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「エデンの林檎 十八話」(2008/01/13 (日) 14:19:00) の最新版変更点
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十八話 『イヴは林檎にかじりつく』
魔法という手段を用いて人を殺すとき、いかに効率よく殺すのかを戦士は考える。
オスマンはそのはるかに高みにある力でもって相手を圧倒する。
コルベールはその優れた頭脳から生み出された術でもって相手を焼き尽くす。
なら自分はどうすべきか?
ギーシュの考えから生まれたそれは、己の扱いうる技術を最大限に駆使するものだった。
人体には大量の金属が流れている。
鉄、リン、銅、鉛、亜鉛、骨を構成するカルシウムやナトリウムも一種の金属だ。
もっとも簡単に相手を殺すのなら、脳の血管を一つ引きちぎればいい。
頭痛と眠気に襲われて、その部分から脳が壊死を始めてやがて死に至る。
だが無論のこと、ハルケギニアにそんな希少金属の情報は無い。
カルシウムやナトリウムなどは存在すら確認されていない。
だからこそギーシュは、自分のできる範囲でそれを行うことにした。
ギーシュに錬金が可能な物質は、青銅以下の価値を持つ金属に限られる。
何故か含む“油”に、彼は意識を払った。
“果たして人体に含まれる脂質を青銅に錬金できるのか?”
結論から言えば可能だった。
実験に使った牛肉の塊から大量の青銅のナイフが飛び出したときは、流石のルイズ達も引いていたが。
だが魔法には多大なる集中力が必要になる。
つまり止まっている物質か、直接触れている相手にしか魔法をかけられないのだ。
ましてや生き物、常に変動し続けるそれを、基本的に錬金はできない。
それゆえに彼は別の手段を講じることになった。
その結果がジークフリートの機能である。
「ぎゃあああ!」
振るわれるその蛮刀は、実のところ切れ味は無いに等しい。
ただし中空構造になっており、液体を通すための溝がある。
加えて歯の部分は細かく分かれのこぎりのようになっている。
仕組みとしてはジークフリートの構成物の一部を油に錬金して剣を伝って相手に散布、さらにのこぎり状の歯と相手の武装との間で起こる摩擦と火花で着火する。
それにひるんでいる隙に相手に錬金をかけるのだ。
可燃油に錬金されたごくごく表層の、それこそほんの数グラムの脂肪に炎は着火し燃え上がる。
それは周辺の脂肪分を沸騰させ、相手の動きを完全に停止した。
それゆえ完全に応対した場合、相手は“焼けて死ぬ”のである。
完全に掛からなくても内側から沸騰する痛みに、人間は絶対に耐えられない。
たとえ鎮火しても行動不能に陥る。
だがとにもかくにも、今回は数が多すぎた。
数人を倒したところでまだ敵はいる。
だからこその裏技だった。
ギーシュの金の髪が茜色に、炎の色に染まる。
「ああああああ!」
悪魔の実がその能力を提供する。
「うお!」
「何だコリャ!」
それは傭兵たちを拘束し、完全に動きを止める。
「ヴェルダンデ、こいつらを埋めろ!」
ボゴンと地面がへこみ、まとめられた傭兵たちが首まで埋まる。
わめく傭兵たちを踏みつけて、ギーシュは声めがけて突っ走る。
まるで馬のように早く走る自分に、ギーシュは気づいていなかった。
オスマンはいらだっていた。
何なのかこの傭兵は?
書類の整理で忙しい自分へのあてつけか?
ミス・ロングビルがいなくてセクハラができずいらだっている自分へのあてつけか?
それともセクハラするなというあてつけか?
「もう止めじゃ止めじゃ」
「あん? 何か言ったか爺!」
ゴーレムを前面に出してから人的被害がほとんど無くなった傭兵メイジの一団は、あまり上級でない魔法しか使ってこないオスマンを侮り始めていた。
「もう止めるちゅうたんじゃ、若造」
「はっ! あきらめたかよ!」
「あきらめる? 何言うとるんじゃヌケサクが」
オスマンの前に集まる目に見えるほどの精神力。
くみ上げられたそれがメイジたちが思わず戦闘を止めてしまうほど大きく膨れ上がった。
炎が熱を持ちすぎて白く揺らめく。
風が竜巻を通り越し雷をまとった衝撃波と化す。
盛り上がった土が一粒残らず火の秘薬に錬金される。
押し固められた水の塊が高速で回転し始める。
「学院が壊れないように気をつけるのはもう止めると言うたんじゃ」
炎が地面ごと焼きつぶし、衝撃波が燃え残りを粉砕し、爆発が一面をなぎ払い、高速で射出された水がその空間を切りさばき冷却する。
「ワシャあ才能が無くての。若いころは“四大のオスマン”なんて呼ばれとったが要は器用貧乏じゃ」
髭を撫でるオスマンの前には、先ほどまでいた傭兵たちが壁ごと門ごと地面ごと、削り取られたようになくなっている。
「全部極めるのに三百年も掛かってしもうたわ」
キュルケは敵の多さに少しあせり始めていた。
精神力とて無限ではなく、いずれは削り落ちする。
何か手はないかと何気なく懐に手をいれ、小さなものをつかみ出した。
金属の密閉ケース、表明に等間隔で縦横の切れ込みが入っている。
ルイズの小屋からくすねてきた、火の粒が反応するもの。
「ええと、確かこの紐に火をつけて投げるんだっけ」
手に握りこむサイズのそれに火をつけて投擲。
「タバサ、耳をふさいで口開けて伏せて」
「ん」
数秒後、投下地点から十メートルほどの範囲が粉々に吹き飛んだ。
「うわあ……」
「強力」
コルベールはひざを付いていた。
えぐられた左肩は修復したが、すぐさま次の一撃を見舞われる。
ゾオン系の利点はその異常なまでの身体能力の強化である。
それは純粋であるがゆえに穴が無い、他の実よりも大きな補正。
「ははははは! どうしたよ隊長! あのときのあんたを倒したいのによお! へっぴり腰とは笑わせるぜ!」
体が変わったせいなのかしゃがれた声でメンヌヴィルがあざ笑う。
「くっ!」
時折放たれるコルベールの魔法は、光を失ったはずの彼にやすやすと避けられていく。
「当たらねえ、当たらねえよ! 犬の嗅覚は人間の一億倍イイイイ! 目が見えなくても全部まるっとお見通しだぜえ!」
人よりはるかに優れたイヌ科の嗅覚がメンヌヴィルに失った視覚を与えてくれる。
鼻で感じるにおいと気流で、メンヌヴィルの脳裏には自分を中心とする全天の映像が捕らえられていた。
「つまらねえ、つまらねえよ隊長殿! 俺の身体能力差っぴいてもあんたはもっと強かった!」
「君はずいぶんと変わったね。もう少し落ち着いていたと思っていたが」
「こんなもの手に入れちゃなあ。にしてもつまらない。俺がかぎたいのは本気のあんたの焼けるにおいだ」
ふと、その視線が生徒たちに向く。
「そうか、そいつらが邪魔か。なら枷を外してやるよ」
ゴッ、と避けようのない炎が、モンモランシーたちに飛んだ。
あ、死んだ。
何故かすんなりと、小さく悲惨な未来が想像される。
短い自分の人生に、モンモランシーは涙をこぼした。
「ギーシュ……」
『キャンドルウォール!』
救いは白い壁と共に現れた。
それは突如として生徒の前に壁を生成する。
炎であぶられ表面が溶け出すも、それは確かに鉄の硬度をもってモンモランシーたちを守った。
「そこの人狼! ……狼? まあいい、それ以上はこのギーシュ・ド・グラモンが許可しない!」
髪を茜色に染めたギーシュがそこにいた。
モンモランシーは呆然としていた。
はて、ギーシュはこんなにかっこよかっただろうか?
ていうかさっきの白いのは何? 錬金?
髪の毛も赤色だし、赤って言うか燃えて……
「ってちょっとギーシュ! 髪の毛燃えてる!」
「ん? ああ」
頭に手をやり、ギーシュはその熱を確認する。
髪の色が茜色に染まり、間から火花が漏れている。
「仕様だよ」
「仕様って、ギーシュ、そうじゃなくて」
「いいから、君は治療を続けるんだ」
まるで平気な様子で、ギーシュはレイピアを抜く。
「面白い。俺とやりあう気かな?」
「どうやら人狼ではなさそうだね。人狼なら父上の仕事で見たことがあるが、君ほど理性的じゃなかった」
「カカカカカ! 悪魔が力をくれたのさ!」
「……なるほどね。となると」
左手から白い液体が滴る。
「僕のご同輩か!」
一瞬で生成された大量の白い剣が、メンヌヴィルめがけて降り注いだ。
直後まるでかすれるように姿を消したメンヌヴィルがギーシュの真横に現れる。
「遅えよ!」
「いや、問題ないよ」
振るわれた一撃は硬い音にさえぎられた。
マントに下には真っ白な鎧。
「蝋だと!?」
「まああれだ、喰らえ」
その鎧から湧き出すように打ち出される白蝋の剣、それもすべて高速で回避された。
「早いな」
「当たらなきゃ意味ねえぞ、小僧」
内心ギーシュはあせっていた。
全身に張り巡らせた白蝋の鎧のおかげでダメージは無いが、相手が早すぎて追いつかない。
相手の攻撃はしっかり当たるので、鎧が削れるたびに修復しなければならないのだ。
「(まさか蝋を作るたびに精神力を消費するなんてね)」
ならば爆発をあれだけ連発して平気な顔をしているルイズはいったいいかほどの精神力を持っているのか、と思いつつ、ギーシュは策を考える。
足りないのなら補えばいい。
相手の短所を見抜きそこを突く。
「さて、見たところイヌイヌの実かな?」
「イヌ科、って分類があるらしいな。よく知らんが」
「犬ねえ……」
なるほど目が見えなくてもあの鼻があるから、と考えて、ギーシュはふと思いつく。
何だ、簡単じゃないか。
「えっと、ミスタ・メンヌヴィルだったかな?」
「あん?」
左手から蝋が滴る。
「予言しよう、君は僕に敗北すると」
「……面白いじゃねえか」
膨れ上がる殺気に顔色を変えることなく、ギーシュは仕掛けを設置する。
「あいにくと山は乗り越えたんでね、もうおびえる余裕なんてないんだよ!」
ギーシュは左手を振るった。
振るうたびにばら撒かれる白蝋の剣。
そのすべてをメンヌヴィルはその反射神経だけで“放たれるのを見てから”回避し反撃する。
メンヌヴィルの攻撃はそのすべてが白蝋の鎧を削るだけにとどまった。
「どうする小僧! もう終わりか!?」
「ああ、これで詰みかな」
ばら撒かれていた剣が、いっせいにワルキューレに変わる。
「なっ!」
「僕は一応メイジなんだけどねえ、錬金の」
ぐるりとメンヌヴィルを囲んだギーシュとワルキューレたちから、いっせいに剣がとんだ。
そのワルキューレの数たるや十五体。
青銅なら七体が限界でも対象は蝋、倍以上の数など動作もない。
普通の蝋ならともかく白蝋の悪魔の蝋、その硬度は鉄を越えている。
メンヌヴィルは当然、上へ飛んだ。
「その方向への逃走も予測済みだ!」
ついさっきまでメンヌヴィルがいた場所でかち合った剣が、形を変えもう一体のワルキューレを形作る。
そしてそれは情報へ向けて馬上槍を発射した。
「これで詰みだ!」
「うわああああああ! って喰らうかそんなもの!」
足場も何もない空中、当然回避はできない。
メンヌヴィルが取った行動は“迎撃”
「ゾオン系をなめるな! ただ飛んで切るだけの槍など造作もない!」
迎撃した十数本の槍を手足の動きだけで弾き飛ばし、砕く。
……砕く?
「問題ないよ、ミスタ・メンヌヴィル」
砕けないはずの鉄の硬度を持つ白蝋の槍の中、数本混じった普通の蝋の槍。
その中には紫色の液体に満たされた、キレイなクリスタルガラスの小瓶。
メンヌヴィルの眼前で、それはキラキラと舞う。
「その行動も予測済みだ」
液体はバシャリと、メンヌヴィルの顔に降りかかった。
「グルルルルウウアアアアアアア!」
痛い痛い痛い痛い! 何だこれは何だこれは!
メンヌヴィルの感覚器を強烈な刺激が焼きつぶす。
のた打ち回る人狼。
「別に毒ではないよ、ただの香水だ。モンモランシー特製のね」
周りに散らばっていた白蝋の剣とワルキューレを回収し、ギーシュはマントのほこりを払う。
「香水というのはもともときつい香りがするものだ。数滴手首や首に塗りこむものだから」
懐から同じビンを取り出し、数滴を手首にふりかけその手で首筋を撫でる。
「うん、やはり適量ならいい香りだ。まあ人間でも耐え難い一ビン丸ごと、犬の嗅覚のあなたでは地獄のような刺激だろう?」
ビンをしまいギーシュはレイピアを布でぬぐう。
メンヌヴィルはようやく刺激になれ始めていた。
「ああそうだ、先ほどの発言を撤回しよう」
鼻の中に水の魔法を通しこっそり洗浄したメンヌヴィルの鼻に、香水とは違う刺激臭が混入した。
それは油のにおい。きつい刺激臭を放つ気化した燃料油。
においの先には杖を構える男が一人。
「あなたを倒すのは僕ではなかったようだ」
『爆炎!』
まるでルイズの魔法のごとき爆発が、メンヌヴィルを包み込んだ。
肉のこげる嫌なにおいの中、コルベールは生徒に左肩を治してもらいながらその光景を見つめていた。
暴れまわる白蝋のゴーレムたちが次々と傭兵を撃退していく。
戦いを嫌悪するコルベールにとっても、ギーシュの成長振りはうれしいものだった。
「しかしいつの間にあそこまで……」
「ギーシュ……」
コルベールは治療をしていたモンモランシーとそろってその勇姿を見守る。
そんなドラマティックな光景を轟音が妨害した。
「な、何!?」
「……あ~」
音の方向でガラガラと崩れる学園の石壁。
すぐさまその残骸が錬金され石壁を再構成する。
「あ、あんなすごいメイジなんて!」
「ああ、学園長ですよ。しかしまあ派手に」
「……オールド・オスマンが?」
「普段はあれですけどね。それにしても」
コルベールの目に映る錬金された壁は装飾や体裁、素材に依然との違いがあるのが見て取れる。
何よりかけられていた“固定化”ごと破壊され、その修繕には数日掛かるのは言うまでもない。
「ミス・ロングビルはいないのに、書類の整理とかどうされるのやら」
後にオスマンは書類整理に追われながらコルベールにぼやいていた。
曰く、『これなら軍を一人で相手にするほうが楽だ』と。
散り散りに逃げていく傭兵たちを見送り、ギーシュは壊れた城壁を白蝋で補修する。
完全に封鎖して息をつき、レイピアを鞘に収めた。
「ミスタ・グラモン、大丈夫ですか?」
「怪我らしい怪我はしてませんよ」
「いえ、そうではなく」
「ああ、一応は。さっき全部吐いたので平気ですし」
服のほこりを払って、ギーシュはモンモランシーに歩み寄った。
真っ赤な髪が普段の金色に戻る。
「まあ何でもいいさ、無事でよかった」
そうつぶやくと髪をかきあげ――
――フラリと傾いだ。
「ギーシュ!」
慌てて駆け寄ったモンモランシーに支えられ、ギーシュは頭を振った。
「大丈夫だよ、精神力を使いすぎただけでね」
ギーシュはモンモランシーの肩に手を置きよろよろと立ち上がる。
「まあそれでもこれくらいはできるさ」
ひゅうんと振るわれた左手から放たれた剣が、コルベールの背後の焼死体を貫いた。
「がああああ!」
焼死体のはずのそれ、メンヌヴィルが血を吐きうごめく。
ボロボロと焼け焦げた服や皮膚、肉がボロボロと崩れ落ち、その下からきれいな真皮がのぞいていた。
「やっぱり生きていたか」
「てめ、何でわかっ、がっ」
「あなたはさっき“人狼と同じ”と言った。なら当然再生能力もあるだろう? 父が戦った人狼は失った腕を生やして見せた」
「く、くはは、かふっ、小僧、名前は」
「さっきも名乗ったろう? 僕はギーシュ・ド・グラモン、誇り高きグラモン家の第四子だ」
「……ああ、あの髭の息子か」
「父を知っているのか?」
思わず身を乗り出すギーシュに、血まみれのメンヌヴィルは笑みを向ける。
「一度戦場でやりあったことがある。完敗だったよ。強かっがふっ」
メンヌヴィルは真っ黒な血を吐き出した。
「流石はやつの息子だ小僧。誇れ」
「それは僕にとって最高の栄誉だよ」
「ククク、そうかい」
口からあふれる血の量、メンヌヴィルは笑った。
「ひとつだけいいこと教えてやるよギーシュ」
「いいこと?」
握った右のこぶしを胸の上へ。
「この“イヌイヌの実”はな、ある方にもらったものだ」
最期に大きく血を吐き出し、メンヌヴィルはこと切れた。
戦場は膠着していたといっていい。
モット伯の石油の白鳥が船を穿つ穿つ穿つ。
だがなんにせよ大きすぎる質量、足止めはできてもそれ以上は困難なままだった。
「くぞ! 土のメイジは!」
「もう無理です!」
「子爵! こちらもそろそろ打ち止めだぞ!」
「くたばれやああ!」
杖を下げたモット伯にここぞとばかりに突っ込む用兵メイジたち。
「白鳥アラベスク!」
「がふん!」
一撃を食らい吹き飛ぶ傭兵その一。
「どちらにせよこのままではジリドンだ!」
「増援はまだか!」
叫ぶ男たちの耳に響く、すんだ声。
「なら手を貸してあげましょう」
直後巨大な風の塊が、船の動力を打ち抜いた。
唖然とするトリステイン軍の前で、次々と衝撃波が船を打ち抜き吹き飛ばす。
大陸の外に押しやられた軍艦は、ついで打ち込まれる風の砲弾に粉々に破壊された。
「もう少ししっかりしてくれなくては。そんなざまでは娘は差し上げられませんわ」
その女性はそれだけ言い捨てると、人ごみの中にまぎれて消えた。
「……子爵、彼女は?」
呆然とするモット伯に、ワルドは脂汗を流し顔を引きつらせながら振り返る。
「もしかしたら私の義母になる方、あの“烈風・カリン”その人です」
「あれが……なんという威圧感か」
「ああ、情けないざまを見られてしまった……」
地下に走る坑道を男は逃げていた。
その手に持つのは金銀財宝。
「くそくそくそ! こんなはずでは!」
男の名はリッシュモン、賄賂のために国すら売る売国奴だった。
彼はどこからかぎつけたのかレコン・キスタとのつながりをマザリーニに見つけ出され、ほうほうのていで逃げる最中だった。
「もう少し、もう少しでトリステインは私のものになったのに!」
「それは残念だな法院長」
静かな声が道の先の闇の中から響いた。
「誰だ!」
「私ですよ法院長」
ゆらりと闇から生まれるように現れる女が一人。
「ふん、アニエスか。そこをどけ!」
「できません。反逆者を捕まえるのも仕事のうちですから」
「……平民風情が!」
一瞬の詠唱で放たれるフレイムボール、ほんの一拍子でアニエスは炎に包まれた。
「平民の小娘が! すこしは分をわきまえ「熱いんだ……」何い!?」
炎の中燃え盛るアニエス、だがその体も装飾品もすべて焦げてはいない。
「貴様は忘れているだろうが、私は生き残りなのだよ、タングテールの虐殺の!」
「あ、あれは疫病が「黙れ!」ヒッ」
燃え盛る炎に包まれたまま、アニエスは前進する。
「言い訳も弁解ももういらない! うずくんだよ、あの日に焼かれた腹の傷が! 敵をとれと! お前たちを殺せと!」
「ま、待て、話し合おう、な、な?」
「黙れ黙れ黙れ! お前の黒焼きを「まあ待てアニエス」! マザリーニ様!」
ゆっくりと、アニエスの背後から現れるマザリーニ。
「“鳥の骨”! 貴様あ!」
「いいかアニエス」
リッシュモンを完全に無視し、マザリーニはアニエスに声をかける。
「首から上は残せ。誰の死体かわからんのは困る」
「マ、マザリーニイイイイイイイ!」
「やまかしいぞリッシュモン。おとなしく燃えて死ね」
坑道の中、男の断末魔が少しだけ響き、そして消えた。
十八話 『イヴは林檎にかじりつく』
魔法という手段を用いて人を殺すとき、いかに効率よく殺すのかを戦士は考える。
オスマンはそのはるかに高みにある力でもって相手を圧倒する。
コルベールはその優れた頭脳から生み出された術でもって相手を焼き尽くす。
なら自分はどうすべきか?
ギーシュの考えから生まれたそれは、己の扱いうる技術を最大限に駆使するものだった。
人体には大量の金属が流れている。
鉄、リン、銅、鉛、亜鉛、骨を構成するカルシウムやナトリウムも一種の金属だ。
もっとも簡単に相手を殺すのなら、脳の血管を一つ引きちぎればいい。
頭痛と眠気に襲われて、その部分から脳が壊死を始めてやがて死に至る。
だが無論のこと、ハルケギニアにそんな希少金属の情報は無い。
カルシウムやナトリウムなどは存在すら確認されていない。
だからこそギーシュは、自分のできる範囲でそれを行うことにした。
ギーシュに錬金が可能な物質は、青銅以下の価値を持つ金属に限られる。
何故か含む“油”に、彼は意識を払った。
“果たして人体に含まれる脂質を青銅に錬金できるのか?”
結論から言えば可能だった。
実験に使った牛肉の塊から大量の青銅のナイフが飛び出したときは、流石のルイズ達も引いていたが。
だが魔法には多大なる集中力が必要になる。
つまり止まっている物質か、直接触れている相手にしか魔法をかけられないのだ。
ましてや生き物、常に変動し続けるそれを、基本的に錬金はできない。
それゆえに彼は別の手段を講じることになった。
その結果がジークフリートの機能である。
「ぎゃあああ!」
振るわれるその蛮刀は、実のところ切れ味は無いに等しい。
ただし中空構造になっており、液体を通すための溝がある。
加えて歯の部分は細かく分かれのこぎりのようになっている。
仕組みとしてはジークフリートの構成物の一部を油に錬金して剣を伝って相手に散布、さらにのこぎり状の歯と相手の武装との間で起こる摩擦と火花で着火する。
それにひるんでいる隙に相手に錬金をかけるのだ。
可燃油に錬金されたごくごく表層の、それこそほんの数グラムの脂肪に炎は着火し燃え上がる。
それは周辺の脂肪分を沸騰させ、相手の動きを完全に停止した。
それゆえ完全に応対した場合、相手は“焼けて死ぬ”のである。
完全に掛からなくても内側から沸騰する痛みに、人間は絶対に耐えられない。
たとえ鎮火しても行動不能に陥る。
だがとにもかくにも、今回は数が多すぎた。
数人を倒したところでまだ敵はいる。
だからこその裏技だった。
ギーシュの金の髪が茜色に、炎の色に染まる。
「ああああああ!」
悪魔の実がその能力を提供する。
「うお!」
「何だコリャ!」
それは傭兵たちを拘束し、完全に動きを止める。
「ヴェルダンデ、こいつらを埋めろ!」
ボゴンと地面がへこみ、まとめられた傭兵たちが首まで埋まる。
わめく傭兵たちを踏みつけて、ギーシュは声めがけて突っ走る。
まるで馬のように早く走る自分に、ギーシュは気づいていなかった。
オスマンはいらだっていた。
何なのかこの傭兵は?
書類の整理で忙しい自分へのあてつけか?
ミス・ロングビルがいなくてセクハラができずいらだっている自分へのあてつけか?
それともセクハラするなというあてつけか?
「もう止めじゃ止めじゃ」
「あん? 何か言ったか爺!」
ゴーレムを前面に出してから人的被害がほとんど無くなった傭兵メイジの一団は、あまり上級でない魔法しか使ってこないオスマンを侮り始めていた。
「もう止めるちゅうたんじゃ、若造」
「はっ! あきらめたかよ!」
「あきらめる? 何言うとるんじゃヌケサクが」
オスマンの前に集まる目に見えるほどの精神力。
くみ上げられたそれがメイジたちが思わず戦闘を止めてしまうほど大きく膨れ上がった。
炎が熱を持ちすぎて白く揺らめく。
風が竜巻を通り越し雷をまとった衝撃波と化す。
盛り上がった土が一粒残らず火の秘薬に錬金される。
押し固められた水の塊が高速で回転し始める。
「学院が壊れないように気をつけるのはもう止めると言うたんじゃ」
炎が地面ごと焼きつぶし、衝撃波が燃え残りを粉砕し、爆発が一面をなぎ払い、高速で射出された水がその空間を切りさばき冷却する。
「ワシャあ才能が無くての。若いころは“四大のオスマン”なんて呼ばれとったが要は器用貧乏じゃ」
髭を撫でるオスマンの前には、先ほどまでいた傭兵たちが壁ごと門ごと地面ごと、削り取られたようになくなっている。
「全部極めるのに三百年も掛かってしもうたわ」
キュルケは敵の多さに少しあせり始めていた。
精神力とて無限ではなく、いずれは削り落ちする。
何か手はないかと何気なく懐に手をいれ、小さなものをつかみ出した。
金属の密閉ケース、表面に等間隔で縦横の切れ込みが入っている。
ルイズの小屋からくすねてきた、火の粒が反応するもの。
「ええと、確かこの紐に火をつけて投げるんだっけ」
手に握りこむサイズのそれに火をつけて投擲。
「タバサ、耳をふさいで口開けて伏せて」
「ん」
数秒後、投下地点から十メートルほどの範囲が粉々に吹き飛んだ。
「うわあ……」
「強力」
コルベールはひざを付いていた。
えぐられた左肩は修復したが、すぐさま次の一撃を見舞われる。
ゾオン系の利点はその異常なまでの身体能力の強化である。
それは純粋であるがゆえに穴が無い、他の実よりも大きな補正。
「ははははは! どうしたよ隊長! あのときのあんたを倒したいのによお! へっぴり腰とは笑わせるぜ!」
体が変わったせいなのかしゃがれた声でメンヌヴィルがあざ笑う。
「くっ!」
時折放たれるコルベールの魔法は、光を失ったはずの彼にやすやすと避けられていく。
「当たらねえ、当たらねえよ! 犬の嗅覚は人間の一億倍イイイイ! 目が見えなくても全部まるっとお見通しだぜえ!」
人よりはるかに優れたイヌ科の嗅覚がメンヌヴィルに失った視覚を与えてくれる。
鼻で感じるにおいと気流で、メンヌヴィルの脳裏には自分を中心とする全天の映像が捕らえられていた。
「つまらねえ、つまらねえよ隊長殿! 俺の身体能力差っぴいてもあんたはもっと強かった!」
「君はずいぶんと変わったね。もう少し落ち着いていたと思っていたが」
「こんなもの手に入れちゃなあ。にしてもつまらない。俺がかぎたいのは本気のあんたの焼けるにおいだ」
ふと、その視線が生徒たちに向く。
「そうか、そいつらが邪魔か。なら枷を外してやるよ」
ゴッ、と避けようのない炎が、モンモランシーたちに飛んだ。
あ、死んだ。
何故かすんなりと、小さく悲惨な未来が想像される。
短い自分の人生に、モンモランシーは涙をこぼした。
「ギーシュ……」
『キャンドルウォール!』
救いは白い壁と共に現れた。
それは突如として生徒の前に壁を生成する。
炎であぶられ表面が溶け出すも、それは確かに鉄の硬度をもってモンモランシーたちを守った。
「そこの人狼! ……狼? まあいい、それ以上はこのギーシュ・ド・グラモンが許可しない!」
髪を茜色に染めたギーシュがそこにいた。
モンモランシーは呆然としていた。
はて、ギーシュはこんなにかっこよかっただろうか?
ていうかさっきの白いのは何? 錬金?
髪の毛も赤色だし、赤って言うか燃えて……
「ってちょっとギーシュ! 髪の毛燃えてる!」
「ん? ああ」
頭に手をやり、ギーシュはその熱を確認する。
髪の色が茜色に染まり、間から火花が漏れている。
「仕様だよ」
「仕様って、ギーシュ、そうじゃなくて」
「いいから、君は治療を続けるんだ」
まるで平気な様子で、ギーシュはレイピアを抜く。
「面白い。俺とやりあう気かな?」
「どうやら人狼ではなさそうだね。人狼なら父上の仕事で見たことがあるが、君ほど理性的じゃなかった」
「カカカカカ! 悪魔が力をくれたのさ!」
「……なるほどね。となると」
左手から白い液体が滴る。
「僕のご同輩か!」
一瞬で生成された大量の白い剣が、メンヌヴィルめがけて降り注いだ。
直後まるでかすれるように姿を消したメンヌヴィルがギーシュの真横に現れる。
「遅えよ!」
「いや、問題ないよ」
振るわれた一撃は硬い音にさえぎられた。
マントに下には真っ白な鎧。
「蝋だと!?」
「まああれだ、喰らえ」
その鎧から湧き出すように打ち出される白蝋の剣、それもすべて高速で回避された。
「早いな」
「当たらなきゃ意味ねえぞ、小僧」
内心ギーシュはあせっていた。
全身に張り巡らせた白蝋の鎧のおかげでダメージは無いが、相手が早すぎて追いつかない。
相手の攻撃はしっかり当たるので、鎧が削れるたびに修復しなければならないのだ。
「(まさか蝋を作るたびに精神力を消費するなんてね)」
ならば爆発をあれだけ連発して平気な顔をしているルイズはいったいいかほどの精神力を持っているのか、と思いつつ、ギーシュは策を考える。
足りないのなら補えばいい。
相手の短所を見抜きそこを突く。
「さて、見たところイヌイヌの実かな?」
「イヌ科、って分類があるらしいな。よく知らんが」
「犬ねえ……」
なるほど目が見えなくてもあの鼻があるから、と考えて、ギーシュはふと思いつく。
何だ、簡単じゃないか。
「えっと、ミスタ・メンヌヴィルだったかな?」
「あん?」
左手から蝋が滴る。
「予言しよう、君は僕に敗北すると」
「……面白いじゃねえか」
膨れ上がる殺気に顔色を変えることなく、ギーシュは仕掛けを設置する。
「あいにくと山は乗り越えたんでね、もうおびえる余裕なんてないんだよ!」
ギーシュは左手を振るった。
振るうたびにばら撒かれる白蝋の剣。
そのすべてをメンヌヴィルはその反射神経だけで“放たれるのを見てから”回避し反撃する。
メンヌヴィルの攻撃はそのすべてが白蝋の鎧を削るだけにとどまった。
「どうする小僧! もう終わりか!?」
「ああ、これで詰みかな」
ばら撒かれていた剣が、いっせいにワルキューレに変わる。
「なっ!」
「僕は一応メイジなんだけどねえ、錬金の」
ぐるりとメンヌヴィルを囲んだギーシュとワルキューレたちから、いっせいに剣がとんだ。
そのワルキューレの数たるや十五体。
青銅なら七体が限界でも対象は蝋、倍以上の数など動作もない。
普通の蝋ならともかく白蝋の悪魔の蝋、その硬度は鉄を越えている。
メンヌヴィルは当然、上へ飛んだ。
「その方向への逃走も予測済みだ!」
ついさっきまでメンヌヴィルがいた場所でかち合った剣が、形を変えもう一体のワルキューレを形作る。
そしてそれは情報へ向けて馬上槍を発射した。
「これで詰みだ!」
「うわああああああ! って喰らうかそんなもの!」
足場も何もない空中、当然回避はできない。
メンヌヴィルが取った行動は“迎撃”
「ゾオン系をなめるな! ただ飛んでくるだけの槍など造作もない!」
迎撃した十数本の槍を手足の動きだけで弾き飛ばし、砕く。
……砕く?
「問題ないよ、ミスタ・メンヌヴィル」
砕けないはずの鉄の硬度を持つ白蝋の槍の中、数本混じった普通の蝋の槍。
その中には紫色の液体に満たされた、キレイなクリスタルガラスの小瓶。
メンヌヴィルの眼前で、それはキラキラと舞う。
「その行動も予測済みだ」
液体はバシャリと、メンヌヴィルの顔に降りかかった。
「グルルルルウウアアアアアアア!」
痛い痛い痛い痛い! 何だこれは何だこれは!
メンヌヴィルの感覚器を強烈な刺激が焼きつぶす。
のた打ち回る人狼。
「別に毒ではないよ、ただの香水だ。モンモランシー特製のね」
周りに散らばっていた白蝋の剣とワルキューレを回収し、ギーシュはマントのほこりを払う。
「香水というのはもともときつい香りがするものだ。数滴手首や首に塗りこむものだから」
懐から同じビンを取り出し、数滴を手首にふりかけその手で首筋を撫でる。
「うん、やはり適量ならいい香りだ。まあ人間でも耐え難い一ビン丸ごと、犬の嗅覚のあなたでは地獄のような刺激だろう?」
ビンをしまいギーシュはレイピアを布でぬぐう。
メンヌヴィルはようやく刺激になれ始めていた。
「ああそうだ、先ほどの発言を撤回しよう」
鼻の中に水の魔法を通しこっそり洗浄したメンヌヴィルの鼻に、香水とは違う刺激臭が混入した。
それは油のにおい。きつい刺激臭を放つ気化した燃料油。
においの先には杖を構える男が一人。
「あなたを倒すのは僕ではなかったようだ」
『爆炎!』
まるでルイズの魔法のごとき爆発が、メンヌヴィルを包み込んだ。
肉のこげる嫌なにおいの中、コルベールは生徒に左肩を治してもらいながらその光景を見つめていた。
暴れまわる白蝋のゴーレムたちが次々と傭兵を撃退していく。
戦いを嫌悪するコルベールにとっても、ギーシュの成長振りはうれしいものだった。
「しかしいつの間にあそこまで……」
「ギーシュ……」
コルベールは治療をしていたモンモランシーとそろってその勇姿を見守る。
そんなドラマティックな光景を轟音が妨害した。
「な、何!?」
「……あ~」
音の方向でガラガラと崩れる学園の石壁。
すぐさまその残骸が錬金され石壁を再構成する。
「あ、あんなすごいメイジなんて!」
「ああ、学園長ですよ。しかしまあ派手に」
「……オールド・オスマンが?」
「普段はあれですけどね。それにしても」
コルベールの目に映る錬金された壁は装飾や体裁、素材に依然との違いがあるのが見て取れる。
何よりかけられていた“固定化”ごと破壊され、その修繕には数日掛かるのは言うまでもない。
「ミス・ロングビルはいないのに、書類の整理とかどうされるのやら」
後にオスマンは書類整理に追われながらコルベールにぼやいていた。
曰く、『これなら軍を一人で相手にするほうが楽だ』と。
散り散りに逃げていく傭兵たちを見送り、ギーシュは壊れた城壁を白蝋で補修する。
完全に封鎖して息をつき、レイピアを鞘に収めた。
「ミスタ・グラモン、大丈夫ですか?」
「怪我らしい怪我はしてませんよ」
「いえ、そうではなく」
「ああ、一応は。さっき全部吐いたので平気ですし」
服のほこりを払って、ギーシュはモンモランシーに歩み寄った。
真っ赤な髪が普段の金色に戻る。
「まあ何でもいいさ、無事でよかった」
そうつぶやくと髪をかきあげ――
――フラリと傾いだ。
「ギーシュ!」
慌てて駆け寄ったモンモランシーに支えられ、ギーシュは頭を振った。
「大丈夫だよ、精神力を使いすぎただけでね」
ギーシュはモンモランシーの肩に手を置きよろよろと立ち上がる。
「まあそれでもこれくらいはできるさ」
ひゅうんと振るわれた左手から放たれた剣が、コルベールの背後の焼死体を貫いた。
「がああああ!」
焼死体のはずのそれ、メンヌヴィルが血を吐きうごめく。
ボロボロと焼け焦げた服や皮膚、肉がボロボロと崩れ落ち、その下からきれいな真皮がのぞいていた。
「やっぱり生きていたか」
「てめ、何でわかっ、がっ」
「あなたはさっき“人狼と同じ”と言った。なら当然再生能力もあるだろう? 父が戦った人狼は失った腕を生やして見せた」
「く、くはは、かふっ、小僧、名前は」
「さっきも名乗ったろう? 僕はギーシュ・ド・グラモン、誇り高きグラモン家の第四子だ」
「……ああ、あの髭の息子か」
「父を知っているのか?」
思わず身を乗り出すギーシュに、血まみれのメンヌヴィルは笑みを向ける。
「一度戦場でやりあったことがある。完敗だったよ。強かっがふっ」
メンヌヴィルは真っ黒な血を吐き出した。
「流石はやつの息子だ小僧。誇れ」
「それは僕にとって最高の栄誉だよ」
「ククク、そうかい」
口からあふれる血の量、メンヌヴィルは笑った。
「ひとつだけいいこと教えてやるよギーシュ」
「いいこと?」
握った右のこぶしを胸の上へ。
「この“イヌイヌの実”はな、ある方にもらったものだ」
最期に大きく血を吐き出し、メンヌヴィルはこと切れた。
戦場は膠着していたといっていい。
モット伯の石油の白鳥が船を穿つ穿つ穿つ。
だがなんにせよ大きすぎる質量、足止めはできてもそれ以上は困難なままだった。
「くぞ! 土のメイジは!」
「もう無理です!」
「子爵! こちらもそろそろ打ち止めだぞ!」
「くたばれやああ!」
杖を下げたモット伯にここぞとばかりに突っ込む用兵メイジたち。
「白鳥アラベスク!」
「がふん!」
一撃を食らい吹き飛ぶ傭兵その一。
「どちらにせよこのままではジリ貧だ!」
「増援はまだか!」
叫ぶ男たちの耳に響く、すんだ声。
「なら手を貸してあげましょう」
直後巨大な風の塊が、船の動力を打ち抜いた。
唖然とするトリステイン軍の前で、次々と衝撃波が船を打ち抜き吹き飛ばす。
大陸の外に押しやられた軍艦は、ついで打ち込まれる風の砲弾に粉々に破壊された。
「もう少ししっかりしてくれなくては。そんなざまでは娘は差し上げられませんわ」
その女性はそれだけ言い捨てると、人ごみの中にまぎれて消えた。
「……子爵、彼女は?」
呆然とするモット伯に、ワルドは脂汗を流し顔を引きつらせながら振り返る。
「もしかしたら私の義母になる方、あの“烈風・カリン”その人です」
「あれが……なんという威圧感か」
「ああ、情けないざまを見られてしまった……」
地下に走る坑道を男は逃げていた。
その手に持つのは金銀財宝。
「くそくそくそ! こんなはずでは!」
男の名はリッシュモン、賄賂のために国すら売る売国奴だった。
彼はどこからかぎつけたのかレコン・キスタとのつながりをマザリーニに見つけ出され、ほうほうのていで逃げる最中だった。
「もう少し、もう少しでトリステインは私のものになったのに!」
「それは残念だな法院長」
静かな声が道の先の闇の中から響いた。
「誰だ!」
「私ですよ法院長」
ゆらりと闇から生まれるように現れる女が一人。
「ふん、アニエスか。そこをどけ!」
「できません。反逆者を捕まえるのも仕事のうちですから」
「……平民風情が!」
一瞬の詠唱で放たれるフレイムボール、ほんの一拍子でアニエスは炎に包まれた。
「平民の小娘が! すこしは分をわきまえ「熱いんだ……」なにい!?」
炎の中燃え盛るアニエス、だがその体も装飾品もすべて焦げてはいない。
「貴様は忘れているだろうが、私は生き残りなのだよ、タングテールの虐殺の!」
「あ、あれは疫病が「黙れ!」ヒッ」
燃え盛る炎に包まれたまま、アニエスは前進する。
「言い訳も弁解ももういらない! うずくんだよ、あの日に焼かれた腹の傷が! 敵をとれと! お前たちを殺せと!」
「ま、待て、話し合おう、な、な?」
「黙れ黙れ黙れ! お前の黒焼きを「まあ待てアニエス」! マザリーニ様!」
ゆっくりと、アニエスの背後から現れるマザリーニ。
「“鳥の骨”! 貴様あ!」
「いいかアニエス」
リッシュモンを完全に無視し、マザリーニはアニエスに声をかける。
「首から上は残せ。誰の死体かわからんのは困る」
「マ、マザリーニイイイイイイイ!」
「やまかしいぞリッシュモン。おとなしく燃えて死ね」
坑道の中、男の断末魔が少しだけ響き、そして消えた。
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