「眼つきの悪いゼロの使い魔-6話」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「眼つきの悪いゼロの使い魔-6話」(2008/11/29 (土) 19:32:29) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
どこの魔境だ、ここは? 辺りを見回したオーフェンの率直な感想がそれだった。
中庭より離れた棟の二階。その廊下を歩くオーフェンの横を、足が六本あるトカゲが通り過ぎていく。他にも舌ではなく火をちろちろと覗かせる爬虫類や、手がある鳥といった奇怪な動物たちが、恐らくは主だと思われる生徒たちの後ろへ忠実に従っている。数日前に使い魔を呼ぶ儀式とやら行われてから、これが学院の日常となっていた。異邦人たるオーフェンにとって、これを日常と受け入れられるのは、もうしばらくの時間が必要となりそうである。
廊下を歩むオーフェンへ、視線を向けてくる者はいない。いずれも名家の子弟である学院生徒にとって、一介の用務員など路傍の石と大差ない。だが、むしろその反応に感謝しながら、オーフェンは歩を進める。厩舎の修繕に思ったよりも手間取ったため、昼の休憩がややずれ込んだ。坊ちゃん嬢ちゃん方に用件を申しつけられ、これ以上貴重な休憩時間を削られてはたまらない。
「あら、ここにいたのですか」
涼やかな高音の声が、オーフェンの耳に忍び込む。聞きなれた声であり、いまだに聞きなれぬ口調。
振り向いた先にいるのは、学院長秘書ロングベルことマチルダだった。両手で上品に書類を抱えて、控えめに微笑んでいる。
「そのしゃべり方、疲れねえか?」
「演じることを苦痛に感じる女などいませんよ」
さらりと言うマチルダに何事か返そうとしたオーフェンの傍を大蛇が通る。空を飛ぶ大蛇が。
ぎょっとして首を竦めるオーフェンを可笑しそうに笑いながら、
「蛇はお嫌い?」
「食えないやつと空中浮遊するやつはな。クソ、何なんだこっちの動物は」
毒づくオーフェンの言葉に、マチルダは興味深げな色を瞳に乗せ、
「あなたの故郷にはいないのですか」
「ああ、いないよ。この建物くらいの全長のウサギや、一睨みで森を壊滅させる狼とか、一海里さきの鉄鋼船を沈めるサイくらいしか……」
「……その、そちらのほうが凄いかと」
「うん。俺も言ってて思った。凄いな、何でまだ生きてるんだろう俺」
あまり良い記憶ではないのか、追憶を払うように頭を振ってから、オーフェンは改めてマチルダの姿を見つめる。
「秘書業が板についてきたじゃないか」
「それはどうも。ええ、お仕事に関しては全く問題ありません」
「それは、仕事以外で何かあるってことか?」
また嫌味でも言われるのかと内心身構えるオーフェンへ、マチルダは実に忌々しげに告げた。
「いいえ、大したことではありません。オスマン老のセクハラには慣れましたし。二回り年上の殿方から再三食事に誘われることも、一回り年下の子供から手紙をもらうことも、ええ、全く大したことではありません」
言葉ほどには平気そうではない彼女を、オーフェンはにやにや笑いながら、
「良かったな。おおモテじゃないか」
「あなたね、」
何事か言いかけたマチルダを突然の歓声が遮る。二人は同時に視線を窓の外へ飛ばした。
中庭に人だかりができている。その人だかりの中心は、何か円形の結界でもあるかのように無人だった。いや、完全に無人ではない。二人の少年が距離を取って対峙している。やや興味を引かれたオーフェンは、右手で日差しを作りながら窓に近寄った。
「喧嘩、とその野次馬か?」
「当たりです。まあ、あの子たちは決闘と主張していますが」
オーフェンの傍によって同じ方向を見つめながら、マチルダがオーフェンの推測を補足する。
「あの金髪の子が複数の女の子と付き合っていることが、あの黒髪の子のせいで発覚。それから謝れ謝らないの問答の末、暴力で話をつけることになったそうです」
「なるほど、そりゃ確かに喧嘩だ」
話すマチルダの顔が、少し意外なほど近くにある。鼻腔に香る彼女の髪からわずかにオーフェンは身を反らし、中庭の様子に集中した。と、不意に思いついたようにマチルダが言う。
「どちらが勝つと思います」
「賭けるか?」
問うオーフェンに、彼女はちらりとマチルダの顔を覗かせながら頷いた。
「では敗者は勝者に、王都で食事を奢るということでいかが?」
「てめ、俺の懐事情を知っててそれを言うか」
週に一、二度見るマチルダの服(俺が買った。なぜだ)へ視線を落とし、ぼやきながらもオーフェンは条件に同意する。そしてオーフェンは黒髪に、マチルダは金髪に賭けることとなった。
それを待っていたわけでもないだろうが、少年たちの『決闘』が開始する。
泥臭く突進する黒髪の少年に、オーフェンは思わず呻く。
「うげ、完全に素人かよ」
「あら、あの子ドット? しかもゴーレムが一体だけ?」
互いに失敗したかと考えながらも、傍観者の気軽さで実に力の抜けた応援を始めた。
「うあーばっか、なんで正面から殴りに行くんだよ。逃げろ逃げろ走れ走れ。そのへんの野次馬捕まえて盾にしろ」
「あーもうなに余裕ぶってるのかしら。勝ち目があるうちに決めればいいのに。平民の子供といっても使い魔なんだから、どんな奥の手があるか分かんないでしょうが」
「だーかーらー金属の塊を素手で殴るなよなー……って、使い魔?」
聞き逃せない単語を耳にしたと、オーフェンがマチルダに疑問の眼を向ける。
「あら? もう有名な話じゃありませんか。使い魔召喚の儀式で平民の少年が呼ばれたって。あの子のことですよ」
「ああ、あいつのことだったのか。ん? ってことはあいつ、ここのぼんぼんに顎で使われてんのか。うわあー、ますます頑張れ少年」
さきほどよりも若干熱のこもった声援をオーフェンは送る。しかしそれも虚しく、黒髪の少年は膝をつく。少年の主だろうか、桃色の髪の少女(十二、三歳くらいかとオーフェンは見当をつける)が駆け寄っていた。
勝利の笑顔を見せるマチルダを憮然と見返し、オーフェンが何か逆襲の言葉はないかと考える。そして口を開こうとした瞬間、中庭の状況が一変した。
膝をついていたはずの黒髪の少年が剣を手にし、一体の女性型ゴーレムを切り捨てる。少年の攻勢は止まらない。猫科の肉食獣を思わせる俊敏さで新手のゴーレムたちを次々と機能不能に追い込み、ついには金髪の少年から降参の言葉を引き出した。
さすがに唖然として、オーフェンとマチルダは顔を見合す。
「おっどろいた。あの子、大した達人じゃない。猫を被ってたんだ」
彼女はロングビルとマチルダの中間の口調で言葉を漏らす。次いで、からかうようにオーフェンへ訊ねた。
「ねえ、あなたとどっちが強いかしら?」
「……剣の勝負じゃ話にならねえな。技も速さも桁違いだ。百回やれば百回負けるだろう」
その答えがよほど意外だったのか、マチルダが瞬きを繰り返す。それを気にした風もなく、オーフェンは力尽き崩れ落ちた少年に注意を戻した。
(というか、あれは人間の筋組織で可能な動きじゃなかった、よな)
主と思われる少女が魔法で何かしたのか、それとも使い魔としての特殊能力だろうか。何か不自然な物を眼にしたと首を捻る。と、
「なあ、俺ら立場的に現場に行ったほうがいいんじゃね?」
「大丈夫ですよ。ほら、生徒想いの先生がすでに向かっています」
口調をロングビルのものに戻し、マチルダが告げる先には禿頭の男がいた。裾の長いローブを揺らしながら、慌てた様子で騒動の中心に走っている。
いい先生だなと感心するオーフェンと対照的に、マチルダは胡乱な眼つきで男を見つめていた。
「さっき話しましたよね。私を食事によく誘ってくるのがあの人です」
「そりゃ……」
度胸があるなという言葉は寸前で飲み込んだ。誤魔化すように、気がついた事をオーフェンは口にする。
「あの男、従軍経験でもあるのか?」
「コルベールさんが? まさか」
笑いながら否定するマチルダを横目に、オーフェンは改めてコルベールなる教師を注視する。ひどく慌てたように走っているが、上体がほとんどぶれず、頭の高さも一定のままである。よほど足腰を鍛えていなければ、ああはいくまい。いや、それよりも気になるのは、いま耳にした彼の名前である。
コルベール。それは、あの火使いが最後に残した名ではなかったか?
決闘騒動から数日後のこと。平賀才人は、それなりに上機嫌であった。いけすかない貴族に一発かますことができたし、自分をこの世界に呼んだ魔法使いの少女からは多少ましな扱いを受けるようになった。自分と同じ色の髪をしたメイドの少女とはより仲良くなり、食事に困ることもなくなった。また、貴族の報復に対処する道具、剣も手にすることができた。
剣。包丁やナイフではない。映画でしかお目にかかったことのない、本物の剣である。男の子としては気に入らざるを得ないだろう。赤毛の美女、キュルケから頂戴した大剣はさすがに日常で携帯するには大振りすぎたため、今は古風な拵えの長剣を佩いていた。デルフリンガーなる大層な銘のインテリジェンスソードである。
いつもの洗濯を終えた帰り道、デルフと雑談を交わしていると、一人の男が才人の視界に入ってきた。黒髪、黒革のジャケット、黒色のズボン。二十歳ほどの、全身黒ずくめなひどく眼つきの悪い男である。元の世界で遭遇すれば、必ず道を譲ったであろう手合いであった。こんなにファンタジーファンタジーした世界にもこんな人種がいるのかと感心する。そしてなるべく視線を合わせないように通り過ぎようと、
「よう、そこの暇そうな眼つきのわるい兄ちゃん」
とんでもない台詞が、自分を相棒と呼ぶ剣から飛び出した。慌てて刀身を鞘へ押し戻す。それから曖昧な笑顔を浮かべて、才人は顔を上げた。
青年は不思議そうにこちらを見ていた。次いで、顔つきに似合わぬ温和な笑顔を浮かべる。意外と優しい人なのかもしれない。やはり外見で判断しては、
「初対面の人間を相手に、すごくいい度胸してるなぁ、少年」
見た目通りの人だった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 今の俺じゃないですよ!」
青年が辺りを見回す。彼ら以外には誰もいなかった。青年はにこにこ笑っている。才人にはそれが何かの攻撃色のように思えた。
「待って待って待って! 違うんですってば! ほら、こいつ! こいつが言ったんです!」
必死の形相でデルフを指し示す才人に対して、青年は少しだけ怪訝な表情をする。そして、なるほど剣が喋った主張しているのだなと得心したように手を打ち、再び周囲を見回した。人気のないことを心から安堵して、朗らかな笑顔を顔一杯に拡げる。
「凄いなぁ少年。俺も今度から人に因縁つけるときは、君みたいな個性的なやり方にするよ」
「うわああああ落ち着いて! 指の骨を鳴らさないで! つーかデルフ! お前も何か言えよ! 肝心な時だけ黙るなよな!」
鞘から抜けばよいと才人が気づくのには、しばらくの時間を必要とした。
食堂の一角でテーブルを挟み、オーフェンと才人は座っていた。なんとか弁解を終えた才人の誘いによるものである。
オーフェンは、一振りの長剣を手に取っていた。これは才人ではなく、デルフの要望によるものであった。
あまり興味を示した様子もなく、鋏の品定めをするようにオーフェンは刀身を眺めている。次いで完全に鞘から引き抜き、右手で軽く振る。錆は気になるが、重心のバランスは悪くない。そして、専門家でもないオーフェンに分かることは、その程度でもあった。
オーフェンは刀身を三分の二ほど鞘へ戻し、デルフの言葉を待つ。自分がこの喋る奇妙な剣を握ることに一体なんの意味があるのか?
「うーん、あれえ? 勘違いだったか? でもちびっとだけ感じるんだよなー。ううーん、でもなあ、
同時期に同じのが二人って有り得るのかねえ? ねーよなー普通」
「…………?」
かなり意味不明なデルフの言葉であった。何一つ意味が分からず、二人は顔を見合わせる。オーフェンは柄を才人に向けて返しながら、
「なんだったんだよ結局」
「おー悪い悪い。兄ちゃんも使い手かと思ってさあ、ちょっと試してみたんだわ」
「……順序立てて聞くぞ。まず使い手ってのは何だ?」
しばらくデルフは口をつぐんだ後、軽い口調で言う。
「さあ? 忘れた」
「なあ才人君。こいつ非常階段に染み付いた痰をこそぎ落とすのに使いやすそうだと思わないか?」
「同感です」
「ごめんなさいごめんなさい待って待って」
オーフェンの口調から本気を感じ取ったのか、デルフが真剣に慌てる。と、騒がしくしている彼らの下へ、盆に水杯を載せて一人の少女が歩み寄ってきた。黒い短髪と白いカチューシャが印象的な女の子である。清楚に微笑み杯を置く彼女に礼を言いながら、名前はなんだったかとオーフェンが頭を捻る。答えは才人が口にした。
「ごめん。わざわざありがとうシエスタ」
「気にされないでください。ちょうど手が空いていましたから」
親密気な少年少女の姿に、オーフェンは深く考えずに口を滑らす。
「見かけによらず手が早いんだな、少年」
才人が赤面しながら何か否定の言葉を吐こうとする。しかし、より激烈な反応をしたのはシエスタと呼ばれた少女のほうだった。
「やだもうオーフェンさん! まだ全然そんなんじゃありませよ! ほらほら才人さんが困ってらっしゃるじゃないですかー!」
「ははは、痛いな。そんなに照れなくても痛て、いいんじゃ痛、ちょ、待て、マジで痛いってうがっ、お盆を縦に使うなあ!」
そんな騒動とも言えない些細な会話の後、彼らは互いに貴族ではないという気安さも手伝ってか、しばらくの間談笑を交わしながら時間を潰しあう。
知己が増えたことをオーフェンと才人は喜んだが、しかし、二人が再び出会うのはこの時よりかなりの時間を過ぎてからとなる。
夜露が建物を濡らし、草木を湿らす。天上に浮かぶ双月の輝き。日はとうに暮れ、しかし深夜にはまだ遠い時間帯。オーフェンは日課である夜間の見回りを行っていた。
魔術で鬼火を作りたくなる誘惑を耐えて、手にしたカンテラで辺りを照らす。これは雇われ用務員の業務の一環であったが、オーフェンとしては別の目的もあった。見回る場所は、宝物庫周辺に重点をおくことにしている。
オーフェンは道化となったような心地で歩く。無論、自分の勘違いであれば一番いい。盗賊フーケはまったくの第三者で、今も王都で潜入先の屋敷を下見している。それが自分にとって最も望ましい決着である。ただ、そう思いつつも同時にオーフェンは、自身の幸運を欠片も信じていなかった。
カンテラを掲げて、のんびりと歩く。慣れてしまった作業で緊張感を維持することは難しい。そして、何か変化はないかと考えていたオーフェンを咎めるように、話し声が宝物庫の辺りから聞こえてきた。
オーフェンはカンテラの火を落とし、足音を消しながら様子を窺う。等間隔で植えられている樹木の影に隠れ、オーフェンが見た先には、一人の少年と三名の少女たちがいた。少年は昼に会った才人である。少女たちの一人は恐らく才人の主だろうが、他の二人はよく知らぬ顔だった。なにやら才人が縄で縛られ、吊るされているようにも見える。
別にそれはいい。オーフェンも十五歳頃の時はたまに吊るされたりしていた。オーフェンが気にしたのは屋根の上に見える人影であった。暗闇と距離のせいで性別は分からない。あるいはフードを被り、顔を隠しているのかもしれない。
懸念が当たったかと、オーフェンは嘆息する。そして正体不明の人影の背後を取れるよう、建物の裏手に周り、小声で唱える。
「我は飛ぶ天の銀嶺」
魔術が発動し、重力が中和される。そのままオーフェンは跳躍し、屋根に降り立った。人影はまだ気がついていない。ひどく寛いだ様子で屋根に横座りしている。仕事の前に余裕だなと胸中で皮肉りながら、オーフェンはその人影に聞こえるように呟いた。
「我は生む小さき精霊」
突然の声に体を震わせながら振り返る。その姿を晒すべく鬼火が宙を走り、『彼女』の顔を照らし出した。
(…………?)
オーフェンの片眉がわずかに上がる。予想に反し、そこにいたのは彼の知らぬ女だった。
長髪は夜気を結晶したように黒い。タイトな衣服がその完全な肢体を強調している。すでに落ち着きを取り戻した女は、艶然と、毒花じみた微笑を唇に刻んでいた。
削除いたしました。
長期に渡ってご掲載くださった管理人様、また拙作を読んでくださった方々へ御礼申し上げます。
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: