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「新約・使い魔くん千年王国 第三章 水と風」(2007/11/16 (金) 18:31:08) の最新版変更点
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『水の精霊』の頼みを受け、一行はガリア側の岸辺へ向かう事になった。
とりあえず村に戻って事情を説明し、準備を整える。一周すれば200リーグはあろう湖の対岸に向かうのだ。
舟で行けば、数時間はかかるのではないか。空を飛ぶ『魔女のホウキ』はあるのだが。
「それにしても、水底まで襲ってくるメイジなんて、かなりの使い手よ」
「系統は、なんだろうな。二年半前にも同じような事があったのかも知れない」
「おそらく、『風』ね。火は当然水中では使えないし、土は沈んでしまうだけ。
水メイジなら水中でも呼吸できるけど、『水の精霊』は水に触れただけで相手を操れる。
でも『風』なら、周囲に空気の球を作って水に触れずに行動できるもの」
風か。ワルドの件もあり、手強いイメージがある。トライアングル級だろうか。
「だけど、いくら相当の使い手でも、『水の精霊』のテリトリーまで降りていって喧嘩を売るなんて!
スクウェア級のメイジか、よほどの命知らずか。空気の球を潰されたら確実に死ぬのよ!」
ならば、『水の精霊』やヴォジャノーイの助力も仰げるという事かも知れない。
とは言え、独力で解決する方が望ましいだろう。
ぱしゃぱしゃと足音をさせて、松下は湖面を歩き出す。濡れているのは靴底だけだ。
「ちょ、ちょっと! あんた、そんな事もできたの!?」
「ぼくを誰だと思っている、『東方の神童』だぞ。これぐらいの術はできて当然だ。
湖の様子を見がてら、歩いて渡ってみる。差し渡し30リーグほどだろう、半日で着く。
きみはモンモランシーやギーシュたちと一緒に、ホウキで渡ってきたまえ」
《…逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、
(イエスは)湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。
弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。
…しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい、私だ。恐れることはない」と言われた。
イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた》
(新約聖書『マルコによる福音書』第六章より)
その前の夜、トリスタニアの王宮にて。
新女王アンリエッタは無数の公務に忙殺され、しばらく寝る暇もない日々だった。
ようやく仮眠が取れる。亡き父王の寝室にある巨大なベッドで、アンリエッタはうつ伏していた。
明日の朝も早い。ゲルマニアの大使との折衝が控えている。疲労を顔に出しては見くびられる。
この頃は栄養ドリンク代わりに酒量が増えた。二日酔いは水の魔法で消せるが、積もる疲労は癒し難い。
「はぁ…………疲れた」
さしもの腹黒女王も、人間だ。弱音の一つも吐きたいが、吐き出す相手がいない。
枢機卿は厳しいし、護衛や女官に吐けば外国の間諜に伝わるだろう。幼馴染の友達は、外出中だという。
年頃の娘だというのに……私は、ほとんど色恋もした事がない。王族に、まして女王に滅多な恋愛はできない。
すぐスキャンダルの種にされ、戦争の道具だ。結婚は政治の一環でしかない。
王座の重圧に精神が擦り切れそうになり、またワインの杯に手が伸びる。
扉が、ノックされる。また仕事か。億劫そうにガウンを羽織り、誰何する。
「ラ・ポルト侍従長? それとも枢機卿? 名乗りなさい、また厄介ごとですか?」
だが、返事はない。すっと杖を引き寄せ、語調を強める。
「誰ですか? 名乗りなさい! こんな夜更けに女王の寝室を訪問するのです、名乗らないという法はありませんよ。
無礼者、と叫んで人を呼びましょうか?」
「僕だよ、アンリエッタ。この扉を開けておくれ」
………幻聴だ。酒の飲み過ぎだ。彼は確かに、死んだと報告されたのだから。
しかし、アンリエッタの胸には期待もあった。この声は確かに、あの恋人、愛しの皇太子。
「ウェールズだ。きみの従兄、アルビオンのウェールズだ」
「本当に、ウェールズさま? いいえ、あの方は裏切り者の手にかかって、亡くなられたはず」
形見の『風のルビー』もここにある。嘘だ、嘘だ、敵の謀略だ。
「死んだのは影武者さ。きみの大使、ミス・ヴァリエールの使い魔くんは、たいした策士だったよ。
敵を欺くにはまず味方から。では、僕がウェールズだという証拠を『聞かせよう』」
アンリエッタは震える。おお、この声、この瑞々しい命の波動は、間違えようはずがない。
「風吹く夜に」
「水の誓いを」
ラグドリアンの湖畔で、何度も交わした、二人しか知らない合言葉。
アンリエッタが扉を開くと、懐かしい笑顔が待っていた。
「おお、ウェールズさま……よくぞ、ご無事で」
あとは、声が震えて話が続かない。胸に顔を埋め、若き女王は泣き暮れる。
「心配をかけたね、アンリエッタ。相変わらず泣き虫だ」
「てっきり貴方は死んだものと……。もっと早くにいらして下されば、よかったのに」
「敗戦の後、巡洋艦に乗って大陸へ落ち延びた。敵に居場所を悟られないよう、ごく僅かな部下とともに、
何度も隠れ家を変えながらトリステインの森に潜んでいた。城下にやって来たのは、二日前さ」
皇太子の手紙を届けてくれたのは、あのルイズの使い魔であるマツシタ少年だった。
彼は偽の手紙を敵に取らせ、本物を持ち帰った。ならば、この殿下も……。
「きみが一人でいられる時間を調べるため、待たせてしまったね。まさか白昼堂々と、謁見待合室に並ぶわけにもいかないだろう?」
「意地悪ですわ、ウェールズさま。どんなに私が悲しみ、寂しく辛い日々を送ったか、男の方には分からないのね」
「分かっているから、こうやってお忍びで来たんじゃあないか。愛しているよ、アンリエッタ」
二人はしばし抱き合う。やがてアンリエッタが口を開いた。
「ご遠慮なさらず、この城にご滞在下さいな。艦隊に大ダメージを受けた『レコン・キスタ』には、
今のところ我が国に攻め込む力はございませんもの。やがては情勢を整えて、貴方を旗頭に押し立て、
各国と連合して王政復古の義軍を起こし、誇り高きテューダー王家の旗を再び翻らせましょう!」
勇ましい女王に、ウェールズも苦笑する。
「おお、アンリエッタ。すっかり女王陛下が板についたじゃあないか。
けれど、トリステイン一国では、遠くアルビオンへ攻め込むことは不可能だ。
だから僕は、ゲルマニアやガリアとも連合しなければならないと思っている」
「そのために、現在私が寝る間も惜しんで折衝中ですわ。貴方さえいれば、各国もノンとは言えませぬ」
ウェールズは肯いて、続ける。
「僕も、ガリアのさる高位の貴族と連絡を取ることに成功した。信頼できる相手さ。
国境の『ラグドリアン湖』で密かに会見する手筈になっている。ついてはきみも臨席して欲しい」
「ああ、貴方と誓約したあの湖で、王政復古を誓えるのですね。万一に備え、近衛兵もお付けしましょう。
今夜はゆっくりお休み下さい。愛を語らいたいのは山々なのですけれど……」
「明日出発では間に合わないんだ。今すぐ行こう」
ウェールズはアンリエッタをぐいっと抱き寄せ、唇を奪うとともに魔法の秘薬を含ませる。
幸せな気分のまま、女王は眠りに落ちた。
深夜。ラグドリアン湖の広大な水面に、双月が映える。
「ルイズ。何か気配がする、注意しろ。『占い杖』も動き出した」
湖畔の森の中、小声で松下が呟く。ルイズも無言で肯き、モンモランシーたちを制する。
敵だ。相手はおそらく、風のトライアングル級。何人いるのかは、『全にして個』なる精霊には分からなかった。
だが、そう大人数でもないだろう。
人影が岸辺に現れた。漆黒のローブを纏い、深くフードを被って顔を隠している。
人数は二人。やや長身のメイジと、かなり小柄なメイジ。二人は水辺に立って、小柄な方が風の系統魔法を唱え始める。
「あれだな。よし、奇襲をかけよう。ギーシュとヴェルダンデは、地中から奴らの足元に陥穽を掘るのだ。
モンモランシーはお得意の水中戦に持ち込むため、そこから湖の中に入っていろ。やばそうならヴォジャノーイを呼べ。
ルイズは……ロビンと連絡係をしていろ。重要な役だ」
「私、蛙は嫌いなんだけど……まあいいわ、行ってらっしゃい。事情を聞きたいから、殺しちゃダメよ」
「言われるまでもない」
松下は、茂みに巣を張っていた『蜘蛛』を何匹か捕まえていた。
それらに何事か呟き、ぱあっと空中に放り投げる。蜘蛛たちは一斉に糸を噴き出し、丈夫な網がふわりと二人を襲う。
「『エア・ハンマー』!!」
「『ファイアー・ボール』!!」
小柄な方から風の槌が、長身の方から火の玉が飛んで、網を破壊する。
声からすると、二人とも女性。しかもまだ若い。
その足元に、ガボッっと大穴が開く。二人は咄嗟に飛びのき、距離を取る。
「待ち伏せとはね! ヴォジャノーイたちも、知恵をつけてきたってわけ!?」
「排除する」
二人は杖を構えるが、その声音は確かに聞き覚えがあった。
「待て! きみたちは、タバサとキュルケか!?」
「え? まさか……マツシタくんと、ルイズ!?」
呆気に取られ、一同は顔を見合わせた。
「………なるほど、そう言うわけだったのね。二人とも、すっかり人間をやめてしまって……。
まるで実家で見た『東方』の絵巻物ね。トバ大司教の筆だなんて書いてあったけど、大司教があんなの描くのかしら」
「まあ、きみたちで良かった。事情は知らないが、精霊を攻撃するのは中止してくれ」
「……任務。この一帯には、私の実家の領地もある」
「ええっ、そうだったのタバサ! でも、精霊から事情を聞き出せれば、きっと水も引くわよ。ね、マツシタ」
本当はガリア王家からの任務で、『水の精霊の涙』を持って来いという難題だったのだが、タバサは隠した。
それに、かの秘薬があれば、母の毒も除去できるかも知れない。タバサにも『水』系統の心得はある。
「……と言うわけで、きみを襲撃するメイジは攻撃をやめた。さあ、『誓約』を果たしてくれ」
《よかろう。その、青い毛の個体が密かに所望する『欠片』も、ついでにくれてやる》
精霊の体から、《涙》が三滴切り取られ、ふわふわと落ちてくる。松下とタバサは、それを用意しておいた小瓶に入れる。
「さて、もう一つ。きみが水嵩を増やしていたのは、いったいなぜだ?
事と次第によっては、我々が協力できるかも知れないぞ」
精霊はぐねぐねと蠢き、躊躇うような動きをする。
《……話して良いものか、我は悩む。しかし、我との誓約を護ったならば、信用して話すとしよう。
……我が悠久の昔より護りし秘宝、『アンドバリの指輪』を、お前たちの種族が盗んだのだ》
秘宝盗賊か。フーケといい、どうも縁がある。まさか土メイジではなかろうが。
《我が暮らす最も濃き水底より、秘宝が盗まれたのは、月が30ほど交差する前の夜であった。
個体の一人の呼称は、確か『クロムウェル』と発音されていた》
「クロムウェル、か。例の『レコン・キスタ』の親玉だな」
「おおよそ2年半前ね。それ以来、水嵩が増えだしたってわけ……」
《我は復讐したいわけではない。無礼者には怒るが、そのような無益な感情を我は持たぬ。
ただ、秘宝を取り戻したいだけ。水が大地を再び覆い尽くすその夜には、我が体が秘宝の在処を知るであろう》
なんとも気の長い話だ。年に10メイルずつ侵食したところで、ハルケギニア全土を水没させるのに何千年かかるのだ。
《我とお前たちでは、存在と時間に対する概念が異なる。
我にとって全は個、個は全。過去も未来も、我は変わらず存在する。死も消滅も我にはない。
いつから我が存在していたか、我も他も知らない。お前たちの始祖、ブリミルさえも》
哲学的な精霊だ。黄金の種子でも撒いて、梵天を懐胎させてやろうか。
世界の初めに水(海)があり、創造者が水底から土を引き上げて大地とする神話は、世界中にある。
この『水の精霊』がいるからこそ、トリステイン王家には『水のルビー』が伝えられたのだろう。
「『アンドバリの指輪』ね。確か、偽りの生命を死者に与える、先住の力のマジックアイテム……」
キュルケが呟く。先住魔法と呼ばれる精霊の力は、ハルケギニアの人類にとって、始祖以来の脅威なのだ。
《然り。死を恐れるお前たち定命の存在にとって、魅力的なものではあるのだろう。
しかしながら、旧き水の力が与え得るのは、所詮仮初の命であって益にはならぬ。
指輪を使った者に個々が従い、同一の意思を持つように動くという。お前たちは、不便なものだな》
クロムウェルが一介の司教から神聖皇帝に成り上がったのも、それが絡んでいるのかも知れない。
松下は両手を掲げ、精霊に呼びかける。
「よかろう、クロムウェルは我々の敵でもある。いずれ指輪を取り戻してくるとしよう」
《溜め込んだ水の力を使い果たせば、指輪の宝石は溶けて蒸発する。まあ、それでもかまわぬ。
お前たちの定命が尽きるまでに持って来れば、よしとしよう。明日も千年後も我には変わらぬ……》
言い終わると、精霊は波音を立てて水底へ去って行った。
(つづく)
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『水の精霊』の頼みを受け、一行はガリア側の岸辺へ向かう事になった。
とりあえず村に戻って事情を説明し、準備を整える。一周すれば200リーグはあろう湖の対岸に向かうのだ。
舟で行けば、数時間はかかるのではないか。空を飛ぶ『魔女のホウキ』はあるのだが。
「それにしても、水底まで襲ってくるメイジなんて、かなりの使い手よ」
「系統は、なんだろうな。二年半前にも同じような事があったのかも知れない」
「おそらく、『風』ね。火は当然水中では使えないし、土は沈んでしまうだけ。
水メイジなら水中でも呼吸できるけど、『水の精霊』は水に触れただけで相手を操れる。
でも『風』なら、周囲に空気の球を作って水に触れずに行動できるもの」
風か。ワルドの件もあり、手強いイメージがある。トライアングル級だろうか。
「だけど、いくら相当の使い手でも、『水の精霊』のテリトリーまで降りていって喧嘩を売るなんて!
スクウェア級のメイジか、よほどの命知らずか。空気の球を潰されたら確実に死ぬのよ!」
ならば、『水の精霊』やヴォジャノーイの助力も仰げるという事かも知れない。
とは言え、独力で解決する方が望ましいだろう。
ぱしゃぱしゃと足音をさせて、松下は湖面を歩き出す。濡れているのは靴底だけだ。
「ちょ、ちょっと! あんた、そんな事もできたの!?」
「ぼくを誰だと思っている、『東方の神童』だぞ。これぐらいの術はできて当然だ。
湖の様子を見がてら、歩いて渡ってみる。差し渡し30リーグほどだろう、半日で着く。
きみはモンモランシーやギーシュたちと一緒に、ホウキで渡ってきたまえ」
《…逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、
(イエスは)湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。
弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。
…しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい、私だ。恐れることはない」と言われた。
イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた》
(新約聖書『マルコによる福音書』第六章より)
その前の夜、トリスタニアの王宮にて。
新女王アンリエッタは無数の公務に忙殺され、しばらく寝る暇もない日々だった。
ようやく仮眠が取れる。亡き父王の寝室にある巨大なベッドで、アンリエッタはうつ伏していた。
明日の朝も早い。ゲルマニアの大使との折衝が控えている。疲労を顔に出しては見くびられる。
この頃は栄養ドリンク代わりに酒量が増えた。二日酔いは水の魔法で消せるが、積もる疲労は癒し難い。
「はぁ…………疲れた」
さしもの腹黒女王も、人間だ。弱音の一つも吐きたいが、吐き出す相手がいない。
枢機卿は厳しいし、護衛や女官に吐けば外国の間諜に伝わるだろう。幼馴染の友達は、外出中だという。
年頃の娘だというのに……私は、ほとんど色恋もした事がない。王族に、まして女王に滅多な恋愛はできない。
すぐスキャンダルの種にされ、戦争の道具だ。結婚は政治の一環でしかない。
王座の重圧に精神が擦り切れそうになり、またワインの杯に手が伸びる。
扉が、ノックされる。また仕事か。億劫そうにガウンを羽織り、誰何する。
「ラ・ポルト侍従長? それとも枢機卿? 名乗りなさい、また厄介ごとですか?」
だが、返事はない。すっと杖を引き寄せ、語調を強める。
「誰ですか? 名乗りなさい! こんな夜更けに女王の寝室を訪問するのです、名乗らないという法はありませんよ。
無礼者、と叫んで人を呼びましょうか?」
「僕だよ、アンリエッタ。この扉を開けておくれ」
………幻聴だ。酒の飲み過ぎだ。彼は確かに、死んだと報告されたのだから。
しかし、アンリエッタの胸には期待もあった。この声は確かに、あの恋人、愛しの皇太子。
「ウェールズだ。きみの従兄、アルビオンのウェールズだ」
「本当に、ウェールズさま? いいえ、あの方は裏切り者の手にかかって、亡くなられたはず」
形見の『風のルビー』もここにある。嘘だ、嘘だ、敵の謀略だ。
「死んだのは影武者さ。きみの大使、ミス・ヴァリエールの使い魔くんは、たいした策士だったよ。
敵を欺くにはまず味方から。では、僕がウェールズだという証拠を『聞かせよう』」
アンリエッタは震える。おお、この声、この瑞々しい命の波動は、間違えようはずがない。
「風吹く夜に」
「水の誓いを」
ラグドリアンの湖畔で、何度も交わした、二人しか知らない合言葉。
アンリエッタが扉を開くと、懐かしい笑顔が待っていた。
「おお、ウェールズさま……よくぞ、ご無事で」
あとは、声が震えて話が続かない。胸に顔を埋め、若き女王は泣き暮れる。
「心配をかけたね、アンリエッタ。相変わらず泣き虫だ」
「てっきり貴方は死んだものと……。もっと早くにいらして下されば、よかったのに」
「敗戦の後、巡洋艦に乗って大陸へ落ち延びた。敵に居場所を悟られないよう、ごく僅かな部下とともに、
何度も隠れ家を変えながらトリステインの森に潜んでいた。城下にやって来たのは、二日前さ」
皇太子の手紙を届けてくれたのは、あのルイズの使い魔であるマツシタ少年だった。
彼は偽の手紙を敵に取らせ、本物を持ち帰った。ならば、この殿下も……。
「きみが一人でいられる時間を調べるため、待たせてしまったね。まさか白昼堂々と、謁見待合室に並ぶわけにもいかないだろう?」
「意地悪ですわ、ウェールズさま。どんなに私が悲しみ、寂しく辛い日々を送ったか、男の方には分からないのね」
「分かっているから、こうやってお忍びで来たんじゃあないか。愛しているよ、アンリエッタ」
二人はしばし抱き合う。やがてアンリエッタが口を開いた。
「ご遠慮なさらず、この城にご滞在下さいな。艦隊に大ダメージを受けた『レコン・キスタ』には、
今のところ我が国に攻め込む力はございませんもの。やがては情勢を整えて、貴方を旗頭に押し立て、
各国と連合して王政復古の義軍を起こし、誇り高きテューダー王家の旗を再び翻らせましょう!」
勇ましい女王に、ウェールズも苦笑する。
「おお、アンリエッタ。すっかり女王陛下が板についたじゃあないか。
けれど、トリステイン一国では、遠くアルビオンへ攻め込むことは不可能だ。
だから僕は、ゲルマニアやガリアとも連合しなければならないと思っている」
「そのために、現在私が寝る間も惜しんで折衝中ですわ。貴方さえいれば、各国もノンとは言えませぬ」
ウェールズは肯いて、続ける。
「僕も、ガリアのさる高位の貴族と連絡を取ることに成功した。信頼できる相手さ。
国境の『ラグドリアン湖』で密かに会見する手筈になっている。ついてはきみも臨席して欲しい」
「ああ、貴方と誓約したあの湖で、王政復古を誓えるのですね。万一に備え、近衛兵もお付けしましょう。
今夜はゆっくりお休み下さい。愛を語らいたいのは山々なのですけれど……」
「明日出発では間に合わないんだ。今すぐ行こう」
ウェールズはアンリエッタをぐいっと抱き寄せ、唇を奪うとともに魔法の秘薬を含ませる。
幸せな気分のまま、女王は眠りに落ちた。
深夜。ラグドリアン湖の広大な水面に、双月が映える。
「ルイズ。何か気配がする、注意しろ。『占い杖』も動き出した」
湖畔の森の中、小声で松下が呟く。ルイズも無言で肯き、モンモランシーたちを制する。
敵だ。相手はおそらく、風のトライアングル級。何人いるのかは、『全にして個』なる精霊には分からなかった。
だが、そう大人数でもないだろう。
人影が岸辺に現れた。漆黒のローブを纏い、深くフードを被って顔を隠している。
人数は二人。やや長身のメイジと、かなり小柄なメイジ。二人は水辺に立って、小柄な方が風の系統魔法を唱え始める。
「あれだな。よし、奇襲をかけよう。ギーシュとヴェルダンデは、地中から奴らの足元に陥穽を掘るのだ。
モンモランシーはお得意の水中戦に持ち込むため、そこから湖の中に入っていろ。やばそうならヴォジャノーイを呼べ。
ルイズは……ロビンと連絡係をしていろ。重要な役だ」
「私、蛙は嫌いなんだけど……まあいいわ、行ってらっしゃい。事情を聞きたいから、殺しちゃダメよ」
「言われるまでもない」
松下は、茂みに巣を張っていた『蜘蛛』を何匹か捕まえていた。
それらに何事か呟き、ぱあっと空中に放り投げる。蜘蛛たちは一斉に糸を噴き出し、丈夫な網がふわりと二人を襲う。
「『エア・ハンマー』!!」
「『ファイアー・ボール』!!」
小柄な方から風の槌が、長身の方から火の玉が飛んで、網を破壊する。
声からすると、二人とも女性。しかもまだ若い。
その足元に、ガボッっと大穴が開く。二人は咄嗟に飛びのき、距離を取る。
「待ち伏せとはね! ヴォジャノーイたちも、知恵をつけてきたってわけ!?」
「排除する」
二人は杖を構えるが、その声音は確かに聞き覚えがあった。
「待て! きみたちは、タバサとキュルケか!?」
「え? まさか……マツシタくんと、ルイズ!?」
呆気に取られ、一同は顔を見合わせた。
「………なるほど、そう言うわけだったのね。二人とも、すっかり人間をやめてしまって……。
まるで実家で見た『東方』の絵巻物ね。トバ大司教の筆だなんて書いてあったけど、大司教があんなの描くのかしら」
「まあ、きみたちで良かった。事情は知らないが、精霊を攻撃するのは中止してくれ」
「……任務。この一帯には、私の実家の領地もある」
「ええっ、そうだったのタバサ! でも、精霊から事情を聞き出せれば、きっと水も引くわよ。ね、マツシタ」
本当はガリア王家からの任務で、『水の精霊の涙』を持って来いという難題だったのだが、タバサは隠した。
それに、かの秘薬があれば、母の毒も除去できるかも知れない。タバサにも『水』系統の心得はある。
「……と言うわけで、きみを襲撃するメイジは攻撃をやめた。さあ、『誓約』を果たしてくれ」
《よかろう。その、青い毛の個体が密かに所望する『欠片』も、ついでにくれてやる》
精霊の体から、《涙》が三滴切り取られ、ふわふわと落ちてくる。松下とタバサは、それを用意しておいた小瓶に入れる。
「さて、もう一つ。きみが水嵩を増やしていたのは、いったいなぜだ?
事と次第によっては、我々が協力できるかも知れないぞ」
精霊はぐねぐねと蠢き、躊躇うような動きをする。
《……話して良いものか、我は悩む。しかし、我との誓約を護ったならば、信用して話すとしよう。
……我が悠久の昔より護りし秘宝、『アンドバリの指輪』を、お前たちの種族が盗んだのだ》
秘宝盗賊か。フーケといい、どうも縁がある。まさか土メイジではなかろうが。
《我が暮らす最も濃き水底より、秘宝が盗まれたのは、月が30ほど交差する前の夜であった。
個体の一人の呼称は、確か『クロムウェル』と発音されていた》
「クロムウェル、か。例の『レコン・キスタ』の親玉だな」
「おおよそ2年半前ね。それ以来、水嵩が増えだしたってわけ……」
《我は復讐したいわけではない。無礼者には怒るが、そのような無益な感情を我は持たぬ。
ただ、秘宝を取り戻したいだけ。水が大地を再び覆い尽くすその夜には、我が体が秘宝の在処を知るであろう》
なんとも気の長い話だ。年に10メイルずつ侵食したところで、ハルケギニア全土を水没させるのに何千年かかるのだ。
《我とお前たちでは、存在と時間に対する概念が異なる。
我にとって全は個、個は全。過去も未来も、我は変わらず存在する。死も消滅も我にはない。
いつから我が存在していたか、我も他も知らない。お前たちの始祖、ブリミルさえも》
哲学的な精霊だ。黄金の種子でも撒いて、梵天を懐胎させてやろうか。
世界の初めに水(海)があり、創造者が水底から土を引き上げて大地とする神話は、世界中にある。
この『水の精霊』がいるからこそ、トリステイン王家には『水のルビー』が伝えられたのだろう。
「『アンドバリの指輪』ね。確か、偽りの生命を死者に与える、先住の力のマジックアイテム……」
キュルケが呟く。先住魔法と呼ばれる精霊の力は、ハルケギニアの人類にとって、始祖以来の脅威なのだ。
《然り。死を恐れるお前たち定命の存在にとって、魅力的なものではあるのだろう。
しかしながら、旧き水の力が与え得るのは、所詮仮初の命であって益にはならぬ。
指輪を使った者に個々が従い、同一の意思を持つように動くという。お前たちは、不便なものだな》
クロムウェルが一介の司教から神聖皇帝に成り上がったのも、それが絡んでいるのかも知れない。
松下は両手を掲げ、精霊に呼びかける。
「よかろう、クロムウェルは我々の敵でもある。いずれ指輪を取り戻してくるとしよう」
《溜め込んだ水の力を使い果たせば、指輪の宝石は溶けて蒸発する。まあ、それでもかまわぬ。
お前たちの定命が尽きるまでに持って来れば、よしとしよう。明日も千年後も我には変わらぬ……》
言い終わると、精霊は波音を立てて水底へ去って行った。
(つづく)
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