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「眼つきの悪いゼロの使い魔-8話」(2008/11/29 (土) 19:36:02) の最新版変更点
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#navi(眼つきの悪いゼロの使い魔)
虚無の使い魔?
ほぼ間違ないでしょう。ガンダールヴです。
眉唾ものだが、君の言葉でもある。警戒しておこう。
お一人で大丈夫ですか?
信用のないことだな。まあ、協力者の目星はつけている。
彼女が首を縦に振るでしょうか。
さてな。恩を売ったわけでなし、拒まれれば諦めよう。
情熱の薄い方。
情熱を向ける目標は、一つのみのほうが良い。
物分りがよいのですね。
分別はある。いつまでも若造ではいられない。
ふふ。ではご忠告を一言。
聞こう。
彼女の連れの殿方にはご注意を。
以前も言っていたな。手強いか?
それはあなた様と比してでしょうか?
…………。
あら、お怖い。冗談ですわ。
ふん。忠告は聞き入れた。用件は終いか?
鏡越しに失礼いたしました。吉報を主共々お待ちしております。
その主とは、閣下のことか? シェフィールド。
女の言葉の裏など、探るものではありませんよ、子爵殿。
虚無の曜日。王都トリスタニアの通りを歩むオーフェンの懐に、手が伸ばされる。雑踏に紛れるように、手馴れた様子でこちらの財布を探る腕を、オーフェンはほとんど意識せぬままに捻りあげた。そしてそのまま相手の体軸を崩して足を払おうとした際に、気がつく。このスリと思われる男の反対側の腕を、見知らぬ青年が同じように捻りあげている。
目が合う。風切り羽で飾られた帽子に、白いマント。整えられた口髭を持つ、二十台半ばと見える青年。その彼は、奇妙な戸惑いを浮かべてオーフェンを見返していた。どうも反射的に手を出してしまっただけらしい。彼らは互いに気まずく笑いあい、特に言葉を交すこともなく別れた。
ある日、そんなつまらない出会いが、一つあった。
マチルダは行儀悪く片肘をついて、テーブルの向かいにいる男、オーフェンを眺めていた。彼女の不機嫌な視線をものともせず、オーフェンは目の前に並べられた料理を片付けている。マチルダの予想に反して、存外まともな食器の扱いだった。
魚の酢漬けを平らげたオーフェンは、全く遠慮を見せずに次の料理に手をつける。ポテト、玉葱、豚肉を混ぜ、さいの目に切り焼いたものだ。それをカツカツと三つまとめてフォークに刺し、口に放り込む。たいした健啖ぶりだった。見るだけで胸焼けがしてくる。と、そんな彼女の様子に気がついたのか、淀みなく動いていたオーフェンの食器が止まった。
「どした、食わないのか? お前の金だぜ」
「ああ、ようく知ってるよ」
「そんな恨みがましい声を出すなよ。正当な賞品だろう、これ?」
そうだけどさ、と口の中で呟き、マチルダは果実酒に手を伸ばす。度数の低いそれを胃に流し込み、常よりもわずかに熱い吐息を零した。
彼女としては、別に賭けの結果を反故にするつもりではなかった。ただ、さすがに宝物庫の一件、狙いの宝が目前でガラクタに変わったことへの衝撃は大きかった。オーフェンが思い出したように、賭けの賞品を求め出したのはその翌日のことであったため、いささかぞんざいな扱いをしてしまったのも確かだろう。だが、だからといって『怪奇! 毎夜現れる巨大土ゴーレムの恐怖と正体!』などという妙に凝った版画を刷らなくてもいいではないか(発見したのは五十枚刷られた後だった)。
「……ねえ」
「うん?」
「あなたはもう私のこと、気がついてるんでしょう?」
伏目がちに、マチルダが問う。いつもより遥かに力ないその声は、贖罪を求めるかのようだった。
彼女の瞳は髪に隠れて見えない。その姿をオーフェンは無遠慮に眺めた後、意地悪く口元だけで笑って見せた。
「そいつは如何にも俺の言質を取ろうって質問の仕方だな」
見透かされて、マチルダがわずかに赤面しながら顔を上げる。そのまま誤魔化すように、給仕へ追加の注文をした。
オーフェンは再び料理を片付け始め、彼女へ話しかける。
「ま、これから何するつもりか知らねえけど、別に現状のままでもいいんじゃねえか? 学院長の秘書って結構な高給取りだろ」
「もう飽きたよ。それに貴族に飼われっぱなしなんてごめんだね」
「なんだか根が深そうだな、おい」
「あんたには関係ないだろう」
「確かに関係ないが」
マチルダは、あっさりと首肯するオーフェンをむしろ不満げに睨む。そして溜息の後、届いた新たな酒に口をつける。
「とにかく、もうこれ以上過保護に育てられたお子様方の相手はしたくない」
「別に教師やってるわけじゃないだろ。そんなに接点は……って、そう言えば生徒から手紙もらったとか言ってたか?」
「そう、それ。一回り年下の子にそんなの渡されてもね。ええと、何て名前だったっけ? こうぽっちゃりとした……そうそう思い出した。マルッコイ君」
「名は体を現すっていうかひどいな親」
呆れるオーフェンの言葉を聞き流しながら、マチルダはテーブルに顎を乗せてぼやきを続ける。
「なんか最近うまくいかないことばーっかり。ああーもーテファの所に帰りたくなってきたなー」
なにやら呂律が怪しくなっている。追加で頼んでいた酒(穀類の蒸留酒か?)の度数がオーフェンは多少気になった。
マチルダは教室で居眠りをする学生のように、顔の前で両腕を組み、気の抜けた声で言葉を吐く。
「あんたに会ってからツキが落ちる一方」
「んなこと言われてもな」
「意外とテーブルマナーまともねあなた」
「今日はまた話があちこちに飛ぶなおい」
こいつ実は酒弱いんじゃないかと疑いながらも、オーフェンは一応答えた。
「俺は十五歳まで魔術士養成機関の最高峰、牙の塔で教育を受けてたんだよ。宮廷に輩出されても恥をかかない程度には仕込まれてる」
「あんたが? へえー、見かけによらずってこのことね。そこを出てからは何やってたの?」
「金貸し。もぐりの」
「……過程でなにがあったのよ」
半分閉じた目でオーフェンを見ながら、マチルダは顔を起こす。そして酒の入った杯を掲げて、
「じゃあ落ちぶれ者同士、乾杯」
「やな祝杯だなそれ」
苦いものを噛んだような顔をしつつも、オーフェンは杯を合わす。
「ねえ」
「なんだよ今度は」
「今までどんなことをやってきたの?」
「さっき答えたろ」
「もっと詳しく。あんたはこっちに来て初めてのことばかりでしょ。不公平」
「どういう理屈だよそりゃ」
「私の名前をいくつも知ってるし」
「ますます意味分かんねえって」
いよいよ胡乱な眼差しをオーフェンはマチルダに向ける。酔いが回っているにしても、饒舌すぎないだろうか。彼女と知り合ってそれなりに月日は経っているが、こんな姿は始めて見る。
オーフェンの気づかぬこと、またマチルダの自覚せぬことである。彼女にとってマチルダであること、ロングビルであること、フーケであること、それら全てを知った相手がいたことなど、これまでなかった。同時に何も隠さず、取り繕う必要がない者と話すということも、これまでなかったことであった。心の枷がわずかばかり外れていることを、彼女自身も気づかないままでいる。
「俺に弁士の才能を期待するなよ?」
「もちろん。さっき金貸しやってたって言ってたけど、やっぱり儲かるの?」
「いや、俺もそう思ってはじめたんだがな、最初に貸したやつが――」
一度話し始めれば、言葉が途切れることはなかった。実際、オーフェンとしては提供する話題にこと欠かない。脚色する必要さえない。さすがに口にできない内容も山とあったが、酒の席で肴にするには充分に過ぎる。
彼女の笑いを誘うことに(驚くべきことに)何度か成功しながら、オーフェンは話続けた。杯が重なる。言葉が絶えることはない。
学院から借りた馬車の座席にマチルダの体を横倒す。深酒がすぎたのか、彼女の正体は怪しくなっていた。吐息とも寝息とも判別のつかない呼吸をしている。仰向けにして、なるべく楽となる姿勢を取らせてからオーフェンは背後を振り向いた。
「で、なんか話でもあるのか?」
すでに日は暮れている。夕焼けの残滓も薄れた空の下、暗闇を拒むような姿の男がいた。オーフェンはわずかに瞠目する。その男の帽子を飾る、風切り羽には見覚えがあった。白いマントを揺らしながら、男は数歩だけオーフェンに近づく。
「気づかれていたか」
「白々しい。気づかせたんだろう?」
茶番を拒むオーフェンの言葉に、男は肩を竦める。気障な仕草が妙に板についた、本物の貴族の動きだった。そして彼は帽子を胸元に当てて一礼する。
「お初に、という言葉はふさわしくないか。先週に会ったな。まったく偶然とは恐ろしい」
「俺は今あれが偶然だったかどうか、疑ってる最中だけどな」
言葉の端々に込められた皮肉にも頓着せず、男は鷹揚に会話を続ける。
「君にも興味は尽きないが、今夜は彼女に用向きがあってね。お話ができる状況かな」
「見て分かんねえか。後日にしてくれよ」
「すまないが、その余裕が私にはない」
マチルダへ向いた視線を、オーフェンは足を半歩ずらして体で塞ぐ。警戒を強めるのその姿に、むしろ男は好ましげな表情を浮かべて見せた。
「こちらの非礼については承知している。せめて彼女の目が覚めるまでは待たせてもらうよ。少し時間潰しに協力してくれないか?」
「あん?」
「君にも興味があると言ったろう。話がしたい」
言い、男は返事も待たずに背を向ける。オーフェンは多少の迷いを見せた後、懐から財布を取り出して、厩舎の見張りをしている男の一人へ(多大な逡巡を終えて)銅貨ではなく銀貨を放り、マチルダを馴染みの宿へ送るよう指示を出す。そして、すでに通りの人ごみに紛れかけていた白マントを追った。
オーフェンはしばらくの間、無言で歩く。右前方、半歩ほど先行する男も、同じく無言で歩いていた。顎の髭を撫でながら、彼は懐かしそうに辺りを見回している。その視線をオーフェンは盗み見る。男女の入り混じった雑踏。露天で声を張る商人。しつこくない程度の客引きをする女たち。別に珍しくもない、ありふれた光景だった。
「君はこの街を見て、どう思う?」
唐突に、ぽつりと男が言葉を零す。オーフェンは質問の意図を掴めないまま、
「どうって言われてもな。普通じゃねえのか、それなりに活気もあるし」
「そうだな。国の膿が市井にまで及ぶには、少しばかり時間がかかる。もうしばらくの間は、この街は普通のままだろう」
一定のリズムを保ったまま、彼らは歩き続ける。
「何の話なんだ?」
「歪みは君たちの与り知らぬところでおこっている、ということだよ。この国でも、他国でもね」
「あー、すまんが余所者の俺でも分かるように、」
「そうか、では表現を改めよう。彼女、マチルダ・オブ・サウスゴータの現在に至るまでのお話さ」
歩調に乱れを生むことなく、オーフェンの全身の筋肉から瘧が抜ける。細めた視線を送りながら、言葉の続きを待った。そして聞く。マチルダが如何にして家名を無くし、フーケとなったかの話を。
聞き終えたオーフェンは、複雑そうな表情を顔に乗せて呻く。
「よく分からねえな」
「説明が足りなかったか?」
「そうじゃねえよ」
オーフェンは足を止める。一瞬後、合せるように男も歩みを止めた。男は肩越しに振り向き、言葉を促す。
「なんでそんな話を俺にする。あんたが用があるのは、俺じゃなくて彼女のほうだろ。そもそもあんた、何をしに俺たちの前に現れたのか、まだ言ってないぜ」
「そう複雑な話ではない。単なるスカウトさ。彼女の協力を得たいのだ」
「断られれば、さっきの話が交渉材料に変わるのか?」
「そこまで恥知らずではない」
疑わしげな視線を男は平然と受け止めつつ、
「まあ、目的はそれ一つだけではないがな」
「…………?」
「君は先住魔法というものを知っているか」
「精霊や魔獣、エルフが用いる、系統魔法とは別種の魔法だと聞いている」
男が完全に振り返り、オーフェンと正対する。
「私はいずれ、本物のそれらと力を交さなければならない。そしてそれは、そう先のことではない」
オーフェンの後ろ首がちりちりと痛む。周囲の人々が、立ち止まった二人を迷惑そうに避けながら流れて行く。男は全てを無視して、小声で告げた。
「オーフェンよ。君のことは聞き知っている。系統では有り得ぬ魔法を操る、異邦の魔法使いだと」
「技を見たいってか?」
「いいや。技を競いたいのだ。私の風が、果たして先住に勝るのかを」
男は表情一つ変えない。ただ静かに、気安げでさえあった空気を剣呑なものへと作り変えていく。それでオーフェンは気づいた。今までの彼の言葉は全て真摯であり、これからの行動も全て迷いなく行うだろうと。
「一個、いい言葉をあんたにやるよ」
即座に全身のバネを弾けさせられるよう、体から力を抜いたまま、オーフェンはつまらない冗談を言うような口調で話す。
「俺の友人の言葉だ。『強いだの弱いだのそれしか知らないのか。なにか決めたいならアミダでもしろよ』だそうだぜ」
ぱちくりと、意表をつかれたように男が両目を瞬かせる。そしてすぐに唇の端を噛み締めた。怒りではない。それは笑いの衝動を堪えるためのものだった。
「そうか――、君の友人は、賢者だな」
告げるその顔は、どこか少年を思わせる純朴なものだ。遥か遠い景色に思いをはせ、美しいと感じ、けれども決してそれに手は届かぬと悟っている、そんな顔だった。
(だがどうも、その正しい言葉を受け取れない程度には、『俺』は若造であったらしい)
自嘲は胸中に沈めて、男は静かに呪文を呟いた。
オーフェンの目前で唐突に男の姿が掠れて消える。それを戸惑うよりも先に、オーフェンは上体を屈めた。標的を逃した風の刃が、首筋を冷やす。オーフェンの突然の奇行に周囲の人間が騒ぐが、構う余裕はない。姿勢を低くしたまま、オーフェンは人ごみを縫って駆け出した。
このような場所でいきなり仕掛けた男の非常識さを毒づきながら、視線を左右に飛ばす。視界の端に白いマントが引っかかった。オーフェンを挑発するように、人ごみの中をゆらゆらと泳いでいる。見据えて追う。転んだように前転をし、地べたに座り商品の説明をしている露天商の頭を飛び越える。周囲からからかいや嘲笑が聞こえてくる。己の道化ぶりに、オーフェンの胃がよじれた。
間断なく、風の刃が、空気の鎚がオーフェンを襲う。それは正確にオーフェンのみを標的としており、周囲にはまったく影響を与えない。オーフェンが眦を鋭くする。白いマントは遠ざかりはしないが、距離が縮まることもない。
回避できぬ魔法の牙をオーフェンは避け続ける。自身の五感のほかに、誰か別の者が加わっているかのように。空間を支配して、死角からの攻撃さえ全て察知する。だが、それが単なる勘にすぎないことをオーフェン自身が最もよく弁えていた。
そして、オーフェンは思考を切り替える。戦い方を変えるべきだと。
キエサルヒマ大陸に、チャイルドマンという名の最強の黒魔術士がいた。
牙の塔の教師となるまで、また教師となった以降も、彼は最強であり続けた。
彼の生徒は七人いた。チャイルドマンは己の技術を七つに切り分けて、彼らに与える。
そして生徒の一人である少年は、チャイルドマンを最強たらしめていた暗殺技能を受け継ぐ。
チャイルドマンの生徒は七人いた。しかし、
――鋼の後継と呼ばれたのは、その少年のみである。
ありえない状況に、男は強く唇を引き結んだ。彼は風の系統の魔法使い、それも並ぶ者などほぼいないスクウェア・メイジである。その彼が、ただ一人の気配を見失い、探れずにいる。どのような人ごみの中であっても、それはありえないことのはずだった。
雑踏に紛れる利点が消えたと風使いは判断する。周囲の空気の流れを警戒しながら、大通りを離れていく。それは正しく、それ故に読まれやすい行動であった。
異変を感じる。異常な感覚に、彼の全身が総毛立つ。背後から、『気配のしない』物体が、空気を掻き分けながら迫っていた。
鍛えられた体は自動的に動く。左足を軸足として半回転。右足の踏み込みと同時に杖による刺突を見舞う。会心と思えたその突きは、しかし目前の青年に容易く払われた。青年の払いの動作は、次の運動に連携していく。突き出された右腕を掻い潜り、青年、オーフェンは左肘を風使いの腋の下へ沈めた。オーフェンは確かな手ごたえを感じる。
「伏せなさい!」
鋭く、焦りを含んだ声がオーフェンを叩く。直感と、その聞きなれた声音に従う。不可視の巨大な空気の鎚が、一瞬前にオーフェンがいた場所を襲った。地面を転がりながら、オーフェンはたったいま急所を強打した男を見る。男は蜃気楼のように、風に溶けて消えていった。
唖然とするオーフェンに、一人の女が駆け寄った。オーフェンの見知った顔である。
「お前、寝た振りしてやがったな。尾けてたのか?」
「悪い? まあ、あんたらのそばで尾行する自信はなかったから、遠くの空に浮かんでただけだけどね」
あっさりとマチルダは言い、訊ねる。
「で、どういう状況なの?」
「後で説明するよ。それより教えてくれ魔法使い。今あの男、消えなかったか?」
「遍在、かしら。風の系統にはそういう魔法があると聞くけど」
「つまり?」
「単純に言えば、分身できるってこと」
「……本気ででたらめだなこっちの魔術は。レッド・ドラゴンかよ」
マチルダには理解できない言葉を吐きつつ、オーフェンは周囲を見回す。視線は感じるが、居場所は判然としない。なお最悪なことに、視線は複数あるようだった。
迷いは一瞬。オーフェンはマチルダの襟首を掴み、全力で走り出す。なにやら悲鳴が聞こえたが無視する。剣呑な気配を感じて路地裏に飛び込む。一泊遅れて、後方で破壊音が響いた。それも無視して走り続け、
「我は駆ける天の銀嶺!」
重力中和の魔術を発動させる。隣接する建物の壁を左右に蹴りながら、屋根へ躍り出た。視界が開ける。この辺りでは最も高い建物のようだ。
「ちょっと! なに考えてんのよ! ここじゃ的になるだけでしょ!?」
かなり切羽詰った悲鳴をマチルダがあげているが、オーフェンは返答をする時間さえ惜しみ、魔術の構成を編んでいく。必要なのは威力の極大ではない。細緻の極限である。過負荷で脳髄が痛む、そんな錯覚を覚えながら、オーフェンは没頭する。
音もなく、彼らの周囲に人影が出現する。風切り羽で飾った帽子、白いマント、口元を覆う整えられた髭。寸分違わぬ男たちが三人、オーフェンたちを囲む位置で立っていた。彼らの冷徹な瞳に油断はない。そして遅滞なく三人は杖を向け――瞬間、オーフェンの魔術が完成した。
「我は描く光刃の軌跡」
生まれた掌大の球電は七つ。球電はオーフェンが描いた、それぞれが異なる軌跡を辿り、人では決して回避できぬな速度で標的まで走った。
着弾後、爆発が起こる。そして爆風に押され、三人は屋根から落ちる。だが、人間が地面に激突する音は聞こえてこなかった。
三人全てが分身だったのだろうか。もしも新手がいれば、この見通しの良い場はこちらの不利となるかもしれない。焦慮がオーフェンの心を焦がす。だが、そんな彼を弄うように声が届いた。
『たいした手練れだな、君は』
素直な賛嘆が込められた声は、オーフェンの周囲で渦巻く風から聞こえてくる。声の発生源はまるで悟れない。
『今夜は自身の未熟を悟れただけでも、よしとするよ。私としても、そちらの女性を巻き込むのは本意ではない。君の忠告どおり、日を改めるとしよう』
そんな言葉を残して、周囲からの敵意や圧力が消え去った。どうやら本気で退いたらしい。
忌々しげに辺りを見回してから、オーフェンはどかりと乱暴に腰を下ろす。
「ああくそ。勝ったんだか負けたんだか、いまいちすっきりしねえな」
無駄に疲れたとぼやきながら、その場で大の字になる。そんな彼を、まったく状況が掴めていないマチルダが不満げに見下ろした。
「説明、まだ聞いてないんだけど?」
「ああーそうだっけ? 馬車で話すよ。今は勘弁してくれ」
気だるそうに言葉を漏らすオーフェンの傍に、マチルダも座り込む。彼女はしばらくの間、不満げな顔を崩さなかったが、不意に思いついたように考え込み始める。顎下に拳を当てて、寝転んだままのオーフェンをしげしげと眺める。そして、すぐに彼女は大きく頷き、
「うん、決めた」
「…………?」
「私、秘書やめるわ」
「はあ?」
唐突な台詞に、オーフェンは首だけを動かしてマチルダを見る。マチルダはオーフェンに視線を落としたまま、続けた。
「後伸ばしにすると碌なことにならないからね。決断は早くしないと」
「待て待て待て」
「あ、学院の馬車をこのままかっぱらうつもりだから、あんたも共犯ね」
「理不尽すぎるだろおい!」
堪らずオーフェンは上体を跳ね上げる。
「なんでだよ! 今のままでいいだろ!? 朝起きて夜寝て適度に働いてちゃんと休みもあって、しかも定期的な収入が週に一回もあるんだぞ! 天国じゃねえか!」
「若い男がなにをせせこましい話してるんだか。もっと一攫千金的なことを考えなよ」
「それこそ碌なことにならねえんだよ経験上!」
「はいはい。歩いて馬車のところまで行くと時間がかかるから、飛んでくよ。掴まって」
「いーやーだー! 定職がいいんだー! 定期収入がいいんだー!」
「あーほらほらハンカチ噛まない」
騒々しく騒ぎながら、二人は空を歩く。彼らの声を聞いた者が、何事かと上空を仰ぐ。そんな様子をまったく関知することなく、双月がただ静かに輝いている。
これよりしばらく後のこと。トリステインを初めとした各国の貴族たちの間で、盗賊フーケは二人組みとの噂がたつこととなった。
#navi(眼つきの悪いゼロの使い魔)
削除いたしました。
長期に渡ってご掲載くださった管理人様、また拙作を読んでくださった方々へ御礼申し上げます。
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