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#navi(ゼロな提督)
『ようこそタルブへ
道に迷った人は、オイゲン・サヴァリッシュをお尋ね下さい』
タルブの村の前、立て札にはそう書いてある。
内容は、オイゲン・サヴァリッシュという人が道案内をします、というだけ。タルブ村
の案内役の広告に見える。
ただ、問題はいくつかある。
ここが、どうやっても道に迷いそうにない村だということ。もう一つは、『ようこそタル
ブへ』部分はハルケギニア語で書かれてるが、『道に迷った人は、オイゲン・サヴァリッシ
ュをお尋ね下さい』という部分は銀河帝国の公用語で書かれている事。
これが示す事実、それはこの村にヤンやヨハネスの如く異世界から来た人がいるという
こと。そして、その人は同じ世界から来た人に何らかのメッセージを送ろうとしているこ
と。
そして、ヤンが知る限り、ヤン以外にハルケギニアへ来た異世界の存在は二つ。
一つは30年前、ヨハネスが乗車していた装甲車。ほとんどの乗員はエルフとの戦闘で
死亡。生き残ったヨハネスもオスマンの前で死去。
そしてもう一つは60年前、聖地から西へ飛び去った飛行物体。
ならば、この村にいる人物とは・・・。
第十八話 タルブ
ヤンさーんっ!みなさーんっ!
遠くからヤン達を呼ぶ声がする。
村の方を見ると、草色の木綿のシャツに茶色のスカート、それに木の靴を履いたシエス
タが手を振りながら笑顔で駆けてきていた。
「はぁっはぁ…お久しぶりです!ずっと待ってましたよ」
シエスタは、ヤン達の姿を見ると、笑顔がだんだんと真顔に変わっていった。
村の入り口の立て札と、顔を強張らせるルイズ達の間で視線を往復させる。何より、シ
エスタを凝視するヤンを。
ヤンの半開きな口から、呻くように声が漏れる。
「・・・オイゲン・サヴァリッシュ・・・」
瞬間、シエスタの表情が変わった。
ヤン達が予想したのは驚きの表情。
だが、シエスタが実際に示した表情は、満面の笑顔。
「はいっ!曾祖父の名です!」
シエスタではなくヤンの顔が驚愕へと変化した。
「まさか…君は、最初から、全部知っていたのか!?」
「いえ、そんな事はないですよ。でも、曾祖父と近い国から来た、という事は気が付いて
ました」
あんぐりと口を開けたヤン達に、シエスタは微笑みながら話し続ける。
「覚えてますか?ヤンさんが召喚された時、血で汚れて穴が開いた服を着てましたよね?
洗濯して穴を繕ったのは私達メイドですよ。その時、あなたの服に書き込まれていた文字
は、曾祖父が教えてくれた文字と沢山の共通点がありました。だけど、読めはしませんで
した。
その時に気が付いたんです。ヤンさんは曾祖父の故郷と近い場所から来たんだって」
ヤンもルイズもロングビルも、二の句が継げなかった。
「お、おでれ~たぁ~」
デルフリンガーだけが継ぐ事が出来た。
「ただ、サヴァリッシュの掟で、その事実を部外者に語る事は許されませんでした。だか
ら、その時点ではヤンさんにも話す事は出来なかったんです。
でも、その立て札を読めたなら話は別です。曾祖父の遺言ですから」
ヤンは、始祖ブリミルを呪う事にしていた。もし会ったらブラスターで穴だらけにして
やると誓っていた。だが、もうそんな気すら失せてきた。
怒りを通り越して、呆れた。
一体、始祖ブリミルというのは偉人なのかバカなのか、意地悪なのか親切なのか。
ここまでご丁寧に、学院へ虚無の手掛かりを集めた上に、ヤンと同じ被召喚者の関係者
まで呼び寄せているとは。こんなもの、偶然なハズがない。明らかに故意だ。始祖の強大
な魔力によって仕組まれた運命の糸に、全てが引き寄せられたのだ。恐らくルイズは本当
に『虚無』の系統なのだ。
理由は薄々、予想が付く。強大な『虚無』の使い手に施された安全装置を、しかるべき
時期に「指輪と王家の秘宝」と接触させて解除しなければならないからだ。
これがティファニアのように王家の者であれば問題はない。自然と指輪にも秘宝にも触
れるだろう。だが、ルイズは王家に生まれなかった。このままでは指輪にも秘宝にも触れ
る機会がない。
だから学院に全てを呼び寄せたのだ。明らかに物理法則を無視した『錬金』『召喚』すら
も可能とする魔法。その起源たる始祖の力なら、この程度の網を数千年前から組む事すら
不思議ではないと認めるべきだ。
だが、だったらなんでこんな回りくどいやり方をするんだ!?おかげでどれ程の人がと
んでもない迷惑をこうむっていると思うんだ!?
と、ヤンは力の限りに文句を付けずにはいられない。
そんなヤンの煮えくりかえり過ぎて焦げ付いたはらわたに気付かぬように、シエスタは
話を続けた。
「その立て札を見て分かる通り、曾祖父は『自分と同じ国から来た人がいれば助けたい』
と話していたそうです。立て札の下の文は、『同じ国』から来たかどうかを見分けるための
ものなのですよ。
そして、曾祖父の言葉は村の掟そのものです。この村に、曾祖父の言葉に逆らう者はい
ません」
その言葉に、ようやくヤンは再び声を絞り出す事が出来た。
「それじゃ…まさか、君が、僕に、お茶の入れ方とか、洗濯の仕方とか、色んな事を教え
て、くれたのは…」
「エヘヘ…サヴァリッシュの掟、というか教えなんです。ヤンさんのような異邦人には親
切にしてあげなさいっていう。おまけに曾祖父と近い国から来た人でしたから、多分曾祖
父と同じような苦労をしてるだろうなぁ、て」
ちょっと恥ずかしげに俯きペロッと小さな舌を出すシエスタ。
だがヤンには、そんな仕草を可愛いと思うような余裕はなかった。
「それじゃ!この、道に迷ったら尋ねてきなさいって!?僕に、何を伝えようと!!」
彼らしくない剣幕で詰め寄るヤンに、シエスタは笑顔を少し引きつらせてあとずさって
しまう。
「あ、あの、その辺は村に言ってからしませんか?実は、ヤンさんの事は、恐らく村全体
にとって重要な話になると思うんです」
「分かったよ。すぐ行くよ!」
ヤンとシエスタは足早に村へと向かう。
取り残されたロングビルとルイズは、慌てて二人を追いかける。「こらー!俺を忘れてく
なー!」というデルフリンガーの叫びを残して。
タルブの村は、見た目はごく普通の村だ。
ワインが特産というだけあって、山の斜面にはブドウ畑が延々と広がっている。その山
に囲まれた平地には緑の海のような草原が広がる。山の上にはちらほらと、オレンジ色の
屋根と白い壁の民家が見える。その麓には醸造所らしき、尖った屋根を持つ大きめの建物
も建っている。
ただ、それぞれの家は少し大きく、立派そうに見える。村の柵や道も整備が行き届いて
る。なかなかに裕福らしい。
ヤン達がシエスタに案内された村の中心、広場では村長らしき初老の男が待っていた。
そして周囲の民家の間、窓から顔を出す人、家の前に並べた椅子に座る老婆が一行をみつ
めている。彼等の視線は、明らかにヤンへ集中している。それは好奇心、疑惑、そして敬
意。だが表だって動こうとはしない。
村長が緊張した面持ちで一行の前に立った。
「初めまして、私はワイズと申します。このタルブ村の村長をしております」
村長は、貴族であるルイズやロングビルへ礼をする。だが、その視線だけは明らかにヤ
ンへ向かっている。
そしてルイズにもロングビルにも、村長の貴族に対する非礼を気にしなかった。二人も
ヤンへ視線を向けていたからだ。
彼は、村長の前に進む。
「初めまして、ヤン・ウェンリーです。こちらのミス・ヴァリエールの…執事見習い、を
しています」
使い魔、と言わなかったのは彼のこだわりであり、人としてのプライド。
そのわりに「見習い」と言うのは気にしない。
「失礼ですが、村長の名は、本当はワイズ・サヴァリッシュですか?」
ヤンの問に、白髪混じりの村長は首を振った。
「平民ですので、家名はありません。この村の恩人たる父、オイゲン・サヴァリッシュも
生涯オイゲンとのみ名乗りました。この村で平凡な平民として暮らすため、父は家名を捨
てたのです」
「で、では、オイゲンという人は、一体どういう人物なのですか!?ここで何をしたので
すかっ!?」
詰め寄るヤンを、ワイズはまぁまぁとなだめる。
「それについては長い話になると思います。ですので、まずは宿を決め荷物を運んでくる
としましょう。では、シエスタよ」
「はい。ジュリアンに荷物を運ぶよう伝えて来ます。皆さんは、私の家でお泊まり下さい
な。大したおもてなしは出来ませんけど、精一杯歓迎しますね!」
そう言ってシエスタは広場の隅で遠巻きに眺めていた子供達を呼び寄せ、その中の年長
らしい男の子に荷物を運んでくるよう言いつけた。彼がジュリアンなのだろう。兄弟らし
き子供達は村の入り口へと飛んでいった。
そして一行はシエスタの家へと案内された。
ただの民家、というには少々大きく立派な家だった。シエスタを長女とする八人兄弟を
含め、サヴァリッシュ一族が十分に暮らせる広さを持っている。ルイズとロングビルに一
部屋、そしてヤンが泊まる部屋と、二部屋の余裕があるくらいだ。家に並んで立つ倉庫ら
しき建物は恐らく、ワインの樽が並び、ワインの瓶を収める瓶架台と木箱が詰まっている
事だろう。
屋根も壁も綺麗で、ベッドも白く清潔なシーツをひいてある。使用人がいても不思議な
い、というくらいだ。でもそういう人物は見えない。シエスタが学院でメイドをしている
のだから、そこまでの富農ではないのだろう。
家のキッチン、というか食堂では家族がズラリと待っていた。
主人とおぼしき男が礼をする。
「ようこそいらっしゃいました。まさか、祖父が待ち続けた『迷い人』が、本当に来ると
は…娘から聞かされた時には、全く驚かされました」
今度は明らかに無視された貴族二人は、やっぱり非礼を咎める気が湧かなかった。
ヤンも深々と礼をして、ルイズとロングビルを紹介する。ここでようやく主人は「おっ
と、これは失礼しました」と二人に礼をする。
ハルケギニアの支配者階級であり、魔力を持たぬ平民の村人にとっては畏怖の対象であ
るメイジすら失念させるサヴァリッシュと『迷い人』。その存在について、皆一様に疑念と
期待と好奇心を隠しきれない。
荷物を運び込んでもらった一行は、特にヤンは即座に部屋を飛び出した。置いて行かれ
た事にブツブツと不満を呟くデルフリンガーを背負って。
家の前に立つ一行を見て、シエスタはちょっと困った顔をする。
「あの、この話はヤンさんにのみ、したいのですが…」
ルイズが肩をいからせて抗議する。
「何言ってンのよ!ヤンは私の執事であり、使い魔よ。主と使い魔は一心同体、ヤンの秘
密は私の秘密!」
ロングビルも鋭い視線でシエスタを睨み付ける。
「あたしらはもう、ヤンについて色々と知りすぎたのさ。今さら無関係と言われても通じ
ないよ」
だが、ヤンはデルフリンガーを背から降ろし、ロングビルへ差し出した。
「ちょっちょっと待てよ!俺にも聞かせろよ!!」
だがヤンは、怒りと悲しみと不満で塗りつぶされた二人と一本に、強く言い聞かせる。
「これは、僕だけじゃなく村の秘密でもあるんだ。話が終わるまで、待ってて欲しい。話
せる事は後で僕から話すよ」
思いっきりふくれっ面なルイズ達を残し、シエスタとヤンは村を後にした。
山の斜面を埋め尽くすブドウ畑の中を、二人は歩いていた。
先を歩くシエスタが遠く見つめる先には、山の裾野から広がる草原がある。
「この草原、綺麗でしょう?ひいおじいさんは、この草原の彼方から、ふらりとやってき
たんです」
そして視線を山並みへと移す。延々と続く、規則正しく並んだブドウの木が並ぶ斜面へ
と。
「ひいおじいさんは、本当に変な人だったそうです。
文字をスラスラと読める学があるのに、厠の使い方が分からなかったり。
酔った荒くれ者を片手で投げ飛ばす腕っ節の元兵士なのに、馬に乗れなかったり。
町の商人が出来ない程の複雑なお金の計算を、あっという間にする方法を知っていて、
火を扱う方法を知らなかったり。
何より、メイジや魔法に関して、全くの無知でした。
つまりヤンさんと同じです」
ブドウ畑の間を歩きながら聞かされるオイゲンの話、全て自分にも当てはまる事だとヤ
ンは納得した。
帝国だろうが同盟だろうが、トイレは水洗。汲み取り式便所なんて、古代を舞台にした
時代劇にしか出てこない。馬に乗る機会も無いから、馬の乗り方なんか知るはずない。学
校で連立方程式や三角関数は習っても、かまどの使い方は習わない。何より、魔法使いな
んかいない。
シエスタは、両手を広げた。
「でも、沢山の知識を村に授けてくれました。その中の一つが、タルブの名産であるワイ
ンなんです」
両手を広げたままクルリと回るシエスタ。ふわりと広がるスカートの周囲には、ブドウ
畑が彼方まで続いている。
彼女の細い、しかし田舎暮らしらしく華奢ではない指がブドウの葉を手に取る。
「ひいおじいさんは、遙か東から来たワイナリーだと言ってました。家を出て軍人になっ
たけど、戦争中に道に迷い、放浪の末にここへたどり着いた。もう帰れなくなったので、
ここで雇って欲しいと。
そしてそのまま村で暮らし、家族を持ち、骨を埋めました」
「彼が来たのは、いつのことかな?」
うーん、と人差し指を顎に当てて考える。
「大体、60年くらい前の事だと思います」
シエスタの手の上のブドウの葉を見つめながら、ヤンは考える。
恐らくオイゲン・サヴァリッシュの家は帝国のワイナリーだったのだろう。ワイナリー
というのは、ブドウ農家と醸造家を兼ねる職業。帝国と同盟の恒常的戦争状態が続く中、
彼は家業を継がず軍人になった。軍では当然ながら徒手格闘技術もナイフ術も学ぶのだか
ら、酔っぱらいの素人では相手にならない。
そして60年前、運良く大気圏内での飛行が可能な機体に乗ったまま、聖地の『門』に
突っ込んだ。ビダーシャルの話とも一致する。問題は、その機体が今どうなっているかだ
が。
シエスタは、手に取ったブドウの葉をヤンに示した。
「サヴァリッシュの教えは、あっと、ひいおじいさんの教えてくれた事を村の人はサヴァ
リッシュの教えと呼んでいるんですけどね。それは本当に、もの凄く役に立つ知識ばかり
でした。
例えばこの葉っぱです。ブドウ果への日照量をコントロールするために、葉っぱを間引
くんです。これによってカビの発生を防ぎ、着色が進むんですが、一房に何枚の葉が必要
なのか、すら細かく教えてくれました」
ヤンはブドウ農家でも醸造家でもないので、そこまでの知識はない。というか、かつて
酒と人類の歴史について論文を書こうとして、すぐに投げ出した記憶が有るような無いよ
うな。酒好だけど、醸造家でもブドウ農家でもない。
と考えたところで、ヤンはある事を思い出して「あっ!」と声を上げた。
「そうだ!10日前くらいに、君が持ってきてくれたタルブのワインを飲んで、何か懐か
しいと思ったんだ!
そうか、あれはハルケギニアじゃなくて、僕らの世界の技術で作られたワインだったか
らなのか…」
シエスタも頷く。
「恐らくそうだと思います。何しろ、サヴァリッシュの教えによって、この村のワインは
全く変わってしまったんですから」
そう言うと彼女は再びブドウ畑を見渡す。
「ブドウ畑は傾斜している方が日当たりが良い、土地が痩せている方が根を深くはりワイ
ン用に向いたブドウが収穫できる、一年を通じての温度や雨の量、剪定の仕方に赤ワイン
の色や味の変え方。スパークリングワインやロゼワインの作り方…。
これらサヴァリッシュの教えは、村の秘伝です。だから、ミス・ヴァリエールやミス・
ロングビルのような部外者には教えられないのです」
ヤンは納得しそうになって、ふと首を傾げた。
確かにワイナリーにとっては秘伝の技だろう。だが、それはワイン農家や醸造家として
の教えだ。『道に迷った人は、オイゲン・サヴァリッシュをお尋ね下さい』という帝国公用
語でのメッセージが、まさか「一緒にワインを作りませんか?」という意味だというのだ
ろうか。
その質問をぶつけると、黒髪を揺らいてシエスタはクスクス笑った。
「もちろんそんなワケありませんよ!ワイナリーとしての知識なんて、ひいおじいさんが
もたらした物の、ごく一部にすぎないんです。
読み書き計算は言うに及ばず、債権債務の管理方法、水の魔法を使わない医療知識、そ
のほか、本当に沢山の事を村にもたらしました。おかげで、町の商人に法外な利息の借金
で縛られた農奴の村は、見ての通りの繁栄を手にしたのです」
そう言ってシエスタが広げる腕の先、山の麓に村がある。大きく立派な家が並んだ、村
というより町に近いかも知れないタルブを
銀河帝国の教育水準は、貴族社会とはいえ平民でも最低限の水準は満たしている。ワイ
ンの売買を通じ、信用買いや銀行からの融資とかも経験しただろう。まして士官学校出身
なら、戦場で必須となる救急医療術も学ぶ。ハルケギニアの医療を担う水系魔法は、科学
を超える効果を示すが、あまりにも高価で平民には縁がない。おまけに水魔法に頼ってし
まうため医学が発展しない。
ならば、借金漬けの農村では水メイジに頼らない医学は重宝された事だろう。
再びクルリと振り向いた少女は、更に話を続ける。
「実は、曾祖父はワインの事業で成功してからは、書物を書き記したんです。それも、部
屋一杯の書棚を埋め尽くす程に。それらは村の秘伝として、なにより皆の安全のために秘
匿されました」
「安全?」
「ええ。農奴をすら富農に変える知識の山ですから、狙う者は数知れないでしょう。流れ
者の平民である曾祖父に後ろ盾はありません。書物の存在を村以外の者に知られたら、村
も終わりです。
曾祖父はサヴァリッシュの名を捨て、ただの平民を演じました。その知識はタルブの秘
伝です。記した書物は全て曾祖父の国の言語で書かれています。読み方は村長である祖父
や父、そして私達兄弟など、サヴァリッシュ直系にしか伝えてありません」
この地を治めるのはアストン伯。異教に目を光らす教会。徐々に富と力を付けるタルブ
に嫉妬と警戒心を募らせる周辺の村々、ライバルのワイナリー達…。
ヤンにはルイズという強力な後ろ盾がいる。今なら枢機卿の保護を得る事も出来るだろ
う。だがサヴァリッシュには無かった。
異邦人がここで生きる方法は少ない。有力者の後ろ盾を得るか、ただの平民としてひっ
そりと生きるか。ヤンは召喚された時点で前者の立場にあった。サヴァリッシュは後者を
選んだ。
その平凡な平民の生活を持てる知識と能力で最大限改善した結果が、今のタルブ。そし
てヤン達が村に来た時、村長以外誰も寄ってこなかった理由だ。再びサヴァリッシュと同
じ存在が来たとなれば、無視も派手な歓迎も出来ない。表向き、ただの平民として扱わね
ばならない。
シエスタは村の民家へと指さした。それは、先ほど案内されたシエスタの生家だ。山の
上から見ると、村の大きくて立派な家々の中でも特に大きな建物が幾つも並んでいるのが
わかる。
「私の家にサヴァリッシュの書が隠してあります。その中には、『迷い人が来たら読ませよ』
と言われた一冊の書があります。それは最後に記した書であり、サヴァリッシュから『迷
い人』へのメッセージです」
「君は、その書を読んだ事は?」
先に見える生家を見下ろしながらの問に、少女もそのまま頷く。
「あります。だからこそ私達は曾祖父と同じく『迷い人』を待ち続けました。本当に来る
かどうかも分からない異邦人を。私達に書の内容を教えてくれる人を」
「内容を、教える?」
意味が分からず、ヤンはシエスタへ視線を向ける。サヴァリッシュは直系子孫に銀河帝
国公用語を教えたはず。なら全て読めるはずだ。
対するシエスタの説明は極めて単純明快。
「はい。なにしろ私達は、サヴァリッシュの書を読めるんですが、内容がわかんないんで
す…難しすぎて」
てへっ、と恥ずかしそうに肩をすくめるソバカスの少女。言われたヤンはカクッと首が
斜めになった。
だけど、理解出来ないのは当然の事だろう。
例えばブドウ畑。最高品質のブドウを育てようと思えば、日照量・気温・降雨量・緯度
や経度まで正確に調べ、分析し、最良の世話をしなければならない。でも気象観測手段が
ない、温度計がない、どの年にどのくらい雨が降ったかなんて正確には分からない。
これが医学になれば、さらに難しい問題だ。細菌やウィルスの知識がない人に、感染防
御は理解出来ない。免疫と炎症反応について記しても、白血球やT細胞と言われたって何
のことだか。
これらは口で教えても理解出来るものではない。顕微鏡が無い、気象衛星が無い、電池
もエンジンも何もない。これでは教えられるのは、基本的な知識だけ。サヴァリッシュの
教えを実現させるべき基礎科学が存在しないのだから、理解出来ないのは当前。そして既
にサヴァリッシュは死去し、彼の書に記された知識を紐解ける人物がいなくなった。
シエスタは胸の前に手を組み、正面から真っ直ぐヤンの目を見つめた。
「お願いします。サヴァリッシュ最後の書を読んで下さい」
少女は、深々と頭を下げた。
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