「ゼロと竜騎士-1」(2007/07/23 (月) 03:09:58) の最新版変更点
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(なんだか最近のカーナは、空気が良くない……)
カーナ戦竜隊の隊長にしてオレルスの竜騎士、ビュウはそんなことを思いながらドラゴンたちの餌になる草を探しながら、城の近くの森を歩いていた。
オレルス救世軍として仲間たちを率い、アルタイルに潜むアレキサンダーを倒したあの戦いから早一年が経つ 。
ラッシュにトゥルース、ビッケバッケたちは、今は戦場を駆ける商人の後継者として各地を転々とし、あの頃 共に戦った他の仲間たちも今はそれぞれの故郷でそれぞれに頑張っている。
皆とは今でも手紙のやりとりがあってお互いの壮健を伝え合ってはいるが、ビュウはそうした仲間たちに、今 のカーナの微妙な空気を伝えることが出来なくて、鬱々としたものを胸に溜め込んでしまっていた。
今のカーナの微妙な空気というのは、その元を辿れば再建中のグランベロス帝国で起きたサスァ・パルパレオ ス将軍の暗殺事件に端を発する。
パルパレオス将軍はかつてグランベロス帝国がサウザー皇帝の治世にあった当時、カーナ侵攻の先鋒を務めた 人物であり、そして現在のカーナ女王であるヨヨの恋人でもあった人物だ。
ビュウはヨヨとパルパレオスがどういった経緯で恋仲になったのか、それをよく知っている。
なにせカーナがグランベロスによって攻められ、ヨヨが敵方に攫われたあの頃、ヨヨの恋人という立場にあったのは他ならぬビュウ自身であったからだ。
それなのにヨヨは攫われた先で彼女を攫った当の本人であるパルパレオスと恋に落ち、言い方は悪いがビュウを捨てた。
そしてヨヨは自身の不誠実に対する罪悪感から、どういった経緯でパルパレオスと関係を結ぶに至ったのかをビュウに語って聞かせたのである。
(あんまり、思い出したくはない思い出だよな)
嘆息して、目に付いた場所にあった薬草を摘んだ。
パルパレオスが暗殺されたのは、オレルスが解放されて程なくしてからのことである。
その凶報は迅速をもってカーナに伝えられ、パレスナイトであるマテライト、ウォーロックのゼンダックといったカーナ王国重鎮たちの表情を重くさせ、そして誰よりも、女王であり彼の恋人であったヨヨの心を重く貫いた。
ヨヨがその悲しみをどのようにして乗り越えたのか――、ビュウはそれを知らない。
けれどもヨヨはその報せを受けた後も、精力的にカーナ復興の為の事業を進めていたし、常と変わらぬ笑顔で皆を労っていたように思える。
でもきっと、その悲しみを乗り越えてなんていなかったのだろう。
ふとしたときに見せる翳りを帯びた表情、深いため息、パルパレオスの死から時が過ぎるほどに、そういった悲愴の断片が顔を覗かせるようになった。
その痛ましさが臣下の者たちの気を重くさせるのだが、その一方で――、ビュウがヨヨの前に姿を見せたときの、あの媚びるような表情!
かつての恋人を裏切ってまで愛を誓った新しい恋人が不予の死を遂げ、けれど優しかった昔の恋人は今でもそこにいてくれるという、その事実に縋るようなあの目!
ヨヨ様の気持ちも分からないではないのよ――とゼンダックは言ったものだ。
だからといって、気持ちが分かるからといって、あんなヨヨ様の態度は見ていて好ましいものじゃない――そうハッキリとゼンダックが口にしたわけではないが、
そんな気持ちが乙女のように繊細な心をもつ初老紳士の表情から見え隠れしていたことを思い、ビュウの気持ちもやはり重くなる。
それはカーナ王国においてヨヨ女王陛下第一の腹心を自認するマテライトも似たようなものなようで、もちろん面と向かって口にはしないが、
その代わりに、ビュウにあまりカーナ城には近づくなと言わんばかりに、オレルス全土を広く巡回するパトロールのような仕事を積極的に振り分けてきた。
そんな上層部の空気が城全体に薄く靄が掛かるように広がって、今のカーナの雰囲気はビュウにとっては居心地が悪くてならない。
だからビュウはオレルス全土を巡るパトロールから一月ぶりに帰城して、マテライトに報告書だけ提出するなりヨヨに顔を見せることもせずに城の外へと出てしまっていた。
ドラゴンの餌を集めるだなんて、そんなものは後から取ってつけたような理由だ。
森の中を歩き回り、目に付いた餌や薬草を無心に採集する。
ルーチンワークにも似た作業をこなしていれば無心でいられるのだ、あまり気鬱になるようなことを考えずに済むというのは、それだけで心に掛かる負担が減る。
(そういえば昔、フレデリカが薬鉢で薬草をすり潰す作業が楽しいって言ってたけど、それも似たような気持ちだったんだろうか)
ふとそんなことを思いながらまた薬草を見つけては摘み取り、折角だから後でフレデリカの薬局にも顔を出してみようか、なんてことも考える。
あの戦いの後、仲間の皆がそれぞれの道でそれぞれに頑張っているという報せを聞くのは嬉しかった。
中でもとりわけあの病弱なフレデリカが遂に薬局を開いたと聞いたときは嬉しかった。
病弱だった彼女だから、だからこそ人一倍頑張っているのだなと感じられたから。
今日採集した薬草を差し入れとして届けてあげるのもいいかもしれない。
病弱な彼女は調薬に必要な薬草の採集も満足に出来なくて、わざわざお金を出して業者から仕入れているとも聞いた。
今まで摘み取った薬草やら何やらを放り込んだ籠を見ながら、もっともたったこれだけの量で何の助けになるとも思わないけれど――なんて苦笑しながら顔を上げる。
そしてビュウが顔を上げたとき、彼の目の前には奇妙に光る鏡のような何かが浮かんでおり、なんだこれはと手を伸ばしたビュウの意識は、そこで途切れる。
そしてビュウが目を覚ましたとき、まず最初に見たものは視界いっぱいに迫りくる少女の顔だった。
長い睫毛で縁取られた瞳をきつく閉じ、薄紅色の唇を軽く尖らせるようにしたその表情は不機嫌さを如実に表して見える。
見える、が――ビュウは自身の決して多くはない経験から自分が何をされようとしているのか看破し、飛び跳ねるように身を起こした。
「いったぁっ!?」
無論のこと、いきなりそんなことをすればビュウは少女に強烈な頭突きを食らわすことになる。
ビュウ自身も目の前がチカチカするような痛撃を感じるが、少女の方はといえばそれ以上であるようだった。
頭突きを食らって仰け反るだけでは飽き足らず、そのままひっくり返って硬い地面に後頭部を強かに打ちつけたようだ。
「あ、うわ、すいません、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄り抱き起こすビュウだが、少女は完全に目を回しているようでぴくりとする気配もない。
第三者の声がビュウの耳に入ったのはそんなときだ。
「あはははは! なにやってんだよゼロのルイズー!」
「平民を召喚したと思ったらあれだもの、かっこ悪ぅ~い!」
「まったくさ! ゼロのルイズはいつもいつも本当に笑わせてくれるよな!」
明らかに、というよりも嘲笑以外の何物でもない笑い声が響く。
驚いてビュウが見回せば、そこは先ほどまでいたはずのカーナ王城近くの森の中ではなく、広く見通しのいい草原だった。
そしてビュウとその腕の中で目を回している少女を取り囲むように、十代半ばから後半くらいの少年少女たちが佇んでいる。
見上げれば青い空が広がっていた。
草原の真ん中であるらしいことを思えばそれは変ではないが、奇妙に違和感を抱かせるものがある。
(雲が、高すぎる……?)
風に乗って空高くを行く浮島であるラグーンでは、雲とはそれこそ手の届く場所にある物であった。
もちろん近すぎる雲というのは濃すぎる霧のようなもので、その存在をしかと感じられるものではない。
だがそれにしたって、見上げる位置にある一番近い雲でさえ、ドラゴンに乗らなければ到底届くものではないように感じられた。
(これは、どういう状況なんだ……)
ビュウが言葉もなく空を見上げていると、
「君、すまないが彼女を放してもらえないだろうか?」
声が掛かる。
視線を移せば、ビュウと少女を囲む人垣の中から、禿頭の男性が進み出てくるところだった。
少年少女たちの中にあって一人だけ大人の男が混じっている様子からすれば、彼がここにいる者たちの指導的立場にいる人間だとわかる。
ビュウは黙って頷き、抱きかかえていた少女をその男性に渡した。
「ふむ……これは完全に意識を失っているなぁ。この様子では続くコントラクトサーバントの儀式を行うのは不可能か」
「すみません、いきなりだったもので驚いてしまって」
「ああ、いや、君が気にすることではないとも。確かに意識を失っている相手に事情説明もなしにするものではなかったかもしれないしね。しかし参ったな」
そう言ってポリポリと禿げ上がった頭を掻く男性。
意識を失っている人間に事情説明もなしにすることではない、というのはどういうことだろうか?
少女が自分に口付けでもするような様子だったことから、もしかしたら人工呼吸でもするつもりだったんじゃないか、と。
だとしたら申し訳ないことをした、とビュウは思っていたのだが、男性の口ぶりからするとどうもそういうことではないように感じられる。
「こうなると授業の続行は不可能か。仕方ないな。おーい、生徒の諸君は一足先に学院へ帰っていなさい」
「コルベール先生、ルイズとその平民はどうするんですか?」
「意識を失っている女性を見知らぬ青年に預けるわけにもいくまい。彼らは私が連れて行こう。だから君たちは……」
戻っていたまえ。
コルベール、と呼ばれたその男性の言葉に従って、どうやら彼の生徒であるらしい少年少女たちはそれぞれに浮かび上がり、空を飛んで少し離れた場所にある建物へと帰っていった。
人が竜に乗るわけでもなく浮かび上がり、空を飛ぶのを目撃して目を丸くしているビュウに、しかしコルベールは頓着した様子もなく声を掛ける。
「それじゃあ君、すまないがその少女を背負って私についてきてくれないか?」
ビュウはそんなコルベール、そして彼の腕の中でぐったりとしている少女を見比べ、「それは構いませんが」と答えて、
「でも、正直これがいったいどういう状況なのかさっぱり分からないんです。僕はついさっきまでカーナ城の近くの森で薬草摘みをしていたはずなんだ。なのに気づいてみればこんなだだっ広い草原の真ん中にいる」
「カーナ城? ――ふむ、まあその辺の事情の説明も、君が望むならしよう。しかしその前にまず、そこのミスヴァリエールを校医に見せなくてはならない。頭を打って気を失っているなら尚更だ」
「後でお話を聞かせてもらえるなら」
ビュウは答え、少女を横抱きに抱き上げる。
その身体の細さと軽さに少し驚いた。
そしてコルベールに続いて歩き出そうとしたところで、空から舞い降りてきたその“生き物”の姿に目を奪われる。
コルベールがその生き物の背にまたがる少女に向かって声を上げた。
「ミスタバサ! どうした、学院に戻りなさいと言っただろう」
タバサ、そう呼ばれた青い髪の少女は自分のまたがる生き物の首を優しく撫でながら答える。
「この子が――」
そして視線をビュウに移し、まっすぐ彼を指差して言葉を続けた。
「その人を乗せてあげてって」
そのタバサの言葉に答えるように、タバサがまたがるその生き物、蒼青の鱗をもつ風竜が甲高い鳴き声を上げた。
ビュウに甘えるように首を伸ばし、彼の首元にその頬を摺り寄せる。
それに応えてビュウが竜の喉の辺りを擽ってやれば、竜は気持ちよさそうに瞳を閉じる。
呼び出したばかりの自分の使い魔が、自分を差し置いて他人の使い魔に懐いているようなその姿に、タバサは少しだけ眉根を寄せた。
「君、驚いたなぁ! 誇り高く気高き幻獣である竜が、初見の人間にこのように懐くなんて!」
ビュウは少し困ったような笑みを浮かべながら、
「職業柄かもしれませんね。昔からドラゴンには好かれます」
「職業柄? ああ、そういえばまだ君が何者で、どこから来たかも聞いていなかったな。ふむ、順番がごちゃごちゃになってすまないが、よければ答えて欲しい」
未だ興味深そうにこちらを見ているコルベールへ視線を向けるでもなく、タバサの使い魔である風竜をあやしながらビュウは答えた。
「僕はビュウと言います。カーナ王国騎士団で戦竜隊の隊長をしています」
カーナ王国騎士団。
戦竜隊隊長。
そのどちらも聞き覚えのない単語だったが、コルベールは盛大に顔をしかめた。
名もない平民であればよかったのだ。
だがどこの国かは知らないが、どこかの国の軍隊に所属し、なおかつそこで一定の地位を得ているような人間を使い魔になんてしようものなら、ともすれば外交問題になってしまうかもしれない。
(オールド・オスマンに報告しなくてはなるまいな……そして、嗚呼、可愛そうにラ・ヴァリエール嬢)
使い魔の召喚には成功しました。
しかし使い魔との契約は出来ませんでした。
これでは進級のための単位を彼女に与えることはとても出来ない。
コルベールの頭の中では、ヴァリエール嬢ことルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの留年は半ば確定していた。
(なんだか最近のカーナは、空気が良くない……)
カーナ戦竜隊の隊長にしてオレルスの竜騎士、ビュウはそんなことを思いながらドラゴンたちの餌になる草を探しながら、城の近くの森を歩いていた。
オレルス救世軍として仲間たちを率い、アルタイルに潜むアレキサンダーを倒したあの戦いから早一年が経つ 。
ラッシュにトゥルース、ビッケバッケたちは、今は戦場を駆ける商人の後継者として各地を転々とし、あの頃 共に戦った他の仲間たちも今はそれぞれの故郷でそれぞれに頑張っている。
皆とは今でも手紙のやりとりがあってお互いの壮健を伝え合ってはいるが、ビュウはそうした仲間たちに、今 のカーナの微妙な空気を伝えることが出来なくて、鬱々としたものを胸に溜め込んでしまっていた。
今のカーナの微妙な空気というのは、その元を辿れば再建中のグランベロス帝国で起きたサスァ・パルパレオ ス将軍の暗殺事件に端を発する。
パルパレオス将軍はかつてグランベロス帝国がサウザー皇帝の治世にあった当時、カーナ侵攻の先鋒を務めた 人物であり、そして現在のカーナ女王であるヨヨの恋人でもあった人物だ。
ビュウはヨヨとパルパレオスがどういった経緯で恋仲になったのか、それをよく知っている。
なにせカーナがグランベロスによって攻められ、ヨヨが敵方に攫われたあの頃、ヨヨの恋人という立場にあったのは他ならぬビュウ自身であったからだ。
それなのにヨヨは攫われた先で彼女を攫った当の本人であるパルパレオスと恋に落ち、言い方は悪いがビュウを捨てた。
そしてヨヨは自身の不誠実に対する罪悪感から、どういった経緯でパルパレオスと関係を結ぶに至ったのかをビュウに語って聞かせたのである。
(あんまり、思い出したくはない思い出だよな)
嘆息して、目に付いた場所にあった薬草を摘んだ。
パルパレオスが暗殺されたのは、オレルスが解放されて程なくしてからのことである。
その凶報は迅速をもってカーナに伝えられ、パレスナイトであるマテライト、ウォーロックのゼンダックといったカーナ王国重鎮たちの表情を重くさせ、そして誰よりも、女王であり彼の恋人であったヨヨの心を重く貫いた。
ヨヨがその悲しみをどのようにして乗り越えたのか――、ビュウはそれを知らない。
けれどもヨヨはその報せを受けた後も、精力的にカーナ復興の為の事業を進めていたし、常と変わらぬ笑顔で皆を労っていたように思える。
でもきっと、その悲しみを乗り越えてなんていなかったのだろう。
ふとしたときに見せる翳りを帯びた表情、深いため息、パルパレオスの死から時が過ぎるほどに、そういった悲愴の断片が顔を覗かせるようになった。
その痛ましさが臣下の者たちの気を重くさせるのだが、その一方で――、ビュウがヨヨの前に姿を見せたときの、あの媚びるような表情!
かつての恋人を裏切ってまで愛を誓った新しい恋人が不予の死を遂げ、けれど優しかった昔の恋人は今でもそこにいてくれるという、その事実に縋るようなあの目!
ヨヨ様の気持ちも分からないではないのよ――とゼンダックは言ったものだ。
だからといって、気持ちが分かるからといって、あんなヨヨ様の態度は見ていて好ましいものじゃない――そうハッキリとゼンダックが口にしたわけではないが、
そんな気持ちが乙女のように繊細な心をもつ初老紳士の表情から見え隠れしていたことを思い、ビュウの気持ちもやはり重くなる。
それはカーナ王国においてヨヨ女王陛下第一の腹心を自認するマテライトも似たようなものなようで、もちろん面と向かって口にはしないが、
その代わりに、ビュウにあまりカーナ城には近づくなと言わんばかりに、オレルス全土を広く巡回するパトロールのような仕事を積極的に振り分けてきた。
そんな上層部の空気が城全体に薄く靄が掛かるように広がって、今のカーナの雰囲気はビュウにとっては居心地が悪くてならない。
だからビュウはオレルス全土を巡るパトロールから一月ぶりに帰城して、マテライトに報告書だけ提出するなりヨヨに顔を見せることもせずに城の外へと出てしまっていた。
ドラゴンの餌を集めるだなんて、そんなものは後から取ってつけたような理由だ。
森の中を歩き回り、目に付いた餌や薬草を無心に採集する。
ルーチンワークにも似た作業をこなしていれば無心でいられるのだ、あまり気鬱になるようなことを考えずに済むというのは、それだけで心に掛かる負担が減る。
(そういえば昔、フレデリカが薬鉢で薬草をすり潰す作業が楽しいって言ってたけど、それも似たような気持ちだったんだろうか)
ふとそんなことを思いながらまた薬草を見つけては摘み取り、折角だから後でフレデリカの薬局にも顔を出してみようか、なんてことも考える。
あの戦いの後、仲間の皆がそれぞれの道でそれぞれに頑張っているという報せを聞くのは嬉しかった。
中でもとりわけあの病弱なフレデリカが遂に薬局を開いたと聞いたときは嬉しかった。
病弱だった彼女だから、だからこそ人一倍頑張っているのだなと感じられたから。
今日採集した薬草を差し入れとして届けてあげるのもいいかもしれない。
病弱な彼女は調薬に必要な薬草の採集も満足に出来なくて、わざわざお金を出して業者から仕入れているとも聞いた。
今まで摘み取った薬草やら何やらを放り込んだ籠を見ながら、もっともたったこれだけの量で何の助けになるとも思わないけれど――なんて苦笑しながら顔を上げる。
そしてビュウが顔を上げたとき、彼の目の前には奇妙に光る鏡のような何かが浮かんでおり、なんだこれはと手を伸ばしたビュウの意識は、そこで途切れる。
そしてビュウが目を覚ましたとき、まず最初に見たものは視界いっぱいに迫りくる少女の顔だった。
長い睫毛で縁取られた瞳をきつく閉じ、薄紅色の唇を軽く尖らせるようにしたその表情は不機嫌さを如実に表して見える。
見える、が――ビュウは自身の決して多くはない経験から自分が何をされようとしているのか看破し、飛び跳ねるように身を起こした。
「いったぁっ!?」
無論のこと、いきなりそんなことをすればビュウは少女に強烈な頭突きを食らわすことになる。
ビュウ自身も目の前がチカチカするような痛撃を感じるが、少女の方はといえばそれ以上であるようだった。
頭突きを食らって仰け反るだけでは飽き足らず、そのままひっくり返って硬い地面に後頭部を強かに打ちつけたようだ。
「あ、うわ、すいません、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄り抱き起こすビュウだが、少女は完全に目を回しているようでぴくりとする気配もない。
第三者の声がビュウの耳に入ったのはそんなときだ。
「あはははは! なにやってんだよゼロのルイズー!」
「平民を召喚したと思ったらあれだもの、かっこ悪ぅ~い!」
「まったくさ! ゼロのルイズはいつもいつも本当に笑わせてくれるよな!」
明らかに、というよりも嘲笑以外の何物でもない笑い声が響く。
驚いてビュウが見回せば、そこは先ほどまでいたはずのカーナ王城近くの森の中ではなく、広く見通しのいい草原だった。
そしてビュウとその腕の中で目を回している少女を取り囲むように、十代半ばから後半くらいの少年少女たちが佇んでいる。
見上げれば青い空が広がっていた。
草原の真ん中であるらしいことを思えばそれは変ではないが、奇妙に違和感を抱かせるものがある。
(雲が、高すぎる……?)
風に乗って空高くを行く浮島であるラグーンでは、雲とはそれこそ手の届く場所にある物であった。
もちろん近すぎる雲というのは濃すぎる霧のようなもので、その存在をしかと感じられるものではない。
だがそれにしたって、見上げる位置にある一番近い雲でさえ、ドラゴンに乗らなければ到底届くものではないように感じられた。
(これは、どういう状況なんだ……)
ビュウが言葉もなく空を見上げていると、
「君、すまないが彼女を放してもらえないだろうか?」
声が掛かる。
視線を移せば、ビュウと少女を囲む人垣の中から、禿頭の男性が進み出てくるところだった。
少年少女たちの中にあって一人だけ大人の男が混じっている様子からすれば、彼がここにいる者たちの指導的立場にいる人間だとわかる。
ビュウは黙って頷き、抱きかかえていた少女をその男性に渡した。
「ふむ……これは完全に意識を失っているなぁ。この様子では続くコントラクトサーヴァントの儀式を行うのは不可能か」
「すみません、いきなりだったもので驚いてしまって」
「ああ、いや、君が気にすることではないとも。確かに意識を失っている相手に事情説明もなしにするものではなかったかもしれないしね。しかし参ったな」
そう言ってポリポリと禿げ上がった頭を掻く男性。
意識を失っている人間に事情説明もなしにすることではない、というのはどういうことだろうか?
少女が自分に口付けでもするような様子だったことから、もしかしたら人工呼吸でもするつもりだったんじゃないか、と。
だとしたら申し訳ないことをした、とビュウは思っていたのだが、男性の口ぶりからするとどうもそういうことではないように感じられる。
「こうなると授業の続行は不可能か。仕方ないな。おーい、生徒の諸君は一足先に学院へ帰っていなさい」
「コルベール先生、ルイズとその平民はどうするんですか?」
「意識を失っている女性を見知らぬ青年に預けるわけにもいくまい。彼らは私が連れて行こう。だから君たちは……」
戻っていたまえ。
コルベール、と呼ばれたその男性の言葉に従って、どうやら彼の生徒であるらしい少年少女たちはそれぞれに浮かび上がり、空を飛んで少し離れた場所にある建物へと帰っていった。
人が竜に乗るわけでもなく浮かび上がり、空を飛ぶのを目撃して目を丸くしているビュウに、しかしコルベールは頓着した様子もなく声を掛ける。
「それじゃあ君、すまないがその少女を背負って私についてきてくれないか?」
ビュウはそんなコルベール、そして彼の腕の中でぐったりとしている少女を見比べ、「それは構いませんが」と答えて、
「でも、正直これがいったいどういう状況なのかさっぱり分からないんです。僕はついさっきまでカーナ城の近くの森で薬草摘みをしていたはずなんだ。なのに気づいてみればこんなだだっ広い草原の真ん中にいる」
「カーナ城? ――ふむ、まあその辺の事情の説明も、君が望むならしよう。しかしその前にまず、そこのミスヴァリエールを校医に見せなくてはならない。頭を打って気を失っているなら尚更だ」
「後でお話を聞かせてもらえるなら」
ビュウは答え、少女を横抱きに抱き上げる。
その身体の細さと軽さに少し驚いた。
そしてコルベールに続いて歩き出そうとしたところで、空から舞い降りてきたその“生き物”の姿に目を奪われる。
コルベールがその生き物の背にまたがる少女に向かって声を上げた。
「ミスタバサ! どうした、学院に戻りなさいと言っただろう」
タバサ、そう呼ばれた青い髪の少女は自分のまたがる生き物の首を優しく撫でながら答える。
「この子が――」
そして視線をビュウに移し、まっすぐ彼を指差して言葉を続けた。
「その人を乗せてあげてって」
そのタバサの言葉に答えるように、タバサがまたがるその生き物、蒼青の鱗をもつ風竜が甲高い鳴き声を上げた。
ビュウに甘えるように首を伸ばし、彼の首元にその頬を摺り寄せる。
それに応えてビュウが竜の喉の辺りを擽ってやれば、竜は気持ちよさそうに瞳を閉じる。
呼び出したばかりの自分の使い魔が、自分を差し置いて他人の使い魔に懐いているようなその姿に、タバサは少しだけ眉根を寄せた。
「君、驚いたなぁ! 誇り高く気高き幻獣である竜が、初見の人間にこのように懐くなんて!」
ビュウは少し困ったような笑みを浮かべながら、
「職業柄かもしれませんね。昔からドラゴンには好かれます」
「職業柄? ああ、そういえばまだ君が何者で、どこから来たかも聞いていなかったな。ふむ、順番がごちゃごちゃになってすまないが、よければ答えて欲しい」
未だ興味深そうにこちらを見ているコルベールへ視線を向けるでもなく、タバサの使い魔である風竜をあやしながらビュウは答えた。
「僕はビュウと言います。カーナ王国騎士団で戦竜隊の隊長をしています」
カーナ王国騎士団。
戦竜隊隊長。
そのどちらも聞き覚えのない単語だったが、コルベールは盛大に顔をしかめた。
名もない平民であればよかったのだ。
だがどこの国かは知らないが、どこかの国の軍隊に所属し、なおかつそこで一定の地位を得ているような人間を使い魔になんてしようものなら、ともすれば外交問題になってしまうかもしれない。
(オールド・オスマンに報告しなくてはなるまいな……そして、嗚呼、可愛そうにラ・ヴァリエール嬢)
使い魔の召喚には成功しました。
しかし使い魔との契約は出来ませんでした。
これでは進級のための単位を彼女に与えることはとても出来ない。
コルベールの頭の中では、ヴァリエール嬢ことルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの留年は半ば確定していた。
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