、召喚? メイジでもない者が召喚? しかも使い魔が?
いやあれは意志があり魔力を持つ齢1000年にいくインテリジェンスブックなの
だ。召喚ぐらいしておかしくない……決してこんな簡単に魔法を使えるから悔
しいわけじゃない……うん。
半場ぼーぜんとするルイズ
「ショゴスという元々は『古きもの』の奴隷だった種族でな。それにこやつは、
前にいた場所でも世話になった妾の友人でもあるのだ」
あー、今日の朝食はなにかしら。
どこか思考が上の空となったルイズに、アルはこう続けた。
「それで昨晩、汝が言った雑用はこやつに全てまかせることとした」
「てけり・り」
ふんと胸を張る人外たち……て。
「ちょーっと待ったぁぁぁっ!!」
「さっきからなんだ汝は」
不愉快そうにアルは顔を歪めるが、こっちはそうは言ってられない。
「なんでこいつがわたしの世話をするのよ!」
再三ダンセイニを指差す。
「だから、なにが不満なのだ」
「わ、わたしの身の回りの世話は、あんたがするもんじゃない!」
それにアルはさもめんどくさそうな顔をして。
「なぜ妾がせねばならぬ。雑用なら誰がやっても同じだ。それにこやつは元が
奴隷種族だけあって意外と奉仕は得意なほうだ」
「てけり・り」
任せろといわんばかりに波打つ体。
「止めてそれ……夢にでそう……」
その悪夢の権現たるゼリーを見てルイズは。
「もう……それでいい」
なし崩し的にその存在を認めた。
「はじめからそう言えばいいのだ」
さっきから偉そうな古本娘はこのさい置いておくとして。ここでふと朝食の時
間が迫っていることに気がついた。そろそろ着替えなければ間に合わない。
「あ、着が……」
ルイズは着替えさせようとアルに顔を向け。
「てけり・り」
うじゅるうじゅると触手をうごめかす狂気の産物と目が合った。
「き、きききき着替えは自分でしようかしらっ!」
そうしてルイズは1人ベッドの端でモソモソと着替えだした。
「さて、急がなくちゃ」
アルと連れ立って部屋を出る。部屋でうねっていた不可思議生命体はできるだ
け視界に入れないようにして……。
なんか触手をいってらっしゃいみたいに振っているけど気のせいだろう……う
ん、全力で気のせいにした。
必死に狂気に抗ったルイズが、日常の香りに安堵していると。まるで計ったか
のように隣の扉が開け放たれる。そしてその扉から1人の女の子が出てきた。
燃えるように赤く波打つ髪、豊満な胸をはち切れそうなシャツが辛うじて留め、
高い身長はそれに似合う肉付きを現し、褐色の肌と相成って体全体から発する
色気。いろんな意味でルイズとは正反対である彼女――キュルケはルイズを見
ると、まるで大好物を目の前にした猫のような目を細めた。
「おはようルイズ」
彼女たちは因縁の家柄。普段であれば、キュルケにファーストネームを呼ばれ
たらいくらか反論をするルイズだが。
「……おはようキュルケ」
ルイズはぐったりとそれに応えた。
「あら?」
手ごたえの無さに拍子抜けするキュルケは、ルイズの後ろにいるアルに気が付
いた。
「ルイズ、後ろの子は?」
「……使い魔」
「――え?」
それにルイズは投げやり気味に応える。
「だって昨日、あなたが呼んだのはあのゴーレムじゃない」
なにかの間違いじゃ? と言う風に窓の外を指差すと。そこには平原の真ん中
に跪き佇む巨体があった。
ルイズもつられる様に外を見ると、少し苦い顔をして。
「……うるさいわね、ちょっとした手違いがあったのよ」
キュルケはその言葉にアルをジーと観察するように見つめ。
「アル・アジフだ。苦しゅうない、楽にせよ人間」
無い胸を張るアル。
「なにを偉そうに……」
疲れた声でつっこみを入れるルイズ。
「ぷ」
そしてキュルケは思わずといった風に噴出すと。途端に笑い出す。
「あはははは! あなたらしくていいじゃない、こんな平民を使い魔にするな
んて」
杖もない、マントもない。容姿はかなり整っているが、なにか特殊なものも感
じない。ならば平民だろうとあたりをつけた。
それにアルは。
「所詮人間はこんなものか」
外見ばかりに気を取られる、そう呟きため息をついた。
だがキュルケは、それに対して負け惜しみとでも思ったのだろう。
「ふふ、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプ
ストーよ。キュルケでいいわ。あなたは?」
「ふむ。妾はアル・アジフ。なんの因果かこやつの所有物となっておる」
「所有物……?」
妙な言い回しにキュルケは戸惑ったが、まあ使い魔も所有物という意味では同
じだと納得した。
「そう、これからもよろしく」
これでアルのことを注意深く観察したなら、平民と断定することは無いだろう。
彼女の祖国では平民も領地があれば貴族になれる、ある意味常識外で育ったが。
やはりその思考は常識の範疇に収まっていた。
「にしても平民とはね。ルイズ、使い魔ってのはね。こういうのをいうのよ」
キュルケはそういうと、開け放たれた扉へ顔を向けた。
「いらっしゃいフレイム」
そこからのっそりと真っ赤で巨大なトカゲが出てくる。
「ほう」
アルが興味深そうにトカゲを見た。
「みなさい、これが私の使い魔、サラマンダーのフレイムよ」
フレイムと呼ばれたサラマンダーは火のついた尻尾を振る。
キュルケは胸を張るとフレイムへ言った。
「フレイム、挨拶をしてあげなさい」
「きゅるきゅる」
フレイムはそう鳴くと2人へ向き直り。
「きゅる」
ルイズへと頭を下げ。アルへ向き直り。
「…………」
「…………」
なんとなしに目が合った。
「……………………」
「……………………」
互いに沈黙。
一言も喋らない。
「………………………………」
「………………………………」
見つめ合い。
「………………………………………………」
「………………………………………………」
見つめ合い――
「……………………………………………………………………………………」
「……………………………………………………………………………………」
見つめ――
「…………………………………………………………………………………………
………………………………………………」
「…………………………………………………………………………………………
……………………………………おいおい」
見つめ合っていた異形の内、アルが思わずつっこむと。
「きゅるきゅるきゅるっ」
「わっ! な、汝! なにをするか!」
突然フレイムがアルへとじゃれる様に、顔をすり寄せてきた。
「や、止めぬかっ! 火を噴くな! 妾が燃えたらどうすのだ!」
「フレイムがここまで懐くなんて」
なんだか納得いかないと微妙な顔をするキュルケ。
「汝の使い魔だろう止めぬか!」
「きゅるきゅる」
仲良きことは良いことか。でも思ったのだろうか、キュルケはそれを放置する。
「それでどう? うらやましいでしょう」
そうして、ある種恒例の挑発行為を続けるのだが。
「あーそうね……」
いまいちルイズの反応は薄かった。
人型となる喋る魔導書や、本能が恐怖するゼリーなどと朝から争ったルイズに
はもう気力がなかった。
「……なーんか、元気ないわね」
だが、いつまでもここにいるわけにもいかずキュルケは身を翻し。
「まあいいわ。フレイム、行くわよ」
「きゅる」
「ルイズ、朝食に遅れないようにね」
そうしてフレイムを連れてさっさと歩み去っていった。
後に残された2人は。
「むう、騒がしき者だったな。何者だ?」
「ご先祖様の代から争い合っているの宿敵の家系よ」
「中々溝が深いな」
「まあね」
「まあよい、妾は腹が減った。さっさと案内せよ」
「なんでそんなに偉そうなのよ!」
「なぜ妾が小娘ごときに畏まらなければならぬ」
「また小娘って!」
再び言い争いながら食堂へと向かった。
「ほう、これはまた」
食堂へと入ったとき、アルは感嘆の声を漏らした。
多少は気分が払拭されたのかルイズが少し誇らしげになる。
「ふふん、どうかしら」
目の前にはやたら長いテーブルが三つ並んでおり、今もメイドが忙しく料理を
並べている。
「このトリステイン魔法学院が教えているのは魔法だけじゃないのよ」
ルイズは得意気に指を立てると、説明するかのように語りだした。
「メイジは全員貴族であるから、貴族としての作法や礼儀。そして一番に精神
を育むことをモットーとしてるの。『貴族は魔法をもってしてその精神となす』
ってね」
鳶色の瞳を片方瞑り、指揮棒のように指を振りながら続ける。
「本来ならあなたのようなのが、この『アルヴィーズの食堂』へ入ることは
――あれ?」
後ろを向き、指をアルへ突きつけようとして――そこに誰も居ないことに気が
付いた。
「え? え? どこに……」
慌てて周囲を見回そうとした時。
「むぐむぐ……これは、中々の美味……だな」
振り向くと、巨大なソーセージをくわえ込むアルの姿があった。
いきなりのことで誰も彼女を止めることができず。むしろ幾人かの生徒(主に
男子)はなぜか生唾を飲み込みながら食い入るように、太くて長いソーセージ
を咥えるアルに見入っている。(やや前屈み)
「って、またあんたはなに勝手に食べてんのよぉぉぉっ!!」
勢いよくルイズが詰め寄るが。
アルはやたらカッコよく、まるで歴戦の兵士のような笑みを浮かべ。
「ふ。食とは、つまりは本能が求める欲求にして闘争! 誰も妾を止められん!」
なぜか背後で飢えに苦しむ貧乏人のような男の姿が見えたが……幻だろう。
「というかあんたに食なんて必要あるの!?」
「必要不必要は関係ない! ただ我は食らうのみだ!」
「なにが、本能が求める欲求にして闘争よ! ただの食い意地じゃない!」
結局アルはこのまま食べ続け、ルイズは使い魔の管理がなっていないと教師か
らお叱りを受けることとなる。
教室へ入った2人を出迎えたのは、くすくすという小鳥の囀りのような笑い声
と視線だった。
軽く教室を見回すと、多種多様雑多な使い魔たちと少し離れた場所で、アルを
見ては笑う生徒がいる。
散々食堂で騒いだことにより、すっかりと顔を覚えられてしまったらしい。
「……不愉快だな」
「…………」
ぽつりとアルが言うが、ルイズはまるで慣れているかのごとく笑い声には反応
せず進む。
近くを通るたびに、使い魔、平民、契約、ゼロ、などと言った小声が聞こえて
くる。
その中にはキュルケもいたが、これは笑みの種類が違った。
「ふふ」
「……?」
それがなんなのかと、探ろうとした時。
ルイズはほぼ無表情で席に座った。しかたなしにアルもその横の席にドカリと
座り込む。
「――」
一瞬ルイズがなにか言おうとしたが、結局はなにも言わなかった。
「ふむ、作りは立派なのだな」
改めて教室を見回しなんとなしに呟くと、ルイズが口を開く。
「当たり前よ、トリステインの貴族の嫡子が集まるこの場所はこの魔法学院は
大陸でも有数の名門なの」
窓枠や扉などには精緻な彫刻や壁には所々幻獣などのレリーフを見ながらアル
は言う。
「ふむ、それでか。なんというか成金趣味だな」
それにルイズはため息を付きながら。
「貴族が暮らす場所なのに、平民と同じような環境ではいけないでしょう?
ちゃんとした威厳を保つためには必要なことなのよ」
その言葉を疑いのかけらもなく口にするルイズを見て、アルは既視感のような
ものを感じた。
(どこかで……似たような存在を……)
だがいくら記憶を遡ろうとしても、出てくるのはエラーか混在した記録ばかり。
(っく。記録自体が破損したか、目録が使えないことで掘り出せぬだけなのか)
アルが思考に埋没しようとしたとき、扉が開いてふくよかな中年の女が入って
きた。
彼女は生徒たちを見回すと、穏やかな笑みを浮かべると口を開く。
「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こ
うやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」
その声に、周囲はルイズの隣――アルを見ると一斉にクスクスと笑い出す。
「おやおや。変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」
シュヴルーズがそういうと、周囲の小笑いが、一気に大笑いになる。
(くだらん……)
それを冷めた目でアルが見ていると。1人の生徒が勢いよく立ち上がり、ルイ
ズを指差し大声で言った。
「ゼロのルイズ! 昨日のゴーレムがボロかったからって、代わりに平民なん
て連れてくるなよ!」
それに、ルイズは極々静かに立ち上がる。
当人――マリコルヌはそれに気が付かぬのか、大きく手を広げながら演説よう
に語り続ける。
「どうせ、そこらにいた平民を捕まえて――」
周囲の生徒はいつもの癇癪か怒鳴り声が続くかと思い、それにより口論を騒ぎ
立てようと待ち構えていたが。
「マリコルヌ」
予想に反してルイズの顔は笑顔で、その声は非常に穏やかで。
「――黙りやがれ、このブタ野郎」
人生的に絶望より深い部分に潜ったような。あらゆる悲哀を受け止めたような。
てめえ俺は疲れてるんだ、少しは静かにしやがれ殺されてぇのか? と語るよ
うな超々々々低温の視線でマリコルヌを睨んだ。
「ぎろり」
「ひぃっ!?」
周囲が凍りついた。
後にマリコルヌは語る。
「ま、またあの視線に睨まれたら……ブヒィッ!!」
その彼が特殊な性癖に目覚めるまであと少し時間がかかる。
すとんとルイズが座ると、まるで止まった時間が戻るかのごとく周囲はざわめ
き始める。
だが当の本人であるルイズはなぜかぐったりとしたまま、アルにいたっては、
よっぽど暗いものを押し込めていたのだな、と感心していた。
そしてその空気に気づかぬのか、シュヴルーズは大きく手を叩く。
「はいはい、みなさん雑談はここまでです」
空気の読めないものの強さか、教室は強制的に授業の空気へと流されていく。
「…………」
ルイズも、気持ちを切り替えたのか授業へと集中した。
シュヴルーズは一度せきをしたあと、杖を振ると机の上に数個の石ころが現れ
る。
「私の2つ名は『赤土』。赤土のシュヴルーズです。『土』系統の魔法を、こ
れから1年みなさんに講義します。まず――」
騒ぐ当人達が集中しているため、授業は円滑に進む。アルもあまり出会わない
魔術のことに多少興味はあった。
失われた『虚無』を含めた『火』『水』『風』『土』の5つの系統魔法。その
系統魔法の使える数を表す『ドット』『ライン』『トライアングル』『スクウ
ェア』のメイジの位階(クラス)など。
(ふむ、ここまで闇の臭いのない魔術はめずらしい)
教師本人の系統もあるのだろう『土』を全面的に肯定しているが、年初めの授
業なのかその内容は模範的で知識の無いものにはちょうどいい。
だがアルは。
「……つまらん」
そう言って机へと突っ伏した。
「あんた、なにしてるのよ」
ルイズが思わず、顔を向ける。
教卓でシュヴルーズが石ころを真鍮へと変えているが、アルはもう見向きもし
ない。
それどころか、あくびをして眠りにつこうともしている。
「今は授業中なのよ、失礼じゃない」
ひそひそ声でルイズが注意するとアルは疲れたかのように言った。
「あんなもの児戯にも等しい」
「なっ――」
突然のことに言葉が詰まる中、アルはさらに続ける。
「魔術とは本来、世界の裏をかく物。世界の裏を、常識の非常識を疾走し汲み
上げるのが本分だ。だがあれはなんだ? ただの物質変換ではないか」
1000年もの長き時を闇の世界で暮らしてきた彼女にとって、説明された物はま
さに児戯である。
火を出すだけ? 風を吹かすだけ? 水を噴出すだけ? 土を操作するだけ?
実演した『錬金』にしても“既存の物質を作り出すけだけ”という、彼女の知
る魔術の中でも“基礎以下”と称されるものである。
術を使うあの教師でさえ、簡易な精神統一すらなっていない。
様々な、それこそ比喩ではない地獄にいた彼女からすれば余りにもぬるかった。
「よって、妾には無意味どころの話でない。むしろ退屈を誘う害悪だな、うむ」
だが、そんなことを――彼女の潜り抜けた世界を――知らないルイズにとって
は、それはこの世界のメイジの存在全てを、彼女自身を愚弄する行為にも等し
かった。
無意味――それは、彼女が目指す夢をまさに汚す言葉である。
「――あんたっ!」
そして勢いよくルイズが立ち上がり。
「ミス・ヴァリエールあなたが立候補しますか。いいでしょう、こちらに来な
さい」
おっとりとした声をかけられた。
「――へ?」
いきなり名指しされ置いていかれるルイズに、シュヴルーズはなおも優しく声
をかける。
「ミス・ヴァリエール。この小石を『錬金』してみなさい」
どうやら、あの中年教師は『錬金』をする生徒を募っていたところ、ちょうど
ルイズが立ち上がったことでそれを立候補と間違えたらしい。
「さあ、ミス・ヴァリエール」
「あ――」
そして、ルイズが反応するより早く。
「ミス・シュヴルーズ! それは危険です!」
生徒たちが反応した。
「絶対ルイズにはやらせてはいけません!」
「危ないです!」
口々に言う生徒たち。
「あら、ミス・ヴァリエールは座学でも優秀な成績を収めていると聞きますよ」
「それでもです!」
みんな必死になって気が付かない。ルイズの手が硬く握られブルブルと震えて
いるのに。
「ですが――」
「ルイズに魔法なんて使えるはずありません!」
それは誰が言ったことだろう。
その言葉を聞いたとき、ルイズの中のなにかが切れた。
「ミセス・シュヴルーズ! わたしはやります!」
勢いよく言い放つと、堂々とルイズは教卓へと歩き出す。
悲鳴を上げたり顔面が蒼白になったりする生徒たちは、次々と机の下へと潜っ
ていく。
「なにをしておるのだ?」
それを見て首をかしげるアルに、机の下からキュルケが苦笑しながら話しかけ
た。
「あなたも巻き込まれないように隠れたほうがいいわよ」
「……?」
そうこうしている間に教卓についたルイズにシュヴルーズは笑いかける。
「さあ、ミス・ヴァリエール」
この時、シュヴルーズは油断していたのだろう。いくら実技が苦手な生徒だと
噂されても。ただそれだけだろうと。
「はい!」
この時、ルイズも油断していたのだろう。サモン・サーヴァントと、不完全な
がらコントラクト・サーヴァントを成功させたことで、彼女にわずかな希望を
もたらしたのだろう。
「緊張することはありません。さあ、『錬金』したい金属を強く思い浮かべる
のです」
だがそれは、ルイズが杖を振り上げ。
「錬金――!」
振り下ろしたことで、粉々に吹き飛んだ。
爆風が吹き荒れ、ルイズとシュヴルーズは吹き飛ばされ黒板へと叩きつけられ
る。
「――にゃにぃぃっ!」
顔を出していたアルは爆風に煽られた。
その爆音に飛び起き、混乱した使い魔たちが暴れだし。それによりよけいに混
乱する生徒達。
「ああ! 僕のラッキーが!」
「や、止めろハスタール! 痛たたたっ!!」
「腕が! おでの腕がぁぁ!!」
阿鼻叫喚の地獄であった。
「なにがどうなって……」
ふらふらと頭を振ったアルが教卓を見ると。
黒い煤につつまれた教卓の周囲。
ボロボロになったルイズがむくりと立ち上がると、一言言った。
「ちょっと失敗みたいね」
「「「「「「どこがちょっとだ!」」」」」」
ここにいるみんなの心が1つになった。
「だからやるなと言ったんだよ! ゼロのルイズ!」
「確立ゼロだからゼロのルイズ!」
そこでアルは、大声で怒鳴る生徒達に言った。
「ところで、あやつは大丈夫なのか?」
アルが指差した先。
ぴくぴくとやばい痙攣のしかたをしているシュヴルーズがいた。
「「「「「「あ」」」」」」
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