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「もう一人の『左手』-06」(2008/02/23 (土) 13:08:02) の最新版変更点
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『ゼロ』のルイズが召喚した、もう一人の“平民”。
黒革の上下に身を包んだ、目付きの悪い長身の男。
確かにさっきの、一人目の平民とは、何やら纏う雰囲気が違うが、それでも所詮、平民は平民。
いや、考えようによっては、ルイズを相手に大人気ない真似をするよりは、見世物としては、はるかにマシだろう。――
そう思って、ワルキューレによる攻撃を開始した瞬間、
「――なっ!!?」
ワルキューレは宙を舞っていた。
それも、三つの鉄槐に寸断されて。
ギーシュには、何が起こったのか分からない。
彼がその目に捉えるには、あまりにも、風見の剣さばきが速過ぎたからだ。
無造作に繰り出されたワルキューレの拳、風見はそれを首を振って躱すと、そのままワルキューレとすれ違うように踏み込みながら、その胴を寸断し、返す刀で、燕返しに戦乙女の首を刎ね飛ばした。
――剣の遊びだ。曲斬りだ。
「ぃぃぃっ!!」
頭に血が上ったギーシュは、今度は6体ものワルキューレを同時に錬成し、風見に向かわせた。
それでも、すべての戦乙女を攻撃に差し向けず、2体を自分の直衛につけたのは、軍門の生まれらしい慎重さか、はたまた生来の臆病さ故の思い切りの悪さか、それとも、意識の底ではまだ敵を平民と侮る気持ちがあったのか。
まあ、どっちにしろ関係ない。
風見に向かった4体のワルキューレは――今度は、剣や槍で武装していたにもかかわらず――風見の振るう剣に、一合すら交わす事無く、叩き斬られてしまったからだ。
ヴェストリの広場は、再び、沈黙に包まれた。
.
風見志郎は、そのまま剣を見、そして左手を見た。
手袋を外していないので分からないが、確実にルーンがまたたいているのが分かる。
ルーンから、ある種の、熱のようなものが体内に流れ込んでくるのを感じるからだ。その熱は、圧倒的な力となって迸り、まるで身体が羽になったように軽い。
コルベールに研究室で語った現象が、この剣を握った瞬間、さらに加速したようだ。
いまなら、例えこの姿のまま怪人を相手にしたとしても、負ける気がしない。
――いや、それだけではない。
風見は、空手・柔道といった格闘技の心得はある。あるが、剣道の経験は無い。竹刀ならぬ真剣――それも日本刀以外の――を握るなど、今日が生まれて初めてだ。
しかし、分かるのだ。
太刀筋、タイミング、力加減……それらを内包した圧倒的な量の『剣技』の情報が、ルーンから、脳に送信されてくるのを感じる。
――これが、先生の言うところの、『ガンダールヴ』の力なのか……。
そう思った瞬間、さらにルーンの力に対する興味は大きくなる。
ルーンは、何も剣を持った瞬間から輝き始めたわけではない。その前から光を放っていた。ならば――。
風見は剣を捨てた。
「なっ!!?」
二体のワルキューレの陰に隠れていたギーシュが、ぽかんとした声を出す。
そのまま、目付きの悪い男はこちらを向き、歩き出す。
決闘の最中とも思えない、まるで散歩のような歩み。
ギーシュは、一瞬、事態が読めなかった。
男が、まるで大根でも切るかのような無造作さで、自慢のワルキューレを5体も斬り捨てた。
それは分かる。
認めたくは無い現実だが、眼前で起こった出来事だ。認めないわけにはいかない。
だが、その剣を男は捨てた。
何故……!?
いや、その疑問と同時に、疑問よりも先行する形で、その解答が浮かんだ。
――こいつは、剣なしでも僕に、いや、僕のワルキューレに勝てる気なんだ……!!
――お前の実力はよく分かった。分かった以上、もう剣は必要ない。そう言いたいんだ!!
.
そう思った瞬間、かつて経験した事が無いほどの屈辱が、ギーシュの身を包んだ。
「かかれぇっ!!」
そう思った瞬間には、ワルキューレたちに号令を出していた。
貴様はメイジを、貴族を嘗めたっ!!
そんな激情だけが、彼を支配していた。
青銅製のワルキューレが、凄まじいスピードで、こちらに向かってくる。
しかも、その踏み込みには、才人を嬲っていた時のような“遊び”は無い。
術者のギーシュが、自分に完全な殺意を持ったのだろう。
そう思った瞬間、風見は、目を閉じていた。
目を閉ざし、耳を閉ざし、心を閉ざす。
ルーンに導かれるまま、自分の身体を預ける。
そして、……。
ぎぃんっ!! ぎぎぃぃん!!
金属が金属を切断する、いやな音が広場に響いた。
風見がゆっくりと目を開いた時、二体のワルキューレは、四つの破片になって、地面に転がっていた。
風見の手ではない。
彼は1mmたりとも動いてはいない。結果として、目を閉じ、その目を開いただけだ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
苦しげに肺を上下させ、さっき風見が放棄した剣を握る左手は、彼と同じルーンこそ輝いているが、断続的に痙攣を続けている。しかしながら、その眼光に込められた感情は、いささかも衰えていない。
「平賀……!」
この決闘の、本来の担当者が、そこに立っていた。
睨むような眼差しと、ルーン輝く左手に握る剣を、ギーシュではなく、風見に突きつけて。
「何やってるんだよ、あんた……!?」
「なに……?」
「あんたは……ヒーローなんだろ……? 仮面ライダーなんだろ……!? あんたの拳は、こんな一般人に向けていい拳じゃないだろう……!!」
「……」
「それに、――それにこれは、おれの、おれたちのケンカだっ!! 頼んでもいねえのに、野暮なまねすんじゃねえっ!!」
.
「どっ、どうなってんの……!?」
ルイズは自分の目を疑った。
風見が放棄した剣。それが才人の手元に転がってきた時、瀕死のはずの彼は、イキナリ瞼を開いた。
そして、まるでゾンビかグールのように、むくりと起き上がったのだ。
左手にいつの間にか剣を握っていた事も、その手に刻まれたルーンが、閃くような輝きを放っていた事も、ルイズには気にならなかった。
ただ、信じられなかったから。
起きれるはずの無い者が起き、立てるはずの無い身体で立ち上がり、そのまま矢のようなスピードで走り出し、――いかなる理由でかは知らないが――瞑目を続ける風見に襲い掛かるワルキューレを、見事な剣さばきで斬り伏せた。
さらに、その後、この広場にいる全ての者が理解できない罵声を風見に浴びせ、睨み合う。
――ここではない、同じ世界の同じ国を故郷とする、異邦人同士のはずなのに。
――同じルーンを、同じ箇所に刻み付けられた、使い魔同士であるはずなのに。
が、二人の異世界人の対峙はそこまでだった。
才人の気力は、今度こそ、そこで尽きた。
彼は脱力し、くずれおち――風見はそんな才人を抱き止め、抱え上げた。
「――ヴァリエールっ!!」
風見のその声で、ようやくルイズは我に返った。
「医者だ! 早く医者を呼べっ!! 早く処置をしないと、こいつは死ぬぞっ!!」
.
瞼を刺す強烈な陽光が、閉ざされた闇の底から、彼の意識を刺激する。
「……ん、んんん……!!」
才人は目を開けた。
その瞬間、電流のような激痛が全身を貫く。
その痛みが、明確に彼の意識を覚醒させる。
――ここは……?
周囲を見回す。
自分が、今まで見た事も無いほど豪奢な寝台に寝かされていた事に気付く。
いや、豪奢なのはベッドだけじゃない。
素人目に見ても、値段の見当がつかないほどのアンティーク家具が、12畳ほどの部屋に、所狭しと並んでいる。
才人は、ベッドから降りる。
包帯だらけの全身がまだ引きつるが、どうやら普通に動く分には、不自由は無さそうだ。
彼は、そのまま窓を開いた。
早朝の冷気と、眩しいばかりの光が、火照りの消えない身体に心地良かった。
しかし、それ以上に、そこから見える風景は、いやでも彼に事実を思い知らせる。
ここは地球じゃない。日本じゃない。目が覚めたら終わりの――夢じゃない。
「サイト……?」
振り返ると、寝間着姿のルイズが、ソファから身を起こして、こっちを見ていた。
「よぉ」
「サイト……サイト……サイト!!」
驚く暇も無かった。
ルイズが、くしゃりと顔を歪ませると、いきなり胸元に飛び込んで来たからだ。
「ばか……ばか、ばか!! 死んじゃうかと、死んじゃうかと思ったんだからねっ!! 三日も眠りっ放しで、ひとを散々心配させて、『よぉ』って何よ! 『よぉ』って!?」
「ごっ、ごめん……」
「ごめんって、……ばかばかばかばかっ……ばかぁ……っ……ぅぅぅっ……」
.
お世辞にも、分厚いとは言いがたい才人の胸板を、少女は身体を押し付けて、ぽかぽかと殴るが、無論痛みは感じない。むしろ心地良いものすら感じる。そのうち、ルイズは感極まったか、全身を震わせて泣き始めた。
才人は、そっとルイズの頭を撫でる。
「お前って……結構よく泣くよな……」
「ちょっ、調子に乗らないでよっ!! ――わたしは、その……そう、御主人様として、当然の心配をしてあげただけなんだからっ!! あんたなんか、あんたなんか、別になんとも思っちゃいないんだからねっ!!」
という言葉とは裏腹に、頬を真っ赤に染め上げて叫ぶと、そのまま部屋を走り出てしまった。
その突然の変わり身に対応できず、ぽかんと彼女の背を見つめる才人を残して。
「何なんだ……あいつは……?」
「照れくさかったんだろう。ただ単に、な」
「風見、さん……!」
ルイズが出て行ったドアを閉めながら、入って来たのは、風見志郎だった。
「あの……風見さん……あの時は、その、剣なんか向けて偉そうなこと言っちゃったけど、その……」
「気にするな。――お前が言った事は、本当の事だ」
「……そう言ってもらえると、助かります」
「礼だったら、ヴァリエールに言うんだな。お前がいま生きているのは、確実にあの子のおかげなんだからな」
「え?」
「体調はどうだ?」
「ああ、はい。……あれ?」
確かに体は動く。まだ少し痛みが残ってはいるが、それでも日常生活には、もはや全く問題ないだろう。
けど、おかしいな。確かあいつは、三日も眠りっ放しって、――三日っ!? たったの!?
.
「そうだ。いくら何でも、あのケガが三日で完治するなんて、ありえない」
そう言いながら、風見は手に持ったトレイ――かなり豪華なメニューが乗せてあった――を、テーブルに置くと、
「食べろ。この世界には点滴が無い。栄養補給の手段は食事しかない」
「あの……いったい、どういう事なんスか? よくよく思い出してみれば、俺のケガって、結構シャレにならないレベルだったはずですよね? 改造手術でも受けたんですか、俺は?」
風見は、トレイから自分のパンを手に取ると、これまでの経緯を説明した。
このハルケギニアには、内科・外科といった、いわゆる近代医学療法が存在しない事。
その代わり、魔法による治癒呪文が、その役割を担っている事。
その威力は、治療分野にもよるが、場合によっては近代医学をはるかに凌駕する事。
しかし治癒呪文は、『秘薬』と呼ばれる触媒が無ければ、その効果を十二分に発揮できない事。
そして、その『秘薬』は、おそろしく高価である事。
「じゃあ……!?」
「そうだ。お前の『秘薬』代を肩代わりしたのがヴァリエールだ。いや、金を出しただけじゃない。あいつはお前が目覚めるまで、三日三晩、ほとんど眠らずに看病していた」
「……」
「あいつはあいつなりに、お前に対して責任を感じているんだろう」
「……そうすか」
才人は、しばらく黙っていたが、やがて、静かに立ち上がった。
「おれ、あいつを捜してきます」
「食事はいいのか?」
「メシよりも優先でしょう、この場合は。――あ、でも、後で食うから、おれの分は残しといて下さいね」
「だったら、もう一人にも礼を言いに行け。ヴァリエールの持ち合わせで足らなかった分を、出した奴がいる」
「え? それって、誰です?」
風見は、その精悍な瞳に、めずらしく優しい光を浮かべる。そして、その名を聞いた才人は、その意外さに目を見開いた。
.
今は昼休みか何かのようだ。
生徒たちが、校庭のテラスで、メイドたちが給仕するケーキをつまみながら、楽しそうに雑談に勤しんでいる。
その中に、彼――ギーシュ・ド・グラモンもいた。
傍らに、彼の後輩らしい初々しい少女を伴い、相変わらずな愛の言葉を囁いていた。
――が、その時、テラスにざわめきが走った。
「おい、あいつ……!?」
「何だ? 何しに来やがった?」
「いや、ひょっとして、アレだ。リベンジしに来たんだよ、多分」
「――平民のクセになめやがって……!!」
いかに思い当たるフシがあるとは言え、平民から過ちを指摘されて素直に認められるほど、彼らは大人ではない。いわんや、ベンジョムシ呼ばわりまでされたのだから。
しかし、平賀才人は、それらの真っ白な視線を全く無視して、校庭を横切り、足を止めた。
勿論、ギーシュの前に、である。
「ギーシュ様……!!」
少女が、ギーシュにもたれかかり、不安そうに、才人を見上げる。
「聞いたよ」
「何を?」
「助けてくれたんだってな、おれを」
「微力ながら、だけどね。――で、その件に関して、何か文句でもあるのかい?」
そう言われて、才人はにやりと笑うと、
「ありがとう。お前のおかげで死なずに済んだ」
ぺこりと頭を下げた。
周囲にいた連中は、――ギーシュの隣の少女を含めて――あんぐりと口を開いた。
「いいさ、頭を上げてくれ。互いに戦いあった決闘者に、礼を尽くすのは、貴族として当然のマナーだ」
「……そっか」
才人は頭を上げると、
「礼を言った直後に、こんなこと言うのもなんだが……もうルイズを馬鹿にするなよ。またやったら、今度はおれから『決闘』を挑むぜ」
.
その言葉で、周囲は再び緊張したが、ギーシュは冷静だった。
「いや、安心したまえ。公衆の面前でレディを侮辱するなんて、考えてみれば、この『青銅』のギーシュらしからぬ振る舞いだったよ。君が怒るのも当然だ」
そう言ったギーシュの笑顔は、意外に人懐っこいものだった。
彼は彼なりに、『決闘』で、才人を認めるところがあったのだろう。
才人は、この少年が、意外に好人物である点を認めざるを得なかった。
「なあ、あいつ――いや、ルイズを見なかったか?」
「いや、僕はずっとここにいたからね」
「そうか……。まあ、いいや。邪魔したな」
そう言って、才人はきびすを返したが、何かを思い出したように首だけで振り向いた。
「ああ、さっき、頭を下げた時に、転がってるのを見つけたんだが、コレお前のか?」
そう言ってかざしたガラスの小壜に反応したのは、意外にもギーシュ本人ではなく、傍らの少女だった。
「ギーシュ様……、まさかあれって、モンモランシー様の香水……?」
「へっ!? いっ、いやっ、何を言ってるんだケティ!?」
「じゃあ、じゃあ、やっぱりギーシュ様は、モンモランシー様と……!!」
「ノン! ノン! ノン! ノン!! 何を勘違いしているんだケティ!! 僕の心に住んでいるのは君だけだって、何回も――」
その様子を凝視しながら、才人は溜め息をつく。
――まったく、どうしようもねえなあ、こいつら……。
「ああ、すまねえ。どうやらこれ、おれのだ」
へ? と言った表情で才人を振り向くケティ。
だが、才人は――いかにも取って付けたような演技ではあったが――いかにも一人で納得したように喋り続ける。
「これ、あれだ、その、――そうそう『秘薬』、『秘薬』だ。おれの治療に使ったやつ。その残り。うん、だから、これはそいつの物じゃない。安心していいぜ、カノジョ」
そう言って小壜をポケットに詰め込むと、才人は飄然と、背中を見せた。
――ぽかんと呆気に取られるケティと、助かったという表情をしたギーシュを、後に残して。
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#navi(もう一人の『左手』)
『ゼロ』のルイズが召喚した、もう一人の“平民”。
黒革の上下に身を包んだ、目付きの悪い長身の男。
確かにさっきの、一人目の平民とは、何やら纏う雰囲気が違うが、それでも所詮、平民は平民。
いや、考えようによっては、ルイズを相手に大人気ない真似をするよりは、見世物としては、はるかにマシだろう。――
そう思って、ワルキューレによる攻撃を開始した瞬間、
「――なっ!!?」
ワルキューレは宙を舞っていた。
それも、三つの鉄槐に寸断されて。
ギーシュには、何が起こったのか分からない。
彼がその目に捉えるには、あまりにも、風見の剣さばきが速過ぎたからだ。
無造作に繰り出されたワルキューレの拳、風見はそれを首を振って躱すと、そのままワルキューレとすれ違うように踏み込みながら、その胴を寸断し、返す刀で、燕返しに戦乙女の首を刎ね飛ばした。
――剣の遊びだ。曲斬りだ。
「ぃぃぃっ!!」
頭に血が上ったギーシュは、今度は6体ものワルキューレを同時に錬成し、風見に向かわせた。
それでも、すべての戦乙女を攻撃に差し向けず、2体を自分の直衛につけたのは、軍門の生まれらしい慎重さか、はたまた生来の臆病さ故の思い切りの悪さか、それとも、意識の底ではまだ敵を平民と侮る気持ちがあったのか。
まあ、どっちにしろ関係ない。
風見に向かった4体のワルキューレは――今度は、剣や槍で武装していたにもかかわらず――風見の振るう剣に、一合すら交わす事無く、叩き斬られてしまったからだ。
ヴェストリの広場は、再び、沈黙に包まれた。
.
風見志郎は、そのまま剣を見、そして左手を見た。
手袋を外していないので分からないが、確実にルーンがまたたいているのが分かる。
ルーンから、ある種の、熱のようなものが体内に流れ込んでくるのを感じるからだ。その熱は、圧倒的な力となって迸り、まるで身体が羽になったように軽い。
コルベールに研究室で語った現象が、この剣を握った瞬間、さらに加速したようだ。
いまなら、例えこの姿のまま怪人を相手にしたとしても、負ける気がしない。
――いや、それだけではない。
風見は、空手・柔道といった格闘技の心得はある。あるが、剣道の経験は無い。竹刀ならぬ真剣――それも日本刀以外の――を握るなど、今日が生まれて初めてだ。
しかし、分かるのだ。
太刀筋、タイミング、力加減……それらを内包した圧倒的な量の『剣技』の情報が、ルーンから、脳に送信されてくるのを感じる。
――これが、先生の言うところの、『ガンダールヴ』の力なのか……。
そう思った瞬間、さらにルーンの力に対する興味は大きくなる。
ルーンは、何も剣を持った瞬間から輝き始めたわけではない。その前から光を放っていた。ならば――。
風見は剣を捨てた。
「なっ!!?」
二体のワルキューレの陰に隠れていたギーシュが、ぽかんとした声を出す。
そのまま、目付きの悪い男はこちらを向き、歩き出す。
決闘の最中とも思えない、まるで散歩のような歩み。
ギーシュは、一瞬、事態が読めなかった。
男が、まるで大根でも切るかのような無造作さで、自慢のワルキューレを5体も斬り捨てた。
それは分かる。
認めたくは無い現実だが、眼前で起こった出来事だ。認めないわけにはいかない。
だが、その剣を男は捨てた。
何故……!?
いや、その疑問と同時に、疑問よりも先行する形で、その解答が浮かんだ。
――こいつは、剣なしでも僕に、いや、僕のワルキューレに勝てる気なんだ……!!
――お前の実力はよく分かった。分かった以上、もう剣は必要ない。そう言いたいんだ!!
.
そう思った瞬間、かつて経験した事が無いほどの屈辱が、ギーシュの身を包んだ。
「かかれぇっ!!」
そう思った瞬間には、ワルキューレたちに号令を出していた。
貴様はメイジを、貴族を嘗めたっ!!
そんな激情だけが、彼を支配していた。
青銅製のワルキューレが、凄まじいスピードで、こちらに向かってくる。
しかも、その踏み込みには、才人を嬲っていた時のような“遊び”は無い。
術者のギーシュが、自分に完全な殺意を持ったのだろう。
そう思った瞬間、風見は、目を閉じていた。
目を閉ざし、耳を閉ざし、心を閉ざす。
ルーンに導かれるまま、自分の身体を預ける。
そして、……。
ぎぃんっ!! ぎぎぃぃん!!
金属が金属を切断する、いやな音が広場に響いた。
風見がゆっくりと目を開いた時、二体のワルキューレは、四つの破片になって、地面に転がっていた。
風見の手ではない。
彼は1mmたりとも動いてはいない。結果として、目を閉じ、その目を開いただけだ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
苦しげに肺を上下させ、さっき風見が放棄した剣を握る左手は、彼と同じルーンこそ輝いているが、断続的に痙攣を続けている。しかしながら、その眼光に込められた感情は、いささかも衰えていない。
「平賀……!」
この決闘の、本来の担当者が、そこに立っていた。
睨むような眼差しと、ルーン輝く左手に握る剣を、ギーシュではなく、風見に突きつけて。
「何やってるんだよ、あんた……!?」
「なに……?」
「あんたは……ヒーローなんだろ……? 仮面ライダーなんだろ……!? あんたの拳は、こんな一般人に向けていい拳じゃないだろう……!!」
「……」
「それに、――それにこれは、おれの、おれたちのケンカだっ!! 頼んでもいねえのに、野暮なまねすんじゃねえっ!!」
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「どっ、どうなってんの……!?」
ルイズは自分の目を疑った。
風見が放棄した剣。それが才人の手元に転がってきた時、瀕死のはずの彼は、イキナリ瞼を開いた。
そして、まるでゾンビかグールのように、むくりと起き上がったのだ。
左手にいつの間にか剣を握っていた事も、その手に刻まれたルーンが、閃くような輝きを放っていた事も、ルイズには気にならなかった。
ただ、信じられなかったから。
起きれるはずの無い者が起き、立てるはずの無い身体で立ち上がり、そのまま矢のようなスピードで走り出し、――いかなる理由でかは知らないが――瞑目を続ける風見に襲い掛かるワルキューレを、見事な剣さばきで斬り伏せた。
さらに、その後、この広場にいる全ての者が理解できない罵声を風見に浴びせ、睨み合う。
――ここではない、同じ世界の同じ国を故郷とする、異邦人同士のはずなのに。
――同じルーンを、同じ箇所に刻み付けられた、使い魔同士であるはずなのに。
が、二人の異世界人の対峙はそこまでだった。
才人の気力は、今度こそ、そこで尽きた。
彼は脱力し、くずれおち――風見はそんな才人を抱き止め、抱え上げた。
「――ヴァリエールっ!!」
風見のその声で、ようやくルイズは我に返った。
「医者だ! 早く医者を呼べっ!! 早く処置をしないと、こいつは死ぬぞっ!!」
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瞼を刺す強烈な陽光が、閉ざされた闇の底から、彼の意識を刺激する。
「……ん、んんん……!!」
才人は目を開けた。
その瞬間、電流のような激痛が全身を貫く。
その痛みが、明確に彼の意識を覚醒させる。
――ここは……?
周囲を見回す。
自分が、今まで見た事も無いほど豪奢な寝台に寝かされていた事に気付く。
いや、豪奢なのはベッドだけじゃない。
素人目に見ても、値段の見当がつかないほどのアンティーク家具が、12畳ほどの部屋に、所狭しと並んでいる。
才人は、ベッドから降りる。
包帯だらけの全身がまだ引きつるが、どうやら普通に動く分には、不自由は無さそうだ。
彼は、そのまま窓を開いた。
早朝の冷気と、眩しいばかりの光が、火照りの消えない身体に心地良かった。
しかし、それ以上に、そこから見える風景は、いやでも彼に事実を思い知らせる。
ここは地球じゃない。日本じゃない。目が覚めたら終わりの――夢じゃない。
「サイト……?」
振り返ると、寝間着姿のルイズが、ソファから身を起こして、こっちを見ていた。
「よぉ」
「サイト……サイト……サイト!!」
驚く暇も無かった。
ルイズが、くしゃりと顔を歪ませると、いきなり胸元に飛び込んで来たからだ。
「ばか……ばか、ばか!! 死んじゃうかと、死んじゃうかと思ったんだからねっ!! 三日も眠りっ放しで、ひとを散々心配させて、『よぉ』って何よ! 『よぉ』って!?」
「ごっ、ごめん……」
「ごめんって、……ばかばかばかばかっ……ばかぁ……っ……ぅぅぅっ……」
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お世辞にも、分厚いとは言いがたい才人の胸板を、少女は身体を押し付けて、ぽかぽかと殴るが、無論痛みは感じない。むしろ心地良いものすら感じる。そのうち、ルイズは感極まったか、全身を震わせて泣き始めた。
才人は、そっとルイズの頭を撫でる。
「お前って……結構よく泣くよな……」
「ちょっ、調子に乗らないでよっ!! ――わたしは、その……そう、御主人様として、当然の心配をしてあげただけなんだからっ!! あんたなんか、あんたなんか、別になんとも思っちゃいないんだからねっ!!」
という言葉とは裏腹に、頬を真っ赤に染め上げて叫ぶと、そのまま部屋を走り出てしまった。
その突然の変わり身に対応できず、ぽかんと彼女の背を見つめる才人を残して。
「何なんだ……あいつは……?」
「照れくさかったんだろう。ただ単に、な」
「風見、さん……!」
ルイズが出て行ったドアを閉めながら、入って来たのは、風見志郎だった。
「あの……風見さん……あの時は、その、剣なんか向けて偉そうなこと言っちゃったけど、その……」
「気にするな。――お前が言った事は、本当の事だ」
「……そう言ってもらえると、助かります」
「礼だったら、ヴァリエールに言うんだな。お前がいま生きているのは、確実にあの子のおかげなんだからな」
「え?」
「体調はどうだ?」
「ああ、はい。……あれ?」
確かに体は動く。まだ少し痛みが残ってはいるが、それでも日常生活には、もはや全く問題ないだろう。
けど、おかしいな。確かあいつは、三日も眠りっ放しって、――三日っ!? たったの!?
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「そうだ。いくら何でも、あのケガが三日で完治するなんて、ありえない」
そう言いながら、風見は手に持ったトレイ――かなり豪華なメニューが乗せてあった――を、テーブルに置くと、
「食べろ。この世界には点滴が無い。栄養補給の手段は食事しかない」
「あの……いったい、どういう事なんスか? よくよく思い出してみれば、俺のケガって、結構シャレにならないレベルだったはずですよね? 改造手術でも受けたんですか、俺は?」
風見は、トレイから自分のパンを手に取ると、これまでの経緯を説明した。
このハルケギニアには、内科・外科といった、いわゆる近代医学療法が存在しない事。
その代わり、魔法による治癒呪文が、その役割を担っている事。
その威力は、治療分野にもよるが、場合によっては近代医学をはるかに凌駕する事。
しかし治癒呪文は、『秘薬』と呼ばれる触媒が無ければ、その効果を十二分に発揮できない事。
そして、その『秘薬』は、おそろしく高価である事。
「じゃあ……!?」
「そうだ。お前の『秘薬』代を肩代わりしたのがヴァリエールだ。いや、金を出しただけじゃない。あいつはお前が目覚めるまで、三日三晩、ほとんど眠らずに看病していた」
「……」
「あいつはあいつなりに、お前に対して責任を感じているんだろう」
「……そうすか」
才人は、しばらく黙っていたが、やがて、静かに立ち上がった。
「おれ、あいつを捜してきます」
「食事はいいのか?」
「メシよりも優先でしょう、この場合は。――あ、でも、後で食うから、おれの分は残しといて下さいね」
「だったら、もう一人にも礼を言いに行け。ヴァリエールの持ち合わせで足らなかった分を、出した奴がいる」
「え? それって、誰です?」
風見は、その精悍な瞳に、めずらしく優しい光を浮かべる。そして、その名を聞いた才人は、その意外さに目を見開いた。
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今は昼休みか何かのようだ。
生徒たちが、校庭のテラスで、メイドたちが給仕するケーキをつまみながら、楽しそうに雑談に勤しんでいる。
その中に、彼――ギーシュ・ド・グラモンもいた。
傍らに、彼の後輩らしい初々しい少女を伴い、相変わらずな愛の言葉を囁いていた。
――が、その時、テラスにざわめきが走った。
「おい、あいつ……!?」
「何だ? 何しに来やがった?」
「いや、ひょっとして、アレだ。リベンジしに来たんだよ、多分」
「――平民のクセになめやがって……!!」
いかに思い当たるフシがあるとは言え、平民から過ちを指摘されて素直に認められるほど、彼らは大人ではない。いわんや、ベンジョムシ呼ばわりまでされたのだから。
しかし、平賀才人は、それらの真っ白な視線を全く無視して、校庭を横切り、足を止めた。
勿論、ギーシュの前に、である。
「ギーシュ様……!!」
少女が、ギーシュにもたれかかり、不安そうに、才人を見上げる。
「聞いたよ」
「何を?」
「助けてくれたんだってな、おれを」
「微力ながら、だけどね。――で、その件に関して、何か文句でもあるのかい?」
そう言われて、才人はにやりと笑うと、
「ありがとう。お前のおかげで死なずに済んだ」
ぺこりと頭を下げた。
周囲にいた連中は、――ギーシュの隣の少女を含めて――あんぐりと口を開いた。
「いいさ、頭を上げてくれ。互いに戦いあった決闘者に、礼を尽くすのは、貴族として当然のマナーだ」
「……そっか」
才人は頭を上げると、
「礼を言った直後に、こんなこと言うのもなんだが……もうルイズを馬鹿にするなよ。またやったら、今度はおれから『決闘』を挑むぜ」
.
その言葉で、周囲は再び緊張したが、ギーシュは冷静だった。
「いや、安心したまえ。公衆の面前でレディを侮辱するなんて、考えてみれば、この『青銅』のギーシュらしからぬ振る舞いだったよ。君が怒るのも当然だ」
そう言ったギーシュの笑顔は、意外に人懐っこいものだった。
彼は彼なりに、『決闘』で、才人を認めるところがあったのだろう。
才人は、この少年が、意外に好人物である点を認めざるを得なかった。
「なあ、あいつ――いや、ルイズを見なかったか?」
「いや、僕はずっとここにいたからね」
「そうか……。まあ、いいや。邪魔したな」
そう言って、才人はきびすを返したが、何かを思い出したように首だけで振り向いた。
「ああ、さっき、頭を下げた時に、転がってるのを見つけたんだが、コレお前のか?」
そう言ってかざしたガラスの小壜に反応したのは、意外にもギーシュ本人ではなく、傍らの少女だった。
「ギーシュ様……、まさかあれって、モンモランシー様の香水……?」
「へっ!? いっ、いやっ、何を言ってるんだケティ!?」
「じゃあ、じゃあ、やっぱりギーシュ様は、モンモランシー様と……!!」
「ノン! ノン! ノン! ノン!! 何を勘違いしているんだケティ!! 僕の心に住んでいるのは君だけだって、何回も――」
その様子を凝視しながら、才人は溜め息をつく。
――まったく、どうしようもねえなあ、こいつら……。
「ああ、すまねえ。どうやらこれ、おれのだ」
へ? と言った表情で才人を振り向くケティ。
だが、才人は――いかにも取って付けたような演技ではあったが――いかにも一人で納得したように喋り続ける。
「これ、あれだ、その、――そうそう『秘薬』、『秘薬』だ。おれの治療に使ったやつ。その残り。うん、だから、これはそいつの物じゃない。安心していいぜ、カノジョ」
そう言って小壜をポケットに詰め込むと、才人は飄然と、背中を見せた。
――ぽかんと呆気に取られるケティと、助かったという表情をしたギーシュを、後に残して。
#navi(もう一人の『左手』)
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