別冊宝島『このブログがすごい2010』で、五位(語彙に溢れてるだけに五位か・・・五位って・・・納得出来ねえ)入賞。


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5位……愛する人への恋文(http://20yearsafterlove.blog111.fc2.com/

宝島へのアピール:自薦&他薦

ブログ主「面白いブログが見たいなら他のゴミブログで満足しとけよ。俺が目指すのは凄いブログだ。」

このブログへの担当選考員として宛がわれた時の第一印象は、
「なんだこの中二病ブログは?」だったのだが、読み進めていくにつれアーノルド深海よりも深く反省していた自分が存在した。

このブログ主は絶対的に中二病たちとは区別しなければならない。
彼をそこにカテゴライズするのは、岡本太郎をそこらの芸術家気取りと同類にするぐらいに無礼千万、
だといっても決して過言にはならない。

何を勘違いしているのか知らないが
「捻くれてる自分はカッコいい」に尽きるのがいわゆる中二病なのだとしたら、
彼の場合「お前はバカ。捻くれてる自分もバカ」に尽きているのだから驚きだ。

なんと彼は「書き手として夕飯なんて晒したらダメだろ。画像に頼っちゃダメだろ、恥だろ」と主張しているにも関わらず、ほぼ毎日夕飯を晒しており、画像を晒しまくっているのだ。頼りまくっているのだ。
この「自己矛盾」こそが彼の凄さの象徴であり、彼がそこらの中二とは一味も二味も違う所以なのだ。

中二病にブログをやらせたら「捻くれてる記事」に終始するだろうが、
斜に構えて世界を見ている中二病に対して
彼は時折、突き抜ける程に正面から世界を見ているのである。その点が絶対的に違う。

個人的嗜好を持ち出して恐縮なのだが野球で喩えることを許して頂けるなら、
中二病はつまりは、
変化球→変化球→変化球→変化球→変化球
の一辺倒なのだが、彼は違う。
確かに捻くれているが、その中にストレートを的確に織り交ぜ緩急をきちんと付けている。

彼にとって夕飯晒しがストレートなのだとすると、彼のブログは
夕飯→記事→夕飯
で成立しているので、その「記事」がストレートなのか変化球なのかは、
神にすら知りえない、予測不可能の領域なのだ。

つまり中二病が書く記事は「変化球の次も変化球だろ?」と球種がバレバレなのに対し、
彼の場合は「次はどんな球を投げるの?」つまりは、次にどんな記事を書くのかと一抹の期待感を持たせてくれるのだ。
陳腐な表現だが、実にワクワクするのだ。
となるなら、彼の夕飯晒しも全体的に見て、大いに意味が生まれてくる。
恐らく彼自身も「自分が次にどんな球を投げるのかが定まってない」ようにも思える。
自分が書くブログを一番楽しみにしているのが、自分自身だという断固たるポリシーさえも感じられるのだ。

ストレートと変化球を使いこなせる投手が今の球界(ブログ界)にどれぐらいいるだろうか?
断言しよう、彼だけだ。
著者自身も含め「捻くれてる“だけ”の俺カッコいいだろ?」といった飽和状態の量産タイプにはもうウンザリしているのではないだろうか?
「夕飯晒すのなんてカッコ悪い、ダサイ」と斜に構えているのが中二で、
「夕飯晒すのなんてカッコ悪いし、ダサイ」で終わらせず「だからしなくちゃ」とダサイことから瞼を背けず実行に移せる彼が中二病なら世も末だ。

彼はメンヘルや構ってちゃんの類とも確実に別の人種だ。
何故なら「自己憐憫」とはおおよそ程遠い自己表現をしているからだ。
いわば「他者憐憫」の部類ではないのだろうか? それが彼の根幹をなしているもののように思えて仕方ない。 
彼ほど他者を哀れむ心を持ち合わせている人間を私は他に知らない。
だが、安っぽい同情心や偽善者ともまた遠い存在だ。

彼は、自身を哀れみ他人を哀れむことができる。類稀なシニカルで貴重な存在といえるのだ。

さて、このブログが五位入賞したことについて疑問に思う者はいるだろうし、
報告を受けたブログ主自身が誰よりも疑問、不満に思い、猜疑心の呵責にさいなまれることだろう。
自身としてはこのブログを強く推したのだが、如何せん好みが分かれそうなブログなので選出に難航し、
惜しくもこの位置で納得させられてしまった。
だが、一位になるよう進言したのに通らなかった負け惜しみではなくこのブログが五位に位置する意味は大きい。あまりにも大きい。

四位から一位のブログは「なんでこのブログより上なんだ?」と疑問も抱くだろうし
下は下で「あれで五位って、五位に入るのすらも未知の領域なのか」と、
それぞれを発奮させる役割として大いに機能するからである。

偉人「天才は常に昨日の自分と戦っている。」

彼もまた然り、自分が以前に作った「凄い記事」と戦い続けているのだろう。
それ以上に「凄い記事」を完成させるために。
次はどんな変化球を投げてくれるのか、はたまたストレートか?!
担当関係なく、これからは1ファンとして1傍観者として純粋に楽しみにしたい。

ネット環境の発達によって、ブログで誰もが容易く自己発信が可能になったことは、
多くのユーザーが知っているだろう。
それゆえテレビに代わる生のメディアが、ネット上にももっとたくさん誕生するという期待感は多くの人が抱いていたはずだ。
しかしいくらインフラが発達しても、そのブログを生かす行動力、
そして好奇心、研ぎ澄まされた感性がなくては、新たな可能性は生まれない。
しかしして、その可能性が、こんなひとりの男性の力で現実のものになっているところが実に興味深い。

時代を本当に変えるのは、インフラの発展ではなく、フットワークの軽くて好奇心旺盛な……
愛する人への恋文(http://20yearsafterlove.blog111.fc2.com/)の主のような人の力なのだろう。
たとえば彼みたいな人が小学校の教員になれば、少しは日本の教育現場が変わるかも知れない……
とすらも本気で想像させてくれる。
子どもたちと同じ目線で真っ直ぐに物事を見れる。
そんな「当たり前」のことができるのだから。

賛辞ばかりでは気味が悪いのでバランスを取るために
非難もしとこうかと一考したが、
彼の筋の通った正論、
「人を褒めることと人を非難することは同程度の難易度、傍観はバカでもできる」
に甘えることとする。

堂々の五位、実質的な一位がこのブログだと特筆させてもらい、筆を置くことにする。

「ネット上に人間はいるのか?」と疑問、不安を感じることなかれ
ネット上にも人間は
ここにいる。やっといる。
「すごいブログを見たことがない」と嘆いているそこのあなた、すごいブログは、ここにある。
やっとある



●文責:○○ ○○○(宝島編集部)