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「ゼロのガンパレード 22」(2008/03/16 (日) 16:50:48) の最新版変更点
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目の前の光景に、カステルモールは我知らず微笑を浮かべていた。
金髪の少年に食って掛かる桃色の髪の少女と、それを見守る友人たち。
その一人である青い髪の少女が浮かべたその表情。
それは満面と呼ぶには遠いほど微かで、しかもすぐに消えてしまいはしたが、
少女を真の主と仰ぐ派閥の者にとっては充分すぎるものだった。
姫が、シャルロットが笑った。笑うことが出来た。
ガリアでその少女と会った時の事を思い出す。
イザベラに王冠を被せられても、自分に魔法をかけられても動かなかったその表情。
人形娘と呼ばれても何も言い返さず、忠誠を告げるその声にも何ら動揺を見せなかったその瞳。
主君のその姿に、カステルモールはどれだけ心を痛めたことか。
無意識に手に力が入り、掌に触れた何かを握り締める。
これまで彼は主君がトリスタニアの魔法学院にいることを快く思ってはいなかった。
そうまでして厄介払いがしたいのかと腹立たしくも思っていた。
だがそれは今や初雪のように消えうせ、彼女が魔法学院に赴いたことを、友人を得ることが出来たことを、
そして何よりも彼女が再び笑みを浮かべるようになったことを始祖ブリミルに感謝した。
/*/
一方、イザベラは同じ光景に我が目を疑った。
あの人形娘が笑みを浮かべるだなんて。
今までどれだけ嫌がらせをしても、どんな任務を与えても無表情だったあの子が、
しかもイザベラはその笑顔に見覚えがあった。
それはまだ彼女とシャルロットとが幼かった頃の思い出。
困ったように自分を見ていた優しい、活発な従妹姫がよく浮かべていた苦笑だった。
背筋を冷たいものが走る。
イザベラは確かにシャルロットを嫌ってはいたが、それはここ数年のことに過ぎない。
アルビオンに赴く前に父ジョゼフが言ったように、確かにイザベラとシャルロットが仲睦まじかった頃もあったのだ。
それが壊れたのは一体何時のことなのか。
イザベラはその時のことを今でも憶えている。
優しかった叔父の葬式。国を挙げての式典。
警護の目を盗んでシャルロットの元へ赴いた幼いイザベラ。
伯母やその侍従は式典の準備で忙しく、その部屋に居たのは無言で椅子に座る少女だけだった。
近づいて声をかけた。泣いているなら慰めてやろうと思った。
なぜなら自分はシャルロットよりも年上で、お姉ちゃんは妹を守るものだからだ。
伯父上はそう言っていつもわたしの頭を撫ぜてくれたのだから。
だから、今度は自分がシャルロットにそうしてやる番なのだ。
ところが、従妹姫からは何の返答も帰ってこなかった。
声をかけても何も答えず、肩を掴んで揺さぶっても、なんら動こうともしなかった。
それがイザベラとシャルロットの終わりであり、イザベラとタバサの始まりだった。
笑わせようとしても笑わない少女にイザベラは怒り、やがてなんとかしてその無表情を崩してやろうと躍起になった。
初めは歌を聞かせ劇を見せ、それでも無表情を崩さぬ少女に激昂した。
何度も叩き、嫌がらせのようなことを始めた。
笑わないならば、せめて嫌がる顔を見てやろうと思った。
人形ではなく、人間としての顔をもう一度見たかった。
周囲の人間はそれを見て、イザベラは従妹を嫌っているのだと信じた。
昔の二人を知っている者は彼女の周囲にはいなかった。
その人々はシャルロットの父シャルルを知っており、それゆオルレアン公派として蟄居あるいは解雇されてしまったからだ。
新しくイザベラに仕えた人々は噂した。
魔法の才能がないイザベラは、才能豊かなシャルロットを嫉んでいるのだと。
やがて時間が過ぎ去り、イザベラもまたかつての自分を忘れた。
従妹の笑顔を見たいと言う気持ちは、鉄面皮を崩さぬ従妹に対する苛立ちに取って代わられた。
姉として妹を見る優しさは、自分の気持ちを受け入れぬ少女への憎しみに成長した。
周囲の人間の態度もそれを助長した。
彼らはイザベラのシャルロットへの態度を良しとせず、しかし諫言することもなかった。
ただ彼らは、機械的にイザベラに仕えた。
前任者たちの末路を知る彼らにとって見ればそれが最も賢いやり方だったからだ。
そんな彼らでも、事あるにつけシャルロットを庇う姿勢を見せた。
彼らにして見れば我が侭な姫に嫌がらせをされる少女に同情するのは当然のことだった。
だがイザベラはそうは見なかった。
なぜ自分とシャルロットを見る家臣の目が違うのか。
同じ王家に生まれながら、なぜ皆はシャルロットを選ぶのか。
同じ血筋を持つ自分と彼女の違いは何なのか。
イザベラに思いつけたのは魔法の才能の有無だけだった。
才能に恵まれぬ自分とは違い、シャルロットは若くしてトライアングルメイジの力を持った。
それ故にこそ、皆はあの人形娘を敬うのだ。そうに違いない。
イザベラは父に願い出て、北花壇騎士団長の地位を得た。そしてシャルロットを部下にした。
従妹よりも自分が上位なのだと公式に示したのだ。
なのに、誰も自分を敬おうとはしなかった。
それどころか今まで以上にシャルロットに同情的な姿勢を見せた。
もはやイザベラの味方は誰もいなかった。
「シャル、ロット――――?」
泣きそうな、か細い声が聞こえる。
イザベラはそれが自分の声だとは信じられなかった。
騎士団長である自分が、一国の姫である自分がそんな声を出すだなんて。
まるで拭われたようにシャルロットの顔から笑みが消えた。
いつも通りの鉄面皮で、人形のようにイザベラを見た。
ぐらり、と視界が揺れるような感覚が彼女を襲った。
恐ろしい考えが頭を過ぎる。
もしかすると、シャルロットは自分のいない場所ではかつてと同じ笑みを浮かべていたのか。
自分の、人形ではない彼女を見たいと言う気持ちを、踏みにじって笑っていたのか。
もしもそうだというのならば。
それでは、自分は、とんだ道化ではないか――――!
ふらつく足元に我知らず伸ばした手がカステルモールの掌に触れ、次の瞬間には握り返された。
驚いて顔を上げれば、微笑を浮かべる彼女の騎士の姿があった。
「――――カステル、モール」
その瞳は未だにシャルロットを見ており、意識してイザベラの手を握ったのかすら定かではなかったが、
それでも彼女には伸ばした手を握り返してくれる存在がいたことで充分だった。
そっと目を伏せる。彼がシャルロットを気にかけているのは知っていた。
オルレアン公派だということだって解っていた。
なぜなら彼が自分の配下になってからというもの、イザベラはずっとカステルモールのことを見ていたのだから。
アルトーワ泊の園遊会で、自分を抱きしめた腕のたくましさを、かけられた布の優しさを思い出す。
誰もが嘲りながら薄汚れた視線で自分を見ている中で、誰も自分を助けてはくれなかったあの時に、
カステルモールただ一人だけが自分の為に動いてくれたのだ。
それがどれだけ嬉しかったか、どれだけ喜ばしかったか。
例えそれが本来は自分に化けたシャルロットに向けられたものだと知ってはいても関係はなかった。
彼が自分を助けてくれたことに代わりはないのだから。
カステルモールを想うこの気持ちに嘘はない。
そして、カステルモールがシャルロットを想う気持ちにも嘘はないだろう。
深く息を吸い、吐き出すとイザベラは背筋を伸ばした。
解っていたのだ、自分のこの想いが実らぬことなど。
その証拠にカステルモールは、何時だって困ったように自分を見ていたのだから。
抱き上げて運ばせても、呼び捨てにしろと言っても、その態度は変わらなかった。
イザベラの想いに気づかぬ振りをし続けた。
実際は本当に気づいていなかったのだが、彼女にはそこまでは解らなかった。
だがそれでも、カステルモールが傍にいてくれた日々は彼女にとって何物にも替え難い日々だった。
一度だけ目を伏せ、そして開いた。いつも通りの、野卑と称して差し支えない笑みがその頬に浮かぶ。
求めたものはこの温もり。ならばそれを胸に抱いて、最後の時までこの日々を楽しもう。
笑みを浮かべたイザベラを見やった大猫が、楽しげに片眉を上げた。
目に見えぬ、音には聞こえぬ、だがそれでも確かに耀きだしたそれを感じ取ったのだ。
「さて、じゃれあうのはいい加減にしな」
声をかけて一座の注目を集めると、ガリアの王女は常のように傲慢な口調で言った。
「わたしの従妹が世話になってるようだね。まずは自己紹介といこうじゃないか。ええ?」
/*/
ガリアの王都リュティスの東端、ヴェルサルテイル宮殿。
さらにその中心に位置するグラン・トロワと呼ばれる建物の一室で、
現ガリア王ジョゼフ一世は小姓からの報告を面白げに聞いた。
「“両用艦隊”旗艦『シャルル・オルレアン』号。東薔薇花壇騎士団の方々と共に無事出航なされた由にございます」
そうかと手を振って小姓を下がらせ、机の上においた葡萄酒の杯を飲み干す。
その唇が笑みの形を取リ、抑え切れぬ声が洩れた。
今回の騎士団の出陣の名目は、アルビオンに向かったガリア王女イザベラ姫の保護である。
ジョセフには他に子供もおらず、自身の即位後の粛清によって主だった王族はほとんどいない。
唯一の例外が姪に当たるシャルロットだが、彼女もまたアルビオンの地にある。
ガリアとしては王の血が絶えるかも知れぬ事態を静観する事など出来ず、止むに止まれず兵を出したと言う筋書きである。
既にアルビオンを除く諸国の大使にはそのような説明文を送っており、今頃は本国への早馬が走っていることだろう。
なぜ当事国であるアルビオンに説明文を送らぬかといえば、内乱中で政情が定まっていないからに他ならない。
王党派に向けて書状を送っても貴族派に向けても、後々の政治を考えればよろしくない。
例え十中八九貴族派が勝つだろうと言う事が予測できていたとしても、
未だ結果の出ていないこの時期に旗幟を明確にしてしまえば何らかの裏取引があったのではないかと勘繰られる元になるからである。
それに、とジョゼフは新たな葡萄酒を注ぎながら思考する。
もしも『シャルル・オルレアン』号が内乱に巻き込まれれば、シャルロットとイザベラが傷でも負っていれば。
それはガリアがアルビオンの内乱に干渉する絶好の口実となるだろうし、
そうでなくてもトリステインの責任問題を追求できるかも知れぬ。
魔法学院がシャルロットの出発を見逃さなければイザベラがアルビオンに向かうことも、
ガリアが騎士団を派遣することも無かった筈なのだから。
隠してはいるが、東薔薇花壇騎士団の面々がオルレアン公派であることなど知っている。
であるならば、ここで戦力が削がれようとも問題はない。
捨てても惜しくない駒で打てる布石ならば打つのを躊躇う必要などどこにもなかった。
笑いながら手を伸ばし、机の端に置かれた将棋盤を引き寄せる。
駒を弄びながらジョゼフはかつて共に歩んだ指し手を思い出した。
「ああ、シャルル」
弟の名を呼びながら、その葬儀の時に見た娘の瞳を脳裏に思い描いた。
憎悪に染まった、あの青い瞳を。
今にも流れ落ちそうな涙をこらえ、それでもこちらを睨みつけていた幼い瞳を。
憎むべき宿敵に情けをかけられることは、あの娘には耐えようもない屈辱だろう。
イザベラがシャルロットに厳しく当たり、嫌がらせを繰り返していることは知っている。
それを報告された時、ジョゼフは思ったものだ。
我が娘ながらなんとも甘いことだ、と。
彼は知っている。
本当の屈辱とはどういうものなのかを。
それをもたらした者を殺さずにはおれぬ憎悪と怒りを。
今も忘れえぬその声が、彼に屈辱を与えた声が胸に響く。
『おめでとう。兄さんが王になってくれて、ほんとうによかった。ぼくは兄さんが大好きだからね――――』
ああシャルル、我が弟よ。
ジョゼフはもはや思い出の中にしか存在しない弟に語りかけた。
誰からも愛され、尊敬された、我が誇るべき弟、真にガリア王に相応しかった弟よ。
お前には想像もつかなかったのだろうな。
憎み、嫌い、呪っている相手にかけられた情けが、どれほど人に屈辱を与えるかを。
だから俺は、決めたのだ。
あの日、あの時、あの場所で、俺に情けをかけたお前を殺すことを。
そしてその屈辱を知るが故に、その資格のない者に情けなどかけてやらぬと言うことを。
怒りと憎しみで綴られたそれは誓約。
実の弟すらも手にかけた男が、自らと始祖に誓った約束だった。
その誓いに従い、男は国内に粛清の嵐を巻き起こした。
オルレアン公派と呼ばれる貴族たちを官位から外し、あるいは蟄居を命じた。
涙ながらに忠誠を誓う連中を始祖の御許に送り込んだ。
そしてその内の幾人かは貴族としての誇りある死すら認めず、平民の罪人のように処刑台に立たせた。
お慈悲を、と叫ぶ貴族を男は心底から嘲笑った。
かつては王の資格がないと蔑んだその口で、俺の慈悲を乞うか。
誇りよりも生命を取るか。だが誇りを捨てた者は既に貴族ではない。
ならば貴族を僭称した罪はその命で贖ってもらおうか。
逆に従容として意に従った者は勿論のこととして、
あくまでジョゼフではなくオルレアン公こそを主として仰ぐ貴族たちには死を与えず、最低限の生命だけは保障した。
なぜなら彼らは生命よりも誇りを選んだ貴族であり、ガリア王ジョゼフが情けをかけるに値する者たちだったからだ。
結果としてオルレアン公派は地下に潜って今も活動を続けている。
オルレアン公が残した種にジョゼフによって屈辱と言う肥料を注がれた苗木は、その根をガリア全土にはびこらせようとしていた。
そしてその華を咲かせるのは、今は遠くアルビオンにいる彼の姪シャルロット・エレーヌ・オルレアンである筈だった。
いや、そうでなければならなかった。
もう何年も前に失われた、自分自身の手で葬り去った愛しい弟の一人娘。
彼女のことを思えば心が躍る。父にそっくりなあの髪の色、あの瞳。
その彼女を迎えに行くのに、父の名を冠した艦以上に相応しいものがあるだろうか。
あの艦を見た時、その名を知った時、そして何よりも父の仇がそれを命じたと知った時、あの娘は一体どのような表情を浮かべるのだろう?
一体どのような瞳で、この俺を見るのだろう。
どのような憎悪を俺にぶつけるのだろう。
どのような怒りを俺に見せるのだろう。
ぞくりと背筋が震え、熱いものがこみ上げる。
「ああ、そうだ、それでいい。それでこそだ……」
唇の端が吊りあがり、男の顔に笑みが佩かれる。
幸せな、この世の悪意を知らぬかのような少年の微笑み。
夢想の中で、憎悪に染まったシャルロットの顔が弟のそれに重なった。
「シャルルよ、俺は、お前のその顔が見たかったのだ」
かつて愛した者の面影を胸に、ジョゼフは心の底から楽しそうな笑い声を上げた。
----
今回の没ネタ
「ところでイザベラ様、芝居はもう終わりということでよろしいですね?」
「……芝居、芝居ね……ああ、かまわないよ……orz」
「ねぇ、キュルケ。あの二人ってもしかして……」
「もしかしても何も、見たら解るじゃないのよ」
「カステルモール、でかした(親指を立てながら)」
目の前の光景に、カステルモールは我知らず微笑を浮かべていた。
金髪の少年に食って掛かる桃色の髪の少女と、それを見守る友人たち。
その一人である青い髪の少女が浮かべたその表情。
それは満面と呼ぶには遠いほど微かで、しかもすぐに消えてしまいはしたが、
少女を真の主と仰ぐ派閥の者にとっては充分すぎるものだった。
姫が、シャルロットが笑った。笑うことが出来た。
ガリアでその少女と会った時の事を思い出す。
イザベラに王冠を被せられても、自分に魔法をかけられても動かなかったその表情。
人形娘と呼ばれても何も言い返さず、忠誠を告げるその声にも何ら動揺を見せなかったその瞳。
主君のその姿に、カステルモールはどれだけ心を痛めたことか。
無意識に手に力が入り、掌に触れた何かを握り締める。
これまで彼は主君がトリスタニアの魔法学院にいることを快く思ってはいなかった。
そうまでして厄介払いがしたいのかと腹立たしくも思っていた。
だがそれは今や初雪のように消えうせ、彼女が魔法学院に赴いたことを、友人を得ることが出来たことを、
そして何よりも彼女が再び笑みを浮かべるようになったことを始祖ブリミルに感謝した。
/*/
一方、イザベラは同じ光景に我が目を疑った。
あの人形娘が笑みを浮かべるだなんて。
今までどれだけ嫌がらせをしても、どんな任務を与えても無表情だったあの子が、
しかもイザベラはその笑顔に見覚えがあった。
それはまだ彼女とシャルロットとが幼かった頃の思い出。
困ったように自分を見ていた優しい、活発な従妹姫がよく浮かべていた苦笑だった。
背筋を冷たいものが走る。
イザベラは確かにシャルロットを嫌ってはいたが、それはここ数年のことに過ぎない。
アルビオンに赴く前に父ジョゼフが言ったように、確かにイザベラとシャルロットが仲睦まじかった頃もあったのだ。
それが壊れたのは一体何時のことなのか。
イザベラはその時のことを今でも憶えている。
優しかった叔父の葬式。国を挙げての式典。
警護の目を盗んでシャルロットの元へ赴いた幼いイザベラ。
伯母やその侍従は式典の準備で忙しく、その部屋に居たのは無言で椅子に座る少女だけだった。
近づいて声をかけた。泣いているなら慰めてやろうと思った。
なぜなら自分はシャルロットよりも年上で、お姉ちゃんは妹を守るものだからだ。
伯父上はそう言っていつもわたしの頭を撫ぜてくれたのだから。
だから、今度は自分がシャルロットにそうしてやる番なのだ。
ところが、従妹姫からは何の返答も帰ってこなかった。
声をかけても何も答えず、肩を掴んで揺さぶっても、なんら動こうともしなかった。
それがイザベラとシャルロットの終わりであり、イザベラとタバサの始まりだった。
笑わせようとしても笑わない少女にイザベラは怒り、やがてなんとかしてその無表情を崩してやろうと躍起になった。
初めは歌を聞かせ劇を見せ、それでも無表情を崩さぬ少女に激昂した。
何度も叩き、嫌がらせのようなことを始めた。
笑わないならば、せめて嫌がる顔を見てやろうと思った。
人形ではなく、人間としての顔をもう一度見たかった。
周囲の人間はそれを見て、イザベラは従妹を嫌っているのだと信じた。
昔の二人を知っている者は彼女の周囲にはいなかった。
その人々はシャルロットの父シャルルを知っており、それゆオルレアン公派として蟄居あるいは解雇されてしまったからだ。
新しくイザベラに仕えた人々は噂した。
魔法の才能がないイザベラは、才能豊かなシャルロットを嫉んでいるのだと。
やがて時間が過ぎ去り、イザベラもまたかつての自分を忘れた。
従妹の笑顔を見たいと言う気持ちは、鉄面皮を崩さぬ従妹に対する苛立ちに取って代わられた。
姉として妹を見る優しさは、自分の気持ちを受け入れぬ少女への憎しみに成長した。
周囲の人間の態度もそれを助長した。
彼らはイザベラのシャルロットへの態度を良しとせず、しかし諫言することもなかった。
ただ彼らは、機械的にイザベラに仕えた。
前任者たちの末路を知る彼らにとって見ればそれが最も賢いやり方だったからだ。
そんな彼らでも、事あるにつけシャルロットを庇う姿勢を見せた。
彼らにして見れば我が侭な姫に嫌がらせをされる少女に同情するのは当然のことだった。
だがイザベラはそうは見なかった。
なぜ自分とシャルロットを見る家臣の目が違うのか。
同じ王家に生まれながら、なぜ皆はシャルロットを選ぶのか。
同じ血筋を持つ自分と彼女の違いは何なのか。
イザベラに思いつけたのは魔法の才能の有無だけだった。
才能に恵まれぬ自分とは違い、シャルロットは若くしてトライアングルメイジの力を持った。
それ故にこそ、皆はあの人形娘を敬うのだ。そうに違いない。
イザベラは父に願い出て、北花壇騎士団長の地位を得た。そしてシャルロットを部下にした。
従妹よりも自分が上位なのだと公式に示したのだ。
なのに、誰も自分を敬おうとはしなかった。
それどころか今まで以上にシャルロットに同情的な姿勢を見せた。
もはやイザベラの味方は誰もいなかった。
「シャル、ロット――――?」
泣きそうな、か細い声が聞こえる。
イザベラはそれが自分の声だとは信じられなかった。
騎士団長である自分が、一国の姫である自分がそんな声を出すだなんて。
まるで拭われたようにシャルロットの顔から笑みが消えた。
いつも通りの鉄面皮で、人形のようにイザベラを見た。
ぐらり、と視界が揺れるような感覚が彼女を襲った。
恐ろしい考えが頭を過ぎる。
もしかすると、シャルロットは自分のいない場所ではかつてと同じ笑みを浮かべていたのか。
自分の、人形ではない彼女を見たいと言う気持ちを、踏みにじって笑っていたのか。
もしもそうだというのならば。
それでは、自分は、とんだ道化ではないか――――!
ふらつく足元に我知らず伸ばした手がカステルモールの掌に触れ、次の瞬間には握り返された。
驚いて顔を上げれば、微笑を浮かべる彼女の騎士の姿があった。
「――――カステル、モール」
その瞳は未だにシャルロットを見ており、意識してイザベラの手を握ったのかすら定かではなかったが、
それでも彼女には伸ばした手を握り返してくれる存在がいたことで充分だった。
そっと目を伏せる。彼がシャルロットを気にかけているのは知っていた。
オルレアン公派だということだって解っていた。
なぜなら彼が自分の配下になってからというもの、イザベラはずっとカステルモールのことを見ていたのだから。
アルトーワ泊の園遊会で、自分を抱きしめた腕のたくましさを、かけられた布の優しさを思い出す。
誰もが嘲りながら薄汚れた視線で自分を見ている中で、誰も自分を助けてはくれなかったあの時に、
カステルモールただ一人だけが自分の為に動いてくれたのだ。
それがどれだけ嬉しかったか、どれだけ喜ばしかったか。
例えそれが本来は自分に化けたシャルロットに向けられたものだと知ってはいても関係はなかった。
彼が自分を助けてくれたことに代わりはないのだから。
カステルモールを想うこの気持ちに嘘はない。
そして、カステルモールがシャルロットを想う気持ちにも嘘はないだろう。
深く息を吸い、吐き出すとイザベラは背筋を伸ばした。
解っていたのだ、自分のこの想いが実らぬことなど。
その証拠にカステルモールは、何時だって困ったように自分を見ていたのだから。
抱き上げて運ばせても、呼び捨てにしろと言っても、その態度は変わらなかった。
イザベラの想いに気づかぬ振りをし続けた。
実際は本当に気づいていなかったのだが、彼女にはそこまでは解らなかった。
だがそれでも、カステルモールが傍にいてくれた日々は彼女にとって何物にも替え難い日々だった。
一度だけ目を伏せ、そして開いた。いつも通りの、野卑と称して差し支えない笑みがその頬に浮かぶ。
求めたものはこの温もり。ならばそれを胸に抱いて、最後の時までこの日々を楽しもう。
笑みを浮かべたイザベラを見やった大猫が、楽しげに片眉を上げた。
目に見えぬ、音には聞こえぬ、だがそれでも確かに耀きだしたそれを感じ取ったのだ。
「さて、じゃれあうのはいい加減にしな」
声をかけて一座の注目を集めると、ガリアの王女は常のように傲慢な口調で言った。
「わたしの従妹が世話になってるようだね。まずは自己紹介といこうじゃないか。ええ?」
/*/
ガリアの王都リュティスの東端、ヴェルサルテイル宮殿。
さらにその中心に位置するグラン・トロワと呼ばれる建物の一室で、
現ガリア王ジョゼフ一世は小姓からの報告を面白げに聞いた。
「“両用艦隊”旗艦『シャルル・オルレアン』号。東薔薇花壇騎士団の方々と共に無事出航なされた由にございます」
そうかと手を振って小姓を下がらせ、机の上においた葡萄酒の杯を飲み干す。
その唇が笑みの形を取リ、抑え切れぬ声が洩れた。
今回の騎士団の出陣の名目は、アルビオンに向かったガリア王女イザベラ姫の保護である。
ジョセフには他に子供もおらず、自身の即位後の粛清によって主だった王族はほとんどいない。
唯一の例外が姪に当たるシャルロットだが、彼女もまたアルビオンの地にある。
ガリアとしては王の血が絶えるかも知れぬ事態を静観する事など出来ず、止むに止まれず兵を出したと言う筋書きである。
既にアルビオンを除く諸国の大使にはそのような説明文を送っており、今頃は本国への早馬が走っていることだろう。
なぜ当事国であるアルビオンに説明文を送らぬかといえば、内乱中で政情が定まっていないからに他ならない。
王党派に向けて書状を送っても貴族派に向けても、後々の政治を考えればよろしくない。
例え十中八九貴族派が勝つだろうと言う事が予測できていたとしても、
未だ結果の出ていないこの時期に旗幟を明確にしてしまえば何らかの裏取引があったのではないかと勘繰られる元になるからである。
それに、とジョゼフは新たな葡萄酒を注ぎながら思考する。
もしも『シャルル・オルレアン』号が内乱に巻き込まれれば、シャルロットとイザベラが傷でも負っていれば。
それはガリアがアルビオンの内乱に干渉する絶好の口実となるだろうし、
そうでなくてもトリステインの責任問題を追求できるかも知れぬ。
魔法学院がシャルロットの出発を見逃さなければイザベラがアルビオンに向かうことも、
ガリアが騎士団を派遣することも無かった筈なのだから。
隠してはいるが、東薔薇花壇騎士団の面々がオルレアン公派であることなど知っている。
であるならば、ここで戦力が削がれようとも問題はない。
捨てても惜しくない駒で打てる布石ならば打つのを躊躇う必要などどこにもなかった。
笑いながら手を伸ばし、机の端に置かれた将棋盤を引き寄せる。
駒を弄びながらジョゼフはかつて共に歩んだ指し手を思い出した。
「ああ、シャルル」
弟の名を呼びながら、その葬儀の時に見た娘の瞳を脳裏に思い描いた。
憎悪に染まった、あの青い瞳を。
今にも流れ落ちそうな涙をこらえ、それでもこちらを睨みつけていた幼い瞳を。
憎むべき宿敵に情けをかけられることは、あの娘には耐えようもない屈辱だろう。
イザベラがシャルロットに厳しく当たり、嫌がらせを繰り返していることは知っている。
それを報告された時、ジョゼフは思ったものだ。
我が娘ながらなんとも甘いことだ、と。
彼は知っている。
本当の屈辱とはどういうものなのかを。
それをもたらした者を殺さずにはおれぬ憎悪と怒りを。
今も忘れえぬその声が、彼に屈辱を与えた声が胸に響く。
『おめでとう。兄さんが王になってくれて、ほんとうによかった。ぼくは兄さんが大好きだからね――――』
ああシャルル、我が弟よ。
ジョゼフはもはや思い出の中にしか存在しない弟に語りかけた。
誰からも愛され、尊敬された、我が誇るべき弟、真にガリア王に相応しかった弟よ。
お前には想像もつかなかったのだろうな。
憎み、嫌い、呪っている相手にかけられた情けが、どれほど人に屈辱を与えるかを。
だから俺は、決めたのだ。
あの日、あの時、あの場所で、俺に情けをかけたお前を殺すことを。
そしてその屈辱を知るが故に、その資格のない者に情けなどかけてやらぬと言うことを。
怒りと憎しみで綴られたそれは誓約。
実の弟すらも手にかけた男が、自らと始祖に誓った約束だった。
その誓いに従い、男は国内に粛清の嵐を巻き起こした。
オルレアン公派と呼ばれる貴族たちを官位から外し、あるいは蟄居を命じた。
涙ながらに忠誠を誓う連中を始祖の御許に送り込んだ。
そしてその内の幾人かは貴族としての誇りある死すら認めず、平民の罪人のように処刑台に立たせた。
お慈悲を、と叫ぶ貴族を男は心底から嘲笑った。
かつては王の資格がないと蔑んだその口で、俺の慈悲を乞うか。
誇りよりも生命を取るか。だが誇りを捨てた者は既に貴族ではない。
ならば貴族を僭称した罪はその命で贖ってもらおうか。
逆に従容として意に従った者は勿論のこととして、
あくまでジョゼフではなくオルレアン公こそを主として仰ぐ貴族たちには死を与えず、最低限の生命だけは保障した。
なぜなら彼らは生命よりも誇りを選んだ貴族であり、ガリア王ジョゼフが情けをかけるに値する者たちだったからだ。
結果としてオルレアン公派は地下に潜って今も活動を続けている。
オルレアン公が残した種にジョゼフによって屈辱と言う肥料を注がれた苗木は、その根をガリア全土にはびこらせようとしていた。
そしてその華を咲かせるのは、今は遠くアルビオンにいる彼の姪シャルロット・エレーヌ・オルレアンである筈だった。
いや、そうでなければならなかった。
もう何年も前に失われた、自分自身の手で葬り去った愛しい弟の一人娘。
彼女のことを思えば心が躍る。父にそっくりなあの髪の色、あの瞳。
その彼女を迎えに行くのに、父の名を冠した艦以上に相応しいものがあるだろうか。
あの艦を見た時、その名を知った時、そして何よりも父の仇がそれを命じたと知った時、あの娘は一体どのような表情を浮かべるのだろう?
一体どのような瞳で、この俺を見るのだろう。
どのような憎悪を俺にぶつけるのだろう。
どのような怒りを俺に見せるのだろう。
ぞくりと背筋が震え、熱いものがこみ上げる。
「ああ、そうだ、それでいい。それでこそだ……」
唇の端が吊りあがり、男の顔に笑みが佩かれる。
幸せな、この世の悪意を知らぬかのような少年の微笑み。
夢想の中で、憎悪に染まったシャルロットの顔が弟のそれに重なった。
「シャルルよ、俺は、お前のその顔が見たかったのだ」
かつて愛した者の面影を胸に、ジョゼフは心の底から楽しそうな笑い声を上げた。
----
今回の没ネタ
「ところでイザベラ様、芝居はもう終わりということでよろしいですね?」
「……芝居、芝居ね……ああ、かまわないよ……orz」
「ねぇ、キュルケ。あの二人ってもしかして……」
「もしかしても何も、見たら解るじゃないのよ」
「カステルモール、でかした(親指を立てながら)」
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