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「鬼哭街/Zero-5 XII」(2009/03/17 (火) 21:54:03) の最新版変更点
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XII/
振り下ろされる巨大な岩の拳を、濤羅は慌てるまでもなく飛びのいて避けた。更にもう
一歩距離をとったところで、辺り一帯に轟音が響いた。距離をとった濤羅すら、わずかに
肌を振るわせる。
見れば、ただの一撃で足場にしていた建物の屋根は跡形もなく消し飛んでいた。
アサルトギアの装甲にすら通用する二十ミリ携行レールガンに匹敵する破壊力だ。幸い
にして屋根跡から覗く限り住人はいなかったが、いたとすれば確実に命はなかったろう。
だが、それを前にして濤羅が注視したのは破壊を巻き起こした巨大な岩人形ではなく、
その肩に座った人影にである。月の光に照らされて、朧な輪郭に確かな影が与えられる。
名は知らない。聞いたことがあるかもしれないが、濤羅は覚えていなかった。ただ敵と
してのみ、その顔を覚えている。
「フーケ!」
その名を補うように叫んだのはルイズだった。更に離れた位置にいるルイズでは、その
顔を見ることは適わない。だが、それでも彼女には悔いがあった。彼女を一度捕まえた時、
自分は何もできなかったという悔いが。
夢に見るほどに強く思っていたルイズが、たかが顔の一つ程度で判断を誤るはずもない。
「へえ、覚えていてくれたのね」
風に靡く後ろ髪を手で押さえながら、人影――フーケは嬉しそうに言った。ただし、目
だけが笑っていない。鋭く尖らせた瞳はただ濤羅のみに7注がれていた。
言葉もなく視線が交わされる。
フーケは百万言弄しても恨みが晴れることはなく。濤羅はかける言葉など何一つない。
だから、その沈黙を破ったのはまたしてもルイズだった。
「何で貴女がここにいるのよ。牢屋にいるはずでしょう!!」
理解できぬと首を振り、魔法を使えぬのに杖を突きつける。目を見開き、唇を戦慄かせ、
歯を食いしばり――そのどれもが、平静を欠いた証だった。
だが、欠けたところを補うのが使い魔の役割である。
狼狽するルイズに注意が向いていることを確認すると、濤羅は足場にしている建物から
飛び降りた。衝撃は足首と膝で吸収したが、それでも無視できぬほどの音が鳴る。二人の
注意が、間に立つ濤羅へと注がれた。
そのうちの一つ。フーケのものを無視して、濤羅はルイズへと向き直る。距離はあるが、
目線は同じ高さだ。
「出てきたのなら、また捕らえればいい。そうだろう?」
離れたルイズに向けられる柔らかな視線。まるでフーケなどいないと、いたとしても、
そんなものは何ら問題にならないと、涼やかに笑う。
そうして濤羅はフーケと向き直る。伝えるべきは全て伝えた。ならば後は、従者として
命令を待つばかりである。
濤羅は知っている。彼女が、フーケを捕えた夜、己だけが何も出来なかったと後悔して
いることを。涙で枕を濡らしながら、夢に見るほど強く思っていることを。
だからこれはあの夜の焼き回し。違うのはただ一点、ルイズの言葉が口火を切ること。
「いいわ、濤羅! そんなやつ、ふっ飛ばしちゃいなさいっ!」
淑女らしかぬ蓮っ葉な命令。それを背に受け濤羅の体が弾丸のようにはじけ飛ぶ。
「はっ、返り討ちにしてやる!」
歪なフーケの笑い声を号令に、ゴーレムがその巨大な右腕を上げる。その動き、濤羅を
迎え撃つにはあまりに鈍重だ。意が通わぬため捉えることは出来ぬが、視覚一つで十分に
事足りる。
そしてあの巨体だ。重量からすれば、右腕と左腕を同時に動かすことなどできはしまい。
大地を踏みしめる足裏に力を込め、岩の腕(かいな)が振り下ろされる前に懐に飛び込
もうとし、だが、その判断とは別に濤羅の体は横に飛び跳ねていた。
着地し、岩人形と相対しながら濤羅は己の動きの理由を悟る。
振り下ろされた岩人形の右腕の半ばから先が無くなっていたのだ。泥へと姿を変えて。
叩きつけられた衝撃で、泥はあたり一面に飛び散っていた。飛沫だけでも質量でいえば
相当なものだ。人一人を殺す威力はないだろうが、到底無視できるものではない。
だが、それ以上に厄介なのは足場を奪われることだった。軽功を纏う濤羅ならば動けぬ
ことはないだろうが、それでもやはり動きは鈍る。
それでも攻撃が残る左腕や両足から繰り出されればやり過ごせないことはないが、敵が
奥の手を持っていたとき、それに対処できる保証はない。
濤羅は魔法を知らぬのだ。足場にしようとした岩人形の肌が泥に変わるやもしれぬし、
あるいは懐に入り込んだ瞬間、土砂のように体を崩すこともありえる。
確実な保証など実戦では望むべくもないが、やはり一足で懐に飛び込むのは危険だった。
これ以外にも何か手があると考えるべきだと、積み重ねられた経験が告げていた。
「っく」
まずい相手だった。相手の手の内は読めず、かといって様子を見れるほどの余裕が今の
濤羅にはない。濤羅の双肩に、傭兵達との戦いの疲労が重く圧し掛かる。
ともすれば肺腑からこみ上げようとする汚血を喉の奥に飲み込みながら、濤羅は呼吸を
整えた。あと動けて数分。場合によっては更に短くなるだろう。それまでに勝負を決める
ことができなければ、例えフーケに殺されずとも、自然と濤羅は死ぬだろう。
「どうした、ちょろちょろと動き回るのはもうやめかい?」
岩人形の肩に腰掛けるフーケが濤羅の緊張を感じ取りせせら笑う。杖を振り、岩人形の
右腕を再生させる間も、その顔に張り付いた優位の笑顔は一度として消え去らない。
考える暇もあらばこそ、すぐさまその右腕を振りかざし――そしてその瞬間に濤羅は心
を決めた。
膝を曲げ、腰を落とし、死の恐怖から逃げるのではなく、むしろそこに飛び込むように
濤羅は身を撓ませた。
唸りをあげて豪腕が迫る。掠めるだけで意識を脳髄ごと持って行きそうな一撃を前に、
濤羅はただ見据えるだけで何の対処も見せようとしない。
今更避けようにももはや遅い。散弾のごとき泥の飛沫は濤羅を決して逃すまい。
勝利を確信し、フーケが笑みを深める。彼女の復讐は今ここに成るのだ。
――だが、その心の間隙を突かずして、どうして内家剣士を名乗れよう。
撓ませていた体を一気に跳ね上げると濤羅は跳躍――いや、飛躍した。横でもなく後ろ
でもなく、それこそ死地に飛び込むように前に向かって濤羅は飛翔していた。
まさに番えられた矢が放たれるがごとく。
地面から弾かれたように飛び出す濤羅を、鈍重な岩人形が捕えられるはずもなく、腕は
虚しく地面のみを叩く。だが、それで終わりではない。むしろフーケからすればこちらが
本命なのだ。飛翔する濤羅の背に泥の散弾が襲い掛かる。
ならば、飛沫より更に早く動けばいい。
何もフーケに届く道は岩人形の懐からに限らない。襲い掛かる腕とて、フーケに繋がる
道には変わらないのだ。
濤羅は慌てず両の手を眼前の岩肌に押し付けた。跳馬の要領で向かい来る腕の力までも
自らのベクトルに変え、濤羅の飛翔は更なる高みへ――いくはずだった。
「なっ!!」
勁を込めた双掌。それを受けた岩肌が風化したかのようにぽろぽろと崩れ落ちたのだ。
驚愕の暇も有らばこそ、ぽっかりと浮かんだ空洞に手を取られると、濤羅の体は駒の
ように回転しながら弾き飛ばされた。
反転する濤羅の視界に映る泥の飛沫。その輪郭が徐々にはっきりと、そして大きくなり。
そして濤羅が衝撃に供えようと歯を食いしばった瞬間だった。柔らかな風が、濤羅の身を
包んだのは。
抱き上げらるような感触に肌を泡立てながら濤羅が体勢を整えると、まるでそのときを
計っていたかのように足裏に岩作りの建物の感触が伝わった。同じくして風が凪ぐ。
誰が――誰何の声を上げる必要はなかった。体に染み付いた戦いの本能は、濤羅に敵を
忘れることを許さなかったのだ。忘我の淵にありながら、濤羅の視線は正しくフーケを、
そしてその背後に立つワルドを捕えていた。
ワルドの手にはレイピアを象った杖がある。渦巻く風は、触れるだけで肉を切り裂くだ
ろう。それを首に突きつけられたフーケには、もはや指一本動かす余裕はない。
「捕縛されてくれるね、ミス・フーケ」
帽子の奥のワルドの瞳はどこまでも鋭く、声はそれ以上に硬かった。ともすれば、その
切っ先よりも鋭く、そして硬かったろう。
ワルドの本気を感じ取ったのか、フーケは反抗する気配すら見せず杖を手放した。三十
メートルの高さから杖が地面へと落ちていく。
岩畳に落ちて、からん、と乾いた音が辺りに響いた。それを契機としたのか、岩人形は
巨大な自重を支え切れず、足元といわず、全身の到るところから崩壊を始めていた。
もはや最後まで見届けるまでもなく。間違いなく自分達の勝利だった。
安堵の息が、胸の内を突いて出る。
いや、安堵したとすれば、杖が地に落ちたときだろうか。その音を聴いた瞬間、濤羅の
全身はまるで梁が落ちたかのように弛緩していたのだ。余すところなく、心の臓までも。
「う、あ……」
視界が明滅する。耳元では遠雷のような低い音が轟々と鳴り響き、回転する世界の中、
自分が立っているかどうかすらあやふやになる。
一瞬の気の緩みが、体中の気息を乱していた。命を拾った感傷に浸る余裕すら濤羅には
与えられなかったのだ。
頽れかかる膝を震わせながら、濤羅はただ調息のみに専心する。
内傷を癒す径絡の順路、中涜(ちゅうとく)から風市(ふうし)、環躍(かんやく)へ
と氣を運び、淵液(えんえき)の間から戻して循環させる。
異変に真っ先に気づいたのは、主たるルイズだった。誰もが捕えられたフーケに注意を
向ける中、彼女だけが濤羅から一時も目を離さなかったのだ。
「タオロー!!」
使い魔の死。漠然とそれを感じ取ったルイズが悲鳴を上げる。だが――
その必死で極まりない声に一瞬意識を逸らした、逸らしてしまった濤羅の呼吸が、致命
的なまでのずれを生んだ。
全身の瘧という瘧を集めたかのようなどす黒い血が迸る。ついに濤羅は膝を折り、身を
屈めて咳き込んだ。そのたびに毒々しい血の花弁が地面を飾る。
「っタオローーー!!」
そんな、必死な声を出すな――脳裏に浮かぶ涙交じりのルイズの顔に笑ってそう告げよ
うとして、そしてそれを最後に濤羅の意識は闇に包まれた。
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XII/
振り下ろされる巨大な岩の拳を、濤羅は慌てるまでもなく飛びのいて避けた。更にもう
一歩距離をとったところで、辺り一帯に轟音が響いた。距離をとった濤羅すら、わずかに
肌を振るわせる。
見れば、ただの一撃で足場にしていた建物の屋根は跡形もなく消し飛んでいた。
アサルトギアの装甲にすら通用する二十ミリ携行レールガンに匹敵する破壊力だ。幸い
にして屋根跡から覗く限り住人はいなかったが、いたとすれば確実に命はなかったろう。
だが、それを前にして濤羅が注視したのは破壊を巻き起こした巨大な岩人形ではなく、
その肩に座った人影にである。月の光に照らされて、朧な輪郭に確かな影が与えられる。
名は知らない。聞いたことがあるかもしれないが、濤羅は覚えていなかった。ただ敵と
してのみ、その顔を覚えている。
「フーケ!」
その名を補うように叫んだのはルイズだった。更に離れた位置にいるルイズでは、その
顔を見ることは適わない。だが、それでも彼女には悔いがあった。彼女を一度捕まえた時、
自分は何もできなかったという悔いが。
夢に見るほどに強く思っていたルイズが、たかが顔の一つ程度で判断を誤るはずもない。
「へえ、覚えていてくれたのね」
風に靡く後ろ髪を手で押さえながら、人影――フーケは嬉しそうに言った。ただし、目
だけが笑っていない。鋭く尖らせた瞳はただ濤羅のみに7注がれていた。
言葉もなく視線が交わされる。
フーケは百万言弄しても恨みが晴れることはなく。濤羅はかける言葉など何一つない。
だから、その沈黙を破ったのはまたしてもルイズだった。
「何で貴女がここにいるのよ。牢屋にいるはずでしょう!!」
理解できぬと首を振り、魔法を使えぬのに杖を突きつける。目を見開き、唇を戦慄かせ、
歯を食いしばり――そのどれもが、平静を欠いた証だった。
だが、欠けたところを補うのが使い魔の役割である。
狼狽するルイズに注意が向いていることを確認すると、濤羅は足場にしている建物から
飛び降りた。衝撃は足首と膝で吸収したが、それでも無視できぬほどの音が鳴る。二人の
注意が、間に立つ濤羅へと注がれた。
そのうちの一つ。フーケのものを無視して、濤羅はルイズへと向き直る。距離はあるが、
目線は同じ高さだ。
「出てきたのなら、また捕らえればいい。そうだろう?」
離れたルイズに向けられる柔らかな視線。まるでフーケなどいないと、いたとしても、
そんなものは何ら問題にならないと、涼やかに笑う。
そうして濤羅はフーケと向き直る。伝えるべきは全て伝えた。ならば後は、従者として
命令を待つばかりである。
濤羅は知っている。彼女が、フーケを捕えた夜、己だけが何も出来なかったと後悔して
いることを。涙で枕を濡らしながら、夢に見るほど強く思っていることを。
だからこれはあの夜の焼き回し。違うのはただ一点、ルイズの言葉が口火を切ること。
「いいわ、濤羅! そんなやつ、ふっ飛ばしちゃいなさいっ!」
淑女らしかぬ蓮っ葉な命令。それを背に受け濤羅の体が弾丸のようにはじけ飛ぶ。
「はっ、返り討ちにしてやる!」
歪なフーケの笑い声を号令に、ゴーレムがその巨大な右腕を上げる。その動き、濤羅を
迎え撃つにはあまりに鈍重だ。意が通わぬため捉えることは出来ぬが、視覚一つで十分に
事足りる。
そしてあの巨体だ。重量からすれば、右腕と左腕を同時に動かすことなどできはしまい。
大地を踏みしめる足裏に力を込め、岩の腕(かいな)が振り下ろされる前に懐に飛び込
もうとし、だが、その判断とは別に濤羅の体は横に飛び跳ねていた。
着地し、岩人形と相対しながら濤羅は己の動きの理由を悟る。
振り下ろされた岩人形の右腕の半ばから先が無くなっていたのだ。泥へと姿を変えて。
叩きつけられた衝撃で、泥はあたり一面に飛び散っていた。飛沫だけでも質量でいえば
相当なものだ。人一人を殺す威力はないだろうが、到底無視できるものではない。
だが、それ以上に厄介なのは足場を奪われることだった。軽功を纏う濤羅ならば動けぬ
ことはないだろうが、それでもやはり動きは鈍る。
それでも攻撃が残る左腕や両足から繰り出されればやり過ごせないことはないが、敵が
奥の手を持っていたとき、それに対処できる保証はない。
濤羅は魔法を知らぬのだ。足場にしようとした岩人形の肌が泥に変わるやもしれぬし、
あるいは懐に入り込んだ瞬間、土砂のように体を崩すこともありえる。
確実な保証など実戦では望むべくもないが、やはり一足で懐に飛び込むのは危険だった。
これ以外にも何か手があると考えるべきだと、積み重ねられた経験が告げていた。
「っく」
まずい相手だった。相手の手の内は読めず、かといって様子を見れるほどの余裕が今の
濤羅にはない。濤羅の双肩に、傭兵達との戦いの疲労が重く圧し掛かる。
ともすれば肺腑からこみ上げようとする汚血を喉の奥に飲み込みながら、濤羅は呼吸を
整えた。あと動けて数分。場合によっては更に短くなるだろう。それまでに勝負を決める
ことができなければ、例えフーケに殺されずとも、自然と濤羅は死ぬだろう。
「どうした、ちょろちょろと動き回るのはもうやめかい?」
岩人形の肩に腰掛けるフーケが濤羅の緊張を感じ取りせせら笑う。杖を振り、岩人形の
右腕を再生させる間も、その顔に張り付いた優位の笑顔は一度として消え去らない。
考える暇もあらばこそ、すぐさまその右腕を振りかざし――そしてその瞬間に濤羅は心
を決めた。
膝を曲げ、腰を落とし、死の恐怖から逃げるのではなく、むしろそこに飛び込むように
濤羅は身を撓ませた。
唸りをあげて豪腕が迫る。掠めるだけで意識を脳髄ごと持って行きそうな一撃を前に、
濤羅はただ見据えるだけで何の対処も見せようとしない。
今更避けようにももはや遅い。散弾のごとき泥の飛沫は濤羅を決して逃すまい。
勝利を確信し、フーケが笑みを深める。彼女の復讐は今ここに成るのだ。
――だが、その心の間隙を突かずして、どうして内家剣士を名乗れよう。
撓ませていた体を一気に跳ね上げると濤羅は跳躍――いや、飛躍した。横でもなく後ろ
でもなく、それこそ死地に飛び込むように前に向かって濤羅は飛翔していた。
まさに番えられた矢が放たれるがごとく。
地面から弾かれたように飛び出す濤羅を、鈍重な岩人形が捕えられるはずもなく、腕は
虚しく地面のみを叩く。だが、それで終わりではない。むしろフーケからすればこちらが
本命なのだ。飛翔する濤羅の背に泥の散弾が襲い掛かる。
ならば、飛沫より更に早く動けばいい。
何もフーケに届く道は岩人形の懐からに限らない。襲い掛かる腕とて、フーケに繋がる
道には変わらないのだ。
濤羅は慌てず両の手を眼前の岩肌に押し付けた。跳馬の要領で向かい来る腕の力までも
自らのベクトルに変え、濤羅の飛翔は更なる高みへ――いくはずだった。
「なっ!!」
勁を込めた双掌。それを受けた岩肌が風化したかのようにぽろぽろと崩れ落ちたのだ。
驚愕の暇も有らばこそ、ぽっかりと浮かんだ空洞に手を取られると、濤羅の体は駒の
ように回転しながら弾き飛ばされた。
反転する濤羅の視界に映る泥の飛沫。その輪郭が徐々にはっきりと、そして大きくなり。
そして濤羅が衝撃に供えようと歯を食いしばった瞬間だった。柔らかな風が、濤羅の身を
包んだのは。
抱き上げらるような感触に肌を泡立てながら濤羅が体勢を整えると、まるでそのときを
計っていたかのように足裏に岩作りの建物の感触が伝わった。同じくして風が凪ぐ。
誰が――誰何の声を上げる必要はなかった。体に染み付いた戦いの本能は、濤羅に敵を
忘れることを許さなかったのだ。忘我の淵にありながら、濤羅の視線は正しくフーケを、
そしてその背後に立つワルドを捕えていた。
ワルドの手にはレイピアを象った杖がある。渦巻く風は、触れるだけで肉を切り裂くだ
ろう。それを首に突きつけられたフーケには、もはや指一本動かす余裕はない。
「捕縛されてくれるね、ミス・フーケ」
帽子の奥のワルドの瞳はどこまでも鋭く、声はそれ以上に硬かった。ともすれば、その
切っ先よりも鋭く、そして硬かったろう。
ワルドの本気を感じ取ったのか、フーケは反抗する気配すら見せず杖を手放した。三十
メートルの高さから杖が地面へと落ちていく。
岩畳に落ちて、からん、と乾いた音が辺りに響いた。それを契機としたのか、岩人形は
巨大な自重を支え切れず、足元といわず、全身の到るところから崩壊を始めていた。
もはや最後まで見届けるまでもなく。間違いなく自分達の勝利だった。
安堵の息が、胸の内を突いて出る。
いや、安堵したとすれば、杖が地に落ちたときだろうか。その音を聴いた瞬間、濤羅の
全身はまるで梁が落ちたかのように弛緩していたのだ。余すところなく、心の臓までも。
「う、あ……」
視界が明滅する。耳元では遠雷のような低い音が轟々と鳴り響き、回転する世界の中、
自分が立っているかどうかすらあやふやになる。
一瞬の気の緩みが、体中の気息を乱していた。命を拾った感傷に浸る余裕すら濤羅には
与えられなかったのだ。
頽れかかる膝を震わせながら、濤羅はただ調息のみに専心する。
内傷を癒す径絡の順路、中涜(ちゅうとく)から風市(ふうし)、環躍(かんやく)へ
と氣を運び、淵液(えんえき)の間から戻して循環させる。
異変に真っ先に気づいたのは、主たるルイズだった。誰もが捕えられたフーケに注意を
向ける中、彼女だけが濤羅から一時も目を離さなかったのだ。
「タオロー!!」
使い魔の死。漠然とそれを感じ取ったルイズが悲鳴を上げる。だが――
その必死で極まりない声に一瞬意識を逸らした、逸らしてしまった濤羅の呼吸が、致命
的なまでのずれを生んだ。
全身の瘧という瘧を集めたかのようなどす黒い血が迸る。ついに濤羅は膝を折り、身を
屈めて咳き込んだ。そのたびに毒々しい血の花弁が地面を飾る。
「っタオローーー!!」
そんな、必死な声を出すな――脳裏に浮かぶ涙交じりのルイズの顔に笑ってそう告げよ
うとして、そしてそれを最後に濤羅の意識は闇に包まれた。
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