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「牙狼~黄金の遣い魔 第4話(Aパート)」(2007/08/30 (木) 08:10:35) の最新版変更点
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~GARO 黄金の遣い魔~
光あるところに、漆黒の闇ありき。
古の時代より、人類は闇を恐れた。
しかし、暗黒を断ち切る騎士の剣によって、
人類は希望の光を得たのだ。
行け 疾風のごとく
宿命の戦士よ 異界の大地を
何故戦うのか それは剣に聞け
か弱き命守るため 俺は駈け続ける
闇に生まれ 闇に忍び 闇を切り裂く
遥かな 運命の果て巡り合う 二人だから
行け!疾風の如く 魔戒の剣士よ
異界の双月の下 金色になれ
雄雄しき姿の 孤高の剣士よ
魂を込めた 正義の刃 叩きつけて
気高く吠えろ 牙狼!
第4話 復讐
モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシが、彼ギーシュ・ド・グラモンにアプローチをかけられたのは、トリステイン魔法学院に入学して、一週間ほどたった頃だった。
それまでは、社交界などで同年代の相手と接することはあっても、せいぜい一度に一人か二人程度であったのに、学院に入学してからは百人単位で生活を共にするようになったわけである。そうした戸惑いとストレスにさらされている状況で、物怖じしないギーシュの態度は、好ましいものとして映った。
二人が付き合い始めるのに、さほど時間は必要ではなかった。
古くは、貴族の子女は婚姻してから後も三ヶ月は肌を許してはならない、という規律も既に過去のものとなってしまっていた。
自分がギーシュを受け入れる前に、彼はすでに女の身体を知っていたのだが、気にはならなかった。相手が平民、それも学院のメイドだったからである。これが他の貴族の淑女であれば、反応はまた違っていただろう。
夏が過ぎる頃は、どちらかの部屋で朝を迎えることも多くなっていた。
その状況が変化したのは、秋が訪れた頃。なぜかギーシュは彼女と褥を共にする事をためらい、双方の部屋の行き来も減る事となった。
注意深く相手を見、旧友達の噂話を聞けばその理由はわかった。
一体どういう理屈からか、彼ギーシュ・ド・グラモンは[薔薇は多くの人々を楽しませるためにある]などと戯言を抜かし、複数の異性関係に邁進し始めたのである。
すでにその頃には、ギーシュの本質を見抜いていた彼女だったが、それでも納得行くものでなかった。
普通ならば愛想を尽かしてしまうべきだったのだろうが、そうすることを彼女は否定した。誇り高いトリスタニア貴族の血が、他の貴族の女に負けたと、受け入れる事を拒んだのかもしれない。
兎に角、出会うたび相手を責め、自分の方を振り向くよう命令(懇願ではない)し、ギーシュが自分の元に帰ってくる日を待ち望んだ。
だが結局、ギーシュが彼女一人だけの元に戻ってくることはなかった。愛をささやき、臥所を共にしても、翌日の夕方には別の女に睦言をささやく恋人の姿を見ることになっただけだった。
次第に心がすさみ、追い詰められてゆく中。
彼女は、ギーシュ・ド・グラモンに『復讐』した。
開け放たれたドアの向こうで、薔薇の花束を携えた優男がよろめく。
その姿を、モンモランシーは自分のベッドの上で眺めた。
その素肌にまとうものはない。ただ、薄いシーツがほっそりした肢体を浮き彫りにしているだけである。
傍らのテーブルにはワイン、それと強い蒸留酒。モンモランシーの好みでもなく、ギーシュの趣向から外れたソレを、彼女の背後から伸びた腕がつかんだ。
浅黒く日に焼け、程よく筋肉のついた男の腕である。
軽く親指だけで栓を外し、グラスに注ぎ入れる。水で割る事もなく、喉の焼けるようなソレをストレートでいっきにあおる。
ク、と軽い嘲笑が喉から漏れ聴こえる。
アルコールの匂いを漂わせながら、モンモランシーの肩越しに扉の方を見た男は、「なんだ」と呟いた。
「グラモン家の三男じゃあないか」
それに対し、軽く顎を引いて彼女は「そのようね」とうなづいた。
「一体何のようだ?餓鬼が、なんでこの部屋の鍵を」
「……昔、ちょっとだけ付き合ってたのよ。その時に」
「で、お前さんの誕生日にわざわざ花束を持ってきてくれたわけか」
「納得した」とうなづいた男は、だが一転して唇を歪め、歯をむき出すとギーシュに向かって告げた。
「馬鹿かお前、こっちは取り込み中なんだよ。この女はもう、お前のモンじゃない」
その言葉に、扉の向こうのギーシュは傷ついたように身をすくめる。常ならばふざけた口調でまぜっ返すのだが、その余裕もないようだ。
「モン……モラン、シー。僕、の」
ここまで言って、腕を伸ばしかけて、ためらい下ろして挙句うつむく。
最後に上目遣いにモンモランシーを見つめ、ギーシュは首を振りながら遠ざかっていった。
「ドア、閉めろよ」
開けっぱなしでギーシュが逃げ出したため、冬の空気が部屋に吹き込んできていた。男は背中を丸め、シーツに身をくるんだ。
モンモランシーは、ベッドを降り、ドアへ向かった。
彼女が男と同衾したのは、半ば群発的な事故である。昨晩、少し早めの誕生日パーティーを開いた、同級生たちが連れてきた上級生の一人だった。
卒業後はトリステイン空軍の上級士官として入隊する予定の男は、なにかとモンモランシーに話しかけてきた。どうやら前々から、彼女に目をつけていたらしい。同級生達の「ギーシュの代わりに付き合っちゃいなさいよ」という勧めもあり、まんざらでもない気持ち
で、彼女は男の勧める酒をあおり続けた。
やがてパーティーも終わりを告げ、部屋へ戻る泥酔した彼女を届ける役目を、この上級生が負ったというわけである。
部屋へ連れ込まれ、ベッドに押し倒されても、彼女は抵抗しなかった。自分の身体をまさぐる男を、淡々と、無感情に彼女は受け入れた。
身体は反応しても、心は何も感じなかった。あたかも硝子一枚隔てたように、浅黒い男の身体に組み伏せられる自分を見ただけである。
ただ思ったのは、自分が他の男に抱かれたのを知ったら、ギーシュ・ド・グラモンがどんな顔をするだろうか?という事だけだった。
そうして、今に至る。
心は冷えたまま朝を迎え、男の傍らで目覚め、ギーシュが扉を開け―。
結局ギーシュは自分をなじる事無く、背中を向けて出ていった。
この程度なのだろう。
自分は結局、彼にとってなじるほどの価値もない女だったのだろう。
そう、結論を下そうとして彼女は―。
扉の外に置かれた、薔薇の花束を見つけた。
赤や黄色に彩られた、冬の薔薇の花は深く香りを宿して匂い立つ。
それを腕に抱え上げた瞬間。
モンモランシーの眼から、透明な液体が零れ落ちた。
いつまでも薔薇の花束を抱え、戸口に立っていたからだろう。
ベッドから「おい!寒いだろう」と男が怒鳴った。
ソレを耳にした瞬間、彼女の心を激しい後悔が襲った。
急に、自分の身体が厭わしくなる。男の指が触った感触や、男のものが注がれた自分自身がたまらなく汚らしく思えた。
「馬鹿だわ。私ったら」
モンモランシーは呟くと、薔薇の花束を持って、ベッドの方へ戻っていった。
ドアは開いたままである。男はそれに気付くと、上半身をもたげて彼女を睨んだ。
「おい!閉めろって、言……」
「うるさい!」
モンモランシーは、押し殺した声で呟くと、手にした薔薇の束で男の顔を殴り飛ばした。
結局、それからモンモランシーはギーシュと言葉を交わさなかった。
遠くから見て、言葉を交わさないようにする。近づくと互いに目を逸らし、通り過ぎるのを待った。
ギーシュはモンモランシーの友人の問いかけに対して、ひっそりとあいまいに笑った。それでも―。
それでも、その背中を追う事は止められなかった。
友人との会話に、遠くで耳を澄ましていた。
他の少女に声をかける姿に胸を傷め、ため息をついて。
いつか。
いつしか。
ひょっとして、元通りになれるのではないかと敢え無い想いをいだいて。
モンモランシーに薔薇の束で殴られた上級生は、卒業して空軍に入隊した。
モンモランシーとギーシュは二年生となり、新たに一年生がやってきた。そのなかの栗色の髪の少女に、ギーシュが声をかけているのを目撃して彼女は小さくため息をついた。
そして、遣い魔召喚の儀式の数日後。
悪名高い『ゼロのルイズ』が、人間しかも騎士を召喚するなど紆余曲折がありながらも平穏な日常に戻ったある日。
彼、ギーシュ・ド・グラモンは、殺された。
コの字型に配置された机の中心に、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ヴァリエールと冴島鋼牙は立っていた。
トリステイン魔法学院の教員用会議室である。
両側の机には、トリステイン魔法学院の教職員が席についている。いつでも魔法を放てるよう、手には杖がしっかり握られていた。『風』系統の教師であるミスタ・ギトーなぞは、今すぐ魔法を放ちたくてうずうずしているように見えた。
正面の机には、オールド・オスマン。さらに両側には顔を見たことがない男性が並んでいる。服装や胸を飾る勲章から、王宮から派遣された監査の役人だろうと、ルイズは見当をつけた。さらに奥にはミス・ロングビルとミスタ・コルベール。二人はこの会議上の書記の役割を担っているらしい。
オールド・オスマンが、髭を撫でながらボソボソと言った。
「……これまでの証言をまとめると、ギーシュ・ド・グラモンは、学院の所有であるメイドを損ない、またさらに危害を及ぼそうとしていた。それをミス・ヴァリエールにとがめられ、逆上して危害を加えそうになったところを、そこの……ええと」
「冴島、鋼牙だ」
「そうそう、ミス・ヴァリエールの護衛である騎士サエジマ・コウガに討ち取られた、と。そういうことじゃな?」
「そ、その通りです。オールド・オスマン」
「そういうことだ」
『ま、その辺りが妥当かねえ』
最初がルイズ、次が鋼牙、最後が魔導輪《ザルバ》の答えである。
「ふざけるな。平民が、貴族を殺してただで済むと……」
「いくらヴァリエール家でも、これではかばいきれ……」
「しょせんはゼロ、己の遣い魔を御することすら……」
それに対して、両側からひそひそと様々な揶揄の声が浴びせられる。
その声にルイズは萎縮し切ったように、うつむいて唇を噛み締めた。
一方、鋼牙は昂然と顔を上げ、挑みかかるように視線を向けていた。
揶揄の声が自分からルイズに移ると、射抜くような鋭い視線を周囲に向け始めた。帯刀していないが、視線を向けられた者達は、抜き身の剣を突きつけられたような恐怖を感じて、次々と沈黙していった。
(どうしてこのヒトは、これほどまでに自分を信じていられるの?)
周囲が静寂に戻ったことに、ふと顔を上げたルイズは、自らの正義に揺ぎ無い自信を抱いているような鋼牙の様子を羨望の眼で見つめた。
やがて、完全に静まり返った中、オールド・オスマンの声が響いた。
「……ん、まあそういうことなら、仕方ないじゃろう。いかがかな?そういうところで」オスマンの言葉に、全員ポカンとし、ついで喰ってかかった。
「事なかれ主義に過ぎます!実際に、校内で殺人事件が起きたんですぞ!」
「そんなぶっそうな者を、いつまでも学院内に置いておくわけには行きません!いますぐ退校処分を!」
「私は始めから言ってたんだ!その剣士はどうにもうさんくさいと!」
口々に言い合う教職員達に、オスマンは自らの杖を振り上げた。
「やめんかお前たちーっ!」
「「「「「うおっ!」」」」」
次の瞬間、オスマンを中心に振動が広がっていった。魔法ではない、純粋に気迫が物理的衝撃となって人を撃ったのだ。ルイズらに罵声を浴びせようとした者達は茫然自失した。女教師の中には気絶して、椅子の上に崩れ落ちるものもいる。
「全くおぬしらは、自分の保身の事しか頭にないと見えるな」
まっ白な髭と眉毛の隙間から、炯炯と光る瞳が周囲をねめつけた。
「生徒の異変一つ見抜けず、何が教師じゃ。今度の事態の収拾は、全部ミス・ヴァリエールとそこの護衛殿がやったのじゃろうが?おぬしらは指をくわえて見ていたに過ぎぬ」
オスマンのこの言葉に、教師達は誰もが目を伏せた。
もはや、非難の言葉が誰からも出ないことを確認すると、オスマンは両側の役人に目配せをした。
役人たちも、この場でどうどう巡りする議論にうんざりしていたらしく、救われたように同意する。彼らにすれば、報告書に無理矛盾のないように書ければ、それだけで良いのである。事件の真相は、この場合二の次と言って良い。
この場合、オールド・オスマンの組み立てた話が、もっとも無難な解決方法の糸口となる。
メイド二人の命と貴族一人の命、比較すればはるかに後者のほうが高い。それゆえにギーシュ・ド・グラモンを殺害した鋼牙の責任は免れないかに思える。だが、オスマンはこの査問会上、鋼牙をヴァリエール家専属の護衛の兵として捏造したのである。
ヴァリエール公爵家とグラモン伯爵家。家格としては明らかに前者のほうが高い。しかも鋼牙がギーシュを殺害したのは、主であるルイズに危害が及ぼされようとして、それを防ぐために行なったこととしたわけだ。メイドが学院の所有物であり、学生であるギーシュに生殺の権利はないという名目上の後押しもある。
それらを綜合してまとめると、非はギーシュとルイズ双方にあり、多分にその天秤はギーシュ側に傾く、と言うことになる。
こうして数時間に渡る『学内におけるギーシュ・ド・グラモン殺害に関しての査問会』は終了した。教師達と役人は部屋から出て行き、後にはオールド・オスマンと当事者の二名のみが残る。
「まあ、こんなところが落ち着きどころ、と言うわけじゃな」
オスマンはとらえどころのない笑みを浮かべて言った。
「主従ともども、謹慎一週間なら軽いもんじゃろう?」
ルイズもまた、予想外に軽い処分に顔色を明るくする。だが、鋼牙はそれでも不服な様子で首を振った。
「それでは困る」
「鋼牙!」
「まだ、事態は終わっていない。シャックスがこの世界にもたらしたものは、まだ見つかっていないのだからな」
引き止めようとするルイズを押しのけて、鋼牙はオスマンに迫る。
「また、同じ事態が起きるぞ」
その脅迫とも取れる鋼牙の言葉に、ルイズは蒼白となり―オスマンは奇妙に満足そうな笑みを浮かべた。
「と、言うわけなのよ」
トリステイン魔法学院 女子寮のルイズの部屋である。
査問会終了後、二人は自室へと戻った。特にルイズは疲労困憊した様子で、すぐベッドに飛び込みたかったのだが、部屋の前に人影を認め、仕方なく通した。
部屋の前に待っていたのは、ルイズの仇敵であるキュルケ・ツェルプストーその人と、蒼い髪のルイズより小柄な少女だった。
「この間は、ありがとう。貴女……ええと」
確か先日、シエスタを救出する際、協力してくれた水系統のメイジである。お礼を言おうとして、戸惑うルイズにキュルケは『タバサ』なる名前を告げた。
ハルケギニアではペット等につけられる名前に、ルイズは偽名だと感づいたが言及する事は止めた。
貴族の子弟が多く勉学する学院である。様々な、人にはおおっぴらにできない『お家の事情』を伴っての入学も、ままあった。おそらく彼女もその類なのだろう。
「で、どーなったの?まさか、ダーリンって死刑?」
どうやら、査問会の結果を聴きに来てくれたらしい。この場合、ルイズや鋼牙のことを本気で心配してくれているのか、単なる野次馬根性の発露なのかは不明である。
「死刑なわけないでしょ。鋼牙は、ホラーからみんなを助けてくれたのよ。英雄よ。オールド・オスマンがお咎めなしにしてくれたわ。……まあ、謹慎は喰らっちゃったけど」
キュルケの好奇心あふれる瞳に、野次馬根性であると見抜いた(?)ルイズはつっけんどんな態度で応じた。
それに対して、キュルケもしみじみとうなづく。
「まあねえ。あのボンボンがあんな兇悪な化け物に変わっちゃうなんて、今でも信じられないわ。最後の方しか見れなかったけど、アレが『ホラー』なのね」
『そういうことだ。赤毛のお嬢ちゃん。魔界よりいでしホラーは、人の生み出した陰我に巣食い、人の魂を食みながら成長する。そして更なる犠牲者を求め、人を襲うようになるんだ』
《ザルバ》の説明に、キュルケは「それって、下手な怪談みたいねえ」などと呟いた。それを聴いたタバサがブルッと身体を震わせたが、さいわいなことに誰も気付かなかった。
「……それはそうと、あのメイドの子は?」
ふと、思い出したようにルイズが尋ねる。
「女の子なんだから、痕が残らなきゃ良いけど」
「大丈夫」
タバサがルイズの前に進み出た。
「治療が早かった。他の水のメイジが手伝ってくれたから、今は本人の部屋で寝てる。でも……」
人形のように整った表情に、わずかに苦悩を映して。
「殺されたのは、同じ部屋のメイドだった。それが辛そう」
それについて、キュルケが捕捉を入れた。
「殺されたメイドの死体、錬金を使って壁から剥がそうとしているけど、まだできていないみたいなの。完全に壁と一体化してるわ。おまけにミセス・シュヴルーズは、遺体を見るたびに気絶するし」
「な、なるほど」
額に汗粒を浮かべながら、ルイズはうなづいた。
「それにしても、もうあんな事はないわよね?騎士様が追いかけてた“ホラー”はアレ一匹だけだったから……ひょっとして、騎士様自分の国にもう帰っちゃうのかしら?」
キュルケの言葉に、ルイズは小さく肩を震わせた。上目遣いに、鋼牙の鋼のような横顔を見つめる。
それに対して鋼牙は首を振り、「まだ、終わってはいない」と告げた。
「オールド・オスマンにも警告した。『また、同じ事態』が起きる恐れがあるとな」
「『また、同じ事態』って……ギーシュにとり憑いた、あのホラーみたいなのが、まだ居るってこと?」
「シャックスは、『グレンデルの託卵』を携えていた」
日が暮れ始めた窓の外に眼を遣り、忌々しげに眼を細める鋼牙。
「『グレンデルの託卵』は、二十三体の休眠状態のホラーが納められた、棺だ」
「もしもそれが孵れば、第二第三のギーシュ・ド・グラモンが生まれる。それを阻止しなければならない」
振り向いて鋼牙は、血の気を無くした顔で自分を見つめる三人の少女に視線を合わせた。「お前たちに頼みがある」
と、鋼牙。
「ギーシュ・ド・グラモンと一緒に、遠乗りに出かけた少女が居たはずだ。おそらく殺されて、この学院へは帰ってきていない。今となっては、その少女だけが唯一の手がかりだ。俺の代わりに、聴きこみをしてくれないか?」
「まあ、鋼牙はアタシともども、謹慎喰らっちゃったからね。身動き取れないわけ」
いささか慌て気味に、ルイズも横から口を出す。
「それにこんな男が、女子寮じゅうほっつき回って、他の女の子の部屋に押し入るわけにもいかないでしょ?」
「確かに」
タバサがもっとも、同意する。光る眼(まなこ)をヒタと鋼牙に向けて。
「間違えられるかも。性犯罪者に―」
タバサの言葉に鋼牙が渋面を浮かべ、それを見たキュルケが声を上げて笑った。
何度も扉も叩いて、ようやく返事が返ってきた。
そのことに安堵し、少女は扉の向こうに話しかける。
魔法学院女子寮 一年生用の寄宿舎である。
基本的にルイズやキュルケたちが住まう建物と変わらない。外側は石造りだが、内部は漆くいと木造ですごし易くできている。廊下のところどころには、引火しにくい魔法のろうそくが灯っているため、夜間でもそれなりに明るい。もっとも、それなりの魔法の実力を備えたものなら、炎や雷の球を自分専用の照明代わりに用いたりするが。
少女は土系のメイジゆえ、そうしたものはなかったが、別のものが傍らに居る。
石でできた、身長150サントほどの人型である。
戦闘ならば武器を持たせれば、それなりの働きをするであろうソレだが、今は別のものを携えている。
未だ湯気の立つ、夕食を並べ立てたトレイである。
それを背後に従え、少女は扉の向こうへ話しかける。
「ケティちゃん。晩御飯持ってきたよ」
そばかす混じりの未だ幼さ漂う横顔には、不安が満ちている。
領地が隣り合っていたことから、小さな頃から幼馴染同然の付き合いをしてきた少女の友人が、最近様子がおかしいのだ。
事の発端は、一年生の間ではそれなりに人気があった、ギーシュ・ド・グラモンに、この部屋の主が告白しようとした事にさかのぼる。
彼女―ケティは、無謀だといさめる周囲を振り切り、告白に成功し、見事逢引の約束を取り付けることに成功した。
そうしてつい先日、ギーシュに誘われて、夜の遠乗りに出かけたのだ。
だが、その翌日からケティの様子がおかしくなった。
まず、部屋から出てこなくなった。食事時になっても姿を見せず、心配になった親友が扉を叩いて、ようやく顔を出した。生きていることに安心した親友が、原因を尋ねても何も言わない。仕方なく、朝と夕、親友の彼女が食事を持って訪ねた。食事を盛り付けたトレイを、ケティは入り口で受け渡しして中へ入れさせない。
今夜もまた、同じことの繰り返しだった。
目の前の扉が、音もなくゆっくりと開いていった。ちょうど三分の一だけ、扉は開いてそこで停まる。人が居るにもかかわらず、完全な漆黒に塗り込められた室内に、少女の心は激しく怯える。
―と、闇の向こう、扉のヘリにケティの“頭部だけ”浮かび上がった。
「ひっ!」
まるでそれだけが、切り離されて飛び出してきたような、不自然さと唐突さに少女は飛び出しそうになった悲鳴をかみ殺す。
ケティは、血の気のほとんど感じられない、蒼白な顔で相手をじっと見た。大きく見開いた目は、全くまばたきをしない。フクロウのように、時折首をクルッと不自然な角度に傾けるだけだった。
「―アリガトウ―」
ケティは幼馴染の少女にポツリとそれだけを告げた。少女は慌てて石のゴーレムにトレイを入れさせて、後退する。
そして、恐る恐る話しかけてみる。
「ねえ。ケティちゃん、ナニがあったのか、話してくれない?」
「……」
ケティは無言で、扉を閉めようとした。だが、親友の次の言葉で彼女は振り返った。
「やっぱり、ギーシュ先輩にナニかされたの?無理矢理……とか、待ってたヒト大勢に……とか?それで、外に出てゆくのが駄目になっちゃったの?相談してよ。ねえ。ギーシュ先輩だって、殺されちゃったし……」
「―殺サレタ?―」
ギロリ、と白目の部分が多い目が少女を睨んだ。その異様な気配に押されながら、彼女は答えた。
「うん。ヴァリエール先輩の召喚した、騎士のヒトに。なんでもメイドを二人も殺そうとしたみたいで、ソレをヴァリエール先輩にとがめられて、喧嘩になったんだって、それであの…」
「―魔戒騎士ニ、殺ラレタ、カ―」
「えっと、あの、マカイ騎士って、なあに?ケティ」
だが、ケティはそれ以上の興味を失ったようにきびすを返すと、部屋の扉を閉ざし始めた。
「あ、待って!ケテ―!」
だが引き止める親友の叫びを無視して、扉は完全に閉まってしまう。
後には、物言わぬ板張りの扉が残された。
その正面には『ケティ・ド・ラ・ロッタ』の名札。
それが、この部屋の主の名前だった。
扉の鍵を下ろし、ケティ・ド・ラ・ロッタは『ドアのところまで伸ばしていた首』を元の位置に引っ込めた。
胴体のほうは、ベッドの上に置いたままだ。すでに“臨月”が近い身では、身動きする事すら困難になっていた。
ぶよぶよと膨らんだ、生白い胎(はら)を愛しそうに撫でさすりながら、彼女は思いにふけった。
ギーシュ・ド・グラモン(に憑依していたホラー)は倒されてしまった。
自分を愛し、犯し、愛しいこの子達を孕ませてくれた彼は、殺されてしまったのだ。
もう、今から生まれるこの子達を、彼に見せることは叶わない。
親子そろって、人間どもを屠りながら歓談することも、叶わない夢となってしまったのだ。
「―アア―」
そう思うと、胸のうちに熱く濁った色の炎が噴出してくる。
「―憎イ―」
それは、ホラーであるとか、人間であるとかを超えたところにある怒りであり。
「―殺ス―」
それは、ホラーであり、人間であるがゆえの憎悪であった。
「―魔戒、騎士―」
焼け付く心が、己の憎しみの行き先を定める。
「―ギーシュ、様ノ、仇―」
闇の中、ケティ・ド・ラ・ロッタは、『復讐』を決意した。
そして、部屋のそこかしこから、不気味な羽音が聞こえ始めた。
無数に。
からりと晴れた空の下で、鋼牙は魔戒剣を振るっていた。
オールド・オスマンより謹慎処分の通達を受けてから、明けて翌日の昼過ぎである。
ルイズは授業に出ることを禁じられ、鋼牙も単独の行動を禁止されている。一日中室内にとどまることも適わぬため、屋外に出るときは二人一緒でなくてはならなかった。
鋼牙が鍛錬のため、外で出たい旨をルイズに伝えたのは昼前である。
昼食を終えた二人は、校舎から離れた雑木林に向かった。
ルイズはさしてすることがないゆえ、離れた丸木に腰に下ろして、鋼牙の剣舞を眺めている。最初は優美とも言えるソレに、賛嘆の眼を向けていたが、次第に飽きてきた。
人の腕ほどまでもある枝を、目の高さから一度も地に落とす事無く、空中で切り刻み続ける鋼牙を横目に、ルイズは大きくあくびをした。
そうして、枝がささらのように砕け散ったのを確認すると「つーまーらーなーいー」などと、鋼牙に声をかけた。
「何がつまらない?」
鋼牙は、剣を繰る腕を停め、ルイズを見た。
「だって、つまらないんだもん」
早い話が、謹慎一日目にして既に退屈し始めたというわけだ。
醒めた眼で、鋼牙はそんなことをわめく少女を見ている。そして「時間の無駄だった」と言うようにふたたび剣を振り始めた魔戒騎士に、ルイズは再び声をかけた。
「ストーップ!なによ!ご主人様が退屈してるのに、無視する事ないでしょう?」
「フン!ならば、お前も剣を振るか?」
呆れた顔をして、鋼牙は少女に歩み寄った。そして、片腕に下げた魔戒剣を渡す。
「と、―ええええええええっ!」
思わずその剣を受け止めようとしたルイズは、肩を脱臼しそうになって、慌てて振り払った。
恐ろしく重々しい音を立てて、魔戒剣が地面に落下する。落下した後は、剣の形に窪みができていた。それを見下ろしつつ、ルイズは信じられない、と顔を振った。
「なに?この重さ。重いなんてものじゃあないわ。呪いのアイテム?」
所有者以外は持つことを拒む、魔剣の類ではないかと考えたのだ。
「呪いのアイテムなんかじゃない。魔戒剣は、ソウルメタルでできているんだ」
「ソウルメタル?」
『人の意志を受け、力へと変える物質だ。遣い手の心の在り方次第で、時には羽根のように軽く、時には隕鉄のように重く変わる。牙狼の鎧もソレでできている』
「牙狼の鎧?あの黄金の鎧のことね。ふうん。まあどっちにしろ、限りなく呪いのアイテムに近いわねえ」
《ザルバ》の補足説明に、チッチッチッと人差し指を振ってルイズ。
「ご主人様が遣い魔のアイテムを扱えないなんて、とんだお笑い種(ぐさ)だわ。見てなさい……んんんんんんんんん」
なにやら意地を張って、魔戒剣を持ち上げようとするルイズ。顔をまっ赤にして、大股を開いて気張る姿は、とても公爵家令嬢とは思えない姿である。
面白がって、《ザルバ》ははやし立てた。
『脳の血管切れないよう、頑張れお嬢ちゃん。鋼牙だって何年も修行して、身も心も鍛え上げた末にようやく成功したんだ。いきなり成功したら、それこそ驚天動地の出来事だぜ』
「《ザルバ》」
見かねたように、鋼牙は己のパートナーに注意する。
「あまりあおるな。ルイズに怪我をさせるつもりか?」
『いや、そんなつもりは、もうとうないんだが』
そんな主従の前で、ルイズは気張る。気張り続ける。
「んんんんんんんんん……」
気張りすぎて、顔がまっ赤になり、さらに蒼く変わり、それを通り越して白く血の気を失ってゆき……。
突如、ルイズの頭が空っぽになった。遠くはるか、聴いたことないことのない言葉が聞こえる。ルーン?呪文?それを自覚する間もなく心の中で捉えたと思った瞬間。
腕を通して、ナニか“力”が魔戒剣になだれ込んだ。
「えええっ!」
途端、腕にかかっていた途方もない重量を喪失し、ルイズは大股を開いた格好で引っ繰り返った。腕から魔戒剣がすっぽ抜け、はるか後方の倒木に突き刺さる。
勢い余ったルイズの方は、後頭部を地面にぶつけて、即昏倒してしまった。
しばらくシン、と静まり返る中、《ザルバ》が話し掛けた。
『おい。見たか鋼牙?』
「……一瞬だけだったがな……」
さすがの鋼牙も、やや顔色を変えていた。
「ソウルメタルが反応した。初めて触る人間に」
『これが、メイジの力ってことか?魔戒騎士や魔戒法師に近い“力”を潜在的に持っているのかもしれないな』
一時の自失を過ぎ、互いに思うところを話し合う魔戒騎士と魔導輪。先ほどからの体勢を維持したまま、昏倒するルイズは放置されていた。
……そして、そんな二人を遠くから見る、一人の影が居た。
ほっそりとした、フードの下から揺れる金髪をこぼれさせた人影は、そっと杖を掲げ―。
そして、いっきに振り下ろした。
ぐったりした表情で、キュルケ・ツェルプストーは歩いていた。
トリステイン魔法学院 女子寮から校舎へ向かう道筋である。
その隣ではタバサが、キュルケの遣い魔であるサラマンダーにまたがり移動している。
さすがに自分の遣い魔の風竜では、サイズの関係上学院内の移動には支障を来たすのだ。
それともう一つ―フレイムの暖かさは、女性の腰の冷えにちょうど良い。下半身から来るぬくもりは、タバサのみならず他の女子生徒にも好評だ。
「結局、私らのした事は時間の無駄だったみたいね」
その、ぼやきとも取れる呟きに、タバサは「捜査上必要」と簡潔かつ無造作に答えた。
「あん?」
「疑いとなるものを、一つ一つ虱潰しに押さえてゆく事。これが全ての犯罪捜査の基本だと、本には書いてある」
両掌で抱えた『ハルケギニア捜査読本 迷宮入り解決事件簿 キョート・オミヤサン著』をタバサは掲げて見せた。
「何よ?私たちのした事は、無駄じゃあなかったって、慰めてくれてるの?」
「慰めではない。真実」
あいかわらず鉄面皮の親友に、やれやれと肩をすくめて見せるキュルケ。褐色の肌の美少女は、頬に指を当てなにやら思案し始めた。
「結局、行方不明になってる子はいないってことか」
鋼牙の依頼により、二人はギーシュと共に遠乗りに出かけた少女について、捜索していた。
もしも殺されていれば、必ず行方不明者となって名前が挙がるはずである。それが『グレンデルの託卵』の何らかの手がかりになるのではないかとの読みだった。
だが、昨晩から昼過ぎに到る聞き込み調査の結果、女子寮内で行方不明者が出たと言う結果は得られなかった。
キュルケとしては、苦労の割りに得るものが少なかった、とも結論に達さずに居られない。
「ギーシュに殺された生徒はいなくって、ホッとしたかな?でも、だとするとギーシュが遠乗りした晩、一緒に帰って来た子は何も気付かず帰ってるってことだから」
「それはおかしい。もう一つの可能性を、考えてみるべき」
タバサは首を左右に振った。整った人形のような顔立ちが、ほんのわずかばかり憂鬱そうな表情を浮かべている事に、キュルケは気付いた。
「どういうことよ?まさか」
「既に、その過去の時点で、ギーシュと同じ状態となったと、解釈したほうが早い」
「嘘」
強張った顔に、笑みを浮かべようとしてキュルケは失敗した。
「ギーシュみたいに、ホラーに憑かれた子がこの学院の中を歩き回っているって言うの?」
次々と最悪の材料が提示されてゆく、その事にキュルケが半ば叫びかけたその時―。
学院校舎裏の雑木林の中で、凄まじい爆音と光がきらめいた。
身を貫くような殺気に反応して、鋼牙はとっさに跳んだ。未だ気絶したままのルイズを脇に抱え、倒木に突き刺さったままだった魔戒剣のもとへ向かう。
「水瀑の槌!」
若い女の声が響き、最前まで鋼牙が立っていた場所に超高圧の水柱が突き刺さった。超深海の水圧をそのまま叩き付ける攻撃は、まともに喰らえば超特大の金槌で打たれたように人体をぺしゃんこにしただろう。
「な、なに!?」
ようやく息を吹き返したルイズが、眼をぱちくりさせる。
「攻撃?ホラーじゃあ、ない?」
『まー、まっ昼間だからなあ、ホラーが攻撃してくるとは思えない。この攻撃は、間違いなくメイジだ』
「水系統の魔法のようだが…いかんな、こんな立ち木じゃあ、防ぎようがない」
慌てて身を隠した樹の幹を、心元なさげに見て、鋼牙は首を振った。
「ルイズ……お前は逃げろ」
抱えていた少女を下ろし、鋼牙は木陰から出ようとする。
「どうするつもり?鋼牙」
「こちらから撃って出る。相手が人間ならば、やりようがある」
魔戒剣を鞘に収め、鋼牙がうなづいた。だがソレを見て、ルイズは悲鳴のような声を上げる。
「そんな!死ぬわよ。メイジ相手に武器を封じるなんて!」
「だが、俺は人間に向ける刃は持たん。魔戒騎士の剣は、ホラーのみにしか振るわれないんだ」
そう言うや、鋼牙は地を蹴って前方へ駆け出した。
「!」
逃げ惑いもせず、自分のほうへ向けてまっ直ぐ突っ込んでくる魔戒騎士に、襲撃者はひるみを見せた。
だが、フードの下の唇を噛み締め、再び杖を振るう。
「水刃の舞!」
襲撃者の周囲の水蒸気が凝集し、カミソリのような鋭い刃に変わった。先ほどの高圧水を叩き付ける魔法と異なり、今度は手数を多くして攻撃を行なおうというのだろう。
青白い水の刃が、直進する鋼牙へ向かって次々と飛んでいった。
「は!」
それを鋼牙は、鞘付きの魔戒剣で受け止め、そらし、打ち砕いていった。次第に、フード姿のメイジとの距離が縮まってゆく。
「水宮の檻!」
次第に近づいて来る魔戒騎士の姿に恐れをなしたのか、メイジはさらなる呪文を唱えた。
「!」
どうやら、水の刃は次の攻撃のための布石であったらしい。
先ほどの攻撃で、鋼牙の周囲には濃密な水蒸気の帳ができていた。白くけぶるソレが急に濃密さを増し、大き目の水滴と化した。さらに水滴同士が結びつき、急激に成長して水の壁と化してゆく。たちまちそれは、鋼牙を包み込む水で作られた球体となった。このまま水の監獄に閉じ込められ続けば、最終的には窒息してしまうだろう。
「炎だ、《ザルバ》!」
『任せろ!おおおおぉぉぉぉぉぉっ!』
《ザルバ》の口腔が開き、その奥から噴き出した碧色の炎が水の監獄を舐めた。瞬間的に水の壁は水蒸気へ変わり、さらに過熱して膨張してゆく。
過熱水蒸気と呼ばれる存在がある。
通常、水は100℃で水蒸気化するが、それにさらに熱を加えると『限りなく透明な』蒸気と化す。通常の水蒸気と異なり、過熱水蒸気は物を焼き、場合によっては『乾燥させる』といった逆転現象すら生じさせるのだ。
今、襲撃者に吹き付けるソレがまさに『過熱水蒸気』だった。300℃を超える水蒸気が押し寄せ、フードを、髪を焦がしてゆく。余りの灼熱地獄にメイジは目を閉じ、その場から逃げ出そうとした。
その前方で、何者かが身動きする音が聞こえた。
「!」
とっさに、メイジが掲げていた杖を前方へ突き出すのと、鞘付きの剣が弾き飛ばしたのは同時だった。
次いで突き出された、裏拳気味の左拳が、襲撃者の頬を殴る。
襲撃者はくぐもった悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちた。
階段をけたたましく駆け上ってくる音が聞こえる。
学長室の隅で書類を書いていたミス・ロングビルは何事かと腰を上げかけた。
「オールド・オスマン!」
次の瞬間、扉が勢い良く開けられ、コルベールが中に飛び込んできた。
「なにごとかね?ミスタ・コルベール」
執務机の向こうから、オスマンが厳しい顔を向けた。
「それほど慌てて、よほどのことがあったのじゃろうな?」
「は、まあ、そ、その通りです。大変なんです!」
よほどの勢いで飛ばしたのか、コルベールは息も絶え絶えの様子でひざに手を付いた。だが、オスマンは厳しい表情のまま、首を振った。
「大変なことなど、あるものか。全ては小事じゃ」
「ま、まずはその……これを見ていただければ」
コルベールが指し示したのは一冊の本だった。題名は『始祖ブリミルの遣い魔たち』。ずいぶん古く、手垢にまみれている。内容的には御伽噺に属する書物で、これを読もうとする者は昨今絶えて久しい。そんな内容の書物だった。
当然、オスマンも眉をひそめてコルベールの禿頭を見つめた。
「このようなものをほじくり返している暇があるならば、貴族の餓鬼どもから少しでも学費を徴収する算段でも立ててもらいたいものじゃが……まあ良い話してみよ」
ミス・ロングビルを退かせると、コルベールは訥々と話し始めた。
コルベールの話の内容は、先日のギーシュとの戦い以降、くっきりと現われるようになった鋼牙の遣い魔の紋章についてであった。今までに例のない紋章のデザインに、図書室の古い資料を引っくり返した挙句、ようやく判明したのだ。
「―神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右につかんだ長槍で、導きし我を護り切る―」
コルベールが書物に記された内容を朗読すると、オスマンはゆっくりとかぶりを振った。
「……なるほどのう。ヴァリエール嬢の遣い魔は、その『神の左手 ガンダールヴ』の紋章を左掌に備えておると、おぬしはそう、言いたいわけじゃな?つまり、あの遣い魔兼剣士殿は、『ガンダールヴ』である、と」
「おそらくは。今はまだ、ルーンが同じであるという共通点しかありませんが、さらに詳しく調べればきっとなにか出てくるでしょう」
「ふむ」
オスマンは短く唸り、自らの髭を掌で弄びながら立ち上がった。ゆっくりとした足取りで窓辺に向かい、そして口を開く。
「そう―例えば、先日の事件と同じ様な事が起これば、よりいっそうあの者の正体について、何か分かるかもしれんな」
「は?」
さすがに、オスマンが言っていることが理解できなくて唖然とした。傍らのミス・ロングビルもぎょっとした顔で老人の方を見つめていた。
「じ、冗談です、よね?オールド オスマン」
慌てて声をかけると、オスマンは肩を揺すって応じた。
「無論、冗談じゃよ。冗談」
「そ、そうでしたか。それでは……」
禿げ上がった額に浮かんだ汗を拭いながら、コルベールは学長室を後にした。
窓越しに映るその姿を見送りながら、オスマンは誰も聞き取れないよう呟く。
「そろそろ、“卵”が孵る頃合じゃな」
窓に映るオスマンは、唇の両端をキュッと吊り上げた。
キュルケとタバサが急いで駆けつけた時、既に事態は収拾していた。
『よお、お二人さん。おつかれさん』
鋼牙は足元の襲撃者を見下ろし、観察している。息も絶え絶えの二人を見つけ、左中指の《ザルバ》がねぎらいの言葉をかけた。
「ハァ……何なの?何が起きて?」
「突然襲撃された」
鋼牙は簡潔に述べた。
「どうやら、狙いは俺だったらしいが」
ようやく戻ってきて、木の陰からこちらを見ているルイズに向かってうなづく。
「ひょっとして、ホラーかしら?」
『いや、ソレはないな。相手は、ごくふつーのメイジだよ』
鋼牙は、うつぶせに倒れた相手を鞘の先端で引っ繰り返した。仰向けになった、襲撃者の顔を見て、ルイズが驚きの声を上げる。
「モンモランシー!なぜ?」
秀でた額に金髪の巻き毛、すらりとした体躯のその少女は、ルイズにも見覚えのある、級友の一人だった。
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