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マジシャン ザ ルイズ 3章 (31)病触
踊る踊る、花のように流れる水のように。アルビオンとの戦の勝利を祝い催される舞踏会。
―――その裏側。
準備室、控え室、バックヤード、会場に隣接した小会議室の一つ。そこには向かい合って座る三人の男達の姿があたt。
「それでは、一月後が攻撃の機会というのは変わりないのですな?」
「いかにも。一月の後、双月が満つる日以外にあの浮遊大陸を攻撃できる日は無い」
「……本当にアルビオンがあの光によって吹き飛ばされてたということは無いのですかな?」
「あの光が吹き飛ばしたのは、浮遊大陸の影のようなもの。いわば水面に映った月を叩いたに等しい。本体を叩かねば効果は、無い」
「むむ……それまでに片づけねばならない問題は山積みなのですが……」
未知の敵と対峙するには未知の力に縋るほかはない。例えそれが前例のない不確かなものだとしても、風前の国家に選択肢など残されていない。
彼、宰相マザリーニとて全面的にウルザをを信用したわけではない。
だが、敵の首魁がかつての魔法衛士、ジャン・ジャック・ド・ワルドであることは疑いようもなく、また、この老人がワルドと敵対関係にあることも確実なのである。
ならば、不信は飲み込んででもこの男と共闘関係を築くべきであると、マザリーニは考えていた。
「しかしミスタ・ウルザ。我が軍の戦力であなたの試算した敵勢力に対抗するには、南のガリアに対して何らかの手を打たねばなりません」
「ガリアか……あるいはロマリアと話をつけ、そちらから圧力をかけてもらうというのはどうなんじゃ?」
横からオスマンが口を挟んだ。彼がこの場で話に加わっている最後の一人である。
「それは難しい。何か決定的な切り札でもあれば別でしょうが」
額を突き合わせて意見を交わす三人。
彼らは表で宴が始まってからこのかた、そちらには姿を見せず、この場所でこうして話し合いを続けていたのであった。
全ては消滅したと思われていた浮遊大陸アルビオンが未だ健在であり、目に見えていないだけでその気になれば再び姿を現すことができるのだという、ウルザの確信に満ちた言葉から始まった。
当初、マザリーニは目下最大の懸念材料であったアルビオンの存在が消滅したことで、実質敵をゲルマニアに残留したアルビオン残党と限定して考えてた。
そしてその考えを元に彼と軍の参謀達は次の大きな会戦は数ヶ月先として準備を進めていた。
だが、その計画は先のウルザの発言で修正を余儀なくされてしまった。無尽蔵に兵員を吐き出すアルビオンが健在であるならば、トリステインに取れる道は多くない。
続けてウルザが提言したのが、一ヶ月後の総攻撃である。
ウルザの話によれば、普段はどこかに潜んでいるアルビオンも、双月が満月となる一ヶ月後のその日には、姿を現さずにはいられないらしい。
どうしてそうなるかなどはあえて聞かず、マザリーニとオスマンは一ヶ月後の攻撃への準備について話し合っているのである。
「ならばミスタ・ウルザ。ミスタの力でアルビオン軍をどうにかするというのは、如何なものかな? こう、ちょいちょいっと」
全ての世界にとっての驚異、目の前の老メイジがそれに立ち向かうものだと知っているオスマンがそんなことを口にする。
マザリーニがぎょっとする横で、ウルザは何でもないことを語るようにして首を左右に振った。
「それは得策ではない。もしも私が直接動けば、必ずやワルド子爵は自らうって出てくるだろう。そうなれば私とてそれ以外のことに注力する余裕は無くなってしまうだろう」
そう言ってウルザは自分の髭を撫でた。
単独で軍の援護を行いながら戦えるほどに、かの暗黒卿の助力を受けたワルドが容易い相手には思えなかった。
「つまり、やはり軍の相手は軍でするしかない、ということですな……」
「……浮遊大陸を引きずり出す役目は必ずや果たそう」
「そうなると……やはり、トリステインだけでアルビオンと戦うのは上策ではありませんな。なんとかして、ガリアとロマリアをこちらの側に付けられないものか……」
そう呻くマザリーニに、オスマンが目を瞑りうなり声を上げた。
「わしは戦争などという馬鹿げたものは大嫌いじゃ。……だがしかし、この度の戦いの背後には更なる侵略者の影がある、捨ておくわけにはいかん……」
「戦いを防ぐための戦い、ですか……。なんとも矛盾したものですな」
「そうじゃのぅ……。ロマリアとガリア、それらを味方に付けるのは戦争では何の役にも立たぬわしに任せて貰えんかな?」
「何か方策が?」
その問いかけに、オスマンはほっほっほと好々爺の笑みを返すと
「これから考えるんじゃよ」
そう、答えた。
そうして次の議題に移ろうとしたとき、まず最初にウルザが異変を察知した。
「……誰かが近づいてくる」
そう言ってウルザがドアを鋭く睨みつけて立ち上がる。
「確かに、物音がするのう」
続いてオスマンも傍に立てかけていた杖を手に取り立ち上がった。
ただ一人、杖を持たぬマザリーニが息を飲む。
「この部屋には誰も通すなと言っておいたのですが……」
マザリーニがそう呟いたときには、ドアの向こうでされている口論の声が、はっきりと室内にも聞こえるようになっていた。
口論している一方は容易に想像できる、衛兵である。それも魔法衛士隊のえり抜きが二人。
だが、彼らと言い争っている者は誰か?
次の瞬間、その答えが勢いよくドアを開いて部屋へと飛び込んできた。
「ここか!?」
ドアを半ば押し破るようにして現れたのは、精悍な顔つきをした壮年の男であった。
整った顔立ちは怒りで紅潮しているが、立派な口ひげと顎髭、それにモノクルが特徴的である。
舞踏会の参加者に違いない。しかもその中でも位が高いのだろう、かなり上等な装いに身を包んでいる。手にした杖も、大きなルビーをあしらった立派なものである。
彼の姿を見て、最初に反応を示したのはマザリーニ枢機卿だった。
「ヴァリエール卿!?」
そう、衛士を押しのけ部屋に踏み込んできたのは、つい先ほどまでテラスでルイズと話をしていた彼女の父親、ヴァリエール公爵ミシェル・マルセル・ド・コリニーその人であった。
「貴様がウルザだな!」
ミシェルは部屋に入るなり、三人のうち一人を見据えてそう怒鳴る。
彼はこの国の地位ある者達との付き合いが深いヴァリエール公爵である。マザリーニ枢機卿の顔は当然知っているし、オールド・オスマンの顔も同様である。
ならば、この場にいるもう一方、白髪の老人こそが、ミシェルの探していた男――愛娘が召喚したという使い魔の男に、違いなかった。
「よくも私の娘を誑かしてくれたな! 私がヴァリエール公爵であると知ってのことか!?」
燃え上がるような剣幕でウルザに詰め寄ろうとするミシェル。とっさにマザリーニが彼とウルザとの間に割り込んだ。
「ヴァリエール卿! どうか気をお鎮め下さい!」
「邪魔をしないで頂きたいマザリーニ枢機卿! 私はそこの男に話があるのだ!」
「ヴァリエール卿、何をそんなに、うわっ!」
マザリーニの悲鳴。
その両肩を掴んだミシェルが、彼の痩せた体を力任せに横へ押しのけたのである。
「ほっ、と。危ないのぅ」
たまらず弾き退かされたマザリーニの手を、老オスマンが慌てて掴んで事なきをえる。
何とか難を逃れたマザリーニは顔をしかめて掴めて肩をさすっている。
一方で遮る者がいなくなったミシェルは大股歩きでウルザに近づいていき、怒らせたその顔をウルザの顔へと近づけた。
「このペテン師め! 女王陛下やエレオノールは騙せたかも知れんが、私はそうはいかんぞっ!」
既にゼロに近い距離。吐息が感じられるほどに顔を近づけたヴァリエール卿が力の限り、ウルザの色眼鏡の奥の瞳を睨み付ける。
「いいかっ! 絶対だ! 絶対に娘は危険な目には合わせんぞっ、絶対にだっ!」
「………」
オスマンとマザリーニが息を潜めて様子を伺う中、ミシェルとウルザの睨み合いは数秒にも及んだ。
その間両者は一言たりとも口を開かなかったが、その膠着を最初に破ったのは現れたのと同様に、やはりミシェルだった。
「いいか、娘に何かあってみろ。必ず見つけ出してこの私が八つ裂きにしてやる。分かったか」
低い声で、そう呟く。
その声に虚言の色は無い。全てが本気の、心からの言葉であった。
「………」
「ぶんっ!」
そしてその一言で、用件は終わったとばかりにミシェルはその場を去ってゆくのだった。
「……ミスタ・ウルザ?」
部屋に静寂が戻り暫く、オスマンがそう声をかけるまでウルザはじっとルイズの父が去っていった扉を見つめ、直立不動の姿勢を崩さなかった。
楽団が奏でる緩やかで優しい音色、それに合わせてステップを踏んで舞う色とりどりの男女。
先ほどまで歓談をしていた貴族達も、今は思い思いのパートナーと手を取り合っている。
舞踏会が始まっていた。
「ふん……」
ダンスが始まったところで、一人の女性がホールから抜け出し、先ほどまでルイズとその家族達がいたテラスへとその姿を現した。
冷たい夜風が頬を撫でる、肩へと流した髪の一房がその流れに揺れた。
それを手で押さえる女性。派手さを抑えた純白のドレスを身に纏った彼女は、マチルダ・オブ・サウスゴータ、土くれのフーケであった。
テラスの縁、柵のあるそこまで歩いて行くフーケ。そうして彼女は柵の上に手を置いて、ぼうっと外の風景を眺めた。
華やかな舞踏会場。それはあまりにも華やかすぎて、失われた過去の時間を思い出させるに十分だった。
彼女の記憶の奥にある、古い古い時間。その中で彼女は確かにあの舞台の一員であった。
父、母、友人、暖かな大切な、既に失ってしまったもの。
不意に、強い風が一つ吹き抜けた。
慌てて顔を背ける、ビュウという音が甲高くフーケの耳に響いた。
その冷たい風のおかげで、フーケは懐かしい幻影から現実の今へと引き戻された。
そう、あの綺麗で美しい世界は、自分の居て良い世界などではない。自分は既にあの場所から追放されたのだから。
失意、絶望、失望、望郷。無念、諦念、憎悪。
フーケの中でどうしようもない感情が複雑に混ざり合って渦巻いてゆく。
どうしようもない現実を思い知らされ突きつけられ、それを変えられぬ自分への怒りと、何も成せぬことへの焦りが心を炙る。
何かに急かされているような、そんな思いに駆られてフーケの心臓の鼓動が自然、速くなる。
恨みがましく、暗い目線で舞踏会場とは正反対の場所、何もない闇へと目を向ける。
と、突然そんなフーケの視界に、ワインが注がれたグラスが一つ飛び込んできた。
「お一つ、如何ですか?」
差し出されたワイングラス、その主を見やる。そこにはうつむき加減にメイドが一人立っていた。
「間に合ってるわ。あたしは一人でいたいのよ。酒が欲しい人間は中にいくらでもいるから、そっちの相手でもしてなさい」
なぜこんなところにメイドが? 訝しみながら、フーケは手をひらひら払い、追い払うジェスチャーをする。
「まあまあ、そう言わず」
邪険にされたことを露とも気に留めず、メイドが再度グラスを差し出す。
「だから、いらないって……」
その時、再び強い風がテラスへと吹き込んだ。
突然の風で、俯き加減に目を隠していたメイドの前髪がさっと取り払われる。
そして、月光に照らし出されたのは……
「ア……アンリエッタじょっ」
驚きに大声を出しそうになるフーケの唇に、メイドの人差し指が押し当てられる。
「どうか、お静かに。こんなところが見つかったら大騒ぎになってしまいます」
メイド、いや、メイドの格好をしたトリステイン王国の若き女王、アンリエッタがそう言って微笑んだ。
「………」
メイドの格好と、アンリエッタの顔とを往復させながら、フーケは目を白黒させ困惑を露わにする。
彼女がここまで驚くには訳がある。
フーケは少なくとも数分前、まだ舞踏会場の中にいる時に女王の姿をその目で見て確認しているのである。
ほんの少し前まで沢山の貴族達に囲まれて微笑んでいた女王が、こうしてメイド姿で人気のないテラスに現れるなど、常識的に考えてありえない。
「もしかして、中にいる彼女のことでしょうか?」
そう言って唇に当てていた手を戻して、左手だけで支えていたトレイを再び両手に持ち直すメイド服の女王。
フーケが騒がないのを確認してから、女王はくすくすと笑い、悪戯好きの猫のような顔で言った。
「この服の本当の持ち主と、ほんの少しだけ変わって貰ったのです。『フェイス・チェンジ』という呪文はご存じかしら?」
フェイス・チェンジ――水と風を組み合わせたスクウェア・クラスのスペル。所謂姿変えの呪文である。
この女王がスクウェア・メイジなのか、それともスクウェアクラスの呪文を使える部下にかけさせたのかは分からないが、一応話の筋は通っている。
しかし、まだ最大の疑問が残っている。
「それで、このような場所にお忍びでいらっしゃるとはどの様なご用件でしょうか? よほどのこととお見受けしますが」
戸惑いはある、が、それも些細なこと。瞬時に怪盗フーケから貴族マチルダへと心と顔を切り替える。
「ええ、重要な用件ですわ。私はあなたとお話をしにきたのです」
何でもないことのように、さらりと言ってのける女王アンリエッタ。
『重要な用件』と『話をしにきた』、前後が繋がっていない、これではあべこべだ。
「お、お待ち下さい。わたくしなどとお話をするために、女王陛下はそのような格好をしてここまでいらっしゃったと仰るのですか?」
何から何までおかしい、目の前の女王の真の目的に皆目見当がつかない。
ペースが乱される、良くない兆候だとフーケの経験が言っていた。
何も考えていないのか? いやいやそんなことはない。この女は計算高くこちらの出方を伺っているに違いない、きっとそうだ。フーケは混乱しつつも、そのように受け止めた。
「……何か、おかしいことを言いましたか?」
だが、そんなフーケの動揺を余所に、女王は可愛らしく小首を傾げてそんなことを聞いて見せたのである。
つい『もしかしたら何も考えていないのでは?』という考えが頭をよぎるが、そんなことはないと自分に言い聞かせる。
「私は本当にただあなたと話をするためにここに来たのです。ここには監視の目も自動筆記も政治的駆け引きもありません。私とあなたが居るだけです、土くれのフーケさん」
その名前に瞬間ドキリとする。
しかし、そんなことは考えれば分かることだ。こちらの素性は既に完全に調べ上げられていて当然なのである。
「……ただ話をしにきただけ? だったら一体どんな話をしようってんだい?」
と、フーケはぶっきらぼうに言葉を返した。
相手からフーケをご所望なのだ、ならばわざわざ猫被る必要もないとの考えである。
「ふふふ。フーケさん、それがあなたの本当なのですね。そちらのしゃべり方の方がずっとあなたらしいですわ」
そう言って顔を綻ばしてアンリエッタが笑う。
それを見たフーケの防衛反応が萎えかける。
『妹』を思い起こさせるその笑顔が、フーケの警戒心とささくれだった心を宥めたのは、いかんともし難い事実であった。
「そ、そんなことはどうでも良いんだよ。何でそんな格好して身代わりまで立てて、あたしなんかに会いに来たかって聞いてるんだ」
「そうでした。二度も聞かせてしまって申し訳ありません。話、というか、聞きたいことがあったのです」
今度こそフーケが身構える。
女王が今一番欲している情報は何かを考える、アルビオンへの侵入方法? ゲルマニアのレジスタンスの情報? それともロマリアの――
「どうして、貴族である我々に協力するのですか?」
「……はぁ?」
今度こそ、フーケの思考が固まった。
上げ調子の疑問符を口にするフーケ。その前でアンリエッタは、真剣な顔で再び聞いた。
「どうしてあなたは憎い貴族であるはずの我々に協力するのです? あなたの過去は文書で読みました。貴族というものそのものを恨んでも仕方ありません。貴族だけを狙う盗賊行為を行っていたのも合点がいきます。
でも、そう考えれば考えるほど分かりません。どうしてそんなあなたが協力してくれるのですか? むしろあなたにとっては復讐を遂げるまたとない機会なのではないですか?」
問いかける女王の言葉。その色は真剣そのものであり、
「く、くくっ……ははっ、はははは……」
だからこそ、その言葉を聞いたフーケの中からは、堪えようのない笑いがこみ上げたのだった。
「な、何がおかしいのですか?」
「ははっ、はははははははっ!」
フーケは思う、この女王はなんて世間知らずで頭でっかちなのだろう、と。きっと自分が今真っ当なことを言ったと思っているに違いない。
そしてなぜ笑われているかが全く分からないに違いない、と。
「ははっ……。なぜ笑うかって? それは面白いからに決まってるじゃないか。 じゃあ何か? 女王様、あんたはあたしがあいつらに付き合って腐りかけた連中と一緒に、ハルケギニア中を踏み荒らす方が正しかったって言いたいのかい?」
「いえ、そうは言いませんが……」
「いいや、あんたはそれが正しい姿だと思ってるんだろう?
自分を犠牲にしてでも復讐をやり遂げる。世界の事なんて知ったこっちゃないっていう、物語の中に出てくる悪党のようにさ。それがあんたの思う正しいあたしの姿って訳だ。こうりゃ面白い、笑わずにはいられないねっ」
困ったような拗ねたような、納得できないという顔をしているアンリエッタを見て、フーケはいよいよ笑いが止まらなくなってしまう。
「困った女王様だ……。人の上に立つっていうのに、……全く人間ってものが分かっちゃいない」
そう言われてアンリエッタはしょんぼりと沈んだ顔をした。
「……自身の未熟が恥ずかしい限りですわ」
「全くだね」
「それで……まだ答えを聞いておりません。なぜあなたは我々貴族に協力してくれるのですか?」
「だから困った女王だって言うんだあたしは。答え? そんなもの決まってるじゃないか。『命あってのものだね』だからさ」
言ってフーケは、アンリエッタの手にしたトレイから素早くワイングラスを奪い取り、それを一息に呷った。
「いいかい? 人間ってのは自分の命が何より大事なのさ。復讐? そりゃ確かにしたいさ、でも命をかけるほどじゃない。
考えてもみな、確かにあたしは貴族ってもんに人生を滅茶苦茶にされた。でもね、だからって残った人生を復讐に捧げて棒に振りたいとは思わない。いや、振ってなんかやらないね」
「………」
「それにね。あたしには、家族が、あたしの帰りを待ってくれてる人間がいる。だからこそ、この命はそんなものの為に使っていいような安っぽいものじゃないんだ」
そう言って、フーケはアンリエッタの顔を正面から見つめた。そして見つめられたアンリエッタもフーケの瞳をしっかと見返した。
そうして見つめ合う二人。
フーケは正面に立つ娘から『妹』の面影を読み取って、彼女と目の前の女王が遠い血縁関係にあることを思い出した。
一方アンリエッタはフーケの言う言葉に嘘偽りが無いことを感じ、その言葉の意味を考えていた。
復讐と、守りたいもの。この二つを天秤にしたとき、自分はどちらを取るか。
勿論理性では後者だというのは分かっている。しかし、土壇場になってもその判断を揺るぎなく下せるであろう、目の前の女性の強さがアンリエッタにはまぶしいもののように感じて仕方がなかった。
「それにね。あんたの言う自分の命も省みずに目的を果たそうとする復讐者。もしもそんな奴が居るとして、そいつは本当に生きていると言えるのかい?」
「それは……」
「そいつは生き物としては生きているのかも知れないけど、人間としては既に死んじまってるんじゃないかね。
全てを復讐に捧げた人間、きっとそれは人間の姿をしているだけで、中に復讐っていう炎を詰め込んだ亡霊なんだろうさ。そして私はそんな化物なんかにはなりたくない、絶対に」
そう口にしながら脳裏に思い出されたのは一人の老人の姿。
長身に白髪に白髭、身にはローブを纏って手には杖。そして印象深いのは奥にあるものを隠しているような色眼鏡。
――ウルザ、ヴァリエール家の三女が使い魔として呼び出した、あのメイジの姿。
あの船の中、宝物庫で現れた幻影、あれこそ今自分の口にした化け物そのものであった。
逆らってはならないと、本能的に察せられたあの異様。妹を人質にされた怒りすら通り越す絶望感。
『アレに逆らってはならない、アレは、躊躇などしない』という確信。
彼から感じられたのはワルドに感じた恐怖とは全く性質を異にする違和感。それはあえて形にするなら生きて動く人間から感じる猛烈な死臭のようなもの。
かつて生きていたものの残り滓、死んだ人間の姿と名をを騙る亡霊、おぞましき生への冒涜。
あのようなものにならぬように生きていきたい、フーケはそう切に願うのであった。
チクタクチクタク 時計の針は進んでいく。
「……疲れた……、いろんなな意味で……」
比較的喧噪と遠いフロア。
そう呟いたのは鳶色の瞳に桃色のブロンド、そして魔法学院の制服を着た娘。つまりルイズである。
彼女はつい先ほどまで母親に自身の系統への目覚めと自分が考えたその意味とを、稚拙な言葉ながら語って聞かせ、自分が今回の戦いに参加することを認めてくれるようにと説得していたのだ。
結局カリーヌは娘の意志を尊重しつつも、最終的にはミシェルの決定に従うという立場を取ることにしてくれた。
当初は父、母、姉二人を説得しなくてはならないと考えていたルイズからすれば、これは大きな進展であった。
「おやルイズ、お話の方は終わったのかい?」
と、くたびれて帰ってきたルイズに声をかけたのは、手に料理を載せた皿を持っているギーシュである。
その傍らにはもぐもぐと色とりどりのフルーツを口に入れて動かしているモン モランシーもいる。
二人は既にダンスは始まっているというのにこの一帯に留まり、その情熱と鬱憤を料理にぶつけていたところなのであった。
「ええ、お父様にもお母様にも会えたわ」
「はは、随分とお疲れのようじゃないか。まあ、ここにある料理でも食べて元気を出すといいさ。ここにある料理、どれもこれも絶品ばかりだよ! 流石王宮のシェフ達だ、僕ぁ生まれてこのかたこんなに美味しい料理は食べたことがないね!断言できる!」
拳を振り上げてまるで自分の手柄のように力説するギーシュ。その傍らでは一口大にカットされたケーキを口に放り込んだモンモランシーが、頬を染めてうっとりしている。
「そう……それじゃ私も貰おうかしら」
そう言ってルイズはめざとく見つけた好物、カットされたクックベリーパイに手を伸ばした。
クックベリーの鮮やかな赤が生地に映え、見た目も人を楽しませる配慮がなされている。王宮お抱えの超一流職人お手製の逸品に違いない。
年頃の女の子らしく、甘いものを味合う幸せを楽しみにしながら、ルイズはそれを口に入れた。
「……!!?? うぇべべべべべっ!! ちょっ! 何これ! 酸っぱっ! 酸っぱすぎよっ! 水、水っ!」
期待していた甘味とは違う、舌を刺すような酸にルイズは堪らず悲鳴を上げる。
手にしていたパイを付近の何も乗っていない皿に乗せ、手近なところにあったグラスに入った水を、この際誰のものでも気にしないという勢いで一気に流し込んむ。
「ぅえぇ……何なのよ一体……」
「あらら、ハズレでも引いちゃったのね。私がさっき食べた奴はダダ甘の甘々だったもの」
口を動かすことに疲れたのか、一休みに入っていたモンモランシーがルイズの前にひょっこり姿を現し、ルイズの食べかけのパイを手に取った。
「ちょっと失礼」
「あ……」
そう言うと、モンモランシーはルイズが何か言うより先に、それをそのまま口に入れてしまった。
途端、モンモランシーの顔色が曇る。
「ね、言ったでしょ。すっごく酸っぱいって」
「……どこがよ。舌が馬鹿になりそうなくらい甘いじゃない」
「 ……え?」
思わぬモンモランシーの言葉。それにルイズは惚けたように気が抜けた言葉を返した。
「やっぱり甘過ぎよコレ、もうちょっと甘めを抑えた方が私は好みね。……それに、これは絶対太るわ」
その言葉に、ルイズは恐る恐るといった様子で再びパイを手にとって、それを小さく囓ってみた。
感じたのは――――レモンのような、酸味だった。
みるみるルイズの顔色が青に染まっていく。
「ん? どうかしたの?」
ルイズの変化に気がついたモンモランシーがルイズに声をかける。
その声ではっと我に返るルイズ。直ぐさまその手でモンモランシーの腕を掴む。
「ちょ、何っ? 何かあったの?」
「な、何でもないわ! それより、いい? モンモランシー? 今のことは絶対に秘密、他言無用よ。ギーシュ、あんたもよっ! 絶対に絶対よ、もしも誰かに漏らしたら、ただじゃおかないんだからっ! わかった!?」
「わ、分かったわ……」
「あ、ああ……」
突然のルイズの剣幕に、たじろぎながら生返事を返すモンモランシーとギーシュ。
ルイズは体の震えを二人に悟られないように気を付けながら、二人から一歩、二歩と距離を離す。
「あ、待ってルイズ……」
「……もう、行くわ。他の人には私は勝手に帰ったって言っておいて頂戴……」
ルイズは何かを言おうとしている二人にか細い声でそれだけを伝えると、逃げるようにしてその場を後にするのだった。
チクタクチクタク 時計の針は進んでいく。
第一段階は味覚の変調
――ウルザ
#center(){[[戻る>マジシャン ザ ルイズ 3章 (30)]] [[マジシャン ザ ルイズ]] [[進む>マジシャン ザ ルイズ 3章 (32)]]}
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マジシャン ザ ルイズ 3章 (31)病蝕
踊る踊る、花のように流れる水のように。アルビオンとの戦の勝利を祝い催される舞踏会。
―――その裏側。
準備室、控え室、バックヤード、会場に隣接した小会議室の一つ。そこには向かい合って座る三人の男達の姿があった。
「それでは、一月後が攻撃の機会というのは変わりないのですな?」
「いかにも。一月の後、双月が満つる日以外にあの浮遊大陸を攻撃できる日は無い」
「……本当にアルビオンがあの光によって吹き飛ばされてたということは無いのですかな?」
「あの光が吹き飛ばしたのは、浮遊大陸の影のようなもの。いわば水面に映った月を叩いたに等しい。本体を叩かねば効果は、無い」
「むむ……それまでに片づけねばならない問題は山積みなのですが……」
未知の敵と対峙するには未知の力に縋るほかはない。例えそれが前例のない不確かなものだとしても、風前の国家に選択肢など残されていない。
彼、宰相マザリーニとて全面的にウルザを信用したわけではない。
だが、敵の首魁がかつての魔法衛士、ジャン・ジャック・ド・ワルドであることは疑いようもなく、また、この老人がワルドと敵対関係にあることも確実なのである。
ならば、不信は飲み込んででもこの男と共闘関係を築くべきであると、マザリーニは考えていた。
「しかしミスタ・ウルザ。我が軍の戦力であなたの試算した敵勢力に対抗するには、南のガリアに対して何らかの手を打たねばなりません」
「ガリアか……あるいはロマリアと話をつけ、そちらから圧力をかけてもらうというのはどうなんじゃ?」
横からオスマンが口を挟んだ。彼がこの場で話に加わっている最後の一人である。
「それは難しい。何か決定的な切り札でもあれば別でしょうが」
額を突き合わせて意見を交わす三人。
彼らは表で宴が始まってからこのかた、そちらには姿を見せず、この場所でこうして話し合いを続けていたのであった。
全ては消滅したと思われていた浮遊大陸アルビオンが未だ健在であり、目に見えていないだけでその気になれば再び姿を現すことができるのだという、ウルザの確信に満ちた言葉から始まった。
当初、マザリーニは目下最大の懸念材料であったアルビオンの存在が消滅したことで、実質敵をゲルマニアに残留したアルビオン残党と限定して考えてた。
そしてその考えを元に彼と軍の参謀達は次の大きな会戦は数ヶ月先として準備を進めていた。
だが、その計画は先のウルザの発言で修正を余儀なくされてしまった。無尽蔵に兵員を吐き出すアルビオンが健在であるならば、トリステインに取れる道は多くない。
続けてウルザが提言したのが、一ヶ月後の総攻撃である。
ウルザの話によれば、普段はどこかに潜んでいるアルビオンも、双月が満月となる一ヶ月後のその日には、姿を現さずにはいられないらしい。
どうしてそうなるかなどはあえて聞かず、マザリーニとオスマンは一ヶ月後の攻撃への準備について話し合っているのである。
「ならばミスタ・ウルザ。ミスタの力でアルビオン軍をどうにかするというのは、如何なものかな? こう、ちょいちょいっと」
全ての世界にとっての驚異、目の前の老メイジがそれに立ち向かうものだと知っているオスマンがそんなことを口にする。
マザリーニがぎょっとする横で、ウルザは何でもないことを語るようにして首を左右に振った。
「それは得策ではない。もしも私が直接動けば、必ずやワルド子爵は自らうって出てくるだろう。そうなれば私とてそれ以外のことに注力する余裕は無くなってしまうだろう」
そう言ってウルザは自分の髭を撫でた。
単独で軍の援護を行いながら戦えるほどに、かの暗黒卿の助力を受けたワルドが容易い相手には思えなかった。
「つまり、やはり軍の相手は軍でするしかない、ということですな……」
「……浮遊大陸を引きずり出す役目は必ずや果たそう」
「そうなると……やはり、トリステインだけでアルビオンと戦うのは上策ではありませんな。なんとかして、ガリアとロマリアをこちらの側に付けられないものか……」
そう呻くマザリーニに、オスマンが目を瞑りうなり声を上げた。
「わしは戦争などという馬鹿げたものは大嫌いじゃ。……だがしかし、この度の戦いの背後には更なる侵略者の影がある、捨ておくわけにはいかん……」
「戦いを防ぐための戦い、ですか……。なんとも矛盾したものですな」
「そうじゃのぅ……。ロマリアとガリア、それらを味方に付けるのは戦争では何の役にも立たぬわしに任せて貰えんかな?」
「何か方策が?」
その問いかけに、オスマンはほっほっほと好々爺の笑みを返すと
「これから考えるんじゃよ」
そう、答えた。
そうして次の議題に移ろうとしたとき、まず最初にウルザが異変を察知した。
「……誰かが近づいてくる」
そう言ってウルザがドアを鋭く睨みつけて立ち上がる。
「確かに、物音がするのう」
続いてオスマンも傍に立てかけていた杖を手に取り立ち上がった。
ただ一人、杖を持たぬマザリーニが息を飲む。
「この部屋には誰も通すなと言っておいたのですが……」
マザリーニがそう呟いたときには、ドアの向こうでされている口論の声が、はっきりと室内にも聞こえるようになっていた。
口論している一方は容易に想像できる、衛兵である。それも魔法衛士隊のえり抜きが二人。
だが、彼らと言い争っている者は誰か?
次の瞬間、その答えが勢いよくドアを開いて部屋へと飛び込んできた。
「ここか!?」
ドアを半ば押し破るようにして現れたのは、精悍な顔つきをした壮年の男であった。
整った顔立ちは怒りで紅潮しているが、立派な口ひげと顎髭、それにモノクルが特徴的である。
舞踏会の参加者に違いない。しかもその中でも位が高いのだろう、かなり上等な装いに身を包んでいる。手にした杖も、大きなルビーをあしらった立派なものである。
彼の姿を見て、最初に反応を示したのはマザリーニ枢機卿だった。
「ヴァリエール卿!?」
そう、衛士を押しのけ部屋に踏み込んできたのは、つい先ほどまでテラスでルイズと話をしていた彼女の父親、ヴァリエール公爵ミシェル・マルセル・ド・コリニーその人であった。
「貴様がウルザだな!」
ミシェルは部屋に入るなり、三人のうち一人を見据えてそう怒鳴る。
彼はこの国の地位ある者達との付き合いが深いヴァリエール公爵である。マザリーニ枢機卿の顔は当然知っているし、オールド・オスマンの顔も同様である。
ならば、この場にいるもう一方、白髪の老人こそが、ミシェルの探していた男――愛娘が召喚したという使い魔の男に、違いなかった。
「よくも私の娘を誑かしてくれたな! 私がヴァリエール公爵であると知ってのことか!?」
燃え上がるような剣幕でウルザに詰め寄ろうとするミシェル。とっさにマザリーニが彼とウルザとの間に割り込んだ。
「ヴァリエール卿! どうか気をお鎮め下さい!」
「邪魔をしないで頂きたいマザリーニ枢機卿! 私はそこの男に話があるのだ!」
「ヴァリエール卿、何をそんなに、うわっ!」
マザリーニの悲鳴。
その両肩を掴んだミシェルが、彼の痩せた体を力任せに横へ押しのけたのである。
「ほっ、と。危ないのぅ」
たまらず弾き退かされたマザリーニの手を、老オスマンが慌てて掴んで事なきをえる。
何とか難を逃れたマザリーニは顔をしかめて掴まれた肩をさすっている。
一方で遮る者がいなくなったミシェルは大股歩きでウルザに近づいていき、怒らせたその顔をウルザの顔へと近づけた。
「このペテン師め! 女王陛下やエレオノールは騙せたかも知れんが、私はそうはいかんぞっ!」
既にゼロに近い距離。吐息が感じられるほどに顔を近づけたヴァリエール卿が力の限り、ウルザの色眼鏡の奥の瞳を睨み付ける。
「いいかっ! 絶対だ! 絶対に娘は危険な目には合わせんぞっ、絶対にだっ!」
「………」
オスマンとマザリーニが息を潜めて様子を窺う中、ミシェルとウルザの睨み合いは数秒にも及んだ。
その間両者は一言たりとも口を開かなかったが、その膠着を最初に破ったのは現れたのと同様に、やはりミシェルだった。
「いいか、娘に何かあってみろ。必ず見つけ出してこの私が八つ裂きにしてやる。分かったか」
低い声で、そう呟く。
その声に虚言の色は無い。全てが本気の、心からの言葉であった。
「………」
「ぶんっ!」
そしてその一言で、用件は終わったとばかりにミシェルはその場を去ってゆくのだった。
「……ミスタ・ウルザ?」
部屋に静寂が戻り暫く、オスマンがそう声をかけるまでウルザはじっとルイズの父が去っていった扉を見つめ、直立不動の姿勢を崩さなかった。
楽団が奏でる緩やかで優しい音色、それに合わせてステップを踏んで舞う色とりどりの男女。
先ほどまで歓談をしていた貴族達も、今は思い思いのパートナーと手を取り合っている。
舞踏会が始まっていた。
「ふん……」
ダンスが始まったところで、一人の女性がホールから抜け出し、先ほどまでルイズとその家族達がいたテラスへとその姿を現した。
冷たい夜風が頬を撫でる、肩へと流した髪の一房がその流れに揺れた。
それを手で押さえる女性。派手さを抑えた純白のドレスを身に纏った彼女は、マチルダ・オブ・サウスゴータ、土くれのフーケであった。
テラスの縁、柵のあるそこまで歩いて行くフーケ。そうして彼女は柵の上に手を置いて、ぼうっと外の風景を眺めた。
華やかな舞踏会場。それはあまりにも華やかすぎて、失われた過去の時間を思い出させるに十分だった。
彼女の記憶の奥にある、古い古い時間。その中で彼女は確かにあの舞台の一員であった。
父、母、友人、暖かな大切な、既に失ってしまったもの。
不意に、強い風が一つ吹き抜けた。
慌てて顔を背ける、ビュウという音が甲高くフーケの耳に響いた。
その冷たい風のおかげで、フーケは懐かしい幻影から現実の今へと引き戻された。
そう、あの綺麗で美しい世界は、自分の居て良い世界などではない。自分は既にあの場所から追放されたのだから。
失意、絶望、失望、望郷。無念、諦念、憎悪。
フーケの中でどうしようもない感情が複雑に混ざり合って渦巻いてゆく。
どうしようもない現実を思い知らされ突きつけられ、それを変えられぬ自分への怒りと、何も成せぬことへの焦りが心を炙る。
何かに急かされているような、そんな思いに駆られてフーケの心臓の鼓動が自然、速くなる。
恨みがましく、暗い目線で舞踏会場とは正反対の場所、何もない闇へと目を向ける。
と、突然そんなフーケの視界に、ワインが注がれたグラスが一つ飛び込んできた。
「お一つ、如何ですか?」
差し出されたワイングラス、その主を見やる。そこにはうつむき加減にメイドが一人立っていた。
「間に合ってるわ。あたしは一人でいたいのよ。酒が欲しい人間は中にいくらでもいるから、そっちの相手でもしてなさい」
なぜこんなところにメイドが? 訝しみながら、フーケは手をひらひら払い、追い払うジェスチャーをする。
「まあまあ、そう言わず」
邪険にされたことを露とも気に留めず、メイドが再度グラスを差し出す。
「だから、いらないって……」
その時、再び強い風がテラスへと吹き込んだ。
突然の風で、俯き加減に目を隠していたメイドの前髪がさっと取り払われる。
そして、月光に照らし出されたのは……
「ア……アンリエッタじょっ」
驚きに大声を出しそうになるフーケの唇に、メイドの人差し指が押し当てられる。
「どうか、お静かに。こんなところが見つかったら大騒ぎになってしまいます」
メイド、いや、メイドの格好をしたトリステイン王国の若き女王、アンリエッタがそう言って微笑んだ。
「………」
メイドの格好と、アンリエッタの顔とを往復させながら、フーケは目を白黒させ困惑を露わにする。
彼女がここまで驚くには訳がある。
フーケは少なくとも数分前、まだ舞踏会場の中にいる時に女王の姿をその目で見て確認しているのである。
ほんの少し前まで沢山の貴族達に囲まれて微笑んでいた女王が、こうしてメイド姿で人気のないテラスに現れるなど、常識的に考えてありえない。
「もしかして、中にいる彼女のことでしょうか?」
そう言って唇に当てていた手を戻して、左手だけで支えていたトレイを再び両手に持ち直すメイド服の女王。
フーケが騒がないのを確認してから、女王はくすくすと笑い、悪戯好きの猫のような顔で言った。
「この服の本当の持ち主と、ほんの少しだけ代わって貰ったのです。『フェイス・チェンジ』という呪文はご存じかしら?」
フェイス・チェンジ――水と風を組み合わせたスクウェア・クラスのスペル。所謂姿変えの呪文である。
この女王がスクウェア・メイジなのか、それともスクウェアクラスの呪文を使える部下にかけさせたのかは分からないが、一応話の筋は通っている。
しかし、まだ最大の疑問が残っている。
「それで、このような場所にお忍びでいらっしゃるとはどの様なご用件でしょうか? よほどのこととお見受けしますが」
戸惑いはある、が、それも些細なこと。瞬時に怪盗フーケから貴族マチルダへと心と顔を切り替える。
「ええ、重要な用件ですわ。私はあなたとお話をしにきたのです」
何でもないことのように、さらりと言ってのける女王アンリエッタ。
『重要な用件』と『話をしにきた』、前後が繋がっていない、これではあべこべだ。
「お、お待ち下さい。わたくしなどとお話をするために、女王陛下はそのような格好をしてここまでいらっしゃったと仰るのですか?」
何から何までおかしい、目の前の女王の真の目的に皆目見当がつかない。
ペースが乱される、良くない兆候だとフーケの経験が言っていた。
何も考えていないのか? いやいやそんなことはない。この女は計算高くこちらの出方を窺っているに違いない、きっとそうだ。フーケは混乱しつつも、そのように受け止めた。
「……何か、おかしいことを言いましたか?」
だが、そんなフーケの動揺を余所に、女王は可愛らしく小首を傾げてそんなことを聞いて見せたのである。
つい『もしかしたら何も考えていないのでは?』という考えが頭をよぎるが、そんなことはないと自分に言い聞かせる。
「私は本当にただあなたと話をするためにここに来たのです。ここには監視の目も自動筆記も政治的駆け引きもありません。私とあなたが居るだけです、土くれのフーケさん」
その名前に瞬間ドキリとする。
しかし、そんなことは考えれば分かることだ。こちらの素性は既に完全に調べ上げられていて当然なのである。
「……ただ話をしにきただけ? だったら一体どんな話をしようってんだい?」
と、フーケはぶっきらぼうに言葉を返した。
相手からフーケをご所望なのだ、ならばわざわざ猫被る必要もないとの考えである。
「ふふふ。フーケさん、それがあなたの本当なのですね。そちらのしゃべり方の方がずっとあなたらしいですわ」
そう言って顔を綻ばしてアンリエッタが笑う。
それを見たフーケの防衛反応が萎えかける。
『妹』を思い起こさせるその笑顔が、フーケの警戒心とささくれだった心を宥めたのは、いかんともし難い事実であった。
「そ、そんなことはどうでも良いんだよ。何でそんな格好して身代わりまで立てて、あたしなんかに会いに来たかって聞いてるんだ」
「そうでした。二度も聞かせてしまって申し訳ありません。話、というか、聞きたいことがあったのです」
今度こそフーケが身構える。
女王が今一番欲している情報は何かを考える、アルビオンへの侵入方法? ゲルマニアのレジスタンスの情報? それともロマリアの――
「どうして、貴族である我々に協力するのですか?」
「……はぁ?」
今度こそ、フーケの思考が固まった。
上げ調子の疑問符を口にするフーケ。その前でアンリエッタは、真剣な顔で再び聞いた。
「どうしてあなたは憎い貴族であるはずの我々に協力するのです? あなたの過去は文書で読みました。貴族というものそのものを恨んでも仕方ありません。貴族だけを狙う盗賊行為を行っていたのも合点がいきます。
でも、そう考えれば考えるほど分かりません。どうしてそんなあなたが協力してくれるのですか? むしろあなたにとっては復讐を遂げるまたとない機会なのではないですか?」
問いかける女王の言葉。その色は真剣そのものであり、
「く、くくっ……ははっ、はははは……」
だからこそ、その言葉を聞いたフーケの中からは、堪えようのない笑いがこみ上げたのだった。
「な、何がおかしいのですか?」
「ははっ、はははははははっ!」
フーケは思う、この女王はなんて世間知らずで頭でっかちなのだろう、と。きっと自分が今真っ当なことを言ったと思っているに違いない。
そしてなぜ笑われているかが全く分からないに違いない、と。
「ははっ……。なぜ笑うかって? それは面白いからに決まってるじゃないか。 じゃあ何か? 女王様、あんたはあたしがあいつらに付き合って腐りかけた連中と一緒に、ハルケギニア中を踏み荒らす方が正しかったって言いたいのかい?」
「いえ、そうは言いませんが……」
「いいや、あんたはそれが正しい姿だと思ってるんだろう?
自分を犠牲にしてでも復讐をやり遂げる。世界の事なんて知ったこっちゃないっていう、物語の中に出てくる悪党のようにさ。それがあんたの思う正しいあたしの姿って訳だ。こうりゃ面白い、笑わずにはいられないねっ」
困ったような拗ねたような、納得できないという顔をしているアンリエッタを見て、フーケはいよいよ笑いが止まらなくなってしまう。
「困った女王様だ……。人の上に立つっていうのに、……全く人間ってものが分かっちゃいない」
そう言われてアンリエッタはしょんぼりと沈んだ顔をした。
「……自身の未熟が恥ずかしい限りですわ」
「全くだね」
「それで……まだ答えを聞いておりません。なぜあなたは我々貴族に協力してくれるのですか?」
「だから困った女王だって言うんだあたしは。答え? そんなもの決まってるじゃないか。『命あってのものだね』だからさ」
言ってフーケは、アンリエッタの手にしたトレイから素早くワイングラスを奪い取り、それを一息に呷った。
「いいかい? 人間ってのは自分の命が何より大事なのさ。復讐? そりゃ確かにしたいさ、でも命をかけるほどじゃない。
考えてもみな、確かにあたしは貴族ってもんに人生を滅茶苦茶にされた。でもね、だからって残った人生を復讐に捧げて棒に振りたいとは思わない。いや、振ってなんかやらないね」
「………」
「それにね。あたしには、家族が、あたしの帰りを待ってくれてる人間がいる。だからこそ、この命はそんなものの為に使っていいような安っぽいものじゃないんだ」
そう言って、フーケはアンリエッタの顔を正面から見つめた。そして見つめられたアンリエッタもフーケの瞳をしっかと見返した。
そうして見つめ合う二人。
フーケは正面に立つ娘から『妹』の面影を読み取って、彼女と目の前の女王が遠い血縁関係にあることを思い出した。
一方アンリエッタはフーケの言う言葉に嘘偽りが無いことを感じ、その言葉の意味を考えていた。
復讐と、守りたいもの。この二つを天秤にしたとき、自分はどちらを取るか。
勿論理性では後者だというのは分かっている。しかし、土壇場になってもその判断を揺るぎなく下せるであろう、目の前の女性の強さがアンリエッタにはまぶしいもののように感じて仕方がなかった。
「それにね。あんたの言う自分の命も省みずに目的を果たそうとする復讐者。もしもそんな奴が居るとして、そいつは本当に生きていると言えるのかい?」
「それは……」
「そいつは生き物としては生きているのかも知れないけど、人間としては既に死んじまってるんじゃないかね。
全てを復讐に捧げた人間、きっとそれは人間の姿をしているだけで、中に復讐っていう炎を詰め込んだ亡霊なんだろうさ。そして私はそんな化物なんかにはなりたくない、絶対に」
そう口にしながら脳裏に思い出されたのは一人の老人の姿。
長身に白髪に白髭、身にはローブを纏って手には杖。そして印象深いのは奥にあるものを隠しているような色眼鏡。
――ウルザ、ヴァリエール家の三女が使い魔として呼び出した、あのメイジの姿。
あの船の中、宝物庫で現れた幻影、あれこそ今自分の口にした化け物そのものであった。
逆らってはならないと、本能的に察せられたあの異様。妹を人質にされた怒りすら通り越す絶望感。
『アレに逆らってはならない、アレは、躊躇などしない』という確信。
彼から感じられたのはワルドに感じた恐怖とは全く性質を異にする違和感。それはあえて形にするなら生きて動く人間から感じる猛烈な死臭のようなもの。
かつて生きていたものの残り滓、死んだ人間の姿と名を騙る亡霊、おぞましき生への冒涜。
あのようなものにならぬように生きていきたい、フーケはそう切に願うのであった。
チクタクチクタク 時計の針は進んでいく。
「……疲れた……、いろんなな意味で……」
比較的喧噪と遠いフロア。
そう呟いたのは鳶色の瞳に桃色のブロンド、そして魔法学院の制服を着た娘。つまりルイズである。
彼女はつい先ほどまで母親に自身の系統への目覚めと自分が考えたその意味とを、稚拙な言葉ながら語って聞かせ、自分が今回の戦いに参加することを認めてくれるようにと説得していたのだ。
結局カリーヌは娘の意志を尊重しつつも、最終的にはミシェルの決定に従うという立場を取ることにしてくれた。
当初は父、母、姉二人を説得しなくてはならないと考えていたルイズからすれば、これは大きな進展であった。
「おやルイズ、お話の方は終わったのかい?」
と、くたびれて帰ってきたルイズに声をかけたのは、手に料理を載せた皿を持っているギーシュである。
その傍らにはもぐもぐと色とりどりのフルーツを口に入れて動かしているモン モランシーもいる。
二人は既にダンスは始まっているというのにこの一帯に留まり、その情熱と鬱憤を料理にぶつけていたところなのであった。
「ええ、お父様にもお母様にも会えたわ」
「はは、随分とお疲れのようじゃないか。まあ、ここにある料理でも食べて元気を出すといいさ。ここにある料理、どれもこれも絶品ばかりだよ! 流石王宮のシェフ達だ、僕ぁ生まれてこのかたこんなに美味しい料理は食べたことがないね!断言できる!」
拳を振り上げてまるで自分の手柄のように力説するギーシュ。その傍らでは一口大にカットされたケーキを口に放り込んだモンモランシーが、頬を染めてうっとりしている。
「そう……それじゃ私も貰おうかしら」
そう言ってルイズはめざとく見つけた好物、カットされたクックベリーパイに手を伸ばした。
クックベリーの鮮やかな赤が生地に映え、見た目も人を楽しませる配慮がなされている。王宮お抱えの超一流職人お手製の逸品に違いない。
年頃の女の子らしく、甘いものを味合う幸せを楽しみにしながら、ルイズはそれを口に入れた。
「……!!?? うぇべべべべべっ!! ちょっ! 何これ! 酸っぱっ! 酸っぱすぎよっ! 水、水っ!」
期待していた甘味とは違う、舌を刺すような酸にルイズは堪らず悲鳴を上げる。
手にしていたパイを付近の何も乗っていない皿に乗せ、手近なところにあったグラスに入った水を、この際誰のものでも気にしないという勢いで一気に流し込んむ。
「ぅえぇ……何なのよ一体……」
「あらら、ハズレでも引いちゃったのね。私がさっき食べた奴はダダ甘の甘々だったもの」
口を動かすことに疲れたのか、一休みに入っていたモンモランシーがルイズの前にひょっこり姿を現し、ルイズの食べかけのパイを手に取った。
「ちょっと失礼」
「あ……」
そう言うと、モンモランシーはルイズが何か言うより先に、それをそのまま口に入れてしまった。
途端、モンモランシーの顔色が曇る。
「ね、言ったでしょ。すっごく酸っぱいって」
「……どこがよ。舌が馬鹿になりそうなくらい甘いじゃない」
「 ……え?」
思わぬモンモランシーの言葉。それにルイズは惚けたように気が抜けた言葉を返した。
「やっぱり甘過ぎよコレ、もうちょっと甘めを抑えた方が私は好みね。……それに、これは絶対太るわ」
その言葉に、ルイズは恐る恐るといった様子で再びパイを手にとって、それを小さく囓ってみた。
感じたのは――――レモンのような、酸味だった。
みるみるルイズの顔色が青に染まっていく。
「ん? どうかしたの?」
ルイズの変化に気がついたモンモランシーがルイズに声をかける。
その声ではっと我に返るルイズ。直ぐさまその手でモンモランシーの腕を掴む。
「ちょ、何っ? 何かあったの?」
「な、何でもないわ! それより、いい? モンモランシー? 今のことは絶対に秘密、他言無用よ。ギーシュ、あんたもよっ! 絶対に絶対よ、もしも誰かに漏らしたら、ただじゃおかないんだからっ! わかった!?」
「わ、分かったわ……」
「あ、ああ……」
突然のルイズの剣幕に、たじろぎながら生返事を返すモンモランシーとギーシュ。
ルイズは体の震えを二人に悟られないように気を付けながら、二人から一歩、二歩と距離を離す。
「あ、待ってルイズ……」
「……もう、行くわ。他の人には私は勝手に帰ったって言っておいて頂戴……」
ルイズは何かを言おうとしている二人にか細い声でそれだけを伝えると、逃げるようにしてその場を後にするのだった。
チクタクチクタク 時計の針は進んでいく。
第一段階は味覚の変調
――ウルザ
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