「ゼロと竜騎士-3」(2010/07/06 (火) 02:22:51) の最新版変更点
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「……忘れなさいよね」
キュルケの部屋で、そしてキュルケの胸に抱かれて約一時間、めそめそと泣き続けたルイズであったが、ようやく落ち着いて最初に口にした言葉がそれであった。
キュルケの部屋で一時間、一時間である。
朝食の時間もとっくに終わってしまっている。
それだけの時間をキュルケの胸で泣きはらし、目も鼻もすっかり真っ赤になっているのに、それでも強がりそっぽを向いてそんなことを言う様は、もうまるで子供だ。
延々と一時間近くもそんなルイズに付き添ってやっていたキュルケにしてみれば、今更そんな体面繕ったって、という感じではあるのだが、
(ま、それでこそルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールってもんよね)
そんな風に思ってしまえるのだから、キュルケもキュルケである。
「はいはい、分かってるわよ。それよりほら、鼻真っ赤よ? 大丈夫? ちーんってやんなさい、ちーんって」
「子供扱いしないでよ!」
「やーねぇ、してないってば。ほら、ちーんって」
「うるさい!」
キュルケはと言えばそんなルイズの様子にも頓着せず、可愛いもんじゃないの、と頭を撫でるのであった。
そんなことをすれば当然のことながら、ルイズにその手を払いのけられる。
そして部屋のドアが第三者の手によって開かれたのはそんなときだった。
「あら、タバサじゃない」
「……」
メガネをかけた青い髪の少女、ガリアからの留学生であるタバサだ。
非常に寡黙な少女であるのだが、同じ留学生という立場なせいかキュルケとはたまに会話らしきものをする仲ではある。
「どうしたの? あなたが私の部屋を訪れるなんて珍しい。何か御用?」
「コルベール先生から伝言、ミス・ヴァリエールに」
「そうなの。でもよくここにあの子がいるって分かったわね?」
キュルケの反問にタバサは少し言いよどみ、そして、
「泣いているミス・ヴァリエールを抱きかかえて自室の姿を目撃した生徒が……食堂で噂に」
「ちょっ、嘘でしょ!?」
「本当」
温度のないタバサの返答は、彼女の言葉が真実以外の何物でもないと雄弁に語る。
ちなみにタバサの言う目撃した生徒とはモンモランシーのことだ。
とかく刺激を求めがちな年代である魔法学院の生徒たちの例に漏れず、モンモランシーもまた普段いがみあってばかりの二人の、ある意味スキャンダラスなワンシーンを目撃して黙っていられるほど、老成してはいなかったようである。
キュルケはため息をついて天を仰いだ。
「なんてこと……変な噂に発展しなきゃいいけど。まぁ多分、無理なんでしょうけど」
「がんばって」
「ハイハイ頑張りますとも。気のない激励ありがとね」
タバサの髪をくしゃりと撫でる。
先ほど撫でたルイズのそれと比べれば短く、そして手入れも荒いタバサの髪だが、それでも無感動に、しかし抵抗なくキュルケの手を受け入れるタバサの素直さは、ルイズとは違う可愛らしさがあった。
私、そんな趣味はなかったはずなんだけどねぇ、と苦笑しつつ、
「えっと、それでヴァリエールだっけ? あの子なら中にいるわよ。伝言なら伝えるけど?」
「待って、ツェルプストー」
制止を掛けたのはルイズだ。
まだ目は腫れているし、頬には涙の跡も残っている。
それでも表情だけは普段の彼女に戻っていた。
「伝言くらい自分で聞けるわよ」
「あらそう? だそうよ、タバサ」
促されてタバサは小さく頷いた。
前置きもなく口を開く。
「コルベール先生からの伝言――昨日の大怪我でまだ辛いだろうから、今日の授業は自室か医務室で療養しているように。朝食を食べたら医務室に行って医師の診断を受けること――以上」
平坦な口調でそう告げる。
キュルケがちらりとルイズの様子を伺ってみれば、こちらはタバサとは対照的に非常に分かりやすい表情で不服さを示していた。
「ヴァリエール、大丈夫?」
「起きたばっかに比べたらずっとよくなったわ。確かにもう痛くないなんて言ったら嘘になるけど、でも授業を休むほどじゃないわよ」
「それでも一応、ちゃんと診てもらった方がいいんじゃないの? 頭蓋骨陥没って大怪我よ、大怪我。普通死んでるわ」
「私は生きてるわよ!」
「反発する元気があるのは結構だけどさぁ……って、なにタバサ?」
言葉の途中でタバサに袖を引かれる。
タバサが声を潜めて言った。
「多分、貴女が言えば言うだけ反発する」
「ああ……、それはあるかも」
ちらりとルイズに視線を送ってみる。
「なによ、人の前でそんな風に内緒話なんかしないでくれる?」
不愉快だわ、顔中でアピールしていた。
キュルケは処置なしと肩を竦めるしかない。
「まぁ、アンタが平気だって言うならそれでいいけどさ、でも養生するようにっていうのはコルベール先生からの指示なんだから、従っときなさいよね」
「だから、それは――!」
「ヴァリエール、アンタ使い魔召喚の儀式とか失敗してるんだから、今は先生の指示には逆らわない方がいいんじゃない?」
そう言われてはグッと言葉を詰まらせるしかないのが今のルイズだ。
その件でルイズが泣いたのを知っているキュルケとしては、あんまりこういう方法で黙らせたくなかったというのが本音ではある。
しかし、そうでも言わないとルイズが大人しく養生するはずもないということも知ってしまっているのが辛いところだった。
ルイズの背後に回って肩をポンと叩くとそのまま背中を押す。
「さ、それじゃヴァリエール、さっさと自分の部屋に帰るなり医務室に行くなりしなさい。私とタバサはもう授業行かなくちゃだから」
「でも……」
「いいから、今は私の言葉じゃなくて、先生の指示に従っときなさいな」
ね? と言って優しくルイズの髪を撫で、そして今度はルイズもその手を払いのけようとはしなかった。
促されるままトボトボと歩き、最後にもう一度こちらを一瞥してから、項垂れた様子で自分の部屋へ戻っていった。
それを見送ったキュルケは自慢の赤髪をかきあげて嘆息する。
「はぁ……こんな私のキャラじゃないんだけどねぇ」
「……」
「……あ、なに、タバサ?」
視線に気づいて顔をそちらに向ければ、タバサが無表情にキュルケを見上げていた。
「貴女は、ミス・ヴァリエールのことを嫌ってたのだと思っていたわ」
「ええ? なに言ってるのよ、タバサ」
キュルケは心底驚いたような目でタバサを見返し、
「ヴァリエールのことなんて、好きじゃないに決まってるでしょ?」
「だったら、何故?」
「ただでさえ好きじゃないっていうのにあんな辛気臭い雰囲気垂れ流されてたら、もっと嫌いになるだけじゃないの」
そう言ってキュルケは肩を竦めて自室に戻っていった。
タバサに向かって「このまま教室行くでしょう? 折角だし一緒に行きましょうよ、ちょっと待ってて」と言い残して。
「……」
タバサはキュルケが閉めた扉をただ無表情に見つめていた。
もっと嫌いになるだけじゃないの、と言っていたが、それはひょっとしてこれ以上は嫌いになりたくないのだとか、そういうニュアンスが込められていたのだろうか、なんてことを思いながら。
見上げる先に果ては無く、見下ろす先に終わりはない。
永遠に続く果てしなき空、悠久の青。
ラグーンとはその空に浮かぶ根無しの浮島のことだ。
大地などないその世界で人々はラグーンに暮らし、大空を舞うドラゴンに跨って島と島の間を行き来する。
あたかも環礁のごとき姿を見せる6つのラグーン。
砂漠の国ダフィラ。
奇跡の大陸マハール。
魔法都市ゴドランド。
青き大陸キャンベル。
傭兵の国ベロス。
そして“神竜”の加護をうける聖国カーナ。
ラグーンに暮らす者たちにとっては、それが世界の全てだった。
それがオレルスという世界だった。
「……興味深くはあるが、ふむ、俄かには信じがたいのう」
ビュウから彼の故郷、オレルスについての話を聞いたトリステイン王立魔法学院の学院長、オールド・オスマンの最初の一言はそんなものだった。
ラグーンとは要するにアルビオンのような浮遊大陸のことなのだろう。
だが、そうとは分かるがそうした浮遊大陸だけで構成された世界が空の彼方にあるという話は、どうにも荒唐無稽じみて聞こえた。
だってそんな話、聞いたことも無い。
「ああ、いや、別に君の言葉を疑っているとかそういうわけではないぞ、ビュウ殿?」
「いえ、気持ちは分かります。でも僕としては、僕の言葉が真実であると主張するしかないというのも分かってもらいたい」
「ならば見たことも聞いたこともないものの存在を、いきなり信じることは出来ない、というこちらの主張も分かってもらえるじゃろうな?」
「それはもちろんです」
ビュウがハルケギニアに召喚されて一晩が経った翌朝のことだ。
昨日はコルベールの計らいにより、ひとまずは客人という立場で魔法学院の客室に宿泊した。
そこでコルベールから自分がどういう理由でこのハルケギニアに召喚されたのか、そしてハルケギニアが一体どういう世界で、トリステインがどういう国なのか、といった基本的なことの説明を受けたのである。
俄かには信じがたい話ではあったが、それでも見上げる二つの月と高すぎる雲、どこまでも続く大地が何よりも雄弁に真実を告げていた。
そしてその翌朝となって、今度は学院長であるオールド・オスマンとの面談ということになった。
なにしろ使い魔召喚の儀式で人間が召喚されただなんて、そんな話は長い学院の歴史の中でも前例のないことである。
しかもそれによって呼び出された人間がどこかの国の軍人で、それなりに立場のある人間だと分かってしまえばその扱いは慎重にならざるを得ない。
本音としては面倒なことになる前にお帰り願いたいところなのだ。
そこでまずはお互いの理解を深め合うということで、オールド・オスマンはビュウから彼の故郷、オレルスとカーナのことを聞くことにしたのであるが……。
「しかし、そうなってくると、ちと面倒じゃのう。お互いがお互いのことをこれまで全く認識しておらんかったのじゃ。
そのオレルスという世界がどこにあるのか、全く分からん。帰り道が分かりませんでは帰ることもできるまいて」
「召喚の魔法があるなら送還の魔法もあるのでは? 僕の国にも召喚魔法を使う魔術師はいましたけど、彼らは召喚したら召喚しっ放しということはありませんでしたよ?」
「そうなのかね? それもまた興味深いが……しかし、わしらの扱う魔法の体系には召喚した使い魔を送還する魔法など存在せんのじゃよ」
「なんとまあ、無責任な……」
「耳が痛い、と言いたいどころじゃが――なにしろこちらは一度呼び出したら相手を一生付き添うぐらいの覚悟で召喚しているのじゃ。
責任感というならむしろ過剰じゃよ。それまで見たことも無い相手に対して、出会ったその日のその瞬間に、その一生分の面倒をみる覚悟でいるんじゃからな」
「そんな一方的な話、こっちとしては迷惑ですよ」
「今まで貴殿のように迷惑がる者なぞおらんかったからのう」
ひょひょひょ、と笑う。
召喚を迷惑と感じられるような知性を持ってない者ばかりを召喚してきた、或いは、そういう知性を持っていたとしても、相手が状況を把握する前に問答無用で契約を済ませてしまっていた、というのが本当なのだが、そんなことは口にしないオスマンであった。
「いずれにしてもじゃ、ビュウ殿? お主としてはこれからどうしようと思っておるのかね?」
問われてビュウも内心で頭を抱える。
オレルスに帰りたい――かどうかはさておき、帰らなくてはならないのは間違いない。
バハムートと共にオレルスの空を見守るという使命があるのだから。
しかし帰り方が分からないというのは確かだし、そもそも帰る場所がどこにあるのかさえ分からないというのは大問題に過ぎる。
「……オレルスに帰る、つもりではいるんですが……」
「ふむ、しかし帰り方が分からんではのう」
「そうです。まぁそれは旅をしながらゆっくり探すということでもいいのかもしれませんが――」
「非効率としか言えんじゃろうな、それは。お勧めできかねる。魔法学院の長を務めるこのわしが知らんかったようなものが、ちょっくら旅をした程度でホイホイ分かるようになるとも思えん」
仮に旅に出るにしたとしても、今のビュウには先立つ物もないし、それ以前の問題として彼はこの世界について無知すぎた。
腕を組んで無表情に俯くビュウ。
そんな彼を見てオールド・オスマンはにやりと笑った。
「そこでじゃ、ビュウ殿。一つわしの頼まれごとを引き受けてくれるつもりはないかのう」
ビュウの召喚によって抱える羽目になった二つの問題、それを一挙に解決できるかもしれんと腹の中で計算しながら、老魔術師はある提案を口にしたのであった。
「……忘れなさいよね」
キュルケの部屋で、そしてキュルケの胸に抱かれて約一時間、めそめそと泣き続けたルイズであったが、ようやく落ち着いて最初に口にした言葉がそれであった。
キュルケの部屋で一時間、一時間である。
朝食の時間もとっくに終わってしまっている。
それだけの時間をキュルケの胸で泣きはらし、目も鼻もすっかり真っ赤になっているのに、それでも強がりそっぽを向いてそんなことを言う様は、もうまるで子供だ。
延々と一時間近くもそんなルイズに付き添ってやっていたキュルケにしてみれば、今更そんな体面繕ったって、という感じではあるのだが、
(ま、それでこそルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールってもんよね)
そんな風に思ってしまえるのだから、キュルケもキュルケである。
「はいはい、分かってるわよ。それよりほら、鼻真っ赤よ? 大丈夫? ちーんってやんなさい、ちーんって」
「子供扱いしないでよ!」
「やーねぇ、してないってば。ほら、ちーんって」
「うるさい!」
キュルケはと言えばそんなルイズの様子にも頓着せず、可愛いもんじゃないの、と頭を撫でるのであった。
そんなことをすれば当然のことながら、ルイズにその手を払いのけられる。
そして部屋のドアが第三者の手によって開かれたのはそんなときだった。
「あら、タバサじゃない」
「……」
メガネをかけた青い髪の少女、ガリアからの留学生であるタバサだ。
非常に寡黙な少女であるのだが、同じ留学生という立場なせいかキュルケとはたまに会話らしきものをする仲ではある。
「どうしたの? あなたが私の部屋を訪れるなんて珍しい。何か御用?」
「コルベール先生から伝言、ミス・ヴァリエールに」
「そうなの。でもよくここにあの子がいるって分かったわね?」
キュルケの反問にタバサは少し言いよどみ、そして、
「泣いているミス・ヴァリエールを抱きかかえて自室の姿を目撃した生徒が……食堂で噂に」
「ちょっ、嘘でしょ!?」
「本当」
温度のないタバサの返答は、彼女の言葉が真実以外の何物でもないと雄弁に語る。
ちなみにタバサの言う目撃した生徒とはモンモランシーのことだ。
とかく刺激を求めがちな年代である魔法学院の生徒たちの例に漏れず、モンモランシーもまた普段いがみあってばかりの二人の、ある意味スキャンダラスなワンシーンを目撃して黙っていられるほど、老成してはいなかったようである。
キュルケはため息をついて天を仰いだ。
「なんてこと……変な噂に発展しなきゃいいけど。まぁ多分、無理なんでしょうけど」
「がんばって」
「ハイハイ頑張りますとも。気のない激励ありがとね」
タバサの髪をくしゃりと撫でる。
先ほど撫でたルイズのそれと比べれば短く、そして手入れも荒いタバサの髪だが、それでも無感動に、しかし抵抗なくキュルケの手を受け入れるタバサの素直さは、ルイズとは違う可愛らしさがあった。
私、そんな趣味はなかったはずなんだけどねぇ、と苦笑しつつ、
「えっと、それでヴァリエールだっけ? あの子なら中にいるわよ。伝言なら伝えるけど?」
「待って、ツェルプストー」
制止を掛けたのはルイズだ。
まだ目は腫れているし、頬には涙の跡も残っている。
それでも表情だけは普段の彼女に戻っていた。
「伝言くらい自分で聞けるわよ」
「あらそう? だそうよ、タバサ」
促されてタバサは小さく頷いた。
前置きもなく口を開く。
「コルベール先生からの伝言――昨日の大怪我でまだ辛いだろうから、今日の授業は自室か医務室で療養しているように。朝食を食べたら医務室に行って医師の診断を受けること――以上」
平坦な口調でそう告げる。
キュルケがちらりとルイズの様子を伺ってみれば、こちらはタバサとは対照的に非常に分かりやすい表情で不服さを示していた。
「ヴァリエール、大丈夫?」
「起きたばっかに比べたらずっとよくなったわ。確かにもう痛くないなんて言ったら嘘になるけど、でも授業を休むほどじゃないわよ」
「それでも一応、ちゃんと診てもらった方がいいんじゃないの? 頭蓋骨陥没って大怪我よ、大怪我。普通死んでるわ」
「私は生きてるわよ!」
「反発する元気があるのは結構だけどさぁ……って、なにタバサ?」
言葉の途中でタバサに袖を引かれる。
タバサが声を潜めて言った。
「多分、貴女が言えば言うだけ反発する」
「ああ……、それはあるかも」
ちらりとルイズに視線を送ってみる。
「なによ、人の前でそんな風に内緒話なんかしないでくれる?」
不愉快だわ、顔中でアピールしていた。
キュルケは処置なしと肩を竦めるしかない。
「まぁ、アンタが平気だって言うならそれでいいけどさ、でも養生するようにっていうのはコルベール先生からの指示なんだから、従っときなさいよね」
「だから、それは――!」
「ヴァリエール、アンタ使い魔召喚の儀式とか失敗してるんだから、今は先生の指示には逆らわない方がいいんじゃない?」
そう言われてはグッと言葉を詰まらせるしかないのが今のルイズだ。
その件でルイズが泣いたのを知っているキュルケとしては、あんまりこういう方法で黙らせたくなかったというのが本音ではある。
しかし、そうでも言わないとルイズが大人しく養生するはずもないということも知ってしまっているのが辛いところだった。
ルイズの背後に回って肩をポンと叩くとそのまま背中を押す。
「さ、それじゃヴァリエール、さっさと自分の部屋に帰るなり医務室に行くなりしなさい。私とタバサはもう授業行かなくちゃだから」
「でも……」
「いいから、今は私の言葉じゃなくて、先生の指示に従っときなさいな」
ね? と言って優しくルイズの髪を撫で、そして今度はルイズもその手を払いのけようとはしなかった。
促されるままトボトボと歩き、最後にもう一度こちらを一瞥してから、項垂れた様子で自分の部屋へ戻っていった。
それを見送ったキュルケは自慢の赤髪をかきあげて嘆息する。
「はぁ……こんな私のキャラじゃないんだけどねぇ」
「……」
「……あ、なに、タバサ?」
視線に気づいて顔をそちらに向ければ、タバサが無表情にキュルケを見上げていた。
「貴女は、ミス・ヴァリエールのことを嫌ってたのだと思っていた」
「ええ? なに言ってるのよ、タバサ」
キュルケは心底驚いたような目でタバサを見返し、
「ヴァリエールのことなんて、好きじゃないに決まってるでしょ?」
「だったら、何故?」
「ただでさえ好きじゃないっていうのにあんな辛気臭い雰囲気垂れ流されてたら、もっと嫌いになるだけじゃないの」
そう言ってキュルケは肩を竦めて自室に戻っていった。
タバサに向かって「このまま教室行くでしょう? 折角だし一緒に行きましょうよ、ちょっと待ってて」と言い残して。
「……」
タバサはキュルケが閉めた扉をただ無表情に見つめていた。
もっと嫌いになるだけじゃないの、と言っていたが、それはひょっとしてこれ以上は嫌いになりたくないのだとか、そういうニュアンスが込められていたのだろうか、なんてことを思いながら。
見上げる先に果ては無く、見下ろす先に終わりはない。
永遠に続く果てしなき空、悠久の青。
ラグーンとはその空に浮かぶ根無しの浮島のことだ。
大地などないその世界で人々はラグーンに暮らし、大空を舞うドラゴンに跨って島と島の間を行き来する。
あたかも環礁のごとき姿を見せる6つのラグーン。
砂漠の国ダフィラ。
奇跡の大陸マハール。
魔法都市ゴドランド。
青き大陸キャンベル。
傭兵の国ベロス。
そして“神竜”の加護をうける聖国カーナ。
ラグーンに暮らす者たちにとっては、それが世界の全てだった。
それがオレルスという世界だった。
「……興味深くはあるが、ふむ、俄かには信じがたいのう」
ビュウから彼の故郷、オレルスについての話を聞いたトリステイン王立魔法学院の学院長、オールド・オスマンの最初の一言はそんなものだった。
ラグーンとは要するにアルビオンのような浮遊大陸のことなのだろう。
だが、そうとは分かるがそうした浮遊大陸だけで構成された世界が空の彼方にあるという話は、どうにも荒唐無稽じみて聞こえた。
だってそんな話、聞いたことも無い。
「ああ、いや、別に君の言葉を疑っているとかそういうわけではないぞ、ビュウ殿?」
「いえ、気持ちは分かります。でも僕としては、僕の言葉が真実であると主張するしかないというのも分かってもらいたい」
「ならば見たことも聞いたこともないものの存在を、いきなり信じることは出来ない、というこちらの主張も分かってもらえるじゃろうな?」
「それはもちろんです」
ビュウがハルケギニアに召喚されて一晩が経った翌朝のことだ。
昨日はコルベールの計らいにより、ひとまずは客人という立場で魔法学院の客室に宿泊した。
そこでコルベールから自分がどういう理由でこのハルケギニアに召喚されたのか、そしてハルケギニアが一体どういう世界で、トリステインがどういう国なのか、といった基本的なことの説明を受けたのである。
俄かには信じがたい話ではあったが、それでも見上げる二つの月と高すぎる雲、どこまでも続く大地が何よりも雄弁に真実を告げていた。
そしてその翌朝となって、今度は学院長であるオールド・オスマンとの面談ということになった。
なにしろ使い魔召喚の儀式で人間が召喚されただなんて、そんな話は長い学院の歴史の中でも前例のないことである。
しかもそれによって呼び出された人間がどこかの国の軍人で、それなりに立場のある人間だと分かってしまえばその扱いは慎重にならざるを得ない。
本音としては面倒なことになる前にお帰り願いたいところなのだ。
そこでまずはお互いの理解を深め合うということで、オールド・オスマンはビュウから彼の故郷、オレルスとカーナのことを聞くことにしたのであるが……。
「しかし、そうなってくると、ちと面倒じゃのう。お互いがお互いのことをこれまで全く認識しておらんかったのじゃ。
そのオレルスという世界がどこにあるのか、全く分からん。帰り道が分かりませんでは帰ることもできるまいて」
「召喚の魔法があるなら送還の魔法もあるのでは? 僕の国にも召喚魔法を使う魔術師はいましたけど、彼らは召喚したら召喚しっ放しということはありませんでしたよ?」
「そうなのかね? それもまた興味深いが……しかし、わしらの扱う魔法の体系には召喚した使い魔を送還する魔法など存在せんのじゃよ」
「なんとまあ、無責任な……」
「耳が痛い、と言いたいどころじゃが――なにしろこちらは一度呼び出したら相手を一生付き添うぐらいの覚悟で召喚しているのじゃ。
責任感というならむしろ過剰じゃよ。それまで見たことも無い相手に対して、出会ったその日のその瞬間に、その一生分の面倒をみる覚悟でいるんじゃからな」
「そんな一方的な話、こっちとしては迷惑ですよ」
「今まで貴殿のように迷惑がる者なぞおらんかったからのう」
ひょひょひょ、と笑う。
召喚を迷惑と感じられるような知性を持ってない者ばかりを召喚してきた、或いは、そういう知性を持っていたとしても、相手が状況を把握する前に問答無用で契約を済ませてしまっていた、というのが本当なのだが、そんなことは口にしないオスマンであった。
「いずれにしてもじゃ、ビュウ殿? お主としてはこれからどうしようと思っておるのかね?」
問われてビュウも内心で頭を抱える。
オレルスに帰りたい――かどうかはさておき、帰らなくてはならないのは間違いない。
バハムートと共にオレルスの空を見守るという使命があるのだから。
しかし帰り方が分からないというのは確かだし、そもそも帰る場所がどこにあるのかさえ分からないというのは大問題に過ぎる。
「……オレルスに帰る、つもりではいるんですが……」
「ふむ、しかし帰り方が分からんではのう」
「そうです。まぁそれは旅をしながらゆっくり探すということでもいいのかもしれませんが――」
「非効率としか言えんじゃろうな、それは。お勧めできかねる。魔法学院の長を務めるこのわしが知らんかったようなものが、ちょっくら旅をした程度でホイホイ分かるようになるとも思えん」
仮に旅に出るにしたとしても、今のビュウには先立つ物もないし、それ以前の問題として彼はこの世界について無知すぎた。
腕を組んで無表情に俯くビュウ。
そんな彼を見てオールド・オスマンはにやりと笑った。
「そこでじゃ、ビュウ殿。一つわしの頼まれごとを引き受けてくれるつもりはないかのう」
ビュウの召喚によって抱える羽目になった二つの問題、それを一挙に解決できるかもしれんと腹の中で計算しながら、老魔術師はある提案を口にしたのであった。
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