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「ゼロのミーディアム-01-25」(2008/12/24 (水) 19:13:03) の最新版変更点
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#navi(ゼロのミーディアム)
ニッコリと笑いかけて告げられた水銀燈のあまりに痛烈な言葉に、開いた口がふさがらないルイズとアンリエッタ。
驚愕の表情を向けられたお人形は、切れ長の紅眼を細め、口元を吊り上げた。
淡いぼんやりとしたランプの光に照らされた、眩しい天使の微笑みに影が差す。
そしてそれは人心を拐かすような、妖艶な悪魔の微笑みに変貌した。
「私、いい加減貴女の身勝手さにうんざりしてきた所なの。勝手にそんな重大任務を安請け合いしちゃうなんて…。正直付き合いきれないわ」
彼女はほとほと愛想がつきました。と、言わんばかりに肩を竦める。
魔法で出来た氷の槍のように冷たく、刺すような使い魔の言葉に、ルイズはキッと鳶色の瞳に怒りの炎を灯す。
それでも姫さまの前だからみっともない真似は見せられないと、感情を抑えた声で水銀燈に言った。
「水銀燈、もう一度言うわ……。私と一緒に姫さまの任務を受けるの」
「答えはノーよ」
(イエスって言いなさい……!!)
(絶対にノゥ!!!)
語気を強めて出る言葉。
水銀燈は頬に手を当てると、もう片方の手で黒い羽をヒラヒラさせ、小馬鹿にするように続けた。
「貴女に対する言葉は全部否定で返させてもらうわ。今の私は『ノー』としか言わない女よ!」
「だったらあんたの心変わりを誘発してあげるわよ!」
ルイズは、ごそごそ椅子を引いてその上に立つと、フッと不敵に笑い水銀燈を上から腕組みして見下ろす。
我に策有りと言った会心の笑みだ。
少々行儀が悪いが、あくまで自分が上の立場と言う事を知らしめるつもりなのだろう。
「あんたの生活を面倒みてるやってるのは誰かしら?ご飯食べさせてあげてるのは誰だったかしら?誰?誰?誰!!
私よね、ご主人様の私よね!!」
ルイズは大袈裟に両手を広げ声高らかに告げる。
「あんただって、私に追い出されたくは無いでしょ?
それとも、私以外に誰か頼れる人がいるって言うの?私に頼らずにこの世界で生きて行けると思ってるの!!」
「イエス」
ルイズはガタン!と大きな音を立ててイスからずり落ちた。
(ノーとしか言わないはず……!?)
あっさりと答えた水銀燈の言葉に、勝利を確信したルイズの表情が脆くも崩れさる。
本気で追い出さそうとは思っている訳では無い。だが、脅し文句としては効果的なはず!と選んだ言葉だった。
予想だにしなかった結果に再びルイズは驚きに表情を固める。
水銀燈はククク…と口の中で笑い声を含ませ、固まったルイズに追い討ちをかけた。
「お馬鹿さんねぇ…。来たばっかりのころの話なら未だしも、今の私には強~い味方がたぁくさんいるのよぉ」
彼女の、それまで真面目な韻を含ませていた口調が、日頃の嘲るような猫なで声に戻る。
「シエスタに言えば親身になって私の事を案じてくれるでしょうねぇ。キュルケだってああ見えて話の分かる子だし。
ああ、学院長さんやコルベール先生は全面的に私に協力してくれるって言ってたわぁ。
最後の手段に、タバサにモフモフちらつかせば大喜びで私を向かえてくれるでしょうしねぇ!!」
ルイズはそれを聞くと、とたんに気分を沈めて押し黙ってしまった。
「むしろそれって追い出すんじゃなくて、使い魔に逃げられるって言うんじゃなぁい?
メイジとしてどうなのかしらそれぇ。あははははは!」
水銀燈はルイズの様子に気付く事なく散々言いたい放題宣う。
俯いて表情の読み取れぬルイズを案じ、アンリエッタは彼女の震える肩に手をかけた。
「ルイズ・フランソワーズ…?大丈夫?具合が悪いの?」
そして王女はルイズの顔を覗き込む。ルイズは歯を食いしばり、瞳の縁に涙をためた、怒りと悲しみの入り交じったような眼差しを床に送っていた。
「フーケの時だってそうよ。まったく…私やキュルケ、タバサがいなかったらどうなってた事だか。貴女一人じゃなぁんにも出来ない癖に……」
――今度は水銀燈が最悪の失言を漏らしてしまった。
今までの心無い言葉もルイズの心を傷つけるに十分な物だったが、
水銀燈の何気無く放ったこの一言こそがルイズの胸に、鋭く研がれたナイフの如く突き刺さった。
「私についてきて欲しいなら、今までの仕打ちを謝りなさいよ。そうしたら行ってあげなくもないわよ」
好き勝手言ったためか、鬱憤は大分発散されたらしい。
よくもまあ、ぬけぬけしゃあしゃあと言える物だ。
水銀燈は、何も言えないルイズに気を良くしたのか、得意気に言った。
なんとも単純な性格なお人形だが、ルイズの方はそうもいかない。
使い魔から受けたミーディアムの屈辱は計り知れないのだ。
「……あんたも、やっぱりそうなのね」
ようやく開かれたルイズの口から重々しく言葉が紡がれる。それは深い落胆を込められた暗い声色だった
「そうやって他の人間と比べて。私のことを他のメイジに劣る可哀想そうなメイジだって…、ずっと思ってたんでしょ……!」
「はぁ?」
ルイズは俯いたままこぶしを握りしめ、震える声で言った。
それに間の抜けた返事をする水銀燈。どうやら彼女、おめでたい事に、その口が招いた事の重大さに気づいていないようだ。
「あんたがいなきゃ、私は何も出来ない…。そうやって見下して、哀れみの目で私の事を見てたのね……!!」
俯いたルイズの顔からポタポタと水滴が滴り、床に染み込んで木目を濡らす。
流石にここまで来れば使い魔もミーディアムの異変に気付かぬはずがない。
「…ルイズ?な、なんなのよ突然」
「すぐには帰らないって言っといて、そばに居てあげるって安心させて!
裏では笑っていただけなんでしょう!私を魔法の使えない『ゼロ』だって!!」
「なっ!?貴女何言い出すの!?私は何も…!」
思いもよらぬルイズの激情と、矢継ぎ早に放たれる怒りの言葉に水銀燈は狼狽を隠せない。
いくらなんでもそこまでは…と、弁解をしようしたその矢先……
「うるさい!!!」
悲痛に染まった怒りを込めてルイズは叫んだ。水銀燈は勿論、端から見ていたアンリエッタすらも、思わずビクリと肩を震わし気圧される。
使い魔も王女も時間が止まったかのように、下を向いたルイズの様子を窺う。
そんな重々しく淀んだ空気の中、ルイズが面をあげた。
円らな瞳から頬に流れ落ちる大粒の涙。嗚咽を鳴らし、唇を噛み締めながら、ルイズは悲しみと怒り、二つの意を含んだ眼差しを水銀燈に向けていた。
「そうやって私を馬鹿にして……!
あんたに、私の何がわかるって言うのよ!
…もう知らない。任務は私一人で果たして見せるわよ!あんたなんかどっか行っちゃえ!!!」
自暴自棄と言えそうな少女の叫びだった。ルイズは食いしばった歯をむき出しにし、息を荒くして水銀燈を睨み付ける。
「……何よ。意地張っちゃって」
ルイズの感情の爆発に面食らった水銀燈だったが、興醒めしたかのように吐き捨てた。
「なら、任務にでも何にでも勝手に行っちゃいなさいよ。
貴女一人で一体何ができるのか、見せてもらおうじゃない!!」
売り言葉に買い言葉だった。不愉快な感情を隠しもせず、水銀燈は部屋のドアへ飛ぶ。
「ご主人様の仰せの通り、私はどこかに行かせてもらうわ」
部屋に残された二人に、使い魔は皮肉を込めた捨て台詞を吐き、ドアを乱暴に蹴り開けた。
「あちょぷ!!」
蹴り開けたドアにガン!と何かがぶつかり、その『何か』の間抜けな声があがる。
眉を潜めて水銀燈はその何者かに目を向けた。
「ギーシュ…?貴方こんな所で何やってるのよ」
堕天使の向けた冷たい視線の先にいたのは、鼻を押さえてのたうち回っているギーシュだった。
乱暴に開かれたドアの奇襲を受け鼻っ柱を打ち付けたのだろう。
「鼻が!僕の鼻がぁッ!……はっ!?」
ギーシュは水銀燈の呆れた眼差しと、泣き顔のルイズの厳しい眼光。
そしてルイズを慰めるアンリエッタのきょとんとした視線に気づいて、慌てて襟を正してかっこつける。
「ギーシュ…あんた、盗み聞きしてたの…?」
ルイズが涙を拭ってギーシュに聞いた。
「いやぁ!薔薇のように見目麗しい姫さまの後をつけてみればこんな所へ…、
それでドアの鍵穴から様子をうかがえば……どうやらお取り込み中のようじゃないか」
フッ…と前髪を掻き揚げ、薔薇の造花を掲げ爽やかに言うが、どくどく流れる鼻血がすべてを台無しにしていた。
「…お姫さま。わざわざそんなナリしてまでして来るのは結構だけど、あんまり効果は無かったみたいね」
「黙りなさい!この期に及んでまた姫さまに無礼を!!さっさとどっか行けって言ってるのよ!!」
水銀燈の言葉にルイズが再び怒鳴り声を上げる。
泣き止んでもその怒りは留まるところを知らない。
古くからの友にして敬愛する姫さまを侮辱しているのだ。
ルイズは、こんな使い魔呼ぶんじゃ無かった!とすら痛感していた。
「別に気にしていませんから。とにかく落ち着きましょ?ね?ルイズ・フランソワーズ」
アンリエッタがルイズの桃色の髪を撫でながらやさしく諭す。そして水銀燈に目配せした。
(ここはわたくしが預かりますから…)
顔をそう言うニュアンスで困ったように微笑ませて伝えた。
それを見た水銀燈は、フン…と鼻を鳴らし、翼はためかせ、廊下の果てまで飛んでいく。
使い魔の姿が見えなくなるまで、ルイズはずっとその後ろ姿を睨み付けていた。
「それでは僕はこれで失礼…」
「待ちなさい。ギーシュ」
そろそろと忍び足でこの場を去ろうとしたギーシュにルイズの声がかかる。
無論、今までの興奮が収まる筈もなく、憤りを孕んだ暗い声である。
「あは、あはははは…」
怒りの矛先を向けられたギーシュは、ただ、冷や汗と鼻血をだらだら流しながら笑う事しかできなかった
部屋を出ていった水銀燈は、塔の屋根に腰掛け空を見上げていた。
双つの月が天頂に煌々と輝き、色鮮やかな星が宝石のように瞬く澄んだ夜空。
だが、彼女の胸中に広がる想いは、満天のそれと対局を成す曇天の空模様だ。
「ほんと…あの子ったら、勝手な思い込みで……」
水銀燈にしてみればルイズを戒める意味で、言った言葉だった。
予定ではしぶしぶ自分に謝って同行を頼むルイズに、「しょうがないわねぇ…」と一言呟いてアルビオンとやらに行く筈だったのだが。
…まさかあそこまで激昂するとは思いもしなかった。
少々言葉が過ぎたかもしれないとは思う。だが、決してルイズの事を『ゼロ』だとは思っている訳では無いのだ。
勝手な決めつけで濡れ衣着せられては彼女も黙ってられない。
誇り高き薔薇乙女たる自分が、人の世話などと言う慣れない事を善意でやってるのに。
それなのに何故が恨まれなければならないのか?
納得いかないわ。と、水銀燈は膝を折りうずくまって唇を噛んだ。
(あんたに、私の何がわかるって言うのよ!)
瞳を瞑るとルイズの悲壮な泣き顔が瞼の裏に浮かんだ。お人形の小さな胸が少しだけズキッと痛む。
たしかに水銀燈は、しばらく共に同じ時を過ごしたとは言え、まだまだルイズと言う人間を理解していなかったのだろう。
何気無く放った言葉が、あそこまでミーディアムを追い詰める等、思いもしなかった。
認識不足だった。やはりやり過ぎたかと再考する反面、ルイズから受けた仕打ちを思い出し、水銀燈はブンブンと首を振って思い直す。
「……私は悪くないわよ」そして、まるで自分に言い聞かせるように呟いて浮かない顔を下げた。
水銀燈は気づいていない。かつて過去に、自分は同じような出来事に立ち合ったと言う事を。
その背に、闇色に染まる堕ちた翼と、尽きる事無き深い憎しみを授かったあの時の事を。
……信じていた者に裏切られる苦しみ。
彼女は、その酷さを痛いくらいに知っている筈なのに……。
次の日の早朝。朝もやかかる門前には、いつもの制服姿に乗馬用のブーツを履いたルイズと、
馬に鞍をつけているギーシュ。
そして一晩立っても不機嫌な水銀燈の姿があった。
「…何故貴方がここにいるのよぉ?」
「よくぞ聞いてくれたよ!あの後ダメ元で任務に志願したら、快く姫殿下が承諾して下さったんだ!!」
ギーシュは黒衣の天使の白い目を気にせず体を仰け反らせて感動している。
「ふぅん…相変わらず物好きねぇ」
「…水銀燈、君は本当にルイズについて行かないのかい?」
ギーシュの言葉に、それまで、我関せずと言った感じでそっぽを向いてたルイズがびくっと反応した。
無反応を装ってもやはり気にはなるのだろう。
話題に興味が無いかのように、目の前の馬を撫でながら、彼女は聞こえてくる答えに耳を傾ける。
「…あの子一人で行くって聞かないんだもの。まあ、今謝れば許してあげてもいいのだけれど」
一晩たてば反省するかと思っていたルイズだったが、己の考えの甘さにため息をついた。
水銀燈逹とは明後日の方向を向いているルイズだが、明らかにガッカリと肩を落とした後ろ姿から、
彼女期待の答えでなかったのがお分かり頂けるだろう
それを目の当たりにした使い魔が、意地悪そうに口元を吊り上げて声をかけた。「…今ならまだ間に合うわよ」
「ふんだ!誰があんたなんかに!!」
朝方の清爽な、心洗われる空気も今の水銀燈とルイズには関係無い。
もう数えるのが面倒臭く感じるくらいにしつこい、二人のいがみ合いが、また始まった。
(姫殿下直々のお達しなのに彼女らときたら…はぁ、幸先悪いなぁ…)
ギーシュはそのまったくもって穏やかでない雰囲気を非常に居心地悪く感じた。
自分がふった話ながら、どうにかして話題を変えようと腕組みして考え事を始める。
そして喧嘩している主と使い魔を見て、彼が愛して止まないずんぐりしたシルエットを思い出した。
「ああ、ルイズ。喧嘩中のところ悪いけど、お願いがあるんだよ」
「あ~?何よ」
ぎろっと威圧するルイズの眼光に多少おどおどしながら、ギーシュは足で地面をたたく。
「僕の使い魔を連れて行きたいんだ」
ギーシュの前の地面が盛り上り顔を出す彼の使い魔。ジャイアントモールのヴェルダンデだ。
ルイズも水銀燈も何度か目にしているので別段珍しくは感じなかったのだが。
「ああ!ヴェルダンデ!君はいつ見ても可愛いね。困ってしまうね!」
ギーシュはすさっ、と膝をついて巨大モグラを抱きしめる。
モグラもまた主に抱きつこうと、嬉しそうにその短い手をバタバタさせている。
「美しい主従愛ですこと…どこかの誰かさんも、この十分の一でも私の事大切にしてくれればいいのに……」
使い魔の言葉を無視してルイズはギーシュに答えた。
「悪いけどだめね。その子地面の中進んで行くんでしょ?私達馬で行くのよ」
「心配ご無用!ヴェルダンデの地面を掘り進む力は馬の足にだってひけは取らんよ!」
そうだろ?ヴェルダンデ!とモグラの頭を撫で、ギーシュは胸を張って言った
「それでもアルビオンがどんな場所か知らない訳じゃないでしょ?モグラではやっぱり無理よ」
困った顔して否定の言葉を告げるルイズに、ギーシュはがっくりと膝を折って地面に突っ伏す。
そのおつむの中では、暗闇の中スポットライトを受け悲劇の主人公を演じてるであろうこと間違い無し。
「お別れなんて、つらい、辛すぎるよ……ヴェルダンデ…」
「オーバーねぇ、今生の別れみたいに…」
水銀燈はそう言った所で気付く。自ら言った、今生の別れと言うフレーズ。それが決して大袈裟では無い事を。
国の存亡を賭けた任務。敵の刺客や妨害があってもおかしくはない。
あらゆる手段をも持ってして、ルイズ逹の行く手を阻み、国亡の鍵となる手紙を先に手に入れるなり、ルイズから奪うなりしてくるだろう。
ミーディアムの行かんとする道は、それこそ命に関わる危険な大仕事なのだ。
使い魔の心が揺れ動いた。ルイズとギーシュだけで大丈夫なのか?自分も出向いた方がいいのではないかと。
少しばかり思考する水銀燈だったが、ルイズの「きゃっ!」と言う悲鳴を聞いて我に返った。
見ればルイズがモグラに押し倒され、鼻で体をまさぐられている。
スカートが乱れパンツまでさらけ出し、ルイズはジタバタ暴れていた。
「ちょっとあんた逹!ぼーっと見てないで助けなさいよ!きゃあ!」
任務に赴く前にもう躓いている。水銀燈は真面目に考えていた自分が馬鹿らしくなった。
情けない事この上無い。
この調子じゃ、泣きべそかいて帰って来てもおかしくない気さえする。
「貴方の使い魔、主人と同じでいい趣味してるわね……」
「ちょっと違うね。ヴェルダンデのお目当てはルイズのしてる指輪だよ」
「指輪ぁ?」
見ればルイズの右手の薬指には大きなルビーのついた指輪があった。お姫様から貰った物だろうか?
「ヴェルダンデは宝石に目がなくてね」
その言葉通り巨大モグラは宝石に鼻を擦り寄せている。
女の子に目がない主に宝石に目がないモグラの使い魔。
メイジの格を見るなら使い魔を見ろと言う格言を実に理解出来る。
むしろ使い魔はメイジに似るなんて言葉が出てきてもおかしくない。
「…やっぱりいい趣味してるわ」
「ハッハッハ!そんなに僕の可愛い使い魔を誉めないでくれ。主の僕が照れてしまうよ!」
誉めてねぇよ馬鹿薔薇野郎。
「バカ言ってないでどうにかしてよ!これじゃ、いつまでたっても出発できないじゃない!!」
「ご主人様ぁ?任務開始以前から挫折になられるとは、正直言ってお話しになりませんわぁ。
わたくし、任務にはお供いたしませのよぉ~?
フーケを退けたご自分のお力で、何とかしてく~ださ~いなぁ~」
水銀燈はいつもの三割増しの嫌味を添えて、ルイズのSOSを突っぱねた。
丁寧な言葉だが、痛烈な皮肉の込められた嘲りの猫なで声。おまけ本人はえらく楽しそうだ。
ルイズからしてみれば、いつもと比べて通常の三倍の侮辱を感じた事だろう。
端から見れば普通の三倍に見えるそれが、実際には三割増しだったと言うのはワリと有名な話。
赤っぽい機体みた木馬のオペレーターもビックリ。
ルイズの顔も真っ赤っか。
まるでジュン君と喧嘩して顔を紅潮させた水銀燈の妹の一人みたいだ。
言ってみれば「赤い翠星(石)」
「ば、馬鹿にしてぇ!このくらい、どうと言う事はないわよ!!」
やってみるさ!と、どうにかしてモグラを引っ剥がそうと躍起になるが、これが中々うまくいかない。
むしろ上半身を押さえ込まれて周りを見る事も適わない。モニターが死ぬ!?
すると…
一陣の風が舞い上がり彼女に抱きつくモグラを吹き飛ばした。
「ああ!僕のヴェルダンデ!!」
「敵が!?」
何者かの攻撃魔法。それを察した水銀燈が、すかさずルイズの前に立ち、長剣を羽で作り上げ、構える。
理屈では無い。考える前には既に体が動いていた。
…ついさっきまであんなにいがみ合っていたのに。
「誰だッ!」
「姿を見せなさい!」
ギーシュが激昂してわめき、水銀燈が緊張の面持ちで先の見えない朝もやを睨み付けた。
「待ちたまえ。僕は敵ではない。姫殿下より君達に同行することを命じられた者でね。
姫様は君らの身を案じて止まないのだが、お忍びの任務ゆえ、一部隊をつける訳にも行かないだろう?」
朝もやの先に、うっすらと羽帽子をかぶった長身のシルエットが浮かび上がった。
がっしりとした影の体躯と、声からして、そこにいるのが壮年の男性と伺える。
「そこでこの僕にお呼びがかかった訳さ」
影が、細長い剣か何かを引き抜き優雅な挙動で横に振った。
手にしたそれから巻き起こる旋風が、男の周りの朝霧を吹き飛ばす。
「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長。ワルド子爵だ」
そこには帽子を胸に当て、一礼をした凛々しい貴族の姿があった。
(この人、お姫様の歓迎の時ルイズがずっと見てた…それにワルドって名前もどこかで…)
水銀燈の、あの時心の隅に引っかかっていた疑問がまた顔を出す。
誰だっただろうか?
少しだけ答えに近づいた気がするが、まだ明確な答えは出なかった。
(ま、魔法衛士隊…それも隊長!?)
文句を言おうと口を開きかけたギーシュだが、相手が悪すぎると慌て口を閉ざす。
目の前にいるのは、全貴族の憧れたる魔法衛士隊の、しかもトップに立つ者なのだ。
ワルドはそんなギーシュの様子を見て、首を振った。
「すまない。婚約者が、モグラに襲われているのを見て見ぬふりはできなくてね」
「いやいや!滅相もない!!僕の使い魔が貴方の婚約者にとんだ……。…え?婚約者?ルイズの?」
「ああ!思い出したわ!」
ギーシュが不思議そうに聞き返し、水銀燈が手のひらを叩いて顔をはっとさせた。
ルイズの夢で、彼女を慰めに出てきた、許嫁の貴族がたしかワルドと言う名前だった。
夢の中のルイズが魔法の誤射で彼を池に落とした際、確かに「ワルド様」と言っていた。
幾らか月日がたち、外見こそ変わっているが、顔つきや纏った雰囲気は、夢の中とさほど変わりは無い。
何より、ルイズのさっきとは違う意味で赤く染まった頬がそれを示してしている。
「ワルド様…」
立ち上がったルイズが、震える声で言った。
「久しぶりだな!僕のルイズ!」
「お久しぶりでございます…」
ワルドは人懐っこい笑みを浮かべルイズに駆け寄り、彼女を抱え上げた。
そんなルイズもまんざらでも無い様子。
ひとしきり二人の世界とやらを堪能しているワルドとルイズだった。
へいへい…ゾッコンって奴ね。
「彼らを紹介してくれたまえ」
ワルドはルイズを下に下ろし再び帽子を目深に被る。
「あ、あの……ギーシュ・ド・グラモンと……」
ルイズがギーシュに手を向けた。ギーシュはハッとした後、慌てて頭を深々と下げた。
次に、隣にいた己の使い魔が目に写った瞬間、ルイズのはにかんだ表情が突然しかめっ面に変わる。
「ルイズ?どうしたんだい」
首を傾げて尋ねるワルドに、ルイズは水銀燈を指でさして曇った表情のまま嫌々答えた。
「それと……ただの人形の使い魔です」
水銀燈の眉が傾き、眉間に皺がよった。だが、文句を言う舌も持たないと無言でルイズに鋭い視線を送る。
そんなお人形の様子にも関わらず、恐れも見せずに子爵は、気さくな感じで水銀燈に近寄った。
「ほほう、君がルイズの使い魔か。人間、いやまるで天界から舞い降りた天使のようじゃないか!!」
お世辞の上手い男だが、不思議と悪い気はしない。人徳と言う物だろうか?
これがギーシュなら、はいはい…と手をひらひらさせて追っ払ってるところだ。
「僕の婚約者がお世話になっているよ。お名前をお聞かせ願えるかな?麗しきお人形のレディ?」
ワルドは手袋を外すと、握手を求めて水銀燈に手を差し出した。
「本来ならその美しい御手に口づけをお許し願いたいところだが、あの子が嫉妬してしまうからね。どうかこれでご勘弁頂けるかな?」
礼儀もわきまえているようだ。あのルイズのお眼鏡に叶うのも納得できる。
「…水銀燈よ。ルイズをいつもお世話してあげてるわ」
普通にそう言って、小さな手を差し出しその手を握り返す。
ワルドの後ろを見れば、ルイズが頬を膨らましてジト目でこっちを見ている。
いい加減疲れてきたわと、水銀燈は溜め息をついた。
「どうしたんだい?もしかして、アルビオンに行くのが怖いのかい?
なあに!何も怖いこと等あるものか!君はあの『土くれ』を捕まえたんじゃないか!!」
その浮かない顔に、ワルドは彼女の肩をぽんぽん叩いて、あっはっはと大笑いする。
気持ちの良い豪傑笑いだ。性格や胆力も悪く無い。
「勘違いしないでくださる?行くのはあの子とギーシュ。私はただの見送りよ。」
「見送り?」
ワルドが首を傾げて聞き返す。後ろのルイズが水銀燈の真ん前まで歩いてきた。
「…さっきのは何よ。あんなので私のご機嫌取りでもしたつもり?」
ワルドがモグラを吹き飛ばした時、水銀燈がルイズを守ろうと、前に立ち塞がった事だ。
「あんた本当は私の事心配で心配でたまらないんじゃないの?
いいわよ。『どうか私を連れて行って下さい。置いていかないで下さいご主人様』って言えばあんたもお供を許してあげるわ」
誘ってるのだが、馬鹿にしているのかわからないが、少なくともルイズ自身は水銀燈にチャンスを与えているつもりだった。
だが、いかせん言い方に難がありすぎる。水銀燈じゃなくても、こんな事言われてついていく者などいる訳がない。
「ふん、要らぬお節介だったわ。貴女こそ、私に『さっきはありがとう』の一言ぐらい言って欲しかったわね。
それを口実にお願いでもすれば私の気分も変わったでしょうに!!」
「…そう、残念ね!もう何言っても遅いわ。あんたは最後のチャンスを不意にしたのよ!!」
「その台詞、そっくりそのままお返ししてやるわよ!!」
ルイズと水銀燈の、憎まれ口の応酬を目の当たりにしたワルドが、呆れた様子で隣のギーシュに尋ねた。
「……彼女らはいつもこうなのかい?」
「いえ、いつもは意外と仲良さそうだし、口喧嘩くらいは時々してるのは見かけますが…。ここまで酷くなったのはつい最近みたいで……」
ギーシュも、頬っぺたを両手でつねり合う二人を、やるせない表情で見つめていた。
ほっとけば一日中喧嘩してるのかもしれない。
このままでは埒が空かないとワルドが二人の間に割り込んだ。
「失礼。別れを惜しんでいる所すまないが、なにぶん急を要する任務なんだ。二人とも名残惜しいとは思うがそろそろ出発しなければならない」
「「名残惜しい?誰がこんな子の事!!」」
一字一句、完璧に外さず、ミーディアムと使い魔の声が見事にハモった。
「真似しないでよ!」
「あんたの方こそ!」
「まあまあ…。落ち着くんだルイズ。
…使い魔君、安心して欲しい。ルイズはこの僕が命に変えても守ってみせよう。ここの留守は任せたよ」
ルイズの肩に手を置いてワルドが口笛を吹く。
翼がはためく音と共に、朝もやを切り裂いてグリフォンが現れた。
ワルドはひらりとそれに跨がり、ルイズに手招きをする。
「おいで、ルイズ」
ルイズは躊躇うようにして恥ずかしそうに俯く。さっきまで水銀燈と喧嘩してたのが嘘のようだ。
気持ちの切り替えが早い事で…
「おっと!僕も置いて行かれないようにしないと!」
ルイズがワルドのグリフォンに跨がるのを見たギーシュも、慌てて馬に乗る。
水銀燈は手綱を取ったギーシュへと飛んだ。
「ギーシュ。ちょっといいかしら?」
「ん?何かね?もしかして見送りのキスでも…」
言い終える前に、水銀燈の平手打ちがギーシュの顔に真っ赤な紅葉を刻みつけた。
その威力、推して知るべし。切りもみ上に回転して彼は馬から崩れ落ちる。
昨夜の鼻といい、顔面に深刻なダメージを負ったギーシュだが、任務開始前から深い傷を負う等、はっきり言って先行き不安な事この上無い。
気が立ってる彼女に、不快な冗談かましたので自業自得とも言えるのだが。
「ルイズの事、よろしく頼むわ…」
地面に尻餅をついたギーシュに、水銀燈は小さく耳打ちする。
「え?それをあの子爵じゃなくて僕に言うのかい?」
「…確かにあの人は貴方と違って性格良さそうだし、落ち着いてて、度胸もあるし、礼儀もわきまえてる上、腕もかなり立つでしょうね」
「……ああ、そうだね。彼は完璧だね」
ギーシュは落ち込んだようにこうべを垂れ、地面にのの字を書きながらいじけ出す。
そんな彼に水銀燈はさらに声を小さくして言った。
「……生憎ね、私完璧すぎるのって、信用出来ないクチなのよ」
複雑な感情の込められた意味深い韻だったが、ギーシュがそれに気付く事は無い。
「まあいいさ。薔薇を冠する友の言葉として、期待に添えるよう頑張るよ」
「ええ、お願いね」
水銀燈の様子に疑問の表情を浮かべるも、ギーシュは快く承諾した。
「喧嘩しててもやっぱりルイズが心配なんだね」
「!!」
ギーシュは軽く笑いながら何気無く言う。水銀燈の顔が朱に染まった。
「べっ、別に心配なんかしてないわよ!でもあの子一応は私の契約者なんだし、怪我でもされたら力だって貰えないだろうし、
なのにあの子、何でもかんでも突っ込んで行く癖があるから誰かが止めなくちゃいけないのよ!
そうよ!万に一つでも命の危機にでもさらされたら私の方が困っちゃうわ!!」
無理矢理こじつけてるのが丸わかりだった。多分自分でも何を言ったか分かっていない、その場しのぎの発言だ。
ギーシュは、(それが心配って言うんじゃないか)と苦笑した。
「不安なら君も意地を張らずに来れば…」
「なんか言った?」
「いや、何でもないよ」
今度は拳をグーにして振りかぶった水銀燈に、ギーシュはすぐに口を閉ざした。
「見てなさい!ちゃーんと任務を果たして胸はって帰ってやるわ。ご主人様がどれだけ偉大か教えてやるわよ!」
「泣きべそかいて帰って来るのね。そう言う冗談は、果たせるだけの力と、張れるだけの大きな胸を持ってからにしなさいよ」
「まあまあ。別れの挨拶はそのくらいにして…」
ワルドはそんなルイズを抱き抱えてなだめると、杖を掲げて高らかに叫んだ。
「では諸君!出発だ!!」
グリフォンが駆け出し、ギーシュも水銀燈に手を振った後にそれに続いた。
それを黙り込んで見送った水銀燈と、ワルドの腕に抱かれたルイズが思う。
(…ちょっと謝れば許してあげたのに)
――寄しくも心の中で呟いた一言が同調した。
不思議と、二人のその落ち込んだ表情も似通った気がしたのも、気のせいでは無いのではなかろうか?
グリフォンと馬はどんどん小さくなって行く。
「…本当に行っちゃったわ」
無意識の内に呟きがもれる。
そして、出発した面々が朝霧の果てに消え去り見えなくなった。
ぼーっと冴えない顔で、消えたルイズ逹に視線を残した水銀燈だが、視界に映るのが白い霧だけと気づいてそこで我に返った。
「フ、フン!……清々したわ!!これでしばらくあの子の世話だってしなくていいのだし。
羽を伸ばすチャンスが出来たんだものね!久しぶりに二度寝でもしちゃおうかしら!!」
誰も周りに居ないのに大声だしてわざとらしく言う。
そうして不自然に翼を大きく羽ばたかせ門のを飛び越え部屋に帰って言った。
そんな、出発する一行と、門へと引き返す人形を学院長室の窓から見つめている影が一つ。
「見送らないのですか?オールド・オスマン」
「ほほ、見ての通りこの老いぼれは鼻毛を抜いておりましてな…あ痛ッ!!」
呆れたように振り返ったアンリエッタの目には、鏡とにらめっこしながら、鼻毛をいじってるオスマン氏の間抜けな姿があった。
「余裕ですね…トリステインの未来がかかってると言うのに……」
「もはや杖は振られたのですよ。我々に出来るのは後は運を始祖に任せて、彼女らの吉報を待つばかり。違いますかな?」
「それはそうですが…」
ルイズは信用できる友人だし、ワルドも共に付けた。密命故に、表立った動きは取れないが、それでも最大限の助けはしたつもりだ。
自分の勝手でルイズに願った任務だが、アンリエッタは不安で仕方がなかった。
「なあに、彼女らならやってくれますわい」
「本当に大丈夫なのでしょうか?確かにワルドやギーシュもついておりますが…」
「いやいや、彼女らとは、ミス・ヴァリエールと使い魔の少女の事です」
アンリエッタは目を丸くする。そしてそれまでより更に、心配そうな顔で声を細めて言った。
「そのルイズのお人形の少女なのですか、…主と大喧嘩して任務には同行していないのです…」
「……なんですと?」
オスマン氏は、鏡から顔を上げ神妙な視線を王女に向けた。
「むぅ、それは困った事になりましたなぁ…」
「あのお人形さんは、それほどまでに強いのですか?」
「いいえ、一人の時はそれほどでも…。ミス・ヴァリエールも、その使い魔も、一人だけの力で言えば、同じく同行しているミスタ・グラモンの方が上でしょうなぁ」
「ならば何故?」
アンリエッタは疑問を投げ掛けた視線をオスマン氏に送るが、当のオスマン氏は一瞬だけ浮かべた真剣な顔つきを崩し、のほほんとしている。
「まあ、多分、大丈夫…では無いですかのう……?」
「質問を質問で返さないでください…」
多分だの、言葉を濁すような疑問符だの、オールド・オスマンの曖昧な返答はアンリエッタの気分を消沈させるに十分な物だった。
王女の頭にくらっ、と目眩が襲った。彼女は額に手を当て壁にもたれ掛かると、遠くを見るような目で天井を見つめ呟く。
「ああ、ルイズ・フランソワーズ、どうか無事で……」
だが、彼女が今出来る事と言えば、任務の成功を願う事と、友の身を案ずる事だけしかなかった。
――水銀燈とルイズ、二人の間に走った亀裂。
悪い事が重なり過ぎた。言ってみればそう言う事になるのだろう。
だが、この喧嘩はそれで済ませるにはあまりに酷な物だった。
別れるまでに、仲を繕うチャンスは無数にあった。だが二人はそれらを全て不意にした。
ミーディアムと使い魔、彼女らは譲る事を知らない。己こそが正しいと信じて疑わない。
仮に非を感じても、プライドの高さ故、素直に認めようとしないのだ。
運命の悪戯か、あるいは始祖が少女達にもたらした試練なのかもしれない。
繰り返された日常の中で、フーケとの戦いで、モット伯の館の騒動で、だんだんと通い合ったはずの心なのに、あんなに一緒だったのに。
――もう二人の少女は、言葉一つ通らない。
#navi(ゼロのミーディアム)
#navi(ゼロのミーディアム)
&setpagename(ゼロのミーディアム 第一章 -25)
ニッコリと笑いかけて告げられた水銀燈のあまりに痛烈な言葉に、開いた口がふさがらないルイズとアンリエッタ。
驚愕の表情を向けられたお人形は、切れ長の紅眼を細め、口元を吊り上げた。
淡いぼんやりとしたランプの光に照らされた、眩しい天使の微笑みに影が差す。
そしてそれは人心を拐かすような、妖艶な悪魔の微笑みに変貌した。
「私、いい加減貴女の身勝手さにうんざりしてきた所なの。勝手にそんな重大任務を安請け合いしちゃうなんて…。正直付き合いきれないわ」
彼女はほとほと愛想がつきました。と、言わんばかりに肩を竦める。
魔法で出来た氷の槍のように冷たく、刺すような使い魔の言葉に、ルイズはキッと鳶色の瞳に怒りの炎を灯す。
それでも姫さまの前だからみっともない真似は見せられないと、感情を抑えた声で水銀燈に言った。
「水銀燈、もう一度言うわ……。私と一緒に姫さまの任務を受けるの」
「答えはノーよ」
(イエスって言いなさい……!!)
(絶対にノゥ!!!)
語気を強めて出る言葉。
水銀燈は頬に手を当てると、もう片方の手で黒い羽をヒラヒラさせ、小馬鹿にするように続けた。
「貴女に対する言葉は全部否定で返させてもらうわ。今の私は『ノー』としか言わない女よ!」
「だったらあんたの心変わりを誘発してあげるわよ!」
ルイズは、ごそごそ椅子を引いてその上に立つと、フッと不敵に笑い水銀燈を上から腕組みして見下ろす。
我に策有りと言った会心の笑みだ。
少々行儀が悪いが、あくまで自分が上の立場と言う事を知らしめるつもりなのだろう。
「あんたの生活を面倒みてるやってるのは誰かしら?ご飯食べさせてあげてるのは誰だったかしら?誰?誰?誰!!
私よね、ご主人様の私よね!!」
ルイズは大袈裟に両手を広げ声高らかに告げる。
「あんただって、私に追い出されたくは無いでしょ?
それとも、私以外に誰か頼れる人がいるって言うの?私に頼らずにこの世界で生きて行けると思ってるの!!」
「イエス」
ルイズはガタン!と大きな音を立ててイスからずり落ちた。
(ノーとしか言わないはず……!?)
あっさりと答えた水銀燈の言葉に、勝利を確信したルイズの表情が脆くも崩れさる。
本気で追い出さそうとは思っている訳では無い。だが、脅し文句としては効果的なはず!と選んだ言葉だった。
予想だにしなかった結果に再びルイズは驚きに表情を固める。
水銀燈はククク…と口の中で笑い声を含ませ、固まったルイズに追い討ちをかけた。
「お馬鹿さんねぇ…。来たばっかりのころの話なら未だしも、今の私には強~い味方がたぁくさんいるのよぉ」
彼女の、それまで真面目な韻を含ませていた口調が、日頃の嘲るような猫なで声に戻る。
「シエスタに言えば親身になって私の事を案じてくれるでしょうねぇ。キュルケだってああ見えて話の分かる子だし。
ああ、学院長さんやコルベール先生は全面的に私に協力してくれるって言ってたわぁ。
最後の手段に、タバサにモフモフちらつかせば大喜びで私を向かえてくれるでしょうしねぇ!!」
ルイズはそれを聞くと、とたんに気分を沈めて押し黙ってしまった。
「むしろそれって追い出すんじゃなくて、使い魔に逃げられるって言うんじゃなぁい?
メイジとしてどうなのかしらそれぇ。あははははは!」
水銀燈はルイズの様子に気付く事なく散々言いたい放題宣う。
俯いて表情の読み取れぬルイズを案じ、アンリエッタは彼女の震える肩に手をかけた。
「ルイズ・フランソワーズ…?大丈夫?具合が悪いの?」
そして王女はルイズの顔を覗き込む。ルイズは歯を食いしばり、瞳の縁に涙をためた、怒りと悲しみの入り交じったような眼差しを床に送っていた。
「フーケの時だってそうよ。まったく…私やキュルケ、タバサがいなかったらどうなってた事だか。貴女一人じゃなぁんにも出来ない癖に……」
――今度は水銀燈が最悪の失言を漏らしてしまった。
今までの心無い言葉もルイズの心を傷つけるに十分な物だったが、
水銀燈の何気無く放ったこの一言こそがルイズの胸に、鋭く研がれたナイフの如く突き刺さった。
「私についてきて欲しいなら、今までの仕打ちを謝りなさいよ。そうしたら行ってあげなくもないわよ」
好き勝手言ったためか、鬱憤は大分発散されたらしい。
よくもまあ、ぬけぬけしゃあしゃあと言える物だ。
水銀燈は、何も言えないルイズに気を良くしたのか、得意気に言った。
なんとも単純な性格なお人形だが、ルイズの方はそうもいかない。
使い魔から受けたミーディアムの屈辱は計り知れないのだ。
「……あんたも、やっぱりそうなのね」
ようやく開かれたルイズの口から重々しく言葉が紡がれる。それは深い落胆を込められた暗い声色だった
「そうやって他の人間と比べて。私のことを他のメイジに劣る可哀想そうなメイジだって…、ずっと思ってたんでしょ……!」
「はぁ?」
ルイズは俯いたままこぶしを握りしめ、震える声で言った。
それに間の抜けた返事をする水銀燈。どうやら彼女、おめでたい事に、その口が招いた事の重大さに気づいていないようだ。
「あんたがいなきゃ、私は何も出来ない…。そうやって見下して、哀れみの目で私の事を見てたのね……!!」
俯いたルイズの顔からポタポタと水滴が滴り、床に染み込んで木目を濡らす。
流石にここまで来れば使い魔もミーディアムの異変に気付かぬはずがない。
「…ルイズ?な、なんなのよ突然」
「すぐには帰らないって言っといて、そばに居てあげるって安心させて!
裏では笑っていただけなんでしょう!私を魔法の使えない『ゼロ』だって!!」
「なっ!?貴女何言い出すの!?私は何も…!」
思いもよらぬルイズの激情と、矢継ぎ早に放たれる怒りの言葉に水銀燈は狼狽を隠せない。
いくらなんでもそこまでは…と、弁解をしようしたその矢先……
「うるさい!!!」
悲痛に染まった怒りを込めてルイズは叫んだ。水銀燈は勿論、端から見ていたアンリエッタすらも、思わずビクリと肩を震わし気圧される。
使い魔も王女も時間が止まったかのように、下を向いたルイズの様子を窺う。
そんな重々しく淀んだ空気の中、ルイズが面をあげた。
円らな瞳から頬に流れ落ちる大粒の涙。嗚咽を鳴らし、唇を噛み締めながら、ルイズは悲しみと怒り、二つの意を含んだ眼差しを水銀燈に向けていた。
「そうやって私を馬鹿にして……!
あんたに、私の何がわかるって言うのよ!
…もう知らない。任務は私一人で果たして見せるわよ!あんたなんかどっか行っちゃえ!!!」
自暴自棄と言えそうな少女の叫びだった。ルイズは食いしばった歯をむき出しにし、息を荒くして水銀燈を睨み付ける。
「……何よ。意地張っちゃって」
ルイズの感情の爆発に面食らった水銀燈だったが、興醒めしたかのように吐き捨てた。
「なら、任務にでも何にでも勝手に行っちゃいなさいよ。
貴女一人で一体何ができるのか、見せてもらおうじゃない!!」
売り言葉に買い言葉だった。不愉快な感情を隠しもせず、水銀燈は部屋のドアへ飛ぶ。
「ご主人様の仰せの通り、私はどこかに行かせてもらうわ」
部屋に残された二人に、使い魔は皮肉を込めた捨て台詞を吐き、ドアを乱暴に蹴り開けた。
「あちょぷ!!」
蹴り開けたドアにガン!と何かがぶつかり、その『何か』の間抜けな声があがる。
眉を潜めて水銀燈はその何者かに目を向けた。
「ギーシュ…?貴方こんな所で何やってるのよ」
堕天使の向けた冷たい視線の先にいたのは、鼻を押さえてのたうち回っているギーシュだった。
乱暴に開かれたドアの奇襲を受け鼻っ柱を打ち付けたのだろう。
「鼻が!僕の鼻がぁッ!……はっ!?」
ギーシュは水銀燈の呆れた眼差しと、泣き顔のルイズの厳しい眼光。
そしてルイズを慰めるアンリエッタのきょとんとした視線に気づいて、慌てて襟を正してかっこつける。
「ギーシュ…あんた、盗み聞きしてたの…?」
ルイズが涙を拭ってギーシュに聞いた。
「いやぁ!薔薇のように見目麗しい姫さまの後をつけてみればこんな所へ…、
それでドアの鍵穴から様子をうかがえば……どうやらお取り込み中のようじゃないか」
フッ…と前髪を掻き揚げ、薔薇の造花を掲げ爽やかに言うが、どくどく流れる鼻血がすべてを台無しにしていた。
「…お姫さま。わざわざそんなナリしてまでして来るのは結構だけど、あんまり効果は無かったみたいね」
「黙りなさい!この期に及んでまた姫さまに無礼を!!さっさとどっか行けって言ってるのよ!!」
水銀燈の言葉にルイズが再び怒鳴り声を上げる。
泣き止んでもその怒りは留まるところを知らない。
古くからの友にして敬愛する姫さまを侮辱しているのだ。
ルイズは、こんな使い魔呼ぶんじゃ無かった!とすら痛感していた。
「別に気にしていませんから。とにかく落ち着きましょ?ね?ルイズ・フランソワーズ」
アンリエッタがルイズの桃色の髪を撫でながらやさしく諭す。そして水銀燈に目配せした。
(ここはわたくしが預かりますから…)
顔をそう言うニュアンスで困ったように微笑ませて伝えた。
それを見た水銀燈は、フン…と鼻を鳴らし、翼はためかせ、廊下の果てまで飛んでいく。
使い魔の姿が見えなくなるまで、ルイズはずっとその後ろ姿を睨み付けていた。
「それでは僕はこれで失礼…」
「待ちなさい。ギーシュ」
そろそろと忍び足でこの場を去ろうとしたギーシュにルイズの声がかかる。
無論、今までの興奮が収まる筈もなく、憤りを孕んだ暗い声である。
「あは、あはははは…」
怒りの矛先を向けられたギーシュは、ただ、冷や汗と鼻血をだらだら流しながら笑う事しかできなかった
部屋を出ていった水銀燈は、塔の屋根に腰掛け空を見上げていた。
双つの月が天頂に煌々と輝き、色鮮やかな星が宝石のように瞬く澄んだ夜空。
だが、彼女の胸中に広がる想いは、満天のそれと対局を成す曇天の空模様だ。
「ほんと…あの子ったら、勝手な思い込みで……」
水銀燈にしてみればルイズを戒める意味で、言った言葉だった。
予定ではしぶしぶ自分に謝って同行を頼むルイズに、「しょうがないわねぇ…」と一言呟いてアルビオンとやらに行く筈だったのだが。
…まさかあそこまで激昂するとは思いもしなかった。
少々言葉が過ぎたかもしれないとは思う。だが、決してルイズの事を『ゼロ』だとは思っている訳では無いのだ。
勝手な決めつけで濡れ衣着せられては彼女も黙ってられない。
誇り高き薔薇乙女たる自分が、人の世話などと言う慣れない事を善意でやってるのに。
それなのに何故が恨まれなければならないのか?
納得いかないわ。と、水銀燈は膝を折りうずくまって唇を噛んだ。
(あんたに、私の何がわかるって言うのよ!)
瞳を瞑るとルイズの悲壮な泣き顔が瞼の裏に浮かんだ。お人形の小さな胸が少しだけズキッと痛む。
たしかに水銀燈は、しばらく共に同じ時を過ごしたとは言え、まだまだルイズと言う人間を理解していなかったのだろう。
何気無く放った言葉が、あそこまでミーディアムを追い詰める等、思いもしなかった。
認識不足だった。やはりやり過ぎたかと再考する反面、ルイズから受けた仕打ちを思い出し、水銀燈はブンブンと首を振って思い直す。
「……私は悪くないわよ」そして、まるで自分に言い聞かせるように呟いて浮かない顔を下げた。
水銀燈は気づいていない。かつて過去に、自分は同じような出来事に立ち合ったと言う事を。
その背に、闇色に染まる堕ちた翼と、尽きる事無き深い憎しみを授かったあの時の事を。
……信じていた者に裏切られる苦しみ。
彼女は、その酷さを痛いくらいに知っている筈なのに……。
次の日の早朝。朝もやかかる門前には、いつもの制服姿に乗馬用のブーツを履いたルイズと、
馬に鞍をつけているギーシュ。
そして一晩立っても不機嫌な水銀燈の姿があった。
「…何故貴方がここにいるのよぉ?」
「よくぞ聞いてくれたよ!あの後ダメ元で任務に志願したら、快く姫殿下が承諾して下さったんだ!!」
ギーシュは黒衣の天使の白い目を気にせず体を仰け反らせて感動している。
「ふぅん…相変わらず物好きねぇ」
「…水銀燈、君は本当にルイズについて行かないのかい?」
ギーシュの言葉に、それまで、我関せずと言った感じでそっぽを向いてたルイズがびくっと反応した。
無反応を装ってもやはり気にはなるのだろう。
話題に興味が無いかのように、目の前の馬を撫でながら、彼女は聞こえてくる答えに耳を傾ける。
「…あの子一人で行くって聞かないんだもの。まあ、今謝れば許してあげてもいいのだけれど」
一晩たてば反省するかと思っていたルイズだったが、己の考えの甘さにため息をついた。
水銀燈逹とは明後日の方向を向いているルイズだが、明らかにガッカリと肩を落とした後ろ姿から、
彼女期待の答えでなかったのがお分かり頂けるだろう
それを目の当たりにした使い魔が、意地悪そうに口元を吊り上げて声をかけた。「…今ならまだ間に合うわよ」
「ふんだ!誰があんたなんかに!!」
朝方の清爽な、心洗われる空気も今の水銀燈とルイズには関係無い。
もう数えるのが面倒臭く感じるくらいにしつこい、二人のいがみ合いが、また始まった。
(姫殿下直々のお達しなのに彼女らときたら…はぁ、幸先悪いなぁ…)
ギーシュはそのまったくもって穏やかでない雰囲気を非常に居心地悪く感じた。
自分がふった話ながら、どうにかして話題を変えようと腕組みして考え事を始める。
そして喧嘩している主と使い魔を見て、彼が愛して止まないずんぐりしたシルエットを思い出した。
「ああ、ルイズ。喧嘩中のところ悪いけど、お願いがあるんだよ」
「あ~?何よ」
ぎろっと威圧するルイズの眼光に多少おどおどしながら、ギーシュは足で地面をたたく。
「僕の使い魔を連れて行きたいんだ」
ギーシュの前の地面が盛り上り顔を出す彼の使い魔。ジャイアントモールのヴェルダンデだ。
ルイズも水銀燈も何度か目にしているので別段珍しくは感じなかったのだが。
「ああ!ヴェルダンデ!君はいつ見ても可愛いね。困ってしまうね!」
ギーシュはすさっ、と膝をついて巨大モグラを抱きしめる。
モグラもまた主に抱きつこうと、嬉しそうにその短い手をバタバタさせている。
「美しい主従愛ですこと…どこかの誰かさんも、この十分の一でも私の事大切にしてくれればいいのに……」
使い魔の言葉を無視してルイズはギーシュに答えた。
「悪いけどだめね。その子地面の中進んで行くんでしょ?私達馬で行くのよ」
「心配ご無用!ヴェルダンデの地面を掘り進む力は馬の足にだってひけは取らんよ!」
そうだろ?ヴェルダンデ!とモグラの頭を撫で、ギーシュは胸を張って言った
「それでもアルビオンがどんな場所か知らない訳じゃないでしょ?モグラではやっぱり無理よ」
困った顔して否定の言葉を告げるルイズに、ギーシュはがっくりと膝を折って地面に突っ伏す。
そのおつむの中では、暗闇の中スポットライトを受け悲劇の主人公を演じてるであろうこと間違い無し。
「お別れなんて、つらい、辛すぎるよ……ヴェルダンデ…」
「オーバーねぇ、今生の別れみたいに…」
水銀燈はそう言った所で気付く。自ら言った、今生の別れと言うフレーズ。それが決して大袈裟では無い事を。
国の存亡を賭けた任務。敵の刺客や妨害があってもおかしくはない。
あらゆる手段をも持ってして、ルイズ逹の行く手を阻み、国亡の鍵となる手紙を先に手に入れるなり、ルイズから奪うなりしてくるだろう。
ミーディアムの行かんとする道は、それこそ命に関わる危険な大仕事なのだ。
使い魔の心が揺れ動いた。ルイズとギーシュだけで大丈夫なのか?自分も出向いた方がいいのではないかと。
少しばかり思考する水銀燈だったが、ルイズの「きゃっ!」と言う悲鳴を聞いて我に返った。
見ればルイズがモグラに押し倒され、鼻で体をまさぐられている。
スカートが乱れパンツまでさらけ出し、ルイズはジタバタ暴れていた。
「ちょっとあんた逹!ぼーっと見てないで助けなさいよ!きゃあ!」
任務に赴く前にもう躓いている。水銀燈は真面目に考えていた自分が馬鹿らしくなった。
情けない事この上無い。
この調子じゃ、泣きべそかいて帰って来てもおかしくない気さえする。
「貴方の使い魔、主人と同じでいい趣味してるわね……」
「ちょっと違うね。ヴェルダンデのお目当てはルイズのしてる指輪だよ」
「指輪ぁ?」
見ればルイズの右手の薬指には大きなルビーのついた指輪があった。お姫様から貰った物だろうか?
「ヴェルダンデは宝石に目がなくてね」
その言葉通り巨大モグラは宝石に鼻を擦り寄せている。
女の子に目がない主に宝石に目がないモグラの使い魔。
メイジの格を見るなら使い魔を見ろと言う格言を実に理解出来る。
むしろ使い魔はメイジに似るなんて言葉が出てきてもおかしくない。
「…やっぱりいい趣味してるわ」
「ハッハッハ!そんなに僕の可愛い使い魔を誉めないでくれ。主の僕が照れてしまうよ!」
誉めてねぇよ馬鹿薔薇野郎。
「バカ言ってないでどうにかしてよ!これじゃ、いつまでたっても出発できないじゃない!!」
「ご主人様ぁ?任務開始以前から挫折になられるとは、正直言ってお話しになりませんわぁ。
わたくし、任務にはお供いたしませのよぉ~?
フーケを退けたご自分のお力で、何とかしてく~ださ~いなぁ~」
水銀燈はいつもの三割増しの嫌味を添えて、ルイズのSOSを突っぱねた。
丁寧な言葉だが、痛烈な皮肉の込められた嘲りの猫なで声。おまけ本人はえらく楽しそうだ。
ルイズからしてみれば、いつもと比べて通常の三倍の侮辱を感じた事だろう。
端から見れば普通の三倍に見えるそれが、実際には三割増しだったと言うのはワリと有名な話。
赤っぽい機体みた木馬のオペレーターもビックリ。
ルイズの顔も真っ赤っか。
まるでジュン君と喧嘩して顔を紅潮させた水銀燈の妹の一人みたいだ。
言ってみれば「赤い翠星(石)」
「ば、馬鹿にしてぇ!このくらい、どうと言う事はないわよ!!」
やってみるさ!と、どうにかしてモグラを引っ剥がそうと躍起になるが、これが中々うまくいかない。
むしろ上半身を押さえ込まれて周りを見る事も適わない。モニターが死ぬ!?
すると…
一陣の風が舞い上がり彼女に抱きつくモグラを吹き飛ばした。
「ああ!僕のヴェルダンデ!!」
「敵が!?」
何者かの攻撃魔法。それを察した水銀燈が、すかさずルイズの前に立ち、長剣を羽で作り上げ、構える。
理屈では無い。考える前には既に体が動いていた。
…ついさっきまであんなにいがみ合っていたのに。
「誰だッ!」
「姿を見せなさい!」
ギーシュが激昂してわめき、水銀燈が緊張の面持ちで先の見えない朝もやを睨み付けた。
「待ちたまえ。僕は敵ではない。姫殿下より君達に同行することを命じられた者でね。
姫様は君らの身を案じて止まないのだが、お忍びの任務ゆえ、一部隊をつける訳にも行かないだろう?」
朝もやの先に、うっすらと羽帽子をかぶった長身のシルエットが浮かび上がった。
がっしりとした影の体躯と、声からして、そこにいるのが壮年の男性と伺える。
「そこでこの僕にお呼びがかかった訳さ」
影が、細長い剣か何かを引き抜き優雅な挙動で横に振った。
手にしたそれから巻き起こる旋風が、男の周りの朝霧を吹き飛ばす。
「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長。ワルド子爵だ」
そこには帽子を胸に当て、一礼をした凛々しい貴族の姿があった。
(この人、お姫様の歓迎の時ルイズがずっと見てた…それにワルドって名前もどこかで…)
水銀燈の、あの時心の隅に引っかかっていた疑問がまた顔を出す。
誰だっただろうか?
少しだけ答えに近づいた気がするが、まだ明確な答えは出なかった。
(ま、魔法衛士隊…それも隊長!?)
文句を言おうと口を開きかけたギーシュだが、相手が悪すぎると慌て口を閉ざす。
目の前にいるのは、全貴族の憧れたる魔法衛士隊の、しかもトップに立つ者なのだ。
ワルドはそんなギーシュの様子を見て、首を振った。
「すまない。婚約者が、モグラに襲われているのを見て見ぬふりはできなくてね」
「いやいや!滅相もない!!僕の使い魔が貴方の婚約者にとんだ……。…え?婚約者?ルイズの?」
「ああ!思い出したわ!」
ギーシュが不思議そうに聞き返し、水銀燈が手のひらを叩いて顔をはっとさせた。
ルイズの夢で、彼女を慰めに出てきた、許嫁の貴族がたしかワルドと言う名前だった。
夢の中のルイズが魔法の誤射で彼を池に落とした際、確かに「ワルド様」と言っていた。
幾らか月日がたち、外見こそ変わっているが、顔つきや纏った雰囲気は、夢の中とさほど変わりは無い。
何より、ルイズのさっきとは違う意味で赤く染まった頬がそれを示してしている。
「ワルド様…」
立ち上がったルイズが、震える声で言った。
「久しぶりだな!僕のルイズ!」
「お久しぶりでございます…」
ワルドは人懐っこい笑みを浮かべルイズに駆け寄り、彼女を抱え上げた。
そんなルイズもまんざらでも無い様子。
ひとしきり二人の世界とやらを堪能しているワルドとルイズだった。
へいへい…ゾッコンって奴ね。
「彼らを紹介してくれたまえ」
ワルドはルイズを下に下ろし再び帽子を目深に被る。
「あ、あの……ギーシュ・ド・グラモンと……」
ルイズがギーシュに手を向けた。ギーシュはハッとした後、慌てて頭を深々と下げた。
次に、隣にいた己の使い魔が目に写った瞬間、ルイズのはにかんだ表情が突然しかめっ面に変わる。
「ルイズ?どうしたんだい」
首を傾げて尋ねるワルドに、ルイズは水銀燈を指でさして曇った表情のまま嫌々答えた。
「それと……ただの人形の使い魔です」
水銀燈の眉が傾き、眉間に皺がよった。だが、文句を言う舌も持たないと無言でルイズに鋭い視線を送る。
そんなお人形の様子にも関わらず、恐れも見せずに子爵は、気さくな感じで水銀燈に近寄った。
「ほほう、君がルイズの使い魔か。人間、いやまるで天界から舞い降りた天使のようじゃないか!!」
お世辞の上手い男だが、不思議と悪い気はしない。人徳と言う物だろうか?
これがギーシュなら、はいはい…と手をひらひらさせて追っ払ってるところだ。
「僕の婚約者がお世話になっているよ。お名前をお聞かせ願えるかな?麗しきお人形のレディ?」
ワルドは手袋を外すと、握手を求めて水銀燈に手を差し出した。
「本来ならその美しい御手に口づけをお許し願いたいところだが、あの子が嫉妬してしまうからね。どうかこれでご勘弁頂けるかな?」
礼儀もわきまえているようだ。あのルイズのお眼鏡に叶うのも納得できる。
「…水銀燈よ。ルイズをいつもお世話してあげてるわ」
普通にそう言って、小さな手を差し出しその手を握り返す。
ワルドの後ろを見れば、ルイズが頬を膨らましてジト目でこっちを見ている。
いい加減疲れてきたわと、水銀燈は溜め息をついた。
「どうしたんだい?もしかして、アルビオンに行くのが怖いのかい?
なあに!何も怖いこと等あるものか!君はあの『土くれ』を捕まえたんじゃないか!!」
その浮かない顔に、ワルドは彼女の肩をぽんぽん叩いて、あっはっはと大笑いする。
気持ちの良い豪傑笑いだ。性格や胆力も悪く無い。
「勘違いしないでくださる?行くのはあの子とギーシュ。私はただの見送りよ。」
「見送り?」
ワルドが首を傾げて聞き返す。後ろのルイズが水銀燈の真ん前まで歩いてきた。
「…さっきのは何よ。あんなので私のご機嫌取りでもしたつもり?」
ワルドがモグラを吹き飛ばした時、水銀燈がルイズを守ろうと、前に立ち塞がった事だ。
「あんた本当は私の事心配で心配でたまらないんじゃないの?
いいわよ。『どうか私を連れて行って下さい。置いていかないで下さいご主人様』って言えばあんたもお供を許してあげるわ」
誘ってるのだが、馬鹿にしているのかわからないが、少なくともルイズ自身は水銀燈にチャンスを与えているつもりだった。
だが、いかせん言い方に難がありすぎる。水銀燈じゃなくても、こんな事言われてついていく者などいる訳がない。
「ふん、要らぬお節介だったわ。貴女こそ、私に『さっきはありがとう』の一言ぐらい言って欲しかったわね。
それを口実にお願いでもすれば私の気分も変わったでしょうに!!」
「…そう、残念ね!もう何言っても遅いわ。あんたは最後のチャンスを不意にしたのよ!!」
「その台詞、そっくりそのままお返ししてやるわよ!!」
ルイズと水銀燈の、憎まれ口の応酬を目の当たりにしたワルドが、呆れた様子で隣のギーシュに尋ねた。
「……彼女らはいつもこうなのかい?」
「いえ、いつもは意外と仲良さそうだし、口喧嘩くらいは時々してるのは見かけますが…。ここまで酷くなったのはつい最近みたいで……」
ギーシュも、頬っぺたを両手でつねり合う二人を、やるせない表情で見つめていた。
ほっとけば一日中喧嘩してるのかもしれない。
このままでは埒が空かないとワルドが二人の間に割り込んだ。
「失礼。別れを惜しんでいる所すまないが、なにぶん急を要する任務なんだ。二人とも名残惜しいとは思うがそろそろ出発しなければならない」
「「名残惜しい?誰がこんな子の事!!」」
一字一句、完璧に外さず、ミーディアムと使い魔の声が見事にハモった。
「真似しないでよ!」
「あんたの方こそ!」
「まあまあ…。落ち着くんだルイズ。
…使い魔君、安心して欲しい。ルイズはこの僕が命に変えても守ってみせよう。ここの留守は任せたよ」
ルイズの肩に手を置いてワルドが口笛を吹く。
翼がはためく音と共に、朝もやを切り裂いてグリフォンが現れた。
ワルドはひらりとそれに跨がり、ルイズに手招きをする。
「おいで、ルイズ」
ルイズは躊躇うようにして恥ずかしそうに俯く。さっきまで水銀燈と喧嘩してたのが嘘のようだ。
気持ちの切り替えが早い事で…
「おっと!僕も置いて行かれないようにしないと!」
ルイズがワルドのグリフォンに跨がるのを見たギーシュも、慌てて馬に乗る。
水銀燈は手綱を取ったギーシュへと飛んだ。
「ギーシュ。ちょっといいかしら?」
「ん?何かね?もしかして見送りのキスでも…」
言い終える前に、水銀燈の平手打ちがギーシュの顔に真っ赤な紅葉を刻みつけた。
その威力、推して知るべし。切りもみ上に回転して彼は馬から崩れ落ちる。
昨夜の鼻といい、顔面に深刻なダメージを負ったギーシュだが、任務開始前から深い傷を負う等、はっきり言って先行き不安な事この上無い。
気が立ってる彼女に、不快な冗談かましたので自業自得とも言えるのだが。
「ルイズの事、よろしく頼むわ…」
地面に尻餅をついたギーシュに、水銀燈は小さく耳打ちする。
「え?それをあの子爵じゃなくて僕に言うのかい?」
「…確かにあの人は貴方と違って性格良さそうだし、落ち着いてて、度胸もあるし、礼儀もわきまえてる上、腕もかなり立つでしょうね」
「……ああ、そうだね。彼は完璧だね」
ギーシュは落ち込んだようにこうべを垂れ、地面にのの字を書きながらいじけ出す。
そんな彼に水銀燈はさらに声を小さくして言った。
「……生憎ね、私完璧すぎるのって、信用出来ないクチなのよ」
複雑な感情の込められた意味深い韻だったが、ギーシュがそれに気付く事は無い。
「まあいいさ。薔薇を冠する友の言葉として、期待に添えるよう頑張るよ」
「ええ、お願いね」
水銀燈の様子に疑問の表情を浮かべるも、ギーシュは快く承諾した。
「喧嘩しててもやっぱりルイズが心配なんだね」
「!!」
ギーシュは軽く笑いながら何気無く言う。水銀燈の顔が朱に染まった。
「べっ、別に心配なんかしてないわよ!でもあの子一応は私の契約者なんだし、怪我でもされたら力だって貰えないだろうし、
なのにあの子、何でもかんでも突っ込んで行く癖があるから誰かが止めなくちゃいけないのよ!
そうよ!万に一つでも命の危機にでもさらされたら私の方が困っちゃうわ!!」
無理矢理こじつけてるのが丸わかりだった。多分自分でも何を言ったか分かっていない、その場しのぎの発言だ。
ギーシュは、(それが心配って言うんじゃないか)と苦笑した。
「不安なら君も意地を張らずに来れば…」
「なんか言った?」
「いや、何でもないよ」
今度は拳をグーにして振りかぶった水銀燈に、ギーシュはすぐに口を閉ざした。
「見てなさい!ちゃーんと任務を果たして胸はって帰ってやるわ。ご主人様がどれだけ偉大か教えてやるわよ!」
「泣きべそかいて帰って来るのね。そう言う冗談は、果たせるだけの力と、張れるだけの大きな胸を持ってからにしなさいよ」
「まあまあ。別れの挨拶はそのくらいにして…」
ワルドはそんなルイズを抱き抱えてなだめると、杖を掲げて高らかに叫んだ。
「では諸君!出発だ!!」
グリフォンが駆け出し、ギーシュも水銀燈に手を振った後にそれに続いた。
それを黙り込んで見送った水銀燈と、ワルドの腕に抱かれたルイズが思う。
(…ちょっと謝れば許してあげたのに)
――寄しくも心の中で呟いた一言が同調した。
不思議と、二人のその落ち込んだ表情も似通った気がしたのも、気のせいでは無いのではなかろうか?
グリフォンと馬はどんどん小さくなって行く。
「…本当に行っちゃったわ」
無意識の内に呟きがもれる。
そして、出発した面々が朝霧の果てに消え去り見えなくなった。
ぼーっと冴えない顔で、消えたルイズ逹に視線を残した水銀燈だが、視界に映るのが白い霧だけと気づいてそこで我に返った。
「フ、フン!……清々したわ!!これでしばらくあの子の世話だってしなくていいのだし。
羽を伸ばすチャンスが出来たんだものね!久しぶりに二度寝でもしちゃおうかしら!!」
誰も周りに居ないのに大声だしてわざとらしく言う。
そうして不自然に翼を大きく羽ばたかせ門のを飛び越え部屋に帰って言った。
そんな、出発する一行と、門へと引き返す人形を学院長室の窓から見つめている影が一つ。
「見送らないのですか?オールド・オスマン」
「ほほ、見ての通りこの老いぼれは鼻毛を抜いておりましてな…あ痛ッ!!」
呆れたように振り返ったアンリエッタの目には、鏡とにらめっこしながら、鼻毛をいじってるオスマン氏の間抜けな姿があった。
「余裕ですね…トリステインの未来がかかってると言うのに……」
「もはや杖は振られたのですよ。我々に出来るのは後は運を始祖に任せて、彼女らの吉報を待つばかり。違いますかな?」
「それはそうですが…」
ルイズは信用できる友人だし、ワルドも共に付けた。密命故に、表立った動きは取れないが、それでも最大限の助けはしたつもりだ。
自分の勝手でルイズに願った任務だが、アンリエッタは不安で仕方がなかった。
「なあに、彼女らならやってくれますわい」
「本当に大丈夫なのでしょうか?確かにワルドやギーシュもついておりますが…」
「いやいや、彼女らとは、ミス・ヴァリエールと使い魔の少女の事です」
アンリエッタは目を丸くする。そしてそれまでより更に、心配そうな顔で声を細めて言った。
「そのルイズのお人形の少女なのですか、…主と大喧嘩して任務には同行していないのです…」
「……なんですと?」
オスマン氏は、鏡から顔を上げ神妙な視線を王女に向けた。
「むぅ、それは困った事になりましたなぁ…」
「あのお人形さんは、それほどまでに強いのですか?」
「いいえ、一人の時はそれほどでも…。ミス・ヴァリエールも、その使い魔も、一人だけの力で言えば、同じく同行しているミスタ・グラモンの方が上でしょうなぁ」
「ならば何故?」
アンリエッタは疑問を投げ掛けた視線をオスマン氏に送るが、当のオスマン氏は一瞬だけ浮かべた真剣な顔つきを崩し、のほほんとしている。
「まあ、多分、大丈夫…では無いですかのう……?」
「質問を質問で返さないでください…」
多分だの、言葉を濁すような疑問符だの、オールド・オスマンの曖昧な返答はアンリエッタの気分を消沈させるに十分な物だった。
王女の頭にくらっ、と目眩が襲った。彼女は額に手を当て壁にもたれ掛かると、遠くを見るような目で天井を見つめ呟く。
「ああ、ルイズ・フランソワーズ、どうか無事で……」
だが、彼女が今出来る事と言えば、任務の成功を願う事と、友の身を案ずる事だけしかなかった。
――水銀燈とルイズ、二人の間に走った亀裂。
悪い事が重なり過ぎた。言ってみればそう言う事になるのだろう。
だが、この喧嘩はそれで済ませるにはあまりに酷な物だった。
別れるまでに、仲を繕うチャンスは無数にあった。だが二人はそれらを全て不意にした。
ミーディアムと使い魔、彼女らは譲る事を知らない。己こそが正しいと信じて疑わない。
仮に非を感じても、プライドの高さ故、素直に認めようとしないのだ。
運命の悪戯か、あるいは始祖が少女達にもたらした試練なのかもしれない。
繰り返された日常の中で、フーケとの戦いで、モット伯の館の騒動で、だんだんと通い合ったはずの心なのに、あんなに一緒だったのに。
――もう二人の少女は、言葉一つ通らない。
#navi(ゼロのミーディアム)
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