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「虚無の王-18-2」(2010/11/26 (金) 19:09:05) の最新版変更点
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話題が途切れた。
時間だけが過ぎて行き、太陽だけが動いていた。
釣り糸もまた、鏡の様に静かな河面に捕まり、凍り付いたかの如く動きを見せなかった。
「全然、釣れないわね」
「釣りは根気や」
なんだか、退屈になって来た。
ルイズはバスケットを開く。釣りに付き合うのだから、退屈凌ぎになる物が必要だと思って持って来た物が有る。
編みかけのセーターだ。
編み棒を手繰りながら、ちらりと横に目線を向ける。
空はじっと釣り竿の先を見つめている。そして、時折、欠伸を漏らす。
手元に集中しながらも、内心では不満だった。何を編んでいるのか。それくらいは、聞いてくれたって良い物だ。
それとも、本当に自分の事は全く見ていないのだろうか。
「……何、編んどるんや?」
空が漸く聞いた時には、五分が過ぎていた。
「べ、別に大した物じゃないわ」
「そか」
それきり、空は黙りこくった。ルイズの不満は益々募る。
もう少ししつこく聞いてくれても良いではないか。
「セ、セーターよ。セーターを編んでるの」
「なんや。ヒトデの縫いぐるみかと思うた」
「あんたねえ……」
ルイズは腹を立てた。魔法が駄目なら、せめて器用に――――編み物は、母のそんな考えから教え込まれた。
だが、魔法と同じく、どうも物になりそうも無い。
「真面目に答えなさいよ」
「お前こそ、真面目にやっとるんか?」
珍しく、空は真面目な顔を見せた。
「根気が必要なんは、編み物も同じやろ。キチンと計算して、編み目数えて、間違うてたら解いて……地道にやれば、そうそう失敗する物やないん違うか?」
根気が足りないのではないか――――その指摘に、ルイズは声も無かった。
元々、ネガティヴな理由から始めた物だけに、編み物にはあまり熱心になった記憶が無い。
「しゃあない――――ほら」
空は携帯を取り出した。起動したのは、暇潰し用に入れておいたNESエミュレーター。内一本。「アイアムアティーチャー スーパーマリオのセーター」を開く。
小さな画面を、ルイズは物珍し気に見つめた。それも束の間、
「……字、読めないわ」
空はルイズを車椅子ごと、片手でひょいと持ち上げ、すぐ傍まで引き寄せる。
「えーとな……」
空がメッセージを翻訳して行く。
二人で小さな画面を覗き込みながら、新しい毛糸で作業を始める。空言う所のヒトデは、後で解いて毛玉に戻さなければなるまい。
サイズは子供用しか無いし、柄はどうでも良い。大して参考にはならなかったが、取り敢えず、基本的な編み方向を確認して、後は手元に集中。
沈黙の時間が流れた。
ルイズの作業は少しずつ、少しずつだか進んでいるが、空はさっぱりだった。偶にひきあげ、ポイントを変えて見るが効果は無い。
手を休めて、ルイズはふ、と“空”を見上げた。
鷲が一羽飛んでいる。
誰かの使い魔だろうか。それとも、伝書用として魔法による処置と、訓練とが施された物だろうか。
鷲が飛んで行く――――いや。
途中で、ルイズは誤りに気付く。鷲が飛んで来る。その鋭い爪を食い込ませたのは、空の腕だ。
「痛っ……あたた……」
声を上げながらも、空は足に縛られた手紙を解く。鷲は肩に移動し、
「だから、痛い、てっ」
結局、空が地面に突き立てたデルフリンガーの柄頭に止まった。
「おでれーた。まさか、止まり木にされとはねえ……あんまりでないかい?相棒」
「細かい事、気にすな」
一連の出来事を、ルイズは呆然と見つめていた。どこかの貴族が、空にこの鷲を寄越したのだろうか。一体、どうなってる?
と、呆気に取られるルイズに気付いて、空は説明する。
「こいつは、メッサーシュミット言うてな。ワイのペットや」
「空の?」
「せや。たまたま、知り合った貴族に貰ろてな。偉い重宝しとるわ。御陰で、トリスタニアの工房とも、あっちゅう間に連絡が取れる」
だとしたら、随分奇特な貴族も居たものだ。
一体、誰だろう?
「“閃光”の異名を持ち幻獣を自在に操る高貴なる魔法衛士」
「は?」
「せやから、“閃光”の異名を持ち幻獣を自在に操る高貴なる魔法衛士」
「だから誰よ、そ……その人!」
その馬鹿――――率直な感想を、ルイズは貴族らしい慎みで飲み込んだ。
「なんやあいつ……こう言えば、ハルケギニアで知らん奴居らへん言うとったのに……」
「だから、誰なのよ」
「あー、せや。忘れとった。もっとはよ言っとかんとあかんかったのに、伝言も忘れてもうて……」
「だーかーらー」
ルイズは苛立った。続いて、空の口にした名前に驚死した。
「ワルドや。ワルド子爵」
まさか、こんな所で婚約者の名を耳にするとは、夢にも思わなかった。
空とワルドが知り合い?魔法衛士グリフォン隊隊長のワルドと?
どうなっている?
「前にワイ、マルティニー村に行ったやろ。その時、偶然知り合ってな。トリスタニアでも、ごく偶に会うんよ」
「なんで、そんな大事な事、黙ってたのよ!」
「悪い。つい、うっかり、な……お前に伝言あるけど……」
「なんて仰ってたの?」
「えー、と……」
何しろ、古い話だ。
空は頭の中をひっくり返し、漸く、蜘蛛の巣の張った記憶を引っ張り出した。
「――――長い間、会えずにいて済まない。だが、僕の心は常に君とともに有る。愛しい君の、おヘソのずっと下の、可愛らしい所に接吻を送る。お口の恋人ワルドより」
そこまで言った瞬間、十字杖の短い先端が、空の米神を直撃した。
「なななな何言ってるのよっ!ワルド様がそんな事、仰る訳無いでしょうっ!」
「う、嘘違うでっ」
「嘘よ!絶対、嘘!」
空はそれ以上、抗弁しなかった。頭蓋の中で金属様の激痛がタップを踊っている。それ所では無かった。
まあ、我が友人もここまで婚約者に庇って貰えれば、幸福と言う物だろう。その幸福を無理に壊す事も無い。
「まあ、ともかく、あいつも目茶忙しいさかい。月一有るか無いかで、酒場で一杯付き合う程度なんやけど……お前の事、気にかけとったで。手紙でも書いてやったらどや?喜ぶと思うで」
「そうね。そうするわ」
ルイズは車椅子に戻った。
空も河に向き直る。あれだけの打撃を受けて、竿を手放さなかったのは、天晴れと言うべきだろう。
「で、手紙は誰から?」
早速、変わった筆で返信を用意。メッサーシュミットに託した空に、ルイズは尋ねた。
「工房から経過報告」
「巧くいってるの?」
「ぼちぼちや」
工房で――――自分の知らない所で――――空はどんな事をしているのだろう。ふ、と気になった。
あんな夢を見たのも、自分に依存していた使い魔が、経済的に自立した事から来る不安なのかも知れない。
いつか、相手は自分を必要としなくなるのではないか。そんな不安だ。
「……ねえ、あの銃。ゲルマニアの職人に造らせた、て言ってたわよね?」
「ああ」
「どうして?なんで、トリステインの職人を使わなかったの?」
ゲルマニア職人は技術が高い。それは認める。
だが、高い給金を払い、地元の組合と摩擦を起こしてまで、引っ張って来る価値が有るのか、と言うと疑問が残る。
「……ワイもな、最初は地元重視で行こ、思うとったんや」
空は言った。渋い顔に、渋い声だった。
コルベールとの協同開発品――――とは言え、空は理論を提供し、アドバイスをするだけだから、殆どの品はコルベールの独作――――の内でも、売り物になりそうな幾つかの道具の図面を携え、空は職人街を回った。
こう言った機械を作りたいが、協力して貰えないか――――
職人達の答えは冷淡だった。
「そんな機械を作ってどうするんだ?魔法が有るじゃないか――――揃って、そう言いよったわ」
「?……それがどうかしたの?」
「ルイズがそう考えるのは、判る。貴族やからな。せやけど、平民が言うたんやで」
トリステインの平民達は、貴族に依存し切っている。自分達の手で新しい物を作り出そう、と言う気概を持つ者は、誰もいない。
「平民が貴族になれへんから、こう言う社会になったのか、そう言う連中ばっかやから、平民が貴族になれへん制度が出来たのか――――卵が先か、鶏が先かは判らへんけどな」
一つだけ判った事が有る。トリステインの平民は頼るに足りない、と言う事だ。
タルブを“飛翔の靴”の産地と知りながら、なかなか足を伸ばす気になれなかったのも、それが理由だった。
「仕方無いわ。平民だもの」
ルイズはトリステインの常識を口にした。
それが常識である限り、いつかこの国は重大な危機に陥るだろう。異文明と衝突した時、一堪りも無く滅ぼされてしまうだろう。
そんな想像を、空は口にしなかった。6000年もの間、一つの文明圏に引き籠もっていたハルケギニア人だ。その時にならなければ、理解不可能な仮定だと思った。
それにしても――――空は考える。
トリステインの平民は貴族を嫌悪している。ゲルマニアはではそうでも無い。何故だ?
ゲルマニアの平民は貴族になれるからだろうか。
トリステインの平民は貴族に依存するが故に接触の機会が多く、当然の様に低く見られているからだろうか。
「ねえ、タルブはどうだったの?この前は、それが目的だったんでしょう?」
「あそこは、ええ職人揃っとるわ。一人、丁度遍歴から帰って来て、独立する予定の奴が居ってな。色々話したら、乗り気になってくれたさかい、引き抜く事にした」
ルイズは小首を傾げた。
何故、タルブの職人は例外的に優秀なのだろう。何故、進取の気風を持っているのだろう。
「あのエロババアがしごいた言う話やからなあ。色々な意味で」
「あんたの知り合いなんでしょ」
「……御陰で話がややこしゅうなってな」
空は常に自身の計画に関わる人間の所在を掴んでいた。自分が召喚された時、“渡り鳥”は病院に居た筈だ。
よしんば、定時連絡の合間になんらかの形で召喚され、地球とハルケギニアとの時間の流れの差により年齢差が生じた、と仮定しても、それでは、ここに“玉璽〈レガリア〉”が複数揃っている事に説明がつかない。
何しろ、“炎の玉璽”は自分のすぐ傍で、スピットファイアが身に着けていたのだ。
では、旧“眠りの森〈スリーピング・フォレスト〉”壊滅直後に召喚された?
それなら、複数の玉璽を彼女が手にし、尚かつキリクに奪われた“風の玉璽”が無い事には説明がつく。
問題は、シムカがハルケギニアで死亡している事実だ。だとしたら、その後、日本で活動した渡り鳥は何者で、残された玉璽はどこからもたらされた物か、が謎となってしまう。
残された可能性は、平行世界のシムカがハルケギニアに召喚された場合だ。
「帰るんにも、慎重にいかんとな。焦る必要も無くなった訳やし」
空間だけでなく、時間も飛び越えられるなら、召喚された直後に戻る事も可能だ。
第一、慌てて帰った所で、そこが本当に“自分の居た”日本かどうかは判らない。
再召喚の保証が得られない限り、怖くて帰れない。
「無理に急ぐ事無いわよ」
ルイズは言った。
「編み物と同じ。根気良くいけばいいんだわ」
「せやな」
話しながらも、ルイズは編み棒を手繰り続ける。
間違いが多い。解いてやり直しが多い。これは、時間がかかりそうだ。
「今から初めて、正解かも知れへんな」
編み上がる頃には、丁度良い季節になっている事だろう。
「自分のか?それとも、親父さんにでも、くれてやるんか?」
「プレゼント用よ。誰にあげるかは決まってるわ」
「誰に?」
「こ、ここに居るわ」
一瞬、空は目を丸くした。
「……まさか、頑張ってる自分にプレゼント、とか言わへんよな?」
「そ、そんな訳ないでしょ!」
「ほんなら……」
空が自身を指差すと、ルイズは小さく頷いた。
「あ、あんたもほら、まあまあよくやってくれてるし……ちゅ、忠誠には報いる所が必要でしょっ。だ、だから……」
熱を帯びた目で、ルイズは空の様子を窺った。
忠実な使い魔は何も言わなかった。ただ、満面に、何とも表現し難い笑みを浮かべていた。
「な、なによーっ」
空がにやけている。
「なによーっ!」
何だかよく判らなくなって、ルイズは空を突いた。編み棒の先端でひたすら突いた。
それでも、空は何も言わず、笑う事も止めなかった。
「と、とにかくっ!――――」
ルイズは声を上げる。胸の中で、暖かな鼓動と、暗い不安とが交錯した。
「――――それまではここに居なさいよ……どこにも行っちゃダメ。慌てて帰る事なんて、無いんだからね」
「せやな」
日が中天に上った。
昼食は正午。これはトリステイン人にとって、決して疎かに出来ない一大原則で、一切の道徳に優先する信仰と言っても過言では無い。
「オカズ釣るつもりやったんけどな――――」
「お弁当、持って来たわよ。大した量じゃないけど」
「しゃあない。ルイズ、竿頼む」
ルイズに竿を手渡して、空は片付けを始めた。とは言え、用具は至って原始的だし、餌も岩の下から捕まえた虫の類だから、大してやる事は無い。
竿を片手に、ルイズは空の作業を見つめていた。と――――
「あ。引いた」
「あに?」
「ねえ。これ、お魚、係ってるんじゃない?」
その通りだった。釣り糸が小刻みに震えている。
「……なんや、腹立つわあ。人が止めた途端に……糸切ったろかいな。ホンマ」
「何、言ってるのよ。折角……せ、折角かかったんじゃない。ちょ、ちょっと!」
言っている間にも、引きが強くなる。水面に波紋が浮かび、竿の先端が度々撓る。
大して大きな魚が掛かった訳でも無さそうだが、何しろルイズには釣りの経験が無い。途端にパニックになる。
「ちょっと!ねえっ、ねえ!どうしたらいいの!?」
「一度に引き上げようとすると、糸が切れよる。ゆっくり巻き上げればええ」
言われた通り、ルイズはゆっくりとリールを回す。空は河面にそっと網を伸ばす。
程なくして、魚籠に二尾目の魚が放り込まれた。
アローズに形がよく似た魚だ。学院の図鑑で見た記憶が有る。名前は失念したが、毒も無く、食用に適している。
「……釣れたのね」
「でかしたっ」
片付けを終えると、空は荷物の中から手製の七輪を取り出した。
河畔に煙が立ち上った。
真っ赤に燃える黒炭の熱に、二尾の魚が網の上で身を捩る。
脂が弾け、炭火の中に滴り落ちて、濛々たる煙と香ばしい匂いに姿を変える。
空は団扇で火を煽る。もう片手には、ルイズが持って来てくれたサンドイッチが有る。
胡椒の利いたローストハムに、新鮮な野菜を厚手のパンに挟んだそれは、悪くない味だったが、何しろ、今は眼前から漂う香りが強烈過ぎる。
本命が仕上がるまでの手慰みを、やはりルイズが持ってきた葡萄酒で半ば流し込む。
使い魔の罰当たりな食べ方に、ルイズも注意を与えない。
上品に、少しずつサンドイッチを囓りながらも、やはり目の前で焼き上がろうとしている、簡素な塩焼きが気になって仕方が無い。
そろそろ良いだろう。
焼き具合も頃合いと見るや、空は河に躙り寄った。
水面に差し込まれた手が、一本の瓶を引っ張り出す。水流で冷やしておいた、タルブワインとっておきの白。
ルイズは一尾を、サンドイッチの皿に乗せた。
だが、フォークとナイフが無い。どうする?
「棒に刺して、かぶりつくか?」
「それはいや」
空は座席下の小物入れを漁る。プラスチックのフォークが未使用で見つかったが、食事に使える様なナイフは無かった。
仕方無く、ルイズにはフォークと、割り箸を渡す。
空自身は七輪の上の魚に、直接箸を入れた。銀の魚皮が破れ、白い身が露わになる。
沸々と煮え滾る脂と、柔らかく淡白な身、粗塩の味が口の中で一つに溶ける。これに清酒が付けば完璧なのだが、まあその点は葡萄酒で我慢しよう。
熱々の魚肉を飲み込むと、空は陶器のコップで葡萄酒をグビグビ煽る。
辛口の白。熟成を感じさせる芳香と、穏やかな酸味の中に、舌に触れるか触れないかの仄かさで、楚々とした甘みが隠れている。
空は魚介類に合うワインなど、この世に存在しないかの様に語る、色々と偏りに偏った自称食通を思い出した。
可哀相に。きっと食卓には恵まれずに育ったのだろう。
ルイズは苦戦している。
ナイフが無くても簡単に身は裂けるが、小骨に難儀している様だ。
それでも、何とか魚を解体。口に運んでは、熱そうに息を漏らす。
「そう言えば、レイナールやギーシュがチームを作りたい、て言ってたわ」
「チーム?“飛翔の靴”のか?」
「違うみたい。最初は敷居が低い、あの……グラインドから仲間増やして、パーツ・ウォウに引っ張り込もう、て」
「そう言う細かい事、思いつくんはボーズやないな。メガネが言いだしっぺやろ」
「Bランクがやりたいんだって。ギーシュも乗り気だったし、明日辺りから、また色々始めるつもりみたいよ」
「チーム名とかは決まっとるんかい?」
「ギーシュが考えたみたいよ」
何しろ、あちこち骨折をして、昨日まで寝ていた身だ。考える時間だけは山と有っただろう。
「なんて?」
「“水精霊騎士団〈オンディーヌ〉”」
過去に存在した騎士団の名だと言う事だった。
料理も、酒も、粗方片づいた。
「せや、ルイズ」
食器を片付けながら、空は言った。
「ちょい、付き合って欲しい所が有るんや」
「え。どこに?何しに行くの?」
「すぐ近くの森や。ま、オーディション、ちゅうとこかな」
「オーディション?」
「せや」
手を休めず答えるルイズに、空はにっと笑って見せた。
* * *
セコイアの一枚板で出来た、重厚なテーブルの天板に書類を並べ、オスマンは腕を組んでいた。
学院長室には他に――――秘書のミス・ロングビルを含め――――誰も居ない。
オスマンは書類を睨む。表情が硬い。
平素は決して見せる事の無い、緊迫した空気を纏っている。
もし、書類の内容をヴァリエール公爵家の三女が目にしたら、卒倒したかも知れない。
それは、異世界から来たと称する使い魔の動向を、つぶさに記した物だった。
オスマンは唸る。
空は某か、穏健ならざる目的を持って活動している――――そうした疑惑を持つに足る内容では無い。
だが、一切怪しむ事無く、捨て置ける程、暢気に構えていられる内容でも無い。
コルベールには出来得る限り、空から目を放さぬ様伝えてある。授業の入れ替えも可能な範囲で許してある。
使い魔のモートソグニルは優秀な密偵だ。但し、学院外をフォロー出来るだけの活動範囲は備えていない。
貴族の多くは、学院の卒業生。その伝手で、首都にも網を張り巡らせてはあるが、今の所、決定的な情報は勿論、突破口に成り得そうな物も見つかっていない。
見つかってはいないが――――
最近何かがおかしい。嫌な予感がする。そして、嫌な予感と言うのは、よく当たる。
脳裏を恩人の姿が過ぎる。“石の王”と名乗った少年の姿が過ぎる。
あの男が欲していたのは、大空でも自由でも無い。
ただ己一個の欲望だ。
そのためだけに、あの男は全ての者達から大空を……自由を奪い去ろうとした。
八人の“王”。その一人について、語った言葉だ。
“空”を侵し、世界を血で染めんとする危険な男。
武内。彼は勘違いをしている――――
――――To be continued
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#navi(虚無の王)
話題が途切れた。
時間だけが過ぎて行き、太陽だけが動いていた。
釣り糸もまた、鏡の様に静かな河面に捕まり、凍り付いたかの如く動きを見せなかった。
「全然、釣れないわね」
「釣りは根気や」
なんだか、退屈になって来た。
ルイズはバスケットを開く。釣りに付き合うのだから、退屈凌ぎになる物が必要だと思って持って来た物が有る。
編みかけのセーターだ。
編み棒を手繰りながら、ちらりと横に目線を向ける。
空はじっと釣り竿の先を見つめている。そして、時折、欠伸を漏らす。
手元に集中しながらも、内心では不満だった。何を編んでいるのか。それくらいは、聞いてくれたって良い物だ。
それとも、本当に自分の事は全く見ていないのだろうか。
「……何、編んどるんや?」
空が漸く聞いた時には、五分が過ぎていた。
「べ、別に大した物じゃないわ」
「そか」
それきり、空は黙りこくった。ルイズの不満は益々募る。
もう少ししつこく聞いてくれても良いではないか。
「セ、セーターよ。セーターを編んでるの」
「なんや。ヒトデの縫いぐるみかと思うた」
「あんたねえ……」
ルイズは腹を立てた。魔法が駄目なら、せめて器用に――――編み物は、母のそんな考えから教え込まれた。
だが、魔法と同じく、どうも物になりそうも無い。
「真面目に答えなさいよ」
「お前こそ、真面目にやっとるんか?」
珍しく、空は真面目な顔を見せた。
「根気が必要なんは、編み物も同じやろ。キチンと計算して、編み目数えて、間違うてたら解いて……地道にやれば、そうそう失敗する物やないん違うか?」
根気が足りないのではないか――――その指摘に、ルイズは声も無かった。
元々、ネガティヴな理由から始めた物だけに、編み物にはあまり熱心になった記憶が無い。
「しゃあない――――ほら」
空は携帯を取り出した。起動したのは、暇潰し用に入れておいたNESエミュレーター。内一本。「アイアムアティーチャー スーパーマリオのセーター」を開く。
小さな画面を、ルイズは物珍し気に見つめた。それも束の間、
「……字、読めないわ」
空はルイズを車椅子ごと、片手でひょいと持ち上げ、すぐ傍まで引き寄せる。
「えーとな……」
空がメッセージを翻訳して行く。
二人で小さな画面を覗き込みながら、新しい毛糸で作業を始める。空言う所のヒトデは、後で解いて毛玉に戻さなければなるまい。
サイズは子供用しか無いし、柄はどうでも良い。大して参考にはならなかったが、取り敢えず、基本的な編み方向を確認して、後は手元に集中。
沈黙の時間が流れた。
ルイズの作業は少しずつ、少しずつだか進んでいるが、空はさっぱりだった。偶にひきあげ、ポイントを変えて見るが効果は無い。
手を休めて、ルイズはふ、と“空”を見上げた。
鷲が一羽飛んでいる。
誰かの使い魔だろうか。それとも、伝書用として魔法による処置と、訓練とが施された物だろうか。
鷲が飛んで行く――――いや。
途中で、ルイズは誤りに気付く。鷲が飛んで来る。その鋭い爪を食い込ませたのは、空の腕だ。
「痛っ……あたた……」
声を上げながらも、空は足に縛られた手紙を解く。鷲は肩に移動し、
「だから、痛い、てっ」
結局、空が地面に突き立てたデルフリンガーの柄頭に止まった。
「おでれーた。まさか、止まり木にされとはねえ……あんまりでないかい?相棒」
「細かい事、気にすな」
一連の出来事を、ルイズは呆然と見つめていた。どこかの貴族が、空にこの鷲を寄越したのだろうか。一体、どうなってる?
と、呆気に取られるルイズに気付いて、空は説明する。
「こいつは、メッサーシュミット言うてな。ワイのペットや」
「空の?」
「せや。たまたま、知り合った貴族に貰ろてな。偉い重宝しとるわ。御陰で、トリスタニアの工房とも、あっちゅう間に連絡が取れる」
だとしたら、随分奇特な貴族も居たものだ。
一体、誰だろう?
「“閃光”の異名を持ち幻獣を自在に操る高貴なる魔法衛士」
「は?」
「せやから、“閃光”の異名を持ち幻獣を自在に操る高貴なる魔法衛士」
「だから誰よ、そ……その人!」
その馬鹿――――率直な感想を、ルイズは貴族らしい慎みで飲み込んだ。
「なんやあいつ……こう言えば、ハルケギニアで知らん奴居らへん言うとったのに……」
「だから、誰なのよ」
「あー、せや。忘れとった。もっとはよ言っとかんとあかんかったのに、伝言も忘れてもうて……」
「だーかーらー」
ルイズは苛立った。続いて、空の口にした名前に驚死した。
「ワルドや。ワルド子爵」
まさか、こんな所で婚約者の名を耳にするとは、夢にも思わなかった。
空とワルドが知り合い?魔法衛士グリフォン隊隊長のワルドと?
どうなっている?
「前にワイ、マルティニー村に行ったやろ。その時、偶然知り合ってな。トリスタニアでも、ごく偶に会うんよ」
「なんで、そんな大事な事、黙ってたのよ!」
「悪い。つい、うっかり、な……お前に伝言あるけど……」
「なんて仰ってたの?」
「えー、と……」
何しろ、古い話だ。
空は頭の中をひっくり返し、漸く、蜘蛛の巣の張った記憶を引っ張り出した。
「――――長い間、会えずにいて済まない。だが、僕の心は常に君とともに有る。愛しい君の、おヘソのずっと下の、可愛らしい所に接吻を送る。お口の恋人ワルドより」
そこまで言った瞬間、十字杖の短い先端が、空の米神を直撃した。
「なななな何言ってるのよっ!ワルド様がそんな事、仰る訳無いでしょうっ!」
「う、嘘違うでっ」
「嘘よ!絶対、嘘!」
空はそれ以上、抗弁しなかった。頭蓋の中で金属様の激痛がタップを踊っている。それ所では無かった。
まあ、我が友人もここまで婚約者に庇って貰えれば、幸福と言う物だろう。その幸福を無理に壊す事も無い。
「まあ、ともかく、あいつも目茶忙しいさかい。月一有るか無いかで、酒場で一杯付き合う程度なんやけど……お前の事、気にかけとったで。手紙でも書いてやったらどや?喜ぶと思うで」
「そうね。そうするわ」
ルイズは車椅子に戻った。
空も河に向き直る。あれだけの打撃を受けて、竿を手放さなかったのは、天晴れと言うべきだろう。
「で、手紙は誰から?」
早速、変わった筆で返信を用意。メッサーシュミットに託した空に、ルイズは尋ねた。
「工房から経過報告」
「巧くいってるの?」
「ぼちぼちや」
工房で――――自分の知らない所で――――空はどんな事をしているのだろう。ふ、と気になった。
あんな夢を見たのも、自分に依存していた使い魔が、経済的に自立した事から来る不安なのかも知れない。
いつか、相手は自分を必要としなくなるのではないか。そんな不安だ。
「……ねえ、あの銃。ゲルマニアの職人に造らせた、て言ってたわよね?」
「ああ」
「どうして?なんで、トリステインの職人を使わなかったの?」
ゲルマニア職人は技術が高い。それは認める。
だが、高い給金を払い、地元の組合と摩擦を起こしてまで、引っ張って来る価値が有るのか、と言うと疑問が残る。
「……ワイもな、最初は地元重視で行こ、思うとったんや」
空は言った。渋い顔に、渋い声だった。
コルベールとの協同開発品――――とは言え、空は理論を提供し、アドバイスをするだけだから、殆どの品はコルベールの独作――――の内でも、売り物になりそうな幾つかの道具の図面を携え、空は職人街を回った。
こう言った機械を作りたいが、協力して貰えないか――――
職人達の答えは冷淡だった。
「そんな機械を作ってどうするんだ?魔法が有るじゃないか――――揃って、そう言いよったわ」
「?……それがどうかしたの?」
「ルイズがそう考えるのは、判る。貴族やからな。せやけど、平民が言うたんやで」
トリステインの平民達は、貴族に依存し切っている。自分達の手で新しい物を作り出そう、と言う気概を持つ者は、誰もいない。
「平民が貴族になれへんから、こう言う社会になったのか、そう言う連中ばっかやから、平民が貴族になれへん制度が出来たのか――――卵が先か、鶏が先かは判らへんけどな」
一つだけ判った事が有る。トリステインの平民は頼るに足りない、と言う事だ。
タルブを“飛翔の靴”の産地と知りながら、なかなか足を伸ばす気になれなかったのも、それが理由だった。
「仕方無いわ。平民だもの」
ルイズはトリステインの常識を口にした。
それが常識である限り、いつかこの国は重大な危機に陥るだろう。異文明と衝突した時、一堪りも無く滅ぼされてしまうだろう。
そんな想像を、空は口にしなかった。6000年もの間、一つの文明圏に引き籠もっていたハルケギニア人だ。その時にならなければ、理解不可能な仮定だと思った。
それにしても――――空は考える。
トリステインの平民は貴族を嫌悪している。ゲルマニアはではそうでも無い。何故だ?
ゲルマニアの平民は貴族になれるからだろうか。
トリステインの平民は貴族に依存するが故に接触の機会が多く、当然の様に低く見られているからだろうか。
「ねえ、タルブはどうだったの?この前は、それが目的だったんでしょう?」
「あそこは、ええ職人揃っとるわ。一人、丁度遍歴から帰って来て、独立する予定の奴が居ってな。色々話したら、乗り気になってくれたさかい、引き抜く事にした」
ルイズは小首を傾げた。
何故、タルブの職人は例外的に優秀なのだろう。何故、進取の気風を持っているのだろう。
「あのエロババアがしごいた言う話やからなあ。色々な意味で」
「あんたの知り合いなんでしょ」
「……御陰で話がややこしゅうなってな」
空は常に自身の計画に関わる人間の所在を掴んでいた。自分が召喚された時、“渡り鳥”は病院に居た筈だ。
よしんば、定時連絡の合間になんらかの形で召喚され、地球とハルケギニアとの時間の流れの差により年齢差が生じた、と仮定しても、それでは、ここに“玉璽〈レガリア〉”が複数揃っている事に説明がつかない。
何しろ、“炎の玉璽”は自分のすぐ傍で、スピットファイアが身に着けていたのだ。
では、旧“眠りの森〈スリーピング・フォレスト〉”壊滅直後に召喚された?
それなら、複数の玉璽を彼女が手にし、尚かつキリクに奪われた“風の玉璽”が無い事には説明がつく。
問題は、シムカがハルケギニアで死亡している事実だ。だとしたら、その後、日本で活動した渡り鳥は何者で、残された玉璽はどこからもたらされた物か、が謎となってしまう。
残された可能性は、平行世界のシムカがハルケギニアに召喚された場合だ。
「帰るんにも、慎重にいかんとな。焦る必要も無くなった訳やし」
空間だけでなく、時間も飛び越えられるなら、召喚された直後に戻る事も可能だ。
第一、慌てて帰った所で、そこが本当に“自分の居た”日本かどうかは判らない。
再召喚の保証が得られない限り、怖くて帰れない。
「無理に急ぐ事無いわよ」
ルイズは言った。
「編み物と同じ。根気良くいけばいいんだわ」
「せやな」
話しながらも、ルイズは編み棒を手繰り続ける。
間違いが多い。解いてやり直しが多い。これは、時間がかかりそうだ。
「今から初めて、正解かも知れへんな」
編み上がる頃には、丁度良い季節になっている事だろう。
「自分のか?それとも、親父さんにでも、くれてやるんか?」
「プレゼント用よ。誰にあげるかは決まってるわ」
「誰に?」
「こ、ここに居るわ」
一瞬、空は目を丸くした。
「……まさか、頑張ってる自分にプレゼント、とか言わへんよな?」
「そ、そんな訳ないでしょ!」
「ほんなら……」
空が自身を指差すと、ルイズは小さく頷いた。
「あ、あんたもほら、まあまあよくやってくれてるし……ちゅ、忠誠には報いる所が必要でしょっ。だ、だから……」
熱を帯びた目で、ルイズは空の様子を窺った。
忠実な使い魔は何も言わなかった。ただ、満面に、何とも表現し難い笑みを浮かべていた。
「な、なによーっ」
空がにやけている。
「なによーっ!」
何だかよく判らなくなって、ルイズは空を突いた。編み棒の先端でひたすら突いた。
それでも、空は何も言わず、笑う事も止めなかった。
「と、とにかくっ!――――」
ルイズは声を上げる。胸の中で、暖かな鼓動と、暗い不安とが交錯した。
「――――それまではここに居なさいよ……どこにも行っちゃダメ。慌てて帰る事なんて、無いんだからね」
「せやな」
日が中天に上った。
昼食は正午。これはトリステイン人にとって、決して疎かに出来ない一大原則で、一切の道徳に優先する信仰と言っても過言では無い。
「オカズ釣るつもりやったんけどな――――」
「お弁当、持って来たわよ。大した量じゃないけど」
「しゃあない。ルイズ、竿頼む」
ルイズに竿を手渡して、空は片付けを始めた。とは言え、用具は至って原始的だし、餌も岩の下から捕まえた虫の類だから、大してやる事は無い。
竿を片手に、ルイズは空の作業を見つめていた。と――――
「あ。引いた」
「あに?」
「ねえ。これ、お魚、係ってるんじゃない?」
その通りだった。釣り糸が小刻みに震えている。
「……なんや、腹立つわあ。人が止めた途端に……糸切ったろかいな。ホンマ」
「何、言ってるのよ。折角……せ、折角かかったんじゃない。ちょ、ちょっと!」
言っている間にも、引きが強くなる。水面に波紋が浮かび、竿の先端が度々撓る。
大して大きな魚が掛かった訳でも無さそうだが、何しろルイズには釣りの経験が無い。途端にパニックになる。
「ちょっと!ねえっ、ねえ!どうしたらいいの!?」
「一度に引き上げようとすると、糸が切れよる。ゆっくり巻き上げればええ」
言われた通り、ルイズはゆっくりとリールを回す。空は河面にそっと網を伸ばす。
程なくして、魚籠に二尾目の魚が放り込まれた。
アローズに形がよく似た魚だ。学院の図鑑で見た記憶が有る。名前は失念したが、毒も無く、食用に適している。
「……釣れたのね」
「でかしたっ」
片付けを終えると、空は荷物の中から手製の七輪を取り出した。
河畔に煙が立ち上った。
真っ赤に燃える黒炭の熱に、二尾の魚が網の上で身を捩る。
脂が弾け、炭火の中に滴り落ちて、濛々たる煙と香ばしい匂いに姿を変える。
空は団扇で火を煽る。もう片手には、ルイズが持って来てくれたサンドイッチが有る。
胡椒の利いたローストハムに、新鮮な野菜を厚手のパンに挟んだそれは、悪くない味だったが、何しろ、今は眼前から漂う香りが強烈過ぎる。
本命が仕上がるまでの手慰みを、やはりルイズが持ってきた葡萄酒で半ば流し込む。
使い魔の罰当たりな食べ方に、ルイズも注意を与えない。
上品に、少しずつサンドイッチを囓りながらも、やはり目の前で焼き上がろうとしている、簡素な塩焼きが気になって仕方が無い。
そろそろ良いだろう。
焼き具合も頃合いと見るや、空は河に躙り寄った。
水面に差し込まれた手が、一本の瓶を引っ張り出す。水流で冷やしておいた、タルブワインとっておきの白。
ルイズは一尾を、サンドイッチの皿に乗せた。
だが、フォークとナイフが無い。どうする?
「棒に刺して、かぶりつくか?」
「それはいや」
空は座席下の小物入れを漁る。プラスチックのフォークが未使用で見つかったが、食事に使える様なナイフは無かった。
仕方無く、ルイズにはフォークと、割り箸を渡す。
空自身は七輪の上の魚に、直接箸を入れた。銀の魚皮が破れ、白い身が露わになる。
沸々と煮え滾る脂と、柔らかく淡白な身、粗塩の味が口の中で一つに溶ける。これに清酒が付けば完璧なのだが、まあその点は葡萄酒で我慢しよう。
熱々の魚肉を飲み込むと、空は陶器のコップで葡萄酒をグビグビ煽る。
辛口の白。熟成を感じさせる芳香と、穏やかな酸味の中に、舌に触れるか触れないかの仄かさで、楚々とした甘みが隠れている。
空は魚介類に合うワインなど、この世に存在しないかの様に語る、色々と偏りに偏った自称食通を思い出した。
可哀相に。きっと食卓には恵まれずに育ったのだろう。
ルイズは苦戦している。
ナイフが無くても簡単に身は裂けるが、小骨に難儀している様だ。
それでも、何とか魚を解体。口に運んでは、熱そうに息を漏らす。
「そう言えば、レイナールやギーシュがチームを作りたい、て言ってたわ」
「チーム?“飛翔の靴”のか?」
「違うみたい。最初は敷居が低い、あの……グラインドから仲間増やして、パーツ・ウォウに引っ張り込もう、て」
「そう言う細かい事、思いつくんはボーズやないな。メガネが言いだしっぺやろ」
「Bランクがやりたいんだって。ギーシュも乗り気だったし、明日辺りから、また色々始めるつもりみたいよ」
「チーム名とかは決まっとるんかい?」
「ギーシュが考えたみたいよ」
何しろ、あちこち骨折をして、昨日まで寝ていた身だ。考える時間だけは山と有っただろう。
「なんて?」
「“水精霊騎士団〈オンディーヌ〉”」
過去に存在した騎士団の名だと言う事だった。
料理も、酒も、粗方片づいた。
「せや、ルイズ」
食器を片付けながら、空は言った。
「ちょい、付き合って欲しい所が有るんや」
「え。どこに?何しに行くの?」
「すぐ近くの森や。ま、オーディション、ちゅうとこかな」
「オーディション?」
「せや」
手を休めず答えるルイズに、空はにっと笑って見せた。
* * *
セコイアの一枚板で出来た、重厚なテーブルの天板に書類を並べ、オスマンは腕を組んでいた。
学院長室には他に――――秘書のミス・ロングビルを含め――――誰も居ない。
オスマンは書類を睨む。表情が硬い。
平素は決して見せる事の無い、緊迫した空気を纏っている。
もし、書類の内容をヴァリエール公爵家の三女が目にしたら、卒倒したかも知れない。
それは、異世界から来たと称する使い魔の動向を、つぶさに記した物だった。
オスマンは唸る。
空は某か、穏健ならざる目的を持って活動している――――そうした疑惑を持つに足る内容では無い。
だが、一切怪しむ事無く、捨て置ける程、暢気に構えていられる内容でも無い。
コルベールには出来得る限り、空から目を放さぬ様伝えてある。授業の入れ替えも可能な範囲で許してある。
使い魔のモートソグニルは優秀な密偵だ。但し、学院外をフォロー出来るだけの活動範囲は備えていない。
貴族の多くは、学院の卒業生。その伝手で、首都にも網を張り巡らせてはあるが、今の所、決定的な情報は勿論、突破口に成り得そうな物も見つかっていない。
見つかってはいないが――――
最近何かがおかしい。嫌な予感がする。そして、嫌な予感と言うのは、よく当たる。
脳裏を恩人の姿が過ぎる。“石の王”と名乗った少年の姿が過ぎる。
あの男が欲していたのは、大空でも自由でも無い。
ただ己一個の欲望だ。
そのためだけに、あの男は全ての者達から大空を……自由を奪い去ろうとした。
八人の“王”。その一人について、語った言葉だ。
“空”を侵し、世界を血で染めんとする危険な男。
武内。彼は勘違いをしている――――
――――To be continued
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