会昌開元について


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

武宗が道教に傾倒し、佛教を廃し佛像、仏具等を破砕したことは、各種の文献に明らかである。この経緯について、最も詳かな記録がわが国に残されている。円仁(慈覚大師)の「入唐求法巡礼行記」がそれである。 円仁は最後の遣唐船に乗り入唐(837)、宣宗の大中元年(847)帰国している。武宗が兄文宗の後を継いで即位(840)し、会昌六年三月(846)崩ずるまで、佛教の大弾圧を身を以って体験し、苦難の中を求法した旅行日記である。その克明な記述と正確な内容は学術的にも高く評価されている。
この「行記」の会昌五年六月八日の条のうちに 「近ごろ勅あり、牒し来りていうに、天下の銅佛鉄佛はことごとく毀砕して、斤両を秤量り、塩鉄使に委して収管せしめおわりて、 具録して聞奏せよ、(以下略、小野本訳による」とある。
 中国の資料には七、八月に勅令が出たことになっているが、それ以前にも出されたのではないかとみられている。 佛教弾圧は数年前より余々に高まり、会昌五年の夏にはその極みに達したのである。  会昌銭は、この収管された佛像、佛具を以って鋳造されたが、武宗が翌年三月崩じた後宣宗が即位すると、この新銭を廃し再び佛像等に鋳造されている。 (開元通宝泉譜引用)