「IDOLA have the immortal servant-06」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「IDOLA have the immortal servant-06」(2008/06/28 (土) 04:56:50) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
#navi(IDOLA have the immortal servant)
目の前の光景に、ルイズは立ち上がることができなかった。
「う、そ……」
どうして?
どうしてこんな事になった?
だってここ最近はずっと楽しかった。
フロウウェンがやって来て、最初は確かに平民を召喚してしまったと落ち込んだ。
けれど、あの嘲笑を受けていたばかりの日常に変化があって。
フロウウェンは決してわたしを笑わなかった。
わたしに色々な話をしてくれた。
わたしの名誉を守るためにギーシュと戦ってくれた。
昨日だって今日だってわたしに……
それを―――
「あ……」
こんなの、嘘だ。
「あ……ああああああああっ!!」
ルイズは叫んだ。叫んで杖を構える。
―――そこから! そこからその足を今すぐどけろ!
ゴーレムの足に意識を集中させる。
ルイズは昨日グランツを放った時の思考を無意識になぞっていた。
振りかぶった拳を外壁に命中させる瞬間、それを鉄の塊に変える。鈍い音が響いて、宝物庫の壁が砕けた。フーケの口元が薄い三日月のような笑みを形作る。
ゴーレムの肩から宝物庫の中に飛び降り、ご丁寧にお目当ての品名が書かれた箱を見つけ出した。
それを持ち上げる。意外に軽いので驚いたが、急いでゴーレムの肩に飛び乗った。
振り向きざまに杖を振って、自分の犯行声明文を壁に残す。
フーケの犯行であるという目印のようなものだ。彼女にしてみれば、最初はほんの悪戯心の産物だったのだが、何時しかこれを残すのがポリシーになっていた。
『浮遊の蟲、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』
宝物庫の壁に大書されたその文字に満足げに頷いた次の瞬間、それは来た。
カァンという耳慣れない音と閃光。
次の瞬間、土ゴーレムが大きくバランスを崩す。
「な……!?」
ゴーレムの右膝の辺りが奇麗に吹っ飛ばされていた。傾いでいくゴーレムに寄り掛かりながら、フーケは状況を正しく把握すると、すぐさま大地から土を補給し、右足を再生させてバランスを立て直す。
「な、何よ今の! 何の魔法!?」
忌々しげにフーケが舌打ちする。
だが原因を特定している暇も、折角の気分に水を注された事への意趣返しをしている時間も無い。目当ての物は頂いたのだから、とっととここから立ち去るべきだ。
全力で放ったグランツを当てても、ゴーレムには然したるダメージも無かった。
確かに、右足を半ばから吹き飛ばしたが、すぐさま盛り上がって再生してしまったのだ。
眼前の光景にルイズの心を絶望が塗り潰していく。
「やめて……! そこから……すぐに足をどけてっ!」
目に涙を溜めながら、再度グランツを放とうとしたその時だ。
「ルイズ!」
男の声は上から聞こえた。
「ヒ、ヒース!?」
見上げると上空からタバサの風竜の背に乗せられたフロウウェンの姿があった。
間一髪でシルフィードが救っていたらしい。タバサが杖を振ると、ルイズの身体が『レビテーション』で浮かび上がった。そのままシルフィードの背に乗せられる。
「すまん。助かった」
こくり、と頷くタバサ。
「あ……だ、大丈夫なの? 怪我してない!?」
ルイズは我に返るとフロウウェンに詰め寄る。
まだフロウウェンの額には脂汗が浮かんでいた。
「……歳かもな。ルイズも怪我がなくて何よりだ」
と、小さく笑うも、すぐに真剣な面持ちになる。
「ところで、奴は何をして行った? あの壁の穴から出てきた時に何か箱を抱えていたようだが」
「あれは宝物庫」
「賊か……」
「派手なやり口じゃねーか。ありゃフーケって奴かもな」
デルフリンガーが言う。
シルフィードが幾度がゴーレムへの接近を試みるが、その度に煩そうに巨大な手が接近を阻む。タバサがウィンディ・アイシクルを肩のメイジに向かって放つが、それも巨大な手によって遮られた。
タバサ達がいてもいなくても変わらぬように、魔法学院の壁を悠々とまたいで、地響きを立てながら草原を歩いていく。
フロウウェンはする事がなくなったので、あのメイジはどうするつもりなのかと考えていた。
まさかあんな巨大なゴーレムに乗ってどこまでも逃走するつもりではあるまい。
いずれはあのゴーレムを乗り捨て、姿を晦まさなければならない。
周囲は見渡す限りの草原だ。
遠くに見えるあの森まで歩かせるつもりか? あの地点が目標なら先回りしてそこで迎え撃てば逃走を阻止でき―――
そこまで考えた所で、フロウウェンははたと気付く。
「しまった! 今すぐ学院に戻るんだ!」
だが、既に遅きに失していた。
突然、ゴーレムがぐしゃっと潰れる。
フロウウェンは見た。ゴーレムの肩にいたメイジの姿も、ゴーレムと同じようにただの土くれとなって崩れるのを。
(土の人形。ではやはり、陽動……やられたな)
囮であるゴーレムが用済みになったという事は、賊は既に自分の身の安全を確保した、という事だ。
今更戻って探し回ったところで、二の足を踏んだ自分達が賊を見つける事は出来ないだろう。
自身の最大の武器であり、盾であり、道具であるゴーレムで派手な盗みを働く。
盗みが済めば、今度はそれ自体を囮にし、自分はどこかで土人形と入れ替わり、悠々とノーマークで脱出を図る。
なるほど。盗賊として名を馳せるだけの事はある。
フロウウェンは敵の手際に賞賛を送ると共に、歯噛みした。
翌日。
トリステイン魔法学院では昨晩からの大騒ぎが続いていた。
何せ秘宝の『浮遊の蟲』が盗まれた。その手口も大胆極まりなく、この上なくセンセーショナルだった。
トリステイン魔法学院の誇る宝物庫の外壁が力技でやぶられた、というのも何とも聞こえが悪い。
噂という形で外部に漏れるのは時間の問題だ。それが王宮に届く前に、何とかしなくてはならない。
事態は思った以上に重大かつ深刻。
それゆえ主だった教師達が中庭に顔を揃えて、誰からともなく始められた即席の会議は紛糾していた。ルイズ達も目撃者という事で強制参加である。
といっても喧々諤々。教師達は口々に好き勝手な事を言っているばかりで一向に話は進んでいなかった。
「ミセス・シュヴルーズ。当直はあなたなのではありませんか!」
一人の教師が言った。『疾風』のギトー。生徒達からの評判が芳しくない教師だった。
シュヴルーズに居並ぶ教師達の視線が集まる。
オスマンが来る前に責任の所在を明らかにしておこうという事だろう。フロウウェンはその光景に眉を顰めた。
今話し合うのは善後策であって、責任を擦り付けることではあるまいに。
「も、申し訳ありません」
シュヴルーズが泣き崩れる。
「泣いたってお宝は戻ってこないのですぞ! それとも『浮遊の蟲』を弁償できるというのですかな!」
「わたくし、家を建てたばかりで……」
「これこれ。女性を苛めるものではない」
そこにオスマンが現れた。
「しかしですな! オールド・オスマン! ミセス・シュヴルーズは当直なのに部屋でぐうぐう寝ていたのですぞ!」
ギトーの剣幕にも怯まず、オスマンは言う。
「ミスタ……なんだっけ」
「ギトーです!」
「そうそう。ミスタ・ギトー。君は怒りっぽくていかん。さて、この中でまともに当直をしていた教師は何人おられるのかな?」
オスマンが見回すと、教師達は恥ずかしそうに顔を伏せる。名乗り出るものはいなかった。
「つまり、そういう事じゃ。我々全員がメイジであるが故に油断し、賊に入られるなどとは夢にも思ってもおらんかった。責任を問うなら我々全員にあるじゃろう」
その言葉に感極まったのか、シュヴルーズがオスマンに縋りつく。
「おお、オールド・オスマン! あなたの慈悲に感謝します!」
「うんうん。ええのじゃよ。ええのじゃよミセス……」
と目を潤ませるシュヴルーズの尻を撫でるオスマン。
「ヒース」
「何だ」
「前に学院長の髭のが立派って言ったけど、あれ取り消すわ」
「そうか」
一部の者の冷たい視線に気付いたオスマンがわざとらしく咳払いする。
「で、犯行の現場を見ていたものは誰だね」
「この三人です。オールド・オスマン」
コルベールがルイズ達を指差す。使い魔であるフロウウェンは数に入っていない。
ルイズは少しだけ不満げな表情を浮かべたが、何も言えなかった。
「ふむ……君たちか」
言いながらも、オスマンの視線はフロウウェンに注がれる。
人間の使い魔が珍しいのだろう。もうこの頃にはすっかり好奇の視線に晒される事に慣れていたフロウウェンは、そう判断した。
「詳しく説明したまえ」
ルイズが一歩前に出る。
「あの、突然大きなゴーレムが現れて、ここの壁を壊したんです。肩に乗っていた黒いメイジが、宝物庫から箱を持ち出していました。
その……『浮遊の蟲』が入った箱だと思いますけど……ゴーレムは城壁を越えて、最後には崩れて土の山になってしまいました」
「それで?」
「後には何もありませんでした。ヒース……わ、わたしの使い魔が言うには、ゴーレムを囮にしてどこかのタイミングで逃げたのだろうと」
「ふむ……」
髭を弄りながらオスマンは呟く。
「後を追おうにも手掛りは無し、か……」
それからオスマンは、この場に自分の秘書がいない事に気が付いた。
「ときに、ミス・ロングビルはどうしたね?」
「それがその、朝から姿が見えませんで」
そんな風に噂していると、そこへ折良くミス・ロングビルその人が現れた。
「ミス・ロングビル! どこへ行っていたのです! 大事件ですぞ!」
わめくコルベールとは対照的に、落ち着き払った様子のミス・ロングビルは、オスマンに告げた。
「申し訳ありません。朝からの騒動がフーケの仕業と知り、急いで調査をしておりました」
「仕事が早いの。ミス・ロングビル」
「恐れ入ります。フーケと思われる者の噂を耳にしたので、報告に上がった次第です」
「な、なんですと!?」
コルベールが頓狂な声を上げた。
「誰に聞いたんじゃね。ミス・ロングビル」
「はい。近在の農民に聞き込んだところ、最近近くの森に黒ずくめのロープの男が出入りしているのを見かける事がある、という者がいました。
その森の小道の奥には古い木こり小屋がある、という事です。恐らく彼はその廃屋を塒にしているのではないかと」
「黒ずくめのローブ? それはフーケです! 間違いありません!」
ルイズが叫んだが、フロウウェンは怪訝そうな表情を浮かべた。
「そう言い切ってしまってもよいものか? ローブの色だけでは判断材料になるまい」
「しかし、他に手掛りがないことも事実じゃ。調査はする必要があろう。そこは近いのかね?」
「はい。徒歩で半日。馬で四時間ほどでしょうか」
「すぐに王宮へ連絡しましょう!」
コルベールの提案に、しかしオスマンは目を向いて怒鳴る。
「ばかもの! 王宮なんぞに知らせているあいだにフーケは逃げてしまうわ! それに、我らの問題を我ら自身の手で解決できぬようではとんだ恥晒しじゃろうが! 当然我らだけで解決する!」
オスマンは一呼吸置くと有志を募った。
「捜索隊を編成する。我こそは、と思う者は杖を掲げよ」
誰も杖を上げない。困ったように顔を見合わせるだけだった。
教師達のメイジとしてのクラスは高い方ではあるが、あくまでも彼らは教職であり、クラスの高さがそのまま実戦での強さ、とはならないのである。
ましてや相手は、魔法学院に単身で乗り込んでくるような相手だ。
作ったゴーレムのサイズから見積もって、少なくともトライアングル以上の実力を持つ事も疑いようが無い。
「おらんのか? おや? どうした! フーケを捕まえて名を上げようという貴族はおらんのか!」
その様子にオスマンは少なからず落胆した様子だった。
コルベールは悔しそうに俯いた。本来ならば杖を掲げるべき場面だ。自分にはそれだけの力がある。
だがもう、二度と『火』の力を破壊の為には使わないと、二十年前から決めていた。それは誓いと言っても良い。
―――自分のようなものがフーケのような実力者と戦えば、きっと殺し合いになる。
それがコルベールに、二の足を踏ませていた。
その時、一人の杖が上がる。
「ミス・ヴァリエール!?」
シュヴルーズが驚いて言った。
毅然とした表情のルイズが杖を掲げていたのだ。
コルベールは思わず声を上げた。
「馬鹿な! どうして君が! 君は生徒だろう!」
「誰も掲げないじゃないですか!」
「……っ」
そう言い放つルイズは、コルベールにとって眩しかった。真っ直ぐで嘘を知らない。貴族の誇りという言葉に疑いを持たず、また、そうあらんとしている。そんな太陽のような輝きを秘める少女だった。
「仕方ないわね」
キュルケが、ルイズに続いて杖を掲げた。
「ツェルプストー……君もか」
「ヴァリエールには負けられませんわ」
キュルケとルイズを見てタバサも杖を掲げる。それから、言った。
「二人が心配」
キュルケとルイズはタバサの言葉にいたく感動したらしかった。
知らず、それを見ていたフロウウェンの口元に笑みが浮かぶ。
フロウウェンも、コルベールと同じ思いで自分の主を見ていたのだ。
そう。大事な事は力があるかないかではない。動こうとする、その意思だ。
オレは、ラグオルでは誰も救うことのできなかった無力な男だ。だが今度こそは……手の届く範囲にいる人間ぐらいは守って見せる。オレがここにいる事に意味があるのだとしたら、それなのだろうから。
さて、それから十分後。
オスマンの裁定により四人は希望通りフーケ捜索隊となった。
それからミス・ロングビルが現地までの案内役を兼ねて馬車の御者を買って出て、一行は目的地に向けて出発した。
キュルケがフロウウェンにベタベタする度にルイズの眉毛がキリキリと吊り上がる。が、勝負に負けたルイズにできる事は歯軋りしながら睨むぐらいだった。
最も、フロウウェンとしてはあまりキュルケに立ち入る気が無い。
養子のアリシアと弟子のリコはあまり仲が良くなかった……というよりアリシアが一方的にリコを苦手としていたのだが、どうやら彼女は、自分がリコを指導するのを見て父親を奪われたように感じていたらしい。
自分に、女心はよく分からない。どうもオレは朴念仁のようだ、と今更になってフロウウェンは思う。
それを踏まえて……ルイズとキュルケは元々仲が悪いようだが、タバサとの仲はぎこちないものにならないよう、気を付ける必要があるだろう。
やがて、馬車は鬱蒼と茂る森の奥へと入っていった。
「ここから先は歩きで行きましょう」
ミス・ロングビルに促された一行は馬車を降りて森の小道を進む。フロウウェンが先頭に立ち、タバサが殿を買って出た。
暫く行くと開けた場所に出る。
真ん中に、廃屋がある。朽ち果てた窯らしき残骸と、物置小屋が隣に並ぶ。どうやら元々は木こり小屋だったらしい。
「わたくしの聞いた情報だと、あの小屋のようです」
「さて、どうするか、よね。まだフーケと決まったわけではないし」
「考えがある」
とタバサ。
一行は廃屋から目に付かないよう木陰に隠れながら、タバサの考えを伺う事にした。
タバサが地面に杖で絵を描きながら説明する。
偵察兼囮役が小屋の中の様子を伺う。
「この時、フーケがいたら腕でマル。フーケがいなかったらバツの合図を送る。フーケがいればカマをかけてこれを外に誘き出す」
「フーケならば外に出てくるわね。フーケの武器はゴーレム。土のない室内では力を発揮出来ないわ」
タバサは頷いた。
「出てきたところを集中砲火」
何もさせずに、一気呵成に仕留めて一丁上がり、というわけだ。
シュヴァリエとやらの称号を持つだけあって実戦慣れしているな、とフロウウェンは感じた。しかし、タバサの年齢を考えるなら、それは悲しい事だ。
昨日の、彼女の瞳の奥にあった物を前提に考えるなら、有能さを裏打ちする背景が、決して明るいものではないであろう事を物語っている。
フロウウェンはその思考を今は忘れる為に小さく頭を振ってから
「斥候役はオレがやろう」
と申し出た。異存が出ようはずもない。
「フーケがいなかった場合でも、こちらへは来るな」
「どうして?」
「小屋に入っていく所を確認されて、外からゴーレムで潰されて見ろ。反撃もままならずに全滅する」
そう告げると、一同が青い顔になる。
「この状況では、小屋の主がいない事の方が遥かに危険度が高いと思うこと。
オレがフーケでここに塒を作るならば、この開けた場所が監視できるような位置取りで、地下に隠れ家を作る。土メイジが『錬金』を駆使すれば容易い事だろう?」
「でも『ディテクト・マジック』が使えないあなたでは、魔法の罠を感知できない」
「……では、誰もいない場合はタバサだけこちらへ来てくれるか? あの狭い室内でキュルケの炎はまずい」
「わかった」
「もし、ゴーレムが出現したらすぐにルイズの爆発を使う事。爆音を聞いたら無条件で外に飛び出す」
タバサはこくりと頷いた。
「失敗魔法っていうのが不本意だけど……仕方ないわね」
詠唱が短くて済み、大きな音が出る……というのがこの状況では最適だったりする。
フーケに爆音で守勢に回らせる効果も期待出来るだろうか。
フロウウェンはデルフリンガーを抜き放ち、姿勢を屈めて一足飛びに小屋まで走る。
窓からそっと小屋の中を覗く。
どうやら一部屋しかないようだ。一見して、人の気配は無い。
埃の積もったテーブルと、その上に転がる酒瓶。倒れたままで放置された椅子。崩れた暖炉。積み上げられた薪と、木で出来た箱。
……それだけだった。人が隠れられるような場所はない。
(―――これが隠れ家だと?)
フロウウェンは表情を曇らせた。
ここ最近の間、人が使っていた形跡すらない。つまりここは隠れ家として使われてなどいない。
フロウウェンは隠れている仲間に向かって腕を交差させて合図を送った。
誰もいなかった場合のサインだ。
こちらへやってきたタバサが扉に向けて『ディテクトマジック』をかける。
「罠はない」
フロウウェンが扉を開け、室内に入っていく。タバサも続いた。
「―――わたくし、思ったのですが」
小屋の中に入っていく二人を見ながら、ミス・ロングビルが言った。
「私達がこうやって固まっている事も、まずいのではないでしょうか。巨大ゴーレムが相手なら、目標が分散していた方が良いかもしれません」
「それもそうね。茂みに隠れて散会しましょう」
タバサは真っ直ぐ部屋の中へ足を運んだが、フロウウェンは戸口にしゃがみこんでいた。
床には薄っすらとタバサのつけた足跡が残るだけ。そうタバサ一人分の足跡が残るだけだ。
森にもそれらしい足跡は見受けられなかった。
これはミス・ロングビルが外れの情報を掴まされたのかも知れないと、フロウウェンは思った。
だがタバサが木箱を覗いて、意外な事を口にした。
「『成虫』二匹に『幼虫』四匹。オールド・オスマンの言ってた数と同じ。見つけた」
そう言って無造作に『幼虫』の一匹を箱から摘み出した。
「あっけねーな」
と、デルフリンガー。
フロウウェンはその『幼虫』に、目を丸くした。
「これが『浮遊の蟲』だと?」
フロウウェンは木箱に近付いた。
なるほど。確かに『浮遊の蟲』だ。これが『幼虫』というなら『成虫』は何だというのだ。
箱を覗き込んで、眩暈を覚えた。
「……何故だ」
これがここにある事も理解出来ないが、フーケが、自分の使ってもいない小屋に魔法学院を襲撃してまで手に入れた物を無造作に放置していた事も理解出来ない。
森の小道を先頭に立って進んだ時に調べていたのだが、残されていた足跡は馬一頭のものだけだった。
通常、メイジは『フライ』か、タバサのようにシルフィードのような使い魔がいれば、それを移動手段に用いる。
恐らくフーケにはゴーレムの派手な立ち回りをした事で、長距離を飛ぶ精神力が残されていなかったに違いない。ゴーレムを乗り捨てた後、用意していた馬でここまでやって来たのだろう。『浮遊の蟲』がここにある以上、それは疑いようが無い。
小屋の中に足跡が残されていない事は……戸口から『レビテーション』でも使って安置したのだとすれば説明が付く。
説明は付くが、何故そうしたのか? 足跡も残さないよう慎重に立ち回っているのか、何となく横着をしただけなのか。
違和感と矛盾が合った。フーケの実像を正しく結ばせない。
何故、足跡を残さないように立ち回る。何故、折角盗んだ宝を放置していくのか。
フーケの行動に齟齬を出さないようにする為には、フーケの意図を正しく読み解く必要があろう。
そこまで考えて、フロウウェンの脳裏に閃くものがあった。それは悪い予感だ。
宝を分かり易い場所に放置していく……?
待て。それは『アレ』がした事と同じではないか。美味しいエサをちらつかされて、我々はのこのことラグオルまで行ったのではないか。
フロウウェンの脳内で断片的に散らばっていたピースがあっという間に組み合わさっていく。
足跡を残さないのは、それを目にした者によって正体が割れる可能性があるからに他ならない。今この場で、か。或いは後になってこの話を不特定多数の者に語る事で、かは解らないが。
ただ、前者―――この場にいる者が、足跡で察する可能性があるというのを前提にするならば、犯人の目星がつく。緊急性と危険度の高い事柄である為に、フロウウェンは思いつきや妄想、疑心暗鬼の類と看過する事ができなかった。
足跡から判別できる事は多岐に渡る。
歩幅からその体格を。沈んだ深さでその者のおおよその体重を。大きさから性別、もしくは年齢の判別がつく。男であるか、女子供かの判別だ。それから残された跡自体でどんな靴を履いているか分かる。
こちらが持つ「フーケらしき者の情報」は黒のローブを纏ったメイジの男であるという事だけ。
その証言と矛盾する点がある。黒のローブを纏ったメイジという部分は矛盾しない。何故なら昨日この目で見ているから。
だから「彼女」は、誘き寄せる者の素性を予め予期していればこそ、足跡を残さなかった―――
フロウウェンは簡潔に、結論だけ言おうと口を開こうとした。
「タバサ。フーケは―――」
それと、失敗魔法の爆音が響くのが同時。
「!」
タバサは地面を蹴って飛ぶと同時に、フライで加速して、小屋から飛び出した!
「ちっ!」
フロウウェンは箱の中の『成虫』を掴んで、小屋の外に飛び出した。そして、見る。
土が盛り上がり、巨大なゴーレムがその威容を現す。
タバサが杖を振り、巨大な竜巻を作り出し、それをゴーレムに叩きつけていた。森の木陰から飛び出したキュルケが、続いてゴーレムを炎に包み込む。
いずれもトライアングル・スペルなのだが、痛覚が無く巨大な質量を誇るゴーレムには一向に効いた様子がなかった。
「無理よ、こんなの!」
「退却」
タバサは『フライ』で空に舞い、キュルケはまた森の木陰に逃げ込む。
フロウウェンは周囲に視線を巡らして、ルイズの姿を認める。今まさにグランツを仕掛けようとしている場面だった。
「じーさん、まずいぜ!」
「ルイズ!」
フロウウェンが叫ぶのと、ゴーレムの腰の辺りに光の矢が突き刺さり、弾けるのが同時。
「ヒース!」
こちらに気付いたらしい。そうこうしている間にも、グランツで抉れた部分が見る見るうちに盛り上がって再生していく。
「何をやっている! 逃げろ!」
ルイズのグランツでは、このゴーレムを戦闘不能に追い込むのは無理だ。フロウウェンはそう結論を出した。
しかしルイズは
「いやよ!」
と、なおも杖をゴーレムに向けた。
ゴーレムは逃げた二人より、ゴーレムに幾ばくかの損害を与えられるルイズを脅威と見て取ったようだ。ルイズの方に向き直る。
「わたし、もうゼロじゃない! こうしてグランツも覚えた! ここで逃げたら前と同じゼロだもの!」
「ルイズ……!」
説得は無理だ。フロウウェンは走りだしていた。
「わたしは貴族よ。魔法が使える者を貴族と呼ぶんじゃない! 敵に後ろを見せないものを貴族と呼ぶのよ!」
叫んで再度グランツを放つが、そっくり先程の焼き直しになるだけだ。ゴーレムがゆっくりと足を持ち上げる。あれで踏みつける気らしい。
ルイズの視界にゴーレムの足が広がる。それが少女を潰すより早く、フロウウェンが彼女を抱えて走り抜けた。
「馬鹿なことを!」
フロウウェンが怒鳴った。
「だ、だってわたし……!」
フロウウェンに抱きかかえられたルイズの瞳から、涙がぽろぽろと零れる。
「…………」
努力への正当な報酬という形で、グランツを覚えさせたつもりだった。
それが、ルイズの心を焦らせ、命を危険に晒してしまった。フロウウェンは強く唇を噛んだ。
ゴーレムから充分距離を取り、ルイズをそこに降ろす。
「ルイズ。これは貴族が命を賭ける場面ではあるまい? お前のような奴の命はな」
ゴーレムに向き直って、フロウウェンが言う。
大きな、背中だった。
「もっと、大きな舞台で輝かせる為のものだ」
その肩にふわりと、『成虫』二匹が付き従う。デルフリンガーを構える。
「だから……ここはオレが行く……!」
フロウウェンが颶風を纏い、ゴーレムに向かって猛然と突進した。
ルイズの身体が不意に、ふわりと浮いた。そのままこちらへ飛んできたタバサの風竜の背中に乗せられる。
「ヒースが!」
「わかってる」
タバサが頷く。風竜が力強く舞い上がった。
フロウウェンの身体ギリギリの所を巨大な拳が通り過ぎていく。一瞬遅れて風圧が顔に叩きつけられた。
その拳が、鋼鉄の塊に変化しているのを見て、彼は苦笑を浮かべた。
―――老いぼれ一人を相手に大層な歓迎ぶりだ。
そのまま走りぬけてゴーレムの背後を取ると、破壊力を鈍らせるテクニックであるジェルンと、耐久力を落とすテクニック、ザルアを続けざまにかける。赤と青の燐光が、ゴーレムの体から零れ出す。
ゴーレムは振り向きもしない。肩と腕の関節が逆方向を向いてそのまま攻撃を仕掛けてきた。では、背後を取る事に意味は無いという事だ。
これを可能性の一つとして予期していたフロウウェンは迷うことなく後ろに跳んだ。一瞬遅れて、拳が地面にめり込み、大きなクレーターを穿つ。
ジェルンがかかっていてもその質量は驚異的だ。当たればただでは済むまい。
ただ、動きは決して早くは無い。巨大な質量を持つが故に大きく避けなければならないが、フロウウェンは全力で動き回ろうと一向に疲れを感じなかった。
(やはり―――)
自分の抱く敵意や戦意。そういった意思に、この胸のルーンは反応し、周囲からフォトンを体内に取り込んでいる。
昨晩は思わぬところで強大な敵と対峙し、加減を間違えて過剰なフォトンを一気に取り込んでしまったが―――
大丈夫だ。これは制御できる。
ゴーレムの拳とすれ違いざま、鋼鉄に変化していない部分に斬り付ける。
ザルアで柔らかくなった土など、熱したナイフでバターを切り分けるようなものだ。
「こりゃおでれーた。やるなあ、じーさん」
デルフリンガーが言う。
横から腕で地面すれすれを凪ぐような攻撃。前方に身体ごと飛び込んで懐に潜り込む。
斬撃。デルフリンガーの半ばから先が見えない。
「じーさん!」
手の平を返して四、五、六回。ゴーレムがその足を持ち上げるまでの間に斬り刻んでいた。
「何だ!」
ゴーレムは掌を広げて振り上げ、そのまま平手で叩き潰す形の攻撃を仕掛けてくる。
後ろに大きく跳んで、頭上から降ってきた指の一本を切り飛ばし、その間の空間に入ってやり過ごす。
「奴さん斬る傍から再生してやがるぜ!」
デルフリンガーが呆れたように言う。
「知っている!」
蚊でも潰すかのような動作。左右から飛来する鋼鉄の壁。
「ジリ貧だぜ! 打つ手はなんかあるのか?」
インパクト寸前に大きく垂直に跳躍して掌に飛び乗ると、間髪を置かず再度跳躍しながら上腕部に落下の衝撃を加えて切り裂く。
「ある!」
ボールでも蹴飛ばすように、巨大な右足が迫ってくる。
「じゃあ、とっととそれ、やっちまえよ!」
デルフリンガーを構える。
「その前に……お前に言っておく事がある!」
構えたまま大きく後ろに跳躍。
「なんだい、じーさん!」
デルフリンガーをゴーレムの足に突き立て、衝撃を殺すとともに蹴り足に乗って更に後方へ飛ぶ。
「6000歳のお前に、爺さんなどと言われるのは心外だ!」
二十メイルはあろうかという距離をジャンプして、中空で身体を一転させて着地。
「ちげーねーや!」
デルフリンガーが楽しそうに笑った。フロウウェンも肩を震わせて笑った。
「……笑ってるわ。とんでもないわね」
草陰に隠れるキュルケが呆れたように呟く。そして、見ていることしかできない自分に歯噛みした。
キュルケとタバサの魔法はゴーレムへのダメージにならないのだ。
せめてもと、もしフーケが油断して姿を見せたら即座に燃やしてやるつもりでいたが、出てくる気配は一向にない。
ルイズのグランツは、ある程度を抉り飛ばす事が出来るが、効果が限定的且つ、距離が遠くて使う事が出来ない。
昨晩ルイズがフロウウェンに質問した所、覚えたてのグランツは大体15メイルほどの射程距離だと言われていた。シルフィードの飛ぶ高度からでは遠すぎる。
さらに捕捉すると、シルフィードが少しでも近付くと無茶苦茶に腕を振り回すので、タバサも間合いに入れない。
それでもタバサはゴーレムの腕の間合いギリギリを堅持して飛ぶことを支持する。
ゴーレムの腕と、フーケの注意が此方に向けられれば、その分だけフロウウェンへの攻撃が散漫になるはずだ。
けど、駄目だ、とルイズは感じていた。
斬るだけではその部位の再生もその部分を繋ぐだけで済む。フーケが使う精神力も決して大きくは無いはずだ。
フロウウェンの動きに衰えは見えない。だけどただの一発が命取りになる。なってしまう。
フーケは一撃を当てるだけでいいのに、フロウウェンは何度切りつければゴーレムを倒せると言うのか……!
「ヒース……!」
ルイズは血が滲むほどに唇を噛んだ。そして深呼吸する。
旋回してシルフィードが一旦間合いを離したその瞬間。
「タバサ! わたしに『レビテーション』をお願い!」
言うなり、ルイズが宙へと身を躍らせる。
「ちょっと!? あの子!?」
それを遠くから目にしたキュルケが悲鳴を上げ、慌ててタバサが詠唱を始める。
万有引力に従って自由落下しながら、ルイズは精神を集中させた。途中でタバサの『レビテーション』がかかって落下速度が落ちる。
ふわり、と地面に降り立つと同時に、グランツをゴーレムの右足に解き放つ。
「っ!」
右足へのグランツの閃光を見た瞬間、フロウウェンが走った。左足へ向って。
グランツが炸裂するのと、フロウウェンが一太刀叩き込むのがほぼ同時。
グランツで吹き飛ばされた右足を再生しようと土が盛り上がるが、フロウウェンの次の行動の方が、早く完了した。
ぐりんっ、と打ち込んだデルフリンガーを捻り、『く』の字を描くように左足を大きく切り飛ばした。
二点を同時再生する事はできないのか。はたまた操るフーケの状況判断が追いつかなかったのか。
いずれにせよ再生が追いつく前に両足は破壊され、巨大な質量を支えきれ無くなったゴーレムの上体が後ろに大きく揺らぐ。
それを確認する事もせず、フロウウェンはゴーレム右後方に降り立ったルイズの元へと走り出していた。
ルイズが駆け抜けたフロウウェンに掻っ攫われ、次の刹那、そこにゴーレムの上体が落ちてくる。
「やったわ!」
使い魔の腕にしがみ付いたルイズが歓喜の声を上げるも、フロウウェンは冷静な声で
「まだだ」
と、告げた。
そう。まだ終わってはいない。支えを失ったが、ゴレームは健在だった。すぐにでも両足を再生させて向ってくるだろう。
「ほんとにしぶてーな。相棒。どうするんだい?」
「いや、これでどうにか間に合ったようだ。だいぶ狙いも付けやすくなった」
ルイズを地面に降ろす。
それから、ぐっと体を屈めた。
「伏せていろ、ルイズ」
瞬間、フロウウェンの足下に光で作られた円形の魔方陣が広がる。
「え……え!?」
フロウウェンが大きく身体を伸ばし天に手を掲げる。頭上の空間にもう一つ、鏡映しのように魔法陣が出現する。
その頭上の魔法陣の、更に上に―――異形が出現した。
#navi(IDOLA have the immortal servant)
#navi(IDOLA have the immortal servant)
目の前の光景に、ルイズは立ち上がることができなかった。
「う、そ……」
どうして?
どうしてこんな事になった?
だってここ最近はずっと楽しかった。
フロウウェンがやって来て、最初は確かに平民を召喚してしまったと落ち込んだ。
けれど、あの嘲笑を受けていたばかりの日常に変化があって。
フロウウェンは決してわたしを笑わなかった。
わたしに色々な話をしてくれた。
わたしの名誉を守るためにギーシュと戦ってくれた。
昨日だって今日だってわたしに……
それを―――
「あ……」
こんなの、嘘だ。
「あ……ああああああああっ!!」
ルイズは叫んだ。叫んで杖を構える。
―――そこから! そこからその足を今すぐどけろ!
ゴーレムの足に意識を集中させる。
ルイズは昨日グランツを放った時の思考を無意識になぞっていた。
振りかぶった拳を外壁に命中させる瞬間、それを鉄の塊に変える。鈍い音が響いて、宝物庫の壁が砕けた。フーケの口元が薄い三日月のような笑みを形作る。
ゴーレムの肩から宝物庫の中に飛び降り、ご丁寧にお目当ての品名が書かれた箱を見つけ出した。
それを持ち上げる。意外に軽いので驚いたが、急いでゴーレムの肩に飛び乗った。
振り向きざまに杖を振って、自分の犯行声明文を壁に残す。
フーケの犯行であるという目印のようなものだ。彼女にしてみれば、最初はほんの悪戯心の産物だったのだが、何時しかこれを残すのがポリシーになっていた。
『浮遊の蟲、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』
宝物庫の壁に大書されたその文字に満足げに頷いた次の瞬間、それは来た。
カァンという耳慣れない音と閃光。
次の瞬間、土ゴーレムが大きくバランスを崩す。
「な……!?」
ゴーレムの右膝の辺りが奇麗に吹っ飛ばされていた。傾いでいくゴーレムに寄り掛かりながら、フーケは状況を正しく把握すると、すぐさま大地から土を補給し、右足を再生させてバランスを立て直す。
「な、何よ今の! 何の魔法!?」
忌々しげにフーケが舌打ちする。
だが原因を特定している暇も、折角の気分に水を注された事への意趣返しをしている時間も無い。目当ての物は頂いたのだから、とっととここから立ち去るべきだ。
全力で放ったグランツを当てても、ゴーレムには然したるダメージも無かった。
確かに、右足を半ばから吹き飛ばしたが、すぐさま盛り上がって再生してしまったのだ。
眼前の光景にルイズの心を絶望が塗り潰していく。
「やめて……! そこから……すぐに足をどけてっ!」
目に涙を溜めながら、再度グランツを放とうとしたその時だ。
「ルイズ!」
男の声は上から聞こえた。
「ヒ、ヒース!?」
見上げると上空からタバサの風竜の背に乗せられたフロウウェンの姿があった。
間一髪でシルフィードが救っていたらしい。タバサが杖を振ると、ルイズの身体が『レビテーション』で浮かび上がった。そのままシルフィードの背に乗せられる。
「すまん。助かった」
こくり、と頷くタバサ。
「あ……だ、大丈夫なの? 怪我してない!?」
ルイズは我に返るとフロウウェンに詰め寄る。
まだフロウウェンの額には脂汗が浮かんでいた。
「……歳かもな。ルイズも怪我がなくて何よりだ」
と、小さく笑うも、すぐに真剣な面持ちになる。
「ところで、奴は何をして行った? あの壁の穴から出てきた時に何か箱を抱えていたようだが」
「あれは宝物庫」
「賊か……」
「派手なやり口じゃねーか。ありゃフーケって奴かもな」
デルフリンガーが言う。
シルフィードが幾度がゴーレムへの接近を試みるが、その度に煩そうに巨大な手が接近を阻む。タバサがウィンディ・アイシクルを肩のメイジに向かって放つが、それも巨大な手によって遮られた。
タバサ達がいてもいなくても変わらぬように、魔法学院の壁を悠々とまたいで、地響きを立てながら草原を歩いていく。
フロウウェンはする事がなくなったので、あのメイジはどうするつもりなのかと考えていた。
まさかあんな巨大なゴーレムに乗ってどこまでも逃走するつもりではあるまい。
いずれはあのゴーレムを乗り捨て、姿を晦まさなければならない。
周囲は見渡す限りの草原だ。
遠くに見えるあの森まで歩かせるつもりか? あの地点が目標なら先回りしてそこで迎え撃てば逃走を阻止でき―――
そこまで考えた所で、フロウウェンははたと気付く。
「しまった! 今すぐ学院に戻るんだ!」
だが、既に遅きに失していた。
突然、ゴーレムがぐしゃっと潰れる。
フロウウェンは見た。ゴーレムの肩にいたメイジの姿も、ゴーレムと同じようにただの土くれとなって崩れるのを。
(土の人形。ではやはり、陽動……やられたな)
囮であるゴーレムが用済みになったという事は、賊は既に自分の身の安全を確保した、という事だ。
今更戻って探し回ったところで、二の足を踏んだ自分達が賊を見つける事は出来ないだろう。
自身の最大の武器であり、盾であり、道具であるゴーレムで派手な盗みを働く。
盗みが済めば、今度はそれ自体を囮にし、自分はどこかで土人形と入れ替わり、悠々とノーマークで脱出を図る。
なるほど。盗賊として名を馳せるだけの事はある。
フロウウェンは敵の手際に賞賛を送ると共に、歯噛みした。
翌日。
トリステイン魔法学院では昨晩からの大騒ぎが続いていた。
何せ秘宝の『浮遊の蟲』が盗まれた。その手口も大胆極まりなく、この上なくセンセーショナルだった。
トリステイン魔法学院の誇る宝物庫の外壁が力技でやぶられた、というのも何とも聞こえが悪い。
噂という形で外部に漏れるのは時間の問題だ。それが王宮に届く前に、何とかしなくてはならない。
事態は思った以上に重大かつ深刻。
それゆえ主だった教師達が中庭に顔を揃えて、誰からともなく始められた即席の会議は紛糾していた。ルイズ達も目撃者という事で強制参加である。
といっても喧々諤々。教師達は口々に好き勝手な事を言っているばかりで一向に話は進んでいなかった。
「ミセス・シュヴルーズ。当直はあなたなのではありませんか!」
一人の教師が言った。『疾風』のギトー。生徒達からの評判が芳しくない教師だった。
シュヴルーズに居並ぶ教師達の視線が集まる。
オスマンが来る前に責任の所在を明らかにしておこうという事だろう。フロウウェンはその光景に眉を顰めた。
今話し合うのは善後策であって、責任を擦り付けることではあるまいに。
「も、申し訳ありません」
シュヴルーズが泣き崩れる。
「泣いたってお宝は戻ってこないのですぞ! それとも『浮遊の蟲』を弁償できるというのですかな!」
「わたくし、家を建てたばかりで……」
「これこれ。女性を苛めるものではない」
そこにオスマンが現れた。
「しかしですな! オールド・オスマン! ミセス・シュヴルーズは当直なのに部屋でぐうぐう寝ていたのですぞ!」
ギトーの剣幕にも怯まず、オスマンは言う。
「ミスタ……なんだっけ」
「ギトーです!」
「そうそう。ミスタ・ギトー。君は怒りっぽくていかん。さて、この中でまともに当直をしていた教師は何人おられるのかな?」
オスマンが見回すと、教師達は恥ずかしそうに顔を伏せる。名乗り出るものはいなかった。
「つまり、そういう事じゃ。我々全員がメイジであるが故に油断し、賊に入られるなどとは夢にも思ってもおらんかった。責任を問うなら我々全員にあるじゃろう」
その言葉に感極まったのか、シュヴルーズがオスマンに縋りつく。
「おお、オールド・オスマン! あなたの慈悲に感謝します!」
「うんうん。ええのじゃよ。ええのじゃよミセス……」
と目を潤ませるシュヴルーズの尻を撫でるオスマン。
「ヒース」
「何だ」
「前に学院長の髭のが立派って言ったけど、あれ取り消すわ」
「そうか」
一部の者の冷たい視線に気付いたオスマンがわざとらしく咳払いする。
「で、犯行の現場を見ていたものは誰だね」
「この三人です。オールド・オスマン」
コルベールがルイズ達を指差す。使い魔であるフロウウェンは数に入っていない。
ルイズは少しだけ不満げな表情を浮かべたが、何も言えなかった。
「ふむ……君たちか」
言いながらも、オスマンの視線はフロウウェンに注がれる。
人間の使い魔が珍しいのだろう。もうこの頃にはすっかり好奇の視線に晒される事に慣れていたフロウウェンは、そう判断した。
「詳しく説明したまえ」
ルイズが一歩前に出る。
「あの、突然大きなゴーレムが現れて、ここの壁を壊したんです。肩に乗っていた黒いメイジが、宝物庫から箱を持ち出していました。
その……『浮遊の蟲』が入った箱だと思いますけど……ゴーレムは城壁を越えて、最後には崩れて土の山になってしまいました」
「それで?」
「後には何もありませんでした。ヒース……わ、わたしの使い魔が言うには、ゴーレムを囮にしてどこかのタイミングで逃げたのだろうと」
「ふむ……」
髭を弄りながらオスマンは呟く。
「後を追おうにも手掛りは無し、か……」
それからオスマンは、この場に自分の秘書がいない事に気が付いた。
「ときに、ミス・ロングビルはどうしたね?」
「それがその、朝から姿が見えませんで」
そんな風に噂していると、そこへ折良くミス・ロングビルその人が現れた。
「ミス・ロングビル! どこへ行っていたのです! 大事件ですぞ!」
わめくコルベールとは対照的に、落ち着き払った様子のミス・ロングビルは、オスマンに告げた。
「申し訳ありません。朝からの騒動がフーケの仕業と知り、急いで調査をしておりました」
「仕事が早いの。ミス・ロングビル」
「恐れ入ります。フーケと思われる者の噂を耳にしたので、報告に上がった次第です」
「な、なんですと!?」
コルベールが頓狂な声を上げた。
「誰に聞いたんじゃね。ミス・ロングビル」
「はい。近在の農民に聞き込んだところ、最近近くの森に黒ずくめのローブの男が出入りしているのを見かける事がある、という者がいました。
その森の小道の奥には古い木こり小屋がある、という事です。恐らく彼はその廃屋を塒にしているのではないかと」
「黒ずくめのローブ? それはフーケです! 間違いありません!」
ルイズが叫んだが、フロウウェンは怪訝そうな表情を浮かべた。
「そう言い切ってしまってもよいものか? ローブの色だけでは判断材料になるまい」
「しかし、他に手掛りがないことも事実じゃ。調査はする必要があろう。そこは近いのかね?」
「はい。徒歩で半日。馬で四時間ほどでしょうか」
「すぐに王宮へ連絡しましょう!」
コルベールの提案に、しかしオスマンは目を向いて怒鳴る。
「ばかもの! 王宮なんぞに知らせているあいだにフーケは逃げてしまうわ! それに、我らの問題を我ら自身の手で解決できぬようではとんだ恥晒しじゃろうが! 当然我らだけで解決する!」
オスマンは一呼吸置くと有志を募った。
「捜索隊を編成する。我こそは、と思う者は杖を掲げよ」
誰も杖を上げない。困ったように顔を見合わせるだけだった。
教師達のメイジとしてのクラスは高い方ではあるが、あくまでも彼らは教職であり、クラスの高さがそのまま実戦での強さ、とはならないのである。
ましてや相手は、魔法学院に単身で乗り込んでくるような相手だ。
作ったゴーレムのサイズから見積もって、少なくともトライアングル以上の実力を持つ事も疑いようが無い。
「おらんのか? おや? どうした! フーケを捕まえて名を上げようという貴族はおらんのか!」
その様子にオスマンは少なからず落胆した様子だった。
コルベールは悔しそうに俯いた。本来ならば杖を掲げるべき場面だ。自分にはそれだけの力がある。
だがもう、二度と『火』の力を破壊の為には使わないと、二十年前から決めていた。それは誓いと言っても良い。
―――自分のようなものがフーケのような実力者と戦えば、きっと殺し合いになる。
それがコルベールに、二の足を踏ませていた。
その時、一人の杖が上がる。
「ミス・ヴァリエール!?」
シュヴルーズが驚いて言った。
毅然とした表情のルイズが杖を掲げていたのだ。
コルベールは思わず声を上げた。
「馬鹿な! どうして君が! 君は生徒だろう!」
「誰も掲げないじゃないですか!」
「……っ」
そう言い放つルイズは、コルベールにとって眩しかった。真っ直ぐで嘘を知らない。貴族の誇りという言葉に疑いを持たず、また、そうあらんとしている。そんな太陽のような輝きを秘める少女だった。
「仕方ないわね」
キュルケが、ルイズに続いて杖を掲げた。
「ツェルプストー……君もか」
「ヴァリエールには負けられませんわ」
キュルケとルイズを見てタバサも杖を掲げる。それから、言った。
「二人が心配」
キュルケとルイズはタバサの言葉にいたく感動したらしかった。
知らず、それを見ていたフロウウェンの口元に笑みが浮かぶ。
フロウウェンも、コルベールと同じ思いで自分の主を見ていたのだ。
そう。大事な事は力があるかないかではない。動こうとする、その意思だ。
オレは、ラグオルでは誰も救うことのできなかった無力な男だ。だが今度こそは……手の届く範囲にいる人間ぐらいは守って見せる。オレがここにいる事に意味があるのだとしたら、それなのだろうから。
さて、それから十分後。
オスマンの裁定により四人は希望通りフーケ捜索隊となった。
それからミス・ロングビルが現地までの案内役を兼ねて馬車の御者を買って出て、一行は目的地に向けて出発した。
キュルケがフロウウェンにベタベタする度にルイズの眉毛がキリキリと吊り上がる。が、勝負に負けたルイズにできる事は歯軋りしながら睨むぐらいだった。
最も、フロウウェンとしてはあまりキュルケに立ち入る気が無い。
養子のアリシアと弟子のリコはあまり仲が良くなかった……というよりアリシアが一方的にリコを苦手としていたのだが、どうやら彼女は、自分がリコを指導するのを見て父親を奪われたように感じていたらしい。
自分に、女心はよく分からない。どうもオレは朴念仁のようだ、と今更になってフロウウェンは思う。
それを踏まえて……ルイズとキュルケは元々仲が悪いようだが、タバサとの仲はぎこちないものにならないよう、気を付ける必要があるだろう。
やがて、馬車は鬱蒼と茂る森の奥へと入っていった。
「ここから先は歩きで行きましょう」
ミス・ロングビルに促された一行は馬車を降りて森の小道を進む。フロウウェンが先頭に立ち、タバサが殿を買って出た。
暫く行くと開けた場所に出る。
真ん中に、廃屋がある。朽ち果てた窯らしき残骸と、物置小屋が隣に並ぶ。どうやら元々は木こり小屋だったらしい。
「わたくしの聞いた情報だと、あの小屋のようです」
「さて、どうするか、よね。まだフーケと決まったわけではないし」
「考えがある」
とタバサ。
一行は廃屋から目に付かないよう木陰に隠れながら、タバサの考えを伺う事にした。
タバサが地面に杖で絵を描きながら説明する。
偵察兼囮役が小屋の中の様子を伺う。
「この時、フーケがいたら腕でマル。フーケがいなかったらバツの合図を送る。フーケがいればカマをかけてこれを外に誘き出す」
「フーケならば外に出てくるわね。フーケの武器はゴーレム。土のない室内では力を発揮出来ないわ」
タバサは頷いた。
「出てきたところを集中砲火」
何もさせずに、一気呵成に仕留めて一丁上がり、というわけだ。
シュヴァリエとやらの称号を持つだけあって実戦慣れしているな、とフロウウェンは感じた。しかし、タバサの年齢を考えるなら、それは悲しい事だ。
昨日の、彼女の瞳の奥にあった物を前提に考えるなら、有能さを裏打ちする背景が、決して明るいものではないであろう事を物語っている。
フロウウェンはその思考を今は忘れる為に小さく頭を振ってから
「斥候役はオレがやろう」
と申し出た。異存が出ようはずもない。
「フーケがいなかった場合でも、こちらへは来るな」
「どうして?」
「小屋に入っていく所を確認されて、外からゴーレムで潰されて見ろ。反撃もままならずに全滅する」
そう告げると、一同が青い顔になる。
「この状況では、小屋の主がいない事の方が遥かに危険度が高いと思うこと。
オレがフーケでここに塒を作るならば、この開けた場所が監視できるような位置取りで、地下に隠れ家を作る。土メイジが『錬金』を駆使すれば容易い事だろう?」
「でも『ディテクト・マジック』が使えないあなたでは、魔法の罠を感知できない」
「……では、誰もいない場合はタバサだけこちらへ来てくれるか? あの狭い室内でキュルケの炎はまずい」
「わかった」
「もし、ゴーレムが出現したらすぐにルイズの爆発を使う事。爆音を聞いたら無条件で外に飛び出す」
タバサはこくりと頷いた。
「失敗魔法っていうのが不本意だけど……仕方ないわね」
詠唱が短くて済み、大きな音が出る……というのがこの状況では最適だったりする。
フーケに爆音で守勢に回らせる効果も期待出来るだろうか。
フロウウェンはデルフリンガーを抜き放ち、姿勢を屈めて一足飛びに小屋まで走る。
窓からそっと小屋の中を覗く。
どうやら一部屋しかないようだ。一見して、人の気配は無い。
埃の積もったテーブルと、その上に転がる酒瓶。倒れたままで放置された椅子。崩れた暖炉。積み上げられた薪と、木で出来た箱。
……それだけだった。人が隠れられるような場所はない。
(―――これが隠れ家だと?)
フロウウェンは表情を曇らせた。
ここ最近の間、人が使っていた形跡すらない。つまりここは隠れ家として使われてなどいない。
フロウウェンは隠れている仲間に向かって腕を交差させて合図を送った。
誰もいなかった場合のサインだ。
こちらへやってきたタバサが扉に向けて『ディテクトマジック』をかける。
「罠はない」
フロウウェンが扉を開け、室内に入っていく。タバサも続いた。
「―――わたくし、思ったのですが」
小屋の中に入っていく二人を見ながら、ミス・ロングビルが言った。
「私達がこうやって固まっている事も、まずいのではないでしょうか。巨大ゴーレムが相手なら、目標が分散していた方が良いかもしれません」
「それもそうね。茂みに隠れて散会しましょう」
タバサは真っ直ぐ部屋の中へ足を運んだが、フロウウェンは戸口にしゃがみこんでいた。
床には薄っすらとタバサのつけた足跡が残るだけ。そうタバサ一人分の足跡が残るだけだ。
森にもそれらしい足跡は見受けられなかった。
これはミス・ロングビルが外れの情報を掴まされたのかも知れないと、フロウウェンは思った。
だがタバサが木箱を覗いて、意外な事を口にした。
「『成虫』二匹に『幼虫』四匹。オールド・オスマンの言ってた数と同じ。見つけた」
そう言って無造作に『幼虫』の一匹を箱から摘み出した。
「あっけねーな」
と、デルフリンガー。
フロウウェンはその『幼虫』に、目を丸くした。
「これが『浮遊の蟲』だと?」
フロウウェンは木箱に近付いた。
なるほど。確かに『浮遊の蟲』だ。これが『幼虫』というなら『成虫』は何だというのだ。
箱を覗き込んで、眩暈を覚えた。
「……何故だ」
これがここにある事も理解出来ないが、フーケが、自分の使ってもいない小屋に魔法学院を襲撃してまで手に入れた物を無造作に放置していた事も理解出来ない。
森の小道を先頭に立って進んだ時に調べていたのだが、残されていた足跡は馬一頭のものだけだった。
通常、メイジは『フライ』か、タバサのようにシルフィードのような使い魔がいれば、それを移動手段に用いる。
恐らくフーケにはゴーレムでの派手な立ち回りをした事で、長距離を飛ぶ精神力が残されていなかったに違いない。ゴーレムを乗り捨てた後、用意していた馬でここまでやって来たのだろう。『浮遊の蟲』がここにある以上、それは疑いようが無い。
小屋の中に足跡が残されていない事は……戸口から『レビテーション』でも使って安置したのだとすれば説明が付く。
説明は付くが、何故そうしたのか? 足跡も残さないよう慎重に立ち回っているのか、何となく横着をしただけなのか。
違和感と矛盾が合った。フーケの実像を正しく結ばせない。
何故、足跡を残さないように立ち回る。何故、折角盗んだ宝を放置していくのか。
フーケの行動に齟齬を出さないようにする為には、フーケの意図を正しく読み解く必要があろう。
そこまで考えて、フロウウェンの脳裏に閃くものがあった。それは悪い予感だ。
宝を分かり易い場所に放置していく……?
待て。それは『アレ』がした事と同じではないか。美味しいエサをちらつかされて、我々はのこのことラグオルまで行ったのではないか。
フロウウェンの脳内で断片的に散らばっていたピースがあっという間に組み合わさっていく。
足跡を残さないのは、それを目にした者によって正体が割れる可能性があるからに他ならない。今この場で、か。或いは後になってこの話を不特定多数の者に語る事で、かは解らないが。
ただ、前者―――この場にいる者が、足跡で察する可能性があるというのを前提にするならば、犯人の目星がつく。緊急性と危険度の高い事柄である為に、フロウウェンは思いつきや妄想、疑心暗鬼の類と看過する事ができなかった。
足跡から判別できる事は多岐に渡る。
歩幅からその体格を。沈んだ深さでその者のおおよその体重を。大きさから性別、もしくは年齢の判別がつく。男であるか、女子供かの判別だ。それから残された跡自体でどんな靴を履いているか分かる。
こちらが持つ「フーケらしき者の情報」は黒のローブを纏ったメイジの男であるという事だけ。
その証言と矛盾する点がある。黒のローブを纏ったメイジという部分は矛盾しない。何故なら昨日この目で見ているから。
だから「彼女」は、誘き寄せる者の素性を予め予期していればこそ、足跡を残さなかった―――
フロウウェンは簡潔に、結論だけ言おうと口を開こうとした。
「タバサ。フーケは―――」
それと、失敗魔法の爆音が響くのが同時。
「!」
タバサは地面を蹴って飛ぶと同時に、フライで加速して、小屋から飛び出した!
「ちっ!」
フロウウェンは箱の中の『成虫』を掴んで、小屋の外に飛び出した。そして、見る。
土が盛り上がり、巨大なゴーレムがその威容を現す。
タバサが杖を振り、巨大な竜巻を作り出し、それをゴーレムに叩きつけていた。森の木陰から飛び出したキュルケが、続いてゴーレムを炎に包み込む。
いずれもトライアングル・スペルなのだが、痛覚が無く巨大な質量を誇るゴーレムには一向に効いた様子がなかった。
「無理よ、こんなの!」
「退却」
タバサは『フライ』で空に舞い、キュルケはまた森の木陰に逃げ込む。
フロウウェンは周囲に視線を巡らして、ルイズの姿を認める。今まさにグランツを仕掛けようとしている場面だった。
「じーさん、まずいぜ!」
「ルイズ!」
フロウウェンが叫ぶのと、ゴーレムの腰の辺りに光の矢が突き刺さり、弾けるのが同時。
「ヒース!」
こちらに気付いたらしい。そうこうしている間にも、グランツで抉れた部分が見る見るうちに盛り上がって再生していく。
「何をやっている! 逃げろ!」
ルイズのグランツでは、このゴーレムを戦闘不能に追い込むのは無理だ。フロウウェンはそう結論を出した。
しかしルイズは
「いやよ!」
と、なおも杖をゴーレムに向けた。
ゴーレムは逃げた二人より、ゴーレムに幾ばくかの損害を与えられるルイズを脅威と見て取ったようだ。ルイズの方に向き直る。
「わたし、もうゼロじゃない! こうしてグランツも覚えた! ここで逃げたら前と同じゼロだもの!」
「ルイズ……!」
説得は無理だ。フロウウェンは走りだしていた。
「わたしは貴族よ。魔法が使える者を貴族と呼ぶんじゃない! 敵に後ろを見せないものを貴族と呼ぶのよ!」
叫んで再度グランツを放つが、そっくり先程の焼き直しになるだけだ。ゴーレムがゆっくりと足を持ち上げる。あれで踏みつける気らしい。
ルイズの視界にゴーレムの足が広がる。それが少女を潰すより早く、フロウウェンが彼女を抱えて走り抜けた。
「馬鹿なことを!」
フロウウェンが怒鳴った。
「だ、だってわたし……!」
フロウウェンに抱きかかえられたルイズの瞳から、涙がぽろぽろと零れる。
「…………」
努力への正当な報酬という形で、グランツを覚えさせたつもりだった。
それが、ルイズの心を焦らせ、命を危険に晒してしまった。フロウウェンは強く唇を噛んだ。
ゴーレムから充分距離を取り、ルイズをそこに降ろす。
「ルイズ。これは貴族が命を賭ける場面ではあるまい? お前のような奴の命はな」
ゴーレムに向き直って、フロウウェンが言う。
大きな、背中だった。
「もっと、大きな舞台で輝かせる為のものだ」
その肩にふわりと、『成虫』二匹が付き従う。デルフリンガーを構える。
「だから……ここはオレが行く……!」
フロウウェンが颶風を纏い、ゴーレムに向かって猛然と突進した。
ルイズの身体が不意に、ふわりと浮いた。そのままこちらへ飛んできたタバサの風竜の背中に乗せられる。
「ヒースが!」
「わかってる」
タバサが頷く。風竜が力強く舞い上がった。
フロウウェンの身体ギリギリの所を巨大な拳が通り過ぎていく。一瞬遅れて風圧が顔に叩きつけられた。
その拳が、鋼鉄の塊に変化しているのを見て、彼は苦笑を浮かべた。
―――老いぼれ一人を相手に大層な歓迎ぶりだ。
そのまま走りぬけてゴーレムの背後を取ると、破壊力を鈍らせるテクニックであるジェルンと、耐久力を落とすテクニック、ザルアを続けざまにかける。赤と青の燐光が、ゴーレムの体から零れ出す。
ゴーレムは振り向きもしない。肩と腕の関節が逆方向を向いてそのまま攻撃を仕掛けてきた。では、背後を取る事に意味は無いという事だ。
これを可能性の一つとして予期していたフロウウェンは迷うことなく後ろに跳んだ。一瞬遅れて、拳が地面にめり込み、大きなクレーターを穿つ。
ジェルンがかかっていてもその質量は驚異的だ。当たればただでは済むまい。
ただ、動きは決して早くは無い。巨大な質量を持つが故に大きく避けなければならないが、フロウウェンは全力で動き回ろうと一向に疲れを感じなかった。
(やはり―――)
自分の抱く敵意や戦意。そういった意思に、この胸のルーンは反応し、周囲からフォトンを体内に取り込んでいる。
昨晩は思わぬところで強大な敵と対峙し、加減を間違えて過剰なフォトンを一気に取り込んでしまったが―――
大丈夫だ。これは制御できる。
ゴーレムの拳とすれ違いざま、鋼鉄に変化していない部分に斬り付ける。
ザルアで柔らかくなった土など、熱したナイフでバターを切り分けるようなものだ。
「こりゃおでれーた。やるなあ、じーさん」
デルフリンガーが言う。
横から腕で地面すれすれを凪ぐような攻撃。前方に身体ごと飛び込んで懐に潜り込む。
斬撃。デルフリンガーの半ばから先が見えない。
「じーさん!」
手の平を返して四、五、六回。ゴーレムがその足を持ち上げるまでの間に斬り刻んでいた。
「何だ!」
ゴーレムは掌を広げて振り上げ、そのまま平手で叩き潰す形の攻撃を仕掛けてくる。
後ろに大きく跳んで、頭上から降ってきた指の一本を切り飛ばし、その間の空間に入ってやり過ごす。
「奴さん斬る傍から再生してやがるぜ!」
デルフリンガーが呆れたように言う。
「知っている!」
蚊でも潰すかのような動作。左右から飛来する鋼鉄の壁。
「ジリ貧だぜ! 打つ手はなんかあるのか?」
インパクト寸前に大きく垂直に跳躍して掌に飛び乗ると、間髪を置かず再度跳躍する。落下の衝撃を加え、上腕部を切り裂く。
「ある!」
ボールでも蹴飛ばすように、巨大な右足が迫ってくる。
「じゃあ、とっととそれ、やっちまえよ!」
デルフリンガーを構える。
「その前に……お前に言っておく事がある!」
構えたまま大きく後ろに跳躍。
「なんだい、じーさん!」
デルフリンガーをゴーレムの足に突き立て、衝撃を殺すとともに蹴り足に乗って更に後方へ飛ぶ。
「6000歳のお前に、爺さんなどと言われるのは心外だ!」
二十メイルはあろうかという距離をジャンプして、中空で身体を一転させて着地。
「ちげーねーや!」
デルフリンガーが楽しそうに笑った。フロウウェンも肩を震わせて笑った。
「……笑ってるわ。とんでもないわね」
草陰に隠れるキュルケが呆れたように呟く。そして、見ていることしかできない自分に歯噛みした。
キュルケとタバサの魔法はゴーレムへのダメージにならないのだ。
せめてもと、もしフーケが油断して姿を見せたら即座に燃やしてやるつもりでいたが、出てくる気配は一向にない。
ルイズのグランツは、ある程度を抉り飛ばす事が出来るが、効果が限定的且つ、距離が遠くて使う事が出来ない。
昨晩ルイズがフロウウェンに質問した所、覚えたてのグランツは大体15メイルほどの射程距離だと言われていた。シルフィードの飛ぶ高度からでは遠すぎる。
さらに捕捉すると、シルフィードが少しでも近付くと無茶苦茶に腕を振り回すので、タバサも間合いに入れない。
それでもタバサはゴーレムの腕の間合いギリギリを堅持して飛ぶことを支持する。
ゴーレムの腕と、フーケの注意が此方に向けられれば、その分だけフロウウェンへの攻撃が散漫になるはずだ。
けど、駄目だ、とルイズは感じていた。
斬るだけではその部位の再生もその部分を繋ぐだけで済む。フーケが使う精神力も決して大きくは無いはずだ。
フロウウェンの動きに衰えは見えない。だけどただの一発が命取りになる。なってしまう。
フーケは一撃を当てるだけでいいのに、フロウウェンは何度切りつければゴーレムを倒せると言うのか……!
「ヒース……!」
ルイズは血が滲むほどに唇を噛んだ。そして深呼吸する。
旋回してシルフィードが一旦間合いを離したその瞬間。
「タバサ! わたしに『レビテーション』をお願い!」
言うなり、ルイズが宙へと身を躍らせる。
「ちょっと!? あの子!?」
それを遠くから目にしたキュルケが悲鳴を上げ、慌ててタバサが詠唱を始める。
万有引力に従って自由落下しながら、ルイズは精神を集中させた。途中でタバサの『レビテーション』がかかって落下速度が落ちる。
ふわり、と地面に降り立つと同時に、グランツをゴーレムの右足に解き放つ。
「っ!」
右足へのグランツの閃光を見た瞬間、フロウウェンが走った。左足へ向って。
グランツが炸裂するのと、フロウウェンが一太刀叩き込むのがほぼ同時。
グランツで吹き飛ばされた右足を再生しようと土が盛り上がるが、フロウウェンの次の行動の方が、早く完了した。
ぐりんっ、と打ち込んだデルフリンガーを捻り、『く』の字を描くように左足を大きく切り飛ばした。
二点を同時再生する事はできないのか。はたまた操るフーケの状況判断が追いつかなかったのか。
いずれにせよ再生が追いつく前に両足は破壊され、巨大な質量を支えきれ無くなったゴーレムの上体が後ろに大きく揺らぐ。
それを確認する事もせず、フロウウェンはゴーレム右後方に降り立ったルイズの元へと走り出していた。
ルイズが駆け抜けたフロウウェンに掻っ攫われ、次の刹那、そこにゴーレムの上体が落ちてくる。
「やったわ!」
使い魔の腕にしがみ付いたルイズが歓喜の声を上げるも、フロウウェンは冷静な声で
「まだだ」
と、告げた。
そう。まだ終わってはいない。支えを失ったが、ゴレームは健在だった。すぐにでも両足を再生させて向ってくるだろう。
「ほんとにしぶてーな。相棒。どうするんだい?」
「いや、これでどうにか間に合ったようだ。だいぶ狙いも付けやすくなった」
ルイズを地面に降ろす。
それから、ぐっと体を屈めた。
「伏せていろ、ルイズ」
瞬間、フロウウェンの足下に光で作られた円形の魔方陣が広がる。
「え……え!?」
フロウウェンが大きく身体を伸ばし天に手を掲げる。頭上の空間にもう一つ、鏡映しのように魔法陣が出現する。
その頭上の魔法陣の、更に上に―――異形が出現した。
#navi(IDOLA have the immortal servant)
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: