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「零魔娘娘追宝録 11 前編」(2007/11/30 (金) 18:55:36) の最新版変更点
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戦火渦巻くアルビオンにて
『閃光のワルド』
の凶刃が振るわれる中
悲劇の王子
『ウェールズ・テューダー』
その死に様に少女は何を思うか?
遠くから喧騒が聞こえる。底抜けに明るい、だがどことなく悲痛なものを含んだ笑い声だ。
ここはニュー・カッスル城。アルビオン王党派最後の砦であり、明日にも喪われようとしている王国の最後に残った国土だ。
先ほどから聞こえてくる喧騒は酒席のもの。明日にもここは戦場となり、彼らは死地へと赴く。
つまりあれは、最後の晩餐というわけだった。
騒ぎの場から少し離れ、ウェールズは酒瓶を一本抱え込んで一人で酒を飲もうとしていた。
静かな場所、それも月が見えるところがいいとバルコニーに出たのだが、そこには先客が居た。
「やあ、使い魔くん」
藍色の外套を羽織った長身の青年。あまり見覚えの無い顔だが、誰であるかはすぐに思い当たる。
トリステイン大使の少女、ミス・ヴァリエールの使い魔。セイランだ。
気安い笑みを浮かべ、静嵐はいきなり現れた自分――皇太子ウェールズに挨拶をしようとするが、
「あ、どうも。ええと、ウェールズ様……でしたっけ?」
どうにも自分の名前はうろ覚えだったらしく、自信なさげだ。
「たしかに私はウェールズだが……名前を覚えられなかったのは初めてだな」
「いや、その、なんというか……すいません」
仮にも一国の王子の名前を忘れるという失態に、申し訳無さそうにする静嵐。
下手ではあっても卑屈ではなく、間抜けであっても愛嬌のある態度だ。そんな静嵐に好感を覚え、ウェールズは笑って言う。
「かまわんさ。明日にも潰える王朝の皇太子の名前など、覚えていようがいまいがどうでもいいことだ。
――と、そんなことよりミス・ヴァリエールはどうしたのかね? 姿が見えないようだが」
先ほどまで、家臣たちにいろいろと過剰なまでの歓待を受けていたことは覚えている。
年若い少女には鬱陶しくもあるだろうと思い、絡むのもほどほどにしておけと釘を刺しておいたが。
どうにも最後の酒席で気分が高揚しているらしく、あれやこれやと酒や料理を勧めていた。
「今は一人にしてくれと言って今は部屋で休んでます。何かいろいろと考え込んでるみたいだけど、どうかしたのかなあ?」
「ふむ……。先ほどの話、ミス・ヴァリエールには少々ショックが大きかったようだな」
彼女が考え込むであろうこと。それはおそらく自分の話が原因だろう。
「先ほどの話とは?」
「明日にも私は討ち死にする、という話さ」
不思議そうに問う静嵐に、自嘲気味になりながらウェールズは答える。
「……はあ、そりゃルイズにはちょいとばかし衝撃的かもしれませんね」
目の前の男が明日にも死ぬ、という言葉にどう答えたものかと静嵐は戸惑っているようにも見える。
彼ですらそうなのだから、あの感受性の強そうな少女がどれほどショックを受けただろうか。
それでも語らずにはいられなかった。そうしておくことが彼の義務であったからだ。
彼女には悪いことをした、と思いながらウェールズは言う。
「仕方あるまい。男の生き様、王族の責務……どちらにせよ彼女には理解し難いだろう」
「そんなもんですかねえ」
「そんなものさ。君も男ならばわかるだろう?」
たとえ立場は違えども同じ男。『生き様』というものにこだわることに違いはないだろう。
「え? ええ、まぁ、わかります。はい。すごく」
静嵐はぶんぶんと大きく首を振り、大げさに同意する。――だがどうも怪しい。
「……本当に、かね?」
「え、ええと……」
目が泳いでいる。それだけでもう彼が何か嘘をついていることはわかる。
少し半目になって睨んで見ると、観念したのか彼は肩を落として言う。
「…………実を言うとあんまり」
その言葉にウェールズは吹き出す。
「ぷっ、くくく……あはははは!」
思わず腹を抱え、笑い転げてしまう。彼は何とこちらの期待を裏切ってくれる男であろうか!
これでは、王子として精一杯格好をつけていた自分が馬鹿みたいに思えてくるではないか!
だがしかしそれが、何処か捨て鉢になっていた己を冷静に見つめさせる。
そうだ。おまえの覚悟なぞ、結局はその程度のものだ。何も、特別なものではない。
そうだ。何も無理をして格好つけなくてもいい。彼のように思うまま、気楽にしていればいいのだ。
悲劇の主人公ぶるのはなんとも格好悪いことである。
「……君は不思議な男だなぁ。なんというかな? 私の心の中にある『風』に触れるものがあるようだ」
「『風』ですか?」
「そう、『風』さ。我が心に吹く一筋の風。アルビオンの男ならば誰でも持っている風。何ものにも囚われない、自由を愛する心!」
皮肉な話だ。死に囚われ、愛する者のところへも行けない男が自由を語るなど。
だが語ってみてわかる。自分が久しく『自由』などというものを意識していなかったこと。
そしてそれは彼の中の、封じ込めていた一つの思いを爆発させる。
ああ、そうさ。認めるよ。俺は自由になりたい。
俺は今すぐにでも、こんなくだらない争いを放りだして、アンリエッタのところへ行きたい!
彼女への思い。それが今何よりも強い感情だ。
それを募らせることがいかに無為か。それはわかっている。どんなに理屈をつけても、気持ちが高まっても。
己はアルビオン王国のウェールズ・テューダーであることは変わらない。それが動かしようの無い事実だ。
自分がやらねばならないこと。やってはいけないこと。そんなものはわかりきっている。
だが、ひどくすっきりした。王子だ男だと誤魔化さない。自分の本音を認めた。それだけでいい。
「自分は愛する女を『嫌々』諦めて、『渋々』死ににいく」
それでいいではないか。どうせやらなければいけないことが同じなら、気持ちだけは素直でいたい。
ウェールズは静嵐に感謝する。本人は全くそんなつもりはなかったであろうが、
彼の一言がなければ自分は後悔を重ねたまま死んでいったことだろう。それはただ死ぬよりもなお辛いことだ。
彼が自分の心に『風』を思い出させてくれたのだ。
「自由、か。ひょっとしたらそれは、僕が人間じゃないからかも知れませんけどね」
「人間じゃない? ……そうか、君も『パオペイ』なのだな」
浮世離れした言動。見たことも無い風体の格好。聞きなれない響きの名前。彼が宝貝であることの証拠だ。
「はい。静嵐刀といいます。すいません、隠すつもりはなかったんですが。
欠陥宝貝が使い魔をやってるメイジの大使だなんていうと失礼かな? と思いまして」
「いや、かまわんさ。君がパオペイであろうとそうでなかろうと、君が君であることには変わりはない。
それに私は、パオペイというものが嫌いではない。命を救ってもらったこともある。むしろ宝貝には、感謝してもしきれないほどさ」
嘘ではない。パオペイというマジックアイテムが多々問題を抱えた存在であることは承知しているが、
それでもなおウェールズが所持していた天呼筆や――静嵐には感謝している。
認められたことが意外だったのか、少し照れたように静嵐はぽりぽりと頭をかく。
「そりゃあ……同属としては嬉しい話です」
ウェールズは微笑む。
「……もっと早く出会えていたらと思うよ。私には愛しあった女性も、命を惜しまず身を投げ出してくれる臣下もいる。
だが、友と呼べるようなものにめぐり会う機会は今まで数えるほども無かった。王族とは、孤独なものだ」
それを不幸だと思ったことは無い。だが、友を望むことは贅沢ではないはずだ。
ウェールズはグラスを取り出し、酒を注ぐ。グラスの数は二つ。自分と、彼の分だ。
「最期に飲む酒が、君と飲める酒でよかったよ。ありがとう、セイラン君。――我が友よ」
*
翌日。ニュー・カッスル城内にある礼拝堂にて、ウェールズが立ち会う中ルイズとワルドの結婚式が執り行われようとしていた。
ルイズはウェールズより貸し与えられたアルビオン王家伝来の花嫁衣裳を身に纏っていた。
魔法によって枯れることなき花を飾られた新婦の冠と、新婦しか見につけることを許されぬ乙女のマントである。
華やかにして由緒正しきその衣装は、魔法学院の制服の上であっても十分に少女の魅力を引き立たせるものであった。
しかしそれを纏うルイズの表情は晴れない。暗く、沈んだままだ。
(本当なら、この花嫁衣裳はアンリエッタ様が纏うべきなのに)
自分はワルドに言われるままこれを着せられ、人形のように立ち尽くすのみだ。
礼拝堂の中には自分達のほかに静嵐がいるのみで、城の者は誰も参列していない。
目前にまで迫ったレコン・キスタ軍を対応するため、戦えるものは戦いの準備を、戦えぬものはすでに城から避難している。
自分達はそのどちらでもない。お遊びのような結婚式に興じているだけだ。
そしてルイズは――未だ迷っていた。
「新婦ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……」
立会人であるウェールズは朗々と詔の言葉を唱える。ルイズはそれを聞くともなしに聞いていた。
このまま自分は迷いを抱えたままワルドと結婚するのか?
……いや、それはできない。そんなことをすれば一生の後悔を抱えることとなるだろう。
ならば、とルイズは決心する。
「さあ、ミス・ヴァリエール。誓いの言葉を」
誓いの言葉。だがそれには答えず、ルイズはワルドに向き直る。
「ねえ、ワルド。誓いの言葉の前に、一つだけ教えて欲しいことがあるの」
「……何かな? ルイズ」
「何故あなたは今、私との結婚を望むの?」
それが今最大の疑問だ。
自分はヴァリエール公爵家の娘ではあっても、未だ権力も財力も無い。
容姿にしても、顔はまだしも体つきは痩せて貧相。とても魅力的であるとは思えない。
そして何よりも自分は『ゼロ』のルイズ。魔法も使えぬ落ちこぼれのメイジでしかない。
そんな自分が何故こうも、地位も力もある男ワルドに求婚されるのか。それが不思議でならないのだ。
ルイズの質問に、ワルドは困ったような顔をする。……その裏側に、小娘の気まぐれに辟易する男の表情が見えた気がする。
「私との結婚は嫌なのかい?」
「そうじゃないわ。私はただ知りたいだけ。……だからワルド、正直に答えて」
ワルドの顔から表情が消える。真剣な面持ちとは似ているようで違う。どこか派虫類めいた表情の無い表情。
自分が何か、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと思い。ルイズは言い知れぬ恐怖にかられる。
ワルドは平坦な口調で言う。
「それは、君には才能があるからだよ」
「才能? そんなもの私には……」
自分の才能だって? それは何の才能だというのか。
ルイズには何も思い浮かばない。まさか、魔法の才能だとでも言うのか。
「いや、君が気づいていないだけだ。君にはとても強い力、この世界全てを手にすることができるほどの力がある!
私はずっと昔からそれに気づいていた。私だけだ、私だけが君の力を上手く使うことができる」
先ほどとは打って変わった様子で、熱っぽく語り始めるワルド。しかしそれに反してルイズの心は冷えていく。
「そんな……そんなのって」
たしかにルイズは、自分が何の利も無く愛されるほど魅力的な女ではないことは承知している。
しかしこうもストレートにそれを口に出されるショックは隠せない。
あまりにも無粋である上、少女の心を一欠片も考えない発言。それに対し、ウェールズは気色ばむ。
「子爵、その言い様は余りにも……!」
「殿下には黙っていただきたい。亡国の王子に何がわかるというのです」
「……貴様!」
ふん、と息を吐き、小ばかにしたような言い方をするワルド。あまりの侮辱にウェールズは怒りで顔を赤くする。
ルイズは戸惑う。何故彼はこうもいきなり態度が豹変してしまったのか。
「ワルド、どうしたの? あなた、おかしいわ。昔はそんなことを言う人じゃなかったのに」
「ルイズ。私はもう昔の私とは違うんだ。君もいずれわかる。さぁ、私と――」
「嫌っ!」
ルイズは肩に伸ばされたワルドの手を振り払う。
「ルイズ!」
ワルドが怒鳴り声をあげるが、ルイズは聞きたくないとばかりに耳を塞ぎいやいやをするように強く首を振る。
「嫌よ、そんな理由で結婚なんてできるわけない! 世界を手にする力なんて知らない!
そんな在りもしないような力が目当てだなんて、そんな馬鹿な話あるわけがないわ!」
悲しかった。ルイズはただ、誤魔化しでもいいから優しい言葉をかけてほしかっただけなのに、言われた言葉は『力』だ。
自分の無力さ、宝貝の意味、悲劇の王子、そして結婚。
アルビオンへの旅で様々なことを思い、落ち込んでいたルイズにはワルドの無慈悲な言葉はまさにトドメとなったのだ。
そしてもはやルイズの気持ちはワルドに傾くことは無くなっていた。
それを悟ったワルドは数秒押し黙り、重々しく口を開く。
「……ならば仕方無い。君が私のところに来てくれないというのなら、他の用事の一つを果たすとしよう」
そう言ってワルドは、ゆっくりとした動作で腰にさした杖を引き抜く。
「!? セイラン、ミス・ヴァリエールを!」
ワルドの動きに気づいたウェールズはいち早く杖を振るい、呪文を唱える。
同時に、それまで客席で事の成り行きを見守っていた静嵐が、ウェールズの言葉に促されルイズの前に割って入る。
詠唱が完了し、ウェールズの杖から放たれた一筋の風がワルドの杖を叩き落す。
「子爵っ、そこに直れ! 貴様は私が成敗する!」
言われたワルドはウェールズの言葉など聞こうともせず、大仰に肩を竦めて見せる。貴様ごとき眼中に無い、とばかりに。
だが今のワルドは無手。杖が無ければいかに魔法衛士隊隊長であるワルドといえど、満足に実力を発揮することはできないはず。
ゆえにワルドからの反撃の無いに等しい。あとはウェールズが一方的にワルドへ攻撃を加える――はずであった。
ウェールズが再び詠唱を完了し、呪文を放とうとしたまさにその時。
「――っ!?」
ウェールズの顔が驚きに染まる。馬鹿な、と。ウェールズが震える瞳で下を向けば、彼の胸にはポッカリと穴が空いている。
比喩ではなく、己の左の肺腑を貫く位置にまさに空洞があるのだ。穴の中からは、己の血肉が覗いている。
ウェールズがそのことに気づいたとき、思い出したかのように大量の血が流れ出す。
ワルドの魔法が彼を刺したのか? しかし彼が取り落とした杖は床に転がったままだ。ならば何が彼の胸を貫いたのか?
相変わらずワルドは無手のまま。――いや、その手は何かを握るような形となっている。
正確に言うならばウェールズの胸に空洞が空いているわけではない。
いかに鋭い風の魔法であっても、こうも綺麗に人体に穴が空くわけがない。
傷口を押し開くように、何か透明なものが突き刺さっているのだ。
それは鋭く、硬い、槍のようなもの。それがウェールズを刺したのだ。
「これが用事の一つだ」
ワルドはそう言って、握っていた手を開く。
支えを失ったようにウェールズの体は崩れ落ちていった。
*
「み、見抜けなかった……?」
驚愕の表情のまま、静嵐は呟いた。
仰向けに倒れ、血を流すウェールズ。
いかなる手段を用いたとしても、それが人間の為しえる技であれば武器の宝貝である静嵐に見抜けないはずがない。
何もウェールズは静嵐が守護する対象ではないが、それでもただ殺されるのを黙って見過ごすほど浅い関係ではない。
だが現実に致命傷を受けたウェールズがそこにいる。静嵐がわからない方法で攻撃されたのだ。
傷は胸部への鋭い一突き。肺腑を貫かれ、失血はひどい。
もはや彼が助かる見込みはないだろう。たとえメイジの治癒魔法を駆使したとしても、だ。
そこで静嵐は一つの可能性に思い当たる。
武器の宝貝の洞察力を持ってしても見抜けない攻撃手段。
「もしかしてそれは……!」
静嵐の叫びにワルドは嗤う。
「ご明察。これは暗器の宝貝、シンエイソウだ。何、勿体つけて晒してみたはいいが、実態は大したことが無い、
ただの『見えない槍』というだけさ」
暗器とは大まかに分類するならば武器の宝貝に入る。しかし暗器が通常の武器と違うのは、それが隠し武器であるということだ。
剣や刀のように、通常目に見えるところに持ち歩き使用するのとは違い、暗器は普段懐の内などに隠されている。
敵は当然こちらが武装しているとは気づかないから油断してしまう。暗器の宝貝とはその油断を突く宝貝なのである。
卑怯だと言えば卑怯な武器ではあるが、暗器とはその存在が暴露されてしまうと途端に脆くなってしまう性質がある。
隠すという部分に重きを置くが故に、武器としての攻撃力は二の次三の次となってしまうからだ。
弱いが故に鋭いという矛盾を併せ持った存在。暗器とは相手の駆け引きという一瞬のせめぎ合いに輝くものなのだ。
だがこの、シンエイソウ――『震影槍』は違う。
たしかに言葉にしてみれば『見えない槍』というだけである。それ自体は驚くに値しない仕掛けだ。
だが、その内実が単純であるがゆえに、それが洒落にならないほど強力であることがわかる。
相手に存在を気づかせないという暗器の特性と、槍という高い攻撃力。
静嵐はこの宝貝の欠陥に思い当たる。これは卑怯すぎるのだ。
暗器という『非道』の理よりもさらに外れた『外道』の武器。おそらくは試しに作ってみたはいいが強力すぎたのだろう。
正々堂々を旨とするあの龍華仙人がこのような武器の存在を許すわけが無い。
故にこの震影槍は欠陥宝貝として封印されたのだろう。
さしもの武器の宝貝も、発動する前の暗器までは見抜くことができない。
「くっ」
呻く静嵐を他所に。ワルドは悠然と自身の杖を拾い上げ、言葉を続ける。
「そして貴様にはもう一つ都合の悪い事実をプレゼントしよう」
言って、詠唱を始める。静嵐はそれを遮るため斬りかかるべきかと判断する。だが、
「……」
背後のルイズは呆然と立ち尽くしたままだ。下手に動いて彼女を危険に晒すわけにはいかない。
結局静嵐は黙ってワルドが詠唱を完了するのを待つしかなかった。
静嵐はワルドの攻撃魔法、エア・カッターやウインド・ブレイクとかいうものを警戒する。
だが、完成したワルドの魔法は予想外の物だった。
「ぶ、分身した!?」
ワルドの体はいきなり五つに分身する。ぱっと見ても、どれが本物かはわからない。全員が全く同じに見える。
気配もまた五つとも同じもので、これが幻術やまやかしの類でないことは確実だ。
そして五人のワルドの一人が、懐から白い仮面を取り出して顔につける。その姿には見覚えがあった。
「仮面の男!」
ラ・ロシェールにて静嵐と切り結んだあの男。鬼神環という宝貝を所持していたあの男。
つまりヤツこそがワルド自身であったのだ。
「分身の……魔法ってやつかい?」
静嵐の問いに、五人のワルドたちは口々に言う。
「そういうことだ」「これぞ我が『風』の魔法」「『風』は何処にもありて」「『風』は何処にも吹く」「すなわちこれこそが」
『遍在だ』
五人のワルドを前に、静嵐は後ずさる。
あれほどの強敵であった白い仮面の男、その正体が強力なメイジであるワルドだというのならば納得できる。
その敵が今まさに静嵐たちを襲おうとしている。それも五倍の人数で。
「不味いな……。ルイズ! ここは一端引いて――ルイズ?」
ルイズは、白仮面の男の正体を見てもなお、未だ立ち尽くしたままだった。その表情は静嵐からは見えない。
ポツリと呟く。
「……何故なの?」
それは心の奥底から搾り出すような声だった。
「殺す必要なんて無いじゃない……。何故そんなに……殺したり殺されたりする必要があるの?」
ルイズはじっと、もはや魂魄が体から離れようとしているウェールズを見つめる。
青白い、を通り越して土気色となった美貌の王子。それを見つめる花嫁姿の少女。
それは、何か性質の悪い冗談のような光景だ。
ワルドは、ワルドたちは言う。
「……」「それが『力』の本質だからだ」「殺し壊す」「それこそが『力』の存在意義」
ワルドたちの表情は無機質なままで、しかし少しだけ哀愁を含ませたものだった。
「そして私には『力』を求める理由がある。故に私は……王子を殺した!」
ルイズは首を振る。
「『力』……『力』ですって? 私の中にもあるという『力』? それが理由だというの? ――くだらない、くだらないわ!」
あらん限りの力で、吐き捨てるようにして叫ぶ。
「ワルド、あなたは間違っている。世界を手にする『力』? そんなものがあって何になるというの!」
ルイズの握り締めた拳の中には一本の筆、天呼筆がある。
一度はウェールズの命を救い、だがその命を最後まで救いきるには足りぬ『力』しかなかった宝貝。
「たとえ街一つを壊すような力だって、愛し合うもの同士が離れ離れになるのを止めることすらできないのよ?」
かぶりを振る。そしてぐっと顔を上げて、涙を拭う。
毅然とした態度でワルドを真正面から見据え、その眼差しに爆ぜる炎のような激情を見せながら、
燃えるような瞳をしたルイズは言う。
「そんな『力』に何の意味もありはしない。――だから私は、力を追い求めるだけのあなたを止める!」
「……!」
一瞬、その迫力に気圧されるワルド。だがすぐに立ち直り、
「しかし、どうするというんだい、ルイズ?」「今の君には何の『力』もない」「ただの少女の君に何ができると言うんだ!」
ワルドは嗤い、ワルドは冷静に判じ、ワルドは激情に叫ぶ。
ルイズもまた彼を恐れない。すっと右手を挙げ、彼女の前に立つ『使い魔』へ手を伸ばす。
「今の私にも――『力』なら、ある。あなたを止めるに足る『力』が!」
そして彼女は、己が『力』の名を呼ぶ。
「静嵐刀!」
呼ばれたモノ、そう、彼。静嵐はルイズの言葉に頷き。手に持ったデルフリンガーを地に突き立てて空中へ跳ぶ。
瞬間。彼の体が爆煙に包まれ、その直後、一本の剣――いや、一振りの刀がルイズの手に納まる。
「!」「その剣!」「やはり彼は」「パオペイか!」
鞘から刀を引き抜き、ルイズは頭に被った冠を投げ捨てる。
「王子様を殺してまで得ようというのが私の本当の力だと言うのなら、あなたの言う力なんて要らない」
鞘を一撫ですると、ぶるりと震えた鞘は再び静嵐の外套へと姿を戻す。
ルイズは肩から真っ白な乙女のマントを外し、その代わりに静嵐の藍色をした外套を羽織る。
その背中には荒々しい雄牛の刺繍が躍り、巻き起こる風が外套をはためかせる。
「この手の中の一本の刀。それが今の私の力なら、私はそれだけでいい! それだけで十分よ!」
ルイズが示すのは『意思』だ。『力』は彼が、静嵐が担ってくれる。
ならば、あとは告げるだけだ。
「ワルド、あなたを――斬る!」
*
それはルイズが静嵐刀を手にした瞬間の刹那、光よりも速い言葉で交わされた意思疎通。
『――やるわよ、セイラン。私とあんたで、王子様の仇を討つ。ワルドを倒す』
『いいのかい? 敵はワルドだよ』
かつての思い人を敵にする。その重圧に彼女の心は耐えられるのか?
『……彼が何を思って、あんなことを言ったのかはわからない。昔はとても優しい人だったのに。
だから何か、事情があるのかもしれない。優しかった彼にああ言わせるだけの何かが。でも』
『でも?』
『彼は取り返しのつかないことをしてしまった。もう戻れないところまで行ってしまった。
なら、私が、彼のことを好き――好きだった私が、彼を止めるしかない!』
『ルイズ……』
ルイズの覚悟は本気だった。一時の激情や戸惑いで出た言葉ではない。
人を斬るという重さ、それに対する責任を持つ言葉だ。
『力を貸して、静嵐刀。私の『意思』を通す為、私の『力』になって!』
『……ああ! わかったよ! この静嵐刀、全てを尽くして君の『力』になろうじゃないか!』
静嵐の心は震える。静嵐の内側から力が沸いてくる。
そしてその力を、自らの主人に使用者のために振るえるという喜び!
それがまた、新たな力となっていくことを感じながら――
*
ルイズの体を操り、静嵐は敵に向かって駆ける。
彼を、彼女を迎撃せんとしてワルドたちは次々と呪文を放つ。
あまりの魔法の弾幕に、静嵐たちは回避行動の連続を余儀なくされる。
「くっ、近づけない……!」
一発一発の呪文はさほど強力なものではない。おそらく、ドットかラインクラスに値する魔法だろう。
だがそれとて、五体という数が完璧な連携において放たれるものであれば、数字以上の威力を見せるのは当然のことだろう。
それがワルドの戦い方。大威力の魔法で『圧倒』するのではなく、小威力の魔法で『制圧』するのだ。
余裕の表情を見せながらワルドは言う。
「君はいけない娘だな、ルイズ」「黙って私について来ればいいものを」「これでは君を殺さねばいけないではないか!」
言いつつも、ワルドは一分の隙も見せない。一人が喋っていれば、他の四人はすべて攻撃に回るのだ。
「ふざけないで! 誰があなたなんかに!」
せめて意気だけは負けぬよう、ルイズは叫び言い返す。その間も静嵐はルイズの体を操り回避行動を取り続ける。
「君も所詮は力無き愚か者か」「であれば私の言うことが理解できないのもわかる」「私の期待に背いたことを後悔させてやろう」
「何を勝手な! 己の目的のために、国を売ろうとする男の言うことじゃないわ!」
かろうじて一閃、ワルドに斬撃を加える。だが浅い。
一人に気を取られている間に、他のワルドは飛び退り距離を開ける。
ルイズを囲むような配置。それは彼女に向けて呪文の十字砲火を加える陣形だ。
「しかし!」「その男に!」「追い詰められているのが!」「今の君だ!」
四人のワルドは詠唱を開始する。それは確実にルイズたちを殺傷しうる必殺の魔法。
「――現実を理解することだな」
ぐ、と歯を食いしばり。包囲網からなんとか隙を見出そうとする静嵐。だが、予想外の場所から声がかかる。
『娘っ子、相棒! 俺を使え!』
「デルフ!?」
いつの間にかルイズたちは、静嵐がデルフリンガーを突き立てた場所まで後退していた。
熱に浮かされたように、何かを思い出そうとするかのようにデルフリンガーは声を発する。
『だんだんと思い出してきたぞ、そうだ、俺は――』
言葉は途中で途切れる。ルイズと静嵐、そしてデルフリンガーに向けてワルドたちが魔法を放ったのだ。
風の刃が、雷光が、空気の槌が、風圧の槍が、ルイズたちを襲う。
「!」
静嵐は左手でとっさにルイズの左手で引き抜いたデルフリンガーを、盾のようにして目前にかざす。
論理的な行動ではない。たかが剣一本であれだけの魔法に耐え切れるはずはない。
だが、静嵐の操るルイズの左手はそれをごく自然な動きとして行わせた。まるでそれが、当然のことであるように。
そしてそれは、相応の結果をもってルイズたちに応える。
「! 魔法を……吸収した!?」
ワルドの驚きの叫びが聞こえる。
殺到する魔法の威力が霧散する。ルイズの体を切り、焼き、潰し、貫くはずだった威力は全て無くなっている。
到達点には、右手に静嵐刀を構え、左手にデルフリンガーを握るルイズの姿があった。
デルフリンガー――その姿は変化し、錆びついていた刀身は抜き身の刃が持つ白銀へと変わっている――は叫ぶ。
『そうだよ、それこそが俺の力なんだ! ガンダールヴはこの能力で……この俺の力でブリミルを守ったんだ!』
「ブリミルを!? なら、あんたは……」
ルイズは己の手の中の長剣を見つめる。長い年月を戦いとともに駆け抜けてきた刃が光る。
『そうさ! 俺はデルフリンガー……神の盾、ガンダールヴの剣だ!』
*
ルイズは驚く。ただの古びたインテリジェンスソードだと思っていたデルフリンガーが、あのガンダールヴの剣であったとは。
始祖ブリミルがこの地、アルビオンに降り立ったのは六千年前。普通に考えて、その頃の刀剣が現存しているとは考えにくい。
『どうだ、娘っ子! 見直したか!』
「ホント……掘り出したモノだったみたいね!」
なるほど、この光り輝く刀身は伊達ではない。そして何より、デルフリンガーの魔法吸収能力は確かだ。しかし、
ワルドは苦々しく言う。
「なるほど」「厄介な剣だな」「しかし受け切れなければ同じこと」「貴様の敵は一人ではないのだ!」
そう、ワルドは遍在の魔法を使っている。一対一であれば、魔法を封じた時点で圧倒的有利に立てるであろうが、
ワルド『たち』は連携して攻撃魔法を使ってくる。先ほどはちょうど十字砲火の形となっていた為射線が把握しやすかったが、
今度は真横や背後、あるいは上空と、次々に死角から魔法を放ってくる。一人の方を向けばもう一人が、という具合である。
武術の達人の技を持つ静嵐のこと、それらを的確に捌いていくが、やはり反撃には至らない。
反撃の糸口を見つけなければならない。そして、それができるとすれば自分なのだ。
今静嵐が追い詰められているのは、静嵐が魔法に対する知識を持たぬがゆえである。
ならば答えは簡単だ。ルイズの持つ魔法の知識を利用するのだ。
ルイズは静嵐の力で強化された視力を持って周囲を見渡す。
周囲には様々な光、ルイズがルイズ自身の力だけで見ているときは違った光が見える。
静嵐が言うには、それは目に見えない空気の流れなどを視覚化したものであるらしい。
無論、その一つ一つの意味や利用法などルイズにはわからない。
しかし、強化された視力は利用できる。
ルイズはワルドの一人、その口の動きを見る。杖を構え、一言一言を刻むように呪文を唱えている。
それは通常時であれば、とても追いきれる速さの動きではない。
だが今の、静嵐刀を手にしている状態のルイズであればその口の動きを読むことは容易い。
ルイズは心を通じて直接静嵐に訴えかける。
『左、ライトニングクラウドが来るわよ!』
『なんだって?』
『ライトニングクラウドよライトニングクラウド! あの電撃! あんた一回食らったんだからわかるでしょ!?』
『あ、ああ!』
言われるがまま、左のワルドが放った電撃を静嵐はデルフリンガーで受ける。
静嵐刀を握ることで一心同体と化し、光よりも速く会話できるが故にできた芸当だった。
『次、右からエアカッター!』
『あの風の刃か、なら!』
静嵐はライトニングクラウドを受けた紫電の光を背後に置き、右のワルドへと向き直る。
同時にワルドは風の刃を静嵐に向けて放つ。だが静嵐はそれを、防ぐのではなく紙一重で回避する。
風の刃、という鋭くはあるが攻撃範囲の狭い攻撃であったから、そしてそれを事前に察知できたが故の芸当だ。
防いでいては隙が大きくなり、反撃は覚束ない。しかし回避したのなら、あとは斬るだけ。
「ぐぅっ!」
袈裟懸けに静嵐刀でワルドを斬る。斬られたワルド、その遍在は魔法の力を散らされて掻き消えるように姿を消す。
これで一人。だがルイズは気を抜かない。
『続けて前から二人、杖にはエア・ニードル!』
斬られたワルドの背中から、同時に二人のワルドが飛び出し、それぞれの杖を以って斬撃を繰り出してくる。
ルイズはそれをデルフリンガーと静嵐刀で受け、一瞬の鍔迫り合いの後、弾け跳ぶように後方へと下がる。
「何故、こうも先を読むことができる」「私の二つ名は『閃光』」「私の高速詠唱を見切ることなどできるはずがない!」
完全に相手の動きを読んでの対応に、ワルドは吠える。
ルイズはお返しとばかりにさきほどのワルドに似た嗤いで言う。
「たしかに普通の私じゃ詠唱を見切ることなんてできないわ。だけど、セイランを手に持っている今ならば話は別よ」
静嵐刀は使用者の力を増幅させることはできない。だが、人間が本来持っているだけ能力を引き出すことはできる。
野生に近い環境で育つ人間の中には、地平線にある獣の姿を見ることができるものもいるという。
それにも匹敵するだけの能力。この場合ならば視力をルイズは得ていた。
だがそれは見えるというだけの話。詠唱の見切りには繋がらない。
詠唱を見切るだけの知識、それは……
「そして私の二つ名は『ゼロ』。落ちこぼれの二つ名。――だけどその分、勉強だけは怠ってこなかったのよね」
あまりに魔法が上手く使えないがため、『ゼロのルイズ』という不名誉な二つ名で呼ばれたルイズ。
彼女が常に自分に対して課してきたこと、それは「自分に出来ることと出来ないことを見極める」ことであった。
魔法が使えないというのならば、自分が何の系統の魔法を使えないのか? 自分が何の系統のどの魔法を使えないのか?
それを全て見極めていくには、全ての魔法に対する知識が必要だった。
「四大系統の主だった魔法の詠唱と効果くらい。丸暗記済み。
さすがにスクウェアクラスのまでは承知していないけど、トライアングルくらいまでなら余裕だわ」
「……!」
ワルドは絶句する。それが言うほど容易いことではないからだ。
普通のメイジであるならば、自分の得意系統の魔法のみを勉強するだろう。
しかし彼女は『ゼロ』だ。得意の系統など無い。なればこそ、全ての系統の魔法に通じることができたのだ。
たとえ自分の使えないものであっても学んでいく。その『努力』、それこそがルイズのもっとも得意なことと言える。
静嵐は感心したように言う。
『そっか。魔法の実技で軒並み落第点なら、せめて筆記での成績は上位で居なくてはならないよなぁ』
『うっさいわね! そういう目的も…まぁ…ちょっとはあるけど』
そしてルイズは微笑む。少し意地の悪い笑みで。
「でもホント、人生何が幸いするかわからないわよね?」
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