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「罪深い使い魔-02」(2007/11/11 (日) 21:20:47) の最新版変更点
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#navi(罪深い使い魔)
「俺が特異点であることに変わりはない……。
俺がいれば……『こちら側』はいずれ『向こう側』に飲み込まれるだろう……」
すべてを思い出したあの時から、頭のどこかでわかっていた。
いつかはこうなる。こうしなければならない。こうする以外の方法はない。
ただ、心がそれを拒絶していた。
帰りたくない。ここにいたい。みんなと一緒が良い。一人になりたくない。
でも、そんな願いは決して許されない。
『あいつ』を倒しても、俺という存在が『こちら側』を蝕む存在であることには変わりがない。
俺のせいで、みんなが生きる『こちら側』を壊したくない。
それに、約束も果たさなければならない。
「帰るよ……『向こう側』へ……」
辛くないと言ったら嘘になる。悲しくないわけがない。逃げ出したい気持ちに偽りはない。
それでも、『向こう側』で生きていけるだけの勇気を、みんなが与えてくれたから。
だから俺は、『向こう側』へ旅立っていける。
「俺達は、この海を通して繋がっている……いつでも……会えるさ……」
『こちら側』の俺から離れ、心の中で『向こう側』を思い描く。
複雑な手順は必要ない。ただ戻りたいと願うだけで『向こう側』へ戻れる。
ここでなら、それができる。
(さようなら、みんな)
急激にぼやけていく視界。崩れ落ちる『こちら側』の俺。表情の読めない仮面の男。見守る仲間達。そして……
涙を流す、大切な人。
(ごめん……摩耶姉)
視界が、眩い光で満たされた。
奇妙な感覚。
ものすごい速さで地面に落下しているような、逆に上昇しているような。
上も下も、右も左もわからない光の渦の中を、しかし『そこ』へ向かって進んでいるのだということだけはなんとなくわかる。
これから帰る『向こう側』に思いを馳せながら達哉は目を閉じ、この旅の終わりを静かに待つことにした。
そのため彼は、光で満たされたこの空間に漂う異質な存在に気がつかなかった。
大きな鏡という、彼の人生を大きく変えるその存在に。
「あいつ『フライ』はおろか、『レビテーション』さえまともにできないんだぜ」
わけがわからない。自分がどうにかなってしまったかのようだ。
こちら側にいるはずのない人間。
初対面でいきなりキスしてくる不可思議な少女。
左手に刻まれた意味不明な紋様。
自分の目の前で空を飛んで見せた少年たち。
そして……
「…………」
達哉は制服の袖を巻くり上げ、その中にあるものを見つめる。
手首から腕にかけてべったりと張りつく、黒い痣。
皮肉にもその痣が彼を混乱から立ち直らせてくれた。
「やつとの因縁は、まだ切れていないということか……」
達哉の顔が歪んだ。
「あんた、なんなのよ!」
達哉が声のした方を見ると、今しがたキスしてきた桃色の髪の少女がこちらを見上げて眉を吊り上げていた。
ようやく発言の機会が回ってきたということか。
改めて見るとかなりの美少女だが、どう見ても中学生、下手したら小学生にしか見えないその子供は
達哉にとって好みの対象外だ。もちろん彼女個人に興味もない。しかし彼女が持っているであろう情報は別だ。
「それはこっちのセリフだ。お前らは一体なんだ? ここはどこだ?
地上か? それともシバルバーのどこかか?」
「何をわけわかんないこと言ってるのよ……まあいいわ。見たところ相当な田舎者みたいだから説明してあげる」
そう言って少女は腰に手を当てて、妙に尊大な態度で答える。
「見ればわかるでしょうけど、私たちはメイジ。そしてここはかの高名なトリステイン魔法学院!」
どうだと言わんばかり胸を張り、こちらを見据える少女。
そんな得意げになられても、こちらとしてはさっぱり意味がわからない。
「メイジとはなんだ? それに……魔法学院?」
「あんた、メイジを知らないの!? 一体どんな田舎から来たのよ!!」
信じられないといった顔で驚く少女。
どうやらこの状況を理解するには長い時間が必要なようだ。
達哉は嘆息した。
ハルケギニア。トリステイン。メイジ。貴族。魔法。
サモン・サーヴァント。コントラクト・サーヴァント。使い魔。
外で話し合うのもなんだということで場所を移し、少女――ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの自室で
俺は思いつくままに質問を行った。その結果返ってきた答え――ここが自分の知らない『異世界』だということ――
はどれも信じられないものばかりだった。
それは向こうにも言えたことらしく、俺の知る限りの知識を語って聞かせても
ルイズはただ疑わしげな目を向けるだけだ。
「……じゃあ、あんたは異世界から来たって言うの? その、空飛ぶ街以外何もなくなった世界から」
「正確には、その世界に帰るはずがここにたどり着いてしまったんだ」
「なんでわざわざ何もない世界に帰るのよ。その『やり直した世界』に居座ればいいじゃない」
「その世界に俺の居場所はなかった……『特異点』である俺が無理に留まろうとすれば、あの世界はやがて滅びてしまう……」
己の恥なのであまり語りたくはない内容だったが、この際仕方がない。
ここに至るまでの経緯を簡潔に説明する。だが、結果は予想通りのものだった。
「……なるほどね。平民にしてはなかなか上手くまとめたお話じゃない」
ルイズは腕を組んで俺の『過去』をそう評する。もちろん心の中では言葉通りの評価を下していないだろう。
「で、本当のところはどうなの? 最後まで聞いてあげたんだから正直に話しなさい。
あなたの生まれはトリステイン? ゲルマニア? ガリア? アルビオン? 実はロマリアとか?」
「……やはり信じてはくれないか」
「当たり前でしょ!」
それはそうだ。
俺だって夜になってから現れた二つの月を見るまでは、ルイズが俺を騙そうとしている可能性を捨て切れなかった。
しかしあんなものを見てしまった以上、もう信じるしかない。
「どうしてもって言うなら証拠を見せなさいよ、証拠!」
これは難題だ。
俺は二つの月のような、有無を言わさない証拠など持っていない。
というか身一つでこの世界に来た俺に一体どんな証拠を示せを言うんだ?
……アレ、か?
だが下手に晒すとややこしいことになるかもしれない。
そう思い、何気なくポケットをまさぐってみると――
「…………」
冷たい感触がした。
「なによ、それ?」
「ライターだ」
達哉は慣れた手つきでライターの蓋を開け、シュボ、と火を灯してみせる。
「へぇ、『火』のマジックアイテムなんて持ってるんだ」
「マジックアイテムじゃない。火花を起こして中の燃料に火をつける着火装置だ」
「ふーん」
その反応を見るに、どうやらライターではダメらしい。
「でもそれじゃ証拠にはならないわ」
「……らしいな」
達哉はライターの火を消し、蓋をチンチンと鳴らす。
『向こう側』ではこれが癖になっていたが、『こちら側』にいた間は久しくやっていなかった。
そんな懐かしい音を聞いていると、ルイズがまたも怒鳴り始めた。
「まったく、いい加減諦めなさい! そんな適当なこと言ったって私からは逃げられないんだからね!」
どうやらルイズは、俺が語る異世界の話をここから逃げ出すための口実と受け取ったらしい。
「変な意地張るのはやめて私の使い魔になりなさいよ。そりゃ使い魔の契約を交わした以上あんたを家に帰すわけにはいかないけど、
でもちゃんと衣食住の面倒は見るし、故郷に手紙くらいは出させてあげるわ」
「…………」
本人は善意で言ったつもりなのだろうが、その言葉は達哉の胸に深く突き刺さった。
もし手紙が届くなら、書きたい。たとえ会えなくても、
摩耶姉やみんなと手紙のやり取りができたら、それだけ救われるだろう。
でもそれは多分、永久に叶わない。
「……いや、いい。それより、その使い魔っていうのは何時まで続ければいいんだ?」
「あんたが死ぬまでよ」
「な!?」
何気なく聞いたつもりだったが、その言葉を聞いて達哉は目を見開く。
「それはできない」
はっきりとした拒絶。
話が上手くまとまりかけてると思っていたルイズは達哉の豹変振りに驚く。
しかしただ驚いているわけにはいかない。彼女も彼女なりに必死なのだ。
「で、できないじゃないでしょ!? それにどっちにしろ、あんたの話が事実なら帰る手段なんてないわよ!」
「……どういうことだ?」
「『サモン・サーヴァント』は呼び出すだけ。使い魔を元に戻す呪文なんて存在しないのよ」
「呪文でなくてもいい。何か他に手段はないのか!?」
「ああもううるさいわね! あんたの世界には何もないんでしょう!?
だったらずっとこっちにいればいいじゃない! 『向こう側』とかに帰らなくて済んだんだから
めでたしめでたしでしょ!!」
「…………!」
その通りだ。人がいない世界で孤独に生きるより、人のいる世界で使い魔をやってる方が良い。
そのことに関して達哉は否定しない。だが、状況はそれを許していない。
達哉はそれを、自分の右腕を見ることで理解した。
だから彼はルイズに『それ』を見せつける。
「これを見ろ!」
「その刺青がどうかしたの?」
「これは『あいつ』が俺につけた印だ! あいつが、『ニャルラトホテプ』が完全に力を失っていない証拠だ!」
『あの戦い』でニャルラトホテプはどこぞに追いやられた。だが、完全に消え去ったわけじゃない。
というより、それは不可能なのだ。すべての人間の負の面であるニャルラトホテプは人間が存在する限り決して滅びない。
それでも、今は……
「一度倒されたやつの力は弱まっている。だからすぐにどうにかなるということはないと思う。
だが、やつはいずれ力を取り戻す! その時こいつを目印にこの世界に来るようなことになったら……!」
「悪いけどこれ以上あんたの妄想に耳を傾けるつもりはないわ」
にべもなくそう言い放つと、ルイズは哀れむような目つきで達哉を見つめた。
「どう騒ぎ立てようと、あんたは死ぬまで私の使い魔よ。これはもう、どうあっても覆ることがない決定事項なの。
そのニャルなんとかがこの世界に来ようが関係ないわ」
達哉の話などまったく信じていない口調でそう言い放つ。
それでも達哉は食い下がる。
「……使い魔の契約を破棄する方法は?」
契約とやらが切れれば『向こう側』に帰れるかもしれない。こうなったらそれしかないと達哉は思った。
しかし、そんな達哉の言動はルイズをさらに不快にさせた。
「……そんなに私の使い魔になるのが嫌なの?」
冷たい視線。頑として首を縦に振らない使い魔に対し、積み重なった怒りは
いまや憎しみを通り越して殺意になろうとしている。
「それなら……死ねば?」
「……なんだと?」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃が達哉を襲う。
「あんたが死ねば使い魔の契約は切れるわ。そのニャルなんとかってのもここへは来れないんじゃないの?
私もあんたが死ねば新しい使い魔を呼び出せるようになるし一石二鳥よね」
たっぷりと嫌味をこめてルイズはそう言い放つ。
しかし次に達哉が発した言葉にはさすがに顔を青くした。
「……そうか、その手もあったな」
「ちょ……なに言ってるのよ!?」
ルイズが騒ぎ始めるが達哉は気にしない。
達哉は今、ルイズが示した方法について本気で考えていた。
もしニャルラトホテプとまた戦うことになったとして、次も勝てるという保障はどこにもない。
なにせ一度は負けた相手だ。勝率だけ見ても五分と五分、それに戦うとなれば必ず犠牲が出る。
しかし今ならこの世界と『向こう側』を繋いでいるのは俺一人。ルイズの言うとおり、自分が死ねば
ニャルラトホテプはこの世界に干渉できなくなるかもしれない。
もっとも、この世界にも人間はいるのでいつかニャルラトホテプが手を出してくる可能性はあるが、
少なくとも『向こう側』を利用したものではなくなるはず。そうなったら、あとはこの世界の人間の問題だ。
だが……本当にそれでいいのか?
俺は『向こう側』で精一杯生きていくと、心に決めた。
辛い道のりだが、それをこんなわけのわからない出来事を理由にすべて放り出していいのか?
それが……罰と言えるのか?
「……死ぬのは最後の手段だ。俺は……帰る方法を探す」
まだ諦めるには早い。ルイズが知らないだけで、帰る方法はあるかもしれない。
それを見つけて『向こう側』へ帰る。それがベストだ。
「ああ、そう」
一方のルイズは達哉の言葉を聞いて、ほっと胸をなでおろす。
彼女とて、呼び出した使い魔にいきなり自殺なんてされたらさすがに夢見が悪い。
それにしても、ちょっと会話しただけなのに妙に疲れたわ。こいつ本当に扱いにくい。
「それじゃ、あんたが私の使い魔になるんなら、私もあんたが『向こう側』に帰れる方法ってのを
探してあげるわ。それなら文句ないでしょ?」
「ああ」
未知の異世界で一人、なんの当てもなく彷徨うよりは遥かに効率的だ。
「それじゃ確認するわよ。あんたが『向こう側』に帰るまで、あんたは私の使い魔。これでいいわね?」
達哉は無言で頷く。
「なら、あんたには私の使い魔として働いてもらうわよ。
まず、使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ」
達哉がルイズを見つめる。
どういう意味だ? と目が語っている。
その態度にルイズは少し苛立ったが、これ以上余計なことを言って追い詰めると後が怖い。
「つまりあんたが見たもの、聞いたものを私が見たり聞いたりできるのよ。
でも、あんたじゃ無理みたいね。わたし、何にも見えないもん!」
「……そうか」
あ、返事した。よしよし、良い感じだわ。
……見えないのは残念だけど。
「それから、使い魔は主人の望むものを見つけてくるのよ。例えば秘薬とかね」
「秘薬?」
「特定の魔法を使うときに使用する触媒よ。硫黄とか、コケとか……」
「それを探すのか……」
「でもあんた、そんなの見つけてこれないでしょ? 秘薬の存在すら知らないのに!」
「そうだな……」
だんだん話に乗ってきた。うん、これならなんとか……なるわよね?
「そして、これが一番なんだけど……、便い魔は、主人を守る存在であるのよ!
その能力で、主人を敵から守るのが一番の役目! でも、あんたじゃ無理……どうしたの?」
「守る……?」
再び達哉の様子がおかしくなったことにルイズはぎょっとしたが、それが戸惑いの類だと理解すると
すぐに興味をなくした。きっと、荒事が苦手なんだろうと解釈する。
「まああんたには期待してないわ。人間だもの」
達哉が何か言う前に、ルイズはその仕事を免除した。
単なる平民、それも妄想語ったりいきなり死のうとするような人間にそんな危ないことはさせられない。
「というわけで、あんたにできそうなことをやらせてあげる。洗濯。掃除。その他雑用」
「……わかった」
要するに住み込みの下働きみたいなものか。
そう達哉なりに解釈する。
「あ~疲れた」
ルイズは大きなあくびをする。
実際ルイズは疲れていた。変な使い魔のせいで。
「さてと、しゃべったら、眠くなっちゃったわ」
そう言ってルイズが次に取った行動を、達哉は軽い驚きと共に見つめる。
なんと達哉が見ている前でいきなり服を脱ぎ始めたのだ。
「なんの真似だ?」
「寝るから、着替えるのよ」
「俺がいるのにか?」
「使い魔に見られたって、なんとも思わないわ」
「……そうか」
本人が気にしないというなら、達哉に文句はない。
ただ着替えをじっと見ているのもなんなので、達哉はルイズから目をそらし、部屋を見渡す。
そこで達哉の頭にある疑問が浮かんだ。
「俺はどこで寝れば良いんだ?」
「床」
「…………」
「まあ、これくらいは恵んであげるわ」
ルイズは毛布を放ってきた。
「…………」
雨風がしのげるだけマシか。そう思い大人しく毛布に包まり、床に寝転がる達哉。
しかし目を閉じようとしたところで何かが頭の上に降ってくる。
枕でも寄越したのかと思って手に取ったそれは、今しがたルイズが身に着けていたキャミソールだった。
呆然とする達哉の頭に生暖かいパンツが乗る。
「明日になったら洗濯しといて」
見ると、素っ裸になったルイズが頭からネグリジェをかぶろうとしているところだった。
「……!?」
達也は自分の頬が紅潮するのを感じた。それがお世辞にも発育が良いとは言えない、
見た目13~14歳の子供であるルイズの裸でも彼には刺激が強すぎた。
それでも表面上は勤めて冷静に、渡された下着をその辺に置いて再度毛布に包まる。
先ほどの悲壮感もどこへやら、唐突に見せつけられたルイズの非常識さに達哉はただ目を白黒させるだけだった。
「……異世界、か」
しかし、それも一時のもの。明かりが消え、ルイズが寝静まると達哉の胸の内に様々な思いが生じる。
達哉は懐からライターを取り出し、それをじっと見つめた。
「淳……」
昔、親友と交換したその宝物を見ていると、自然と心が熱くなってくる。
このライターをくれた淳は俺のことを覚えていない。思い出すこともない。でも、約束は失われていない。
「俺は必ず『向こう側』に帰る。お前たちの世界にも、この世界にも、迷惑はかけない」
達哉はライターをぎゅっと握り締めた。
すると、まるでライターの火がついているかのように手が熱くなる。
「俺はもう逃げない。そう心に決めたんだ」
先ほどはあんなことを言ったが、死んで終わりにするのはただの逃避だ。
そんな結末を認めるわけにはいかない。
仲間だって、俺がこんなところで死ぬことは望んでいないはずだ。
「俺、頑張るよ。だから……みんなも見守っていてくれ……」
そう呟いて、達哉はようやく眠りについた。
二つの月が、小さな炎をただ静かに見下ろす。
#navi(罪深い使い魔)
#navi(罪深い使い魔)
「俺が特異点であることに変わりはない……。
俺がいれば……『こちら側』はいずれ『向こう側』に飲み込まれるだろう……」
すべてを思い出したあの時から、頭のどこかでわかっていた。
いつかはこうなる。こうしなければならない。こうする以外の方法はない。
ただ、心がそれを拒絶していた。
帰りたくない。ここにいたい。みんなと一緒が良い。一人になりたくない。
でも、そんな願いは決して許されない。
『あいつ』を倒しても、俺という存在が『こちら側』を蝕む存在であることには変わりがない。
俺のせいで、みんなが生きる『こちら側』を壊したくない。
それに、約束も果たさなければならない。
「帰るよ……『向こう側』へ……」
辛くないと言ったら嘘になる。悲しくないわけがない。逃げ出したい気持ちに偽りはない。
それでも、『向こう側』で生きていけるだけの勇気を、みんなが与えてくれたから。
だから俺は、『向こう側』へ旅立っていける。
「俺達は、この海を通して繋がっている……いつでも……会えるさ……」
『こちら側』の俺から離れ、心の中で『向こう側』を思い描く。
複雑な手順は必要ない。ただ戻りたいと願うだけで『向こう側』へ戻れる。
ここでなら、それができる。
(さようなら、みんな)
急激にぼやけていく視界。崩れ落ちる『こちら側』の俺。表情の読めない仮面の男。見守る仲間達。そして……
涙を流す、大切な人。
(ごめん……摩耶姉)
視界が、眩い光で満たされた。
奇妙な感覚。
ものすごい速さで地面に落下しているような、逆に上昇しているような。
上も下も、右も左もわからない光の渦の中を、しかし『そこ』へ向かって進んでいるのだということだけはなんとなくわかる。
これから帰る『向こう側』に思いを馳せながら達哉は目を閉じ、この旅の終わりを静かに待つことにした。
そのため彼は、光で満たされたこの空間に漂う異質な存在に気がつかなかった。
大きな鏡という、彼の人生を大きく変えるその存在に。
「あいつ『フライ』はおろか、『レビテーション』さえまともにできないんだぜ」
わけがわからない。自分がどうにかなってしまったかのようだ。
こちら側にいるはずのない人間。
初対面でいきなりキスしてくる不可思議な少女。
左手に刻まれた意味不明な紋様。
自分の目の前で空を飛んで見せた少年たち。
そして……
「…………」
達哉は制服の袖を巻くり上げ、その中にあるものを見つめる。
手首から腕にかけてべったりと張りつく、黒い痣。
皮肉にもその痣が彼を混乱から立ち直らせてくれた。
「やつとの因縁は、まだ切れていないということか……」
達哉の顔が歪んだ。
「あんた、なんなのよ!」
達哉が声のした方を見ると、今しがたキスしてきた桃色の髪の少女がこちらを見上げて眉を吊り上げていた。
ようやく発言の機会が回ってきたということか。
改めて見るとかなりの美少女だが、どう見ても中学生、下手したら小学生にしか見えないその子供は
達哉にとって好みの対象外だ。もちろん彼女個人に興味もない。しかし彼女が持っているであろう情報は別だ。
「それはこっちのセリフだ。お前らは一体なんだ? ここはどこだ?
地上か? それともシバルバーのどこかか?」
「何をわけわかんないこと言ってるのよ……まあいいわ。見たところ相当な田舎者みたいだから説明してあげる」
そう言って少女は腰に手を当てて、妙に尊大な態度で答える。
「見ればわかるでしょうけど、私たちはメイジ。そしてここはかの高名なトリステイン魔法学院!」
どうだと言わんばかり胸を張り、こちらを見据える少女。
そんな得意げになられても、こちらとしてはさっぱり意味がわからない。
「メイジとはなんだ? それに……魔法学院?」
「あんた、メイジを知らないの!? 一体どんな田舎から来たのよ!!」
信じられないといった顔で驚く少女。
どうやらこの状況を理解するには長い時間が必要なようだ。
達哉は嘆息した。
ハルケギニア。トリステイン。メイジ。貴族。魔法。
サモン・サーヴァント。コントラクト・サーヴァント。使い魔。
外で話し合うのもなんだということで場所を移し、少女――ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの自室で
俺は思いつくままに質問を行った。その結果返ってきた答え――ここが自分の知らない『異世界』だということ――
はどれも信じられないものばかりだった。
それは向こうにも言えたことらしく、俺の知る限りの知識を語って聞かせても
ルイズはただ疑わしげな目を向けるだけだ。
「……じゃあ、あんたは異世界から来たって言うの? その、空飛ぶ街以外何もなくなった世界から」
「正確には、その世界に帰るはずがここにたどり着いてしまったんだ」
「なんでわざわざ何もない世界に帰るのよ。その『やり直した世界』に居座ればいいじゃない」
「その世界に俺の居場所はなかった……『特異点』である俺が無理に留まろうとすれば、あの世界はやがて滅びてしまう……」
己の恥なのであまり語りたくはない内容だったが、この際仕方がない。
ここに至るまでの経緯を簡潔に説明する。だが、結果は予想通りのものだった。
「……なるほどね。平民にしてはなかなか上手くまとめたお話じゃない」
ルイズは腕を組んで俺の『過去』をそう評する。もちろん心の中では言葉通りの評価を下していないだろう。
「で、本当のところはどうなの? 最後まで聞いてあげたんだから正直に話しなさい。
あなたの生まれはトリステイン? ゲルマニア? ガリア? アルビオン? 実はロマリアとか?」
「……やはり信じてはくれないか」
「当たり前でしょ!」
それはそうだ。
俺だって夜になってから現れた二つの月を見るまでは、ルイズが俺を騙そうとしている可能性を捨て切れなかった。
しかしあんなものを見てしまった以上、もう信じるしかない。
「どうしてもって言うなら証拠を見せなさいよ、証拠!」
これは難題だ。
俺は二つの月のような、有無を言わさない証拠など持っていない。
というか身一つでこの世界に来た俺に一体どんな証拠を示せを言うんだ?
……アレ、か?
だが下手に晒すとややこしいことになるかもしれない。
そう思い、何気なくポケットをまさぐってみると――
「…………」
冷たい感触がした。
「なによ、それ?」
「ライターだ」
達哉は慣れた手つきでライターの蓋を開け、シュボ、と火を灯してみせる。
「へぇ、『火』のマジックアイテムなんて持ってるんだ」
「マジックアイテムじゃない。火花を起こして中の燃料に火をつける着火装置だ」
「ふーん」
その反応を見るに、どうやらライターではダメらしい。
「でもそれじゃ証拠にはならないわ」
「……らしいな」
達哉はライターの火を消し、蓋をチンチンと鳴らす。
『向こう側』ではこれが癖になっていたが、『こちら側』にいた間は久しくやっていなかった。
そんな懐かしい音を聞いていると、ルイズがまたも怒鳴り始めた。
「まったく、いい加減諦めなさい! そんな適当なこと言ったって私からは逃げられないんだからね!」
どうやらルイズは、俺が語る異世界の話をここから逃げ出すための口実と受け取ったらしい。
「変な意地張るのはやめて私の使い魔になりなさいよ。そりゃ使い魔の契約を交わした以上あんたを家に帰すわけにはいかないけど、
でもちゃんと衣食住の面倒は見るし、故郷に手紙くらいは出させてあげるわ」
「…………」
本人は善意で言ったつもりなのだろうが、その言葉は達哉の胸に深く突き刺さった。
もし手紙が届くなら、書きたい。たとえ会えなくても、
摩耶姉やみんなと手紙のやり取りができたら、それだけ救われるだろう。
でもそれは多分、永久に叶わない。
「……いや、いい。それより、その使い魔っていうのは何時まで続ければいいんだ?」
「あんたが死ぬまでよ」
「な!?」
何気なく聞いたつもりだったが、その言葉を聞いて達哉は目を見開く。
「それはできない」
はっきりとした拒絶。
話が上手くまとまりかけてると思っていたルイズは達哉の豹変振りに驚く。
しかしただ驚いているわけにはいかない。彼女も彼女なりに必死なのだ。
「で、できないじゃないでしょ!? それにどっちにしろ、あんたの話が事実なら帰る手段なんてないわよ!」
「……どういうことだ?」
「『サモン・サーヴァント』は呼び出すだけ。使い魔を元に戻す呪文なんて存在しないのよ」
「呪文でなくてもいい。何か他に手段はないのか!?」
「ああもううるさいわね! あんたの世界には何もないんでしょう!?
だったらずっとこっちにいればいいじゃない! 『向こう側』とかに帰らなくて済んだんだから
めでたしめでたしでしょ!!」
「…………!」
その通りだ。人がいない世界で孤独に生きるより、人のいる世界で使い魔をやってる方が良い。
そのことに関して達哉は否定しない。だが、状況はそれを許していない。
達哉はそれを、自分の右腕を見ることで理解した。
だから彼はルイズに『それ』を見せつける。
「これを見ろ!」
「その刺青がどうかしたの?」
「これは『あいつ』が俺につけた印だ! あいつが、『ニャルラトホテプ』が完全に力を失っていない証拠だ!」
『あの戦い』でニャルラトホテプはどこぞに追いやられた。だが、完全に消え去ったわけじゃない。
というより、それは不可能なのだ。すべての人間の負の面であるニャルラトホテプは人間が存在する限り決して滅びない。
それでも、今は……
「一度倒されたやつの力は弱まっている。だからすぐにどうにかなるということはないと思う。
だが、やつはいずれ力を取り戻す! その時こいつを目印にこの世界に来るようなことになったら……!」
「悪いけどこれ以上あんたの妄想に耳を傾けるつもりはないわ」
にべもなくそう言い放つと、ルイズは哀れむような目つきで達哉を見つめた。
「どう騒ぎ立てようと、あんたは死ぬまで私の使い魔よ。これはもう、どうあっても覆ることがない決定事項なの。
そのニャルなんとかがこの世界に来ようが関係ないわ」
達哉の話などまったく信じていない口調でそう言い放つ。
それでも達哉は食い下がる。
「……使い魔の契約を破棄する方法は?」
契約とやらが切れれば『向こう側』に帰れるかもしれない。こうなったらそれしかないと達哉は思った。
しかし、そんな達哉の言動はルイズをさらに不快にさせた。
「……そんなに私の使い魔になるのが嫌なの?」
冷たい視線。頑として首を縦に振らない使い魔に対し、積み重なった怒りは
いまや憎しみを通り越して殺意になろうとしている。
「それなら……死ねば?」
「……なんだと?」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃が達哉を襲う。
「あんたが死ねば使い魔の契約は切れるわ。そのニャルなんとかってのもここへは来れないんじゃないの?
私もあんたが死ねば新しい使い魔を呼び出せるようになるし一石二鳥よね」
たっぷりと嫌味をこめてルイズはそう言い放つ。
しかし次に達哉が発した言葉にはさすがに顔を青くした。
「……そうか、その手もあったな」
「ちょ……なに言ってるのよ!?」
ルイズが騒ぎ始めるが達哉は気にしない。
達哉は今、ルイズが示した方法について本気で考えていた。
もしニャルラトホテプとまた戦うことになったとして、次も勝てるという保障はどこにもない。
なにせ一度は負けた相手だ。勝率だけ見ても五分と五分、それに戦うとなれば必ず犠牲が出る。
しかし今ならこの世界と『向こう側』を繋いでいるのは俺一人。ルイズの言うとおり、自分が死ねば
ニャルラトホテプはこの世界に干渉できなくなるかもしれない。
もっとも、この世界にも人間はいるのでいつかニャルラトホテプが手を出してくる可能性はあるが、
少なくとも『向こう側』を利用したものではなくなるはず。そうなったら、あとはこの世界の人間の問題だ。
だが……本当にそれでいいのか?
俺は『向こう側』で精一杯生きていくと、心に決めた。
辛い道のりだが、それをこんなわけのわからない出来事を理由にすべて放り出していいのか?
それが……罰と言えるのか?
「……死ぬのは最後の手段だ。俺は……帰る方法を探す」
まだ諦めるには早い。ルイズが知らないだけで、帰る方法はあるかもしれない。
それを見つけて『向こう側』へ帰る。それがベストだ。
「ああ、そう」
一方のルイズは達哉の言葉を聞いて、ほっと胸をなでおろす。
彼女とて、呼び出した使い魔にいきなり自殺なんてされたらさすがに夢見が悪い。
それにしても、ちょっと会話しただけなのに妙に疲れたわ。こいつ本当に扱いにくい。
「それじゃ、あんたが私の使い魔になるんなら、私もあんたが『向こう側』に帰れる方法ってのを
探してあげるわ。それなら文句ないでしょ?」
「ああ」
未知の異世界で一人、なんの当てもなく彷徨うよりは遥かに効率的だ。
「それじゃ確認するわよ。あんたが『向こう側』に帰るまで、あんたは私の使い魔。これでいいわね?」
達哉は無言で頷く。
「なら、あんたには私の使い魔として働いてもらうわよ。
まず、使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ」
達哉がルイズを見つめる。
どういう意味だ? と目が語っている。
その態度にルイズは少し苛立ったが、これ以上余計なことを言って追い詰めると後が怖い。
「つまりあんたが見たもの、聞いたものを私が見たり聞いたりできるのよ。
でも、あんたじゃ無理みたいね。わたし、何にも見えないもん!」
「……そうか」
あ、返事した。よしよし、良い感じだわ。
……見えないのは残念だけど。
「それから、使い魔は主人の望むものを見つけてくるのよ。例えば秘薬とかね」
「秘薬?」
「特定の魔法を使うときに使用する触媒よ。硫黄とか、コケとか……」
「それを探すのか……」
「でもあんた、そんなの見つけてこれないでしょ? 秘薬の存在すら知らないのに!」
「そうだな……」
だんだん話に乗ってきた。うん、これならなんとか……なるわよね?
「そして、これが一番なんだけど……使い魔は、主人を守る存在であるのよ!
その能力で、主人を敵から守るのが一番の役目! でも、あんたじゃ無理……どうしたの?」
「守る……?」
再び達哉の様子がおかしくなったことにルイズはぎょっとしたが、それが戸惑いの類だと理解すると
すぐに興味をなくした。きっと、荒事が苦手なんだろうと解釈する。
「まああんたには期待してないわ。人間だもの」
達哉が何か言う前に、ルイズはその仕事を免除した。
単なる平民、それも妄想語ったりいきなり死のうとするような人間にそんな危ないことはさせられない。
「というわけで、あんたにできそうなことをやらせてあげる。洗濯。掃除。その他雑用」
「……わかった」
要するに住み込みの下働きみたいなものか。
そう達哉なりに解釈する。
「あ~疲れた」
ルイズは大きなあくびをする。
実際ルイズは疲れていた。変な使い魔のせいで。
「さてと、しゃべったら、眠くなっちゃったわ」
そう言ってルイズが次に取った行動を、達哉は軽い驚きと共に見つめる。
なんと達哉が見ている前でいきなり服を脱ぎ始めたのだ。
「なんの真似だ?」
「寝るから、着替えるのよ」
「俺がいるのにか?」
「使い魔に見られたって、なんとも思わないわ」
「……そうか」
本人が気にしないというなら、達哉に文句はない。
ただ着替えをじっと見ているのもなんなので、達哉はルイズから目をそらし、部屋を見渡す。
そこで達哉の頭にある疑問が浮かんだ。
「俺はどこで寝れば良いんだ?」
「床」
「…………」
「まあ、これくらいは恵んであげるわ」
ルイズは毛布を放ってきた。
「…………」
雨風がしのげるだけマシか。そう思い大人しく毛布に包まり、床に寝転がる達哉。
しかし目を閉じようとしたところで何かが頭の上に降ってくる。
枕でも寄越したのかと思って手に取ったそれは、今しがたルイズが身に着けていたキャミソールだった。
呆然とする達哉の頭に生暖かいパンツが乗る。
「明日になったら洗濯しといて」
見ると、素っ裸になったルイズが頭からネグリジェをかぶろうとしているところだった。
「……!?」
達也は自分の頬が紅潮するのを感じた。それがお世辞にも発育が良いとは言えない、
見た目13~14歳の子供であるルイズの裸でも彼には刺激が強すぎた。
それでも表面上は勤めて冷静に、渡された下着をその辺に置いて再度毛布に包まる。
先ほどの悲壮感もどこへやら、唐突に見せつけられたルイズの非常識さに達哉はただ目を白黒させるだけだった。
「……異世界、か」
しかし、それも一時のもの。明かりが消え、ルイズが寝静まると達哉の胸の内に様々な思いが生じる。
達哉は懐からライターを取り出し、それをじっと見つめた。
「淳……」
昔、親友と交換したその宝物を見ていると、自然と心が熱くなってくる。
このライターをくれた淳は俺のことを覚えていない。思い出すこともない。でも、約束は失われていない。
「俺は必ず『向こう側』に帰る。お前たちの世界にも、この世界にも、迷惑はかけない」
達哉はライターをぎゅっと握り締めた。
すると、まるでライターの火がついているかのように手が熱くなる。
「俺はもう逃げない。そう心に決めたんだ」
先ほどはあんなことを言ったが、死んで終わりにするのはただの逃避だ。
そんな結末を認めるわけにはいかない。
仲間だって、俺がこんなところで死ぬことは望んでいないはずだ。
「俺、頑張るよ。だから……みんなも見守っていてくれ……」
そう呟いて、達哉はようやく眠りについた。
二つの月が、小さな炎をただ静かに見下ろす。
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