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「消えそうな命、二つ-04」(2010/10/01 (金) 10:40:33) の最新版変更点
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#navi(消えそうな命、二つ)
楽しそうな顔だった。
自分の過去を話す。そう言った彼の顔はどこか照れくさそうだったけど、
そのうち話に熱が入り始めると、固く結ばれていた緊張や
常に纏っている全てを嫌うようなぴりぴりとした空気が、かすかに綻んでいた。
よほど楽しく、よほど厳しい人生だったんだろう。
話を聞くだけでわかってしまう。彼の人生は冒険そのものだった。
そして同時に、苦しくてつらい戦いそのものだった。
カトレアは素直に驚いた。すごい! と思わず拍手してしまいたかった。
彼はたとえどんな逆境に立たされようと、決して運命を呪ったり、憎んだりしていないのだ。
たった4歳のときに親元から離され5歳で命がけの戦場に放り込まれた心境は、
果たして自分には想像もできない所にあるのだろう。
たった一生命でありながら、星をも壊せてしまう破壊者を前にした絶望は、
果たして並ぶものなどありはするのだろうか?
考える。彼と気持ちを共有することは、それこそ絶望的なことなのかもしれないと。
そう思うと、高鳴っていた胸が針に刺されたようにちくりと、すこしだけ軋んだ。
――うれしそうな顔だった。
彼の父親と彼の師の話になるときは、そのギャップが顕著に現れた。
物静かな雰囲気が一転し、身振り手振りを加えて無垢な子供のようにはしゃぎ、
どの話もまるで自分の戦果であるように自慢するのだ。
悪感情は一切ないだろうし、別段彼が人の出した結果を横取りするような人間
でないことはとっくにわかっている。
彼は、ゴハンは、純粋に彼らに憧れを抱き、敬愛しているのだ。
証拠とでも言うように、そこから徐々に浮かんでくる笑顔には
言葉では表しきれないほどの、どうしようもない憧れが詰まっている。
まっすぐで、曇りや淀みなんてまるでない。
例えるなら光、光。まぶしすぎるほどの光だった。
――悲しそうな、顔だった。
いったい、彼はほかの何を隠しているのだろう。
うれしさと楽しさの隙間にちらつく、堪えた涙は何を意味しているのか。
カトレアにはまだわからなかった。
左腕、左頬、そして額。失礼と思いつつも、自然と目線が傷を追った。
決して無関係ではないのだろう。そう思えたのだ。
触れていいものか、押してはならない禁断のスイッチなのだろうか、
表側で相対させている笑顔に隠れて悩み、カトレアはいつか聞いてみようと思った。
心が近づいたとき、きっと。
其之四:まずは苦難の道
~指名手配 孫悟飯?~
■
密林と呼んでも差し支えないほど緑に覆われたヴァリエール領地のほんの片隅で、
鉄砲でも撃ち鳴らしたような衝撃が何度も響いている。
しかし、そこにいるのは険しい表情を浮かべた、隻腕の青年ただ一人。
低い唸り声とともに、連続して突き出すその拳は悠々と空気を裂き、
もはや音の到達をも遥か置き去りにするほどに、疾い。
突きが終わり、間をおかずに打ち出される2発の蹴り。
吹き荒ぶ風を問答無用で叩き切る、これもまた音という俊敏な領域を遥か超越していた。
彼が一歩踏み込むたびに、全てを支える広大な大地がミシリと悲鳴を上げる。
だが、彼は止まらない。
――――もっと速く、もっと速く、そしてもっと強く――――
その一念のみ携え、歯を食いしばった青年はもう一度拳を振るう。
強くなるがために、救うために、追いつくために。護るという誓いを自らに打ち立てて、
見えない敵に向かって拳を振るい続けた。
やがて薄い地盤に短い亀裂が入り、足場が蜘蛛の巣状に裂けはじめる。
彼は、自らの気を高めつつ、今にも抉れてしまいそうな地面を少し見つめた。
「……やりすぎちゃったかな……」
荒く吐いていた呼吸を整え、全身を纏っていた白い炎を消し、
隻腕の戦士は汗まみれの体を木に掛けていたタオルで拭いた。
燦々と照らす太陽に向かって「ん~っ!」と気持ちよさそうに背伸びをすると、
『ぐぅー』という気の抜けた音が腹から聞こえた。
■
「お元気そうですね。カトレアお嬢様」
給仕の女性が一人、箒を杖代わりにしてもたれかかり、微笑みながら言った。
カトレアは裁縫していた手を止め、唐突に話を切り出した給仕の女性を見る。
部屋には多数の動物たちを除いて、今は彼女たちしかいなかった。
給仕の女性は腰の辺りで結いた珍しい黒色の髪を妖艶に撫でた。
「うん? そう見えるかしら」
「はい、この一週間ほど前から。なにかいいことでも?」
カトレアは縫いかけの服――山吹色の、ところどころ血のように赤い――を腹の上に置き、
投げかけられた疑問に対して、どうしようかと首を捻った。
この子は……確かあの時はいなかった。だとすると、この質問はワザとでなく、
主人(わたし)に対する純粋な興味からきているのだろう。
この給仕の子――名を、「リリィ」という――は信頼できる。
やることはきちっとこなす出来る子で、物事に対し妙にサバサバしている。
そんな性格ゆえか、貴族に対しても恐れることなくいつも堂々と自分を貫き通す。
まだ新任給仕だったとき、あろうことか父さまに正論で食って掛かったことは、
今思い出してもつい笑ってしまう出来事だ。
そんな性格ゆえに、父さまに頼んでクビを免れさせ専属の給仕にしてもらった。
彼女は信頼できる。
話してもいいだろう。しかし――――
「なんでもないわ。はなしですよ、お嬢さま」
「もぅ……いじわるね」
彼女は頭を項垂れると、箒の先で額をつついた。
はぁーと息を漏らし、やれやれだぜとでも言わんばかりに首を振る。
それにしても主人の前で、実に不粋なメイドである。
「お嬢さまにそれを言われると、なすすべが無くなってしまいますから。
それに、わたしはただ、あなたの身に起きた出来事は従者として、知っておきたいだけなのです」
そう言って頭を下げる彼女を見て、つくづく出来た子だ。とカトレアは思う。
年はルイズと変わりないというのに、貴族と見まごうほど妖艶な容姿、
それでいて、決して気取らない。
「あなたはいい子ね、本当にいい子。わたしなんかには勿体無いわ」
「……謙遜しないでください。
あと、感動のお言葉に紛れて話を逸らさないでいただきたいのですが」
「あら、おしいわね」
カトレアは楽しそうに、コロコロと笑顔を転がした。
「で、実際には何があったので――」
「もう朝食の時間よ」
「……」
言葉を遮ってベッドから降りたカトレアを見て、リリィは諦めたと小さく息を吐いた。
カトレアがとうとうドアに手を掛けた瞬間――引きちぎるような勢いで向こう側から
ドアが開いた。
幸いにも(向こうからして)引き戸だったので、カトレアは少しだけ引っ張られて、
前のめりに体勢を崩す程度で済んだ。
「ああっ! 申し訳ございません!」
腰に剣を携えた、軽装な装備の青年があわててカトレアを支える。
カトレアが自分で立てるようになると、今度は「ああ! 触れてしまった! 申し訳ありません!!」と
大げさに飛びのいて、その場で片膝を着いた。
やかましい男だな、とリリィは箒を杖にジト目で男をにらんだ。
動物たちも同じ気持ちなのか、男を睨んで威嚇、警戒をし始めた。
「おちついて。なにがあったの?」
「は、ハイっ! 賊です! 屋敷内に賊が侵入していますです……です」
慌て過ぎの舌足らずな口調で、青年は言った。
肩が震えて、剣が地面とこすれてカリカリ鳴っている。
「賊? いったいどこの馬鹿でしょう?
よりにもよってこのヴァリエールに忍び入るとは……」
公爵家、ラ・ヴァリエール。
トリステインでも随一の歴史と格式を誇る、超名門貴族。
あろうことかその本陣に堂々忍び込む輩がいるとは、
言ってみるならツェルプストーのバカ以上にバカだ。いやバカ以上だ。
もう愚者だ。ドライバーじゃはめられない頭の“ねじ”が外れている、
世の中、イカれてた人間がいたものだ。
確かにこの時間帯は旦那さまはここにおられない。本日は奥さまもどこぞの『席』に
出席なさっている。だからといって、まだ専属の精鋭、警備隊がごまんといるのだ。
捕まって打ち首になることぐらい、わからないのだろうか?
あるいは、トチ狂った自殺志願者なのか?
「愚か者がいたものですね」とあきれた様子で話を聞いているリリィに対し、
カトレアははっと何かを思い出したような顔になって、おっかなびっくりしている
若い男に詰め寄った。
「賊の特徴は……?」
いつもの余裕が感じられない。
目つきは真剣そのもので、声質は切羽詰っていた。
青年は間近にて初めて目にする貴族の気迫におされ、
「ひぃ」などの呻き声を上げ、どもりながら言った。
「は、はい! 紺色の洋服に山吹色のパンツ、黒髪黒目。顔には切り傷が二つ、
筋肉質な体つきで上背は平均より上! 最大の特徴は左腕が……ありません! 隻腕です!」
「……そう」
ため息とともに聞こえない声を吐き出すと、叫び通した青年からすぅと身を翻した。
カトレアは直進し、そのままうつ伏せてベッドに倒れこんだ。
「お嬢さま? ……いかがなさいました?」
青年はとっくに去っていた。ドアは依然開きっぱなしで、
廊下をドタドタ目まぐるしく駆け回る騒音が、遠くから低く響いていた。
「ドアぐらい閉めていけ。まったく、躾のなってないガキめ」
口の端から乱暴に言葉を漏らし、ドアを閉めた。
ぱたんと味気ない音がして、一息ついたとき、リリィのエプロンを小熊が引っ張った。
振り向いてやると、小熊はベッドを指差してリリィ見上げている。
「ん、どうしました?」
疑問を投げかけながら指の先に目を向けると、そこには何もなかった。
そう、なにも……ついさっきベッドに落ち込んだはずのカトレアは、忽然と消えていた。
■
うっそうと生い茂る緑を掻き分けて、抜き身の剣を構えた男が三人囲みを作っていた。
それぞれ焦りを顔に浮かべて、身に着けた洋服に汗をびっちょり湿らせている。
「おい、見つかったか?」
「ぜんぜんだ。影も形も気配すらねぇ」
「ええい、この辺りにいるはずなんだ! さがせーい!!」
さんざん叫び終えると、三人はそれぞれ別の方向へ散開した。
がさがさと雑草が踏まれる音、草木を掻き分ける音が遠く小さくなる。
やがて気配すらも完全に消え去ってから、悟飯は傍の木の上から逆さに顔を出した。
「ふぃーっ。やっと向こうに行ってくれた、よかったよかった」
過ぎ去った危機に、逆さ釣りの状態でほっと胸をなでおろす。
しかし、また木の葉の中に身を隠すと、頭を抱えた。
「はぁ……すごい家柄だと思ってたけど、まさかここまでとは思ってもなかったや」
木の枝に寝転がり、ちらと目を下にやると、また軽装の鎧を着た男たちが剣を片手に
草を掻き分け「賊はどこだ!」「賊はどこだ!」と叫びながら駆け抜けていた。
悟飯は先ほどからこの光景ばかり、短い時間でもうあき果てるほどに見ていた。
また一団――今度は剣ではなく短い杖を持っていた――が通り過ぎて、体を起こした。
不思議に思った。いや、初見からずっと不思議に思っていた。
時折、剣でも槍でもなく杖を持った集団を見かけている。
それも、剣をもっている集団と比べれば遥かに少ない規模での一団。
「あいつら、いったい何なんだ? 特に強い気も感じないし……うーん……」
疑問を投げやって、またごろんと寝転がった。
見上げた空はところどころ深緑で遮られ、その隙間から落ちてくる光を
浴びるのが、なんとも気持ちいいことだった。
こうしてるだけで口元が緩んだ。あったかくてポカポカして、とっても眠くなる。
ならいっそ――この睡魔に負けちまおうか。
目を閉じた瞬間、下から風を裂く音が聞こえた。
首を逸らして軽くよけてやると、それは木の枝に刺さり、余った力のせいで
自身の体をビリビリ震わせている。
矢だった。
「くそ! もうばれたのか?」
体勢をそのままに木を蹴ってやると、遅れてその場所に大量の矢が突き刺さった。
まるで豪雨のように下から横から次々襲い来る矢をひょいひょいと避けながら、
悟飯はこれからどうしようかとのんきに思考を働かせた。
■
時間を少しさかのぼり……
トレーニングを終え、気配を消してこそこそと部屋に帰ろうとしていた悟飯の耳に、
こちらに近づいてくる若い男たちの声が聞こえた。
とっさに木の上にジャンプして隠れると、代わるように軽装な鎧を纏った
さえない顔の男が二人現れて、その場に座り込んだ。
「あーあ、警備の仕事って、ひまだよなー」
「そりゃそーだ。いまどきこのラ・ヴァリエール領に攻め入るバカなんて、
トリステインのどこ探したっているわけないだろ? 規模が違うよ、規模が」
「へたすりゃ王家に攻め入るより、難しいかもしれないしな」
「ハッ、ちがいねぇ!」
聞き慣れない単語が多いが、雰囲気からどうも仕事をサボって愚痴を言い合ってるらしかった。
男は顔に卑屈な笑みを浮かべると、ごそごそと懐をまさぐって、相方であろうもう一人の男を
もう一方の手で手招きした。
男が懐から取り出したのは、小型の酒瓶だった。
「おいおい、いいのかよ」
「へっ、かまいやしねぇさ。どーせ俺らなんかいたっていなくたって誰もわかりゃしねって!
ほれ、のめ。さぁ、のめ!」
「それも……そうだな。じゃ、もらうとするかなぁ!」
渋っていた男も終いにはうんうん頷いて、結局男から酒瓶をもらっていた。
ちんと瓶をたたき合わせると、両者豪快に飲み始める。
「うんじゃ、ラ・ヴァリエールに乾杯といこうかね」
「はははおせーよ。乾杯」
「……なんだ、贅沢なやつらだな……」
声が届かないように気をつけながら、悟飯は湧き上がった怒りを口から零した。
仕事が出来て、お給料をもらって、それでちゃんと生きていけるのに、
誰に殺されるわけでもなく、死の恐怖と隣り合わせになる必要もないのに、
当たり前の平和に愚痴を垂らすなんて、贅沢にもほどがある。
きっと、彼らは明日自分たちが突然殺されてしまうかもしれないとか、
理不尽な力で仲間たちを奪われたりするなんて、考えたこともないのだろう。
平和だからこそ、愚かしいまでの驕りが出てくるのは、人間としては当然かもしれない。
だから孫悟飯は、その当然が大嫌いだった。
心の中で、言いようのない黒い怒りが沸々と煮え滾っていくのを感じる。
体の奥が嫌な色に染まりそうになる。
溢れ出た気が前髪を揺らした。ほぼ無意識に、握った拳に力を込めた。
「おい、そこにいるのは誰だ?」
呼ぶ声は背後からだった。
あわてて振り向いてみると、そこには下前方の二人と同じ他衣服を着た年配の男が一人。
鋭い目つきで既に抜きはなった剣を構えながら、こちらを警戒していた。
「なんだなんだ?」
「よぉー、どうしたい?」
酒を飲んでいた二人組みが酒瓶片手に手を振りながら年配の男に合流した。
年配の男がホロ酔いしてほんのり頬の赤い二人に油断なく、目線だけで上を指し示す。
とたんに二人組みの顔から酔いが醒め(頬はまだ赤いままだったが……)、まるで
別人のような鋭い顔つきに変わると、腰に差していた剣を抜き放ち、
細身である剣の、まるで槍のように尖った切っ先を悟飯へと突きつけた。
「あちゃー……」
ドジ、やってしまった。
いくら感知できる気が小さいとはいえ、背後の気配に声を掛けられるまで気づかないとは、
自分でやっておきながら、自分自身であきれた。
これでも一応向こうでは一人の戦士の師匠だというのに、なにやってんだ。
トランクスや、師匠であるピッコロさんに申し訳ない。
ブルマさんならなんというだろうか? やはり「孫くんに似て~」と言いそうだ。
なんとなく。
……父さん。初めて少し、うらみます。
#navi(消えそうな命、二つ)
#navi(消えそうな命、二つ)
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楽しそうな顔だった。
自分の過去を話す。そう言った彼の顔はどこか照れくさそうだったけど、そのうち話に熱が入り始めると、固く結ばれていた緊張や常に纏っている全てを嫌うようなぴりぴりとした空気が、かすかに綻んでいた。
よほど楽しく、よほど厳しい人生だったんだろう。
話を聞くだけでわかってしまう。彼の人生は冒険そのものだった。
そして同時に、苦しくてつらい戦いそのものだった。
カトレアは素直に驚いた。すごい!と思わず拍手してしまいたかった。
彼はたとえどんな逆境に立たされようと、決して運命を呪ったり、憎んだりしていないのだ。
たった4歳のときに親元から離され5歳で命がけの戦場に放り込まれた心境は、果たして自分には想像もできない所にあるのだろう。
たった一生命でありながら、星をも壊せてしまう破壊者を前にした絶望は、果たして並ぶものなどありはするのだろうか?
考える。彼と気持ちを共有することは、それこそ絶望的なことなのかもしれないと。
そう思うと、高鳴っていた胸が針に刺されたようにちくりと、すこしだけ軋んだ。
――うれしそうな顔だった。
彼の父親と彼の師の話になるときは、そのギャップが顕著に現れた。
物静かな雰囲気が一転し、身振り手振りを加えて無垢な子供のようにはしゃぎ、どの話もまるで自分の戦果であるように自慢するのだ。
悪感情は一切ないだろうし、別段彼が人の出した結果を横取りするような人間でないことはとっくにわかっている。
彼は、ゴハンは、純粋に彼らに憧れを抱き、敬愛しているのだ。
証拠とでも言うように、そこから徐々に浮かんでくる笑顔には言葉では表しきれないほどの、どうしようもない憧れが詰まっている。
まっすぐで、曇りや淀みなんてまるでない。
例えるなら光、光。まぶしすぎるほどの光だった。
――悲しそうな、顔だった。
いったい、彼はほかの何を隠しているのだろう。
うれしさと楽しさの隙間にちらつく、堪えた涙は何を意味しているのか。
カトレアにはまだわからなかった。
左腕、左頬、そして額。失礼と思いつつも、自然と目線が傷を追った。
決して無関係ではないのだろう。そう思えたのだ。
触れていいものか、押してはならない禁断のスイッチなのだろうか、表側で相対させている笑顔に隠れて悩み、カトレアはいつか聞いてみようと思った。
心が近づいたとき、きっと。
■
密林と呼んでも差し支えないほど緑に覆われたヴァリエール領地のほんの片隅で、鉄砲でも撃ち鳴らしたような衝撃が何度も響いている。
しかし、そこにいるのは険しい表情を浮かべた、隻腕の青年ただ一人。
低い唸り声とともに、連続して突き出すその拳は悠々と空気を裂き、もはや音の到達をも遥か置き去りにするほどに、疾い。
突きが終わり、間をおかずに打ち出される2発の蹴り。
吹き荒ぶ風を問答無用で叩き切る、これもまた音という俊敏な領域を遥か超越していた。
彼が一歩踏み込むたびに、全てを支える広大な大地がミシリと悲鳴を上げる。
だが、彼は止まらない。
――――もっと速く、もっと速く、そしてもっと強く――――
その一念のみ携え、歯を食いしばった青年はもう一度拳を振るう。
強くなるがために、救うために、追いつくために。護るという誓いを自らに打ち立てて、見えない敵に向かって拳を振るい続けた。
やがて薄い地盤に短い亀裂が入り、足場が蜘蛛の巣状に裂けはじめる。
彼は、自らの気を高めつつ、今にも抉れてしまいそうな地面を少し見つめた。
「……やりすぎちゃったかな……」
荒く吐いていた呼吸を整え、全身を纏っていた白い炎を消し、隻腕の戦士は汗まみれの体を木に掛けていたタオルで拭いた。
燦々と照らす太陽に向かって「ん~っ!」と気持ちよさそうに背伸びをすると『ぐぅー』という気の抜けた音が腹から聞こえた。
■
「お元気そうですね。カトレアお嬢様」
給仕の女性が一人、箒を杖代わりにしてもたれかかり、微笑みながら言った。
カトレアは裁縫していた手を止め、唐突に話を切り出した給仕の女性を見る。
部屋には多数の動物たちを除いて、今は彼女たちしかいなかった。
給仕の女性は腰の辺りで結いた珍しい黒色の髪を妖艶に撫でた。
「うん? そう見えるかしら」
「はい、この一週間ほど前から。なにかいいことでも?」
カトレアは縫いかけの服――山吹色の、ところどころ血のように赤い――を腹の上に置き、投げかけられた疑問に対して、どうしようかと首を捻った。
この子は……確かあの時はいなかった。だとすると、この質問はワザとでなく、主人(わたし)に対する純粋な興味からきているのだろう。
この給仕の子――名を、「リリィ」という――は信頼できる。
やることはきちっとこなす出来る子で、物事に対し妙にサバサバしている。
そんな性格ゆえか、貴族に対しても恐れることなくいつも堂々と自分を貫き通す。
まだ新任給仕だったとき、あろうことか父さまに正論で食って掛かったことは、今思い出してもつい笑ってしまう出来事だ。
そんな性格ゆえに、父さまに頼んでクビを免れさせ専属の給仕にしてもらった。
彼女は信頼できる。
話してもいいだろう。しかし――――
「なんでもないわ。はなしですよ、お嬢さま」
「もぅ……いじわるね」
彼女は頭を項垂れると、箒の先で額をつついた。
はぁーと息を漏らし、やれやれだぜとでも言わんばかりに首を振る。
それにしても主人の前で、実に不粋なメイドである。
「お嬢さまにそれを言われると、なすすべが無くなってしまいますから。
それに、わたしはただ、あなたの身に起きた出来事は従者として、知っておきたいだけなのです」
そう言って頭を下げる彼女を見て、つくづく出来た子だ。とカトレアは思う。
年はルイズと変わりないというのに、貴族と見まごうほど妖艶な容姿、それでいて、決して気取らない。
「あなたはいい子ね、本当にいい子。わたしなんかには勿体無いわ」
「……謙遜しないでください。あと、感動のお言葉に紛れて話を逸らさないでいただきたいのですが」
「あら、おしいわね」
カトレアは楽しそうに、コロコロと笑顔を転がした。
「で、実際には何があったので――」
「もう朝食の時間よ」
「……」
言葉を遮ってベッドから降りたカトレアを見て、リリィは諦めたと小さく息を吐いた。
カトレアがとうとうドアに手を掛けた瞬間――引きちぎるような勢いで向こう側からドアが開いた。
幸いにも(向こうからして)引き戸だったので、カトレアは少しだけ引っ張られて、前のめりに体勢を崩す程度で済んだ。
「ああっ! 申し訳ございません!」
腰に剣を携えた、軽装な装備の青年があわててカトレアを支える。
カトレアが自分で立てるようになると、今度は「ああ! 触れてしまった! 申し訳ありません!!」と大げさに飛びのいて、その場で片膝を着いた。
やかましい男だな、とリリィは箒を杖にジト目で男をにらんだ。
動物たちも同じ気持ちなのか、男を睨んで威嚇、警戒をし始めた。
「おちついて。なにがあったの?」
「は、ハイっ! 賊です! 屋敷内に賊が侵入していますです……です」
慌て過ぎの舌足らずな口調で、青年は言った。
肩が震えて、剣が地面とこすれてカリカリ鳴っている。
「賊? いったいどこの馬鹿でしょう? よりにもよってこのヴァリエールに忍び入るとは……」
公爵家、ラ・ヴァリエール。
トリステインでも随一の歴史と格式を誇る、超名門貴族。
あろうことかその本陣に堂々忍び込む輩がいるとは、言ってみるならツェルプストーのバカ以上にバカだ。いやバカ以上だ。
もう愚者だ。ドライバーじゃはめられない頭の“ねじ”が外れている、世の中、イカれてた人間がいたものだ。
確かにこの時間帯は旦那さまはここにおられない。本日は奥さまもどこぞの『席』に出席なさっている。だからといって、まだ専属の精鋭、警備隊がごまんといるのだ。
捕まって打ち首になることぐらい、わからないのだろうか?
あるいは、トチ狂った自殺志願者なのか?
「愚か者がいたものですね」とあきれた様子で話を聞いているリリィに対し、カトレアははっと何かを思い出したような顔になって、おっかなびっくりしている
若い男に詰め寄った。
「賊の特徴は……?」
いつもの余裕が感じられない。
目つきは真剣そのもので、声質は切羽詰っていた。
青年は間近にて初めて目にする貴族の気迫におされ「ひぃ」などの呻き声を上げ、どもりながら言った。
「は、はい!紺色の洋服に山吹色のパンツ、黒髪黒目。顔には切り傷が二つ、筋肉質な体つきで上背は平均より上! 最大の特徴は左腕が……ありません! 隻腕です!」
「……そう」
ため息とともに聞こえない声を吐き出すと、叫び通した青年からすぅと身を翻した。
カトレアは直進し、そのままうつ伏せてベッドに倒れこんだ。
「お嬢さま? ……いかがなさいました?」
青年はとっくに去っていた。ドアは依然開きっぱなしで、廊下をドタドタ目まぐるしく駆け回る騒音が、遠くから低く響いていた。
「ドアぐらい閉めていけ。まったく、躾のなってないガキめ」
口の端から乱暴に言葉を漏らし、ドアを閉めた。
ぱたんと味気ない音がして、一息ついたとき、リリィのエプロンを小熊が引っ張った。
振り向いてやると、小熊はベッドを指差してリリィ見上げている。
「ん、どうしました?」
疑問を投げかけながら指の先に目を向けると、そこには何もなかった。
そう、なにも……ついさっきベッドに落ち込んだはずのカトレアは、忽然と消えていた。
■
うっそうと生い茂る緑を掻き分けて、抜き身の剣を構えた男が三人囲みを作っていた。
それぞれ焦りを顔に浮かべて、身に着けた洋服に汗をびっちょり湿らせている。
「おい、見つかったか?」
「ぜんぜんだ。影も形も気配すらねぇ」
「ええい、この辺りにいるはずなんだ! さがせーい!!」
さんざん叫び終えると、三人はそれぞれ別の方向へ散開した。
がさがさと雑草が踏まれる音、草木を掻き分ける音が遠く小さくなる。
やがて気配すらも完全に消え去ってから、悟飯は傍の木の上から逆さに顔を出した。
「ふぃーっ。やっと向こうに行ってくれた、よかったよかった」
過ぎ去った危機に、逆さ釣りの状態でほっと胸をなでおろす。
しかし、また木の葉の中に身を隠すと、頭を抱えた。
「はぁ……すごい家柄だと思ってたけど、まさかここまでとは思ってもなかったや」
木の枝に寝転がり、ちらと目を下にやると、また軽装の鎧を着た男たちが剣を片手に草を掻き分け「賊はどこだ!」「賊はどこだ!」と叫びながら駆け抜けていた。
悟飯は先ほどからこの光景ばかり、短い時間でもうあき果てるほどに見ていた。
また一団――今度は剣ではなく短い杖を持っていた――が通り過ぎて、体を起こした。
不思議に思った。いや、初見からずっと不思議に思っていた。
時折、剣でも槍でもなく杖を持った集団を見かけている。
それも、剣をもっている集団と比べれば遥かに少ない規模での一団。
「あいつら、いったい何なんだ? 特に強い気も感じないし……うーん……」
疑問を投げやって、またごろんと寝転がった。
見上げた空はところどころ深緑で遮られ、その隙間から落ちてくる光を浴びるのが、なんとも気持ちいいことだった。
こうしてるだけで口元が緩んだ。あったかくてポカポカして、とっても眠くなる。
ならいっそ――この睡魔に負けちまおうか。
目を閉じた瞬間、下から風を裂く音が聞こえた。
首を逸らして軽くよけてやると、それは木の枝に刺さり、余った力のせいで自身の体をビリビリ震わせている。
矢だった。
「くそ! もうばれたのか?」
体勢をそのままに木を蹴ってやると、遅れてその場所に大量の矢が突き刺さった。
まるで豪雨のように下から横から次々襲い来る矢をひょいひょいと避けながら、悟飯はこれからどうしようかとのんきに思考を働かせた。
■
時間を少しさかのぼり……
トレーニングを終え、気配を消してこそこそと部屋に帰ろうとしていた悟飯の耳に、こちらに近づいてくる若い男たちの声が聞こえた。
とっさに木の上にジャンプして隠れると、代わるように軽装な鎧を纏ったさえない顔の男が二人現れて、その場に座り込んだ。
「あーあ、警備の仕事って、ひまだよなー」
「そりゃそーだ。いまどきこのラ・ヴァリエール領に攻め入るバカなんて、トリステインのどこ探したっているわけないだろ? 規模が違うよ、規模が」
「へたすりゃ王家に攻め入るより、難しいかもしれないしな」
「ハッ、ちがいねぇ!」
聞き慣れない単語が多いが、雰囲気からどうも仕事をサボって愚痴を言い合ってるらしかった。
男は顔に卑屈な笑みを浮かべると、ごそごそと懐をまさぐって、相方であろうもう一人の男をもう一方の手で手招きした。
男が懐から取り出したのは、小型の酒瓶だった。
「おいおい、いいのかよ」
「へっ、かまいやしねぇさ。どーせ俺らなんかいたっていなくたって誰もわかりゃしねって! ほれ、のめ。さぁ、のめ!」
「それも……そうだな。じゃ、もらうとするかなぁ!」
渋っていた男も終いにはうんうん頷いて、結局男から酒瓶をもらっていた。
ちんと瓶をたたき合わせると、両者豪快に飲み始める。
「うんじゃ、ラ・ヴァリエールに乾杯といこうかね」
「はははおせーよ。乾杯」
「……なんだ、贅沢なやつらだな……」
声が届かないように気をつけながら、悟飯は湧き上がった怒りを口から零した。
仕事が出来て、お給料をもらって、それでちゃんと生きていけるのに、誰に殺されるわけでもなく、死の恐怖と隣り合わせになる必要もないのに、当たり前の平和に愚痴を垂らすなんて、贅沢にもほどがある。
きっと、彼らは明日自分たちが突然殺されてしまうかもしれないとか、理不尽な力で仲間たちを奪われたりするなんて、考えたこともないのだろう。
平和だからこそ、愚かしいまでの驕りが出てくるのは、人間としては当然かもしれない。
だから孫悟飯は、その当然が大嫌いだった。
心の中で、言いようのない黒い怒りが沸々と煮え滾っていくのを感じる。
体の奥が嫌な色に染まりそうになる。
溢れ出た気が前髪を揺らした。ほぼ無意識に、握った拳に力を込めた。
「おい、そこにいるのは誰だ?」
呼ぶ声は背後からだった。
あわてて振り向いてみると、そこには下前方の二人と同じ他衣服を着た年配の男が一人。
鋭い目つきで既に抜きはなった剣を構えながら、こちらを警戒していた。
「なんだなんだ?」
「よぉー、どうしたい?」
酒を飲んでいた二人組みが酒瓶片手に手を振りながら年配の男に合流した。
年配の男がホロ酔いしてほんのり頬の赤い二人に油断なく、目線だけで上を指し示す。
とたんに二人組みの顔から酔いが醒め(頬はまだ赤いままだったが……)、まるで別人のような鋭い顔つきに変わると、腰に差していた剣を抜き放ち、細身である剣の、まるで槍のように尖った切っ先を悟飯へと突きつけた。
「あちゃー……」
ドジ、やってしまった。
いくら感知できる気が小さいとはいえ、背後の気配に声を掛けられるまで気づかないとは、自分でやっておきながら、自分自身であきれた。
これでも一応向こうでは一人の戦士の師匠だというのに、なにやってんだ。
トランクスや、師匠であるピッコロさんに申し訳ない。
ブルマさんならなんというだろうか? やはり「孫くんに似て~」と言いそうだ。
なんとなく。
……父さん。初めて少し、うらみます。
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#navi(消えそうな命、二つ)
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