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「ディセプティコン・ゼロ-9」(2007/09/05 (水) 11:49:03) の最新版変更点
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「……どういうこった」
デルフはブラックアウトの側面、使い魔のルーンをスキャンしつつ呟く。
ここ数日、このルーンの正体が何なのかを突き止めようと試みていた彼であったが、その結果は芳しいものではなかった。
データ中に存在する如何なる言語とも合致せず、また紋様としても余りに規則性に欠けるそれは、単なる油汚れに見えない事もない。
しかしデルフには、奇妙な確信が在った。
自分は、これを知っている。
過去にこのルーンと、密接に関わった事が在るのだ。
だが何時、何処で?
幾ら考えても、システムの大部分を自己解析に回しても、その答えが得られる事は無かった。
しかし、解析を続ける中で解った事も在る。
デルフは腕を伸ばして装甲に触れつつ、視界に映るルーンの端を拡大。
更にスキャン結果と照らし合わせ、ある結論に達した。
「内側に……続いてやがる……」
解析の結果、装甲表面に刻まれているのはルーンの極一部であり、その殆どは装甲の『内部』に刻まれている事が判明したのだ。
通常、こんな事は在り得ない。
ルーンとは使い魔を識別する為のものであり、遵って必ず表皮へと刻まれる。
しかし目前のそれは、その法則から完全に逸脱していた。
ブラックアウトの外観を考えれば問題は無いかもしれないが、ルーン本来の役割から考えるならば異常に過ぎる。
だが異常とはいえルーンが刻まれた以上、その全体像を確認する方法がある筈。
そしてデルフには、その方法の見当が付いていた。
……しかし。
「その為に正体を現せってのもなぁ……」
確認の為には、その真の姿を晒す必要が在る。
しかし当のブラックアウトが主たるルイズにその姿を見せていない以上、ルーン確認の為だけに正体を現す事は在り得ない。
ブラックアウトが正体を現すとすれば、それは目撃者を確実に消去できる状況か、或いは大規模な戦闘に関与する場面のどちらかだろう。
一度人目に付いたのならばともかく、特に緊急時という訳でもない現状にてその様な行動に出る事は考えられない。
因って今の所、ルーンの正体についての真相究明はお預けという状態である。
だが―――――
「……まぁ、いいさ」
装甲から手を離し、ブラックアウトに背を向けたデルフは、確信を込めて呟く。
「『使い手』じゃねぇ事はハッキリしてるしな……」
そう、たった1つだけ、デルフは確信していた。
ルーンが刻まれているのは、左手ではない。
それだけがこの使い魔のルーンについて、現時点でデルフが理解し得る全てであった。
部屋へと戻る彼の上空で、青い双眸が光った事に気付く者は居ない。
否、唯一ブラックアウトだけは気付いていたかもしれないが、しかしながら警告が発せられる事は無く。
彼が悲劇を避けるには、全てが余りに遅すぎた。
あの決闘からというもの、ルイズの日常は今までに無いほど充実していた。
トライアングルメイジ2人を打倒し、更にその使い魔は正しく強力無比。
彼女を『ゼロ』たらしめている失敗魔法も、見方を変えれば短時間の詠唱で対象との距離を無視した遠隔爆破を可能とする強力な攻撃魔法と捉える事が出来る。
そして何と言っても、実力的に格上の相手にも臆する事無く向かって行く、その誰よりも貴族たらんとする精神。
それらの事柄から、彼女は学院で一目置かれる存在となっていた。
彼女に付き纏っていた『ゼロのルイズ』という蔑称も消え去りこそしなかったものの、今ではある種の畏敬の念を以って呼称されるまでになっている。
そして何より級友達が、気絶した自身とギーシュを守ってくれたという事実、今では自身を1人のメイジとして扱ってくれるという現状が、ルイズに確かな充足感と自信を齎していた。
加えて、『土くれのフーケ』捕獲という大手柄。
今やこの学院に於いて、ルイズを真の意味で『ゼロ』と蔑む者は殆ど居ない。
彼女は初めてメイジとして、真に他者と対等の立場を手に入れたのだ。
しかしルイズが無意識の内に何よりも望み、何より得難く、そして漸く手に入れたもの。
それは立場などではなく―――――
「あらルイズ、今朝は寝坊しなかったのね」
「うるひゃいわねー、きゅるけぇー」
『友人』だった。
「何よルイズ、昨日も徹夜したの?」
「そーなのよ。この娘ったら近頃毎晩毎晩……」
「ま、毎晩……?」
「そう、夜な夜な部屋で……」
「『部屋で』? 『毎晩』ッ? 何よ、何してるのよ!?」
「そりゃあ貴女、年頃の娘が、ねぇ」
「……あぁ」
「んー…」
以前から宿敵同士という間柄であったキュルケ。
ギーシュとの交友を通じて親しくなったモンモランシー。
更に―――――
「……『ハッピータイム』」
「うわ! 何時の間に!」
「あらタバサ、おはよう」
「おはよう」
キュルケの親友にして、決闘以降というもの妙にルイズ達を気に掛けるタバサ。
そして―――――
「き、君達……何というか、もう少し慎みを持ってだね……」
「あらギーシュ、居たの?」
「おはよう、ギーシュ。でも貴方にだけは言われたくないわね」
「二股男」
「……酷い」
同じく決闘からの友人関係であり、同時にデルフの悪友でもあるギーシュ。
彼等4人とルイズは各々自覚こそ無いものの、今や親友と言って差し支えない程の親密さを持っていた。
更に言えば、モンモランシーを除く4人には共通の秘密が在る。
異世界である『地球』の技術による産物が、このハルケギニアに点在する可能性を知る者達。
その危険性、異質性を知り、今も暇さえ在ればいずれかの部屋にて、デルフの講義を受ける日々を送る彼等。
同じ秘密を共有するという奇妙な連帯感が、結果として彼等の交友関係をより強固なものとする事に一役買っていた。
特にルイズはデルフの主という事も在って、毎夜遅くまで己の護衛たるインテリジェンスソードによる講義を受けている。
「……ところで『ハッピータイム』って何よ」
「……大きな声では言えない」
「ああ、それはデルフがってええぇぇッ!?」
「このバカッ、何でアンタはそう口が軽いの!」
「だ、だからって燃やすかね!? アフロになるところだったじゃないか!」
「……? アフロって何?」
「ぅるしゃーいっ! ねれにゃいんらきゃらひじゅかにひらはいひょーっ!」
尤も講義内容が脱線する事も多く、余計な知識と誤解が多々生じているとの問題点が在るが。
因みに当のデルフは、今この場―――――教室には居ない。
護衛の任を放り出して今、彼が何処で何をしているのかというと―――――
「きゅいきゅいきゅいきゅい!」
「どああああああ放しやがれバカ竜ごあああああああッ!」
「きゅきゅきゅいきゅいぃきゅい!」
「それは俺の所為じゃねーだろーがああああぁぁぁぁッ!?」
「きゅいい! きゅきゅきゅいぃぃぃっ!」
「分かる! その気持ちは分かるから放せってうわなにをするやめ」
「きゅきゅい! きゅいぃきゅい! きゅいぃぃっ!」
「あ、相棒ーッ! 助けてくれッ、あいぼーッッ! ってぎぃぃやあああぁぁぁぁぁッ!?」
早朝にルーンの解析を終えルイズの部屋へと戻ろうとしたところでシルフィードに見付かり、言葉を話せない事への鬱憤を自由に話せるデルフへの八つ当たりという形でぶち撒けられ、ついでに話し相手兼玩具として銜えられた状態で振り回されていた。
傍から見れば、風竜に銜えられたインテリジェンスソードが悲鳴を上げながら振り回されるという、奇怪極まりない光景である。
なまじ人目が在る為に剣型をとっている事も在り、抵抗すら出来ないデルフはシルフィードの為すがまま。
当人にとっては悲劇、周囲にすれば喜劇。
結局この騒ぎはブラックアウトが、ローターブレードを展開した際の一撃をシルフィードに見舞うまで続いた。
心身共に充実した、ルイズにとっての素晴らしき日々。
しかしこの日、今は亡き国王の忘れ形見であるアンリエッタ姫殿下がトリステイン魔法学院を訪れた事によって、平穏な日常は終わりを告げた。
深夜、アンリエッタが退出したルイズの部屋に、デルフの声が響く。
「んで、タバサとキュルケの嬢ちゃんにも声掛けるんだろ?」
「はぁ? アンタ何言ってんの?」
その言葉に眉を吊り上げ、声を荒げるルイズ。
アンリエッタを尾けていた事がばれ、ルイズの回し蹴りを受け床へと倒れ伏していたギーシュも、何とか持ち上げた顔に怪訝そうな表情を浮かべている。
「話、聞いてたでしょ? お忍びなのよ、お・し・の・び! 『これ』はもうしょうがないとして、キュルケ達を連れて行ける筈無いじゃない」
「『これ』って……」
「惚けた事言ってんじゃねえ、娘っ子。アルビオンだぜ? 内紛真っ最中だ。王党派が負けりゃあ、宝物庫の中身も貴族派のもんになっちまう」
「……そりゃあ……そうでしょうね」
「デルフ、君は何が言いたいんだい?」
心底解らないとでも言いたげに首を傾げる2人に、デルフは溜息を吐いて語り始めた。
「此処の宝物庫には何が在った?」
「……あ!」
「へ? 何よ?」
ルイズは未だに解らないという顔をしているが、ギーシュは気付いたらしい。
ルイズの方へと顔を向け、捲し立てた。
「『火竜の息吹』だよ! 『火竜の息吹』と『破壊の槍』! 況してや王家の宝物庫なら……!」
「……あ、あぁ! そっか!」
「ま、そういうこった。これについちゃ隠し事無し、って約束だったろ」
「うー…でも……」
「別に任務の内容まで明かせとは言ってねえ。アルビオンに行って王党派の宝物庫から火事場泥棒するって言やぁ良いじゃねーか」
「かかか火事場泥棒って何よ!」
むくれるルイズに、デルフは言い聞かせる様に語り掛ける。
その様子は兄妹、もしくは親子にも似て、ギーシュはおかしくなって小さく噴き出した。
そして、翌朝―――――
「嗚呼……ごめんよヴェルダンデ……不甲斐無い僕を許しておくれ……」
つぶらな双眸が哀しげにギーシュを見上げ、置いていかないでと懇願していた。
ギーシュはその目に涙さえ浮かべ、離れたくないとばかりにジャイアントモールを抱き締める。
「こんな……こんな事って!」
「さっきまでそれに押し倒されてた私は無視か、こら!」
背後から股間を蹴り上げられ、ぬふぅとの呻きを残し崩れ落ちるギーシュ。
この暴挙を為したルイズの着衣は乱れに乱れ、その息は荒く、肌には汗が滲んでいる。
一部幼女趣味の諸兄に於いては前屈みになる事請け合いの様相であったが、実際にはアンリエッタから受け取った『水のルビー』に反応したヴェルダンデに押し倒されたという、色気もへったくれも無い経過の結果だった。
しかし、知らぬ者からすれば情事の後にしか見えぬ事は請け合い、完璧に誤解されるだろう。
事実、そうなった。
「ル、ルイズ……それは、一体?」
「え?」
懐かしい声に振り返れば、其処に居たのは昨日目にした己の婚約者。
彼は震える指でルイズを指し、次いでギーシュとヴェルダンデを指す。
ルイズが再起動を果たし、漸く弁明を始めようとした矢先。
「決闘だッ!」
「ぅえええぇぇぇぇッ!?」
「落ち着いてワルドォォォォッ!?」
結局、彼等が学院を発ったのはそれから30分後の事だった。
学院長室の窓からルイズ達を見送るアンリエッタは、始祖ブリミルに一行の無事を祈る。
しかし隣から響いた小さな悲鳴に、彼女は視線を尖らせて老メイジを睨んだ。
「見送らないのですか? オールド・オスマン」
「ふ、ぐ……ほ、ほほ……み、見ての通り、この老いぼれはそれどころではないのでしてな……」
手で鼻を覆い、涙目で応えるオスマン。
右手の小さなピンセットには1本の鼻毛、声は微妙に震えている。
余程キツい衝撃だったらしい。
アンリエッタが呆れて首を振ったその時、血相を変えたコルベールが学院長室へと飛び込んでくる。
「一大事ですぞ! オールド・オスマン!」
「何じゃね、騒がしい」
「フーケが脱獄しました!」
彼の齎した情報は、チェルノボーグの牢獄に収監されていたフーケが、貴族の手引きによって脱獄したとのものだった。
即ち、城下に裏切り者が居る事になる。
青褪めるアンリエッタ。
しかしオスマンは特に気にした素振りも無く、手を振ってコルベールに退室を促した。
何故かコルベールもあっさりとそれに従い、学院長室には静寂が戻る。
アンリエッタは苛立たしげに、オスマンへと噛み付いた。
「これは間違い無くアルビオン貴族の暗躍です! 何故そうも落ち着いていられるんですの!?」
「これこれ、姫。この国の頂点に立つ貴女がそう感情を露にしては、色々と不都合ですぞ」
オスマンの言葉にぐ、と詰まるアンリエッタ。
その顔に浮かぶ苦々しい表情を微笑ましく思いながら、オスマンはひとつ、彼女を勇気付ける為の言葉を紡ぐ。
「何、ミス・ヴァリエールの使い魔が居れば、何も心配する事は在りませぬ。あれに太刀打ち出来るのはエルフくらいのものですじゃ」
「……ルイズの?」
その言葉が意外だったのか目を丸くするアンリエッタに、オスマンはおや、と首を傾げる。
「殿下は彼女の使い魔を御覧になっていないので?」
「ええ……部屋には何も居ませんでしたし……」
心底残念とでも言いたげに、アンリエッタは肩を落とす。
その様子を見たオスマンは、この程度なら話しても良いかと、予め脳裏で組み立てた文章を読み上げた。
「彼女の使い魔は特殊でしてな。このハルケギニアに存在するものではないのですじゃ」
「それは……どういう事です?」
「つまり、異世界から来たものという事ですじゃよ」
今度こそ驚きに目を瞠るアンリエッタ。
オスマンは、尚も言葉を続ける。
「この世界の常識には当て嵌まらない存在でしてな……あれならば、どの様な危機が襲ってこようと乗り越えられるでしょうな」
「異世界……」
小さく呟き、アンリエッタは再び窓の外を見遣る。
ルイズ達を乗せたグリフォンと馬は、既に豆粒ほどの大きさになっていた。
「その様な世界が在るのですか……」
確かめる様にその言葉を声に乗せ、彼女は目を閉じた。
「ならば祈りましょう。異世界から吹く風に」
「そよ風程度で済めば宜しいのですが、な」
祈りが届く様な相手ではない。
オスマンのその呟きが、アンリエッタの耳に入る事は無かった。
「そろそろね」
何かを探す様に首を動かすルイズにワルドは内心、何をしているのかと訝しんだ。
学院を出立してまだ1時間、ラ・ロシェールまでの行程、その10分の1にも達してはいない。
一体何を探しているのか?
「ルイズ、さっきから一体何を……」
「居た!」
突然、視界の端に映る森を指差し、ルイズは叫んだ。
それが余りにも唐突だった為に面食らったワルドは、続くルイズの言葉を素直に受け入れてしまう。
「降下して! あの森、あの空き地よ!」
「わ、解った」
ルイズは地上を行くギーシュに合図を送り、徐々に大きくなる灰色の鉄塊と、その側に佇む赤と青の人物を見遣る。
そして20分後、静かな森にターボシャフト・エンジンの立てる轟音が響き渡った。
ラ・ロシェールの裏通りに店を構える『金の酒樽亭』。
其処でフーケは1人、舐める様に酒を飲んでいた。
背後では傭兵達が、文字通りの泡銭で宴会を繰り広げている。
気持ちは解らないでもない。
大金を積まれて雇われたにも拘らず、当の雇い主は中止を伝えると金はそのままにさっさと退場してしまったのだ。
降って湧いた幸運に、傭兵どもは歓声を上げて飲み会を始める。
フーケはそれに参加する事もなく、酒を飲みつつ思考を廻らせた。
……他に選択肢が無かったから着いて来たが、いきなり中止とはどういう事だ。
当の仮面野朗も姿を消しちまうし、これからどうすべきか。
それだけを考えると、彼女は大きく溜息を吐く。
その音は宴会の喧騒に紛れ、誰の耳にも入る事は無い。
とにかく、再びあの化け物に相対する事は避けられた訳だ。
仮面野朗は此方を仲間に引き込んだつもりだろうが、生憎こっちは妄想に付き合うほど酔狂ではない。
このまま何処かへと……
そう考えたその時、背後の傭兵達の中から無視出来ない名称が飛び出した。
「ウエストウッド? 何だそりゃ」
「知らないのか? 貴族派も王党派も、あそこを巡って何度も戦り合ってるんだ。何か目的が在るんだろうが、それが何かは……」
「はぁ?」
「俺ぁ知ってるぜ。あすこにゃバカみてぇに強ぇガキとバケモンが居やがんだ。貴族派に付いてた奴から聞いたが、向こうの調査隊がほうほうの体で逃げ帰ってきたとよ」
「ガキはともかく……バケモン?」
「ああ、何でも―――――」
「銀色のやたら速いゴーレムらしいぜ」
フーケの行き先が、決まった。
ブラックアウトの機内は、タバサの『サイレンス』によって静寂が保たれていた。
こうなる事を見越していたキュルケとギーシュは、タバサに倣って持ち込んだ本へと目を落とし、ルイズはコックピットでモニターを睨んでいる。
ワルドはというと、予想だにしていなかった展開に若干呆然としており、周囲を埋め尽くす金属の構造物を食い入る様に観察していた。
そう、ルイズ達は初めからラ・ロシェールに向かうつもりなど無く、ブラックアウトで一息にアルビオンへと飛ぶつもりであった。
早朝からローターの騒音を響かせては怪しまれるどころの騒ぎではない為、多少無理は在るが深夜の内にブラックアウトを学院近郊の森へと移動させる
翌朝、シルフィードに乗ってキュルケとタバサが先行、ルイズとギーシュは後から馬で合流する計画だったのだ。
これは学院の何処かから見ているであろうアンリエッタの目を掻い潜る為とのデルフのアドバイスであったが、結果としてワルドの合流を助ける事となった。
そしてグリフォンを置いて行く事を渋るワルドを4人掛かりで説き伏せ、漸く離陸と相成った。
それから、約7時間後―――――
機内に、赤いランプが点った。
タバサが『サイレンス』を解除すると同時、ローターの騒音が機内を満たす。
一瞬、顔を顰めた4人だったが、ルイズの叫びに銃座の小さな窓へと噛り付いた。
「見えたわ! アルビオンよ!」
彼等の眼前に、戦火に覆われる『白の国』が浮かび上がる。
ブラックアウトは上昇し、大陸の上側へと向かった。
「スカボローは……無いな」
銃座から地上を見下ろし、ワルドは呟く。
流石に都合良く位置を特定する事は出来なかったようで、本来船が着くスカボローの港からは随分と南に着いてしまったらしい。
「ロサイスの近く……か? 不味いな、あそこは貴族派の拠点だ」
「そ、それはかなり不味いのでは?」
「近くに竜騎兵は居ない様だ。このまま北上すれば問題は無い」
ワルドはコックピットへと向かい、ルイズの耳元で方角を告げる。
ルイズは頷きをひとつ返すと、ブラックアウトへと命令を下した。
「このまま北上よ。町が見えたら東へ迂回して」
その命令に従い、ブラックアウトは速度を上げる。
そのセンサーに一瞬、強大な反応が掛かったが、命令を優先したブラックアウトはそれに対する調査を保留にした。
そしてルイズもまた、モニターに映る光点に気付く事は無く。
やがて眼下にスカボローの町が映り込み、ブラックアウトは緩く東へと旋回した。
貴族派に雇われた傭兵達が虚ろな表情で背を向け、街道を退却してゆく。
その身体には無数の傷が刻まれ、中には腕や脚が折れたまま去ってゆく者も居る。
その異様な姿を見やりつつ、少年は傍らで沈痛な表情を浮かべる少女へと声を掛けた。
「仕方ないさ。あいつらにまで治療を施してたら、指輪の魔力なんかあっという間に無くなっちまう」
「うん……」
それでも表情の晴れない彼女に、少年は話題を強引に変える事で場の空気を打ち破ろうとする。
「それにしてもしつこい連中だな。毎度毎度、無駄だって解らないのか」
「……」
「記憶を消し損なった奴を逃がしたのが不運だったかなぁ」
「……」
どうやら失敗したらしい。
少女は更に沈痛な表情を浮かべ、完全に押し黙ってしまった。
少年は慌てて彼女の擁護に回る。
「だ、大丈夫だって! 『俺達』が居れば傭兵だろうが貴族だろうが」
「サイト」
少女は少年―――――サイトの言葉を遮り、唐突に頭を垂れた。
「ごめんなさい……私が……私が、勝手な都合で貴方を喚んだから……」
「ストップ」
謝罪を続ける少女の言葉を、今度はサイトが遮る。
きょとんとする彼女に、サイトは薄く笑みを浮かべて優しく言葉を紡いだ。
「それは気にしてないって言ったろ? 元はといえば此処に攻めてきた連中が悪いんだし。それに『俺達』が居なかったら、テファ達がどうなったか解らないだろ」
「それは……そうだけど」
尚も罪悪感に苛まれる少女―――――ティファニア。
彼女が被る帽子の上へと軽く左手を置き、サイトは続ける。
その手の甲には、奇妙なルーンが刻まれていた。
「それに……その、この状況を招いたのは、間違い無く『俺達』だと思うんだよね。いや、その、やり過ぎたと言うか、暴れ過ぎたと言うか」
「……」
しどろもどろのその口調に、ティファニアは初めてくすり、と口元を綻ばせる。
それを見て安心したのか、サイトもまた表情を緩めた。
その時2人の背後から、このハルケギニアには存在しない筈の音が響く。
甲高く、力強い2.4L直列4気筒DOHCエンジンの音。
そしてクラクション。
それらの音に、サイトは子供の様に表情を輝かせ、弾んだ声でティファニアへと語り掛けた。
「それにさ! ずっと夢だったんだ! こういうスゲェ車に乗るのがさ!」
その妙に子供っぽく、しかし嘘偽り無い本心からの言葉に、ティファニアは今度こそ声を上げて笑う。
暫くの後、ドアの閉まる音が2つ響き、エンジン音は余韻を残して森の奥へと走り去った。
浮遊大陸アルビオンの一地方、サウスゴータに点在する小さな村々のひとつ、ウエストウッド。
その村の占拠を図った者達が王党派、貴族派を問わず壊滅に近い損害を受けて敗走するという事態が起こり始めてから約2ヵ月。
両陣営の注目がニューカッスルへと移った今尚、村を守る凄腕の若き傭兵と銀のゴーレムの噂は、ロサイスの街を賑わせていた。
曰く、少年は剣を、槍を、弓を、あらゆる武器を使いこなす。
曰く、ゴーレムは信じられない程の速さで動き、強力な砲と剣を持っている。
曰く、300人の傭兵も、20人のメイジも、果ては小型艦すらも、その化け物達には通用しなかった。
人々は噂を交わす。
横暴な貴族派が、そしてメイジ達が手玉に取られているという、痛快な笑い話として。
たとえ作り話であろうと、こんな愉快な話は無いと。
それが真実であったと人々が知るのは3日後、ニューカッスルでの決戦が始まってからの事であった。
「……どういうこった」
デルフはブラックアウトの側面、使い魔のルーンをスキャンしつつ呟く。
ここ数日、このルーンの正体が何なのかを突き止めようと試みていた彼であったが、その結果は芳しいものではなかった。
データ中に存在する如何なる言語とも合致せず、また紋様としても余りに規則性に欠けるそれは、単なる油汚れに見えない事もない。
しかしデルフには、奇妙な確信が在った。
自分は、これを知っている。
過去にこのルーンと、密接に関わった事が在るのだ。
だが何時、何処で?
幾ら考えても、システムの大部分を自己解析に回しても、その答えが得られる事は無かった。
しかし、解析を続ける中で解った事も在る。
デルフは腕を伸ばして装甲に触れつつ、視界に映るルーンの端を拡大。
更にスキャン結果と照らし合わせ、ある結論に達した。
「内側に……続いてやがる……」
解析の結果、装甲表面に刻まれているのはルーンの極一部であり、その殆どは装甲の『内部』に刻まれている事が判明したのだ。
通常、こんな事は在り得ない。
ルーンとは使い魔を識別する為のものであり、遵って必ず表皮へと刻まれる。
しかし目前のそれは、その法則から完全に逸脱していた。
ブラックアウトの外観を考えれば問題は無いかもしれないが、ルーン本来の役割から考えるならば異常に過ぎる。
だが異常とはいえルーンが刻まれた以上、その全体像を確認する方法がある筈。
そしてデルフには、その方法の見当が付いていた。
……しかし。
「その為に正体を現せってのもなぁ……」
確認の為には、その真の姿を晒す必要が在る。
しかし当のブラックアウトが主たるルイズにその姿を見せていない以上、ルーン確認の為だけに正体を現す事は在り得ない。
ブラックアウトが正体を現すとすれば、それは目撃者を確実に消去できる状況か、或いは大規模な戦闘に関与する場面のどちらかだろう。
一度人目に付いたのならばともかく、特に緊急時という訳でもない現状にてその様な行動に出る事は考えられない。
因って今の所、ルーンの正体についての真相究明はお預けという状態である。
だが―――――
「……まぁ、いいさ」
装甲から手を離し、ブラックアウトに背を向けたデルフは、確信を込めて呟く。
「『使い手』じゃねぇ事はハッキリしてるしな……」
そう、たった1つだけ、デルフは確信していた。
ルーンが刻まれているのは、左手ではない。
それだけがこの使い魔のルーンについて、現時点でデルフが理解し得る全てであった。
部屋へと戻る彼の上空で、青い双眸が光った事に気付く者は居ない。
否、唯一ブラックアウトだけは気付いていたかもしれないが、しかしながら警告が発せられる事は無く。
彼が悲劇を避けるには、全てが余りに遅すぎた。
あの決闘からというもの、ルイズの日常は今までに無いほど充実していた。
トライアングルメイジ2人を打倒し、更にその使い魔は正しく強力無比。
彼女を『ゼロ』たらしめている失敗魔法も、見方を変えれば短時間の詠唱で対象との距離を無視した遠隔爆破を可能とする強力な攻撃魔法と捉える事が出来る。
そして何と言っても、実力的に格上の相手にも臆する事無く向かって行く、その誰よりも貴族たらんとする精神。
それらの事柄から、彼女は学院で一目置かれる存在となっていた。
彼女に付き纏っていた『ゼロのルイズ』という蔑称も消え去りこそしなかったものの、今ではある種の畏敬の念を以って呼称されるまでになっている。
そして何より級友達が、気絶した自身とギーシュを守ってくれたという事実、今では自身を1人のメイジとして扱ってくれるという現状が、ルイズに確かな充足感と自信を齎していた。
加えて、『土くれのフーケ』捕獲という大手柄。
今やこの学院に於いて、ルイズを真の意味で『ゼロ』と蔑む者は殆ど居ない。
彼女は初めてメイジとして、真に他者と対等の立場を手に入れたのだ。
しかしルイズが無意識の内に何よりも望み、何より得難く、そして漸く手に入れたもの。
それは立場などではなく―――――
「あらルイズ、今朝は寝坊しなかったのね」
「うるひゃいわねー、きゅるけぇー」
『友人』だった。
「何よルイズ、昨日も徹夜したの?」
「そーなのよ。この娘ったら近頃毎晩毎晩……」
「ま、毎晩……?」
「そう、夜な夜な部屋で……」
「『部屋で』? 『毎晩』ッ? 何よ、何してるのよ!?」
「そりゃあ貴女、年頃の娘が、ねぇ」
「……あぁ」
「んー…」
以前から宿敵同士という間柄であったキュルケ。
ギーシュとの交友を通じて親しくなったモンモランシー。
更に―――――
「……『ハッピータイム』」
「うわ! 何時の間に!」
「あらタバサ、おはよう」
「おはよう」
キュルケの親友にして、決闘以降というもの妙にルイズ達を気に掛けるタバサ。
そして―――――
「き、君達……何というか、もう少し慎みを持ってだね……」
「あらギーシュ、居たの?」
「おはよう、ギーシュ。でも貴方にだけは言われたくないわね」
「二股男」
「……酷い」
同じく決闘からの友人関係であり、同時にデルフの悪友でもあるギーシュ。
彼等4人とルイズは各々自覚こそ無いものの、今や親友と言って差し支えない程の親密さを持っていた。
更に言えば、モンモランシーを除く4人には共通の秘密が在る。
異世界である『地球』の技術による産物が、このハルケギニアに点在する可能性を知る者達。
その危険性、異質性を知り、今も暇さえ在ればいずれかの部屋にて、デルフの講義を受ける日々を送る彼等。
同じ秘密を共有するという奇妙な連帯感が、結果として彼等の交友関係をより強固なものとする事に一役買っていた。
特にルイズはデルフの主という事も在って、毎夜遅くまで己の護衛たるインテリジェンスソードによる講義を受けている。
「……ところで『ハッピータイム』って何よ」
「……大きな声では言えない」
「ああ、それはデルフがってええぇぇッ!?」
「このバカッ、何でアンタはそう口が軽いの!」
「だ、だからって燃やすかね!? アフロになるところだったじゃないか!」
「……? アフロって何?」
「ぅるしゃーいっ! ねれにゃいんらきゃらひじゅかにひらはいひょーっ!」
尤も講義内容が脱線する事も多く、余計な知識と誤解が多々生じているとの問題点が在るが。
因みに当のデルフは、今この場―――――教室には居ない。
護衛の任を放り出して今、彼が何処で何をしているのかというと―――――
「きゅいきゅいきゅいきゅい!」
「どああああああ放しやがれバカ竜ごあああああああッ!」
「きゅきゅきゅいきゅいぃきゅい!」
「それは俺の所為じゃねーだろーがああああぁぁぁぁッ!?」
「きゅいい! きゅきゅきゅいぃぃぃっ!」
「分かる! その気持ちは分かるから放せってうわなにをするやめ」
「きゅきゅい! きゅいぃきゅい! きゅいぃぃっ!」
「あ、相棒ーッ! 助けてくれッ、あいぼーッッ! ってぎぃぃやあああぁぁぁぁぁッ!?」
早朝にルーンの解析を終えルイズの部屋へと戻ろうとしたところでシルフィードに見付かり、言葉を話せない事への鬱憤を自由に話せるデルフへの八つ当たりという形でぶち撒けられ、ついでに話し相手兼玩具として銜えられた状態で振り回されていた。
傍から見れば、風竜に銜えられたインテリジェンスソードが悲鳴を上げながら振り回されるという、奇怪極まりない光景である。
なまじ人目が在る為に剣型をとっている事も在り、抵抗すら出来ないデルフはシルフィードの為すがまま。
当人にとっては悲劇、周囲にすれば喜劇。
結局この騒ぎはブラックアウトが、ローターブレードを展開した際の一撃をシルフィードに見舞うまで続いた。
心身共に充実した、ルイズにとっての素晴らしき日々。
しかしこの日、今は亡き国王の忘れ形見であるアンリエッタ姫殿下がトリステイン魔法学院を訪れた事によって、平穏な日常は終わりを告げた。
深夜、アンリエッタが退出したルイズの部屋に、デルフの声が響く。
「んで、タバサとキュルケの嬢ちゃんにも声掛けるんだろ?」
「はぁ? アンタ何言ってんの?」
その言葉に眉を吊り上げ、声を荒げるルイズ。
アンリエッタを尾けていた事がばれ、ルイズの回し蹴りを受け床へと倒れ伏していたギーシュも、何とか持ち上げた顔に怪訝そうな表情を浮かべている。
「話、聞いてたでしょ? お忍びなのよ、お・し・の・び! 『これ』はもうしょうがないとして、キュルケ達を連れて行ける筈無いじゃない」
「『これ』って……」
「惚けた事言ってんじゃねえ、娘っ子。アルビオンだぜ? 内紛真っ最中だ。王党派が負けりゃあ、宝物庫の中身も貴族派のもんになっちまう」
「……そりゃあ……そうでしょうね」
「デルフ、君は何が言いたいんだい?」
心底解らないとでも言いたげに首を傾げる2人に、デルフは溜息を吐いて語り始めた。
「此処の宝物庫には何が在った?」
「……あ!」
「へ? 何よ?」
ルイズは未だに解らないという顔をしているが、ギーシュは気付いたらしい。
ルイズの方へと顔を向け、捲し立てた。
「『火竜の息吹』だよ! 『火竜の息吹』と『破壊の槍』! 況してや王家の宝物庫なら……!」
「……あ、あぁ! そっか!」
「ま、そういうこった。これについちゃ隠し事無し、って約束だったろ」
「うー…でも……」
「別に任務の内容まで明かせとは言ってねえ。アルビオンに行って王党派の宝物庫から火事場泥棒するって言やぁ良いじゃねーか」
「かかか火事場泥棒って何よ!」
むくれるルイズに、デルフは言い聞かせる様に語り掛ける。
その様子は兄妹、もしくは親子にも似て、ギーシュはおかしくなって小さく噴き出した。
そして、翌朝―――――
「嗚呼……ごめんよヴェルダンデ……不甲斐無い僕を許しておくれ……」
つぶらな双眸が哀しげにギーシュを見上げ、置いていかないでと懇願していた。
ギーシュはその目に涙さえ浮かべ、離れたくないとばかりにジャイアントモールを抱き締める。
「こんな……こんな事って!」
「さっきまでそれに押し倒されてた私は無視か、こら!」
背後から股間を蹴り上げられ、ぬふぅとの呻きを残し崩れ落ちるギーシュ。
この暴挙を為したルイズの着衣は乱れに乱れ、その息は荒く、肌には汗が滲んでいる。
一部幼女趣味の諸兄に於いては前屈みになる事請け合いの様相であったが、実際にはアンリエッタから受け取った『水のルビー』に反応したヴェルダンデに押し倒されたという、色気もへったくれも無い経過の結果だった。
しかし、知らぬ者からすれば情事の後にしか見えぬ事は請け合い、完璧に誤解されるだろう。
事実、そうなった。
「ル、ルイズ……それは、一体?」
「え?」
懐かしい声に振り返れば、其処に居たのは昨日目にした己の婚約者。
彼は震える指でルイズを指し、次いでギーシュとヴェルダンデを指す。
ルイズが再起動を果たし、漸く弁明を始めようとした矢先。
「決闘だッ!」
「ぅえええぇぇぇぇッ!?」
「落ち着いてワルドォォォォッ!?」
結局、彼等が学院を発ったのはそれから30分後の事だった。
学院長室の窓からルイズ達を見送るアンリエッタは、始祖ブリミルに一行の無事を祈る。
しかし隣から響いた小さな悲鳴に、彼女は視線を尖らせて老メイジを睨んだ。
「見送らないのですか? オールド・オスマン」
「ふ、ぐ……ほ、ほほ……み、見ての通り、この老いぼれはそれどころではないのでしてな……」
手で鼻を覆い、涙目で応えるオスマン。
右手の小さなピンセットには1本の鼻毛、声は微妙に震えている。
余程キツい衝撃だったらしい。
アンリエッタが呆れて首を振ったその時、血相を変えたコルベールが学院長室へと飛び込んでくる。
「一大事ですぞ! オールド・オスマン!」
「何じゃね、騒がしい」
「フーケが脱獄しました!」
彼の齎した情報は、チェルノボーグの牢獄に収監されていたフーケが、貴族の手引きによって脱獄したとのものだった。
即ち、城下に裏切り者が居る事になる。
青褪めるアンリエッタ。
しかしオスマンは特に気にした素振りも無く、手を振ってコルベールに退室を促した。
何故かコルベールもあっさりとそれに従い、学院長室には静寂が戻る。
アンリエッタは苛立たしげに、オスマンへと噛み付いた。
「これは間違い無くアルビオン貴族の暗躍です! 何故そうも落ち着いていられるんですの!?」
「これこれ、姫。この国の頂点に立つ貴女がそう感情を露にしては、色々と不都合ですぞ」
オスマンの言葉にぐ、と詰まるアンリエッタ。
その顔に浮かぶ苦々しい表情を微笑ましく思いながら、オスマンはひとつ、彼女を勇気付ける為の言葉を紡ぐ。
「何、ミス・ヴァリエールの使い魔が居れば、何も心配する事は在りませぬ。あれに太刀打ち出来るのはエルフくらいのものですじゃ」
「……ルイズの?」
その言葉が意外だったのか目を丸くするアンリエッタに、オスマンはおや、と首を傾げる。
「殿下は彼女の使い魔を御覧になっていないので?」
「ええ……部屋には何も居ませんでしたし……」
心底残念とでも言いたげに、アンリエッタは肩を落とす。
その様子を見たオスマンは、この程度なら話しても良いかと、予め脳裏で組み立てた文章を読み上げた。
「彼女の使い魔は特殊でしてな。このハルケギニアに存在するものではないのですじゃ」
「それは……どういう事です?」
「つまり、異世界から来たものという事ですじゃよ」
今度こそ驚きに目を瞠るアンリエッタ。
オスマンは、尚も言葉を続ける。
「この世界の常識には当て嵌まらない存在でしてな……あれならば、どの様な危機が襲ってこようと乗り越えられるでしょうな」
「異世界……」
小さく呟き、アンリエッタは再び窓の外を見遣る。
ルイズ達を乗せたグリフォンと馬は、既に豆粒ほどの大きさになっていた。
「その様な世界が在るのですか……」
確かめる様にその言葉を声に乗せ、彼女は目を閉じた。
「ならば祈りましょう。異世界から吹く風に」
「そよ風程度で済めば宜しいのですが、な」
祈りが届く様な相手ではない。
オスマンのその呟きが、アンリエッタの耳に入る事は無かった。
「そろそろね」
何かを探す様に首を動かすルイズにワルドは内心、何をしているのかと訝しんだ。
学院を出立してまだ1時間、ラ・ロシェールまでの行程、その10分の1にも達してはいない。
一体何を探しているのか?
「ルイズ、さっきから一体何を……」
「居た!」
突然、視界の端に映る森を指差し、ルイズは叫んだ。
それが余りにも唐突だった為に面食らったワルドは、続くルイズの言葉を素直に受け入れてしまう。
「降下して! あの森、あの空き地よ!」
「わ、解った」
ルイズは地上を行くギーシュに合図を送り、徐々に大きくなる灰色の鉄塊と、その側に佇む赤と青の人物を見遣る。
そして20分後、静かな森にターボシャフト・エンジンの立てる轟音が響き渡った。
ラ・ロシェールの裏通りに店を構える『金の酒樽亭』。
其処でフーケは1人、舐める様に酒を飲んでいた。
背後では傭兵達が、文字通りの泡銭で宴会を繰り広げている。
気持ちは解らないでもない。
大金を積まれて雇われたにも拘らず、当の雇い主は中止を伝えると金はそのままにさっさと退場してしまったのだ。
降って湧いた幸運に、傭兵どもは歓声を上げて飲み会を始める。
フーケはそれに参加する事もなく、酒を飲みつつ思考を廻らせた。
……他に選択肢が無かったから着いて来たが、いきなり中止とはどういう事だ。
当の仮面野朗も姿を消しちまうし、これからどうすべきか。
それだけを考えると、彼女は大きく溜息を吐く。
その音は宴会の喧騒に紛れ、誰の耳にも入る事は無い。
とにかく、再びあの化け物に相対する事は避けられた訳だ。
仮面野朗は此方を仲間に引き込んだつもりだろうが、生憎こっちは妄想に付き合うほど酔狂ではない。
このまま何処かへと……
そう考えたその時、背後の傭兵達の中から無視出来ない名称が飛び出した。
「ウエストウッド? 何だそりゃ」
「知らないのか? 貴族派も王党派も、あそこを巡って何度も戦り合ってるんだ。何か目的が在るんだろうが、それが何かは……」
「はぁ?」
「俺ぁ知ってるぜ。あすこにゃバカみてぇに強ぇガキとバケモンが居やがんだ。貴族派に付いてた奴から聞いたが、向こうの調査隊がほうほうの体で逃げ帰ってきたとよ」
「ガキはともかく……バケモン?」
「ああ、何でも―――――」
「銀色のやたら速いゴーレムらしいぜ」
フーケの行き先が、決まった。
ブラックアウトの機内は、タバサの『サイレンス』によって静寂が保たれていた。
こうなる事を見越していたキュルケとギーシュは、タバサに倣って持ち込んだ本へと目を落とし、ルイズはコックピットでモニターを睨んでいる。
ワルドはというと、予想だにしていなかった展開に若干呆然としており、周囲を埋め尽くす金属の構造物を食い入る様に観察していた。
そう、ルイズ達は初めからラ・ロシェールに向かうつもりなど無く、ブラックアウトで一息にアルビオンへと飛ぶつもりであった。
早朝からローターの騒音を響かせては怪しまれるどころの騒ぎではない為、多少無理は在るが深夜の内にブラックアウトを学院近郊の森へと移動させる
翌朝、シルフィードに乗ってキュルケとタバサが先行、ルイズとギーシュは後から馬で合流する計画だったのだ。
これは学院の何処かから見ているであろうアンリエッタの目を掻い潜る為とのデルフのアドバイスであったが、結果としてワルドの合流を助ける事となった。
そしてグリフォンを置いて行く事を渋るワルドを4人掛かりで説き伏せ、漸く離陸と相成った。
それから、約7時間後―――――
機内に、赤いランプが点った。
タバサが『サイレンス』を解除すると同時、ローターの騒音が機内を満たす。
一瞬、顔を顰めた4人だったが、ルイズの叫びに銃座の小さな窓へと噛り付いた。
「見えたわ! アルビオンよ!」
彼等の眼前に、戦火に覆われる『白の国』が浮かび上がる。
ブラックアウトは上昇し、大陸の上側へと向かった。
「スカボローは……無いな」
銃座から地上を見下ろし、ワルドは呟く。
流石に都合良く位置を特定する事は出来なかったようで、本来船が着くスカボローの港からは随分と南に着いてしまったらしい。
「ロサイスの近く……か? 不味いな、あそこは貴族派の拠点だ」
「そ、それはかなり不味いのでは?」
「近くに竜騎兵は居ない様だ。このまま北上すれば問題は無い」
ワルドはコックピットへと向かい、ルイズの耳元で方角を告げる。
ルイズは頷きをひとつ返すと、ブラックアウトへと命令を下した。
「このまま北上よ。町が見えたら東へ迂回して」
その命令に従い、ブラックアウトは速度を上げる。
そのセンサーに一瞬、強大な反応が掛かったが、命令を優先したブラックアウトはそれに対する調査を保留にした。
そしてルイズもまた、モニターに映る光点に気付く事は無く。
やがて眼下にスカボローの町が映り込み、ブラックアウトは緩く東へと旋回した。
貴族派に雇われた傭兵達が虚ろな表情で背を向け、街道を退却してゆく。
その身体には無数の傷が刻まれ、中には腕や脚が折れたまま去ってゆく者も居る。
その異様な姿を見やりつつ、少年は傍らで沈痛な表情を浮かべる少女へと声を掛けた。
「仕方ないさ。あいつらにまで治療を施してたら、指輪の魔力なんかあっという間に無くなっちまう」
「うん……」
それでも表情の晴れない彼女に、少年は話題を強引に変える事で場の空気を打ち破ろうとする。
「それにしてもしつこい連中だな。毎度毎度、無駄だって解らないのか」
「……」
「記憶を消し損なった奴を逃がしたのが不運だったかなぁ」
「……」
どうやら失敗したらしい。
少女は更に沈痛な表情を浮かべ、完全に押し黙ってしまった。
少年は慌てて彼女の擁護に回る。
「だ、大丈夫だって! 『俺達』が居れば傭兵だろうが貴族だろうが」
「サイト」
少女は少年―――――サイトの言葉を遮り、唐突に頭を垂れた。
「ごめんなさい……私が……私が、勝手な都合で貴方を喚んだから……」
「ストップ」
謝罪を続ける少女の言葉を、今度はサイトが遮る。
きょとんとする彼女に、サイトは薄く笑みを浮かべて優しく言葉を紡いだ。
「それは気にしてないって言ったろ? 元はといえば此処に攻めてきた連中が悪いんだし。それに『俺達』が居なかったら、テファ達がどうなったか解らないだろ」
「それは……そうだけど」
尚も罪悪感に苛まれる少女―――――ティファニア。
彼女が被る帽子の上へと軽く左手を置き、サイトは続ける。
その手の甲には、奇妙なルーンが刻まれていた。
「それに……その、この状況を招いたのは、間違い無く『俺達』だと思うんだよね。いや、その、やり過ぎたと言うか、暴れ過ぎたと言うか」
「……」
しどろもどろのその口調に、ティファニアは初めてくすり、と口元を綻ばせる。
それを見て安心したのか、サイトもまた表情を緩めた。
その時2人の背後から、このハルケギニアには存在しない筈の音が響く。
甲高く、力強い2.4L直列4気筒DOHCエンジンの音。
そしてクラクション。
それらの音に、サイトは子供の様に表情を輝かせ、弾んだ声でティファニアへと語り掛けた。
「それにさ! ずっと夢だったんだ! こういうスゲェ車に乗るのがさ!」
その妙に子供っぽく、しかし嘘偽り無い本心からの言葉に、ティファニアは今度こそ声を上げて笑う。
暫くの後、ドアの閉まる音が2つ響き、エンジン音は余韻を残して森の奥へと走り去った。
浮遊大陸アルビオンの一地方、サウスゴータに点在する小さな村々のひとつ、ウエストウッド。
その村の占拠を図った者達が王党派、貴族派を問わず壊滅に近い損害を受けて敗走するという事態が起こり始めてから約2ヵ月。
両陣営の注目がニューカッスルへと移った今尚、村を守る凄腕の若き傭兵と銀のゴーレムの噂は、ロサイスの街を賑わせていた。
曰く、少年は剣を、槍を、弓を、あらゆる武器を使いこなす。
曰く、ゴーレムは信じられない程の速さで動き、強力な砲と剣を持っている。
曰く、300人の傭兵も、20人のメイジも、果ては小型艦すらも、その化け物達には通用しなかった。
人々は噂を交わす。
横暴な貴族派が、そしてメイジ達が手玉に取られているという、痛快な笑い話として。
たとえ作り話であろうと、こんな愉快な話は無いと。
それが真実であったと人々が知るのは2日後、ニューカッスルでの決戦が始まってからの事であった。
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