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「眼つきの悪いゼロの使い魔-9話」(2008/11/29 (土) 19:37:21) の最新版変更点
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雲に遮られることなく陽光が世界を照らしている。正午には今少し時間が必要な、そんな頃。
一台の馬車がのんびりと進んでいた。街と村の狭間の街道は人気無く、馬車以外に動くものは見受けられない。
馬車に搭乗しているのは二名の男女。手綱を握っているのは、眠そうな顔をしている男のほうである。
黒髪、黒革のジャケット、黒いズボンを着込んだ、目つきに険のある青年だ。その彼は、辺りを懐かしそうに眺めている。
「なんか、ずいぶん久しぶりな気がするな」
手綱は握るだけ。進路はほぼ馬に任せている。こぼれた声も、誰に聞かせるつもりもないただの独り言だったが、背後から答える声があった。
「そうね。テファのところへ帰るのがこんなに遅れたのは、初めてかも」
青年、オーフェンは肩越しに振り返り、声の主を見る。視線の先にいるのは、ゆったりとした白いローブで身を包む一人の女性。
マチルダ・オブ・サウスゴータという彼女の長い名を脳裏で呟いて、オーフェンは聞く。
「今度はゆっくり出来んだろうな?」
「もちろん。むこう十年分くらいは働いたものね」
溌剌としたマチルダの声に対して、オーフェンの顔は渋い。当たり前とも言える。
彼はマチルダが行っているであろう危険な何某かから彼女自身を遠ざけるよう、彼女の妹であるティファニアより依頼されていたのだ。
それがどういう訳か、マチルダの片棒を担ぐかたちになってしまっている。まったく、ティファニアに会った際になんと言えばよいのか。
「なあ」
「うん?」
「ティファニア達って、そう金がかかる生活はしてないよな」
「まあ、そうだね」
「年単位で考えても、金貨が必要になるとは思えない」
「…………」
「今回のお前さんの稼ぎで、正直もう充分なんじゃないか?」
オーフェンの言わんとすることを悟り、マチルダはやや硬質な声を返す。
「らしくもない迂遠な言い回しだね。はっきり言ったらどうだい」
返答をしようとして、オーフェンは思い直し口を閉じる。言うべきことはある。
いつまでもこんな事は続けられないとか、妹のことを考えて自重しろとか、貴族ばかりを標的にするのは私怨のためか、といった平凡で真っ当な内容ばかりだ。
だが、はたして自分がそこまで踏み込んでもよいのだろうか。
判断に迷う。
視線を彷徨わせて言葉を捜す青年に対して、マチルダは冷たい目、ではなく微妙に不満げな目で呟いた。
「あんたのその物分りの良すぎるところは、少し嫌い」
「……? 意味が分からんのだが」
「べーつにー」
奇妙な韻を踏みながら言い、彼女はごろりと座席へ横になる。両手で枕を作り、足を組むといった淑女らしからぬ体勢だった。
最近マチルダは、このような隙を見せることがままある。
オーフェンは言葉の意味を探ろうと、横になった彼女へしばらく視線を向けていたが、すぐにその無意味さに気がづき諦めた。
マチルダ・オブ・サウスゴータはぼんやりと天井を眺める。粗末な木製の天井。
学院の意匠が凝らされた車体のままで動き回るわけにはいかず、馬以外は全て仕立て直していた。
視線を転じる。瞳だけを動かして盗み見るように、手綱を握っている青年を見る。この位置では背中と後頭部しか見えないが、自然と脳裏に見慣れてしまった顔が浮かぶ。
実際のところ、マチルダはこの眼つきの悪い青年の人となりをいまだに掴めずにいた。
別世界、キエサルヒマ大陸における黒魔術士教育機関の最高峰「牙の塔」で十五歳まで教育を受け、同十五歳時に出奔。
そしていろいろあって現在の根無し草になった、とは本人の言である。
いろいろのあたりが気になったが、改めて訊ねたことはない。
それはきっと、先ほどオーフェンが言葉を躊躇ったのと同じ理由だろう。マチルダも、彼の内面にどれほど踏み込んで良いのか、判断がつかずにいた。
車輪がガラガラとうるさく鳴る。青年の後頭部がゆらゆらと揺れる。それに眠気を誘われたのか、マチルダは常ならば抑えたであろう質問を、いつのまにか口にしていた。
「ねえ、やっぱり、元の世界に帰りたい?」
しばしの無言。オーフェンは一度だけ視線を返し、
「どうだろうな。まあ、帰れるもんなら帰りたいが」
「…………」
「学院にいた時に俺なりに調べて見たんだがな、どうもここじゃ、そもそも送還の研究自体がされてないんだよな。素人が少々気張って方法を探しても、簡単に見つかるもんじゃなさそうだ。ま、こっちでも普通に言葉が通じてコミュニケーションが取れるわけだし、しばらくは現状のままでいいんじゃねえか」
ふうんと曖昧に返事をして、マチルダは再び天井を仰ぎ見る。さて、今の答えを聞いて、私は喜んでいるのだろうか?
自問をしながら、彼女は思考を遊ばせる。これまで自分にとって、身内とは全て家族を指し示していた。
仲間という身内を持ったのは、これが初めての経験である。本音を言ってしまうと、自身の感情を持て余していた。
一つ大きく吐息をつく。だが、まあいいだろう。今の彼の言葉を聞く限り、当分の間はこれまでのような生活を送っていくことになるのだ。
仲間というものに対する接し方を考える時間は山とある。
そんな、明確な解を求めることを恐れるような先延ばしの結論を下して、マチルダは眠気に身を任せて瞼を閉じた。
オーフェンとマチルダ、二人を乗せた馬車は太陽が頂点にある時刻に目的地へ到着した。街道から外れ、また村からも離れた場所にある木造の小屋だ。
オーフェンがこの世界に初めて現れた場所であり、マチルダの帰る唯一の場所でもある。
二人はわずかに感傷を含んだ目で小屋を見ていたが、不意にその眉がしかめられる。
小屋の前にはティファニアでも子供たちでもなく、一人の黒髪の少年がいた。木の棒を剣に見立てて握り、仮想敵に斬りかかっている。
童話の剣士が行うような、素朴な剣の鍛錬だった。そして、オーフェンはその少年に見覚えがあることに気がつく。名前も珍しかったため、なんとか記憶の隅に引っかかっていた。
「たしか、サイト、だったか」
「誰? 知り合い」
「薄情だな。学院にいただろ」
「?」
「ほら、賭の対象だった、決闘の」
「……あー、そういえば見覚えがあるような」
頼りなさげな声を出して、マチルダは曖昧に頷く。そんな彼女を横目に、オーフェンは手綱を引いて馬車を停めた。
座席から降りる彼女に左手を貸した後、車内の荷物を取り出す。荷物はそれほどの量ではない(盗品を常時積んでおく度胸はどちらにもない)。
才人は荒い息をつきながら、今は地面に座り込んでいる。そして首を傾げてこちらを見ていた。
先程のオーフェンのように、見覚えのある者の名前を記憶の隅から引っ張り出しているようだ。
「ええと、お久しぶりですオーフェンさん」
「ああ、久しぶりだな。というか、なんでここにいるんだ? ティファニアの知り合いには見えんのだが」
その質問に、少年は盛大な溜息を吐いてみせる。次いで、実に複雑そうに表情をしかめてから、傍らに立てかけていた剣を見つめて、
「……すんごい色々あったんですよ」
その重々しい台詞に興味を引かれたが、この場で聞くには不都合が多そうである。視線を転じると、玄関から現れたティファニアとマチルダが再会を喜びあっていた。
姉妹はいつもよりも若干高い声で話し合い、抱き合ったり手を重ねたりしている。
その様子をなぜか顔を赤くして眺めている少年に、オーフェンは左手を差し出す。
「話を聞くにしても長くなりそうだな。中に入ろうぜ」
「あ、はい」
答えて、才人も同じく左手を出して掴む。そして、繋がった。
――ルーンの失われた左手と、不完全なルーンが刻まれた左手とが。
ここより遠く離れた一室で、一人の少女が杖を振り呪文を唱えている。
両眼には涙の残滓が残り、赤く腫れている。薄い薔薇色であった唇はひび割れている。
彼女は全霊を込めて呪文を紡ぐ。一縷の希望にすがって。
追いつめられた者の持つ、儚い強さを削りながら。
唱える呪文は召喚の呪文。かつての出会いを導いた彼女たちの呪文。
そして二度目の出会いを、再会を叶えるために、少女はその魔法を完成させた。
光に輝く、門が現出する。
光が溢れた。凄まじい熱と痛みが、オーフェンと才人を襲う。二人の左手が発光している。あまりの苦痛に声を漏らすことさえできない。
異常に気がついた姉妹が二人に駆け寄る。ティファニアが才人の肩に触れる。マチルダの寄せた手は――そのまま、オーフェンの体を突き抜けた。
歪みが、正されていく。虚無の使い魔はあるべき者に。使い手はあるべき人間へ。そして使い手を使い手たらしめるルーンは、正しい持ち主のもとへと。
オーフェンの左手に刻まれていた白い鉤傷が、本来の姿を取り戻す。そして完成されたルーンは、本来の主を求めて少年の左手へと帰っていく。
「……そうか、兄ちゃん、あんたもやっぱり使い手だったんだな」
誰もが現状を把握できずにいる中、一振りの剣がぽつりと呟く。才人を相棒と呼ぶインテリジェンスソード。
六千年もの間を存在し続けた伝説が、それに相応しい感慨を込めて声を震わせる。
「同時期に、虚無の使い魔が複数いることはある。だが、同じガンダールヴが二人もいるのはおかしいと思ってたんだよ。
兄ちゃん、あんたの召喚は不完全……いや、契約が不完全だったのか。それで、後から呼ばれた相棒のほうが、ガンダールヴになっちまったってわけだ」
どこか哀しげに、デルフリンガーは話し続ける。
「じゃあな、兄ちゃん。星の巡りがちっとばかり違ってりゃ、俺はあんたのことを相棒と呼んでたのかも知れねえなぁ」
オーフェンには、その言葉は何一つ理解できない。分かるのは、もうじき自分がこの世界を別離することになるということだけだった。
彼の目の前で、彼がこの世界で最も多くの時を共に過ごした女が、すり抜けた自分の手を呆然と見つめている。そして視線が合った。
互いに、浮かべるべき表情が思いつかない。だが、それでも、それでも何か、せめて言葉でも残さなければと思い、オーフェンは、
――、――な。
呟きは風にかき消されつつも、マチルダに届く。
彼女の両膝がその場に落ちる。震える唇で、俯きながら、彼女は、
「勝手じゃないか、そんな、急に……そんなの、勝手じゃないかッ……!!」
その叫びを聞くべき者は、もう、この世界にはいない。
オーフェンは風鳴りに起こされて、目を開く。静かに上体を起こして、周囲を見回した。
空気の香りまでも懐かしい、というほどに違うわけではないが、それでも理解した。ここが自分の本来ある世界、キエサルヒマ大陸であると。
彼は尻についた土を落としながら立ち上がり、見上げる。すぐ側、一メートルも離れていない場所に、奇妙な建造物があった。
全高はオーフェンの背丈の三倍ほど。左右対称であるべき門柱を縦に割ったような形をしている。壁面は象牙を磨いたように滑らかだ。
そしてそれに刻まれている魔術文字。それで、これが何者の手によるものなのか分かった。これは、
「これは天人の遺跡だな。刻まれている魔術文字を解読しなければはっきりとは言えないが、恐らく外界への転移を目的に作成されたものだろう」
酷く唐突に背後から声がする。この距離まで気づかず接近を許した己に驚愕しながら、オーフェンは振り向いた。
そこに、見知った顔を見る。長い黒髪を肩にかかるほど伸ばし、薄手のコートを着込んでいる、二十二、三歳ほどの青年。唇の端には、縦に裂けた古傷がある。
「コルゴン!」
まだ自分がオーフェンではなくキリランシェロと名乗っていた頃、牙の塔在籍時代の兄弟子だった男。
その男、コルゴンは抑揚のない口調で言葉を続ける。
「キエサルヒマ大陸の崩壊を避けるため、天人種族はあらゆる手段を尽くしてきた。だが、俺もお前も、彼女たちが一枚岩でなかったことはよく知っている。結界による大陸の隔離よりもある意味直接的な、外界への逃亡といった手段を選んだ者もいたのだろう。これはその内の一つ……ふん、ハルケギニアへ繋がっていたのはただの偶然か。俺たちが戻って来られたことも考えると、時間制限つきの未完成品だったのかもしれんな」
しばし唖然としてオーフェンは聞いていたが、聞き逃せない単語を耳にして声を挟む。
「ハルケギニア? まさか、あんたも向こうに」
「いた」
あっさりと肯定する。
「ガリア王国の国王とやらに呼ばれて雇用契約を結んでいた。だがある日、純粋な厚意からバランスの悪い髭を俺のセンスでカットしてやったら、なぜか不興を買ってしまってな」
「なぜかなんだ」
「俺なりに気を使ったのだが。さらに同僚だった女にも命を狙われた。まあ、大抵の追っ手はそう大したことはなかったのだが、キリランシェロ、耳長族には気をつけろ。奴は手強いぞ。あと久しぶりだな」
「……なんかもう、どこまでもいつも通りだなあんた。確かに久しぶりだけど」
顔を知らない(髭が妙になってるという情報だけ入った)ガリア国王に同情しながら、オーフェンは疲れたように呻く。コルゴンは気にした様子もなく、無造作に右腕を上げ呟いた。
「我が契約により聖戦よ終われ」
白く細い閃光が走り、天人の遺跡に刻まれた文字の幾つかが削られる。魔術の秘奥の一つ、意味消失による対象の存在抹消だ。
「これで俺たちのように、遺跡の誤作動で跳ばされる者もいなくなるだろう。ところでキリランシェロ、今は一人か。ならしばらく同行させてもらおう」
ひたすらに平坦な声で告げてから、返答も聞かずに背を向けて歩き出す。その姿に呆れ、また同時に懐かしさも覚えながらオーフェンは歩き出し、数歩ほど進んだところで振り返った。
天人の遺跡を見る。いや、その向こうにあった、ハルケギニアの情景を思い浮かべる。それなりに長い間いた、馴染み始めていた世界。そしてなによりも思い出されるのは、やはり一人の女性の姿だった。
まだ脳裏に鮮明に描ける彼女の顔。だが、それも時間によって確実に薄れていくことだろう。あの世界で得たものも、あの世界に残したものも、何一つありはしない。
オーフェンの唇が歪む。感傷に浸りかけていた自分に気づき、自嘲する。
特別に考えすぎなのだろう。あれはただの別れだ。方法が突飛であっただけにすぎない、生きていく上で何度でも起こる、ただの別れにすぎない。
頭を一つ振り、一度だけ大きく呼吸をする。それで感傷を振り払い、完全にとはとてもいえないが振り払い、オーフェンは前に一歩踏み出した。
「マチルダ、元気でな」
太陽は高い。冷たさを伴った風が吹く。
そしてあるべき者はあるべき場所へと帰り、あるべき世界であるべき物語が動き出す。
削除いたしました。
長期に渡ってご掲載くださった管理人様、また拙作を読んでくださった方々へ御礼申し上げます。
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