「鋼の使い魔-19」(2008/08/15 (金) 03:27:37) の最新版変更点
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#navi(鋼の使い魔)
ワルドとルイズが騎乗するグリフィンはラ・ロシェールの町の出入り口を見つけると、行き来する人らを驚かさないように静かに、ゆっくりと降下していった。
人に慣らしつつ、獣としての性質を殺さないように躾けるのが幻獣騎士の器量の見せ所で、そういう意味ではまさしくワルドのそれは模範的とも言っていい。
一声もあげないグリフィンが夕闇の町に降り立つ姿は、遠景には幻想的でもある。
グリフィンから降りたルイズは町から街道へ伸びる道を振り返ってじっと見ていた。追従しているはずのギュスターヴが到着するのを待っていたのだ。
しかしギュスターヴの馬はいくら待っても現れない。暫くすると宿の手配に行ったワルドが戻って声をかけた。
「ルイズ、ひとまず宿に行こう」
「でも、ギュスターヴがまだ着てないのよ?」
「彼なら大丈夫さ。町の近くまで着ていれば危険はないし、宿の人に言伝しておけば連絡はくれるよ」
ワルドはそのようにしてルイズを言い含めると自分がとった宿『女神の杵』亭まで案内する。
宿の主人から渡された部屋鍵は一つだけだった。
「僕と相部屋で構わないかな?ルイズ」
「そんな!未婚の男女が同じ部屋なんて……いけないわ」
困惑した表情でルイズは見るが、緩く首を振って制してワルドが言う。
「二人きりで話がしたいんだ。いいだろ?」
『秘かな疑惑を胸に』
同時刻、シルフィードに揺られて三人はラ・ロシェールの上空に到着した。
「着いたな。ここがラ・ロシェールか……」
その町は岩肌を刳り貫いて家を作ったような建物が多く、またそれほど住宅等の規模が大きいわけでもないが、町の繁華街に当たる部分は夜が更け始めた頃でも
人が溢れ、喧騒が絶えていなかった。
「とりあえず宿を取りましょ。ルイズは明日からでも探せるわ」
「夜闇で探すよりはマシだろうな。…といってもなぁ」
シルフィードはぶさり、と風を巻き上げて少し開けた場所に降り立った。三人はいそいそと背から降りたのだが、多くない人の視線を受けるため居心地が悪い。
「シルフィードは目立っちゃうから、しようがないですわ」
キュルケの言葉にタバサも頷く。
言ってキュルケはひとり歩き出して宿を取ってきた。
「ここがいいわね。やっぱり泊まるならこれくらいのクラスじゃないと」
キュルケの足が止まった先の看板には『女神の杵』亭と書かれていた。
宿の一階に併設されている酒場をはじめ、テーブル等の調度品は建物と同じ岩を削りだして作られたもので、貴族等の上客を相手にしている分、手入れも
行き届いている。滑らかな平面は鏡のように磨かれてギュスターヴ達を写しこんでいる。
「ミスタは誰と相部屋がいいかしら?」
何気に潤んだ瞳でギュスターヴを見つめてキュルケが尋ねるのだが、ギュスターヴは笑って手を振った。
「キュルケとタバサが相部屋。俺は一人でいいよ」
「あら、つれない人ね。…でもそこが素敵!」
微妙に蚊帳の外に置かれたタバサはタバサで、部屋の交渉が済むまで本を広げていた。
本の題名は『たった一つの冴えたやりかた』とあった。
さて、すったもんだの挙句部屋割りが決まって、軽い食事を取って部屋に入った三人である。
ギュスターヴは窓から入る月明かりが気になって、窓を開け放った。
そよぐ風が入り、カーテンが揺れる。
窓からぼんやりと空を見上げてみると、この世界でしか見られないだろう大小の月が、身の半分ほどを重ねて空を飾っている。
「月が珍しいかい、相棒」
デルフが聞く。
「二つも月が上がっているのが、な。サンダイルにはない風景だな」
「そうかい」
それっきり、デルフも話さなかった。
窓際に置かれたテーブルの上に、部屋ごとに置いているのだろうワインのボトルが入ったバスケットがあり、そこからボトルを抜いてグラスに注いでみた。
そのまま飲まずにグラスのワインに写る月明かりを愉しんでいると、窓の外から声が聞こえる。
その声が見知らぬものなら、ギュスターヴも特に気にも留めなかっただろう。しかしその声は、この異界に迷い込んでから聞かぬ日のない、
最早耳に慣れた少女の声だった。
「君も腰掛けて、一杯どうだい?」
ルイズとワルドの部屋も、月明かりを浴びるように窓を開け、テーブルの上にワインを置いた。
対面するように置かれた椅子の片方にはワルドが座り、二つのグラスにワインを注いでいる。
ルイズは話す言葉もなく静かに空いた椅子に座り、ワインの注がれたグラスを取った。
「二人に」
グラスの合わされた音が部屋を染める。
ワルドは手のグラスを傾け、肺腑にアルコールの気を送っていたが、対するルイズは力なくワインに写る月を眺めているだけだった。
「強行軍で、疲れてしまったかな?」
「そんなこと、ないわ…」
頬を突いたワルドの視線が、外の月に向けられる。
「姉と比較されて出来が悪いと言われていた君が、陛下から密命を任せられるほどになった。それはすばらしい事だと思うよ」
「出来が悪いのは相変わらずよ。杖を振れば爆発ばかり…練習しすぎで爆発に慣れちゃったわ…」
どこか自虐的な笑みを浮かべるルイズに、ワルドは熱の篭った声で語りかける。
「ルイズ。僕には君が、何か秘められた力があると信じている」
「そんなもの」
「あるよ。僕にはわかる。君の使い魔の…」
「ギュスターヴ?」
「そう。彼の手に浮かんでいたルーンを見た時、僕は驚いたよ。あれは始祖の使い魔が持っていた『ガンダールヴ』のルーンだ」
「たまたまよ。人間の使い魔なんて、聞いたことないし。人間が使い魔になると、そんなルーンが浮かぶんだわ」
「そうだろうか。僕にはあれが、君が秘められた力を持っている証だと思っているよ」
その情熱的、といえるワルドの言葉がルイズの体に流れ込んでくるようで、ルイズは顔を上げた。
口を引き締め、眼に自分が映りこむほどのワルドが、ルイズを見つめていた。
「この任務が終わったら、僕と結婚してくれないか。ルイズ」
「えっ…」
ルイズは、胸の奥が重く、熱いものが押し込まれたような錯覚を感じた。
「僕は今の地位で終わるつもりは無い。必ず世界を動かす地位についてみせる」
「でも、そんな急に…」
「今まで放っておいて、こんな事を言える義理もないのは分かっているよ…でも、僕には君が必要なんだ」
「ワルド……」
窓枠に腰掛けて、外から聞こえる会話に耳を傾けていたギュスターヴは、窓から降りると椅子に座らずに立ったままグラスを取って、ぐいっとワインを飲み干した。
「何が聞こえたよ」
ギュスターヴから外されて立てかけられていたデルフが聞く。
「…近くにワルドとルイズが泊まっていたよ」
「ほー、よかったじゃねーか。明日の朝で合流さね」
「そうだな…」
答えながらもギュスターヴの声にはどこか、張りが無い。
(ルイズとワルドが結婚か。貴族の子女ならさも当たり前ではある。あるのだが…)
熱っぽいやり取りを無防備に晒していた二人を思う。次に、王女を連れていた時の、学院を出発した時のワルドを思い出す。
(……ワルドの真意が読めない。本当にルイズに何等かの神秘を見出しているのか。或いは…)
あの瞳は信用できないと、王としての自分が警告する。
(…明日次第、かな)
「デルフ。俺はもう寝る」
「おう、おやすみ」
今ここで考えても仕方が無いことと判断したギュスターヴは、翌日の合流を期してベッドに身を投げた。
この世界で得た久しぶりのベッドの感触に、疲れの溜っていたギュスターヴの意識は綿に染み込む水のようにあっけなく沈んでいった。
豪奢な調度品がしつらえられた一室だった。一見質素だが、その実世に二つとない良質の木材で作られた机が置かれ、その上にはさまざまな書類が摘み置かれ、
インク壷と羽ペンも用意されている。
窓を除いた四方の壁には本棚が天井まで並べられ、領土の端から端までの調査報告を纏めたものが納められているのだった。
そんな部屋に男が二人、腰をかけて座っていた。
一人は……ギュスターヴ。しかしその格好は上質の生地を用いた、シックだが貴人の用いる拵えで、顔色も今より若い。ギュスターヴは椅子に座らず、明けられた
出窓に背を預けてまどろんでいる。
一方の男も同じように、高い身分の人間だ。その髪はギュスターヴの焼けた濃い金よりも薄い金髪で、短めに刈りながら、前髪が長い。
金髪の男は、広げられた本を眺めながらギュスターヴに問う。
「ギュスターヴ。新型の溶鉱炉の詳細には目を通したのか?」
うとうととしていたギュスターヴだが、質問を受けて頭を上げて答えた。
「ああ、見たよ」
「あれは従来のものよりインゴットの純度が2割は高いが、燃料消費量が1.5倍だぞ。超過分の燃料にする木材や石炭は何処から調達するんだ?」
「南東の森林伐採を一部許可するか、今ある炭鉱に増産命令を出すかだな。流石にヤーデやワイドから燃料資材を輸送するんじゃ、割に合わなくなるし」
金髪の男は本から視線を外してギュスターヴを見た。
「ラウプホルツからの輸入を薦めるぞ。緩衝地帯が殆ど無い以上、ラウプホルツとは親密な関係を作らなければ、向こうに要らぬ緊張を与えるだろう。
経済的互恵関係ならお互いに利益になる」
「相手が経済的互恵を求めないかもしれないぞ、ケルヴィン」
ケルヴィンと呼ばれた男はギュスターヴを見据える。
「私は相手に要らぬ誤解を与えるかもしれないといっているのだ。それを緩和するついでに資材も調達する」
「ついでか…まぁ、いい。その線で行こうじゃないか」
窓から降りたギュスターヴは机の前に置かれた一枚の書類を取り上げると、ペンを取ってさらさらと文章を書き始めた。
「さっきから何を読んでいるんだ?」
「シルマール先生を訪ねた際にお借りした書物だ。先生の学派の古人がかつて、この世界の果てを探して探検し、その結果を纏めたものだ。これによれば
世界は世界を包む巨大な混沌の中に泡の様に浮かぶもの、らしい」
「ほぉ」
新鮮な話に関心を示すギュスターヴ。
「そして古人の推測によれば、混沌の果てにはここサンダイルと同じように泡のように浮かぶ世界があるだろう、と書いている」
「混沌の果ての、別の世界か」
ギュスターヴはそう言って含むように笑うと、ケルヴィンは渋い顔をする。
「なんだ。何が可笑しい」
「いや、この世界の隅から隅まで知っているわけでもないのに、世界の外を見ようというのが、少し可笑しくてな」
「…しかし世界の外側というのは、興味深いな。誰もまだ知らぬ領域だ」
「北大陸の開拓村にいるような連中も、同じような気持ちなのだろうかな」
「かもしれないな。…さて、私はそろそろ仕事だ。ギュスターヴ。執務をまたサボるようだったら、レスリーを召喚して説教してもらうからな」
「おいおい!この年になってそれは勘弁してくれよ」
男二人が屈託なく笑う。しかしその光景は、水面に写る像を打ち消すように掻き消えて、遠くなっていった……。
翌日、ギュスターヴは硬くなった身体を解しながら一階の食堂を覗きに行くと、うーうーと不機嫌そうに呻るルイズ、それをからかうキュルケ、その二方の脇で所在無く、
あるいは宥める様に振舞うワルドとタバサが見えるのだった。
「何やってるんだ、おまえら」
流石のギュスターヴも呆れ声だった。
「ギュスターヴ!」
ルイズは飛ぶように走ってギュスターヴに駆け寄った。ルイズは一晩中ギュスターヴを置いていってしまったことが不安で仕方がなかったのだ。
「合流が遅れてすまなかった。道の途中で夜盗に襲われてしまって」
「キュルケから聞いたわ。無事でよかった。キュルケもタバサも寝てるのを起こすなって言うから……」
そう話しているとワルドが割り込むように入ってギュスターヴに声をかける。
「やぁやぁ、使い魔の…」
「ギュスターヴだ」
「うん。ギュスターヴ君、昨日は一人道に残して先んじてしまい、すまなかった。どうだね、一緒に朝食でも」
「…頂こう」
不自然とも自然とも言いがたいフレンドリーなワルドの提案を承諾する。
すこし遅めに始まった朝食である。旅先で慣れない食事ではあるが、特に騒がしいわけでもなく、ギュスターヴ達のテーブルは異様なまでに静かであった。
一つは、全員が貴族階級でありテーブルマナーが身についているから。
もう一つは、無言のまま視線の応酬をする男二人が静かに作る緊迫する雰囲気によって、である。
静かである。実に静かなのである。
(…気まずいわ…)
キュルケは出されているボトルウォーターを飲みながら思う。
ギュスターヴもワルドも、相応の人生を踏んだ大人である。その視線のやり取りは激しいものではない。さりげなく、しかしどこか他者をけん制する。
そのことが反って火花を散らすようでキュルケは居た堪れないのだった。
ルイズは二人を交互に見ながら困った顔をしている。
(もう、しっかりしなさいよね)
本来この二人の間に立つルイズなのだが、どうも様子がよろしくない。仕方が無いと思い、キュルケは話題を切り出す。
「ミスタ・ワルド…だったかしら?」
「ああ、なんだね」
「貴方達がアルビオンに向かうつもりだったのは昨日ギュスから聞いたけど、出航はいつの事になるのかしらね。旅の無事を祈ってお見送りさせていただきますわ」
勿論、キュルケとタバサは一昨日にルイズと王女の密談を盗み聞きしたなどとは言わない。ラ・ロシェールにやってきたのもちょっとした旅行みたいなものよ、と言って
納得させた。
「ふむ。それがだね、聞いたところだとスヴェルの日まで後2日。つまり明後日の朝一番の船便でアルビオンに向かう事になる。もう2泊することになるね」
ごとり、と話を切るように空のグラスが置かれる音がテーブルを包む。
ナプキンを置いてギュスターヴが席を立った。
「ご馳走様。少し歩いてくるよ」
「待ちたまえ」
席を離れて出て行こうとしたギュスターヴをワルドは手を伸ばして止めた。
「…何か?」
「少し話がある」
『女神の杵』裏につれてこられたギュスターヴ。そこは昔、王軍がこのラ・ロシェールに拠点を持っていた時に作られた練兵場だった。
最も、今は宿屋の人間達によって物置きなどに使われていて、昔の面影はあまりない。木々や崩れかけた壁などがあって、侘しさを見るものに与える。
「君は、『ガンダールヴ』だ。そうだろう」
ギュスターヴの前に立つワルドはそう言った。
「…さて。なんのことやら」
やんわりとギュスターヴは否定した。
ワルドは自分の左手甲を指して言う。
「君の左手のルーンは伝説の使い魔のものだ。僕はこう見えて歴史や学術に興味があってね。古い文献で同じ物を見たことがある」
自慢げに語るワルドの目はこちらを見下ろすようで――実はそれを精一杯、ワルド自身は隠しているつもりなのだが――じわじわと神経を逆撫でる。
「…それで?」
「さて、そこで僕は疑問に思うのだよ。僕の愛しい婚約者の使い魔は果たして、伝説の名にふさわしき力を持っているのかと、その力はルイズを守れるほどなのかと、
非常に興味が有るわけだ」
腕を広げて大仰に、空に向かって叫ぶようなワルドの様に、苛苛がむしろ削がれてしまう。
(…こっちの貴族っていうのは皆こんな感じなのか??)
ギュスターヴはこめかみが痛い気がしてならない。
「そこでだ」
振り返ってワルドが見た。
「君に決闘を申し込む」
「…なんだと?」
「何、命の奪い合いをするわけじゃない。君と僕、どちらかが一本取れれば終わりだ。君の力を見せてもらいたい」
一瞬、ギュスターヴはワルドの纏う空気が変わるのを感じた。今までの道楽貴族のそれではなく、力を磨いた戦士としてのそれだ。
さて、受けるか、受けまいか……
思案しながらワルドの挙手投足をはぐらかしていると、二人を追いかけてきたらしいルイズら三人がやってきた。ルイズはワルドの前に立って叫ぶ。
「ワルド!一体何をするつもりなの?」
「やぁルイズ。君の使い魔の力を、ちょいと試したくなってね」
「そんな…。馬鹿なことはやめて」
「僕は大真面目だよ。君の使い魔が不甲斐ないものならば、僕は不安で夜も眠れない」
変わらずルイズに熱い言葉を投げかける姿を静かにギュスターヴが見ていると、ルイズは振り向いてギュスターヴを説得しようと試みた。
「ギュスターヴ、あんたも何か言いなさいよ。こんな事しても意味ないわ。私達は任務を進めていくための、大事な『仲間』よ」
その刹那。視界の脇に見えるワルドが、
わずかに、嗤った。
「…ルイズ」
「何よ」
「荷物を預かっててくれ。タバサ。例の剣を貸してくれ」
言うが早く、ギュスターヴは身に着けていたデルフ、ナイフ、短剣を外してルイズに渡す。ルイズはその重さに耐え切れずよろよろとして傍に積まれていた
木箱の上に荷物を置いた。
タバサは背中に負っていたレイピアを抜いて、ギュスターヴに渡した。
「…じゃあ、始めるか。ワルド『殿』」
「全力で来るといい。使い魔君」
ルイズから離れ、レイピアを『右手』で構えたギュスターヴ。ワルドも軍杖を抜いて構える。
二人の間で視線が火花散らし、それをルイズら三人は固唾を呑んで見守る。
軍杖を水平に構え、息を吐く程度の震えで詠唱しながらも、ワルドの視線はレイピアを構えて正対するギュスターヴを観察した。
(…中々の、兵(つわもの)だ。今魔法を放っても、容易く避けられてしまうだろうという『確信』がある)
沈黙のまま二人の間を流れる時間。しかし間合いはじわり、じわりと狭まっていく。
ギュスターヴがすり足で徐々にワルドとの距離を詰めているのである。
(引き付けて、回避不可能な距離から撃つ!)
きらりと光るレイピアの切っ先が、徐々にワルドの軍杖で払える間合いに近づいた、その時。
「!!」
ギュスターヴはその体躯から想像もつかぬほど軽やかに跳ね、左側方へ身を翻した。
ほんの一拍ほどまでギュスターヴの身が置かれていた空間がわずかに揺らぐ。次に、ギュスターヴの後方遥かに積まれていた木箱が木材の折れ曲がる
独特の音を立てて砕け散った。
ワルドの『エア・ハンマー』が通り過ぎたのだった。
(あの距離から、かわすとは!?)
ギュスターヴはそのわずかな機微を見逃さない。踏み込んで間合いを一気に詰め、レイピアを突き出す。
ワルドも軍杖を突き、互いの視線で二つの突起が交差して止まる。互いの膂力でもって交差点がきりきりと鳴り、二人の距離がさらに縮まる。
囁き声でも話し合えるほどに、密に、密に。
「なかなか、流石に軍人だけある」
「ふふふ。侮ってもらっては困るぞ使い魔君。先ほど自分の剣を棄てた時はどうなるかと思ったが、手ごわい手ごわい」
「生憎あれは古剣でね、人様に見せるものじゃない」
「余裕ぶっていられるのもそこまでだぞ、使い魔君」
ぐっとワルドが杖を払い、それに応ずるようギュスターヴも間合いをわずかに開くが、尚も踏み込んでレイピアを振るい、一閃、二閃と切り込んでいく。
ワルドもそれを受ける事はなく、杖で剣を受け、払い、或いは自ら突きこみ、応酬する。
ほんのわずかな時間――それを見ていた三人、主にルイズには、それが亀の一生のように長く感じたのだが――、互いの攻撃は拮抗しているかに見えた。
しかし、その均衡が徐々に崩れていく。ワルドはギュスターヴの攻撃のリズムを覚え、合間合間に低威力ながら魔法を織り交ぜていくと、ギュスターヴとの間合いは
踏み込み一つで打ち合える距離を離れ、段々と『魔法を打ち合う』距離へと変わりつつあった。
「魔法衛士大隊兵は、只のメイジ兵士とは違う」
ワルドが余裕を見せ始め、大胆に自分から深く踏み込んで同じタイミングで踏み込んできたギュスターヴと杖先を交差させる。
付き合わされた距離でワルドが声を張った。
「杖を剣の如く使い!詠唱を素早く行い!如何なる間合いからでも攻撃が可能なのだよ」
強く振るった杖がレイピアを大きく弾き、ギュスターヴの体勢がわずかに崩れた。ワルドはそれを見逃さず、今度は初撃の威力に近い『エア・ハンマー』を放った。
動作が遅れたギュスターヴは素早く体を右へ反転させる。エア・ハンマーの衝撃を半身で受けることで反撃への動作を残し、わずかにたたらを踏んだが難なく立つ。
三度の強い踏み込みにレイピアの切先がワルドの鼻先数サントまで進む。しかしそれはワルドの構えた軍杖で止まった。
「君は、強い。確かに強い。今もあと一歩早ければ僕の顔に剣が入るところだった。つまりだ。ただの剣士である君には間合いが足らないのだよ」
レイピアを払って、再び姿勢の崩れたギュスターヴへ三度『エア・ハンマー』が飛ぶ。
身体を反らしたギュスターヴはやはり半身に魔法を受けたのだが、今度は堪えきれず2歩ほど吹き飛ぶ。
吹き飛んでから体勢を立て直したギュスターヴの手には先程まで握られていたレイピアがなくなっている。『エア・ハンマー』を受けたときに弾き落とされてしまった。
振り向けば目の前に向けられた、軍杖。
「残念ながら、君ではルイズを守る事はできない」
見物人のつばを呑む声すら聞こえるかのような数瞬。
「…まいった。俺の負けだな」
悔恨がにじむことも、感心を誘うこともないギュスターヴの言葉。
「そう。君の負けだ」
こうして朝食後の決闘は幕を閉じた。ギュスターヴの敗北である。
はぁ~と、息の詰まる思いで見ていたルイズは、言葉のやり取りをした二人に駆け寄り、引き裂くように怒鳴った。
「もう!これで二人とも満足したでしょ!馬鹿なことやってないでさっさと宿に戻るわよ!」
ワルドは杖を仕舞い、眉をひそめて申し訳なさそうに答える。
「いやーすまないルイズ!僕もまだまだだな、どうしても我慢できなくって!」
「いやだわまったく。こんな事ばかりされたら私困るわ、ワルド」
「ごめんごめん、もうしないよ。さぁ、みんな宿に戻ろうじゃないか」
ワルドは率先してルイズの手を引いて宿へと戻って行った。ぽかんとしてそれを見送るキュルケとタバサ。
「なにあれ。ギュスのことは放っておく気?」
「彼女は雰囲気に流されやすい」
先日のアンリエッタの訪問を盗聴した時を思い出すキュルケ。確かにルイズは状況に流されやすいようだ。思えばフーケの時もそんな感じだった気がする。
「…で、お怪我はない?ギュス」
それはさておき、主人に捨て置かれた格好の使い魔の彼、ギュスターヴは起き上がると土ぼこりを払って傍に落ちていたレイピアを拾い、懐紙でざっとだが
汚れを拭っていた。
「ああ、ちょっと軽く身体を打ったくらいで他はなんともないよ。レイピア貸してくれてありがとう、タバサ」
レイピアを返すと、タバサはすこし不器用な感じで背中に収めた。
「教えて」
「ん?」
木箱に置かれた荷物を身に着け直していたギュスターヴに、蒼髪の少女は静かな瞳を向けていた。
「どうして手を抜いたの?」
「あら、手を抜いたのギュス」
ギュスターヴも身に着けた道具を確認しながら答える。
「ああ、何度か手は抜いた」
キュルケもあっさりと答えたギュスターヴに呆れる。
「随分はっきり答えるのね。っていうか、よくタバサ気付いたわね」
「左手で剣を使わなかった。それに、本気なら自分の剣を使うはず。彼は細身の剣より、そっちの方が得意」
タバサの指摘にニヤリとギュスターヴが意地悪そうな顔を見せる。
「そうだな。確かに俺はレイピアみたいな細い剣は、少し苦手だな。振り切ると折れてしまいそうで」
「お、折れるの?剣が」
「折れるさ」
こともなげに答え、キュルケは眼を白黒させる。魔法や鍛冶工が技術で切ったり曲げたりするのではないのだから。
ギュスターヴはすらりとデルフを抜いて、左手で握る。
「相棒、どうしたん?」
「何、慣れないことしたから……憂さはらしに、なっ!」
ギィン、と風を切る音がして一閃、デルフを横なぎに払った。
数拍して、練兵場の壁際に植え込まれていた樹がずるりと傾き、切れ落ちた。
切り口はわずかに傾いているが、断面が綺麗な平面に見える。それほど鮮やかな斬撃だった。
「ふぅ。すっきりした」
手元でデルフが不満を漏らす。
「相棒ー、俺様斧や鋸じゃないんだぜ。試し切りならもうちょいマシなものがいいぜ」
「いやぁ、すまん。…どうかな、キュルケ。今やったみたいにレイピアを振れば、多分剣の方が折れてしまうだろう」
たらりと汗を流してこくこく、水飲み鳥のようにキュルケはうなずいた。
しかしタバサはやはりその静かな目でじっとギュスターヴを見ていた。
「どうした?」
「まだ答えを聞いてない」
「だから、剣が折れるから」
「違う。手加減をしてワルドを勝たせた理由」
その言葉にギュスターヴの顔が一瞬静かになり、表情が消える。
それは少し険しい顔になったが、何事もないようにギュスターヴはデルフを納めた。
「あれが信用ならないからさ」
「ワルドが信用ならない?」
首傾げるタバサとキュルケ。
「なんていうのかな。ワルドの行動はどこか『うそ臭い』。そういう奴は少し機嫌を取らせておくと、案外ぼろを出すものだからな」
片目を閉じてタバサにそう答えるギュスターヴ。
「……そう」
「んじゃ、宿に戻るぞ。…どうせだから、町に出てみるのもいいな…」
まるで他人事のように言って練兵場を去るギュスターヴを追いかけるキュルケ。その後をタバサがついていく。
練兵場はそうして空になり、切り落とされた樹木の切り株が乾いていった。
#navi(鋼の使い魔)
#navi(鋼の使い魔)
月明かりを背に、ワルド、ルイズ、ギュスターヴの三人が走る。
その足は少し登った丘に立つ巨木へ向かっていた。
ギュスターヴは先行するワルドを追いかけつつ、傍を走るルイズに聞いた。
「ルイズ。『桟橋』とは言ったが何処なんだ?……というか、何で船に乗るのに山の中なんだ?」
ギュスターヴの質問にルイズが答えぬまま、三人は丘の上の巨木の前にたどり着いた。
それは巨木、と一言で言うには足らぬほどの巨大な樹木だ。幹周りが何百メイルもある一本の樹。
町より続く道が樹木まで続き、それは樹木に明けられた巨大な洞に通じていた。
見上げれば樹から四方に伸びる、これまた巨大な枝先には、魚のひれのように上下左右に
帆を持った見慣れぬ船が繋がれている。
「ここが『桟橋』よ。船へは枝を伝って乗るの」
「あれが船か?……なんであんなところに」
「なんでって、アルビオンは空の上だもの。風石船に乗らなきゃ行けないじゃない」
当たり前のようにルイズが言う。まだまだこの世界は分からない事だらけだな、とギュスターヴが
感心しつつ、三人は洞より樹木の中へ入る。
樹木の内側は完全に人の手が入れられ、内壁を螺旋に切って階段が作られていた。階段の途中途中
の壁は穴があり、そこから枝へ移って船に乗るらしかった。
延々とつづく螺旋階段を三人は登って行く。
枝にはいる穴を4つは通り過ぎた頃、最後尾を行くギュスターヴの背後に人の気配を感じた。
ギュスターヴはそれを培われた勘で味方ではないと判断した。
「先に行け、ルイズ」
「ギュスターヴ?!」
振り返るルイズの視界には、デルフを抜いたギュスターヴと、その先の階段に立つ白い仮面を
つけた謎の男が杖を抜いて構える姿が見えた。
仮面の男が杖を振って『エア・ハンマー』を放つが、ギュスターヴはそれをかわしながら接近、
デルフを振り込んだ。
デルフと男の杖が交差する。踏み込んで一閃、二閃とギュスターヴが剣を振るうと、男はそれを
杖で捌きながら距離をとる。
ギュスターヴが再び距離を詰めるべく踏み込もうとしたとき、男が今までとは違う杖の構えをしていた。
「やばい、避けろ相棒!」
「?!」
デルフの声で踏み留まったギュスターヴは男を見た。
仮面の男の杖先がバチバチを何かが爆ぜる音をさせている。そして次の瞬間、男の杖先から光が
ほどばしりギュスターヴを貫いた。
「ぐぅっ!」
空気を吐き出せない感覚と左腕を引き裂くような痛撃を受けたギュスターヴの体がはじけるように
宙を舞った。
ギュスターヴの体は階段を何段と飛び越えてルイズの前に落下した。
「がふっ」
「ギュスターヴ!」
「おのれ族め!」
ルイズを背後に隠していたワルドが杖を振って『エア・カッター』を放つ。
仮面の男はそれをかわせず胴体にまともに受ける。身体をくの字に曲げ、階段の手すりをへし折る。
声も上げない謎の男は夜闇深き床へ向かって落ち、見えなくなった…。
倒れたギュスターヴにルイズとワルドが駆け寄った。
「大丈夫?ギュスターヴ」
「大丈夫かね、使い魔君。あれは風の魔法『ライトニング・クラウド』だな。まともに食らえば即死も
免れない魔法だが…」
その言葉とは裏腹に、よろよろとだがギュスターヴは身体を起こす。
「なに、わりと身体は頑丈なんでね。…っつ!」
魔法を受けた左腕が痙攣する。ために握ったままだったデルフを床に落としてしまう。
ワルドは床に落ちたデルフを拾うと、しげしげとそれを眺めた。
「剣が盾代わりになったのだろう。ただの剣ではないようだが」
「しらねーな」
デルフの言葉に持っていたワルドの目が見開かれる。
「……驚いた。インテリジェンス・ソードとは」
ギュスターヴはワルドからデルフを受け取って鞘に収める。
「ひとまず敵は退けた。船に急ごう」
言うと再びワルドを先頭に一行は階段を上った。
『ウェールズ邂逅』
ハルケギニア数字で『七番』と書かれていた枝には一隻の船が停泊していた。
全長約50メイル。乗員20名ほどの貨客貨物船である。
タラップから船に乗り込んだ三人は甲板で寝泊りしている船員の一人を起こし、船室で寝ているらしい
船長に取り次いでもらう。
暫くして船員に率いられて船長らしき身なりの比較的綺麗な男性が姿を見せる。
「なんだいあんたら、こんな真夜中に。悪いけどアルビオン行きなら日が昇ってからだぜ」
「すまないが今から出航してもらいたいんだ。金なら払おう」
「そうは言いますがね。風石の量がスヴェルの最短行路分しか積んでませんで。今から出たら途中で落ちますぜ」
「なら、足りない浮力は僕が賄おう。僕は風の『スクウェア』だ。それくらいはできる」
「へ、へぇ。…料金は弾んでもらいますぜ」
「ふん。僕らは王族の命で動いている。請求はトリステインにしてくれよ」
ワルドと船長が交渉を進めている間、ギュスターヴとルイズは甲板の上に座り、船上の色々な物を眺めていた。
「…積荷は、硫黄か」
ぽつりとギュスターヴがつぶやく。傍にいた船員は頷いた。
「へい。アルビオンの貴族派は羽振りがいいもんで、火薬の材料になる硫黄は同じ重さの黄金と同じ値段で
買い取ってくれるんでさ」
「賊軍にしては資金が潤沢なんだな」
「今じゃ王党派が賊軍みたいなもんですよ。前に行った時はニューカッスルを残して拠点は全部貴族派が
落としてしまっていたし、もう5日ともたないんじゃないかって言うのがもっぱらの噂ですよ」
「…そんなに、追い詰められているのね」
ルイズは自分達に与えられた時間があまりないということに心を暗くした。隣のギュスターヴを見上げる。
「…ところでギュスターヴ。どうして積荷が硫黄だってわかったの?ここには積荷が何処にも置いて
ないけど」
「ん?床に摺ったような黄色い粉が残っていたし、それを嗅ぎ取れば臭いですぐにわかるさ。
…船員の人、悪いけど水と包帯もらえるかな。やけどに効く薬があればそれも」
先程まで船長と交渉していたはずのワルドが、ピーっと指笛を吹く。
すると町の方に残していたグリフォンがやがて飛んできて、甲板に着地した。
「よく躾けてあるのだな」
「魔法衛士大隊の幻獣騎士にとって、身を任せる幻獣は兄弟みたいなものさ。生憎ここから
アルビオンまで飛べるほど足は長くないがね」
乗客となった三人を除いて徐々に甲板の上が騒がしくなる。ロープが外され、四方のマストが呻りを上げて動く。
桟橋から切り離された船は徐々に上昇していき、遠くラ・ロシェールの町明かりが見える。
ギュスターヴは持ってきてもらった包帯と水を腕に当てながら、それらを眺めていた。
船は夜を通して飛び続け、途中からワルドは船底に潜って風石の変わりに船を浮かすべく、魔法を使い続けた。
ギュスターヴとルイズは貨客用の一室に通され、そこで夜を明かした。
陽も上がって暫く。ギュスターヴは甲板から外を眺めていた。
視界には、巨大な大地が雲を纏って浮かぶ光景が広がっている。
「…何度みても、奇異だな」
「サンダイルにはこういうのはないのかしら?」
気が付けば、隣にルイズが立っていた。
「…ないな。第一『空を飛ぶ』というのが珍しい行為だ。幼いワイバーンや魔物なんかを手なずけて
空を飛ぶ、なんていう輩も居なくはないがな」
「ふーん」
言いながら、違和感が残る左腕の包帯を撫でる。
「…まだ、痛むの?」
「薬と包帯はもらったし、痙攣はおさまった。やけどの腫れが引けば問題はない」
「……そう」
そうしていると、船の内部に通じる階段からワルドが出てきて身体を解している。
「いやぁ…、やっとアルビオンの浮力圏内までついたね。もう僕の魔法は空っぽだよ。暫くはそよ風も出せないね」
「浮力圏?」
「アルビオンの国土周囲5リーグはね、風石がなくても舟艇を浮遊させる力場が存在するのだよ。
なぜかは誰も知らないがね」
再び感心しているギュスターヴを尻目に、ルイズはアルビオン大陸の下部、白くけぶっている雲の中に影を見た。
それは徐々に雲の中から姿を現してこちらに向かってくる。
遠目に見てもそれは船であった。しかし、こちらの船よりも2回りほど大きいように見える。
「船がいるわ……貴族派の船かしら」
「船長に聞いてこよう」
ワルドは甲板から船長室へ歩いていった。
船長室では見張り台へ続く導管に向かって怒鳴りつけていた。
「いいからやるんだよ!この辺りをうろついてるんだから貴族派の船に間違いないだろうが。
いいか、『当方ハ商船、スカボロー港マデ行路ヲトル』だ」
雲から出てきた船は識別旗を上げずに接近してくるのである。こちらとしては敵意等が無いことを
見せて進行を遮らないように伝えるしかない。
暫くして見張り台から声が返ってくる。
「船長、向こうから返答です。『停船セヨ、シカラザレバ砲撃ス』と!」
「あんだって?!」
そうしている間にも謎の船は見る見る近づいてくる。タールを塗られた黒い船体が日光で光沢を放っていた。
相手の船は舷側にずらりと砲を並べ、その数24門。こちらは申し訳程度に数門が移動式で用意されているに過ぎない。
どうすればいいのかと逡巡していると、相手船の大砲の一つから砲撃が走る。
空気を割るような音がして、砲弾は商船の進路上数十メイルの位置をすり抜けた。
「再度向こうから『停船セヨ、シカラザレバ砲撃ス』と」
見張り台の報告とほぼ同時に船長室へワルドが入ってきた。
「船長、どうしたのだね。あの船は一体何だい?」
「いや、その…停船しなければ砲撃すると向こうから」
「ふむ。…仕方ない。停船を」
「しかしですねー…」
「僕らもここで死にたくはないんだ。頼むよ」
「は、はい…」
停止した商船に黒い船は舷側をぴったりとつけ、黒い船から武器を持った男たちが乗り込んできた。
「空賊だ!抵抗するな!」
「空賊?!」
驚くルイズや船員を尻目に続々と乗り込んでくる男達。その手には短銃身の銃、クロスボウ、曲刀や斧を持っている。
最後に薄汚れた派手な格好をしている一人の男が荒々しく降り立つ。
「船長はどこでぇ」
「私だ」
船長室から空賊たちに前後を挟まれ拘束されるように船長が姿を見せた。
「船名と積荷を言いな」
「トリステイン船籍『マリー・ガランド』号。積荷は硫黄が1000リーブルだ」
おお、と空賊たちから声が上がる。空賊の頭らしき派手な男は、にやりと笑う。
「よっし。船ごと積荷はもらうぞ。代金はてめぇらの命だ。ありがたく受け取りな」
悔しい顔の船長を横目に、空賊頭は甲板にいる船員らしからぬ姿の三人を見つけた。
「ほぅ。この船は貴族も積荷に入ってるみたいだな。…連れて行け!」
「へい」
頭の一声で空賊たちに拘束される三人。ギュスターヴとワルドは押し黙ったまま杖と剣を取り上げられた。
「ちょ、離しなさい!下郎が」
「威勢がいいな!おっと杖は預からせてもらうぜ」
突っかかっていくルイズをギュスターヴが引き止める。
「ギュスターヴ」
「ここは大人しく捕まっておけ」
「でも…」
「おらぁ!きりきり歩け!」
前後を空賊に挟まれて、三人は空賊船の中へと連れて行かれた。
三人が入れられたのは空賊船の中にある空き部屋らしかった。荷物が雑然と置かれ、はめ殺しの窓から
陽光が残酷なまでに部屋を明るくしている。脇に置かれた古ぼけた机にはなんだかよく分からない
小物がゴチャゴチャと詰め込まれていた。
「もう!どうして止めるのよ!」
軋みを上げる椅子に座って地団駄を踏んでいるルイズである。
「あそこで暴れたってしょうがないじゃないか。いざとなれば船を砲撃して沈めてしまえばいい分、
あの場は不利だった」
「ふむ。おそらく空賊たちは僕らを貴族と見て、身代金なりを取れると思ったんだろうね」
「でも、不甲斐ないわ…手紙と指輪は手元にあるけど、これじゃ任務をすすめられないじゃない。
ニューカッスルの王党派はもう長くないっていうんだから」
さて、これからどうしてくれようかと三人が膝つき合わせていたその時。部屋の扉が空けられ、
見張りらしき男が入ってくる。その手にトレイを持ち、スープとパンが乗っている。
「食事だ」
受け取ろうと手を伸ばしたギュスターヴ。しかし男はトレイを渡さずにギュスターヴの手を払った。
「質問に答えてもらおう」
ルイズが立ち上がる。
「言ってみなさい」
「今のアルビオンに何の用があってきた?」
「旅行よ」
「冗談を言うな、アルビオンは内乱中だぞ。もっとも、最近は貴族派が勝ちに勝っているがな。
王党派につくような酔狂な奴は、もう殆どいねぇ。そんな奴がいたらとっ捕まえて
貴族派に引き渡すとたんまり礼金がもらえるのさ」
ニヤニヤと男がルイズを見下ろす。男は船乗りらしい焼けた肌と筋肉の張り詰まった
身体をしている。
「この船を無傷で出たいなら、貴族派に突く奴だって船長に口利きしてやるぜ。でなけりゃお前さん
たちは王党派の連中ってことで貴族派に突き出す」
ルイズはハッとして、次にぎりりと歯噛んで叫んだ。
「ふざけないで。始祖の王権をないがしろにする貴族連合に組するつもりはないわ。
私達はニューカッスルのアルビオン王家に用があるのよ」
「なんだと?!」
次の瞬間、ギュスターヴが飛び上がって男に組み付く。声を出さないように口を押さえ、部屋に
あったロープで手足を縛った。
「さて、叫ばれないように口にも布をかませておかないとな……。しかしなぁ、ルイズ」
「何よ」
鮮やかに男を捕らえたギュスターヴの声が呆れている。
「無理な物言いかもしれないが、もう少し駆け引きをするべきだったな。もうちょっと情報を
引き出して欲しかった」
それを聞いて朗らかにワルドが笑った。
「それは無理な注文だよ使い魔君。ルイズのような乙女に切った貼ったの男達と交渉させるのは難しい。
今ので十分だよ、ルイズ」
「…そう」
ワルドの慰めのようなそうでないような物言いに釈然としないルイズだった。
それを脇に、ギュスターヴは捕らえた男の持ち物を探っている。船を脱出するなり何なりするにしても道具がいるからだ。
「ん…なんだこれは」
口を封じられてもがもがと男が呻くが無視する。
「どうしたの」
「首から何かを下げているな。アクセサリの類じゃなさそうだ」
麻らしき首のひもを引きちぎって取り出した。それは手のひらに収まる程度の小さな金属の
板切れ。穴を開けてくび首を通していた。
「銅板だな。彫り物がしてある」
「見せなさい。…『アルビオン近衛艦隊 少尉 レオニード』……近衛兵の認識票じゃない」
「それだけじゃないな。衣服は汚れ物だが、小物が小奇麗過ぎる…」
男の持っている道具に杖はなかったが、持っていたナイフは拵えに象牙が仕込まれた美麗なもの。
とても空賊のような人間が持っているものではないとすぐにわかる。
「少し調べてみる必要がありそうだな」
持ち物を見ていたワルドが捕まえた男を見る。男は先程と違い、黙ったままこちらを見ている。
「いくつか質問をする。首を振って答えるんだ」
ワルドの言葉にも男は反応を示さない。
「この認識票はお前のものか」
首を振らない男。
「この持ち物はすべてお前のものか」
やはり首を振らない。
「応えたほうが身のためだと思うぞ」
「変わりなさい!」
ワルドを押しのけてルイズが男に迫った。
「あんた!この認識票とナイフはどこで盗んだのかしら!?栄えあるアルビオンの近衛兵の持ち物でしょ。
こんな薄汚れた空賊風情がもつものじゃないわ。さぁ、これを何処で手に入れたか教えなさい!」
肩を使うんで男を揺さぶるルイズ。しかし応えない男。その内ルイズの方が息切れして手を離してしまう。
「ハァ、ハァ…答えなさいって言ってるでしょーがー!」
「落ち着け、ルイズ」
ギャアギャア言い始めたルイズを宥めたギュスターヴ。その手には部屋の机の中から発見した
虫眼鏡と釣り針が握られている。
「さて、残念だがお前に拷問をしてみる」
ギュスターヴが冷淡な声で男に語りかけた。男はわずかに身を固めたが、静かだ。
「まず瞼にこの釣り針を通し吊り上げる。釣りあがった瞼は閉じる事ができないな。
その上で開いたままの眼球に、虫眼鏡で集めた光を当て続ける。今はいい時間で日が高い。
じっくり時間をかければ目玉が焼けるぞ」
表情のないギュスターヴが淡々と『拷問』について説明した。焼けた眼球がどうなるのかを
とくとくと語る様は、傍で聞いているルイズやワルドの背筋を寒くする。
「さて…」
にじり寄るギュスを見て男が暴れだす。
「しゃべるか?」
男は首を横に振る。
「よし」
暴れる男を押さえ込んだギュスターヴは目をつぶっている男の左まぶたを指で摘み、片手の
釣り針を押し付ける。男が悲鳴を上げているかのようにふさがれた口で叫んでいる。
「しゃべるか?」
今度は男の首が縦に振れた。
「君も結構、なんというか…」
流石のワルドも顔が引きつっている。
「さ、流石私の使い魔ね」
「いいのかい?あれで」
ルイズの声が震えていて、ワルドは本気で心配になりそうだった。
さて、そんな二人を置いて、ギュスターヴは捕まえた男の口をゆっくり解いた。
「わ、我々はアルビオン王直属の近衛部隊だ。空軍司令と共に貴族派への撹乱工作をしている」
「王直属?!」
その言葉にルイズが沸き立つ。
「そうだ。我々は残された空軍戦力を動員し、貴族派へ物資を輸送する船籍があればこれを捕縛し、
物資を奪うのだ。これは補給線を絶たれた我々の貴重な物資補給手段でもあるのだ」
男の言葉はにごりが無い。官給を受けて生活する人間独特の堅さが含まれている。
ニッ、と笑ったギュスターヴは男に言った。
「さっきも言ったが、俺達はアルビオン王党軍に用がある。船の責任者に会わせてくれ」
アルビオン軍人であると名乗った男の拘束を解くと、男の先導に依って部屋を脱出した三人は
一つの部屋の前で暫く待たされ、暫くしてその部屋に招かれた。
そこにはあの派手な格好の空賊頭がいたが、鬘と付け髭、そして眼帯を外した姿である。
その姿は王族らしい気品と、若者らしい瑞々しさをもった青年が座っていた。
「ようこそお客人。先だっては無礼な振る舞いをしたことをここでわびよう。私はアルビオン
空軍司令、ウェールズ・テューダーだ」
威風堂々としたたたずまいでウェールズと名乗る男は三人を出迎えた。
二人より一歩前に出てルイズは恭しく頭を下げた。
「トリステインはアンリエッタ王女殿下より、ウェールズ王太子へ密書を託ってまいりました」
「ふむ。…すまないが、それらを証明する事はできるかね?つまり、君達がアンリエッタの使者であることを」
そう聞くと、ルイズは懐から託された指輪を出した。
「これを見せればよいかと」
「!…それはトリステイン王家秘宝『水のルビー』に間違いない。…なるほどアンリエッタの使者らしいことは認めよう」
含むように笑うウェールズに、困惑する声でルイズが聞いた。
「あ、あの」
「なにかな大使殿」
「本当にウェールズ王太子なのでしょうか」
「ふむ…。これで十分かな」
言うとウェールズは引き出しから水のルビーに良く似た作りの指輪を取り出して、指にはめて見せた。
「これはアルビオン王家に伝わる『風のルビー』だ。始祖から続く四国に相伝わる秘宝のなかで、トリステインの
『水のルビー』と対になるとされる」
二つの指輪の間には魔法の作用なのか、朧気な虹が浮かぶ。
「大変失礼をばしました」
「いやいや、立派な心がけだ。では密書を」
ルイズが懐に大事に抱えていた手紙をウェールズへ渡す。
ウェールズはそれを開き、静かに読んだ。一度は素早く。そして二度読むと、風のルビーとともに
机の中へとしまいこんだ。
「…そうか。アンリエッタは結婚するのだね。僕の可愛い…従妹は」
穏やかに微笑んで話すウェールズ。しかしの顔にはわずかに影が差しているように、ルイズは思えた。
「残念だがこの場には所望の手紙は持ってきていない。このまま我々の本陣までご同行願おう」
片目を瞑って笑うウェールズ。それは年相応の茶目っ気が滲んでいる。
「少々、面倒だがね」
#navi(鋼の使い魔)
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