「白き使い魔への子守唄 第4話 白皇~ハク・オロ」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「白き使い魔への子守唄 第4話 白皇~ハク・オロ」(2007/11/14 (水) 21:16:58) の最新版変更点
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使い魔。それはメイジにとって一生のパートナー。
それは家族も同然の存在。
だから認めない。
変な仮面を着けたこんな奴が私の使い魔だなんて、絶対に認めない。
私の使い魔は巨躯の幻獣だけ。
そう、自分に言い聞かせていたのに――。
第4話 白皇~ハク・オロ
六体のワルキューレは短槍を使おうとせずに殴りかかってきた。
どうやらギーシュが慌てて造り出したため基本武装として短槍を持っているようだが、
平民相手の決闘で本気を出すつもりは無いらしく、
短槍を逆さまに持たせて殴打するための棒として利用してきた。
さすがに平民相手でも斬ったり刺したりをすれば騒ぎになると考えているのだろうか。
七体のワルキューレは四方八方から襲いかかって来るがちっとも連携が取れておらず、
必死に逃げ回る仮面の男をなかなか捕まえられないでいた。
(しかし一体や二体ならともかく、この数が相手ではいつまでも逃げ切れるものではない。
一か八か大将首を獲るしかないが、囮となる兵も無ければ、
自らこのワルキューレを倒すための武器も無い……。いや、武器なら)
近くにいたワルキューレが逆手に持った短槍を突き出した瞬間、
最初のワルキューレを転倒させた時のように短槍を両手で掴んで捻り上げ、
青銅の手のひらから青銅の槍を奪い取りると同時に脇腹を蹴り飛ばして距離を取る。
槍を奪われたワルキューレは、槍を取り戻そうと慌てて両手を広げて掴みかかってくる。
「でぇいっ!」
掛け声と同時に腹の高さから斜めに突き上げられた槍の一撃が、
ワルキューレの右目に突き刺さると同時に首をもいだ。
そして顔を貫いた時の感覚から中身が空洞であると解る。
中まで青銅が詰まってるのならともかく、外殻だけならば同じ素材の槍で十分破壊可能。
頭を失ったワルキューレはその場に尻餅をついて倒れ、
素早く後ろに引かれた槍は空中に青銅の頭を残して仮面の男の前面に構えられる。
「ぼ、僕のワルキューレが……!」
二度までもワルキューレを倒されたギーシュの顔が朱に染まった。
しかも今度は転倒させられたのではなく、頭部を破壊されてしまったのだ。
野次馬達からは歓声が上がったが、平民に不覚を取ったギーシュへの失笑も混じっている。
恥をかかされ頭に来たギーシュは、頭に来てがむしゃらにワルキューレ達で攻め立てる。
今度は短槍を奪われたため、自らも槍を持ち替えて鋭い刃を仮面の男に向けて。
しかし仮面の男の表情に臆するものは無かった。
「むうん!」
力強く突き出された槍頭を、己の槍の柄で跳ね上げて軌道をそらした仮面の男は、
そこからけさ斬りにしてワルキューレの胸部を切り裂き中の空洞を露出させる。
(これでふたつ! だがこいつ等につき合う必要は無い!)
胸を裂かれたワルキューレの首を槍の柄で突き飛ばすと、
彼はその上を飛び越えてギーシュへと駆ける。
慌てたギーシュは手近にいたワルキューレを自分と仮面の男の間に移動させた。
「このぉっ!」
ワルキューレが槍を上段から真っ直ぐに振り下ろしたため、
男は足を止めず半身を引いて槍を回避すると、自分は下から槍を斬り上げる。
肩当ての下にある脇を狙い、胴体とをつなぐ間接を切断して槍を持っている右腕を落とす。
そうするためには強く踏み込まなくてはならなかったため、彼の足はそこで一瞬止まる。
好機とばかりに背後から二体が襲い掛かってきた。
足音でそれを察した男は、反射的に足音の近い方へと振り向き様に一閃。
ワルキューレの首を刎ねた槍は男の腰まで素早く引かれ、
もう一体へのワルキューレに向き合うと同時に弾丸のように突き出された。
(四つ!)
数えると同時に細い腹部と、腰当てをつけた下腹部の隙間を貫通する。
だが力強く突きすぎたせいで抜くのが困難になったため、
即座にその槍を刺しっぱなしで手放すと、目の前のワルキューレから槍を奪う。
(身体が自然に動く。自分は武芸の心得があるようだ)
残ったワルキューレ三体は、二体が屠られている間にハクオロを三方から取り囲んだ。
うち一体は最初に造られたワルキューレで、槍は元より持っていない。
「来るかっ」
三体が同時に迫る。右前方の一体が両手を突き出し、後方の一体が槍を振り上げた。
左前方の一体は槍を低く構えて隙をうかがっている。
まず右前方の一体は、槍対素手という距離の差を生かして素早く首を刎ね飛ばす。
それとほぼ同時に背後から斜めに振り下ろされた槍を、
彼は左肩を下げるようにしてしゃがんで、背中すれすれで回避する。
左前方にいたワルキューレがその瞬間を狙って突っ込んできたが、
彼は後ろに振り向くと同時に斬り上げてワルキューレの顔を真っ二つにして、
即座に左前方のワルキューレへと向き直り突き出された槍を、己の槍で跳ね飛ばす。
流れるような体さばきに歓声が上がった。
ほぼ一回転する間に二体のワルキューレを屠り、もう一体の攻撃もさばき切るなんて。
「七つ目!」
声に出して数えると同時に彼は槍を振り上げ、左の肩のつなぎ目へと穂先を振り下ろす。
跳ね飛ばされた槍に続いて、そのワルキューレの左腕もその場に重く転がった。
(残るは敵将のみ!)
彼が、視線をギーシュに向けた瞬間。
「後ろよ! 危ない!」
野次馬達の歓声の中から、はっきりとルイズの高い声が聞こえた。
そしてギーシュが薔薇の杖を振ってこちらに向けている。
まさか。
振り返った瞬間、胸を斜めに裂かれたワルキューレが彼の仮面に青銅の拳を叩きつけた。
甲高い音が鳴り響き、脳を揺さぶられ、よろよろと後ずさる。
「ぐっ……。か、仮面が無ければ死んでいたかもしれん」
さすがに青銅の拳で額を割られては命に関わる。
男はトリステインで目覚めてから初めて外れぬ仮面の存在に感謝した。
とはいえ頭部を殴られたショックでめまいを起こし、足取りもおぼつかなくなっている。
その隙をついて、二番目に倒された右腕無しのワルキューレが、
無事な左手で背後から槍を持ち繰り出してきた。
その攻撃をかわし切れず、彼は左脇腹の肉をえぐられてしまう。
「ぐっ……しまった」
ただでさえめまいがする最中に攻撃を受けた彼は、その場に片膝をついてしまう。
そうこうしている間に、彼の周囲に倒れていたワルキューレが次々と起き上がる。
槍を奪い胸を斬った一体目。
右腕を切断した二体目。
首を刎ねた三体目。
腹部を貫通し槍を奪った四体目。
素手で挑まれ首を刎ねた五体目。
下から上へ顔を真っ二つに割った六体目。
槍を跳ね飛ばし左腕を切断した七体目。
すべてが、彼の周囲に。
「命無きゴーレム、頭や腕を破壊されても活動可能という事か」
見れば、破壊された箇所は直っていない。
だとすれば、足を壊して動けなくすべきだったと彼は悔いた。
一方ギーシュは七体すべてのワルキューレで包囲できたため、安堵の笑みを浮かべている。
「フフフッ、ここまでメイジに楯突く平民がいるとは、褒めて上げるよ」
「だったらここいらで手打ちにしてもらえないか? 自分は元々、争う気は無いんだ」
「駄目だね。僕の美しいワルキューレを傷つけたんだ、この程度で手打ちにはできない」
だったらワルキューレに反撃なんかしなければよかったと仮面の男は悔いたが、もう遅い。
仕方なしに短槍を構えたが、その槍は突然土になって崩れ去った。
「なっ……」
「それは元々、この広場の土から作った物だからね。貴族の物を盗むなど許されないよ」
だったら奪われた時すぐ土に戻していればよかっただろうと思ったが、
多分気が動転してそこまで頭が回らなかったのだろう。
もっとも下手に指摘して余計に怒りを買いたくはないので口にはしない事にする。
「さて、お仕置きの時間だよ。仮面男君」
ギーシュが杖を振ると同時に、男の前にいたワルキューレが殴りかかってきた。
相変わらず直線的な軌道だったため簡単に避けられたが、
避けた先にいた別のワルキューレに脇腹を殴られる。槍で浅く切られた脇腹を。
その時、殴られた痛みと同時に、異なる衝撃が男の身体を走り鈍い音がする。
いつの間にかルイズの隣から決闘を見ていたキュルケが、小声で呟く。
「……折れたわね」
「えっ!? 嘘、そんな」
ルイズは指が痛くなるほどに拳を握りしめた、その手にはまだフォークがあった。
(あいつは、私の使い魔なんかじゃない。でも、でも)
あばらが折れたせいで足が止まった仮面の男は、もはや抵抗するすべを持たなかった。
武器を失い、策も味方も無い。
殴られる痛みよりも、孤立無援という状況が、やけに痛烈に響く。
顔を、肩を、胸を、腹を、次々に殴られ呼吸もままならず、悲鳴すら上げられない。
だが許しを請う気にはなれなかった。
争いをしたくないという気持ちに偽りは無い。
だが二股をして少女を傷つけ、責任を転嫁し、自分だけでなくルイズをも馬鹿にされた。
ルイズ、という名が頭に浮かんだ瞬間、彼は野次馬の中にいるだろうルイズを探した。
(いた)
わずかに視線を動かしただけで、すぐルイズは見つかった。
視線が合う。
同時に背後からワルキューレに殴られ、男は倒れ込む。
だがその倒れた先に、偶然、別のワルキューレの持つ短槍があった。
それに気づいた彼は咄嗟に左手を盾にしようとした。
「キャアァァァッ!」
悲鳴を最初に上げたのは誰だっただろうか?
甲高いその声は女性のものだったが、ルイズとキュルケではなかった。
むしろ二人は、その悲鳴のおかげで何が起きたのかに気づく事ができた。
「血、血が……手が……」
「貫通しているみたいね。でもあの角度なら、運がよければ骨を避けてるかも」
二人の視線の先、いや、野次馬達の視線の先には、仮面の男の左手があった。
左の手のひらにワルキューレの短槍が突き刺さり、反対側の甲まで貫通してしまっている。
男の手と、貫いた槍は赤く染まり、その赤は地面に生える草を汚していった。
その光景にギーシュは焦った。
わざとじゃない。
しかし仮面の男は平民とはいえ、仮にもヴァリエール家の使い魔だ。
ルイズ自身は魔法の使えない落ちこぼれのゼロだが、彼女の家名は自分よりずっと上。
家ぐるみの問題にまで発展したら非常に困る事になるし、
流血騒ぎなんかをみんなの前で起こしてしまったのだから、自分の評判も落ちかねない。
ギーシュはギーシュなりに引き際を悟った。ここで手打ちにして、早々に立ち去ろう。
「ギーシュ! ここまでやる事ないじゃない!」
が、それをさえぎるようにルイズが叫び、ワルキューレを押しのけて仮面の男に駆け寄る。
男は歯を食い縛りながら、槍から自分の左手を引き抜いた。
「ぐっ、うぅ」
「だ、大丈夫!?」
「ルイズ……か。すまない、心配をかけてしまって」
「酷い……血がこんなに」
ドクドクとあふれ出す血を見て、ルイズは双眸を釣り上げギーシュを睨みつけた。
そして握りしめた得物を突きつけて宣言する。
「これ以上やるっていうなら、私が相手になるわ!」
「え、ええっ!?」
ギーシュは先日の教室爆発を思い出して青ざめた。
なぜかは知らないが、ルイズの失敗魔法の爆発力の威力は格段に上がっている。
一番間近で爆発を受けたシュヴルーズは、まだベッドの上から動けない。
怯え出したのはギーシュだけでなく、周りの野次馬達も同様だった。
ルイズの爆発は今まで『迷惑』というレベルだったが、昨日のはシャレにならない。
遮蔽物の無いこのヴェストリ広場であんな魔法を使われては、自分達も危ないのだ。
そんな空気を読み取った仮面の男は、何とかして場をおさめようとして、気づいた。
「……あの、ルイズさん?」
「何よ。今から魔法であいつ吹っ飛ばすから、邪魔しないで」
「無理だと思うぞ。さすがにフォークで魔法は使えないだろう」
「え」
言われて、ルイズはようやく気づいた。握りしめてるの、杖じゃなくて、フォーク。
食堂で仮面の男を突っついてから、ずーっと持ち歩いていたのだ。
慌ててフォークを地面に叩きつけ、自分の杖を取り出そうとするルイズ。だが。
「いや……ルイズ、この決闘は自分と彼のものだ。だから自分に任せてくれ」
「なな、何言ってんのよ! その怪我で、あんた、正気!?」
「ああ。下がっていてくれていい」
「でも!」
仮面の男は、まるで我が子供に優しく言い聞かせるような優しい眼差しと口調で言った。
「自分は君の使い魔であり、パートナーであり、家族なのだろう? ……信じて欲しい」
「あっ……」
――メイジと使い魔は一生のパートナーで、家族も同然だっていうのに。
それは出会ったその日に一度だけ口にした言葉。
それを彼は覚えていた。
ルイズは、仮面の男が使い魔だなんて認めていないのに。
けれど仮面の男は、そんなルイズの事を家族同然に思ってくれている?
嬉し――くなんかない。
でも、彼の言葉はなぜかとても信頼できる。
「……解ったわ。でも、無理したら怒るからね」
「ああ」
ルイズが下がり、ワルキューレ達の間を抜け、キュルケのかたわらまで戻る間に、
仮面の男は地面に右の手のひらを置いて、握りしめた。
そして未だ血のあふれる左手を震わせながらも握りしめ、穴の空いた甲で口元を隠す。
「ま、まだやる気なのか? その傷でまだ戦おうだなんて、侮辱しているのかい?」
怯えながら言うギーシュを、仮面の下から睨みつける裏で、彼は思案していた。
(さて……作戦は決まったものの、果たしてうまくいくかどうか。
打撲が酷いし、左手には穴、骨も何箇所か折れている。
それに自分は武術の心得があるようだが、果たして命中させる腕があるかまでは……)
彼はゆっくりと立ち上がり、包囲するワルキューレの隙間からギーシュの右手を見る。
薔薇を持った手は、甲をこちらに向けて胸の前にある。甲、か。ここで妥協すべきか否か。
「黙ってないで何とか言いたまえ! それとも――」
その後何と続けようとしたのかは本人しか解らないが、
言いながらギーシュは右手を前に突き出し、薔薇を使って仮面の男を差した。
薔薇を握る五本の指が、見え、同時に仮面の男は右腕を跳ね上げた。
その挙動にギーシュの目が見開く。構わず彼は右手を振るった。
指先から銀の輝きが一直線に飛び、ギーシュの人差し指に当たった。
刺されるような痛みに襲われたギーシュは、反射的に手を広げながら後ろに引いた。
薔薇と一緒に銀のそれが落ちる。
いったい何が指に当たったのかという疑問に視線は本能的に銀の軌跡を追い、
地面に落ちて動きを止めるのを見てようやく何であるかを認識した。
「……フォーク?」
何でこんな物が。そういえばルイズが持ってたような。ああそれを拾ったのか。
と納得したところで視線を戻してみると、ワルキューレの間を仮面の男が通り抜けていた。
ワルキューレ達は棒立ちで仮面の男を見逃している。
当然だ、ワルキューレは魔法で作られたゴーレム。自我など無い。
動くにはゴーレムを生み出したメイジの力が必要だ。
そして命令を下すために必要なのは杖、それは今ギーシュの足元に落ちている。
仮面の男は負傷した箇所が痛むのか表情は険しく、唇をきつく結んでいた。
それでも右手で左の脇を圧迫して手のひらの出血を抑えながら、
たどたどしい足取りでギーシュに向かってきている。
怖い。
仮面の下から鋭く睨みつけてくる双眸が、きつく閉じた唇から顎へと垂れ落ちる血が。
歩いた跡を記すように地面に血をポタポタと落とし続ける左手が。
ギーシュは杖を拾って応戦すべくしゃがもうとしたが、その瞬間、視界の中に赤が広がる。
「ヒィッ!?」
赤は、仮面の男の口から吹き出されていた。
何が起きた? あの赤いのは何だ? 血? 何で!?
あんな風に血を吐くような怪我させてないぞ!
クラスメイトの使い魔を殺したとなったら、退学させられるかもしれない!
完全に混乱したギーシュは全身を硬直させ、見開いた目で吹き出された血を見つめていた。
血が、ギーシュの顔に、髪に、目にかかる。
「うっ、わぁ……」
視界が赤から黒に染まり、真っ暗闇の中ギーシュは両目をおおう。
目をこすると、手にぬるぬるとした血液が付着して気持ち悪く、ギーシュは唇を歪めた。
何とかぼやける程度の視界を確保して、地面に落ちている薔薇の造花を探す。
あった。
手を伸ばす。
伸ばされた手が薔薇の造花を、杖を拾う。
手は、ギーシュから離れるようにして引っ込んでいった。
「さて、確かメイジは杖が無ければ魔法が使えないはずだが……」
ギーシュは地面に手を伸ばしたまま、先に杖を拾い上げた手の持ち主を見上げる。
仮面の男が薔薇の手を右手で持っていた。
負傷しているとはいえ、相手はワルキューレを軽くあしらう実力者。
そして自分に向かってきた時の鬼気迫る表情。恐怖にギーシュは屈する。
「ま、参った」
まさかの大逆転に大歓声が上がる。
その信じ難い光景をルイズが呆然と見つめていると、仮面の男がこちらを向いて微笑んだ。
次の瞬間、仮面の男は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
オスマン、コルベール、ロングビルは、遠見の鏡で一部始終を見終えると顔を見合わせた。
「オールド・オスマン。あの平民、勝ってしまいましたが」
「うむ。彼の粘り勝ち、作戦勝ちといったところかのう」
オスマンは顎ヒゲをさすりながら、鏡の中でルイズに駆け寄られている仮面の男を見つめる。
「……驚きました。魔法も無しに、七体のゴーレムを出し抜くなんて。
でも代償は大きかったですね。あんな大怪我をして、治療費が高くつきそうです」
ロングビルも驚いていたが、致命傷はしてないようなので仮面の男への心配は軽かった。
「そうじゃのう。昨日のように授業中の事故ならともかく、禁止されとる決闘での怪我。
ミス・ヴァリエールには悪いが、治療費は自腹じゃな。
ところでミスタ・コルベール。彼をディテクトマジックで平民かどうか確かめておるな?」
「ええ、召喚されたすぐ後に。正真正銘ただの平民です、魔法の反応はありませんでした」
「魔法の反応が無い……か」
懐かしむようにオスマンは目を細め、水パイプを一口吸うと、のんびりとした口調で言う。
「彼が目を覚ましたら、ただちに私に報告するように」
「は……? あの平民が、何か?」
「いや、ちょっと見舞いをしてやろうと思ってな」
学院長のオールド・オスマンが、わざわざ平民の使い魔を見舞うなどありえない事だ。
コルベールは、あの仮面の男にはやはり何か秘密があるのではと考えた。
熱イ……焼ケル……。
身体ガ……喉ガ……焼ケル……。
「もう大丈夫だから、安心して寝てていいの」
オ前ハ――!
目を開けると、見慣れぬ天井があった。
そして揺らぐ視界の中、黒髪の少女が自分に寄り添ってくる。
「まだ動いちゃ駄目ですよ」
少女は、起きようとする自分を押しとめ、再び床に寝かせた。
「まだ痛むんですね」
「君ハ……」
すると少女は優しく微笑んで名乗った。
「私、エルルゥっていいます」
目を開けると、見慣れぬ天井があった。
そして揺らぐ視界の中、黒髪の少女が自分に寄り添ってくる。
「まだ動いちゃ駄目ですよ」
「……エル、ル?」
何度かまばたきをして、彼はようやく目の前にいるのがシエスタだと気づく。
「よかった、目が覚めて」
首を傾けてみると、ここがルイズの部屋であると解った。
そして自分は身体中に包帯を巻かれ、ルイズのベッドに寝かされているらしい。
シエスタはベッドの横に立っていて、こちらを見ている。
ルイズは、別の椅子に座り机に突っ伏して眠っていた。
「シエスタ。自分はいったい?」
「あれから、ミス・ヴァリエールがここまであなたを運んで寝かせたんです。
先生を呼んで『治癒』の呪文をかけてもらいました。大変だったんですよ」
「治癒の呪文……昨日、ルイズが教室で爆発を起こした後に見たな」
「昨日じゃないです。もう、三日も経っていますから」
「三日……そんなに眠っていたのか」
「治癒のための秘薬の代金はミス・ヴァリエールが出してました。
ですからお金の心配をする必要はないですよ」
「……そうか。心配かけてすまなかったな」
「いえ……私の方こそ、ごめんなさい」
「どうして君が謝るんだ?」
仮面の男が疑問を投げかけると、シエスタは暗い顔をしてうつむいてしまった。
「……あの時、逃げ出してしまって」
「それは、別に謝るような事ではないだろう」
「貴族は怖くて……私みたいなただの平民にとっては。で、でも」
そこで、シエスタはぐっと顔を上げた。
「でも、少しだけ怖くなくなりました。私、あなたを見て感激したんです。
平民でも、貴族に勝てるんだって! 厨房のみんなも驚いてました!」
シエスタの表情がパッと明るくなったため、仮面の男は微笑を浮かべながらも、
ふと思い出した気になる事を訊ねてみようと思った。
「しかし……あの時逃げ出したのは、他にも理由がある気がする」
「あっ……」
シエスタが身体をすくめる。訊かない方がいいだろうか?
だがシエスタは側頭部の髪を撫でなると、それをゆっくりと後ろへ引く。
あらわになったそこは、あるべきはずのものが無かった。
「……すまない」
「いいんです。普段は髪で隠れてますから」
髪を元に戻し、ただ穴だけが空いているそれを隠したシエスタは、
ちょっとだけ無理した笑顔を浮かべた。
「私がまだ赤ん坊だった頃、両耳に悪い出来物を膿んでしまったんです。
けれど貴族に治療の魔法を頼んだり、秘薬を買ったりするお金がありませんでした。
そこで仕方なく、お父さんは私の耳を切り取ったそうです」
「……そうか」
あの時、シエスタの髪を撫でた時に違和感を持ったのは、耳が無かったから。
切り取った傷跡はだいぶ薄くなっていたが、やはり傷跡ははっきりと解るし、
耳が無いという特徴は奇異の視線にさらされるだろう。
「……不思議です。お父さん以外には、誰にも見られたくなかったのに、
あなたが相手だと、別に見せても構わないっていう気になって……。
ごめんなさい、気持ち悪かったですよね、こんなの」
「自分は気持ち悪いなどとは思わないし、そういった身体の人を差別する気も無い」
「……ありがとう、ございます」
涙目になってお礼を言うシエスタを見て、彼は保護欲を刺激された。
さみしがりの兎を愛でるような、優しい感情が芽生えてくる。
それに、なぜだろう、彼女からはどこか懐かしい気配を感じる。
「礼を言うのは自分の方だ。わざわざ看病をさせてしまって」
「違います。私じゃなくて、そこのミス・ヴァリエールが……」
「ルイズが?」
仮面の男は驚いて、机に身体を預けて眠っているルイズへと視線を向けた。
「あなたの包帯を取り替えたり、顔を拭いて上げたり、ずっと寝ないで……。
そのおかげでお疲れの様子です」
ルイズは静かな寝息を立てていて、閉じたまぶたの下にクマができていた。
そして。
「ん……大きい。こんなに大きくて……黒々とした……」
「だから、いったい何の夢を見ているんだ」
呆れながらもツッコミを入れた途端、ルイズのまぶたがゆっくりと持ち上がる。
「ふぁああ……ん……うん? あら、起きたの」
「ああ。迷惑をかけてすまない」
ルイズは机から身体を起こして、ベッドのかたわらに立つと、プスリ。
「イダッ! ……る、ルイズさん?」
「使い魔の分際で、よくもご主人様に迷惑かけてくれたわね」
不機嫌な顔で、ルイズは毛布越しに仮面の男の足を刺していた。フォークで。
「な、なぜフォーク……」
「何か使い心地がよくて」
仮面の男がこの瞬間頭痛を起こしたのは、絶対怪我のせいではないだろう。
「だからってそんな……。ん? 使い魔?」
ルイズが先ほど、そう口にした事に気づき、彼は目をしばたかせた。
「そうよ。あんたは私の使い魔なんだから、私に迷惑かける事、禁止」
これはつまり、自分を使い魔として認めてくれたという事か。
大きくて強そうな幻獣との落差のせいで、ルイズは失望や怒りにさいなまれていたが、
それも多少ではあるが解消されたと見ていいのかもしれない。
そんな風に思っていると、突然部屋の戸がノックされる。
「誰かしら? 入って」
ドアを開けて入ってきたのは、オールド・オスマンだった。
ルイズとシエスタは慌てて姿勢を正し会釈する。
「ん……? おおっ、目が覚めておったか」
「あなたは?」
「私はオスマンというものじゃ。一応ここの学院長をしておる。
君が一行に目を覚まさんのでちょっと様子を見に来たのだが、
まさか起きておったとはな……いつ目が覚めたのかね?」
彼が起きたら知らせるよう言われていたルイズとシエスタは青ざめる。
学院長への報告を怠ったとなったら、どんな罰則を受けるか解らないからだ。
そんな二人の事情を知らず不思議に思いながらも、仮面の男は答えた。
「ついさっきです。二人から、自分が気を失った後の事を聞かされていました」
それを聞き納得するようにうなずくオスマンを見て、ルイズ達はホッと胸を撫で下ろす。
目を覚ました彼に事情説明していた最中というなら、報告を怠ったとはならないだろう。
「しかし、学院長ともあろうお方が、なぜわざわざ自分などの所に?」
「メイジを倒した平民とやらを見てみたくてのう」
穏やかな口調でオスマンは言うと、おおらかな笑みを見せた。
釣られて仮面の男も笑い、寝たきりでは失礼かと上半身を起こす。
「あれは、運がよかったというか……痛ッ」
「もうしばらく安静にしておった方がよさそうじゃな」
「お気遣いありがとうございます、学院長」
「ところでお主、記憶喪失らしいの。自分の故郷などは覚えておらんのか?」
問われて、仮面の男はしばし自分の記憶を探り、首を振る。
「いえ……。ですがぼんやりと浮かぶ風景は、ここのものとはだいぶ違います」
「ふむ、名前も思い出せんのかね?」
「ええ」
すると、オスマンは男の着けている仮面をジロジロと見つめた。
何だか居心地の悪さを感じて、男は視線を泳がせる。
しばらくして、オスマンはニンマリと笑顔を浮かべる。
「いつまでも名無しでは不便じゃろう。これからは『ハクオロ』と名乗るがよい」
突然の名づけに、仮面の男だけでなくルイズとシエスタも驚いた。
「ハク、オロ?」
「そうじゃ。不服かの?」
「いえ、とんでもありません。しかし……」
ハクオロ。
どこかで聞いた事があるような、懐かしい響き。
そして口にしてみて、なぜか違和感がまったく無い。
「自分は、その名前を知っているような気がします」
「ほほう? もしかしたら、お前さんの本当の名前もハクオロと言うかもしれんのう!」
愉快そうにオスマンは笑ったが、ルイズは眉根を寄せて不服そうに訊ねる。
「あの、オールド・オスマン。ハクオロとは、どういった意味の名前でしょうか?」
ルイズの質問はもっともだった。
記憶喪失の仮面の男はハクオロという名前を自然と受け入れているが、
トリステイン、いや、ハルケギニアの住人が聞いたら誰もが首を傾げる珍妙な名前だ。
とはいえ学院の長、高名なオールド・オスマンがつけた名前となれば何らかの意味が――。
「何となく閃いただけじゃ」
「何となくで人の使い魔に妙ちくりんな名前をつけないでください!」
プスリ。オールド・オスマンの脇腹をフォークが襲う。
「あわびゅ!?」
脇腹を押さえてうずくまるオスマンを見て、シエスタの表情が蒼白に染まる。
「おおお、オールド・オスマン! 大丈夫ですか!?」
そしてルイズも自分がしてしまった事に気づき、大慌てて頭を下げる。
自分は病人なのだから静かにしてもらえるとありがたいと仮面の男は、
いや、ハクオロはそう心の中で愚痴りつつも、ほのぼのとした光景に微笑を漏らす。
私の使い魔。
白い仮面の変な奴。
平民のくせにギーシュのワルキューレを物ともしない腕前。
でも。
――自分は君の使い魔であり、パートナーであり、家族なのだろう?
そんなの私は認めてない。
認めてないけど、でも、悪い気はしなくて。それでいいかと思ってしまう。
どうしてそう思っちゃうんだろう?
――我トノ契約ヲ望ム。ソレガ汝ノ願イカ、小サキ者ヨ。
私の使い魔はあの大きな幻獣のはずなのに。
――ナラバ、我ニ汝ガスベテヲ捧ゲヨ。
こいつ、ハクオロを心から否定できない。
――ソノ身体、髪一本、血ノ一滴ニ至ルマデ、ソノ穢レ無キ無垢ナル魂。
そしてふと思い出す。
――汝ノスベテヲ、我ニ差シ出セ。
黒く霞んだあの夢を。
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使い魔。それはメイジにとって一生のパートナー。
それは家族も同然の存在。
だから認めない。
変な仮面を着けたこんな奴が私の使い魔だなんて、絶対に認めない。
私の使い魔は巨躯の幻獣だけ。
そう、自分に言い聞かせていたのに――。
第4話 白皇~ハク・オロ
六体のワルキューレは短槍を使おうとせずに殴りかかってきた。
どうやらギーシュが慌てて造り出したため基本武装として短槍を持っているようだが、
平民相手の決闘で本気を出すつもりは無いらしく、
短槍を逆さまに持たせて殴打するための棒として利用してきた。
さすがに平民相手でも斬ったり刺したりをすれば騒ぎになると考えているのだろうか。
七体のワルキューレは四方八方から襲いかかって来るがちっとも連携が取れておらず、
必死に逃げ回る仮面の男をなかなか捕まえられないでいた。
(しかし一体や二体ならともかく、この数が相手ではいつまでも逃げ切れるものではない。
一か八か大将首を獲るしかないが、囮となる兵も無ければ、
自らこのワルキューレを倒すための武器も無い……。いや、武器なら)
近くにいたワルキューレが逆手に持った短槍を突き出した瞬間、
最初のワルキューレを転倒させた時のように短槍を両手で掴んで捻り上げ、
青銅の手のひらから青銅の槍を奪い取りると同時に脇腹を蹴り飛ばして距離を取る。
槍を奪われたワルキューレは、槍を取り戻そうと慌てて両手を広げて掴みかかってくる。
「でぇいっ!」
掛け声と同時に腹の高さから斜めに突き上げられた槍の一撃が、
ワルキューレの右目に突き刺さると同時に首をもいだ。
そして顔を貫いた時の感覚から中身が空洞であると解る。
中まで青銅が詰まってるのならともかく、外殻だけならば同じ素材の槍で十分破壊可能。
頭を失ったワルキューレはその場に尻餅をついて倒れ、
素早く後ろに引かれた槍は空中に青銅の頭を残して仮面の男の前面に構えられる。
「ぼ、僕のワルキューレが……!」
二度までもワルキューレを倒されたギーシュの顔が朱に染まった。
しかも今度は転倒させられたのではなく、頭部を破壊されてしまったのだ。
野次馬達からは歓声が上がったが、平民に不覚を取ったギーシュへの失笑も混じっている。
恥をかかされ頭に来たギーシュは、頭に来てがむしゃらにワルキューレ達で攻め立てる。
今度は短槍を奪われたため、自らも槍を持ち替えて鋭い刃を仮面の男に向けて。
しかし仮面の男の表情に臆するものは無かった。
「むうん!」
力強く突き出された槍頭を、己の槍の柄で跳ね上げて軌道をそらした仮面の男は、
そこからけさ斬りにしてワルキューレの胸部を切り裂き中の空洞を露出させる。
(これでふたつ! だがこいつ等につき合う必要は無い!)
胸を裂かれたワルキューレの首を槍の柄で突き飛ばすと、
彼はその上を飛び越えてギーシュへと駆ける。
慌てたギーシュは手近にいたワルキューレを自分と仮面の男の間に移動させた。
「このぉっ!」
ワルキューレが槍を上段から真っ直ぐに振り下ろしたため、
男は足を止めず半身を引いて槍を回避すると、自分は下から槍を斬り上げる。
肩当ての下にある脇を狙い、胴体とをつなぐ間接を切断して槍を持っている右腕を落とす。
そうするためには強く踏み込まなくてはならなかったため、彼の足はそこで一瞬止まる。
好機とばかりに背後から二体が襲い掛かってきた。
足音でそれを察した男は、反射的に足音の近い方へと振り向き様に一閃。
ワルキューレの首を刎ねた槍は男の腰まで素早く引かれ、
もう一体へのワルキューレに向き合うと同時に弾丸のように突き出された。
(四つ!)
数えると同時に細い腹部と、腰当てをつけた下腹部の隙間を貫通する。
だが力強く突きすぎたせいで抜くのが困難になったため、
即座にその槍を刺しっぱなしで手放すと、目の前のワルキューレから槍を奪う。
(身体が自然に動く。自分は武芸の心得があるようだ)
残ったワルキューレ三体は、二体が屠られている間にハクオロを三方から取り囲んだ。
うち一体は最初に造られたワルキューレで、槍は元より持っていない。
「来るかっ」
三体が同時に迫る。右前方の一体が両手を突き出し、後方の一体が槍を振り上げた。
左前方の一体は槍を低く構えて隙をうかがっている。
まず右前方の一体は、槍対素手という距離の差を生かして素早く首を刎ね飛ばす。
それとほぼ同時に背後から斜めに振り下ろされた槍を、
彼は左肩を下げるようにしてしゃがんで、背中すれすれで回避する。
左前方にいたワルキューレがその瞬間を狙って突っ込んできたが、
彼は後ろに振り向くと同時に斬り上げてワルキューレの顔を真っ二つにして、
即座に左前方のワルキューレへと向き直り突き出された槍を、己の槍で跳ね飛ばす。
流れるような体さばきに歓声が上がった。
ほぼ一回転する間に二体のワルキューレを屠り、もう一体の攻撃もさばき切るなんて。
「七つ目!」
声に出して数えると同時に彼は槍を振り上げ、左の肩のつなぎ目へと穂先を振り下ろす。
跳ね飛ばされた槍に続いて、そのワルキューレの左腕もその場に重く転がった。
(残るは敵将のみ!)
彼が、視線をギーシュに向けた瞬間。
「後ろよ! 危ない!」
野次馬達の歓声の中から、はっきりとルイズの高い声が聞こえた。
そしてギーシュが薔薇の杖を振ってこちらに向けている。
まさか。
振り返った瞬間、胸を斜めに裂かれたワルキューレが彼の仮面に青銅の拳を叩きつけた。
甲高い音が鳴り響き、脳を揺さぶられ、よろよろと後ずさる。
「ぐっ……。か、仮面が無ければ死んでいたかもしれん」
さすがに青銅の拳で額を割られては命に関わる。
男はトリステインで目覚めてから初めて外れぬ仮面の存在に感謝した。
とはいえ頭部を殴られたショックでめまいを起こし、足取りもおぼつかなくなっている。
その隙をついて、二番目に倒された右腕無しのワルキューレが、
無事な左手で背後から槍を持ち繰り出してきた。
その攻撃をかわし切れず、彼は左脇腹の肉をえぐられてしまう。
「ぐっ……しまった」
ただでさえめまいがする最中に攻撃を受けた彼は、その場に片膝をついてしまう。
そうこうしている間に、彼の周囲に倒れていたワルキューレが次々と起き上がる。
槍を奪い胸を斬った一体目。
右腕を切断した二体目。
首を刎ねた三体目。
腹部を貫通し槍を奪った四体目。
素手で挑まれ首を刎ねた五体目。
下から上へ顔を真っ二つに割った六体目。
槍を跳ね飛ばし左腕を切断した七体目。
すべてが、彼の周囲に。
「命無きゴーレム、頭や腕を破壊されても活動可能という事か」
見れば、破壊された箇所は直っていない。
だとすれば、足を壊して動けなくすべきだったと彼は悔いた。
一方ギーシュは七体すべてのワルキューレで包囲できたため、安堵の笑みを浮かべている。
「フフフッ、ここまでメイジに楯突く平民がいるとは、褒めて上げるよ」
「だったらここいらで手打ちにしてもらえないか? 自分は元々、争う気は無いんだ」
「駄目だね。僕の美しいワルキューレを傷つけたんだ、この程度で手打ちにはできない」
だったらワルキューレに反撃なんかしなければよかったと仮面の男は悔いたが、もう遅い。
仕方なしに短槍を構えたが、その槍は突然土になって崩れ去った。
「なっ……」
「それは元々、この広場の土から作った物だからね。貴族の物を盗むなど許されないよ」
だったら奪われた時すぐ土に戻していればよかっただろうと思ったが、
多分気が動転してそこまで頭が回らなかったのだろう。
もっとも下手に指摘して余計に怒りを買いたくはないので口にはしない事にする。
「さて、お仕置きの時間だよ。仮面男君」
ギーシュが杖を振ると同時に、男の前にいたワルキューレが殴りかかってきた。
相変わらず直線的な軌道だったため簡単に避けられたが、
避けた先にいた別のワルキューレに脇腹を殴られる。槍で浅く切られた脇腹を。
その時、殴られた痛みと同時に、異なる衝撃が男の身体を走り鈍い音がする。
いつの間にかルイズの隣から決闘を見ていたキュルケが、小声で呟く。
「……折れたわね」
「えっ!? 嘘、そんな」
ルイズは指が痛くなるほどに拳を握りしめた、その手にはまだフォークがあった。
(あいつは、私の使い魔なんかじゃない。でも、でも)
あばらが折れたせいで足が止まった仮面の男は、もはや抵抗するすべを持たなかった。
武器を失い、策も味方も無い。
殴られる痛みよりも、孤立無援という状況が、やけに痛烈に響く。
顔を、肩を、胸を、腹を、次々に殴られ呼吸もままならず、悲鳴すら上げられない。
だが許しを請う気にはなれなかった。
争いをしたくないという気持ちに偽りは無い。
だが二股をして少女を傷つけ、責任を転嫁し、自分だけでなくルイズをも馬鹿にされた。
ルイズ、という名が頭に浮かんだ瞬間、彼は野次馬の中にいるだろうルイズを探した。
(いた)
わずかに視線を動かしただけで、すぐルイズは見つかった。
視線が合う。
同時に背後からワルキューレに殴られ、男は倒れ込む。
だがその倒れた先に、偶然、別のワルキューレの持つ短槍があった。
それに気づいた彼は咄嗟に左手を盾にしようとした。
「キャアァァァッ!」
悲鳴を最初に上げたのは誰だっただろうか?
甲高いその声は女性のものだったが、ルイズとキュルケではなかった。
むしろ二人は、その悲鳴のおかげで何が起きたのかに気づく事ができた。
「血、血が……手が……」
「貫通しているみたいね。でもあの角度なら、運がよければ骨を避けてるかも」
二人の視線の先、いや、野次馬達の視線の先には、仮面の男の左手があった。
左の手のひらにワルキューレの短槍が突き刺さり、反対側の甲まで貫通してしまっている。
男の手と、貫いた槍は赤く染まり、その赤は地面に生える草を汚していった。
その光景にギーシュは焦った。
わざとじゃない。
しかし仮面の男は平民とはいえ、仮にもヴァリエール家の使い魔だ。
ルイズ自身は魔法の使えない落ちこぼれのゼロだが、彼女の家名は自分よりずっと上。
家ぐるみの問題にまで発展したら非常に困る事になるし、
流血騒ぎなんかをみんなの前で起こしてしまったのだから、自分の評判も落ちかねない。
ギーシュはギーシュなりに引き際を悟った。ここで手打ちにして、早々に立ち去ろう。
「ギーシュ! ここまでやる事ないじゃない!」
が、それをさえぎるようにルイズが叫び、ワルキューレを押しのけて仮面の男に駆け寄る。
男は歯を食い縛りながら、槍から自分の左手を引き抜いた。
「ぐっ、うぅ」
「だ、大丈夫!?」
「ルイズ……か。すまない、心配をかけてしまって」
「酷い……血がこんなに」
ドクドクとあふれ出す血を見て、ルイズは双眸を釣り上げギーシュを睨みつけた。
そして握りしめた得物を突きつけて宣言する。
「これ以上やるっていうなら、私が相手になるわ!」
「え、ええっ!?」
ギーシュは先日の教室爆発を思い出して青ざめた。
なぜかは知らないが、ルイズの失敗魔法の爆発力の威力は格段に上がっている。
一番間近で爆発を受けたシュヴルーズは、まだベッドの上から動けない。
怯え出したのはギーシュだけでなく、周りの野次馬達も同様だった。
ルイズの爆発は今まで『迷惑』というレベルだったが、昨日のはシャレにならない。
遮蔽物の無いこのヴェストリ広場であんな魔法を使われては、自分達も危ないのだ。
そんな空気を読み取った仮面の男は、何とかして場をおさめようとして、気づいた。
「……あの、ルイズさん?」
「何よ。今から魔法であいつ吹っ飛ばすから、邪魔しないで」
「無理だと思うぞ。さすがにフォークで魔法は使えないだろう」
「え」
言われて、ルイズはようやく気づいた。握りしめてるの、杖じゃなくて、フォーク。
食堂で仮面の男を突っついてから、ずーっと持ち歩いていたのだ。
慌ててフォークを地面に叩きつけ、自分の杖を取り出そうとするルイズ。だが。
「いや……ルイズ、この決闘は自分と彼のものだ。だから自分に任せてくれ」
「なな、何言ってんのよ! その怪我で、あんた、正気!?」
「ああ。下がっていてくれていい」
「でも!」
仮面の男は、まるで我が子供に優しく言い聞かせるような優しい眼差しと口調で言った。
「自分は君の使い魔であり、パートナーであり、家族なのだろう? ……信じて欲しい」
「あっ……」
――メイジと使い魔は一生のパートナーで、家族も同然だっていうのに。
それは出会ったその日に一度だけ口にした言葉。
それを彼は覚えていた。
ルイズは、仮面の男が使い魔だなんて認めていないのに。
けれど仮面の男は、そんなルイズの事を家族同然に思ってくれている?
嬉し――くなんかない。
でも、彼の言葉はなぜかとても信頼できる。
「……解ったわ。でも、無理したら怒るからね」
「ああ」
ルイズが下がり、ワルキューレ達の間を抜け、キュルケのかたわらまで戻る間に、
仮面の男は地面に右の手のひらを置いて、握りしめた。
そして未だ血のあふれる左手を震わせながらも握りしめ、穴の空いた甲で口元を隠す。
「ま、まだやる気なのか? その傷でまだ戦おうだなんて、侮辱しているのかい?」
怯えながら言うギーシュを、仮面の下から睨みつける裏で、彼は思案していた。
(さて……作戦は決まったものの、果たしてうまくいくかどうか。
打撲が酷いし、左手には穴、骨も何箇所か折れている。
それに自分は武術の心得があるようだが、果たして命中させる腕があるかまでは……)
彼はゆっくりと立ち上がり、包囲するワルキューレの隙間からギーシュの右手を見る。
薔薇を持った手は、甲をこちらに向けて胸の前にある。甲、か。ここで妥協すべきか否か。
「黙ってないで何とか言いたまえ! それとも――」
その後何と続けようとしたのかは本人しか解らないが、
言いながらギーシュは右手を前に突き出し、薔薇を使って仮面の男を差した。
薔薇を握る五本の指が、見え、同時に仮面の男は右腕を跳ね上げた。
その挙動にギーシュの目が見開く。構わず彼は右手を振るった。
指先から銀の輝きが一直線に飛び、ギーシュの人差し指に当たった。
刺されるような痛みに襲われたギーシュは、反射的に手を広げながら後ろに引いた。
薔薇と一緒に銀のそれが落ちる。
いったい何が指に当たったのかという疑問に視線は本能的に銀の軌跡を追い、
地面に落ちて動きを止めるのを見てようやく何であるかを認識した。
「……フォーク?」
何でこんな物が。そういえばルイズが持ってたような。ああそれを拾ったのか。
と納得したところで視線を戻してみると、ワルキューレの間を仮面の男が通り抜けていた。
ワルキューレ達は棒立ちで仮面の男を見逃している。
当然だ、ワルキューレは魔法で作られたゴーレム。自我など無い。
動くにはゴーレムを生み出したメイジの力が必要だ。
そして命令を下すために必要なのは杖、それは今ギーシュの足元に落ちている。
仮面の男は負傷した箇所が痛むのか表情は険しく、唇をきつく結んでいた。
それでも右手で左の脇を圧迫して手のひらの出血を抑えながら、
たどたどしい足取りでギーシュに向かってきている。
怖い。
仮面の下から鋭く睨みつけてくる双眸が、きつく閉じた唇から顎へと垂れ落ちる血が。
歩いた跡を記すように地面に血をポタポタと落とし続ける左手が。
ギーシュは杖を拾って応戦すべくしゃがもうとしたが、その瞬間、視界の中に赤が広がる。
「ヒィッ!?」
赤は、仮面の男の口から吹き出されていた。
何が起きた? あの赤いのは何だ? 血? 何で!?
あんな風に血を吐くような怪我させてないぞ!
クラスメイトの使い魔を殺したとなったら、退学させられるかもしれない!
完全に混乱したギーシュは全身を硬直させ、見開いた目で吹き出された血を見つめていた。
血が、ギーシュの顔に、髪に、目にかかる。
「うっ、わぁ……」
視界が赤から黒に染まり、真っ暗闇の中ギーシュは両目をおおう。
目をこすると、手にぬるぬるとした血液が付着して気持ち悪く、ギーシュは唇を歪めた。
何とかぼやける程度の視界を確保して、地面に落ちている薔薇の造花を探す。
あった。
手を伸ばす。
伸ばされた手が薔薇の造花を、杖を拾う。
手は、ギーシュから離れるようにして引っ込んでいった。
「さて、確かメイジは杖が無ければ魔法が使えないはずだが……」
ギーシュは地面に手を伸ばしたまま、先に杖を拾い上げた手の持ち主を見上げる。
仮面の男が薔薇の手を右手で持っていた。
負傷しているとはいえ、相手はワルキューレを軽くあしらう実力者。
そして自分に向かってきた時の鬼気迫る表情。恐怖にギーシュは屈する。
「ま、参った」
まさかの大逆転に大歓声が上がる。
その信じ難い光景をルイズが呆然と見つめていると、仮面の男がこちらを向いて微笑んだ。
次の瞬間、仮面の男は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
オスマン、コルベール、ロングビルは、遠見の鏡で一部始終を見終えると顔を見合わせた。
「オールド・オスマン。あの平民、勝ってしまいましたが」
「うむ。彼の粘り勝ち、作戦勝ちといったところかのう」
オスマンは顎ヒゲをさすりながら、鏡の中でルイズに駆け寄られている仮面の男を見つめる。
「……驚きました。魔法も無しに、七体のゴーレムを出し抜くなんて。
でも代償は大きかったですね。あんな大怪我をして、治療費が高くつきそうです」
ロングビルも驚いていたが、致命傷はしてないようなので仮面の男への心配は軽かった。
「そうじゃのう。昨日のように授業中の事故ならともかく、禁止されとる決闘での怪我。
ミス・ヴァリエールには悪いが、治療費は自腹じゃな。
ところでミスタ・コルベール。彼をディテクトマジックで平民かどうか確かめておるな?」
「ええ、召喚されたすぐ後に。正真正銘ただの平民です、魔法の反応はありませんでした」
「魔法の反応が無い……か」
懐かしむようにオスマンは目を細め、水パイプを一口吸うと、のんびりとした口調で言う。
「彼が目を覚ましたら、ただちに私に報告するように」
「は……? あの平民が、何か?」
「いや、ちょっと見舞いをしてやろうと思ってな」
学院長のオールド・オスマンが、わざわざ平民の使い魔を見舞うなどありえない事だ。
コルベールは、あの仮面の男にはやはり何か秘密があるのではと考えた。
熱イ……焼ケル……。
身体ガ……喉ガ……焼ケル……。
「もう大丈夫だから、安心して寝てていいの」
オ前ハ――!
目を開けると、見慣れぬ天井があった。
そして揺らぐ視界の中、黒髪の少女が自分に寄り添ってくる。
「まだ動いちゃ駄目ですよ」
少女は、起きようとする自分を押しとめ、再び床に寝かせた。
「まだ痛むんですね」
「君ハ……」
すると少女は優しく微笑んで名乗った。
「私、エルルゥっていいます」
目を開けると、見慣れぬ天井があった。
そして揺らぐ視界の中、黒髪の少女が自分に寄り添ってくる。
「まだ動いちゃ駄目ですよ」
「……エル、ル?」
何度かまばたきをして、彼はようやく目の前にいるのがシエスタだと気づく。
「よかった、目が覚めて」
首を傾けてみると、ここがルイズの部屋であると解った。
そして自分は身体中に包帯を巻かれ、ルイズのベッドに寝かされているらしい。
シエスタはベッドの横に立っていて、こちらを見ている。
ルイズは、別の椅子に座り机に突っ伏して眠っていた。
「シエスタ。自分はいったい?」
「あれから、ミス・ヴァリエールがここまであなたを運んで寝かせたんです。
先生を呼んで『治癒』の呪文をかけてもらいました。大変だったんですよ」
「治癒の呪文……昨日、ルイズが教室で爆発を起こした後に見たな」
「昨日じゃないです。もう、三日も経っていますから」
「三日……そんなに眠っていたのか」
「治癒のための秘薬の代金はミス・ヴァリエールが出してました。
ですからお金の心配をする必要はないですよ」
「……そうか。心配かけてすまなかったな」
「いえ……私の方こそ、ごめんなさい」
「どうして君が謝るんだ?」
仮面の男が疑問を投げかけると、シエスタは暗い顔をしてうつむいてしまった。
「……あの時、逃げ出してしまって」
「それは、別に謝るような事ではないだろう」
「貴族は怖くて……私みたいなただの平民にとっては。で、でも」
そこで、シエスタはぐっと顔を上げた。
「でも、少しだけ怖くなくなりました。私、あなたを見て感激したんです。
平民でも、貴族に勝てるんだって! 厨房のみんなも驚いてました!」
シエスタの表情がパッと明るくなったため、仮面の男は微笑を浮かべながらも、
ふと思い出した気になる事を訊ねてみようと思った。
「しかし……あの時逃げ出したのは、他にも理由がある気がする」
「あっ……」
シエスタが身体をすくめる。訊かない方がいいだろうか?
だがシエスタは側頭部の髪を撫でなると、それをゆっくりと後ろへ引く。
あらわになったそこは、あるべきはずのものが無かった。
「……すまない」
「いいんです。普段は髪で隠れてますから」
髪を元に戻し、ただ穴だけが空いているそれを隠したシエスタは、
ちょっとだけ無理した笑顔を浮かべた。
「私がまだ赤ん坊だった頃、両耳に悪い出来物を膿んでしまったんです。
けれど貴族に治療の魔法を頼んだり、秘薬を買ったりするお金がありませんでした。
そこで仕方なく、お父さんは私の耳を切り取ったそうです」
「……そうか」
あの時、シエスタの髪を撫でた時に違和感を持ったのは、耳が無かったから。
切り取った傷跡はだいぶ薄くなっていたが、やはり傷跡ははっきりと解るし、
耳が無いという特徴は奇異の視線にさらされるだろう。
「……不思議です。お父さん以外には、誰にも見られたくなかったのに、
あなたが相手だと、別に見せても構わないっていう気になって……。
ごめんなさい、気持ち悪かったですよね、こんなの」
「自分は気持ち悪いなどとは思わないし、そういった身体の人を差別する気も無い」
「……ありがとう、ございます」
涙目になってお礼を言うシエスタを見て、彼は保護欲を刺激された。
さみしがりの兎を愛でるような、優しい感情が芽生えてくる。
それに、なぜだろう、彼女からはどこか懐かしい気配を感じる。
「礼を言うのは自分の方だ。わざわざ看病をさせてしまって」
「違います。私じゃなくて、そこのミス・ヴァリエールが……」
「ルイズが?」
仮面の男は驚いて、机に身体を預けて眠っているルイズへと視線を向けた。
「あなたの包帯を取り替えたり、顔を拭いて上げたり、ずっと寝ないで……。
そのおかげでお疲れの様子です」
ルイズは静かな寝息を立てていて、閉じたまぶたの下にクマができていた。
そして。
「ん……大きい。こんなに大きくて……黒々とした……」
「だから、いったい何の夢を見ているんだ」
呆れながらもツッコミを入れた途端、ルイズのまぶたがゆっくりと持ち上がる。
「ふぁああ……ん……うん? あら、起きたの」
「ああ。迷惑をかけてすまない」
ルイズは机から身体を起こして、ベッドのかたわらに立つと、プスリ。
「イダッ! ……る、ルイズさん?」
「使い魔の分際で、よくもご主人様に迷惑かけてくれたわね」
不機嫌な顔で、ルイズは毛布越しに仮面の男の足を刺していた。フォークで。
「な、なぜフォーク……」
「何か使い心地がよくて」
仮面の男がこの瞬間頭痛を起こしたのは、絶対怪我のせいではないだろう。
「だからってそんな……。ん? 使い魔?」
ルイズが先ほど、そう口にした事に気づき、彼は目をしばたかせた。
「そうよ。あんたは私の使い魔なんだから、私に迷惑かける事、禁止」
これはつまり、自分を使い魔として認めてくれたという事か。
大きくて強そうな幻獣との落差のせいで、ルイズは失望や怒りにさいなまれていたが、
それも多少ではあるが解消されたと見ていいのかもしれない。
そんな風に思っていると、突然部屋の戸がノックされる。
「誰かしら? 入って」
ドアを開けて入ってきたのは、オールド・オスマンだった。
ルイズとシエスタは慌てて姿勢を正し会釈する。
「ん……? おおっ、目が覚めておったか」
「あなたは?」
「私はオスマンというものじゃ。一応ここの学院長をしておる。
君が一行に目を覚まさんのでちょっと様子を見に来たのだが、
まさか起きておったとはな……いつ目が覚めたのかね?」
彼が起きたら知らせるよう言われていたルイズとシエスタは青ざめる。
学院長への報告を怠ったとなったら、どんな罰則を受けるか解らないからだ。
そんな二人の事情を知らず不思議に思いながらも、仮面の男は答えた。
「ついさっきです。二人から、自分が気を失った後の事を聞かされていました」
それを聞き納得するようにうなずくオスマンを見て、ルイズ達はホッと胸を撫で下ろす。
目を覚ました彼に事情説明していた最中というなら、報告を怠ったとはならないだろう。
「しかし、学院長ともあろうお方が、なぜわざわざ自分などの所に?」
「メイジを倒した平民とやらを見てみたくてのう」
穏やかな口調でオスマンは言うと、おおらかな笑みを見せた。
釣られて仮面の男も笑い、寝たきりでは失礼かと上半身を起こす。
「あれは、運がよかったというか……痛ッ」
「もうしばらく安静にしておった方がよさそうじゃな」
「お気遣いありがとうございます、学院長」
「ところでお主、記憶喪失らしいの。自分の故郷などは覚えておらんのか?」
問われて、仮面の男はしばし自分の記憶を探り、首を振る。
「いえ……。ですがぼんやりと浮かぶ風景は、ここのものとはだいぶ違います」
「ふむ、名前も思い出せんのかね?」
「ええ」
すると、オスマンは男の着けている仮面をジロジロと見つめた。
何だか居心地の悪さを感じて、男は視線を泳がせる。
しばらくして、オスマンはニンマリと笑顔を浮かべる。
「いつまでも名無しでは不便じゃろう。これからは『ハクオロ』と名乗るがよい」
突然の名づけに、仮面の男だけでなくルイズとシエスタも驚いた。
「ハク、オロ?」
「そうじゃ。不服かの?」
「いえ、とんでもありません。しかし……」
ハクオロ。
どこかで聞いた事があるような、懐かしい響き。
そして口にしてみて、なぜか違和感がまったく無い。
「自分は、その名前を知っているような気がします」
「ほほう? もしかしたら、お前さんの本当の名前もハクオロと言うかもしれんのう!」
愉快そうにオスマンは笑ったが、ルイズは眉根を寄せて不服そうに訊ねる。
「あの、オールド・オスマン。ハクオロとは、どういった意味の名前でしょうか?」
ルイズの質問はもっともだった。
記憶喪失の仮面の男はハクオロという名前を自然と受け入れているが、
トリステイン、いや、ハルケギニアの住人が聞いたら誰もが首を傾げる珍妙な名前だ。
とはいえ学院の長、高名なオールド・オスマンがつけた名前となれば何らかの意味が――。
「何となく閃いただけじゃ」
「何となくで人の使い魔に妙ちくりんな名前をつけないでください!」
プスリ。オールド・オスマンの脇腹をフォークが襲う。
「あわびゅ!?」
脇腹を押さえてうずくまるオスマンを見て、シエスタの表情が蒼白に染まる。
「おおお、オールド・オスマン! 大丈夫ですか!?」
そしてルイズも自分がしてしまった事に気づき、大慌てて頭を下げる。
自分は病人なのだから静かにしてもらえるとありがたいと仮面の男は、
いや、ハクオロはそう心の中で愚痴りつつも、ほのぼのとした光景に微笑を漏らす。
私の使い魔。
白い仮面の変な奴。
平民のくせにギーシュのワルキューレを物ともしない腕前。
でも。
――自分は君の使い魔であり、パートナーであり、家族なのだろう?
そんなの私は認めてない。
認めてないけど、でも、悪い気はしなくて。それでいいかと思ってしまう。
どうしてそう思っちゃうんだろう?
――我トノ契約ヲ望ム。ソレガ汝ノ願イカ、小サキ者ヨ。
私の使い魔はあの大きな幻獣のはずなのに。
――ナラバ、我ニ汝ガスベテヲ捧ゲヨ。
こいつ、ハクオロを心から否定できない。
――ソノ身体、髪一本、血ノ一滴ニ至ルマデ、ソノ穢レ無キ無垢ナル魂。
そしてふと思い出す。
――汝ノスベテヲ、我ニ差シ出セ。
黒く霞んだあの夢を。
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