「ゼロの氷竜-06」(2009/09/20 (日) 13:50:27) の最新版変更点
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#navi(ゼロの氷竜)
ゼロの氷竜 七話
アルヴィーズの食堂。
トリステイン魔法学院に通う全てのメイジが食事をとるその施設は、学院の生徒全てが入れるその大きさだけではなく、絢爛たる豪華さも持ち合わせていた。
興味深げに食堂を見渡すブラムドに、ルイズは誇らしげに説明をする。
「貴族は魔法をもってしてその精神となす。という言葉が掲げられている通り、魔法学院では魔法の教育が一番重要視されているわ。でも同時に、貴族が貴族らしくあるための礼儀作法を身に付ける場でもあるの。だから食堂も、貴族の食卓にふさわしいものでなければならないのよ」
おはようございます、と言いながら椅子を引くシエスタに、おはようと返しながら席に着くルイズ。
同じくおはようございます、と言うシエスタに、ブラムドもまた返事をしながら席に着く。
昨日のうちにオスマンが手配したのだろう、ブラムドの前にはルイズと同じ料理が用意されていた。
さらにテーブルの間をメイドや給仕が忙しなく動き、学院長から話があるため食事に手をつけないように、と伝えて回っている。
食堂の端にある階段の上、張り出した中二階の席にはオールド・オスマンやミスタ・コルベールなどの教師が座っていた。
ブラムドは料理へはさしたる興味もない様子で、食堂の壁におかれた人形たちの説明をルイズに求めている。
頼られること自体が嬉しいのだろう。
ルイズは口で文句を言いながら、笑顔を見せてブラムドへ説明する。
「アルヴィーたちは夜になると踊るの」
「……ゴーレムやガーゴイルのようなものか」
思いのほか的確な返事に、ルイズは素直に首を縦に振る。
「面白いことを考えるものだ」
「ブラムドの住んでいた……東方ではこういう使い方はしないの?」
わずかに言いよどんだルイズに、苦笑を浮かべながらブラムドが答えを返す。
「我の住んでいたところでは、ガーゴイルは番人としての役割を与えられていた。どれだけの時間を経ても、変わりなく宝を守る。ゴーレムに関していえば、それ以外に戦に連れ出すことも多い」
「ゴーレムはやっぱりすごく大きいの?」
「いや、大きさは人間よりも多少大きいといった程度だな。大きなものは作るのに手間がかかりすぎる」
作るのに手間がかかる、という言葉に、ルイズは過去の記憶を掘り起こす。
土くれなどから形を作り出し、魔力の供給が切れれば元の姿に戻ってしまうゴーレム。
だがブラムドの言葉からすれば、ガーゴイルのように変わらぬ姿を保ち続けるようだ。
「やっぱり東方のゴーレムはちょっと違うみたいね」
「近いうちに見せることになろう」
ルイズは朝の会話を思い出す。
魔法を試す必要がある、とのブラムドの言葉を。
しかし、結果としてその機会は陽が沈む前に訪れることとなる。
やがて学院へ通う全ての生徒、そして全ての教師が食堂へそろう。
手摺りに当てられる杖の音が食堂に響くと共に、音の波が次第に凪いでいく。
「諸君」
老いた学院長の言葉は魔法によるものか、食堂の隅から隅へと響き渡る。
居住まいを正す生徒たちを見下ろしながら、学院長は自らの言葉を継ぐ。
「昨日進級のため、春の使い魔召喚の儀式が行われた。例年通り、一人の脱落者も出すことなく」
その言葉に、かすかなざわめきが起こる。
無論それはゼロの名を冠される、一人の少女が原因だ。
「だがその儀式の際、ちょっとした事故が発生した。ミス・ヴァリエールが東方よりのメイジを召喚したのだ」
使い魔召喚の儀式に参加した人間のうち、空色の髪を持つ少女以外の人間が、せわしなく視線を交わし合う。
「ミス・ヴァリエール、ブラムド殿。ご起立いただけるかな?」
学院長に呼ばれ、二人が立ち上がる。
「座学において、非常に優秀な成績を残しているミス・ヴァリエールを知らぬものはおるまい。その隣の方がブラムド殿。東方よりのメイジじゃ」
立ち上がる二人に、四方から容赦なく視線が降り注ぐ。
それに対抗するように胸を張るルイズ、そして泰然自若と周囲を見渡すブラムド。
対照的な二人の態度に、学院長は笑みを浮かべながら声を張る。
「協議の結果、ブラムド殿はミス・ヴァリエールの使い魔となることを了承してくだすった。そのため、本日よりブラムド殿は学院にて生活することとなるが、わしはブラムド殿を客人として扱う」
いいながら、学院長は立ち上がった二人へ座るように促す。
「故に、ブラムド殿への無礼は相成らぬ。それを、諸君らの杖に誓ってもらう」
学院長の言葉は、ことさらに大きくなったわけではない。
声が高くなったわけでも、低くなったわけでもない。
しかしその瞬間、食堂を包んだ重圧は、生徒と教師を押しつぶすような強さを持っていた。
生徒と教師を問わず、全てのメイジがそれぞれの杖を掲げ、誓いの言葉が唱和する。
「杖にかけて!!」
学院長は満足げにうなずきながら続ける。
「また、昨日使い魔召喚の儀式へ参加した生徒諸君には、儀式の際に起こった事故について、決して語らぬように伝えておく」
重圧は、いまだに解き放たれていない。
「杖に誓う必要はないが、もしこれを破った場合、相応の処分をすることになる。理解していただくよう、切に願う次第である」
あえて誓わせないことに、儀式の参加者たちはむしろ強い制約を感じていた。
処分の内容への言及もないということは、全て学院長の裁量次第となる。
さらには儀式の参加者以外へ、東方のメイジを重要視させる結果をもたらす。
「以上」
学院長の最後の言葉に、食堂に満たされていた重圧はわずかに晴れる。
生徒や教師たちは深くため息をついた後、感謝の言葉を捧げ始めた。
グリルした鶏肉をフォークで押さえ、ナイフを入れていく。
ナイフで一口大に切った肉を、フォークで口へと運ぶ。
はたまたフォークでサラダをつつくもの、スープをスプーンですくうもの、日常的な食事の風景が広がっていた。
だが竜であるブラムドに魔法を教えるものはあっても、テーブルマナーを仕込むものはいなかった。
無論、その必要がなかったからだ。
故にブラムドはひとまず周囲の人間の所作を観察し、とりあえずナイフとフォークを手にとって見る。
だがどこかしっくりと扱うことが出来ない。
隣ではルイズが、他と比べても際立って優雅な手つきで食事をしている。
面倒に思ったブラムドは、皿に乗せられた鶏の脚を手で掴もうかとも考えた。
しかし他と比べて明らかに異常な行動をとることは、ルイズの名誉にも関わると考えざるをえない。
そもそも竜にとって、料理は不要なものだ。
年の若い下位の竜であれば、獲物となりうる魔物や動物、人間などをそのまま食らう。
ある程度の年月を経た竜には、それらも不要となる。
食らったあらゆるものを、力に変えられることを知るようになるからだ。
樹木であろうと、土であろうと、石であろうと、水であろうと関係なく、口に出来るものは全て力の源となる。
その竜があえて手間をかけてまで、調理に労力を払う必然性はない。
……さてどうしたものか。
どこか途方にくれたようなブラムドに気付き、ルイズが声をかける。
「どうしたの?」
「東方にはこのような器具はない」
いいながら、ブラムドは両手に握ったナイフとフォークを見せる。
それは子供がするように握り締められ、自分がするような優雅な手つきとは縁遠いものだ。
ルイズは困った表情を浮かべたが、ブラムドは不意に笑顔を浮かべながらいった。
「ルイズ、食べさせてくれ」
「……え? …………えぇえ!?」
ルイズの上げた絶叫に、食堂内にいた一部の人間が視線を向ける。
「使い魔を飢えさせぬのも主の義務であろう?」
その言葉に、ルイズは覚悟を決めた。
……べ、別に大したことじゃないわ!! 前にやったことだってあるんだし!!
強がるルイズではあるが、以前にそれをやったとき、ルイズは物心がつくかつかないか、言葉を覚えたてといった程度の年齢でしかない。
自らの心を誤魔化しているためか、ルイズは頬が熱くなるのを自覚していた。
ルイズに向けて席を動かしたブラムドに、注視をしていた一部の人間が隣席や近場の人間へ小さく声をかける。
やがて食堂内にいた全ての視線が、首元まで赤く染める一人の少女とその使い魔に集中した。
「……あ、あ~ん」
恐ろしい勢いで目の前の料理を片付けていた、空色の髪を持つ少女の手が止まる。
燃えるような赤毛の少女は、楽しむようでいてどこか名状しがたい、面白がるような笑みを浮かべる。
老いた学院長はこっそりと遠見の魔法を使い、食堂にいた半数は羨望の眼差しを浮かべ、半数はただ頬を朱に染める。
オスマンの言葉で荘厳ささえあった食堂内の空気が、ほんの少しの時間で一変していた。
尚余談ではあるが、シエスタの機転によって以後ブラムドへの料理は全て一口大に切られるようになる。
それを残念がった人間もいたというが、その名前は伝わっていない。
ある種拷問のようでいて、ある種幸福な時間のようでもあった朝食が終わり、学生たちは学生の本分に立ち返り、教師たちは教師たちの本分に立ち返る。
授業が行われる教室に到着したのが一番遅かったのは、無論二人分の料理を片付けたルイズとブラムドであった。
すり鉢を二つに割ったようなつくりの一室、すり鉢の壁に当たる部分には段がつけられた座席。
すり鉢の底に当たる部分には教壇、そしてその上には教卓がおかれ、座席を挟んだ反対側には黒板が据え付けられている。
ルイズが教室へ入った瞬間、奇妙な緊張感が場を包む。
オスマンの言葉をまともに受け止めれば、ルイズとブラムドに触れるものはいなくなる。
普段暴言を投げつけられることに慣らされてしまっていたルイズは、それがなくなったことに満足感を覚えてはいたが、一方でそれが自らの力によるものでない肩身の狭さも感じていた。
メイジの実力を見るには、その使い魔を見よ。
貴族の常識とされているその言葉も、大人と子供どころではない力の差を自覚させられれば単純に誇る気にもなれない。
ましてや貴族としての強い誇りを持つルイズが、虎の威を借る狐のような態度を取るなどありえないことだ。
「ルイズ」
燃えるような赤毛の少女、キュルケがルイズを呼び、自らの隣の席をすすめる。
キュルケの隣に座っていた空色の髪の少女、タバサはブラムドへ視線を投げ、ブラムドもまた視線を返す。
ただ昨夜の約束もあり、ブラムドはそれ以上の行動を起こそうとはせず、ルイズもキュルケも、タバサとブラムドのやり取りには気付かなかった。
ルイズはといえば、友とはいえないキュルケの呼びかけに応えるつもりはない。
しかし教室内を見渡してみれば、視線に対してあからさまな拒絶をする人間ばかりだ。
今までのことを考えれば仕返しの一つも、と思うのが人間だが、ルイズは使い魔の力でそれをしようとはしない。
自らが力をつけて見返すことは考えたとしても、仕返しを考えることはないだろう。
ルイズは、誇り高い人間だった。
結局、キュルケの隣ぐらいしか席がないことを知り、ルイズはため息をつきながらブラムドに視線を投げ、ブラムドの盾になるように席に着く。
ただし、盾としての効果はあまりなかった。
「ブラムド様」
「ブラムド、別に返事しなくていいわよ」
キュルケの言葉、そしてそれに続くルイズの言葉に、ブラムドは笑みを浮かべて言葉を返す。
「ルイズ。先刻も言ったが、それは礼儀にもとるであろう?」
「それは、そうかもしれないけど……」
言いよどむルイズの態度や朝のやり取りで、ブラムドはルイズがキュルケを苦手としているか、もしくは敵視していることを看破する。
ブラムドはキュルケに視線を投げ、キュルケは笑顔を浮かべながら視線を返す。
……特に悪感情を抱くような人間には見えぬがな。
疑問に思うブラムドは、ルイズへと問いかけようとする。
それをとどめたのは教室へと入る、一人の女性教師だった。
にわかに静まり返る教室を眺め、教壇に立った女性教師は教鞭をとるものらしい口調で話を始める。
「初めまして、という方もいらっしゃいますね。私の名前はシュヴルーズ、ミス、ではなくミセス。そして土のトライアングルで、二つ名は赤土です」
いまだに笑みを絶やさぬキュルケに、ルイズは一言いってやりたかったが、さすがに授業が始まってしまっては私語を慎むしかない。
シュヴルーズは入り口近くに集められた使い魔たちを眺め、ブラムドに一瞬目を留めて口を開く。
「オールドオスマンのおっしゃられたように、春の使い魔召喚の儀式は大成功だったようですね。私は新学期にこうやって、様々な使い魔を見るのがとても楽しみなのです」
シュヴルーズは笑顔を浮かべながら授業を始め、系統魔法に関する基本的な事柄をなぞっていく。
虚無を除いた基本的な四つの系統、土、水、火、風、中でも土は特に生活に密着したものであるという。
建物を初めとし、金属製の器具などはほぼ全てが土のメイジによるものという言葉を聞き、ブラムドはかつて自らが身をおいていた世界との違いを教えられる。
フォーセリア世界では建物の建築や冶金、製錬などに魔法を使うことはほぼない。
そういった技術を魔術師が持つこともあるが、大体は蛮族と呼ばれていた魔術師以外の人間、そして土の妖精族であるドワーフが行うことが常であった。
人間の半分ほどの身長しかないドワーフだが、その膂力や器用さは人間を上回る。
不意にブラムドは室内を見渡し、使い魔たちを除いて人間以外の種族がいないことを確認した。
……この世界に妖精族はおらぬのだろうか。
そんなことを考えるブラムドを尻目に、シュヴルーズの授業は進んでいく。
ルイズを含めた数人の生徒に質問を投げかけ、その回答によって理解度を測る。
理論については問題ないと判断したシュヴルーズは、実技に関しての確認を行おうとする。
教卓の上に置いた石に錬金をかけ、石を金属に変化させる。
興味深げな視線を送るブラムドに気を良くしたのか、シュヴルーズの声がわずかに弾む。
「さて、土の基本的な魔法である錬金を、どなたかにやっていただきましょう。……ミス・ヴァリエール」
名を呼ばれたルイズは、少し反応が遅れる。
昨年、実技が行われ始めてから一度も成功したことがないルイズは、実技において名を呼ばれることがなくなっていたからだ。
それに乗じるように、別の声が上がった。
「あの、ミセス・シュヴルーズ」
「なんでしょう、ミスタ・マリコルヌ」
「やめたほうがよろしいかと」
控えめな制止に応えた声は、教壇ではなくルイズの横で起こった。
「大丈夫よ。だってルイズは昨日、こんなに立派な使い魔を召喚したんだから」
弾むようなキュルケの声、素直に受け取れば励ましになるその言葉を、ルイズは素直に受け取ることは出来なかった。
数ヶ月に渡って挑発を受けてきたルイズは、これも失敗を期待してのことと邪推する。
少なくとも今現在の二人では、そう受け取るのも仕方のないことではあったが。
キュルケの言葉に、シュヴルーズも笑顔で深くうなずく。
「やります」
ルイズの言葉で、教室内に恐れを含んだ緊張が駆け抜けた。
教壇に上がったルイズは、少しこわばった笑顔をブラムドに投げ、杖を構えて詠唱を始める。
それを合図に、生徒たちは机の下へと避難を始めた。
いつものこととルイズは考え、雑念を振り払う為に目をつぶって集中する。
そのため、ルイズは机の下に隠れていない人間が、ブラムドとシュヴルーズの他にいることに気付かない。
机の下に避難するクラスメイトや隣に座っていた友人とは違い、キュルケはルイズの成功を確信していた。
そう、使い魔召喚の儀式でブラムドを呼び出した瞬間、ルイズの努力が実を結んだのだと。
そうまで信じ切れていないタバサは、そんな友人の姿を机の影から心配そうに眺める。
ブラムドは周囲の反応に違和感を覚えながら、そっと『魔力感知』を使う。
ルイズが集中することによって集められたマナが、杖の先から溢れ出ている。
そしてルーンと共に振り下ろされた杖の先から、溢れ出るほどの大量のマナが注ぎ込まれる。
ルイズの一挙手一投足をつぶさに観察していたブラムドは、杖の先から大量のマナが石へと注ぎ込まれることを確認した。
だが次の瞬間、拳大の石が爆音と共に砕け散る。
爆風によって至近にいたルイズとシュヴルーズが吹き飛ばされ、半瞬遅れて砕けた石の欠片が飛び散っていく。
細かな破片は辺りにまき散らされ、つまめる程度の小石が二つ、一つは入り口の扉に突き刺さり、一つは窓を突き破る。
そして最も大きな欠片、元の半分ほどとなったそれが、キュルケへ向かって吹き飛ばされていた。
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ゼロの氷竜 六話
窓から入り込む光に、一人の少女が目を覚ます。
燃えるような赤毛と紅玉のような瞳を持つ少女は、名前をキュルケという。
正式には、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。
魔法学院が存在するトリステインの隣国、ゲルマニアからの留学生だ。
あくびをかみ殺しながら起き上がったキュルケは、傍らでこちらを見上げている自らの使い魔へと挨拶する。
「おはよう、フレイム」
火竜山脈に生息するというその火トカゲは、喉を鳴らしてうめき声のような挨拶を返した。
ベッドの上で猫のようにのびをしたキュルケは、窓から青空を眺めて着替え始める。
その豊かな胸は、隣室のルイズと比較すれば、まさに大人と子供のようだ。
寮の部屋が隣り合っていることと同じく、彼女たちの実家も隣り合っている。
トリステインとゲルマニアという二国の国境線を挟んで尚、隣り合っていると表現してよいのであれば。
生活圏内が近いこと、そしてそれを分かつものが国境であること、二つの条件が重なった場合、両者の関係が良好であることは極々稀だ。
国の境目とは、戦の痕跡に他ならない。
侵略する側と侵略される側に分かれ、時に立場を入れ替える。
幾人もの死者を出し、その亡骸を踏み越えた結果が国の境目だ。
だが、今現在トリステインとゲルマニアの関係は険悪なものではない。
それはゲルマニアの留学生を、トリステインが受け入れていることからも明白だ。
無論、交流があるとはいえ他国は他国。
水面下での綱引きをしていないわけがないし、長年矛を交えた間柄がそう簡単に怨讐を乗り越えられるはずもない。
過去を忘れられるものもいれば、忘れられぬものもいる。
しかしキュルケはそのどちらでもない。
何故ならキュルケが生まれてから今まで、トリステインとゲルマニアは表立っての争いを起こしたことがないからだ。
ただし、キュルケとルイズの関係が良好なものであるかといえば、二人の関係は険悪であると断言できる。
少なくとも、表面上のやり取りを見ている限りは。
一部の例外を除いて、貴族とメイジが同意であるこの世界で、公爵家という非常に立場の強い貴族の家柄に生まれながら、一切の魔法を使うことの出来ないルイズ。
その劣等感を、耳障りの良い言い方をするのであれば、非常に効率的に刺激するキュルケ。
一年もの間その関係が継続している二者を指して、仲の良い二人、と表現する人間はいないだろう。
ルイズに関していえば、表面的な対応とその心情は合致している。
だがキュルケに関していえば、表面的な対応とその心情は同一の方向性ではなかった。
人間が生活する場と限定した場合、ある情報が伝わる速度は他のあらゆる情報よりも速く伝播する。
醜聞だ。
その醜聞の主役が、他者に知られたくないと思うことであればあるほど、それが広まる速度は上がる。
キュルケがトリステイン魔法学院の入学の際、初めてルイズを見たとき、キュルケはルイズの噂を知っていた。
それはもちろん醜聞であったが、キュルケは自らその類の噂話を集めていたわけではない。
元々、同時期に入学した生徒の大半が知っていた話だ。
噂だけで人を判断する愚かさを、キュルケは知っていた。
だからこそ、ルイズには多少の興味を持っていた。
噂では人となりは理解できない。
同学年生の初顔合わせ、自己紹介の中でルイズは魔法を使えないことを公表した。
メイジ以外の人間でも貴族になれるゲルマニアと違い、貴族絶対主義といえるトリステインの大貴族出身者が、そのトリステインの地で自らがメイジではないことを宣言する。
室内がざわつく中で、ルイズはさらに言う。
だが、自分はいずれ魔法を使えるようになる。
そのための努力は惜しまない、と。
キュルケはそこにルイズの強い誇りを見出した。
教室中から注がれる視線にも、全く表情を変えずに端座している。
そのとき唯一視線を動かしたのは、キュルケが隣り合う国の隣り合う地からきた留学生だと言ったときだけだった。
それからしばらくの間、キュルケとルイズの間で言葉や視線が交わされることはない。
ルイズは宣言の通り、努力を惜しまなかった。
入学してから三ヶ月ほどは、魔法理論をはじめとする座学のみの授業が続く。
ルイズはそこで驚くほどの優秀さを見せ、入学時の宣言で少し斜に構えていた同級生たちを驚かせる。
そのままの優秀さが発揮されていれば、ルイズはゼロと呼ばれることはなかっただろう。
しかし四ヶ月目に入り、授業に実技が加わったときから、ルイズの転落は始まる。
杖を構え、ルーンを唱え、杖を振る。
魔法を使うための一連の動作に加わる結果は、ルイズだけ常に変わらない。
レビテーションでも、ロックでも、フライでも、コモンといわれるもっとも単純な魔法。
メイジとして生まれついていれば使えないはずのない魔法。
その全てにおいて、ルイズは爆発という結果しか得られなかった。
実技が開始されて二週間ほど経った後、ルイズにゼロの二つ名が冠せられるようになる。
誰ともなく囁かれるゼロという単語に、流石のルイズも肩を落とすようになった。
だが隣室にすむキュルケは、ルイズの努力を知っている。
キュルケよりも先に明かりが消されることはなく、ともすればキュルケが起きたときから本をめくる音が聞こえた。
夜中にどこかへ出かけるという友人のタバサも、明け方に机へ向かうルイズの姿を何度も見かけたと言っていた。
ゼロという言葉は、ルイズの輝きを奪おうとしている。
一月前に比べ、わずかに落ちたルイズの肩。
キュルケの口が、艶然と持ち上げられた。
……微熱が、火をつけてあげる。
「ルイズ」
と不躾にファーストネームを呼ぶ。
「何かしら、ミス・ツェルプストー」
礼儀正しく、だがわずかの棘を含んで、返事があった。
「先日発表された成績の順位では一位だったわね。おめでとう、ルイズ」
「ありがとう、ミス・ツェルプストー」
礼を口にしてはいるが、その表情は硬いままだ。
「でもあれには実技が含まれていないわね。ルイズ」
ルイズの肩が、わずかに動いた。
キュルケが視線をわずかに変える。
それは見下ろす角度。
見上げるルイズの眉根に、皺が刻まれる。
「何が言いたいのかしら、ミス・ツェルプストー」
「いいえ、別に何でもないわ。ルイズ」
ことさらに名前を呼ぶ。
ルイズはキュルケの真似をしているだけだ。
だがキュルケは意図を持ってそれをしている。
「ただ、またゼロなのかしらと思っただけよ。ルイズ」
キュルケの視線の先、ルイズの瞳に火がともされた。
それは怒りの炎。
「わざわざ他人の心配をするなんて、随分と余裕があるのね。ミス・ツェルプストー」
「仕方ないでしょう。ルイズ。だって私の魔法は爆発しないもの」
炎が、燃え上がる。
しかしルイズの口元が笑みを形作る。
「毎晩のように盛っているぐらい余裕ですものね。ミス・ツェルプストー」
思わぬ角度からの反撃に、キュルケがはたとまばたきをした。
それでもその余裕は崩れない。
「まぁあなたにはその相手もいないしね。ルイズ」
その一言に、ルイズの炎は頬へと燃え移った。
「関係ないでしょう! この色ぼけ女!!」
まず誉めて、そして貶して、突き落とし、その様をあざ笑う。
ある種基本的とも言える挑発の手法だ。
ことさらに名前を強調するのも効果的で、ルイズは見事にキュルケの術中にはまった。
罵り合い、というには片方の表情が余裕に過ぎるが、その応酬は教師が教室へ入るまで続く。
授業が始まり、ルイズはキュルケへ憎々しげな視線を送りながらも、授業へと集中する。
もう、肩は落ちていない。
その様子を見ながら、キュルケはどこか暖かい視線を送っていた。
不意に、隣の席から小さく短い言葉が投げつけられる。
「心配性」
空色の髪を持つ少女、キュルケが唯一同格の友人とするタバサの言葉に、キュルケは微笑みを返す。
タバサもまた、わずかに、ほんのわずかに口の端を持ち上げた。
ルイズとキュルケの喧嘩が日常になり、ルイズがキュルケをミス・ツェルプストーと呼ばなくなって数ヶ月後、使い魔召喚の儀式が行われる。
開始早々、風竜を呼び出した友人に触発され、気合いを込めて杖を振るう。
召喚の鏡から出てきたのは、微熱に相応しいサラマンダーだった。
風竜に比べれば流石に格は下がるが、キュルケを満足させるには十分だ。
契約の口づけを済ませ、フレイムと名付けたあと、キュルケの視線はルイズを探そうとする。
とはいえ、あえて探すと言うほどのこともない。
いつもの音がする方向へ、目を向ければいいだけのことだ。
だが、キュルケは視線の先で何が起こっているか認識した瞬間、強制的に思考を停止させられる。
その光景が、あまりにも衝撃的だったからだ。
ルイズが爆発の影響を考えて距離をとっていたため、鏡から突き出た足の全景を確認するのに全く苦労はなかった。
にもかかわらず、足から体全体の大きさを想像することもできない。
ルイズの様子を観察することも、タバサと目を合わせることもできない。
そして鏡が割れた後にあらわになる巨躯、契約の前に言葉を話すことで韻竜と判明したこと、キュルケはそれぞれにげんのうで強かに打たれたような衝撃を受けた。
当然のことではある。
韻竜はすでに絶滅したと一部で伝えられ、何よりもあれほど巨大な竜は見たことも聞いたこともない。
それを、あのルイズが召喚した。
その衝撃は軽い物ではない。
だが一方で、ルイズの努力に見合っただけの使い魔ではないのか、という奇妙な得心も存在した。
……ルイズは私の祝福を素直に受けてくれるだろうか。
ひな鳥の旅立ちを見送るような寂寥を感じ、キュルケはどう声をかけようかと考えていた。
心のどこかで叶わぬ夢と知りながら、キュルケは巨大な韻竜との契約を済ませたルイズへと歩み出そうとする。
「ミスタ・コルベール!!」
その歩みを止めたのはオールド・オスマン。
そして祝福をさせなかったのはミスタ・コルベールだった。
「みなさん、それでは学院へ戻ります。使い魔とはぐれないように気をつけてください」
ルイズへと近づくオールド・オスマンを眺め、キュルケは漠然とした不安を感じつつも、フレイムを抱き学院へと飛び去る。
学院へ戻り、夕食を取り、それでもなおルイズは寮へは戻らない。
同時刻、黒髪のメイドがしていたように、キュルケもまたルイズを心配していた。
しかし主を心配するフレイムの様子に、キュルケは憂いを消し去る。
そう、契約はすでになされていたのだ。
それらを独り言のようにフレイムに聞かせ、キュルケは服を着替えてベッドにその身を横たえる。
ルイズへの祝福の言葉を考えながら。
隣り合った二つの扉が、ほぼ同時に開いた。
まず扉から出てきたのは、二人の少女。
キュルケはルイズの姿を見つけて微笑み、ルイズはキュルケの顔を見るならその表情をゆがめる。
二人が顔を合わせるたびに繰り返す、儀式のようなものだ。
だがルイズは気付かない。
キュルケの微笑みが普段と違うことに。
その笑顔の裏にあるのは純粋な好意だ。
もしキュルケが素直に今までのことを謝罪するような性格であれば、二人はその場で友人になることができただろう。
実際の結果はそこまで幸せな結末にはならなかったが。
口火を切ったのはキュルケだった。
「おはよう、ルイズ」
「……おはよう、キュルケ」
「昨日はすごい使い魔を呼び出したのね。ブラムドって言ったっけ?」
そこまでキュルケが口に出した瞬間、ルイズの部屋から銀髪の女性が姿を見せる。
予期せぬ人物に、キュルケの言葉が止められる。
ルイズに視線を投げるも、紹介しようという気配は見られなかった。
であれば、挨拶をするのが貴族の礼儀だ。
「初めまして、私はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。親しい者はキュルケと呼びますわ。よろしければミス、お名前を教えてくださいますか?」
挨拶をしながら、キュルケの視線は頭の先から下方へと動いていく。
……銀の髪。こんな髪の人は見たことがない。
……青い瞳。どこかで見かけたような気もする。
……身に付けているローブは見たことがある。でも着ていたのはこの人じゃない。
……胸は、勝ったわね。
わずかに微笑んだキュルケに、銀髪の女性が挨拶を返す。
「丁寧な挨拶いたみいる。ここの貴族たちは随分と長い名前を持つ者なのだな。我が名はブラムド。まだ親しいとは言えんが、我はお前をキュルケと呼ぼう」
「こんな女に挨拶することはないわ」
ブラムドの挨拶に続くように、ルイズが吐き捨てるように呟く。
しかし、その言葉に反応したのはキュルケではなかった。
「ルイズ、礼には礼を以て返すのが当然ではないか」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
そんなブラムドとルイズのやりとりを、キュルケは聞いていなかった。
「……ブラムド? 昨日の?」
思わず指差しながらいうキュルケに、ルイズは小さくため息をつきながら口を開く。
「朝食の時に、オールド・オスマンが説明してくれるわ」
そう言い捨て、ルイズは食堂へと向かう。
「ま、待ちなさいよ」
言いながら急いで追いかけようとしたキュルケに、ルイズがその背後を指差しながら言った。
「使い魔が遅れてるわよ」
ルイズの言葉に振り向いたキュルケは、ゆっくりと歩み寄るフレイムの姿を確かめる。
大分背の高さが違う二人のメイジだったが、流石に四つ足で歩くフレイムとは比べものにならない。
ルイズを追いかけるためにフレイムを抱きかかえようとしたキュルケだったが、狭い寮内でフライを使うわけにもいかず、食堂へと向かうルイズとブラムドの後ろ姿を見送る他はなかった。
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