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十二話 『それよりそっちのミカンくれよ』
ルイズは夢を思い出していた。
かつての故郷、魔法が使えないとさげずまれ一人湖上の舟で泣いていた思い出。
自己嫌悪で泣きべそをかいていたルイズに、男の影が覆いかぶさる。
「やっぱりここにいたね。泣いているのかい? 僕のかわいいルイズ」
「ワルド様……」
そこにいたのは己の婚約者、十歳以上年の離れた、それでも愛しい相手。
「さ、僕からお父様にとりなしてあげよう」
そういって差し出された手が空を切る。
「え?」
波紋が起きたのかゆっくりと小島から離れていく舟、だがワルドは気づかないのか自分ではない誰かと話している。
「ワルド様、ワルド様?」
かつての夢はこんなだったろうか? そう思って湖の中ごろで止まった舟の上で、ルイズは必死に呼びかける。
『いつまで甘えるつもりなんだか』
呆れたような声が彼女の背後から聞こえた。
慌てて振り返るがそこには誰もいない。
『違う違う、後方ではなく“君自身の後ろ”にこそ俺はいる』
湖上に移ったその影は、まるで燃え尽きる炎のように鮮明な光だった。
いや、炎ではない。それはまるで消え行く閃光、爆発の光のような姿。
なんと言う生き物か、と問われれば『悪魔』としか答えられないような異形が、ルイズの背後に浮かんでいた。
『ようやく気づいたか。いつまでもお子様だな』
「誰よあんた」
『ほっ、俺が誰かもわからんか? やれやれ、こりゃ外れかね』
「私があなたを知ってると?」
『さあ? 少なくとも俺は知ってるねぇ。で、どうすんだい、あのお兄さんを呼ぶかい?』
「……いいわよもう」
杖を取り出し舟を動かそうとするも、水面で爆発が起こるだけで舟は揺れてもあまり移動しない。
『……やれやれ、何でできないことをするかね』
「うるさいわね! 私はメイジなの!」
『貴族なの! ならわかるけどよ、お前さん魔法使えないじゃねえか』
「うるさい!」
杖を悪魔に向けて一閃、大きな爆発が起こる。
だが悪魔にはまるでダメージはなく、それどころか輝きが増していた。
『ほらみろ、少なくとも今は何かを爆破することしかできんくせに』
「うるさいわね! そんなことわかってるわよ!」
『ならどうしてその爆発をしっかり活用せんね? めそめそしてたって何かが変わるわけもなし』
「私は貴族なのよ!だから、だから!」
『貴族だろうが平民だろうが子猫ちゃんだろうが関係なかろうよ。人には一つや二つ苦手なことがあるもんさ』
「だって、だって!」
ボロボロ涙をこぼすルイズに、悪魔はいやらしく語りかける。
『自分の本質は何か、それは難しい問題でね。お前さんは四大のメイジじゃあないってことだろ』
「私は、私は……」
『あきらめろあきらめろ。大体何を召喚したよ? お前さんの本質は爆発、そういうことじゃねえの?』
「……」
『ないものねだりはやめな。お前さんの言ってるのは平民が魔法を使いたいって言ってるのと同じだぜ?』
「私はヒック、誇り高きヒック、ヴァリエールの」
『出来損ない、だろ?』
ルイズは大声を上げて泣いた。
『さてここで問題だ、何故あのお兄さんはそんな出来損ないを構うのでしょう?』
「うるさいうるさいうるさい!」
『ヴァリエールって名前はこの国では価値が高かろうな』
「ワルド様はそんな人じゃない!」
振り切るように声を張り上げる。
『かもな。だが悲しいかなここはお前の夢の世界、あれはお前が想像する答えの一つさ』
「うそ、うそよ、そんなこと」
『さて、そろそろ時間だぜ。お前さんはどっちがいいのかね? あのお兄さんが来るまで待つか? それともこのオールを手にとって漕ぐか?』
「あんたが連れて行けばいいでしょ!」
『おっ、俺が何か認識したのか? だが残念ながら俺が提供できるのは能力だけでね』
やれやれとばかりに悪魔は肩をすくめる。
『最終的にそれをどうするかはお前さん次第さ』
悪魔はゆっくりと、その姿を薄れさせていく。
『さあ契約者よ、俺たちは能力をくれてやる代わりに“海を渡る力”を奪う。お前は炎の悪魔や砂の悪魔のように濡れると使えなくなるのが欠点さ』
「私は……」
『さあオールを取れ契約者。己の細腕で世界をつかむか、それともただ与えられる恩恵を意味なく享受するか、選ぶのはお前だ』
「……」
『次にどんな答えをよこすのか、楽しみにしてるぜ』
悪魔はうっすらと消え、ついには見えなくなった。
馬車の中、ルイズははっと目を覚ました。
向かいでワルドがおかしな表情をしている。
「どうかしたかい?」
「ええい。妙な夢を見ただけですわ。あまりはっきりと憶えてませんけど」
「なら大した夢じゃなかったんだろう。さ、ラ・ロシェールまではまだ少しかかる、ゆっくり休んでいるといい」
「ええ、そうさせていただきますわ」
パカラパカラと音を立てて、馬車は道を行く。
マザリーニは頭を抱えていた。
グリフォン隊のワルド子爵がいきなり居なくなったからである。
王女に問いただしたところ、なにやら密命の手伝いに言ったらしいという話に、マザリーニは頭痛薬を一気飲みした。
側近にワルドの部屋の調査を命じ、彼は深く深くため息をつく。
ワルドが自分に何も告げずに出て行ったという事実が、彼の心をさいなんだ。
「ワルドめ、やつめがレコン・キスタの間者であったか……」
仮にも王国の三大騎士団のひとつの責任者が自分に何も告げずに出て行くという事実、それはワルドがそれを必要と感じなかったということ。
標準以上の責任感を持つが故グリフォン隊を纏め上げることができていた彼が“ついうっかり忘れた”などということは考えられなかった。
マザリーニはただただ嘆息する、命じられて出向したという王女の友人の命を、そしてアルビオン王家の者の命を。
そして何よりも、己の主たる王女のうかつさを。
明らかに許容量を超える頭と胃の薬を水で流し込み、彼は顔と思考を孫に苦労する老人のものから枢機卿ものに切り替えた。
己は所詮鳥の骨、何をしようが受け入れられず、国民にとっては何の価値も無き鶏肋にすぎぬ。
なればこそ悪に徹しよう、この愛すべき祖国のために。
祖国のためであるのなら、たとえ主とて殺して見せよう。
ルイズは道すがらワルドの話に耳を傾けていた。
耳に聞こえのいいきれいな言葉と口説き文句、その美丈夫とも言うべき容姿ともあいまってその言葉はいかなる女性もとりこにしうるだろう威力を持っていた。
だが笑みを浮かべる横で、ルイズは己で驚くほどさめた思考で考えていた。
何故彼は自分にこだわるのだろうか?
子爵とはいえグリフォン隊の隊長、実力は確かで容姿は特上、間違いなく出世頭だ。
己の持つ価値において彼とつりあうのは家名である“ヴァリエール”のみ。
やはり彼もヴァリエールの名が欲しいから自分に愛をささやくのだろうか?
少し陰鬱な気分になりながらもルイズは感じていた、家名以上の何かを求める彼の暗いまなざしを。
ロングビルは目の前の男にあせりを浮かべるほか無かった。
いきなり現れて協力しろと脅してくる男、仮面をかぶっての交渉なんて、何と言う怪しさだろうか。
それでもマチルダ・オブ・サウスゴータという名前で呼ばれ、土くれのフーケは顔をしかめた。
「気に入らないねぇ。あんたみたいなやつにあたしは立場を追われたっけ」
「……協力するのかと聞いているのだが」
「あんたのそれは脅迫って言うのさ。結構な身分だろうにそんなことも知らないのかい?」
「貴様……」
「やれやれ、はっきり言ったらどうなんだい? 『お前の過去を調べて知っている。死にたくなければ協力しろ』ってさあ!」
「……最後だ。協力するか、死ぬか、選べ」
フーケはここ数日の自分を考えていた。
貴族をからかうためにターゲットを絞っていた盗賊家業、いらないから好きにしろと丸投げされたモット伯の隠し財産を換金して以来情報集め以外の目的で働いたことは無かった。
ルイズたちとする作業の何と楽しいことか、故郷の妹分を思い出させてくれた。
だから目の前の男に何の思いも抱くことはできない。
王家を打倒する? 新しい世界? 聖地を取り戻す? 寝言は寝てから言え。
自分を非難した貴族の同類じゃないか。
単に頭がすげ変わるだけでしかない彼の発言に、彼女は価値を見出せなかった。
出立前のルイズに渡された小瓶のふたを取り、少しだけ息を吐く。
「どうした? 答えろ!」
「……お断りだよ、外道の同類が」
フーケはぐっと、小瓶をあおった。
急速に増大する精神力、それが全身に流れ出す。
自分のものと同じ、しかし自分のものとは性質のまったく違う力が全身を駆け巡ったとき、彼女は脳裏の片隅で砂でできた悪魔の笑い声を聞いた。
「そうか、では残念だが貴様には死んでもらおう」
「はっ! ママに習わなかったのかい? 初対面の人間に貴様とか言っちゃいけませんって」
「貴様あ!」
「あっはっは! 女性には優しくって習わなかった? 今のあんた図星をつかれてあせってるお子様みたいだよ!」
「盗賊ごときが! 死ねえ!」
視認も難しいほどの速度で迫った風をまとった杖が、フーケの胸を貫いた。
「がっ」
小さく声を上げてフーケは崩れ落ちる。
「ふん、おとなしく従っていればいいものを」
偏在だったのか、仮面の男はゆらりと風に薄れて消えた。
パラパラと傷口から砂をこぼしながら、フーケは身を起こす。
「やれやれ、確認もしない間抜けで助かったねこれは」
地面に積もる砂に意識を集中すると、ザラザラと傷口に集まり何も無かったかのように元に戻る。
少し意識を集中して右手に向けると、ひじから先が砂に変わる。
砂は固まって刃物の形を取る。それに左手の杖で錬金をかけるも変化はせず。
またバラけて砂になり、再度右腕に戻った。
「こりゃ便利だねぇ。自分の体を錬金できるようになるとは思わなかったよ」
注意書きの最後にあった一文を思い出しながら、フーケは右手を見つめてにやついていた。
『水に触れると砂に変化できなくなる。注意せよ』
「水のメイジにゃ気をつけないとね」
突然飛来した火矢に驚きつつも、ルイズは難を逃れるために岩の後ろに隠れる。
横を見るとシエスタがデルフを少し抜いてこちらへ視線、ルイズは首を横に振るとワルドを見上げた。
お忍びだからとワルドにはグリフォンを降りさせ衣服も変えさせた。
髪の色を町で変える必要があるだろうな、と考えていた矢先の出来事、あまりに胡散臭い襲撃にルイズは思わず苦笑をもらしかけた。
出待ちのごときあまりにも良すぎるタイミング、さらには今自分たちがいる通りを誰かの馬車が通った後。
つまり襲撃者はピンポイントで自分たちだけを狙ってきたということ。
「(どこから漏れたのかしら?)」
武装生成の準備をしながら、シエスタに目配せをしようとしたとき、明らかに自然ではない風を感じた。
上を見上げるとドラゴンの姿。
「シルフィード?」
「知り合いかい?」
「ええ、友人ですわ。でも何故ここに?」
「あんがい出るところを見られたのかもしれないね」
「まあ毎日会ってましたから。いなくなったから探しに来たのかも」
シルフィードの背から放たれたフレイム・ボールが襲撃者を吹き飛ばし、地面から生えた青銅の輪が拘束していく。
「全員いるの?」
「楽しそうだったんだもの」
「まあ僕としては女性だけに負担をかけるのは、ね」
「……心配」
その騒がしい様にルイズは柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、と言いたいけどこれ密命なの。だから派手な行動は駄目ね」
「あらつまんない」
「後ギーシュ、そういうわけだからモンモランシーへの言い訳は自分で考えてね」
「……げ」
その声を受けてかタバサがシルフィードを何処かへ飛び立たせている。
「ああルイズ、何とかならないかい? このままじゃまたモンモランシーにフルボッコだよ」
「あきらめなさい」
「軽薄なのが悪いのでは?」
「あの、君たち、急ぐんだからそろそろ、ねえ?」
ああ哀れ、ワルド放置プレイ。
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十二話 『それよりそっちのミカンくれよ』
ルイズは夢を思い出していた。
かつての故郷、魔法が使えないとさげずまれ一人湖上の舟で泣いていた思い出。
自己嫌悪で泣きべそをかいていたルイズに、男の影が覆いかぶさる。
「やっぱりここにいたね。泣いているのかい? 僕のかわいいルイズ」
「ワルド様……」
そこにいたのは己の婚約者、十歳以上年の離れた、それでも愛しい相手。
「さ、僕からお父様にとりなしてあげよう」
そういって差し出された手が空を切る。
「え?」
波紋が起きたのかゆっくりと小島から離れていく舟、だがワルドは気づかないのか自分ではない誰かと話している。
「ワルド様、ワルド様?」
かつての夢はこんなだったろうか? そう思って湖の中ごろで止まった舟の上で、ルイズは必死に呼びかける。
『いつまで甘えるつもりなんだか』
呆れたような声が彼女の背後から聞こえた。
慌てて振り返るがそこには誰もいない。
『違う違う、後方ではなく“君自身の後ろ”にこそ俺はいる』
湖上に移ったその影は、まるで燃え尽きる炎のように鮮明な光だった。
いや、炎ではない。それはまるで消え行く閃光、爆発の光のような姿。
なんと言う生き物か、と問われれば『悪魔』としか答えられないような異形が、ルイズの背後に浮かんでいた。
『ようやく気づいたか。いつまでもお子様だな』
「誰よあんた」
『ほっ、俺が誰かもわからんか? やれやれ、こりゃ外れかね』
「私があなたを知ってると?」
『さあ? 少なくとも俺は知ってるねぇ。で、どうすんだい、あのお兄さんを呼ぶかい?』
「……いいわよもう」
杖を取り出し舟を動かそうとするも、水面で爆発が起こるだけで舟は揺れてもあまり移動しない。
『……やれやれ、何でできないことをするかね』
「うるさいわね! 私はメイジなの!」
『貴族なの! ならわかるけどよ、お前さん魔法使えないじゃねえか』
「うるさい!」
杖を悪魔に向けて一閃、大きな爆発が起こる。
だが悪魔にはまるでダメージはなく、それどころか輝きが増していた。
『ほらみろ、少なくとも今は何かを爆破することしかできんくせに』
「うるさいわね! そんなことわかってるわよ!」
『ならどうしてその爆発をしっかり活用せんね? めそめそしてたって何かが変わるわけもなし』
「私は貴族なのよ!だから、だから!」
『貴族だろうが平民だろうが子猫ちゃんだろうが関係なかろうよ。人には一つや二つ苦手なことがあるもんさ』
「だって、だって!」
ボロボロ涙をこぼすルイズに、悪魔はいやらしく語りかける。
『自分の本質は何か、それは難しい問題でね。お前さんは四大のメイジじゃあないってことだろ』
「私は、私は……」
『あきらめろあきらめろ。大体何を召喚したよ? お前さんの本質は爆発、そういうことじゃねえの?』
「……」
『ないものねだりはやめな。お前さんの言ってるのは平民が魔法を使いたいって言ってるのと同じだぜ?』
「私はヒック、誇り高きヒック、ヴァリエールの」
『出来損ない、だろ?』
ルイズは大声を上げて泣いた。
『さてここで問題だ、何故あのお兄さんはそんな出来損ないを構うのでしょう?』
「うるさいうるさいうるさい!」
『ヴァリエールって名前はこの国では価値が高かろうな』
「ワルド様はそんな人じゃない!」
振り切るように声を張り上げる。
『かもな。だが悲しいかなここはお前の夢の世界、あれはお前が想像する答えの一つさ』
「うそ、うそよ、そんなこと」
『さて、そろそろ時間だぜ。お前さんはどっちがいいのかね? あのお兄さんが来るまで待つか? それともこのオールを手にとって漕ぐか?』
「あんたが連れて行けばいいでしょ!」
『おっ、俺が何か認識したのか? だが残念ながら俺が提供できるのは能力だけでね』
やれやれとばかりに悪魔は肩をすくめる。
『最終的にそれをどうするかはお前さん次第さ』
悪魔はゆっくりと、その姿を薄れさせていく。
『さあ契約者よ、俺たちは能力をくれてやる代わりに“海を渡る力”を奪う。お前は炎の悪魔や砂の悪魔のように濡れると使えなくなるのが欠点さ』
「私は……」
『さあオールを取れ契約者。己の細腕で世界をつかむか、それともただ与えられる恩恵を意味なく享受するか、選ぶのはお前だ』
「……」
『次にどんな答えをよこすのか、楽しみにしてるぜ』
悪魔はうっすらと消え、ついには見えなくなった。
馬車の中、ルイズははっと目を覚ました。
向かいでワルドがおかしな表情をしている。
「どうかしたかい?」
「ええい。妙な夢を見ただけですわ。あまりはっきりと憶えてませんけど」
「なら大した夢じゃなかったんだろう。さ、ラ・ロシェールまではまだ少しかかる、ゆっくり休んでいるといい」
「ええ、そうさせていただきますわ」
パカラパカラと音を立てて、馬車は道を行く。
マザリーニは頭を抱えていた。
グリフォン隊のワルド子爵がいきなり居なくなったからである。
王女に問いただしたところ、なにやら密命の手伝いに言ったらしいという話に、マザリーニは頭痛薬を一気飲みした。
側近にワルドの部屋の調査を命じ、彼は深く深くため息をつく。
ワルドが自分に何も告げずに出て行ったという事実が、彼の心をさいなんだ。
「ワルドめ、やつめがレコン・キスタの間者であったか……」
仮にも王国の三大騎士団のひとつの責任者が自分に何も告げずに出て行くという事実、それはワルドがそれを必要と感じなかったということ。
標準以上の責任感を持つが故グリフォン隊を纏め上げることができていた彼が“ついうっかり忘れた”などということは考えられなかった。
マザリーニはただただ嘆息する、命じられて出向したという王女の友人の命を、そしてアルビオン王家の者の命を。
そして何よりも、己の主たる王女のうかつさを。
明らかに許容量を超える頭と胃の薬を水で流し込み、彼は顔と思考を孫に苦労する老人のものから枢機卿ものに切り替えた。
己は所詮鳥の骨、何をしようが受け入れられず、国民にとっては何の価値も無き鶏肋にすぎぬ。
なればこそ悪に徹しよう、この愛すべき祖国のために。
祖国のためであるのなら、たとえ主とて殺して見せよう。
ルイズは道すがらワルドの話に耳を傾けていた。
耳に聞こえのいいきれいな言葉と口説き文句、その美丈夫とも言うべき容姿ともあいまってその言葉はいかなる女性もとりこにしうるだろう威力を持っていた。
だが笑みを浮かべる横で、ルイズは己で驚くほどさめた思考で考えていた。
何故彼は自分にこだわるのだろうか?
子爵とはいえグリフォン隊の隊長、実力は確かで容姿は特上、間違いなく出世頭だ。
己の持つ価値において彼とつりあうのは家名である“ヴァリエール”のみ。
やはり彼もヴァリエールの名が欲しいから自分に愛をささやくのだろうか?
少し陰鬱な気分になりながらもルイズは感じていた、家名以上の何かを求める彼の暗いまなざしを。
ロングビルは目の前の男にあせりを浮かべるほか無かった。
いきなり現れて協力しろと脅してくる男、仮面をかぶっての交渉なんて、何と言う怪しさだろうか。
それでもマチルダ・オブ・サウスゴータという名前で呼ばれ、土くれのフーケは顔をしかめた。
「気に入らないねぇ。あんたみたいなやつにあたしは立場を追われたっけ」
「……協力するのかと聞いているのだが」
「あんたのそれは脅迫って言うのさ。結構な身分だろうにそんなことも知らないのかい?」
「貴様……」
「やれやれ、はっきり言ったらどうなんだい? 『お前の過去を調べて知っている。死にたくなければ協力しろ』ってさあ!」
「……最後だ。協力するか、死ぬか、選べ」
フーケはここ数日の自分を考えていた。
貴族をからかうためにターゲットを絞っていた盗賊家業、いらないから好きにしろと丸投げされたモット伯の隠し財産を換金して以来情報集め以外の目的で働いたことは無かった。
ルイズたちとする作業の何と楽しいことか、故郷の妹分を思い出させてくれた。
だから目の前の男に何の思いも抱くことはできない。
王家を打倒する? 新しい世界? 聖地を取り戻す? 寝言は寝てから言え。
自分を非難した貴族の同類じゃないか。
単に頭がすげ変わるだけでしかない彼の発言に、彼女は価値を見出せなかった。
出立前のルイズに渡された小瓶のふたを取り、少しだけ息を吐く。
「どうした? 答えろ!」
「……お断りだよ、外道の同類が」
フーケはぐっと、小瓶をあおった。
急速に増大する精神力、それが全身に流れ出す。
自分のものと同じ、しかし自分のものとは性質のまったく違う力が全身を駆け巡ったとき、彼女は脳裏の片隅で砂でできた悪魔の笑い声を聞いた。
「そうか、では残念だが貴様には死んでもらおう」
「はっ! ママに習わなかったのかい? 初対面の人間に貴様とか言っちゃいけませんって」
「貴様あ!」
「あっはっは! 女性には優しくって習わなかった? 今のあんた図星をつかれてあせってるお子様みたいだよ!」
「盗賊ごときが! 死ねえ!」
視認も難しいほどの速度で迫った風をまとった杖が、フーケの胸を貫いた。
「がっ」
小さく声を上げてフーケは崩れ落ちる。
「ふん、おとなしく従っていればいいものを」
遍在だったのか、仮面の男はゆらりと風に薄れて消えた。
パラパラと傷口から砂をこぼしながら、フーケは身を起こす。
「やれやれ、確認もしない間抜けで助かったねこれは」
地面に積もる砂に意識を集中すると、ザラザラと傷口に集まり何も無かったかのように元に戻る。
少し意識を集中して右手に向けると、ひじから先が砂に変わる。
砂は固まって刃物の形を取る。それに左手の杖で錬金をかけるも変化はせず。
またバラけて砂になり、再度右腕に戻った。
「こりゃ便利だねぇ。自分の体を錬金できるようになるとは思わなかったよ」
注意書きの最後にあった一文を思い出しながら、フーケは右手を見つめてにやついていた。
『水に触れると砂に変化できなくなる。注意せよ』
「水のメイジにゃ気をつけないとね」
突然飛来した火矢に驚きつつも、ルイズは難を逃れるために岩の後ろに隠れる。
横を見るとシエスタがデルフを少し抜いてこちらへ視線、ルイズは首を横に振るとワルドを見上げた。
お忍びだからとワルドにはグリフォンを降りさせ衣服も変えさせた。
髪の色を町で変える必要があるだろうな、と考えていた矢先の出来事、あまりに胡散臭い襲撃にルイズは思わず苦笑をもらしかけた。
出待ちのごときあまりにも良すぎるタイミング、さらには今自分たちがいる通りを誰かの馬車が通った後。
つまり襲撃者はピンポイントで自分たちだけを狙ってきたということ。
「(どこから漏れたのかしら?)」
武装生成の準備をしながら、シエスタに目配せをしようとしたとき、明らかに自然ではない風を感じた。
上を見上げるとドラゴンの姿。
「シルフィード?」
「知り合いかい?」
「ええ、友人ですわ。でも何故ここに?」
「あんがい出るところを見られたのかもしれないね」
「まあ毎日会ってましたから。いなくなったから探しに来たのかも」
シルフィードの背から放たれたフレイム・ボールが襲撃者を吹き飛ばし、地面から生えた青銅の輪が拘束していく。
「全員いるの?」
「楽しそうだったんだもの」
「まあ僕としては女性だけに負担をかけるのは、ね」
「……心配」
その騒がしい様にルイズは柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、と言いたいけどこれ密命なの。だから派手な行動は駄目ね」
「あらつまんない」
「後ギーシュ、そういうわけだからモンモランシーへの言い訳は自分で考えてね」
「……げ」
その声を受けてかタバサがシルフィードを何処かへ飛び立たせている。
「ああルイズ、何とかならないかい? このままじゃまたモンモランシーにフルボッコだよ」
「あきらめなさい」
「軽薄なのが悪いのでは?」
「あの、君たち、急ぐんだからそろそろ、ねえ?」
ああ哀れ、ワルド放置プレイ。
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