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「S-O2 星の使い魔-05」(2008/05/29 (木) 20:18:50) の最新版変更点
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「レン・イン・ヤァム───」
吹き飛んだ石の欠片を左手に、机の脚の破片を右手に。
木切れとなった右手のそれを杖代わりに印を結び、呪紋を唱える。
意識を高めるために目を閉じ、術の対象たる左掌の石は拳へと握り込まれる。
「……」
結ばれた左手と瞳が開かれたとき、その手にあったものは、やはり先ほどと変わらぬ石ころだった。
「コラァ! 手が動いてない!」
「ああ、ごめんごめん」
主の怒鳴り声を背に受け、クロードは手の中の石と木切れを窓の外へと投げ捨てる。
(……何をやってるんだろうな、僕は)
今更、出来るようになるわけなどないのに。
10年ほど前に突きつけられた現実を思い返し、そして己の左手に刻まれたルーンに目を落とし、クロードは笑う。
それは何処か己の運命を嘲笑うかのようで、ひどく痛々しい。
ほんの少しだけ、期待していたのだけれど。
努力すればきっと報われると、信じていた。
自分も父と同じように飛べると、信じていた。
そんな幼い幻想が無残にも打ち砕かれたのは、中学校に進学する少し前の頃だったか。
学科選択のための診断テスト。その結果は『ゼロ』。
クロードには紋章術への適正である『マナの祝福』は無いと判定された。
自分は決して父のような『魔法使い』にはなれないと、断ざれたのだ。
現実と言う名の悪魔───或いは神によって、静かに、そして冷酷に。
あれほど落ち込んだことは、これまでの人生19年を振り返っても、他に無かったように思う。
その日、クロードは泣いた。そして叫んだ。
自分に素質が無かったのは、母さんのせいだ。
フェルプールや、フェザーフォルクに生まれて来ればよかったのに。
感情に任せてそう言った直後、生まれて初めて、父に殴られた。
その後、母をひどく傷つけてしまったことに思い至り、愕然とした。
あの時の両親の顔─────涙と、痛みは、きっと一生忘れられないだろう。
夜になってから、暴言を吐いた自分を優しく抱きしめてくれた母のことも。
(……あの頃の自分と、重ねて見ているんだろうか)
脳天の蒸気機関を無駄にフル稼働させつつ、己の失敗の後始末を行うルイズ。
主である『ゼロ』の背を眺め、クロードは揺れ続ける心で考える。
魔法使いになれなかった自分を、魔法が使えない彼女に投影している?
だから、未開惑星保護条約を無視してまで、あんなにペラペラと話をしていたのだろうか。
僕は、彼女に何を求めているのだろう。
自分が得られなかった栄光?
それとも、自分と同じ挫折?
(……馬鹿馬鹿しい)
ふうっ、と一つ溜息をつく。
相手は未開惑星の住人じゃないか。
地球に帰れば、それでお終い。契約も何も関係ない。
彼女の将来なんて、未来なんて、僕の知ったことか。
知ったことじゃない、はずなのに。
「サ・ボ・る・な!!」
「わっ!」
手の止まっているクロードに、今度は椅子の破片が飛んできた。
場面は変わり、ここは学院長室。
そこにあるのは、神妙な顔を付き合わせる壮年と老人。
「彼に現れたルーンが非常に珍しいものだったので、調べてみたのですが……」
「成る程、君のスケッチが正しければ、この文献にある通りじゃな」
一人はコルベール。
トリステイン魔法学院の教師であり、『炎蛇』の名を冠する優秀なメイジでもある。
彼の頭髪についての話題は、ここでは避けよう。
一人はオールド・オスマン。
本学院の最高責任者であり、彼もまた大陸に名を知られるメイジである。
ほんの少し前まで、セクハラのかどで秘書に踏みつけられていたのは内緒だ。
さて、コルベールの持ち込んだ本は『始祖ブリミルの使い魔たち』という。
遥か古の昔、ハルケギニアの創生にまつわる伝承、神話の類を集めた書物である。
その中の1ページ、コルベールの指差すところには、クロードの左手に刻まれたルーンが違わず記載されていた。
これは世紀の大発見かもしれない.
興奮を隠しきれず、強い口調でコルベールは捲くし立てる。
「つまり、彼のこのルーンは『ガンダールヴ』の証に他なりません!」
「ふむ……確かにルーンは同じじゃ。しかし、それだけで決め付けるには早計かもしれぬぞ」
しかし、オールド・オスマンは豊かな白い髭を撫で付けながら、静かにこう切り返した。
それを聞いたコルベールはハッとなる。
確かに、オールド・オスマンの言い分はもっともだ。
少し、自分は焦りすぎていたかもしれない。
頭に上った血がスゥ、と引いていくことを自覚し、コルベールは改めて眼前の老人に尋ねる。
「神託は、何と仰せです?」
「うむ、しばし待て」
オールド・オスマンはそう言うと目を閉じ、意識を集中し始めた。
それを邪魔するまいと、コルベールも神妙に神託が下るのを待つ。
「……
…………
………………」
「……」
「ふむ、エルネストが主人公でなければ、ダックソン2世は仲間にならんそうじゃ」
誰それ。
「まあ、そうじゃなあ。
こういうお告げが出るということは、実はそう大したことでもないということではないかな?」
「そもそも、マトモなお告げが出たことなんてありましたっけ?」
けらけらと笑うオールド・オスマンに、引き攣った笑顔で聞き返すコルベール。
「……失礼いたします、オールド・オスマン」
コルベールの疑問の答えの代わりに聞こえたのは、ノックとともに部屋に戻ってきた秘書の声だった。
興が削がれたのか、二人は改めてミス・ロングビルの方へと向き直る。
「ヴェストリの広場で、決闘しようとしている生徒がいるようです」
それを聞いてコルベールは勘弁してくれ、と言いたげにこめかみを押さえ、
一方のオールド・オスマンはやれやれ、と顔に書いて溜息混じりに椅子の背もたれに身を任せる。
「やれやれ、決闘は校則で禁止されているというのに……」
「まったく、暇を持て余した貴族ほど性質の悪い生き物はおらん。で、誰だね、その生徒は」
「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」
グラモンの倅か。調子に乗って誰ぞの彼女にでも手を出しよったか。
とりあえずミス・ロングビルはやらんぞ。
「では、もう一人は?」
「それが……メイジではなく、ミス・ヴァリエールの使い魔だというのです」
教師二人は、顔を見合わせた。
時間は少し遡る。
爆破した教室の片づけを済ませ、食堂に戻ってきたルイズとクロード。
辺りを見回せば、生徒たちが思い思いに使い魔たちと仲良くコミュニケーションをとっている。
召喚されて間も無い使い魔たちと親睦を深めることに、各々方とも余念が無いようである。
もっとも、中には使い魔そっちのけで異性とよろしくやっている者も混ざっているようだ。
今朝出会ったキュルケも、そんな感じで男子生徒と肩を寄せ合っている。
いやあ、若いっていいねえこん畜生め。
さて、ルイズは適当な席にどっかと座り込むと、頬杖をついてお茶と菓子を注文。
アバウト極まりない主のオーダーを受け、いそいそと席を離れるクロード。
背中に刺さる周りの視線と笑い声が痛い。
一方のルイズは、向けられる気配に片っ端からガンを飛ばしまくっている。
機嫌はさらに悪化しているようだ。
さて、それらプレッシャーから逃げるように席を立ったクロードであったが、
肝心の彼女の注文の品が何処にあるやら。
朝食のときに建物の構造をもうちょっとしっかり把握しておけばよかったと、少し後悔した。
と、そんな風に途方に暮れかけたところに見知った姿を見かけ、声を掛ける。
「やあ、シエスタ。今朝はありがとう」
「あら、こんにちはクロードさん。どうしたんですか?」
数時間ぶりの再会に顔を綻ばせるクロードとシエスタ。
畏れ多くも主から洗濯を仰せつかったはいいものの、洗い場が何処か解らずに
途方に暮れていたクロードに助け舟を出したのが、このシエスタであった。
また、手作業による洗濯など殆どやったことのないクロードに、基本的な作業を教えたのも彼女である。
クロードが事情を説明すると、シエスタは苦笑する。
「そんな、私に仰せになればお持ちしますのに」
「いや、その気持ちはありがたいんだけどさ」
右手で頭を掻きながら、くいくいと左手の親指を頬を膨らせたルイズに向け、シエスタに耳打ちする。
(僕がちゃんと使い魔として働かないと、あの人ヘソ曲げるから)
それを聞いて、微妙な笑顔を浮かべるしかないシエスタであった。
とりあえず厨房の場所と、ルイズはクックベリーパイに目が無いことを伝えると
シエスタは一礼して仕事に戻っていく。
「……遅い! 何やってたのよ!」
主の荒っぽい労いの言葉を受け、クロードはトレイをテーブルに置く。
皿に乗せられたパイに目を輝かせるルイズを見て、何ともいえない笑みを浮かべつつ、
改めて今日何度目か解らないシエスタへの感謝の念を覚えるクロードであった。
そして先ほどの授業中の続き、内職の第2ラウンド───傍から見ていればお喋りの続きが開始される。
それを眺める一部の生徒たちは口笛や笑い混じりに冷やかすが、二人の耳には届かない。
『サイレント』を用いることさえなく。
二人だけの世界って奴かしら。
あのルイズが挑発に何の反応も見せないことに、周りの人間はそう判断する。
確かにそれは間違っていなかったのだが、会話の内容に意識を向ければその意味合いは大きく変わっていたことだろう。
相反する属性の対消滅。
地と風では干渉は起こらない。
それ以外の組み合わせによる異なる属性同士の干渉。
呪紋の吸収と増幅。
水と雷の干渉実験。
始祖ブリミルとその使い魔たちの物語。
ハルケギニア大陸とトリステイン王国の歴史。
各種コモン・マジックの種類。
火、水、土、風、4系統の魔法の特性。
古に失われた『虚無』の魔法の存在。
まるでスポンジが水を吸収するようにクロードの話を飲み込んでいくルイズ。
そして、彼女が語るこの世界の伝承、自分の知らない魔法の物語。
彼女に自分の知識を伝えること、この世界について必要以上に知りすぎること。
どちらもが危険なことだと解っていても、それがどうしようもなく楽しいと思う。
それが午前中の自分と矛盾しているようで、どこか可笑しい。
『この世の真理と自己の精神は、決して人には理解し得ぬ事柄である』と、
かつて学んだとある哲学者の言葉を思い返す。
「ん、どうかした?」
「いや、ちょっとね」
それに伴い、自分自身の学校生活を回想するクロード。
何処へ行っても付いて回る、英雄の子というレッテル。
歪んだレンズを通してしかクロードを見ようとしない周囲に嫌気が差し、
周りからは距離を取るようになるまで、さほど時間はかからなかった。
考えてみれば、こんな風に会話をすること自体が久しく無かったような気がする。
一人でいることに慣れたつもりでいたけれど、本当は人恋しかったのだろうか。
そんなことを考えながら、グラスに注がれた水で唇を湿らせる。
「……何だか騒がしいわね」
「え?」
ルイズの指摘に、クロードは意識を内から外へとシフトさせる。
周りを見渡せば、なるほど。生徒たちは一箇所に集まり、ちょっとした人だかりが出来ている。
生徒同士のトラブルでもあったのだろうか。
「本当だ、何だろうね」
「まあいいわ、ほっときなさい。
どうせ大したことでもないでしょうし」
そうしてあっさり外への興味を断ち切り、第3ラウンドへの戦鐘を鳴らそうとしたルイズ。
──────であったのだが。
「……申し訳ありません! 申し訳ありません!」
(……シエスタ!?)
聞き覚えのある声に、クロードが反応する。
即座にすっくと立ち上がり、騒ぎの中心へと足を向けた。
なにやらルイズが文句を言っているようだが耳に入らない。
恩人の涙交じりの声を聞いて黙っていられるほど、彼は薄情ではなかった。
文句を言う主を無視して置いていったことは、この際脇に置く。
一言一言ことわりを入れながら、人の波を櫂き分けて人だかりの中心へと向かっていく。
「あ、ちょっと、こら! 使い魔の癖に主人を無視するなんて、もう!
って、んぐっ……ぐぅ……こ、こら、待ちなさ……むぎゅっ!」
体格に恵まれないルイズには、人ごみを櫂き分けて進むことは難しい。
クロードのようには上手くいかず、やがて人の波に飲み込まれていくのであった。
さて、人ごみを抜け出したクロードの目に飛び込んできたものは、
涙声になりながら必死に頭を下げ続けるシエスタと、
尊大に彼女を叱りつける気障ったらしい服装の男子生徒が一人。
男子の頬には、季節外れの大きな紅葉が一つ。
(痴情の縺れってやつかな、こりゃ)
状況からクロードはそう判断し、こめかみを押さえる。
二人の様子を見る限り、目の前の男子とシエスタが関係を持っていたとは考えにくい。
また、周りの冷やかしや野次からして、彼女に失敗や悪気があったわけでもないようだ。
とすると考えられるシナリオは、善意に基づく彼女の行動が浮気発覚の原因になった、といったところか。
なんにせよ、彼女にしてみればとんだ災難だ。
そんなことを考えながら、無言で二人の間に割り込むクロード。
突然の乱入者に男子は言葉に詰まらせ、背中からはシエスタが戸惑う様子が伝わってくる。
もともとはこんなキャラを演じるつもりじゃなかったんだけどな、と口の中で呟いて苦笑する。
今更、勇者様に憧れる年齢でもあるまいし。
「その辺にしてやれよ。彼女だって謝っているじゃないか」
「ん? 君は……ああ、ゼロのルイズが召喚した平民か。
事情を知らない人間の出る幕ではない、引っ込んでいてくれたまえ」
出来る限り相手の気を悪くしないように言葉を選ぶクロードに対し、 いかにも不機嫌そうに鼻を鳴らすギーシュ。
クロードは内心で顔を顰める。
己の正しさを絶対的、盲目的に信じ、その根源である力を気分次第に振りかざして他者を威圧する。
仕官学校時代にも何人か見かけたことのある、最も好きになれないタイプの人間だ。
それでも内心の不快感を可能な限り包み隠し、穏便にことを収めようとする。
「それにしたってやりすぎだろう。
何があったかは知らないけど、女の子を泣かせる奴は男として最低だぞ」
周りからもそうだそうだ! とクロードに同調する野次が飛び、ギーシュの表情が険しくなる。
別にクロードは喧嘩を売りにきたつもりなど毛頭無い。
単純に知り合いであり、恩人である人物がトラブルに巻き込まれているのを見かねただけだ。
極端な話、ギーシュが何を考えていようと、何をしていようと、クロードにはあまり関係の無い話のはずだった。
だから、自分なりに相手に気を使った上で冷静になるきっかけを持たせ、
互いに非を認め、改めた上で和解出来るならば、それがベストだと考えていた。
だが、ここでクロードは致命的な読み違いをしていた。
一つは、この世界における貴族と平民の差は、クロードが想像している以上に根が深いものだったこと。
貴族が黒と言えば、白い平民は黒となる世界。
そんな世界で、貴族が平民に対して率直に己の非を認め、詫びることは極めて難しいことである。
しかもギーシュは学生、そこまで状況を読んで事態を収拾させられるほど、人間が熟されていなかった。
もう一つは、自分がこの世界では平民と認識されていることを、クロード自身が失念していたこと。
前述のような絶対的な階級が存在している社会で、貴族が平民に諭されて面白いわけがない。
もともとこのような身分とは縁の薄い社会で暮らしていたクロードにとって、ハルケギニアに召喚されて僅か数日、
この世界の文化を把握するには時間があまりに少なすぎた。
そして、それ故にギーシュが発した次の台詞は、
そんなクロードの甘い考えと想像を粉々に吹き飛ばすことになる。
「フン、これだから平民は嫌なんだ。
これは僕と彼女の問題だと言ったろう、君は下がりたまえ。
それとも君のご両親は、貴族に対する礼儀の一つも教えてくれなかったのかい?」
「……何だと?」
明らかにクロードの声のトーンが下がる。
彼の放つただならぬ気配に気付いた一部の生徒は、そそくさとその場を離れる。
そのことに気付いているのかいないのか、あくまでギーシュは高圧的、挑発的な物言いをやめない。
「おや、どうやら平民は耳まで遠いようだね。
貴族に敬意を払うことを知らないような平民は、ろくでなしの穀潰しだと言ったのさ。
是非とも親の顔を見てみたいものだ。見世物にすれば評判になるかもしれないな」
おいおい、何もそこまで言わなくたっていいだろう、と周りの生徒たちが苦笑交じりに囃し立てるが、
逆鱗を抉られ、さらに塩まで摺り込まれたクロードの耳に、もはやそれらは届かない。
後にシエスタは語る。
この時のクロードの放つ気配は、ギーシュに怒られているときのそれよりも、ずっと怖かった、と。
「なるほどね、この世界の貴族ってのは、八つ当たりで平民の人格を否定する人種なんだな。
僕らの世界では、そういう人間は学の無い野蛮人っていうんだけど」
囃子が、止んだ。
「……すまないな、もう一度言ってくれないか。
僕の聞き違いかな? 野蛮人という言葉が聞こえた気がしたんだが」
「ああ、これは失礼。僕の主は横暴ではあっても、自分の失敗を認め、それを真摯に受け止めて努力する人間だ。
彼女まで貶めるような発言は慎むべきだったな、丁重に謝罪するよ。
彼女がゼロならば、さしずめ君はマイナスかな」
ざわざわと、聴衆が騒ぎ始める。
正気か、平民が貴族に喧嘩を売るなど。
「成る程、随分と遠い国から来たらしいという噂は聞いていたが、
根本的に平民の何たるか、貴族の何たるかすらも理解していないと見える」
「だったら、この学の無い平民に貴族様の何たるかを是非ともご教授願いたいね。
君の家では責任逃れと八つ当たりの方法しか教えていない、なんてわけじゃないだろ?
ま、それならそれでジョークとしてはよく出来てるけどさ」
ビキィ、という音とともに、いよいよもって張り詰めた空気に亀裂が入る。
これではギーシュの生家であるグラモン家を虚仮にしているも同然。
いくらなんでもやりすぎだ。
ギーシュの表情には怒りを通り越して憎悪が書き加えられ、
その顔はもはや普段の優男ぶりからは想像もできないほどに歪んでいる。
親しい友人ですら、これほど怒りに満ちたギーシュは見たことが無かった。
既に事態は、完全にお互いに引っ込みがつかないところにまで発展していた。
「いいだろう! その言葉、我が一族への侮辱と受け取った!
ギーシュ・ド・グラモンの名に賭けて、君に決闘を申し込む!
ヴェストリの広場で待つ、逃げることは許さない!!」
ルイズが現場に到着したのはその数十秒後のこと。
全てが終った後のことだった。
それは残念ながらと言うべきだったのか、それとも幸運にもと言うべきだったのか、知る者は居ない。
「あんたねえ、ちゃんと聞いてるの!?
ギーシュだって、あれでもメイジなのよ。ホントに殺されても文句言えないわよ!?」
「……ムシャクシャしてやった。反省はしてないけど」
泣きじゃくるシエスタに縋り付かれ、大まかな説明を受けたルイズは
当然のようにクロードに詰め寄るが、クロードは何処吹く風と聞き流す。
流石のルイズでも、細かい理由はともかくクロードが本気で頭に来ていることくらいは理解出来る。
しかし、こればっかりは無謀に過ぎる。止めなくては。
使い魔が決闘で死んだなどとあってはトリステイン学院創立以来の大スキャンダルであり、
ヴァリエール家末代までの恥でもある。
だが、この使い魔は。
「これは僕の買った喧嘩だ。君には関係ないだろ」
「あ、あのねえ、あんたは私の使い魔でしょうが!
主人の許可も得ないで、勝手なことするんじゃないわよ!」
取り付く島も無いとはまさにこのこと、
手を替え品を替え、幾ら言葉を用いてもクロードにはルイズの意見を聞き入れる気配は無い。
「だ、駄目です、クロードさん……平民が貴族に逆らうなんて……
ミス・ヴァリエールの言うとおり、本当に殺されてしまうかも……」
クロードのジャケットにすがりつき、涙ながらに訴えるシエスタ。
それを見たルイズ、内心では気に食わないながらもしめたと思った。
そうだ、このまま彼を説得してしまってくれ。
勝ち目の無い勝負であると、同じ平民の口から教えてやってくれ。
今ならばまだ間に合う、恥をかかずに済むじゃないか。
しかし、クロードは首を横に振る。
その理由は様々だろうが─── 一つだけ確実なものを挙げるならば、
彼女はクロードのプライドをまるで考慮に入れていなかったということ、だろうか。
もっとも、貴族である彼女が『平民』であるクロードのプライドを推し量るなど、
この時点では土台不可能なことだったのかもしれない。
「……心配してくれてありがとう、シエスタ。
でも、僕だって男だ。彼は僕にとって、決して許せないことを言った。
今ここで彼に頭を下げてしまったら、この先一生、僕は自分を認められなくなる」
そう言って、クロードは優しくシエスタの頭を撫で、涙を拭う。
その声と表情はシエスタだけでなく、ルイズも驚くほど穏やかなものだった。
ほんのつい先ほどまで、あからさまに殺気を漂わせるほど怒り、猛っていたというのに!
シエスタは思う。
やっぱり、この人はただの平民じゃない。
だって、ただの人が、死ぬかもしれないのに、こんな風に笑えるわけがないもの。
貴族とは、死神に己が命をさらし、誇りに生きるものであるという。
彼女から見るならば、クロードこそが真に貴族を名乗るに相応しい者であった。
ルイズは思う。
言っていることもやっていることも無茶苦茶なはずなのに、何故か彼をこれ以上止める気にならない。
何でも、彼はギーシュに家族を侮辱されたのだという。
自分なら、どうするだろう?
自分が魔法を使えないことを理由に家族を、ヴァリエールの一族を侮辱されたとしたら?
己の力の無さを悔やみ、泣き寝入りするのだろうか?
馬鹿なことを!
魔法が使えないとは言え、私はヴァリエールの子。
否、魔法が使えないからこそ、その誇りだけは決して捨てるわけにはいかない。
誇りを捨てるとは、それは即ち己の魂を捨てること。
自分がルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールでなくなるということ。
そんなことを許せるわけが無い。認められるわけがない。
「……怖く、ないんですか?」
使用人は震えながら問う。
「……勝てるんでしょうね?」
主は視線を合わせぬまま問う。
「……そりゃ怖いけどさ、要するに負けなきゃいいんだろ」
二つの問いに、使い魔は胸を張って応えた。
#navi(S-O2 星の使い魔)
「レン・イン・ヤァム───」
吹き飛んだ石の欠片を左手に、机の脚の破片を右手に。
木切れとなった右手のそれを杖代わりに印を結び、呪紋を唱える。
意識を高めるために目を閉じ、術の対象たる左掌の石は拳へと握り込まれる。
「……」
結ばれた左手と瞳が開かれたとき、その手にあったものは、やはり先ほどと変わらぬ石ころだった。
「コラァ! 手が動いてない!」
「ああ、ごめんごめん」
主の怒鳴り声を背に受け、クロードは手の中の石と木切れを窓の外へと投げ捨てる。
(……何をやってるんだろうな、僕は)
今更、出来るようになるわけなどないのに。
10年ほど前に突きつけられた現実を思い返し、そして己の左手に刻まれたルーンに目を落とし、クロードは笑う。
それは何処か己の運命を嘲笑うかのようで、ひどく痛々しい。
ほんの少しだけ、期待していたのだけれど。
努力すればきっと報われると、信じていた。
自分も父と同じように飛べると、信じていた。
そんな幼い幻想が無残にも打ち砕かれたのは、中学校に進学する少し前の頃だったか。
学科選択のための診断テスト。その結果は『ゼロ』。
クロードには紋章術への適正である『マナの祝福』は無いと判定された。
自分は決して父のような『魔法使い』にはなれないと、断ざれたのだ。
現実と言う名の悪魔───或いは神によって、静かに、そして冷酷に。
あれほど落ち込んだことは、これまでの人生19年を振り返っても、他に無かったように思う。
その日、クロードは泣いた。そして叫んだ。
自分に素質が無かったのは、母さんのせいだ。
フェルプールや、フェザーフォルクに生まれて来ればよかったのに。
感情に任せてそう言った直後、生まれて初めて、父に殴られた。
その後、母をひどく傷つけてしまったことに思い至り、愕然とした。
あの時の両親の顔─────涙と、痛みは、きっと一生忘れられないだろう。
夜になってから、暴言を吐いた自分を優しく抱きしめてくれた母のことも。
(……あの頃の自分と、重ねて見ているんだろうか)
脳天の蒸気機関を無駄にフル稼働させつつ、己の失敗の後始末を行うルイズ。
主である『ゼロ』の背を眺め、クロードは揺れ続ける心で考える。
魔法使いになれなかった自分を、魔法が使えない彼女に投影している?
だから、未開惑星保護条約を無視してまで、あんなにペラペラと話をしていたのだろうか。
僕は、彼女に何を求めているのだろう。
自分が得られなかった栄光?
それとも、自分と同じ挫折?
(……馬鹿馬鹿しい)
ふうっ、と一つ溜息をつく。
相手は未開惑星の住人じゃないか。
地球に帰れば、それでお終い。契約も何も関係ない。
彼女の将来なんて、未来なんて、僕の知ったことか。
知ったことじゃない、はずなのに。
「サ・ボ・る・な!!」
「わっ!」
手の止まっているクロードに、今度は椅子の破片が飛んできた。
場面は変わり、ここは学院長室。
そこにあるのは、神妙な顔を付き合わせる壮年と老人。
「彼に現れたルーンが非常に珍しいものだったので、調べてみたのですが……」
「成る程、君のスケッチが正しければ、この文献にある通りじゃな」
一人はコルベール。
トリステイン魔法学院の教師であり、『炎蛇』の名を冠する優秀なメイジでもある。
彼の頭髪についての話題は、ここでは避けよう。
一人はオールド・オスマン。
本学院の最高責任者であり、彼もまた大陸に名を知られるメイジである。
ほんの少し前まで、セクハラのかどで秘書に踏みつけられていたのは内緒だ。
さて、コルベールの持ち込んだ本は『始祖ブリミルの使い魔たち』という。
遥か古の昔、ハルケギニアの創生にまつわる伝承、神話の類を集めた書物である。
その中の1ページ、コルベールの指差すところには、クロードの左手に刻まれたルーンが違わず記載されていた。
これは世紀の大発見かもしれない.
興奮を隠しきれず、強い口調でコルベールは捲くし立てる。
「つまり、彼のこのルーンは『ガンダールヴ』の証に他なりません!」
「ふむ……確かにルーンは同じじゃ。しかし、それだけで決め付けるには早計かもしれぬぞ」
しかし、オールド・オスマンは豊かな白い髭を撫で付けながら、静かにこう切り返した。
それを聞いたコルベールはハッとなる。
確かに、オールド・オスマンの言い分はもっともだ。
少し、自分は焦りすぎていたかもしれない。
頭に上った血がスゥ、と引いていくことを自覚し、コルベールは改めて眼前の老人に尋ねる。
「神託は、何と仰せです?」
「うむ、しばし待て」
オールド・オスマンはそう言うと目を閉じ、意識を集中し始めた。
それを邪魔するまいと、コルベールも神妙に神託が下るのを待つ。
「……
…………
………………」
「……」
「ふむ、エルネストが主人公でなければ、ダックソン2世は仲間にならんそうじゃ」
誰それ。
「まあ、そうじゃなあ。
こういうお告げが出るということは、実はそう大したことでもないということではないかな?」
「そもそも、マトモなお告げが出たことなんてありましたっけ?」
けらけらと笑うオールド・オスマンに、引き攣った笑顔で聞き返すコルベール。
「……失礼いたします、オールド・オスマン」
コルベールの疑問の答えの代わりに聞こえたのは、ノックとともに部屋に戻ってきた秘書の声だった。
興が削がれたのか、二人は改めてミス・ロングビルの方へと向き直る。
「ヴェストリの広場で、決闘しようとしている生徒がいるようです」
それを聞いてコルベールは勘弁してくれ、と言いたげにこめかみを押さえ、
一方のオールド・オスマンはやれやれ、と顔に書いて溜息混じりに椅子の背もたれに身を任せる。
「やれやれ、決闘は校則で禁止されているというのに……」
「まったく、暇を持て余した貴族ほど性質の悪い生き物はおらん。で、誰だね、その生徒は」
「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」
グラモンの倅か。調子に乗って誰ぞの彼女にでも手を出しよったか。
とりあえずミス・ロングビルはやらんぞ。
「では、もう一人は?」
「それが……メイジではなく、ミス・ヴァリエールの使い魔だというのです」
教師二人は、顔を見合わせた。
時間は少し遡る。
爆破した教室の片づけを済ませ、食堂に戻ってきたルイズとクロード。
辺りを見回せば、生徒たちが思い思いに使い魔たちと仲良くコミュニケーションをとっている。
召喚されて間も無い使い魔たちと親睦を深めることに、各々方とも余念が無いようである。
もっとも、中には使い魔そっちのけで異性とよろしくやっている者も混ざっているようだ。
今朝出会ったキュルケも、そんな感じで男子生徒と肩を寄せ合っている。
いやあ、若いっていいねえこん畜生め。
さて、ルイズは適当な席にどっかと座り込むと、頬杖をついてお茶と菓子を注文。
アバウト極まりない主のオーダーを受け、いそいそと席を離れるクロード。
背中に刺さる周りの視線と笑い声が痛い。
一方のルイズは、向けられる気配に片っ端からガンを飛ばしまくっている。
機嫌はさらに悪化しているようだ。
さて、それらプレッシャーから逃げるように席を立ったクロードであったが、
肝心の彼女の注文の品が何処にあるやら。
朝食のときに建物の構造をもうちょっとしっかり把握しておけばよかったと、少し後悔した。
と、そんな風に途方に暮れかけたところに見知った姿を見かけ、声を掛ける。
「やあ、シエスタ。今朝はありがとう」
「あら、こんにちはクロードさん。どうしたんですか?」
数時間ぶりの再会に顔を綻ばせるクロードとシエスタ。
畏れ多くも主から洗濯を仰せつかったはいいものの、洗い場が何処か解らずに
途方に暮れていたクロードに助け舟を出したのが、このシエスタであった。
また、手作業による洗濯など殆どやったことのないクロードに、基本的な作業を教えたのも彼女である。
クロードが事情を説明すると、シエスタは苦笑する。
「そんな、私に仰せになればお持ちしますのに」
「いや、その気持ちはありがたいんだけどさ」
右手で頭を掻きながら、くいくいと左手の親指を頬を膨らせたルイズに向け、シエスタに耳打ちする。
(僕がちゃんと使い魔として働かないと、あの人ヘソ曲げるから)
それを聞いて、微妙な笑顔を浮かべるしかないシエスタであった。
とりあえず厨房の場所と、ルイズはクックベリーパイに目が無いことを伝えると
シエスタは一礼して仕事に戻っていく。
「……遅い! 何やってたのよ!」
主の荒っぽい労いの言葉を受け、クロードはトレイをテーブルに置く。
皿に乗せられたパイに目を輝かせるルイズを見て、何ともいえない笑みを浮かべつつ、
改めて今日何度目か解らないシエスタへの感謝の念を覚えるクロードであった。
そして先ほどの授業中の続き、内職の第2ラウンド───傍から見ていればお喋りの続きが開始される。
それを眺める一部の生徒たちは口笛や笑い混じりに冷やかすが、二人の耳には届かない。
『サイレント』を用いることさえなく。
二人だけの世界って奴かしら。
あのルイズが挑発に何の反応も見せないことに、周りの人間はそう判断する。
確かにそれは間違っていなかったのだが、会話の内容に意識を向ければその意味合いは大きく変わっていたことだろう。
相反する属性の対消滅。
地と風では干渉は起こらない。
それ以外の組み合わせによる異なる属性同士の干渉。
呪紋の吸収と増幅。
水と雷の干渉実験。
始祖ブリミルとその使い魔たちの物語。
ハルケギニア大陸とトリステイン王国の歴史。
各種コモン・マジックの種類。
火、水、土、風、4系統の魔法の特性。
古に失われた『虚無』の魔法の存在。
まるでスポンジが水を吸収するようにクロードの話を飲み込んでいくルイズ。
そして、彼女が語るこの世界の伝承、自分の知らない魔法の物語。
彼女に自分の知識を伝えること、この世界について必要以上に知りすぎること。
どちらもが危険なことだと解っていても、それがどうしようもなく楽しいと思う。
それが午前中の自分と矛盾しているようで、どこか可笑しい。
『この世の真理と自己の精神は、決して人には理解し得ぬ事柄である』と、
かつて学んだとある哲学者の言葉を思い返す。
「ん、どうかした?」
「いや、ちょっとね」
それに伴い、自分自身の学校生活を回想するクロード。
何処へ行っても付いて回る、英雄の子というレッテル。
歪んだレンズを通してしかクロードを見ようとしない周囲に嫌気が差し、
周りからは距離を取るようになるまで、さほど時間はかからなかった。
考えてみれば、こんな風に会話をすること自体が久しく無かったような気がする。
一人でいることに慣れたつもりでいたけれど、本当は人恋しかったのだろうか。
そんなことを考えながら、グラスに注がれた水で唇を湿らせる。
「……何だか騒がしいわね」
「え?」
ルイズの指摘に、クロードは意識を内から外へとシフトさせる。
周りを見渡せば、なるほど。生徒たちは一箇所に集まり、ちょっとした人だかりが出来ている。
生徒同士のトラブルでもあったのだろうか。
「本当だ、何だろうね」
「まあいいわ、ほっときなさい。
どうせ大したことでもないでしょうし」
そうしてあっさり外への興味を断ち切り、第3ラウンドへの戦鐘を鳴らそうとしたルイズ。
──────であったのだが。
「……申し訳ありません! 申し訳ありません!」
(……シエスタ!?)
聞き覚えのある声に、クロードが反応する。
即座にすっくと立ち上がり、騒ぎの中心へと足を向けた。
なにやらルイズが文句を言っているようだが耳に入らない。
恩人の涙交じりの声を聞いて黙っていられるほど、彼は薄情ではなかった。
文句を言う主を無視して置いていったことは、この際脇に置く。
一言一言ことわりを入れながら、人の波を櫂き分けて人だかりの中心へと向かっていく。
「あ、ちょっと、こら! 使い魔の癖に主人を無視するなんて、もう!
って、んぐっ……ぐぅ……こ、こら、待ちなさ……むぎゅっ!」
体格に恵まれないルイズには、人ごみを櫂き分けて進むことは難しい。
クロードのようには上手くいかず、やがて人の波に飲み込まれていくのであった。
さて、人ごみを抜け出したクロードの目に飛び込んできたものは、
涙声になりながら必死に頭を下げ続けるシエスタと、
尊大に彼女を叱りつける気障ったらしい服装の男子生徒が一人。
男子の頬には、季節外れの大きな紅葉が一つ。
(痴情の縺れってやつかな、こりゃ)
状況からクロードはそう判断し、こめかみを押さえる。
二人の様子を見る限り、目の前の男子とシエスタが関係を持っていたとは考えにくい。
また、周りの冷やかしや野次からして、彼女に失敗や悪気があったわけでもないようだ。
とすると考えられるシナリオは、善意に基づく彼女の行動が浮気発覚の原因になった、といったところか。
なんにせよ、彼女にしてみればとんだ災難だ。
そんなことを考えながら、無言で二人の間に割り込むクロード。
突然の乱入者に男子は言葉に詰まらせ、背中からはシエスタが戸惑う様子が伝わってくる。
もともとはこんなキャラを演じるつもりじゃなかったんだけどな、と口の中で呟いて苦笑する。
今更、勇者様に憧れる年齢でもあるまいし。
「その辺にしてやれよ。彼女だって謝っているじゃないか」
「ん? 君は……ああ、ゼロのルイズが召喚した平民か。
事情を知らない人間の出る幕ではない、引っ込んでいてくれたまえ」
出来る限り相手の気を悪くしないように言葉を選ぶクロードに対し、 いかにも不機嫌そうに鼻を鳴らすギーシュ。
クロードは内心で顔を顰める。
己の正しさを絶対的、盲目的に信じ、その根源である力を気分次第に振りかざして他者を威圧する。
仕官学校時代にも何人か見かけたことのある、最も好きになれないタイプの人間だ。
それでも内心の不快感を可能な限り包み隠し、穏便にことを収めようとする。
「それにしたってやりすぎだろう。
何があったかは知らないけど、女の子を泣かせる奴は男として最低だぞ」
周りからもそうだそうだ! とクロードに同調する野次が飛び、ギーシュの表情が険しくなる。
別にクロードは喧嘩を売りにきたつもりなど毛頭無い。
単純に知り合いであり、恩人である人物がトラブルに巻き込まれているのを見かねただけだ。
極端な話、ギーシュが何を考えていようと、何をしていようと、クロードにはあまり関係の無い話のはずだった。
だから、自分なりに相手に気を使った上で冷静になるきっかけを持たせ、
互いに非を認め、改めた上で和解出来るならば、それがベストだと考えていた。
だが、ここでクロードは致命的な読み違いをしていた。
一つは、この世界における貴族と平民の差は、クロードが想像している以上に根が深いものだったこと。
貴族が黒と言えば、白い平民は黒となる世界。
そんな世界で、貴族が平民に対して率直に己の非を認め、詫びることは極めて難しいことである。
しかもギーシュは学生、そこまで状況を読んで事態を収拾させられるほど、人間が熟されていなかった。
もう一つは、自分がこの世界では平民と認識されていることを、クロード自身が失念していたこと。
前述のような絶対的な階級が存在している社会で、貴族が平民に諭されて面白いわけがない。
もともとこのような身分とは縁の薄い社会で暮らしていたクロードにとって、ハルケギニアに召喚されて僅か数日、
この世界の文化を把握するには時間があまりに少なすぎた。
そして、それ故にギーシュが発した次の台詞は、
そんなクロードの甘い考えと想像を粉々に吹き飛ばすことになる。
「フン、これだから平民は嫌なんだ。
これは僕と彼女の問題だと言ったろう、君は下がりたまえ。
それとも君のご両親は、貴族に対する礼儀の一つも教えてくれなかったのかい?」
「……何だと?」
明らかにクロードの声のトーンが下がる。
彼の放つただならぬ気配に気付いた一部の生徒は、そそくさとその場を離れる。
そのことに気付いているのかいないのか、あくまでギーシュは高圧的、挑発的な物言いをやめない。
「おや、どうやら平民は耳まで遠いようだね。
貴族に敬意を払うことを知らないような平民は、ろくでなしの穀潰しだと言ったのさ。
是非とも親の顔を見てみたいものだ。見世物にすれば評判になるかもしれないな」
おいおい、何もそこまで言わなくたっていいだろう、と周りの生徒たちが苦笑交じりに囃し立てるが、
逆鱗を抉られ、さらに塩まで摺り込まれたクロードの耳に、もはやそれらは届かない。
後にシエスタは語る。
この時のクロードの放つ気配は、ギーシュに怒られているときのそれよりも、ずっと怖かった、と。
「なるほどね、この世界の貴族ってのは、八つ当たりで平民の人格を否定する人種なんだな。
僕らの世界では、そういう人間は学の無い野蛮人っていうんだけど」
囃子が、止んだ。
「……すまないな、もう一度言ってくれないか。
僕の聞き違いかな? 野蛮人という言葉が聞こえた気がしたんだが」
「ああ、これは失礼。僕の主は横暴ではあっても、自分の失敗を認め、それを真摯に受け止めて努力する人間だ。
彼女まで貶めるような発言は慎むべきだったな、丁重に謝罪するよ。
彼女がゼロならば、さしずめ君はマイナスかな」
ざわざわと、聴衆が騒ぎ始める。
正気か、平民が貴族に喧嘩を売るなど。
「成る程、随分と遠い国から来たらしいという噂は聞いていたが、
根本的に平民の何たるか、貴族の何たるかすらも理解していないと見える」
「だったら、この学の無い平民に貴族様の何たるかを是非ともご教授願いたいね。
君の家では責任逃れと八つ当たりの方法しか教えていない、なんてわけじゃないだろ?
ま、それならそれでジョークとしてはよく出来てるけどさ」
ビキィ、という音とともに、いよいよもって張り詰めた空気に亀裂が入る。
これではギーシュの生家であるグラモン家を虚仮にしているも同然。
いくらなんでもやりすぎだ。
ギーシュの表情には怒りを通り越して憎悪が書き加えられ、
その顔はもはや普段の優男ぶりからは想像もできないほどに歪んでいる。
親しい友人ですら、これほど怒りに満ちたギーシュは見たことが無かった。
既に事態は、完全にお互いに引っ込みがつかないところにまで発展していた。
「いいだろう! その言葉、我が一族への侮辱と受け取った!
ギーシュ・ド・グラモンの名に賭けて、君に決闘を申し込む!
ヴェストリの広場で待つ、逃げることは許さない!!」
ルイズが現場に到着したのはその数十秒後のこと。
全てが終った後のことだった。
それは残念ながらと言うべきだったのか、それとも幸運にもと言うべきだったのか、知る者は居ない。
「あんたねえ、ちゃんと聞いてるの!?
ギーシュだって、あれでもメイジなのよ。ホントに殺されても文句言えないわよ!?」
「……ムシャクシャしてやった。反省はしてないけど」
泣きじゃくるシエスタに縋り付かれ、大まかな説明を受けたルイズは
当然のようにクロードに詰め寄るが、クロードは何処吹く風と聞き流す。
流石のルイズでも、細かい理由はともかくクロードが本気で頭に来ていることくらいは理解出来る。
しかし、こればっかりは無謀に過ぎる。止めなくては。
使い魔が決闘で死んだなどとあってはトリステイン学院創立以来の大スキャンダルであり、
ヴァリエール家末代までの恥でもある。
だが、この使い魔は。
「これは僕の買った喧嘩だ。君には関係ないだろ」
「あ、あのねえ、あんたは私の使い魔でしょうが!
主人の許可も得ないで、勝手なことするんじゃないわよ!」
取り付く島も無いとはまさにこのこと、
手を替え品を替え、幾ら言葉を用いてもクロードにはルイズの意見を聞き入れる気配は無い。
「だ、駄目です、クロードさん……平民が貴族に逆らうなんて……
ミス・ヴァリエールの言うとおり、本当に殺されてしまうかも……」
クロードのジャケットにすがりつき、涙ながらに訴えるシエスタ。
それを見たルイズ、内心では気に食わないながらもしめたと思った。
そうだ、このまま彼を説得してしまってくれ。
勝ち目の無い勝負であると、同じ平民の口から教えてやってくれ。
今ならばまだ間に合う、恥をかかずに済むじゃないか。
しかし、クロードは首を横に振る。
その理由は様々だろうが─── 一つだけ確実なものを挙げるならば、
彼女はクロードのプライドをまるで考慮に入れていなかったということ、だろうか。
もっとも、貴族である彼女が『平民』であるクロードのプライドを推し量るなど、
この時点では土台不可能なことだったのかもしれない。
「……心配してくれてありがとう、シエスタ。
でも、僕だって男だ。彼は僕にとって、決して許せないことを言った。
今ここで彼に頭を下げてしまったら、この先一生、僕は自分を認められなくなる」
そう言って、クロードは優しくシエスタの頭を撫で、涙を拭う。
その声と表情はシエスタだけでなく、ルイズも驚くほど穏やかなものだった。
ほんのつい先ほどまで、あからさまに殺気を漂わせるほど怒り、猛っていたというのに!
シエスタは思う。
やっぱり、この人はただの平民じゃない。
だって、ただの人が、死ぬかもしれないのに、こんな風に笑えるわけがないもの。
貴族とは、死神に己が命をさらし、誇りに生きるものであるという。
彼女から見るならば、クロードこそが真に貴族を名乗るに相応しい者であった。
ルイズは思う。
言っていることもやっていることも無茶苦茶なはずなのに、何故か彼をこれ以上止める気にならない。
何でも、彼はギーシュに家族を侮辱されたのだという。
自分なら、どうするだろう?
自分が魔法を使えないことを理由に家族を、ヴァリエールの一族を侮辱されたとしたら?
己の力の無さを悔やみ、泣き寝入りするのだろうか?
馬鹿なことを!
魔法が使えないとは言え、私はヴァリエールの子。
否、魔法が使えないからこそ、その誇りだけは決して捨てるわけにはいかない。
誇りを捨てるとは、それは即ち己の魂を捨てること。
自分がルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールでなくなるということ。
そんなことを許せるわけが無い。認められるわけがない。
「……怖く、ないんですか?」
使用人は震えながら問う。
「……勝てるんでしょうね?」
主は視線を合わせぬまま問う。
「……そりゃ怖いけどさ、要するに負けなきゃいいんだろ」
二つの問いに、使い魔は胸を張って応えた。
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