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「戴天神城アースガルズッ!-5」(2007/09/19 (水) 21:41:10) の最新版変更点
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第5話:「ワイルドワイルド・マジックスクール」
ヴェストリの広場。極めて限定的に定義するならば、ささやかな決闘場。
人だかりが遠巻きに囲む円の中心に、少女と少年が立っていた。少女の背には巨大なゴーレムとひとりのメイドが存在していた。少女が守るべきものが存在していた。
少女、ルイズは動かなかった。風に折れぬ旗基のように、すらりと伸ばした背中からは何かが立ち昇っているようでもあった。すくなくともこの年頃の少女が纏ってよい志思ではない。
彼女の引き結んだ唇が時折ぴくりと震え、笑みを形作ろうとする。寸での所まで出掛かったそれを飲み込んで、彼女は杖を構えた。
ルイズはこの瞬間を与えてくれた全てに感謝していた。シエスタに感謝した。アースガルズに感謝した。もしかするとギーシュにすら感謝していたのかもしれない。
示せているのだ。己の存在を。自分自身で自覚したばかりのそれを。
魔法の使えない、失敗ばかりのゼロのルイズ。役立たずのメイジ。学院きっての劣等性。名ばかりの貴族。
だが、今だけは。今だけは今だけは今だけは、今だけは、それでいい。ゼロでいい。
無能のゼロではなく、無に帰すゼロとして、彼女はこの場に立っていた。
足を踏み出し、腰を落とす。獲物に飛び掛る寸前の猫科の猛獣を思わせた。闘うための機能美を天から与えられているのではないかと誰もが思う仕草だった。
抑えることのできなくなった笑みが、その愛らしいとすら形容でき得る相貌にひどく不釣り合いな表情を滲まぜた。
にい、と邪悪に笑う。見られるのって快感だわ。
「それで、ギーシュ。何をしてくれるのかしら」
「やることは変わらない。僕のワルキューレで君を叩く」
「ふん、それじゃあ結果も変わらないわね。片ッ端から砕いてあげる」
「ほう、それは――――」
ギーシュは薔薇を一振りした。花弁が舞い散る。
それは地に着く寸前に、青銅の戦乙女となった。今までルイズに差し向けたゴーレムと何ら変わるところはなかった。
ただし。
「ワルキューレが、七体でもかい?」
十四の無機質な眼差しがルイズを捉えた。七体のゴーレムであった。
運動の余熱の燻りだけではない、冷たい汗がルイズの頬に滴った。
七体。一体だけであっても未だにそれを越えてギーシュに肉薄できてはいないというのに、それが七体。
呼吸を整える。乾いた唇を舐める。足でリズムを取る。腕の震えを隠す。思考を加速させる。
ルイズは言った。己の声質が強張っていないことに安堵した。勇気を司るジャスティーンが己の内に存在することを彼女は確信した。
ルイズは言った。しなやかな決意と共にギーシュに応えた。孤影のまま荒野を渡る鳥を思わせた。
「ええ。ワルキューレが、七体でも」
ああ、言っちゃった。どうしよう、わたしって莫迦かも。言ったからには勝たなくちゃいけないのに。
ささやかな後悔が心の淵を這いずった。それをジャスティーンの刃で八つ裂きにして、彼女は更に一歩を踏み出す。
ギーシュはルイズの意思と意志を受けると、感に堪えぬように一瞬だけ眼を閉ざした。見開いた瞳に浮かぶものに、敵手に向けるべき色は欠片さえ残っていなかった。
幼い少年が高潔な騎士と出会ったような眼差しであった。
あるいは、万引きの常習者が連続強盗殺人犯を仰ぎ見るような眼差しであったかもしれない。
精神の奥底から衝き上げてきたものの正体も解らぬままに、ギーシュは眼光鋭くルイズを捉えた。
杖を振りぬいた。突撃を命じた。そして宣言した。薔薇散る杖。
「ならば僕に見せ付けてみせろヴァリエールッ! 七対一で尚、それを覆す理不尽を――――――――ッ!!」
ルイズは拡大を続ける己が精神の全てを、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールという小さな少女の肉体に凝縮した。
杖を振り抜いた。疾走をはじめた。そして宣言した。翻る外套。
「だったら見せてやろうじゃないのギーシュ・ド・グラモンッ! 一対一を、七戦七勝するゼロのルイズを――――――――ッ!!」
踊るようなステップを刻みながら、ルイズは悔しげに笑った。『かも』じゃないわね。大莫迦だわ、わたし。
もう退けない。わたしは莫迦でいい。でも、恥知らずにはなりたくない。
使い魔と自分を信じてくれた平民の目の前で、敵に背を向けるメイジにだけはなりたくない。
最速の詠唱。そして最も手近なワルキューレに狙いを定める。
爆発。まずは一体。
ルイズは何故自分がここまで意固地になっているのだろうかと一瞬だけ思い、すぐに答えを得た。
それは考えるまでもなかった。
だって、わたしの信じる貴族はそういうものだもの。
■□■□■□
学院長室の二人の教師は、身じろぎひとつせずにその光景を見つめていた。無言であった。
嫌な感触の脂汗を憶えながら、オスマンはぼそりと呟いた。
「コルベール君、きみは火系統のメイジだったね?」
「はい」
「その……あれほどの爆発を、魔法を『完成』させずに放つことは可能かの?」
問われたコルベールもまた額を拭い、緩やかに首を振った。口を開いての返答は避けた。無理もなかった。
ただの失敗であそこまでの爆発をこなせてしまうようでは炎系統のメイジの立場はない。
オスマンはそれを咎めず軽く頷いた。腕を組み、口を開く。この老人にしては珍しく何かを言いよどむような仕草であった。
「火ではない。そして水も風も土も使えない…………となると」
その言葉の意味を数秒遅れて理解したコルベールは眼を見開き、オスマンへと顔を向けた。
理解することを恐れるような声音で質問を放つ。
「まさか、学院長。第五の…………いえ。《ゼロ》だとでもおっしゃるつもりですか?」
「消去法じゃよ、単純な。そして、そうすれば色々と辻褄が合う」
指を振りながらオスマンは肩を竦めた。それだけでコルベールは答えを悟ったらしかった。
そう、確かに辻褄は合う。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールには四つの系統の魔法が扱えなかった。何故か?
彼女が第零の系統であれば説明がつく。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが喚び寄せた使い魔には伝説のルーンが刻まれた。何故か?
彼女が伝説の使い手であれば説明がつく。
なんと厄介な。それが二人の率直な感想であった。伝説とは高いところにあるべきもので、軽々しく降りては悪戯に混乱するばかりなのであった。
教師二人が重苦しい表情を突き合わせていた室内が閃光に照らされた。
姿見に映し出されていた広場では、ルイズが二体目のワルキューレを粉砕すると共に、それを囮としていた残りのワルキューレに完全に包囲されてしまっている。
その光景に色を失った様子でコルベールはオスマンへと振り向く。
「学院長! 眠りの鐘はまだなのですか!?」
「――――ミス・ロングビル」
オスマンの呼びかけと共に、広場の光景を映し出していた姿見の一部がぼやけ、ロングビルを映し出した。彼女の近くの姿見に映像を繋いだのだった。
突然の呼びかけに驚いたように振り返ったロングビルだが、取り乱しもせずに応答したあたりは流石学院長の秘書と言うべきであった。
「学院長、今そちらに伺おうと思っていたところですわ」
「どういうことじゃ。眠りの鐘はまだ起動できんのか?」
「いいえ……もう、何度も起動しております」
「なに?」
「正常に作動しているはずなのですが。ヴェストリの広場においてのみ、何の反応もないのです」
オスマンは眉を顰めた。それなりに強力なマジックアイテムであるはずの眠りの鐘が、あの場の誰一人として意識を奪えないというのは奇妙が過ぎた。
大規模な結界でも張らねば対処は不可能な筈である。
二人のやり取りに聞き入っていたコルベールは顎を指で触れて何か考え込むと、オスマンに呼びかけた。
「学院長、この姿見から魔力分布は見れますかな」
「魔力分布――――広場のかの?」
ふむ、と僅かに思案したのち、さっと頷いたオスマンは再び杖を振るった。
姿見の中の光景が揺らめき、視覚化された魔力がヴェストリの広場に重ねられるように映し出された。
「これは……」
半球状の魔力が広場全体を覆うように形成されていた。まさに彼らが懸念した結界であった。
揺らめくこともなく強固に定着したそれは、眠りの鐘どころか多少の攻撃魔法ならば完璧に防ぎきれるだろう。
オスマンはメイジとしての圧倒的な経験から即座にそれを読み取ると、無言のまま目を細めた。
視覚に繋げられた遠見の魔法は彼の注視に従い、膝を突き蹲る巨大なゴーレムを拡大する。彼には確認せねばならないことがあった。
微動だにせず主人の闘いを見下ろすゴーレムの左腕部は、仄かに輝いていた。赤く焼け付いたルーンだけが鼓動のように強弱を付けて鈍く燈っていた。
アースガルズがゆっくりと回頭する。鏡を隔てた広場と室内で、彼らの視線は確かにぶつかり合った。
はっきりとオスマンとコルベールは悟った。何の理屈もいらなかった。邪魔をするなと、鬼火の燈るその双眼が語っていた。
彼らの疑念はもはや確信になりかけていた。それだけの力がそのゴーレムの視線にはあった。
あらゆるメイジに打ち勝ち、あらゆる武具を扱い、主を守護することだけに特化した伝説の使い魔。
「――――神の盾」
ガンダールヴ。
■□■□■□
まいったわね。というのが今のルイズの率直な心境であった。
ギーシュの『本気』、最大数のワルキューレの一斉突撃。逐次投入の愚を悟ってからの思考の切り替えはいっそ鮮やかとすら言えた。
ルイズは杖を握り締めながら周囲に眼を巡らせた。
距離を詰められる前の一体と、囮として突出した一体。それを破壊し、そして気付いた時には完全に包囲されてしまっていたのだった。
この布陣では、一体を破壊したところで残りの突撃には抗えない。
焦げ付くような苛立ちが精神を掻き乱す。癇癪でも起こして泣き出したかったが、彼女はそれを自身に許さなかった。
「ギーシュ、ちょっと大人気ないと思わない?」
「獅子は兎を狩るときでも――なんて喩えを持ち出す気はないよ。断言しよう、君はドラゴンだ」
「褒めたって負けてやらないんだからね」
ルイズは笑った。汗を滲ませながら、こいつ実は良い奴かもなどと思っている。単純であった。
ギーシュも笑った。圧倒的な優位に立っている筈の彼もまた、複数体のゴーレムの制御は荷が勝つのか汗を滴らせている。
優勢なのはギーシュだったが、今の状況は一種の膠着状態であった。
ルイズは既に呪文の詠唱をほぼ終わらせていた。ばちりと帯電しながらおぼろ燈る杖の先端に込められた魔力はけして侮れるものではない。最後の結宣さえ紡げば直ぐにでもその奔流が迸るだろう。
ギーシュの五体のゴーレムはルイズを完璧に取り囲んでいた。一気呵成に突撃を命じれば簡単に揉み潰すことができるだろう。
だが、やはり複数体の同時使役はどうしても制御が甘くなる。機動は単純なものにならざるをえない。
そして万が一ルイズそこを掻い潜ることができれば、彼の守りはなくなるのだった。
同時に、ルイズが五体のゴーレムの中心で逃げる様子もないことも気がかりだった。おそらく狙いは引き寄せて複数を纏めて撃破。
それでは背後からの攻撃に無防備になる、が。
ギーシュは前言の通り、ルイズを侮ることはしなかった。己よりも格上の難敵を相手取るような心構えですらあった。ヴァリエールには何か考えがある。
あると考えねばならない。
ならば一、二体を先行でぶつけ、その後に残りを一斉に――――莫迦か僕は。逃げ道になる穴を開けてどうする。
そこまでのギーシュの思考は、ちらりと苦笑をひらめかせたルイズの声に切断された。彼女のそれは莫迦莫迦しい何かを決意した者の色をしていた。
「ところでギーシュ。このワルキューレって完全にあんたが制御してるの?」
「……いや、ある程度の自立思考はあるさ。もっとも僕のような未熟者では簡単な命令しかこなせないがね」
「そりゃそうか、単純な突撃ばっかりだったものね。あんたの命令に沿うように行動はできるけど、自分で判断することはできないってことか。
――――うん、賭けてみる価値はありそうだわ」
「ははは、少しばかり僕に求めすぎだよヴァリエール。完全自立のゴーレムなんてトライアングルかスクウェア級でもなければ造れないさ。……で、何が言いたいんだい?」
「えっとね――――」
にっこりと、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは微笑んだ。花咲くような笑みだった。
「あんたに勝とうと思うわ」
言葉と同時に杖を振り下ろす。放たれた彼女の魔法は狙い違わず、ギーシュの正面のワルキューレを吹き飛ばした。
足元を狙った一撃だったのか、爆炎と砂埃が濛々と立ち昇った。
ギーシュとしてもこれは好奇である。ルイズの再詠唱(リロード)がいかに速くとも、残りのワルキューレによる突撃には対応しきれる訳がない。
別方向から同時に襲い掛かるゴーレム。また一体を撃破せしめたとしてもそこで『詰み』だ。その時には残りの三体が喉元に迫っている。
杖を振るい、ギーシュはワルキューレに突撃を命じた。そこには勝利への歓喜が隠しようもなく滲んでいた。
だが。
「ワルキュー……ちぃッ!!」
歯噛みと共に舌を打つ。
ルイズにより魔法の一撃によってその場にばら撒かれた砂塵は、今やあまりにも効果的な煙幕として機能していた。
視界が利かない。これではワルキューレに突撃点を指定できない。
ルイズの狙いはまさにそこにあった。一時的に術者であるギーシュの視界を奪い、ワルキューレの制御をなくす。
その後は――――その後は。
「ギーーーーーーーシュッ!!」
突撃、である。
己の作り出した砂塵を切り払うようにルイズの姿が躍り出た。風に靡く彼女のピーチブロンドは、ドラゴンの鬣を思わせた。
素晴らしい、とギーシュは思った。そう思わずにはいられなかった。
そして、だからこそ、このまま負けるわけにはいかなかった。
「まだだヴァリエールッ! 獅子の牙は折れないッッ!!」
薄まりつつある砂塵の彼方、もはや様を為さなくなった彼のワルキューレが崩れ落ちる。
そして振るわれた彼の杖から踊り滑るように地に落ちた薔薇の花弁は、瞬く間に一体のワルキューレとなった。限界数を超えたゴーレムの再構成。
魔力とは精神力である。そして精神とは感情に他ならない。今の彼を衝き動かしていたものは、彼自身ですらその大きさを測れぬ感情であった。
勝利を。ただひたすらに勝利を。
そしてそれはルイズとて同じである。
眼前に迫るワルキューレの拳が、まるで水中であるかのように緩慢に見えた。
「わたしの……ッ!」
速度は落とさない。身を捻らせ、螺子のように回転させる。
「『フライ』は……ッ!」
拳が掠めた。おそらく肘が砕けた。痛みはない。そんなもの、今は背負う価値などない。
「荒っぽいわよ――――ッ!!」
ワルキューレの腹に突き刺さるような勢いでルイズの杖が伸ばされた。彼女は昂ぶる全てをそこに込めた。雷鳴を司るヌア・シャックスすら凌駕する速度であった。
――――爆発。
ルイズの出来損ないの『フライ』はワルキューレの重量を完璧に無視し、人垣すら越えてその青銅の体を地に叩き付けた。
彼女はそれを最後まで顧みなかった。立ち尽くすギーシュへと杖を突きつける。
「どう…かしら、ギーシュ。降参……する?」
体の内に滾る熱を吐き出すように喘ぎながら、ルイズはにっと笑った。左腕はだらりと下げられ、あちこちに傷を作り、髪は乱れ放題で全身は埃にまみれている。
ギーシュはゆっくりと己の頬を撫でた。そこに刻まれた一筋の傷だけが彼の決闘の証であった。
それが損な事のように思えたことが彼は不思議だった。傷だらけのルイズを彼は羨ましいと思った。
「ヴァリエール」
ギーシュは両腕を挙げた。周囲の学生達がざわめいた。まさか。勝ったのか、『あの』ゼロのルイズが。
そのざわめきも二人には遠い。世界から隔絶されたような錯覚を両者は覚えていた。
ギーシュが重々しく口を開く。気取らずにさっさと言え、とルイズは思うが黙っていた。
「まだだよ、ヴァリエール」
「――――え?」
ギーシュの口から零れたものは、敗北を認めるものではなかった。その口調から未だ闘志は消え去っていなかった。
「火事場の莫迦力というやつかな。自分でも驚いた。もしかすると僕は実戦型なのかもしれない。武門の出としては喜ばしいけれど」
「何を」
「牙というものは、二本あるものさ」
「何を言って」
「さてヴァリエール。君が今、踏みつけているものは……何だろうな?」
「――――――――ッッッ!!!?」
弾かれたよう勢いでルイズの顔が真下を向いた。そして見た。
己の靴の端から覗く、赤い薔薇の花を――――!
「しま……ッッ!」
しまった、と最後まで言う余裕すらなかった。
ルイズの体が浮く。彼女の足首を掴んで、最後のワルキューレが立ち上がった。
逆さ吊りにされたルイズはそれでも尚、ギーシュに向かって杖を突きつけた。魔法の詠唱を始める。
無論、それを許すほどギーシュは甘くない。
「ワルキューレッ!」
命を受けたゴーレムがルイズを掴んだまま腕を振り回した。そして遠心力と仮初めの膂力を乗せて、彼女を放り投げる。
平民の子供が遊ぶ弾き玉のような勢いでルイズは跳ね飛ばされた。地面に叩きつけられる。先程のワルキューレが受けた光景の焼き直しのようだった。
勢いは収まらず、ルイズは地面を転がった。それでも杖を放さぬことは賞賛に値した。
そして停止したのは、奇しくも彼女の使い魔の目の前であった。
「ミス・ヴァリエールッ!」
シエスタの悲鳴に近い呼びかけに、ルイズは薄っすらと眼を開いた。世界が回っている。
それでも、視界の全てに影を落としているのが己のゴーレムであることは、何故だかはっきりと認識できた。
「…………平気よシエスタ。そこにいなさい」
そう言おうと思ったのに、出てきたのは不明瞭なくぐもった呻きだけだった。
あ。だめかも。
自分の体じゃないみたい。
さっきまでは羽根みたいに軽くて、別の意味で自分の体じゃないみたいだったけど。
…………ちょっと、悔しい、かな。
ごめんねシエスタ。もうちょっとだったんだけど。油断してたわ。
でも、ここまで、やったなら、誰か褒めてくれるかな。わたしに「よくやった」って言ってくれるかな。
ごめんねアースガルズ。あんたみたいにやってみようと思ったんだけど。
あんたみたいに、何かを、守ってみたかったんだけど。
ごめんね、アースガルズ。
ダメな、ご主人様で――――
そこまで心中で呟いて、ルイズは意識を閉じた。
■□■□■□
割れる空。覗く魔星。
瓦礫の荒野。空を覆う幾千の赤い影。
その中心に立つものは、ルイズの使い魔であった。ここが彼の世界であった。
ルイズの意識は周囲を見渡して、あら、と思った。体があれば首を傾げていたかもしれない。
使い魔との精神的な繋がりは、シエスタ曰くの『夢見』で何度もあるが、これほどまでに明確な意識で臨んだことは一度もない。
今ならはっきりとアースガルズの姿を見ることができた。朽ち果てる前の彼の姿であった。
黒鉄の色に輝く、魔銀とドラゴンフォシルの複合装甲。太く、無骨なライン。
胸の中央と両腕に備え付けられた、霊脈血晶による対消滅絶対攻性防御障壁展開ユニット。彼の唯一にして無敵の武装。
それらすべては極限にまで突き詰められた一つのものを現していた。
――――強い。
ただその一言のみを、無言のまま周囲に吼える。
ルイズはくすり微笑んだ。自分の使い魔がどんなに強くて格好いいか誰かに教えたくてたまらなかった。
「――――――――」
アースガルズはゆっくりと下を向くと、ルイズの意識と視線を重ねた。
彼の意思がルイズに流れ込む。
「――――――――」
ばか、とルイズはその声に応えた。
あんた、戦うのは好きじゃないんでしょう?
いいのよ、わたしは。仕方ないでしょ、全力で掛かって負けたんだもの。
「――――――――」
そりゃ、悔しいわよ。ほんとに悔しいわよ。
でもね、あれはわたしの決闘なの。あんたには分けてあげないわ。
「――――――――」
使い魔の役目?
ご主人様の目となり、耳となり、望むものを見つけ――――
「――――――――」
…………主を、守る。
「――――――――」
もうっ。あんた、ほんとに莫迦ね! ある意味わたしと似合いだわッ!
「――――――――」
喜ぶんじゃないの! わたしは今から、ぼろぼろのあんたを駆り出すんだからね!
後悔は今のうちに済ませときなさいよ。この物好き! ありがとう大好き!!
「――――――――」
笑うんじゃないわよ――――ッ!
■□■□■□
かっと、ルイズは眼を見開いた。おそらく意識を失っていたのは数秒。ベッドの上でもなければ誰かに抱えられているわけでもない。
つまり、まだ決闘は終わっていない。
お逃げください、とシエスタの声が聞こえた。
ああ、つまりギーシュがワルキューレにとどめ――って言っても杖を奪うくらいだろうけど――を命じたのかしら。
それにしても三日は寝たみたいな気分。寝覚めもいいし。
今なら何にでも勝てそう。
悪いわねギーシュ。
わたし、ズルするわ。
仰向けの大の字に転がったまま、ルイズは大きく息を吸い込んだ。
見下ろすアースガルズと目が合い、彼女は満面の笑みを浮かべた。
そして、吼えた。
「AaaaaaaaaaaaaaaaaaSGARDs!!!」
「――――――――――――――――ッッ!!!」
アースガルズは唸る起動音で応えた。
彼の内蔵するフルカネルリ式永久機関が、現状で許される限界にまで出力を解放した。
軋みは装甲に亀裂を呼び、砕けた装甲の欠片は雨のようにルイズに降り注いだ。その中で彼女は立ち上がった。
こちらに突撃するワルキューレが見えた。唖然とするギーシュが見えた。悲鳴を上げる野次馬が見えた。たまらなく愉快だった。
杖を頭上に掲げる。アースガルズが追随するように、重たげな音を鳴らしながら立ち上がった。
今この時、彼女の杖は万軍を統べる将錫にすら等しかった。彼女の使い魔にはそれだけの価値があった。
ルイズは杖を振り下ろし、使い魔に命じた。
使い魔は豪腕を振り抜き、主に応じた。
「アースガルズッ! 海老反り大回転分身パンチ――――――――ッ!!!」
「――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!」
彼女の使い魔は優秀であった。
「できるか」とも「まず薬を混ぜろ」とも言わず、そのまま素直にパンチしたのだった。海老反りでも大回転でも分身でもなかったが、とりあえずパンチではあった。
青銅のワルキューレがその拳に激突するや、紙人形のように粉々になった。
鋼の拳の勢いは止まらない。そのまま壁にぶち当たった。
アースガルズが普段は身を寄せている学院の宝物庫の壁に巨大な亀裂が走り、空気を揺さぶる轟音がヴェストリの広場に撒き散らされた。
その振動が収まった時、身じろぎする者も声を発する者も、誰も居なかった。
唯一、差し伸べられた巨大な腕を駆け上がり、ルイズが突き出た胸部の上に降り立った。
振り返り、ギーシュに向かって何かを言おうと口を開いたが、彼女は複雑な表情で押し黙った。
この状況で降参を要求するのは何故か躊躇われたのだった。彼女自身の力だけで手に入れた勝利ではないのだ。
えっと、と言葉を濁してから、彼女は笑った。仕方ないな、とでも言いたげな微笑だった。彼女は自分自身の矜持に少しだけ呆れていた。
貴族って偉いはずなのに、貴族らしく生きようとすると不自由なのね。
鼻血を土に汚れた袖でぐいと拭うと、ルイズはさして豊かでもない胸を偉そうに反らして言った。
「今日のところはこれくらいで勘弁してやるわ」
完璧に悪役の台詞であった。
アースガルズがゆっくりと踵を返し、ルイズを乗せたまま校舎の影に消えるまで。誰も彼もが身動きひとつしなかった。
■□■□■□
「――――はは」
最初に声を洩らしたのは誰あろう、ギーシュであった。額に掌を当てて天を仰ぐ。愉快でたまらなかった。
「シエスタ君」
「え!? は、はいッ!」
ぽかんと突っ立っていたシエスタに呼びかける。
ギーシュはくるくると薔薇を指先で回転させながら、彼女に向かって実に色気のある眼差しを向けて苦笑した。
「ヴァリエールを追いかけてあげたまえ」
ぱちくりと瞬きをしたあと、シエスタはようやくその言葉の意味を理解したのか何度もこくこくと頷いて駆け出した。
その背中に、ギーシュは静かに呼びかける。
「それから――――君にも、謝罪を」
それが彼に許された謝罪の方法であった。
彼は面と向かって平民に頭を下げることが許される存在ではなかった。元帥号を持つ名門の貴族であるのだった。
あまりにも潔い態度では、かえってシエスタに無用の咎を与えることにもなりかねない。
シエスタが背中を向いていれば、彼女に向けたものではない、という言い方も出来る。
まあいいさ。ギーシュは笑う。そのくらい小ずるいほうが僕の役どころらしい。
それを受けたシエスタは駆け出した足を止めた。
振り返りはしない。
「ミスタ・グラモン、私には何のことか解りませんが――――」
「ああ」
「ミス・ヴァリエールの、あんなに溌剌としたお顔は初めて拝見しました」
「ああ」
「…………ありがとうございます」
それだけを言って、シエスタは再び駆け出した。
ギーシュはやれやれと肩を竦めた。自分の妹と遊んでくれた子供に語りかけるような口調だったな、となんとなく思った。
「おい、ギーシュ」
そんな彼に声を掛けたのは、彼の取り巻きの一人だった。
面倒くさそうに振り返るギーシュに問いかける。その問いはこの場の全員の思いを代弁していた。
「結局、どういうことなんだ。ルイズは最後の最後で自分のゴーレムに加勢させたけど……」
「ん……使い魔はメイジと一心同体だ。彼の力は彼女の力だろうさ。
更に言えば今の僕にはもう魔力の欠片も残っていない。今ならヴァリエールすら凌駕する完膚なきまでの《ゼロ》だね。」
取り巻きは眼を剥いた。
その言葉は、意味の捉えようによっては途轍もなく重くなるからである。
「お……おいおい、ギーシュ。いったい、何が言いたいんだよ」
「ああ、つまり」
ギーシュは香りを楽しむように顔の前で回していた薔薇を芝生の上に放り投げた。気軽とすら言える仕草であった。
杖を放棄するということはつまり。
「つまり、僕の負けさ」
そう、敗北の宣言であった。
■□■□■□
「この莫迦! お莫迦ッ! 加減ってモノを知りなさいこのトンデモポンコツッ! でもよくやったッ!!
ああもう指がひしゃげちゃって――――きゃあッ! シエスタ、痛い痛い痛い痛たたたたたたた!!」
「ミス・ヴァリエール、怒るか喜ぶか心配顔をするか痛がるか一つにしてくださいませ」
「じゃあ痛がる! うう、今になって痛いわよ。泣きそうよ……」
「どうぞ、ご存分にお泣きになってください」
「ふ、ふん。貴族が平民に弱みを見せられるわけないじゃない」
「少しくらいは弱くてもよろしいと思いますよ――――あ。これ、沁みますよ」
「――――――――ッ!」
「ああ、無言のまま涙をぼろぼろと零されましても」
「し、シエスタ……あとで憶えておきなさいよ……」
「はい。憶えておきます」
「え?」
「一生、憶えておきます」
「……………………」
「……………………」
「…………シエスタ」
「…………何でしょうか、ミス・ヴァリエール」
「めっちゃくちゃ、怖かった。怖かったわよ…………」
「はい」
「今、わ、わたしが、弱いのは、あんたのせいなんだからね。
あんたが、弱くていいって、言ったせいなんだからね
泣いてるのは、傷が、痛いせい、だからね」
「はい。そのとおりでしょうとも」
「…………ば、ばかね。あんたまで、泣くこと、ないじゃない」
第5話:「ワイルドワイルド・マジックスクール」
ヴェストリの広場。極めて限定的に定義するならば、ささやかな決闘場。
人だかりが遠巻きに囲む円の中心に、少女と少年が立っていた。少女の背には巨大なゴーレムとひとりのメイドが存在していた。少女が守るべきものが存在していた。
少女、ルイズは動かなかった。風に折れぬ旗基のように、すらりと伸ばした背中からは何かが立ち昇っているようでもあった。すくなくともこの年頃の少女が纏ってよい志思ではない。
彼女の引き結んだ唇が時折ぴくりと震え、笑みを形作ろうとする。寸での所まで出掛かったそれを飲み込んで、彼女は杖を構えた。
ルイズはこの瞬間を与えてくれた全てに感謝していた。シエスタに感謝した。アースガルズに感謝した。もしかするとギーシュにすら感謝していたのかもしれない。
示せているのだ。己の存在を。自分自身で自覚したばかりのそれを。
魔法の使えない、失敗ばかりのゼロのルイズ。役立たずのメイジ。学院きっての劣等性。名ばかりの貴族。
だが、今だけは。今だけは今だけは今だけは、今だけは、それでいい。ゼロでいい。
無能のゼロではなく、無に帰すゼロとして、彼女はこの場に立っていた。
足を踏み出し、腰を落とす。獲物に飛び掛る寸前の猫科の猛獣を思わせた。闘うための機能美を天から与えられているのではないかと誰もが思う仕草だった。
抑えることのできなくなった笑みが、その愛らしいとすら形容でき得る相貌にひどく不釣り合いな表情を滲まぜた。
にい、と邪悪に笑う。見られるのって快感だわ。
「それで、ギーシュ。何をしてくれるのかしら」
「やることは変わらない。僕のワルキューレで君を叩く」
「ふん、それじゃあ結果も変わらないわね。片ッ端から砕いてあげる」
「ほう、それは――――」
ギーシュは薔薇を一振りした。花弁が舞い散る。
それは地に着く寸前に、青銅の戦乙女となった。今までルイズに差し向けたゴーレムと何ら変わるところはなかった。
ただし。
「ワルキューレが、七体でもかい?」
十四の無機質な眼差しがルイズを捉えた。七体のゴーレムであった。
運動の余熱の燻りだけではない、冷たい汗がルイズの頬に滴った。
七体。一体だけであっても未だにそれを越えてギーシュに肉薄できてはいないというのに、それが七体。
呼吸を整える。乾いた唇を舐める。足でリズムを取る。腕の震えを隠す。思考を加速させる。
ルイズは言った。己の声質が強張っていないことに安堵した。勇気を司るジャスティーンが己の内に存在することを彼女は確信した。
ルイズは言った。しなやかな決意と共にギーシュに応えた。孤影のまま荒野を渡る鳥を思わせた。
「ええ。ワルキューレが、七体でも」
ああ、言っちゃった。どうしよう、わたしって莫迦かも。言ったからには勝たなくちゃいけないのに。
ささやかな後悔が心の淵を這いずった。それをジャスティーンの刃で八つ裂きにして、彼女は更に一歩を踏み出す。
ギーシュはルイズの意思と意志を受けると、感に堪えぬように一瞬だけ眼を閉ざした。見開いた瞳に浮かぶものに、敵手に向けるべき色は欠片さえ残っていなかった。
幼い少年が高潔な騎士と出会ったような眼差しであった。
あるいは、万引きの常習者が連続強盗殺人犯を仰ぎ見るような眼差しであったかもしれない。
精神の奥底から衝き上げてきたものの正体も解らぬままに、ギーシュは眼光鋭くルイズを捉えた。
杖を振りぬいた。突撃を命じた。そして宣言した。薔薇散る杖。
「ならば僕に見せ付けてみせろヴァリエールッ! 七対一で尚、それを覆す理不尽を――――――――ッ!!」
ルイズは拡大を続ける己が精神の全てを、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールという小さな少女の肉体に凝縮した。
杖を振り抜いた。疾走をはじめた。そして宣言した。翻る外套。
「だったら見せてやろうじゃないのギーシュ・ド・グラモンッ! 一対一を、七戦七勝するゼロのルイズを――――――――ッ!!」
踊るようなステップを刻みながら、ルイズは悔しげに笑った。『かも』じゃないわね。大莫迦だわ、わたし。
もう退けない。わたしは莫迦でいい。でも、恥知らずにはなりたくない。
使い魔と自分を信じてくれた平民の目の前で、敵に背を向けるメイジにだけはなりたくない。
最速の詠唱。そして最も手近なワルキューレに狙いを定める。
爆発。まずは一体。
ルイズは何故自分がここまで意固地になっているのだろうかと一瞬だけ思い、すぐに答えを得た。
それは考えるまでもなかった。
だって、わたしの信じる貴族はそういうものだもの。
■□■□■□
学院長室の二人の教師は、身じろぎひとつせずにその光景を見つめていた。無言であった。
嫌な感触の脂汗を憶えながら、オスマンはぼそりと呟いた。
「コルベール君、きみは火系統のメイジだったね?」
「はい」
「その……あれほどの爆発を、魔法を『完成』させずに放つことは可能かの?」
問われたコルベールもまた額を拭い、緩やかに首を振った。口を開いての返答は避けた。無理もなかった。
ただの失敗であそこまでの爆発をこなせてしまうようでは炎系統のメイジの立場はない。
オスマンはそれを咎めず軽く頷いた。腕を組み、口を開く。この老人にしては珍しく何かを言いよどむような仕草であった。
「火ではない。そして水も風も土も使えない…………となると」
その言葉の意味を数秒遅れて理解したコルベールは眼を見開き、オスマンへと顔を向けた。
理解することを恐れるような声音で質問を放つ。
「まさか、学院長。第五の…………いえ。《ゼロ》だとでもおっしゃるつもりですか?」
「消去法じゃよ、単純な。そして、そうすれば色々と辻褄が合う」
指を振りながらオスマンは肩を竦めた。それだけでコルベールは答えを悟ったらしかった。
そう、確かに辻褄は合う。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールには四つの系統の魔法が扱えなかった。何故か?
彼女が第零の系統であれば説明がつく。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが喚び寄せた使い魔には伝説のルーンが刻まれた。何故か?
彼女が伝説の使い手であれば説明がつく。
なんと厄介な。それが二人の率直な感想であった。伝説とは高いところにあるべきもので、軽々しく降りては悪戯に混乱するばかりなのであった。
教師二人が重苦しい表情を突き合わせていた室内が閃光に照らされた。
姿見に映し出されていた広場では、ルイズが二体目のワルキューレを粉砕すると共に、それを囮としていた残りのワルキューレに完全に包囲されてしまっている。
その光景に色を失った様子でコルベールはオスマンへと振り向く。
「学院長! 眠りの鐘はまだなのですか!?」
「――――ミス・ロングビル」
オスマンの呼びかけと共に、広場の光景を映し出していた姿見の一部がぼやけ、ロングビルを映し出した。彼女の近くの姿見に映像を繋いだのだった。
突然の呼びかけに驚いたように振り返ったロングビルだが、取り乱しもせずに応答したあたりは流石学院長の秘書と言うべきであった。
「学院長、今そちらに伺おうと思っていたところですわ」
「どういうことじゃ。眠りの鐘はまだ起動できんのか?」
「いいえ……もう、何度も起動しております」
「なに?」
「正常に作動しているはずなのですが。ヴェストリの広場においてのみ、何の反応もないのです」
オスマンは眉を顰めた。それなりに強力なマジックアイテムであるはずの眠りの鐘が、あの場の誰一人として意識を奪えないというのは奇妙が過ぎた。
大規模な結界でも張らねば対処は不可能な筈である。
二人のやり取りに聞き入っていたコルベールは顎を指で触れて何か考え込むと、オスマンに呼びかけた。
「学院長、この姿見から魔力分布は見れますかな」
「魔力分布――――広場のかの?」
ふむ、と僅かに思案したのち、さっと頷いたオスマンは再び杖を振るった。
姿見の中の光景が揺らめき、視覚化された魔力がヴェストリの広場に重ねられるように映し出された。
「これは……」
半球状の魔力が広場全体を覆うように形成されていた。まさに彼らが懸念した結界であった。
揺らめくこともなく強固に定着したそれは、眠りの鐘どころか多少の攻撃魔法ならば完璧に防ぎきれるだろう。
オスマンはメイジとしての圧倒的な経験から即座にそれを読み取ると、無言のまま目を細めた。
視覚に繋げられた遠見の魔法は彼の注視に従い、膝を突き蹲る巨大なゴーレムを拡大する。彼には確認せねばならないことがあった。
微動だにせず主人の闘いを見下ろすゴーレムの左腕部は、仄かに輝いていた。赤く焼け付いたルーンだけが鼓動のように強弱を付けて鈍く燈っていた。
アースガルズがゆっくりと回頭する。鏡を隔てた広場と室内で、彼らの視線は確かにぶつかり合った。
はっきりとオスマンとコルベールは悟った。何の理屈もいらなかった。邪魔をするなと、鬼火の燈るその双眼が語っていた。
彼らの疑念はもはや確信になりかけていた。それだけの力がそのゴーレムの視線にはあった。
あらゆるメイジに打ち勝ち、あらゆる武具を扱い、主を守護することだけに特化した伝説の使い魔。
「――――神の盾」
ガンダールヴ。
■□■□■□
まいったわね。というのが今のルイズの率直な心境であった。
ギーシュの『本気』、最大数のワルキューレの一斉突撃。逐次投入の愚を悟ってからの思考の切り替えはいっそ鮮やかとすら言えた。
ルイズは杖を握り締めながら周囲に眼を巡らせた。
距離を詰められる前の一体と、囮として突出した一体。それを破壊し、そして気付いた時には完全に包囲されてしまっていたのだった。
この布陣では、一体を破壊したところで残りの突撃には抗えない。
焦げ付くような苛立ちが精神を掻き乱す。癇癪でも起こして泣き出したかったが、彼女はそれを自身に許さなかった。
「ギーシュ、ちょっと大人気ないと思わない?」
「獅子は兎を狩るときでも――なんて喩えを持ち出す気はないよ。断言しよう、君はドラゴンだ」
「褒めたって負けてやらないんだからね」
ルイズは笑った。汗を滲ませながら、こいつ実は良い奴かもなどと思っている。単純であった。
ギーシュも笑った。圧倒的な優位に立っている筈の彼もまた、複数体のゴーレムの制御は荷が勝つのか汗を滴らせている。
優勢なのはギーシュだったが、今の状況は一種の膠着状態であった。
ルイズは既に呪文の詠唱をほぼ終わらせていた。ばちりと帯電しながらおぼろ燈る杖の先端に込められた魔力はけして侮れるものではない。最後の結宣さえ紡げば直ぐにでもその奔流が迸るだろう。
ギーシュの五体のゴーレムはルイズを完璧に取り囲んでいた。一気呵成に突撃を命じれば簡単に揉み潰すことができるだろう。
だが、やはり複数体の同時使役はどうしても制御が甘くなる。機動は単純なものにならざるをえない。
そして万が一ルイズそこを掻い潜ることができれば、彼の守りはなくなるのだった。
同時に、ルイズが五体のゴーレムの中心で逃げる様子もないことも気がかりだった。おそらく狙いは引き寄せて複数を纏めて撃破。
それでは背後からの攻撃に無防備になる、が。
ギーシュは前言の通り、ルイズを侮ることはしなかった。己よりも格上の難敵を相手取るような心構えですらあった。ヴァリエールには何か考えがある。
あると考えねばならない。
ならば一、二体を先行でぶつけ、その後に残りを一斉に――――莫迦か僕は。逃げ道になる穴を開けてどうする。
そこまでのギーシュの思考は、ちらりと苦笑をひらめかせたルイズの声に切断された。彼女のそれは莫迦莫迦しい何かを決意した者の色をしていた。
「ところでギーシュ。このワルキューレって完全にあんたが制御してるの?」
「……いや、ある程度の自立思考はあるさ。もっとも僕のような未熟者では簡単な命令しかこなせないがね」
「そりゃそうか、単純な突撃ばっかりだったものね。あんたの命令に沿うように行動はできるけど、自分で判断することはできないってことか。
――――うん、賭けてみる価値はありそうだわ」
「ははは、少しばかり僕に求めすぎだよヴァリエール。完全自立のゴーレムなんてトライアングルかスクウェア級でもなければ造れないさ。……で、何が言いたいんだい?」
「えっとね――――」
にっこりと、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは微笑んだ。花咲くような笑みだった。
「あんたに勝とうと思うわ」
言葉と同時に杖を振り下ろす。放たれた彼女の魔法は狙い違わず、ギーシュの正面のワルキューレを吹き飛ばした。
足元を狙った一撃だったのか、爆炎と砂埃が濛々と立ち昇った。
ギーシュとしてもこれは好奇である。ルイズの再詠唱(リロード)がいかに速くとも、残りのワルキューレによる突撃には対応しきれる訳がない。
別方向から同時に襲い掛かるゴーレム。また一体を撃破せしめたとしてもそこで『詰み』だ。その時には残りの三体が喉元に迫っている。
杖を振るい、ギーシュはワルキューレに突撃を命じた。そこには勝利への歓喜が隠しようもなく滲んでいた。
だが。
「ワルキュー……ちぃッ!!」
歯噛みと共に舌を打つ。
ルイズにより魔法の一撃によってその場にばら撒かれた砂塵は、今やあまりにも効果的な煙幕として機能していた。
視界が利かない。これではワルキューレに突撃点を指定できない。
ルイズの狙いはまさにそこにあった。一時的に術者であるギーシュの視界を奪い、ワルキューレの制御をなくす。
その後は――――その後は。
「ギーーーーーーーシュッ!!」
突撃、である。
己の作り出した砂塵を切り払うようにルイズの姿が躍り出た。風に靡く彼女のピーチブロンドは、ドラゴンの鬣を思わせた。
素晴らしい、とギーシュは思った。そう思わずにはいられなかった。
そして、だからこそ、このまま負けるわけにはいかなかった。
「まだだヴァリエールッ! 獅子の牙は折れないッッ!!」
薄まりつつある砂塵の彼方、もはや様を為さなくなった彼のワルキューレが崩れ落ちる。
そして振るわれた彼の杖から踊り滑るように地に落ちた薔薇の花弁は、瞬く間に一体のワルキューレとなった。限界数を超えたゴーレムの再構成。
魔力とは精神力である。そして精神とは感情に他ならない。今の彼を衝き動かしていたものは、彼自身ですらその大きさを測れぬ感情であった。
勝利を。ただひたすらに勝利を。
そしてそれはルイズとて同じである。
眼前に迫るワルキューレの拳が、まるで水中であるかのように緩慢に見えた。
「わたしの……ッ!」
速度は落とさない。身を捻らせ、螺子のように回転させる。
「『フライ』は……ッ!」
拳が掠めた。おそらく肘が砕けた。痛みはない。そんなもの、今は背負う価値などない。
「荒っぽいわよ――――ッ!!」
ワルキューレの腹に突き刺さるような勢いでルイズの杖が伸ばされた。彼女は昂ぶる全てをそこに込めた。雷鳴を司るヌア・シャックスすら凌駕する速度であった。
――――爆発。
ルイズの出来損ないの『フライ』はワルキューレの重量を完璧に無視し、人垣すら越えてその青銅の体を地に叩き付けた。
彼女はそれを最後まで顧みなかった。立ち尽くすギーシュへと杖を突きつける。
「どう…かしら、ギーシュ。降参……する?」
体の内に滾る熱を吐き出すように喘ぎながら、ルイズはにっと笑った。左腕はだらりと下げられ、あちこちに傷を作り、髪は乱れ放題で全身は埃にまみれている。
ギーシュはゆっくりと己の頬を撫でた。そこに刻まれた一筋の傷だけが彼の決闘の証であった。
それが損な事のように思えたことが彼は不思議だった。傷だらけのルイズを彼は羨ましいと思った。
「ヴァリエール」
ギーシュは両腕を挙げた。周囲の学生達がざわめいた。まさか。勝ったのか、『あの』ゼロのルイズが。
そのざわめきも二人には遠い。世界から隔絶されたような錯覚を両者は覚えていた。
ギーシュが重々しく口を開く。気取らずにさっさと言え、とルイズは思うが黙っていた。
「まだだよ、ヴァリエール」
「――――え?」
ギーシュの口から零れたものは、敗北を認めるものではなかった。その口調から未だ闘志は消え去っていなかった。
「火事場の莫迦力というやつかな。自分でも驚いた。もしかすると僕は実戦型なのかもしれない。武門の出としては喜ばしいけれど」
「何を」
「牙というものは、二本あるものさ」
「何を言って」
「さてヴァリエール。君が今、踏みつけているものは……何だろうな?」
「――――――――ッッッ!!!?」
弾かれたよう勢いでルイズの顔が真下を向いた。そして見た。
己の靴の端から覗く、赤い薔薇の花を――――!
「しま……ッッ!」
しまった、と最後まで言う余裕すらなかった。
ルイズの体が浮く。彼女の足首を掴んで、最後のワルキューレが立ち上がった。
逆さ吊りにされたルイズはそれでも尚、ギーシュに向かって杖を突きつけた。魔法の詠唱を始める。
無論、それを許すほどギーシュは甘くない。
「ワルキューレッ!」
命を受けたゴーレムがルイズを掴んだまま腕を振り回した。そして遠心力と仮初めの膂力を乗せて、彼女を放り投げる。
平民の子供が遊ぶ弾き玉のような勢いでルイズは跳ね飛ばされた。地面に叩きつけられる。先程のワルキューレが受けた光景の焼き直しのようだった。
勢いは収まらず、ルイズは地面を転がった。それでも杖を放さぬことは賞賛に値した。
そして停止したのは、奇しくも彼女の使い魔の目の前であった。
「ミス・ヴァリエールッ!」
シエスタの悲鳴に近い呼びかけに、ルイズは薄っすらと眼を開いた。世界が回っている。
それでも、視界の全てに影を落としているのが己のゴーレムであることは、何故だかはっきりと認識できた。
「…………平気よシエスタ。そこにいなさい」
そう言おうと思ったのに、出てきたのは不明瞭なくぐもった呻きだけだった。
あ。だめかも。
自分の体じゃないみたい。
さっきまでは羽根みたいに軽くて、別の意味で自分の体じゃないみたいだったけど。
…………ちょっと、悔しい、かな。
ごめんねシエスタ。もうちょっとだったんだけど。油断してたわ。
でも、ここまで、やったなら、誰か褒めてくれるかな。わたしに「よくやった」って言ってくれるかな。
ごめんねアースガルズ。あんたみたいにやってみようと思ったんだけど。
あんたみたいに、何かを、守ってみたかったんだけど。
ごめんね、アースガルズ。
ダメな、ご主人様で――――
そこまで心中で呟いて、ルイズは意識を閉じた。
■□■□■□
割れる空。覗く魔星。
瓦礫の荒野。空を覆う幾千の赤い影。
その中心に立つものは、ルイズの使い魔であった。ここが彼の世界であった。
ルイズの意識は周囲を見渡して、あら、と思った。体があれば首を傾げていたかもしれない。
使い魔との精神的な繋がりは、シエスタ曰くの『夢見』で何度もあるが、これほどまでに明確な意識で臨んだことは一度もない。
今ならはっきりとアースガルズの姿を見ることができた。朽ち果てる前の彼の姿であった。
黒鉄の色に輝く、魔銀とドラゴンフォシルの複合装甲。太く、無骨なライン。
胸の中央と両腕に備え付けられた、霊脈血晶による対消滅絶対攻性防御障壁展開ユニット。彼の唯一にして無敵の武装。
それらすべては極限にまで突き詰められた一つのものを現していた。
――――強い。
ただその一言のみを、無言のまま周囲に吼える。
ルイズはくすり微笑んだ。自分の使い魔がどんなに強くて格好いいか誰かに教えたくてたまらなかった。
「――――――――」
アースガルズはゆっくりと下を向くと、ルイズの意識と視線を重ねた。
彼の意思がルイズに流れ込む。
「――――――――」
ばか、とルイズはその声に応えた。
あんた、戦うのは好きじゃないんでしょう?
いいのよ、わたしは。仕方ないでしょ、全力で掛かって負けたんだもの。
「――――――――」
そりゃ、悔しいわよ。ほんとに悔しいわよ。
でもね、あれはわたしの決闘なの。あんたには分けてあげないわ。
「――――――――」
使い魔の役目?
ご主人様の目となり、耳となり、望むものを見つけ――――
「――――――――」
…………主を、守る。
「――――――――」
もうっ。あんた、ほんとに莫迦ね! ある意味わたしと似合いだわッ!
「――――――――」
喜ぶんじゃないの! わたしは今から、ぼろぼろのあんたを駆り出すんだからね!
後悔は今のうちに済ませときなさいよ。この物好き! ありがとう大好き!!
「――――――――」
笑うんじゃないわよ――――ッ!
■□■□■□
かっと、ルイズは眼を見開いた。おそらく意識を失っていたのは数秒。ベッドの上でもなければ誰かに抱えられているわけでもない。
つまり、まだ決闘は終わっていない。
お逃げください、とシエスタの声が聞こえた。
ああ、つまりギーシュがワルキューレにとどめ――って言っても杖を奪うくらいだろうけど――を命じたのかしら。
それにしても三日は寝たみたいな気分。寝覚めもいいし。
今なら何にでも勝てそう。
悪いわねギーシュ。
わたし、ズルするわ。
仰向けの大の字に転がったまま、ルイズは大きく息を吸い込んだ。
見下ろすアースガルズと目が合い、彼女は満面の笑みを浮かべた。
そして、吼えた。
「AaaaaaaaaaaaaaaaaaSGARDs!!!」
「――――――――――――――――ッッ!!!」
アースガルズは唸る起動音で応えた。
彼の内蔵するフルカネルリ式永久機関が、現状で許される限界にまで出力を解放した。
軋みは装甲に亀裂を呼び、砕けた装甲の欠片は雨のようにルイズに降り注いだ。その中で彼女は立ち上がった。
こちらに突撃するワルキューレが見えた。唖然とするギーシュが見えた。悲鳴を上げる野次馬が見えた。たまらなく愉快だった。
杖を頭上に掲げる。アースガルズが追随するように、重たげな音を鳴らしながら立ち上がった。
今この時、彼女の杖は万軍を統べる将錫にすら等しかった。彼女の使い魔にはそれだけの価値があった。
ルイズは杖を振り下ろし、使い魔に命じた。
使い魔は豪腕を振り抜き、主に応じた。
「アースガルズッ! 海老反り大回転分身パンチ――――――――ッ!!!」
「――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!」
彼女の使い魔は優秀であった。
「できるか」とも「まず薬を混ぜろ」とも言わず、そのまま素直にパンチしたのだった。海老反りでも大回転でも分身でもなかったが、とりあえずパンチではあった。
青銅のワルキューレがその拳に激突するや、紙人形のように粉々になった。
鋼の拳の勢いは止まらない。そのまま壁にぶち当たった。
アースガルズが普段は身を寄せている学院の宝物庫の壁に巨大な亀裂が走り、空気を揺さぶる轟音がヴェストリの広場に撒き散らされた。
その振動が収まった時、身じろぎする者も声を発する者も、誰も居なかった。
唯一、差し伸べられた巨大な腕を駆け上がり、ルイズが突き出た胸部の上に降り立った。
振り返り、ギーシュに向かって何かを言おうと口を開いたが、彼女は複雑な表情で押し黙った。
この状況で降参を要求するのは何故か躊躇われたのだった。彼女自身の力だけで手に入れた勝利ではないのだ。
えっと、と言葉を濁してから、彼女は笑った。仕方ないな、とでも言いたげな微笑だった。彼女は自分自身の矜持に少しだけ呆れていた。
貴族って偉いはずなのに、貴族らしく生きようとすると不自由なのね。
鼻血を土に汚れた袖でぐいと拭うと、ルイズはさして豊かでもない胸を偉そうに反らして言った。
「今日のところはこれくらいで勘弁してやるわ」
完璧に悪役の台詞であった。
アースガルズがゆっくりと踵を返し、ルイズを乗せたまま校舎の影に消えるまで。誰も彼もが身動きひとつしなかった。
■□■□■□
「――――はは」
最初に声を洩らしたのは誰あろう、ギーシュであった。額に掌を当てて天を仰ぐ。愉快でたまらなかった。
「シエスタ君」
「え!? は、はいッ!」
ぽかんと突っ立っていたシエスタに呼びかける。
ギーシュはくるくると薔薇を指先で回転させながら、彼女に向かって実に色気のある眼差しを向けて苦笑した。
「ヴァリエールを追いかけてあげたまえ」
ぱちくりと瞬きをしたあと、シエスタはようやくその言葉の意味を理解したのか何度もこくこくと頷いて駆け出した。
その背中に、ギーシュは静かに呼びかける。
「それから――――君にも、謝罪を」
それが彼に許された謝罪の方法であった。
彼は面と向かって平民に頭を下げることが許される存在ではなかった。元帥号を持つ名門の貴族であるのだった。
あまりにも潔い態度では、かえってシエスタに無用の咎を与えることにもなりかねない。
シエスタが背中を向いていれば、彼女に向けたものではない、という言い方も出来る。
まあいいさ。ギーシュは笑う。そのくらい小ずるいほうが僕の役どころらしい。
それを受けたシエスタは駆け出した足を止めた。
振り返りはしない。
「ミスタ・グラモン、私には何のことか解りませんが――――」
「ああ」
「ミス・ヴァリエールの、あんなに溌剌としたお顔は初めて拝見しました」
「ああ」
「…………ありがとうございます」
それだけを言って、シエスタは再び駆け出した。
ギーシュはやれやれと肩を竦めた。自分の妹と遊んでくれた子供に語りかけるような口調だったな、となんとなく思った。
「おい、ギーシュ」
そんな彼に声を掛けたのは、彼の取り巻きの一人だった。
面倒くさそうに振り返るギーシュに問いかける。その問いはこの場の全員の思いを代弁していた。
「結局、どういうことなんだ。ルイズは最後の最後で自分のゴーレムに加勢させたけど……」
「ん……使い魔はメイジと一心同体だ。彼の力は彼女の力だろうさ。
更に言えば今の僕にはもう魔力の欠片も残っていない。今ならヴァリエールすら凌駕する完膚なきまでの《ゼロ》だね。」
取り巻きは眼を剥いた。
その言葉は、意味の捉えようによっては途轍もなく重くなるからである。
「お……おいおい、ギーシュ。いったい、何が言いたいんだよ」
「ああ、つまり」
ギーシュは香りを楽しむように顔の前で回していた薔薇を芝生の上に放り投げた。気軽とすら言える仕草であった。
杖を放棄するということはつまり。
「つまり、僕の負けさ」
そう、敗北の宣言であった。
■□■□■□
「この莫迦! お莫迦ッ! 加減ってモノを知りなさいこのトンデモポンコツッ! でもよくやったッ!!
ああもう指がひしゃげちゃって――――きゃあッ! シエスタ、痛い痛い痛い痛たたたたたたた!!」
「ミス・ヴァリエール、怒るか喜ぶか心配顔をするか痛がるか一つにしてくださいませ」
「じゃあ痛がる! うう、今になって痛いわよ。泣きそうよ……」
「どうぞ、ご存分にお泣きになってください」
「ふ、ふん。貴族が平民に弱みを見せられるわけないじゃない」
「少しくらいは弱くてもよろしいと思いますよ――――あ。これ、沁みますよ」
「――――――――ッ!」
「ああ、無言のまま涙をぼろぼろと零されましても」
「し、シエスタ……あとで憶えておきなさいよ……」
「はい。憶えておきます」
「え?」
「一生、憶えておきます」
「……………………」
「……………………」
「…………シエスタ」
「…………何でしょうか、ミス・ヴァリエール」
「めっちゃくちゃ、怖かった。怖かったわよ…………」
「はい」
「今、わ、わたしが、弱いのは、あんたのせいなんだからね。
あんたが、弱くていいって、言ったせいなんだからね
泣いてるのは、傷が、痛いせい、だからね」
「はい。そのとおりでしょうとも」
「…………ば、ばかね。あんたまで、泣くこと、ないじゃない」
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