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#navi(イザベラ管理人)
イザベラ管理人第10話:涙の理由・前編
任務を終え、双月が照らす漆黒の星空をプチ・トロワへ向けて飛ぶ最中、シルフィードは心労で鱗が剥げそうな思いだった。
(そろそろいい加減にしてほしいのね…)
正直、このままではプチ・トロワにつくまでに鱗がなくなってしまいそうである。
その心労の原因は…背に乗せている3人であった。
「へぇ~お兄ちゃんって別の世界から呼び出されたんだ。だから変なんだね!」
そう言って朗らかな笑い声をあげるのはエルザだ。
自分の定位置だ、と言わんばかりに胡坐をかいた耕介の膝の上を占拠している。
「変って…別に普通だろ、俺」
エルザのあまりな言葉に反論する耕介だったが…実は先ほどから感じる恐ろしいほどの寒気に顔を引きつらせている。
そして、その寒気の発生源は…耕介から少し後ろで本を開いているタバサである。
その顔は本に向けられているが…視線は耕介の後姿へと向いていた。
その上目遣いの視線が、二つ名である雪風のような寒気を伴って耕介に吹き付けているのだ。
「変だよぉ、お兄ちゃんみたいな人、エルザ初めてだもん!これでもエルザは50年くらい生きてるんだよ?」
だが、エルザはそんなタバサの視線を知ってか知らずか…いや、知っていて、しかしとりあう気などさらさらないらしく、耕介を質問攻めにしていた。
「え、50年…吸血鬼って成長遅いんだな、長寿だからか?」
他愛ない会話を耕介を続けているが…内心は疑問でいっぱいである。
彼にはタバサの視線の意味を理解できないのだ。聞こうにもエルザが離してくれないので、今のような状況になっている。
ある意味この事態の中心人物であるエルザは、50年生きていると聞いても純粋な疑問以外に特別な反応を見せない耕介の態度にますますご機嫌度を高めていく。
「そうだよー。お父さんとお母さんは200年ちょっとくらい生きてるって言ってたかなぁ…むふー」
「お、おい、エルザ…」
ご機嫌度が高まったエルザは、まるで暖を求める猫のように、耕介の膝に乗ったまま向き直ると、背中に手を回して思いっきり抱きついた。
(そういえば美緒や小虎もこんな風によくひっついてきたなぁ…)
さざなみ寮に君臨する破壊魔にして周辺一帯の野良猫のボスとその子分を思い出して懐かしい気持ちに浸りつつエルザの背を撫でてやる。
エルザのご機嫌度はさらに天井知らずに高まり、その表情は蕩けんばかりの幸福そうな笑顔。
そしてエルザのご機嫌度に反比例するかのように、タバサのご機嫌度は下降の一途であり…背中に吹き付ける視線が氷河の域にまで達したのではないかと思うほどだ。
さすがにその視線に耐えかね、耕介は体をひねって後ろを向き、意を決して声をかけることにした。
「タ、タバサ…何の本読んでるんだ?」
まず無難な会話を振った耕介を、臆病風に吹かれたと見るべきか、ワンクッション置いただけと見るかは意見が分かれるところである。
「吸血鬼の生態について」
短く返したタバサの声は…口から氷を吐いているのではないかという寒々しさであった。
普段のタバサならもうそこから続けることなどないが…今回ばかりは違った。
「吸血鬼が無闇やたらに血を吸われないように対策を考えるべき」
その言葉の意味を耕介は図りかねたが…エルザは正しく理解したらしい。
「大丈夫だよ、タバサお姉ちゃん。エルザはお 兄 ち ゃ んからだけ血をもらうから」
『お兄ちゃん』の部分だけを強調したエルザの言葉に、タバサの頬が一瞬引きつった気がするが…目の錯覚だろうか。
「いつ血の誘惑に負けるかわかったものじゃない。吸血鬼は危険」
タバサも負けじと淡々と言い返す。
その言葉にエルザはさらに楽しそうに、外見に似合わぬニヤリといった笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんの血はとっても美味しいから、エルザ少しだけで満足できちゃうし…すぐに飲みつくすなんて優雅じゃないわ。なんならタバサお姉ちゃんも飲んでみる?」
雪風のタバサと、人間社会を生き抜いた吸血鬼エルザの舌戦に耕介は引きつった笑顔を浮かべて固まるしかない。
同時に、二人の視線が交わる中間点ではバチバチと火花が散っている気さえする。
御架月はこの雰囲気に耐えかねて霊剣・御架月の中に篭りっきりである。
普段のシルフィードなら、喧々囂々と喋りまくっているところなのだが…この空気ではさすがにそんな元気も出ない。
(お姉さまに心許せる人ができるのは歓迎なのね。でも今のお姉さま、お父さんを妹に取られて駄々をこねてる娘みたいなのね…)
シルフィードは飛ぶ、寒風吹きすさぶ氷点下の戦い(イメージ図)を背負って。
時間は前日深夜に遡る。
耕介は、涙を零して嗚咽を漏らすエルザを抱き寄せ、ゆっくり背を撫でてやっていた。
その様は悲しむ娘と、慈しむ父親のようだ。
二人の様子に何故か懐かしさのようなものを感じて戸惑っていたタバサだったが、日が沈んでからかなり時間が経っていたことを思い出した。
穏やかな雰囲気を壊すのは忍びないが…いつまでもこのままでいるわけにはいかない。
「コースケ、日が昇らないうちに」
まだ日の出には時間があるが…日が昇ってからでは遅いのだ。
日の出は吸血鬼であるエルザにとって致命的だ、一度村へ戻るために移動する必要がある。
「そうだな。エルザ、いこうか」
いまだ涙が止まらないエルザの顔を優しくハンカチで拭いてやり、耕介は立ち上がろうとした。
だが、シャツが引っ張られる感覚に耕介は中腰の姿勢でとまらざるを得なくなった。
エルザがシャツの胸元を持ったまま離してくれないのだ。
耕介を見上げる瞳は潤んだまま、何かを訴えている。
耕介はその瞳の意味を過たず読み取り、エルザを抱きかかえて立ち上がった。
「耕介様はさざなみ寮では父親役みたいなものでしたが…まるで本当の親子みたいです」
タバサの隣で雰囲気を壊さぬように沈黙を護っていた御架月が嬉しそうに呟いた。
その光景に懐かしさのようなものを感じていたタバサは…その言葉で答えを得た。
泣いている女の子と、あやす父親…そう、自分もああやって優しい父に慰められていた。
具体的な状況など覚えていないが、自分が泣いていたら、優しい父は必ずあの穏やかで温かい声で話しかけてくれた。
『どうしたんだい、可愛いシャルロット。何か悲しいことがあったなら、お父さんに話してくれないか』
普段は政務で忙しい父が自分をかまってくれる嬉しさもあって、タバサはよく泣いていた気がする。
その中には泣き真似も含まれていたが…父はいつも優しく慰めてくれた。今思えば、きっと泣き真似などバレていたと思うが…。
そういえば、父にかまってほしくて政務中でも膝に乗ったりも…
「タバサ、どうした?」
優しい記憶の温度に包まれていたタバサの心は、耕介の言葉で現実へと引き戻された。
どうやら、少し惚けていたようで、エルザを抱えた耕介が目の前に立っていた。
「泣いてるじゃないか、何かあったのか?」
そう耕介は言って、ハンカチでタバサの頬を拭ってくれる。
その仕草と声に再び追憶にふけりそうになって…タバサは気づいた。
我知らず、涙を流していたことに。
「わわ、タバサ様、どうされたんですか!?」
御架月が慌てて声をかけてくるが、タバサにはその声は意味持つ言葉として届いていなかった。
ビクッと一度震えて我に返ったタバサは、目にも留まらぬ早業で耕介の手からハンカチを強奪すると素早く後ろを向き目元を拭った。
耕介と御架月が声をかけてくるが、タバサはなかなか言葉を返すことができなかった。
数秒、深呼吸を繰り返して自己を取り戻し、声の震えを気づかれぬように細心の注意を払う。
「なんでもない。目にゴミが入っただけ」
正直、かなり苦しい言い訳である。だが、如何に百戦錬磨の雪風のタバサといえど、こんな状況は初めてであるので致し方ないところであろう。
「そうか、ならいいんだけど」
耕介も御架月もその声に特にネガティブなニュアンスを感じなかったので、追求はしない。
故に、タバサは窮地を脱したと思い込み、油断していた。
「本当に、何かあった時は良ければ俺に相談してくれ。できる限り力になるよ」
耕介はその言葉とともにタバサの頭を数回撫でてから、御架月とともに離れていった。
その言葉は、以前の翼人掃討任務の道中にも言われていた。当時のタバサには、その言葉は特に意味を持たない偽善者の妄言でしかなかった。
だが、今度は違った。その言葉は確かな意味と現実感を伴ってタバサの心へと届いた。
タバサが耕介とともにした時間は少ない。合計してほんの1週間程度だ。だが、タバサには確信できた。
耕介はタバサが助けを求めれば必ず力になってくれるだろう。自分のできることはなんでもしてくれるだろう。
タバサにはそう思える人がもう一人いる。それは彼女の唯一といって差し支えない友人キュルケだ。彼女もタバサが助けを求めれば必ず手を貸してくれるだろう。
だが、耕介に抱いた気持ちはキュルケとの友情とは少し違う気がする。
数瞬考え…ぽろりと真珠のような涙がまた一粒こぼれる。その時、答えが出た。
なんだ、答えなどわかりきっていたじゃないか。
(コースケは…父様に似ている…)
外見が似ているわけではありえない。だが、温かくて、優しくて、穏やかで…タバサ…いや、シャルロットの父シャルルのようだ。
同時に、脳裏をよぎるのは母から父が死んだと聞かされた時のこと。
この世は理不尽にできている。優しい人は、呆気なく悪意にさらされて殺されてしまうこともある。
だから、今度こそはシャルロットが護らなければ。もう、あんな思いなど二度としたくないのだから。
いつの間にやら眠りこけていたシルフィードを叩き起こし、一行は村へと引き返した。
エルザと耕介たちがいなくなっていたことで村長は酷く取り乱していたが、吸血鬼事件が解決したことを伝えるとやっと我を取り戻してくれた。
作り話―エルザが森に潜んでいた吸血鬼にさらわれ、耕介たちが追ってこれを倒した、という内容―で納得してもらい、今晩は休むことにする。
もう時間も遅かったし、何より全員大立ち回りで疲れていたのだ。
そして翌日…耕介は律儀にいつも通りの時間に起きてしまい…幸いにもそれに誰よりも先に気づくことができた。
自室で眠っていたはずのエルザがいつの間にか耕介のベッドに入り込んでいたのだ。
といっても子どもがベッドに入っていた程度で驚く耕介ではない。すぐに状況を理解し、エルザの顔にかかった長い金髪をそっとどけてやる。
だが、この時の耕介は全く幸運であった。もしもタバサがこの状況に気づいていたら、この部屋が氷漬けになっていたとしても不思議ではない。
「全く、しょうがないなぁ」
耕介は、言葉とは裏腹に優しい声と笑みでエルザを起こさぬよう注意しながら抱えあげた。
眠るタバサも起こさぬようにそっと扉を開けて部屋を出、目指すはエルザの部屋だ。
エルザの部屋は村長の家の中でも最も日の当たらない作りになっている。
閉め切られた窓から最も離れた位置にあるベッドにエルザをそっと寝かせた耕介は、一つの気が重い…しかし、絶対にやらなくてはならないことをこなすために居間へと向かった。
居間のテーブルには既に村長がおり、茶を飲んでいた。簡単に挨拶を交わし、耕介もお茶をいただくことにする。
この家に集められていた女性たちは昨夜早々と眠っていたためか、耕介よりも早く起きており、既に自宅へと帰ったらしい。
二人は他愛ない雑談を続けていたが、それはしばらくすると途切れ…耕介は用件を切り出すことにした。
「村長さん。実は、お話したいことがあるんです」
「なんでしょう、従者様」
耕介の深刻そうな声音とは対照的に、村長は平静のまま応えた。
これから耕介が切り出そうとする用件に、なにか予感めいたものを感じていたのかもしれない。
「エルザを、王宮に連れて行きたいんです」
だからなのか、耕介がそう言っても村長は特に表情を変えることはなかった。
「理由を…お尋ねしても?」
ただ、短くそう返しただけだった。
(さあ、ここからが正念場だ)
これから耕介は、1年間エルザを慈しんできたこの善良な老人に嘘をつかなくてはならない。
気が咎めるし、本当のことを話した方がいいのではないかとも思うが…エルザたっての願いとあっては耕介に断れるはずもない。
「彼女の両親はさる貴族の方と懇意にしていた行商人でした。彼らが殺されたと聞いたその貴族様は、友人であった彼らの子を是非引き取りたい…と」
エルザはやはり怖いのだ。耕介のことは信用したとはいえ…1年間ともに暮らしたこの老人も吸血鬼という存在である自分を受け入れてくれるとは限らない。
だが…耕介は、この老人はエルザにとって信用できる人ではないだろうかと思う。
「そうですか…そうですな、あの子は体が弱い。こんな寒村よりも、貴族様の屋敷に住まわせてもらう方が何倍も良い。ですが、一つだけ聞かせていただきたい」
何故なら、この老人は心から…
「あの子はそれを望んでいるのですかな?もしそうでないなら…残念ですが、絶対にお渡しするわけにはまいりません」
エルザのことを愛しているのだから。
「うん、お爺ちゃん。エルザが行きたいって言ったの」
耕介が村長の言葉に答える前に、いつの間にか起き出して来ていたエルザが居間の戸口から答えた。
エルザは本来、日の出ているうちに起きることは稀だ。吸血鬼とは夜に生きるモノなのだから当然である。
なら何故、今現れたのか…理由は二つある。
耕介の性格からして、なるべく早くエルザを連れて行くことを村長に話そうとするはずだと推測したのが一つ。
もう一つは…この家を離れるのなら、自分でケジメをつけたいと思ったのだ。
「そうか…なら、わしから言うことは一つだけだ。元気でいるんだよ、エルザ。わしの望みはそれだけだ」
30年の放浪の間に、たくさんの人間を見てきた。
孤児であることをいいことに、こき使おうとした者もいる。
容姿端麗なエルザを人買いに売り飛ばそうとした者もいる。
けれど、この老人のように、エルザを慈しんでくれた者もまた、いたのだ。
今まで、エルザはそれら全てを例外なく利用し踏み躙ってきた。単純に、エルザは生きるためにそうしてきたから今更罪悪感など抱くわけもない。
だが、今回は違う。生きるため、必要に迫られてではなく、自分が耕介についていきたいと思うから行くのだ。
ならば、まだ本当のことは怖くて話せなくても…いつか本当のことを話せるかもしれないこの人との別れは、自分の意志で行いたい。
「ごめんなさい…ありがとう、お爺ちゃん」
多分、この老人は何かを気づいている。けれど、エルザにそれを問いただすことはしない。
ただ、エルザの幸せを祈ってくれているからだろう。
二人は抱きしめ合い…温かさを交換する。
いつの間にか居間には二人だけで…耕介はいなくなっていた。
耕介たちは、屍食鬼となったアレキサンドルを倒した後に吸血鬼がまた屍食鬼を作った可能性を考慮して半日様子を見る…という名目で出発を夜にした。
エルザを連れて行く準備をしたり、件の老婆を村長の家で世話することになったため、準備や王宮への必要経費請求の書類を作ったり、耕介の作った食事を全員で囲んだり…穏やかで、何故か物悲しい時間を過ごす。
朝以降、エルザも村長も特に態度が変わったところはない。きっと、変わる必要もないからだろう。
そして時間はあっという間に過ぎ…日が沈んだ。
別れの時間だ。
「エルザ、忘れ物はもうないかい?」
「うん、お爺ちゃん。何度も確認したよー」
二人は相変わらず普段通りで、まるでピクニックにいくかのような気軽さだ。
けれど、それが二人の決めたことならば、耕介たちに言えることなど何もない。
その二人とシルフィードを挟んで反対側に、見送りにきた村人が数人いた。薬師のレオンもその中にいる。
「騎士様、従者様…数々の非礼をお詫びします。村を救ってくださって、本当にありがとうございました」
そう言ってレオンが頭を下げるのと同時に、他の村人たちも頭を下げた。
「いえ、解決できてよかったです。村長さんやお婆さんのこと、助けてあげてください」
「はい。せめてもの罪滅ぼしになればいいんですが…」
激情に駆られて、あばら家を焼き討ちした若者たちだが…事件さえ解決した今なら、彼らは元の余裕を取り戻せる。
ならば、二度とあんなことは起こらないだろう。彼らとて、好き好んであんなことをしたのではないのだから。
「お兄ちゃん、いこ!」
タバサの<<レビテーション>>によってシルフィードの背へあげてもらったエルザが耕介を呼んだ。
耕介もシルフィードの背に乗り、後は飛び立つだけだ。
村人たちが飛び立ち始める耕介たちにお礼の言葉とともに手を振ってくれる。
シルフィードが大人の頭程度に浮かんだ時、エルザが大声を張り上げた。
「お爺ちゃん、お手紙書くね!元気でいてね!エルザ、またお話しに戻ってくるから!」
村長はただ頷き、手を振った。
徐々に風竜が漆黒の夜空に消えていく。もう豆粒ほどにしか見えない。
「行ってしまったか…」
最後まで涙を流さなかった老人は…愛娘の幸運を始祖ブリミルに祈り、やっと自分に泣くことを許した。
イザベラがメイドから北花壇騎士7号帰還の報せを受けたのは就寝時間前だった。
「そうか…討伐できたんだね…」
と言っても、イザベラはまだ眠るつもりはなかった。というより、眠れないだけだが。
目を瞑れば余計なことを考えてしまい、どうにも眠気が訪れないのだ。
そして、今でもそうだということは…いまだイザベラは結論が出せていないということだ。
「全く…我ながら本当に情けないね…」
もうしばらくすれば、耕介とシャルロットがやってくる。
果たして、自分はどうすべきなのだろうか…。
イザベラがワインで満たされたグラスを眺めながら何度目ともしれない思考のループに陥っていると…コンコンと扉がノックされた。
数秒迷ったが…もうなるようにしかならないと、単なる逃避ともとれる結論を下したイザベラは入室の許可を与えた。
「や、イザベラ。帰ったよ」
入室してきたのは案の定耕介たちであり…その第一声はイザベラの予想範囲外だった。
あいつ、出発前のこと忘れちまったのか?とか、気でも遣ってるつもりかい?とか、色々と思うところはある。
だが、イザベラはとりあえず無難にいくことにした。
「相変わらず無礼な奴だね、イザベラ様、だろ。あんたには王族に仕える者の自覚ってもんがないのかい」
自分で言った事だが、耕介にそんなものはないだろうな、とイザベラは思う。
案の定、耕介の答えはイザベラの予想通りだった。
「そうだったな、悪い。どうにも慣れなくて」
そう思うならまず言葉遣いから直せと思うが…本当はイザベラはもうそれはどうでも良かった。
敬語も使わない相手など、本来なら叩き出しているが…イザベラは耕介の言葉遣いにもう慣れてしまっていた。
敬称をつけずに呼ばれることも、イザベラとしてはありえないことに『まぁいいか』とさえ思っている。
だが、耕介との接し方に迷う今は…そういう細かいところを指摘する”普段の”イザベラを装う必要があった。
それに、気になることもある。
「えっと、イザベラ様。サビエラ村の吸血鬼事件を解決してまいりました」
耕介が右手をこめかみのあたりに当てて妙なポーズをとっているが、そんなことはどうでもいい。
報告とて、本当はどうでもいい。生きて戻ったという時点で解決したことなどわかりきっている。逃がしたのなら、先に何らかの連絡が入るはずだ。
「で、そいつはなんなんだい」
イザベラが気になっているのは、耕介の足にくっついている金色の”何か”だ。
イザベラの目がおかしくなっていないのなら、それは長く艶やかな金髪が美しい5歳ほどの少女に見える。
満面の笑顔がその美貌をより華やかなものにしている。
騎士が吸血鬼を退治しにいって、戻ってきたら少女を連れてきた…意味がわからない。
「あーえっと…イザベラ、落ち着いて聞いてほしい。後、害意を持ってるとかはないから、安心してくれていい」
イザベラは耕介の言いにくそうな表情に言い知れぬ不安を感じた。
そう、この男はコースケ・マキハラ。常にイザベラの想像の数リーグ先をかっ飛んで行く男である。
「この子、エルザっていうんだけど…吸血鬼なんだ」
そして、自分の不安がものの見事に現実となったことに、イザベラは寝不足からだけではない頭痛を覚えた。
#navi(イザベラ管理人)
#navi(イザベラ管理人)
イザベラ管理人第10話:涙の理由・前編
任務を終え、双月が照らす漆黒の星空をプチ・トロワへ向けて飛ぶ最中、シルフィードは心労で鱗が剥げそうな思いだった。
(そろそろいい加減にしてほしいのね…)
正直、このままではプチ・トロワにつくまでに鱗がなくなってしまいそうである。
その心労の原因は…背に乗せている3人であった。
「へぇ~お兄ちゃんって別の世界から呼び出されたんだ。だから変なんだね!」
そう言って朗らかな笑い声をあげるのはエルザだ。
自分の定位置だ、と言わんばかりに胡坐をかいた耕介の膝の上を占拠している。
「変って…別に普通だろ、俺」
エルザのあまりな言葉に反論する耕介だったが…実は先ほどから感じる恐ろしいほどの寒気に顔を引きつらせている。
そして、その寒気の発生源は…耕介から少し後ろで本を開いているタバサである。
その顔は本に向けられているが…視線は耕介の後姿へと向いていた。
その上目遣いの視線が、二つ名である雪風のような寒気を伴って耕介に吹き付けているのだ。
「変だよぉ、お兄ちゃんみたいな人、エルザ初めてだもん!これでもエルザは50年くらい生きてるんだよ?」
だが、エルザはそんなタバサの視線を知ってか知らずか…いや、知っていて、しかしとりあう気などさらさらないらしく、耕介を質問攻めにしていた。
「え、50年…吸血鬼って成長遅いんだな、長寿だからか?」
他愛ない会話を耕介を続けているが…内心は疑問でいっぱいである。
彼にはタバサの視線の意味を理解できないのだ。聞こうにもエルザが離してくれないので、今のような状況になっている。
ある意味この事態の中心人物であるエルザは、50年生きていると聞いても純粋な疑問以外に特別な反応を見せない耕介の態度にますますご機嫌度を高めていく。
「そうだよー。お父さんとお母さんは200年ちょっとくらい生きてるって言ってたかなぁ…むふー」
「お、おい、エルザ…」
ご機嫌度が高まったエルザは、まるで暖を求める猫のように、耕介の膝に乗ったまま向き直ると、背中に手を回して思いっきり抱きついた。
(そういえば美緒や小虎もこんな風によくひっついてきたなぁ…)
さざなみ寮に君臨する破壊魔にして周辺一帯の野良猫のボスとその子分を思い出して懐かしい気持ちに浸りつつエルザの背を撫でてやる。
エルザのご機嫌度はさらに天井知らずに高まり、その表情は蕩けんばかりの幸福そうな笑顔。
そしてエルザのご機嫌度に反比例するかのように、タバサのご機嫌度は下降の一途であり…背中に吹き付ける視線が氷河の域にまで達したのではないかと思うほどだ。
さすがにその視線に耐えかね、耕介は体をひねって後ろを向き、意を決して声をかけることにした。
「タ、タバサ…何の本読んでるんだ?」
まず無難な会話を振った耕介を、臆病風に吹かれたと見るべきか、ワンクッション置いただけと見るかは意見が分かれるところである。
「吸血鬼の生態について」
短く返したタバサの声は…口から氷を吐いているのではないかという寒々しさであった。
普段のタバサならもうそこから続けることなどないが…今回ばかりは違った。
「吸血鬼が無闇やたらに血を吸わないように対策を考えるべき」
その言葉の意味を耕介は図りかねたが…エルザは正しく理解したらしい。
「大丈夫だよ、タバサお姉ちゃん。エルザはお 兄 ち ゃ んからだけ血をもらうから」
『お兄ちゃん』の部分だけを強調したエルザの言葉に、タバサの頬が一瞬引きつった気がするが…目の錯覚だろうか。
「いつ血の誘惑に負けるかわかったものじゃない。吸血鬼は危険」
タバサも負けじと淡々と言い返す。
その言葉にエルザはさらに楽しそうに、外見に似合わぬニヤリといった笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんの血はとっても美味しいから、エルザ少しだけで満足できちゃうし…すぐに飲みつくすなんて優雅じゃないわ。なんならタバサお姉ちゃんも飲んでみる?」
雪風のタバサと、人間社会を生き抜いた吸血鬼エルザの舌戦に耕介は引きつった笑顔を浮かべて固まるしかない。
同時に、二人の視線が交わる中間点ではバチバチと火花が散っている気さえする。
御架月はこの雰囲気に耐えかねて霊剣・御架月の中に篭りっきりである。
普段のシルフィードなら、喧々囂々と喋りまくっているところなのだが…この空気ではさすがにそんな元気も出ない。
(お姉さまに心許せる人ができるのは歓迎なのね。でも今のお姉さま、お父さんを妹に取られて駄々をこねてる娘みたいなのね…)
シルフィードは飛ぶ、寒風吹きすさぶ氷点下の戦い(イメージ図)を背負って。
時間は前日深夜に遡る。
耕介は、涙を零して嗚咽を漏らすエルザを抱き寄せ、ゆっくり背を撫でてやっていた。
その様は悲しむ娘と、慈しむ父親のようだ。
二人の様子に何故か懐かしさのようなものを感じて戸惑っていたタバサだったが、日が沈んでからかなり時間が経っていたことを思い出した。
穏やかな雰囲気を壊すのは忍びないが…いつまでもこのままでいるわけにはいかない。
「コースケ、日が昇らないうちに」
まだ日の出には時間があるが…日が昇ってからでは遅いのだ。
日の出は吸血鬼であるエルザにとって致命的だ、一度村へ戻るために移動する必要がある。
「そうだな。エルザ、いこうか」
いまだ涙が止まらないエルザの顔を優しくハンカチで拭いてやり、耕介は立ち上がろうとした。
だが、シャツが引っ張られる感覚に耕介は中腰の姿勢でとまらざるを得なくなった。
エルザがシャツの胸元を持ったまま離してくれないのだ。
耕介を見上げる瞳は潤んだまま、何かを訴えている。
耕介はその瞳の意味を過たず読み取り、エルザを抱きかかえて立ち上がった。
「耕介様はさざなみ寮では父親役みたいなものでしたが…まるで本当の親子みたいです」
タバサの隣で雰囲気を壊さぬように沈黙を護っていた御架月が嬉しそうに呟いた。
その光景に懐かしさのようなものを感じていたタバサは…その言葉で答えを得た。
泣いている女の子と、あやす父親…そう、自分もああやって優しい父に慰められていた。
具体的な状況など覚えていないが、自分が泣いていたら、優しい父は必ずあの穏やかで温かい声で話しかけてくれた。
『どうしたんだい、可愛いシャルロット。何か悲しいことがあったなら、お父さんに話してくれないか』
普段は政務で忙しい父が自分をかまってくれる嬉しさもあって、タバサはよく泣いていた気がする。
その中には泣き真似も含まれていたが…父はいつも優しく慰めてくれた。今思えば、きっと泣き真似などバレていたと思うが…。
そういえば、父にかまってほしくて政務中でも膝に乗ったりも…
「タバサ、どうした?」
優しい記憶の温度に包まれていたタバサの心は、耕介の言葉で現実へと引き戻された。
どうやら、少し惚けていたようで、エルザを抱えた耕介が目の前に立っていた。
「泣いてるじゃないか、何かあったのか?」
そう耕介は言って、ハンカチでタバサの頬を拭ってくれる。
その仕草と声に再び追憶にふけりそうになって…タバサは気づいた。
我知らず、涙を流していたことに。
「わわ、タバサ様、どうされたんですか!?」
御架月が慌てて声をかけてくるが、タバサにはその声は意味持つ言葉として届いていなかった。
ビクッと一度震えて我に返ったタバサは、目にも留まらぬ早業で耕介の手からハンカチを強奪すると素早く後ろを向き目元を拭った。
耕介と御架月が声をかけてくるが、タバサはなかなか言葉を返すことができなかった。
数秒、深呼吸を繰り返して自己を取り戻し、声の震えを気づかれぬように細心の注意を払う。
「なんでもない。目にゴミが入っただけ」
正直、かなり苦しい言い訳である。だが、如何に百戦錬磨の雪風のタバサといえど、こんな状況は初めてであるので致し方ないところであろう。
「そうか、ならいいんだけど」
耕介も御架月もその声に特にネガティブなニュアンスを感じなかったので、追求はしない。
故に、タバサは窮地を脱したと思い込み、油断していた。
「本当に、何かあった時は良ければ俺に相談してくれ。できる限り力になるよ」
耕介はその言葉とともにタバサの頭を数回撫でてから、御架月とともに離れていった。
その言葉は、以前の翼人掃討任務の道中にも言われていた。当時のタバサには、その言葉は特に意味を持たない偽善者の妄言でしかなかった。
だが、今度は違った。その言葉は確かな意味と現実感を伴ってタバサの心へと届いた。
タバサが耕介と共にした時間は少ない。合計してほんの1週間程度だ。だが、タバサには確信できた。
耕介はタバサが助けを求めれば必ず力になってくれるだろう。自分のできることはなんでもしてくれるだろう。
タバサにはそう思える人がもう一人いる。それは彼女の唯一といって差し支えない友人キュルケだ。彼女もタバサが助けを求めれば必ず手を貸してくれるだろう。
だが、耕介に抱いた気持ちはキュルケとの友情とは少し違う気がする。
数瞬考え…ぽろりと真珠のような涙がまた一粒こぼれる。その時、答えが出た。
なんだ、答えなどわかりきっていたじゃないか。
(コースケは…父様に似ている…)
外見が似ているわけではありえない。だが、温かくて、優しくて、穏やかで…タバサ…いや、シャルロットの父シャルルのようだ。
同時に、脳裏をよぎるのは母から父が死んだと聞かされた時のこと。
この世は理不尽にできている。優しい人は、呆気なく悪意にさらされて殺されてしまうこともある。
だから、今度こそはシャルロットが護らなければ。もう、あんな思いなど二度としたくないのだから。
いつの間にやら眠りこけていたシルフィードを叩き起こし、一行は村へと引き返した。
エルザと耕介たちがいなくなっていたことで村長は酷く取り乱していたが、吸血鬼事件が解決したことを伝えるとやっと我を取り戻してくれた。
作り話―エルザが森に潜んでいた吸血鬼にさらわれ、耕介たちが追ってこれを倒した、という内容―で納得してもらい、今晩は休むことにする。
もう時間も遅かったし、何より全員大立ち回りで疲れていたのだ。
そして翌日…耕介は律儀にいつも通りの時間に起きてしまい…幸いにもそれに誰よりも先に気づくことができた。
自室で眠っていたはずのエルザがいつの間にか耕介のベッドに入り込んでいたのだ。
といっても子どもがベッドに入っていた程度で驚く耕介ではない。すぐに状況を理解し、エルザの顔にかかった長い金髪をそっとどけてやる。
だが、この時の耕介は全く幸運であった。もしもタバサがこの状況に気づいていたら、この部屋が氷漬けになっていたとしても不思議ではない。
「全く、しょうがないなぁ」
耕介は、言葉とは裏腹に優しい声と笑みでエルザを起こさぬよう注意しながら抱えあげた。
眠るタバサも起こさぬようにそっと扉を開けて部屋を出る、目指すはエルザの部屋だ。
エルザの部屋は村長の家の中でも最も日の当たらない作りになっている。
閉め切られた窓から最も離れた位置にあるベッドにエルザをそっと寝かせた耕介は、一つの気が重い…しかし、絶対にやらなくてはならないことをこなすために居間へと向かった。
居間のテーブルには既に村長がおり、茶を飲んでいた。簡単に挨拶を交わし、耕介もお茶をいただくことにする。
この家に集められていた女性たちは昨夜早々と眠っていたためか、耕介よりも早く起きており、既に自宅へと帰ったらしい。
二人は他愛ない雑談を続けていたが、それはしばらくすると途切れ…耕介は用件を切り出すことにした。
「村長さん。実は、お話したいことがあるんです」
「なんでしょう、従者様」
耕介の深刻そうな声音とは対照的に、村長は平静のまま応えた。
これから耕介が切り出そうとする用件に、なにか予感めいたものを感じていたのかもしれない。
「エルザを、王宮に連れて行きたいんです」
だからなのか、耕介がそう言っても村長は特に表情を変えることはなかった。
「理由を…お尋ねしても?」
ただ、短くそう返しただけだった。
(さあ、ここからが正念場だ)
これから耕介は、1年間エルザを慈しんできたこの善良な老人に嘘をつかなくてはならない。
気が咎めるし、本当のことを話した方がいいのではないかとも思うが…エルザたっての願いとあっては耕介に断れるはずもない。
「彼女の両親はさる貴族の方と懇意にしていた行商人でした。彼らが殺されたと聞いたその貴族様は、友人であった彼らの子を是非引き取りたい…と」
エルザはやはり怖いのだ。耕介のことは信用したとはいえ…1年間ともに暮らしたこの老人も吸血鬼という存在である自分を受け入れてくれるとは限らない。
だが…耕介は、この老人はエルザにとって信用できる人ではないだろうかと思う。
「そうですか…そうですな、あの子は体が弱い。こんな寒村よりも、貴族様の屋敷に住まわせてもらう方が何倍も良い。ですが、一つだけ聞かせていただきたい」
何故なら、この老人は心から…
「あの子はそれを望んでいるのですかな?もしそうでないなら…残念ですが、絶対にお渡しするわけにはまいりません」
エルザのことを愛しているのだから。
「うん、お爺ちゃん。エルザが行きたいって言ったの」
耕介が村長の言葉に答える前に、いつの間にか起き出して来ていたエルザが居間の戸口から答えた。
エルザは本来、日の出ているうちに起きることは稀だ。吸血鬼とは夜に生きるモノなのだから当然である。
なら何故、今現れたのか…理由は二つある。
耕介の性格からして、なるべく早くエルザを連れて行くことを村長に話そうとするはずだと推測したのが一つ。
もう一つは…この家を離れるのなら、自分でケジメをつけたいと思ったのだ。
「そうか…なら、わしから言うことは一つだけだ。元気でいるんだよ、エルザ。わしの望みはそれだけだ」
30年の放浪の間に、たくさんの人間を見てきた。
孤児であることをいいことに、こき使おうとした者もいる。
容姿端麗なエルザを人買いに売り飛ばそうとした者もいる。
けれど、この老人のように、エルザを慈しんでくれた者もまた、いたのだ。
今まで、エルザはそれら全てを例外なく利用し踏み躙ってきた。単純に、エルザは生きるためにそうしてきたから今更罪悪感など抱くわけもない。
だが、今回は違う。生きるため、必要に迫られてではなく、自分が耕介についていきたいと思うから行くのだ。
ならば、まだ本当のことは怖くて話せなくても…いつか本当のことを話せるかもしれないこの人との別れは、自分の意志で行いたい。
「ごめんなさい…ありがとう、お爺ちゃん」
多分、この老人は何かを気づいている。けれど、エルザにそれを問いただすことはしない。
ただ、エルザの幸せを祈ってくれているからだろう。
二人は抱きしめ合い…温かさを交換する。
いつの間にか居間には二人だけで…耕介はいなくなっていた。
耕介たちは、屍食鬼となったアレキサンドルを倒した後に吸血鬼がまた屍食鬼を作った可能性を考慮して半日様子を見る…という名目で出発を夜にした。
エルザを連れて行く準備をしたり、件の老婆を村長の家で世話することになったため、準備や王宮への必要経費請求の書類を作ったり、耕介の作った食事を全員で囲んだり…穏やかで、何故か物悲しい時間を過ごす。
朝以降、エルザも村長も特に態度が変わったところはない。きっと、変わる必要もないからだろう。
そして時間はあっという間に過ぎ…日が沈んだ。
別れの時間だ。
「エルザ、忘れ物はもうないかい?」
「うん、お爺ちゃん。何度も確認したよー」
二人は相変わらず普段通りで、まるでピクニックにいくかのような気軽さだ。
けれど、それが二人の決めたことならば、耕介たちに言えることなど何もない。
その二人とシルフィードを挟んで反対側に、見送りにきた村人が数人いた。薬師のレオンもその中にいる。
「騎士様、従者様…数々の非礼をお詫びします。村を救ってくださって、本当にありがとうございました」
そう言ってレオンが頭を下げるのと同時に、他の村人たちも頭を下げた。
「いえ、解決できてよかったです。村長さんやお婆さんのこと、助けてあげてください」
「はい。せめてもの罪滅ぼしになればいいんですが…」
激情に駆られて、あばら家を焼き討ちした若者たちだが…事件さえ解決した今なら、彼らは元の余裕を取り戻せる。
ならば、二度とあんなことは起こらないだろう。彼らとて、好き好んであんなことをしたのではないのだから。
「お兄ちゃん、いこ!」
タバサの<<レビテーション>>によってシルフィードの背へあげてもらったエルザが耕介を呼んだ。
耕介もシルフィードの背に乗り、後は飛び立つだけだ。
村人たちが飛び立ち始める耕介たちにお礼の言葉とともに手を振ってくれる。
シルフィードが大人の頭程度に浮かんだ時、エルザが大声を張り上げた。
「お爺ちゃん、お手紙書くね!元気でいてね!エルザ、またお話しに戻ってくるから!」
村長はただ頷き、手を振った。
徐々に風竜が漆黒の夜空に消えていく。もう豆粒ほどにしか見えない。
「行ってしまったか…」
最後まで涙を流さなかった老人は…愛娘の幸運を始祖ブリミルに祈り、やっと自分に泣くことを許した。
イザベラがメイドから北花壇騎士7号帰還の報せを受けたのは就寝時間前だった。
「そうか…討伐できたんだね…」
と言っても、イザベラはまだ眠るつもりはなかった。というより、眠れないだけだが。
目を瞑れば余計なことを考えてしまい、どうにも眠気が訪れないのだ。
そして、今でもそうだということは…いまだイザベラは結論が出せていないということだ。
「全く…我ながら本当に情けないね…」
もうしばらくすれば、耕介とシャルロットがやってくる。
果たして、自分はどうすべきなのだろうか…。
イザベラがワインで満たされたグラスを眺めながら何度目ともしれない思考のループに陥っていると…コンコンと扉がノックされた。
数秒迷ったが…もうなるようにしかならないと、単なる逃避ともとれる結論を下したイザベラは入室の許可を与えた。
「や、イザベラ。帰ったよ」
入室してきたのは案の定耕介たちであり…その第一声はイザベラの予想範囲外だった。
あいつ、出発前のこと忘れちまったのか?とか、気でも遣ってるつもりかい?とか、色々と思うところはある。
だが、イザベラはとりあえず無難にいくことにした。
「相変わらず無礼な奴だね、イザベラ様、だろ。あんたには王族に仕える者の自覚ってもんがないのかい」
自分で言った事だが、耕介にそんなものはないだろうな、とイザベラは思う。
案の定、耕介の答えはイザベラの予想通りだった。
「そうだったな、悪い。どうにも慣れなくて」
そう思うならまず言葉遣いから直せと思うが…本当はイザベラはもうそれはどうでも良かった。
敬語も使わない相手など、本来なら叩き出しているが…イザベラは耕介の言葉遣いにもう慣れてしまっていた。
敬称をつけずに呼ばれることも、イザベラとしてはありえないことに『まぁいいか』とさえ思っている。
だが、耕介との接し方に迷う今は…そういう細かいところを指摘する”普段の”イザベラを装う必要があった。
それに、気になることもある。
「えっと、イザベラ様。サビエラ村の吸血鬼事件を解決してまいりました」
耕介が右手をこめかみのあたりに当てて妙なポーズをとっているが、そんなことはどうでもいい。
報告とて、本当はどうでもいい。生きて戻ったという時点で解決したことなどわかりきっている。逃がしたのなら、先に何らかの連絡が入るはずだ。
「で、そいつはなんなんだい」
イザベラが気になっているのは、耕介の足にくっついている金色の”何か”だ。
イザベラの目がおかしくなっていないのなら、それは長く艶やかな金髪が美しい5歳ほどの少女に見える。
満面の笑顔がその美貌をより華やかなものにしている。
騎士が吸血鬼を退治しにいって、戻ってきたら少女を連れてきた…意味がわからない。
「あーえっと…イザベラ、落ち着いて聞いてほしい。後、害意を持ってるとかはないから、安心してくれていい」
イザベラは耕介の言いにくそうな表情に言い知れぬ不安を感じた。
そう、この男はコースケ・マキハラ。常にイザベラの想像の数リーグ先をかっ飛んで行く男である。
「この子、エルザっていうんだけど…吸血鬼なんだ」
そして、自分の不安がものの見事に現実となったことに、イザベラは寝不足からだけではない頭痛を覚えた。
#navi(イザベラ管理人)
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